• 検索結果がありません。

密教研究 Vol. 1920 No. 3 005神林 隆淨「現代思想と密教 P93-114」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "密教研究 Vol. 1920 No. 3 005神林 隆淨「現代思想と密教 P93-114」"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

林隆

一 言 印 度 思 想 の 特 徴 は 哲 學 と 宗敎 と 常 に 相 結 び 付 て ゐ る こ と で あ る 。 哲 學 は 眞 理 探 究 を 目 的 と し て ゐ る に 對 し 、 宗敎 は 堅 實 な 人 生 觀 を 打 樹 て る こ と が 主 眼 と 成 つ て ゐ る 。 印 度 の 宗敎 も 將 た 哲 學 も 單 一 の 目 的 に 向 つ て 進 ん で 行 く の で 無 い 。 兩 者 の 思 想 の 根 底 に は 常 に 眞 理 探 究 と 、 人 生 觀 と が 一 團 と 成 つ て 動 い て ゐ る 。 隨 つ て 印 度 に は 純 然 た る 宗敎 も 將 た 又 純 然 た る 哲 學 も 無 い 。 眞 理 探 究 は 其 結 果 と し て 堅 實 な 人 生 觀 を 生 み 出 だ し 、 又 堅 實 な 人 生 觀 は 人 を 眞 理 に 導 く も の だ と は 、 印 度 在 來 の 思 想 で あ る 。 哲 學 は 知 識 慾 の 滿 足 を 得 る こ と が 主 要 の 目 的 で あ り 、 宗敎 は 知 情 意 の 滿 足 を 得 る こ と が 要 件 で あ る 。 知 情 意 が 調 和 的 に 統 一 さ れ て 此 に 始 め て 完 全 な 人 生 觀 が 能 き る と 思 ふ 。 世 に は 知 識 慾 の 滿 足 を 追 求 し て 其 他 を 顧 み な い も の あ り 、 又 情 意 の 滿 足 を 追 求 し て 其 他 を 慮 ら な い も の が あ る 。 宗敎 の 立 塲 か ら は 共 に 完 全 と は 言 ふ こ と が 能 き な い 。 自 己 對 萬 有 の 關 係 を 説 明 す る の が 人 生 觀 で あ る 謂 ゆ る 自 己 と は 我 意 我 慾 の 主 體 を 指 す の で は な く 萬 有 中 に あ る 能 觀 者 と し て 、 又 能 動 者 と し て の 主 體 を 指 す の で あ つ て 、精神 の 統 一 的 主 體 た る 人 格 が 即 ち 之 れ に 當 る 。 ( 人 格 と は 知 情 意 の 調 和 的 統 一 の 主 體 を 指 す 。 )人 格 は 修 養 を 經 て 漸 次 完 成 す る 者 で あ る か ら 、 修 養 の 程 度 如 何 に 依 つ て 、 人 格 に 等 級 が 付 く 。 高 等 人 格 を 有 す る 者 が 、 高 尚 な 人 生 觀 を 懷 き 、 下 等 人 格 を 有 す る 者 が 卑 近 な 人 生 觀 を 持 つ は 無 論 で あ る 。 人 格 は 境 遇 に 依 つ て 變 は り 、 又 □ 現 代 思 想 と 密 教 九 三

(2)

□ 密 教 研 究 九 四 境 遇 は 人 格 の 力 に 依 つ て 、 改 造 さ れ る も の で あ る 宗敎 の 立 塲 と し て は 先 づ 自 己 の 人 格 を 高 め 、 人 格 の 完 成 を 期 し 、 人 格 の 力 に 依 つ て 四 圍 の 境 遇 を 改 造 し て 行 く こ と を 理 想 と し な く て は な ら な い と 思 ふ 。 自 然 界 の 中 に 生 息 し て 居 る 我 々 人 類 は 、 自 然 界 の 法 則 を 發 見 し 、 此 の 法 則 を 應 用 し て 、 自 然 界 の 力 を 、 人 類 生 存 の 目 的 に 合 致 す る 樣 に 仕 向 け な け れ ば な ら な い が 、 此 の 責 任 を 果 す も の は 科 學 者 で あ る 。 又 自 然 界 の 中 に あ つ て 、 人 類 を し て 一 段 價 値 あ る 位 置 に 進 め ん と す る も の は 、 即 ち 宗敎 者 で 無 く て は な ら な い 。 人 類 を し て 自 然 界 の諸 物 象 よ り 一 段 價 値 あ る 位 置 に 進 む る も の は 、 完 全 な る 人 格 で あ る と 思 ふ 。 謂 ゆ る 完 全 な 人 格 と は 知 情 意 の 三 者 が 最 も 圓 滿 に 發 達 し 、 且 つ 調 和 統 一 を 得 て 居 る も の を 意 味 す 。 其 人 一 個 人 と 、 そ の 周 圍 と の 接 觸 に 依 り て 生 ず る 影 響 如 何 に 因 つ て 人 格 の 價 値 は 决 定 さ れ る の で あ る 。 人 格 の 價 値 と 高 下 と は 全 く 別 問 題 で あ る 。 人 格 の 價 値 は あ つ て も 、 必 ず し も 高 尚 で 無 く 、 人 格 は 高 尚 で あ る が 、價 値 は 之 れ に 相 當 し な い も の も あ る と 思 ふ 。 吾 人 の 理 想 と し て は 價 値 と 等 級 と を 平 行 さ せ た い の で あ る が 、 事 實 は 常 に 吾 人 の 理 想 を 裏 切 つ て ゐ る 。 世 に 勢 力 の あ る 人 は 他 の 人 を 動 か す 力 が あ る か ら 、 其 人 は 價 値 あ る 人 格 を 具 い て 居 る が 、 必 ず し も 其 人 格 は 高 尚 と は 言 ふ こ と が 能 き な い 。 深 山 幽 谷 に 隱 遁 し て 、 心 を 清 め ん と す る 者 は 、 人 類 の 邪 惡 の 分 子 は 少 い か ら 人 格 と し て は 高 尚 で あ る が 、 世 に 影 響 す る 所 が 無 い か ら 人 格 の 價 値 は 無 い 。 高 尚 な 人 格 を 以 て 而 も 俗 流 に 混 じ 、 自 己 の 人 格 の 力 を 推 し 廣 め る 所 に 、 宗敎 的 運 動 の 意 味 が あ る と 思 ふ 。 佛敎 の 根 本 思 想 は 無 我 で あ る 。 無 我 は 無 人 格 を 意 味 す る の で は 無 い 。 佛敎 の 生 命 は 單 に 法 だ け で は 無 い 。 法 其 も の が 人 格 の 上 に 活 き て 動 く 、 其 所 に 佛敎 の 生 命 が あ る 。 四 諦 の 法 は 眞 理 で あ つ て も 其 法 が 釋 尊 の 人 格 の 中 に 活 き て 居 つ た か ら 、 四 諦 の 尊 さ が 、 當 時 の 人 に 理 解 さ れ た の で あ つ た 。 眞 理 は 古 往 今 來 變 り は 無 く も 、 其 を 躰 現 す る 人 體 を 得 る と 否 ら ざ る と に 依 つ て 、 盛 衰 消 長 は 免 れ 無 い 。 若 し 眞 理 眞 道 の 常 在 を 願 ふ な ら ば 、 其 の 眞 理 、 其 法 を 人 格 の 地 上 に 根 を 下 さ せ な く て は な ら な い 。 法

(3)

は 人 格 を 待 つ て 活 き 、 人 格 は 法 に 依 つ て 光 輝 を 發 し て 來 る 。 法 は 人 格 を 通 ら な け れ ば 活 き て 來 な い 。 人 格 は 法 に 依 ら な け れ ば 光 輝 を 發 す る こ と が 能 き な い と す れ ば 、 無 我 と は 人 格 を 否 定 し た の で 無 い と 云 ふ こ と が 解 る 。 無 我 と は 我 意 我 慾 の 自 己 を 無 く す る 意 味 で あ る 。 此 の 我 意 我 慾 の 自 己 を 無 く す る こ と は 、 吾 人 が 動 物 性 か ら 離 れ る こ と で あ る 、 動 物 性 を 無 く し て 始 め て 人 性 の 美 を 發 揮 す る こ と が 能 る 。 人 格 の 高 下 は 動 物 性 と 逆 比 例 す 。 人 格 が 高 尚 な る に 隨 つ て 動 物 性 は 減 少 し 、 動 物 性 が 増 す に 隨 つ て 人 格 は 下 落 す る 。 佛敎 の 無 我 と は 此 の 動 物 性 を 無 く す る こ と を 意 味 す る 。 無 我 法 中 有 大 我 と は 動 物 性 を 無 く し て 人 格 の 完 成 を 期 す る こ と で あ る 。 佛 陀 と は 完 成 せ る 人 格 を 有 す る 人 で あ り 、 解 脱 と は 迷 蒙 の 束 縛 を 脱 す る 意 に 外 な ら な い 。 印 度 人 特 別 の 思 想 傾 向 と し て は 、 現 實 の 人 生 に 對 し て 滿 足 の 能 き な い 結 果 、 現 在 生 活 か ら 離 れ や う と す る 願 望 が 絶 え ず 腦 裏 に 往 來 し て ゐ る 樣 に 想 は れ る 。 思 想 が 高 調 す る に 隨 つ て 、 現 實 の 世 界 に 對 し て 不 滿 を 感 ず る も の で は 有 る ら し い が 、 印 度 人 に は 其 れ が 極 度 ま で 進 ん で 行 く や う で あ る 。 現 在 世 の 苦 行 に 依 つ て 、 來 世 に 梵 涅 槃 界 に 入 っ て 、 長 壽福 樂 を 得 や う と 夢 想 し て 居 る が 如 き は 、 確 に 病 的 思 想 と 思 は れ る 。 佛 陀 も 全 然 印 度 の 思 想 界 か ら 獨 立 す る こ と は 能 き な か つ た や う で は あ る が 、 在 來 の 病 的 思 想 を 驅 除 し て 、 人 格 中 心 、 道德 本 位 の 宗敎 を 樹 立 す る 事 は 、佛 陀 の 抱 負 で め つ た 。 佛 陀 は 舊 來 の 思 想 の 健 全 な 部 分 は 承 認 し て 居 ら れ た が 、 其 の 中 の 不 健 全 分 子 は 外 道 邪 見 と 呼 ん で 極 力 排 斥 さ れ た 。 吾 人 が 今 期 待 し て 居 る 思 想 を 佛 陀 が 既 に 懷 い て 居 ら れ た か ど う か 、 斷 言 す る こ と は 能 き な い が 、 現 代 思 想 の 要 求 が 、 佛敎 に 依 つ て 滿 足 さ れ る や 否 や を 追 求 し て 見 る 事 は 、 強 ち 徒 勞 で は な か ら う 。 吾 人 は 現 時 の 思 想 が 必 ず し も 完 全 な も の で 、 古 代 の 思 想 よ り も 勝 れ て 居 る と は 言 は な い が 、 現 代 の 思 想 中 に 活 て 居 る 吾 人 が 、 自 己 の 信 仰 の 源 泉 た る 佛敎 と 現 代 の 思 想 と の 關 係 を 見 出 さ う と す る は 、 蓋-自 然 の 要 求 と 言 は な け れ ば な る ま い と 思 ふ 。 十 八 世 紀 以 來 智 識 の 泉 は 經 驗 で あ る と 云 ふ こ と □ 現 代 思 想 と 密 教 九 五

