戦
経 後
済 戦 時
と
昌
山 県 立子 に
C T )
目 次 第一 節︑ 序説 11 戦時 戦後 の概 観 第二 節︑ 軽工 業か ら重 工業 へ
1︑
紡績 工場 の転 換
2︑
金属 機械 工場 の強 化
3︑労務事情
第三 節︑ 終戦 後工 業の 推移
1︑
終戦 後の 軍需 工場 2︑賠償計劃の近捗
3︑
平和 産業 の回 復 第四 節︑ 電力
1︑
発電 所建 設状 況
2︑
電力 需要 の変 遷 第五 節︑ 戦時 下の 農業 第一節序説!戦時戦後の概観
太平洋戦争市のわが国経済の推移についてはコ1ヘン著﹁戦時戦後の日本
経太﹂等に詳しく述べられている︒戦争中総ては戦争目的に集中され︑産
業界は挙げて軍需品の生産にカを注ぎ︑民需生産は削減され大規模な軍備計
劃に伴い重工業は急速に発展した︒近代戦は港大た軍需品︑科学兵器を必要
とする︒昭和五年︑昭和十一一年︑昭和十九年の一一一期を£って比較してもとの
金 融
︵ 上 ︶
け る 実 証 的 研 究
密 |
正
士口
田
植
村
JC
主主A
F己
間航空機は四百機より五千機更に一一一力機以上へ︑艦艇は一万五千トンより二
三万トン更に四六万トン︵外に商船一三五万トン︶へと飛躍的に発展した︒
とれにつれて鉄鋼︑アルミニューム等重工業茶礎原料資材の生産も増大した
ので
ある
︒
とうした圏内情勢下にあって宮山県の経済界も亦例外ではありえなかった︒ト
ヲ月 uy
既に第一次大戦前後より電カ資源の開発に伴って木県の工業は躍進を続けて一
rいしたが︑特に大平洋戦争中は軍需工業が股賑を極め︑航空機︑軽金属︑工作
機械︑兵器︑艦艇等の軍需工場が多数設立され拡張をみた︒終戦時に沿いて
四十五軍需会社指定工場︑十八管制工場︑一一十六監督工場計八十九の軍需工場が存在し︑との他一千近くの中小工場が協力工場として軍需に関係してい
た︒かくて木県の工業生産は昭和十七・八年は全国府県中九︑十位に進み終
戦直前は全国第六位と推定される迄に工業は躍進を遂げたのであるo
木県の工業立地条件の特徴としては曲一尋問低廉友電ヵ︑水稲単作地帯農村を9
背景とする勤勉集一宮低廉友労働力︑伏木宮山両港の交通の便等が掲げられる
が戦時中は裏目木工場疎開の適地として特に航空機等の軍工場が疎開してき
た為本県は異常た発展振りを示し︑労働供給県が逆に労働不足を呈し︑他府
県より多数の徴用その他の勤労者を受け入れたのであるo
軍需生産は民需品を生産する諾産業から多くの資材ム﹂労働カを奪い︑終戦
に近ヂくにつれ海上封鎖の強行︑都市爆撃によって市民の生活は愈々苦しい司
ものになった︒木県においても農業は応召徴用で労働力は不足し︑耕地の一潰
蹴︑肥料の不足等に悩みつつも生産の維持に努力が払われたが終戦時は未曾
有の凶作とたった︒小売商は整備され五割程度は転廃業し宮山の特殊産業の
売薬 も統 合さ れた
︒
戦時中軍事費の支出は莫大友額に上り臨時軍事費特別会計は累計二千一一百
憶に議したがその大部分は軍需会社への支払であった︒昭和十八年十月軍需
会社法が施行され金融機関が資金の供給を引受けるとととたり︑財政支出︑
軍需融資の町より多額の資金が放出された︒
木県は前述のように多額の軍需関係工場が拡充又は新設され︑重要友新興
工業地帯を形成したが︑大部分は東京に本社を有する大企業のJ分工場又は寧
工廠であった︒不一一越を初めとする地元工場も多くは興銀︑戦時金融金庫等
より宇一た融資を受け軍の前払も円滑に行われたので資金的に困るととは少く
地元銀行の直接軍需融資は比較的問題が少たかった︒軍需以外の融資は艇カ抑圧され︑地元銀行は貯蓄吸収というととが最も大
きた使命とたっていた︒政府は戦時金融統制の見地より銀行の合併を盤強し
官山県下では銀行が北陸銀行一行に統合されるに至った︒
