序論 法然(一一三三〜一二一二)とは何か。法然を歴史上で考えれば、浄土教の独立を宣言したことはエポックを画すものであり、ここに法然の真髄を見てもよいであろう。では、一宗として独立せんとする法然浄土教の中核をなす思想とは何か。これは多様な角度から考究し得る問題であるが、田村芳 よし朗 ろう氏は、法然を評して「不二絶対の世界観をしりつ つ、しかも、而二相対におりたった」とする。田村氏はここに当時の時代思潮に対する法然の特徴を見ようとしている。そして、こうした法然浄土教を成すものは凡夫の自覚だとする。 法然は、伝源信撰の『真如観』について、「これは恵心のと申て候へども、わろき物にて候也」(『百四十五箇條問
答』)として批判的な眼差しを向けている。以下に挙げるように、この『真如観』は現実肯定の色彩が濃く、いわゆる天台本覚思想の代表的な文献だと言われる。 ()1
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《研究論文》
法然とその直弟における
「是心是仏」をめぐる問題
親鸞仏教センター研究員
中 村 玲 太
今我等法花経ノ教ニヨテ、我則真如ナリト知ヌレバ、煩悩即菩提也、生死即涅槃ナレバ、煩悩ヲ断ジ、生死ヲ離レムト思フ煩モナシ。弥陀・薬師等ノ諸仏、遥ニ十方恒沙世界ヲ過テ尋ネザレドモ、我胸ノ間ニ、マシマスト知ヌ。無数劫ノ修行ヲ運ザレドモ、大日・釈迦等ノ妙覚究畢ノ如来、本ヨリ法然トシテ、具足シ玉ヘリ。
こうした教えが頽 たい落 らくなわが身を是認するような、田村氏の言葉を借りれば、「現実にたいする悪肯定」の思潮を生み出したとしても不思議ではない。対して法然は、親鸞
(一一七三〜一二六二)筆『西方指南抄』に収められる『法然聖人御説法事』によれば、浄土三部経の教えは「娑婆のほかに極楽あり、わが身のほかに阿弥陀仏まします」と説くものだと明示している。自己と弥陀とは相対するものであり、浄土を彼岸に見据える。法然は、この現実そのものを真如として肯定する思想からは一線を画していると言え、ここに「厭 おん離 り穢 え土 ど」の思想も成立するのである。なお、こうした法然の立場は、善導(六一三〜六八一)の「指方立 相」論――浄土は具体的な相を取り、西方に指し示されるとする思想――に立脚するものであることは間違いないであろう。 ただ、「煩悩即菩提」とは大乗仏教の要となる概念であり、天台本覚思想とは「あくまで大乗仏教の「教理」の展開線上に結実した思想」とも指摘される。何よりも法然が浄土三部経の一つに数える『観無量寿経』(以下、観経と略
記)自身が「この心仏と作 なる。この心これ仏なり」(是心作
仏。是心是仏)と言明している。また、こうした経説に導かれながら、自己の心こそ浄土であり弥陀であるといういわゆる「唯心浄土」思想が中国浄土教の主流であった。
さて、「浄土宗」開宗の拠り所は善導にあると言ってよいが、法然は善導以外の浄土教を切り捨てて新たな思索に臨んでいったのではない。先行する、あるいは同時代に流布していた浄土教と対峙し、苦悩しながら、浄土教の独立を切り開いていったのが法然である。この思索の営みを新たな視点から明らかにするのが本論第一の目的である。
そこでまず、「逆修」の法要における法然の説法を筆録した『逆修説法』(『法然聖人御説法事』の異本)に注目する。 ()4
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法然と「唯心浄土」思想に関しては数々の研究がなされてきたが、『逆修説法』に見える法然の問題意識については十分な検討がなされてきたとは言い難い。この『逆修説法』に現れた法然の言説は主著『選択集』には見えない「唯心浄土」、「是心是仏」への問題意識が伺え、さらにそこには源信(九四二〜一〇一七)に対する思慕のある一方で、その教義を批判的に乗り越えようとする法然の信念とも称すべきものが見られる。本論ではここに着目して、法然における弥陀と心の問題について明らかにする。
法然の示した浄土の思想が、果たして大乗仏教にかなうものか、ということが切実な課題として浮かびあってくるのは直弟においてである。法然の浄土教理解への批判が巻き起こる中、法然の教えが大乗の仏説にかなうものであることを示すのに各直弟が苦心することになる。なお、法然は『逆修説法』四七日の最後にこのような訓戒をしている。
浄土を宗とせん人も、一切経なお大切なるべきことなり。[中略]然れば、浄土宗の中に、大小乗諸経、皆悉くあるべきなり。いかに況や、解説の師、最も諸宗 を兼学すべきなり。
法然にしても「浄土宗」が仏説であることを確信していたのであり、その「浄土宗」が諸経典より明らかにされることを切に期待していたのであろう。これは法然の生涯では追い切れなかった課題でもあり、その課題に直弟がまさに対峙していたとも言える。本論では、法然に止まらず、こうした歴史的な課題の移行を検討しながら、法然の登場を承けて新たに読み解かれた大乗の仏説、そして「是心是仏」の理解について明らかにしたい。これが本論第二の目的である。
そこで本論では次に、法然の上足であり西山義の祖となる證空(一一七七〜一二四七)の思想を検討する。證空の思想的特徴として、「生仏不二」――衆生と仏とが一体であるという不二を中心とした世界観が注目されてきた。確かに證空は自己の心にこそ弥陀を見るのであるが、それは罪悪の自覚にこそ見いだされる、他力の信の上に成り立つものだと考究している。有限・分別の世界にしか生きられない凡夫にとって、如来との接点はどこにあり得るのかを究 ()9
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明したのが證空の思想的特徴と言うべきであり、それまでの不二思想と単純な同一視はできない。證空は、法然思想に立った上で大乗の仏説を読み解き、「是心是仏」について法然に比べて踏み込んだ解釈を試みている。この点についての解明を目指したい。
本論では以上の視座が中心であるが、親鸞における「是心是仏」の問題も解明が待たれるものである。これについては最後に今後の展望を交えつつ考察を試みる。
Ⅰ 法然における弥陀と心の問題
序
『逆修説法』に見える
「白 びゃく毫 ごうの功徳」について
法然における弥陀と心の問題を考究する上で注目したいのが、『逆修説法』における「白毫」の説法である。まず、この「白毫」であるが、『逆修説法』四七日において、阿弥陀仏が諸仏とは別に有する功徳(別徳)について「白毫」という観点から以下のように説かれる。 ……然ればすなわちしばらく白毫一相の功徳を讃嘆し奉るべし。恵心の御意に依りて白毫の功徳を讃じ奉りては、それ五有り。謂く、白毫の業因、白毫の相貌、白毫の作用、白毫の体性、白毫の利益なり。
このような白毫の五功徳が弥陀の別徳を語る中心となっている。ここで法然が示す「恵心の御意」とは、主として源信撰『阿弥陀仏白毫観』(以下、白毫観と略記)だと考えられる。源信『往生要集』には白毫を五つの観点から観察する方法を説き示す箇所はないが、『白毫観』の冒頭には以下のように白毫についての「五種観法」が説かれている。
もし阿弥陀仏を観念せんと欲せば、まずただまさに白毫の一相を観ずべし。この中、私に五種の観法を用いん。一には、業因を観ず。二には、相貌を観ず。三には、作用を観ず。四には、体性を観ず。五には、利益を観ず。〈初の三は約事なり。第四は約理なり。第五は二に通ず。以て次第と為す〉 ()11
