• 検索結果がありません。

れば 男 性 が 女 性 専 用 車 を 使 ってはならないという 制 度 は 間 違 っている ならばわれわれが 行 っている 女 性 専 用 車 制 度 はお 互 いの 利 益 を 守 るための 区 別 であろう では 女 性 が 女 性 専 用 車 に 乗 るのはもはや 義 務 ではない か

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "れば 男 性 が 女 性 専 用 車 を 使 ってはならないという 制 度 は 間 違 っている ならばわれわれが 行 っている 女 性 専 用 車 制 度 はお 互 いの 利 益 を 守 るための 区 別 であろう では 女 性 が 女 性 専 用 車 に 乗 るのはもはや 義 務 ではない か"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

女性専用車からみる平等の感覚 はじめに 近年、女尊男卑という言葉をしばしば見聞きする機会が増えはじめたように思われる。かつて日本は男尊女卑 という言葉のもと、女性の権利拡大や公平な社会の形成を目標に掲げてきた。しかし、女尊男卑という言葉が台 頭しはじめた今日では、もはや女性の主張は過剰要求ではないかという男性の本音が垣間見えるのではないだろ うか。今回はそうした現状を踏まえて、真の平等のあり方について考察したい。 男女のちがいに言及することは非常に困難な作業となるため、今回は女性専用車にまつわる論争を取り上げ、 双方の主張を分析した後、われわれの平等の感覚について私の考えを述べる。 第一章では、女性専用車はそもそも誰のために存在しているのかというテーマを立て、世論からいくつかの主 要な考えを抜粋し、私なりに解釈したのち、三つの論点に分けた。その後、それぞれの論点に即して現状の認識 と私自身の問題意識を合わせて平等観を考察すると共に、新たな男女観の形成および信頼関係を構築しなければ ならないと考える根拠を探った。 第二章では、第一章の議論を踏まえてそれぞれの論点を統合し、両性ともに平等だと考えられる制度はどのよ うにして確立されるべきかについての考察を行った。両性が共に平等を感じることが出来ない根本原因は第一章 で述べた点だけではないはずである。少なくとも、両性が異なった視点から平等を求めても成り立たないことは 明らかであるため、第二章では視点を統一する意義を述べることに力点を置きたい。 1.女性専用車は誰のためのものか 女性専用車は誰のためのものだろうか。おそらく大部分の人は女性のためと答えるはずである。しかし実際は どちらのものでもない。男性の乗車を禁止する法的根拠はなく、男性利用客の協力のもとに成り立っているのが 女性専用車なのである。しかし現実は異なっており、男性が女性専用車に乗り込むことは実質的に不可能に近い。 こうした実態を受けて様々な論争が巻き起こっているが、私なりにそうした論争を整理し、論点を以下の三つに 整理した。 1.女性専用車は平等か 2.女性専用車は本当に痴漢対策に成りうるのか 3.女性専用車は撤廃するべきか (1)女性専用車は平等か 女性専用車が平等であるか否かは、われわれの平等の感覚を理解する上で必ず問わねばならない問題であろう。 そもそも女性専用車という存在を作ることそのものが男性差別なのではないかという意見は非常に多いからで ある。加えて女性専用車は階段前に設置されている場合が多く、急いでいるラッシュ時に、男性に非常に不便な 状況を強いることになるという点を踏まえれば、確かに女性専用車は一見不平等であり、男性差別に思える。し かし、女性専用車にまつわる論争に目を通すと、意図的であれ、無意識的であれ、やはり男性優位の考え方を色 濃く残している意見に出会うのである。その最たる例が、「“女性専用”があるにも関わらず、どうして使わない のか?」という批判である。この批判の背景には、もはや女性専用車が完全に“女性専用”であり、女性は全8 車両から自由に選べるのに対し男性は全ての車両を選べないという“不平等”感、差別されているという感覚が 強くあると考えられる。したがって、そうした感覚を紛らわせるために、「私たちは差別されているのではなく、 お互いに区別し合っているのだ」という自己解釈が必要となる。その結果、先に挙げたように、世の女性は全て 女性専用車に乗るべきだという考え方が生まれることになるのである。平等が文字通り等しい状態をさすのであ

