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済システムに関する研究の可能性

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済システムに関する研究の可能性

著者 長澤 勢理香

雑誌名 經濟學論叢

巻 61

号 1

ページ 195‑222

発行年 2009‑07‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012481

(2)

【研究ノート】

イギリス奴隷貿易研究の動向と課題

―奴隷貿易決済システムに関する研究の可能性―

長 澤 勢 理 香  

は じ め に

 ヨーロッパ諸国による大西洋奴隷貿易は,15世紀の終わりから19世紀中 ごろまでの間,約4世紀にわたって続き,西インド諸島やアメリカ大陸に大 量の奴隷労働力を供給した.イギリスの奴隷貿易への本格的な参入は17世紀 の後半になってからのことであり,他のヨーロッパ諸国と比較すると遅いと いえる.しかしながらイギリスによる奴隷貿易は漸次拡大し,特に18世紀後 半から奴隷貿易が廃止される1807年までは他国を凌駕するに至った.

 本稿は,このイギリス奴隷貿易に関する研究史を回顧したうえで,これま であまり触れられてこなかった奴隷貿易にかかわる金融的側面の重要性を指 摘するとともに,今後の研究の方向性を明らかにすることを狙いとする.す なわち,イギリス奴隷貿易の決済に際し中心的役割を担ったコミッションエー ジェントと呼ばれるロンドン所在の仲介業者により提供された手形決済シス テムのあり方とその変容について,Sheridan, R. B., (1958)“The Commercial and Financial Organization of the British Slave Trade, 1750-1807”に基づき検討 のうえ,当該分野における新たな課題を設定することを目的としている.

 これまでの奴隷貿易研究を振り返ると,最初にEric Williamsによる『資本

* 本稿は,2008年度社会経済史学会近畿部会(1018日)における報告にもとづいて執筆した.

本論文の作成にあたり,布留川正博教授,および鹿野嘉昭教授から有益なコメントを頂戴した.

記して感謝の意を表したい.ただし,ありうべき誤りはいうまでもなく筆者の責任に属する.

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主義と奴隷制』(1944年)1)の重要性を指摘しなければならない.ウィリアム ズの研究は,その後の奴隷貿易研究に対する経済史的アプローチに大きな影 響を及ぼすにとどまらず,イギリスの経済発展に向けての奴隷貿易の重要性 を初めて本格的に明らかにしたものであったからである.

 奴隷貿易およびイギリスの経済発展にかかわるウィリアムズの主張は一般 的に「ウィリアムズ・テーゼ」として整理され,主として次に掲げる2つの 命題によって構成される.

 (ⅰ) イギリスから輸出用商品を積み出し,その商品との交換により西アフ リカで奴隷を仕入れ,西インド諸島で奴隷と砂糖を交換のうえこの砂糖 をイギリスに持ち帰る,という三角貿易によって蓄積された利潤がイギ リスの産業部門に投資され,それが資本面から産業革命の達成を支えた.

 (ⅱ) 産業革命の進行とともにイギリス本国に対する英領西インド諸島の相 対的な位置づけが低下するなかで,奴隷貿易および奴隷制は廃止される に至った.

 第1の命題に関しては,その妥当性をめぐって「奴隷貿易利潤論争」という かたちで議論が繰り広げられた.イギリス産業革命において特に注目されたの は,綿工業で成長したマンチェスターであった.ウィリアムズは,マンチェス ターと18世紀後半におけるイギリス最大の奴隷貿易港リヴァプールの地理的近 接と奴隷市場における根強い綿製品需要とを根拠として,奴隷貿易の利潤がマ ンチェスター綿工業の発展に寄与したと主張したのであった2).その一方でウィ リアムズ自身,2つの事例を除いてマンチェスターの綿織物業者とリヴァプー ルの奴隷商人の間に「密接な関係」を確認することができなかったとしている3)

1) Williams, E., (1944) Capitalism and Slavery, University of North Carolina Press.(中山毅訳『資本 主義と奴隷制―ニグロ史とイギリス経済史―』理論社,1978.

2) 綿織物製造業の項に「奴隷貿易によりリヴァプールの蓄積した資本は,その後背地に流れ込み,

マンチェスターの活動力を培った.」とある.同上書,81ページ.

3) ウィリアム・フェイザッカリはランカシャーの綿織物業者であり,サミュエル・タチェット はマンチェスターにある碁盤縞綿布会社の社員であったが,2人は同時にアフリカ貿易商会社 の社員でもあったとしている.同上書,83ページ.

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この場合,「密接な関係」とは同一人物による綿工業と奴隷貿易の兼業を指し ている.ウィリアムズはあくまでも直接的な関係性を強調しようとして2つ の事例をとりあげたが,一般論として提唱されるような投資経路については 明確なかたちで示さなかった.この課題の克服を狙いとして,奴隷貿易の利 潤の多寡から産業革命への寄与度合いを検証するべく,奴隷貿易に関わる利 潤の統計的測定が試みられるに至った.しかし,そこで焦点になったのは三 角貿易のなかのひとつの要素でしかない奴隷貿易であった.この「奴隷貿易 利潤論争」の詳細については次章で詳しく展開することにする.

 第2の命題は,奴隷貿易および奴隷制の廃止がもっぱら経済的な要因によ るものであり,人道主義的な要因ではなかったというものである.アメリカ 合衆国の独立やイギリスにおける重商主義の終焉,さらには東インドの重要 性が増したことなどを背景として,イギリスにとっての西インド諸島の経済 的価値が相対的に低下したことが奴隷貿易および奴隷制の廃止につながった と主張されるのである.実際,合衆国の独立に伴い西インド諸島は食料の調 達地と近接の砂糖市場をともに失うことになった.このほか,イギリスの保 護貿易体制から自由貿易体制への移行も,西インド諸島の経済的価値を低下 させる方向に作用した.

 ただし,ウィリアムズは奴隷貿易廃止運動を主導したキリスト教的人道主 義者についても言及のうえ,彼らの廃止運動の成果を認めている.しかし,

その目的は西インドの奴隷貿易廃止に限定され,他の地域の奴隷貿易に関し ては無関心であったと指摘している.

