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経済理論とマクロ経済学の基礎を学ぶ

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(1)

I

 我が国の現役の安倍首相による「アベノミック ス」は非常に有名になり、その一環として大きな役 割を果したところの、黒田日本銀行新総裁による 昨年春の(異次元的)金融緩和政策もまだ記憶に 新しい。周知のように、これらの経済政策によって、 円高も収まり反対に円安に為替レートが振れるこ とで、日本経済も久しぶりに活気付いた。結果的に、 日本の平均株価指数が浮上したり、その有効求 人倍率が改善されるなどして、日本の経済成長も ある程度達成された。今後の経済成長に向けて、 尚も、その経済政策が期待されているが、今春

4

月 からの

8

%への消費税アップの悪影響も懸念され ている。一方、過去に牛肉やオレンジの日米貿易 交渉や対米輸出自主規制等の経験が思い出され、 アメリカ中心に現在進行形で長引いている環太 平洋パートナーシップ(

TPP

)協定の交渉の行方 が広範囲の多くの人々から不安視されている。ま た他にも、南氷洋での調査捕鯨停止と、平泉や富 士山の世界遺産登録や和食の世界文化遺産登録 等いろいろな経済的な影響や問題が幾つもある。 しかし、原発廃棄処理と東日本震災被災地の復 興はなかなか進んでいない。  一般に、一国規模で捉えられる経済は通常「マ クロ経済」と呼ばれ、これを取り扱うのが「マクロ 経済学」であり、これに関連する政策は「マクロ経 済政策」と言われ、これは上述の前半のようなもの であり、現実の経済では政治経済的側面も十分備 えている。これらに対して、経済内の個々の小さな 活動単位から捉えられる経済が「ミクロ経済」で あり、これを取り扱うのが「ミクロ経済学」である。 また、これに関連する政策が「ミクロ経済政策」で あるが、この用語法はマクロの用語ほど一般に使 用されていない。というのは、対象全体に及び関

経済理論

とマクロ

経済学

基礎

鈴木康夫 Yasuo Suzuki 滋賀大学経済学部 / 教授

(2)

係付けられた政策群が、ミクロ経済政策と言うと きに一組でも具体的に存在しないからである。む しろ、上述の後半のように課題ごとに従う問題解 決型の各論的な政策が個々の分野ごとに重視さ れていて、行政のまたは公的な各部局署課との関 連が深い。しかも、公私の部門間で協力関係だけ でなく癒着や不正もしばしば認められる。経済学 にとって合理性という概念は共通のキーワードで あるが、概念的な用語法とは別にその実際的な形 はさまざまである。  マクロ経済にせよミクロ経済にしても、経済現 象の考察や分析では、期間や時間の概念は重要 であり、経済状況の現象理解のために、(マーシャ ルの)「短期」という基本的な概念が前提として用 いられる。この概念は、人々の選好や習慣と制度 ないし商慣習などだけでなく、生産の場での生産 技術や資材、機械、設備などの量が所定の経済活 動期間以内では不変に保たれる場合やこうした 状況、すなわち、資本ストック水準が当面一定と なっている経済状況を意味 する( 鈴木[

2003,

p.8

])。一方、そうではなく、それらの資本ストック 等が変動する経済状況は「長期」と言われる。一 般に、基本的な経済問題の考察や分析はその短 期の想定の下で行われる傾向があり、多くの実際 的な経済政策や応用的な試算と推計ないし予測 の諸問題が、短期的考察や、条件を変えた均衡の 比較から影響を明らかにする「比較静学分析」に よって検討されている。  本稿では、財界や政府だけでなく一般の人々に も関心が強いマクロ経済と上述のように最近実施 されたマクロ経済政策に注目する。日銀の金融政 策も含めてアベノミックスの主たる力は、規模の大 きい「裁量的なマクロ経済政策」にある。この種の マクロ政策は、しばしば実用されているものであり、 一般には、「ケインズ経済政策」とか「ケインジア ン・マクロ経済政策」あるいは、短く「ケインズ政 策」とか「ケインジアン政策」と言われている(「ケ インジアン」はケインズ派(または的)の意味で用 いられている)。かつては、これらがマクロ経済政 策の代名詞であったが、現在では裁量型ではなく ルール型のマクロ経済政策が主流である。それで も、先の金融危機の際だけでなく、不況や停滞期 では旧式の裁量的マクロ経済政策すなわちケイン ズ及びケインジアン政策が実施されている。そこで、 現在でも広く重用されているこうしたマクロ経済 政策の原点をもう一度再確認しておくことは有意 義である。それゆえ、そのケインズ及びケインジア ン政策の原点であるケインズ及びケインジアンの 基礎的なマクロ経済理論をここで再び吟味し直 し、その重要性を再確認する。  このため、本稿ではケインズ及びケインジアン の基本的な理論体系に関心を集中し、新古典派 経済学批判とケインズ理論体系の関係とこれらの 比較に関心の重点を置いて考察がなされ、マクロ 経済学的脈絡に沿って論考がなされる。本稿の 主たる論説は、新古典派経済学とその本質、ケイ ンズによる新古典派経済学批判、これら理論体 系の比較とケインズ理論体系の形成と特徴、ケイ ンズ政策の重要性等について展開されている。以 下の内容は、鈴木[

2003

]の部分的記述(特に第

1

章前半等)にある程度加筆修正した多くの文章群 で大部分が構成されていて、特に第Ⅲ節と第Ⅳ節 はかなりそうであるが、他の節は新規の文章であ る。また、本稿の文章や表現は初学者に配慮して 書かれていて、例えば基本的な専門用語の意味や 基本的な専門知識を確認しながら記述されてい る部分も多い。しかしながら、本稿の文体や作法 は論文調であり、その中程の主要な諸節はもちろ んのことだが、本稿全体として見ても論文と言える。 また、以下では、

1936

年出版の

J.M.

