歳
良
臣
(昭和56年5月30日受硼I問
題 の 所 在 昭和40年の山村振興法の制定以来,山
村問題 ない し山村の過疎問題 についての実態調査や研究が 深化 してきた。 しか し同時 に,山
村の諸問題の うち特 に過疎の問題 は従来の対症療法的な対策 では 対処出来 ないほどに深刻化 して きている。 従来 日本の農山村 においては,昭
和20年頃 までは,人
口流出の問題ではな く余剰人 口の対策が問 題 となっていたが,そ
こに人 口,戸
数の急激 な減少 によ り住民の生活・生産の諸機能の低下・麻痺 とい う過疎問題が生 じ始 めたのは,わ
が国の経済が高度成長期 に入 った昭和30年代 を契機 とす ると 考 えられている(1)。 そ して こうした過疎 をもた らした要因については,高 度経済成長 によ り農林業 と 他産業 との経済的な格差の拡大や都市 との社会生活環境施設整備の格差 の拡大が急速 にお こ り,農
山村地域の住民の経済・ 社会生活の基盤の相対的な低下が激化 した こと,ま
た交通網,マ
ス・ メデ ィアの発達や教育水準の向上な どによ り生活が都市化 し若年層 を中心 として都市への志向が高 まっ てい くというような住民 自身の意識の変化 を生 じさせた こと,さ
らに従来か ら日本の村落 を強 く規 定 していた「家」制度が,戦
後法的に否定 されて徐々に家族 内の人間関係の変化がお こる一方,、商 品経済 の浸透 に伴 い農家の兼業化,出
稼化が進行 してい く中で村落共同体の秩序が弛緩 してい くな どの村落の内部構造が変化 していった こと,等
々が指摘出来 るであろう。 また こうした過疎化 の進 行が農山村地域 に及 ぼしている問題点 としては,人
口構成の老令化,老
人問題,あ
とつ ぎ確保 の困 難 さ,労
働力不足 と労働の過重負担,離
農,耕
地の荒 廃化な どが生 じ,あ
るいは生 じつつあ り,生
産面 に崩壊 の危機 をはらんだ問題 を投げかけてきた ことが指摘出来 る。さらに過疎地域 においては, 「公共的活動施設の低下・ 縮少」 によって与 えられ る住民生活への影響 は極めて大 といえよう。つ ま り過疎地域 においては,生
産 。生活の両面 において人々は疎外 されているといえる。 こうした過疎地域では,そ
の振興施策 として,「交通通信施設の整備」「産業振興」「生活環境施設 等厚生施設の整備 と医療の確保」「教育文化施設の整備J等々 をかかげ,当
該地域の住民 に対 して可 能 なか ぎりの生活保障お よび社会福祉的諸施策 を実施せん とした。 しか しこの ような対応が もはや 町村 自治体 の行政負担の限界 を越 えた もの となって きた こと,お
よび「 この種 の施策 では過疎化の 國90
國 発生要因にはほ とん ど手 を触れ ることな く,事
後的に矛盾の顕在化 をカバー しようとするだけの手 段 にす ぎな くなった?ち ことな どか ら,国
が強力 にお し進 めようとした ものが「集落移転」とい う方 式である。 この集落移転 は,山
間へ き地 に駅立・散在する過疎化の進 んだ小集落 を,行
政投資の効 率化 をはかるため,行
政サー ビスの限界 を画そうとす る立場0から,便
利 な ところに移転・統合 しよ うとい う施策である。 これに対 し,渡
辺兵力 は,集
落移転の もつ二重の困難性一―一つは「移 るJ とい う変革への抵抗,他
はすでに集合的結合がゆるんだ ものが再 び集団的 に行動す ることに伴 う困 難一― を指摘 しているい。 しか し同時にこの施策 は,「集落再編成(再整備)」 として国の過疎対策の 切 り札 ともい うべ きものになっていた ことも否定出来ない。 それで は,「集落再編成」を行政 レベル では,ど
のように規定 しているのであろうか。経済企画庁 山村振興課の「集落再編成モデル事業 に ついて」 には,次
のように規定 されている。 「集落再編成 は・……今後予想 され る地域の経済的社会的諸条件の発展方向た とえば農業生産 の地 域的分化の進展,経
営の近代化,住
民の生活欲求の高度化多様化等 に即 しつつ,集
落の移転統合 に よってその規模や配置 を適正 に し,ま
た必要な施策 を整備 して,生
産の拠点 としてまた生産環境 と してその機能 を充実 し近代化す ることJによって,「合理的近代 的な農村 コ ミュニティを形成 しよう とす るものである°ち。 さらに,集
落再編成 の具備すべ き条件 として,住
民の生計獲得手段の変化 をふ まえ,所
得の増大 それによる生活の近代化 につなが るもの,
といった4つの諸要件 を指摘 している。 た しかに,わ
が国の村落 を基本的 に規定 してきた村落共同体 の機能 は低下 し,生
産 と生活 を維持 するための基礎的な条件が崩壊 しつつあることも否定出来 ない。また本寸落 の近代化 も必要であろう。 しか し,生
活便益や新たな所得形成 の機会獲得のために既存の小集落が移転統合することが,新
し いコ ミュニテ ィの再編成 に真につながるといえるのであろうか。集落移転事業が もた らす副次的な 効果 として先づ考 えられ る離農の促進が,農
民層分解の地域的反映 としての村落社会の解体化傾 向 にとってプラスの機能 を果す といえるのであろうか。すなわち この事業 の実施 によって農民層分解 およびそれに伴 う村落共同体の解体が促進 され るのか,あ
るいは逆 に分解 を停滞 させ阻止す るよう な作用 を果すのか,と
い うことが問題 になるのである。 筆者 は,従
来鳥取県東部山村 において,山
村共同体の変容 について調査 して きたが,
この論考 に おいては,同
じ く県東部の二つの山村 に事例 を求 めて,集
落移転 とそれに ともな う山村共同体 の変 容およびその問題点 を明 らかにしたい。事例研究地 としては,鳥
取県八頭郡 の八東町の山村 と用瀬 町の山村 を選定 した。前者 は経済企画庁の集落再編モデル事業 として全国第二位 に実施 された集落 であ り,後
者 は第二期 山村振興集落移転整備事業 として実施 された集落である。 巨1.八
東 町 お よび用 瀬 町 の概 況 図1
八東町 と用瀬町の位置H
対 象 地 の 概 況 国 府 町 '''ヽ ..、 ⅢⅢ・・ 郡 家 町 ノ 智 頭 町 市 t∴ミ 取
, ,′ ・i t . 若 桜 町 ′ ・ 河 原 島 根 県 {・″
・
…
.,' 『 ―・― 県 境 ― ¨―・ 市郡界 一 町村界 図1よ り明白なごとく,両
町 は鳥取県の東南部 に位置 している。先づ八東町は,八
東川 を中央 に はさんで,お
おむね東西 に細長 く伸び,周
囲は急峻 な山岳で囲 まれてお り,東
は若桜町,西
は船岡 町,北
西 は郡家町,北
東 は岩美郡 国府町に接す る位置 にある。標高80mか
ら500mの
間に40の集落が 点在 し,東
西17.5km,総面積67.20k♂,八
東川,細
見川,小
畑川,新
興寺川 といった主河川の流域 に 耕地が開 けている。 しか しその耕地 は全面積の13%に
す ぎず,約
80%の
土地 は山林 。原野 におおわ れている。年間平均気温 は14°Cと 山陰地方特有の気候で,特
に晩秋 か ら初春 にかけては降水量が多 く,積
雪量 は平地部で25cm,山間部では120cmとこお よぶ といわれる。一方,用
瀬町 は東西16km,南北7.5km,面
積80.33km2と八東町 よ りやや大 きいが,八
頭郡内各町村 の中では小 さい町である。 しか も 用瀬町 もまた,耕
地 は4.7%し
かな く,山
林・原野 は約90%に
も及 んでいる。南 は智頭町,西
は岡山 県阿波村,北
は佐治村 。河原町に接 してお り,東
は八東町 と同 じく船岡町に接 している。 こうした 近似 した地理的環境 に両町の社会構造 は規定 されてお り,そ
れを概括 してみたい。92國
歳 員 臣 表2
八東町・ 用瀬町就業構造 (人/%) 実 数 増 加 率 構 成比 45年 50年 55年 50/45 55/50 45年 50r手 55Z芋 ノ\ 東 町 就業人口総数 第 1次 産業 第 2次 産業 第 3次産業 3,812 2,068 706 1,036 3,990 1,755 1,034 1,196 3,681 1,497 1,030 1,150 4.7 A15,1 46.5 15.4 △7.7 ∠ゝ14.7 △0.4 △3.9 100.0 54.3 18.5 27.2 100.0 44.0 26.0 30.0 100.0 40,7 28.0 31.3 用 瀬 町 就業人口総数 第1次産業 第2次産業 第3次産業 2,760 1,150 634 973 2,928 990 963 972 2,757 695 1,003 1,044 6.1 △13.9 51.9 △0。1 △5.8 どゝ29.8 4.2 7.4 100.0 41,7 23.0 35.3 100,0 33.9 32.9 33.2 100.0 25.3 36.6 38.1 (国勢調査 よ り作製) 先づ人 口 。世帯数の推移か らみてみ よう。世帯数 に関 していえば
,八
