多角化戦略の動機とその経済的帰結に関する 既存研究の検討
☆中 岡 孝 剛 ・ 上小城 伸 幸
要旨 事業の多角化は企業が持続的に成長する上で,重要な戦略となっている。経営戦略や コーポレート・ファイナンスの分野で,多くの研究が蓄積されている。しかし,多角化が企 業のパフォーマンスにもたらす影響である多角化効果については依然として合意が形成され ていない。本研究では企業が多角化戦略を採用する動機について整理を行い,多角化効果が 生じる背景について明確にする。また,多角化戦略の経済的な帰結について整理を行い,多 角化効果の中身について議論を行う。
キーワード 多角化戦略,企業価値,経済成果,事業の関連性 原稿受理日 2017年2月2日
Abstract Diversifying the business is a vital strategy for companies to achieve sustainable growth. There exist enormous papers which are investigated the whether the corporate diversification effects on the performance. However, it remains controversial. The purpose of this paper is to summarize the motives for the diversification from the view point of the theory of management strategy and corporate finance. This may be allowed us to clarify the background of the economic consequences resulted from the diversification.
Key words Diversification strategy, Firm value, Economic performance, Business relatedness
☆ 本研究は JSPS 科研費 JP25380461,JP26380345 の助成を受けたものである。また,コーポ レート・ファイナンスの観点から記述した内容については,中岡が SMBC 日興証券株式会社産 業調査部と実施した共同研究にもとに加筆修正したものである。
1.は じ め に
1.1 多角化の基本原理とその現状
Google が分社化し,持ち株会社として Alphabet の設立を発表したことは記憶に新し い。これによって複合化した Google の事業をインターネットサービスに集中することが でき,経営の効率化を図れるという。Google は中軸のインターネット事業だけではなく,
ライフサイエンスなどの中核事業とは関連しないような事業に対して積極的に投資を行っ ており,野心的な事業を複数保有する多角化企業である。また,我が国においても2015年 に上場した日本郵政の評価において多角化が議論になった。
企業の多角化(Corporate diversification)は Google のような野心的な事業を展開す る企業や日本郵政のような巨大企業グループだけの話ではない。一般論として,多角化 は企業の発展成長プロセスと密接に関係している。参入から時間が経ち,競争原理によっ て既存のコア事業の利益率が低下すると,企業は成長が期待できる有望な事業分野の発掘 を行う。そして,その事業に投資を行い成功すれば,新たな収入源を獲得する。このプロ セスは幾度となく繰り返され,次第に企業の事業構造は多角化していくことになる。すな わち,多角化自体は企業が持続的に成長していくうえで重要な経営戦略であり,企業が成 熟するにつれて,事業の多角化は進展することになる(Gomes and Livdan, 2004)。ま た,この一連の成長プロセスにおいて,既存事業で培ったノウハウの活用や間接部門の共 有による費用削減,そして事業リスクの分散化などのシナジー効果も期待でき,経営者が 多角化を志向する誘因は大きい。
一方で,多角化が非効率な経営を生じさせ,企業価値を低下させるという見方もある。
すなわち,多角化企業は一つの分野にしか参入していない専業企業に比べて,株式市場か ら低く評価されているという現象である。これは多角化ディスカウント(Diversification discount あるいは Conglomerate discount)と呼ばれている。ディスカウントが生じる
多角化(Diversification)とコングロマリット(Conglomerate)は同義の用語として利用さ れている。両者に明確な区別はないが,多角化は事業ポートフォリオの多様化の意味合いが強く,
コングロマリットは持株会社化などの組織形態の複合化を意味することが多い。例えば,Google は分社化をして持株会社を設立したが,これは多角化企業からコングロマリット企業へと変化し たと解釈することができる。また,別の視点では,米国における1960年代の多角化ブームで形成 された複合企業を“コングロマリット”と呼んだ経緯がある。いずれにしても,多角化とコング ロマリットとの違いは曖昧である。そこで,本論文では混乱を避けるため,多角化で統一する。
Gomes and Livdan(2004)の動学モデルからは最適な多角化水準は企業年齢の増加関数とし て導出されている。
理論的な要因として,経営者と投資家の間や企業組織内で生じるエージェンシー問題,そ して投資家のミスバリュエーションなどがあげられる。日本の学界や実務界では,米国で の実証結果をもとにして,多角化ディスカウントが存在するという合意が形成されている ように思われる。
過去を振り返ってみると,我が国企業は経済の成熟と同時に多角化を推し進めてきた。
上野(2005)の研究によると,日本企業(特に大企業)は1960年から1990年代初頭にかけ て一貫して多角化を進展させている。その後1990年初頭のバブル崩壊を契機に,事業の集 中化策(いわゆる事業の選択と集中のブーム)がとられた結果,一旦は多角化路線が修正 されるが,長期的なトレンドとして事業の多角化は進展する傾向にある。
この点を確認するために,本研究では可能な限り長期的なデータが利用可能で,かつ当 該期間で整合的な多角化度合いの指標を用いてその変遷を確認したい。一般的に多角化度 合いにはセグメント情報を用いた指標(セグメント数やセグメント売上高のハーフィン ダールインデックス)が利用される。しかし,我が国においてセグメント情報の開示が本 格的になされたのは2000年以降であるため,セグメント情報を利用した長期的な多角化度 合の変遷を確認することができない。
そこで本研究では連結子会社数と,連結決算と単体決算の子会社従業員比率(以下,連 結子会社従業員比率)を多角化度合いの代理変数として用いてその変遷を確認したい。前 者は企業が新たな事業に参入するときには別会社,すなわち子会社を設立して参入すると いった行動から多角化度合を捉えている。一方後者は連結子会社が企業全体に占めるウェ イトを算出することができ,連結子会社の重要性(すなわち,多角化の進展度)について も把握することが可能である(花崎・松下,2014;Ushijima, 2015)。連結子会社従業員 比率は以下式で算出される。
1990年後半には事業の「選択と集中」がブームになるが,上野(2005)や花崎・松下(2014)
のデータによると,多角化は安定的に進展している。Kikutani et al.(2007)は「企業活動基本 調査」のデータを用いて,1990年代における日本企業は新事業への参入と退出が同時に実施して いることを発見しているが,結果として,経済全体では多角化が進展していたといえる。
従業員数ではなく,総資産額や売上高を用いて上記式の比率を算出することも可能であるが,