 ウィリアムズが提唱したこれらの命題は非常に興味深いものではあるが,

現在までのところ十分な検証がなされているとは言いがたい.その意味にお いては,今なお仮説の域を出ていないといっても過言ではない.しかしなが ら,彼の仮説を契機として奴隷貿易の経済史的アプローチが大きく発展した のは否定のしようがない事実であり,ウィリアムズの研究は奴隷貿易研究に 大きな刺激を与えたということができる.

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 以下,第1章では,奴隷貿易に関する研究成果を4つのテーマに分類して,

考察することを通じて,ウィリアムズ以降どのように研究が発展してきたか を確認するとともに,テーマごとに今後の課題を明らかにする.第2章では シェリダンの研究を中心にして,奴隷貿易手形の決済機関として機能したコ ミッションエージェントに関する研究について詳細に検討する.「おわりに」

では本稿での議論を包括的に振り返り,18世紀後半以降の奴隷貿易における コミッションエージェントの重要性をあらためて確認し,今後の研究課題を 呈示する.

1

章 奴隷貿易研究の分類

 イギリス奴隷貿易の研究を,これまでに扱われてきたテーマごとに整理す ると次のとおり4つに大別できる.

 (ⅰ) 奴隷貿易の利潤や産業への寄与度合いの算定に関するもの.

 (ⅱ) 新世界のプランテーションやアフリカに関するもの.

 (ⅲ) 主要な奴隷貿易都市に関するもの.

 (ⅳ) 奴隷貿易の金融,支払手段に関するもの.

 本章ではこれらの研究を体系的に整理し,テーマごとにどのような研究が 進められてきたのかを明らかにするとともに今後の課題を示すことにしたい.

1. 1 奴隷貿易の利潤や産業への寄与度合いの算定に関するもの

 奴隷の売買価格,奴隷の死亡率や奴隷貿易の利潤率などを算定したうえで,

奴隷貿易がイギリス経済に及ぼした影響を計量的に計測しようとする研究は,

Curtin (1969)4)をもって始まった.彼は,それまで「ナンバーズゲーム」と呼

ばれていた奴隷貿易の規模(運搬奴隷人数)を,一次資料と人口統計学的推算 から得られたデータによって初めて科学的に推計した.これを契機として,

利潤率の算定に関わる研究が活発化した.すでに述べたように,かつてウィ

4) Curtin, P. D., (1969) The Atlantic Slave Trade : A Census, Madison : University of Wisconsin Press.

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リアムズ(1944)5)は奴隷貿易の利潤とイギリス工業化との関係を強調するとと もに,奴隷貿易の廃止の原因をイギリス経済に占める西インド諸島の価値低 下に求める仮説を提示したが,この仮説の妥当性をめぐる議論がカーティン による推計以降,奴隷貿易にかかわる利潤論争というかたちで展開されたの であった.

 この一連の利潤論争については布留川(1991)6)が丁寧に整理しているため,

ここではその要点を指摘するにとどめる.ウィリアムズによるCapitalism and

Slaveryの出版以来しばらくの間は,英米の研究者による批判的な書評が相次

いだ.それらの批判の多くに共通するのは,「非常によく調べられてはいるも のの,問題を経済的要因に単純化している」ということであった.その後,

前述のCurtin (1969)を契機として展開された利潤論争における主なウィリア

ムズ・テーゼ擁護派としてはJoseph E. Inikori, B. L. SolowやW. Darity Jr.など が挙げられる.その一方で,批判派にはStanley L. Engerman,Roger Anstey やD. Richardsonなどがいる.

 批判派に属するEngerman (1972)7)は奴隷貿易に付随する植民地貿易をあ わせて考えても,18世紀のイギリス国民所得形成に対する奴隷貿易の貢献度 はせいぜい5パーセントにとどまるという推計結果を報告している.また,

Anstey (1975)8)は,仮に奴隷貿易の利潤すべてが工業資本に投下されたとして

も,奴隷貿易利潤の資本形成に対する寄与率は7.9パーセントであるとした.

このアンスティが試算した利潤は過小評価されたデータをもとに計算されて いると批判したのがInikori (1976)9)である.この批判を受けてアンスティは

5) ウィリアムズ,前掲書.

6) 布留川正博,(1991)「ウィリアムズ・テーゼ再考:イギリス産業革命と奴隷制」『社会科学』(同

志社大学)第46.

7) Engerman, S. L., (1972) “The Slave Trade and British Capital Formation in the Eighteenth Century:

A Comment on the Williams Thesis,” Business History Review, Vol.46, No.4.

8) Anstey, R., (1975) “The Volume and Profitability of the British Slave Trade, 1761-1807,” Engerman,  S. L. (ed.), Race and Slavery in the Western Hemisphere : Quantitative Studies, Princeton University Press.

9) Inikori, J. E., (1976) “Measuring the Atlantic Slave Trade : An Assessment of Curtin and Anstey,”

Journal of African History, Vol.17, No.2.

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一部を修正した.それでも両者が推計した利潤率の開きが解消することはな かった.一方,Solow (1985)10)は1980年のアメリカにおける国内製造業の法 人利潤総額の対GNP比を,Darity Jr. (1985)11)はアメリカ自動車産業における 利潤の対国内民間総投資額比率を,それぞれエンガーマンやアンスティの試 算した数値と比較し,奴隷貿易利潤のイギリス産業への寄与率は決して小さ いものではなかったと結論づけた.

 これらの論争は,決着をつけるというよりもむしろ新たな課題を提供する ことになった.すなわち,後で詳しく述べるように三角貿易は奴隷貿易と砂 糖貿易に分化したという事実を踏まえると,奴隷貿易だけに焦点を当てて議 論するというかたちでウィリアムズ・テーゼを「矮小化」するのは好ましく ない.むしろ,奴隷貿易の利潤率のみに固執することなく砂糖貿易を含む三 角貿易全体として,国内産業を活性化する方向で機能したことなどについて も明示的に考慮する必要があることが浮上したのである12)

 このように1970年代から80年代初頭にかけて,イギリス産業革命に対す る奴隷貿易の貢献度を算定するために,その利潤率に関する研究が活発になっ た.しかし狭い視点からの利潤論争の限界が明らかになり,研究はより包括 的な議論へと方向転換することになった.つまり,関心が利潤の推算から利 潤を生みだす大西洋奴隷貿易そのものに変化したのである.