東町 も用瀬町 もさほど減少 していない。用瀬町の場合 にはむしろ増力日傾向がみ られる。 しか し,人
国の推移 は明 らかに減少傾 向を示 してお り,特
に八東町の場合 には著 しい。 そのために,昭
和46年には過疎地域 の指定 をうけ 表1
八東町及び用瀬町人口・世帯数の推移 人 口 世 帯 世帯 当 り 人員 総 数 増加率 30年 を100と した指数 総 数 増加率 30年を100と した指数 八 東 町 日召和30年 354F 404F 454F 50年 55年 人 8,674 8,311 7,706 6,935 6,572 6,508
%
△4.2 △7.3 A10.0 △5.2 △0,996
89
80
76
75
戸 1,478 1,516 1,549 1,511 1,481 1,478%
2.6 2.2 △2.5 △2.0 △0.2103
105
102
100
100
5.87 5,48 4.97 4.59 4.44 4.40 用 瀬 町 昭和30年 35年 40年 45年 50年 55年 6,493 6,143 5,662 5,250 4,952 5,025 △5,0 △7.8 △7.3 △5.7 1.595
87
81
76
77
1,205 1,206 1,211 1,224 1,199 1,275 0。1 0.4 1.1 △2.0 6.3 100 101 102 99 1065.39
5.09
4.67
4.28
4.13
3.94
(国勢調査 よ り作製)てお り
,特
に若年人 口の減少 と高齢人口の増加 に伴 う老人世帯の増加,な
らびに経済活動の低下が 深刻な問題 になって きている。 こうした若年人 口の流出を止 めるべ き対策 を試 みなければな らない が,前
述の如 く80%か
ら90%が
山林原野である町に とっては不可能であ り,例
えば用瀬町の場合, 事業所統計報告 をみて もほ とん ど従業員数が20人前後 の小零細企業 ばか りである。そうした状況が 両町においては,昭
和45年頃 までは就業人 口の約5割
を農林業 に依存 させ,ま
た,依
存せ ざるを得 ない もの とさせていた といえる。 ところが,表
2よ り明 白なように両町 とも就業構造 に大 きな変化 があらわれて きてお り,特
に第一次産業就業者人 口の減少 と第二次産業就業者人 口の増大が顕著 に なって きた。 この傾向は用瀬町の場合 にはより明 らかであ り,遂
に昭和55年には第二次産業就業者 が約4割
をしめ,第
一次産業就業者 は25%に
減少 して しまっている。 そ こで,両
町の農業 について 概括 してみる。 表3
八東町及び用瀬町農家戸数 町 東 用 瀬 町 昭 和35年 昭 和40年 昭 和45年 昭 和50年 昭 和55年 昭 和35年 昭 和40年 昭 和 45年 昭 和50年 日召不日55年 事 業 男」 専 業 第 二種兼 業 第 ■種 兼 業 320(288) 512 (46 0) 281 (25 2) 145(135) 550 (51 2) 380 (35 3) 122(■ 3) 391 (36 3) 565 (52 4) 146(142) 297 (28 8) 588 (57 0) 103(103) 282 (28 2) 616 (61 5) 118(171) 169 (24 5) 104 (58 4) 64(95) 277 (41 1) 333 (49 4) 38(57) 172 (25 9) 453 (68 4) 28(44) 102 (16 0) 506 (79 6) 29(49) 92 (15 4) 476 (79 7) 計 1■3(1000) 1075(1000) 1078(1000) 1031(1000) 1001(1000) '91(1000) ,74(1000) 663(1000) '36(1000) 597(1000) 耕 地 面 積 房J 0 3ha未 満 )3-0 5ha )5-0 7ha )7∼1 0ha 1 0-1.5ha t 5∼2 0ha 2 0ha以 上 189 158 206 328 207 24 1 170) 142) 185) 295) 186) (21) (01) 179(166) 171(159) 204 (19 0) 306 (28 5) 192 (17.9) 21(19) 2(02) 196(182) 168 (15 6) 190 (17 6) 276 (25 6) 216 (20 0) 22 (2 1) 10 (0 9) 225(218) 182 (17 6) 193 (18 8) 233(226) 154(149) 35 (3 4) 9 (0 9) 232(232) 153 (15 3) 184 (18 4) 216 (21 6) 164 (16 4) 37 (3 7) 15(14) 195(282) 122 (17 7) 136 (19 7) と50 (21 7) 86 (12 4) 2(03) 0 (0 0) 189(280) 116 (17.2) 129 (19 1) 147 (21 8) 90 (13 4) 3(05) 0(00) 190(287) 118 (17 8) 129 (19 5) 113 (17 0) 80 (12 1) 21(32) 12 (1 7) 185(291) 135 (21 2) 118 (18 5) 95 (14 9) 82 (12 9) 17(2,7) 4 (0 7) 191(320) 142 (23 8) 108 (18 1) 74 (12 4) 64 (10 7) 10(17) 4(13) 計 1■3(1000) 1075(1000) 1078(1000) 1031(1000) 1001(1000) ,91(1000) 74(1000) ,63(1000) 636(1000) 597(1000) (農業セ ンサス及 び農林業 セ ンサスよ り作製) 表4
八東町及 び用瀬町農業粗生産額・生産農業所得 単 位 100万 円 業 粗 額 農 生 産 生 産 額 △口 計 耕 種 養 蚕 畜 産 加工 農 産 物 生 産 農 業 所 得 生 産 農 業 所 得 耕 地 10 a 当 り 生 産 農 業 所 得 農 家 一 戸 当 り 計 米 麦 類 維 穀 豆 類 い も 類 野 菜 果 樹 花 き 工 芸 作 物 種 首 作 物 計 肉 用 牛 乳 用 牛豚 に わ と り そ の 他 八 東 町 3 7 4 11 127 千円6 3
翻
用 瀬 町 7 4 l 29 7
刊
・ 5
綱
(第28次鳥取農林水産統計年報 より作製)94
國 表3は,両
町 における農家戸数の推移 を事業別,耕
地面積別 にまとめた ものである。先づ目につ くのは,両
町 とも専業農家が減少 し,第
Ⅱ種兼業農家が飛躍的に増大 した ことである。八東町の場 合 には,未
だ1割
の専業農家が存在 しているが,用
瀬町の場合 には年次 を追 うて減少 し,20年
間に4分
の1と なっている。 そして専業が第I種兼業農家 とな り第I種兼業農家 は,第
H種
兼業農家 に 転落 していっている。 この傾 向 は単 に用瀬町のみでな く,鳥
取県の他町村 とも軌 を同 じくしている が,た
だ用瀬町の場合 は,他
町村 よ り転落率の高い こ姜に特徴がある。 その理由 としては,表
3の 耕地面積別 の農家の推移か ら明 白なように,耕 地面積0.3ha未満 の農家が常 に一番多 く,昭 和55年に は0,5ha未満の農家が5割
以上 という零細性が指摘出来 る。そして一方,0。7ha以上の農家 は八東町 の43%に
対 し,用
瀬町の場合 には26%し
か存在 しない。 この ことは,表
4の生産農業所得の差 にな ってあ らわれている。すなわち,生
産農業所得において は,用
瀬町 は八東町の約3分
の1しかな く, 農家一戸 当 りの生産農業所得 において も八東町の3分
の1しかなっていない。 以上の ような諸特徴 をもった両町において,辺
地性の顕著 な集落が移転 を行 なったのである。す なわち,板
井原 。杉森両集落が用瀬町鷹狩 に,横
地・ 妻鹿野両集落が八東町細見 に移転 したのであ る。 このことは,い
かなる意味・ 問題 をもつのか ということを検討するために,夫
々の集落の概況 をみてみたい。2.横
地・ 妻鹿野両部落の概況及び産業構造 図2
横地・妻鹿野部落と集落移転後の位置 若桜 町 ― ¨― 町 界 ― 河 ナ町o 1 2 3 km等
高 線 臣難
籍
場
旧 新 役 ● ■ o横 八 が に 。 通 特 た 一 父 , い め り て た あ れ の で さ 千 ﹁ 落 定 積 集 指 は た に 間 し 域 期 布 地 寒 ヽ o 分 止 に > つ に 防 特 い い り , と
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”
卿
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嚇
脱
横地部落__―
一 ―一 妻鹿野部落 一 ‐一 一―一 集落移転 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 (96 優目 横地部落 は
,侭
山5戸,園
7戸