ケインズ著『雇

(3)

権階級ではなく、諸産業を実際に動かせる実業家 や資本家に移って行った。  近代化は、国民経済において大きな比重を農 業が持ちつつも、技術革新と技術進歩によって工 業化が着実に広がりかつ早く進むことで、経済の 重点が農業から工業へ徐々に移って行く過程で あった。同時にこのことは、国民国家間の軍事的 競争や植民地紛争のために基本的に重要な「富 国強兵」という周知の政策理念とよく適合し、近 代的技術を用いる軍備の整備すなわち軍備の近 代化のためにも大変重要であった。つまり、近代の 軍備は国民経済の規模と鉱工業の諸産業によっ て支えられているわけで、それらは深い関係に ある。  こうした近代化の中で形成されたのが「古典派 経済学」であり、この代表的な存在に、アダム・ス ミスやリカード(

Ricardo





])、マルサス 等がある。スミスは、『国富論』または『諸国民の 富』といった略称で有名な記念碑的書物(

Smith





])において、封建制の自給自足的経 済ではなく、市場経済では自由な競争を通じて「利 己心」が追求され、結果的に「公共の福祉」が達 成されると主張した(鈴木[

2003, p.4

])。すなわち、 自由な利己心によって伸縮的と想定される競争 (的)市場の「見えざる手」機能が諸国民の富(また は国富)の増進という経済的進歩をもたらすと説 明し、「夜警国家」という考えも提示して、市場経 済の予定調和的命題の可能性を提言した(鈴木 [

2003, p.4

])。この一部の命題は「見えざる手の 定理」または後に「厚生経済学の基本定理」と呼 ばれ、市場経済の均衡に注目して、競争市場下で の稀少性に基づく社会的に望ましい静学的な資 源配分の達成可能性についての数理的命題として よく知られている。

20

世紀の中頃には、その定理 に関する多数市場の研究が発展し、現代的な「一 用・利子および貨幣の一般理論』(

Keynes

:



])が度々参照されるが、その際、これを『一 般理論』(

General Theory

)と略称する。それから、 本 稿 ではケインズ解釈 の 深 み( 例えば

Kregel



]等)には触れない。(なお、本稿の用語法は ごく一部を除きほぼ標準的なものである:浅子・他 [

1993

]、吉川[

2000, 2001

])。

II

市場、国民経済、近代化、

古典派経済学

 産業革命は技術革新に伴い工業技術と生産組 織を大幅に改良した。これらによって、技術進歩 の波及つまり新技術の伝播と普及ないし向上の 持続的な傾向と、社会的な分業体制が確立し、社 会の生産力と市場圏を飛躍的に増大させた。こう した社会的な革新または大きな進歩によって、国 家と経済の近代化は一層促進された。その結果、 国内の経済が、近代化の過程で市場化が広く浸 透することにより、国内の経済が「国民経済」とし てまとまることができ、その全体でも「市場経済」と して機能するようになった。  このような近代化の進展は経済の重点を帝国 または王国の権力中枢から国民経済へと導くこと になる。すなわち、王室の利己的な財務が優先さ れて、宮廷の財政や経済政策を、近隣国が窮乏化 しても自国の貿易利益を獲得するようにうまく運 営し、その利益を第一に追及しようとする旧来の 重商主義経済から、実業家や資本家が手腕を揮 いかつ社会に根付いた諸「産業」を中心とする国 民経済が国家を支えるという近代的な「古典派」 的経済へ変容して行くこととなった。もちろん実業 家というよりはむしろ資産家としての大地主の力は まだ大きかったものの、経済の主役は、もはや、利 己的な政策をもてあそぶ王室や宮廷等の上流特

(4)

式化は代表的なものと言える(足立[

1994, p.23

] 及び鈴木[

2003, pp.8–9

]、なお以下はその

sec.1.2

を参照している)。 (Ⅲ

.1

Y

F

N

K

),

K, N

0,

K

:所与,

∂F / ∂

・>

0,

2

F / ∂

2

0,

(Ⅲ

.2

W / P

∂F

N

D

,

K

/

∂N

D

,

W, P

0

,

(Ⅲ

.3

∂U

C, N

S

/

∂C

W / P

=−

∂U

C, N

S

/

∂N

S

W

P

0,

∂U / ∂C

0,

2

U / ∂C

2

0,

∂U / ∂N

S

0

2

U / ∂N

S2 <

0,

(Ⅲ

.4

N

S

N

D

,

W, P

0

,

(Ⅲ

.5

Y

C

Y

T, r

)=(

I

r

)+

G,

G, T

0

:所与

,

∂C / ∂

Y

T

)>

0,

∂C / ∂r

0,

∂I / ∂r

0,

2

I / ∂r

2

0

,

(Ⅲ

.6

M

k

M

PY,

P, M, k

M

,

0

M, k

M:所与)

.

 ただし、(Ⅲ

.1

)は、短期の生産技術条件を反映 した社会的生産関数または集計的生産関数であ り(社会的)産出(量)、

Y

に、(社会的または総)雇用 (量)

N

と(社会的または総)(現存)資本ストック(量)

K

を関係付ける。この関数は、個別の各企業の同 型の生産関数を集計したものと想定されている(ま た、各生産要素の限界生産力

∂F / ∂

・の逓減法則 も成立するものと想定する)。しばしば、各企業の 個別の生産関数に

1

次同次性と同質性が仮定さ れ、これらの集計が比較的に容易に可能となる。こ うした産出(量)の概念は、(実質)国内総生産(: 般均衡」理論が確立され、さらに、拡張されて「抽 象経済」や「大きな経済」等の無限を伴う研究も 発展した。  古典派経済学の基本的な考え方は、概ね、後の 主流派経済学に受け継がれ、変容もあるけれども、 現代経済学の基礎的な考え方に採用されている。 その基本的な考え方は、古典派経済学の公準とし て、合理的で利己的な経済人、マルサスの人口論、 (消費節欲による)資本蓄積と労働生産性向上、 (農業の)収穫逓減の

4

つにまとめることができる (根岸[

1989, p.5

]及び鈴木[

2003, p.2

])。もちろ ん、これらの公準では自由な競争市場が想定され ている。

III

新古典派経済学

 新古典派(またはケインズ的な意味の古典派) 経済学の理論的な経済体系は、

19

世紀のクール ノー(

Cournot



])が注目した不完全競争の 想定を採用せず、経済の全ての市場において伸縮 的な価格機構の完全競争的な自動調節作用を前 提とする。以下では、社会的集計量の経済変数が 既に(計測かつ集計され、)得られているものと想 定されている。これらのマクロ経済(学)的諸変数 を用いて、短期の新古典派経済体系を構築すれ ば、新古典派経済学の短期マクロ経済体系は、 経済理論モデルとして一組の連立方程式体系で 表現でき、以下のように要約できる。  ただし、モディリアーニ(