Ushijima(2015)が指摘しているように,これらの情報を用いた場合には,連結子会社の重要性 を過小に見積もる可能性がある。たとえば,連結子会社間で取引があった場合,その売上高は相 殺されるため,売上高を用いた式の比率の算出は過小に連結子会社の重要性を評価することに なる。ただし,これらを用いた場合でも,以下で得られる結果ならびに含意に違いは生じない。
本論文では長期的なデータが利用可能で,かつ当該期間で整合的な多角化度合いの指標を用い るという目的から,連結子会社数と連結子会社従業員比率を多角化度合いの代理変数として採用 している。しかし,子会社の設立の多くが新たな事業に新規参入を行う目的ではなく,他の動機 で生じている場合にはこれらの代理変数は適切ではない。例えば,バブル崩壊以降,人件費の削 減を目的とした子会社化や事業の売却を目的とした純粋持ち株会社化が行われたとの指摘がある が,この動機が子会社設立の支配的な動機であるならば,本論文で用いた代理変数は不適切であ る。その意味で,本論文で利用する多角化指標には限界がある。
連結子会社従業員比率 = , =1, 2, ...,
以下の図1は1985年度から2014年度までの連結子会社数の年度平均値と中央値の推移を 示している。明らかなように,1990年代前半のバブル崩壊後や2000年代前半の IT バブル 後,そして2008年からの数年間のリーマンショック後は連結子会社数が横ばいあるいは微 減となっているが,過去30年で連結子会社数は持続的に増加する傾向がみられる。平均値
(または中央値)で見ると,過去30年で連結子会社数は6.2(5.0)倍になっており,多角化 が持続的に進展してきたと解釈できる。
図2は式で算出された連結子会社従業員比率である。この図からも明らかなように,
親会社以外の連結子会社のウェイトが上昇しており,連結子会社の重要性が高まってきて いることが示されている。過去30年で連結子会社従業員比率は平均値(または中央値)で 2.3(2.8)倍に上昇しており, この多角化度合いの指標からも我が国企業は持続的に多角
化を進展させてきたことが示唆されている。
連結決算の従業員数 -単独決算の従業員数 連結決算の従業員数
図1.連結子会社数の推移―1985年度から2014年度―
注1:分析対象企業は【1】連結決算情報の取得が可能であり,かつ1985年から2014年までの30年間継 続して上場している企業(625社)である。
注2:図中の平均値ならびに中央値は各年度(たとえば,2014年度は2014年4月から2015年3月まで)
で算出している。
1.2 本研究の目的と構成
近年,米国における多角化の実証研究では,分析に用いるデータの不備や検証における 統計学上の問題(内生性の問題)などが指摘されるようになった。これらの問題を考慮す ると,多角化ディスカウントは存在しないか,あるいは多角化企業が専業企業よりも高く 株式市場で評価されている状態,すなわち“多角化プレミアム”が存在するという結果が 報告されている。これらの結果を受けて,米国においては多角化ディスカウントに対する 合意が崩れつつある。
いまや,米国の実証結果をもとにして形成された我が国の合意も頑健ではなく,我が国 のデータを用いた検証の蓄積によって新たな合意を形成する必要がある。数は少ないが,
我が国においても多角化が企業価値に与える影響について検証した論文が発表されており,
多角化ディスカウントが存在するという結果を示すものが多い(平元,2002;梅内,2009;
中野,2011;花崎・松下,2014;牛島,2015;Ushijima, 2015;その他)。しかし,多角 化指標の作成に必要なセグメントデータが整備され,満足に利用可能になったのは2000年 以降であり,大規模なデータを用いた検証は端緒についたところである。検証すべき課題 は多く,合意形成のためには一層の研究蓄積が必要である。
政策的な観点からも,多角化が企業のパフォーマンスに及ぼす影響を概観することが重 要である。経済産業省による「持続的成長への競争力とインセンティブ ~企業と投資家の
図2.連結子会社従業員比率の推移―1985年度から2014年度―
注1:分析対象企業は,連結決算情報の取得が可能であり,かつ1985年から2014年までの30年間継続 して上場している企業(625社)である。
注2:図中の平均値ならびに中央値は各年度(たとえば,2014年度は2014年4月から2015年3月まで)
で算出している。
望ましい関係構築~」プロジェクトの最終報告書(いわゆる伊藤レポート)では,上場企 業のパフォーマンスハードルとして8%以上の ROE を目標値として掲げられている。
持続的に目標値を達成するためには,産業構造の変化や景気のダイナミズムに対応して,
事業ポートフォリオの見直し(すなわち,新規事業への参入と既存事業の退出)を行うこ とが必要である。その際に,多角化した企業が市場からどのように評価(ディスカウント されるかプレミアムが付与されるか)されるかは重要なベンチマークになり得る。
前述のように,多角化は必ずしも企業のパフォーマンスに対して負の影響を与えるもの ではない。したがって,本論文では,正の影響を与える可能性もあることを強調して,多 角化が企業パフォーマンス(すなわち,企業価値)に及ぼす影響を“多角化効果(Diver- sification effect)”と呼ぶことにする。多角化効果が生じる背景には,企業の多角化に対 する動機や多角化の経済的な帰結(すなわち,多角化のベネフィットとコスト)が影響し ており,多角化効果の定量的な結果を適切に解釈するためには,これらを十分に理解して おく必要がある。そこで本論文では,企業がなぜ多角化を実施するのかの動機と多角化の 経済的な帰結について,米国を中心とした先行研究のサーベイ調査によって整理したい。
多角化の研究は非常に多様であり,大別してコーポレート・ファイナンス理論と経営戦 略理論からのアプローチがある。コーポレート・ファイナンスのアプローチは, 投資家 と経営者のプリンシパル・エージェント関係から,多角化戦略が企業価値にどのような影 響を及ぼすのかを分析しているのに対して,経営戦略理論のアプローチは,企業自身の収 益性や成長性などの経営成果が多角化戦略とどのような関係があるのかについて焦点をあ てて分析している。収益性や成長性の向上が企業価値の最大化と強く結びついていること から明らかなように,これらのアプローチは相反するものではなく,互いに関連しており,
多角化戦略の研究は学際的な色彩が強いテーマであるといえる。両者を合わせた先行研究 は無数に存在しており,これらを一つのフレームワークで整理することは容易ではない。
しかし,本研究では可能な限り両者の整合性を保ちながら,先行研究のサーベイ調査を行
すでに多角化が企業パフォーマンスに与える影響について Martin and Sayrak(2003)と Erdorf et al.(2013)はサーベイ論文を発表している。Martin and Sayrak(2003)は少し古 いが,多角化ディスカウントに対する合意形成の系譜を指摘している点で優れている。 Erdorf et al.(2013)は Martin and Sayrak(2003)のサーベイ論文のアップデートを試みている。本 論文の構成はこれらの論文に負うところが大きい。この他にも,Villalonga(2003)は多角化研 究に携わる著名な研究者16名との対話型のラウンドテーブル形式でこれまでの多角化研究の整理 と今後の課題について刺激的な議論を行っている。
多角化には事業の多角化と地理的な多角化(Geographic diversification)がある。本論文内 で単に多角化と表現した場合には前者を意味する。地理的な多角化の研究は金融機関を対象とし た研究は複数存在しているが,一般事業会社については蓄積が進んでおらず, 発展途上の研究 テーマである。
い,多角化戦略の動機とその功罪について包括的な整理を試みる。
本論文の構成は以下のとおりである。第2節では多角化行動の動機を3つの視点から整 理する。第3節では,多角化の経済的帰結,すなわちその功罪について整理を行う。そし て第4節で本論文のまとめと課題を述べる。