,横
地5戸
の計17戸か ら昭和45年頃なっていたが,図
2か
ら明 白 なように以前 は20戸以上の世帯が存在 していた。また,人
口は昭和35年には139人いたのに対 し,昭
和52年には63人と減少 してお り,最
高時の45%に
なっている。同様な ことは妻鹿野部落 に もいえる。 最高時 (昭和33年)に
は196人の人 口数が,昭
和46年 には122人に減少 し,最
高次 の62%の
人 口しか 存在 しなか った。 こうした人 口の激減 を もた らした もの としては,辺
地性 に伴 う生活上の諸困難 と 生産基盤の弱 さが考 えられ る。 そこで,両
部落の農林業の実態 をみてみよう。横地部落の生産基盤である耕地面積 は,水 田
470a,畑 76a,樹
園地60aで
ぁ り,一戸 当 り平均耕地面積 は水田
31,3a,畑 50,7a,樹
園4aと
なっている0。 また就業状況 は,昭
和45年 のセ ンサスによると
,専
業農家5戸,第
I種兼業農家2戸
,第
H種
兼業農家8戸
となってい る。他方妻鹿野部落の耕地面積 は水 田
890a,畑
250a,樹
園地40aで
ぁ り,一
戸 当 り平均耕地面積 は水田38.7a,畑
10.9a,樹
園地1.74aとなっている。 さらに就業状況 は,同
じく昭和45年のセ ンサスでは,専
業農家 は な く,第
I種
兼業農家1戸,他
の22戸はすべて第H種
兼業農家 という数字 を示 している。 この兼業 の内容 は林業労務である。すなわち,妻
鹿野集落 には地場産業の丹比林産株式会社 (従業員100人) の本社工場である製材工場が存在 していた ことによるものである。 以上両部落 の農業基盤 について概括 してみたが,次
にそれぞれの生産力構成 を表 5に おいてみる ことによ り比較検討 してみたい。 表5
横地・妻鹿野部落の生産力構成 (1960。70)
′I.農
家 数H.耕
地 条 件 械 有 数 ﹂ 機 所 台 (1戸当り) Ⅳ.労
働 力 V農産物販売額 ︵ 一 戸 当 り ︶ Ⅵ 保 有 山 林 面 積 総農家 戸 数 専 業 農家率 種 業 率 家 I 兼 農 1戸 当 り 耕 地 面 積 水田率 樹 園 地 率り
数
当
鶉
一
戸
靴
1
農
業 業 率 口 農 就 人 20万 円 以 上 シ び 円 満 万 ナ 及 5 未 総 数 主 数 業 者 農 体 一 九 六 〇 地 野 鹿 横 妻 17 % 47,1 60.0 84.7 44.4 % 38.9 70.3 4.9 2.7 人 2.8 26 人 2.8 2.6 % 68.6 64.1 % 一 一 % 278.3 229.6 一 九 七 ∩ 地 野横
魏
15 23 13.3 4.4 4 7 3.4 2.07 0.96 2.3 17 1.91.7 60,3 46.8 26.7 36.0 279 3 318.7 (世界農林 業セ ンサ スによ り集計) 表6
専・兼業別農家数 の変化 一 横地・妻鹿野 一 臣 横 地 部 落 妻 鹿 野 部 落1960
1970
1960
1970
業
絆
癬
専 種 種 I H 戸1 (5.8%)
8 (47.1) 8 (47.1) 一声 (33.3%) (13.4) (53.3) 戸 (18.0%) (60.0) (32.0) 戸1 (4.3%)
22 (95.7%) 計 17(100.0) 15(100.0) 25(100.0) 23(100.0)先づ
,農
村 の生産力構成 の中心 をなす耕地条件 は,横
地部落の場合経営耕地面積 は,昭
和35年一 戸当 り847a,昭
和45年86.Oaと比較的恵 まれてい るように見 えるが,現
実には日本農業の中心で ある稲作 には不適切 な土地であ り,水
田率36%が
示す ごとく質的には極 めて零細 な耕地 といえる。 その結果収獲 は自給米生産程度であ り,タ
バ コ耕作 によってようや く収入 をえていたのが実情であ る。さらに労働力条件 をみてみ ると,一戸当 り農業従事者数お よび農業主体者数 は,鳥取県の平均3. 1人よ りはるかに低 く農業村落 としての存在性 を極 めて困難 に している といえよう。ただ,山の斜面 地におかれた耕地でのタバ コ耕作 は現金収入 としては貴重な ものであ り,昭
和45年のセ ンサスによ れば,農
産物販売金額100万円以上の農家が5戸
も存在 してお り,工
芸作物耕作中心の生産力構造の 再編の可能性 はもっていた といえよう。 表7
経営耕地規模別農家数 ― 横地・妻鹿野 一0.3ha未満 03∼0 5ha 0.5-1.Oha 1.0-1 5ha 1.5∼2.Oha 2.0-2 5ha 計 平 均 耕 地 面 積
一 九 六 〇 横 地 部 落 妻鹿野部落 7 (280) 1 (58) 9 (36.0) 13(765) 9 (36 0) 一戸 15(1000) 25 (100 0) 0 85ha O.44 ha 一 九 七 〇 横 地 部 落 妻鹿野部落 2 (133) 3 (130) 2 (133) 8 (348) 3(200) 12 (52 2) (53.4) 15(1000) 23 (100 0) 0 86ha O.51 ha (1970年世界農林業センサス農業集落カー ドより作製) 一方
,妻
鹿野部落 は横地部落 に比較 して農業の生産力構成 は極 めて低 い。すなわち,一
戸 当 り経 営耕地面積 は51.3aで
ぁ り,鳥
取県の一戸 当 り経営耕地面積79.8aに
比較 して もはるか に少い。 そ してこの零細 な耕地条件が耕運過程の再編=機
械化 を規制 し,同
時 にこうした零細性が労働力条件 に顕著 に影響 し,結
果 として妻鹿野部落 においては,農
業生産力構造の再編 を不可能 に してい る。 こうした点 を示す もの として表7が
ある。 これは経営耕地規模別 に横地・ 妻鹿野の両部落 の農家の 推移 をみた ものである。 この表か らも明白なように,横
地部落 においては,昭
和35年 に比較 して1 ha以上 の耕地面積 を所有す る農家が約3倍
に増加 してお り,妻
鹿野部落 においては,部
落全体 の耕 地面積 の拡大 ほどには増加せず,む
しろ横 ばい状態 を示 している。 一方,林
業面 はどうで あろうか。表8をみてみよう。 この表か ら明 白なように,横
地部落 におい ては90%以
上が5 ha以下の山林 しか所有 してお らず,自己の保有山林 にて生計 をたてることは不可 能である。これに対 して妻鹿野部落の場合 には,20ha程
度の山林所有者が4分の 1ほ ど存在 してい る。しか し,や
は り妻鹿野部落全体 としては,山
林 は経済的意味 をもたない といえよう。それでは, 「山」が大方の住民の生活 に とっていかなる意味 を持つのであろうか。 それは,直
接的な林業生産 の場 としてではな く,山
林労務の就労の場 としてである。98 握目 表
8
山林所有別階層区分 一 横地・妻鹿野 ― 表9
農業・農外就労度 就業・ 非就業 就 業 者 ⑦ 非 就 業 者 ⑥ 労働力 メ( 口 (⑥十⑦) 農 業 の み に 従 事 農業 と兼業 に従事 ⑤ 他産業 のみ ⑥ 就 業 者 計 ① 基幹的 ② 補助的 ③ 農業主 ④ 兼業主 横 地 部 落 実 数 肉 男 女28
30
計 6 4 7 6 構 成 比 閉 男 女 4.2 17.9 37.5 57.1 8.3 7.1 37.5 3.6 12.5 14.3 100.0 100.0 計 11.5 48.1 7.7 19。 2 13.5 100.0 妻 鹿 野 部 落 実 数 閃 男 女 210
42
40
計 6 22 12 4 構 成 比 拗 男 女 2.4 13.5 14.6 43.2 4,9 27.0 68,3 13.5 9.82.8
100.0100.0 計 7.? 28.2 15.4 42.3 100.0 (1970年農林業センサスより作製) 表9によれ ば,昭
和45年において,妻
鹿野部落の全就業者数 は78人,そ
の うち「自家農業のみに 従事」する農業専従者 は36%(28人
)で
あ り,さ
らに,そ
こか ら自家の農業労働 に補助的に従事す る人 を除 いたいわゆる「基幹的」 な農業専従者は8%(6人
)し
かいない。他方,農
外就労者 は64%で
あ り,特
に男子の場合には,83%ま
でが農外就労である。 しか しこの農外就労の内容 は,
きわ めて不安定 な兼業 といえる山林労務 。日雇などが多 くを占めている。同様な傾向は,横
地部落 の場 合にもいえるが,そ
れで も妻鹿野部落 に比べれば,農
業専従者 またはそれに近 い ものが67%も存在 巨 山 林 所 有 山林 な し 合 計 山 林 所有率 ―戸平均 保有山林 面 積0。1´ヤ1.Oha 1,0-5.Oha 5.0∼20,Oha 20.Oha∼ 計
一 九 六 〇 横 地 部 落 (%) 7 (58.3) 一声 4 (33.3) 一戸 0 一声 l (8.4) 声 12 (100.0) 5 . 声 7 髪 70.6 妻鹿野部落 (%) 6 ・ 3 ・ 11 (50.0) 5 (22.7) 0 22 (100,0) 3 一 九 七 〇 横 地 部 落 (%) 10 (66.7) 4 (26.7) 15 (100,0) 0 100.0 要鹿野部落 (%) 8 (34.8) 9 (39。1) 6 (26.1) 23 (100.0) 0 100.0 (1970年世界農林業センサス農業集落 カー ドより作製)