1. 2 新世界のプランテーションやアフリカに関するもの

 次に新世界,特に英領西インド諸島における奴隷制プランテーションや,

奴隷の供給地である西アフリカでの取引の形態に関する研究を紹介する.

 西インドにおけるプランテーション研究としてはまず同時代的な記録とし

10) Solow, B. L., (1985) “Caribbean Slavery and British Growth: The Eric Williams Hypothesis,”

Journal of Development Economics, Vol.17.

11) Darity Jr., W., (1985) “The Numbers Game and the Profitability of the British Trade in Slaves,”

Journal of Economic History, Vol.45, No.3.

12) 布留川,(1991)前掲論文.

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てLong (1774)13)があり,彼はジャマイカにおける砂糖プランテーションの資 産内容を規模別に推計した.その推計によれば,例えば100名の奴隷を所有 する300エーカーのプランテーションの資産規模はイギリスポンドで10,017 ポンドであり,300名の奴隷を所有する900エーカーのプランテーションは 28,039ポンドであった.また,Craton and Walvin (1970)14)はジャマイカの大型 プランテーション “Worthy Park”の歴史を300年にわたって追跡した.

 また,西出(1997)15)はジャマイカにおける砂糖プランテーション内での奴隷 の生活状況を詳しく分析のうえ,奴隷の死亡数が出生数を恒常的に上回ってお り,継続的な奴隷の輸入により労働力を確保していたことを明らかにした.ま た西出(1986)16)は,「英領西インド黒人奴隷制の歴史は,基本的にはイギリス 重商主義帝国に従属する強制分業的植民地経済の歴史である」と主張した.そ こで論点となったのは,イギリス国内の砂糖消費量拡大とジャマイカ砂糖プラ ンテーションにおける奴隷労働力拡大とのあいだの相即不離の関係であった.

 また,アフリカ関連の研究では,Inikori (2002)17)が,ウィリアムズ・テーゼ に基づいた議論を展開している.彼は,イギリスの輸出が大西洋経済に依存し ていたことを根拠として,奴隷貿易はイギリス経済に大きく寄与したと結論付 けた.

  ア フ リ カ の 奴 隷 供 給 地 に お け る 信 用 供 与 に 関 し て は,Lovejoy and

Richardson (2007)18)が近年,新しい視点を提供している.すなわち,これまで

13) Long, E., (1774) The History of Jamaica, Vol.1, London: Arno Press.

14) Craton, M., and J. Walvin, (1970) A Jamaica Plantation: History of Worthy Park, 1670-1970, Toronto: University of Toronto Press.

15) 西出敬一,(1997)「プランテーション奴隷の生と死」川北稔編『岩波講座世界歴史17―環

大西洋革命18世紀後半―1830年代』岩波書店.

16) 西出敬一,(1986)「砂糖と黒人奴隷制―ジャマイカ奴隷制経済の展開―」『札幌学院大

学人文学部紀要』第39巻.

17) Inikori, J. E., (2002) Africans and the Industrial Revolution in England: A Study in International Trade and Economic Development, Cambridge : Cambridge University Press.

18) Lovejoy, P. E., and D. Richardson, (2007) “African Agency and the Liverpool Slave Trade,”

Richardson, D., S. Schwarz, and A. Tibbles (ed.), Liverpool and Transatlantic Slavery, Liverpool University Press.

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の間アフリカにおける奴隷貿易では,決済が取引と同時に完了する物々交換 により実施されていたと考えられてきた.これに対し,彼らは,奴隷貿易の 拡大とともに代金決済では即時支払いに代えて延払い取引が一般的な形態と して普及したと主張している.そしてその背景としては,リヴァプール船が 奴隷を入手する地域では信用リスクを回避するために次に掲げるような3つ のメカニズムが整備されていたことが指摘されている.

 (ⅰ) 仲介人としてのヨーロッパ人やその子孫のアフリカ居住.

 (ⅱ) 中央集権的な地域における法規制.

 (ⅲ) 私的交渉による「人質担保」.

 第1の形態は,シエラ・レオネでみられた.現地人と婚姻関係を結んだヨー ロッパ人やその子孫(ムラート)を経由することにより,無担保の信用取引が 行われていた.しかしこれは仲介人の裏切りや突然の死など,不安定な要素 が残るリスク回避手段であったといわざるを得ない.

 第2の形態は法律による規制である.これは第1の形態でみられた不安定 要素を克服するために利用された.法規制は個人的な条件に左右されること がない点で優れており,これはボニー湾で適用された.軍による集権的な政 治が行われていたボニー湾では,法律によって債務の履行が義務付けられて いたのであった.

 第3の形態は,ボニー湾のように中央集権を達成できなかったオールドカ ラバルで実施された.中央政府が交易をコントロールできなかったため,オー ルドカラバルでは個々人の交渉を通じて担保をとる形態が発達した.その際,

担保として人間が債権者に預けられるという「人質担保」が普及した.決済 が完了するまでの間,人質は労働力とみなされ,利子としての労働を強いら れた.この場合,期日が設定されているわけではないので元本の支払いが終 了しない限り,人質は解放されなかった.

 ラブジョイらは,これら3つのメカニズムをうまく活用したことによりリ ヴァプール船はアフリカにおける奴隷の入手を拡大させることができたとし

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ている.その場で決済が完了する物々交換取引が支配的だと考えられてきた アフリカ貿易のなかで,信用取引に着目している点で興味深い.

 ここでみてきた西インド諸島,アフリカ研究は全体のごく一部であるが,

イギリス本国を対象とした奴隷貿易史研究と比較すると研究蓄積がまだまだ 少ないと思われる.言い換えれば,今後新たな研究の発展が期待できる分野 だといえよう.