2.多 角 化 の 動 機
前節では,我が国企業が持続的に多角化を進展させてきたことを先行研究の結果を踏ま えて再確認した。我が国企業は何らかの動機によって多角化を進展させてきている。本節 では「なぜ企業は多角化するのか」といった多角化の動機に関する理論的な側面を中心に 整理を行う。
さて,モジリアーニ-ミラーが仮定したような完全な資本市場においては,多角化効果は 発生しない。投資家(株主と銀行などの債権者)からの視点では,投資家自身が容易に ポートフォリオを分散化できるため,企業の事業が多角化することによるリスク分散効果 は小さいか,あるいは十分に分散化したポートフォリオを保有する投資家にとっては無価 値である。言い換えれば,リスク分散化効果という観点から見た場合,多角化は資本コス トに影響しないということである。したがって,完全な資本市場が成立している状況おい て,投資家からの視点では多角化を行う動機を見出すことはできない。
しかし,現実的な資本市場は不完全であり,多くの実証研究が多角化指向のM&Aや事 業のスピンアウト(あるいはスピンオフ)を実施した場合には株価が変動すること(Comment and Jarrell, 1995;Beger and Ofek, 1999;Akbulut and Matsusaka., 2010など)や資 本調達コストが変化すること(Hann et al., 2013; Sarkar, 2014;Aivazian et al., 2015 など)を報告している。したがって,投資家は企業の多角化行動を評価しており,企業は そのような評価に対して多角化を行う動機を保有していると考えられる。以下で詳しく説 明するように,経営者と投資家との間に情報の非対称性が存在し,経営者に私的便益を獲 得する機会があるならば,企業価値を最大化するように多角化を行うとは限らないことが 知られている。
まず,企業価値の関係式を用いて多角化効果を簡単に整理しておきたい。今, 個の業 種が異なる事業 があるとき,多角化効果 (Diversification Effect)は
となる。ここで, は企業価値を算出する関数であり,事業 から創出されるキャッ シュフロー の資本コスト による割引現在価値を示している。また,関数 は 企業としての境界 (firm boundaries) を規定するものである。したがって,
は業種が異なる 企業の仮想的な複合体であると考えることができる。 が負のときは,
多角化ディスカウントが生じており,正のときは多角化プレミアムが生じていることを意 味する。また, がゼロの場合は多角化効果が存在しないことを意味する。
企業は必ずしも式が正になるような多角化行動をとるとは限らない。すなわち,企業 は企業価値の最大化の原則から逸脱して,多角化を行うことが知られている。Montgomery
(1994)は企業が事業の多角化を行う動機として,【1】エージェンシービュー( Agency view)に基づく動機,【2】マーケットパワービュー(Market power view),そして【3】
リソースビュー(Resource view)に基づく動機に基づく動機の3つを挙げている。以下 で詳しく見るように,これらのうち【1】のエージェンシービューに基づく動機は,コーポ レート・ファイナンスの観点から企業価値の最大化を意図しない多角化行動を説明する動 機であり,【2】のマーケットパワービューと【3】のリソースビューに基づく動機は,経営 戦略の観点から収益性や成長性などの経営成果の向上を意図した多角化行動を説明する動 機であると考えられる。以下,これら3つの動機について古典的な研究を取り上げなが ら,詳しく見て行きたい。
2.1 エージェンシービューに基づく動機
経営と所有が分離し,経営者(エージェント)と株主(プリンシパル)との間で情報の
Erdorf et al.(2013)はこれらの動機に加えて,内部資本市場理論(Internal capital markets theory)に基づく動機,負債の共同保険効果(Debt coinsurance effect)に基づく動機,価値 最大化モデル(Value-maximization model)に基づく動機と企業のリフォーカシング理論(Cor- porate refocusing theory)に基づく動機を提示している。内部資本市場理論に基づく動機につ いては,企業価値の最大化を意図する場合とそうでない場合の多角化行動を説明する動機であり,
一概にディスカウントを招く動機であるのかプレミアムを招く動機であるのか判断できない。一 方,負債の共同保険効果に基づく動機については,節税効果によって企業価値の最大化を意図し た多角化行動の動機である。これらはいずれも資金調達にかかわる動機であるが,多角化を行う 積極的な理由になるとは考えにくく,あくまでも多角化の結果生じるベネフィットを強調して動 機としているにすぎない。
価値最大化モデル(Value-maximization model)に基づく動機と企業のリフォーカシング理 論(Corporate refocusing theory)については,前者は Montgomery(1994)が提示してい るリソースビューと同じであり,後者はエージェンシービューに基づく動機に含まれているため,
本論文では説明を割愛している。
リソースビューは J. バーニーによって提唱された経営戦略理論であるリソース・ベースド・
ビュー(Resource Based View)と同義である(Wan et al., 2011を参照)。コーポレート・ファ イナンスの観点からは,企業が保有する能力や設備を所与として,企業価値の最大化を行うべく 投資を実施すると解釈することができる。これは多角化動機のリソースビューに他ならない。
非対称性が存在しているもとでは,経営者は株主の利益を犠牲にして利己的な行動をとる ことが知られている。いわゆるエージェンシー問題である。エージェンシービューに基づ く動機は,事業の多角化を経営者の利己的な行動の一つとして捉えている。
具体的な経営者の多角化を行う動機として先行研究では次の3つが示されている。第一 に,経営者の報酬や権力の増加を目的とした多角化の動機である(Jensen, 1986;Jensen and Murphy, 1990;Stulz, 1990)。経営者による報酬や権力の増加を目的とした多角化行 動は帝国建設(Empire building)と呼ばれており,経営者によるフリーキャッシュフロー の非効率な投資が背景にある。Mueller(1969)や Jensen(1986)が指摘しているよう に,多角化を意図した買収は経営者による帝国建設の手段になりやすい。
そして第二に,経営者の保身を目的とした多角化の動機である(Shleifer and Vishny, 1989)。経営者は自身の能力を必要とする事業に参入することで, 企業の業績を自身の能
力に結び付けることができる。これによって,経営者は自身のポジションを確固たるもの にする。そして第三は,個人的な雇用リスクの分散化を目的とした多角化行動の動機であ る(Amihud and Lev, 1981)。前述のように,投資家は自身のポートフォリオを容易に多 角化できリスク分散を図ることができるが,経営者が自身の雇用リスクを分散化すること は容易ではない。しかし,一般的に,経営者の雇用リスクは企業のリスクと密接に関係し ており,言い換えれば,経営者は企業のリスクを分散化することで自身の雇用リスクを低 減することが可能になる。すなわち,経営者は事業を多角化することで,自身の雇用リス クを低減させる。
Mueller(1972)が指摘しているように,経営者の利己的な多角化行動は成長著しい草 創期の企業ではなく,過去の革新的な努力によって潤沢なキャッシュフローを生む事業を 保有するが成長機会の乏しい成熟した企業で生じやすいと考えられる。また,このような 経営者による利己的な多角化行動は,企業価値の最大化を意図したものではなく,経営者 の私的利益最大化を意図したものであり,最適な水準を逸脱して多角化が行われる。した がって,エージェンシービューに基づく動機による多角化行動は企業価値の低下を生じさ せる。