してお り
,不
安定なが らも農業への志向があるといえよう。 以上,両
部落 をまとめてみ ると次の ようになる。先づ,両
部落 に共通 な点 としては,そ
の辺地性 である。 この辺地性 に起因す る冬季の生活上 の不便が集落移転 を志向す る「内発的要求」 を生み出 した といえる。第二 にいえることは,農
業の生産性 の低 さである。 もちろん横地部落の場合,妻
鹿 野部落 よ りは恵 まれていたが,そ
れ とて も比較上の ことであって,や
は りこれ以上の拡大不可能 と い う耕地条件 に規定 された低生産性 は否定出来ないであろう。そして,
この低生産性が所得水準や 生活水準 などの低 さをもた らしていた と考 えられ,そ
うした事態が両部落民 を集落移転 に志向 させ た とい えよう。第二 には,山
村 であ りなが ら,不
安定な山林労務 の場 としての意味 しか持たない林 業構造の低 さであろう。後述す るように,ご
く一部の上層の山林所有者以外 は,山
が直接的な林業 生産の場 としての意味 を持たなかった ことである。3.杉
森・板井原 両部落の概況及 び産業構造 図4
杉森・板井原部落と集落移転後の位置諌丑
.ノA
狩 赤波サ│N
牛
丸
瀬
杉
絡
町ε目道甲
岡 岡 山 ― ― 県 ― い●●‐ ‐ 口∬ ― 鉄 ―等
河高線 境0旧
集落命
:覆
集
雹
4 km 一方,杉
森・ 板井原の両部落 は,用
瀬町中心集落 よ り約101m隔絶 された赤波川 にそった山間へ き 地 に存在 していた。両部落 とも谷間の村であ り,日
照時間は極端 に短 く,ま
た最 も近い赤波部落上100 國 歳 土居のバ ス停 まで約6 kmという辺地性 を有 している。困幡誌に次のように記 されている。 「杉森、板井原 ノ両村
,赤
波村二属 シ,税
数 ヲ合テー邑 トス。杉森ハ葛 ヲ製 ス。尤モ名産也。又 柳 ヲ種 ル用瀬ニテ骨υⅡ二作 レルハ,皆
此 ノ地 ノ生産 ナ リ。下板井原 ヨリ用瀬へ山伝 ヒニ凡 ソ二十町 余ナ リ。杉森 ヨリモ山路 ア リ。」 上述 にもあるごとく,産
物 としては,山
間部特有の葛 とか,薪,炭 ,蕨 ,山
薯な どがあるぐらい で,米
の収穫 は少な く,10aあ
た りの収量 も約300kgと平野部の集落の生産量450kgに比べ,は
るか に低 い。 図5
杉森・板井原両部落の人口・世帯数の推移 (人) 1 1 1 110 一―― 杉森部落 ―… …板井原部落 ― 一 ‐集落移転 54(年) 54(年) 臣 さて上 図は,杉
森・板井原両部落の人 口・ 世帯数の推移 を図式化 した ものである。 ともに人 口過疎化の傾 向を示 しているが
,杉
森部落 に比べて,板
井原部落 の減少傾向は急激であ り,昭
和43年 から昭和50年まで17年間 に36人減少 し
,そ
の減少率 は29.4パーセン トを示 している。そこで この人 口流出型の過疎化段階にある両部落の生産構造 を概観 してみたい。
先づ杉森部落 の農業生産の基盤 ともいえる耕地面積 をみてみると,昭和36年の
970aか
ら昭和45年には1380aと
30%も
増加 しているにもかかわ らず,水
田面積 は570aか
ら590aと ゎずかに20aし
か増加 していない。結局一戸 当 り平均耕地面積 は
,水
田36.9a,畑 12.5a,樹
園地36.9aと なっている。すなわち水 田面積 と樹園地面積が等 しくなってお り
,こ
の ことが表10にみ られ るごとき農家構 成 を示 した といえよう。 表10 専・ 兼業別農家数の変化 ― 杉森・板井原 一 杉 森 部 落 板 井 原 部 落1960
19701975
1960
1970
1975 専 業 I種兼 業H種
兼 業 声 (12.5%) (12.5) (75.0) 声 (56.3%) (43.7) 層 (43.7%) (56.3) 声 6 (30.0%) 14 (70.0) 一月 (20.0%) (80.0) 戸 (17.7%) (82.3) 計 16 (100.0) 16 (100.0) 16(100.0) 20(100.0) 20(100.0) 17 (100.0) 上表か ら明 白なように,昭
和35年に樹園地の増加 に伴 い,第
I種兼業農家が第H種
兼業農家 よ り 多 くな り,昭
和50年において も43.7%の第I種
兼業農家率 を示 している。 これに対 して板井原部落の場合 には
,一
戸 当 りの平均耕地面積 をみてみると,水
田39.Oa,畑
7.Oa,樹
園地24.Oaと なってお り
,水
田面積 においては杉森部落 と大差 ないが樹園地面積 においては相 当に差があ り,そ
の結果 上表の ごとく,第
I種兼業農家が3戸,他
はすべて第 Ⅱ種兼業農家14戸となっている。すなわち板 井原部落 は「顕在的離農型0」の村落 といえる。一方杉森部落の場合 は,斉藤吉雄氏の類型 によれば「潜 在的離農型」 といえるが,私
はむしろ「潜在的I種
兼業志向型」 と規定 したい村落 である。 こうし た点 をぶ まえて,両
部落の生産力構成 を表 11に よ りみてみたい。 まず顕著なのは,耕
地条件 において上記のごとく両部落 にかな りの差がある。特 に昭和50年 にお いて一戸 当 り耕地面積 が,杉
森部落75.Oaに対 し板井原部落49.4aとなってお り,樹
園地率 におい ては板井原部落 は杉森部落の2分
の 1し かない。 さらに労働力条件 をみてみると,農
業主体者数が 板井原部落の場合 には杉森部落の4分
の1,農
業就業人 口率 も杉森部落 の2分
の 1し かない。すな わち板井原部落 の場合,も
ともと農業集落 としての生産基盤 をもっていないことを示 している。 こ の ことは表12を見れば明 白である。102 國
表■ 杉森・ 板井原部落の生産力構成 (1960・ 70。 75)
表12 経営耗地規模別農家数 ― 杉森・板井原 一
0.3ha未満 0 3∼0.5ha 0.5‐ヤ1.Oha 1 0-1 5ha 1.5∼2.Oha 2.0-2.5ha 計 平均耕地面積
一 九 六 〇 杉 森 部 落 板井原部落 戸 % 1 (6.2) 6 (30.0) 4 (25.0) 7 (35.0) % 身 9 (563) 6 (30.0) 2 (12.5) 1 (50) % 一戸 戸 身 戸 % (1000) (100_0) 0 61 ha O.47 ha 一 九 七 〇 杉 森 部 落 板井原部落 (6.2) (40.0) (12.5) (25.0) 4(250) 1 (5.0) 3 (15,0) (100.0) (100.0) 0 86 ha 0 68 ha 一 九 七 五 杉 森 部 落 板井原部落 1 (6.2) 8 (47.1) (188) (17.6) (100.0) (100 0) 0 75 ha O.49 ha (1975年農業センサス集落カー ドにより作製) この表 は両部落の農家 を経営耕地規模別に分類 しその推移をみた ものである。 この表 より明 らか な ごとく,杉森部落の場合 には0.5ha未満の農家が25,0%しか存在しないのに対し,板井原部落の場合に1ま64. 7%も 存在しており,その生産性の低さは極めて顕著である。一方
,杉
森部落の場合にはl ha以上 の農家が約3分
の1も存在 している。表11の労働力条件 においても減少傾 向は否定 出来ないが,農
業主体者数 において1人台 をか ろうじて保持 してお り,「後継者」問題 さえうま くいけば「潜在的第I種兼業志 向型」を維持出来たのではなか ろうか。 集落移転 に関 していえば,板
井原部落の場合には「これ以上住 んでゆけね」という離村意識の形成 を否定出来ぬが,杉
森部落の場合には,現
状で も「住んでゆけるにもかかわ らず」移転 した と言わ ねばならないのではなか ろうか。 このことは,林
業 についてみるとよ り明 白になる。 臣I.農
家 数H.耕
地 条 件 III. 機械 所有 台数 1戸当り) Ⅳ.労
働 力 V.農産物販売額 ︵ 一 戸 当 り ︶ Ⅵ 保 有 山 林 面 積 総農家 戸 数 専 業 農家率 種 業 率 家 I 兼 農 1戸 当 り 耕 地 面 積 水田率 樹 園 地 率1戸
当 り 農業従事者数 農業葉 就 業 人 口率 20万 円 以 上 シ び 円 満 万 ナ 及 5 未 総 数 農業主 体者数 一 九 六 〇 杉 森 板井原 声 / 0 % 12.5 30.0 60.6 47.0 % 58.8 713 17.5 / 0 0.13 0.12 人 3.1 2.3 人 2.3 2 1 / 69.0 60.8 % 58.8 35.0 % 18.8 35,0 930.7 445.3 一 九 七 〇 杉 森 板井原 16 20 0 0 86.3 68.0 42.8 54.4 42.8 35.3 1.44 1.10 1.4 1.2 0,9 0.5 40.4 30.7 68.8 35.0 18.8 15.0 1246.7 1036.1 一 九 七 五 森 原 井 杉 板 16 17 0 0 43.8 17.7 75.0 49.4 34.2 17.9 1.50 1.35 1.6 0.9 1.2 0.3 56.3 29。4 37.5 353 1472.5 1113.5 (農業センサスおよび世界農林業センサス集落カー ドにより集計)第13表 山林所有別階層 区分 一 杉森・板井原 一 山 林 所 有 山林 な し 合 計 山 林 所有率 一戸平均 保有山林 面 積
