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ベン・ジョンソンと歓待の場 : カントリー・ハウ ス・ポエムと伝統の創造

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著者 清水 章彦

雑誌名 Core

号 35

ページ 29‑50

発行年 2006‑03‑17

権利 同志社大学英文学会Core編集部

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015071

(2)

ベン・ジョンソンと歓待の場

一一一カントリ}・ハウス・ポエムと伝統の創造一一一 清 水 章 彦

ベン・ジョンソンの文学的特徴のひとつに、固有の「場」に対する感受性 の鋭さがある。『エピグラム集』を例に考えると、冒頭でジョンソンはセン ト・ボール寺院周辺の書庖という場を設定し、その中に書物、読者、そして 書籍販売業者をめぐる関係を重層的に描きこんでいる。また、作品を通して 頻繁になされる同時代の各界の有名人への言及は、その人物の周辺にある政 治的。文化的「場

J

に対するジョンソンの深い理解を浮かび上がらせている。

『パーソロミュ・フェア』ゃ気質喜劇のような劇作品においても、ジョンソ ンはスミスフィールドのパーソロミューの市やポールズ・ウオーク、ロイヤ ル・エクスチェンジといったロンドン内の特定の場所を設定し、その「場」

に固有の風俗を描いている。初期近代ロンドンの都市空間にあるさまざまな

「場」と人間の風習の関係を巧みに読みとり、記号化して表象してみせるこ とが、都会派文学者ジョンソンの真骨頂だったのである。

このような「場」への帰属意識に対する鋭敏さは、彼の日常生活を通して 磨かれていった。 1620年代初期にジョンソンは、「ベンの種族

J

(the Tribe  ofBen")や「ベンの息子たち

J

(the Sons ofBen")と呼ばれた、彼を崇拝す る若手文学者たちの集団との間に擬似父子的関係を形成し、溜を酌み交わし て文学談義に花を咲かせていたのだが、彼らはロンドンのフリート街にあっ

29 

(3)

た「悪魔と聖ダンスタン亭

J

なる酒場の一室、「アポロの部屋」に定期的に 集っていた。1このサークルは「宴会の提

J

(Legω Convivales)という 24か 条の規則を部屋の入り口に掲げることで、「場jへの帰属意識を共有し、そ のもとで洗練された社交術を磨いていたのだ、った。

このように、「場」と風習の結び付きが実際の生活の中で文化として機能 していたことは、ジョンソンの文学的性質を考察する上で非常に重要な要素 である。彼の文学は、現実にある特定の「場」と人間の行動との結びつきを 観察し、その中から複雑な文化的関係性に対する理解を提示することを美徳 とするのである。それゆえ、長い文学キャリアを通して、ジョンソンがさま ざまなサークルに所属し続けていたことは当然のことと言えるだろう。その 例として、居酒屋マーメイド亭に集まっていた文人サ}クル、ヘンリー王子 をパトロンにしたプリンス・ヘンリー・サークル、ベンブルック伯ウィリア ム・ハーパートを中心としたシドニー・サークル、ベッドフォード伯爵夫人 ルーシー・ハリントンが保護するベッドフォード・サークル、フォークラン ド子爵ルシアス・ケアリーの支援するグレ}ト・テイウ・サークルや、晩年 にジョンソンのパトロンとなったウィリアム・キャヴェンディッシュの周辺 の知識人の集まりなどが挙げられるだろう。2これらのサ)クルにだれが所 属し、いつどこでどのような活動していたかを厳密に定義することは難しい。

しかしながら、歴史上のある時点で彼らが同じ空間を共有していたこと自体 は否定できない事実であり、その分析こそがジョンソン研究の鍵を握ってい ると言えるだろうO

その共有空間のなかでも、彼のパトロンたちの所有するカントリー。ハウ

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スという「場」の特殊性は着目に値する。カントリー。ハウスとは、その名 の示すとおり貴族たちが所有する領地にある屋敷のことで、宮廷に仕えてい ない聞彼らはカントリー。ハウスで封建的な地主として周辺の土地の管理を 行っていた。シドニ一家の所有するカントリー・ハウスにはペンズハース ト・プレイスのほかウイルトン・ハウスがあり、ベッドフォード伯爵夫人に はトゥイックナム・パーク、フォ クランド子爵にはグレート・テイウ、キ ャヴェンディッシュ家にはウェルベックがあった。これらの屋敷に詩人たち を集わせることは、彼らパトロンたちの文化的なステータス・シンボルとな っていたのであるO 従来の研究においては、ジョンソンが1616年に出版し た詩集『森林