昭和一一十年八月一・日富山市は完膚友き起に焼爆を受け十五日遂に無条件降
伏と友ったのであるが︑戦後の県民生活は戦時中にも劣らぬ苦しみと困窮の
連続 であ った
︒ ポツダム宣言に指示ノ︿初期対日占領政策の茶木は日本の非軍事化に沿かれポ1レ1報告の段階において日本の戦争潜在カを除去する為に財閥解体︑農
地改革︑軍事工場施設の撤去︑労相の助成等が着手せられた︒
戦時中段賑をM側めた県下の軍需工場も終戦で忽ち麻痔状態に陥り︑航空機兵掃工場一は勿論その他重工業は全く低調とたり繊維︑化学肥料のみは漸次復興するに至った︒木県所在の旧軍需工場八十九のうち二十三工場は閉鎖し六
十六ヱ場は平和産業に転換したが終戦直後は賠償機械の指定があり全般に低
調であり︑石川︑福井県の絹人絹織物が所謂ガチャマンの好景気を謡歌したの
に比し木県のヱ業は戦時中華かであっただけに戦後は憂慢であったといえる︒
c 2 )
戦後一番大きな問題はインフレの一進行である︒戦時中の潜在的た物と金の
矛盾︑治大た軍関係支払︑民需物資の欠乏が戦後公然と表同化しその上老大
無方針に財政資金が支出され︑預金封鎖︑財産税︑政府補償の打切り︑各種
物資の統制強化等一連のインフレ対策は本来の目的が骨抜きとなり︑﹁正直
者が馬鹿をみる﹂といった混沌たる世情を現出したのであるo
戦後わが国一般︑特に都市K−おいて衣食住の困窮は甚しかったが︑比較的
食糧豊富であるべき木県においても例外でたかった︒昭和一一十一年二月県食
糧営団の在庫主食量は県内消費の一二日分にす宮守︑戦災後富山市民はバラッ
ク生活の中より復興へと起ち上ったのである︒
戦時︑戦後わが国は明治維新にも比すべき政治経済の一大変革に際会し︑国民の多一くは苦しい生活を送り︑金融も亦異常た推移を辿った︒
以下本県の工業︑電力︑農業︑社会︑商業︑金融等について戦時戦後の推
移を述べるとととする︒
註戦 時戦 後の わが 国経 済に つい ては 代表 的労 作と して コ lへy
︑米
国爆
撃調
査団
︑
日本
銀行
調査
局等
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れた
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︒そ
の他
日本
資本
主義
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史的
研究
につ
いて
多数 の書 物が 出版 され てい る
o然
し一 地域 につ いて の具 体的 調査 は比 較的 少い よう
であ
る︒
木稿
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山県
にお
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戦時
戦後
経済
金融
の推
移会
一省
察し
実証
的研
究を
行っ
たも ので
︑北 陸銀 行調 査部 が各 方面 より 集め た資 料に 基く もの であ る︒
...... 40ー 第=節軽工業から重工業へ
戦前にゐける富山県の工業を概観するに︑綿紡結工業は工業中の花形であ
るとともに全国に冠たる工業であった︒
即ち工業発達の経緯をみるに︑明治中期に高岡紡績︵現日清紡高間三戸
出物産︑小坂機業場等の繊維工場一が設立され︑その後大正年間から昭和初期
にかけ化学工業関係の工場が相次いで設立された︒その主友ものをあげると
北陸人造肥料︵明治四十年i現日産化学伏木︶中越電気工業︵大正六年﹀東
亜合成伏木︵大正七年﹀十条製紙︵大正八年﹀燐化学工業︵大正十五年﹀日
産化学富山︵昭和コ一年﹀保土谷化学宮山︵昭和四年︶官山化学︵昭和五年﹀