Modigliani



])の ように、下の方程式(Ⅲ

.1

)から(Ⅲ

.6

)までは代表 的な定式化で構築されているが、その(Ⅲ

.6

)は利 子率

r

にも依存する一般的な関数形で表現されて いない(鈴木[

2003, p.4

])。しかしながら、結局は その単純な古典的「貨幣数量説」が妥当するもの と想定すれば、モデルの実体としては、以下の定

(5)

 また(Ⅲ

.4

)は、労働市場の形式的な需給均衡 条件式または(社会的)雇用決定式である。ここで も、消費者としての諸経済主体は

1

次同次な同じ (型の)選好特性を有し、相似性がある同じ効用 関数を持つなどの想定がなされている。ただし、 (Ⅲ

.3

)と(Ⅲ

.5

)の左辺(:総貯蓄関数)とはただち に整合するわけでなく、別に資本家階級の消費者 行動を考慮する必要があり、表現上では、総消費 が労働者階級の集計的(または社会的)消費と資 本家階級のそれとの和に等しいから、単純化して この後者を集計されたものとしてマクロの関数で 与えてもよい(鈴木[

2003, p.10

])。  上の(Ⅲ

.5

)式は、左辺の民間での貸付(可能) 資金量の新規供給分と、右辺の貸付(可能)資金 量の新規需要分との均等を要求している。この関 係式は、貯蓄と投資を短期で関係付ける貸付資 金需給(仮)説を表し、金融市場を貸付資金市場 と解釈した短期の貸付資金市場の均衡条件式で ある(通常の理論的定式化では、夜警国家的な小 さな政府を想定して税金や政府支出を無視して いる)。なお、(Ⅲ

.5

)右辺の貸付(可能)資金需要 の主要素つまり民間投資(需要)は、上の労働需 要が雇用量となる条件式(Ⅲ

.2

)よりも、もっと標準 的な競争的企業行動の利潤最大化条件で導出さ れる(鈴木[

2003, p.11

])。  つまり、資本ストックに関する費用の控除を追 加して、実質賃金費用(実質賃金率×労働需要量) と共に、実質資本費用(実物または実質利子率× 資本ストック需要量+資本減耗分)を産出量から 差し引いたもので(実質)利潤を定義し、競争市場 下でこの利潤を最大化する条件から(Ⅲ

.5

)が導出 できる。かくして、資本減耗がない単純な場合には、 資本の限界生産力=(実物または)実質利子率と いう利潤最大化条件が導かれる。資本ストック需 要量

K

D、名目利子率を主要素とする資本レンタル

GDP

)水準などの「(粗または)総生産」概念で定 義される(鈴木[

2003, p.9

])。  その(Ⅲ

.2

)式は、実質賃金率

W / P

と(労働需 要

N

Dまたは)雇用(量)の限界生産力(または限 界生産物)

∂F

N

D

,

K

/

∂N

Dの均等を表し、財(な いしサービスつまり用役)及び労働の(完全または 純粋)競争市場の下での各企業の個別(合理的) 行動としての利潤最大化条件式である。これは、 価格=限界費用というミクロ経済学的な競争的 条件のマクロ経済的な表現であり、名目賃金率

W

及び(一般)物価水準

P

を企業には所与として、つ まり実質賃金率

W / P

を所与の(外生)変数として 短期で導かれる(その利潤は、

PY

WN

rK

と定 式化するべきだが、短期では簡単に

PY

WN

とし てもよい)。同時に、(Ⅲ

.2

)は、雇用を決定する社 会的または集計的労働需要関数を意味し、周知 の、ケインズ(『一般理論』の第

2

章)の「古典派(経 済学)の第一公準」である。ここでは、諸企業は競 争市場の下で生産情報を完全に共有し、結局、(短 期で最良の)同じ生産技術を採用しているものと 考えている(鈴木[

2003, pp.9–10

])。  上の(Ⅲ

.3

)式では、左辺の実質賃金率

W / P

と 消費の限界効用の積(つまり限界的雇用を労働者

1

人分の労働量と解釈すればその

1

人当たりの賃 金の効用に等しくなる)が、右辺の(労働需要また は)雇用(量)の限界不効用(つまり限界雇用の不 効用)の大きさと均等することを示している。この 関係式は(例えば消費効用と労働不効用の差で定 義される効用関数を用いて)、競争市場下での各 消費者の(

2

階級型等の)古典的な個別(合理的) 行動の効用最大化条件式である。すなわちその関 係は、社会的または集計的労働供給関数を意味 し、ケインズ(『一般理論』の第

2

章)の「古典派(経 済学)の第二公準」である(鈴木[

2003, p.10

])。

(6)

要に応じて適当に単位を変更して換算できる(鈴 木[

2003, p.12

])。  このように、上の(Ⅲ

.1

)から(Ⅲ

.6

)の諸式は、一 組の連立方程式だから、これを解いて、新古典派 体系の経済均衡(状態)が得られる(鈴木[

2003,

p.12

])。その新古典派体系の均衡状態にとって決 定的な役割を果たすのは、労働市場に関する

3

つ の式であり、経済主体の(最適化または)合理的 行動式または主体的均衡条件式がその体系の均 衡に対して正に決定的な意義を持つ(鈴木[

2003,

p.4

])。つまり、(Ⅲ

.2

)と(Ⅲ

.3

)は企業や消費者の 主体的均衡条件であり、労働市場の均衡(Ⅲ

.4

) すなわち完全雇用水準を達成し、同時にこの完全 雇用水準は短期の(Ⅲ

.1

)で均衡産出量を決定す るため、さらに(Ⅲ

.5

)で完全雇用水準に応じて調 整される均衡投資量と均衡市場利子率(または自 然利子率)も決定され、さらに、これらの結果とし て(Ⅲ

.6

)で均衡物価水準が決定される(

k

Mが定 数でない場合も同様に考えることができる)(鈴木 [

2003, p.12

])。  すなわち、新古典派体系は一般均衡体系であり、 主体の合理的行動に基づき、伸縮的な市場で実 物的決定が成され、さらにそうした実物的決定に 適合するように市場の貨幣的決定が成されると解 釈できる。こうした新古典派経済学の(市場)経済 観は、(古典派のまたは)古典的「貨幣ヴェール観」 とか、あるいは「古典派の二分法」などと言われて いる。すなわち、新古典派体系の経済では、合理 的経済主体と伸縮的市場機構がワルラス的均衡 を達成するという

A.