2.2 マーケットパワービューに基づく動機
マーケットパワービューに基づく動機は,多角化が競走圧力の低下効果を持つことに着 目した動機である。このような多角化に起因するマーケットパワーを Hill(1985)は多角 化パワー(Conglomerate power)と呼んでいる。すなわち,マーケットパワービューに
基づく動機は,多角化パワーの保持を目的とした多角化行動をとらえている。
Montgomery(1994)は多角化パワーが生まれる源泉として,内部補助による略奪的 価格設定行動(Deep-pocket cross subsidization),相互自制(Mutual forbearance), そして互恵的購入(Reciprocal buying)の3つを挙げている。まず,内部補助による 略奪的価格設定行動は,内部資本市場を利用して競争相手に市場への参入を躊躇あるいは 退出させるような価格を設定することである。合理的でない価格設定は当該事業の利益を 低下させるが,他の事業の利益によって補完される(いわゆる“ディープポケット”の存 在)ため,このような利益の低下を生む価格設定が正当化される。
次に相互自制は,競合している市場が一つでない場合に生じる戦略的行動であり,複数 の市場で競合している場合には競争圧力が低下する現象のことである。今,多角化企業A とBが産業JとKで競合しているとしよう。多角化企業Aが産業Jで破壊的な価格設定を 行った場合,多角化企業Bは報復として産業Kで破壊的な価格設定を実施すると予想され る。このような多角化企業Bの報復行動を予想した多角化企業Aは,産業Jでの破壊的な 価格設定を躊躇すると考えられる。この戦略的状況は多角化企業Bについても同じであり,
結果として両者は互いに行動を起こさず競争圧力は低下する(Scott, 1982;Bernheim and Whinsoton, 1990)。
最後に互恵的購入は, 多角化した企業同士が財・サービスを相互に購入し合うことに よって,企業の新規参入を抑止する行動のことである。前述の例を用いて説明すると,多 角化企業Aの産業Jの財・サービスを多角化企業Bが購入する一方で,多角化企業Bの産 業Kの財。サービスを多角化企業Aが購入するといった相互売買のことである。両者によ る相互売買は新規参入を抑制し,各財・サービスにおける市場参加者が固定化される。結 果として競争圧力は低下する。
多角化パワーは上記3つの戦略的な行動を通じて,市場における競争圧力は低下させ,
市場の集中度を高くさせる。したがって,多角化企業は超過利潤を獲得することができ,
マーケットパワービューに基づく動機に従うと,多角化行動は企業価値に正の影響を与え ると考えられ,企業価値の最大化を意図した多角化の動機であると考えられる。マーケッ トパワービューに基づく動機は,コーポレート・ファイナンスの理論とはやや視点が異な るが,競争と利潤の関係という経済学における根本的な問題を多角化行動で説明しようと している点で非常に興味深い。しかし,マーケットパワービューに基づく多角化行動につ いては実証研究が蓄積されておらず,解明は進んでない。
2.3 リソースビューに基づく動機
前述のエージェンシービューは企業価値の最大化を意図しない多角化行動を説明する動 機であった。次に紹介するリソースビューに基づく動機は,マーケットパワービューに基 づく動機と同様に,企業価値の最大化を意図した多角化行動を説明する動機である。また,
リソースビューは Penrose(1959)の研究をベースに派生した多角化の動機であり,均衡 状態を分析する伝統的な経済学の理論とは異なっている。すなわち,企業は同質的ではな く,異質的な存在として取り扱われており,均衡状態よりも企業の成長過程に焦点を当て る。
Penrose(1959)は,企業内部に自然発生的に生じる生産要素を有効に利用しようとす る結果として企業は多角化を行うと主張している。具体的には,企業の内部では,日常的 な経営活動を通じて経営資源のあらゆる部分で,既存の事業活動では使い切ることのでき ない未利用な資源が作り出されている。この絶えず生み出されている未利用資源の存在こ そが企業成長の源泉であり,企業が多角化を行う源泉となる。すなわち,同(1959)は多 角化を伴う企業成長のメカニズムを未利用資源の活用という観点から解明しようとした。
他方,時を同じくして,Chandler も,複数事例の比較という歴史研究方法を通じて,
企業が多角化を行うメカニズムを解明した( Chandler, 1962;島本,2015)。Chandler
(1962)は,第一次世界大戦前後のデュポンの企業行動に注目し,同社の多角化プロセス を余剰設備や人員の活用,すなわち未利用資源の活用の観点からデュポンの多角化行動を 説明している。
これら Penrose や Chandler の研究は,多角化の動機を,範囲の経済,すなわち経営 資源の有効活用という観点から解明したリソースビュー研究の先駆けであった。その後,
第2次大戦後の多くのアメリカ企業が大規模化する過程の中で多角化企業になるプロセス が観察され,次第に事業の多角化と経営成果との関係が注目されるようになった。それが,
Rumelt(1974)に代表される多角化戦略と経営成果との関係を実証した研究である。同
(1974)は,企業戦略を定量及び定性的な基準から,【1】単一事業( single business ),
【2】抑制的主力事業(dominant constrained),【3】垂直的主力事業(dominant vertical),
【4】連鎖的主力事業(dominant linked),【5】非関連的主力事業(dominant unrelated),
【6】抑制的関連事業(related constrained),【7】連鎖的関連事業(related constrained),
【8】非関連事業(unrelated business),そして【9】コングロマリット(conglomerate)
の9つのタイプに分類し,この9つのタイプの企業戦略と経営成果との関係を実証分析し た。その結果,同(1974)は,関連する事業の大部分において研究開発やオペレーション,
マーケティング等の経営資源を共有する【6】抑制的関連事業を行う多角化戦略の経営成 果が他の企業戦略よりも高くなることを発見し,経営資源の多重利用が経営成果を高める ことを証明した。その後多くの研究が同(1974)による主張の追試を行い,同様の結論を 導きだしている(Christensen and Montgomery 1981;Varadarajan and Ramanujam 1987;Palich et al. 2000)。
また,上記の Rumelt(1974)の研究を基に,日本でも吉原他(1981)が日本企業にお ける多角化戦略と経営成果との関係の実証分析を行った。同(1981)は Rumelt が提唱し た多角化の分類方法と類似の方法を用い,アメリカと同じく,関連分野型多角化と経営成 果との関係,とりわけ収益性との正の関係を発見し,日本でも経営資源の有効活用による 正の多角化効果が報告されている。
さらに,Montgomery らや Wernerfelt らは,多角化企業の収益の源泉となる経営資 源の特殊性および非特殊性と限界レントとの関係に注目し,多角化戦略研究に RBV(リ ソースベーストビュー)の観点を導入し,価値が高く,模倣不可能な経営資源に基づく関 連型多角化戦略が持続的な競争優位になりうると主張していった(Montgomery and Werner- felt, 1988;Wernerfelt and Montgomery, 1988)。