(4)

□ 密 教 研 究 九 六 が 一 般 に 承 認 せ ら る ゝ こ と ゝ 成 つ た 。 實 在 は 經 驗 の 對 象 と は な ら な い 。 隨 つ て 經 驗 界 の 外 に 實 在 界 あ り と は 虚 僞 で あ る と 云 ふ こ と に 成 つ た 。神 靈 や 法 身 の 如 き 超 經 驗 の 存 在 は 甚 だ 疑 は し い こ と に 成 つ て 來 た 。 カ ン ト は 道德 法 を 立 て る 必 要 上 、神 と 不 死 と 自 由 と の 三 者 を 、 實 踐 理 性 の 信 仰 で あ る と 説 い た 。 此 等 三 者 は 經 驗 的 知 識 か ら は 、 ど う し て も 存 在 を 認 ぬ る こ と が 能 き な い で 、 仕 方 な し に 實 踐 理 性 の 存 在 を 説 く こ と に 成 つ た 。 カ ン ト は 純 粹 理 性 (經 驗 的 知 識 の 根 本 と な る も の ) と 實 踐 理 性 ( 道德 や 宗敎 の 根 本 と な る も の ) と を 設 け て 科 學 と 宗敎 と の 衝 突 を 調 和 し た 積 り で 居 つ た 。 併 し 此 の 問 題 は 今 以 て 充 分 に 解 决 さ れ て 無 い 。 科 學 は 現 實 世 界 を 經 驗 の 對 象 と し 、 日 進 月 歩 の 勢 で 駸 々 と 進 歩 し て 居 る に 拘 は ら ず 、 宗敎 は 尚 ほ 依 然 と し て 、 超 自 然 的 存 任 を 宗敎 的 生 命 の 基 本 と し て 居 る だ け で 、 守 株 退 嬰 更 に 一 歩 だ も 進 み 得 な い で ゐ る 。 此 が 現 代 思 想 界 の 状 態 で あ る 。 此 に 於 て か 自 己 の 信 奉 す る 宗敎 が 現 代 思 想 と 全 く 相 反 す る か 、 否 か を 確 め 、 其 上 に 一 道 の 光 明 を 發 見 し 得 る か 否 や を 試 み る こ と は 、 决 し て 徒 勞 で 無 い こ と を 信 ず る 。 印 度 思 想 が 現 實 世 界 に 對 し て 如 何 な る 取 扱 を 爲 し た か 。 又 其 取 扱 に 對 し て 吾 人 は 如 何 に 其 れ を 觀 察 す 可 き で あ る か 、 先 づ 此 の 二 點 に 關 し て 論 じ 、 進 ん で は 密敎 が 印 度 思 想 か ら 出 て 、 現 代 に 於 て 如 何 な る 役 目 を 果 さ ん と し て 居 る か を 明 に し た い と 思 ふ 二 佛敎 以 前 の 思 想 ( 一 ) 人 生 最 高 の 目 的 は 解 脱 ( 二 ) 眞 實 常 住 の 實 在 は 梵 ( 三 ) 現 實 世 界 は 梵 の 幻 術 人 生 を 極 め て 快 活 に 觀 て 居 つ た 吠 陀 時 代 を 經 て 後 に 、 婆 羅 門 書 時 代 を 過 ぎ 、 奥 義 書 時 代 に 至 る 間 に 、 瑜 伽 觀 行 の 勃 興 と 同 時 に 現 在 生 活 を 厭 ひ 、 人 生 最 高 の 目 的 は 現 實 世 界 の 束 縛 を 脱 却 し 、 涅 槃 常 寂 の 世 界 は 我 等 が 眞 に 安 住 す 可 き 世 界 で あ る と 云 ふ 思 想 が 生 れ て 來 た 。 涅 槃 常 寂 界 の 主 は 梵 で あ る 。 梵 は 最 尊 最 上 に し て 、 眞 の 實 在 は 獨 り 梵 の み で あ る 。 我 等 が 生 息 し て 居 る 現 實 の 世 界 は 。 虚 假

(5)

不 實 の 者 で あ つ て 、 梵 の 遊 戯 的 幻 術 の 顯 現 で あ る 。 ( 一 ) 人 生 最 高 の 目 的 は 解 脱 現 實 生 活 を 苦 の 世 界 で あ り 、 穢 れ 多 い 罪 深 い 結 晶 は 此 の 肉 躰 で あ る 。 此 の 肉 躰 を 捨 て 、 此 の 世 界 を 去 る 時 に 、 梵 涅 槃 界 に 入 る 。 人 類 は 無 始 の 昔 し ょ り 無 明 妄 想 の 雲 に 覆 は れ 、 眞 實 で 無 い 色 聲 香 等 の 現 實 の 境 に 對 し て 、 貪 愛 愚 痴 の 心 を 起 し 、 迷 路 か ら 迷 路 へ と 放 浪 し て 居 る 。 (1) 現 實 世 界 の諸 物 象 は 悉 く 虚 假 不 實 で あ る 、 我 等 人 類 の 肉 躰 は 虚 假 不 實 で あ る が 、 我 等 の精神 の み は 眞 實 の も の で あ つ て 、 其 中 に は 梵 が 止 住 し て ゐ る 。 自 心 内 の 梵 を 知 る こ と の 能 き な い 間 は 、 我 等 は 永 久 に 迷 蒙 の 凡 夫 で あ る 。 (2) 此 の 變 壞 生 死 の 世 界 を 脱 却 し て 、 無 爲 常 住 の 梵 涅 槃 界 に 入 る 唯 一 の 方 法 は 、 自 心 中 の 梵 を 看 出 し 、 自 我 と 此 の 梵 と 本 來 不 二 一 躰 で あ る と 云 ふ を 證 悟 す る こ と で あ る 。 梵 涅 槃 界 に 歸 入 す る と き は 人 生 の 苦 患 を 股 却 し 、 眞 の 解 脱 を 得 た の で あ る 。 梵 涅 槃 界 は 差 別 變 壞 を 超 越 し た 寂 靜 安 穩 の 境 で あ る 。 ( 二 ) 眞 實 常 住 の 實 在 は 梵 (3) 眞 實 常 住 の 實 在 は 獨 り 梵 だ け で あ る 。 眞 實 の 知 眼 の 開 け た 時 に 我 等 は 常 住 の 實 在 た る 梵 を 證 悟 す る こ と が 能 き る 。 (4) 我 等 が 平 常 經 驗 し て 居 る 現 實 の 世 界 は 多 種 多 樣 に 見 え て ゐ る が 、 此 は 悉 く 虚 假 不 實 の も の で 、 迷 蒙 の 心 に 映 ず る 幻 相 で あ る 。 (5) 經 驗 界 の 知 識 は 悉 く 無 明 妄 想 で あ つ て 、 眞 の 實 在 で あ る 梵 を 證 知 す る に は 妨 害 と こ そ は 成 る が 少 し も 用 立 つ ゝ の で 無 い 。 梵 は 最 高 至 上 の神 靈 で あ る 。 (6) 此 の神 靈 は 全 宇 宙 に 遍 滿 す る と 同 時 に 、 近 く 我 等 が 心 中 奥 深 く に 潜 ん で あ る 。 (7) 宇 宙 に 遍 滿 す る神 靈 を 知 る も の は 、 矢 張神 靈 其 も の で 無 く て は な ら な い 。 宇 宙 の神 靈 を 證 悟 す る 主 躰 は 、 觀 者 の 主 觀 界 に 潜 ん で ゐ る神 靈 で あ る が 、 此 の 主 觀 界 の神 靈 を 知 る も の は 我 々 自 身 で あ る 。 我 々 自 身 は 心 内 の 梵 を 知 る こ と が 能 る か ら 、 隨 て 我 々 自 身 は 梵 で 無 く て は な ら な い 。 (8) ウ ツ ダ ー ラ カ 、 ア ー ル ニ が 、 自 身 の 子 息 の シ □ 現 代 思 想 と 密 教 九 七

(6)

□ 密 教 研 究 九 八 ユ ヴ エ タ ケ ー ト に 向 つ て 、 ﹁ 汝 は 彼 れ で あ る ﹂ と 言 つ た 。 彼 と は 最 高 至 上 の 梵 を 指 し て ゐ る 謂 ゆ る 詩 聖 と 稱 せ ら れ た 當 時 の 大 思 想 家 大 哲 人 は 、 自 心 を 通 じ て 梵 を 認 識 し 、 梵 は 此 等 詩 聖 の 口 を 通 じ て 、 自 己 の 思 想 を 世 に 流 布 す る こ と に 成 つ て あ る 。 婆 羅 門 書 初 期 の 中 心 的神 格 で あ つ た 初 生 主 の 概 念 が 、 祈擣 の 對 象 た る 梵 と 結 合 す る に 及 ん で 、 梵 は 全 能 全 知 で あ つ て 、 善 く 人 の 意 願 を 滿 足 す る も の だ と し て 、 宗敎 的 儀 式 の 崇 拜 の 對 象 と も 成 り か け た 樣 で は あ る が 、 幾 程 も な く 全 知 全 能 の 權 能 は 濕 婆 即 ち 自 在 天 に 奪 ひ 去 ら れ て 、 梵 は 專 ら 瑜 伽 觀 行 者 の 觀 念 の 的 と 成 つ た 。 ( 三 ) 現 實 世 界 は 梵 の 幻 術 彼 の 一 が が 展 開 し て 愛 と 成 り 、 愛 が 更 に 轉 じ て 意 識 と な り 、 此 意 識 か ら 現 實 の 世 界 は 成 立 し た の で あ る 。 (9) 梵 は 色 と 名 と の 形 に て 世 界 に 表 は れ た 。 名 と 色 と は 梵 の 二 大 幻 相 で あ つ て 、 又 梵 の 二 大 顯 現 で あ る 。 10 現 實 世 界 は 幻 で あ り 、 梵 は 幻 術 師 で あ る と 云 ふ 。 而 も 幻 術 師 た る 11 梵 は 現 實 世 界 の 蔭 に 身 を 潜 め て ゐ る 。 12 又 眞 我 た る 梵 は 樂 器 の 如 く 、 現 實 世 界 は 樂 昔 の 如 き も の で あ る 。 13 眞 我 た る 梵 は 變 化 し て 種 々 雜 多 の 物 象 と し て 表 は れ て あ る が 、 而 も 雜 多 の 差 別 相 は 、 單 に 名 計 り で あ つ て 、 實 は 單 一 の 梵 に 過 ぎ な い 。 と 印 度 哲 學 勃 興 當 時 の 思 想 の 中 軸 と 成 つ て 居 つ た も の は 梵 で あ る 。 梵 は 世 界 成 立 の 根 本 で あ る と 同 時 に 、 萬 有 の 歸 着 點 で あ る 。 梵 は 宇 宙 法 界 に 遍 滿 し て 居 る 以 上 は 、 一 塵 一 法 と し て 梵 で な い も の は 無 い こ と に 成 る 。 隨 つ て 愚 痴 の 我 々 に も 梵 は 止 宿 し て 居 る 譯 だ 。 而 も 間 近 い 梵 を 知 り 得 な い の は 五 慾 に 引 廻 さ れ る か ら で あ る 。 此 に 於 て か 梵 を 知 る 爲 め に は 五 慾 の 縁 を 絶 た な け れ ば な ら な く な る 。 五 慾 を 絶 つ 所 か ら 厭 世 的 の 傾 が 起 つ て 來 た 。 加 之 、 瑜 伽 觀 行 者 の 立 塲 か ら は 、 梵 以 外 の も の に 對 し て は 、 何 等 の 價 値 を も 認 め な い 計 り で 無 く 、 其 の 存 在 を さ へ 疑 ひ 、 遂 に 如 幻 虚 假 の も の と 見 做 す に 至 つ た 。 厭 世 思 想 は 更 に 一 段 の 重 を 加 へ て 、 實 現 の