0.1-1.Oha 1.0∼5.Oha 5 0∼ 20.Oha 20.Oha∼ 計
一 九 二 ハ ○ 杉森 部 落 (%) 0 5 & 10 (66.7) 0 15 (100 0) 1 % 93.8 板井原部落 (%) 3 (20,0) 7 (46.7) 5 (33.3) 0 15 (100.0) 5 一 九 七 〇 杉 森 部 落 (%) 0 3 (20.0) 8 (53.3) 4 (26.7) 15 (100.0) 1 93.8 12.5 板井原部落 (%) 0 (33.3) 5 (27.8) 4 (22.D 4 (167) 18 (100.0) 90.0 10.4 (1970年世界農林業センサス農業集落iカードにより作製) この表 は山林所有面積別 に農家 を分類 した ものであるが
,
ともに山林所有率 は90%を
こえている が,板
井原部落の場合 には,5.Oha以
下の農家が61.1%も存在 しているのに対 し,杉
森部落の場合 に はわずか に3戸しか存在 していない。 とくに板井原部落の場合 には階層分化が顕著 になって きた と みていいのではないか。 そしてそれ は結局山村共同体 の解体へ とつながってい き,究
極的には集落 移転へ と結果 した ことになるのであろう。 以上,両
部落 をまとめてみる と,先
づ第一 に言 えることは,横
地,妻
鹿野部落の場合 と同様 にそ の辺地性 に起因する集落移転への「内発的要求」の存在であ る。第二 に言 えることは,板
井原部落 の農業生産基盤の低 さである。 しか し杉森部落の場合 には,た
しかに平坦地農業 に比べればその生 産性 において劣 ることは事実であるが,「限界集落」ではなかった と思 える。 ということは,杉
森部 落 の人たちは「食べ られないか ら」移転 したので はな く,現
状で も「十分 と食べてゆけるにもかか わ らず」移転せ ざるをえなかった ことになろう。第二 には,板
井原部落の場合 には,農
民層分解が 非常 に顕著 になってきた時であ り,そ
れが全面的脱農林業化 としてあ らわれていた といえる。それ は一般 に農家労働力の兼業化 と,農
村外流出 という形で進行するのであるが,板
井原の場合 には, こうした個々の労働力の農外流出だけでな く,農
家全労働力の農外流出 とい う形で進行 してい き, それがひいては山林共同体 の生活機能のマ ヒをひ きお こした段階にあった といえる。 Ⅲ 集落移転の決定過程 経済企画庁 は,集
落再編成 を行 う場合 い くつかの具備すべ き要件 を提示 しているが,そ
の中で, 集落 の再編成 はあ くまで も「住民の意志 に もとづいて」進 め られるべ きものであ り,将
来の生活欲 求 にみあい彼等の主体性が十分確保 された ものでなければな らない とされている。 それでは鳥取県 の場合,移
転の決議 は「住民の意志 に もとづいて」 なされたのであろうか。現実の移転決定のプロ104 厘目 セス は どの よ うな もので あったか を
,事
実経過 と移転計 画 の大要 とを概括 す るこ とによ り見 てみた い 。1.八
東町の場合 過疎対策 としての集落移転が注 目を集 めは じめたのは,昭
和44年頃か らである。 そ して昭和45年 4月 には過疎法が成立 した ことに伴 い,全
国の過疎町村 は具体的な集落移転 の施策 をたては じめて いった。八東町においては,昭
和43年以来 山村振興地域の指定 をうけ産業 の振興 を如何 にすべ きか を検討 していた。 一方鳥取県側 は,か
ねて地盤の軟弱 な傾斜地で,建
設省 の地すべ り防止地域 に指定 されていた横 地部落の移転 を昭和36年頃か ら考 えていた。 そして,昭
和37年には,横
地部落 のみを福部村 に20町 歩の土地 を買収 し,たばこ栽培 をさせ るとい うパイロッ ト事業を計画 してきた。しか しこの計画 は, 当時の八東町長 であ り,横
地部落の実力者であった藪田吉雄(Y-4)の
反対表明,
しか も資金面 での困難 さ等々が あ り,御
破算 になって しまった。 その後,昭
和45年 に八東町が過疎地域の指定 を 受 けて後,藪
田氏の考 え方 も変化 し,横
地部落の人達 に突然移転案 を提示 し,一
晩の討議で決定 し た とい う①。しか も前 回の計画の時間題 になった資金面での不安 を訴 えた者 に対 して も,部落援助 を するという形で説得 を行なっている。 その理 由 としては,モ
デル地区 として認可 され るためには, 全戸が移転 しなければな らなかった ことがあげられ る。 そして昭和46年4月,国が全国集落再編成モデル地区を全国に 7ヶ 所が設置 したが,その第二番 目 に八東町が指定 された。その結果横地部落の集落移転が町 レヴェルでの計画にな り,次いで県側 の指 導によ り妻鹿 野部落 も共 に移転 するとい う計画 になっていった。そして両部落 よ り集落移転 に関す る委員11人を決め,こ
の委員が計画 を実行 していったが,そ
れはきわめて強引な ものであ り,意
見 をき くという形ではな く,す
べて了解点のみを認 めさせ るという形で進め られた。 その裏側 には, 反対意見 もあ り,そ
の ことによ り計画 が破壊 され ることへのおそれがあった といえる。よって計画 は全て委員のみが役所 と交渉 して進 め られた とい う。 その集団移転計画の概要は次の通 りである。 ①参加者 と移住時期。集団移転 に参加するのは横地部落16世帯74人,妻
鹿野部落24戸 124人0。 計 画期間を46-47年
とし,昭
和47年の秋 に移住する。 ②新住地。細見谷入 り口に通 じる富枝地区に用地を取得 し,昭
和46年4月 か ら47年 3月 までに用 地造成及び関連道路,水
路の建設 を計画 した。 ③移転後の所得計画,こ
れはもっとも重要なものであるが,次
のように計画 されている。 (a)営農計画,現
地への通勤耕作∼集団栽培,作
業の協業化により生産性向上 をはかる。また平 地部の脱農農家,米
の作付調整に伴 う休耕地などを借 りうけ,畑
作物 (タバ コ,
ビニールハ ウス による野菜など)で
生産 し,農
業経営規模拡大につとめる。妻鹿野については,移
転跡に林産特 産物 (なめこ)の
生産団地 とする。 (b)就業促進,現
在農外へ就業 しているものについては,比
較的安定なものについているが,移
臣転 に伴 ってその安定度 は飛躍 的 に高 まるであ ろ う。 また農外就業希望者 のため には
,積
極 的 に工 場誘 致 を行 い,就
業機 会 増進 につ とめ る。 表14 八東町集落再編成モデル事業総括表 。事業種目別総括表 事 業 種 目 事 業 主体 受益 戸致 事 業 内 容 お よ び 事 業 量 事 業 費 負 担 区 分 備 考 国 費 県 費 町 費 そ の他 生 活 条 件 整 備 事 業 住宅移転建築事業 和 n 17.452 81726 52,433 92,500 宅 地 取 得 町 1戸当 り265耐X37戸 =9,805nf 9,8051n・X2,079円 =20,384,595円 移 転 補 償 費 2.168,000円 22,552 22.552 住宅1戸、作業場1 棟の移転補償費 は宅 地公共用地に接分 宅 地 造 成 町 9,805nttX l,100円 こ10,785,500円 10,785 [0,785 公 共 用 地 取 得 町 道 路 用 地 2,754111B 集 会 所 用 地440∬ 遊 園地 用地950111t 共 同作 業場 用地 3601f 13.857 1 724 8 685 公 共 用 地 造 成 町 6,025だX l10円=6.627,500円 6 627 1,609 4,213 住 宅 建 築 町 ,500,000円X37人 =92.500000円 92 500 92,500 分 譲 代 金 分 譲 住 宅 町 住宅購入資金利子補給 6711f X 30,000円 =2,010.000円 2,010,000円X%=670,000円 670,000円X37人=24,790,000円 24,790 12.395 6,197 6,198 町 26,622 6.248 3.124 17.250 道 路 整 備 町 2,754nfX l,300円 =3,580.200円 3,580 2 092 側 溝 整 備 町 1,344m X3,000円 =4,032,000円 136m X5,000円 =680,000円 計 1,4801n 4,712,000円 4.712 3,578 排 水 施 設 整 備 町 集 水 池 400,000円 排 水 溝 