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ケインジアン革命と,標準的なワルラシアン・マクロ経済体系(玉木興乗教授退官記念論文集)

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Academic year: 2021

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ケインジアン革命 と,標 準的

ワル ラ シア ン ・マ ク ロ経 済 体

概 要 :ケ イ ンズの総供 給 関数 と総 需要 関数 の設定 か ら,そ の有効 需要 原理 は, 財 市場 と労働 市場 が密 着 した 「結合 部分 構 造 」 を中心 として構成 され る 「結合 市場均衡体 系 」 の理論 と解 釈 され,さ らに それ らの部分 構 造 間 での作 用 関係 は 「階層的な市場体系」 と解釈 で きるだろ う。 I 序 いわゆるケインジアンの考 え方は,総 需要管理の重視 とい う政策的な見解 で は共通 してい るだろ うが,純 粋理論的なケインズ解釈 では多様 であ り (Shaw [1988]の 前半),彼 らが用 いる理論 モデルの構造や考 え方はさまざまである。 加 えて,そ れ らの数の多さによ り,細 部 では錯綜 とした観 もあ り,そ れ らの全 体 を詳細に明 らかにす るこ とは不可能 である (Coddington[1983]は かな り大 雑把 な分類 を行 ってい る)。また,モ デルでのそれ らの標準化 もお よそ至難のわ ざであ る (Leijyonhufvud[1968]な どは思弁 的で さえあ る)。に もかか わ ら ず,ケ インズ理論に関す る新 しい研究は現在 も続 く。マ クロ理論 におけるケイ ンジアンの役割 は依然 として重大だが,代 表的な解釈 モデルです らいろいろで ある。 それゆえ,最 も代表的なケインジアン。モデルについて,総 体的な観点 に立 ちなが らも主な論点 を限定 した解釈や概説 もまた意味がある。 そこで本稿 は,最 も標準的なケインジアン理論 を大学教科書に求め,こ れ を 対象 として 『一般理論』 (Keynes[1936])解 釈の基礎的な側面 を大 まかに概観 す る。つ ま り,い わゆ る 「ケインズ革命」や一層広義の 「ケインジアン革命」 とい う視″点に立 ち,理 論上の中心的な方程式や主構成に関す る基礎構造につい て,大 まかな比較 ない し解釈 と若子の評価 を当該考察は企てる。 しか し,そ れ 夫

康 木 鈴

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らの前提や構造 の仔 細 に関 わ る詳細 な解釈や広範 な概観 は,本 稿 の考察範 囲 を 超 え るの で,初 めか ら意 図 されていない。それゆ え以下 の考 察 は,「新 しいケ イ ンジア ン」 の諸業績 に触 れず,教 科 書風 の標準 的 なマ クロ 。モデルに主 な関心 を向け る。 しか も以下 では,静 学 的 モデル を対象 とし,動 学 的 な諸研 究 を考祭 の外 に置 くの で,マ ネ タ リス トに も触 れ ない (荒 [1985],吉 川 [1984],玉 木 [1990]が あ る)。考 察 の論理 的傾 向 は一種 の基礎論的な色彩 を帯び る。 確 か に 『一般理論』 は, しば しば表現上の精級 さに欠け るため,忠 実 な数学 的定 式化 が 困難 で あ り,多 くの解釈 が派生 した。 しか し 『一般理論』の主 な記 述 に関心 を集 中すれば,そ の 自然 な理解 と,普 通 の教科書 に出て くる標準的 な ケ インジア ンの理解 との間に比較 的 に明確 な基礎 論 的相違 が発見 され る。考祭 は,マ クロ理論 を対象 の 中心 に据 えなが らも,新 古典 派や ワル ラシア ンに よる 従 来 の基礎 的 ケ インズ解 釈 に対 し大 まか に焦″点を当て る。 とはいえ本稿 は,従 来 の諸解 釈 を丹 念 に分 類 した り網 羅す るの では な く,あ くまでケ イ ンズ革命 を 純粋理論 的 に捉 え,そ の基礎 論 的核 心 をあ りの ままの 『一般理論』の中に求め, 一 面的あ るいは部分的だが,一 つの小 さなケインズ解釈 を提示す る。一般のケ イ ンズ解釈論 者 に とってはあ ま りに も見 なれて い るため,一 見 してつ まらない か もしれ ないが,異 な る別 の一視 点 を提示 す るのが この 目的 なのであ る。 H 新 古典派的ケインジアンの理論的構造 いわゆる 「IS・ LM」 分析 は,マ クロ経済学の多 くの教科書で依然 として そ うであるように,今 で もマ クロ経済理論の主題の 1つ であ り,ま た単にケイ ンジアンに とってだけでな く,応 用面でのマ クロ経済政策分野において も周知 の ように中心的な役割 を果 た している。そ うした分析 は,通 常,次 のような静 学的方程 式系のモデルに基づ いて行 われ る (Hicks[1937])。す なわち, ( o l ) r ( γ ) = y 一 C ( y ) , 0 < r , ″ , y , c < ∞ , た だ し,r:総 投 資 , C : 総 消 費 , y : 実 質 G D P , γ : 利 子率 . ( 0 2 ) 〃 / / P = 二 ( ″, y ) , 0 < 舟 ″,P, γ , y,二 <∞ and O<α ≦γ,

ただし〃,P,α は外生的に一定で,aL/シ <o,o<∂ 二/∂y, 〃 :貨幣供給量,P:一 般物価水準,二 :貨幣需要量,α :最低利子率.