(7)

世 界 に 對 し て 、 幻 の 如 く 夢 の 如 き も の と 考 へ る こ と に 成 つ た 。 併 し 人 類 の精神 ま で も 如 幻 と 考 へ る こ と は 能 き な か つ た 。 此 に 印 度 思 想 の 不 徹 底 と 矛 盾 と が 、 遺 憾 な く 暴 露 さ れ て あ る 。 若 し 世 界 が 如 夢 如 幻 な ら ば 、 我 々 の精神 を も 如 夢 如 幻 と 斷 定 し 得 な か つ た ら う 、 此 所 が 不 徹 底 の 點 で あ る 。 萬 有 は 梵 か ら 展 開 し た と 説 く 。 梵 は 實 在 で 、 萬 有 は 非 實 在 で わ る と は 、 さ な が ら 有 か ら 無 が 出 で 、 無 か ら 有 が 出 た 樣 な も の で 、 矛 盾 撞 着 で は 無 か ら う か 。 且 つ 萬 有 は 悉 く 梵 の 幻 術 で あ る 。 梵 の 所 作 で あ る 以 上 は 、 我 等 人 類 の 善 惡 正 邪 は 悉 く 梵 の 働 き か ら 出 て ゐ る の で あ る か ら 、 我 等 人 類 に は 秋 毫 の 責 任 も 無 い 筈 で あ る 。 然 る に 我 等 人 類 を 愚 痴 迷 蒙 な り と し て 叱 責 し 、 梵 に 歸 信 せ ざ る を 責 む る は 極 め て 非 合 理 で は 無 か ら う か 、 且 つ 現 實 世 界 を 如 幻 如 夢 と 見 做 す か ら は 、 人 類 の 爲 す 善 惡 業 は 悉 く 如 復 幻 如 夢 で あ る か ら 、 深 く 尤 む る 必 要 も 無 い 譯 で め る 加 之 、 現 實 世 界 に 於 て 見 聞 す る 梵 に 關 す る こ と ま で も 、 如 夢 如 幻 と 成 ら な く て は な る ま い 。 何 れ か ら 見 る も 矛 盾 撞 着 を 免 れ な い 。 (1 ) (2 ) (3 ) (4 ) (5 ) (6 ) (7 ) (8 ) (9 ) (10 ) 印 度 哲 學 史 三 四 五 頁 (11 ) (12 ) (13 )

佛敎

(一

)

(

)

□ 現 代 思 想 と 密 教 九 九

(8)

□ 密 教 研 究 一 〇 〇 ( 三 ) 眞 實 常 住 の 實 在 は 眞 如 印 度 で 生 れ た 宗敎 も 哲 學 も 最 後 の 目 的 は 常 に 解 脱 に 歸 す る こ と に 成 つ て ゐ る 。 現 實 生 活 の 覊 絆 を 脱 し て 、 無 爲 常 住 の 境 界 に 至 る こ と が 、 彼 等 印 度 人 の 根 本 思 想 で あ る 。 無 爲 常 住 の 境 界 と は 眞 如 法 性 の 大 海 を 意 味 す 。 眞 如 法 性 の 大 海 は 本 來 の 性 と し て 靜 澄 な ら ん と し て ゐ る が 、 妄 境 界 の 風 ば 動 轉 し て 熄 ま ず 、 爲 に 狂 波 激 浪 暫 く も 靜 ま ら な い 。 人 類精神 の 本 質 は 眞 如 法 性 其 も の で は あ る が 、 五 慾 の 猛 風 に 動 搖 せ ら れ て 、 法 性 眞 如 の 覺 月 は 、 容 易 に 姿 を 見 せ な い 、 千 變 萬 化 し て 流 れ 行 く 現 實 世 界 に 對 し て 、 我 等 は 全 心 の 願 望 を 傾 け 、 全 生 涯 の 努 力 を 注 い で 居 る 。 併 し 現 實 界 の 五 慾 の 境 は 顛 倒 妄 想 の 影 に 過 ぎ な い 。 此 の 無 實 の 影 を 追 ひ 求 め て 、 眞 實 常 住 の 覺 月 を 、 自 己 心 内 に 探 り 得 な い 我 等 は 愚 蒙 と 言 は な け れ ば な ら な い 。 我 等 が 追 隨 す 可 き 唯 一 の 目 的 は 、 法 性 眞 如 の 覺 月 あ る の み だ 。 法 性 眞 如 の 涅 槃 界 に 自 己 安 住 の 塲 所 を 看 出 し て 、 我 等 は 始 め て 永 世 不 死 の 常 樂 の 世 界 に 遊 ぶ こ と が 能 る の で あ る 。 自 心 一 度 此 の 境 界 に 入 る こ と が 能 る と き は 、 五 慾 の 猛 風 に 引 き 回 は さ れ る こ と 無 く 、 我 等 は 此 に 始 め て 心 の 重 荷 を 卸 し て 自 由 濶 達 の 解 脱 の 状 態 に あ る こ と が 能 き る 。 五 慾 の 猛 風 は 自 身 の 迷 蒙 か ら 起 つ て 來 る 。 迷 蒙 と は 現 實 世 界 の諸 物 象 の 眞 實 相 に 暗 い こ と を 意 味 す 。諸 物 象 の 眞 實 相 は 因 縁 和 合 の 躰 に し て 、 常 住 不 改 の 實 性 で 無 い 。 諸 法 從 因 縁 生 の 實 義 を 證 悟 し て 執 着 を 離 る ゝ は 、 即 ち 涅 槃 の 境 で あ る 。 ( 一 ) 現 實 世 界 は 迷 妄 の 變 現 起 信 論 に 云 く 三 界 虚 僞 唯 心 所 作 、 離 心 則 無 六 塵 境 界 。 又 云 く 、 世 間 一 切 境 界 、 皆 依 衆 生 無 明 妄 心 、 而 得 住 持 、 是 故 、 一 切 法 如 鏡 中 像 、 無 躰 可 得 、 唯 心 虚 妄 、 以 心 生 則 種 々 法 生 、 心 滅 則 種 々 係 滅 故 。 觀 普 賢 經 に 云 く 、 一 切 業 障 海 、 皆 從 妄 想 生 。 華 嚴 經 修 慈 分 に 云 く 、 凡 夫 之 人 、 以 自 分 別 、 生諸 境 界 自 分 別 中 、 還 自 繋 縛 。 華 嚴 經 人 法 界 品 に 云 く 、 一 切 無 生 、 生 滅 生 老 死 、 憂 悲 苦 惱 、 皆 幻 住 、 虚 妄 分 別 所 生 故 、 一 切 國 土 、 皆 幻 住 想 倒 、 心 倒 、 見 倒 、 無 明 所 現 故 。 圓 覺 經 に 云 く 、 此 菩 薩 及 未 來 世 衆 生 、 證 得諸 幻 滅 影 像 故 爾 時 便 得 無 上淸 淨 。 客 觀 世

(9)

界 に 對 し て 更 に 實 在 性 を 認 め ず 、 其 等 は 悉 く 我 等 凡 夫 の 迷 情 の 變 現 で あ る と 見 做 な さ れ て あ る こ と は 以 上 の 例 證 に 照 し て 明 か で あ る 。 通 佛敎 の 思 想 は 現 實 生 活 を 無 始 以 來 の 迷 妄 の 産 物 で あ る と 云 ふ 前 提 の 上 に 成 立 し て あ る 。 我 等 は 現 實 世 界 の諸 物 象 に 對 し て 、 種 々 の 不 自 由 を 感 じ 樣 々 の 束 縛 を 受 け て 居 る の で あ る が 、 其 不 自 由 と 束 縛 と は 畢 竟 す る に 我 等 の 迷 妄 の 心 が 感 じ て 居 る の で あ る 。 此 の 迷 蒙 の 心 を 取 り 除 く 時 に 、 我 等 は 不 自 由 と 束 縛 と か ら 離 る ゝ こ と に 成 る 。 之 れ が 即 ち 解 脱 で あ る 。 現 實 世 界 は 惑 業 煩 惱 の 姿 が 、 我 々 の 眼 前 に 展 開 し て 恰 も 眞 の 實 在 で あ る か の 如 く に 見 え て は ゐ る が 佛 知 見 の 靈 光 で 照 し て 觀 る と き は 、 悉 く 愚 痴 妄 想 の 變 相 に 外 な ら な い 。 愚 痴 妄 想 が 無 く な る と き に 現 實 の 世 界 は 姿 を 隱 し て し ま ふ も の で あ る と 。 通 佛敎 と し て は 現 實 世 界 を 徹 頭 徹 尾 否 定 し て ゐ る 隨 つ て 我 等 が 覺 り の 境 界 に 進 む 唯 一 の 手 段 と し て は 、 此 の 現 實 世 界 を 忌 避 す る こ と ゝ 成 る 。 佛敎 の 厭 世 思 想 は 此 に 由 來 し て ゐ る 。 此 の 現 實 世 界 を 忌 避 し 去 つ た 後 で 、 始 め て 姿 を 露 は し て 來 る の は 、 云 く 一 心 法 界 、 云 く 、 眞 如 法 性 、 云 く 、 涅 槃 常 寂 界 で あ る 。 涅 槃 界 も 眞 如 法 性 も 、 將 た 一 心 法 界 も 現 實 世 界 も 現 實 世 界 を 沒 却 し 去 つ た 後 で 出 て 來 る 者 で あ る か ら 、 現 實 世 界 と は 全 く 沒 交 渉 の も の と 見 な け れ ば な ら な い 。 通 佛敎 が 厭 世 的 思 想 で あ る と し て 、 現 代 思 想 か ら 喜 ば れ な い 第 一 の 理 由 は 此 の 點 に あ る と 想 は れ る 。 印 度 思 想 の 大 部 分 が 、 現 實 世 界 を 輕 視 し て 居 る 傾 き が あ る が 此 は 現 實 世 界 を 如 幻 如 夢 と 見 た 結 果 か ら 來 て ゐ る の で あ つ て 、 印 度 を 亡 國 に 導 い た も の は 、 印 度 人 で な く 、 印 度 人 の 敵 國 で も 無 く し て 、 現 實 世 界 を 輕 視 し た こ と が 、 大 な る 原 因 と 成 つ て ゐ る 。 厭 世 思 想 と 國 家 の 存 立 と は 到 底 兩 立 し 得 な い 。 ( 二 ) 迷 妄 は 各 個 人 の 意 志 に 基 ゝ 佛敎 以 前 の 思 想 は 梵 を 尊 重視 す る 結 果 と し て 、 個 人 の 力 を 殆 ん ど 認 め て 居 な か つ た 。 個 人 の 力 、 個 人 の 自 由 を 認 め な け れ ば 、 罪 責 を 個 人 に 負 は せ る こ と は 能 き な い 。 若 し 人 類 が 梵 若 し く は 自 在 天 の 仕 向 く る が 儘 に 動 く と し た な ら ば 、 人 類 は 機 械 の 如 く 、 梵 や 自 在 天 は 機 械 の 蓮 轉 師 の 如 き も の で あ □ 規 代 思 想 と 密 教 一 〇 一