3.600,000円 4 000 1,000 1.000 集 会 施 設 町 木 造 長 尺 鉄 板葺 三 階建 150証 と,125 1,875 児 童 遊 園 地 町 遊 具 一 式 簡 易 水 道 町 送 水 管 理 設5,460,000円 ろ過 池 8,000,000円 配 水 池 1.200,000円 配 水 管 500,000円 消火栓 40,000円 8,000 8,000 関 連 事 業 有 線 放 送 町 テレフォン式 37箇 街 灯 町 V=100 8灯 小 計 [97.733 23 700 11 850 69,683 92,500 生 活 条 件 等 整 備 事 業 経 営 近 代 化 事 業 5 300 2,650 14.850 農 機 具 格 納 庫 町 10,000 2 000 l.000 7,000 共 同 作 業 場 町 5 000 1,500 2,750 薬 た ば こ乾 燥場 町 8 2 400 1,000 90000 期 ビニー′1/7ヽウス 町 6 移 動 用 2コ 通勤yft用自動車 町 マ イ ク ロバ ス2台 トラ ック2台 3,200 3.200 索 道 町 1,600 800 土地基盤整備事業 6,347 と,904 1,587 2,856 林 道 整 備 町 6,347 1,904 1.587 2 856 関連事業 離 農 援 助 促 進 町 3 1戸 500,000円 X3戸=1,500,000円 1.500 375 小 計 30,647 7、954 4 18,081 そ の 他 町 道 整 備 県 57.000 38 000 19,000 関連事業47∼49年度 町 79,000 14 000 65,500 〃 46-49 〃 /」ヽ 計 136 000 52 000 19,000 65,500 計 364,380 83.654 35.462 152 764 92,500106 國 この移転後の所得計画の内
,後
者 は極 めて不十分 な当座 のプランであった といえる。そして とも か く,昭
和47年11月 22日に集落再編モデル事業竣正式が行われ,集
落移転が遂行 された。 その事業 種 目別総括表 を前頁 に参考 までにあげてお く。2.用
瀬町の場合 杉森・板井原両部落の場合,集
落移転が話題 になったの は昭和40年代 に入 ってか らである。両部 落 は先述 ごとく,町
の中心集落 と隔絶 された谷間の部落であ り,
とくに冬の積雪は最高2m近
く, そのために小中学生 は冬期寄宿舎生活 を余儀 な くされていた。 そのために,最
初 は10数戸が冬期の 下宿生活 を考 えれ ば,む
しろ移転すべ きではないか と話 し合 い,旭
ヶ丘の地 に場所 を選定 し,土
地 買収 などの具体 的な ことを地元農協の指導などによ り始 めた という。 しか し,当
初 は居残 り希望 も かな りあ り,決
定 までには至 らなかった。 これに対 して,用
瀬町の行政サイ ドでは,八
東町の集落移転が決定 した ことによ りその気運が高 まった昭和45年頃 よ り移転計画 を進 め,そ
の後,経
済企画庁ベースの「集落 再編モデル事業」 に採 択 され る見込 とな り,以
来約1年
間,
この事業によって計画 を進行 させたのである。 ところが,前
述の如 く,鳥
取県ではすでに八東町が「再編 モデル事業」 に決定 してお り,同
一県 内の,
しか も同一郡 内に 2ヶ 所 のモデル事業の実施 は,モ
デル事業 としての性格 に適切でない等の 理由によ り不採択 となって しまった。 その後,町
は両部落の意 向を受 けて国,県
に陳情 した結果, 昭和47年度 に第二期 山村振興事業(401に適用 させて救済 され ることに決定 した。 そ こで,そ
の集落移転計画の概要 と基本構想を概括 してみる。 ①参加者 と移住時期。集落移転 に参加す るのは杉森部落18世帯90人,板
井原部落22世帯100人。計 画期間 を48年∼49年とし,昭
和50年4月 に移住する。 ②新住地。国道53号線 に近 く,因
美線 「鷹狩駅」 に近い鷹狩地区に用地 を取得 し,昭
和49年度 に 住宅 を建設。③農林業計画
,就
業安定については5年 間は現地への通勤耕作 としている。そして移転地での就
業が安定すれば
,道
路に接 した一部耕作地を除いて
,植
林に切 り替える計画である。
また就業の安定床 としては,町
の誘致 した工場へ優先的 に就業 させ ることとし,特
に集落移転 を 配慮 して「 日本パーツKK」
(電気部品製造)をはじめ とす る4企
業 を誘致 し,両
部落の就業 あつせ んを行 うとしている。 要す るに,用
瀬町の場合 には,山
村共同体の住民が冬期間の交通の途絶 (通勤 。通学の為下宿) によって集落の単位である家族生活の解体への危機感が高 まり,そ
れが集落移転への内発的要求 と な り行政サイ ドヘの働 きかけとなった と考 えられる。それ に対 して,そ
の移住計画の中心 とも考 え られる就業安定策 にみ られ るものは,辺
地性 による生活環境 のマイナス面への改善要求 に対 して, 就業構造 の変換 とい う交換条件 をつけて対処することを決定 した ということであろう。 ここに見れ るものは,経
済合理的な国上開発,効
率的な産業開発 を最優先 させ るという「効率の論理」であ り, 臣こうした「効率の論理」 にもとづ く集落移転 によって
,解
体 しつつある山村共同体 を真 に「合理的 近代的な農村 コ ミュニティ」に再編成出来 るのであろうか。こうした点 を,移
転後の生活変化 を見 る ことによ り検討 し,集
落移転方式の もつ有効性 および問題点 を明 らかにしてみたい。 Ⅳ 集落移転 による山村の変容 昭和47年11月末 には,横
地・ 妻鹿野部落が八東町富枝地区に,昭
和50年 4月 には,杉
森・ 板井原 部落が用瀬町鷹狩地区に,夫
々集団移転 し新 しい生活が始 まっていった。 そうした新 しい生活の展 開 とともに どのような変化が生 じたであろうか。 また,集
団移転 その ものの もつ意味 によって生 じ る問題点 とを,こ
の変化 を明 らか にす ることによ り検討 してみたい。 (1)就業構造の変化 集落移転 によって生 じた第一の変化 として,就
業構造の変化が指摘出来 るであろう。 その基本的 な傾 向 としては,①
農家戸数の減少,②
第H種
兼業農家の増加,③
主婦の賃金労働者化の三点が挙 げられる。 先づ表17から明 白なように,農
家戸数が,杉
森・板井原両部落 (鷹狩)の
場合 には28%の
減少, 横地・妻鹿野両部落 (富枝)の場合 には32%の
減少 を示 している。そ して,こ の ことと関連 して第 Ⅱ 種兼業農家の増大がある。特 にこのことは富枝地 区の場合顕著であ り,農業就業人 口率が53.5%か
ら20.6%へ
と約2分
の1以下 に減少 している。 しか し重要なことは,
こうした変化がかな らず しも集 落移転後の職業転換の可能性 と結 びつかない とい う点である。 この ことは表15・ 16における「世帯 主が過去1年
主 として従事 した仕事」の変化 をみれ ば明 白になる。 この表か ら分 るようにほ とん ど 変化がない。すなわち,農
林業か ら雇われ林業中心 にき りかえただけであ り,そ
の意味では農業 を 切 りすてた というだけにす ぎない。集落移転 の計画にうたわれていた第二次・ 第二次産業への就労 転換の推進 はほとん ど行われていない といえよう。 そして転職先 を見 つけることの出来た ものは少 数の若年層だけであ り,他
の少数転職者たちも安定 した職 を得 るとい うわけにはいかなかった。 こ うした点 について調査時 に次のような言葉 を聞か された。 「学生や若 い人 は近 くに学校や働 く所があるが,農
業 をしていた人や年 をとって車の運転が出来 ない人 は,通
い農業 も出来ない し,結
局 田・ 畑 をすてなければならない。 しか も適当な仕事 はない し,45才
以上 になって もや とって くれる所 がほしいね。」 特 に八東町の場合 には,町
自体 に常用雇用の機会が極 めて少 く,
しか もた とえあって も職種 は零 細不安定企業の単純労働 などに限 られている。 そして先述 したように,耕
地 の立地状況 は極 めて悪 く,わ
ざわ ざ通い耕作 をす るほどの ものでない となれば,雇
われ林業 を中心 とした第H種
兼業農家 になる以外 にはない といえよう。108國
歳 員 臣*1
農業経営指向:A.顕
在的離農B.潜
在的離農C
潜在的専農D.顕
在的専農E.顕
在 的専林F
非農*2.意識調査 常)集落移転 について
a.最
初 か ら賛成 h乗り気でなかった c.どちらで もよかったlI」)集落移転時の問題点 a.費用 h土地への愛着 c.耕作地d.転業の可能性 e,その他
表16 横地・妻鹿野部落における集落移転後の変化 と意識調査 世 帯 番 号
彗ご莞ご
豊去
1年主と
し
て
従