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ケインジアン革命 と,標 準的なワルラシアン ・マクロ経済体系 37 この 方程 式 系 の解 は,諸 々 の外 生 変 数 の値 につ い て,当 該 マ クロ経 済 の均 衡 を 実 質 に お い て決 定 す る。 た だ し,当 該 モ デ ル で は,外 国 貿易 等 の対 外 部 門が全 く無視 され て い る。 この ような ISoLMモ デルは,見 た通 りの 2つ の方程式か ら成 る連立系で あ り,そ れぞれの方程式で当該マ クロ 。モデルの経済現象の諸側面 を論理的に 表現 し,か つ数量で記述 している。周知の ように, IS方 程式 (01)は財市場 を 表現 し,他 方 LM方 程式 (02)は貨幣市場 を表現す る。 さらに,こ うしたマ クロ 経済の捉 え方は一般均衡論的 な経済市場観 を反映 していると一般 に理解 されて いる (新飯 田 [1968,pp.234-261]や川 口 [1977,pp.3528])。こうした理解 は, よ り詳細に言えば,経 済主体の選択対象 となる経済的存在 ごとに個別市場 を想 定 し,こ れ らの相互連関の全体 をマ クロ経済市場体系 として捉 える。換言すれ ば, IS・ LMモ デルの経済市場観 はワルラス的一般均衡論のそれである。つ ま り,こ れは,経 済主体 の選択対象 を内生化 して各部分均衡 を相互関係化す る こ とで諸市場 を全体的に捉 えようとす る考 え方である。 この意味で,経 済市場 はデカル ト的表現において個別市場 に分解可能である。すなわち,全 市場 とし ての経済は諸個別市場のグラフであ り,こ の射影が個別市場 となっている。 こ れ らは,い わゆる競争均衡 モデルなどに見 られ る代表的なワルラシアンによる 標準的な市場観 である (Arrow and Hahn[1971])。 したがって, IS・ LM 分析 は,ケ インズ的な要素や想定 を断片的に取 り入れなが らもワルラシアンの 枠組みでマ クロ経済 を理解 しようとす る理論的手法 である。 IS・ LMモ デルが,こ れ 自体 でマ クロ経済 を一般均衡論的に完全に表現 し 尽 くせ るわけではないが,周 知 のように,こ れに労働市場 を加 えてその表現 を 完結 させ るこ とがで きる。 こうした理論的定式化 もまた,大 学のテキス トにお いて 「ケインジアン完備体系」 とい う表現で広 く定番化 している (村田 [1984, p.34])。このケインジアン完備体系 で も,も ちろん, IS・ LM構 造が,総 需要 関数 を導 くので,や は り主要 な役割 を果た している。 とい うのは,そ うしたケ インジアン完備体系の典 型的な夕Jでは,こ のモデルの主な構造 は上の IS・ L M体 系に,次 の よ く知 られた競争的企業の利潤極大条件式 を追加す るだけの単

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純 なマ ク ロ経 済体 系 と して定 式化 され るに過 ぎな いか らで あ る。 す な わ ち,

働の限界生産力が実質賃金率 と均等するというのがその条件式であるから,

れ は , ( 0 3 ) 冴 F / が 三 ″ / P , w h e r e 〃= 7 o = c o n s t , > 0 。 ただ し,Fは 集計的生産関数 を表 し,〃 は名 目賃金率 を表す。このような運立 体系の静学モデルは通常,多 くのマ クロ経済理論のテキス トに登場す るもので あるが,所 詮,方 程式 (03)は総供給にのみ関係す るだけで,総 需要の ISoL M関 係 に対 して構造的な変更 を加 えることは全 くない。 さらに,名 目賃金率の固定性 を想定す ることか ら変則的で も適 当な市場調節 を労働市場 での雇用決定について認めれば,そ うしたケインジアン完備体系 も また,ワ ルラシアン的な一般均衡論の枠組み を踏襲す るもの と理解 できる。実 際,硬 直的名 目賃金率 とい うのは,い わば伸縮的賃金率の特殊 な 1つ の場合 に す ぎない と考 えて良いか ら,そ の完備体系の典型的な定式化 も広義にはワルラ シアン的なマ クロー般均衡体系の 1つ の表現 と看Tlkし得 る。 したが って,そ う したケインジアン完備体系 もまた, ISoLM分 析 と同一の市場観 を共有す る と考 えられ る。いずれにせ よ,そ うしたケインジアン ・モデルは,ワ ルラシア ン的な一般均衡論の枠組み を否定 した り,こ れ と矛盾す ることは全 くない。 この ように, IS・ LM関 係 を主要 なモデル構造 として採用 している諸研究 は, しば しば完全競争的な企業行動の限界原理 を伴 って完備体系化 され る傾 向 があ り, また消費支 出の実質資産効果 などの議論 で明 らかなように新古典派的 な理解 と矛盾 しない。 それゆえ,そ うした諸研究の担い手は,ケ インジアンで, しか も新古典派的で もあるか ら,彼 らを 「新古典派ケインジアン」 と呼称 して ひ とまとめに捉 えることがで きる。そ して,彼 らの分析が,少 な くとも大学の テキス トを通 じて標準的なケインジアンの分析 となっていることか ら,実 際的 に,彼 らは世界で最 も代表的なケインジアンとなっている。 また,こ うした捉 え方は,か つて有名 になったサ ミュエル ソンの 「新古典派総合」 とい う考 え方 に象徴的に顕れている (Samuelson[1967,p.352]かい訳 :p.558)。なお 「新古典 派 ケ イ ン ジア ン」 とい う呼称 は,例 えば カ ン タベ リー (Canterbery[1980, 労   こ

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ケインジアン革命と,標準的なワルラシアン・マクロ経済体系 39 chap,8]/邦訳 :pp.220-25)に見 られ (Leijonhufvud[1981,chap.7,sec.IX]/邦 訳 :pp.181-91も参照),要 するにヒックスとハンセン(およびクライン)に代表 される ISoLM分 析によるケインズ解釈論者達 を指 している (Hicks[1937] and Hansen[1953],Klein[1947])。 III 新 古典派ケ イ ンジア ン と,そ の ワル ラシア ン的枠 組 み ここで,当 該 の ケ インジア ン完備体 系 の モデル構成全体 を完全 に記述 してお くこ とは,次 節以下 での議論 展 開に とって有益 であ る。 そ こで,そ の標準的 な 完備体 系 の 1つ の モデ ル例 をフ ェ ン ダー のモデル (Fender[1981])に 求 め よ う。 また先 に,議 論 の余地がほ とん どない標準的な古典派体系のモデル を提示 してか ら,そ の完備体系のモデル構成な どに言及す ることは有益 である。そこ で,別 に珍 しくもないが, ご く普通のモデル例 として彼の古典派体系 を先に確 認す る。 それは次の ように定式化 され る (Fender[1981,chapユ :equ.1.1,…, equ.1.6か卜訳 :p.5])。 (04) ハ ヴ=ハワ(7/P), 0<ハ ワ, 7,P<∞ , ただし,煎 声 総雇用, 7:名 目賃金率. (05) ハ る=ハる(7/P), 0<ハ る, 7,P<∞ , ただし,N主 総労働供給, 7:名 目賃金率. ( 0 6 ) ハ ワ= ハ る。

(07) y=Fひ

″), た だし/:集 計的生産関数.

