百合野正博教授の人と学問
著者 松本 敏史
雑誌名 同志社商学
巻 71
号 6
ページ 1541‑1545
発行年 2020‑03‑13
権利 同志社大学商学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2020.0000000161
百合野正博教授の人と学問
松 本 敏 史 1 若い頃の思い出
思い起こせば,百合野正博教授に初めてお目にかかったのは
1976
年3
月の卒業式の 後である。栄光館から至誠館に戻り,ゼミ別に卒業証書が授与されたとき,百合野教授 は内川菊義先生のTA
をされていた。話は少々複雑になるが,百合野教授が修士課程に進学されたときの指導教授は西村民 之助先生だった。世界的に著名な井尻雄士カーネギーメロン大学教授(故人)の恩師で ある。その西村先生が定年退職された後,百合野教授は内川先生の指導のもとに修士論 文を執筆され,1976年の春にテニュア付きの助手として商学部の教員になられた。一 方の筆者は当時の言葉で「モラトリアム期間」を延長するために早稲田大学大学院に進 学した。通常ならこれでお目にかかることはなくなるはずだが,翌年,筆者が同志社大 学大学院に入学し直し,内川先生に師事したため,以来,教授とはおよそ半世紀に及ぶ お付き合いが続いている。
百合野教授は京都生まれの京都育ちである。京都人といえば筆者のような田舎者の理 解を超えた存在であり,発言や外見からその真意を読み取るのは容易ではない……云々 ということになりそうである。ところが百合野教授は実にわかり易い。というか,裏表 がない。学生時代は会計学研究会(顧問もされていた)の主力メンバーだったと承知し ているが,行動原理は体育会系である。とにかくサービス精神が旺盛で,後輩の面倒見 がいい。
ちなみに筆者の院生時代,商学研究科の学生は冷泉家の庭が良く見える明徳館
2
階南 側の研究室を学習室として与えられていた。明徳館の中央階段を左側に上がり,重い鉄 扉を開けるとそこに研究室が並んでいた(院生たちは監獄部屋と呼んでいた)。もちろ ん相部屋である。同居人は2
年先輩の堀村不器雄氏(元日本公認会計士協会京滋会会 長)と1
年先輩の後藤一郎氏(大阪経済大学経営学部教授),そして筆者の3
人である。百合野教授は会計学研究会の後輩である堀村氏や兄弟弟子の筆者にアドバイスをするた め,よくこの相部屋に立ち寄られた。
百合野教授とは様々な場面でご一緒させていただいたが,今思い出すのは若い頃の出 来事ばかりである(後入先出法ではないが,年を取ると最近の出来事から忘れてい く)。とりわけ懐かしく思い出すのが院生時代に出かけた山中湖と北小松での合宿であ
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る。当時,山中湖畔には徳富蘇峰先生の別荘「晩晴草堂」があり,合宿場として利用さ れていた。近藤恭正教授(故人)の
TA
をしていた筆者は,先生の指示のもとに紫白会(今の資格試験講座)の合宿を企画・運営した。そこに講師として参加されたのが百合 野教授である。この晩晴草堂を一歩出れば数十メートル先には山中湖が広がり,対岸に は雄大な富士がそびえ立っていた。にもかかわらず,我々は一日中部屋に篭って簿記の 講義をした。夕食が終われば学生達と夜遅くまで,あれこれと議論をしたのを思い出 す。
そして北小松での合宿である。これは百合野教授の発案だったように思うが,井尻教 授が西村先生のゼミで読まれたトマス・カーライルの『衣装哲学』を輪読しようという ことになった。そこで西田芳次郎教授(故人)に講師をお願いし,百合野教授や堀村氏 とともに北小松学舎(現在の同志社びわこリトリートセンター)に出かけ,大正時代に 建てられたボロ家(強風が吹くと家が揺れた)で合宿をした。当時の北小松学舎では地 元の農家の奥さんたちが交代で調理をしていた。近江牛やその日に採れた野菜を使って いたためか,下宿生だった堀村氏や筆者には大変なご馳走だった。それはさておき,こ の合宿では散々議論をしたはずだが,肝心の『衣装哲学』については全く記憶がない。
昼夜にわたって飲めない酒を飲んだためか,それとも初めから議論がなかったのか,こ の点については記憶が曖昧である。
2 著書について
百合野教授の研究業績は多くの論文と学会報告によって構成されているが,ここでは