J

のなかに収録された「ベンズハーストに寄せて

J

(To  Penshurst" )が、その後の英文学に受け継がれるカントリー・ハウス。ポエ ムのサブ・ジャンルを確立したとして論じられてきたo しかし、ジャンル に拘泥してこの詩を独立して論じるあまり、彼の他の作品に見られるような、

都会の「場

J

のさまざまな表象との類似性を忘れてはならないのではないだ ろうか。そこで本稿では、「ペンス、ハーストに寄せて」を中心にジョンソン の「場jへの帰属意識とカントリー・ハウスの文化性との関係について考察 を加え、カントリー・ハウスという空聞が、自らもサークルを形成し、親密 な空間を共有することに積極的であったジョンソンの文学において、いかに 重要な歓待の「場

J

として機能していたかを論じてみたい。

ジョンソンにおけるカントリー・ハウスの重要性を確認するために、まず は伝記的事実に注目してみたい。ジョンソンは彼の文学的名声が最も高い時

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期であった 1619年に、スコットランドの詩人ウィリアム・ドラモンドのも とを訪れるのだが、ドラモンドはその時彼らが交わした会話を『ホーゾンデ ンのウィリアム・ドラモンドとの対話』に書き記している。その中で、次の ようなエピソードが紹介されている。「王がイングランドにこられたとき、

ロンドンではベストが起こり、老カムデン師と共に田舎にあるサー・ロパー ト・コットンの屋敷に滞在していた」こと、そして「ある夜、長男をベスト で亡くす夢を見たが、それが正夢であった」こと、また1"5年の問、妻と寝 床を共にせず、オーピニー卿のもとに滞在させていただいた

J

ことである

このことからわかるように、カントリー・ハウスでの滞在とジョンソンの個 人的出来事の記憶は分かちがたく結びついているのである。また、カントリ ー・ハウスは彼の文学的キャリアにも深く関係している。若き日のジョンソ ンの重要なパトロンであった初代ソールズベリ伯爵ロパート・セシルは、父 ウィリアムが1564年から1585年にかけて王宮にも劣らぬ規模へと成長させ たテイプルスの屋敷に、即位したばかりの国王ジェームズ一世を三度招いて いるが、その内二度の余興の脚本をジョンソンが書いているのだ。それは

『ティプルスでの二人の王の余興j(The Entertainment 

0 /  

the Two Kings at  Theobalds、1606年7月24日上演)と『テイプルスでの王と王妃の余興j (An Entertainment 

0 /  

the King and Queenαt Theobalds、1607年5月22日上演) である後者はテイプルスを気に入ったジェームズにセシルが屋敷を譲渡 する際に上演されたものであり、ジョンソンはその中で土地の守護神 Geniusを登場させて、所有者の交代を記念している。

この余興の成功を境に、ジョンソンはジエ}ムズのお抱え宮廷仮面劇作家

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としての地位を確固たるものにしていくO その一方で、セシルはティプルス と引き換えに手に入れたハットフィールド・ハウスをすぐさま改築する計画 を立て、彼の没する 1612年までその作業を続けているo これらの事実が示 すように、カントリー・ハウスはジョンソンにとっても、彼のパトロンにと っても、共通の利益をもたらすものであった。カントリ~ .ハウスに対して 深く関わりを持つことが、彼らの政治的・文化的地位を高める上で大きな役 割を果たしていたのであるO

このような権力者の自己成型の場としてのカントリー・ハウスの姿は、ジ ョンソンの代表的な詩である「ベンズハーストに寄せて

J

を読む上で覚えて おくべきものであろうO カントリー・ハウスに内在する権力を、ジョンソン はいかに作品の中に表象していたのであろうか。以下で、この詩の進展に添 う形で論考を進めてみたい。

「ベンズハーストに寄せて」におけるレトリック上の特徴は、三点ある。

まず、否定的定義によって屋敷の描写をしている点、そして、二人称で屋敷 に対して語りかけるところから始まっているという点であるO この二つの特 徴は、詩の冒頭部に次のように集約されている。

Thou art not, Penshurst, built to envious show  Oftouch or marble, nor canst boast a row  Of polished pillars, or a roof of gold; 

Thou hast no lantem whereof tales are told,  Or stairorcourts; but stand'st an ancient pile, 

