学位論文審査報告書
『消費者への危険回避情報の提供による製品安全の向上
-リスクマネジメントにおけるリスク低減方策-』
The advancement of product safety by informing consumer of risk avoidance information s
- Risk reduction in risk management process -
早稲田大学アジア太平洋研究科:博士後期課程
学籍番号:4003S011-9 氏名:越山 健彦
Ⅰ 本論文の概要
1 研究の動機
製品安全、すなわち、消費者1が製品2事故によって危害を被ることを防止するための対応 は、特定の事故や危険状態を想定した再発防止に力点がおかれていた。そのため、同じ事 故や予め想定されてた事故に対しては、徹底的に原因を究明し、再発防止の対策が講じら れてきた。しかし、製品事故は減るどころか年々増加しており3、1980年代の製造物責任論 議を経て、我が国においても1995年に製造物責任法が施行されている。特定の規制法律だ けでは製品事故防止には限界があることもあり、企業に製造物責任を課して製品事故の発 生を抑制しようとしたのである。しかし、このことによっても、製品事故が減少している わけではなく、逆に消費者からの事故の報告が増加している。
経済産業省による2002年までの製品事故集計では、毎年40%を超える消費者の誤使用・
不注意事故が報告されている4。製造物責任法上は、警告表示自体がなかったり、不十分で あるという表示上の欠陥も責任の対象となる。しかし、この40%以上という数字は、警告 表示の有無を問わず、消費者側に非があると判断された数字である。筆者は、企業が警告 表示を行っているにもかかわらず消費者の誤使用・不注意がこれほど多い点に着目してい る。
製品事故によって消費者に危害が及ぶことを防止する対応を「製品安全」ということと する5。「製品安全」は、特定の事故や状況を想定した再発防止を目的とした取り組みが主 体であった。しかし、徹底した原因究明のもと再発防止策が決定されるということは、予 め想定されなかった事故に対しては無力であることを意味する。そこで、事故の発生可能 性を意図する「リスク」概念を基礎として、様々な事故の発生可能性を管理する「リスク マネジメント」が存在する。我が国においても1990年代後半から様々な安全分野において
リスクマネジメントの導入が開始されている6。健康・安全分野における枠組み研究がその 一例である7。「製品安全」のためのリスクマネジメントの全体像を明確なものとし、その 中で消費者の危害低減を目的としたリスクコントロールの機能に注目する研究を行うこと は、消費者の安全を向上させる上で意義があると考える。
2 研究の目的
本研究の目的は、消費者の製品事故による危害を減らす取組みである「製品安全」に着 目し、警告表示等の情報提供によって消費者の危険回避を促し、製品事故を減少させよう とする考え方を提案することである。この考え方とは、すなわち「危険回避情報の提供に よる製品安全プロセス」が組み込まれた「製品安全のためのリスクマネジメント」の枠組 みのことである。
製品安全は、消費者に対する危害の防止を目的とする。ここでいう危害には、設計・製 造上の欠陥に起因する主としてハード面の安全技術に関するものと、誤使用や不注意を含 む消費者が関与するものがあると考えられる。本研究では、特に後者である消費者が関与 する危害に着目する。
消費者が誤使用をしない機構や、消費者が不注意をしても消費者に危害が及ばない機構 などの安全設計は可能であるかも知れない。しかし、完全に危害リスクをゼロにすること はできない。調理において、火を使わなければ火によるやけどはなくなるが、熱への暴露 はゼロにはできず、やけどのリスクはゼロにはならない。消費者には、リスクを認知して、
自身で判断して危険を回避する行為が、ある種の前提条件としてと考えるべきである。こ の消費者によるリスク認知と危険回避のための手段として「危険回避情報の提供による製 品安全プロセス」を提案し、その有効性を議論したいのである。
本研究は、消費者に必要な情報を提供し、消費者は提供情報に応じた危険回避行動を行 うことによって危害リスクを低減するという「危険回避情報の提供による製品安全プロセ ス」を提案することを目的とする。
3 研究の方法
研究の方法は、次のような流れによる。
①基本事項の理論的検討とこれに基づく定義
理論的な検討によって「製品安全のためのリスクマネジメントの枠組み」を提示し、さ らにリスクコントロール手段としての「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」の 枠組みを導き出す。導き出された「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」の本質 は、法的な義務だけによるものではなく、社会的責任性に依存したものと仮定する。すな わち、企業から提供される情報には、次の2つのものが存在するとの考え方である。規制
法等によって義務付けられている「法的責任情報」と、自主的な取り組みとしての「社会 的責任情報」である。なお、それらの情報は、消費者に危険性を伝え、消費者自身に危険 回避を求めるものであることから、「リスク情報」+「危険回避のための行動指示情報」