(10)

□ 密 教 研 究 一 〇 二 る 。 隨 つ て 人 類 の 行 爲 は 、 一 と し て 自 由 意 志 か ら 出 て 居 な い か ら 其 結 果 に 對 し て 責 任 を 負 は す こ と は 能 き な い 筈 で あ る 。 佛敎 は 現 實 の 妄 境 界 を 個 人 の 迷 妄 か ち 發 現 し た も の と し て 居 る 。 現 實 世 界 を 梵 の 幻 術 と も 見 な い 自 在 天 の 作 製 し た も の と も 見 な い 。 此 點 は 確 に 個 人 の 力 を 認 め 、 個 人 の 自 由 を 尊 重 し て 居 る の で あ る 。 隨 つ て 罪 責 を 個 人 に 歸 す る こ と も 决 し て 不 都 合 で は 無 い こ と に な つ た 。 ( 三 ) 眞 實 常 住 の 實 在 は 眞 如 現 實 の 世 界 が 虚 假 不 實 し あ る と す れ ば 、 之 れ に 對 し て 眞 實 常 住 の も の が 無 く て は な ら な い こ と に 成 る 。 此 の 眞 實 常 住 の 實 在 を 眞 如 と 名 け る 。 起 信 論 に 云 く 、 一 切 法 、 從 本 己 來 、 離 言 説 相 、 離 名 字 相 、 離 心 縁 相 、 畢 竟 平 等 無 有 變 異 、 不 可 破 壞 、 唯 是 一 心、 故 名 眞 如 。 又 云 く 、 從 本 巳 來 、 自 性 滿 足 一 切 功德 、 所 謂 自 躰 有 大 智 慧 光 明 義 故 、 偏 照 法 界 義 故 、 眞 實 識 知 故 、 自 性淸 淨 心 義 故 、 常 樂 我 淨 義 故 、淸 凉 不 變 自 在 義 故 、 ⋮ ⋮ 各 爲 如 來 藏 、 亦 名 如 來 法 身 。 又 云 く 、 一 切 境 界 、 唯 心 妄 起 故 有 、 若 心 離 於 妄 動 、 則 一 切 境 界 滅 、 唯 一 眞 心 、 無 所 不 偏 、 此 謂 如 來 廣 大 性 智 究 竟 之 義 。 眞 如 法 性 は 、 六 度 萬 行 を 修 す る 結 果 と し て 、 我 等 の 妄 念 妄 執 が 悉 く 除 か れ た 後 で 、 朗 然 と し て 顯 現 す る も の で 、 謂 ゆ る 無 垢淸 淨 の 一 心 で あ る 。 此 の 一 心 は 有 ゆ る 功德 を 包 藏 し て 更 に 餘 す 所 が な い 此 の 一 心 の 照 す 所 は諸 法 萬 有 如 實 の 相 で あ る 。 諸 法 如 實 の 相 は 涅 槃 常 寂 界 で あ る 。 法 華 藥 草 喩 品 第 五 に 云 く 、 如 來 知 是 一 相 一 味 之 法 所 謂 解 脱 相 、 離 相 、 滅 相 、 究 竟 涅 槃 、 常 寂 滅 相 、 終 歸 於 空 。 法 華 方 便 品 第 二 に 云 く 、 我 雖 説 涅 槃 、 是 亦 非 眞 滅 、 諸 法 從 本 來 常 自 寂 滅 相 。 一 心 法 界 は 自 性淸 淨 心 で あ る 。 如 來 の 知 見 は 此 自 性 清 淨 心 の 働 で あ る と 、 斯 く の 如 く 現 實 世 界 を 絶 待 に 否 認 し 、 獨 り 一 心 法 界 の み 眞 の 實 在 で あ る と 見 る は 、 婆 羅 門 哲 學 が 梵 の み を 獨 り 眞 の 實 在 と し て 、 其 他 を 悉 く 非 實 在 と 見 て 居 る と 同 樣 で は あ る ま い か 。 現 實 世 界 を 否 定 す る 點 に 於 て 、 兩 者 の 間 に 更 に 異 り が な い 。 通 佛敎 は 現 實 世 界 を 原 因 結 果 の 聯 鎖 と 見 其 の 原 因 を 各 個 人 の 迷 蒙 に 歸 し て 居 る 。 妄 動 惡 業 の 基 本 を 個 人 の 中 に あ り と じ た 點 は 、 個 人 の 力 個 人 の

(11)

自 由 を 認 め て 居 る か ら 、 現 代 の 思 想 と 合 致 す る 所 が あ る 。 併 し 現 實 の 世 界 は 無 明 惑 業 の 力 に 因 つ て 表 現 し て 居 る 者 で あ る か ら 、 無 明 惑 業 の 力 を 取 り 除 く 時 は 、 現 實 の 世 界 は 形 を 隱 し 、 之 れ と 同 時 に 涅 槃 常 寂 界 が 現 は れ て 來 る こ と は 、 恰 も 暗 去 明 來 の 如 き 者 で あ る と は 、 現 代 思 想 の 承 認 し 難 い 所 で あ る と 想 ふ 。 現 實 の 世 界 は 勿 論 完 全 で は 無 い 。 併 し 不 完 全 な 世 界 を 完 全 に 仕 向 け て 行 く の が 、 人 類 の 努 力 甲 斐 の あ る 所 で は あ る ま い か 。 萬 事 不 如 意 の 現 實 世 界 で 、 自 己 の 理 想 と す る 所 を 、 最 善 の 方 法 で 、 現 實 し て 行 く 事 が 、 正 に 人 類 本 來 の 職 掌 で は な か ら う か 。 四 密敎 の 思 想 ( 一 ) 現 實 世 界 に 實 在 性 を 認 め る ( 二 ) 圭 觀 の 態 度 に 重 を 置 ( 三 ) 人 格 の 改 造 密敎 が 通 佛敎 並 に 婆 羅 門 哲 學 に 對 し て 、 一 異 彩 を 放 つ て ゐ る 點 は 、 現 實 世 界 を 如 幻 如 夢 と 見 な い で 、 常 住 眞 實 の 實 在 と 觀 る か ら で あ る 。 迷 悟 の 起 原 を 吾 人 の 主 觀 界 に 置 く こ と は 通 佛敎 と 密敎 と 更 に 異 り は 無 い が 、 仔 細 に 眞 相 を 吟 味 す る 時 は 、 决 し て 見 遁 す こ と の 能 き な い 差 違 點 が 存 し て ゐ る 。 通 佛敎 は 吾 人 の 身 心 を 倶 に 虚 假 不 實 の も の と 觀 て ゐ る 。 然 る に 密敎 は 吾 人 の 身 心 を 實 在 と 爲 し 、 而 も 身 心 の 實 相 を 知 る と 知 ら ざ る と が 、 正 に 迷 悟 の 分 れ 目 と 成 つ て 居 る 。 通 佛敎 は 全 く 此 反 對 で 、 身 心 を 實 在 と 觀 て 居 る こ と が 正 に 妄 想 邪 見 の 本 質 で あ る と 主 張 す る か ら 、 通 佛敎 と 密敎 と の 相 違 點 は 正 に 此 の 處 に 存 し て ゐ る 。 人 生 最 高 の 目 的 を 解 脱 に 置 く こ と は 印 度 思 想 の 特 質 で あ る か ら 、 苟 も 印 度 で 生 れ た 思 想 な ら ば 、 多 少 此 の 特 質 を 具 へ て 居 な け れ ば な ら な い が 、 但 し 其 内 容 に 至 て は 决 し て 同 一 で 無 い も の が あ る 。 密敎 の 解 脱 觀 の 如 き は 全 く 換 骨 脱 躰 の 觀 が あ る 。 婆 羅 門 哲 學 並 に 通 佛敎 は 、 現 實 世 界 の 身 心 を 脱 ぎ 捨 て る 事 が 解 脱 で あ る 。 然 る に 密敎 は 斯 る 見 解 を 俗 見 と し て 退 け る 。 密敎 の 解 脱 と は 佛 知 見 の 不 覊 獨 立 を 意 味 す 。 密敎 で は 法 華 經 の 佛 知 見 を 淨 菩 提 心 と 呼 ん で 居 る 。 淨 菩 提 心 に 初 相 と 後 相 と の 別 が □ 現 代 思 想 と 密 教 一 〇 三

(12)

□ 密 教 研 究 一 〇 四 あ つ て 、 初 相 の 淨 菩 提 心 と は 第 八 識 の 淨 分 で 能 求 の 菩 提 心 で あ る 、 後 相 と は 第 九 無 垢 淨 識 で 即 ち 所 求 の 菩 提 心 で あ る 初 相 の 淨 菩 提 心 を 人 格 視 し た も の が 、 金 剛 薩 捶 で あ る 。 第 八 識 の 染 分 即 ち 元 品 の 無 明 を 人 格 觀 し た も の が 、 三 界 主 の 大 自 在 天 で あ る 。 此 大 自 在 天 は 金 剛 手 菩 提 薩 捶 の 爲 め に 降 伏 さ れ る こ と が 、 金 剛 頂 部 に 説 き 明 さ れ て あ る が 、 此 は 即 ち 初 相 の 淨 菩 提 心 が 元 品 の 無 明 を 征 服 す る こ と を 示 し た も の で あ つ て 、 正 に 是 れ 淨 菩 提 心 が 、 元 品 の 無 明 の 重 荷 を 擲 つ て 、 自 由 解 脱 の 境 に 至 る 道 程 を 悲 劇 的 に 説 い た も の で あ る 。 元 品 の 無 明 を 振 り 捨 て た 第 八 識 の 淨 分 は 、 頓 て 第 九 の 識 垢 淨 識 と 融 合 、 致 す る こ と に 成 る 。 ( 第 九 識 は 躰 、 第 八 識 は 用 で あ る 。 )是 れ 即 ち 人 格 の 完 成 で あ つ て 、 自 在 天 と 金 剛 薩 捶 と の 悲 劇 は 舊 人 格 と 新 人 格 と の 鬪 爭 で あ る 。 奮 人 格 を 征 服 し て 、 新 人 格 が 身 心 の 主 權 を 掌 握 し た 所 が 、 即 ち 人 格 の 改 造 で あ る 。 人 格 の 改 造 が 密敎 の 生 命 で あ り 、 力 で あ る と 想 ふ 。 而 も 此 點 が 現 代 思 想 に 合 致 す る 所 で あ る 。 ( 一 ) 現 實 世 界 に 實 在 性 を 認 め る 先 づ 器 世 間 に 對 し て は 、 即 身 義 に 云 く 、諸 顯敎 中 以 四 大 等 、 爲 非 情 、 密敎 則 説 爲 如 來 三 摩 耶 身 。 又 云 く 、 此 器( 世 )界 者 、 表 所 依 土 , 此 器 界 者 、 三 摩 耶 曼 茶 羅 之 總 名 。 聲 字 義 に 云 く 、 六 塵 之 本 、 法 佛 三 密 即 是 也 。 吽 字 義 に 云 く 、 三 種 世 間 、 皆 是 佛 躰 四 種 曼 茶 、 即 是 眞 佛 。 虚 空 寳 鍵 に 云 く 、 此 六 大 即 是 本 有 法 身 三 密 。 と 説 て あ る 。 大 師 以 前 に 四 大 、 六 塵 三 間 等 を 指 し て 如 來 の 三 昧 耶 身 で あ る と 説 い て あ る 證 文 は 餘 り 見 當 ら な い 。 併 し 法 身 が 宇 宙 法 界 に 偏 滿 し て ゐ る と 云 ふ 思 想 は 古 く よ り あ る か ら 此 の 思 想 よ り 器 世 界 を 法 身 如 來 の 三 昧 耶 形 で あ る と 云 ふ 考 が 起 つ て 來 た の で あ ら う 。 智 度 論 第 九 に 云 く 、 是 法 性 、 身 滿 十 方 虚 空 、 無 量 無 邊 、 色 像 端 正 、 相 好 莊 嚴 、 無 量 光 明 、 無 量 音 聲 。 摩 羅 訶 經 下 に 云 く 、 彼諸 如 來 、淸 淨 法 身 、 無 量 無 邊 、 充 滿 法 界 。 又 云 く 、 佛 身 難 思 議 、 同 一 虚 空 身 。 起 信 論 に 云 く 、諸 佛 如 來 法 身 、 平 等 偏 一 切 處 。 な ぞ と あ る 。 此 の 文 意 か ら 三 種 世 間 、 皆 是 佛 躰 と 云 ふ 思 想 も 湧 き 、 之 れ を 言 ひ 換 ゆ れ ば 四 大 を 如 來 の 三 昧 耶 形 と も 説 き 得 る こ と に 成 る 。

