第 I章 序 工早
この報告は平城京左京三条二坊六坪における1975年度の第96次調査, 1977年 度 の第109次調 査
,1979年
度の第121次調査の3次
にわたる発掘調査 と,1982年
度〜1984年度の整備に伴 う調 査を とりまとめた ものである。第96次調査については1975年度に奈良国立文化財研究所が,第
109次・121次調査については1979年度に奈 良市教育委員会がそれぞれ発掘調査概報を刊行して いるが
,そ
の後の調査により,導
水路の解釈や,園
池造成時期などに新 しい知見が加わ ってい るので,既
刊の概報を一部訂正 しつつ報告する。1平 城 京 の 調 査
平城京の調査研究は
,幕
末の北浦定政にはじまる。 定政 は 実地を踏査 し,
史料を収集して 1852(嘉永2)年
に「 平城官大内裏跡坪割之図」を作製した。男治以降,関
野貞をはじめ多 くの 研究者によって,平
城官・平城京の研究はさらに発展し,平
城官跡は特別史跡に指定 されてそ の大部分が国有化され,発
掘調査 と保存整備が継続的に進め られている。平城京に関する発掘調査では
,1954年
に旧奈 良県立高等学校敷地内で掘立柱建物群が検出さ れたのが最初で, 1969年 度には,
国道24号線バイパス計画の路線変更にともな い,東
三坊大 路,左
京一条三坊十五・十六坪において調査が行われた。同年に羅城関の遺構 も確認 された。その後
,京
の発掘調査件数は次第に増加し,条
坊や坪内の宅地利用状況などが次第に判明して いる。1979年には奈良市教育委員会事務局に文化財室が新設 され1981年には文化財課,さ
らに 1984年に文化課 とな り,奈
良国立文化財研究所,奈
良県教育委員会 とともに京 の調査に当 り, 左京二条二坊十二坪,同
五条二坊十四坪,同
五条一坊一坪,外
京五条五坊七坪をはじめ各所で 重要な成果をあげている。平城京右京の南部は大和郡山市に所属するが
,同
市教育委員会事務局社会叛育課 も京 の調査 を実施するようにな り,奈
良大学・帝塚山大学の協力 もあって,調
査件数は次第に増加してい るが,そ
のほ とん どは開発に伴な う事前調査であ り,と
くに近年は京内の全域に開発がひろがり
,現
状では開発の進行に十分の対応ができず,今
後に課せ られた問題が多い。京の調査成果は奈良国立文化財研究所の学報・年報・概報
,奈
良県遺跡調査報告,奈
良市埋 蔵文化財調査報告書や各個別の概報などで逐次報告 され て お り,条
坊関係では朱雀大路・大 路・条坊間路・小路の各方位・尺度 。幅員・構造などが次第に切らか とな り,東
堀川 と堀川の 機能を持 った広い水路や橋 も確認 されている。京は寺院や京職
,市
などの公的施設 もかな りの面積を占め,今
回報告した左京三条二坊六坪 をはじめ,同
五条一坊一坪な ども建物配置の状況か ら何 らかの公的施設 と考えられるが,大
部 分は宅地にあて られていた。官の近 くでは1坪
あるいはそれ以上の広い占地の宅地が多 く,八
条
,九
条や外京の南辺では小規模の宅地割が確認されている。平城京の宅地割は古記録か らも 坪の16分の とが基準 と考えられるが,左
京八条三坊九坪ではじめて発掘調 査 に よ って 確認 さ甘
a
れ
,さ
らに1985年度の左京九条三坊十坪,右
京八条一坊十四坪では16分の1坪
をさらに東西に2分
した32分の との宅地割が確認 された。東市・西市でも一部の調査が行われている。諜原仲 麻 呂の田村第推定地に合 まれ る左京四条二坊十五坪では礎石建物 も発男1されているが,宅