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And these grudged at, art reverenced the while.  Thou joy'st in bet1er marks, of soiIofair,

Ofwood, ofwater; therein thou art fair. (1‑8) 

ジョンソンは not.. . but .一"という構文を使いながら、権力者の文化的象 徴であった一連のカントリー。ハウスを大胆にも否定的に描き始めることに よって、ペンズハーストを称揚する二項対立の構造を作り上げているO 最初 の5行は、ベンズハースト以外のカントリー・ハウスの建築素材や部分を取 り出して列挙することに充てられている。冒頭から並ぶ touch,"marbleラ円

row / of polished piIIars,"roof of gold,"lant巴mJ' stair,"court"という建築的 単語群は、本来ならば洗練された文化を表すべきものであるが、この詩にお いては、 enviousshow,"boast", "tals"といった政治的な野心や策略の目的 に結び付けられている。このような「妬み」を生み出す建築的要素を否定丈 の中で記号のように長々と反復することで¥ジョンソンは当時の華美なカン トリー・ハウスの持つ不調和を暗示しているのである。そこには、嫉妬に駆 られて終わりなき消費を繰り返す近代資本主義的精神への批判も大いに含ま れている。これに対して、ペンズハーストは自然のイメージで語られるO地、 水、火、風という四元素が調和する中で、ペンズハーストの建築はただ一言、

ancient piI巴"という非常に簡素な記述に収飲されている。もちろん、ここで いう anclentとは、屋敷の建てられた1340年頃よりサー・フィリップ・シド ニーを産み出すまで脈々と受け継がれてきたシドニ一家の封建的な伝統を意 味するO ジョンソンは自然と伝統の調和が、屋敷のかもし出す時間を越えた

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崇敬の念に寄与していると賞賛する。このように、ジョンソンは一般のカン トリー・ハウスとベンズハーストを、人為と自然、新奇と伝統のこ項対立の 下で措き分けているのである。8

次に、冒頭に挙げたもう一つの特徴、すなわちジョンソンが二人称でベン ズハーストの屋敷に呼びかけることにどのような効果があるのか考えてみよ うO 冒頭部の描写がベンズハーストの潔さを際立たせているのは、すでに指 摘したとおりである。これは、自らも言葉の過飾を嫌うジョンソンが、ベン ズハーストの簡素さに表された古きよき伝統の精神と同化を試みている、レ トリック上の戦略なのであるo

I

お前は他の屋敷とは違う」と語るとき、ジ ョンソンは密かに語る対象と自己とを同一レベルに置いているO 先に触れた ような四元素を原理とした屋敷の性質への言及が、彼が得意としたヒユーモ アによる人間の性格描写と同ーの手法であることからも明らかなように、ベ ンズハーストは物質的な屋敷としてではなく、人間の精神を表象する有機的 な「場」として描かれているのだ。ジョンソンは thou"と 1"という語りが 生み出す親密、さが、屋敷と人という物質的な差異を容易に解体し、カントリ ー・ハウスの「場」と自己を含む人間との親密な関係性を際立たせるという ことをよく理解しているO それゆえに、二人称のレトリックを巧みに利用す ることで、権力の象徴であるパトロンのカントリー・ハウスの中に詩人であ る自己の姿を描き込むことに対して、違和感を覚えさせないように配慮して いるのであるO

このように、政治性と文学性を巧みに融合させ、一つの理想を体現するの が「ベンズ、ハーストに寄せて」のレトリックの呂指すところであることは、

(9)

次の引用部分においても明らかであるO ベンズハーストの空間の中にいかに 政治性が組み込まれているかを、検証してみたい。

Thouhastlywalks for health as well as sport:  Thy Mount, to which the dryads do resort,  lerePan and Bacchus their high feasts have made, 

Benaththe broad bechand the chestnut shade;  That taller tree, which of a nut was set 

At his great birth, where all the muses met. (9‑14) 

ジョンソンは神話的イメージを多用し、現実のペンズハーストを文学空間へ と一気に豹変させる。散歩道は「気晴らし」を与え、小山には木の精ドリュ アスたちが「休み」、木陰ではパーンとバッカスというギリシャ神話でおな じみの半神たちが「饗宴」を繰り広げているO そして、サー・フィリップ・