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この源信『白毫観』と法然『逆修説法』の白毫相に対する違いについて、福原隆善氏の指摘が注目される。
ところでよく注意してみると、源信の場合は、観白毫業因、観白毫相貌、観白毫作用、観白毫体性、観白毫利益とすべて「観」の字がつけられている。これは『白毫観』の原文においてもそうである。ところが法然の『逆修説法』ではこの「観」の字が省略されている。法然は源信に依りながらも、自己の立場と源信の立場とをよく峻別していることがわかる。法然は白毫相の観法のために源信の『白毫観』を引いたのではなく、どこまでも白毫一相のもつ功徳性を強調するためであったことが知られるのである。
以上の指摘の通り、阿弥陀仏の別徳について必ずしも法然が源信に全面的に依拠して論じているわけではない。これは、各論についても同じであり、相当の異同が見られる。
法然は「白毫」に注目して弥陀を説くのであるが、この中で凡聖のあらゆる存在と弥陀との関係も論じており、こ こに法然における弥陀と心の問題を解明する手がかりがあると考える。しかもこの「白毫」に関する思索は、源信を含めた従前の浄土教を意識しながら、法然が独自に展開させたものだと言える。そこで、『逆修説法』と『白毫観』等との異同について、その各論を検討しながら法然の浄土思想について以下に考究を進めていく。
「白毫の作用」について
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『逆
修説法』四七日に白毫の五功徳が説かれるが、その中で特に注目されるのが「白毫の作用」である。やや長いがこの「白毫の作用」の解釈の全文について、便宜的に段落分けして示す(【
B
】が法然独自の注釈の要素が強いと考えられる箇所)。
次に白毫の作用とは、謂く白毫より放つ所の光明の中に衆事を現ずるなり。恵心の意に、「その所現の境界、十法界を出でず」と云へり。 ()13
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A①
)謂くまさに仏身を以て度することを得べき者には、すなわち彼の白毫の光を現じて仏身と作る。その仏身について二有り。一には、始終応同の身なり。二には、無 む而 に欻 くつ有 うの身なり。始終応同とは、釈迦如来の如く八相を現ずるなり。無 む而 に欻 くつ有 うとは、託胎・出胎の相を現ぜず、出家・成道の相をも現ぜず、ただ忽然としてしかも現ずるの仏身なり。(
B①
)あるいはまた菩薩身を現ず。普賢・文殊・観音・勢至・地蔵等の如きは、すなわち菩薩なり。然れば、彼等諸の大菩薩も弥陀白毫の所現にてもや坐 おわす覧 らん。(
A②
)またあるいはまさに辟支仏身を以て済度すべき者には、彼の白毫の光現じて辟支仏と作る。辟支仏とは、前仏の法は滅し、後仏は未だ出でざるの中間に出でて、仏の教えには非ず、ただ飛華落葉を見て独り開悟するなり。故に独覚と云う。この独覚に二有り。一には、麟喩独覚、二には、部行独覚なり。あるいはまた声聞身を現ず。 (B②
)釈迦仏の御弟子舎利弗・目連・迦葉・阿難等の如きは、すなわち声聞なり。知らず、弥陀如来の白毫の光、釈迦の化儀を助けんがために彼の諸大声聞を現じ給う覧。(A③
)あるいは梵王身を現じ、あるいは帝釈身を現じ、あるいは国王大臣身を現じ、あるいは長者居士身をも現ず。凡そ比丘比丘尼、優婆塞優婆夷、天龍夜叉、乾 けん闥 だつ婆 ば緊 きん那 な羅 ら、乃至、地獄鬼畜生修羅、かくの如き等の一切の身、宜しきに随いて現ぜざるはなし。(B③
)これに就いて意を得れば、総じて六道四生一切の凡聖は、併 しかしながら弥陀如来の毫光の所現かと疑わるるものなり。ただこの白毫の一相のみに非ず、総じて八万四千の相、一々みなかくの如く一切の身を現ずるなり。然れば法界の中にただ弥陀一仏の遍じ給へるなり。上述はいわゆる恵空本(通称、古本)からの引文である ()14
が、義山(一六四八〜一七一七)の編集になる『漢語灯録』
(通称、新本)では、「白毫の作用」が諸身を現ずることについて、「普門品の普門示現の如くなり」とある。これは義山が編集して加えたものであると思われ、『法華経』「観世音菩薩普門品」(以下、普門品)の存在を指摘している。後に確認するように確かにこれは重要な示唆ではあるのだが、法然の教説を普門品との類似点のみで把握するのは果たして正しいのであろうか。むしろ、普門品との相違点、さらには『白毫観』からの展開にこそ法然の独自性があると考え、普門品、『白毫観』との連関について「白毫の作用」の詳細を検討する。
① 普門品との類似点
はじめに普門品との類似点を確認しておきたい。普門品には、仏が無尽意菩薩に対して観世音菩薩が諸身を現ずる在り様を以下のように説いている。
もし国土ありて衆生の、まさに仏身を以て度すること を得べき者には、観世音菩薩はすなわち仏身を現じて、為に法を説くなり。まさに辟支仏身を以て度することを得べき者には、すなわち辟支仏身を現じて、為に法を説くなり。まさに声聞身を以て度することを得べき者には、すなわち声聞身を現じて、為に法を説くなり。まさに梵王身を以て度することを得べき者には、すなわち梵王身を現じて、為に法を説くなり。まさに帝釈身を以て度することを得べき者には、すなわち帝釈身を現じて、為に法を説くなり。
ここから、「執金剛神」まで計三十三の観世音菩薩が現す身が示される。古本『漢語灯録』で、始めに「謂応以仏身得度者、即彼白毫作仏身」とあったが、これは普門品の「応以仏身得度者」を受けるものであると考えられる。
仏身だけであれば、『白毫観』にも「若有応以仏度者、此光即現仏身、説法」とあったが、これ以外の九界の身について具体的な記述はない。『白毫観』を参照しつつ、梵王身、帝釈身等、普門品に原典をたどって法然は解釈を施していると言えよう。 ()15
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② 普門品との相違点 上述の諸身が現ずることを「白毫の作用」に見るのは、普門品に由来するものではなく、『白毫観』独自の観点である。法然が『白毫観』を受けて論じていることは間違いないであろう。しかし、普門品とも『白毫観』とも違う法然の問題意識が『逆修説法』には見える。以下、そのことについて確認していきたい。
法然独自の注釈が入っていると見られるのが、上述段落分けした【
B
】の箇所である。まず、【B ①
】であるが、普門品では観世音菩薩が諸身を現ずるのであり、その中にあえて「菩薩身」は入っていない。対して、弥陀の別徳として語られる「白毫の作用」には「菩薩身」を現す作用もあり、「普賢・文殊・観音・勢至・地蔵等」と菩薩を列挙する中、「観音」の名もある。著名な観音の三十三身という衆生に応じた済度の仕方であるが、そうした身、済度の在り方はむしろ弥陀において語るべきだ、という法然の考えが伺えよう。 ただ、「然れば、彼ら諸の大菩薩も弥陀白毫の所現にてもや坐 おわす覧」として、「覧」=「らむ」で結んでおり、おそらくこれは推量であることを示すものだと考えられる。この「白毫の作用」についての説示は大胆な教説だとも言え、法然は慎重な態度を示しているのではないだろうか。【B ②
