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甘樫丘東麓遺跡の調査 -

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Academic year: 2021

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(1)

1 はじめに

 甘樫丘は飛鳥川の西岸に位置する標高145mほどの丘 陵で、多数の谷が入り込む複雑な地形を呈している。『日 本書紀』には、皇極天皇3年(644)に蘇我蝦夷・入鹿親 子の邸宅が甘樫丘に営まれたことが記されている。

 甘樫丘東麓遺跡は、これまで本調査地の南に所在する 南東に開く谷で、小規模なものも含め合計9回の発掘調 査をおこなっている(図Ⅱ-36)。第71-11次調査(1993年度)

から第141次調査(2005年度)までは、国営飛鳥歴史公園 甘樫丘地区の整備にともない、遺構の有無や状況を確認 するための発掘調査を、第146次調査(2006年度)以降は、

国土交通省近畿地方整備局国営飛鳥歴史公園事務所の協 力を得て、遺跡の内容・性格を解明するための発掘調査 をおこなった。その結果、7世紀から8世紀初頭にかけ て、谷を大規模に造成し、活発な土地利用をおこなって いること、尾根の中腹には柱列がめぐり、谷の奥には石 垣・建物・塀などが展開するが、入口付近では工房的な 施設が存在した可能性が高く、場所により土地利用の様 相が異なること、などがあきらかとなっている。また、

3時期の遺構変遷を把握しており、Ⅰ期が7世紀前半か ら中頃まで、Ⅱ期が7世紀後半、Ⅲ期が7世紀末から8 世紀初頭までにあたる。

 今回の調査は、国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区の整備に ともなうもので、A~C区の3ヵ所の調査区を設定し た。A区は丘陵の尾根上、B区はその東に降る斜面、C 区はさらに東で南東に開く谷に位置する(図Ⅱ-36)。  A区・B区の調査は、2012年12月3日に開始し、2013 年1月17日に終了した。いずれも、古代の明瞭な遺構は 確認できなかった 1)。また、周辺では、第133-10次調査

(2004年度)で、C区の北側の丘陵の尾根上を調査してい るが、近年の重機による削平が著しく、古代に遡る遺構 や遺物は確認されていない。

 以下、C区の調査成果を述べる。調査区は、南北31m、

東西30mで、北側の斜面地の一部に幅2.7m、長さ9m のトレンチを設定した。調査期間は、2013年1月10日か ら3月27日までおこない、途中約2ヵ月間の中断を経

て、2014年6月3日から再開し、12月6日に終了した。

2 調査成果 基本層序

 調査地は、北西から南東に傾斜する谷地である。調査 の結果、谷の斜面を切土・盛土し、平坦面を造成してい たことがあきらかとなった。基本層序は、上から、表土、

遺構廃絶後の堆積土、整地土、谷の埋立土、地山である。

調査地南東部の3分の1ほどは、後世の土地利用によっ て大きく削平を受けており、すでに遺構面は失われてい た。遺構は、整地土(黄褐色粘質土)、谷の埋立土、地山 各上面で検出した。

地山面および谷埋立土上面の遺構

上段平坦面SX₂₇₀・下段平坦面SX₂₇₁  調査区西半で は、斜面地を谷の地形にあわせて地山を削り、高低差約 2mの上下2段の段を造り出し、それぞれ平坦面を造 る。上段の平坦面SX270は、南半は幅2~3mで北に向 かって広くなり、調査区北辺では幅6m以上となる。下 段平坦面SX271は、切土に加え、谷の低い部分を埋め立 てることによって、東西20m以上、南北30m以上の広い 平坦面を造り出す。

 谷の埋め立ては、埋土が厚い単位で斜めに堆積してい ること、途中に平坦な整地面などが確認されないことか ら短期間におこなわれたとみられる。埋立土は、上部は 灰褐色系を中心とし、部分的に炭が混入する層もある。