シドニーの生誕記念に埋められた木の実は、今や一際高い樹へと成長し、そ の下でミューズたちが集っている。これらのイメージは、一読すると、ただ 伝統的な牧歌を歌うために採用されているかのように思われるかもしれな い。だが、ドリュアスの「休憩」を「リゾート」という概念と置き換えて考 えてみるとき、近代資本主義の賃金労働が生み出した余暇の存在がペンズ、ハ ーストの空間に潜んで、いることがわかる。また、「気晴らし」と「健康」の ための散歩道という何気ない言葉の陰には、ジェームズ一世が推し進めてい た地方での娯楽の勧めへの配慮が存在しているO

(10)

これらの余暇に対する言及の政治性を理解するために、まず歴史的事実に 触れておきたい。スチュアート朝初期において、ジ、ェームズ一世はイングラ ンド全土の封建的な土地保有を主張し、税収の強化により負債をi帳消しにす る政策を推し進めていた。この目論見のもと、ジェームズはロンドンに留ま ることを望む貴族や地主たちに、地元へ戻るように命じる布告を9回出して いる。これにより、ジェームズは貴族が地元で伝統的な封建制度を維持する 上で不可欠な「歓待

J

(hospitality円)を維持し、また農民たちの「気晴らし」

を促進することにより、地方の農民たちの増税への反発を防止できると考え ていた。だが実際には、ジェームズの政策は増税に異を唱える議会によって 時代錯誤であるとの反対を受け、 1610年に交渉は完全に決裂を迎えているO

その結果、ジェームズは名目上の土地保有権を認められるのみの形となり、

これによって従来の土地に根ざした軍隊の消滅を象徴する出来事となるので あるこの会議にはベンズハーストの領主であるロパート・シドニーが出 席しており、ジョンソンがこの結末を知った上で「ペンズ、ハーストに寄せて

J

を書き、彼のパトロンであるジェームズへの忠誠を示していたことは、十分 にありうることなのであるo1612年以前に書かれたこの詩の中でジョンソ ンが何気ないふりを装って取り入れた、ただ「健康」だけのためでなく「気 晴らしj のための屋敷の散歩道という描写が、 1618年にジ、ェームズが公布 した、日曜日の礼拝のあとに教会に残って議論をする代わりに伝統的な「気 晴らし」を行うことを認可する布告である『スポーツの書j(The Book 01  Sport)の思想を先取りしているのは、単なる偶然ではないだろう。10

上に述べたように「気晴らし」がカントリー・ハウスにおける王権の存在

(11)

を示唆するものであるとするなら、それと共にこの詩において忘れてはなら ない楽しみに、「饗宴jが挙げられる。ジョンソンは9行目で示した「気晴 らし

J

11行目でパーンとバッカスが繰り広げていた「饗宴

J

とを、次の

ような形で再び融合させる。

Thy copse, too, named of Gamage, thou hast there,  Thatnverfails to serve thee seasoned der When thou wouldst feast or exrcisthyfriends. 

Each bank doth yield thee conies, and the tops,  Fertile Ofwood, Ashour and Sidney's copse,  To crown thy open table, doth provide 

The purpled pheasant with the speckled side;  The paintdpartridge lies in every field, 

And for thy mess is willing to be killed. (1921,25‑30)

領地内の森はロパート・シドニ一夫人であるパーパラ。ガメッジの名を与え られ、女性的な「豊穣jのイメージを増幅させている。その森は、屋敷を訪 れた領主の「友人たち」に対して「饗宴」を催したり狩の「運動」を楽しん だりするとき、そこにいる鹿たちを供するという目的を持つ。シドニ一家が ジ、ェームズに「仕えるjのと同様、森がシドニ一家に「仕えて」いるのであ る。さらに、自ら喜んで殺されるキジやヤマウズラが、「歓待」の精神を体

(12)

現している「聞かれた食卓

J

を「飾る」とき、食卓には「王冠」が被せられ ていることを見逃しではならない。ベンズハーストの「歓待」を受ける者た ちは、まさに食物連鎖の頂点に立つ「王」と同様の存在となってゆくのであ るO

自ら進んで身を供するのは、自然だけではない。ペンズハーストの周辺に 住む農民たちもこぞって収穫物を持参する様子が、引き続く部分で示される

(47‑56) 0 中でも特に日を引くのが次の引用部分である。

But al1 come in, the farmer and the clown,  Andnoonempty‑handed,to salute 

Thy lord and ladythoughthey have no sui .t(48‑50) 