リソースビューによると,企業内に存在する超過生産要素(例えば,設備や人材,ノウ ハウの無形資産など),すなわち資源(Resource)が多角化の動機を生むとしている。利 潤獲得を求める企業は,新たな事業に参入することで利潤を獲得できる限り余剰資源を投 入するため,その結果として企業の多角化が進展することになる。Matsusaka(2001)は リソースビューに基づいた理論モデルによって,組織の能力(すなわち,言い換えれば資 源)に適合する事業を模索する過程において多角化が生じることを発見している。また,
同(2001)による理論モデルは,このような事業のマッチング過程は事前には企業価値の 最大化を目的とした戦略になっているが,事後的にはマッチングの失敗によって,負の多 角化効果,すなわち多角化ディスカウントが生じる可能性があることも示している。した がって,リソースビューに従えば,多角化戦略自体は企業価値最大化の原則に反しないが,
企業価値に与える影響は自明ではなく,実証的な研究が必要な分野と言えよう。
しかし,これらの研究と同時に,アメリカでは,既存研究で実証された多角化と経営成 果の正の関係を支持するものだけでなく,逆に負の関係を示すもの,また関係が見いだせ
限界レントとは,ある資源1単位が生み出すレントのことである。希少な資源を保有する経営 者はその比較優位性によってレントを享受できる。いわゆるリカーディアン・レントと同義であ る。
ないものなど,後の実証研究によって多角化戦略と経営成果との関係は限定的と考えられ るようになった(Collis and Montgomery, 1998;Barney, 2002)。たとえば,リソース ビューは余剰な資源を市場で売却できないといういわゆる“市場の失敗”が存在すること と(Teece, 1980,1982),事業が組織の能力に適合するか否かは事業に参入して経験しな ければ明らかにならないという暗黙の仮定をおいている。これらの仮定が満たされない場 合にはリソースビューによる多角化の動機は妥当ではなく,説明力が失われる点に注意が 必要である。
前者の市場の失敗が存在するという仮定は,資源の特殊性を鑑みると非現実的な仮定で はない。たとえば,物的な有形資源ではなく,無形資源(ノウハウや技術など)の場合に はこれらの価値を適切に評価することは難しい。また,適切に評価できたとしても,無形 資源は組織の中に深く組み込まれており,購入した企業の組織内でうまく機能するとは限 らない。一方,後者の適合の是非は経験することでしか明らかにならないという仮定はや や非現実的である。たとえば,多角化がコア事業と関連する事業(関連分野型多角化)で ある場合であっても,適合の是非を明らかにするためには当該事業に参入して経験を積ま なければならないということになる。したがって,リソースビューでは,関連分野型多角 化を十分に説明できないと考えられる。
さらに,今日,多角化の程度を測定手法だけでなく,統計分析の方法論自体にも批判が 加えられるようになり,多角化戦略の経営成果に対する影響は限定的なものとなっている。
しかしながら,いまなお多角化戦略と経営成果との関係については多くの研究がおこなわ れている(Purkayastha et al. 2012)。
多角化行動の動機として3つの動機を取り上げたが,現在までの研究を概観すると,
エージェンシービューに基づく動機が最も有力視されている。マーケットパワービューや リソースビューに基づく動機はそれら自体の理論的な重要性は劣らない。しかし,検証に 必要なデータの制約を理由に十分なサポートが得られていないというのが現状である。
リソースビューに基づく多角化の動機を定量的に検証するためには,企業内に存在する超過生 産要素を測定する必要がある。この測定は容易ではないが,一つの方法として生産性分析におけ る企業の組織内スラック(Organizational slack)の概念を利用するという試みが一部の研究で 行われている(Chen et al., 2013)。
3.多角化のベネフィットとコスト
前節では,理論研究をベースにして多角化行動の動機について整理を行った。しかし,
これらの動機は主として“多角化を行うか否か”についての説明を与えてくれるものであ り,その経済的な帰結として“何を生むか”すなわち多角化効果について明確な説明を与 えるものではない。そこで本節では,多角化によって生じるベネフィットとコストに焦点 を当てて整理を行いたい。以下の図3は本節の内容をまとめたものである。多角化効果は,
多角化の経済的なベネフィットとコストのトレードオフで決定されると考えられる。
3.1 ベネフィット
多角化によるベネフィットとして,これまでの研究では【1】範囲の経済性,【2】内部市 場の活用,そして【3】情報優位性の獲得の3つが指摘されている。一つ目の範囲の経済性 は伝統的に多角化によって得られる経済的ベネフィットとして議論されてきたものであり,
いわゆるシナジー効果(あるいは相乗効果)と呼ばれるものである。米国における1960年 代の多角化ブームは範囲の経済性の享受を目論んでいたといわれている(Servaes, 1996;
Hubbard and Palia, 1999)。多角化の動機と照らし合わせると,範囲の経済性はリソース ビューによる多角化行動の結果として生じる帰結である。
二つ目の内部市場の活用は,内部資本市場と内部労働市場の活用に分けられる。内部資 図3.多角化の経済的なベネフィットとコストのトレードオフ
注1:筆者が作成。
本市場の活用は,内部資本を事業間で配分することで効率的な投資を達成することである。
また,情報の非対称性などにより外部資金調達コストが高い場合には,内部資本市場を活 用することで,資金調達を効率化することが可能になる。内部労働市場の活用は Tate and Yang(2015)の研究で発見された多角化のベネフィットであり,人的資源の効率的な配 分が事業間で可能になるというものである。そして,三つ目の情報優位性の獲得について も,Anjos and Fracacssi(2015)の最新の実証研究によって発見された多角化のベネ フィットである。これは複数の事業を行うことによって,各事業の情報(特に数値化でき ないようなソフトな情報)が企業内に蓄積され,研究開発活動において優位性を確保でき るというものである。以下では,これら3つのベネフィットについて詳しく見ていきたい。
3.1.1 範囲の経済性:シナジー効果
最も基本的な多角化のベネフィットとして,範囲の経済性(Economies of scope)があ げられる(Panzar and Willig, 1981)。いわゆる多角化によるシナジー効果の獲得である。
多角化によって享受できるシナジー効果は,大きく分けて①コストシナジーと②財務シナ ジーがある。コストシナジーは複数事業間における間接部門の共有やノウハウの相互活用,
新事業との兼業による新たな顧客層の獲得などによって生じる費用の削減効果のことであ り(Teece, 1980),企業が創出するキャッシュフローに影響を及ぼすシナジー効果である。
すなわち,前述の式における に影響を与えるシナジー効果である。
一方,財務シナジーは複数事業を行うことによるキャッシュフローのリスク分散効果の ことである。このキャッシュフローのリスク分散によって,借入余力の拡大やそれによる 節税効果の拡大が期待できる(Lewellen, 1971;Graham and Smith,1999;Stein, 2003)。 加えて,キャッシュフローのリスク低下は,資本コストの減少にもつながると考えられる
(Hann et al., 2013;Sarkar, 2014;Aivazian et al., 2015)。この財務シナジーは共同保 険効果(Co-insurance effect)とも呼ばれており,式の資本コスト に影響を与える。
共同保険効果に関する実証研究は少ないが,米国企業を対象として Sarkar(2014)と Aivazian et al.(2015)のある。Sarkar(2014)は共同保険効果の推定モデルを構築し,米国のM
&Aのデータを用いて共同保険効果の存在を確認している。しかし,その効果は小さく,
共同保険効果の享受が多角化の動機にならないと結論づけている。また,Aivazian et al.