】の「覧」も同様だと考える。 次に、【B ②
】であるが、弥陀の「白毫の作用」は声聞身を現ずるのであるが、声聞と言えば釈迦の弟子である「舎利弗・目連・迦葉・阿難等」も声聞である。このことについて、法然は「釈迦の化儀を助けんがために彼の諸大声聞を現じ給う覧」としているが、この前提として、なぜ弥陀が釈迦の弟子として身を現じる必要があるのか、という問いがあったと見られる。しかし、そもそもこのような問いが起きるのは、舎利弗等を含めた(全)声聞が弥陀の顕現である、という前提が必要である。普門品の観世音菩薩は、衆生に応じて身を現すことを説くのみであって、決して仏弟子の本地を明かすような経説ではない。『白毫観』にしても、凡聖の存在の根源を究明しようとするものではない(冥に顕に弥陀の利益があることを究明することが主眼である)。ここに眼前の存在を弥陀の用 はたらきとして見ていこうとする法然独自の観点があり、次の結論【
B③
】につながる。最後に、【
B ③
】であるが、これはあらゆる存在、つまり六道に迷う衆生から聖なる存在(=「六道四生一切の凡聖」)もすべて弥陀の白毫の現れだと説いている。ただこれは安易に仏と衆生の同一たることを説くものではないことには注意が必要である。
本節①で確認したが、本来、菩薩の化導の在り方を教えたのが普門品の「普門示現」の経説であった。『白毫観』はおそらくそうした「普門示現」を敷衍する形で、あらゆる衆生に応じて摂取する弥陀のはたらきを十界の身を現ずる「白毫の作用」として捉えるものであろう。こうした説を念頭に置きながら、眼前の存在を弥陀の作用(本願の用
き)だと見ていくところに法然の特異性があると言え、ここに普門品や『白毫観』からの思索の展開がある。
「白毫の体性」について
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白毫の五功徳中の「白毫の体性」について法然は以下のように結んでいる。
六趣・四生の上にも、一々みな三諦の妙理を備えざるはなし。おおよそこの三諦の理においては、凡聖互いに備え、迷悟倶に具せり。しかれば、阿鼻の依正は、まったく極聖の自心に処し、毘盧の身土は、凡下の一念を越えず。これ天台宗の意なり。
法然の「白毫の体性」の記述は、『白毫観』における三諦説を受けるものではあるが、その結論部分において看過できない『白毫観』との違いがある。それが「天台宗の意」とあえて但し書きする所以ともなるのだと考えられる。このことについて『現代と親鸞』三〇号所載の旧稿において若干の私見を述べておいたが、新たに得られた知見もあるため更なる検証を加えたい。 ()17
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法然と『白毫観』における「白毫の体性」の差異を考える上で注目されるのが、『白毫観』最後の問答である。この問答を示せば、以下の通りである。
問ふ。何ぞ我心と彼の三千と一にして別ならざるを知るや。答ふ。『無量義 (ママ)経』に云わく、「心に仏を想う時、この心即ちこれ三十二相・八十随好なり。この心仏と作る。この心これ仏なり」と。〈云云〉明らかに知んぬ。我心すなわちこれ毫相なり。所具の三千、あに條然としてすなわち別ならんや。
ここで『白毫観』は、『無量義経』とするが、この経文は『観経』第八像想観のものである。『無量義経』とあるが、おそらく『(観)無量寿経』の写誤等に起因するものであり、特別な意図はないと思われる。なお、西村冏 げい紹 しょう氏が『阿弥陀仏白毫観』の再治本だと指摘する『白毫観法』には、「無量寿経」とある。『白毫観』が、『観経』「是心是仏」の経説をもって、「我心」と白毫相とが一にして別ならざることの論拠とすることが注視される。 さて、対する法然であるが、先に見たように「白毫の体性」における帰結に出される証文は、湛然『金剛錍 べい』の「毘盧身土不越凡下一念」であり、これを受けて総括し、「天台宗の意」だと結ぶのである。法然は天台の教義から、「六趣・四生の上にも、一々みな三諦の妙理を備えざるはなし」という理を導けたとしても、現実には有限・差別の世界に生きる衆生にとって「我心即ちこれ毫相なり」とはとても言えない、そのような境界を観察することは浄土教の意ではないと考えていたのではないだろうか。 これに関して、『逆修説法』六七日には『観経』(往生浄
土の教)と他教の違いについて端的に示している。
今此経往生浄土教也。不明即身頓悟之旨、不説歴劫迂廻之行、説娑婆之外有極楽、我身之外有阿弥陀、而明可願厭此界生彼国得無生忍之旨也。
(今この経は、往生浄土の教也。即身頓悟のむねおもあかさ
ず、歴 りゃく劫 こう迂 う廻 えの行おもとかず、娑婆のほかに極楽あり、わ
が身のほかに阿弥陀仏ましますと説て、この界をいとひて、
かのくにに生て、無生忍おもえむと、願ずべきむねを明也。 ()20
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※『逆修説法』の異本、『西方指南抄』所収『法然聖人御説
法事』)
「わが身のほかに阿弥陀仏まします」というのが法然の明確な往生浄土の教えに対する理解なのである。故に、『白毫観』を下地に「白毫の体性」を三諦説から論ずるものであっても、その帰結として浄土三部経の一つたる『観経』を出すことはあり得ないのである。ここに関して法然が『白毫観』と証文を異にするのは当然だと言えよう。ただ、法然には「白毫の作用」で論じたように弥陀の遍満を見ようとする思想もあり、弥陀を単に彼岸の向こうに置こうとするものではないことが注意される。弥陀は彼岸の存在ではありつつも、その功徳は法界に遍満し――様々な形を通して――現に私を摂取するものだという理解であろう。
以上のように弥陀と自心に対する法然の立場は明確なのではあるが、次の問題は法然における『観経』の「是心作仏是心是仏」に対する解釈である。法然はこの箇所を積極的に解釈するところはなく、むしろ忌避しているとも言える。おそらく法然としては無用な誤解を避けるために「是 心是仏」やそれに関する善導の釈文には言及しないという明確な姿勢を貫いたのであろう(ただ、法然門下においては
この姿勢ではいられなくなるのであり、これについては第二部以
降で論じる)。
「白毫の利益」について
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前述の「白毫の体性」に関する法然と『白毫観』の違いは「是心是仏」と絡む問題でもあり特筆すべき箇所である。この「白毫の体性」の次に説かれる「白毫の利益」にも、源信に依りつつも「白毫観」の超克を主張しようとする法然の思想が垣間見られる。
次に白毫の利益とは、『観仏三昧経』に云はく、「この相を観ずれば、九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却す」と。これすなわち彼の三諦の観を具せざるも、ただ白毫の相を観るばかりにて、かくの如き多劫の罪を滅するなり。あるいは白糸を巻き並べて、これを見るに、なお業罪を滅す。〈云々〉これ恵心の ()23
御意なり。また経説なり。白毫の功徳、略を存するにかくの如し。
まずここで『観仏三昧経』とあるが、原文には、