く3)
等で︑これらの多くは電源開発によって県内に誘致をみた工場であろ︒しか
し︑昭和五年以降は綿紡結ヱ業が盛んとたり呉羽紡呉羽︵昭和五年︶同井波
へ昭和六年﹀敷島紡笹津︵元︑一冗満織物︶日清紡宮山︑呉羽紡庄川︵昭和八
年︶同宿野︵元︑宮山紡結昭和九年︶日本繊維宿山一フミl工場︵昭和九年︶
呉羽紡入善︵昭和十年︶日東紡泊︵一万︑仙紡績昭和十一一年︶等大手諾社の工場が設立された︒当時は︑国内的には満州事変以後の軍拡に伴う国民購買力
の増加︑対外的には金輸出川禁止後の為特相場の下落があって︑わが国綿業
は大きく飛躍を遂げたのであるが︑料紡増設の勤きが気候条件︑動力︑労働
条件の良好な宮山県において工場誘致の形で具体化したわけであろ︒
かくて仲間山県の戦前の工業構成は綿紡績を中心とする軽工業が主流を占め紡強部門の生産制は終始工業生産傾の五割以上に達していた︒
じかしたがら昭和十一一年七月日華事変が勃発し︑わが国経済の再編成が時
代の要請とたるや軽工業中心のわが国工業は重工業中心のそれに大きた転換
な泊 られ た︒
かくて昭和十一一年より十五年にかけ本県では重工業︑就中AR属工業が顕著
た発琵
hf v遂げていったのであるo
例を 鉄鋼 業に と れば
︑日 華喜 一変 前県 内に は
日本鋼管宵山︑日本電気治金大門︑日曹製鋼岩瀬︑北海電化伏木︑不三越銅
材一泉町山等五工場が電気銑︑合金鉄︑特殊鋼等の生産に従事していたが︑事
変勃発後十五年末までに日木高周波宮山︑日曹製鋼官山︑新報国製鉄宮山︑
中越−沼化等間工場が設立された︒叉アルミの生産では︑日満アルミの他︑新
たに古川アルミ宮山工場が設立され︑かくて余属工業生産制の工業全体に占
めろ割合は紡位部門の低落と反対に著増した︒又機械工業部門は工場の新設
とそたかったが生産は急増した︒
右のように宮山県重工業は昭和十一一
ll
十五年刊に工場誘致が相次官己︑生産制において急速た飛躍を遂げたのであるが︑とれを可能たらしめたものとし
て︑木県間有の要因︑例えば工業立地条件が重工業の発速に著じく過していたととに留話する要があるo即ち木県鉄鋼業の殆んどはいわゆる電炉鉄鋼工
業であり︑製品たる特殊鋼︑合金鉄が直接間接に兵紫︑航空機生産に不可欠
昭 和12〜17年間部門別工業生産の推移(単位千円〕
竹「iQ荷台空中一妄:~烹l
agrn f is5,875f 1001 ioo,220fii3.判 49,826[26.刻 21,640[11.到 5,423[2.rn I 21s, 6791 ioo1 96, smf44.司 56,75Sj26.0I 43,420fl9.9! 11,9741 5.剖 14 I 310,5121 1001 iu,105f35.s1 73,nl5f23.創 SO,Sii.5:26. OI 29, 2271 9. 1.5 I :>G2, 114引100[ 97,9.51[27.0f S.5,308j23.同117,:1:m32.倒 40,647[11.到 16 I 483 01・引1001 106 133122. Oi 117 0以)店l4.引:1.5抗9時6182,.51 74 37511.5.4 17 I Gil:l,.5叫 1001106,5081此 SI211,4
く;室!山り己工~!:統計表より f「成〕
たととろから平時以上の好刺戟をうけた
ととは当然であろが︑当時の宮山県は日
満支ブロック交易上枢−要た位置にあり︑
電力資似の開発又著しく進捗していたの
であ る
o
註例えば日前アルミ宮山ハ現︑昭和電工
宮山
︶︑
日摘
出荷
同等
の工
場は
日満
支プ
ロッ
グ安 易の 利点 の下 に富 山︑ 伏木 両港 に近 く設 立さ れ︑ 終戦 時の アル ミ生 産能 力は
年限
一万
九千
一一
目ト
シ︑