(2015)は同じく米国企業を対象に多角化が借入条件(金利や満期, 担保設定など)に与
Stein(2003)は財務シナジーによる借入余力の拡大効果を多角化の“more money effect”
と呼んでいる。
える影響を分析している。その結果,多角化企業は専業企業に比べて借入金利が低いこと を発見しており,共同保険効果の存在を確認している。しかし,金利以外の借入条件には 影響がなく,また多角化が進展するほど借入金利の低下効果は減少することを示している。
ところで,コストシナジーと財務シナジーの両方を同時に享受することは簡単ではない。
前述のように,コストシナジーは間接部門の共有やノウハウの活用などで生じる費用面で の削減効果であるが,これは関連した事業の多角化(関連分野型多角化)によって生じる ものである。一方,財務シナジーはキャッシュフローのリスク分散から生じるが,これは キャッシュフローの相関が小さいほど大きくなる。したがって,財務シナジーは関連しな い事業の多角化(非関連分野型多角化)においてより大きくなると考えられる。Hann et al.(2013)は,米国のデータを用いて多角化企業の資本コストが専業企業に比べて低いこ とを発見しており,またその低下効果は非関連分野型多角化を行っている企業において大 きいことを発見している。我が国においても,中野他(2002)の研究によって非関連分野 型の多角化企業で節税効果が大きいという結果が示されている。
3.1.2 内部市場の活用:内部資本市場と内部労働市場
事業が多角化すると,企業内において内部市場(Internal market)が形成される。コー ポレート・ファイナンスの観点からは,内部資本市場(Internal capital market)の活用 が多角化のメリットとして挙げられる。内部資本市場は企業内で創出した資金や外部から 調達した資金を事業間で移転を行う内部資金調達システムのことである。これによって,
より優れた投資機会に資金を配分(成長機会の乏しい事業から成長機会の豊富な事業への 配分など)することができ,投資の効率性を高めることができる(Stein, 1997;Khanna and Tice,2001;土村他,2010)。Stein(1997)の理論モデルは,経営者が投資プロジェ クトに対して内部情報(Insider information)を持つ状況を想定し,経営者が内部資本 市場を活用することで効率的な資源配分が可能になることを指摘している。また,情報の 非対称性が深刻で,外部からの資金調達が困難あるいは調達に高いコストを支払わないと いけない場合には,内部資本市場を活用することによって,資金調達コストを効率化する こともできる。また,資本市場が未成熟で,資金調達に高い取引コストがかかる場合には,
内部資本市場の役割が重要になると考えられる(Hubbard and Palia, 1999)。
最新の研究では,多角化のメリットとして内部労働市場の活用が指摘されている。Tate and Yang(2015)は米国の国勢調査データを用いて,多角化企業は専業企業に比べて労 働生産性が高いということを発見している。また,多角化企業内では雇用者の配置転換が
より効率的に行われており,給与の低下が小さいことを発見している。彼らの研究では,
企業価値との直接的な関係を分析していないが,これらの結果は内部労働市場が企業価値 にプラスの影響を及ぼす可能性を示唆している。
3.1.3 情報優位性の獲得
Anjos and Fracacssi(2015)は多角化戦略の新たな側面として,情報優位性の獲得を 指摘している。彼らは,情報の優位性を参入している事業の産業ネットワークにおける中 心度(Centrality)と定義し,米国のデータを用いて検証している。その結果,多角化企 業であること自体は企業価値に対して負の影響(すなわち,多角化ディスカウント)があ るが,中心度(Centrality)が高い場合には企業価値に対して正の効果があることを発見 した。また,この効果は証券アナリストのカバレッジが多くなるにつれて低下しており,
情報有意性を喪失していることを示唆している。この他にも重要な発見として,中心度が 高い多角化企業においては,イノベーションをより効率的に行えているという結果を報告 している。多角化企業は効果的に情報収集を行っているため,技術開発において優位性を 確保していると解釈できる。
Anjos and Fracacssi(2015)が指摘している情報優位性は,当該事業に参入しなけれ ば正確に評価できないようなソフトな情報における優位性である。ソフトな情報は数値化 ができず,伝達が困難な情報のことであり,取得ができれば競争優位性の獲得を可能にす る情報である。すなわち,多角化は技術開発におけるソフト情報の獲得を可能にし,技 術開発上の競争優位性を与え,効率的なイノベーションの創出によって企業価値を高める と考えられる。
3.2 コスト
多角化行動のコストとして,最も有力視されているのがエージェンシー問題による生産 性の低下である。エージェンシー問題は関係者間の情報の非対称性によって生じるが,多 角化行動におけるエージェンシー問題は,経営者と外部投資家との間で生じるものと企業 組織内で生じるものがあり,これらは別の経路で生産性の低下を生じさせる。前者の具体 厳密にはソフトな情報も伝達が可能であるが,伝達の際に情報の毀損が生じる。ソフトな情報
の性質については Petersen(2004)が詳しい。
ソフトな情報は階層的な組織では活用が困難になることがこれまでの研究で明らかになってい る(Stein, 2002など)。しかし,Anjos and Fracacssi(2015)の研究ではこの点を考慮していな い。多角化企業かつ階層的な組織形態である場合にも,同様の結果が得られるかは検証する必要 がある。
的な問題として【1】帝国建設による生産性の低下があげられる。また,後者の具体的な問 題として【2】内部資本市場の歪みによる生産性の低下がある。そしてこれらエージェン シー問題と関連して,【3】経営者の管理能力の低下や【4】組織構造の複雑化による外部投 資家との情報の非対称性の悪化の2つが挙げられる。以下では順にそれぞれのコストにつ いてみていきたい。
3.2.1 帝国建設(Empire building)
経営者と投資家との間に情報の非対称性が存在するため,投資家は経営者の行動を十分 にモニタリングできず,その結果として経営者は私的便益の獲得を意図した行動,いわゆ る経営者によるモラルハザードを生じさせる(Tirole, 2006)。経営者は一般的に小規模事 業よりも大規模事業を好み,収益の期待できない事業へ投資する傾向があり,これによっ て収益性の低下が生じ,企業価値が毀損する(Jensen, 1986)。この多角化の帰結は前節の エージェンシービューに基づく動機と整合的である。また,後述するように,多角化の進 展は経営者と投資家の情報の非対称性を悪化させるため,多角化自体が帝国建設を意図し た投資を助長されることになる。さらに,このような帝国建設を意図した投資によって生 成された事業は非効率な内部補助の対象になりやすいと考えられる。
3.2.2 内部市場の歪み