スミスの「見えざる手の定理」 または「厚生経済学の基本定理」が成立し、この 意味で市場経済が望ましい経済状態をいわば自 動的に決定する。したがって、この理論に従えば、 公共財を除く経済のことは市場に任せよ、つまり、 市場での自由競争に委ねよという市場至上主義ま ・コスト(または資本の使用者費用)の名目値を

R

とすれば、短期の競争市場下では物価や物価変動 (期待)が企業に所与であると想定すれば、その条 件式は次のようになる(鈴木[

2003, p.11

])。 (Ⅲ

.7

R / P

∂F

N

D

,

K

D

/

∂K

D

,

R, P

0

.

 この式は、雇用量と

R

が与えられれば所望資本 ストック水準を決定でき、この長期的水準と現存 資本ストック水準との差に応じた新規資本ストッ クに対する需要量すなわち投資需要量を短期的 に決定できる。このことを一層単純化すれば、投 資需要と実質利子率との関係が得られる。した がって、この関係は貸付(可能)資金需要計画表ま たは投資関数を意味するものと解釈され、限界生 産力逓減法則から投資は実質利子率の減少関数 になると考えられる。もちろん、この場合の現存資 本ストックの供給量は短期想定で非弾力的に所 与の水準で与えられるが、投資の需給(つまり投資 と貯蓄)はこの(Ⅲ

.7

)に基づき(Ⅲ

.5

)で実質利子 率の調整を通じて均衡に導かれる(鈴木[

2003,

p.11

])。  上の最後の方程式(Ⅲ

.6

)は、(古典的)貨幣数 量説またはケンブリッヂ(貨幣または)現金残高 方程式であり、その右辺が民間の非銀行部門の 貨幣需要量であり、その左辺に中央銀行の管理 下にある貨幣供給量を採る。つまり(Ⅲ

.6

)は、貨 幣需(要・供)給量を均等させる貨幣市場の均衡 条件式となっている。その式の

k

Mはマーシャルの ケイと呼ばれる正の係数であり、短期では、場合に よって市場利子率に依存する関数で決まると想定 されたり、短期でも定式化が単純化されるときは、 ここでもそうだが、

k

Mはしばしば所与と想定されて いる。なお、ここで(実物または)実質利子率は、資 本ストック

1

単位当りで扱われているが、考察の必

(7)

系の完全雇用均衡状態(特にその均衡産出量)、 したがって自然利子率水準の決定において決定 的に重要 な役割を果 たしている( 鈴木[

2003,

p.13

])。新古典派体系における総供給のこうした 役割を強調することは「供給はそれみずからの需 要を創造する」という「セイの法則」を想定し(『一 般理論』

pp.25–26

:邦訳

pp.26–27

)、かつ採用 することに等しい。確かに、こうした理解は、労働 市場の価格調節ないし価格機構の市場調節の伸 縮性の想定と、(マーシャルの)短期の想定とが論 理的に無矛盾で、それゆえに共に並置可能な想定 であるということが前提されている(鈴木[

2003,

p.13

])。

IV

ケインジアン経済学

 産業革命以後の経済の近代化の中で、大量生 産と大量消費という近代的な経済の重要な現象 的特徴が現れた。近代化が進むとマクロ経済では、 好況と不況が繰り返すようになり、その結果、しば しばデフレーション(つまり継続的物価下落現象 のことで経済活動水準の低迷を伴う)や資本設備 の遊休、大量失業を伴う景気変動または景気循 環(最も単純には景気の山または峰と谷または底 の間で拡張と収縮の

2

局面)という重大かつ特徴 的な現象が発生するようになった(鈴木[

2003,

pp.1–2

])。近代の経済では、市場の拡大に伴う技 術的な生産能力が社会的に格段に増大したこと で、社会的供給または総供給の規模も飛躍的に 増大した。このため、潜在的な意味での総供給能 力過多あるいは社会的需要不足の意味の過少総 需要(つまりマクロ的総需給不均衡)または特に 超過供給の繰り返しにより、経済活動規模の増減 を繰り返すという景気変動の問題が生じ、とりわ け、デフレを伴う慢性的な失業や遊休設備、時に たは市場万能主義、あるいはしばしば「自由放任 主義」と呼ばれる新古典派の旧い考え方に反映さ れた経済政策理念に到達する。  それゆえ、新古典派体系の理論は、社会哲学的 というよりもむしろ宗教哲学的とでも言うべきかも しれないが、半ば思想的な「予定調和論」に通じ る新古典派経済政策理念にとって純粋な基礎理 論を提供している。(なお、「厚生経済学の基本定 理」とは、ワルラス均衡ならばパレート効率または 最適であるという厚生経済学の第一基本定理の ことであるが、通常、その第二基本定理は単純に その逆の含意では得られず、資源の初期賦存状 態に対する追加的な分配上の操作すなわち再分 配が必要になり、ワルラス均衡とパレート効率性 の関係は非常に近いけれども不完全であり、一つ の等価命題では得られない)(鈴木[

2003, pp.12–

13

])。  かくして、新古典派経済体系では、(Ⅲ

.1

)から (Ⅲ

.4

)までの諸式で、財市場では完全雇用水準 に生産物の(総供給曲線または)総供給関数上で 産出量が非弾力的に与えられ、一方、(Ⅲ

.5

)と (Ⅲ

.7

)で財市場の実物的総需要量と自然利子率 水準は決定されるが、確定した形としては、これら を代入した(Ⅲ

.6

)式で生産物への(総需要曲線ま たは)総需要関数が得られ、物価を産出量の減少 関数で導くようにできる(鈴木[

2003, p.13

])。さら に、これらの総需(要・総供)給曲線(または関数) の交点で、財市場の均衡が伸縮的価格機構の安 定なワルラス的市場調整で達成される(もちろん、 ワルラス的調整過程とは、超過需要で価格上昇を 生起させ、反対に、超過供給で価格下落を生起き させる市場調節の仕方のことである)(鈴木[