(2)

れば、男性が女性専用車を使ってはならないという制度は間違っている。ならばわれわれが行っている女性専用 車制度はお互いの利益を守るための“区別”であろう。では、女性が女性専用車に乗るのはもはや義務ではない か、というわけである。 こうしたロジックの一番の問題点は、先にも述べたように、男性優位の考えが非常に色濃く残されているとい う点である。つまり、自らが決定の主導権を握りたいという意識である。公的には、女性専用車は区別のための ものでも、差別のためのものでもない。ましてやその設置の根拠となっているのは、“世の男性による痴漢犯罪 対策”なのである(この妥当性は後ほど考察する)。したがって、本来女性専用車は痴漢を恐れて電車に乗るこ とが困難である女性が心おきなく電車に乗れるようにと配慮した結果設置されたのであり、区別や差別という意 識はわれわれが自己解釈した結果持ち合わせることになった認識にすぎないのである。 当然こうした“配慮”ですらも女性差別的だという批判もあるが、そうした批判はもはや新たな平等観、男女 観を構築する上でほとんど価値を見出すことが出来ない。なぜなら、“配慮”を拒否するということは当然“レ ディファースト的女性配慮”を拒否するということであり、こうした“女性として扱われること”自体を拒否す る批判の根底には、男性と女性を同質なものとして扱うべきだという主張が見て取れるからである。実際アメリ カではこうした男性と女性を区別するべきではないという主張が通り、ニューヨークのセントラルパーク内で “女性のトップレス”が認められることとなった。しかし、こうした主張は異常であると言わざるを得ない。男 性と女性はそもそも別の生命体としてこの世に生を受けた以上、犬とライオンが同じ環境で生きるのが困難であ るように、男性と女性も、お互いが生きるべき環境は異なるのである。当然人間は環境内に社会を含むため、社 会での立ち振る舞い方も当然異なる。これは差別でも区別でもなく、生物として生まれた以上必然的に起こりう ることである。したがって、先にあげたような男女同質化の動きには大きな矛盾が存在する。その一例が、産休 や、育児休暇である。産休や育児休暇制度は世の女性たちの“女性らしさ”を確保しつつ、社会復帰の機会が得 られる非常によい制度であると私は考えている。しかし、男女同質化が進んでいくとこうした制度を選択しにく くなるのである。実際、日本では一部の女性が同質化を叫んでいる影響を受けて、世の女性が逆接的に差別を受 けているような印象を受ける。つまり、大多数の女性は女性として扱われることを望んでおり、産休や育児休暇 を取りたいと考えているが、一部の同質化運動を行う女性が世の女性の考え方であると男性に誤解されることに よって、女性らしく扱われることが嫌なら取らなければいいし、産まなければいいと考えられてしまっているの ではないかということである。これは間違いなく差別であろう。こうした“女性らしさ”の損失は非常に問題だ と私は考えている。したがって、近年の女性の権利拡大運動には些か否定的である。確かに適切な主張も存在す るが、大部分はもはや自分たちの首を絞めることになるのではないかと危惧させるような主張ばかりだからであ る。かつての女性の権利回復運動は“女性が人間として扱われていない”ことが問題であった。しかし、今日の 主張はその質の向上にあり、この段階まで来ると、“女性らしさ”を引き換えに獲得しなければならない権利も 多々存在するのではないだろうか。 さて、話を女性専用車に戻そう。私が同質化の例を挙げたのは、女性専用車問題の解決を試みた際、男性だっ て痴漢冤罪の危険があるのだから、女性も痴漢の危険ぐらいは容認すべきだ、という考えを否定するためである。 こうした一部のラディカルな女性の主張を真に受けて新たな対策を講じることは、大多数一般の平等の成立とは かけ離れていると言える。現状でも女性専用車に乗りたくない女性は乗らなくてもいいようになっているのだか ら、シェルターが必要だと考える女性の視点に即して考えねばなるまい。そこで次節では、現状の女性専用車が 本当に痴漢被害を防ぐことが出来ているのか、また男性の冤罪問題はどのように扱うべきかについて考察したい。 (2)女性専用車は本当に痴漢対策になりうるのか 現代の男性は冤罪問題などに非常に敏感であり、私自身一男性として意見するならば、確かに女性には極力同 じ車両に乗ってほしくないし、近くに若い女性が来れば無理をしてでもそこから離れる努力をしている。しかし、 こうした感覚と平等は基本的に共存し得ないものである。どちらか一方の意見を立てれば、それは不平等への契