全国
九工
場の
龍
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一一
一万
一一
千ト
シの
一割
五分
近く
な占
め
ζ
いた
︒
間和十一一年日華事変の勃発以来わが国
経辞は戦時統制の段階に入り︑重工業化
は促進されたが︑施策の重点は既存重工
業の拡充強化にゐかれ︑軽工業部門に対
しては向ら掠業転換するもの宇佐除き業種
転換に関する積極的な働きは格別行われ
たか った
︒
しかし︑不急産業︑軽工業部門の自主
的整州統合は荒々進められ︑とくに太平
洋戦争前後からは︑国による民需産業の軍需転換促進等︑経皆︑産業構造の
会問的再編成が強行され︑国家総動員法に基いて各部の画期的統制が試みら
れた
︒
‑q1ー
紡結工場の転換
代表的平和産業であり木県に関係の深い紡松工業をみヲ?と︑海外の経済的
重圧に加え︑国内的に臨時資余調整法︑国家総動員法等の影響をうけ不振状
態にあったが︑昭和十五年八月いわゆる経済新体制確立要制に某く政策の転
1
換が行われてからは企業整期統合の対象とたり︑昭和十六年三月までに紡連
加盟七十六社を十四プロックに統合する第一次整備が実行された︒
紡績部門の整備はその後第二・第三次まで続けられ︑最少必要限度以外の
工場設備はあげて休止工場︑閉鎖工場として軍需に転換されたのであろ︒
とれを宮山県の場合についてみると︑昭和十一二年六月末には九工場七十一万九千八百八十錘で兵庫県に次官d全国第五位にあったが︑太平洋戦争後犬建
︵呉紛﹀呉羽工場を初めとして五工場が軍需工業に転換を余儀たくされ︑設
備はスクラップ化︑或いは南方に撤去され︑大建産業入善工場他四工場が次
の如く操業していたにすぎない︒
軍需工場に転換した工場は一︑ごを除い
て殆ん左が航空機生産に従事した︒即ち大
建呉羽は呉羽航空機呉羽工場に転換して︑
試作木製機部品の接合組立に従事︑終戦ま
でに一一機を試作し福野︑井波︑大門の三工
場も ゴ一 夢第 十一 製作 所の 整備
︑組 立︑ プレ ス
工場にそれぞれ転換︑終戦までに組立てた
機数は二百数十にのぼるといわれている︒
戦時中における木県航空機工場はこのよ
場 鳩 蛾 酔 欄 間 半
1 うに紡績工場から転換したものが多く︑他 工 建 島 東 活 言 亡 暁 産 業
︵ 絹 織 物
︶ 石 動 産 業
︵ 絹 人 絹 織 物
︶ 大 ん ゲ 敷 日 日
t
il li iE li
−
=i石川島中越製作所︵綿布・麻布﹂野村製作
所︵カクン撚糸ボビン︶魚津木工︑加越共同機業場へ絹織物︶等の地元中小
工場及び高田アルミ宮山︑扶桑金属宮山︑問魚津︑町一研金属高岡工場等の参
加もあったがその程度は徴々たるものであったようである︒
叉昭和十六年に設立の鏡紡高問︑小杉の両工場は︑前者はスフ糸︑スフ麻
混紡糸を︑後者は人絹織物の生産を行っていたが︑十九年七月高岡工場は名
古原陸軍造兵廠高間工場に転用されて機関砲弾の生産に移り︑後者は東京第
一陸軍造兵廠小判官製浩所に転用︑高射砲︑機関砲弾用信管の生産に従事した︒
〔J) I
太平洋戦争下における紡織ヱ場設備状呪 総繰台数
304 207
1,140 1.651 勧機鍾数
96,992 77,504 84,656 15,l'JO 41,228 215,500
〔但し大建産業井波工場は一部のみ傍議〕
2金属機械工場の強化
昭和十六年以降新たに北海電化能町︑不一一越鋼材萩浦︑向山室︑荏原製作所宮山等の工場が設立され扶桑金属宮山製作所は建設中に終戦とたった︒
木県の金属機械工業部門で生産される電気鋭︑特殊鋼︑合金鉄︑精斡軸承
は兵器︑航空機の生産用に不可欠とされ︑治具︑工具類の増産︑また緊急とな
っていたため主要工場の殆ん左は軍需会社工場︑管制川工場︑監替工場に指定