農民たちはシドニ一家の家族ではない。家族でない者たちが「挨拶をする

J

ために贈り物を持参するとき、屋敷は家族のみで構成された私的空間を超越 する。一方で、また、その農民たちには領主に対する「訴え」があるわけで、は ない。「訴え」という言葉が法的訴訟を暗示しているように、法の下で駆け 引きを繰り広げ、厳格な裁きを受けるような公的空間とも、この屋敷は無縁 なのであるO このようにしてペンズ、ハーストの屋敷の中に、ジョンソンは親 密な社交空間という「場」をめぐる理想的な人間関係を表象しているのであ る。

自然と人間との暮らしが融合することでもたらされる溢れんばかりの食材 が出尽くしたところで、ジョンソンは次のような問いかけを発するO

(13)

But what can this (more than express their love)  Add to thy free provisions, far above 

The need of such? whose liberal board doth flow  With all that hospitalidothknow! (57る0)

ここに示されている、「ふんだんな食材」の載る「歓待」に満ちた「気前の よい食卓」という概念は、貴族の伝統的な美徳を示す最たる特徴であり、冒 頭での近代資本主義への批判を受け継いでいるo

I

余暇」の描写を通して、

ジョンソンは、領主と農民たちの間の理想的な人間関係は、労働を貨幣へと 換算するプロテスタント的な合理的経済観によって成り立つものではなく、

むしろこれに対立する非常に保守的な封建制が保障するものであると考えて いることがわかる。11この概念を、「歓待

J

をめぐる重層的な描写の中心であ る食卓に据えることで、ジョンソンはベンズハーストのカントリー・ハウス の賞賛の核心を形作るのである。

この「歓待」の概念をさらに理解するために、ここで、詩集『森林j にお いて「ペンズハーストに寄せて」と並置されたもう一つのカントリー・ハウ ス・ポエム「サー・ロパート・ラウスへ

J

(To Sir Robert Wroth")に、目を 向けてみようO 次の引用部に示すとおり、この詩においても屋敷の社交空間 が、私的な血縁関係にも公的な法の領域にも属さない中間的な「場」に設定 されている。そしてその中心には「笑いと楽しみ」に満たされた「聞かれた 広間」が描かれている。

(14)

Thus Pan and Silvane having had their rites,  Comus puts in for new delights

And fills thy open hall with mirth and cheer,  As ifin Sarn'sreign it were; 

Apollo's harp and Hermes' lyre resound,  Nor are the muses strangers found.  The rout ofrural folk comthrongingin 

(Their rudeness then is thought no sin); 

Thy noblest spouse affords them welcome grace,  And the great heroes of her race 

Sit mixed with 10ss of state or rverence: Freedom doth with degree dispense.  The jolly wassail walks the often round, 

And in their cups their cares are drownd; They think not then which side the cause shalllese,

Nor how to get the lawyers巴fi:es.(47‑62) 

本来ならば、もてなす者と同様の社会的地位を持つ者たちに対して支払われ るべき「歓待」が、ベンズハーストと同様にここにおいても「田舎の農民た ち」に与えられていることに気が付く。この階級を超越した社交空間に、祝 祭の神コウマスが登場するところが興味深い。 1618年に上演された仮面劇

『美徳と和解した快楽j(Pleωure ReconciledωVirtue)において、「場所を!

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場所を! 弾む太鼓腹に場所を空けておくれ!

J

という歌とともに鮮烈な印 象で、デビューし、後にジョン・ミルトンの仮面劇へと受け継がれていくこと になるコウマスが、ラウスの屋敷の「聞かれたホール」に「新しい喜びj を 求めて入り込んでくるとき、「自由」は「秩序

J

を免除し、屋敷は祝祭的転 倒に包まれるO このコウマスの姿は、「山のような腹」をしていると自認し ていた、いわば英文学史上初の宴会マスターであるジョンソン自身の姿と、

どこか重複しないだろうか。12詩の中にイングランドの再パストラル化を試 みるジェームズの理想を描くとき、ジョンソンは周到に自らの影をも刷り込 んでいるのだ。

「サー・ロパート。ラウスへ」においては虚像であったジョンソンだが、

「ペンズハーストに寄せて」では、冒頭より三人称での語りの主体として存 在し続ける彼が、ついには実像となって食卓のシーンに登場するO

Where comes no guest but is  allowed to eat  Without his fear, and ofthy lord's own meat;  Where the same beer and bread and self‑same wine 

That is his lordship's shall be also mine;  And 1 not fain to sit, as some this day 

At great men's tabls,and yet dine away. (61‑66) 