前述のように,多角化企業は構築された内部市場を活用することによって,効率的な経 営資源(資金や人材)の配分が可能になる。しかし,内部市場は必ずしも企業価値を高め る方向で効果的に利用されるとは限らない。代表例として内部資本市場の歪みによる企業 価値の破壊があげられる。非効率な内部補助(Cross subsidization)による生産性の低下 は,多角化のコストとして最も重要視されているものであり,これまで多くの理論研究な らびに実証研究で指摘されている(Berger and Ofek, 1995;Shin and Stulz, 1998;Scharfis- tein and Stein, 2000;Rajan et al., 2000;Ozbas and Scharfstein, 2010など)。非効率 な内部補助とは,投資機会の多い(すなわち,成長が期待できる)事業に対して十分な資 金が配分されず,投資機会の少ない事業に余分な資金が配分されるような状態のことであ る。言い換えれば,企業内で資金の“社会主義的配分”が行われており,企業価値の低下 を招いている。 このような社会主義的配分が行われる背景として, レントの追求による
資金配分における非効率な内部補助とは別の視点で,利益配分における内部補助が考えられる。
すなわち,事業間での取引を通じて利益を配分することによって,不採算部門の損失補填を行い,
インフルエンス活動の存在がある。インフルエンス活動とは,各部門の長(あるいはその 部門配属の従業員)が経営者に影響を及ぼして,経営者の意思決定が自身の部門に有利な もの(予算の獲得や部門固有の便益など)になるように歪曲させる活動のことである。こ の活動を抑制するために,硬直的な資源配分,すなわち非効率な平等配分を導入すると いった経営者の意思決定が行われる(Scharfistein and Stein, 2000)。
内部労働市場の非効率な利用について指摘した研究は存在していないが,多角化企業内 において人材の配置転換が容易であるという研究結果を鑑みると,非効率な安定雇用のた めに内部労働市場が利用されるといったことが考えられる(Meyer et al., 1992)。また,
従業員への報酬としての配分が専業企業に比べて高く,その結果として企業価値の低下を 招いているという指摘もあり(Schoar, 2002),内部資本市場の歪みと同様に,内部労働市 場についても非効率な人件費の配分が生じている可能性がある。
3.2.3 投資家観点での情報の非対称性の悪化
一般的に多角化企業は“わかりにくい企業”であるといえる。式右辺の第1項の キャッシュフローの評価(すなわち,将来創出されるキャッシュフローの予測)と第2項 の評価を比較すると, 両者とも 個の事業を評価する必要があるが, 前者は 個の事業の 相互関係についても評価する必要があり, 評価はより複雑になる。 また,後者の 個の 事業を個別に評価する場合でも,すべての業種について正確な評価に必要な知識を身に着 けることは難しい。それはたとえ企業分析の能力に長けた証券アナリストであっても,通 常,証券アナリストは担当企業を業種で区分しており( Zuckerman, 1999),特定の業種 担当者としてその業種に関する知識を蓄積することになるため,専門外の業種の事業につ いても評価については精度が低下すると考えられる。加えて,多角化企業を担当するとい うことは,証券アナリスト自体の担当業種を多角化することを意味しており,費用対効果 の観点からは多角化企業を担当するインセンティブは低いと考えられる。
不採算部門の温存ならびに隠ぺいを意図するものである。このような不採算部門は経営者による 帝国建設活動によって生じる可能性が高いと考えられる。
Google は分社化を行った理由の一つとして,投資家への各事業の透明性を確保するためとし ている。これは言い換えれば,投資家との情報の非対称性を緩和しようとする試みであると解釈 できる。
Nanda and Narayanan(1999)は多角化企業の評価についてのモデルを構築しており,多角 化企業の証券評価を見誤るとしている。
多角化企業を担当するにあたっての調査時間と労力は,専門とする担当業種における調査の質 を低下させる。それによって,当該業種における証券アナリストとしての評判を失う可能性があ り,同業種における他社の証券アナリストとの競合に敗北し,失職する可能性がある。また,多 角化企業を評価するための追加的な労力の発生によって,他の証券アナリストに追随するインセ ンティブも生まれる。
証券アナリストのカバレッジは評価対象企業の情報の対称性を緩和させ,資本コストの 低下を通じて企業価値も正の影響を与えることがこれまで実証研究で報告されている
(Healy and Palepu, 2001;Easley and O’Hara, 2004;など)上記の議論に従うと,多角 化企業に対する証券アナリストの機能(業績予想や株価予想を通じた経営者と投資家間に おける情報の対称性の緩和)は低下すると予想される。これまでの実証研究では,この含 意を支持する結果が報告されている(Dunn and Nathan, 1998;Zuckerman, 1999)。例 えば,Dunn and Nathan(1998)は多角化が進展した企業ほどアナリストの次期利益の 予測誤差が大きくなることが報告されている。一方,Thomas(2002)は事業を多角化す ることで,アナリストの次期予測誤差が高まる結果は頑健ではなく,多角化が必ずしも情 報の非対称性を悪化させるとは限らないと報告している。
先行研究では,多角化企業に対する証券アナリストの業績予想精度の低下とカバレッジ の低下を定量分析上識別しているわけではなく,分析上の課題が残っており,多角化が情 報の非対称性を悪化させるか否かはさらなる検証が必要である。しかし,多角化企業は投 資家にとって情報の非対称性が大きい企業である可能性は捨てきれない。この情報の非対 称性の存在は投資家の期待形成を保守的にさせ,要求するリターン,すなわち資本コスト を上昇させる(Lamont and Polk(2002); 井上・野間,2007;小松,2009)。その結果 として企業価値は低下すると考えられる。
この情報の非対称性の悪化による企業価値の低下効果は多角化自体が要因ではない。証 券アナリストの予想精度の低下を通じた投資家のミスバリュエーションが原因である。こ の結果は,多角化企業にとっては多角化戦略のコストであるが,多角化戦略自体の有効性 に疑問を投げかけるものでない。また,情報の非対称性の悪化はエージェンシー問題を助 長させ,更なる企業価値の低下を生むと考えられる。
4.ま と め
多角化戦略は企業の成長発展と深く関係しており,最も重要な経営戦略のうちの一つで あると言って良い。米国では実務界からの要請に応える形で,古くから多くの理論ならび に実証研究が今日まで蓄積されてきているが,依然として多角化研究の勢いは衰えておら ず,新たな発見が報告されている。実務界からの注目が高い研究テーマである。我が国に おいても,ROE による経営目標値の設定が進む中,事業ポートフォリオの見直しが迫ら れており,多角化戦略の功罪についてより深い認識が必要になってきる。
そこで,本論文では,我が国企業の多角化度合の変遷と現状を確認したうえで,多角化 戦略の動機とその功罪(メリットとデメリット)について先行研究のサーベイによって整 理を行った。多角化戦略の動機とその帰結については経営戦略理論からの視点と,コーポ レート・ファイナンス理論からの視点でこれまで膨大な先行研究が蓄積されている。これ らを一つのフレームワークで整理することは容易ではない。しかし,本論文では可能な限 り両者の整合性を保ちながら,先行研究のサーベイ調査を行い,多角化戦略の動機とその 功罪について包括的な整理を試みた。