という情報の構成についても仮定する。
②リコール事例、法律及び訴訟事例調査による「危険回避情報の提供による製品安全プロ セス」の有効性論議
まず、提供情報が法的責任法情報と社会的責任情報によって構成されており、「危険回 避情報の提供による製品安全プロセス」の主体は社会的責任情報に基づくものであること を、次のように考察していく。すなわち、「製品安全」の社会的責任性について、日本経 済団体連合会等による「企業行動憲章(2004)」や、企業間による社会的責任に基づく取り組 みについての考察などから、同点について述べる。次に、提供される情報に占める法的責 任情報と社会的責任情報の関係を、法律等関係規定調査によって明らかにする。
最後に、危険回避情報の提供によって消費者の誤使用・不注意を含む製品事故のリスク 低減がなされるかとの命題に対して、製造物責任関連の訴訟事例調査から論証する。
4 研究結果
消費者の製品事故の危険を防止する取組みである「製品安全」に着目し、危険回避情報 の提供によって危害リスクを低減するための考え方を提案するとの目的のもと、次のよう な流れで研究を行った。
①「製品安全」の概念の整理・定義 {第2章}
②「安全」を目的とした場合の「リスク」概念及び「リスクマネジメント」概念の明 確化 {第3章}
③「製品安全のためのリスクマネジメント」の定義 {第4章}
④「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」が組み込まれた「製品安全のため のリスクマネジメント」の基本モデルの提案 {第5章}
⑤「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」における提供情報の特性と有効性 の検討 {第6章}
①「製品安全」の概念整理と定義のために、まず「安全」という基本概念の整理を行っ た。「安全」とは、目的をもって何かを行う上で初めて生じる概念であること、そして、
「安全」とは、社会的なコンセンサスを得た許容可能な水準であるとの考え方を整理した。
その上で、「製品安全」の定義を導き出すための論議を行った。法的な考え方の推移、消 費者保護の観点、「危害リスク」の考え方の整理、対象とする「製品」の設定などの論議 である。以上を踏まえた上で、「製品安全」を次のように定義した。
「製品安全とは、その製品が本来求められる機能や利便性を果たす上で、消費者に対し て危害を与えない状態を作り出す総合的な取り組み目標をいう。」
②の安全を目的とした場合の「リスク」概念及び「リスクマネジメント」の明確化に関 しては、次のとおりである。まず、安全問題へのリスク概念の導入論議について述べ、続 いて、確認されたリスク概念を基礎とした「リスクマネジメント」の考え方の整理を行っ た。本研究では、「安全」分野における「リスクマネジメント」に着目することから、最 も関連する分野である健康・安全分野のリスクマネジメントの枠組みが参考となることを 示した。
①「製品安全のためのリスクマネジメント」の定義とは、以後の理論的なアプローチの 基礎となる製品安全独自の基本モデルの提案である。製品安全分野へのリスクマネジメン ト導入のポイントは、消費者の信頼が得られるものであるべきとの観点である。この観点 から、次の考え方が得られる。すなわち、リスクマネジメントを実行していくための社会 的な枠組みとは、行政府が監視し、その基で企業が消費者と対峙しながら危害リスクを低 減していくというものである。「企業」、「消費者」及び「行政府」による枠組みの中で、
始めて製品安全のためのリスクマネジメントが形成されるとする基本モデルである(図1 参照)。この基本モデルの特徴の一つに、企業は出荷後も表示や説明書などの情報提供手 段を通じて、製品危害の低減に努めるべきとの側面が指摘できる。この情報提供を含む危 害リスク低減のためのプロセスが「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」である。
リスク低減 リスク評価 リスクの特定 リスクの査定 リスクアセスメント
リスクコントロール
リスクマネジメント 企 業
消費者
危険回避情報の提供 危険回避行動 の選択など
事故方法、モ ニター意見、
要望等 法令、規制等の
基盤整備 遵守
開 示
・ 説 明 責 任
消費者はここ を見ている
事故情報、訴訟情報等
行政府 第三者機関等 監視・
評価
円滑な推進の 監視と支援
図1 製品安全のためのリスクマネジメントモデル
④「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」が組み込まれた「製品安全のための リスクマネジメント」の基本モデルを提案した。
まず、「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」を定義するために、まず参考と なる関連概念である「リスクコミュニケーション」について、その発展経緯及び先行研究 について述べた。その上で、「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」の定義を定 めた。