2
冊の著書に現われた教授の監査論の特徴と,若干の補足情報を記しておこう。最初の単著である『日本の会計士監査』(森山書店,1999年)の各章のタイトルは次 のとおりである。第
1
章「試査と内部統制組織とは監査実施上密接な関係を持っている か」,第2
章「アメリカにおいて試査と内部統制組織はどのようにして結びついたの か」,第3
章「経営者不正には無力という内部統制組織固有の限界を許容することはで きるか」,第4
章「アメリカにおいて二つの不正概念はどうして曖昧なまま長期にわた って放置されたのか」,第5
章「明治の末に公表された『公許会計士制度調査書』は当 時の会計士監査に対するニーズに関して何を教えてくれるか」,第6
章「大正時代の会 計(監査)士法案の議論は今日のわれわれにどのようなヒントを残してくれているか」。このように各章に自問自答型の長いタイトルを付した監査論の学術書を筆者は寡聞にし て知らない。これこそサービス精神旺盛な百合野教授の真骨頂だろう。なお,筆者が本 書の中で特に興味を惹かれたのは会計監査制度の導入をめぐって展開された戦前の議論 の紹介と,会計士監査制度を導入する際のわが国の社会的・文化的背景とのミスマッチ
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の可能性である。
なお,百合野教授は本書によって翌年めでたく教授に昇進された。さらに情報を補足 すると,本書が出版されたのはアメリカの一大粉飾事件であり経営者不正事件である
「エンロン事件」が発覚する直前のことだった。教授によれば,当時の日本の監査学界 では「経営者不正」を論じることがタブーとされており,「不正」を従業員によるもの に限定したうえで,それを摘発・防止するのが内部統制システムの機能として位置づけ られていた。これに対して百合野教授は経営者不正の可能性を真正面から取り上げる一 方,アメリカにおける公認会計士監査の展開を経済史的に跡付けることによってその制 度的欠陥を指摘し,アメリカの公認会計士監査制度には経営者不正を許容する仕組みが 内包されていると主張されていた。その後,日本でも経営者不正と内部統制システムの 関係が盛んに議論されるようになったが,本書はこの点において大きな先見性を有して いたといえる。
百合野教授の
2
冊目の著書は『会計監査本質論』(森山書店,2016年)である。定年 延長期間に入り,現役から一歩退いた時点での出版についてその動機を尋ねたところ,「東芝の『不適切会計』事件をうやむやにできなかった」とのことだった。具体的には この事件は第
1
章「2015年『不適切会計』と『第三者委員会』」で批判的に検討されて いる。そして筆の勢いに乗って,残りの章では分析の対象をわが国の公認会計士監査制 度全体に拡大し,以下のように独自の見解を展開しておられる。まず,第
2
章「1925年明治・大正期の会計士運動と社会的背景」で指摘されている のが明治・大正時代における会計・監査に関する社会の認識の意外な高さと,その背景 として当時の直接金融市場が想像以上に活発であったという事実である。ここでの分析 は前著のそれを引き継いでいる。次に第3
章「1950年GHQ
のディスクロージャー制 度設計」ではGHQ
の政策のナイーブさを大蔵省のそれと対比しながら描き出し,第4
章「1970年証券取引法会計学と公認会計士監査論の劣位性」では証取法会計と商法会 計の対立を描くことで,日本のディスクロージャー制度の「ガラパゴス的性格」(本人 弁)を論じている。そして第5
章「企業不正事件に対する米国大統領の素早い対応」で 述べられるのがアメリカ資本主義の基盤を形成する証券投資家保護の重要性であり,第6
章「イギリス会計専門職の自立性と自律性」ではイギリスの会計士がもつ専門性の高 さと「日本のガラパゴス的性格」が対比されている。ところで会計・監査の形態はそれが生み出された社会的・経済的背景や監査対象とな る組織の性格によって異なったものになりうる。ただし百合野教授によるとそこに共通 しているのがアカウンタビリティの普遍性であり,そしてこのアカウンタビリティの解 除に欠く事ができないのが会計監査である。この点に思い至るとき,会計監査は企業だ けの問題にとどまるものではなく,社会全般の運営に関わるものとなる。このことを論