(08) C(y,γ )十r(″)=y. (09) 〃 /P=二 (γ,y)。 ただ し,フ ェンダーは,均 衡雇用量に対応す る完全雇用水準産 出量に Yの 値が 釘付 けになるこ とに注 目し,体 系の一部 として労働市場 を重視するという理由 で,い わゆるケインズが意味す るところの 「セイ法則」 を完全雇用が常に維持 され るこ とと解釈 している(Fender[1981],chap.3)。しか し,こ の解釈 は,当 然のことなが ら,こ うした一般均衡論的な完備体系 を解釈の基″点とす るもので, 明 らかに 「新古典派ケインジアン」に よる古典派解釈 と看微 され る。

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このように財市場 と労働市場の関係 を重視することは,お そらくはケインズ 解釈に欠かせない視点であろうが,「セイ法買J」の解釈は,ケ インズの有名なフ レーズ (「供給はそれ自ら ・・・」)を ,文 字通 りに解釈する方がむ しろ遥かに 自然である。すなわち, (10)セイ法則 とは 「任意の産出量に対 して,こ の産出量水準が条件づける市 場関係においてのみ,財 市場における総投資の不足が生 じない状況の実 現が,す なわちその産出量水準 をちょうど吸収するだけの総需要 をもた らす総投資の水準の出現が常に保証される」ことである。 以下の第 4節 で触れるように,こ うした解釈の方が 『一般理論』での有効需要 等の脈絡に適 している。「セイ法則」を,他 人の気を引 くだけで,労 働市場が完 全雇用水準産出量に Yを 縛 り付けることの単なる言い番えに過 ぎない とす る のならば,ケ インズがその法則をあれほど強調 した理由 とは一体何だろうか。 一方,フ ェンダーの標準的な完備体系モデルは,固 定価格市場モデル(Hicks [1965,chap.VII])よりも若干一般的な表現を用いながら,初 期の諸々のケイン ズ批半けに十分に譲歩 した形で,次 のように定式化される (Fender[1981,chap. 8,sec.1:equ.8.1,….,equ,8.6/茅馬訳 :p.145-6])。 ( 1 1 ) ハ ワ= ハワ( 〃/ P ) , 0 < 財 , 7 , P < O o . ( 1 2 ) プモ= 2 叱( ″/ P ) , 0 < 監 , 7 , P < O O . (13) N=min[ハ ワ,比 ]. (14) ″ =″ ち 〃 ホ=const.>0。 (15) y=F(N)。 (16) C(y,γ )十 r(γ)=y. ( 1 7 ) 〃 / P 三 二( γ, y ) . したが って,こ れ らの モデル構 成 を比較 す る限 りでは,古 典 派 とケ インジア ンの相 違 は,労 働 市場 におけ る取 り引 きの決定 に関す る条件 のみであ る。す な わ ち,そ れ は労働 市場 の 内部 だけの一部 の問題 とな り,方 程 式 では,古 典 派の ( 0 6 ) と, ケ インジア ン完備体 系 の (13)および (14)との違 いに過 ぎない。 上 で既 に先 取 りして主張 され てい るが,強 調すべ きこ とは,労 働 市場 での雇

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ケインジアン革命と, 標 準的なワルラシアン・マクロ経済体系 4 1 用決定方式の解釈が十分 にワルラス的か否か とい う問題 を一部の小 さな差異 と して片付けて しまえば,広 義 には新古典派ケインジアンはワルラシアン的な一 般均衡論の枠組みに依拠 してい るとい うこ と,す なわち一種のワルラシアンに 違 いない とい うこ とになる。言 うなれば,彼 らは 「マ クロ ・ワルラシアン」な のである。つ ま り,前 節で も触れたように,た とえ比較的にかな り単純化 され ているとして も,諸 市場の同時かつ緊密 な連関構造,あ るいは同 じことだが, 相互 に作用す る諸部分均衡市場の体系なる基本構造 を前提 としているとい うの がその接近法 である。当該分析が注 目しているのは,マ クロー般均衡体系の市 場調節過程 とい う機能面 よ りも, まさにその基本構造 である。 もちろん,一 層 ふ さわ しいケインズ解釈 はこれ らの両側面に,同 時に どちらに も深 く関係す る が,こ れ までの諸解釈 は,専 ら前者に関心が集中されて きた と見受け られ る。 それゆえ,次 節では,そ の基本構造に関す るケインズ解釈 に焦点 を当て, この 限 りでのケインジアン革命の 1つ の核心 を明瞭にす る。新古典派ケインジアン に貨幣 ・金融の側面で全て譲歩 し, さらにかな り談歩 している上のフェンダー に よるケインジアン ・モデル を議論の的にす ることによって も,問 題の基本構 造の解釈が提示す るその核心は,決 して浸食されないことがわか るだろう。 IV ケ インズおよびケインジアンの革命 と,ワ ルラシアンの発展 ケインズの一般理論 は,そ の理論表現の曖味 さか ら,多 くの解釈 を派生 させ てい るけれ ども,中 で も数学的に最 も厳密 な静学的解釈 を展開 しているのが, いわゆる (広義の)ワ ルラシアンであろう。上述の 「マ クロ 。ワルラシアン」 と区別 して,価 格体系 を中心 とした多数財市場の需給体系 として経済現象 を解 明 しようとす るところの,通 常のいわゆ るワルラシアンを 「ミクロ ・ワルラシ ア ン」 と呼称す るとして も,こ れ ら両者の違 いは,い くつかのマ クロ的パ ラメ ー タの有無 を除 くとすると,モ デル構造か らすれば根本的には,経 済主体 と財 の分類 を社会的に単純化 しているか どうか といったことに過 ぎない。それゆえ, 構造的には,い ずれのワルラシアン とケインズを比較 して も,こ の比較 は,同 時に (広義 の)ワ ル ラシアン とケインズの比較 をす ることにほぼ等 しい。 した