(3)

機となりうるからである。第二節ではこうした男性の冤罪を恐れる視点も踏まえつつ、現状の女性専用車の痴漢 対策効果を考察していきたい。 女性専用車導入以降、鉄道会社は痴漢発生件数を非公開にする鉄道会社が増えたため、現状では正確に把握す ることは出来ない。しかし、単純に考えてみれば、対策としての効果はかなり薄いと言わざるを得ないだろう。 なぜなら、女性専用車に乗ることが義務ではない以上、別の車両にも女性は乗り込むからである。その結果、女 性専用車だけが空いていて、残りの車両は軒並み寿司詰め状態という状態がよくみられる。こうした寿司詰め状 態こそが痴漢犯罪の温床であり、原因であろう。かつてであれば均等に分散されていた乗客が、女性専用車の登 場によって片寄るようになり、結果として以前よりもより寿司詰め状態が悪化しているのである。加えて第一節 で上げた「“女性専用”があるにも関わらず、どうして使わないのか?」といいう疑問は、容易に「わざわざ男 性の多い車両に乗ってくるということは、痴漢されたいのではないか?」という認識へと転化する。こうした実 に男性的な解釈はわれわれの平等観を考察する上で欠かせない要素であると言えるだろう。露骨な表現となるが、 男性は魅力的な女性であれば初対面でも性交をしたいと考える生き物である。一方女性はそうではない。日本で はこうした性にまつわる議論は回避されてきたように思われるが、われわれが今後女性専用車問題で真の平等を 形成しようと考えるならば、こうした性欲を感じるメカニズムの差も考慮に入れなければならないと私は考える。 なぜなら、そもそも“女性専用車という概念”が生み出された原因は、男性の性欲のメカニズムに不信感を抱か ざるを得ない現状にあると言えるからである。したがって、女性専用車が生み出された原因は必ずしも痴漢犯罪 を行う人間のみに依拠されるべきではない。むしろ“男性”という存在そのものへの不信感であり、拒否反応で あると捉えるべきである。女性専用車問題は痴漢を行う男性と世の中の女性の間で発生している問題で、その他 大勢の男性はただの傍観者にすぎないという視点は早急に捨てなければならない。自分も原因の一部であるとい う意識は今後男性全てに共有されなければならないのである。こうした意識を持ちえないからこそ、女性専用車 の存在に対して差別感や不平等感を感じると言えるだろう。 では、痴漢冤罪はどう考えるべきだろうか。残念ながら、世の中には示談金目当てで痴漢冤罪を試みる女性や、 車内で注意してきた気に入らない男性を社会的に抹殺しようと試みる女性が一部いることも事実である。しかし、 大多数の女性は純粋に痴漢の恐怖におびえているし、不快感を持っているであろう。したがって、基本的にわれ われは何もしないという選択だけで問題がないと言える。つまり、怪しまれる行為を行わないということが大前 提だということである。それでも満員電車のようにどうしようもできない状況は存在する。こうした状況をわれ われはどのように考えるべきなのだろうか。最も効果的な対策は満員電車に乗らないことだが、これは現実的で はない。加えて、痴漢犯罪が減少しない原因が一般車両に乗り込む女性が存在するからだと指摘したが、これは 痴漢冤罪にも当てはまる解釈である。つまり、痴漢冤罪を目論む女性は女性専用車に乗らず、一般車両に乗り込 むということである。この点から考えれば、女性は最悪女性専用車に乗ればほぼ確実に痴漢犯罪から逃れられる が、男性は常に痴漢冤罪の危険性を伴うと言えるだろう。こうした現状を踏まえると、われわれはどうしても世 の中の女性全てに女性専用車に乗ってほしいと思いがちである。あるいは男性専用車の導入も検討するべきだと の意見も出ることになるだろう。第三節では、こうした男性視点の欲求を踏まえて、女性専用車は廃止するべき かという問題について考察を行いたい。 (3)女性専用車は撤廃するべきか われわれの究極的な目標として、女性専用車制度は廃止されるべきである。これは私の基本的立場として表明 しておきたい。女性専用車制度が撤廃されるということは、女性が世の男性に対する不信感を持つことなく、ま た男性も冤罪の恐怖におびえる必要がないという相互の信頼関係が成り立ったということを意味するからであ る。しかし、私が第一節末で同質化の例を挙げて批判したような男性優位の価値観から、女性専用車は撤廃しな ければならないという意見も根強い。しかし、「男性だって痴漢冤罪の危険があるのだから、女性も痴漢の危険 ぐらいは容認すべきだ」という考えの結論として女性専用車が撤廃されてはならない。なぜなら、これは一見平