2003,

p.13

])。  明らかに、総供給の非弾力性あるいはこれをも たらす労働市場の価格伸縮性が、マクロ経済体

(8)

おうとしてもできるはずもなく、長期的理論が短期 的現象を説明できないのは当たり前と考えた。換 言すれば、ケインズによると、市場経済では、価格 調整が進む前に短期的な市場均衡が成立してし まうという傾向があり、価格調整を前提にする新 古典派の長期的理論によるその説明は論理的に 破綻し、新古典派の理論体系は基礎 から崩壊 する。  ケインズ理論の体系は、新古典派理論の批判 を通じて明瞭となるわけであるが、その理論の要 諦は「有効需要の原理」と呼ばれている考え方に ある。簡単に言えば、これは、実際には市場が需 要側を中心として機能するという考えであり、基本 的には(総)需要重視の経験的な経済学である。 ケインズの『一般理論』では、実際には、投資とい う将来や長期の経済状況を事前に見据る必要が ある難しい経済行動を適切に支えることに諸市場 ないし市場経済がしばしば失敗するために、総需 要が低水準になるという現象もしばしば起こり、し たがって生産物(または財)市場の均衡状態も低 水準に決まることから、これに連動して労働市場 でも就職の求めに対して企業の雇用が縮小される ので低雇用均衡に陥ることになると説明されて いる。  ケインズからすれば、新古典派とは正反対に、 市場は総供給を中心にして回っているのではなく、 総需要を中心にして回っているのであり、換言す れば、マクロ経済という市場経済は、労働市場で はなく生産物(または財)市場を中心に回っている のである。その『一般理論』は、まさに、現実の市 場や経済の現象観察に基づく経験的な見地と理 解から、市場原理における総需要の役割を重視す る一方で、市場万能主義と総供給重視の新古典 派経済学とその理論体系を批判したものである。 ケインズの目には、市場は実験室に安置された精 は大量失業をもたらす(大)不況の問題も生じたわ けである(鈴木[

2003, pp.1–2

])。  無視できない水準の失業と設備の遊休を伴う マクロ的な(総)需給不均衡というそうした近代的 現象に対して、リカードに由来し、

A.

マーシャル (

Marshall





]:邦訳、『経済学原理』) やエッヂワース及びピグー(

Pigou





]: 邦訳、『厚生経済学』)等に代表され、伝統的経済 学または正統派経済学などとも呼ばれた新古典 派経済学(上述のように伸縮的価格調節と限界効 用概念などの合理的関係付けとしての限界原理に 基づく経済理論)は、現象説明力すら無く、ほぼ 無力であった(鈴木[

2003, pp.1–2

])。その解決 のために、ケインズないしケインジアン( :ケイン ズ派またはケインズ的の意)のマクロ経済学が登 場した。この出発点となったのが、ジョン・メイナー ド・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理 論』(

Keynes

: 

])とその初期の関連文献 等であったが、それらのマクロ経済学は経済学の 世界で急速に広まった(カレツキーの貢献

Kalecki

:, chap. ,,

]も重要である:鈴木[

2003,

pp.1–2

])。  その『一般理論』の特に第二章で、ケインズは、 新古典派経済学の理論体系を、静学的に定式化 していて、むしろ完全雇用均衡への十分に伸縮的 な価格調整の可能性を強調する長期的な性格の 経済理論と理解した。他方、現実の経済では資本 ストックの調整と価格ないし物価の調整にはある 程度の時間がかかり、むしろなかなか進まないの で、短期的な経済理論の方が、実際の経済現象 の説明や分析には遥かに適合すると彼は考えてい た。つまり、ケインズは、価格があまり調整しない 実際的な場合を理論的に想定し、新古典派経済 学の理論体系は「短期的な」実際の経済現象の 説明に適せず、もともと想定外のことを無理に扱

(9)

P, M

0

M

:所与)

∂L / ∂Y

0

∂L / ∂r

0,

2

L / ∂r

2

0

(∂2

L / ∂Y

2

0,

r

r

0

const

ant

.

0

 この(Ⅳ

.1

)は、(Ⅲ

.6

)を棄てるとして、(Ⅲ

.1

)から (Ⅲ

.4

)または少なくとも(Ⅲ

.2

)から(Ⅲ

.4

)を無視 した場合に、ケインズ的な想定の(Ⅲ

.5

)と共に用 いられるとき、この一組のしかし

2

本だけの連立方 程式は、短期のケインズ理論体系から部分的に抜 き出したものにすぎないが、「

IS–LM

モデル」また は「

IS–LM

体系」と一般に言われている(鈴木 [

2003, pp.36–37, pp.64–65

]、

Hicks



])。 しかも、その(Ⅳ

.1

)すら無視したもの、つまり、ケイ ンズ的な想定の(Ⅲ

.5

)だけの

1

本の式は「乗数モ デル」とか「乗数理論」(

Kahn



])または「

45

度線モデル」と呼ばれている(鈴木[

2003, pp.17–

20

])。これらは、教育的な意義があるのは明らか だが、複雑な現象の基本的な結果の明確な例示 や例証的理解のために有益だったり、またかなり 短期的な状況や(金利がほとんど変化していない ものと扱うことができる程の)短い期間の経済現 象の考察に用いられることがある。これらは、限定 されたモデルであり、あくまで特殊ケースを扱って いるわけだが、マクロ経済政策すなわちマクロ的 財政金融政策の主張を明瞭に提示でき、データ 等の変化に適用し易く、説得力のある表現が可能 である。  さらに、ケインズ(特に『一般理論』の第

2

章)は、 理論的に、短期の労働市場の構造にも不備を指 摘し、労働需要が低水準になると、特に硬直的な (名目)賃金率と共に新古典派の労働供給関数(ま たは曲線)が短期で全く機能しないことを主張し た。したがって、その「賃金率の(下方)硬直性」に よって、労働市場の伸縮的価格の需給調節も短 期で機能しないことから、短期で市場が経済状態 密機械ではなく、屋外で陽射しや風雨にさらされ て稼動し続ける作業用の機械のようなものとして 映ったのではないだろうか。  理論上でのケインズによる新古典派批判の基 本的な論点は、短期の財市場では、一般に情報が 不完全であり、堅実で慎重な性格の投資行動が 普通だから、しばしば将来の経済状況についての 長期期待が弱まることで(民間)投資が低水準と なるが、お金自体の価格である利子率または金利 は貨幣市場で決定されるため、投資を促進するよ うに均衡金利が都合よく低くなるとは限らないわ けで、完全雇用達成に十分な量に対して投資需要 水準したがって総需要水準がしばしば不足しがち になるということである。それゆえ、ケインズ理論 体系(つまり『一般理論』)の場合、完全雇用のた めの(または下での)金利調整無しに財市場均衡 が成立するので、上記の(Ⅲ