領主と同じ食事を取ることは、親密な社交のなかで信頼関係を築く基盤とな るO そのため、ジョンソンは食事に対して大きなこだわりを持っていたので

(16)

ある。13再び『ドラモンドとの対話』を見てみると、上述したパトロン、ソ ールズベリ伯との聞で食事をめぐって交わされた、次のようなエピソードが 紹介されているo

I

イニゴ・ジョーンズとともに我がソールズベリ伯の食卓 の端に座っていたとき、なぜ浮かぬ顔をしているのかと尋ねられて、彼はこ う答えた。『閣下、あなたは私があなたと共に食事をすることを約束されま した。しかし、わたしはそうしておりません

J

O というのも彼は食事を共 にするということを、その人の皿に乗ったものと同じものを食べることとだ け考えており、(その時)同じ食べ物を食べてはいなかったからだ

J o

14ベン ズ、ハーストにおいて、ジョンソンが口にする食事は、領主ロパート・シドニ ーのものと同一で、あり、それはまた「偉大な人たち」が食事をしたのと同じ 食卓で取ることができるのであるO食卓を頂点とする食物連鎖の「自己同一」

性が完成するとき、そこにはジョンソンの理想とする「場」を共有する人間 同士の信頼関係が体現しているのであるO

ジョンソンと「食卓」との関係を考える上で、どうしても外すことのでき ない、もう一つの「楽しさに溢れた食卓」を描く詩がある。すなわち『エピ グラム集.1101番「友人を夕食に招く

J

(唱lvitingA Friend To Supper円)であ る。次に示すように、この詩は官頭部分と結末部分が tonight"という同ー の言葉で書かれており、このエンドレスな円環構造は、束の聞の夕べがせめ て詩の中においては見果てぬ夢のように続いていくことを望むジョンソン の、細かなもてなしの心を表すものであるO

Tonight, grave sir, both my poor house and 1 

(17)

Do equally desire your company; 

Not that we think us worthy such a guest,  But that your worth will dignifシourfeast  With those that come. . . . 

It is the fair acceptance, sir, creates  The entertainment perfect, not thcates.

. . No simple word  That shall be uttered at our mirthful board  Shall make us sad next moming, or afight

The liberty that we'll enjoy tonight. (1‑4, 78,39‑42)

官頭部で語り手ジョンソンが、自分と共に「自分の粗末な屋敷j にまで友人 を招待させていることに、この詩の特質があるO 屋敷と詩人が自己同一的な 意思を持つことは、「場」の重要性を強く認識するジョンソンにおいては必 要不可欠な文化的行為であるのだ。「宴を完壁にするのは、見事なたしなみ で参加することであって、美食ではないのです」と歌うとき、ジョンソンは 招待する者とされる者の文化的立場を同列に配置しているO ジョンソンの粗 末な屋敷の「楽しみに満ちた食卓

J

では、食事とともに文学が共有されてい る。権力にまみれたカントリー・ハウスには存在しない楽しみとして、ジョ ンソンは友人との聞で交わす「言葉」の自由さを保障しているのである。

(18)

「食卓」を「場

J

として共有することによって出来上がる文化的な人間関係 は、カントリー・ハウスの中だけではなく、ジョンソンの実生活においても 重要なものだったのであるO

自らの屋敷での「歓待」を滞りなく取り仕切ることのできるジョンソンは、

ジェームズの推奨する陽気な笑いの政治性を、自らの行動をもって体現した 存在であった。ジョンソンの詩人と王権と力学についての繊細な理解は、彼 の散文集である『用材集、あるいは発見j において、次の言葉に示されてい るo

I

学識には平穏が必要であり、君主がそれを与えるO 君主には助言が必 要である。学識がそれを供する

J o

15詩人という職業に君主と対等の価値を認 めるジョンソンは、ペンズハーストにおいて、王としての「歓待」を楽しむ ことに後ろめたさを感じることはない。

Nor, when 1 take my lodging, need 1 pray  F or fire or lights or livery: all is there, 

As if thou then wert mine, or 1 reigned here;  Therピsnothing 1 can wish, for which 1 stay. 