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が って,ワ ル ラシア ン と対 比 してケイ ンズ解釈 の細部 に触 れ る ときには,マ ク ロ 。ワル ラシア ンの モデル を用 い るこ とに よ り,我 々 は,ほ ぼ一般性 を失 うこ とな く論 点 を一 層明確 にで きる。 この こ とは, 以 下 で触 れ られ る当該 の解釈 の 細部 にお いては, 上 の フェンダー ・モデル を用 い るこ とが有益 であ るこ とを促 して い る。 ワル ラシアンによるケインズ理論の解釈 は,初 期の時期か ら 「マ クロ 。ワル ラシアン」だけでな く 「ミクロ ・ワルラシアン」 も活発に貢献 した。 こうした ミクロ ・ワルラシアンは,ケ インジアン理論に刺激 され る以前か ら,貨 幣面で 一般均衡理論 を ミクロ経済理論的に一層一般化 しようと継続的に試み (保坂 [1975,第 1章 ,第 2章 ]・玉木 [1960]お よび玉木 [1968]), こうした歴史的 な試み を基礎 として 『一般理論』以後では,ケ インジアン理論 をミクロ経済理 論的に再構築 しようとす る試み を展開 した。いずれにせ よ,こ れ ら一連の試み は,貨 幣的なマ クロ経済理論 を一般均衡理論に取 り込 もうとす る努力であった と考 えて良い。そ してこの努力は,一 般均衡理論 とケインジアン理論 を適合 さ せ るためにむ しろ後に盛ん となった,い わゆる 「ケインジアン理論の ミクロ理 論的基礎付け」 とい う問題の中に集約 され ることとなった。 もしもケインズ以 降でその影響 を何 らかの形で受けた諸研究者が研究上の革新的な所産 をもた ら した とい う経済学の歴史的事実 を総称的に 「ケインジアン革命」 とい う用語で 表現 し,一 方ケインズが 『一般理論』で直接に革新 をもたらしたというそれを 「ケインズ革命」 と表 して両者 を区別すれば,ワ ルラシアンが実質的に直面 し たのはまさに前者であ り,す なわち新古典派的な IS・ LM分 析 であった。 上の第 2節 で も触れたように, IS・ LM体 系は,そ れ 自体 の構造 としては, 完全 な一般均衡理論体系ではな く,い わばマ クロの連合部分均衡体系であ り, 一般均衡体系の部分限定的なマ クロ縮約体系に過 ぎなかった。それゆえ,そ れ を一般化 しよ うとす る試みの登場 は ご く自然 な展開であった。 こうして,い わ ゆ る 「不均衡理論」の諸研究が発生 して きたわけであ り,そ の際に,標 準的な ケインジアン理論 と化 していた IS・ LM分 析やケインジアン完備体系分析 と いった ヒックス ・ハ ンセン ・クライン型分析や それが刺激 したランゲやパティ

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ケインジアン革命と, 標 準的なワルラシアン・マクロ経済体系 4 3 ンキンなどの ミクロ的諸研究は 「ケインジアン反革命」 とい うレッテルを貼 ら れ るこ ととなった (花輪 [1980,pp.3-5]および Clower[1965])。 すなわち, 新古典派ケインジアン理論がケインズ理論 を価格硬 直的な貨幣経済の一般均衡 理論 と解釈 したため,ケ インズ理論は伝統的古典派理論 よ りも一般的な理論で はな く,む しろその特殊 な場合 を扱 った理論に過 ぎない とい う理解 をもたらし たが,こ うした理解 は経済主体 の市場行動仮説側面の理論化が極めて不十分 で あ り,不 当な理論認識 と過小 な評イ面であった, と不均衡理論の諸研究は批判す る。 この立場 では,レ ィヨンフーヴ ッ トの主張 (Leijonhufvud[1968])や,い わゆ るクラウワーの 「二重決定仮説」が有名 である (Clower[1965])。 そ うした不均衡理論の諸研究は,や がてバ ロー ・グロスマ ンの研究 (BarrO and GrOssman[1971])や ベナ シー (Benassy[1975])な どに吸収 され,以 後 一層一般化 された (根岸 [1980,第 4章 ])。不均衡論者達は,ワ ルラス的模索 過程 を超 えて,競 売人のいない非 ワルラス均衡価格による非模索的な市場調整 過程 を,新 たな取引決定規約 などを導入す ることで特徴づけ,新 しく定義 され た不均衡取引過程 として分析 した。一方,伝 統的なワルラシアンの側か らも市 場 調 整 過 程 をエ ッジ ワー ス的 な非模 索過 程 に一 般化 す る努 力が為 され た (Hahn and Negishi[1962],Uzawa[1962]な ど)。いずれにせ よ,そ れ ら は,貨 幣経済の認識 を別にすれば,「非ワルラシアン」的市場調整過程 に注 目す るこ とで一般均衡理論の一般化 を試みたのであ り (小谷 [1987,第 I章 ,第 II 章]), ミクロ 。マ クロの違 いはあって も同様の非ワルラシアンー般均衡理論の 諸研究 と考 え られ る。上 のフェンダーのケインジアン完備体系 モデルは,労 働 市場 での取引調整定式化 (13)で不均衡分析的な表現 を取 り入れ,標 準的な (新 古典派)ケ インジアン ・モデルよ りもモデル表現 を一般化 している。 しか し, この改良によって両者のモデル分析結果に大 きな違 いが生 じることはな く,そ れ らのモデルが具現す る市場の構造は,商 品ごとに立て られ る方程式で編成 さ れてい る点で,普 通の一般均衡 モデル と同様 である。 不均衡論者や非 ワル ラシアンで問題 とされているのは,市 場の調整過程 とい う市場機能の規約の ような ものにつ いてであって,そ の構造ではない。換言す