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じているのが第
7
章「会計監査の本質の再確認」である。本書は百合野教授の監査論研究の集大成である。教授は本書によって
2017
年度に日 本監査研究学会から「岩田・渡邊賞」(学会賞)を授与された。さらに2018
年度には本 書によって博士(商学)(同志社大学)の学位を取得されている。我々の恩師である内 川先生がよくおっしゃっていたのが「博士号は足の裏に付いた米粒のようなもので,取 らないと気になるが,取っても食えない」という格言である。退職直前の状況下で「取 らないと気になる」状況を解消された気力にはただただ敬服するばかりである。3 百合野教授と同志社
同志社に対する百合野教授の愛校心は半端ではない。「まずは形から」ということで あろう。若い頃から口髭を生やしておられるが,これも新島先生を意識されてのことと 理解している。その百合野教授だが,2000年に教授に昇進されてからは,益々新島襄 と同志社を口にされるようになった(と思う)。例えば
2000
年11
月3
日に開催された 同志社創立125
周年記念のホームカミングデーにおいて行われた記念講演のテーマは「新島先生には会計学者の素質があった? −同志社の教育理念と情報公開」である。
百合野教授によれば,新島先生がラットランドのグレース教会でスピーチをされ,5千 ドルの寄附を集められたことと,企業が目論見書を作成し,株式の上場によって資金を 調達することとの間には会計・監査の思考が深く関わっているとのことである。すなわ ち教育は国民本位の社会を作るために不可欠の仕組みであり,新島先生は教育を通して 自治・自立した国民を作ることの必要性を強く説いておられた。一方,会計・監査は国 民本位の社会を作るために必須の仕組みであり,情報公開が自治・自立した国民を作る 手段になる。この教育に対する新島先生の理念と,情報公開を基盤とする自治・自立し た国民の育成には同質性があるというのが百合野教授の理解である(ように思われる)。
実は小稿を執筆するにあたり,百合野教授に最終講義の中身について尋ねたところ,
テーマは「同志社大学で学ぶ意味」になるとのことだった。参考資料としてドラフトを もらったが,そこには『同志社大学設立の旨意』から抽出したキーワードがたくさん並 べられている。曰く,「教育こそが文明のもと」「百年の謀(はかりごと)は人を植える にあり」等々と続き,最後に新島先生の遺言から「同志社に於ては䍸儻不覊なる書生を 圧束せす努めて其本性に従ひ之を順導し以て天下の人物を養成す可き事」のフレーズが 引用されている。もっとも新島先生のこれらの思いは明治の中央集権国家において実を 結ぶことはなかったとのことである。その状況を打破し,自治・自立した国民を作るた めに必要な条件が情報の公開とその入手であり,そして会計・監査こそ国民本位の社会 を作るために必須の仕組みであるというのが同志社を去られる百合野教授のご託宣であ
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る。
4 む す び
以上,百合野教授の人柄と学問を紹介してきたが,教授の活動範囲は教育と研究に留 まらない。学生部長等,大学内の役職はもとより,政府や公的機関においても各種の要 職に就かれ,その重責を果たしてこられた。マスコミ対応も含め,百合野教授の八面六 臂の働きを支えているものはいったい何なのか。教授の人生といえば大げさだが,その 働きぶりを傍で観てきた筆者の答えは百合野教授の「大学教授」の枠を超えた強い好奇 心である。
ここまで書いてきて当初から感じていた違和感を払拭することにしたい。その違和感 の原因は「百合野教授」という呼称にある。この呼称を「名は体を表す」ものにするた めにはやはり「百合野教授」は「ゆりのセンセイ」あるいは「百合野さん」でなければ ならない。
百合野さんには退職後も我々の先輩としてこれまでと変わらない好奇心に満ちた人生 を歩んでいただきたいと強く願っている。
まことにお疲れ様でした。
百合野教授の最終講義を目前に控えつつ
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