(13)

次 に 人 類 に 對 し て は 、 大 日 經 疏 第 一 に 云 く 、 經 云 、 皆 同 一 味 所 謂 如 來 解 脱 味 也 、 所 以 然 者 、 一 刧 衆 生 色 心 實 相 、 從 本 際 已 來 、 常 是 毘 盧 遮 那 平 等 智 身 。 不增 不 減 經 に 云 く 、 不 離 衆 生 界 有 法 身 不 離 法 身 有 衆 生 界 、 衆 生 界 即 是 法 身 法 身 即 是 衆 生 界 ﹂ 。 即 身 義 に 云 く 、 如 來 法 身 、 衆 生 本 性 、 同 得 此 本 來 寂 靜 之 理 、 然 衆 生 不 覺 不 知 ﹂ 。 疏 第 七 に 云 く 如 來 無 碍 知 見 、 在 一 切 衆 生 相 續 中 法 爾 成 就 、 無 有 缺 減 、 以 於 此 眞 言 躰 相 、 不 如 實 覺 故 、 各 爲 生 死 中 人 。 虚 空 藏 寶 鍵 に 云 く 、 我 身 中 有 法 身 如 來 ﹂。 と あ 、 、 此 等 の 證 丈 に 依 つ て 、 我 々 凡 夫 と諸 佛 法 身 と 其 本 質 に 於 て 異 り が 無 く 、 我 等 の 身 心 と諸 佛 の 身 心 と も 異 り が 無 い 。 唯 相 違 點 の 存 す る は 、 佛 陀 は 覺 者 で あ り 、 我 等 凡 夫 は 不 覺 者 で あ る 所 だ け で あ る 。 隨 つ て 不 覺 者 た る 我 等 凡 夫 か ら 見 る諸 法 萬 有 は 破 壞 不 安 の 相 を 呈 し 、 覺 者 に 見 え る諸 法 萬 有 は 如 實 の 相 で あ る と 云 ふ こ と に 成 る 。 吽 字 義 に 云 ふ 、 今 以 佛 眼 觀 之 、 佛 與 衆 生 、 同 住 解 脱 之 床 。 鴦 掘 摩 經 に 云 く 、 ﹁ 佛 は 淨 眼 を 具 足 し て 滅 な き を 以 て 、 明 に 常 色 を 見 玉 ふ ﹂ と 説 て あ る 。 然 る に 我 等 凡 夫 の 側 か ら は 此 の 常 色 を 見 る こ と が 能 き な い こ と に 成 つ て あ る 。 聲 字 義 に 云 く 、 ﹁ 三 界 六 道 及 與 土 、 隨 業 縁 有 、 是 名 衆 生 隨 縁 。 ﹂ 吽 字 義 に 云 く 、 如 彼 無 智 畫 師 、 自 運 衆 綵 , 作 可 畏 夜 叉 之 形 、 成 己 還 自 觀 之 、 心 生 怖 畏 頓 躄 于 地 、衆 生 亦 復 如 是 、 自 運諸 法 本 源 、 畫 作 三 界 、 而 還 自 沒 其 中 、 自 心 熾 然 、 備 受諸 若 、 如 來 有 智 畫 師 、 既 了 知 己 、 即 能 自 在 . 成 立 大 悲 漫 茶 羅 云 云 ﹂ 四 大 等 の 器 世 間 を 目 し て 本 法 身 の 三 昧 耶 形 で あ る と の 思 想 は 、 現 實 世 界 の 統 一 躰 を 本 法 身 で あ る と の 前 提 か ら 歸 决 し て ゐ る 。 此 の 前 提 を 承 認 し 得 な い 限 り は 、 現 在 我 々 が 經 驗 し て 居 る 諸 物 象 に 對 し て 、 親 し み の 感 が 無 い 。 親 し み の 感 じ の 無 い 所 に は 趣 味 の 興 は 湧 い て 來 な い 。 即 ち 現 實 界 に 無 形 の 統 一 者 あ り 、 我 等 も 此 の 無 形 の 統 一 者 の 配 下 に 立 つ て 居 る と 云 ふ 氣 分 に 成 る こ と が 能 き れ ば 、 自 ら 自 己 と 宇 宙 と の 一 致 を 見 出 し 、 自 己 の 生 命 の 深 み を 覺 ね 、 底 力 の あ る 感 じ を 起 し 之 れ と 同 時 に 、 客 觀 界 の諸 物 象 に 對 し て 同 情 同 感 の 念 を 深 ふ す る こ と に な る 。 □ 現 代 思 想 と 密 教 一 〇 五

(14)

□ 密教 研 究 一 〇 六 ( 二 ) 主 觀 の 態 度 に 重 を 置 密敎 の 見 解 は 觀 察 せ ら る る 物抦 に 眞 僞 迷 悟 の 差 別 を 樹 て な い で 、 觀 察 者 の 主 觀 的 態 度 の 如 何 に 依 つ て 、 觀 察 さ れ た 其 物 に 對 し て 評 價 を 下 す 事 と 成 つ て ゐ る 。 即 ち 客 觀 界 の 物 自 躰 よ り も 、 其 物 自 躰 が 觀 者 の 心 に 寫 し 取 ら れ て あ る 所 の も の に 對 し て 眞 僞 の 判 定 を 下 す こ と に 成 つ て あ る 、 能 知 の 主 躰 が 眞 で る る か 僞 で あ る か 、 能 知 の 主 躰 が 眞 な れ ば 觀 察 さ れ た 事 實 は 眞 で あ り 、 能 知 の 主 躰 が 虚 僞 な れ ば 觀 察 さ れ た 事 實 を 虚 僞 と 判 定 す る の で あ る 。 能 知 の 主 躰 の 眞 な る も の を 正 知 見 と 名 け 、 虚 僞 な る も の を 妄 執 と 呼 ぶ 。 正 知 見 と は 謂 ゆ る 佛 知 見 で あ る 。 法 華 方 便 品 第 二 に 云 く 、諸 佛 世 尊 、 欲 令 衆 生 、 開 佛 知 見 、 使 得淸 淨 故 、 出 現 於 世 ﹂ 。 又 云 く 、 諸 有 所 作 。 常 爲 一 事 、 唯 以 佛 之 知 見 、 示 悟 衆 生 ﹂ 。 我 々 が 覺 り の 境 界 に 入 る と 否 と は 偏 に 此 の 佛 知 見 を 得 る と 否 と で あ る 。 此 の 佛 知 見 を 獲 得 し さ へ す れ ば 、 法 身 大 士 と な る こ と は 決 し て 難 く は 無 い 。 無 量 義 經 に 曰 く 、 是諸 菩 薩 莫 不 皆 是 法 身 大 士 、 戒 定 慧 解 脱 知 見 之 所 成 就 ﹂ 。 と あ る は 即 ち 此 の 意 味 で あ る 。 通 佛敎 に 表 は れ た 佛 知 見 を 更 に 細 説 し た も の が 即 ち 密敎 で あ る 。 密敎 で は 佛 知 見 と は 言 は ず し て 、 之 れ を 淨 菩 提 心 だ 呼 ん で ゐ る 。 名 は 異 て も 指 す も の は 同 一 で あ る 。 淨 菩 提 心 は 起 信 論 の 謂 ゆ る 一 心 法 界 で あ る 。 彼 論 に 云 く 、 是 心 從 本 巳 來 、 自 性淸 淨 、 而 有 無 明 、 爲 無 明 所 染 有 其 染 心 雖 有 染 心 而 常 恒 不 變 是 故 、 此 義 唯 佛 能 知 。 法 華 方 便 品 第 二 に 云 く 、 佛 所 成 就 、 第 一 希 有 難 解 之 法 、 唯 佛 與 佛 、 乃 能 究 盡諸 法 實 相 。 大 日 經 疏 第 一 に 云 く 、 彼 言諸 法 實 相 者 即 是 此 經 心 之 相 、 心 實 相 者 、 即 是 菩 提 更 無 別 理 也 ﹂ 、 と あ り 。 即 ち 起 信 論 の 一 心 法 界 は 因 人 の 所 知 の 境 界 で は 無 く 、 果 上 の 佛 陀 法 身 の 所 知 で あ ろ 。 之 を 法 華 で は諸 法 實 相 と 呼 ん で ゐ る 。 其諸 法 實 相 は 密 教 で は 心 の 實 相 で あ つ て 、 之 れ が 即 ち 淨 菩 提 心 に 常 る 。 密敎 は 淨 菩 提 心 で 始 ま り 、 淨 菩 提 心 で 終 る 。 淨 菩 提 心 を 説 く 以 外 に は 何 物 も な い 。 大 日 經 疏 第 一 に 云 く 、 入 佛 智 慧 、 有 無 量 方 便 門 今 此 宗 直 以 淨 菩 提 心 爲 門 、 若 入 此 門 、 即 是 初 入 一 切 如 來 境 界 ﹂ 。

(15)

同 疏 第 二 に 云 く 、 此 經 從 淺 至 深 、 廣 明 心 相 、 皆 爲 開 示 菩 提 本 末 因 縁 。 然 ら ば 其 謂 ゆ る 菩 提 心 と は 何