1. 3 主要な奴隷貿易都市に関するもの

 このテーマに関しては数多くの研究がなされてきた.主要な奴隷貿易港と なったロンドン,ブリストル,リヴァプールに焦点が当てられ,各都市が発 展する契機となった時期や特色に関して様々な視点から議論が展開されてき た.

 Eltis, et al. (1999)19)はヨーロッパやブラジルの主要都市における奴隷貿易の 航海に関する様々な一次資料を収集のうえ,データベース化した.これによ り各奴隷貿易船の名称,トン数,出港地,出港時期,寄港地,積み出し奴隷 数など奴隷貿易の実態が,完全ではないが包括的に明らかにされた.第 1 図 はこのデータベースから得られた情報に基づいた,イギリス主要奴隷貿易港 3港における奴隷船の5年毎の総出航数の推移を表したものである.

 イギリスの奴隷貿易はもともと王室管理の下で王立アフリカ会社が独占的 に運営していた.そのため,奴隷貿易はロンドンを中心地として実施されて いた.しかし1698年の王立アフリカ会社による貿易独占の終了を契機として,

18世紀に入るとロンドン以外の外港においても合法的に奴隷貿易が行われる ようになった.その後ブリストルやリヴァプールにおける奴隷貿易が発展し た.とりわけ18世紀後半になるとリヴァプール船が急増し,リヴァプール市 は奴隷貿易港としての地位を確立した.ちなみに1796年から1800年までの

19) Eltis, D., S. D. Behrendt, D. Richardson, and H.S. Klein, (1999) The Trans-Atlantic Slave Trade : A Database on CD-ROM, Cambridge : Cambridge University Press.

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5年間をとると,グラスゴーなど他の外港を含めてもイギリス奴隷貿易船の 85パーセントをリヴァプールが占めた.このような18世紀イギリス奴隷貿易 の推移との関連で,リヴァプールなど奴隷貿易都市に関する研究が発展した.

 国内においては,池本(1971)「ブリストルと奴隷貿易」,および池本(1972)

「リヴァプールと奴隷貿易」がブリストルやリヴァプールの奴隷貿易の概要を 詳しく考察している20).また,池本・布留川・下山(1995)21)は,その第2章「大 西洋奴隷貿易」において,18世紀にはイギリスが他の奴隷貿易諸国と比較し て優位な地位を確立していたことを明らかにするとともに,奴隷貿易がアフ リカ社会に与えた影響について検討している.徳島(2003)22)は,リヴァプー

20) 池本幸三,(1971)「ブリストルと奴隷貿易」『龍谷大学経済学論集』第11巻第3号; 同(1972)

「リヴァプールと奴隷貿易」『龍谷大学経済学論集』第12巻第1号.

21) 池本幸三・布留川正博・下山晃,(1995)『近代世界と奴隷制―大西洋システムの中で―』

人文書院.

22) 徳島達朗,(2003)「リバプールと奴隷貿易―海事博物館の取り組みを中心に―」『エコ

ノミクス』(九州産業大学)第8巻第1号.

第 1 図 主要3港における奴隷船出港数の推移

(出所)Eltis, D. et al., (1999) ,より作成.

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ル海事博物館の取り組みを中心に同市の「負の遺産」となった奴隷貿易に対 する受け止め方と現存する関連の建物やドックなどを,写真を交えて考察し ている.

 リヴァプールに関していえば,G. Williams (1897)23)が,リヴァプールの優 位性は低コストにより実現した奴隷の低価格販売に由来すると主張した.す なわち,ロンドンやブリストルとの比較においてリヴァプール港の港湾使用 料や船員などの人件費が格段に安かったため,コストを抑制することが可能 となり,それが安価な奴隷販売を支えたと主張した.

 一方,Morgan (2007)24)は,リヴァプール港が成功した要因を別の視点から 分析のうえ,次に掲げる4つの要因が複合的に寄与した結果,奴隷貿易量が 増加したと結論づけている.

 (ⅰ) 人口・経済成長面での優位性.

 (ⅱ) 地理的な優位性.

 (ⅲ) 奴隷調達地,積み下ろし先市場での優位性.

 (ⅳ) 市場支配を実現させた制度的要因.

 1つ目の要因はこの時期,リヴァプールが急激な人口増加と経済成長を遂 げたことである.リヴァプールの人口は自然増加や近隣からの流入に伴い 1708年の7,000人から1800年前後には約77,000人まで増加した.また18世 紀初期までに北米や西インドとの貿易が拡大するなか,企業の寄付によって ドック建設も行われた.なお,他港と比較してかなり早い時期から,リヴァプー ルはドックを含む港湾設備に関して投資してきた25)

23) Williams, G., (1897,2004) History of the Liverpool Privateers and Letters of Marque with an Account of the Liverpool Slave Trade, Montreal: McGill-Queen’s University Press, p.471.

24) Morgan, K., (2007) “Liverpool’s Dominance in the British Trade, 1740-1807,” Richardson, D., S.

Schwarz, and A. Tibbles (ed.), Liverpool and Transatlantic Slavery, Liverpool University Press.

25) 18世紀中に限っても,1715年のOld Dockの建設以降リヴァプールには6つのドックが建設

された.杉本公彦,(1983)「リバプールのドック・システムと港湾管理委員会―イギリス港 湾発達史の一側面―」『大阪学院大学商経論叢』第9巻第3号,12-16ページ.一方,ロン ドンでは1800年,ブリストルでは1802年まで本格的なドックの建設は行われなかった.川北 稔,(1983)「イギリス近世都市の成立と崩壊―リヴァプールを中心に―」中村賢二郎編『都 市の社会史』ミネルヴァ書房,82ページ.

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 2つ目の要因である地理的な優位性には,以前から指摘されてきた後背地 との緊密な商業関係に加え,アイルランドを北回りすることによりフランス 海軍に遭遇せずに大西洋に出られることも含まれている.奴隷貿易には戦時 に敵国の私掠船によって拿捕される危険性が付きまとったが,リヴァプール の場合ロンドンやブリストルに比べ北西部に位置していたことが幸いし,南 回りで大西洋に出る必要がなかったため甚大な被害をこうむる恐れがなかっ たのである.また,リヴァプールは1765年までタックスヘイブンであったマ ン島からわずか121kmのところに位置していた.マン島には安価で多様な商 品が揃っていたため,リヴァプールの奴隷商人は奴隷との物々交換の対象と なる輸出品・「取り合わせ商品」26)を収集するのに非常に有利であった.