(4)

等であるように思われるが、依然として女性の男性に対する不信感は残されているし、男性もまた、女性に対す る不信感をぬぐい切れていないからである。信頼関係を欠如した状態で女性専用車制度を撤廃すれば、その先に 待っている未来は車両の完全分離であろう。女性専用車を撤廃したとしても、結局両性からの不満や不安が収束 することなく、女性専用車、男性専用車双方への希求が高まったのち、分離に至るのである。一見分離すれば全 て解決するように思われるだろう。しかし、こうした考えは、人間存在の持続可能性の観点を踏まえれば、非常 に危機的な状態であると言わざるを得ない。なぜなら、両性が個人としての“存在”を求めれば求めるほど、両 者の性にまつわる問題に対する嫌悪感はましていき、結果的にヒトとしての“生存”が危うくなるだけでなく、 “伝承・再生産”という観点が完全に失われるからである。今後医療技術の発達により同性同士の遺伝子を掛け 合わせて子を成すことが出来るようになる時代がすぐに到来するだろう。そうなったとき、男性同士、女性同士 が親であるという状況は、伝承という観点から見れば、歪にならざるを得ないと私は考える。現状では同性婚を 個人の権利として認める国家が多くみられるが、将来的に男女間の信頼が完全に崩壊し、男性は男性と、女性は 女性と暮らす社会や、あるいは両性を持つニュートラルな人間の誕生が望まれる危険性を考えれば、同性婚は安 易に認めるべきではなかったのではないだろうか。一世紀前であれば同性婚は何の問題もなかっただろう。しか し、われわれはもはや先ほど私があげた未来がすぐそこまで迫ってきているほどに科学技術が進歩した時代に生 きているのである。私の危機感が空想でも妄想でもなく、現実に起こりうる事象としてわれわれの目の前に現れ たとき、現状の制度は簡単に男女間、さらに言えば人間観の崩壊を導くことになるだろう。科学技術の到来はい つも突然である。気づいたときにはわれわれの社会構造を組み替えていて、さも自らが常識であるように振る舞 う。大多数の人間がこうした状況にすら気づくことが出来ない以上、男女間、人間関係における強固な信頼の構 築は今や早急に求められるべきではないだろうか。 2.どのようにすれば平等が達成されるのか 私は第一章で、女性専用車が設置された根本には男性の性欲に対する不信感があると述べた。これこそが女性 の基本的な視点であると言える。したがって女性はこの男性に対する不信感から逃れるための女性専用車である と認識しているため、非は男性側にあり、専用車設置によって平等が確立されていると考えるわけである。一方 男性は痴漢犯罪を行う人間はごく少数であり、そんな一部の人間のために、大多数の男性がラッシュ時により寿 司詰めになる、不便になるといった不利益を被ることは、不平等だと考えるのであった。こうした考えに対する 批判、補強は前章で行ってきたため、第二章ではそうした批判、補強も含めて、両性共に共通の視点から平等を 考える必要性について考察すると共に、具体的な視点を確立するための方法について考えていきたい。 私自身の考えは何度も述べているように、女性専用車制度の完全廃止が両性相互の信頼関係の成立によってな されるべきだというものである。当然こうした信頼関係が維持されるためには、両性が共に納得できるような平 等が成立していなければならない。こうした議論を行う際、はじめに問わねばならないことは信頼関係の回復が 先か、平等の設立が先かという点であろう。非常に難しい問題だが、私は平等の成立が先であるべきだと考えて いる。なぜなら、信頼関係というものは、お互いがお互いを尊重し合う過程の中でしか生まれないと思われるか らである。特に男女間において約束事の履行は大きな効果をもたらすと言えるだろう。したがって、私の最終的 な目標は相互の信頼関係の構築にあるが、そのための足掛かりとして、両者の平等を確立することは必要不可欠 だと考えている。ではより具体的にそのプロセスを見ていくことにしよう。 第一に、両性の本質的な主張を論理的にまとめなければならない。加齢臭が嫌だ、ケバイ化粧をする人は嫌だ という意見は一定数みられるが、こうした意見は一端排除しておくべきだろう。これらはマナーの問題に属する 類であり、根幹をなすものではないと思われるからである。第二に、両性の主張を肯定否定に分類し、その特徴 を考察しなければならない。おそらく同じ肯定でも男性女性ではその根拠は異なるだろうし、同時に否定でも同