自 心 ﹂ 。 此 に 云 ふ 所 の 自 心 と は 第 九 無 垢 淨 識 で あ り 能 知 の 心 は 第 八 識 の 中 の 淨 心 で あ る 。 自 心 即 ち 第 九 無 垢 淨 識 を 證 悟 す る も の は 、 即 ち 法 身 佛 陀 で あ る 、 三 種 悉 地 法 に 云 く 、 如 來 智 印 是 心 實 相 、 一 切 智 智 果 ﹂ 。 又 云 ぐ , 若 衆 生 解 此 心 菩 提 印 者 、 即 同 毘 盧 遮 那 ﹂ 。 と 六 塵 の 境 に 走 り 去 ら う こ す る 我 等 の 思 念 を 制 し て 、 内 觀 を 修 す る 時 は 、 本 然 無 垢 の淸 淨 心 が 、 心 の 奥 深 く に 潜 在 す る こ と に 氣 付 く に 至 る 。 之 れ が 即 ち 第 九 無 垢 淨 識 で あ る 。 此 の 能 知 の 心 は 即 ち 第 八 識 の 淨 心 の 働 き で あ る 。 大 日 經 疏 第 一 に 云 く 、 又 如 虚 空 遠 離 、 戯 論 分 別 、 故 無 知 解 相 、無 開 曉 相 、

覺 心 ﹂ 。 と あ る 中 の 能 證 の 心 は 第 八 識 の 淨 分 で あ り 所 證 の 心 は 第 九 識 で あ る 。 即 ち 能 知 能 證 の 主 躰 が 無 明 妄 執 と 離 れ ざ る 間 は 我 等 の 經 驗 の 對 境 は 隨 縁 顯 現 の 相 で あ つ て 、 眞 實 常 住 の も の で 無 い 。 之 れ に 反 し て 我 等 の 能 知 能 證 の 主 躰 が 無 明 妄 執 か ら 離 れ た 時 は 、 我 等 の 經 驗 の 對 境 は 本 有 法 然 の 相 、 即 ち 眞 實 常 住 の 實 在 で あ る 。 花 は 散 り 行 く も の と 知 り 獄 が ら も 、 絢 爛 の 美 を 愛 す る 點 に 於 て 不 都 合 は な い 。 月 は 虧 け 行 く も の と 知 り 触 が ら も 、 明 月 を 賞 す る 心 持 に 變 り は な い 。 花 の 開 落 、 月 の 盈 虧 が 、 其 儘 如 實 相 で あ る と し た な ら ば 、 月 に も 花 に も 實 在 の 靈 化 が あ る で は 無 い か 。 花 の 開 落 や 、 月 の 盈 虧 に 對 し て 動 搖 す る 心 を 、 我 等 は 持 直 す 必 要 が あ る ま い か 。 我 等 の 主 觀 の 態 度 を 改 め る な ら ば 、 生 存 競 爭 の 激 甚 な 現 在 社 會 に 於 て も 、 眼 前 に 移 り 行 く 社 會 の 實 相 を 觀 て 、 心 中 無 限 の 歡 樂 を 味 ふ こ と が 能 き や う と 思 ふ 。 要 は 客 觀 世 界 に 對 ず る 我 等 の 主 觀 の 態 度 を 改 造 す る 事 で あ る 。 維 摩 經 に 云 く 、 不 依 佛 慧 故 見 此 土 、 爲 不 淨 耳 。 ⋮ ⋮ 深 心淸 淨 、 依 沸 智 慧 、 則 能 見 此 佛 土 清 淨 ﹂ 。 又 云 く 、 若 人 心 淨 , 便 此 土 功德 壯 巖 ﹂。 と 是 亦 主 觀 の 態 度 に 就 い て の 警 句 で あ る 。 ( 三 ) 人 格 の 改 造 人 格 の 改 造 と は精神 活 動 の 根 本 動 機 の 改 ま る 意 □ 現 代 思 想 と 密 教 一 〇 七

(16)

□ 密 教 研 究 一 〇 八 で あ る 。 根 本 動 機 に 善 惡 の 二 種 あ つ て 、 一 般 の 塲 合 は 惡 動 機 が精神 活 動 の 本 質 と 成 つ て 居 る 。 此 の 惡 動 機 を 捨 て ゝ 善 動 機 を精神 活 動 の 本 質 と 爲 す こ と が 即 ち 人 格 の 改 造 で あ る 。 人 が 好 ん で 罪 惡 を 爲 す の は 其 人 の精神 活 動 の 本 質 と 成 つ て ゐ る も の が 既 に 悪 傾 向 を 持 つ て ゐ る か ら で あ る 。 斯 の 如 き 人 物 が 飜 然 改 つ て 善 人 に 成 る と 言 ふ は 、精神 活 動 の 本 質 た る 動 機 が 善 に 變 つ た か ら で あ る 。 眞 言 行 者 が 入 壇 灌 頂 の 塲 合 に 金 剛 薩 唾 を 自 心 に 引 入 す る の は 、 凡 夫 と し て の 自 己 を 捨 て ゝ 、 法 王 子 と し て の 金 剛 薩 唾 を 人 格 の 中 核 と 爲 す こ と を 意 味 し て ゐ る 。 金 剛 頂 五 秘 密 經 に 云 く 、 則 於 現 生 、 遇 逢 曼 茶 羅 阿 闍 梨 、 得 入 曼 荼 羅 、 爲 具 足 羯 磨 、 以 普 賢 三 摩 地 、 引 入 金 剛 薩 唾 入 其 身 中 、 由 加 持 威德 力 故 、 於 復 臾 頃 、 當 證 無 量 三 昧 耶 、 無 量 陀 羅 尼 門 、 以 不 思 議 法 、 變 易 弟 子 倶 生 我 執 種 子 云 云 。 と あ り 、 此 の 中 の ﹁ 變 易 弟 子 倶 生 我 執 種 子 ﹂ と は 舊 人 格 の 核 と 成 つ て 居 つ た 悪 動 機 を 改 め る 意 で あ る 。 又 云 く 、

の ﹁ 種 金 剛 界 種 子 ﹂ と は 佛 知 見 の 芽 種 を 弟 子 の 心 田 に 植 ら 付 け る 意 で 、 正 に 是 れ 新 人 格 の 種 子 を 第 八 識 心 田 の 中 に 植 込 む こ と を 意 味 寸 。 入 壇 以 後 は 眞 言 行 者 は 自 身 即 ち 金 剛 薩 唾 の 身 と 成 つ た と 觀 し て 淨 行 を 修 す る こ と に 成 つ て ゐ る 。 畧 出 經 に 云 く 、 以 摩訶 菩 提 薩 唾 身 、 而 想 自 身 。 又 金 剛 頂 義 訣 に 云 く 、 修 習 瑜 伽 者 、 常 想 自 身 、 常 爲 普 賢 金 剛 身 ﹂ 。 又 華 嚴 字 輪 軌 に 云 く 、 先 應 發 起 普 賢 微 妙 行 願 、 復 應 以 三 密 加 持 身 心 . 如 是 密 行 、 直 修 實 相 離 自 身 外 更 無 普 賢 圓敎 妙 極 、 特 在 密敎 。 眞 言 行 者 は 普 賢 金 剛 薩 唾 を 理 想 の 入 と 爲 し て ゐ る が 、 歴 史 的 の 事 實 と し て 現 は れ た の は 、 即 ち 釋 尊 で あ る 。 出 生 義 に 云 く 、 從 普 賢 金 剛 性 海 、 出 塵 數 加 持 色 身 、 此 大 普 賢 、 即 一 切 義 成 就 釋 迦 牟 尼 如 來 也 。 と あ る 。 之 れ に 依 つ て 見 れ ば 釋 尊 は 普 賢 金 剛 性 海 か ら 出 た 、 加 持 身 中 の 一 つ で あ つ て 、 尚 ほ 此 外 に も 澤 山 の 金 剛 薩 唾 か 出 づ 可 き で あ る 。 金 剛 薩 唾 の 本 質 は 佛 見 で あ つ て 、 此 は 何 人 も 具 へ て 居 る 法 爾 本 然 の 性德 で あ る 。 此 の 本 然 の 性德 は 第 八 識 の 中 に 藏 せ ら れ て あ る 。 五 秘 密 儀 軌 に 慾 金 剛 は 、 金 剛 の 弓 箭

(17)

を 持 し て 、 阿賴 耶 識 中 の 一 切 有 漏 の 種 子 を 射 、 大 圓 鏡 智 を 成 す ﹂ と あ り 。 慾 金 剛 は 五 秘 密 中 の 一 尊 で あ つ て 、 金 剛 薩 唾 の 別德 を 標 示 し て ゐ る 。 即 ち 金 剛 薩 唾 の 一 眷 族 が 、 第 八 識 の 有 漏 の 種 子 を 沒 滅 す る こ と は 、 第 八 識 中 の 本 有 本 然 の 性德 が 有 漏 の 種 子 か ら 獨 立 し て 、 却 て 有 漏 種 子 を 撃 退 す る こ と を 意 味 し て ゐ る 。 仁 王 經 儀 軌 に 云 く ﹁ 此 の 金 剛 手 は 即 ち 普 賢 菩 薩 な り 、敎 令 輪 に 依 り て 威 怒 を な し 、 降 三 世 四 頭 八 臂 を 現 じ て 、 一 切 の 大 自 在 天 を 調 伏 す ﹂ と あ る は 無 漏 の 種 子 か ら 發 現 し た 金 剛 の 知 見 が 無 明 妄 執 を 撃 退 す る 樣 を 悲 劇 的 に 説 き 明 し た に 外 な ら な い 。 五 大 明 王 義 に ﹁ 自 在 天 は 、 無 明 の 躰 、 五 大 尊 は 五 智 の 作 用 ﹂ と あ る は 即 ち 此 の 意 で あ る 。 又 金 剛 薩 唾 は 淨 菩 提 心 を 人 格 的 に 示 し た こ と は 、 金 剛 薩 唾 持 論 軌 に 復 用 法 界 本 性 、 加 持 自 躰 、 思 惟 淨 菩 提 心 而 住 金 剛 薩 唾 身 。 と な る 文 意 に 照 し て 明 か で あ る 。 次 に 菩 提 心 に 能 求 と 所 求 と の 異 り が あ つ て 、 所 求 の 菩 提 心 は 第 九 無 垢 淨 識 で め る 。 心 月 輪 秘 釋 に