されその他の中小工場も下請或いは協力工場として従属関係に入った︒左表
は鉄鋼関係の品目別生産高を示すが合金銑及び普通鋼鋼塊に伸び悩みがあっ
た外︑電気鏡︑特殊鋼鋼塊︑同鋼材等はいやyれも逐年増産を記録して終喰に至っているo
︶
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14
間 同 国 一 Q O W 4 0 0 a
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推摘 言語 判例 制
1叫喜志民一四一
8 ρ γ 8 4 0 白 人 一 同 一 部 切 必 お
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一 同 一 2 2 4 5
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山 町
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製 又軸受・工具・治具等の生産高は資料不備のため明らかでないが︑代表的メーカーたる不二越鋼材の生産額は次表に示す推移を辿り昭和十九年ピークに到達じているo
軍需生産に関連して県内にゐける兵器生産
の状却んをみるに前述した陸軍造兵⁝靴工場以外
に不一一越鋼材山室工場があるo山室工場は当
初県川海軍工廠から発注をうけ︑同工械から
工作機械約一二五台の貸与をうけて高角砲部
品︑機関砲部品︑弾休等を生産したがい十れ
も量産の域には遺したかったようである︒
ムな札曲︑木県工業の推移を商工省調会国工業
生産制の府県別順位でみるに︑昭和九年は全
国第十八位︑十二年第十四位であったが︑十
七・八年には九・十位に進出し︑終戦前には
六位と推定されてゐり戦時中木県工業が如何に躍進したかが窺われるのである︒
3
労 務 事
情 電 気 銑特殊鋼々材 普通鋼々沈 特殊鋼々援 合 金 鉄
一 位 一
く千円〕
| 工 具 その他| 計
昭isI s. 抑 制I 8,8担
14 17, 1, 672 19,833 15 25, 2, 1,911 31,338 16 38, 3, 4,550 1,513 48,3611 17 52, 6, 8,884 1,070 68,99~
18 64, 11, 17,464 3,784 97,419
20 I凧 14 23, 793 12, 0:31 く註〕
c 5 )
富山県ヱ業立地の一条件として
農村を背景とする労働力の豊富た
ととがあげられ幾多の紡績工場︑
化学肥料工場の誘致をみるに至っ
たととは既に述べたところである
が︑同時に空襲よりの待避を考慮
して生産の安定性をもっ地域が選
ばれ木県に工場が設立された喜一も
考えられ︑労働供給県の木県の地
位は戦時中一転して需要県とたり
労働者の不足をきたした︒拡張を
続けろ重工業がより多くの労働力
を必要としたと共に供給源たる農
村労働力は応召︑徴用によって掴
渇して了い︑農村自体が労働力不足に悩んだ︒戦争下最初の数年は国民徴用
令︑企業整備令等により重工業部門の労務需要を賄ってきたが︑十九年頃かL工場疎開が繁しくなり努務者九万余︑労徒動員一万数千に加えて一史に新設
拡張のため︑数万の努務者が必要とみとまれるに至った︒
た沿断片的た資料ではあるが企業整備令に基く小売業者の第一次整列状引
をみても︑次の如く県内全小売業者の五割以上を時局産業へ送り込んで沿
り︑他の従業者数を加えるとその数は相当に上ったものと思われる︒
第一次小売業整備状呪
整 列 前 業 者 数 一 五
︑ 四 六 五 店 舗 転 鹿 業 者 数 七
︑ 九 八 一 残 存 業 者 数 七
︑ 四 八 四 転 魔 率 五 一