意を注して白毫を念ずることを息めざれば、もしは相好を見、もしは見ることを得ざるも、かくの如き等の人、九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却す。たといまた人有りて、ただ白毛を聞きて心驚疑せず、歓喜信受せば、この人また八十億劫の生死の罪を除却す。
とある。『白毫観』にてもこの『観仏三昧経』が引用(抄
出)されている。以下、『白毫観』における引文である。
もし人、仏の白毫の相において、心驚疑せず、歓喜信受せば、これによりて八十億劫の生死の罪を除却す。いかに況や、乃至須臾の間、白毫相を念じて、心了了にして謬乱の想をなからしめ、正住において意を注せ ば、もしは相好を見、もしは見ることを得ざるも、この人九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却す。〈『観仏三昧経』の意〉
このように『白毫観』において『観仏三昧経』に依って白毫を観ずることの功徳を説いており、法然が「これ恵心の御意なり。また経説なり」としたのは、この『白毫観』の文を前提としたものだと考えられる。
さて、問題は法然が「これ恵心の御意なり。また経説なり」とわざわざ念押しのような確認を付け加える理由である。これを考える上で、この言葉の前に、「すなわち彼の三諦の観を具せざるも、ただ白毫の相を観るばかりにて、かくの如き多劫の罪を滅するなり」とあることが注視されよう。「白毫の体性」で言及された三諦を観ずる天台の観法を修せずとも、弥陀の白毫を観ずればよいのだ、というのが法然の主張するところである。法然としてはこれが勝手な説ではなく、源信の説くところでもあり、経説でもある、と喚起を促したかったのだと考えられる。
法然の問題意識としては、三諦を観じ「即空即仮即中」 ()24
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という哲理を究めることが浄土教の本旨ではない、と受け止めていたのであろう。それを解き明かすために、源信の所説に依って、三諦を観じなくとも、白毫を観ずれば功徳があるのだと法然は説くのであるが、この文脈は明らかに白毫を「観ずる」功徳を称賛している。先に福原氏は「法然は白毫相の観法のために源信の『白毫観』を引いたのではなく、どこまでも白毫一相のもつ功徳性を強調するため」だとしていたが、これは厳密には注意を要する表現であろう。確かに法然は観法を勧めんがために白毫の功徳について説くものではないと言えるが、三諦を観ずることを忌避するために結果として白毫を観ずることを称賛する文脈も存在しているのである。
とは言え、白毫を観ずることは、強いて言えば定善(真身観)の範疇であって、法然の策励するところではない。法然はこの『逆修説法』二七日において、「いま教主釈尊、定散二善の諸行をすてて、念仏の一行を付属することも、弥陀の本願の行なるがゆへなり」としている。このように定散二善に対して明確な立場をあらかじめ示している。よって、「すなわち彼の三諦の観を具せざるも、ただ白毫の 相を観るばかりにて、かくの如き多劫の罪を滅するなり」とする言葉を取って、浄土往生のために白毫を観ぜよと受け取られることはないと考えていたのであろう。 以上を受けて結論すれば、法然が源信に導かれたことは間違いないであろうが、弥陀と自心(そして観察)の問題を中心に、源信の浄土教に対して乗り越えるべき課題があると見ていたことは明らかである。また、序論で確認したように、法然は『真如観』を批判の対象としており、伝源信に対しても問題があると見ていたことは間違いない。源信の影響が色濃く見える初期の法然の著述から、以上の『逆修説法』への展開(そして、『選択集』への道)を見ていくことが、法然の浄土思想、ひいては日本浄土教の転換を見ていく上で重要ではないかと考える。
4
法然のもう一つの課題――「逆修」と遵式
『往生浄土懺願儀』――
宋代浄土教においては「唯心浄土」の思想が累々言及さ ()27
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れ、究明すべき思想課題であった。日本にもこの宋代浄土教の典籍が流入してくるのであるが、法然においてはその影響が希薄であることが指摘されている。ただ、必ずしも法然の身近において宋代浄土教の影響が希薄だったわけではない。法然がどこまで宋代浄土教を咀 そ嚼 しゃくしていたか
(しようとしていたか)は疑問ではあるが、少なくとも無関心ではいられない状況であったと推察される。
法然が「浄土宗」を樹立せんと思索や説法に悪戦苦闘する中で、源信/伝源信の浄土教とともに宋代浄土教に想いをめぐらすこともあったのだと考えるが、法然が置かれていた状況を知る上で注視されるのが、趙 ちょう宋 そう天台において浄土願生者であった遵式(九六四〜一〇三二)の『往生浄土懴 さん願 がん儀 ぎ』(以下、懺願儀と略記)である。「逆修」における法然の説法の記録が『逆修説法』として伝わるのであるが、その「逆修」の具体的な様相が知られるのが、白毫の功徳が説かれたすぐ後にある「彼の遵式は、これ逆修の間日々に行われ候の懺願儀の作者なり」(古本『漢語灯録』)という記述である。
現時点では法然が直接的に遵式を通して「唯心浄土」を 考えていたとまでは結論し難いが、これから法然浄土教における宋代浄土教の問題を論じる上での一つの参考とすべく、法然の「もう一つの課題」として「逆修」における『懺願儀』の存在について最後に補足しておきたい。
①
「逆修」と懺法について
まず前提として「逆修」と懺法について確認する。院政期の願文を確認すると、「逆修」の法要に際して懺法が行われていたことが分かる。例えば、「前上野守藤原敦基朝臣逆修願文」(長治二年〔一一〇五〕)によれば、「始め五月八日より今朝に至るまで、限るに四十九箇日を以てし、修むるに懺悔の方法を以てす」として、「逆修」に「懺悔の方法」が行われていた。また、「土御門左大臣室家尊子五十日逆修願文」(康平四年〔一〇六一〕)では、「日ごとに法華経一部を供養し、凌晨にはすなわち法華懺法を行い、薄暮にはまた弥陀念仏を修す」とある。「尼法念逆修修善願文」(応徳三年〔一〇八六〕)には、「暁に懺法を修し、夕に念仏を唱う」ともあり、「逆修」に際して懺法と念仏が併 ()29
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修されていたのである。
おそらくこうした「逆修」の慣習を踏襲する形で、遵式『懺願儀』を基とした懺法が行われたのであろう。
②
『懺願儀』との具体的な関係
『懺 願儀』が具体的にどのような形で「逆修」の法会に取り入れられていたのであろうか。このことについて『逆修説法』に具体的な記述がなく、それを知ることは容易ではない。ただ、ある程度の推測は可能である。これに関して、大谷旭 きょく雄 ゆう氏が注目するのが『懺願儀』の以下の文である。