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れ ば, そ の ワル ラ シア ン と非 ワル ラ シア ンが研 究 対 象 とす る市 場 の構 造 は, 個 別 の財 貨 と価 格 等 の独 立 的 な個 別 関係 をす べ て 同 時 に作 用 させ る連 立体 系 とい う同様の一般均衡体系であって,一 般均衡理論 という構造 自体 を否定 したわけ ではない。一般均衡理論者 という広義のワルラシアン分類からすれば,模 索過 程 を伴 うか否か という点での狭義のワルラシアンと非ワルラシアンは,そ の意 味で同 じ広義のワルラシアンと看微 しても良い。この広義のワルラシアンに「構 造的ワルラシアン」 という名称 を用いることは,そ の内容からして一層相応 し く, また用語の混同 を避け るために もむ しろ者馬合が よい。以下 ではこれ らの用 語 を併用す る。 ここで注 目している広義の (あるいは構造的)ワ ルラシアンー般均衡体系の 構造 を 「ワル ラシアン市場構造」 と言えば,こ れはその単純 な基本構造 を意味 す る。す なわち,各 々の財貨 ごとに個別の市場が独立に存在 し,そ れ らの個別 市場取引は,一 組 として連立方程式の相互依存関係 によって同時決定 され ると い うのがそれである。 それゆえ, ミ クロ 。マ クロの違いや均衡 ・不均衡の違 い とい うこと以前の基本構造 を 「ワルラシアン市場構造」 と理解す るのである。 したが って,こ の理解 によれば,新 古典派ケインジアンない し反革命派だけで な く不均衡論者 もまた広義のワルラシアン (=構 造的ワルラシアン)な のであ り,そ れ らの間での論争はいわば内輪 もめに過 ぎない。つ ま り,そ れ らに とっ ては,ケ インズの 『一般理論』 をどのようなワルラシアンの立場か ら解釈する か とい うことだけが問題 なのである。 それ らは,一 般均衡理論的な『一般理論』 観 に満 ち溢れていて,結 局の ところ 『一般理論』の革新的示唆を広義のワルラ シアンによる一般均衡理論の発展に利用 しただけに見える。換言すれば,ワ ル ラシアン市場構造 を保持 したままでの,広 義の (=構 造的)ワ ルラシアンによ る様々なケインズ解釈 は,事 後的には,一 般均衡理論の一層の発展のためのネ タ探 しに過 ぎなか ったのではないか と考 えられ る。 ここに,『一般理論』とワルラシアン市場構造は常に両立す るか どうか とい う 根本的な問題が存在す る。 『一般理論』の純粋理論的な革新性は, まさに,そ の 根本的な問題の中にある。そこでこの問題 を検討す るために,当 該の考察の関

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ケインジアン革命と,標 準的なワルラシアン・マクロ経済休系 45 心 をケインズの 『一般理論』の中に転 じよう。その第 2章 は不均衡論者や非ワ ルラシアンを含む広義の (=構 造的)ワ ルラシアンに とって最 も関心がある一 つの章であろ うが (Arrow and Hahn[1971,chap.14]),こ こではその役害Jを その第 3章 か らの諸議論 を鮮明に引 き立てるだけの ものに過 ぎず,主 たる議論 がその第 3章 以降にあるもの と考 える。 もちろん,周 知の非 自発的失業の存在 に関す る主張は意義深い ものであ り,一 つには労働供給側の市場 での 自由な参 入退出を否定 していると考 えられ,競 争的側面 を全 く棄てるわけではないが, 「完全競争」市場の否定 を示 していると考 えて良い。 しか しなが ら,注 目すべ きはやは り第 2章 よ り後 に続 く諸章 であ り, と りわけその第 3章 には,い わゆ る 「有効需要の原理」が要約 されてい るので,『一般理論』の純粋理論的な本質 と革新性がそこにかな り堤縮 されていると考 えられ る。それゆえこの節の以下 の議論 では,そ の第 3章 に考察の関心 を集中す る。 まず,『一般理論』 (第3章 第 1節 )か らここでの考察に重要 な関連箇所 を二 つ引用 してお く。「Vヽま N人 を雇用す ることか ら生 じる産 出物の総供給価格 を Zと すれば,Zと Nと の間の関係 は Z=φ (N)と 書かれ,そ れ を総供給関数 と呼ぶ ことがで きる。同 じように,企 業者が N人 の雇用か ら受け取 ることがで きると期待す る売上金額 を Dと すれば,Dと Nと の間の関係は D=/(N)と 書かれ,そ れ を総需要関数 と呼ぶ ことがで きる。」「・・・oこ のようにして, 雇用量は総需要関数 と総供給関数 とが交叉す る点において決定 され る。 なぜ な ら,こ の″点において,企 業者の期待利潤が最大 となるか らである。総需要関数 が総供給関数 と交又す る点におけ る つ の値 を有効需要 と呼ぶ ことに しよう。以 上 は雇用の一般理論の要 旨をなす ものであって,そ れ を説明す ることがわれわ れの 目的であるか ら,以 下に続 く諸章は大部分 この二つの関数 を規定す るさま ざまな要 因の吟味によって 占め られ るこ とにな る」 (Keynes[1936,p。25]/邦 訳 :G.T.p.26)。 これ らの引用 は,マ クロ経済理論 の教科 書 な どでケ インズの考 え方や 『一般 理論 』 の初 等的 な解 説 の ため に 申 し訳程 度 に書 き添 え られ てい るこ ともあ り, 『一般理論』の解釈や基礎研究では特 に注 目す るほ ど珍 しい文脈 ではない。 し