地 軌 に 今 、第 四 阿 摩 羅 、 無 垢 淨 識 、 當 爲 九 重 心 月 輪 義 也 。 と あ り 。 所 求 の 菩 提 心 が 第 九 無 垢 淨 識 で あ つ て 、 之 れ が 金 剛 界 の 九 重 の 心 月 輸 と 成 つ て 居 る こ と は 明 か で あ る 。 又 阿 彌 陀 秘 釋 に 若 悟 一 心 深 源 、 九 品 心 蓮 、 等 開 九 識 淨 心 、 證 三 憲 現 覺 、 五 佛 相 好 、 同 成 五 根 色 身 。 と あ る は 、 第 九 の 無 垢 淨 識 に 悟 人 す れ は 、 前 八 識 も 悉 く 法 爾 本 然 の 性德 を 發 現 し て 、 現 身 に 佛 位 に 昇 る こ と を 示 し た も の で あ る 。 現 身 に 佛 位 に 昇 る と は 、 改 造 さ れ た 新 人 格 の 完 成 を 意 味 す る の で あ る 。 即 ち 眞 言 密敎 で 即 身 成 佛 と は 、 之 れ を 現 代 の 人 々 に 理 解 し 得 る や う に 説 く な ら ば 人 格 の 完 成 と 云 ふ こ と ゝ 成 る と 想 ふ 。 意 志 作 用 の 如 何 に 依 つ て 、 人 格 の 改 造 は 易 く 行 は れ 得 る こ と は 、敎 育 に 從 事 す る 者 の 均 し く 承 認 す る 所 で あ る 。敎 育 は 重 に 常 識 を 標 準 と し て 人 格 の 改 造 を 爲 し て 居 る が 、 之 れ に 反 し て 宗敎 は 、 全 精神 の 願 望 を 基 本 的 標 準 と し て 人 格 の 改 造 を 企 て ゝ 居 る の で あ る と 想 ふ 。 常 識 は 時 代精神 に 順 應 し 、 生 存 の 大 義 に 勃 ら な い 樣 に 、 人 格 を 改 造 し や う と し て ゐ る が 、 宗敎 は 尚 ほ 其 上 に 一 歩 を 進 め て 、 □ 現 代 思 想 と 密 教 一 〇 九

(18)

□ 密 教 研 究 一 一 〇 人 類 と し て 正 に あ る 可 き 筈 の 全精神 の 期 待 に 滿 足 を 與 ふ る 樣 に 人 格 の 改 造 を 促 し て 行 く も の で あ る 。神 若 し く は 佛 陀 を 超 自 然 的 存 在 で あ る か の 如 く に 思 ひ 爲 さ れ て 居 つ た の は 、 寧 ろ 誤 解 で は あ る ま い か 。 人 力 の 到 底 企 及 し 難 い 超 自 然 的 の 存 在 に 自 己 を 高 め て 行 か う と 云 ふ は 室 想 に 過 ぎ な い 。 其 の 空 想 を 追 ふ こ と は 全 く 無 意 床 で あ る 。 宗敎 を し て 意 味 め ら し め る 爲 め に は神 若 し く は 佛 陀 も 、 人 類 の 企 及 し 得 る も の と 見 な け れ ば な ら な い と 思 ふ 。神 若 し く は 佛 陀 と 云 ふ 語 に は 、 歴 史 的 の 意 味 が 含 ま れ て 、 我 等 に 超 自 然 的 存 在 の 感 を 引 き 起 さ す が 此 の 事 實 が 甚 だ 面 白 し く な い 影 響 を 我 等 に 與 へ 、 宗敎 の 目 的 と す る 所 は 、 超 自 然 的 存 在 と 成 る こ と で あ り 、 隨 つ て 人 生 の 實 際 生 活 と は 、 何 等 交 渉 の 無 い も の で あ る と 云 ふ 感 想 を 一 般 に 與 へ て 居 る が 、 之 れ が 甚 だ 宜 し く 無 い 。神 を 念 じ 佛 陀 を 信 す る 我 等 の 心 が神 で も あ り 、 佛 陀 で も あ る 。 縱 令 瞬 時 間 で も 、 俯 仰 天 地 に 慚 ぢ な い 心 に 成 り 得 た 其 一 刹 那 は 、 我 等 は神 で も あ り 、 佛 陀 で も あ る 。 此 の 經 驗 を 時 々 繰 返 し 又 一 日 三 時 に 繰 り 返 す な ら ば 其 間 我 等 は 所 念 の 本 尊 の 三 昧 に 入 つ て 居 る の で あ る か ら 、 人 格 の 改 造 を 爲 し て 居 る の で あ る 。 其 改 造 を 常 恒 に 持 續 し 得 れ ば 、 我 等 は 新 人 格 の 完 成 を 得 た の で あ る 。 人 格 の 完 成 が 即 ち 顯 得 成 佛 で あ る 。 五 結 論 思 想 界 の 盛 衰消 長 は。 時 代精神 に 一 致 す る と 否 と に 依 る 。 現 代 思 想 は 純 然 た る 推 理 思 考 よ り も 、 經 驗 や 實 驗 を 極 め て 確 實 な 知 識 、 詐 り 無 き 眞 理 と 目 し て 居 る 宗敎 が 現 今 比 較 的 社 會 の 注 意 に 洩 れ て ゐ る の は 未 來 を 主 と し 、 現 在 を 輕 蔑 す る 傾 き が あ る か ら だ 。 殊 に 印 度 思 想 は 現 實 世 界 を 如 幻 如 夢 と 見 て 、 未 來 世 に 常 樂 の 世 界 を 夢 想 し て 、 居 る が 、 斯 の 如 き は 、 現 代 の 思 想 と は 掛 け 隔 た つ て ゐ る 。 經 驗 を 主 と す る 現 代 の 思 想 の 上 か ら は 、 未 來 は 第 二 と し て 先 づ 現 在 を 如 何 に 解 釋 す 可 き で あ る か 。 現 在 の 自 分 を 如 何 に し て 、 自 己 の 理 想 と す る 人 格 に 引 寄 せ て 行 く べ き で あ る か が 、 焦 眉 の 問 題 で あ る 。 現 實 の 世 界 に 對 し て賴 み 少 き 感 を 懷 い て 此 の

(19)

現 實 世 界 以 外 に 常 住 眞 實 の 世 界 を 想 像 し て 居 る が 如 き は 、 經 驗 の み が 獨 り 確 實 な も の で あ る と 認 め て ゐ る 現 代 思 想 の 立 脚 地 か ら は 、 極 め て 價 値 な き も の と 見 ら れ る の は 至 當 で は あ る ま い か 。 現 實 の 世 界 は 常 に 轉 々 化 し て 進 み 、 毫 も 定 住 す る 所 な き 一 つ の 流 れ で は あ る が 、 流 れ 行 き 流 れ 去 つ て 動 轉 極 ま り 無 い 所 が 、 諸 法 萬 有 如 實 の 相 で あ り 、 我 等 自 身 亦 復 遷 變 限 り 無 い も の で 、 其 の 限 り 無 く 進 み 、 限 り 無 く 變 り 行 く 形 相 が 、 正 に 是 れ 生 存 の 事 實 を 物 語 つ て 居 る も の で あ る と 觀 來 れ ば 、 現 實 生 活 を 厭 ふ 考 は 起 つ て 來 ま い と 思 ふ 。 動 轉 限 り 無 い 現 實 世 界 を 有 る が 儘 に 眺 め て 、 而 も 共 の 如 實 相 を 傍 觀 す る 所 に 悠 々 た る 生 の 發 動 を 認 め る 事 が 能 き る 。 現 代 の 經 驗 的 科 學 は 、 此 の 現 實 世 界 を 研 究 世 界 を 研 究 の 對 照 と し て 歩 を 進 め 、 駸 々 と し て 眼 醒 ま し い 進 歩 を 爲 し て 居 る で は 無 い か 。 此 の 現 實 世 界 が 如 幻 如 夢 で 事 實 あ る な ら ば 科 學 の 研 究 は 悉 く 徒 勞 に 終 ら な け れ ば な ら な い 筈 で あ る 。 印 度 思 想 は 科 學 上 の 知 識 と 、 梵 涅 槃 界 に 入 る 知 識 と を 全 く 別 物 と し て 取 扱 つ て 居 る が 、 眞 理 に 二 つ 無 き 以 上 は 、 經 驗 科 學 に 於 て 確 實 な 事 實 は 、精神 界 に 於 て も 均 し く 確 實 で 無 く て は な ら な い と 思 ふ 。 科 學 の 目 的 と 宗敎 の 目 的 と は 固 よ り 異 つ て は 居 る が 、 眞 理 は 何 れ に 於 て も 眞 理 で 無 く て は な ら な い 筈 だ 。 科 學 の 知 識 は 解 脱 を 得 る 役 に は 立 た な い こ と ゝ 、 眞 理 で 無 い と 云 ふ こ と ゝ は 全 く 別 で あ る 。 科 學 の 眞 理 は 宗敎 に 執 つ て は 役 立 た な く も 、 矢 張 眞 理 は 眞 理 で あ る 可 き 筈 だ 。 之 れ を 妄 想 戯 論 で あ る と し て 排 斥 す る こ と ば 少 く も 現 代 思 想 の 容 れ な い 所 で あ る 。神 も 佛 も 將 た 眞 如 法 性 も 、 現 實 世 界 に 生 存 し て 居 る 我 々 人 類 と 直 接 若 し く は 間 接 の 關 係 が あ る か ら 、 超 自 然 、 超 經 驗 の 存 在 と 認 め て 居 り な が ら も 、 止 む に 止 ま れ な い 必 要 に 迫 ら れ て 古 來 の 思 想 家 が 説 き 來 つ て 居 る の で あ る 。 故 に 吾 人 は 其 等 の 存 在 を 拒 む こ と は 能 き な い が神 や 佛 や 又 は 實 在 を 重 大 視 す る 結 果 、 現 實 世 界 を 如 幻 如 夢 と 觀 た の は ど う し て も 吾 人 に は 正 當 な 見 解 と は 受 取 ら れ な い 。 吾 人 の 經 驗 若 し く は 觀 察 は 悉 く 正 當 で あ る と 斷 定 し 得 な い と 共 に 、 又 悉 く 迷 妄 で あ る 虚 僞 で あ る と 斷 定 し 去 る こ と も 能 き な い と 想 ふ 。 密敎 外 の □ 現 代 思 想 と 密 教 一 一 一

(20)