世帯主の妻が過去1年主 とし て従事 した仕事 経 営 耕 地 面 積 山林経営面積 移 転 前 現 在 移 転 前 現 在 移 転 時 現 在 移 転 時 現 在 口 。畑 樹園地 田・ 畑 樹園地 横 地 部 落 ① 大 工 大 工 一 宮 電 気 一 宮 電 気 35 貶 4 ② 製 材 無 日 一屋 ― 宮 電 気 1 0 0 ③ 農 業 農 業 農 業 農 業 155 10 130 10 ④ 農 林 業 習字教室教師 農 業 サ ー ビ ス 業 320 170 ⑤ 農 業 建 設 業 農 林 業 ノヾ ― ト 0 ⑥ 製 材 製 材 農 業 一 宮 電 気 0 0 ⑦ 農 業 林 業 森 林 組 合 森 林 組 合 140 0 0 5 5 ⑥ 土 建 。日雇 森 林 組 合 102 0 0 0 1 ⑨ 山 林 ・ 労 務 山 林 労 務 農 業 パ ー ト 0 0 01 ⑩ 山 林 ・ 労 務 大 工 一 宮 電 気 0 0 0 0.7 ① 農 業 農 業 ・ 土 建 農 業 土 建 業 150 0 150 0 ⑫ 山 林 労 務 営 林 署 農 林 業 商 店 勤 務 120 5 0 3 4 ④ 農 業 大 工 農 業 サ ー ビ ス 業 0 ⑭ 農 林 業 農 林 業 農 林 業 120 3 妻 鹿 野 立 H 落 ① 製 材 製 材 一 宮 電 気 ― 宮 電 気 0 ② 山 林 労 務 山 林 労 務 生 協 病 院 生 協 病 院 0 0 5 5 ③ 4L 無 0 0 0 ④ 農 林 業 運 転 手 農 林 業 縫 製 工 場 0 ⑤ 製 材 製 材 農 林 業 一 宮 電 気 ⑥ 大 工 大 工 農 林 業 洋 裁 0 ⑦ 営 林 署 営 林 署 営 林 署 一 宮 電 気 1.5 ⑥ 公 務 員 公 務 員 農 林 業 看 護 婦 0 ◎ 製 材 製 材 製 材 製 材 ヽ0 0 ⑩ 製 材 製 材 製 材 製 材 0 0 0 0 0 ① 山 林 労 務 山 林 労 務 農 林 業 一 宮 電 気 0 0 07 ⑫ 農 林 業 農 林 業 農 林 業 縫 製 工 0 0 5 5 ④ 製 材 製 材 農 林 業 縫 製 エ 0 0 ⑭ 山 林 労 務 トラック運転手 農 林 業 商 店 従 業 員 0 5 0 3 3 ⑮ 農 林 業 大 工 農 林 業 農 林 業 0 2 0 9 9 ⑩ 公 務 員 公 務 員 農 林 業 事 務 員 ⑦ 林 業 林 業 0 4 ⑩ 農 林 業 工 員 0 0 7 7 ⑩ 製 材 製 材 農 林 業 縫 製 エ 0 ④ 林 業 林 業 5 3 4 ⑪ 農 業 農 業 14 0 ② 林 業 林 業 農 林 業 農 林 業 0 ④ 大 工 大 工 0 2後 継 者 ネ1 農 業 経 営 志 向 集 落 移 転 に つ い て の 意 識 調 査*2 他 出 通 勤 未就業 lr) 集 落 移転 へ の態度 lp) 集落 移転 時 の問題 点 就 へ 度 の 態 足 在 状 満 い 現 業 の 日 新 集落 感 W移転後 の 部落 の ま とま り lal 永住 意 識 場 所 予 定 場 所 職 業 予 定 税秀 塑の 勤め人 A 大 阪 帰らなし F C 米 子 帰 る E 八 東 町 公務員 継 続 E b 八東町 機械工 継 続 A b ナ シ A b b 鳥取市 食品会社 継 続 B e b 鳥取市 製造業 継 続 A b 鳥取市 三洋電気 継 続 A b d 勤 め人 B a b b 帰らな│ B C C 鳥取市 国 鉄 継 統 B b d b C 鳥取市 調理師 継 続 B a b ナ シ C d 八東町 鉱 業 継 続 B b a 鳥取市 警備員 継 続 B b b 鳥取市 工 員 継 続 A 未 定 B b 鳥取市 運転手 継 続 A b a た 仕 事 B a C 未 定 B b 未 定 A b 鳥取市 未 定 不 明 b b 帰 村 F d 勤 め人 B 鳥取市 ノレスエ 農 業 不 明 a b 八東町 大 エ 継 続 B a b b 勤め人 B b a b 未 定 A b b 勤 め人 B 鳥取市 運輸業 継 続 B b b 未 定 E b C b 未 定 B b 鳥取市 保険会社 継 続 A d 鳥取市 帰らなし B a 未 定 A 勤 め人 B b d │'現在の就業状態への満足度 a.満足 bある程度満足 c.あまり満足でないd.不満足 e,分か らない
9新
集落 についてa.移
ってよかった hまあまあ c.悪かったd.どちらで もない ω 移転後の まとまりa.薄
れたh強
化 した c.変化せず110図
歳 員 臣 *1.農業経営指向:A.顕
在的離農B.潜
在的離農C.潜
在的専農D.顕
在的専農E.顕
在的専林F.非
農 *2.意識調査 竹)集落移転 についてa最
初か ら賛成 h乗り気でなかった c.どち らで もよかった lH)集落移転時の問題点a費
用 h土地への愛着 C.耕作地 d転業の可能性 e。その他 表16 杉森・板井原部落 における集落移転後 の変化 と意識調査 世 帯 番 号 世帯主が過去1年主 として従 事 した仕事 世帯主の妻が過去 1年主 とし て従事 した仕事 経 営 耕 地 面 積 山林経営面積 移 転 前 現 在 移 転 前 現 在 移 転 時 現 在 移転 時 現 在 日・ 畑 樹園地 田 。畑 樹園地 杉 森 部 落 ① 農 林 業 洋 服 屋 縫 製 5 ② 農 林 業 農 林 業 農 林 業 パ ー ト 135 0 0 ③ 林 業 林 業 林 業 林 業 0 0 ④ 林 業 林 業 農 林 業 製 材 ⑤ 農 林 業 農 林 業 0 ⑥ 製 材 業 製 材 所 山 林 労 務 日 本 パ ー ツ 5 0 0 ⑦ 農 林 業 農 林 業 山 林 労 務 日 本 パ ー ツ 103 0 ⑥ 農 林 業 農 林 業 裁 山 林 労 務 33.5 ⑨ 間 業 商 業 0 ⑩ 農 林 業 農 林 業 農 林 業 農 林 業 ① 製 材 所 製 材 所 日 本 パ ー ツ 0 0 0 0 0 ⑫ 農 林 業 農 林 業 山 林 労 務 山 林 労 務 0 0 0 ⑩ 農 林 業 フェライト(製造業) 107 107 0 ⑭ 農 林 業 農 林 業 農 林 業 0 ⑮ 林 業 林 業 農 林 業 農 林 業 6 6 板 井 原 部 落 ① 農 林 業 大 工 農 林 業 製 材 所 0 6 ② 農 林 業 縫 製 縫 製 縫 製 0 0 0 ③ 農 林 業 製 造 業 農 林 業 縫 製 55 0 3 3 ④ 農 林 業 製 造 業 農 林 業 日 本 パ ー ツ 0 ⑤ 山 林 労 務 山 林 労 務 発 電 所 発 電 所 0 0 2 2 ⑥ 山 林 労 務 山 林 労 務 農 林 業 パ ー ト 0 0 ⑦ 林 業 林 業 日本 パ ー ツ 0 0 0 ⑥ オ ロ シ 売 業 オ ロ シ 売 業 日本 パ ー ツ ⑨ 農 林 業 農 林 業 農 業 0 0 ⑩ 現 場 監 督 現 場 監 督 農 林 業 日本 パ ー ツ 100 0 117 ① 出 稼 ぎ 山 林 労 務 農 林 業 日本 パ ー ツ 0 0 ⑫ 上 方 ・ 林 業 上 方 ・ 林 業 農 林 業 農 林 業 0 ④ 林 業 林 業 林 業 日本 パ ー ツ 5 0 0 1.5 ⑭ 農 林 業 電 気 工 農 林 業 日本 パ ー ツ 0 ユ 1 ⑮ 町 会 議 員 町 会 議 員 農 林 業 縫 製 137 0 137 ⑮ 出 稼 ぎ 農 林 業 農 林 業 0 3 0.3 0.3 ⑦ 農 林 業 農 林 業 製 紙 製 紙 0 ⑩ 農 林 業 農 林 業 農 林 業 工 作 所 0 ⑩ セ ー ル ス セ ー ル ス 縫 製 縫 製 0 0 0 0 0後 継 者 農 業 経 営 志 向 集 落 移 転 に つ い て の 意 識 調 査*2 他 出 通 勤 未就業 lr) 集落移転 への態度 lu) 集落移転 時の問題 点 ?, 現在の就 業状態へ の 満足度 働 新集落感 lFNl 移転後の 部落の ま とまり lal 永住意識 場 所 予 定 場 所 職 業 予 定 の 望 親 希 未 定 B b b 未 定 E b 用 瀬 農 協 帰 る B b C C C d 継 続 B b b 勤 め人 B 鳥取市 日産サニ 継 続 F d b b 鳥取市 妻取トヨタ 継 続 B b a 未 定 E b b 未 定 B b b 用瀬町 縫 製 継 続 分らない b b b 勤 め人 A b a b 鳥取市 運送業 帰 る 分らない b b a b 未 定 B b C 鳥取市 エフワン 継 続 B b 勤 め人 C 智 頭 測 量 継 続 B b 勤め人 B b b b b 勤め人 B b 用 瀬 組立エ 継 続 B b ナ シ B C 勤 め人 B b 鳥取市 三 洋 継 続 A 勤 め人 B b b 勤め人 B 勤め人 B 未 定 A a 既に自家農業に就業 B b 用 瀬 自営業 A 未 定 B b 勤 め人 B a 大 エ 継 続 A b b 用 瀬 公務員 帰 る B e b 勤 め人 B a 姫 路 未 定 F │'現在の就業状態への満足度 a.満足 b,ある程度満足 c,あまり満足でないd.不満足 e.分らない ll新集落について
a.移
ってよかったb.まあまあc.悪かったd.どちらでもよい ω 移転後のまとまりa.薄
れたh強
化 した c.変化せず112 國 歳 第17 集落移転後 の両団地の生産力構成
I.