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か しその 中に,上 述 の 「ワル ラシア ン市場構造」 とは異 な る構造が含 まれ てい る。上 の引用文 で,有 効 需要 の概 念 を定義す るため に,二 つ の関数 (総供 給関 数 と総需要関数)が ケインズによって導入 されているが,そ れ らの関数 φ とメ は企業 に とって所望 の売上額 Zや 期待売上額 つ と雇用量 Nを 社会的総量の 諸水準 で関係づ けている (これ らの関数の詳細については,岡 本 [1985,第 2 章,pp.25-46]お よび玉木 [1994,第 7章 への補論 :有効需要の原理,pp.210 219]を 参照せ よ)。文字通 りに解釈すれば,こ れ らの関数は,構 造的ワルラシ ア ンの一般均衡理論か らすれば本来別々の市場に属す る 2種 類の概念であると ころの,諸 総売上額 と総雇用量 を直接にかつ一義的に関係づ けている。 す なわち,上 のフェンダー 。モデルで もそ うであるが, どのような売上額 で あろ うと,そ れは対応す る財価格 と財取引量か ら求 まるが,こ れ らは構造的ワ ル ラシアンの一般均衡理論 では本来,財 市場 に限って直接に関係づ け られてい るものであ り,他 方,雇 用量は労働市場 でのみ賃金率 と直接に関係づけ られ る ものである。 それゆえに,独 立的な各個別市場の諸需給関係 を全て間接的に し か し同時に運結す る役割 を一般均衡体系が担わされているわけである。 どんな ケインジアン完備体系であれ何 であれ,各 イ田別市場の諸需給関係 を並列す る一 般均衡体系が,通 常,各 個別市場のそれ らに対応す る諸方程式の連立体系で表 現 されているとい うのは, まさにそのことを反映 している。 しか るに,上 記の φ=/な るケインズの有効需要関係 は,一 つの関係 の中にマ クロ経済の主要部 分 を集約 し,か つその主な諸変数 も決定す る。 構造的 ワルラシアンに よる一般均衡理論の普通の定式化では,財 などの各経 済的存在 に対 し価格 と一意の需給関係 を独立的に与える母体 として個別市場 を 想定 し, さらにこれ らを同時決定関係 で編成 した機構 を一般均衡体系 とす るが, 有効 需要関係 φ=/と い うケインズの考 え方は, こうした独立的個別市場編成 とい う一物一価的な市場構造観 に基づ いていない。換言すれば,そ のケインズ の考 え方は,構 造的ワルラシアンの ように一組の財 と需給関係 を一つの個別市 場 とし,こ れ らを,ゆ らぎのない均質的な体系 として一般均衡 に組織す ること で経済 を説明 しようとす るのではな く,そ の意味の独立的個別市場 を同時に複

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ケインジアン革命と,標 準的なワルラシアン・マクロ経済体系 47 数含む部分的構造 に基づ き, こ うした各部分構造 を有機的な体系に編成 して経 済 を説明 しよ うとす る。一つの グラフ としての経済均衡状態は各財 ごとの個別 の射影に分解 で きるとい う一般均衡理論の考 え方 を有効需要関係 は否定 し,各 部分構造 を単位 としかつ これ らの有機的な構成が経済であると想定 している。 こうした部分構造は,構 造的ワルラシアンの 目か ら見れば,例 えば「結合生産」 とい う用語 を真似 て近似的に,「結合市場」と表現で き, したが ってこれに対応 す る均衡 を 「結合均衡」 と呼べば,ケ インズの 『一般理論』は 「結合均衡」の 体系ない し理論 と言えるだろ う。 それゆえ,こ うした表現 を用 いれば,近 似的には少な くとも,有 効需要関係 は財市場 と労働市場の結合市場におけ る結合均衡 の関係 と言える。 もちろん, それ以外の他 の部分構造が,近 似的な意味で,常 に何 らかの結合市場でなけれ ばならない とは限 らないだろうか ら,一 般 にはそれが独立的個別市場である場 合 を排 除 しないだろ う。だか ら実際には,経 済が複数の結合市場 と独立的個別 市場 の組み合 わせ で構成 されていて も近似的には不 自然ではない。 この意味で は,「結合均衡体系」は,結 合市場 を含 まない極端 な市場体系 を想定す ることが で き,そ してその ときにのみ通常の一般均衡体系に等 しくなる。つ まり,こ の 「結合均衡理論」 としての 『一般理論』は,少 な くともマ クロ理論 として一般 均衡理論 を一つの特殊 な場合 として含むことにな り, しか も市場構造の概念 と して一般 にワル ラシアン市場構造 もそれに含 まれ るか ら,広 義の (=構 造的) ワル ラシアンの分析枠組み を特殊 ケース として含む もの と理解 できる。 これ こ そが まさしく伝統的正統派理論に対す る 「ケインズ革命」の純粋理論的な究極 の本質 なのであ り,そ して,そ の 「結合均衡理論」にこの革命の基礎論的な純 粋理論上の革新性が存在す る。逆に考 えると,モ デル近似の度合 を無視すれば, 有効 需要理論 は構造的ワル ラシアンによる最 も極端 な近似的要約 も不可能では ない。紛れ もな く, IS・ LMモ デルはその例 である。 また,結 合市場 は有機的に編成 され ると考 えられ るか ら,経 済の部分構造 と しての部分的な結合均衡 を 「部分結合均衡」と呼べば,各 々の 「部分結合均衡」 な どに適切 な構成 を与 えて市場体系化す る際に,そ れ らの間に結合均衡体系は