That found King Jameswhen,hunting late this way  With his brave son, the Prince, they saw thy fires 

Shine bright on every hearth as the desires  Of thy Penates had been set on flame 

To entertain them. . . . (72‑80) 

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ジョンソンは「まるでベンズハーストが私のものであり、私がここを統治し ているかのように」楽しんで、いることを悪びれずに言明するO ペンズハース トとジョンソンの境界線がなくなったまさにその瞬間に、ジョンソンは王国 の統治者であるジ、ェームズを登場させていることは極めて印象的であるO と いうのも、ジェームズが一人称の語りをしていたジョンソンの視点を引き継

ぐとき、我々はジョンソンとジェームズとの閑にも、断固とした境界を見出 し難くなるからであるO このようにして、ジョンソンは自らの長吾りの力によ って、ペンズハーストの親密圏を支配することで、カントリー・ハウスとい う強力な権力空間の内部に、社交する詩人の居場所を作り上げることに成功 しているのであるO

以上に考察してきたように、ジョンソンはカントリー・ハウス・ポエムの なかで、一見平凡にも見える陽気で、楽しい食卓を、「歓待j をイデオロギー とする政治的装置として表象しているO ジョンソンがカントリー。ハウスの 秩序と調和を賞賛するとき、彼の視点は、王国の秩序と調和を見守る君主と 同質のものへと変換されていくのであるO ジョンソンは様々な権力と領域が 交錯するカントリー・ハウスにおいて、私的領域と公的領域を巧みに排除す ることで親密な社交空間を作り上げ、その「場

J

の中に詩人としての自己を 帰属させようと試みているのだ。しかし、そのような理想的な文学的社交空 間は、現実に存在することは困難であった。ベンズハーストの屋敷は、たと えばセシルのテイプルスといった「高慢で野心に満ちた建築群」とは異なり、

当時においてもすでに稀有になっていた伝統を守りつづけるその例外性を理

(20)

由に賞賛されていたことを、思い起こさなければならない。そうすれば、

「サー・ロパート・ラウスへ」の中に描き込まれた農民たちの、「大義名分」

や「弁護士の費用」といった世俗的「心配事j を杯の中に忘れ去る姿の陰に は、祝祭の持つ剥那性が潜んで、いることが理解できるだろうO 農民たちはそ の場を離れれば、理想的な社交空間がもはや存在し得ない事実を暗に了解し ているO このことを突き詰めて考えれば、理想的な社交空間は、カントリ ー・ハウス・ポエムを作り上げる詩人のレトリックの中にしか存在していな いことが見えてくるのであるO

最後に、ジョンソンの創造したカントリー・ハウス@ポエムというジャン ルがその後いかなる変容を遂げていくか考察する上で、大変興味深い一つの 作品に触れておきたい。すなわち、サー・ジョン・ヴアンブラが1698年に 上演した『カントリー・ハウス』という笑劇である。16この劇はジョンソン が詩において賞賛した「気前よい歓待」を完全にパロデイー化することで成 立しており、「ベンズハーストに寄せて」の影響が随所に見出されるもので あるO けちな領主の住むカントリー・ハウスへ訪問する客は、あらかじめ自 分が採る食事の量を超えるだけの「キジ

J

や「ヤマウズラ」を送っておかな ければ、滞在を認められないというくだりは、ジョンソンのカントリー・ハ ウス・ポエムの理想的概念が、 17世紀末ロンドンに暮らす観客たちの間に いかに広く浸透していたかを如実に示している。さらに興味深いことに、こ の劇の上演された翌年、ヴアンブラは実際のカントリー。ハウスの設計者に 任命されており、後世において彼は建築家としての名声のほうが高くなった ほどなのである。イヴリン・ウォーのカントリー・ハウス小説[ブライズヘ

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ッド再訪jのモデルとなったと言われているカースル・ハワードや、ウイン ストン・チャーチルの生まれたブレナム・パレスといった鐸々たるカントリ ー・ハウスは、ジョンソンのカントリー・ハウス・ポエムをパロディー化し 笑い飛ばした同一人物の手によって生み出されていることを考えると、揺る ぎなく受け継がれていく伝統を擁護する文化記号としてのカントリー。ハウ スというレトリック自体が、そもそも、そのような伝統が不在になったとき に、ジョンソンによって創造されたものであったことが明らかになってくる。

ジョンソンからヴアンブラまでの82年間という短い期間に、カントリー・

ハウスの「伝統」はどれほど揺らぎ続けていたかを理解するためには、ケア リーやヘリック、デナム、ウォラー、マーヴェルといった「ベンの息子たち」

の手に拠るカントリー・ハウス・ポエムに表象された「場」を、丁寧に読解 していく必要があるだろうO

David Riggs, Ben Jonson:A L (Cambridge:Harvard University Press, 1989), pp.  28487. 