・ 四
%
︵ 北 銀 調
︶
又︑著しい例として名古屋から木県に疎開してきた一二葬第十一製作所には
終戦直前六︑五
OO
名の労務者がいたが︑その内訳は一般工員の外に学徒一一︑
(不二越鋼材)
浪lll軸受鋼球|
製鋼部門は除く。仁不二越本社調〕
産 額
生
000
名︑韓国労務者七
OO
名︑
一単
勝一
︑
000
名を擁した︒学徒一は地元学
校以外に鹿児島︑山口︑広島︑愛知︑滋賀︑長野︑石川等の各県から来でい
た︒叉木県の金属機械工業の代表的企業と目される不一一越鋼材株式会社では
軍需会社︑軍管川崎工場として労務の充足に非常友便宜を得ていたが︑なむ労
務不足に陥り県内をはじめ石川︑福井︑長野︑三重︑滋賀︑京都︑秋田︑山
形の八県が従業員募集区域に指定され︑報国隊や韓国から挺身隊も加って従
業員
数は
コ一
六︑
一一
名に達し︑そのうち約三万人が県内工場に従事した︒O五
それに連合国軍の梢虜が恭子名いた︒この様な数多くのタ務者は県外の者は
寮に 大部 分︵ は収 容さ れた
︒
旧宮山市内の東端に在る某工場に通勤すぷ従業者の出退時聞には宮山市内
の東丙の道路では朝は街を東の方にタには同に向って従業者の群が波の様に
続いて押しょせたと云われる位であった︒
第三節終戦後工業の推移
ヲn v
a姐τ昭和一一十年八月十五日終戦当時の官山県には間十五軍需会社指定工場︑ト
八管川工場一︑一一十六監怪工場合計八十九の軍需工場が存在し︑ζの他一千近
くの小工場が下請或いは協力工場として軍需に関係していた︒しかし︑戦後
対日賠償計画が進捗し︑賠償管削工場の指定が行われるや︑官山県では一一十
一年十月末までに航空部門六︑民間兵器一一︑工作機械問︑軸承一︑化学問︑
合成ゴム一︑火力発電一︑計十九工場の賠償指定をうけた︒とれら賠償指定
をうけた工場はい?れも県下の代表的工業部門を担当していたものであり︑
又賠償指定をうけたかった工場においても原料資材の入手難︑工場従業員の
離職︑帰農等から活動不振に陥り︑県下の工業は重大た危機に見舞われた︒
いま︑有業人口の各産業部門におけろ分布状呪から終戦前後の産業構成︵
第一表︶をみるム﹂昭和十九年三五・一一%を占めていた第一一次産業部門︵主と
して製造工業︶は二十一年には一二︑九%主激落し︑他方第一次産業︵主と
して農業︶第三次産業へ流通業・尚由業等︶両部門はいやれも大巾に増加し
てい
る︒
く6)
第一次産業の増加はいわゆる帰農傾向をあらわ
すものであり︑第三次産業部門の増加は恐らく経
済の混乱期を泳ぐブローカー等本来潜在的失業と
して扱われる者が有業人口中に合まれている結果
と思われる︒両部門に沿ける有業人口の増加が︑
主として工業部門の減少によって斎らされたとと
は論をまたないととろで︑昭和一一十年九月十五日
現在の調査によると終戦時の軍需工場従業者十二
万余名のうち四万名以上が各工場から引掲げたと
発表 され てい る︒
終戦後の軍需工場
終戦直前の宮山には合計八九の軍需工場がありその他千近くの工場が下請
或いは協力工場として軍需生産に関係していた︒終戦によってとれら工場は二粛に操業を停止し︑一時的に休業廃業は続出したが︑とれを以上の八九工
場に づい てみ るエ
﹂一 一十 一年 一一 一月 二日 間在 で次 表の 結果 が得 られ る
o
一副
1141司
id
一司旧軍需工場の民需転換が最初に政府によl
一 閉 一 一 翻 っ て と り 上 げ ら れ た の は 一 一 十 年 九 月 四 日 商
兄一様一日
2 4 η
一加工省が暫定措置として﹁終戦に当而ナる商
と い
J 一
14 il
−−一服工重要施策﹂を採択してからであろo
然し 牒一躍︒り L割一一一たがら︑商工省の商工施策が実際に絡につ
の一!