(5)

じように異なるはずだからである。第三に、肯定と否定、それぞれの共通項をあぶりださねばならない。仮に男 性肯定派の考えが冤罪の回避であったとしよう。そして女性肯定派の考えが痴漢からの回避であるとしよう。そ の妥当性の是非は別として、少なくとも、犯罪に巻き込まれることから逃れることが出来るという視点は共通し ているはずである。このように、肯定と否定それぞれの論点を練り上げ、共通の価値観を見つけ出していく必要 があるだろう。第四に、こうして練り上げられた共通項を基準として、そこから外れる価値観を再考しなければ ならない(ここで先ほどあげた臭いなどの具体的な問題を導入する)。共通項から外れた意見は大きく二つに分 けることが出来ると言えるだろう。一つは、両性の本質的な部分を踏まえていながらも、共通項からはみ出てし まった価値観である。もう一つは、両性の本質を踏まえてはおらず、具体的な対策法で解決できると思われる価 値観である。 こうしたプロセスを経ながら共通の視点を練り上げることで見えてくる問題点は、私が本文で指摘した以上の ものになることは間違いない。おそらく気づくことが出来なかった多くのものがまた現れてくるだろう。ここで 大切なことは、そうした価値観を早急に解決することではなく、順序立てて考えることである。つまり、どうし ても解決しなければならない問題から、個人のちょっとした心がけで修正できる問題まで幅広く存在する以上、 それら全てを同系列の問題として扱うのではなく、本質に近い部分から順序立てて解決していき、その観点にお いて平等が成されたというコンセンサスがとれたとき、初めて次の問題の解決に向かうべきだということである。 こうして順序立てて解決していく過程で信頼が徐々に構築されていくのではないだろうか。 おそらく私のこの考えに対して、なぜ逆のプロセスではないのかという疑問が投げかけられるだろう。すなわ ち、簡単な部分から信頼関係を構築していき、徐々に難しい問題に対峙すればいいのではないかという疑問であ る。確かに簡単な部分から徐々に成長しながら解決していくという方法は、個人が問題を乗り越えていく上では 非常に効果的な方法と言えるだろう。しかし相手が存在し、両者の間で信頼関係を構築しなければならないとす るとき、最も大切なことは本質的な部分で繋がることなのである。これは国家間の問題を見れば一目瞭然であろ う。結局国家は根本的な部分で信頼し合うことが出来ないから、条約などが口約束程度のものにまでなり下がる のである。最終的に行き着く先が同じであるなら、はじめに根本的な部分で同意を得る方がその後の展開もより 確実ではないだろうか。なぜなら、お互いに納得している土台が大きければ大きいほど些細な問題に対して柔軟 に対応できると思われるからである。 加齢臭の対策を例に挙げて考えてみよう。加齢臭は加齢に伴い必然的に伴うものであり、個人の努力も当然必 要だが、男性も女性の化粧や香水に対して不快な思いをする場合があるのだから、全車両にいい香りを充満させ れば解決ではないかという具体例が出され、それで解決したとする。ではそこから次の段階へ進むとき、この程 度の同意が信頼関係を構築していると言えるだろうか。むしろ、各人の努力なしに安易な解決法を出したという 批判が後に出されはしないだろうか。こうした簡単な問題に関しては、どうしても熟考なしに決断してしまいが ちである。その結果平等ではあれども、信頼関係が構築されていないという状況が起こりうる。これは本来の目 的とは大きくかけ離れていると言えるだろう。最悪のケースはこうした簡単な問題すらも解決出来ず、泥沼には まることである。それならば、本質的な議論において拘泥する方がよりよい結果が得られることは明白であろう。 以上の理由をもって、私は本質的な問題から解決していくべきだと考えている。 本章では、どのようにして平等がなされるのか、またなされるべきかという観点から、その意義と具体的な方 法についての考察を行った。当然私の考えは社会全体で取り組む際にはただの一意見に過ぎない。大切なことは、 私が今回ここで述べたように、最終的な目標を明確に定めて、そこに向かって両性各自が努力していくことであ る。ただ漠然と廃止を訴えたり、女性専用車に監視カメラの設立や、女性専用車の出入り口に警備員を立てるよ うに要求したりすることは、明らかに両性の溝をより深めることになるだろう。こうした現状を踏まえても、や はりわれわれの平等を考える視点を統一する努力をすることは、意義あるものだと思われるのである。