問ふ。念仏三昧は久しく習いて方に成ず。十日・七日修懺の者、いかんが卒に学せん。答ふ。縁に生熟有り。習に久近有り。もし過去にかつて習し、及び今生に預修せば、懺を行ずるに至る時、薄修にしてすなわち得ん。 大谷氏はこの記述から、「ここに今生に預修(逆修)して修懺すれば薄修にして念仏三昧を成就できるとしているから、おそらくこの『懺願儀』の第八懺願法(五悔)が逆修の際に併修されたのではなかろうか」と推測している。付言すれば、「逆修」が「預修」であるという了解は、珍海『菩提心集』巻下に「逆修」を説明する中、「逆とはあらかじめといふ事ぞ。預めとは兼てといふ事なり」とあり、また顕意(一二三八〜一三〇四)撰とされる『當 たい麻 ま曼荼羅聞書』巻一には「逆修」を解釈する二義目に、「逆 あらかじめ修すと訓ず。豫 よ修十王経と云う名はこの意なり」などとある。遵式がどこまで『随願往生経』等が説く「逆修」を念頭に置いていたかは定かではないが、『懺願儀』の「預修」が「逆修」に結びつけられるのは自然の推移であったとは言えよう。 ただ、「第八懺願法(五悔)」のみが「逆修」の際に行じられたわけではないと考えられる。『懺願儀』は懺法を「十科」に整理して説くものであるが、その中の第十「坐禅法」が注視される。さて、これについて検討する前に、大谷氏の以下の指摘を挙げておきたい。 ()35
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ここ[※『懺願儀』第十「坐禅法」]に初心凡夫の為に二種の観法をあげ、一方に白毫観をなさしめていることと、法然が逆修に『懺願儀』を併修していたと説くところは弥陀の白毫の功徳を説くところであるから、あるいは外記禅門に『懺願儀』にとく白毫観をなさしめようとする意図があったとも想像される。(※註は筆
者による)
前章で論じたように、白毫を観ずることは強いて言えば定善(真身観)の範疇である。法然が往生浄土のために定善を策励する立場にないことは明らかである。では、往生浄土の行法とは峻別して「逆修」の法要に適切なものとして白毫観を勧めた、と想定することは可能であろうか。この想定は難しいと考える。なぜなら、そもそも法然は白毫観に言及しつつも、それは観法を勧めるのではなく、あくまで白毫の功徳を通して弥陀の功徳を明らかにせんとするものであった。大谷氏は、「逆修の目的・方法・所作などについてはかなり法然の指示があったものとみなければならない」と述べるが、法然に白毫の観察の仕方などを懇ろ に教えようとする言説など見られないのであり、あえて法然に白毫観を勧める意図があったと見る必要はないであろう。 しかし、ではなぜに白毫の功徳にあえて言及するのかは問題として残る。筆者としては、法然が白毫の功徳に言及しようと思い立った直接的な動機こそ、遵式『懺願儀』による懺法が行われていたことにあると考えたい。 遵式『懺願儀』第十「坐禅法」中に勧める観法が二つある。一つが、『観経』第十二普観に依るものであり、もう一つが「専らに眉間の白毫一相に繫 かけよ」と言われる白毫観である。この二つの観察について、遵式は「ただし、浄土の法門を離れることを得ざれば、みなまさに修習すべし」としている。法然を招聘した「逆修」の法会が浄土願生者の集まりであることは想像に難くないのであり、遵式のこのような修習の勧めによって「逆修」に際して白毫観が修されていたのではないだろうか。『懺願儀』に基づいた法要であれば、白毫観が修せられるのは至極当然のことだということになる。
では、法然が「逆修」の法要について『懺願儀』に依る ()39
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べきだと指示したのであろうか。これは否と言わざるを得ないであろう。すでに指摘されるように、法然は阿弥陀仏一仏を讃嘆し、浄土三部経こそ所依の経典だとこの「逆修」の説法において強調している。これが、多様な本尊をかかげ、多種の経典を奉納してきた今までの「逆修」の法会とは一線を画するものであった。しかし、『懺願儀』は礼すべきものとして弥陀以外の諸尊が数多挙げられているのであり、法然が理想と描く浄土教の姿と合致するとは言えないであろう。
また、名号の功徳よりも観察の功徳に重きを置いているのは明らかであり、これも法然と立場を異にする。これは看過できない点であり、この点について考察した後に法然と白毫の功徳について結論を述べたい。
③ 名号と観察との関係
はじめに遵式が白毫観の根拠とする文から確認したい。遵式が白毫観による滅罪の根拠として挙げるのが『観仏三昧経』の文であり、意を取って次のように引用している。 観境経に云はく、「もしは成じ、成ぜずとも、みな無量生死の罪を滅して、諸仏の前に生ず」と。また云わく、「ただ白毫の名字を聞くのみにて無量の罪を滅す。いかに況や繫念をや」と。
ここで「観境経」とあるが、明らかに『観仏三昧経』のことである(前節参照)。問題となるのはこの次であり、『懺願儀』ではさらに、
『観経』はただ無量寿仏・二菩薩の名を聞くのみにて、よく無量生死の罪を滅す。況や憶念する者をや。
としている。法然からすれば浄土三部経の一つである『観経』を根拠として、遵式は「聞名」の功徳でさえ無量の罪を滅するのであるから、なおさら「憶念」の功徳が勝れると説く。文脈からしてこの「憶念」が観想念仏を指すことは間違いない。
対して、浄土三部経を拠り所として名号の万徳を明らかにしたのが法然なのであり、『逆修説法』中には以下のよ ()43
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うに名号の殊勝なる功徳を示している。
かの仏の因果、総別の一切の万徳、みなことごとく名号に顕わるるがゆへに、一たびも南無阿弥陀仏と唱えるに、大善根を得るなり。
ここで注目したいのが、弥陀の「別徳」をも収めるのが名号だという理解である。法然は、「阿弥陀如来の別徳とは、彼の仏に八万四千の相有り。その中に白毫の一相を以て最勝と為す」として、白毫の功徳こそ弥陀の「別徳」として最も勝れたものだとしている。こうした白毫の功徳をも収めるのが万徳の名号なのである。あくまで白毫を観察することを勧めるのが遵式の立場であるが、法然としてはそのような観察をせずとも白毫の功徳は名号によって得られるのだと宣揚していると言えよう。ここに遵式と法然の明瞭な浄土教理解の違いを見出すことができる。
本節②、③で検討したように、法然が『懺願儀』に依拠しようとする理由が見出せない以上、「逆修」の行法について『懺願儀』を採用したのは法会の主催者(外記禅門) 側であり、これは法然の意図するところではないと見るのが妥当だと考える。 以上のような推測が許されれば、法然があえて白毫の功徳に言及したのは、白毫観が修される「逆修」の法会に招聘されたが、眼前の白毫観の理解に対して批判的なところがあり、白毫の功徳についての新たな見解を示すことが浄土の教えを開顕するよい機縁だと考えたのだと推察される。しかも、法然は白毫の功徳を明らかにするのに当たり、源信『白毫観』を参照しているが、これは無論、源信に依拠して正しい白毫の理解を示そうとしたには違いないが、源信の説示にさえも乗り越えるべき課題があると見ていたのである。故に、源信に依るとしながらも白毫の功徳の内実は法然独自の主張と言ってもよいものになっている。 どこまで法然が遵式を読み込んでいたかは定かではないが、『懺願儀』による行法が勤められる「逆修」の法会に招聘されている以上、無関心であったとは考え難い。法然は、新しく入ってきた宋代浄土教や、日本に根づく源信/伝源信の浄土教に対して――弥陀の白毫、そして我々の心という問題などを通して――是非入り混じる想いをめぐら ()46