下層は青灰色の砂質土を中心とする。遺物は、主として 土器が多く、下層からは有機物も確認された。埋立土を 取り除いた谷の底面は、よくしまった明橙色土で、これ 以下は遺物を含まないことから、自然堆積土であると判

甘樫丘東麓遺跡の調査

-第177次

図Ⅱ︲₃₆ 第₁₇₇次調査区位置図 1:₃₀₀₀ 71‑11

71‑11 75‑2 75‑2 127‑4

127‑4

133‑10 次 133‑10 次

141 次 141 次

146 次 146 次

151 次 151 次

157 次 157 次

161 次 161 次

177 次 177 次 A 区

A 区 B 区B 区 C 区C 区

171次 171次

0 50m

(2)

断した(図Ⅱ-38・40)。なお谷底では、遺構検出面から 約3.6mの深さで自然堆積土を確認したところで安全上 の理由から掘削を中止し、地山は確認していない。

掘立柱建物SB₂₇₅  調査区北部中央で検出した掘立柱 建物。後述の素掘溝SD280の埋土を除去し底面で検出し た(図Ⅱ-37・39)。

 東西3間、南北3間の総柱建物で、柱間寸法は約1.5m、

北側と南側の1間は約1.2mである。正方位に対して、東

で北に振れる。柱掘方は布掘りで、柱の一部は抜き取ら れ、径約0.2mの柱痕跡をもつ柱穴もある。掘方は、側 柱筋は南東隅とその西の柱穴の間を開き、それ以外は連 続して掘る。入側柱は東西の2穴ずつを一連の布掘りと する。柱穴部分は布掘りの方向に対して長い楕円形を呈 し、長径1.1~1.3m、短径0.8~1.0mである。柱穴と柱穴 の間は、狭いところで幅0.4m、深さは浅いところで0.1m を測り、柱穴部分のみを深く掘り、それ以外の接続部分

図Ⅱ︲₃₇ 第₁₇₇次調査C区遺構図 1:₂₀₀

X‑168,960

X‑168,980 Y‑16,980

Y‑17,000

0 10m

SB275

SB279 SK281

SK282 SK283

SK284

SK285

SK290 SK291

SK292

SK293

SX271 SX286

SX270

SX287

SX289 SX288

SX295 SD280

段差

A

B A′

B′

(3)

は狭く浅く掘る。抜取穴は平面不整形で、遺構検出面(H

=117.80m)からの残存深さは0.8~1.2mと一定ではない。

 側柱筋から約0.8m外側には、幅約0.7mの溝がめぐり、

SB275にともなう雨落溝とみられる(図Ⅱ-41)。東雨落 溝SD276・北雨落溝SD277・西雨落溝SD278の3条を確 認し、SD276・SD278の南半と、南雨落溝は削平されて いる。深さは、もっとも深いところで0.1m程度が残存 するのみである。

掘立柱建物SB₂₇₉  調査区中央で検出した掘立柱建物。

桁行3間、梁行2間の東西棟建物で、東で北に振れるが、

SB275とは揃わない。柱穴4基を検出し、1基は断面観 察用畔で確認した。柱間寸法は、桁行1.8m、梁行1.5m である。柱穴の掘方は一辺約0.5mの隅丸方形のものと、

直径約0.5m程の円形のものがある。一部直径0.2mの柱 痕跡をもつものもある。

素掘溝SD₂₈₀  調査区西北部で検出した。切土した地 山の斜面裾に沿って掘られている。南から北に延び、東 に折れ溝幅が大きく広がる。東に進むにつれ溝の南肩は

No.2 No.3

No.4 No.5

No.6

No.1

H=113.00m H=114.00m H=115.00m Y‑16,980

Y‑16,983

2m 0

B B′

土壌サンプル採取地点 自然堆積土 地 山

A A′

図Ⅱ︲₃₈ 谷埋立土堆積状況(南東から) 図Ⅱ︲₃₉ 建物SB₂₇₅(北東から)