.5

)式は投資決定に関 する貸付資金需給関係の式ではなくなり、単なる 財需給関係の式になる。  それゆえ、当該の(Ⅲ

.5

)式は、(Ⅲ

.1

)から(Ⅲ

.4

) で拘束された新古典派の自然利子率とは無関係 となり、金利を調整したり、均衡金利を決定する 能力を失い、文字通りの財市場均衡条件式となる。 このため、主な貨幣需要動機に注目して(取引・予 備・投機の三つの動機に集約しさらに)貨幣の取 引需要と資産需要に整理した周知の

LM

関係式 (関数)が次のように導入され(鈴木[

2003, p.34

])、 その代わりに(Ⅲ

.6

)は放棄される。なお、ケインズ は金利に下限が存在するという「流動性選好のワ ナ」という性質も導入している(鈴木[

2003, p.38

])。 この想定は金利に下限を設定するのでいわば「金 利の下方硬直性」である。この最低金利水準が当 面一定で

r

0とすれば、

r

r

0 >

0

である。 (Ⅳ

.1

M / P

L

Y, r

)=

L

(1

Y

)+

L

(2

r

,

(10)

(鈴木[

2003, pp.67–70

])、こうした市場取引決 定方式を一般に「ショートサイド・ルール」とも言う。 経済理論体系の主要な方程式に、こうした清算条 件式を採用して、均衡条件式を放棄するということ はそれまで無かったことであり、流動性のワナとと もにケインズのマクロ経済理論が大変特徴的な 理論体系を有することを意味している。このことは、 ケインズによる経験的な経済認識に基づいてマク ロ経済理論が構築された結果と考えられる。  かくして既に明らかなように、ケインズ及びケイ ンジアンの短期マクロ経済体系は、基本的な標 準形としては、(Ⅲ

.1

)と(Ⅲ

.2

)及び(Ⅲ

.5

)に(Ⅳ

.1

) とこの(Ⅳ

.2

)を加えて組み替えた

5

本の主要な方 程式で構築されるモデルであり、それに含まれる 諸関数の詳細を与えれば、ケインズ等の当該の体 系はこれらの一組の連立方程式体系で完成する。 それゆえ、それらの

5

本の式を主要な方程式とする マクロ経済体系は(ケインズのまたは)「ケインジア ン完結体系」とか「ケインジアン完備体系」とか 呼ばれている(鈴木[

2003, p.17, pp.67–70

])。金 利を消去して(Ⅲ

.5

)と(Ⅳ

.1

)の

IS–LM

体系を

1

つ にまとめた式を一般に「総需要関数」または「

AD

曲線」等と言い、一方、(Ⅲ

.1

)と(Ⅲ

.2

)及び(Ⅳ

.2

) を

1

つにまとめた式を「総供給曲線」または「

AS

曲 線」等と言って、結局、

AD

AS

2

本一組の式で

AD–AS

体系を導き、この有用なモデルを使って

AD–AS

分析 が行われる( 鈴木[

2003, pp.93–

97

]、岡本[

1981

])。もちろんこの体系を用いて 我々は、財政出動や金融緩和政策とこれらのポリ シー・ミックスの効果等に関するケインズの主張 やケインジアンのマクロ財政金融政策の諸命題 を証明したりまたは分析することができる(例えば、 斎藤・他[

1977

])。  ケインズ及びケインジアンの経済理論は市場で の伸縮的な価格調整の短期での可能性を否定し、 を完全雇用均衡に到らせることができないという ことになる(鈴木[

2003, p.14

])。このような短期 労働市場の調節機能不全から、結果的に、新古 典派的な自発的及び摩擦的失業でない他の失業 概念である非自発的失業、すなわち、現行の市場 賃金率でいくらでも働きたいと希望する労働者の 失業が発生し、結局のところ、短期では市場が不 完全雇用均衡に経済状態を止まらせるとケインズ は主張した(鈴木[

2003, p.14

])。  要するに、ケインズの主張では、ケインズの理論 としては(Ⅲ

.1

)と(Ⅲ

.2

)を保持するが、(Ⅲ

.3

)を 放棄し、かつ(Ⅲ

.4

)式を少し変更するかあるいは その意味が清算(取引)条件式に修正されなけれ ばならない。例えば、この清算条件式は最も単純 には次のように変更できる。ただし、

N

SDは労働 市場で、たとえ部分的でもしないよりはした方が良 いと判断して、決定される労働力量すなわち雇用 量であり、換言すれば、市場売買がそうした判断 で部分的に成立する労働力取引量を表している。 変数値の理解上での区別が明確にできて誤解が 無ければ

N

D*と表示した方が見慣れていて分かり 易いかもしれない。また、労働力の供給と需要をそ れぞれ適当な集合と扱えば、量として少ない方が 要求するままに市場での決定が両方の集合の交わ り部分で成立すると考えられるので、

N

SDと表示 することにも理解し易い利点がある。ここでは (Ⅲ

.4

)を次の(Ⅳ

.2

)に入れ替える(鈴木[

2003,

pp.68–69

])。 (Ⅳ

.2

N

SD

Min

N

D

,

N

S

, and,

W

W

0

const

ant

.