2  Claude J.Summers and Ted‑Larry Pebworth, eds., Literαry Circles and Cultural  Communities in Renaissance England  (Columbia: University of Missouri Press,  2000), p. 2.ヘンリー王子のサ}クルについてはRoyS柱。ng,Henry, Prince  01 Wales and England's Lost Renaissance  (London: Pimlico, 2000), pp. 6499  を、グレート・テイウ・サークルに関しては、 HughTrevor‑Roper, Catholi<ω,  Anglicans and Puritans  (London: Secker Warburg, 1987), pp. 166230をあ わせて参照した。

3 厳密にはAemi1iaLanyer1611年に出版したSalveDeus Rex Judaeorumにある

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「クッカムの描写J(The Description of Cookham")が先駆的だが、文学史 を顧みると、ジョンソンの「ペンズハースト」は以後の主党派詩人たちに 脈々と受け継がれており、この詩を幡矢として、 17世紀のイングランド に一連のカントリー・ハウス・ポエムが確立したということができる。そ の影響は、 Lanyerに比べるまでもなく巨大なものであるO カントリー・

ハウスの{云統についてはG.R. Hibbard,The Country House Poem in the  Seventeenth Century," Journal of Wαrburg and Courtland Institutes, 22 (1958):  159‑74、およびWil1iamAlexander McClung, The Country House in English  Renαissance Poett(Califomia:University of Califomia Press, 1977)を参考に

した。

4  C.H. Herford and Percy and Evelyn Simpson, eds., Ben Jonson, 11 vols.  (Oxford:  Clarendon Press, 1925‑52、以下H&Sと略す),1 , pp. 139‑40 

5  H&S, VJJ, pp. 145‑58; H&S, X, pp. 4003.セシルとジョンソンの関係を論じたも のとして、 RobertWiltenburg,引なlatneed hast thou ofme? or ofmy Muse?':  Jonson and Cecil, Politician and Poet," Summers and Pebworthds.,'The Muses  CommOlWeale':  Poetry and Politics in  the Seventee~肋 Century (Columbia:  University ofMissouri Press, 1988), pp. 34‑47カfある。

6 ロイ・ストロング著『イングランドのルネサンス庭園J閏月勝博訳(ありな書 房、 2003年)、 p.204.

7 以下、ジョンソンの詩に関する引用は、 IanDonaldson, ed., Ben Jonson: Poems  (Oxford: Oxford University Press, 1975)に拠る0

8 ペンズハーストにおける文化と自然の対比は、 DonE.Wayne, Penshurst: The  Semiotics of p/αce and the Poetics of 1'story(Madison: University ofWisconsin  Press, 1984) , Chapter 3において詳しく論じられている。

9  Martin Elsky,Ben Jonson's Poems of Place and the Culture of Land: From the  Military to the Domestic" ELR 31.3 (2001): 392‑411を参照。また、 LeahS. 

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Sharpe and Peter Lake eds., Culture and Politics in  Early Stuart England  (Stanford: Stanford University Press, 1993), pp. 139‑159は、ジ、ェームズ一世お

よびチャールズ一世により薦められた地方での「気晴らしjの政策と様々 なカントリー・ハウス・ポエムの関連性を考察する上で、有意義な論考で ある。

10  The Book 

0 1

めortの重姿性については、 Marcus,The Politics 

0 1  

Mirth: Jonson,  Herric kMilton, Marvell, and the D砕nseolOld Holiday Pωtimes  (Chicago:  TheUnivrsityof Chicago Press, 1986)が必読の文献である。

11  Lawrence Stone, Crisis 

0 1  

the Aristocrαcy 1558‑1641  (Oxford: Clarendon Press,  1965), p. 42. 

12  "My Picture Left in Scot1and," Donaldson ed., p. 145を参照のこと。

13  ジョンソンと食欲の関係は、 BruceThomas Boehrer, The Fury 

0 1  

Men 's  Gullets:  Ben Jonson and the Digestive C al (Philadelphia: University of Pennsylvania  Press, 1997)において、バフチンを援用する形で意欲的に論じられてい る。

14  H&S, 1, p. 141.  15  H&S,珊,p.565.

16  Brean Hannnond ed. John Vanbrugh: The RelapsedOther Plays  (Oxford: Oxford  University Press, 2004) , pp. 301‑23, 372‑73. 

参照

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