地内 の建物はほ とん どすべて掘立柱である。大規模の宅地の主屋では桁行9間
に 達す る もの もあ京内 寺院
り
,多
数の建物を整然 と配置す る。小規模宅地では桁行
3間
,染間2間,各間
2m程
度の小規模な 建 物2〜
3棟
で構成 され,大
部分の宅地が各 個に丼戸を持つ。和同銭鋳造の跡や 漆・金属関係工房跡 と考えられる遺 跡 もあ り,下
層か ら古墳時代の遺跡 が検出されることもある。出土遺物 には 日常什器を中心 とする多数の上 器,京
特有の瓦をはじめ,墨
挺・銭 貨な どを土器に納めた胞衣壷,地
鎮 具や人面墨書土器,上
馬,人
形 。刀 形,斎
率・釦鏡などの祭祀関係の遺 物 もあって多様性に富んでいる。発机 面積
・ 100ポ以下
. 500∬
・ 1,000ポ
■ 2,000ポ
■ 3,000珀汗
■ 4,000∬以上
大
9 191Xlm
失失共宍央ををををををををを
4大大チ
t大チ
t五六 七 八 九 〇 一 二 三 四 五 六 七 八 九 〇 一 二 三 四 Fig。
1
平城京発掘調査件数・調査面積平 城 宮
Fig。
2
平城京発掘調査位置図2報 告 書 の 作 成
今 回報告す る調査 は1975年 度 の第96次 調査
,1977年
度 の第 109次 調査,1980年
度 の第 121次 調 査,1982年
〜 1984年 度 の整備に伴な う発掘調査 の報告 であ る。以下発掘責任者 と発掘担当者,発掘調査 関係者 を列 記 す る。
*
次数 発掘年度
所
長
部
長
発掘調査担当者
第96次
1975
小,II 修三鈴木 嘉吉
田中
哲雄
牛川
喜幸
狩野
久
森
有1夫 横田
拓実
宮本長二郎
佐藤 興治 吉田
恵二
山本
忠尚
岡本
東三 綾村
宏
須藤
隆
毛利光俊彦
*
ヽ松本
修 自
第109次
1977
坪井清足
狩野
久
安田龍太郎
森
郁夫
宮本長二郎
吉田
恵二 綾村
宏
安田龍太郎
中村
友博 本中
真
第121次
1979
坪井清足
狩野
久
光谷
拓実
鬼頭
清粥
山本
忠尚
中村
雅治
*
岡田英男
巽
淳一郎
上原
真人
1982〜 1984年 度 の整備 に伴 う調査 では
,田
中哲雄,本
中真 が
,
また木樋・木枠 の取 り上 げ に際 しては奈 良市教 育委員会中井
公 が参 加 した。
報 告書 の作成 は1984年度 か ら開始 し
,遺
構 関係 の整理 につ いて は遺 構 調査室・ 計測修景調査 室 があた り,遺
物 につ い ては考古第一調査 室・考 古第二 調査室・ 考 古 第二 調査室 ・史料調査室*が
分担 し,1984年
度 以降,執
筆分担者 を中心 として検討会 を行 い原 稿 を作成 した。執 筆分担 は つ ぎの とお りであ る。第 I章
1岡
田英男
2日
中哲雄 第I章
田中
哲雄
第Ⅲ章
1田
中哲雄
2松
本修 自・田中
哲雄
*第
V章1綾
村宏
2杉
山洋
3千
田剛道
4・
5岩永省三
6粉
,II 昭平 第V章1田
中哲雄
2綾
村宏
3光
谷拓実
4田
中哲雄
第Ⅵ章
田中
哲雄 英文要旨
松本
修 自
第 Ⅳ章
‑6の
植 物遺 体 の鑑定 は大阪市立大学孜授粉川 昭平 氏 に
,(花
粉 分析 は神戸市立教*育
研究所前 田録夫 氏
)第
Ⅲ章‑2の
岩石鑑定 は同助手松 岡数 充 氏 (現長は 学功教授
)に
そ れぞれ依頼 し,成
果 を得 た ものである。遺構・遺物 の写真 撮 影 は八 略扶桑