(6)

3.おわりに 本文を通して、私は女性専用車の現状を極力両性の観点から考察するよう努力してきたつもりである。しかし 私自身、男性という立場に生きざるを得ない以上、先入観が伴っている可能性は否定できない。したがって今後 是非とも両性の立場から “信頼関係”を構築するための議論をする機会を設けるべきである。双方が自分の利 益のみを主張し続ける限り真の男女平等はなしえないどころか、むしろ両者の溝を深めるという結果を導くだけ であろう。お互いを配慮し合う感情は当然必要だが、ただ配慮し合うだけではなく、両性の考える“平等の感覚” が異なっているということを理解しなければならない。私が第二章で暗に示したかったものはこれである。われ われの平等の視点を統一するためには、われわれの考え方や見ている方向が異なっているということを自覚しな ければならない以上、ただ自らの考える平等を相手に押し付けるのではなく、共に作り上げていくという意識が 欠かせないのである。 今回は女性専用車という問題を通して見られた両性の差から、いかに異なった平等の感覚を持ち合わせている かを探ったが、世界規模で平等を考えていく際には男女の違いだけでなく、文化の違いも考慮に入れなければな らないため、多大な労力が必要となることは想像に難くない。しかし、今後グローバル化の影響をより受ける次 世代のためにも、われわれが成さねばならないことは多く残っているのである。 2014/01/27

参照

関連したドキュメント

喫煙者のなかには,喫煙の有害性を熟知してい

妊婦又は妊娠している可能性のある女性には投与しない こと。動物実験(ウサギ)で催奇形性及び胚・胎児死亡 が報告されている 1) 。また、動物実験(ウサギ

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

また自分で育てようとした母親達にとっても、女性が働く職場が限られていた当時の

されてきたところであった︒容疑は麻薬所持︒看守係が被疑者 らで男性がサイクリング車の調整に余念がなかった︒

分だけ自動車の安全設計についても厳格性︑確実性の追究と実用化が進んでいる︒車対人の事故では︑衝突すれば当

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな