日本近代体育 の思想 と実践
QD
保健体育科教育教室 はじ
め
に 己 大正前期 における教育のある一定程度の自由化政策 は
,大
正中期以後次第 に軌道 を修正 し,フ
ァ シズムヘ と移行 を始めることになる。具体的 には臨時教育会議の設置 (大正6年 )と
その兵営化政 策 を契機 としているが,そ
の過程 については,別
の機会 にふれているので,そ
れ に譲 る として も, 明 らかに「内に対 する自由,外
に対する帝国主義」)(松 尾尊兌)という大正 デモクラシーの限界が露 呈 されたに過 ぎなかった。 江木千之,木
場貞長,鎌
田栄吉等 による「兵式体操二関スル建議」 は,陸
軍現役将校 の学校配属 という現実 を迎 えることになるが,軍
事教練 の実施 に対する批判や反対運動 は,遂
に体育界 (長田 等の批判 を見 るにして も,)では浸透することはな く,草
の根のファッシズム段階 を将来することに なる。それは,ま
さに大正 自由体育論 に内蔵す る二律背反のなせ る結果 にほかな らない。 この小論では,そ
うした時代的状況 を迎 えつつある大正後期 における自由体育論 とその実践 を考 察 してみたい。 8。 大 正 後 期 にお け る体 育 改 造 論1.八
大教育主張 と自由体育論(1)樋
日長市の 自学主義教育論 大正lo年8月 1日か ら8日 まで雑誌『教育学術界』(主幹尼子止)の
主催で「八大教育講演会」が 開催 された。 よ く知 られているように,当
日の講演題 目と講演者 は次の通 りであった。 一、自学主義の徹底 樋 日長市 二、 自動主義の教育 河野清丸 三、自由教育 の真髄 手塚岸衛 四、衝動皆満足 と創造教育 千葉命吉 五、真実の創造教育 稲毛記風 六、動的教育 の要点 及 川平治 七、全人教育論 小原国吉 八、文芸教育論 片山 伸 当 日は会場の定員2,0側名│こ対 して5,500名の申 し込み者 という盛況ぶ りであった とい う。主張者 の一人である手塚 は,当
日の様子 をこう伝 えている。 「私は開会の当 日に此の会 に上 りまして,満
場立錐の余地 なき実際家諸君の御集 りを見 て,今
更の 感に戟たれたのであ ります。今や教育実際家覚醒の時期 に際 して居 ります。私共,姦
一二年 ばか り の間幾千人かの各府県か らの参観者 に接 して親 しく語 るうちに も,厳
として犯すべか らざる自覚の 閃光が人 を射 るを直覚 しました。数百通の文通 によって も,如
何 に教育革新の気運 が熱 しつ ゝある 克 江 入入江克己:日本近代体育の思想 と実践 1か かを証拠だてることができます。遂に我々共 をして実際家は覚醒しつ ゝあ りと叫ばしむるに至った のであります。更に本会合が
,か
ゝる盛大を極めているも決 して偶然ではありません。私は実に, 斯 く考へて居 ります。?
ところで,こ の講演で樋回は,「明治の教育は主智主義の教育である。模倣主義の教育である。注 入主義の教育である。教師中心主義の教育である?な
どと,「人によっては,こ の教育 を以て明治聖 大の一大汚辱であったかの如 く言ひ くさすのでございますが摯,ダーウィンやハックスレー等の進化 論が世界 を風靡 し,適
者生存,弱
肉強食の支配 した「明治の教育 としては適当な教育であったと信 じます?と
,明治教育の主知主義,模 倣主義,教 師中心主義教育 は必要悪であったと一応擁護 してい る。 しかし,「大正の今 日に船ては我国家,及
び国民の要求する所は,明
治時代のそれに比 して著 しく 違って来た9と
言 う。つまり「現時におては我が国はこれを外 しては,我
等特有の文化 を世界に誇 ら なければならぬ時代 に際会 して居 るPの
であって,こ の時代的状況の変化が,「国家 としては外に対 し,内
に対 して新人 を要する。新国民を要望する時代 になって居る。Υ なかでも「個人の覚醒Pと
いう時代思潮を特徴 としてお り,し たがって教育 も,時
代 とともに変化 し,「私のここに掲げました自学主義の教育 と云ふ ものも,亦
在来の教育に対 して棟 ざる所があ り, 新時代の要求に応ずる教育 として起 こった一案」のであると言う。また樋口は,自
らの自学主義教育 を(1)従来の教育が知識万能主義であるのに対 して,子
どもの内部の能力を十三分に発揮せ しめるよ うにする教育,(2)教授万能主義に対 し,子
どもの自主的学習を重んずる教育,(3)従来の心理学の主 知説に対 し,主
意説の心理学に立 った教育理論であると特徴づけている。 さらに樋回は,自
学の「自は自主的,自
慣的,自
発的,自
動的」ゆを意味 し,学
は「学習の略J分 で あると言い,しか もこの自学は,子どもの学習本能にもとづ き,「学習本能の上に自学 を建設 したい」働 のであ り,「児童 自我の自覚」°にまで到達することをめざす ものであると主張 している。 鬱)河
野の自動主義教育論 自動主義教育論 を主張する河野は,そ
の概念について自動教育 と自動主義教育 とは異な り,自
動 教育は,い
わゆる放任教育 と同義語であって,「我々は被教育者に自分の力を働かせ る,其
ことを主 義 とし,原
則 として,さ
うして大人が指導 して行 く,一
方大人が之を指導すると同時 に,他
方又被 教育者の学習態度 を養って,自動を主義 とした」9教
育が,自動主義教育であると規定 している。 「音の『民は,拠
らしむべ く,知
らしむべからず』と云ふやうに,教
授法なども教師の虎の巻で, 彼等子供に知 らしむべきものではないと云ふのでは,教
授 と生徒 とが協心,動
力,肝
謄相照 らして やると云ふことは到底出来ない。だから十分に,自
動自発的にやらなければならぬ と云ふ ことを, 生徒 に自覚 させて,さ
うしてやると云ぶことに しなければならぬ。 此自覚が あれば一挙一動を目的々にやれる。例へば体操の際,只
だ先生が号令 を下 したか ら手を挙 げる,手
を左右 に動かす,上
体を前に曲げると云ふのではいけない。何の為に斯 う云ふやうにする か,ど
う云ぶ必要があるか,ど
う云ふ利益があるか,何
処の筋肉をどう発達せ しめるか と云ふやう に,総
て一挙一動を自覚を以てすると云ふ,即
ち目的々にやると云ふのが教育の目的で,教
師が学 者先生か ら仕込んで来て,ま
た自分の体験に何にもならぬところを,子
供に伝へると云ふや うなの は決 して教育の目的でない。吉田熊次先生が社会的教育学 と云ふのを主張 して居 られ るからと云っ て,其
通 りに,自
分が体験せずに,共
同奉仕をしなければならぬと云ぶて,自
分の体験せぬ ものを 以て子供 を圧迫する。 さう云ふ風なのは教育の目的を果たす ものとは言はない。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 30巻 第
1号 (1988) 111
我々の教育法 は子供 自身の見地か ら,教
育の 目的 まで作 らしめなければならぬ と云 うや うな立場 を 取 って居 るのであ ります。J0 さらに河野 は,自
動主義教育の哲学的原理 は篠原の「自然の美性化」 にその根拠 を置 くとして, 次のように言 っている。 「自動主義教育 と云ふのはどうす るのか と云 ひ ます と,高
等師範の篠原教授 は自然の美性化 と云ふ ことを言ひますが,是
な どは大変簡単で要 をえた もの と思 ひます。比の自然性 を理性化すると云ふ や うな思想 は,余
程古 くか ら存 して居 るのであ りますが,之
を簡単 に表 はしたのは篠原君の功績 で あると思ひます。 それで私 もやは りそう云ふ主義 を取 りまして,自
動主義教育 といふの は被教育者 を助 けて,其
自然性 を理性化せ しめる所の事業 ぢゃ と,定
義 を下 したいのであ ります。」つ 河野 は,子
どもの本能,衝
動 を理性的価値 にまで昇華 させ ることを自動主義教育 の究極的な目的 としたのである。(3)手
塚 の 自由教育論 一方手塚の自由体育論 は後 に取 り上 げるが,
ここでは自学主義教育 を一歩進 めて,自
由教育 へ と 発展 させ るべ きであるとしている。その「 自由」の概念 は,篠
原の政治的自由が含 まれていない「 自 然の理性化」である としている。例 えば手塚 は,こ
う主張 している。 「自由教育 と云ぶ と,何
か政治上の教育 をして居 るや うに思ふ人 もあ りましせ う。又 自由 と云 うこ とが政治上 に使 はれて来 た ものだか ら,自
由,民
権 自由,是
れがそれ と同 じこと ゝ考へ ます ること か ら,其
の自由 と云ふ ことに対 して,誤
解が出て来 ます。政治上の自由 とか,云
ふや うな こともよ くいふが,考
へて見れば人類 はよりよく社会生活 をして行 くと云ふ立場 を離れることは出来 ない。 それをも壊 して,結
社の自由,言
論の自由,さ
うして其 の社会の解体 を要求することは誰 も出来 な ぃr)と 。 また手塚 は,「教育 の方法上か ら自由 と云ふ ことは,それが教育の目的意義 に照 して,児
童の本位 に鑑みて,か
ゝる干渉束縛 は無用なものである。無用 どころではないで,有
害である。不合理であ ると認 める範囲の干渉束縛,つ
まり教育法の悪い所 を打破 しや うとす るのが,自
由教育の方法上の 自由で,制
限のある,程
度のある自由で,其
の限 りにお て許 され る」9と 述べ,方
法上の「 自由」 とし て自己規定 している。 この手塚の言葉 には,大
正 自由教育の限界がみ ごとに表現 されてい る。 手塚 は,自
由を自然の理性化,純
粋 自我の 自覚 に もとづ く理性活動 として とらえ,そ
うした活動 が目的自由,積
極的 自由であ り,かつ創造 を意味 し,「一個人的に体現せ られた人格 であるY° とみて いる。手塚 の この講演 は,後
に論争 を巻 き起 こす ことになるが,そ
の争点 は,(1)手塚 の理論 と実践 のギャップ,(2)自由の概念,(31方法上の自由の問題 であった子D は)千
葉 の一切衝動皆満足説 また一切衝動皆満足説 を唱導す る千葉の論理 は,い
かなるものであったのか。 彼 は,「真 に自由教育 といぶ ものがあるな らば,徹
底 した慧味 におては子供 は何 な りと好 きな こと をやってよい といぶ ことは許 さなければな りませぬ。斯 ういふ風 に許 して,始
めて本統の子供 の全 我,個
性,独
創の発揮 され る教育 となるY分 と述べ る一方,衝
動,欲
求 は,生
物が生 きてい くうえで 価値 を有するものであ り,そ
れゆえに衝動,欲
求 を圧迫することは不 自然であ り,したが つて衝動, 欲求 を完全 に満足 させた状態が,道
徳的善であつて,一
切衝動満足 とい うのは,そ
の人 のその とき における衝動の無限の創造的総体,す
なわち「独創 とは衝動満足の徹底的状態Y° にほかな らず,こ
入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 Qか の創造的総体のなか に全我の個性が表現 される としている。
(5)稲
毛記風 の創造教育論 稲毛 は,「人間 は自覚的存在である人生 は自覚的の営みであ ります雪°ととらえ,「創造教育 は創造 と云ふ原理 を以 て教育 の全体 を説明 し,規
制 しようとす るもの雪Dとみている。 そ して「我々 をして 我々全人類の総 て をして創造生活 を営 ましめんが為 に,最
も根抵的な方法手段が教育 であるか らし て,教
育の究極 の 目的は,取
りも直 さず人生の 目的たる創造 を可能な らしめることである。従 つて 教育の目的は創造 の創造である。即 ち二重の意味 にお ける創造が教育の目的である攣°と人生の目的 は創造 にあるが ゆえに,教
育の目的 も,必
然的に創造 にあ ると言 う。 しか も「我々の直接的生活 は 人格 としての生活Vの であ り,「従 つて創造教育 が人生の 目的である此の創造 をして可能 な らしめ,創 造 をして最 も整然 な らしめんが為の原動力の養成一創造の創造であるY° がために,「取 りも直 さず, 創造教育 は人格教育であると断言 して差 し支 えないY9と 述べている。 俗)小
原の全人教育論 また全人教育論 を鼓吹する小原 は,自
らの全人数育 とは「子 どもの有する全てを,天
か ら授 った すべての性能 を出来 る丈順当に伸ばす ことを願 とす る写ω教育であり,あ くまで も個性 の尊重 を基本 原理 とす るものである と言 い,こ
の原理か ら体育 の問題 を取 り上 げ,そ
の現実 を皮 肉を込めて次の ように批判する。 「文部省がやか ましくいって,肋
木や平行棒が麗々 し く運動場 に飾 ざらるに至 った。 その中早 くも 雨曝 らし,日
曝 らしで腐 っては居 ます まいか。 しか もアチラコチラには体操で狂人 になった学校や 縣はないでせ うか。『一縣恰 も体操学校の観有候』とは関西の某縣ださうです。東北 に もさうい う縣 があ ります。東京市 の最中に有名 な体操学校があつた さうです。市当局 もこれを誇 り,学
校長以下 職員 もこれ を誇 りとして体操 を盛んにや り,児
童 も先生 も随分時FHlをそれに費や した もんださうで す。関西 には『朝 か ら晩 まで運動会みたや うな学校』があるさうです。中学校 に至 りては狂ひ学校 と呼ばれ る学校 もあ ります。東京か ら下関 まで馬 みたや うに駈 ッコした学生 もあ ります。意育 とし ては旺んな ものであるが,体
育 として見 る時 は危険千高 な話です。運動が過 ぎて甚 だ しく毒ですよ く専門学校の選手が若年 にして斃れ るのを見 るが よい。 しか もこれ らの多 くが売名の為の教育 では ないでせ うか。 か ゝる虚偽の教育 と応ふ ことが出来 ないか知 ら。若い教師達の猛省 を特 に促 したい のです。東北のある体操縣の如 きは今 は反動が来て,む
しろ体操 を軽蔑 し,必
要以下 に見てるさう です。それだか らいけないのです。吾人 は常 に中庸 まででなければな らぬ。 『此頃は東京 は理科 はハヤラヌさうですなア』 と聞かれ る。生理的に筋肉や骨格の発達や均斉 を主 に論ぜ られ る桜井博士の主張の如 きも,無
論体育 の一部論 であって全体 ではない。いはんや肋木や 平行棒 に船てをやです もっと子供 とか,人
間 とかいふ もの ゝ本性 を考へてみて,本
能的な遊戯の世 界なぞに貴い ものはないでせ うか。木登 りや石投 げ,魚
釣 りや済泳,縄
飛びや兵隊 ゴッコ,何
等か そこらにあ らうと鹿ゞ られ ます まいか。 体操 と裁縫 とが多 く発達せない理由は実に,い
つ も多 くは頭の悪い先生がや るか らであ ります まい か。何だか私 には一番体育が開拓 されていないや うに思 はれ ます。殊 に外見 を飾 る為 に体操が使 は りてはいまいか。 それや規律や訓練 も必要だが,非
常 に身体 の力の差異の多い もの を一団に して, 一斉に歩調や手 の上 げ下 げばか りに苦心 して,う
つか り手で も下げる処 ろを上 げや うものな ら,大
目玉頂戴するや うでは体操 も怪 しまれる。か ゝる珍話があ ります。長野縣の小学校長団体 が,香
川鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 30巻 第
1号 (1988)
■3 縣の某体操学校へ参観 に行 ったさうです。先 づ問ふて曰 く,『この学校では,如
何様 に して体操科で は個別取扱 をされ ますか。』当該校長答へて『別 に何 もあ りませぬ。』と。『それでは御校 の体操 は見 る価値 はあ りませぬ』 と,ゾ
ロプロ辞 して去 ったさうです。 長野人 と香川人の特色 を最 もよ く現 して居 る。個性重導,個
別取扱か らいふな ら,歩
調 な どは揃わ ぬ ことが よいか も知れん。私の友人の一人 に某 といふ丈 の低い男が居た。『短足類』と綽名 した もの だ。兵式教練 の時,剣
で もつ ると,ス
テッキみたや うに長かった。可愛そ うに一緒 に分別式で もや ると,短
い足 を出来 る丈大股 に広 げて,し
か も同 じく一分間百十四歩の歩数で歩かねばな らぬのに は,ホ
トホ ト困 っているの を何 よ り気の毒 に思 った ものです。歩調なぞ取 ってはいけない と曲解 さ れては困るが。 もっと考へて もいいでせ う。」D このほか及川 は,す
でに論述 した経験主義的な動的教育論 を主張 し,ま
た片山は,文
芸教育 と教 育 の根幹 にすえ,人
間 を全体 的な生命体 として とらえ,そ
の生命体 としての人間生活の能力の形成 を実現する方法 として文芸教育の必要 を説 いている。2.手
塚岸衛の自由教育論 と自学主義体育論(1)手
塚 の「自由」の概念 大正後期の自由体育運動 を代表する理論 と実践 に,八
大教育主張者の一人である′手塚 の自由体育 論 と千葉師範学校附小 の実践がある。同附小の 自由教育実践 については,後
にふれ るとして,
ここ ではその背景 となっている彼の理論 を見てみたい。 すでに八大教育講演会での主張に引 らかなように,手
塚の思想 は,同
附小の理論的指導者である 篠原の「自然の理性化」 を理念 とする新 カン ト派,な
かで もナ トルプの理想主義 を,そ
の哲学的根 拠 に置いている。すなわち手塚の自由教育 は,自
由放任 を標傍するのではな く,人
格的,理
性的自 由,別
の ことばで言 えば,理
性 による自然の支配,文
化の創造 をめざす ものであ り,創
造性の尊重 と自然の法則 を重視 し,同
時 に責任 と服従の価値 を教育的意義 においた とされている。 この一般的な見解 に対 して例 えば松井春夫 は,「千葉師範の自由教育の基礎が篠原教育学だけであ ったか,ど うかについては若干の問題がある」0と 異論 を唱 え,その根拠 を次の ように説明 している。 つまり手塚が,東京高師 を卒業 して福井師範学校教諭 となったのは,明
治41年の ことであったが, 篠原は,当
時 この福井師範学校附小の主事 をつ とめてお り,手
塚 は,篠
原 に代わ って福井県教育雑 誌の編集責任者 となっている。 これが手塚 と篠原の出会いであった。 篠原 は,こ
の当時エ レン・ ケイやライ,モ
イマ ン流の自然主義的な新教育 に傾倒 していた頃であ り,そ
の後大正2年
に京都大学 に入学 し,大
正8年
まで京都で過 ごす ことになる。 一方手塚 は,福
井師範 を去 り,群
馬第一師範 を経 て,大
正6年
春に,京
都女子師範学校教諭兼京 都府地方視学官 として京都 に赴任することになる。松井は,手
塚が地方視学官 として京都 に着任 し た ことが,必
ず しも千葉師範附小の実践 と篠原 を結 び付 けることにはな らない と言 う。 つ まり「 こ の地方視学 は,当
時の京都府知事,木
内重四郎 の肝煎 りで新設 された役職 であ り,手
塚 はその一人 として,そ
の頃京都府教育界の根本方針 ともされた自学 自習主義の教育 に直接触れ る職責 を担って いたす。ことが大 きな影響 を与 えることになった と言 う。 京都では,当
時児童 中心主義的な新教育運動への動 きが早 くか らあ り,そ
れ は谷本富が「自学輔 導」主義 を唱導するようになる明治40年頃か らであった。木内が採用 した自学主義 は,京
都師範附 小で始めた「英才教育Jと
密接な関連があ り,同
附小では,一
学級25名 とい う条件のもとで 画一打 破,個
性尊重,自 学主義 と抱 き合わせで実践 されていた『9京都 の こうした自由主義的な雰囲気が篠入江克己:日本近代体育 の思想 と実践
t"
原の教育理論 とな らんで,手
塚,ひ
いては千葉県下の実践 に直接,間
接 に影響 を与 えることになっ た と理解すべ きであると,松
井 は指摘 している。 篠原 は, 2年
後の大正8年
春 に東京高師の教育学教授 として転任 し,同
時 に手塚 も,千
葉師範学 校教諭兼附属小学校主事 として赴任することになる。手塚の実践が,教
育界の注 目を浴びるように なるのは千葉師範学校 に転任 した直後であるのに対 して,篠
原 は,大
正9年
8月 に千葉 に招かれ, 4日 間にわたって「現代教育 の根底 をなす哲学一般」 というテーマで講演 を してお り,そ
こに若干 の時間的なズレが見 られ るとしている。 しか し,た
とえ,そ
うしたズレが存在 しているにして も, 手塚の教育論 に篠原のそれがかな りの影響 を与 えているであろうことは,手
塚 の論述か ら容易 にう なづける。 千葉師範附小の実践理論 は,新
カ ン ト派のナ トルプやゲールラン トの構成的認識論 に もとづ き, 篠原が主唱 した「自由獲得の二段階」 を援用 した「動向・構成・反省」 とい う論理 であった。篠原 は,自
由の概念 を「多態の先験的総合Jで
あると規定 し,「自由教育 は批判哲学 の立場か ら教育 の間 題 を解か うとす る小 さな試みである。『多態の先験的総合』といふ眼で,真
面 目に教育 を見つめや う とす る努力であるgoと 書 いている。 こうした自由の概念か ら篠原 は,手
塚の「自由教育 は理性の活動 と自然の発動,統
一す る意識 と 統一せ られる部分的意識 と,超
越 もber lehと 経験 とを対立せ しめ,こ の対立 を認 めない所 には教育 はない と主張す る。(中略)か
くて自由教育 は第一 に,外
か ら制する教権 の教育 に反対 し,第
二 に, 子供の自然の発動 を空想的に嘆美す るInfantsmに
反対 し,第二 に又 自然の発動 と理性の活動,衝 動的勢力 とを一直線上 に並べ観ずる自然主義 に反対 して,理
性の名 による『正 当なる厳格』 を以て 其の第一原則 に掲 げる。私 は手塚岸衛君の主張す る自由教育 をかや うに解 してい る。雪つ 篠原が 自由の概念 を「自然の理性化」 と表現す るようになるのは,大
正8年
頃か らであるとされ ているが,篠
原の観念的な自由の概念 は,八
大教育主張 にも伺 えるように,手
塚 のそれに忠実 に反 映 されている。手塚 は,別
の個所 で国家 と個人 の関係 について国家を個人の自由の表現 された もの として とらえ, こう記 している。 「国家 とヘーゲルのいったや うに,個
人の自由を実現 した ものであ り,個
人 とは個性体 であるとと もに国家の股肱であるか ら,個
人の自由は個性完成 の 目標であ り,国
家の秩序 は自由実現の制約で ある。国家が秩序 を乗持 し規律 を匡正す るか らこそ,個
人一国民一の自由が存在す るのである。国 家が個人の 自由を制限す るのでな くて,国
家があるか らこそ個人の自由が生 きるのである。個人の 自由は国家 とか け離れては呼吸 しない。国家の秩序 は個人の自由 と血が通 はな くては絶滅す´る。か ゝ る国家 にお ては秩序 と自由 とは何 らの矛盾がない。立憲治下の公民 を養成す るとは,自
律的な政治 能力 を有する国民 を作 ることである。 自律的 とは自己が法 を立て ゝ自己が従ふ即 ち合法則 の謂であ る。か ゝる合法則 とは自由であ り,自
治であ り,秩
序である。」9 こうした国家 と個人の予定調和的な自由の概念 は,明
治後期 における社会有機体論の残滓 を思わ せ る。 (動 自学 自治の提唱 こうした限界 をかかえなが ら手塚 は,自学 自治に もとづ く教育の改造 を強力 に推 し進 めていった。 手塚 は,谷
本が主唱 した「 自学輔導」主義 にはきわめて懐疑的で,自
学 ということは教科 内に限 定 され るべ き性格の ものではな く,学
校教育のあ らゆる分野 に貫徹 されるべ きである と言 う。 「 自学輔導 といふ言葉 は明治四十年頃か らの もの と思ふ。今 日では方法上の自学主義 は,何
人 もこ鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 30巻 第
1号
(1988) れを疑ふ ものす らないほどに,肯
定 され,普
及 されているが,
しか し実際上 には徹底 を欠 いている や うに見 える。教育全系統の自学ではな く,単
に教科 に止 り,教
科の中で も,読
方か算術位 に過 ぎ ず,家
庭 に船て,或
は始業前放課後の早出脱退 による,単
なる復習予習をなさしめ,教
授 の進行上 の埋草のための自学では,教
師の教授 と児童の 自学 とは何等関係 なしに,予
備提示整理 といった風 の教授 をな して,依
然 として受動注入 をこれ事 とせずんば,い
たづ らに愚問愚答 を重ねて,開
発問 答式 と心得ているものが,決
して少 くはあるまい。 われ等 は,知
識技芸 に対 する自律 自治,身
体養護 に対 する自彊 自斉 と,つ
とめて児童の 自覚,即
ち 自由なる自己実現 を本体 として,全
教科 に渉 って否単 に教授の方面ばか りでな く,訓
練 も,養
護 も, 如何 なる時如何 なる処 に船 て も,学
校教育の全局面 に渉 って,何
処 を切 って も,血
の出 るや うな自 学主義 にまで改造すべ きことを主張す るのである。g9 この ような自学主義 を標傍 する手塚 は,こ
の 自学 は子 どもの発達 に即 した自治学習 によって実現 され るべ きである と言 う。 「児童 自発 に基 く自学や 自治は,下
学年では成立 た ゝぬ とか,す
くな くとも五年以上 でな ければで きぬ とかいふ もの もあるが,わ
れ等の実際上の経験か らいへば,自
学 も,自
治 も尋常一年 か らで き る。勿論高等科 のそれの ごとくはないが,尋
― には尋一程度の自学 と自治が存せねばな らず,青
年 は青年の,大
人 は大人 の自学や自治が,尋
五以上 になってか ら突然生 まれるのではない。無か ら有 は出ぬはずである。(中略)実は自学 自治,そ
れが人の生 まれてか ら死ぬまでの生活 なのであ る。 自 学 自治 は人生の永久 に逐 ひかけるものであるとともに,ま
た教育の出発点である。尋一 には尋一 と して必要 にして,か
つ十分 なる自学 自治がある。一客観的には勿論程度の差があるが。一 自学 自治 は主義 として全学年 を縦貫すべ きである。Jのフ
(
さらに手塚 は,「われ等 はいたづ らに児童 を放任せ よといふのではない。いかなる我が儘 を も許容 せ よといふのではない。人 は果因自然の必然 に捉へ られた ときに,かへって不 自由 となるのである。 自由 とは我儘勝手の謂 ではな くして,か
へって規範 に従 って行動 した とき,そ
こに自由はあ り,そ
こに人格が存す る。 自由は無秩序,無
規則ではな くして,か
へって合法則的の働 きの謂である。千 渉圧迫 を脱せん とする消極的自由で,進
んで 自らの価値実現 をなす積極的 自由である。消極 的 自由 は完全の自由ではないが,完全の自由への道である。だか ら教師 はつ とめて無用の緊束高圧 を除 き, 消極的 自由か らはいって,積
極的自由の発現 を誘導すべ きである!つ と言 い,手
塚 の言 う自学,自
治 主義 は自由を基盤 にすることによって,は
じめて実現 され るとしている。 ここには手塚 の言 う「方法上の自由J概
念が,端
的 に表現 されている。13)干
渉束縛主義教育批判 自学,自
治,自
由を以上のようにとらえる手塚 は,そ
の観点か ら従来の教育 を干渉束縛主義,注
入主義 として,次
の ように批判 している。 「従来の教育 はあまりに一斉画― に過 ぎはしなか ったか。又あ まりに子供 を受身 にな し,又
あ まり に注入 に過 ぎはしなかったか。又あまりに干渉束縛 に過 ぎはしなかったか。又あ ま りに形式教授一 所謂形式 なるもQを
万能視 し過 ぎはしなかったか。又眼前の所謂結果 に囚はれ過 ぎは しなか ったか。 又あ ま りに浅薄なる実用主義に,或
は実利主義 にカブれ過 ぎはしなかったか。一括 して申せ ば大 人本位で,教
師本位であって,教
員 を中心 として,子
供 を中心 し置かなかった憂 を持 つのであ りま す。今や教育 は追詰 める所迄追詰 めて,逃
げ出す ことの出来 ない下町路露の中に追込 め ました。(中 略)人
形が糸 を引 けば一斉 に挙手 し敬礼す。か ゝる学校 に船ては,児
童の自覚 と自由 とは,教
室の入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 Cか 隅の塵箱の中にす ら発見することは出来ない。踊 して
,嫌
か して時 には鉄挙す ら見舞 つて,か
くし て教師 は児童管理 は巧みな りといぶ。いはゆる児童管理 なる語 は一斉画―の檻複隠 しに興 えた美名 であるや うに思 はれ る。甲 さらに手塚 は,こ
うした画―主義,形
式主義,あ
るいは干渉束縛主義の弊害が,た
んに教科内に とどまらず,学
校行事である朝礼や会礼等にまで及 んでいると指摘する。 「朝礼 とか,会
礼 とか名付 けて始業時 より十分乃至二十分 ほど前 に集めて,早
朝か らお小言の会が はじまる。 それ も大抵 は校長教員の思ひつ きの言辞 である。やれ土手 に上 るな とか,廊
下 を駈 ける なとか,昨
日学校帰 りに喧嘩 をした者があるが,あ
れ は善 くない,下
学年生では体操機械 に触れ る ものがある,相
撲 をとるとあぶない といったや うに,多
くは勿れ主義の禁止命令が頻発 され る。団 体訓練 と号 して身動 き一つさせず,た
ゞ頭か ら外部的な押 しつけの威圧で,児
童 を萎縮 させて得意 がっている もの も世 には少 くない。!° 手塚 は,こ うした干渉束縛教育の打破 を叫び,「われ等 は現在の教権過重 を非難す る。否 な誤 れ る 教権の乱用 を排斥 するものである。教師が理性体 であるときのみ,即
ち身に価値 を現 す ときのみ権 威がある。価値 のみが児童 を支配 し,干
渉 しうる。 これ は実 は干渉ではな く,自
由なのである雪°と 述べている。 に)社
会 ダーウィニズム教育論批判 一方手塚 は,明
治以来の社会ダーウィニズムに もとづいた教育論 を取 り上 げ,厳
しく批判 してい るが,社
会 ダー ウィエ ズムを論理 とする教育論批判 は,稀
であ り,少
くとも石川啄木 につ ぐもので ある!° 「明治維新以来,物
質の潮流 は滑天の勢 を以て浄 し来 り,次
第 に民庶 を駆 つて,利
己功利 に感染せ しめ,偏
向せ る進化論的見解 に落 し入れ,自
然科学万能の淵 に惑湯せ しめ,さ
らに実用主義的教育 の全盛 をきた し,一
般思想 と,相
衛 り相扶 けて,実
利主義 を高潮 させているが,日
本現時 の憂ぶべ き実情 である。(中略) 利己功利 よりも一層深 く一般 に悪影響 を興 へているものが,進
化論的生物的見解である。人間が 生物であ り,動
物 である以上,厳
として生存競争 とか,適
者生存 とか,優
勝劣敗 とか,自
己保存 と かいぶ進化論上の法則の下に,支
配 され るといふ ことか ら人生 は競争であ り,戦
闘である。 いかに して も戦争場裏の勝利者た らねばならぬ。『勝 てば官軍』である。『敗 くれ ば賊』である。勝 つ こと に手段 は撰 ばぬ。成功 さへすれば優者であ り,適
者であると主張す るのが進化論の唯―の立場 とす る人の論調である。か くして人間を次第 に動物 に近 らしめた ものは進化論的思想である。生物 的見 解が目的論 に遠 ざかって,器
械的説明 に堕せん としつ ゝあるは憂ぶべ き現象である。」 また手塚 は,も う一歩踏 み込んで国家主義,富
国強兵主義の問題 を取 り上 げ,「単 に富国強兵 を以 て国家の 目標 とす るが ごときは,た
とへば個人 に とれば腕力 と金力 との所有 をのみ逐ふ に等 しい も のである。真善美の本体価値 を度外視する個人が不可なるごとく,文
化の支持者た らざる国家 は, その可なる所以 を発見 しえぬ」°としている。 それに もかかわ らず,同
時 に手塚 は,「か くいふ も,わ
れ等 は富国強兵 を呪記す る もので はない こ とは勿論,個
人 に とりて健康 と財産 とが方便価値 として有用 なるが ごとく,文
化支持の任務 を果た さんが為 に,国
家 に とりて富強 をはなはだ必要 とす るものであるが,た
だ本来 を転倒 して冠履 を無 視 してはな らぬ といぶ に過 ぎぬのである甲 と述べてお り,こ うした自己矛盾は,す
でに理解 され る ように彼の社会有機体説 に由来する。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 30巻 第
1号
(1988) 117
(0
自治教育 と自治会の組織 従来の教育 をさまざまに批判する手塚 は,大
正9年
か ら自由,自
治を理念 とす る具体 的な学校改 造 に着手 していった。手塚 は,こ
う書 いている。 「大正九年四月,久
しい間教育改造意見の持主であった訓導諸君 と ゝもに勿J頸の誓 いを立て,全
学 年前学級 に向って教授訓練施設経営の全部 をあげて,自
由教育主義 に則 らん ことを約 し,教
育上適 切緊要ならざる因襲的な施設 と事務 とを洵汰 し,駆
逐せんが為 に,一
学期間従来の当校 内規の無視 を申し合わせて,或
は掲示板 を児童の発表板 とな し,或
は教師中心の朝礼 を児童本位の自治集会 と 改め,或
は授業終始 の敬礼煩瑣を簡略にし,或
は級訓 を除いて,撤
去 して絵画の馬額 に替へ,或
は 級訓 を除いて,あ
らたに学級精神 を掲 げるなどの施設の末 よ り,教
授に訓練 に自学 と自治 との二つ の大旗 をかざして陣容 を整へた。ζ0 手塚 は,具
体 的には「学級 自治会」 を組織 し,こ
の 自治会 を「小社会」的な性格 として規定する のみな らず,学
校生活 の基礎的な単位 として も位置づ けている。 「われ等の学校 には尋常一年生 より各学級 とものがある。 しか しそれはいはゆる学校都市 といった や うな,社
会生活の小模型 を学校 に入れて,大
人 として自治体 の一員 として,将
来社会生活の直接 準備 をさせ るための ものではない。(中略)学級 自治会の主なる任務 は,児
童の現在の生活,も
す こ し狭めていへば,学
校生活 それ 自体 を,児
童相互 に学級単位 に自治せ しめふの意 である。 これ現前 如実の生活 を全然離れて教育 はないか らである。F9(6)単
独 自学 と協同自学 手塚 は,こ
の 自治会組織 を媒介 に,高
等科の男子学級 に週一時間の「自由学習時間」 を特設する とともに,学
習法 として「単独 自学」 と「協同自学」 を唱導 し,協
同自学 を,さ
らに「相互 自学」 と「全級 自学」 に区分 している。つまり単独 自学 は,個
人 による主体的,自
主的な学習であ り,協
同学習のなかの相互学習 は,グ
ループや集団による主体的学習であ り,全
級 自学 は,学
級集団によ る自主的な協同学習体制であると手塚 は規定 している。単独 自学 と協同自学の関係 について,手
塚 はこう言 っている。 「 まづ個人的 に独 自に自力で研究 をな した ものでなければ,組
や団の研究員たる資格が無い。組 や 国の相互 自学 は単独 自学の解疑,批
判,反
省,補
正 を成す もので,全
級 自学 は相互 自学 におて,な
ほ浅薄であ り,不
確 かであ り,未
解決であるものを,疑
を解 き,さ
らに確かめ,一
層深 めや うとす るところの学習努力 に外 な らない。fω 手塚 は,明
らかに個人的な主体的学習を,さ
らに集団の レベル まで昇華 させ ることを構想 してい た とみ られ,こ
こには木下竹治の学習論の影響が伺 える。 この学習論は,体
育 の授業過程 にも反映 されてい くことになる。 (り 自学主義体育論 自学・自治教育論 を標傍 する手塚 は,『自由教育真義』の後編で体育 に も言及 している。彼 は,当
時の千葉師範附小の体育 について「体育 の方法には細心なる注意 を払 ひ,検
査の結果 を学級毎 に体 力比較表 を調整 し,自
己の体力 を各 自に自学反省 させ,ま
た盛んに自由遊戯 を奨励 し,全
校職員児 童の綱引 を励行 し,或
は静座,教
室体操 を行ひつ ゝあ りfう とその実践 を報告 しているが,手
塚 自身 は,体
育の方法理念 を自学主義 にお き,こ
う述べている。 「一、器械的に一斉画― な らしめず,児
童の自覚 に訴へ,各
個人 に適応せ る体操 を主 とし,個
別指入江克己:日本近代体育 の思想 と実践
QD
導 をなす。 一、解剖的,整
形的,論
理 的に過 ぐる体操 を中和 す るに,一
大有機体 たる全身の洵冶上,自
由, 自発,統
合 を要す る運動,即
ち遊戯競技 を以てす。 一、尋常五年生以上 の男女 に木剣・ 薙刀体操 を課 す。 一、時々簡易 なる運動会 を行ふ。子か また手塚 は
,尋
常五年生女子の教材 を(1)自由練習,修
)共通指導教材,(3)自由運動、(リバ スケ ッ ト ボール,(5)諸教練,(6)挙 踵,9)呼
吸の七教材 に分 け,そ
の指導過程 を次の ように説明 している。 (D自由練習―始業 と同時 に子供達 は,主に徒手的な体操 を各人の「′い力 と体力 に応 じた回数 をなし」, 子 ども相互 に教 え合 い,学
習を展開すると ゝもに (相互学習),「教師は機敏 に児童の 自由練習の間 を巡って,個
別 にその要領及 びその実行の態度等 につ きて,賞
賛 し,批
評 し,或
は示範 し,又
は一 二の模範的の ものを見出 し,全
児 をして動作 を見せ しめるな どして自覚的に指導 した。」 (動共通指導教材― 自由練習教材の学習の後 に共通的,一
斉的な教材で,徒
手体操,器
械 (肋木 を使 つた)体
操教材 を用い,個
別的な学習を通 して,最
終的には全体の統一 を目標 としている。 「教師は児童が全部 自由練習教材 を終へ るを見 て,肋
木の前 に集合 させ,肋
木支持上体屈挙踵 を示 範 し,さ
らに一児 に行 はせなが ら,そ
の名称,目
的,
これに作用す る主要筋,要
領 と生理解剖上の 関係及び実施上の注意等 を理会 させて,十
分 なる自覚 を興へた。 児童は,自
己の為 し得 る限 り個別 に試行 したる後,他
人 と相互に研究 し,訂
正 し,
しか うしてさ らに教師の検閲 を受 けるべ く申 し出た。教師 は一々検閲批判すること十四五名 に及 び,さ
らに正確 なる児童数人づつを一団 とな し,両
三回行 はせて他児童 に示 した。 しか る後全児 に号令 し,一
斉に 行 はせて共通指導 をな した。」 (3)自由運動―スポーツ,遊
戯教材の学習である。「教師 は共通教材 を指導 し終へ ると,児
童 をして自 ら心身の発達,趣
味等 に適応 した運動 を自由に選 んで行 はせて,こ
れを指導 した。児童 は主 として 走高跳,走
幅跳,箱
跳び,鉄
棒,バ
ック等の自由運動 を小団にて自由に自発的に行 った。」 はンヾスケ ッ トボールー「全児童共同にバ スケ ッ トボール を行 った。競争 にのみ重 きを置かずに,淑
女的態度の教養 に注意 して指導 した。」 (5)教練―「教練 は内面 よ り精神訓練 に重 きを置いて指導 した。」 (6)挙踵呼吸―整理運動 として「挙踵呼吸 を行 ひ,後
児童 に本時間の感想 を聴 いて終 った。f9 手塚の この指導過程論 は,個 別学習 と相互学習,教材の選択制の導入等,今日の個別学習の先駆的 実践 としての意味 を持つ ものである。 また当時女子 には不適当 とされたバスケ ッ トボールを積極的 に教材化 した ことは注 目され る。 しか し,
この手塚の指導過程論 には,教
材の系統性の問題等 には 注 目されていない うらみが残 る。 こうした手塚 の自学主義体育論 は,主
に同附小訓導の川島伊織等 を中心 に実践 され ることになる。3,木
下竹治の生活学習論 と立憲的体育論(1)自
律的学習論 と他律的教育批判 大正後期の自由体育実践 に大 きな影響 を与 えた教育論の一つに木下のそれがある。木下 は,大
正8年
に京都女子師範学校長か ら奈良女子師範学校教授兼同附小の主事 に転任 し,「合科学習」論 によ る自由教育 に取 り組 み,昭
和16年に退官 している '° 同附小では,冬
期研究会 を20回あまり,学
習研究会 を10回あまりを開催 しているが,全
国か ら「奈 良の教育」を学 ばん と,多
くの教師が参観 している。 また児童 を対象 とする学習雑誌『イ申びて行 く』鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 30巻 第
1号 (1988) 119
(1927年休刊)す るとともに,教
師向けに奈良の理論 と実践 を広めるために,大
正11年4月 には『学 習研究』(昭和16年に教育雑誌の統制 によ り廃刊 となる)を刊行 しているが,
この雑誌 は,創
刊当時 2,000部,最
高10,000部に も達 した とい う。木下 は,附
小での実践 をもとに『学習原論』(大正12年) を著すほか,『学習各論』(上巻 大正15年,下
巻昭和4年
),『学校進動論』(上巻昭和7年
,下巻昭 和9年
)等
を刊行 している。 ところで木下 は,『学習原論』のなかで 自律学習,合
科学習,生
活学習論 を唱導 しているが,彼
は, まず伝統的な教育 を他律的教授 として批判することか ら,論
を展開 している。 「教師先ず教授 し,教
師か ら規範 を与 え,教
師が真偽,善
悪,美
醜 を判断 して,そ
の結果 を児童生 徒 に承認 させてい く,教
師 は自己の意志 を以て児童 を支配 し,児
童生徒に対 して は,一
向に教師の 意志に従順であ ることを要求 している。訓育 におて も,体
育 におて も大体 同様 の態度で望 み,教
育 の目的に到達 しようとして居 る。 これが他律的教育 だ。何 と云 うて も現今各学校家庭 にお て実行 さ れて居 る教育法 はこれだ。一勿論多少の例外 はある。一此の如 き専制的形式の教育法 は,以
前 は或 はそれで も宜 しかったであ らうが,自
由・平等・協同 を重んずる今 日に船 ては惟 に時代錯誤だ。之 では現代 の要求す る人,人
らしい生活 を遂 げてい く人 は得 られない。 教師 は何故 に教肺の意志 に従順であるよ りも,児
童 自身の良心に従順であることを要求 しないの であらうか。思ふ に,従
来 とて も自律的活動の必要 を認 めない訳ではないが,そ
れ は到底児童 には 望 むことは出来 ないことで,自
律的学習の如 きは有害無益 である。それだか ら先 づ児童 を他律 的に 活動 させて,漸
次 に之 を自律的に活動す る様 にせ うと考へたのである。私 も絶対 に他律的教育 を排 斥する訳 ではないが,他
律的教育 は児童生徒 を仕事 に追廻 して,創
造性 を養 はず,独
創的行為 に導 かず,徒
らに外部の権威 に服従 して,課
業 に努 める知力的奴隷 を作 り易いか ら面 白 くない。雪9 また受動的教育 について も,次
のような批判 を加 えている。 「従来の学風 は随分受動的であった。教師が自己 を中心 として教授 し,訓
練すれば受動的学風 を形 成するのは自然だ。教師 は教込 むことに腐心 し,よ
く自分の興 えた知識技能 を受領 す る学習者か, さもな くば能 く自分の計画 に順応する者 を優秀者 として賞賛 した。所謂巧なる教師 とは,よ
く知識 技能 を囃下す ることに努力 した。その間に個性 を発揮す るで もな く,創
造的活動 をす るので も無 い。 (中略)受
動的学風の教授法訓練法は巧徴 になればなるほど,益
々教育の正道 を逸 し,児
童生徒の 実力は低下す る。 それは寧 ろ曽然だ。比の如 き教育法 は世人 をして方法その もの を軽視 させ るや う にした。 しか し方法には罪 はない。教育 の如 き複雑微妙の仕事に方法が無 くは,決
して成功 は出来 ない。只受動的学風の下 には徒 らに注入 し,徒
らに開発する方法が行 はれて,記
憶 高能主義が横行 す る,時
勢の要求 に応ずる人 も養成出来ず,我
も人 も遂 に従来行 はれた教育法 には満足 で きないや うになるのである。写° さらに木下 は,「他人の作 った教科書又 は教授細 目によって学習する『教科書学校』 の学習は,社
会の進歩 に伴 うことが困難で,且
つ学習者の実際生活 と離れ るのが極めて普通の状態 である写°と教 科書中心の形式的教育 を批判 している。 これ らの批判 を通 して木下 は,個
性の原理 に立脚 した 自律的学習論 を提起 し,次
の ように書 いて いる。 「教育本来の意義 は引立 てることを除 くことだ。即 ち教育 は外か らの憂患 を除去 し,児
童固有の本 性 を発揚す ることである。此の如 き作用 をする主人公 は元来児童自身であるべ き筈 だが,従
来 は教 師が余 りに深入 りして自分 が主人公になった。 その為 に反 って教育の効果 を十分 に挙 げることは殆 ん ど出来 なんだ。 しか し児童 には自律的学習 をさせてみると,児
童の本性 に徹 す ることが出来 る。入江克己 :日 本近代体育 の思想 と実践 Q妙 (中略
)各
児童 は各 自の個性 を基礎 とし,自
分の環境 に依拠 して種々の経験 を積 み,工
夫創作 を為 し,よ
かれ悪かれ,自
分でな くは辿 ることの出来 ない道 を辿 って,人
間固有の本性 を発揚 し,社
会 に貢献 して行 く。最早今 日にお ては,多
くの人 は此の如 き自律的学習が他律的教育 に優 って居 る こ とを認 めている。(中略) 自律的学習法の真髄 は,児
童が本来具有 す る所 の創作性 自律性 を発揚す ることだ。児童 には本来 伸び る力がある。教師 は余 りに自分の力 を過信 して余計 な干渉 をしてはな らぬ。f9(2)立
憲的・活動的人物の養成 木下が 自律的学習 を提起 したのは,自
律学習 によって自我 を拡張 した自主独立の人格 を備 え,か
つまた立憲的で活動的な人物 を養成するためであった。彼 は,こ
の自我の拡張 は,自
由,協
同の精 神 と独立的意志 によって初めて実現 され うると確信 していた。 「自我 を拡張す ることによって,真
の自由 と協 同 とを享受す ることが出来 る。 自由 と協 同 とが二大 原貝Uとなって,今
後の新社会 は建設 され るであ らう。 自由 と協同 とは裏腹の関係 があ る。社会 に船 て協同無 くては真の 自由は得 られ無い。また自由が拘束 されて人の自律的活動が無 い ことになると, 各 自の理性的満足が得 られな くて,真
の協同 は出来 ない。 自主独立の無い人の協同 は外面協同に見 えて も,其
実 は付和雷同である。協同の精神 を基礎 として社会 に独立的の活動 をす る と協 同の精神 は発揚せ られ,自
由は独立的意志 を以て協同的活動 に参加す ると協同の精神 を発揚 す る。(中略) されば自我の拡張の生活 は人 を社会化す るものであって,其の根本の性質 は没我的の ものである。 吾々 は此の没我的生活 をすることによって自分 と他人 とを救 ひ,社
会の文化 を創造 してい くのであ る。f9 木下 は,具
体 的には(1)完全なる動物 になること,(2)精神の健全 を図ること,0)社
会 的 に活動す る ように努 める,14)国際的精神 と国家的精神 との発揚 に努 めることをあげている。 ●)独
自学習 と相互学習論 立憲的人物 の養成 とそのための自律的学習 を標傍 する木下 は,そ
の学習の原則 に(1)学習 を発動的 にす る,鬱)学習 を創作的にする,(3)学習を歓喜的 にすることを掲 げているが,ま
ず「発動的学風」 の確立 について次の ように述べている。 「近来我が国民亦発動的に活動せ うと云 う風 になって来た。個人及び社会の要求 に)頁応 すべ き教育 におては,如
何 に して も発動的学風 を樹立せねばな らぬ様 になった。即児童生徒 自 ら知識 と技能 と を求め,自
ら判断 し,自
ら感興 し,自
ら事物 を処理す ることが出来 る様 にならねばな らぬ。斯 くて 始めて世の進歩 と共 に推移 し,時
勢の要求 に応 じられ る人 になれる訳だ。(中略) 斯 くして こそ学校 を卒業 して後 も,自
ら既修事項 を補充 し,拡
張 し,世
と共 に推移 し,一
歩々々 に自己建設の大業 を成 し遂 げることが出来 る。学校 に居 る時か ら自己発展の態度 を養 ひ,そ
れ を無 限に持続 してい くと小学校第一條の主 旨に も透撤 して,真
に道徳教育及国民教育 の基礎 を作 ること が出来 る。ザ° 木下 は,
この発動的学習 を創作的学習,努
力的学習,さ
らには歓喜的学習へ と発展 す る基本条件 として とらえ,そ
の具体的な学習方法論 として独 自学習 と相互学習論 を唱導す るのみな らず,及
川 の理論 に学び,分
団 と学級集団を基礎 とする相互学習 を構想 し,循
環的な学習過程 を組織 しようと している。すなわち木下は
,「新学習材料に対しては,学 習は常に独自学習から始める」
Dべきであると言い
,′ 鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第30巻 第
1号
(1988) 121
独 自学習 を全体 的な学習の コアにすえ,相
互学習 を媒介 とす るスパ イラルな関係 において とらえ, 学習の集団化,社
会化 を意図 した ものである。 この ことを木下 は,こ
う言 っている。 「従来 とて も予習・復習の名の下で随分独 自学習 は行 はれた ものであるが,そ
れは何れ も教授の従 属的活動であった。且 つ非科学的で労力浪費的活動であった。吾々 は此の独 自学習 を教師の直接, 亦間接の指導の下で組織的に,計
画的に,又
経済的に実行 して,之
を学習の重要部分 とせ うと云ふ のである。(中略) 折角独 自学習 を課 して も,之
を予習又 は復習 として教授の従属的活動 とす ることは避 けね ばな ら ぬ。必ず独 自学習 を基礎 として相互学習に入 らねばならぬ。其の相互学習が終 ったならば,再
び独 自学習に移 って深刻な補充的学習 を為す ことが必要である。之 と共 に,更
に他 の新学習材料 を取 り, 前の相互学習にて研究 した結果 を利用 して,独
自学習 を進展 させることは必要である。fD この木下の学習論 は,「独 自学習は自主独立の学習であるが,学校の独 自学習は学級内の一人 とし ての活動であるか ら,各
学習者 は十分 に協同の精神 を発揮 しな くてはな らぬ。学習者 は何れの場合 で も自由 と協同 との精神 を失ふべ きではない。名 は独 自学習であって も学友相互 に学習用具 を共用 する様 なことがあって,決
して学友相互 に交渉の無 い ものではない」0と述べているように,自
我の 拡張 と新社会建設の基礎 となる自主独立のための 自由 と協同の理念に もとづ くものであった。 と同 時 に,木
下 は,相
互学習の意義が特に学習の「社会化作用」 にあることを強調 している。 「 よしや個別指導が種々の方法 に依 って遺憾 な く行 はれ るに して も,学
習者 は各 自を社会化 して社 会的大人格 を養成 する必要がある。姦 におて独 自学習か ら一歩進 めて相互学習をす る必要が生 まれ て来 る。相互学習におては各児童生徒 は必ず各 自の独 自学習の結果 を持参 して,独
立の意志 を以 て 相互学習に参加す る。此の学習成員中には各特長 を異 にす るものがあって,互
いに協同 して一の社 会を構成する。 それが所謂分団V° であ り,学
級である と。 は)立
憲的体育の唱導 自律学習を方法理念 とし,独
自―相互学習論 を主張す る木下 は,立
憲的人物の養成 の基本条件 に スペ ンサー流 に「完全 なる動物 になる」 ことを掲 げているが,身
体の健康 を次のように とらえてい る。 「身体健全の有 りがた味ほど人 に忘れ られ易い もの はない。身体健全の恩恵は太陽の如 く余 り偉大 に過 ぎるのであ らう。然 るに世の中には病床 に苦 しむ ものは甚だ多い。 よしや医療 を受 ける程の病 気ではな くとも,又
医療 を受 けて もさほど効果の無 い病気 にして も,世
人の社会的活動 を妨害 して 居 ることの甚だ沢山であることは,彼
の精神療法だ とか,気
合 い療法だ とか云ふ と,多
数の患者が 門前に蝦集す るの を見て もわかる。実際児童生徒 について調査 してみると,故
障の為 に課業 を妨害 されて居 るもので,医
者が病人 と認めないものが非常 に多い。学習者が或 は病気 によ り,或
は飢渇 によ り,或
は睡眠不足,又
は外部の圧迫等を利用 し,健
全 な身体的活動が如何 に価値 あるか と云ぶ ことを自覚 して,自
ら求 めて体育 を実行する様 にな らねばな らぬ。ζ9 また木下 は,「立憲政体が専制政体 に代 り,人が家庭 にお て も社会国家 におて も立憲的 に活動す る ことを必要 とす る様 になると,勢
い個人及び団体 の自治 を重ん じ,法
治思想の発展 を図 らねばな ら ぬ様 になる。又時勢の進歩 に伴 い,人
々が自我の満足 と能率の増進 とを欲す る様 になる。健康 の必 要なことは今 日も昔 も同様 であるが,軍
備 を縮小 し,平
和時の教育 によって和戦両様 の準備 をす る には大 に体育 を盛 んに して,心
身の健康 を増進す ることが第一 に必要なことであ らうザ°と健康の立 憲的,自
治的意義 を説 いているが,木
下 は,明
らか に大戦後の国際舞台で活躍す る活動的な人物 の入江克己:日本近代体育 の思想 と実践 1か 養成 と「和戦両様」の体育 を念頭 においていた と言 える。 この立場 か ら木下 は,「苦痛 によつて体育の必要 を悟 と共 に
,寧
ろ体育 の愉快 を深 く味得す る必要 がある。現時の学校体育法の如 き十分 に革新の余地がある。又学習生活 を合法愉快 にして,学
習生 活 その ものが直 ちに健身生活 と合致する様施設す ることが一層必要であって,
しか も可能有望 なこ とである子のと学校体育 の改造の必要 を明 らかに している。 さらに彼 は,心
身の一元的発達 を強調 し,「生理的全人」を目標 に,そ
の資質 として次の諸点 をあ げている。 「一、全身中にお ける骨格・ 筋肉・皮膚・神経・ 脈管・栄養・ 及 び生殖の八系統 を均斉 に発達 させ て身体 の細胞分化 を高度 に進 める。 二、身体の各系統の活動 を活発 に,且
つ調和的に進行 させ る。 三、外来の圧迫 に抵抗す る力 を増大するが為 めに積極的に種々の身体鍛練 を行 ひ,消
極的に種々 の保護 を為 す。此の抵抗力 は案外 によ く増大す る。 四、身体 の活動 は何時で も強壮・ 耐久・機敏・ 確実 に進行 するように努 める。 五く全心身 を挙 げて真剣に活動 し,身
体の美的表現 を欲求する。 右のごとき身体活動 には体格偉大 。体力増大・活動有効・ 生命永続の好結果が随伴する。学習者 は此の結果 に配慮 す るよ りも,生
理的全人生活 その ものに興味 を有つ様 にしな くてはな らぬ。f° また全人の精神 的要素 として(1洋」断作用の発展,(2)作業力の発展,13)感情の発展,は
)自覚作用の 発展をあげてい る。 一方,体
育学習の原則 について,自律学習の原則 の一つである創作学習の観点か ら,「遊戯 は創作 性が高 く体操 は創作性が低い」°と遊戯の教材価値 を高 く評価するとともに,体
操教材の改造 を主張 している。 そ して歓喜的学習の観点か ら「体育学習 に至 っては修徳的学習 と補趣 きを異 にして居 る が,歓
喜的に学習 しない ものの多いのは事実である。修徳 は ともか く多 くの人 に必要 を感ぜ られて いる体育 に至 っては,多 くはその必要す ら考へ られない了のと精神主義的な体育 を批判 し,「一 日も早 く心身対立観 を拠 つ心身一体観 に立ち,体育的学習 を歓喜的 したいものであるgう とぃゎゅる楽 しい 体育への改造 を力説 している。 以上が木下の体育論であるが,実
際 には同附小 において「木下 は鹿児島時代 と同 じように,歩
く ことの鍛練 を教育 の中に とりいれた。『人間,一
生歩 く,正
しく歩 くか否かは,一
生 を支配す る』と 『ウォーキング・ レース』 を強調 し,特
に大正一一年以来,毎
年,大
寒中十 日間 を期 して,歩
行訓 練なる名称 の下 に若草 山への寒修業 を行なった。十 日目の最終納会 として桜 井回 り四八 キロの歩行 訓練には,い
つ も先頭 に立 って指揮 した写りという。 こうした教育論 な らびに体育論 を展開 した木下の脳裏 には,究
極的には何が描かれていたのであ ろうか。 それは,天
皇制下の枠内における臣民の養成 にほかな らなかった。木下 は,あ
る一節で立 憲主義 と国家主義,さ
らに国際主義の統一 を求 めて こう書 いている。 「立憲政治の本義 は自ら進んで国家百般の政務 に参興 し,国
政 を円滑に発展 させ ることである。 自 ら進んで健全 な興論 を作 り,立
法に参加 し,行
政財政司法 にまで関係 を及ぼ してい く憲政治下の国 民は十分 に国家思想 を有 して行動す る所の発動的国民でな くてはな らぬ。 これが我が国に就 いて云 ふ と,我
が国体無比 なる所以 を知 って 日本帝国の永久の存在 を信 じ,自
分 は国家の一員であつて, 国家の利害休戚 を同 じうすることを自覚 し,国
家の権力 に絶対 に打艮従 し,自
他の権利 を尊重 し,最
善の方法 によって国家の生存発展 を図って行か うと云ふ国家的精神が無 くてはな らぬ。立憲時代の 忠義 は飽 くまで 自ら進んで天皇陛下 に忠誠 を捧 げるので無 くてはな らぬ。世界の大勢 を洞察 し,人
鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 30巻 第