 3つ目の要因は西アフリカの奴隷調達市場に加え,北米や西インド諸島の 奴隷販売市場における優位性を確立したことが挙げられる.リヴァプールの 商人は西アフリカにおける奴隷調達地を新規開拓し,現地人とのコネクショ ンを強固なものとした.そのため現地ではリヴァプールはネームバリューが あり,他の都市の奴隷商人との比較において奴隷の調達が容易となった.一 方,奴隷の販売市場となった北米や西インド諸島においてもフロンティアス ピリッツを活かし,新たな奴隷販売先を開拓していった.こうした事情もあっ てリヴァプールの奴隷商人は,奴隷輸入量の多いジャマイカとの取引では常 に圧倒的な優位性を持っていた.

 本研究の関心に近いのが,4つ目の制度的要因,すなわち奴隷貿易の決済手 段としての為替手形の利用である.次章で詳しく説明するように,イギリス の奴隷貿易はイギリス,アフリカ,および西インド諸島を結ぶ三角貿易とし て始まったが,18世紀半ばまでにその構図が崩れ,奴隷貿易と砂糖貿易に分 化した.そうした流れのなかで奴隷商人においては,奴隷貿易に関わる売上 代金を安定的かつ確実に回収する決済手段の開発と実施が喫緊の課題として

26) 輸出用商品は比較的高価な奴隷との交換であったため,いくつかの商品の組み合わせを1

位として奴隷と交換していた.これらは “assortment”(取り合わせ商品)と呼ばれた.

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浮上した.この問題への対処策をいち早く見出し,実施に踏み出したのが実 はリヴァプールの奴隷商人であった.彼らは砂糖貿易を手中に収めたロンド ン在住の仲介業者に,奴隷の第1番目の買い手である西インド諸島居住の奴 隷ファクター(彼らが砂糖のプランターに奴隷を延払いで売却する)が振り出した 手形の引受(支払保証)を求めたのであった.ロンドン商人は西インド諸島の 砂糖プランターが生産した砂糖をロンドンで委託販売しているという事情も あり,プランテーションにおける奴隷調達の安定化を図るためにも引受人と して一役買ったわけである.ロンドンの仲介業者を引受人に巻き込んで手形 を保証させるという,この制度をいち早く取り入れたリヴァプールの奴隷商 人の洞察力は他の奴隷貿易港の商人を凌駕する大きな要因となった27).引受 人を介することにより奴隷商人は確実に,そして安定的に奴隷代金を手にす ることができるようになったからである.この手形の引受人,つまりロンド ンでの奴隷手形の支払いを保証した商人がコミッションエージェントと呼ば れる砂糖の仲介業者である.

 以上のように,モーガンは,リヴァプールによる奴隷貿易の優位性は,経 済力,地理的条件,商人の才覚に負うところが大きく,とりわけロンドンの コミッションエージェントを介した手形システムをいち早く取り入れたとこ ろにあったと主張した.

1. 4 奴隷貿易の金融,支払い手段に関するもの

 奴隷貿易の決済にはプランテーション作物,正金銀,もしくは為替手形が 利用されていたことはすでに知られている.当然のこととして西インド諸島 においてプランテーションを創業するに際しては巨額の費用を要するため,

Davies (1952)28)が指摘したように,西インド諸島は全体としてイギリス本国

27) このギャランティ・システムは,他港の奴隷商人にも広がっていったとモーガンは述べてい るが,初期に普及させたのはリヴァプールの奴隷商人であった.次の1. 4においてはモーガン によるこのシステムに関する研究を取り扱う.

28) Davies, K. G., (1952) “The Origins of the Commission System in the West India Trade,”

Transaction of the Royal Historical Society, 5th ser. Vol.2, pp.96-97.

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に対して負債を有していた.奴隷取引の手形による決済は,王立アフリカ会 社によって17世紀後半にバルバドスで始められた.しかし債務は慢性的に不 健全で,王立アフリカ会社に対する西インド諸島の負債残高は17世紀中10 万ポンドを下回ることがなかった.

 この債務問題については,Price (1991)29)の研究が詳しい.彼はプランター が債務不履行に陥った際の財産の差押え方法を,「ラテン型」と「アングロサ クソン型」に区別のうえ,説明している.ポルトガル領ブラジルにおいて一 般的であった「ラテン型」では差押えの対象が作物や不動産に限定されるの に対し,英領西インド諸島における「アングロサクソン型」では,プランテー ション経営に直接影響する家畜や奴隷などの「動産」も差押えの対象となった.

このことから債権者保護に関して,ブラジルと比較して西インド諸島のほう が徹底していたことがわかる.

 前述のDavis (1952)を発展させるかたちで奴隷貿易に関わる資金決済の構造

を明らかにしたのがSheridan (1958)30)である.彼は,奴隷貿易の決済手段が 作物そのものから為替手形に変化したことを契機として,三角貿易は奴隷貿 易と砂糖貿易に分離したと主張した.その砂糖貿易の輸送・販売委託を引き 受けるとともに西インド諸島で振り出された奴隷手形の引受・支払業務を行っ たのが,ロンドン在住の仲介業者,すなわちコミッションエージェントであっ た.シェリダンはその後1974年に,西インド砂糖プランテーションにおける 奴隷制を含めた奴隷貿易に関する著作を発表した31)が,その内容の詳細につ いては次章に譲ることとする.

 Inikori (1990)32)はまた,奴隷手形にとどまらず,奴隷貿易に関わる航海そ

29) Price, J. M., (1991) “Credit in the Slave Trade and Plantation Economies,” Solow, B. L. (ed.), Slavery and the Rise of the Atlantic System, Cambridge: Cambridge University Press.

30) Sheridan, R. B., (1958) “The Commercial and Financial Organization of the British Slave Trade, 1750-1807,” The Economic History Review, 2nd ser. Vol.11, No.2.

31) Sheridan, R. B., (1974) Sugar and Slavery: An Economic History of the British West Indies 1623-1775, Caribbean University Press.

32) Inikori, J. E., (1990) “The Credit Needs of the African Trade and the Development of the Credit Economy in England,” Explorations in Economic History, Vol.27.

(16)

のものの必要経費もロンドン金融市場において調達されるなど,奴隷貿易に かかわる信用取引の拡大がイギリスの金融市場の発展に大きく寄与したと述 べている.

 また,こうした為替手形を媒介とする信用供与を利用した奴隷貿易におけ る決済システム,すなわち“Guarantee System”について体系的に分析した 研究としては,Morgan (2005)33)が挙げられる.彼は為替手形が奴隷貿易の送 金手段として定着した背景について,イギリス奴隷商人,植民地奴隷ファク ター,植民地プランター,ロンドンコミッションエージェントという各ステー クホルダーの利益向上という観点から考察した.

 1750年ごろまでの間,奴隷代金の支払いには作物・食料品・手形などが利 用され,それらを混合したものが特に好まれた.英領西インド諸島では慢性 的に貨幣が不足していたうえに劣化したコインが流通していた.加えて,戦 時には敵国船に拿捕される可能性もあったため,現金による支払いは避けら れていたからである.その後は,「ギャランティ・システム」と呼ばれる為替 手形を利用した支払手段が定着した.このシステムは,以前のような奴隷商 人のプランターに対する直接的な信用供与から,コミッションエージェント の奴隷ファクターに対する信用供与へと変化させるものであった.その結果,

奴隷商人はプランターとの間に奴隷ファクターとコミッションエージェント という保証人を介在させることにより,より確実な入金を期待できるように なった.プランターは,作物の収穫期に左右されることなく奴隷を購入する ことが可能になった.また,奴隷ファクターは奴隷商人とプランターの間で 奴隷販売にかかわる手数料を得られた.コミッションエージェントは,保証 料として引き受けた手形の額面の0.5パーセントの手数料を得ることになっ た.

 為替手形による奴隷貿易の代金決済に関わる問題点としては,まず設定さ

33) Morgan, K., (2005) “Remittance Procedures in the Eighteenth-Century British Slave Trade,”

Business History Review, Vol.79, No.3.

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れた手数料が高すぎること,また,プランターの負債額が増加したことが挙 げられる.しかしながら,こうした問題点の存在にもかかわらず,為替手形 は作物価格の変動に左右されない点で,最も安定した奴隷販売代金の決済方 法であったということができる.

 モーガンは,この手形の保証をともなう「ギャランティ・システム」の創 設によってイギリスの奴隷貿易は資金決済面での優位性を確立することに なったほか,奴隷貿易にかかわる信用取引の発展は産業化の直接的な前提条 件となるわけではないにせよ,イギリス経済の成長の一翼を担ったと主張し ている.Morgan (2005)の場合,同じく奴隷貿易の為替手形による決済を扱っ

たSheridan (1958)と比較すると,支払手段の変遷に重点を置いているところ

に特色を見出すことができる.一方,Sheridan (1958)では,むしろ奴隷貿易の 構造の変化にともなった現象として為替手形による決済が捉えられている.

 以上のように,奴隷貿易の金融,支払手段に関する研究は年々発展してき た.特にイギリスの金融制度発展を奴隷貿易に間接的に関連付ける傾向が見 られる.

 以上のとおり,奴隷貿易に関する研究をテーマ別に展望してきたが,次の とおり2つの特徴が見られる.第1には,Williams (1944)を嚆矢として1970 年代以降,奴隷貿易研究は利潤に関する研究が増加したことである.その背 景としては,Curtin (1969)による推計を契機として,利潤をより具体的に算定 することが可能になったため,イギリス経済への寄与の度合いが研究対象に なったことが挙げられる.

 第2に,奴隷貿易の金融的な側面では,Davies (1952) 以降,為替手形によ る決済のあり方に関する研究が関心を集めた.特にSheridan (1958)では,従 来の三角貿易からの奴隷貿易と砂糖貿易の分離を,コミッションエージェン トによる奴隷手形の引受との関連で議論した.この後,シェリダンはコミッ ションエージェントについての研究をSugar and Slavery: An Economic History of the British West Indies, 1623-1775にまとめた.その後コミッションエージェ

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ントをメインテーマとする研究はなされていない.為替手形決済に関する研 究は充実してきたにもかかわらず,その中心的役割を担ったコミッションエー ジェントの体系的な研究はいまだ発展途上の段階にあるといわざるを得ない.

次章では今後の研究方向を探るべく,Sheridan (1958), (1974)の議論を詳しく考 察する.

2

章 シェリダンによる奴隷貿易決済研究

 本章では,前章で位置づけたシェリダンの研究成果をもう少し詳しく考察 する.シェリダンは1958年の論文34)で,以下の2つの問題提起を行ってい る.

 (ⅰ) イギリスが奴隷貿易に従事した150年間,奴隷貿易は一貫して三角貿 易の形態をとったというのは誤りである.

 (ⅱ) 奴隷商人は奴隷貿易航海に常に付き添ったというのは誤りである.

 英領西インド諸島のプランテーションでは,開発当初,小規模で多様な作 物が栽培されていた.このようなプランテーションでは,プランターは奴隷 の対価として作物(主に砂糖)で支払いを済ませていた.しかし18世紀前半 にはプランテーションが大規模化し,栽培作物もモノカルチャー化すると同 時に,裕福な砂糖プランターが出現した.プランターはロンドン在住の商人 と砂糖の販売委託契約を結び,彼らに輸送用船舶の手配をさせるとともに自 己勘定で砂糖を輸出し始めた.このロンドンの砂糖代理人をコミッションエー ジェントという.プランターからみた際に,収穫時期に合わせた輸出が可能 となるほか,より有利な価格で取引することができたので,砂糖販売を奴隷 商人よりコミッションエージェントに委託することになったのである.一方,

奴隷商人は良質な砂糖を奴隷船に積んで帰ることができなくなった.その代 わりに,西インド諸島の奴隷販売人である奴隷ファクターが振り出し,コミッ ションエージェントが引き受ける為替手形を受け取ってイギリス本国へ帰還

34) Sheridan, R. B., (1958) op. cit.