「危険回避情報の提供とは、消費者が危険を回避的に行動するよう行動を変容させる ことを目的とした情報の提供である。この情報提供に基づいて、情報の受け手による 危険回避の行動が含まれたプロセスが「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」
である。」
さらに、「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」が「製品安全のためのリスク マネジメント」の中でどのように機能するかに関するリスクコントロールモデルを提案し た(図2参照)。このモデルの特徴は次のとおりである。「危険回避情報の提供による製 品安全プロセス」は、本質安全設計後の残留リスクに対する措置としての警告表示等の情 報提供を基礎とする。そして、「事前対応」としての購入・使用時の情報提供、及び「事 後対応」としての社告等による緊急時の情報提供が存在する。さらに、「事前対応」と「事 後対応」としての情報提供によって、消費者が「回避」や「選択」のような危険回避行動 を行うことによって、危害リスクの低減が可能になるのである。
事前対応(予防)
事後対応(含緊急対応)
合理的予見可能なリスクの低減
危険回避情報の提供による 製品安全プロセス
+反応 選択
+反応 回避
緩衝 隔離
代替 回避
本質安全設計
防護機構・方策
改善 回避
No
No
No No
No
企業内部による安全対応 企業からの情報提供に基づく 消費者の危険回避
図2 製品安全のためのリスクコントロール
-危険回避情報の提供による製品安全プロセスの位置づけと機能-
②「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」における提供情報の特性と有効性の 検討を行った。上述してきた基本モデルが危害リスクの低減につながるという基本命題を
支持するものであるかについての論証である。まず、「危険回避情報の提供による製品安 全プロセス」によって提供される情報には「法的責任情報」と、企業の自主的な努力によ る「社会的責任情報」があることを述べた。ここで、「製品安全」自体の社会的責任性を 日本経済団体連合会による「企業行動憲章(2004)」などから述べ、また、リコール事例分 析等によって、企業間の製品安全のための関連取り組みから述べた。この論証は、2002年 度と2003年度の社告事例の集計・分析によって行った。続いて、法令等の調査から、法的 責任情報と社会的責任情報の関係の存在について述べた。法令等の調査は、事前対応に関 しては7法律を含む関連指針について、事後対応に関しては6法律を含む関連指針につい て行った。最後に、訴訟事例調査によって、危害の責任追求上の観点からの情報提供に対 する責任論議を抽出して、「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」が合理的に予 見可能な危害リスクの低減に寄与することを指摘した。この訴訟事例調査は、106件の 製造物責任関連訴訟のデータベースから40件の消費者危害に関する訴訟を抽出し、さら にこの中から表示や情報提供に関する点が争点になった判決文13件を抽出して行った。
この13件の製造物責任関連訴訟の判決文の分析から、適切な情報提供によって消費者の 危害リスクが低減されることを論証した。
Ⅱ 本論文の評価と課題
一般消費者の製品事故による危害の防止を目的とした取り組みが製品安全である。我が 国においても、1990年代後半から製品安全にリスク概念とリスクマネジメントの考え方が 導入され始めた。しかし、科学的なアプローチ方法であるリスクマネジメントを導入した としても、リスクをゼロにすることはできない。そのため、企業は警告表示などで一般消 費者に情報提供を行い、注意を喚起する。
本研究は、企業からの警告表示などの情報提供に基づき、一般消費者自身が危険回避行 動を行うことによって危害の低減につなげるとの考え方に着目し、基本モデルを提案した。
この基本モデルが、「危険回避情報の提供による製品安全プロセス」が組み込まれたリス クマネジメントモデルである。この基本モデルの検討を、リコール事例調査、法令調査な どの考察、並びに訴訟事例分析によって、適切な情報提供が一般消費者の危害リスクの低 減に有効なリスクコントロール手段となりうることを述べた。
この意味で、本論文はリスクマネジメントの分野として先駆的な研究である。また、リ スク回避の方策を体系的に整理し、リスク情報システムの新たな提案をした。
しかし本論文では、危険回避情報によって、どれだけ合理的に予見可能な危害リスクを 低減できるかを検証したものではない。また、リスク回避情報の提供に社会的責任性をみ ていることから、どれだけ親切に情報提供すれば十分かについても言及しているわけでも ない。これらの点については今後扱っていかなければならない課題であるといえる。
Ⅲ 結論
以上、課題はいくつかあるものの、本論文は博士論文にふさわしいものと認め、博士(学 術)を授与することを提案する。
主査 早稲田大学大学院教授 工学博士(早稲田大学) 黒須誠治 副査 早稲田大学客員教授 後藤和廣 審査員 早稲田大学大学院教授 吉川智教
審査員 早稲田大学理工学術院教授 博士(工学)(早稲田大学) 小松原明哲