1 7
明 可
判 4
1 1
五いたのは九月二十三日付
SCAP指令第三
王 ク 圃 社A ノ 一
A V A
句h Q U m T J 一 副 訂 一
ι
四 千± L
誠 一 誠 一 一 切 手
Jにより総司令部が日木政府宛に工業︑農曜日民町駅
1 1
一昨業︑漁業等の生産品及びその他一切の生活 1
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監駐紅計一附必需品の生産助成及び原料︑燃料︑設備︑
一区一閣時時暗一︒労カ等の優先割当も命令してからである︒
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総司令部からは引続き指令第四号が発せ
られ︑禁止品目︵兵器︑弾薬︑軍用器機等︶生産工場の転換には各関係工場
毎に個々の申請書を総司令部に提出すべきととを現定じたがとれにより︑旧
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軍需工場の民需転換に関する大制方針が確立された︒
県内 所在 の旧 軍需 工場 八九 の中 一一 十一 年コ 一月 一日 起に 一一 三工 場が 休業 乃至
閉鎖し︑残り六六工場が民需に転換したととは前括表で明らかであるが︑当
時禁止品目生産工場の状呪をみるエ﹂殆ん左が民需転換扶業の希望を抱いてい
航空機及び兵器関係 た ︒
航空機工場については応急策乏して﹁アルミニューム﹂﹁ジュラルミン﹂
﹁木材﹂等手持資材により鋼︑祭︑弁当箱︑米びつ︑杓子︑培取り等の生活
必要品及び文房具類の製造に転換したが︑恒久策
需に転換したものは特別支障のない限り犬体燃前の生産分野に復元すろ方針 TFては白家保有設備を半﹂L
をもって臨んだ︒兵器部門については絹紡機︑建築ボルト類︑電灯ソケット
電気機械器具等の生産靖子に準備し︑恒久策の設定には困難を感じていたよ
うで
ある
︒
鉄鋼︑軽金属関係
特殊鋼は需要減退により一部操業に留り︑残余設備は普通鋼︑電気鋭等に
転換計画︑合金鉄は主要用途たる鉄鋼の生産減︑原踏石︑プリlズの入手難
等か ら一 一十 一年 三月 は一
t一一炉程度の操業状態にあり北海電作伏木工場中越︑
電気工業両工場は残余設備をあげてカーバイド生産に転換した︒軽金属はそ
の設備が多分に賠償に充当を予想されるため転換遅延の傾向にあったが︑昭
電宮山工場は一部設備を利用して電気製塩︑﹄沼気鋭︑ヵ1パイドに白木曹達高間工場は大規模た電気製塩を行うべく唯備した︒
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化学工業関係
化学工業は特殊用途のものを除き犬休そのまま民需に転用し得ろものであ
り︑特に硫安石灰察素等の化学肥料は大増産そ要請されたため日産宮山︑日
本カーバイド魚津は拡充工事を実行︑ただし壮大の臨路として石炭の供給不
足があげられ叉曹達工業については原塩小輸入不確定のため予想の成果をあ
げた かっ た︒
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機械工具類関係
工作機械は販路関係から殆んど中止状態.軸承類は一部操業の程度︒僅か
に扱業継続した部門は車輸︵立山重工︶ポンプ︵荏原製作所︶生産部円であ
り︑不二越富山は自転車︑ヂーゼルエンジン︑時計︑自動三輪車︑山室工場
は電気機械器揖F呉羽工業福野︑大門商工場は紡織機械︑農耕用機械︑発動
機︑ポンプ類の生産に新生田を拓かんとした︒
以上を要するに民需転換工場の終戦直後における操業状態はa︑原料資材の入手難︑特に輸入原料の見通し難b︑原料︑労賃等品騰による採算不引合c︑金融の逼迫d︑食糧事情に起因する労務者の確保難e︑従業員の出勤低下並びに生産意欲の減退f︑国家補償の不明確︑賠償問題の未決定g.戦時中過度の使用による機械設備の損耗
等が臨路とたって操業度は著しく低く︑僅かに化学肥料生産部門のみが高
度の操業を維持していた︒2賠償計画の進捗
対日賠償の具体的計画が初めて公式に決定されたのは︑極東委員会の中間
賠償計画である︒とれば昭和二十年十二月十八日米国大統領宛に勧告された
ポ 中間案を基礎として審議され︑二十一年五月以降十二月にかけて部1lレ
門加に採択︑決定されたのである︒との極東委員会の決定はそのまま総司令部に伝達され︑とれに基いて総司令部は個々の賠償予定物件左指定してその管町下にゐき︑日木側はζれら物件の解体から積出しに至るまで管川町保全の義務を負うととと友った︒
とうした意味の工場指定は二十一年一月二十日に航空機工場︑陸軍工服︑
重要研究所等全国で一二八九工場に行われ同年八月十三︑十四日に工作機械︑ソ1グ1灰及び苛性ソーダ1︑鉄鋼︑火力発電︑硫酸︑民間兵器︑軸承の八工業部門について五O六工場が同様の指定をうけた︒ 県内民間軍需工場の賠償指定はSCAP覚書によって行われ︑その部門別内訳をみると航空部門七工場︑民間兵器二工場︑工作機械問工場︑軸承一工場︑硫酸一工場︑ソーダ1部門一二工場︑人近ゴム一工場︑火力発泡一工場︑合計三十の民間工場が賠償指定をうけたが︑航空機部門正して指定された三勢重工第十一製作所︵射水郡大門町︶及び扶桑金属魚作工場へ下新川郡魚津町︶の二工場は前者が二十一年八月︑後者が二十一年十一一万五日それぞれ設備
移動 を行 った 結果 賠償 指定 を除 外さ れた
︒佐 藤工 業鉄 工部 も一 一十 一一 一年 一一 一月
四日賠償指定を解除され︑県下の民間賠償工場は十七工場となったのである︒
左の去は賠償指定工場名及び機械台数左示す︒
富 山 県 下 民 間 賠 償 指 定 工 場 〔富山県賠償課謝〉
~I~間
指定年月青空蒔l!Jl1~:C1 ド 台 数l登録台数 石川島jig業中越製作所|盟.1川 l叫 5吋呉 羽 工 業 福 野 工 場 I( / I 44si 421'同社他工場へ
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呉 羽 工 業 呉 羽 工 場 I ,.,, I 27科 189:木工機械除外|
高田アルミ 富 山 工 場 ( タI f I 吋~, 吋福野工警移動|によりも同ダ 扶 桑 金 属 白 山 工 場 | タ I 135J 135j
民器!日本ステシレス高岡工場 12i. s.q 1961 1931
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兵 門 [ 弓 亡 越 鋼 材 山 富 工 場 1 (/ I 4月 4円
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128円雨函竺王|不二越鋼材工作機了幼l( / I 44可 f削減少台数十j、md
J~~ I: 立 山 重 工 第 二 工 場I(/ I 2831 242;償除外 ! 械 | 荏 原 製 作 所 沼 山 工 場 I,‑,, I 2901 ;n 51
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東亜合成工場伏木工場| ,‑,, I s111 1q賠償除外 来車合成工場高岡工主号1 "" I 304/ :w,11
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