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せながら「浄土宗」の開顕に心血を注いでいたのである。
Ⅱ 證空における「是心是仏」の解釈
序 證空と専修念仏宣布の課題
第一部で論じてきたように、法然は天台学を意識して法を説いていた。半生を培った叡山の教学が法然の思想の土壌としてあることは間違いなく、また法然の周縁には天台に近しい者も多くいたのであろう。こうした叡山の宿命を背負う中で「浄土宗」の開顕に苦心したのが法然という歴史であろう。法然の上足である證空も多分に天台学を意識する環境で法を説くものである。
西山上人として知られる證空であるが、この「西山」とは證空が住した西山善 よし峯 みね寺の北尾往生院に由来する。證空が活動の拠点としたこの往生院は、四度も天台座主に就いた叡山の実力者である慈円(一一五五〜一二二五)から建保元年(一二一三)に譲られたものであり、天台の修学が息づく地である。この慈円であるが、證空と叡山の関係を考 える上で鍵となる人物である。慈円と證空の出会いがいつであったのかは確実なところが知られないが、慈円の晩年においても二人の交流が続けられていたと見られ、證空は慈円の臨終の導師を勤めている。こうした縁由から嘉 か禄 ろくの法難の際も流難を免れている。 證空が専修念仏への憎悪激しい洛中において、天台教団に近づきながら生き残るための地盤を固めていったのは間違いないであろう。このことに関して梶村昇氏は以下のように指摘している。
証空は、よかれあしかれ、彼の俗譜の関係から、二度も配流を免れた。私は、それには暗黙の条件があった。それは、伝統仏教である天台教学と協調せよということであったと思っている。彼はそれを承知し、それによって、専修念仏の生命を点 ともし続けようと計ったのではないか。偽装であったといえば、そうかも知れない。こうした想像は、穿ち過ぎた小説的発想かも知れない。それに、こういえるほど確たる戦略的発想に基づいて行動したのではなかったかも知れないが、結果的には、 ()49
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おのずからそうなっていたのである。
證空の根底には「専修念仏の生命を点し続けよう」とする信念があったことは確実であると考える。問題は他宗を前にしてどのように専修念仏の思想を展開させようとしたかである。吉田清氏は、證空における「源空の解決しえずに終った天台の教説と専修念仏の教説と新旧仏教の融合和解への動き」の具体的方途について、「天台的本覚思想の方法によって源空教説を理解」することだと指摘する。これは證空とは逆の方向であると考える。詳細は本論で論じるが、むしろ證空は、他力の信に立った法然浄土教の立場より天台学――だけではなく諸大乗経典をとらえ直し、凡夫は浄土教に依らなければ諸大乗経典の理想も達し得ない所以を明らかにしようとしている。それは専修念仏に無理解な、凡夫の自覚なき者にその自覚を促す活動であったとも言えようか。
いずれにせよ、證空は単に専修念仏と大乗仏教が矛盾しないことを論じようとするものではなく、大乗の根底を支えるのは専修念仏であることを解明することが、「専修念 仏の生命を点し続け」ることになるという信念をもっていたと考えられる。また法然の善導理解が諸宗から批判されていたのであり、善導に立って専修念仏と大乗仏教の問題を明らかにしようとするのが證空の立脚するところであったと言えよう。 證空は仏説とは端的に言えば「唯心」の道理を明らかにするものだと見ており、その道理に目覚めるのは浄土教を基盤としなければならないとする(本章第六節参照)。この「唯心」の道理を究明していく上で問題となるのが、まさに「是心是仏」なのである。やや前置きが長くなったが、證空における「是心是仏」の理解には、専修念仏が大乗仏教の基盤たることを明らかにしようとする課題が担われていることを念頭に置く必要があり、以下それに留意しながら検討を進めていきたい。 ()52
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「是心是仏」と「理」の問題
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――「法界身」と
「理性の衆生」をめぐって――
『観
経』第八像想観における「是心作仏是心是仏」の経文は、「法界身」の語とともに語られるものである。
諸仏如来はこれ法界身なり。一切衆生の心想の中に入る。この故に汝等、心に仏を想う時、この心すなわちこれ三十二相・八十随形好なり。この心仏と作る。この心これ仏なり。諸仏正遍知海は心想より生ず。
この「法界身」の解釈をめぐって種々の相違が生まれるのであるが、善導『観経疏』定善義には、「法界」を定義して「法界と言うは、これ所化の境なり。すなわち衆生界なり」としている。これに対して、證空『定自』巻二では以下のように釈を施している。 言法界者、是所化之境、即衆生界也、トイハ、法界、法性、等ハ理ノ名ナリ。今、所化之境、トイハ、衆生即チ理ナリト定メテ、此ノ理性ノ衆生ヲ所化ノ境界トスト云フ心ナルベシ。是則チ、序題ノ中ニ、真如之体量、量性、不出蠢蠢之心、ト云フ心ナリ。皆成仏ノ義ヲ兼ネタルベシ。
ここで注目したいのが、「法界」を「法性」と同じく「理」――差別・相対を絶した存在を貫く普遍の真理――の名だとした上で、善導が「法界」を「衆生界」に結びつけることを承けて、衆生はすなわち「理」だと解釈することである。
この證空の言説に対して、凃 と玉 ぎょく盞 せん氏は「諸仏と衆生とは理(法性)を通じて相即不離の関係にあるというのである」と指摘しているが、衆生における「理」の捉え方は更なる厳密な検討を要しよう。なぜなら、證空は単に「理」として衆生と仏との一者なる関係を説くことに主眼があるとは言えず、むしろ「理」から「事」への展開を起点として衆生と仏との隔絶/不分の関係を明らかにしていると考 ()55
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えられるからである。これについては仏身論の観点から少しく言及したが、改めて「是心是仏」、そしてこれと実は不可分な問題である證空の名号観を基軸として論じたい。
「法界平等の理」と凡夫の分別心
2
證空における「事」と「理」についてすでに論じたところもあるが、「是心是仏」を検討する上で欠かせない問題であり、新たな視点も加えて再論する。
證空は『玄自』巻二に、「理」を以下のように論じて、凡夫と仏の違いを表す。
理ハ凡夫ノ心ニ備ハレル性ナリ。此ノ理顕ルレバ仏ニ成ル。凡夫ハ理ヲ備ヘテ仏ニ度サル。理ノ不思議ナリ。仏ハ理ヨリ事ニ顕レテ衆生ヲ度シ給フ。事ノ不思議ナリ。
ここで「理」を凡夫の心に備わる「性」として、この「理」が顕れれば仏に成るとするのであるから、仏性を 「理」として捉えていることは確かであろう。そして、この「理」、つまりは仏性が顕現するか否かによって凡夫と仏とが分かれるとする。これに類似した主張は法身を論じる上にも見える。證空は法身・報身・化身の三身から仏身を論じるが、『玄自』巻三ではその中の法身について、
此ノ三身ノ中ニ、法身ハ平等ノ理ナレバ、能化、所化ノ差別ナシ。只顕レタルト、顕レザルトノ不同ナレバ、凡夫ハ未ダ顕サズシテ顕サント思フべシ。仏ハ既ニ顕シテ度サント思シ召スバカリナリ。
