マルチエージェントモデルを用いた投資における意思決定の評価 07D8101002G 市村 真二
中央大学理工学部情報工学科 田口研究室 2011年 3月
あらまし:本研究では人が投資を行う際の意思決定の プロセスを数理モデルで表し,マルチエージェントモ デルを用いてその意思決定方法を評価する.評価の対 象とする意思決定は期待効用理論とプロスペクト理論 の二種類である.マルチエージェントモデルではエー ジェントの収益予測,エージェントの戦略形成,市場 取引の三つのステップの反復によって意思決定を評価 する.
キーワード:意思決定理論,期待効用理論,プロスペ クト理論,マルチエージェントモデル
1. 序論
これまでのモダンポートフォリオ理論では,投資家 は常に合理的な行動をすると仮定してきた.すべての 投資家が合理的である市場を効率的市場と呼ぶ.しか し,効率的市場仮説の下ではバブルのような現象を説 明できない.そこで,本研究ではバブルを引き起こす 要因として,投資の際に人が行う意思決定に着目する.
期待効用理論とプロスペクト理論の二つの意思決定理 論を採用して,マルチエージェントモデルを用いて評 価する.
2. 株価データ
2000年から2009年までの月次の株価終値の時系列 データを収集する.銘柄の選別には東京証券取引所が 発表しているTOPIX30(2008年度)に含まれる銘柄 を選ぶ.株価時系列データから第 期の収益 ,収 益率 を,第 期の株価 と第 期の株価
を用いて以下のように定義する.
,
定 義 し た 収 益 が 正 規 分 布 に 従 う か ど う か を
Shapiro-Wilk検定で検定する.その結果,30銘柄すべ
てで正規分布を仮定することの妥当性が見られた.
3. 意思決定理論
3.1. 期待効用理論
合理的な投資家の効用を 効用関数で表す.効用とは人 が富に対して感じる満足度 のことである.効用関数の例 を図 3.1に示す.
効用関数の特徴は単調増 加かつ凹関数という点であ る.すなわち,富が増加して いくに連れて効用も増加し ていくが,同時に増加量は逓 減していく.
投資家の目的は,この効用の期待値が最大になるよう な投資戦略を決定することである.この最適ポートフォ リオ問題は次のように定式化される.
は各資産間の共分散, は資産 の期待収益,
は各資産 に対するポートフォリオ, は効用関数,
は分散 ,期待値 の正規分布に従う確率変数,
が期待効用である.この最適化問題を解いて得
られたポートフォリオが合理的な投資家の戦略となる.
3.2. プロスペクト理論
非合理的な投資家も合理的な投資家と同様に,自らの 効用の期待値を最大にするようなポートフォリオを決 定することが目的であるが,効用を表す関数形が合理的 な投資家のものとは異なる.その関数形はプロスペクト 理論の価値関数として以下のように式が定義されてい る.
この価値関数 のグ
ラフを図 3.2に示す.
このグラフの特徴は三 つある.最初は定義域が富 全体でなく利益と損失で あること.二番目は利益の 部分では凹関数,損失の部 分では凸関数であること.
これは利益領域ではリス ク回避的,損失領域ではリ スク愛好的であることを表 す.三番目は非対称性であ
る.損失曲線が利益曲線よりも急ということは,損失は 利益よりも重大に思えることを表している[1].
また,非合理的な投資家は本来歪みようのない確率 を歪めて認識する.この歪んだ確率を確率ウェイト関数
と呼ばれるもので表す.その関数形は次のように
定義されている.
この確率ウェイト関数も価値関数と同様に,利益か損失 かで関数形が異なる.利得領域では であり,
図 3.2 価値関数
図 3.1 効用関数
損失領域では が定義されている[1].こ れを図 3.3に示す.確率 ウェイト関数は非線形な ので,意思決定問題を数 理的に分析するには不便 である.従って,代わり に意思決定ウェイト関数
, を用いる.利 益領域の意思決定ウェイ
ト関数が であり,損失領域が である.この意 思決定ウェイト関数は確率ウェイト関数から導出され る[2].
価値関数 と意思決定ウェイト関数 , を
用いて非合理的な投資家の期待効用 を表す.
は利益の部分と損失の部分に分けられる.
そして, , はそれぞれ,
である.このとき,最適ポートフォリオ問題は以下のよ うになる.
この最適化問題を解いて得られたポートフォリオが非 合理的な投資家の戦略となる.
4. 金融市場におけるマルチエージェントモデル マルチエージェントモデルとは現実に起こっている 問題や現象を計算機上で再現するためのモデルである.
エージェントと呼ばれる行動主体に行動規範を与え,
複数のエージェントが存在する環境を形成し現実を近 似する.エージェントが複数存在する環境において,
エージェント同士の行動規範が相互作用しあった結果,
全体としてどのような現象が起こるかを観察する.金 融市場の場合,最初にエージェントは金融資産の収益 を予測する.次にエージェントが自身の最適と思われ る戦略であるポートフォリオを決定する.最後に各エ ージェントが売買注文を出して取引を行う.これら三 つのステップの反復で市場の変化を観察する.
5. シミュレーション結果
エージェントの採用している意思決定が,期待効用 理論のみの場合とプロスペクト理論のみの場合におけ
る市場成長率の確率分布を図 5.1に示す.市場成長率 とは,取引後の各エージェントの総資産の総和が,初 期状態に比べてどの程度増加しているか(あるいは減 少しているか)を表す指標である.エージェントの総 資産の総和が,初期状態から変化していないときの市 場成長率を0%とする.
図 5.1 市場成長率の確率分布
すべてのエージェントが期待効用理論を採用してい る市場の場合,市場成長率の平均は49%であり,プロ スペクト理論の場合は72%である.分布を見ると,プ ロスペクト理論の市場成長率の方が,期待効用理論よ りも分布の裾が広がっている.従って,プロスペクト 理論を採用している市場の方が,急速に成長する可能 性が高いということが分布から窺える.つまり,バブ ルが起きやすくなる.
期待効用理論が本来の投資家のあるべき姿をモデル 化した規範理論であるのに対し,プロスペクト理論と は実際に投資家が市場で行っている意思決定をモデル 化した,より実践的な理論である.従って,現実の市 場ではプロスペクト理論のような意思決定をしている 投資家が圧倒的多数であるため,バブルのような現象 が起きやすいと考えられる.
6. 最後に
本研究ではバブルのような現象がおこる原因を,人 が投資の際に行う意思決定によるものとして捉え,意 思決定を数理モデルで表した.期待効用理論とプロス ペクト理論の二種類の意思決定理論を採用している投 資家の市場をマルチエージェントモデルで表し,シミ ュレーションを行った.シミュレーションを通じてそ れぞれの市場において,バブルが起こる確率を示した.
その結果,より現実に近い意思決定であるプロスペク ト理論を採用している投資家の市場の方が,バブル現 象が起きやすいことが分かった.
7. 参考文献
[1] 角田康夫,行動ファイナンス入門,PHP研究所,
東京,2009.
[2] 鑓田亨,関数形が特定化された累積プロスペクト 理論とリスク下の選択,NUCB Journal of Economics and Information Science,vol.50, no.2,pp.219-236,2006.
10%0%
20%30%
40%50%
60%
0% 100% 200% 300%
確率
市場成長率
期待効用 プロスペクト 図 3.3 確率ウェイト関数