□ 密 教 研 究 一 一 二 印 度 思 想 の 如 く に 現 實 世 界 は 徹 頭 徹 尾 虚 假 不 實 の も の で あ る と し た な ら ば 、 我 々 人 類 も 均 し く 虚 假 不 實 の も の と 成 ら な く て は な ら な い 。 一 方 に 於 て 人 生 の 虚 假 不 實 を 主 張 し な が ら 、 他 方 に 於 て 實 在 た る 梵 涅 槃 界 に 歸 入 す る こ と を 力 説 し て 居 る が そ の 歸 入 す べ き 主 躰 は 果 し て 虚 僞 の も の で は 無 か ら う か 。 歸 入 の 主 躰 が 虚 假 不 實 の も の な ら ば 所 歸 入 の 梵 涅 槃 界 も 虚 假 不 實 の も の と 成 ら な く て は な ら な い 。 之 れ に 反 し て 歸 入 の 主 躰 が 眞 實 で あ る な ら ば 、 我 人 の 躰 を 虚 假 不 實 と は 言 ふ こ と が 能 き な く な る 。 我 々 人 類 が 虚 假 不 實 で 無 い か ら は 、 現 實 世 界 を 虚 假 不 實 と 斷 定 し 得 な く な る で は な い か 。 斯 く 追 求 し 來 れ ば 密敎 前 の 印 度 思 想 は 幾 多 の 矛 盾 を 包 有 し た も の で 何 等 か の 思 想 に 依 つ て 補 は れ な け れ ば な ら な い こ と に 成 て ゐ る 。 此 の 補 足 の 役 目 を 動 め る も の は 密敎 以 外 に 何 物 も 無 い と 想 ふ 。 密敎 は 從 來 の 印 度 思 想 の 如 く に 現 實 世 界 を 虚 假 不 實 の も の と は 説 か な い 。 眞 實 智 慧 の 存 在 を 認 め る と 同 時 に 妄 念 妄 執 の 存 在 を 認 め て 居 る 。 眞 實 智 慧 即 ち 佛 知 見 を 我 等 の 大 我 と 認 め 、 此 の 大 我 の 對 象 と 成 つ て ゐ る も の が 、 眞 の 實 在 で あ る 。 妄 念 妄 執 は 彼 の 佛 知 見 に 對 し て 非 我 で あ る 。 非 我 と は 大 我 の 反 封 で 、 虚 假 不 實 の 我 を 意 味 す 。 此 の 虚 假 不 實 の 我 が 妄 想 妄 念 を 心 核 と し て ゐ る 虚 僞 の 人 格 で あ る 。 此 の 虚 僞 の 人 格 を 捨 て 去 つ て 、 眞 個 の 人 格 を 見 出 す の が 密敎 修 行 で あ る 。 入 壇 灌 頂 の 際 、 金 剛 薩 唾 を 自 身 中 に 招 入 し て 、 其 を精神 活 動 の 主 權 者 と 爲 し た る も の 、 之 れ を 吾 人 は 眞 個 の 人 格 と 呼 ぶ 。 金 剛 薩 唾 を 自 身 中 に 招 入 す る と は 事 相 上 の 談 で あ つ て 、 事 實 は 本 來 具 有 の德 を 承 認 さ す だ け の こ と て あ る 。 我 等 の 佛 知 見 (佛 知 見 と は 佛 性 の 作 用 で あ る ) は 心 内 に 潜 在 し て ゐ る 大 我 で あ る が 、 此 の 大 我 は 客 觀 界 の 實 在 に 對 應 す る 主 觀 界 の 實 在 で あ る 。 大 我 の 止 住 す る 所 、 大 我 の 作 用 の 及 ぶ 客 觀 觀 界 は 悉 く 實 在 で あ る が 、 之 れ に 反 し て 非 我 ( 虚 假 不 實 の 妄 念 妄 執 の 我 を 意 味 す ) の 止 宿 す る 所 、 及 び 非 我 の 作 用 す る 範 圍 は 悉 く 如 幻 如 夢 の 非 實 な も の で あ る 。 要 は 能 知 者 の 眞 僞 如 何 に 關 係 し て 、 實 非 實 が 判 別 さ れ る で あ る 。 佛 知 見 の 働 き は 第 八 識 に 現 は れ て 居 る が 、 佛 知

(21)

見 の 本 躰 は 第 九 無 垢 淨 識 で め る 。 此 の 無 垢 淨 識 は 一 心 眞 如 で あ り 、 法 界 心 で あ る が 、 起 信 論 で は 、 無 爲 靜 寂 の 涅 槃 の 理 と 合 致 す る こ と が 明 し て あ る だ け で 、 此 の 法 界 心 の 妙 用 靈 活 が 明 し て 無 い 。 然 る に 密敎 は 法 界 心 の 靈 活 を 明 し て 、 大 日 經 疏 第 一 に 復 次 以 種 々 法 界 色 、 染 此 無 垢 菩 提 心 、 成 大 悲 漫 茶 羅 。 ﹂ と 説 い て あ る 。 即 ち 青 黄 赤 白黑 の 五 大 の 色 を 以 て 、 自 性淸 心 の 一 法 界 心 を 染 め て 、 大 悲 漫 茶 羅 を 作 成 し て ゐ る 。 自 己 本 具 の 靈 知 を 通 じ て 、 大 悲 漫 茶 羅 を 觀 見 す る こ と が 能 き れ ば 、 我 等 は 此 に 始 め て 人 生 の 意 義 を 認 め る こ と に 成 る 。 眞 如 一 法 界 心 は 所 求 と し て 第 九 識 に 姿 を 表 は し 、 能 求 と し て は 第 八 識 に 靈 動 を 示 し て ゐ る 。 能 求 の 心 の 本 質 が 一 法 界 で あ る と 倶 に 、 所 求 の 一 心 眞 如 は 能 求 の 心 を 通 じ て 發 動 し て ゐ る 。 我 等 は淸 淨 眞 純 の 能 求 の 心 を 通 じ て 宇 宙 の 靈 化 靈 動 た る 大 悲 曼 茶 羅 を 觀 見 す る こ と が 能 き る こ と ゝ 成 つ て あ る 。 大 日 經 住 心 品 に 毘 盧 遮 那 、 一 切 身 業 一 切 語 業 、 一 切 處 、 一 切 時 、 於 有 情 界 、 宣 説 眞 言 道 句 法 ﹂ と あ り 、 聲 字 義 に は 五 大 皆 有 響 、 六 塵 悉 文 字 ﹂ と あ る こ と も 、 清 淨 眞 純 の 心 を 通 じ て 始 め て 意 義 が 表 は れ て 來 る 。 眞 言 行 者 が 此 の 境 界 に 進 み 得 た 時 に 、 茲 に 始 め て 轉 變 限 り 無 い 現 實 世 界 に 於 て 、 如 實 相 の 大 悲 曼 茶 羅 を 目 睹 し 、 本精神 の 要 望 を 滿 足 し 得 る と 同 時 に 、 無 始 無 終 永 劫 の 生 命 の 中 に 立 つ て 、 本 有 法 身 の 領 域 を 擴 げ る こ と が 能 き る と 想 ふ 。 或 る 論 者 は 密敎 を 現 象 即 實 在 説 で あ る と 言 つ て 居 る が 、 此 の 見 解 は 動 も す れ ば 、 密敎 を 誤 解 す る こ と に 成 り は す ま い か と 想 ふ 。 如 實 相 は 現 實 世 界 の 外 に 求 む べ き 筈 の も の で は 無 い が 、 迷 妄 の 雲 に 蔽 は れ て ゐ る 我 等 の 心 眼 に 映 現 す る 現 實 の 世 界 は 果 し て 如 實 相 で あ り 、 實 在 で あ る と 斷 言 し 得 る で あ ら う か 。 此 の 現 實 の 世 界 が 實 在 で あ る 以 上 は 、 最 早 我 等 の 心 眼 に 迷 妄 の 雲 が 懸 つ て ゐ る と は 見 ら れ な く な る 。 勿 論 佛 知 見 の 上 か ら 見 る な ら ば 、 我 等 も 、 又 我 等 が 經 驗 し て 居 る 現 實 世 界 も 悉 く 法 界 曼 荼 羅 で は あ ら う が 、 我 等 凡 夫 の 立 塲 か ら 見 て 居 る 現 實 の 世 界 は 、 佛 知 見 の 境 界 と は 、 其 所 に 何 等 か の 相 違 點 の あ る こ と を 許 容 し な け れ は な ら な い 。 若 し 何 等 の 相 違 も 無 い と す れ ば 、 凡 夫 と 聖 者 □ 現 代 思 想 と 密 教 一 一 三

(22)

□ 密 教 研 究 一 一 四 と の 區 別 が 立 た な く な る 。 佛 陀 の敎 化 の 必 要 も 無 く 。 轉 迷 開 悟 も 無 意 味 に 成 ら な く て は な ら な い 。 又 我 等 の 經 驗 の 主 躰 (即 ち精神 ) は 迷 妄 で あ る が 、 而 も 此 の 迷 妄 の精神 が 認 知 す る 現 實 の 世 界 は 眞 實 の も の で あ る と 言 ふ こ と は 絶 對 に 許 す こ と は 能 き な い 。 經 驗 さ れ る 世 界 は 經 驗 の 主 に し て 、 始 め て 意 義 が 現 は れ て 來 る 。 隨 つ て 經 驗 さ れ る 世 界 と 、 經 驗 の 主 と は 其 本 質 は 常 に 同 一 で あ る べ き だ 。 即 ち 眞 實 の 知 識 は 眞 實 の 世 界 を 認 知 し 、 迷 妄 の 知 識 は 迷 妄 の 世 界 を 認 知 す る こ と は 能 る が 、 眞 實 の 世 界 ( 即 ち 如 實 相 ) を 認 知 す る こ と は 能 き な い 筈 で あ る 。 隨 て 迷 妄 の 我 等 が 認 知 す る 現 實 の 世 界 は 如 實 相 で は 無 い と 云 ふ 事 に な る 。 我 等 人 類 に 迷 妄 あ り と の 前 提 を 許 す 以 上 は 、 我 等 の 經 驗 世 界 (現 實 世 界 ) は 矢 張 迷 妄 の 世 界 で あ る と し な く て は な る ま い と 想 ふ 。 吾 人 の 此 の 見 解 か ら は 、 當 相 即 道 、 即 ち 現 象 即 實 在 の 説 は 立 た 無 い こ と に な る か ら 密 教 も 印 度 思 想 の 舊 套 を 脱 し 得 な い 樣 に 見 え て 、 不 滿 足 に 感 す る 人 が あ る か も 知 ら な い が 、 而 も 此 點 が 我 等 の 主 觀 態 度 を 改 め る と 云 ふ 所 に 深 い 意 味 が あ る だ ら う か ら 此 の 點 を 味 つ て 行 く 所 に 、 密敎 修 行 の 意 義 が 表 は れ て 來 る と 想 ふ 。 吾 人 の 見 解 か ら は 、 現 象 即 實 在 と は 徹 頭 徹 尾 修 生 修 顯 の 事 實 で あ る と 信 す る 。 凡 夫 の 位 置 に あ る 我 々 人 類 と し て は 、 自 身 に 改 造 す べ き 缺 點 の あ る と 同 時 に 、 吾 人 が 今 現 に畫 い て ゐ る 理 想 も 、 眞 知 見 が 漸 次 發 現 し て 來 る と 倶 に 、 斷 え ず 修 正 を 加 へ て 進 ま な く て は な ら な い と 想 ふ 。 之 れ が 世 間 の 謂 ゆ る 修 養 で あ る が 、 貪 瞋 邪 見 を 一 掃 し て 、 悲 智 の 二德 を精神 活 動 の 根 本 的 動 機 と 爲 す に は 、 宗敎 的 儀 相 に 依 る 必 要 が あ る 。 此 の 目 的 に 向 つ て 作 ら れ た る も の が 、 例 の 灌 頂 で あ る と 想 は れ る 。 現 在 及 び 將 來 に 亘 つ て 、 密敎 の 生 命 と す る 所 は 高 遠 な 哲 理 で も 無 く 、 加 持 祈 壽 で も 無 く 、 眞 に 密敎 の敎 理 を 躰 驗 し 、益 々 人 格 の 改 造 を 持 續 し て 、 本精神 の 要 望 を 滿 足 す る こ と で あ る と 信 ず る 。

参照

関連したドキュメント

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

III.2 Polynomial majorants and minorants for the Heaviside indicator function 78 III.3 Polynomial majorants and minorants for the stop-loss function 79 III.4 The

191 IV.5.1 Analytical structure of the stop-loss ordered minimal distribution 191 IV.5.2 Comparisons with the Chebyshev-Markov extremal random variables 194 IV.5.3 Small

奥村 綱雄 教授 金融論、マクロ経済学、計量経済学 木崎 翠 教授 中国経済、中国企業システム、政府と市場 佐藤 清隆 教授 為替レート、国際金融の実証研究.

海洋技術環境学専攻 教 授 委 員 林  昌奎 生産技術研究所 機械・生体系部門 教 授 委 員 歌田 久司 地震研究所 海半球観測研究センター

[r]

[r]