とする。差別・相対を越えた「理」の境界から見れば、みな法身を本来的に具す存在であり、凡夫も仏もその存在は平等である、ということである。ここを指して「能化」
(仏)と「所化」(凡夫)の存在に差別がないと言われるのであるが、しかし、済度する側である「能化」と済度される側である「所化」との差は厳然とあるということになる。等しく本来的に法身を備える存在であったとしても、それがこの現実世界に顕れているか否かに凡夫と仏との別を證 ()59
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空は見ているのであり、つまりは現に法身・仏性が顕現していない迷いの存在の在ることが前提であろう。こうした理解自体は大乗仏教の中において何も突飛なものではない。
では、凡夫はいかにしてその「理」を体現し、法身を顕し得るかが次に問題となる。そこで、『玄自』巻一では「弥陀ノ願ニ乗ジテ終ニ法身ノ徳ヲ顕ス」とし、また『観経疏大意』では「生死を離るる事は事 じに依らずんば、何ぞ然らんや。然るを事に顕はすとは、願に依りて衆生を摂取するなり」ともしている。この二つはどちらも同じことを言い表したものである。大悲の本願に報いた弥陀(=報
身)こそ隔絶した境界にある「理」と衆生との接点であり、その報身とは「理」が差別・相対を顕したところの「事」に他ならないのであり、この「事」によって凡夫は生死の世界を脱する――つまりは「理」、法身を顕す――ということである。
なぜ差別・相対としての「事」をもって凡夫の出離の要とするのかであるが、『往自』巻四の以下における證空の凡夫に対する認識が注視される。 生死凡夫ノ心ハ、一切ノ事是非分別ノ心ノミアリテ、平等法界ノ理ニカナフ事ナシ。タトヒ仏ノ功徳ヲ讃ムレドモ、人情捨ツル事ナク、分別ノ心離レ難シ。
凡夫は凡夫である限り、「是非分別の心」を離れることは出来ず、差別・相対を離れた「平等法界の理」にかなうことはない、というのが證空の明確な理解である。こうした分別の世界に立って凡夫を済度せんとするのが弥陀なのであり、分別から離れられない凡夫のために「事」へと展開される仏身こそが報身だということになる。差別の世界に准じた「事」の形で仏身(そして仏土)が示されることで、はじめて凡夫にも願生浄土の心が呼び起こされると言えよう。
ただ注意すべきは、先に見たように「仏ハ理ヨリ事ニ顕レテ衆生ヲ度シ給フ」とすることである。あくまで弥陀が顕す「事」であり、それはすなわち「理」を体得した覚者の顕す「事」なのであり、単なる凡夫の心が描く分別の世界の範疇ではない。分別された世界しか理解できない凡夫のために有限・差別の世界における表現をとりながら仏身 ()62
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仏土が顕されつつも、如来の表現としての事相はその境界を超え出る平等なる真如に根拠づけられたものなのである。
以上はいずれも『自筆鈔』によるものであるが、『自筆鈔』後の著述である『他筆鈔』においても「理」に対する基本的な理解は変わらない。『玄他』巻中には、
今此ノ三身ハ観仏能詮ノ位ト顕ハルル時、三身ノ功徳併シナガラ酬因ノ報仏ニ入リテ念仏往生ヲ成ズル故ニ、諸教ニ云フ所ノ一実真如ノ理ト云フモ、今ノ報仏ノ功徳ヨリ顕ハルル時、衆生往生ノ体トナル。衆生ノ往生トハ、即チ念仏ナリ。依リテ、念仏ヲモテ一実ノ本トスルナリ。
とある。「一実真如の理」も報身の功徳より顕れるものであり、そこにこそ凡夫の出離があるとするのであるから、先の『自筆鈔』と軌を一にするものだと言えよう。
「自心の仏」と「弘願の仏」
3
證空における「是心是仏」を検討する上で見過ごすことのできない側面が「念」と「仏」との関係である。これは證空の思想展開を考える上でも核心となる論点であり、これについて順に検討していく。
まず、前提として善導『観経疏』定善義における「是心作仏是心是仏」についての解釈を確認しておくと、
「是心作仏」と言うは、自の信心に依りて、相を縁ずるは、作の如くなり。「是心是仏」と言うは、心能く仏を想えば、想に依りて仏身現ず。すなわちこの心仏なり。この心を離れて外にさらに異の仏なきなり。
とある。これに対する證空『定自』巻二の解釈が以下の通りである。
依自信心縁相、如作也、トイハ、今ノ観門ノ本意ヲ釈 ()67
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シ顕スナリ。云ク、自心ノ仏ヲ観ジテ成ゼントニハアラズ。願力成就ノ他力ヲ信ジテ、一々ノ相ヲ縁ジ、各々ノ好ヲ思ヘバ、此ノ縁相ニ依リテ弘願ノ仏顕レ給フナリ。自心ノ仏ヲ観ジ顕シタラント別ナシト云フナリ。
仏はどこにおわしますのかと言えば、「自心」を離れて仏はなく、自己の存在そのものに仏を見ていく、というのはいわば「理」の境界である(證空には「己心ノ理仏」という
表現もある)。こうした「理」の境界が諸大乗経典に照らして決して否定し得ないものであることは證空も認めるところであろう。
しかし、「理」の境界に惑うのが凡夫であり、この凡夫のために現れるのが弥陀――すなわち「事」、報身としての弥陀――である。證空は、『定自』巻二に、「念ズル心ニ依リテ顕レ給」うのが弥陀だとしており、他力を信じて弥陀を念ずればそこに「弘願の仏」が顕れるとする。
なお付言すれば、仏を念ずる心にこそ仏が現に在るのだ、というのが證空の明瞭な理解であるが、そもそも「法界 身」とは、善導等の定義で言えば「定善」(定心で行う観
法)の一つ、第八像想観で示されたものである。この『観経』第八像想観では衆生の「心想」に「法界身」が入ると明かすが、これは観察において静められた心(定心)に映現する仏身を説くものだと言えよう。では、證空の言う仏を念ずる心とは、「観想念仏の心」なのかと言えばそれは違うのである。『観経』に説かれる「観」とは、観察の実践、すなわち自力修行を策励するものではなく、他力念仏――證空の用語で言う「弘願」――を明らかにするものだと換骨奪胎して思索を深めていったところに證空の一大特色がある。證空における「念仏」とは、「観想念仏」を指すものではないと押さえる必要がある。
さて、證空は自己の身に法身を顕すか否かが、迷いの凡夫と覚者を分けるものだと見ていたが、他力浄土門の教えは、自心に覆蔵された法身と向き合いそれを自身の手で掘削せよとは勧めないのである。凡夫は弥陀を憶念する他力の信心にこそ、自己に「事」を通して法身の境界が開かれることを見るのであり、ここを指して「自心ノ仏ヲ観ジ顕シタラント別ナシ」とも言われるのであろう。他力の信に ()69
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実現される「弘願の仏」に、真に自己なるものを発見するのである。
こうした證空『自筆鈔』の「念」と「仏」の理解は「是心是仏」の新たな地平を切り開くものである。ここに證空独自の思索が施されているとは言え、一貫した思想の上に成り立つものであるということが分かろう。しかし、なぜ「念」に「仏」が顕れるのか、という点に関していまだ『自筆鈔』では不明瞭なところがある。この課題の核心を引き継いだ形で展開されたのが「往生正覚倶時」説であると考えられる。これは證空における衆生と仏の関係のみならず、名号と仏の連関を考究するものであり、次にこれについて考察を進めたい。