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自ず と備 わ るあ る種 の階層 をその属 性 として伴 うであ ろ う。つ ま り,結 合均衡 体 系 は,構 造的 ワル ラシア ンか らすれば― 層 そ う見 え るであろ うが,そ の諸市 場 につ いて構 成上 ゆ ら ぎの あ る構 造 とな って いて,諸 市場 間の相 互作 用 にお い て歪対称 的 な影響 力の方 向 と分布 が この体 系 の属性 として存在 す る もの と考 え る。 もしそ うなら,部 分結合均衡 のこうした階層的属性 もまたケインズ革命の 革新性の一つ と判断 され るだろ う。 この ように,結 合均衡体系 を一つの 「階層 的市場体系」 と考 えれば,こ の階層次第で,そ の体系の現象的解釈,特 に諸市 場 間での影響力の作用 ない し循環過程 の解釈 は異 なるはずであ り,こ れ らは何 らかの諸因果関係 と理解 で きるであろう。 さらに,こ うした階層的側面に関す る構造的ワルラシアンの諸独立的個別市場 に基づ く近似的解釈が,不 均衡論者 達 などの市場調整過程 に関す る諸研究 を刺激 した と考 えることもで きる。 た くさんあるケインズ解釈の中には,新 古典派ケインジアンのケインズ解釈 を何 らかの特色 ある因果関係 として改良 しようと試み るい くつかの解釈がある が,こ れ らも上述の理解 と矛盾 しないだろ う。例 えば,根 井 ([1990,pp.76-77]) のケインズ研究では,シ ュンペー ターの理解 に沿 った解釈 として, リカー ド的 色彩 を帯 びた因果順序が明確 な型の連立方程式体系 とかダブル ・ジョインテッ ドな理論 といった,パ シネ ッティと伊束のケインズ解釈が取 り上げ られている が (Pasinetti[1974],伊東 [1962]・[1983]),彼 らの解釈 も上の階層的市場体 系 とい う側面 を新古典派ケインジアン解釈の改良によって捉 えようとす る試み では ないだ ろ うか (これ らにつ いては根井 [1989, pp.210-211]お よび根井 [1990,pp.75-76,208209])。また,供 給側 よ りも需要側 を強調す る非対称的な 因果関係 を想定 した複合的な因果関数分析の体系 として 『一般理論』 を理解す るとい う松川 [1991,pp。138-143]のケインズ解釈 も,上 述の階層的市場体系観 を同様 に反映 した解釈 と考 えられ るだろう。 また,森 鳴 ([1994,p.219])は, 一方で漠然 とした因呆関係の認識をわずかに示 している (その第18章ではセイ 法則批判 と賃金硬直性 につ いて構造的 ワル ラシアンのケインズ解釈が手短に述 べ られている [1994,p.226-236])。 結合市場 であれ,独 立的個別市場 であれ,諸 変数間の諸関係 を強引な近似の

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ケインジアン革命と,標 準的なワルラシアン ・マクロ経済体系 49 つ も りで も何 らか の簡 略化 は可能 であろ う。 まさに 『一般理論』 の強 引な簡略 化 は広義 の ワル ラシア ンに よって な され たわけだが,ケ インズが新 古典 派 ケ イ ンジア ンな どの反革命 派分析 に対 して不確 実性 以外 に明確 な違 い を 目立 って指 摘 しなか った ため,広 義 の (=構 造 的)ワ ル ラシア ンに よる諸変数 の定性 的 な 比較静学結果 あ るいはその経済政策 的含 意 には,そ うしたモデル簡略化 の弊 害 が明確 には現 れ なか った と考 え られ る。 この こ とは, IS・ LM分 析 の貢献 に 一定の積極的な評価 を与えようとする文献が少な くないという事実によって裏 書 きされ る (福岡 [1997,pp.193-202]やHicks[1977,chap.VI])。む しろ, その弊害は不均衡論者達や非 ワルラシアンの純粋理論的問題にあったが,同 時 に模索過程批判の研究 を刺激 して一般均衡理論 を一層一般化す るのに貢献 した。 反革命論争 を伴 いなが らもどのような形であれ,新 古典派ケインジアンは,本 質的には純粋理論か らみれば政策志向の応用理論向けの単 なる偶像 に過 ぎない か もしれないが,多 くの標準的な教科書での扱いがそ うであるように,テ キス ト・タイプの標準的なケインジアン ・モデル を用いてケインズの主たる経済政 策含意の伝道に役立 った。 これ らの点に限って も,ケ インズや新古典派ケイン ジアンは,ケ インズ革命 を内包す るケインジアン革命によ り,経 済理論の発展 に大 きな影響 を及ぼ し,か つ大 いに貢献 したのである。 V 結 び と補遣 :伝 統の重み かつ て,安 井 ([1979,p.89])は 「 。新古典 派の方 は,ケ インズを吸収す る方向で急速に再改築 した。つ ま り,ケ インズ革命に対 して,反 革命 を起 こし, つ いには新古典派がケインズ革命 を包み込んで しまったのである」 と言ったが, 少 し離れた ところか らケインジアン革命 を眺め ると,そ れはあたか も,一 般均 衡理論 をケインジアン理論 に適応 させ るため とい うよ りはむ しろ,一 般均衡理 論 にケインジアン理論 を適応 させ るための ものであったようにみえる。 因果関 係等の他 のケインズ解釈 を無視 し,上 述の結合市場論 を除 くと,そ の革命の後

で純粋経済理論には,構 造的ワルラシアンによる接近法の一般化 という発展の

みが結果的に残ったに過ぎないのではないだろうか。つまり,特 に不均衡論者

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や 非 ワル ラシア ンは,ケ インジア ンか らケ インズ革命 を救難 しよ うとして,か え ってケ イ ンズ革命 を広義 の ワル ラシア ンの地平 に埋 没せ しめ た。 ひ ょっ とす る と,後 世 の経 済学 説史家の幾 人か は,理 論経 済学 に とっての20世紀 とい う時 代 をワル ラシアンの時代 と看微すであろ う。 とはいえ,上 の結合 市場論がそ う した救難にある程度役立 った として も,実 の ところこの解釈が何 に どれだけ有 用かはわか らない。 この救難は,多 くのケインズ解釈がそ うであるように,結 局,現 在 の経済理論 をほ とん どその ままにす るだろう。 ケインズ解釈 で,あ たか も 「決 してケインズ以上に 『一般理論』 を語っては ならない」 とい うような姿勢は基本的な解釈 としてはご く当た り前なのである が,多 くの場合,ケ インズ解釈 はこれ とは程遠い立場に陣取 って為 され る傾 向 にある。解釈 ならどれで も 『一般理論』以上に 『一般理論』 を語 ることになる だろうが,果 た して,本 稿 の考察が厳密にはそれ とどれだけの距離の ところに 位 置付 け られ るかは明 らかでない。けれ ども, どんな解釈 であれ,そ の解釈か ら何 らかの新 しい情報 を成果 として得 るためには,あ る程度の距離が原典 との 間に生 じるのは 自然である。 そ して,人 が何 らかの 自然な解釈 を探求 しようと す る際に,そ の距離が不可避的に依拠す ることになるのは,そ の当為者が 自ら 帰属す る基本的な分析 の枠組みや手法 である。 これは まさに,過 去 に彼が受 け た教育 と現在 までの研究の経験 とによって形成 され るはずの ものである。 周知 の ように, これ までほ とん どの場合,大 学での近代経済学の伝統的な教 育 は,分 析 の論理的な一般性 と厳密性 を十分 に追求す る目的で,数 学的な手法 を基礎 としている。 このため,数 学的な特性に富む経済理論分野は,経 済学徒 に とって,そ の教育の過程 で次第に重要性 を増す ようになっている。やや もす る、と,こ の伝統は,経 済学徒 に対 して,あ たか も 「数式のみに語 らしめ よ,決 して数式以上に語 ってはならない」 と戒めているかの ように思 える。その結果, そ うした理論分野で最 も代表的な存在 である広義のワルラシアンの理論が, ま るで洗脳す るかのように標準的な思考法 を経済学徒 に与え,同 時に彼 らの経済 理論枠組みの基本的な構造 となる。 それゆえ,広 義のワルラシアン的な理論枠 組 は,一 般のほ とん どの経済理論家によって も,彼 らの属性であるかのように