図Ⅱ︲₄₀ 谷埋立土断面図 1:₁₀₀

図Ⅱ︲₄₁ 建物SB₂₇₅遺構平面図・断面図 1:₁₀₀ D′

D C

C

C′

SB275

SD276 SD277

SD278 SD280

X‑168,954

X‑168,957 Y‑16,990 Y‑16,989

0 2m

H=117.50m Y‑16,989

H=117.50m

X‑168,957 X‑168,954

2m 0

C C′

D D′

SD277 SD278

掘方 抜取

(4)

徐々に緩やかとなり、調査区の東半では南肩を判別し難 い。溝幅は、南半の斜面裾の部分で約0.8m、溝幅を広 げる部分では最大7.0mを測り、さらに広がるとみられ る。掘立柱建物SB275が廃絶した後の遺構である。

土坑SK₂₈₁~₂₈₆  調査区中央で検出した。重複関係が 認められるものもあるが、建物などとしてはまとまらない。

炭溜SX₂₈₇~₂₈₉  素掘溝SD280の南東で検出した(図

Ⅱ-42)。埋土に炭を多量に含む。被熱した状況は認めら れない。上記土坑群とあわせ、SD280を造る時期にその 南東で何らかの土地利用があったことを示すが、用途は 不明である。

下段平坦面SX₂₇₁を覆う整地土上面の遺構

 素掘溝SD280を埋め立て、平坦面SX271を整地する。

大土坑SK₂₉₀  調査区南半で検出した。南北約3.5m、

東西5.4m以上の不整形平面を呈し、深さは0.3mである。

埋土はいくつかの単位に分けられ、土器を多量に含むも の、炭が混じるものなどがあるが、短期間に埋め立てら れたと考えられる。整地後に周辺で不要となったものを 投棄したものであろう。

土坑SK₂₉₁~₂₉₃  調査区西北部で検出した。南北1.4

~2.0m、東西約0.8m、深さ0.4~0.5mで南北に長い長方 形を呈する。

その他の遺構

石群SX₂₉₅  遺構面を覆う堆積土中で確認した(図Ⅱ -43)。径0.1~0.3mの石を主体とし、調査区西部で南北

約14m、東西約7mの範囲に広がる。面を揃えるなどの 様子はなく、外部より投棄もしくは崩落したものであろ う。調査区西側の尾根上に何らかの施設があり、それが 崩壊した可能性も考えられる。  (大林 潤)

3 出土遺物 土器・土製品

 今回の調査では、整理木箱31箱分の土器・土製品が出 土しており、その大部分は古代の土師器・須恵器である。

ここでは、下段平坦面SX271の造成に関わる、調査区東 南部に広がる谷の埋立土から出土した土器群と、建物等 の廃絶に関わる、掘立柱建物SB275や素掘溝SD280を覆 う堆積土から出土した土器群、また石群SX295を覆う堆 積土から出土した土馬について報告する。

谷埋立土出土土器  谷の埋立土から出土した土器には、

土師器杯C・杯G・杯H・小皿・高杯C・高杯H・鉢・

甕・甑など(図Ⅱ-44)、須恵器杯H・高杯・壺・甕など(図

Ⅱ-45)がある。

 1・2は杯C。1は口縁端部が内傾する。器面の磨滅 が著しく、暗文の有無は不明。b手法で調整し、底部に はヘラミガキを施した痕跡がある。2は口縁端部を丸く おさめ、内面には一段放射暗文を施す。調整はb0手法。

 3・4は杯G。両者とも口縁端部を丸くおさめる。3 は胎土に径1㎜ほどの砂粒が目立つ。4は内面にタール 状の黒色付着物がみられる。

図Ⅱ︲₄₂ 素掘溝SD₂₈₀と土坑群(北から) 図Ⅱ︲₄₃ 石群SX₂₉₅(北東から)