「往生正覚倶時」説に見る
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衆生と仏(の名号)
はじめに「往生正覚倶時」説の基本を確認すると、證空『観経疏大意』第十問答には、 正覚を成ずる上には、念ずる衆生の生ぜずと云ふ事、総じて以て之有るべからず。故に、弥陀は我等が念力を以て成仏し、我等は弥陀の正覚を以て生死を出づべしと云ふ事、不審無き者なり。
とある。衆生が往生せずば仏と成らずと誓った弥陀が弥陀と成るのは、まさに我が往生の決定したところにしかないのである。弥陀の正覚成就により我らの往生が決定するという側面が論じられてきたが、むしろ注視すべきは、弥陀が弥陀たり得るのは、衆生の往生が決定するか否かにあるということである。ただこれは、弥陀はすでに正覚を成就しているのであるからもとより衆生は往生している、などという主張ではない。それは、『散他』巻上に「我身ニ出離ノ縁アリト信ズレバ、往生不定ナリ。出離ノ縁ナシト信ズレバ、往生決定シテ疑ナシ」として、信心の決定に往生の有無を論じていることから明らかである。
さて、信心に往生の有無を見るのであるが、それは證空にとって自力を離れた他力の称名に往生を見ることと同じである。證空『定他』巻下には、「名(=名号)体(=仏 ()73
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体)不二」を論じながら以下のような往生論がある。
名体不二ノ仏ナル故ニ、称名即見仏ナリ。南無阿弥陀仏ヲ離レテ別ニ阿弥陀仏是ニマシマスベカラズ。問ヒテ云ク、名体不二ト云フ事、如何。答ヘテ云ク、称名即往生ナリ、往生即仏体ナリト云フ事ナリ。
このような「称名即往生」の言明に證空の思想的特徴がいかんなく発揮されているが、忘れてはならないのは、「南無阿弥陀仏ヲ離レテ別ニ阿弥陀仏是ニマシマスベカラズ」と言われる所以である。
その所以を確認すると、まず前提として善導『観経疏』玄義分に「仏説無量寿観経一巻」の経題を解釈する中に以下のようにあることが注目される。
「無量寿」と言うは、すなはちこれこの地の漢音なり。「南無阿弥陀仏」と言うは、またこれ西国の正音なり。また「南」はこれ「帰」、「無」はこれ「命」、「阿」はこれ「無」、「弥」はこれ「量」、「陀」はこれ「寿」、 「仏」はこれ「覚」なり。故に「帰命無量寿覚」と言う。
「無量寿」を釈しながら唐突に「南無阿弥陀仏」(=「帰命
無量寿覚」)に解釈の対象が移っている。これに注目するのが證空であり、『玄他』巻中にはこの善導の真意を、
問ヒテ云ク、「無量寿」ノ三字ヲ所詮トスレバ、必ズ、「帰命」、「覚」ノ三字ヲ具足スル心、如何。答ヘテ云ク、帰命トハ衆生ノ能帰ノ一心ナリ。是即チ、本願ノ、至心信楽欲生我国ト云フ心ナリ。此ノ心発リテ、乃至十念ハ必ズ生ズベキ謂極マリテ成ズル所ノ正覚ノ仏体成ズルガ故ニ、念仏即往生、往生即仏体ナリ。是ヲ念仏三昧ノ仏体ト云フナリ。無量寿ヲ所詮トスレバ、自然ニ、「帰命」、「覚」ノ三字ヲ具足スルナリ。帰命ハ心ナリ。覚ハ仏体ナリ。帰命ノ心ヲ離レテハ仏体成ゼザルナリ。仏体ヲ離レテ衆生能帰ノ心発ラザルガ故ナリ。 ()77
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と論じている。「帰命ノ心ヲ離レテハ仏体成ゼザルナリ」とあるように、衆生の往生が決定されることに阿弥陀仏が「仏」と成るという事態があるわけであるが、先に見たようにこの往生を決定するものは他力の信に徹することであった。その他力の信がここでは「帰命」(=「南無」)の心と言われている。つまり、「南無」のない「阿弥陀仏」などあり得ないのであり、「阿弥陀仏」は「南無阿弥陀仏」が成り立つことにおいてはじめて「阿弥陀仏」なのである。故に、善導が「無量寿」を「南無阿弥陀仏」と言い換えたのは突飛なことではなく、「自然」だということになる。
こうした證空の思索は善導に示唆されるところが大きかったと考えられるが、阿弥陀仏の功徳の全体を名号に見る法然の思想とも一脈通ずるものがあると言えるのではないだろうか。いずれにせよ、弥陀の全体を名号に見る、というのが法然、證空の通ずる思索であったことは間違いない。
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本願の成就と罪悪の自覚さて以上見てきたように、弥陀を念ずるところになぜ弥 陀は在るのか、と問われれば、「往生正覚倶時」であるから、と證空は答えるであろう。ただ、これは『自筆鈔』以降の思索によって導き出されたのだということが注視される。ここでなお注意を要する点があるとすれば、他力の信心に弥陀が在る、ということは決して自己の罪悪をさし措くものではないということである。むしろ自己の罪悪の自覚が、弥陀との値遇により開かれるものだと證空は考えていた。『散自』巻一には、具造十悪五逆、トライハ、生々世々ノ中ニ六道ニ輪廻シテ、造ラザル罪ナシ。愚痴迷惑ノ故ニ、スベテ是ヲ知ラズ。今仏願ノ不思議ナル事ヲ知ル時、無始已来ノ諸悪悉ク是ヲ悟ル事ヲ釈シ顕スナリ。
として、仏願の信知においてこそ自己の罪悪の自覚もあるとしている。譬喩的に言えば、仏とは「無量光仏」とも言われるように、自己の罪悪を照らす「光」だと言えよう。
ただ、罪悪について、『往自』巻五には、「罪ニ大、小ノ不同アリト雖モ、皆悉ク妄心ヨリ起リテ実体ナシ」と知ら ()80
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れるとすることが注意され、計量的に自己の罪悪の重さが知られる、というわけではない。こうした「妄心」により現出した実体なき世界が知られるのも、虚妄分別の離れ得ぬ凡夫が虚妄分別の離れた真如の世界に照らされるからであり、それは真如の具現者――「理」に相即した「事」としての弥陀――との値遇により実現されるものだと言えよう。
このように本願を通して自己の罪悪が知られるとも言えるが、その罪悪を場として正覚を成就するのが弥陀であり、弥陀が弥陀たり得るのはまさに自己を離れて外にはない。罪悪の身であり、仏の境界からは断絶した凡夫にしてしかもその罪悪こそが弥陀と不可分である、という信知に證空の衆生と弥陀、心と仏との関係を見る基軸があると言える。次に見るように證空は「唯心」を仏説として強調するものであるが、その「唯心」とはこの罪悪の心 00000以外に真如もない、という理解であることが上述から確かめられよう。
「唯心」と浄土教の存在
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證空は仏法について『序自』巻二に、「仏法ハ是心内ノ教ナリ。諸法多シト雖モ、悉ク唯心ノ境ナリ」と端的な押さえをしている。證空が「唯心」ということに仏法の真理を見ていたことは間違いないであろう。これまで、證空の「自心の仏」に対する基本的な考えを論じてきたが、最後に仏法が真理として説く「唯心」と浄土教との連関を明らかにしたい。
① 證空の経典観
「唯
心」の問題を検討する前提として證空の経典観を確認する。證空は『玄自』巻一に以下のように論じている。
釈尊ノ開示悟入ノ本意、只穢土ヲ出デテ、浄土ニ生ズルニアリ。故ニ観念法門ニ云ク、釈迦出現、為度五濁凡夫、即以慈悲開示 00十悪之因、報果三塗之苦、又以平 ()83