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『改造社のメディア戦略』和 田 敦 彦

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Academic year: 2022

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全文

(1)

  書  評 

庄司達也・中沢弥・山岸郁子編

﹃改造社のメディア戦略﹄

和  田  敦  彦

  一九二六︵大正一五︶年︑改造社は廉価な﹃現代日本文学全集﹄

を予約販売の形式で販売し︑大規模な広報活動を展開して大きな

成功を収める︒このビジネスモデルは︑様々な出版社の幾多の全

集︑叢書出版企画として踏襲され︑いわゆる円本ブームと呼ばれ

る時期が到来する︒本書はこの改造社について多様な角度︑問題

意識からとらえようとした論集である︒

  多種多様な出版物を刊行している出版社を対象として研究を行

う場合︑共同研究というスタイルが有効であることは言うまでも

ないが︑その場合のアプローチの仕方にはかなりの注意が必要と

なる︒改造社の場合︑一九一九︵大正八︶年創刊の雑誌﹃改造﹄や︑

先の全集企画で知られはするが︑むろんその出版事業は広範で︑

多領域にわたる︒さらには執筆者を論じるか︑経営者を論じるか︑

編集者を論じるか︑読者を論じるか︑それらをどういう資料で︑

どのような方法で分析するかを︑十分検討しておく必要がある︒

なぜ︑どういう方法で︑いくつの角度からアプローチするのかを︑

ある程度組織的︑体系的に考え︑前提として明確にしておくため

である︒改造社の戦略以前に︑それを論じるための﹁戦略﹂をはっ きりさせておくべきなのだ︒本書の全体としての印象を述べるなら︑個々の論の問題意識はある程度はっきりしているものの︑本書全体としての﹁戦略﹂が今ひとつはっきりとしない︒むろんそれは︑対象自体のとらえがたさにもよるが︑やはりまずその方法や射程︑対象とする資料やその分担︑そしてまた各論で明らかになったことについての本書全体としての位置づけを論じる総論的な部分の必要性を感じる︒  本書は︑全体として九つの論考と︑さらに資料編よりなる︒資料編は本書の三分の一を占めており︑単なる参考資料というよりも本書の重要な構成部分となっている︒そこには﹁山本実彦著作一覧﹂︑﹁改造社﹃現代日本文学全集﹄作品総覧﹂︵ともに掛野剛史

編︶︑﹁﹃東京朝日新聞﹄掲載﹃現代日本文学全集﹄宣伝広告紙面﹂

︵庄司達也編︶︑﹁﹁﹃現代日本文学全集﹄講演映画大会﹂開催地・上

映映画・開催広告記事﹂︵改造社研究会編︶︑﹁﹃改造﹄懸賞創作当選

作・作家と選外佳作一覧﹂︵和泉司編︶︑そして﹁円本﹂出現前後

の全集︑叢書類のデータを集約した﹁﹁全集内容見本﹂一覧﹂︵改

造社研究会編︶が収められており︑改造社や円本に関連する様々

な領域の研究者にとって有用な基礎情報を提供してくれるものと

なっている︒

  さて︑以降では論考部分の各論について︑その対象とする問題

と︑分析の方法についてそれぞれ見ていきたい︒最初の論︑杉山

欣也﹁昭和改元前後における﹃改造﹄の変容  円本ブームをもた

らしたもの﹂は︑﹃現代日本文学全集﹄刊行前後の雑誌﹃改造﹄

を対象に︑﹁編集後記﹂などの編集サイドから発信されている記

(2)

事を中心とした分析を行っている︒

  そこから﹃現代日本文学全集﹄企画について︑検閲に対する警

戒感や国民意識へと訴える戦略を読み取っていく︒ただ︑編集サ

イドのいくつかの記述︑記事からくみ取った意識や思想で︑﹃改

造﹄という雑誌全体︑あるいは改造社全体を代表させて論じると

いう方法︑さらにはそれと﹃現代日本文学全集﹄の企画やそれら

を受容する消費者の意識とを結びつけていく論述はやや性急すぎ

るようにも思う︒

  山岸郁子﹁改造社の文学事業﹂は︑改造社の出版事業の特性や

その変化を︑社主である山本実彦の思想やその人脈を駆使した出

版事業への関わり方を通して分析している︒それを例えば山本が

満州を訪問し︑その地での多様な人的交流を通して外地へと市場

を広げていく事業展開をもとに検討している︒あるいは雑誌﹃改

造﹄における執筆者の開拓や︑さらにそうしたネットワークを利

用した出版企画への展開という観点からとらえ︑﹃現代日本文学

全集﹄の企画︑さらには同全集以外の改造社の全集︑叢書企画や

その変化との関係を広い視野でとらえようとしている︒山岸論の

方法は︑出版人の人脈︑ネットワークの広がりや変化と︑出版社

の事業の変化や事業展開︑商圏の広がりとを実証的に結びつけ︑

論じていくという方法であり︑出版社を論じるうえでの独自の方

法として評価できると思う︒

  松村良﹁拡散する﹁円本﹂状況﹂は︑円本ブームの頃の﹃文藝

春秋﹄と﹃中央公論﹄の二つの雑誌の掲載記事から︑改造社や円

本ブームに関わる情報を拾い出していく︒情報としては面白い が︑なぜこの二つの雑誌なのかが分かるようで分からないし︑また︑こうして拾い出してきた情報と改造社の出版事業との関係づけが十分になされていない︒このため︑データの提示に終わっており︑その後の分析がほしいところである︒  山口直孝﹁﹁探偵小説﹂の現在との接続  円本時代における﹁文

学全集﹂概念の変容﹂は︑叢書︑全集出版論としてユニークな方

法として評価できよう︒山口論は︑円本ブームに牽引され︑多数

の全集︑叢書が出現していく中で︑大衆文学や探偵小説といった

ジャンルがどう取り込まれ︑編成されていくのかを論じている︒

大衆小説や探偵小説の全集企画を広範にとりあげながら︑それら

のジャンルとしての出現︑盛衰や︑収録作家︑作品を決定する周

辺のファクターを丹念に考察する︒数多くの全集を対象としつ

つ︑それら相互の力関係や︑影響関係を論じることを通して︑ジャ

ンルの生成を浮き彫りにしていく方法は︑研究の手法として注目

したい︒  改造社﹃現代日本文学全集﹄の出版は︑同時に展開された広報

活動︑ビラや広告︑映画上映会や講演会を伴ったメディア・イベ

ントでもあった︒庄司達也﹁改造社﹁﹃現代日本文学全集﹄講演

映画大会﹂という戦略﹂は︑こうして展開された改造社﹃現代日

本文学全集﹄講演映画大会に着目して分析を試みている︒同時期

に各地で展開された講演の講演者︑出版企画との関連を丹念にた

どっての考察となっている︒地方でなされたこれら講演会の集客

力の高さを検証するとともに︑それぞれの全集の企画と︑講演に

登場する作家とが必ずしも対応していないことを指摘する︒要は

(3)

講演する側も︑聞きに行く側も︑どういう出版社のどういう全集

であるかといった差異には無頓着であった側面を指摘している点

が面白かった︒

  中沢弥﹁文芸映画の時代と雑誌﹂は︑文学と映画の蜜月時代と

して一九三五︵昭和一〇︶年以降の文芸映画ブームを追っている︒

刊行後間もない同時代の文学が次々と映画化されていく中︑文学

と映画とのアクチュアルな関係が当時すでに生まれていた︒それ

ら文芸映画を丹念にとらえてはいるが︑そうした中での改造社の

役割︑あるいはその出版企画との実質的なつながり︑関わりをど

う論じたいのかがはっきりとしない︒文芸映画ブームの源流に

﹃現代日本文学全集﹄や円本ブームがあったことは分かるが︑具

体的なつながりや接点について論じてほしかった︒また︑雑誌﹃改

造﹄紙上で文芸映画とその流行がどうとりあげられているのかに

ついても詳細にたどられているのだが︑やはり本書全体の問題設

定との関係づけをもう少し明確にする必要を感じた︒

  須藤宏明﹁﹃改造﹄掲載作品に対する﹃文芸時代﹄の合評会﹂は︑

タイトル通り︑雑誌﹃文芸時代﹄の合評会で︑﹃改造﹄の掲載作

品がどのように扱われているかを検討した論である︒﹃文芸時代﹄

は言うまでもなく一九二四︵大正一三︶年に創刊され︑新感覚派

の母体と目されるようになる同人雑誌であり︑その合評会でのや

りとりを分析し︑同人達にとって﹃改造﹄に掲載された小説や︑

あるいはそこに掲載されること自体がどういう意味をもっていた

かを論じている︒改造社や﹃改造﹄の出版事業や戦略を検討する

というよりも︑むしろ﹃文芸時代﹄同人達の動向や考え方に関心 を向けた論となっている︒雑誌﹃改造﹄を扱う必然性︑関係性がはっきりと出るような問題設定が必要であるように思う︒  和泉司﹁︿懸賞作家﹀にとっての﹃改造﹄  ﹃改造﹄懸賞創作第

四回当選者・田郷虎雄を中心に﹂は雑誌﹃改造﹄が一九二七︵昭

和二︶年にはじめた懸賞創作募集に焦点をあて︑懸賞創作自体の

同時代における意味︑あるいはそこから登場する懸賞作家︑田郷

虎雄の軌跡を追っている︒現在の著名な文学賞では︑受賞者の経

歴や出自の珍しさを含めた話題性が受賞のファクターになっても

いるが︑すでにそうした傾向が﹃改造﹄懸賞創作で見いだし得る

点は興味深い︒懸賞という事象自体を研究していく方法︑そして

また︑懸賞を論じるという枠組みを通して︑それまで論じること

の出来なかった作家を論じていく地平を作り出している点を評価

したい︒  平野晶子﹁﹃女性改造﹄という媒体  芥川龍之介﹁白﹂発表の

周辺﹂は︑芥川龍之介の短編﹁白﹂と︑それが発表された雑誌﹃女

性改造﹄に目を向け︑この掲載媒体の特徴を検討するとともに︑

そこに作品を掲載する芥川の創作意識を問題化している︒この作

品のモダンな都市生活をはじめとした素材選択やその掲載が︑

﹃女性改造﹄という媒体や女性読者を意識したものであったこと

を推測する︒作家の創作︑掲載意図に関心を向けた論であり︑改

造社の出版事業やその戦略への関心はやや薄い論となっている︒

  以上で見て来たように︑改造社という出版社︑そして出版事業

を論じる方法は︑それぞれに異なっているばかりか︑論じる問題

意識にも各論者間にかなり距離が見られる︒山岸論や山口論︑和

(4)

泉論をはじめとして︑出版社やその出版事業をとらえる方法︑あ

るいは雑誌︑全集という単位で考察していく方法として︑それぞ

れに多くの示唆を含んでもいる︒そうした本書の方法的な可能性

や有効性を︑執筆者間で自覚的に議論していく部分が本書にあれ

ばと思う︒そうした点でも︑最初に述べたが︑やはりこれらの論

を前提とした︑執筆者間の議論や評価を通した方法の深化をはか

る章を最初か︑あるいは最後に設けて欲しかった︒

  共同研究の場合︑執筆者の選択も︑やはり一度自覚的に議論し

てみる必要があろうかと思う︒改造社の出版事業やメディア戦略

を研究する体制を作っていくときに︑なぜ文学研究者のみにそれ

を限ってしまうのだろうか︒そしてそのように限定して研究を

行った場合︑どういう限界や方法的な制約が起こるのだろうか︒

こうした点をも議論していくべきではないだろうか︒また︑文学

研究者が中心となっている一方で︑本書には特定の文学作品︑あ るいは全集内容に踏み込んだ分析や議論は避けている論が多い︒自覚的に自らの方法自体を顧み︑再検討する中で︑新たな研究の方法︑枠組みを提案していく可能性も︑本書にあったのではないだろうか︒  ただ︑以上のような本書に対するとらえ方は︑あくまである出版社や︑その出版事業をとらえていく方法︑アプローチの仕方に重点をおいた一面的な評価にすぎないのかもしれない︒おそらく別の関心をもった読者ならば︑本書の各論から別の発見や示唆を得ることだろう︒それだけ︑本書が対象としている領域︑そして扱っている素材は多岐にわたっている︒多様な領域で︑今後本書の成果がどのように生かされていくのか︑そうした可能性の広がりを感じさせる一書である︒︵二