0,

P

0

.  なお、この(Ⅳ

.2

)式の右辺の「

Min

」は賃金率を 外生的に当面一定と想定するとき、小さい方の値 を決定値とするという択一的な採用方式を意味し

(11)

も思わないようになっていたからである。─けれ ども普通の人々はその不一致を見逃さなかったの であって、そのため、理論的結果を事実に当ては め、観察によってその正しさを確証するという方法 をとっている他の科学者集団に対して払うほどの 尊敬を、経済学者には次第に払おうとしなくなっ たのである。  伝統的経済理論の名高い楽天主義のおかげで、 経済学者は、あたかも現世から逃避して自分の畑 の耕作に明け暮れ、すべては放任しておけば、あり とあらゆる世界の中の最善の世界において、最善 の結果になると教えるカンディードに似ているとみ られてきたが、その楽天主義もまた、繁栄に対する 障害が有効需要の不足によって起こりうるというこ とを彼らが考慮しなかったことに由来すると思わ れる。なぜなら、古典派の公準どおりに機能する 社会においては、明らかに資源の最適利用に向か う自然の傾向が存在するからである。古典派理論 は、われわれがこうあって欲しいと希望する経済の 動き方を示すものであるといってよいであろう。し かし、われわれの経済が現実にそのように動くと 想定することは、われわれをとりまく諸困難が存在 しないと想定してかかることである。」  事実、『一般理論』が出版された頃やこの前後 の時代の世界では不況がしばしば見られ、不可避 的なまでの不完全雇用状況という困難な現実の ため、少なくとも短期的な経済局面の解釈として は、「厚生経済学の基本定理」といった、新古典 派経済学の理想的な主張(つまり静学的な資源 配分の稀少性命題)が実際上根本的に成立不可 能となっていた(鈴木[

2003, p.4

])。また、近代の 経済の属性としても、(経済主体の集合では)最小 構成単位で成り立つことが総体的には成り立たな いという意味で「合成の誤謬」をケインズは指摘し、 むしろ価格の硬直性や粘着性を想定する傾向が あり、数量的調整の短期での有効性を総需要の 役割と共に強調する(鈴木[

2003, p.15

])。彼らの 経済学は、万能な市場機構に基づく自由放任主 義を否定するだけでなく、市場の自動的調整能力 あるいは自己修正能力にも限界があると考えてい て、「経済厚生」あるいは「経済福祉」を社会的に 追求するという意味で、経済の「社会的正義」を実 現するために政府や中央銀行等の経済政策当局 の積極的な役割を重視する。もっとも当然のこと ながら、学派を問わず、経済政策とは社会的幸福 の追求のためにあり、かつこのために実施される ものである。  そのあまりにも有名な『一般理論』は、論理実証 的な説明科学性を共有しつつも、新古典派経済 理論の(公理論的な)数学的演繹性重視の立場 に対して、「予測可能性」を伴う経済理論の実践 性または(経験的な)実証性を重視した(鈴木 [

2003, pp.2–3

])。ケインズの理解によると、「な にが利用可能な資源の現実の利用を決定するか についての純粋理論が、とくに詳細に吟味された ことはほとんどなかった」:

Keynes

:.p.

: 邦訳、『一般理論』

p.4

])。ここで、

General Theory

(第

3

章末尾

pp.33–34

:邦訳、『一般理論』

p.34

) から、リカード以来の伝統的学説について述べら れている、連続的に記載されている一組の二個の 段落を引用しておこう。 「しかし、その学説自身は最近にいたるまで正統派 経済学者によって疑われることがなかったけれど も、それが科学的予測の目的に明らかに役立ちえ なかったことは、時が経つにつれて、その信奉者の 威信を著しく損うことになった。なぜなら、マルサ ス以後、専門的経済学者は彼らの理論の結果と 観察される事実との間に一致がないことをなんと

(12)

劣な絶対水準を経済政策の実践によって確かに 改善することなのである。  その際に、個人及び社会が消費であれ、貯蓄あ るいは投資であれ、基本的には社会が生産したも の以上に所得分配や支出ができないわけだから、 最も重要なのは、所定の会計期間における、日常 生活のための生産物または財と経済価値を産み 出す源泉であり、同時にこれは国富増進の源泉で もある(鈴木[

2003, p.5

])。この源泉となる価値が 「付加価値」であり、基本的には「産出−中間(財) 投入」の価値で定義され、この国内合計で「

GDP

」 すなわち「国内総生産」(=最終需要−輸入)の水 準が定義される。なお、それらの実質値は、(国民 経済計算の仕方に従い経常的な素のデータを用 いて算定される)それらの名目値から物価変化に よる価値額のゆがみを除去したものであり、理論 的には「実物的」価値すなわち財の概念に近い価 値の測定値としてしばしば捉えられている。  新古典派的な市場経済の理想状態とは、伸縮 的に価格調節が機能する(マクロ的)市場経済の ワルラス均衡状態のことであり、これが経済的に 有意義なのは、その状態が見えざる手の定理に従 いパレート効率を達成するという市場にとって極 めて基礎的な経済性質だけの理由からではなく、 むしろそれが完全雇用をまさに達成するからなの である。一般に、そのワルラス均衡状態は、抽象 的な解釈上の意義を除けば、日常の市場における 現実経済では頻繁に自ずと達成できる状態では なく、少なくともケインズの時代にはごく稀な場合 を除くとほとんど達成されることはなかった。それ ゆえに、社会的に必要であれば、現状の経済状態 を改善するための理論と方策が遥かに重要であり、 理想的な国富増進及びこの源泉としての最適な 均衡

GDP

水準の諸性質よりも、むしろ現状での 国富の増進及びこの源泉の現実

GDP

水準をどう 経済主体の個々のミクロ的な効率性が社会的な 効率性をマクロ経済的には必ずしも結果的にもた らすとは限らないという一般的な現象の重大さを 強調して「豊富の中の貧困というパラドックス」 (

General Theory, p.