(19)

した.これは,奴隷商人にとっても奴隷販売代金の回収が確実であるほか,

リヴァプールへ帰還する時期が砂糖の収穫時期に左右されない点でも有利で あった.しかしそれは同時に砂糖貿易という収益機会を手放して奴隷の輸送 に特化することを意味した.このように三角貿易は,奴隷販売代金の決済方 法の変化を契機として,18世紀半ばまでに奴隷商人が出資する奴隷貿易とプ ランターが出資する砂糖貿易に分離した.

 そしてロンドンのコミッションエージェントは西インド諸島からイギリス への砂糖輸送の受託のほかに重要な仕事として,奴隷手形の引受,支払いに ついても従事した.その結果,奴隷商人は奴隷の対価を手形で受け取り,当 該手形をロンドンのコミッションエージェントに呈示して代金の支払いを受 けたのであった.

 第 2 図は18世紀前半までの奴隷取引の資金決済の流れを,第 3 図は18世 第 2 図 18世紀前半までの奴隷取引

(出所) Sheridan, R. B., (1958)“The Commercial and Financial Organization of the British Slave Trade, 1750-1807,” The Economic History Review, 2nd ser. Vol.11, No.2,をもとに作成.

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紀後半以降の流れを簡単に図式化したものである.もちろん,為替手形は奴 隷商人によって他の商人へ譲渡されることもある.しかしここでは,決済の 流れをわかりやすくするために取引を構成する最少人数で示した.

 18世紀前半ごろまでは,コミッションエージェントによる為替手形の引受 あるいは保証が定着していなかったため,砂糖や約束手形,為替手形の受取

第 3 図 18世紀後半以降の奴隷取引

(出所) Sheridan, R. B., (1958)“The Commercial and Financial Organization of the British Slave Trade, 1750-1807,” The Economic History Review, 2nd ser. Vol.11, No.2,をもとに作成.

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りは奴隷商人にとって確実な代金の回収であるとはいえなかった.しかし18 世紀後半までに定着した「ファクトリッジビジネス」によって,奴隷ファクター はかつての奴隷委託販売から脱却のうえ,奴隷商人から奴隷を自己の勘定で 買い取り,次いでそれをプランターに売却するという,より利益率の高い業 務を行うようになった.奴隷ファクターが振り出した為替手形はロンドンの コミッションエージェントにより引き受けられ,奴隷代金はコミッションエー ジェントから奴隷商人へと支払われた.また,コミッションエージェントは 三角貿易から分離した砂糖貿易を手中に収めると同時に,植民地プランター 向けの輸出や貸付にも従事するなど,実質的に奴隷貿易と砂糖貿易の両方に とって欠かせない役割を担うようになった.

 そうした役割変化とともに,奴隷商人は単純に奴隷輸送に特化し,航海を 組織するだけの輸送業者になった.つまり,イギリスから輸出用商品を積み 出し,西アフリカで奴隷を仕入れ,西インドで砂糖と交換するという従来の

「三角貿易」に代えて,西インドでは奴隷ファクターが振り出した為替手形の 受取りによって奴隷代金の支払いは完結することになった.また,西インド 諸島の慢性的な負債問題が顕著になっていたので,ロンドンコミッションエー ジェントが引き受けた為替手形以外,商人が受け取りを拒絶する傾向が見ら れるようになった.高価な奴隷購入のためには長期の延払い信用が必要であっ たプランターにとってもまた,コミッションエージェントは必要不可欠な存 在になり,その重要性は増した.

 以上が1958年の論文の要旨である.重要なことは,奴隷商人,プランター 双方にとってコミッションエージェントが必要であったという点である.そ して,その結果,立場上コミッションエージェントが経済的な力関係におい て優勢になった.奴隷貿易においては,ロンドンは資金決済や手形の引受業 務に従事し,リヴァプールは奴隷貿易に従事するという一種の分業体制がで きあがったのである.ただしシェリダンの議論の場合,資金の流れについて の記述がありながら具体的な例に乏しく,コミッションエージェントの定義

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や銀行との関係性など,明確にすべき課題がいくつか残されている.加えて 個別のコミッションエージェントの設立の経緯,経営状況,財務内容,リヴァ プール奴隷商人との具体的な関係なども明らかにされていない.

 次に1974年の研究35)を考察する.この研究の特色は,研究対象期間が比較 的長いことと,経済をメインテーマに据えていることである36).19章から構 成されているが,第13章でコミッションエージェントについて論じている.

 1732年の法律によって本国居住者に対するプランターの返済義務が厳し くなり,債務不履行に陥った場合には奴隷も差押えの対象となった.この厳 格化以降コミッションエージェントとプランターの力関係が逆転した.もと もとはプランターの親戚や西インド関係者であった人物がコミッションエー ジェントになる例も多く,また元商人や議員という出自も目立つことが確認 された.1740年から1775年の間,27の企業を構成する41人のコミッション エージェントがいた.このうち22人が西インド由来の出自を持ち,24人が プランター家系と結婚し,25人は元アンティグア居住者,12人が元西インド の商人,20人がプランテーション所有者であった.

 主な業務は砂糖委託業務と金融業務に分かれていた.砂糖委託業務には搬 送,関税,倉庫,船舶のチャーター,保険が含まれた.金融業務は奴隷手形 の引受け,支払い,貸付であった.またプランテーション向け商品の発送,

プランテーションで働く年季奉公人や熟練工のリクルート,プランターの子 弟に対するロンドンでの教育,貸方残高による宝くじや公債の購入など様々 なサービスも展開していた.特に宝くじや公債の購入に関しては,一種の資 産運用ともとらえることができる.

 シェリダンはまた,17世紀と18世紀のコミッションエージェントによる 金融業務の違いについても言及している.17世紀では小資本で主に預金と振 替を行っていたのに対し,18世紀では信用供与と貸付を行うようになった.