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ケインジアン革命と, 標 準的なワルラシアン ・マクロ経済体系 5 1 共有 され てい る。 したが って,彼 らが研 究す る ときは, どん な経済理論 で も, 原則 として広義 の ワル ラシア ン的 な接近法が有効 であ る もの と初 めか ら思 い込 む傾 向がある。 こうした不可避的なまでの傾 向は,す でに久 しく受け継がれ続 けてい る現代的な 1つ の伝統 なのであ り,ケ インジアンの理論研究や革命の評 イ面などに際 して も,彼 らによって等 しく保持 されているに違 いない。すなわち, 構造的 ワル ラシアンによる上述の一般均衡論的接近法がそれである。 けれ ども,広 義のワルラシアンの呪縛 とで も言い得 るような,そ うした伝統 と戒めは, しば しば数学的に扱 うことが難 しい現象やその諸側面に関す る諸研 究か ら,多 くの経済学者達 を遠 ざけ ることにな り,そ の結果い くつかの現実的 な問題が放置 され,そ れ らの解明が遅延 を伴 って著 しく妨げ られ るとい う重大 な弊害 を引 き起 こす。やがて,こ の弊害が現実の経済政策当局に伝統的な経済 理論か らの類推 を促 し,こ れによって立案 された経済政策が実行 に移 され ると き,か か る政策は,社 会 と経済に計 り知れない甚大 な災いを多分 に生ぜ しめ る か もしれない。 そ して,こ の弊害 と災いこそ, まさしくケインズが憂 えたこと ではなか っただろうか (G.T.[1936,p.3]/邦訳 :p,3)。広義のワルラシアンの地 平 は,経 済理論家に とってはそれ 自体 が豊かな大地のように有望 で,土 地勘 の あ る故郷の ような ものだが,ケ インジアン解釈の場 としては狭す ぎる。 もちろん,広 義のワルラシアンが経済理論 とその分析手法の発展に為 して き た多大の貢献 と,歴 史的に継続 されている多 くの研究者による多大 な努力 とは, いかに賞賛 して も余 りあるところであろうが,け れ ども宗教の教義ではないの だか ら,経 済理論の接近法が,しヽついかなるときも常に,広 義のワルラシアン の接近法に拘束 されなければならない とす るのは明 らかに行 き過 ぎである。換 言すれば,広 義のワル ラシアンの接近法が うま く適用 できないか らといって, 観察 され る問題の現象 をそれに合 うようにいっそ う抽象的な形で理論的に再解 釈 を後付け しようとす るのは本木転倒 であ り,少 なか らず無理があるだろうし, これに対 して有望 な成果はほ とん ど期待 で きないだろう。 とはいえ,既 に見た ようにケインジアン解釈 では広義のワルラシアンの接近法が不毛ではな く,明 らかに有意義 な ものであ り,そ して経済政策の理論付け とい う点で もある程度

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は確 か に有効 であ る。 ここに,最 もふ さわ しい理論 モデル表現 を探求 しよ うと す る研 究者 の努 力が相 まって,ケ インジア ン理論 の解釈 の 多様性 と,そ うであ るが ゆ えの理論 的解釈 の難 しさが起 因す る。 通常,実 証主義 に由来す る とされ,経 済理論 の分析 姿勢 の 中枢 にあ る純粋 主 義 は,一 般 の信仰 や宗教 的 な信 念 に伴 って,欧 米人 ない しアー リア系の人々に しば しば見 られ るであ ろ うところの,理 想 の実体化へ の情熱的 な精神性 にか な り類似 してい る。 注意すべ きは,そ の純粋 主義 が,広 義 の ワル ラシア ン接近法 とだけ癒 着 して良 いはずが ない とい うこ とであ る。 さ もなければ,冷 徹 な まで に可能 な限 り没価値 的 で,経 済的真理 と経 済理論 モデル との論理実証 的 な一意 の 同定 を厳密 に探求 して止 まない純粋 理論 派 の経済理論家 で さえ,広 義 の ワル ラシア ンの色 眼鏡 を通 してのみ現象理解 が で きるに過 ぎな くな る。 この とき, その色 眼鏡 は彼 の情熱 の方 向 を歪め,彼 の思考 の範 囲 と想像 力 を初 めか ら無意 識 に制 限す るこ とに な る。 いか な る分析 の接近法 も,研 究者 の研 究 目的 に応 じ た純粋 な洞祭 の結果 として最 も有効 に選 び出 され るのでなければ な らない。 し ば しば忘 れが ちにな るが,真 理 の殿堂 では,い か な る仮 説や理論 も,そ して, 広 く知 られ た前提 や 法則 です ら,無 条件 に晩か なければ な らないのであ り,広 義 の ワル ラ シア ンだけが その例 外 とされ る理 由は無 いの であ る。 参 照 文 献 荒 憲 治郎,1985年 「マネタ リス ト・合理 的期待学派お よびケインズ学派のインフレ分析」『現 代経済学の新展開』時子 山 ・他 (編)所 収,pp.221。

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参照

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