コーポレート・ファイナンスのアプローチは, 投資家と経営者のプリンシパル・エー ジェント関係から,多角化戦略が企業価値にどのような影響を及ぼすのかを分析している のに対して,経営戦略理論のアプローチは,企業自身の収益性や成長性などの経営成果が 多角化戦略とどのような関係があるのかについて焦点をあてて分析している。収益性や成 長性の向上が企業価値の最大化と強く結びついていることから明らかなように,これらの アプローチは相反するものではなく,互いに関連しており,多角化戦略の研究は学際的な 色彩が強いテーマであるといえる。
古典的な研究を中心にサーベイ調査を行った結果,多角化の動機としては,大きく分け て以下の3つがこれまでの研究で指摘されていることがわかった。
【1】 Agency View:エージェンシービューに基づく動機
【2】 Market Power View:マーケットパワービューに基づく動機 【3】 Resource View:リソースビューに基づく動機
【1】のエージェンシービューに基づく動機は,事業の多角化を経営者の利己的な行動の 一つとして捉えており,さらに具体的な経営者が多角化を行う動機として,①経営者の報 酬や権力の増加を目的とした多角化の動機,②経営者の保身を目的とした多角化の動機,
そして③人的な雇用リスクの分散化を目的とした多角化行動の動機が挙げられている。
エージェンシービューに基づく動機は主としてコーポレート・ファイナンスの理論に依拠 した動機である。
次に,【2】マーケットパワービューに基づく動機は,多角化が競走圧力の低下効果を持 つことに着目した動機であり,このような多角化に起因するマーケットパワー(これを多 角化パワー(Conglomerate power)と呼ぶ)の保持を目的とした多角化行動をとらえて いる。また,多角化パワーの具体的な源泉には,①内部補助による略奪的価格設定行動,
②相互自制(Mutual forbearance),そして③互恵的購入(Reciprocal buying)の3つ が指摘されている。最後の【3】リソースビューに基づく動機では,企業内に存在する超過 生産要素(例えば,設備や人材,ノウハウの無形資産など),すなわち資源(Resource)
が多角化行動を生じさせるとしている。リソースビューに基づく動機に従えば,利潤獲得 を求める企業は,新たな事業に参入することで利潤を獲得できる限り余剰資源を投入し,
その結果として企業の多角化が進展することになる。これらマーケットパワービューとリ ソースビューに基づく動機は,主として経営戦略の理論依拠した動機である。
3つの動機のうち,【1】のエージェンシービューに基づく動機は,企業価値の最大化を 意図したものではなく,経営者の私的利益最大化を意図したものであり,最適な水準を逸 脱して多角化が行われる。したがって,エージェンシービューに基づく動機による多角化 行動は企業価値の低下を生じさせる。一方,【2】のマーケットパワービューに基づく動機 と【3】リソースビューに基づく動機は業価値の最大化を意図したものであり,これらの動 機に基づく多角化行動は企業価値に正の影響を与えると考えられる。
次に,多角化戦略の功罪について先行研究のサーベイを行った結果を述べておきたい。
先行研究で指摘されているのは,多角化戦略のベネフィットとコストは以下の通りである。
【ベネフィット】
①範囲の経済性の享受:コストシナジーと財務シナジー
②内部市場の活用
③情報優位性の享受 【コスト】
④帝国建設行動の惹起
⑤内部市場の歪み:非効率な内部補助の発生
⑥投資家との情報の非対称性の悪化
ベネフィットとコストのそれぞれの中身については説明を割愛するが,これまで先行研究 では事業が多角化することによって生成された内部市場に焦点を当てており,多角化戦略 の功罪は内部市場を効率的に活用できるか否かに集約されていた。しかし,近年では③の 情報優位性が享受できるメリットや⑥の外部の投資家との情報の非対称性の悪化が指摘さ れるようになり,新たな多角化のメリットとデメリットが発見されている。
最後に,残された課題について述べておきたい。本論文では,多角化の動機とその功罪
に焦点を当てて先行研究のサーベイを行ったが,実務的な関心や近年の実証研究では「多 角化効果は存在するのか」や「多角化効果は負(多角化ディスカウント)か正(多角化プ レミアム)か」に焦点が当てられている。すなわち,多角化効果そのものを検証した実証 研究のサーベイ調査が必要であると考えらえる。多角化効果に関する実証研究は米国を中 心に蓄積が進んでおり,近年では分析方法やデータの精緻化が試みられている。その結果,
多角化効果が負である,すなわち多角化ディスカウントが存在するというこれまで合意に 反して,多様な検証結果が報告されるようになった。このような多角化効果における実証 研究の系譜を整理しておくことは非常に有益である。あるいはメタ分析の実施によって これまでに得られた実証研究の結果について総合的な評価を行う必要があるかもしれな い。
また,データ分析者の立場からは,どのようにして多角化効果を測定すべきかをこれま での先行研究から整理しておくことも有益である。例えば,Villaonga(2003)は,これ までの多角化効果の研究における定量分析の手続きについて興味深い分類を試みている。
それは,測定された多角化効果の精度が高い順に,1
)Strong form,2
)Semi-strong form,そして3)Weak form の3つに定量分析の手続きを分類している。
これらの課題は,本論文で整理した多角化の動機とその功罪の理論的な側面に対して実 証的な結果を補う役割を持っている。また,多角化戦略の学術的なストーリーを実務へと 応用するうえでは重要な課題である。これらの課題については今後取り組んでいきたい。
参 考 文 献
上野恭裕(2005)「1980年代以降の日本企業の多角化戦略と事業集中」,『大阪府立大學經濟研究』,第 51巻3号,pp.3954.
牛島辰男(2015)「多角化ディスカウントと企業ガバナンス」,『フィナンシャル・レビュー』,第1号,
pp.6990,財務省財務総合政策研究所.
梅内俊樹(2009)「多角化戦略が企業の価値に及ぼす影響について」,『ニッセイ基礎研究報』,Vol.55,
pp.118.
小松雅彦(2009)「情報の非対称性と多角化ディスカウント : 事業の関連性とアナリスト・カバレッジ の観点から」『商学研究科紀要』,Vol.25,pp.3751.
例えば,Martin and Sayrak(2003)は多角化効果における実証研究の系譜を Round 形式で 整理している。
ファイナンス理論では,資本市場の効率性の程度をこれら3つの呼称で分類している。Strong form は,全ての公開情報だけでなく,内部情報についても全て株価に反映しているような市場 の効率性度合いを意味し,Semi-strong form は,全ての公開情報が株価に反映されるような市 場の効率性度合いを意味する。そして,Weak form は過去の株価やそのリターンのみが株価に 反映されているような市場の効率性度合いを意味する(Campbell et al., 2002)。