35) Sheridan, (1974) op. cit.

36) Minchinton, W. E., (1959)“Book Review, Sugar and Slavery: An Economic History of the British West Indies, 1623-1775”, Economic History Review, 2nd ser. Vol.29, No.1.

(23)

ロンドン金融市場におけるプランターの差引勘定は,植民地向け短期信用や 貸付,そしてイギリス経済への投資の源泉となった.

 では,奴隷貿易研究におけるこの研究の位置づけはどのようなものであろ うか.第1に彼の研究内容は,奴隷制を基礎にした西インド経済の重要性で あり,その生産的,分配的,金融的な側面から考えても,奴隷貿易がイギリ ス経済に寄与したというWilliams (1944)に負うところが大きい37).特にシェ リダンは,英領西インドはイギリス経済にとって資本流出の源泉ではなく資 本流入の源泉であったと主張している.第2に,奴隷貿易,プランテーショ ンを一貫して経済的・政治的に分析していることである.しかしながら,第 3に,メインテーマはロンドン金融市場ではなく,西インドの奴隷制砂糖プ ランテーションである.それゆえ,奴隷貿易におけるロンドンコミッション エージェントの役割が十分に論じられていない.Minchinton,Becklesの書評 では,両者ともに経済をメインテーマとすることについて評価している一方 で,西インド奴隷経済における決済手段,特にそれを担ったロンドンコミッ ションエージェント研究に関する評価がなされなかった38).これもまたシェ リダンの関心が西インド砂糖経済,つまりコミッションエージェントの発展 によって奴隷貿易が促進されたことにあり,金融制度の発達ではなかったこ とにその原因を求めることができよう.しかしながら,シェリダンのこれら の研究は,奴隷貿易における為替手形決済に関する記述においては現在まで 多数引用され,奴隷貿易の決済手段を理解するうえで重要な研究であること に変わりはない.

お わ り に

 イギリスの奴隷貿易に関する研究は,エリック・ウィリアムズの『資本主

37) Beckles, H., (1994) “Book Review, Sugar and Slavery : An Economic History of the British West Indies, 1623-1775,” reprinted : Sugar and Slavery : An Economic History of the British West Indies, 1623-1775, Jamaica : Canoe Press.

38) Minchinton, W. E., (1959) op. cit., Beckles, H., (1994) ibid.

(24)

義と奴隷制』に始まった.その後,今日に至るまでのあいだ,「奴隷貿易から 得られた利益が産業革命を資本面から支えた」という彼が提示した仮説(いわ ゆるウィリアムズ・テーゼ)の妥当性をめぐって,活発な研究が展開されてきた.

本稿では,このイギリス奴隷貿易に関する研究史を回顧するとともに,コミッ ションエージェントと呼ばれるロンドン所在の金融業者により提供された手 形決済システムの重要性を指摘したあと,今後における研究の方向性を検討 した.そうした議論の結果は,次のとおり要約することができる.

 第1に,イギリス奴隷貿易に関連して行われてきた研究は,(ⅰ)奴隷貿易の 利潤や産業への寄与度合い,(ⅱ)新世界における奴隷制プランテーションの経 営実態やアフリカでの奴隷取引の実際,(ⅲ)ロンドン,ブリストル,リヴァプー ルなど奴隷貿易にかかわった主要都市の発展状況,(ⅳ)奴隷貿易にかかわる支 払決済方法に大別される.そして,各分野の研究動向を展望したところ,奴 隷貿易の経済的意義や価値を議論するに際してはそういった研究成果を統合 整理して行うことの重要性が改めて確認された.

 第2に,コミッションエージェントによる奴隷貿易にかかわる為替手形の 引受と支払いは,奴隷貿易の成長・発展を支払決済面から支援し,イギリス が奴隷貿易において圧倒的な地位を占めるうえで大きく貢献した.そういっ た重要性にもかかわらず,コミッションエージェントを中核とした為替手形 の支払決済のあり方に関する研究は,シェリダン,モーガンなどによる研究 にとどまるなど,これまでの間,本格的かつ体系的にはなされて来なかった ことを明らかにした.

 第3に,奴隷貿易をイギリス金融市場の発展との関連で研究するという接 近方法が近年,注目を集めている.奴隷貿易利潤論争を通じてウィリアムズ・

テーゼの妥当性については多角的な観点から検証することが求められるとい う認識が共有されるなか,金融的な側面から奴隷貿易のあり方を検証すると いうアプローチの重要性が増したからである.とりわけ,奴隷販売代金の安 定的な回収方法として定着・拡大した為替手形の支払決済システムの実際を

(25)

明らかにするためにも,コミッションエージェントに関する研究の重要性は 今後一段と高まると考えられる.

 そうした研究課題に応えるためにも,著名な奴隷商人のビジネスレター,

ビルブック等の手書き文書などといった一次史料を活用のうえ,コミッショ ンエージェントによる奴隷貿易手形の引受け,支払いにかかわる事例研究を 充実させることが喫緊の課題になるといえよう.奴隷貿易にかかわる資金の 流れを明らかにするに際しては,当然のこととして,奴隷商人や西インド諸 島のプランター,奴隷ファクターなどの各利害関係者の間に張り巡らされた 親戚関係,債務関係などといった複雑な利害関係を理解することが求められ る.そういった一連の研究のなかで,コミッションエージェントの成長・発 展がイギリスの奴隷貿易の発展にどのように寄与したのかについても,明ら かになることが期待される.これらの点については今後の課題にしたい.

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(ながさわ せりか・同志社大学経済学研究科後期課程)

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The Doshisha University Economic Review Vol.61 No.1 Abstract

Serika NAGASAWA, Perspective of Researches on British Slave Trade: Settlement by Bills of Exchange

  The purpose of this study is to emphasize the importance of London commission agents as guarantors of slave bills. Bills of exchange were used as a means of settlement in the British slave trade. Commission agents played a key role in this system by accepting slave bills drawn in the West Indies. This financial system made for a more secure and assured means of slave payment than before.

This paper presents accumulated studies on British slave trade and also examines the perspective of these researches with regard to the commission agents.

参照

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