:邦訳、『一般理論』

p.31

) と言っている。  こうした点は、ミクロ経済学とマクロ経済学の 間の経済認識や分析的手法の際立った相違の一 つと言えるだろう。しかしながら、ミクロ的な主体 的意思決定が、社会的集計の仕方の特定化によっ て、どのように市場均衡に関係付けられているか を詳細に可視化できるならば、それはもはや逆説 的ではなくなるのかもしれない。他方、そうした指 摘は、一般の市場経済における実際的な資源配 分の社会的浪費をまさに問題としているのであり、 ケインズの『一般理論』以後の大方の見解では市 場機能だけの力ではどうにもならない問題と考え られ、失業という経済問題が一種の外部性の問題 として捉えられるので、したがってこれは「市場の 失敗」と見なされ得る(鈴木[

2003, p.4

])。  ケインズ及びケインジアンの考えでは、政府が (特にマクロ)経済政策として直接的に市場介入す ることで、すなわち失業という遊休労働力を活性 化させることで、市場による資源配分を効率化で き、結果的に諸国民の富(または国富)の増進ない し資本蓄積を促すことができる( 鈴木[

2003,

pp.4–5

])。それゆえ、市場経済が失業を伴ってす でに何らかの停滞傾向に陥っていたとしても、例え ば政府市場介入等のように、政府等が主導して市 場に(直接的に)働きかける適切な経済政策を採 用すれば、低下した公共の福祉の状態または水準 を社会的に改善または増進させることができるよ うになると彼らは主張する(鈴木[

2003, p.5

])。重 要なのは、理想的な経済状態を目指すことをただ 単に標榜するということではなく、経済状態の低

(13)

となり、必要に応じ、経済状況を改善しようとする 政策指導者によって、今なお活用され続けている。 参考文献 ⦿足立英之(1994『)マクロ動学の理論』有斐閣。 ⦿浅子和美・加納悟・倉澤資成(1993『)マクロ経済学』(新経 済学ライブラリ3)新世社。

⦿ Cournot, A.() Recherches sur les principes mathema-tiques de la theorie des richesses.:中山伊知郎(訳)(1982)、 『富の理論の数学的原理に関する研究』日本経済評論社。 ⦿ Hicks, J.R.() “Mr.Keynes and‘Classics:’A

Suggest-ed Interpretation”, Econometrica, vol.,pp.–. ⦿ Kahn,R.F.() “The Relation of Home Investment to

Employment”, Economic Journal, vol.(no.),

pp.–.

⦿ Kalechi,M.() Selected Essays on the Dynamics of the Capitalists Economy 1933–1970, Cambridge Univ.Press.: 浅田統一郎・間宮陽介(訳)(1984)、『資本主義経済の動態 理論』日本経済評論社。

⦿ Keynes, J.M.() The General Theory of Employment, Interest and Money, Macmillian.The Collected Writ-ings of John Maynard Keynes, Vol.Ⅶ, 1976.:塩野谷裕一 (訳)(1983)『雇用・利子および貨幣の一般理論』(ケインズ

全集第7巻)東洋経済。

⦿ Klein,L.R.() The Keynesian Revolution,

Macmil-lan.:篠原三代平・宮沢健一(訳)(1965『)ケインズ革命』(新 版)、有斐閣。

⦿ Kregel,J.A.() The Reconstruction of Political Econo-my –An Introduction to Post-Keynesian Economics, nd

ed., Macmillan.:川口弘(監訳)(1978)『政治経済学の再 構築』日本経済評論。

⦿ Marshall,A.((:)) Principles of Economics,th ed.,Macmillan. :馬場啓之助(訳)(1965∼1967(昭和40 ∼42))『経済学原理』東洋経済新報社。

⦿ Modigliani,F.() “Liquidity Preference and the The-ory of Interest and Money”, Econometrica, vol., pp.

–. ⦿根岸隆(1989『)ミクロ経済学講義』東京大学出版会。 ⦿岡本武之(1981『雇用) と分配のマクロ経済学』有斐閣。 やったらさらに押し進め、かついっそう増大させる ことができるのかという問題が、決定的なまでに社 会的に重要なのである(当然のことながら、現実の

GDP

水準が低過ぎる時には大衆の生活に直結し て最優先の問題となる:鈴木[

2003, p.5

])。  『一般理論』によるマクロ経済学の歴史的な登 場やその確立についての経緯や学説的な変革に 関わる内容は、正統派からの離脱を強調したが、 その衝撃または影響力の大きさから、しばしば「ケ インズ革命」(またはケインジアン革命)などと総 称して言われたりする(

Klein



];鈴木[

2003,

pp.5–6

])。マクロ経済学を生んだそのケインズ革 命という歴史的な試みは「冷静な頭脳と温かい心」 といった近代経済学の伝承的精神が、経済学説 史上で、あたかも光り輝くように具現した一つの結 果なのである(鈴木[

2003, p.6

])。  ケインズの『一般理論』出版頃の時代は、第一 次世界大戦の悲劇を乗り越えた欧米にあったが、 歴史的にも劇的なまでの落ち込みを見せたアメリ カの「大恐慌」以後の長期的な不況にあり、デフ レと伴 に保護主義的 なブロック経済化( 鎮目 [

2009, p.5,p.37

])を経て次第に第二次世界大戦 へと移行していった。周知のように、アメリカでは ニュー・ディール政策が行われたものの、その経 済は劇的な程の回復には至らなかった。しかしな がら、イギリスとドイツと日本では明確に回復が見 られ、特に、同時代の日本では、いわゆる「高橋財 政」すなわち

1931

年末から

1936

2

月までの高橋 是清による総合的なマクロ経済政策が効果を発 揮したので、

1930

年代初期の昭和恐慌から欧米 に先駆けて脱却でき、

1932

年頃からデフレと不況 を脱し始め、その後著しく回復し、やがて拡張に 転じて行った(鎮目[

2009, pp.5–7

])。第二次世界 大戦後には、ケインズ及びケインジアンのマクロ 経済政策は、世界各国の不況対策の定番の手段

(14)

⦿ Pigou,A.C. ((:)) The Economics of Welfare, 4th

ed., Macmillan,:気賀健三・千種義人・他(訳)(1953『厚生) 経済学』東洋経済新報社。

⦿ Ricardo, D.() The Principles of Political Economy and Taxation, 1817–1821, Everyman’s Library.:羽鳥卓也・ 吉沢芳樹(訳)(1987『経済学) および課税の原理』岩波書店。 ⦿斎藤謹造(1977)「国民所得(マクロ分析)」『経済の数理』

(二階堂副包(編);筑摩書房)、第2章: pp.10–41。 ⦿鎮目雅人(2009)『世界恐慌と経済政策』(「開放小国」日本

の経験と現代)、日本経済新聞出版。

⦿ Smith,A.() An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, .The Wealth of Nations, 1776–1778, Everyman’s Library.:大内兵衛・松川七郎 (訳)(1959∼1966年)『諸国民の富』岩波書店。

⦿鈴木康夫(2003『)ケインズ革命とマクロ経済学』昭和堂。 ⦿吉川洋(2000『現代) マクロ経済学』創文社。

参照

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