農 家 数H.耕
地 条 件 III. 機械 所有 台数 1戸当り) Ⅳ 労 働 力 V農産物販売額 Ⅵ 非 農 家 総農家 戸 数 専 業 農家率 種 業 率 家 I 兼 農 1戸 当 り 耕 地 面 積 水四率 樹 園 地 率り
数
当
鶉
一
月
靴
1
農
農 業 就 業 人 口率 20万 円 以 上 シ び 円 満 万 ナ 及 5 未 総 数 主 数 業 者 農 体 一 九 七 〇 杉 。板 横・妻 一戸 36 38 % 0 % 36.1 7.9 76.1 65.0 % 48.5 54.8 1.25 1.89 人 1.3 1.9 0 7 1.8 % 35.6 53.5 歿 50,0 29.0 % 27.8 395 一 戸 一 九 七 九 鷹 狩 富 枝 26 26 0 77 23.1 7.7 638 33.5 71.9 79.3 11.7 0 3.00 1.27 2.5 1,0 0,7 0 5 68.2 20.6 26.9 15.4 61.5 69。2 8 8 (農業センサスおよび聴取り調査により作製) 同様 な ことは,用
瀬町の鷹狩地区にもいえよう。ただ鷹狩地区の場合 には,あ
る程度安定 した林 業基盤があることと,耕
地への通 い農業が「5年
間」 という期限つきとはいえ,一
つの移転 の条件 として課せ られていた ことによ り,農
業就労人 口率 は増加 している。 しか し,農
業主体者数 は決 し て増加 してお らず,む
しろ第I種兼業農家率 は減少 してお り,そ
の意味では,や
は りここで も農業 の切 り捨てはさけえられないこととみてよい。 それに対 して表16・ 17において目立 つのは,主
婦の就業構造の変化である。 そして,
この ことが 農業就業人 口の減少 につながっているのである。すなわち移転前 までは,狭
い耕地の経営主体 とも いえた主婦が,移
転 によ りよ り簡単 に現金収入の獲得出来 る場 を見出 した ことによ り農業労働 を放 棄 した ということである。同時に,企
業 は主婦のパー トを中心 とした安価 な労働力 を中心 に,
この 低成長時代 に対処せん とした といえるであろう。 (動農民層の分化集落移転による第二の変化は
,両
部落における階層の分化であろう。前述のごとく
,農
家数は減
少したが
,そ
れはかならずしも農業から第二次・第二次産業への転換を意味してはいない。すわな
ち
,農
家であることをやめただけであり
,む
しろ山林労務を中心とした雇われ林業への転換があっ
た といえる。 そしてその ことによ り,今
迄 とはちがった山林の もつ意味が出て きた といえる。 そ し て結果 として,山
淋 所有の大なるもの と小 なるものの差が大 き くなった といえる。 その点 をよ り具 体的に見てみたい。 先づ表17から明 白なように,耕
地条件の低下である。すなわち,農
家戸数が減少 しているに もか かわ らず,一
戸 当 りの耕地面積 は増大す るどころか減少 している。 この ことは何 を意味す るのであ ろうか。それは,不
作付地が移転後増加 した ことと,植
林化 を意味 しているといえよう。すなわち, この点か らいえば,集
落移転 は農民が山地 に長年 き り開いて きた耕地 をまた もとの山地 に もどす こ とによ り,農
業生産力 を減少 させた こと以外の何 もので もない といえよう。 この ことは表15。 16の 経営耕地面積の変化 を見 るとより明 らか になる。先づ横地部落の場合
,移
転前に1町歩以上の経営耕地所有者として
,③
,④,⑦,①,⑫
,⑭
の
臣6戸
があげられるが,移
転後には③,④,①
の3戸
しか1町
歩以上の耕地経営を行っていない。す なわち,他
はH種
兼業農家 または林業中心へ と転換 していったのである。そしてこの③ と④は株内 であ り,①
はやは り有力な株内の本家である。 次に妻鹿野部落の場合には,も
ともと山の斜面地に開けた耕地のためにほとんど農業経営を放棄 し,山
林労務 を中心 として製材会社 また森林組合勤務へ と移行 していっている。 また杉森部落の場合には, 1町
歩以上の耕地所有者 としては,② ,⑦
があげられるが,や
はり移 転後には,そ
の農業経営を縮少 し,む
しろ山林地主 として林業経営中心へ と転換 していっている。 さらに板井原部落の場合には, 1町
歩以上の経営地所有者 としては,⑩
,⑮
があげられるが,こ
の二戸 は,町会議員をしている有力家であ り,移転後 も縮少す ることな く農業経営 を行っている。 次にこうした点を所有耕地面積 と保有山林面積の変化により検討 してみたい。 この二つの図は,所
有耕地面積 と保有山林面積の相関関係 を,集
落移転前後 とで比較するために 作製 したものである。 図6
集落移転前の所有耕地及 び保有 山林面積 琳 地・ 妻鹿野―〆 亀
012 ●7o12
018
弼
o7
所 有 耕 地 面 積 1 05
●13雹
寸
05
3017
●9 2 3 2 3 4 保 有山林面積 (ha) ● 横地集落O妻
鹿野集落114 國 図
7
集落転転後の所有耕地及 び保有 山林面積 琳 地・ 妻鹿野一 巨 ● 8 所 有 耕 地 面 積 1 0 0 7 0 11 ︵. O υ 5 ・・22.1
171500
3 4 保有山林面積 (ha) ● 横地部落 ○ 妻鹿野部落 ・ 2 0 σ 702o1808
この二図を比較すれ ば明 白なように,横
地・妻鹿野両部落 においては,所
有耕地面積 は数戸 を除 けば全て減少 してお り,そ
れ に対 して保有山林面積 は全般 にやや増加 してお り,耕
地の植林化が推 察出来 る。 そしてさらに重要なことは,こ
こに階層分化が明 白になって きていることである。すな わち,経
営耕地1町
歩以上の専業農家 と山林面積20町歩以上の山林地主 とい う上層 と, 5反
以下の 小規模 な所有耕地 を徐 々に山林化 させなが ら雇われ林業中心の第H種
兼業農家中心の下層 とに分化 し,そ
の ことがまた離農 を促進 させ るという側面である。 同様 な ことは杉森,板
井原両部落の場合 にもいえる。 この両部落の所有耕地 は稲作経営 にはあ ま り適せず,米
の収獲 に関 していえば,lo aぁ
た りの収獲 は約300kgで,こ
れは平野部の4501cgに比べ ればはるかに低 い数字である。 このために,こ
こではもともと林業中心であったが,林
業による収 獲は恒常的な ものでないために,自
営兼業 と雇用兼業の間 をエネルギー革命の進行 にそって行 った り来た りした という。 そのために移転前 には,こ
の両部落 においては,冬
期間の出かせ ぎは50%近
くあった とい う。 しか し移転後 は,自
営林農が増加 し,他
方,山
林所有の少い ものは林業労働者ヘ と転換 していったのである。 その結果 として,こ
こにおいては,上
層 は所有耕地 も保有山林面積 も 相関 して大の ものであ り,次
いで20町歩以上の保有山林面積所有者が存在 し,そ
の他が下層 を形成 してい るといえよう。(図8。9参
照)図