(5)

 5~10は杯H。口径は11.2~14.0㎝。器形には、口縁 部の外反が強いもの(5)、口縁部と底部の境に弱い稜 をもつもの(9・10)、その境が不明瞭なもの(6~8)

などがある。5・8は胎土に赤色粒子を多く含む。

 11・12は杯X。器形は異なるが、類例が少ないため、

ここでは「杯X」と一括して報告する。11は内面に放射 暗文を施し、調整はa0手法。12は平底に近く、口縁端部 はわずかに内に肥厚する。底部外面にはハケ目を施す。

 13は小皿。調整はb0手法。内面には広範囲に漆が付 着し、パレットとして使用したことがわかる。

 16~18は高杯C。16は口縁部と底部の境に稜をもち、

内面には放射暗文を施す。17は脚柱部の内外面に絞り目 が残る。18は脚部でほぼ完存。裾部内面には指オサエの 痕跡が多くみられる。

 14・15は高杯H。14は底部外面にケズリを施し、胎土 に赤色粒子を多く含む。15は中実の脚部内面を円錐状に 削り取る。外面は、ケズリにより面取りがなされる。

 19・20は鉢。19はb手法で調整し、胴部外面にミガキ を施す。20は胎土に赤色粒子が目立つ。

 21~24は甕。21・22の口縁端部はわずかに内に肥厚す

る。21は胎土に赤色粒子を多く含む。23は口縁部外面に 粘土接合痕が残る。胎土には雲母を多く含む。24は器壁 が厚い粗製品。胴部内面はケズリ調整である。胎土には 径2~3㎜の砂粒を多く含む。

 25は甑。胴部外面を目の粗いハケ目で調整し、内面も 全面にハケ目を施す。胎土には赤色粒子と径1㎜ほどの 砂粒を多く含む。口縁部の歪みが大きい。

 26~33は杯H蓋。口径は12.0~15.2㎝。いずれも口縁 端部を丸くおさめ、頂部はロクロケズリで調整する。

26・27は口縁部と頂部の境に凹線が巡る。26・30は灰白 色を呈す。

 34~43は杯H。口径(蓋があたる部分の直径)は、35が 18.6㎝と大きいが、他は12.6~14.2㎝。いずれも口縁端部 は丸くおさめる。底部の調整は、35・36はロクロナデ、そ れ以外はロクロケズリである。40の底部外面にはヘラ記号 がみられ、38の底部外面には文様風の墨書が確認できる。

 44は杯X。底部外面はヘラ切り不調整。

 45は蓋。頂部外面には凹線が一条めぐる。頂部はロク ロナデ調整で、焼成はやや不良。

 46~49は高杯。口径は12.8~14.0㎝。46は脚部に透孔

図Ⅱ︲₄₄ 第₁₇₇次調査谷埋立土出土土師器 1:4 1

2

3

4

19

21

22

24 25

23 5

6

7

11

8

9

13

10

12

20 17 18

16 15

14

0 20 ㎝

(6)

があくが、49は透孔をもたない。47は口縁部外面に凹線 がめぐり、48は口縁部外面に小さな段をつくる。杯底部 外面は、47・49がロクロケズリ、46・48がロクロナデ。

 50・51は短頸壺。50は頸部内面に絞り目が残る。51は 口縁端部に面をつくる。焼成が不良で、器面の磨滅が著 しい。

 52は壺Kで、長い口頸部がつくと考えられる。肩部と 胴部中位に凹線を入れ、その間に櫛状工具による連続刺 突文を施す。

 53・54は甕。53は口縁部外面に小さな段をつくり、54 は玉縁状の口縁部をもつ。

堆積土出土土器  SB275やSD280を覆う堆積土からは、

土師器杯C・皿・高杯・甕、須恵器杯H・杯H蓋・杯G 蓋・高杯・平瓶・甕などが出土した(図Ⅱ-46)。  55・56は杯C。55は一段放射暗文をもち、56は器面の 磨滅が著しいが、内面に放射暗文が確認できる。

 57は皿。口縁端部に面をつくる。内面の磨滅が著しく、

暗文の有無は不明。b0手法で調整する。

 58・59は高杯。58は大型の特異な器形で、口縁部内面 に三段の放射暗文とループ暗文、底部内面に格子状暗文 がみられる。口縁部外面にはヘラミガキを施す。59は脚 柱部外面にハケ目状の条線が確認できる。

 60は長胴甕。胴部の外面調整はハケ目ののちヘラケズ リ、内面はハケ目調整である。胎土に径1㎜ほどの砂粒 を多量に含む。

 64~66は杯H蓋。口径は10.8~11.0㎝。頂部は、65が ロクロケズリ調整、64がヘラ切り不調整である。66は頂 部にロクロケズリを施すが、中央付近にケズリはおよば ない。66は頂部にヘラ記号がみられ、65の胎土には黒色 粒子が多く入る。

 67~71は杯H。口径(蓋があたる部分の直径)は10.9~

12.1㎝。底部外面は、68・69がロクロケズリ調整、67・

図Ⅱ︲₄₅ 第₁₇₇次調査谷埋立土出土須恵器 1:4

26 28 30 32

33

41

42

43

53

54

27 29 31

38

39

40

34 36

35 37

44

48

49

51 45

46

47

50

52

0 20 ㎝

(7)

図Ⅱ︲₄₆ 第₁₇₇次調査堆積土出土土器・土製品 1:4(₇₆・₇₇は1:3)

55

58

57

61

64 65 66

62 63 60

67

71 59

56

72 68

73

75

76 77

74 69

70

0 20 ㎝

0 10 ㎝

(8)

70・71がヘラ切り不調整。69は外面に自然釉の降着が著 しく、68の底部外面にはヘラ記号がみられる。

 61~63は杯G蓋。口径(身があたる部分の直径)は、9.6

~10.3㎝。頂部の調整は62・63がロクロケズリ、61はロ クロナデである。

 72は高杯脚部。透孔は2段で3方向にあく。上下の透 孔間に、2条の凹線がめぐる。

 75は平瓶。口緑部以外は完存する。狭い平底で、肩の 張りは弱い。底部に手持ちヘラケズリを施し、それ以外 はロクロナデ調整。2条一組の凹線が、口頸部、頂部、

肩部にそれぞれめぐる。頂部内面には円盤閉塞の痕跡が 確認できる。灰白色を呈し、胎土に黒色粒子を含む。器 形や胎土の特徴から東海地方産と考えられる。

 73・74は甕。ともに短い口縁をもち、体部外面はタタ キ調整ののち、カキ目を施す。74は内面の当て具が車輪 文となる。また、焼成が不良で、胎土に黒色粒子を含む。

土 馬  石群SX295を覆う堆積土から、残存状態が良 好な土馬が出土した(76・77)。これらは、出土状況から、

SX295を形成する多量の石が投棄されるのとほぼ同時期 に廃棄されたと考えられる。両者とも7世紀代の所産。

 76は胴部がほぼ完存するが、それ以外を欠く。幅の狭 い鬣をもち、胴部断面は円形である。

 77は前脚以外が完存する。鬣は幅が広く、背中には鞍 をもつ。手綱と尻繋は線刻により表現される。四肢の接 合は差し込みによる。

各土器群の位置づけ  谷の埋め立ては、土層の状況か ら短期間におこなわれたと判断できる。そのため、谷埋 立土出土の土器群にはある程度の一括性を認めうる。

 谷埋立土から出土した土師器には杯Cが存在し、高杯 Cの杯部が深い。須恵器では、杯Hの口径(蓋の口径また は身の蓋があたる部分の直径:以下同じ)は13~14㎝を中心 とし、小さいもので12.0㎝を測る。頂部・底部の外面は 大部分がロクロケズリ調整で、ヘラ切り不調整のものは みられない。ケズリの範囲が広いものも散見する。また 須恵器に杯Gは認められない。これらの特徴から、谷埋 立土出土土器は、飛鳥Ⅰ段階のうちでも古相に位置づけ られる。古相の段階は実年代を考える資料に乏しいが、

飛鳥寺下層や山田道第3次黒褐色土層出土土器よりやや 新しく、7世紀初頭を中心とした年代を考えておきたい。

 またこの谷埋立土出土土器は、本調査区より南の谷

でおこなった第157次調査 2)の石垣埋立土出土土器より は古い様相をもつ。このことから、第157次調査の石垣 SX100の造成~機能時期と本調査区での谷の埋立時期が 併行関係にあると考える。

 一方、SB275やSD280を覆う堆積土から出土した土器 群については、土師器に皿が認められ、須恵器では杯G が確実に存在する。須恵器杯Hの口径は11~12㎝が中心 で、頂部・底部がヘラ切り不調整のものがみられる。出 土層位が「堆積土」という性格であるため、一括性は低 いが、SB275・SD280の上層から出土したこれらの土器 群の様相は、下段平坦面に展開する遺構の廃絶時期を考 える上でひとつの目安となる。飛鳥地域の基準資料と 比較すると、山田寺下層SD619および整地層出土土器に もっとも近い。下段平坦面で検出した遺構の廃絶は、こ れから大きく隔たらない時期と考えられ、若干年代に幅 をもたせたとしても、7世紀半ばには廃絶していたと考

える。  (若杉智宏)

瓦 磚 類

 丸瓦142点(15,630g)、平瓦606点(44,630g)、軒丸瓦3 点、軒平瓦1点、ヘラ描き平瓦2点、このほか壁土20点

(150g)、榛原石3点(2,580g)が出土した。

図Ⅱ︲₄₇ 第₁₇₇次調査出土軒丸瓦 1:4

1

2

(9)

 軒丸瓦3点のうち2点を図示した(図Ⅱ-47)。1は破 片であるが、直径23㎝程度に復元される大型品である。

素弁八弁蓮華文で中房蓮子は中央の1顆とその周囲を巡 る1顆のみ残る。蓮弁と比べ間弁と外縁が非常に高く、

中房は低く膨らむ。これまでの甘樫丘東麓遺跡の調査で は同笵品は出土していない。黒褐色を呈し焼成がやや甘 く軟質である。調査区西部の石群SX295と遺構廃絶後の 堆積土で出土した2点が接合した。

 2は、素弁十一弁蓮華文で、中房蓮子は1+5。飛鳥 寺Ⅲaと同笵である。瓦当裏面は中央を中高に作り、丁 寧なナデをほどこす。褐白色を呈し焼成は良好である。

大土坑SK290から出土。もう1点の軒丸瓦は単弁蓮華文 と想定されるが小片であり表面が摩滅するため詳細は不 明である。堆積土から出土。  (清野孝之)

木製品・銭貨・骨製品ほか

木製品  調査区南東の谷埋土から加工棒や燃えさしな どが整理箱2箱分出土した。

銭 貨  石群SX295を覆う堆積土から神功開寶(初鋳 765年)が1点出土した(図Ⅱ-48)。脆弱なため付着土を 除去できないが、X線写真によって銭文を確認できる。

直径2.35㎝、方孔は内寸で一辺0.60㎝。

骨製品  谷埋立土下層から、刻み目をもつ骨製品が1 点出土した(図Ⅱ-49)。近位端は欠損しているが、遠位 端の滑車形状からウマの中足骨(右側)と同定できる。

全長17.4㎝、最大幅3.5㎝。骨全体を平滑に加工したうえ で、骨の上半部10.5㎝の範囲に多条の平行沈線を施す。

沈線は3面に及び、全周しない。沈線の断面形は凹状を 呈し、深さ0.1~0.2㎝である。平行沈線の中央部には擦 痕が認められ、凹みがなくなるほど擦り減っている箇所 もある。使用痕の可能性があろう。こうした刻骨は弥生 時代以降にみられ 3)、簓状の楽器あるいは祭祀品とする 見解も示されているが、その機能は不明である。

鉄滓・焼土  整地土上面を覆う堆積土から鉄滓345g、

焼土323gが出土した。焼土のなかには、スサ混じりの ものが散見される。

4 自然科学的分析 動物遺存体

 谷埋立土からはウマの大腿骨近位端、ニホンジカの大 腿骨、馬歯など13点の動物骨が出土した。いずれも人為 的な加工は認められない。また、大土坑SK290から種不 明の焼骨片が1点出土した。

大型植物遺存体

 谷埋立土下層から桃核6点が出土した。また、後述す る土壌サンプルの一部について、2㎜および1㎜の篩に よる選別をおこなった。その結果、試料No.4からヤマ アイの炭化種実、試料No.5からはヤマアイとブドウ属 の炭化種実をわずかに確認した。

小型植物遺存体

 小型植物遺存体は古植生や堆積環境の復元に欠かせな いものであり、本調査でもその回収と分析を実施するこ

図Ⅱ︲₄₈ 神功開寶 1:1

図Ⅱ︲₄₉ ウマ中足骨製の刻骨

裏面 表面 X線写真

40kV-0.8mA- 1min/SR

裏面

右上:表面の擦痕、右下:裏面の加工痕 表面

0 1 ㎝

(10)

図Ⅱ︲₅₀ 谷埋立土における花粉分布図

図Ⅱ︲₅₁ 谷埋立土における植物珪酸体分布図

樹木花粉は樹木花粉総数、草本花粉・胞子は産出花粉胞子総数を基礎として百分率で算出する。

*は樹木花粉 100 個未満の試料について算出した分類群を示す。

図Ⅱ︲₅₂ 谷埋立土における珪藻化石分布図

すべての分類群を表示する。

*は 50 個体未満の試料について検出した分類群を示す。

(11)

ととした。小型植物遺存体は通常の発掘調査手法では回 収できないので、土壌サンプルを採取して株式会社パレ オ・ラボに分析を委託した。試料採取にあたっては花粉 や珪藻化石が遺存している可能性が高い場所を検討し、

調査区東南部の谷埋立土を選定した。具体的には、谷 の北壁および東壁に6ヵ所の試料採取地点を設け(図Ⅱ -40)、各試料について花粉分析、プラント・オパール分析、

珪藻分析を実施した。花粉分析およびプラント・オパー ル分析は森将志(パレオ・ラボ)が担当し、珪珪藻分析は 藤根久(同)がおこなった。なお、各分析方法 4)は詳述 しないが、2012年度の第171次調査時と同じ方法である。

 株式会社パレオ・ラボより提出された報告書をもと に、分布図を提示して分析結果を簡略に記しておく。た だし、今回の分析試料は谷埋立土であり人為的な影響を 考慮しなければならないため、分析結果から導き出され る古植生を調査区周辺のそれと断定することはできな い。分析結果の解釈には慎重を期すべきであり、ここで は分析結果を提示するにとどめておきたい。

花粉分析  検出された花粉と胞子の分類群数は、樹木 花粉21、草本花粉15、シダ植物胞子2の総計38である(図

Ⅱ-50)。ただし、全体的に花粉化石の遺存状態が良好で はなく、試料No.2・4・6については充分な量の樹木 花粉を検出できなかった。なお、試料No.1からは栽培 植物のソバ属とベニバナ属がわずかに産出している。

プラント・オパール分析  7種類の機動細胞珪酸体を 確認できた(図Ⅱ-51)。試料No.1・2からはイネ機動細 胞珪酸体とイネ穎片が産出している。花粉分析において も、両試料ではイネ科花粉の増加が認められる。

珪藻分析  検出された珪藻化石は、淡水種20分類群11 属17種である(図Ⅱ-52)。試料No.6からは珪藻化石がまっ たく検出されなかった。   (和田一之輔)

5 ま と め

 調査の結果、以下の遺構変遷が認められた。

ア:谷を切土・盛土し平坦面SX270・271を造り、掘 立柱建物SB275・279を建てる。

イ:SB275が廃絶し、素掘溝SD280・土坑群などを造る。

ウ:SD280を埋め立てSX271に盛土を施し整地し、長 方形土坑群が掘られる。

エ:すべての遺構が廃絶し、堆積土で覆われる。

 下段平坦面SX271を造る谷の埋立土からは7世紀初頭 の遺物が出土していることから、アの造成は7世紀前半 のうちには実施されたとみられる。一方で、エの堆積土 のうち、遺構面を覆う土から出土した土器の多くは、7 世紀前半~中頃に位置付けられるものであることから、

ア~ウの遺構が廃絶した年代は7世紀中頃をあまり降ら ない頃とみられる。したがって、調査地は7世紀前半に 造成された後、ある程度の期間使用され、7世紀中頃に 廃絶したと考えられる。

 このように、本調査地では7世紀初頭以降に谷を大規 模に造成して平坦面を造り、建物を建てるなどの土地利 用がおこなわれていたことがあきらかとなった。SB275 は布掘掘方をもつ総柱建物で、高床の建物の可能性が考 えられる。布掘掘方をもつ建物は甘樫丘東麓遺跡では初 めての検出である。SB275廃絶後は、SD280とその周囲 を中心に何らかの施設が造られるが、全体的に遺構が少 なく、調査地の性格を特定するものはなかった。

 本調査地が位置する谷は、これまで継続して調査をし てきた南の谷と比較して、面積が狭いが同じ様に切土・

盛土などの造成をおこない、様々な施設を造り活発に利 用していたことがあきらかとなった。また、本調査地の 造成の年代が7世紀初頭~前半とみられることと、南の 谷の造成時期が7世紀前半と推定できることから、甘樫 丘東麓全体が大規模に造成・利用され始めるのは、7世 紀前半であったと言えよう。その後、南の谷が7世紀中 頃に埋め立てられ再利用されるのに対し、本調査地は7 世紀中頃に廃絶し、以後は利用されなかったとみられ る。今後周辺の遺構の広がりを調査していく中で、本調 査地及び遺跡全体の性格が解明されることを期待した

い。  (大林)

1) 「甘樫丘東麗遺跡の調査 ―第171・177次」『紀要 2013』。

2) 「甘樫丘東麗遺跡の調査 ―第157・161次」『紀要 2010』。

3) 木村幾多郎「刻骨」『弥生文化の研究8』雄山閣出版、

1987。松山友子「館収蔵の刻骨」『黎明館調査研究報告』

第3集、鹿児島県歴史資料センター黎明館、1989。大竹 憲治「卜占に係る刻み目痕を持つ骨角製文物考」『地域と 学史の考古学』杉山博久先生古稀記念論集刊行会、2009。

4) 森将志・藤根久「3 花粉分析」「4 プラント・オパール 分析」「5 珪藻分析」『蒲船津江頭遺跡Ⅲ』福岡県教育委 員会2011。

(12)

図Ⅱ︲₅₃ 檜隈寺周辺の地形図 1:₁₅₀₀₀

177次 177次

180次 180次178‑12次 178‑12次

178‑6次 178‑6次 173‑8次 173‑8次

甘樫丘東麓遺跡 甘樫丘東麓遺跡

檜隈寺 檜隈寺

キトラ古墳

キトラ古墳 00 500m500m

参照

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