月 双文社出版A5判 三二九頁 本体税︶

新 刊 紹 介

佐藤泰正編

梅光学院大学公開講座論集第六三集

﹃宮沢賢治の切り拓いた 世界は何か﹄

様々なテーマから文学研究を拡げてき

た︑佐藤泰正氏編﹁梅光学院大学公開講座﹂ の最新集︒多彩な論者によるバラエティ豊かな宮沢賢治論を八編収録する︒  中でも︑北川透氏の﹁﹃グスコーブドリ

の伝記﹄と三・一一東日本大震災﹂は﹃グ

スコーブドリの伝記﹄が災害以後を描いた

物語であることに着目し︑賢治が信仰した

法華経の思想と照らし合わせて考察する︒

同時に東日本大震災以後の文学の意義につ

いても問う一編である︒   また︑編者の佐藤氏は﹁宮沢賢治の生涯をつらぬく闘いは何であったか﹂で︑法華経の万人の救済のために身を献げるという教えがもたらした魂の昂揚が︑賢治の文学をつらぬく根源的な指向であると指摘し︑その︿ひらかれた宗教性=観﹀について論じている︒  他にも﹃宮沢賢治語彙辞典﹄︵一九八九

年︑東京書籍︶など長年の賢治研究から得

(5)

た新たな切り口を紹介している原子朗氏を

はじめ︑鎌田東二氏・山根知子氏・木原豊

美氏・加藤邦彦氏がそれぞれ独自の観点か

ら論じている︒

︵二〇一五年五月  笠間書院  B6判 一

九九頁  本体一〇〇〇円︶ ︹福島はなこ︺

平浩一著

﹃﹁文芸復興﹂の系譜学

││志賀直哉から太宰治へ

  本書では︑近代日本文学における重大な

転換点であったとされながら︑十分な解明

がなされないままに︑近年ほとんど論究さ

れなくなってしまった﹁文芸復興﹂につい

て詳細な検証がされている︒

  本書は四部構成であり︑第一部において平

野謙ら﹃近代文学﹄同人が築いた﹁文芸復興﹂

観の問題点が分析されている︒第二部以降

では︑既存の文学史観が捨象してきた諸要

素の検証を行い﹁文芸復興﹂を多角的に考

察して︑その全体像が明らかにされていく︒

第 二 部 に お い て は

﹁ 円 本 ブ ー ム

﹂ や

ジャーナリズムの﹁文芸復興﹂への影響が 検証される︒また︑﹁大衆文学﹂が︑﹁文芸

復興﹂へ及ぼした影響も考察され︑特に直

木三十五の存在を中心に考察が進められ

る︒第三部では︑﹁新興芸術派﹂に焦点を

当てて︑彼らがもたらした影響とその系譜

が明らかにされていく︒続く第四部では︑

これまで本書で行われた﹁文芸復興﹂の再

検証が︑この時期に作家活動の礎を築いた

太宰治の作品分析︑特に﹁道化の華﹂の分

析に接続される︒

  既存の近代日本文学史の相対化︑見直し

に留まらず︑それを踏まえた文学研究の可

能性が本書では提示されている︒

︵二〇一五年三月  笠間書院  A5判 三

八八頁  本体四二〇〇円︶ ︹堺  雄輝︺

岸田依子著

﹃連歌文芸論﹄

本書は多角的な視点からの考察によっ

て︑連歌という文芸の総体を捉えようとす

るものである︒﹁場﹂﹁作品﹂﹁作者︵連歌

師︶﹂の三本柱で構成されているのだが︑

資料紹介・考証における細部までぬかりの ない実証的研究から連歌の本質に迫る巨視的な考察までが一著に収められており︑連歌研究の最先端を行く研究書であると同時に︑これから連歌研究を志す者にとって必読の一冊となっている︒  第Ⅰ部は﹁連歌の座と様式﹂と題され︑

院政期の連歌の形成や中世における連歌の

宗教的営為との関わりを論じており︑第Ⅱ

部は﹁作品考﹂として︑﹃宗長秘歌抄﹄な

どの個々の作品や連歌論書の考察・紹介が

行われ︑第Ⅲ部では﹁連歌師と道の記﹂と

して︑宗長論を中心に連歌師における旅の

意義や︿連歌師﹀としてのあり方が明らか

にされている

︒いずれも優れた論考であ

り︑紙面の都合でその全てについて語り得

ないのが口惜しいが︑とりわけ刺激的だっ

た論として﹁連歌の時空と構造﹂︵第Ⅰ部

第三章︶を挙げたい︒︿発句﹀様式の持つ

機能について示唆的で説得力に富む論が展

開されており︑百韻の形成する時空と現実

との結節点として発句を位置づける鮮やか

な手並みは必見である︒

︵二〇一五年二月  笠間書院  A5判 三

八八頁  本体九〇〇〇円︶ ︹穴井  潤︺

参照

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