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只見の犂は抱持立犂ではない 右図のaは只見町で使われ ていたバコウグワ(犂)で、『図説 会津只見の民具』には
「大正時代に使用された 抱え持立式」と説明されている。
だがbの明治時代に福岡県人の広めた抱持立犂とは明らか に別系統で古い型。では、いつ、どこから伝わったのか。
犂の形と地形・土質は無関係 むかしから北九州では小振 りな無床犂が使われて、近畿地方では長床犂が使われてき た。そして小回りのきく無床犂は畑作用、犂床が長く安定 のいい長床犂は水田用ともいわれてきた。ところが福岡県 では田でも畑でも山田でも平地の田でも無床犂を使ってき たし、近畿地方では田でも畑でも山でも平地でも長床犂を 使ってきた。犂の形は地形・土質とは関係なかったのであ る。では犂の形は何で決まるのか。
無床犂は朝鮮系、長床犂は中国系 犂はカラスキと呼ば れることからしても日本人の発明ではなく、朝鮮半島や中 国から完成品が伝わったのである。そこで朝鮮半島や中国 の在来犂と比べて見れば、じつは北九州の無床犂は朝鮮系、
近畿地方の長床犂は中国系であった。
無床犂は渡来人の持ち込み、では中国系長床犂は? 無床犂は朝鮮半島からやってきた多くの渡来人が、生活用具とし て牛とともに持ち込んだと考えれば辻褄が合う。ところが中国からの渡来人が大挙して日本にきたという歴史はない。
にもかかわらず九州から関東まで中国系の長床犂は広く分布している。これはなぜか。
朝鮮系のあとから中国系長床犂の波を被る この手がかりとなるのが伝来時期。朝鮮系渡来人の犂持ち込みは、紀伊半 島の首木がウナグラと呼ばれていることから6世紀と推定される。また山口県の海岸沿いにウナグラと呼ばれる別系統の 朝鮮系首木が使われていて、ここにも6世紀に渡来人が来ていたことが確認できる。ところがこの地方の在来犂は、朝鮮 系と中国系の混血型であり、朝鮮系渡来人による無床犂持ち込みより後に、中国系長床犂が強い圧力をもって普及させ られた痕跡と見られる。その時期は6世紀より後なので7世紀であろう。
大化改新政府の長床犂導入政策 7世紀なら唐との民間貿易はまだ行われておらず、政府による遣唐使ルートしかなか った。そして地方制度の整備や遣唐使の派遣状況からすれば、唐の長床犂を導入したのは7世紀中葉の大化改新政府に絞 り込まれる。中大兄=天智政権が唐の犂をもとに500ほどの政府モデル犂を作って各地の有力者のもとに届け、コピー犂 を作らせて普及を図ったことになる。この大化改新政府が全国に政府モデル犂を配布したという仮説は、7世紀に香川・
兵庫・長野県から、日本特有の一木へら犂が出土したことで、検証できた。
純粋朝鮮系犂はなぜ? 滋賀県や関東地方には、混血していない朝鮮系無床犂が見られる。これは政府による長床犂普 及政策の出された以降に持ち込まれたと考えれば辻褄が合う。そうなれば渡来の最後の波、百済・高句麗難民の持ち込 みとなる。以上をまとめると、次のような民具の犂の形から地域の古代史を読み出す公式が導かれる。
a 政府モデル犂→渡来人が来なかった地域 b 混血型→6世紀に朝鮮系渡来人が来た地域 c 純粋朝鮮型→7世紀の百済・高句麗難民入植地
只見は何型? そこで只見はと見れば、Cの純粋朝鮮型で、只見にも1300年前、百済・高句麗難民が入植していたこと になる。只見の皆さんはひょっとしてその子孫???。只見の研究はこれからである。
犂の比較民具学
―東アジアの民族移動―河野 通明 KONO Michiaki
a 只見のバコウグワ
b 福岡の抱持立犂