東 南 アジア研究 9巻1号 1971年6月
パ ガ ン,ピ ン ヤ,イ ン ワ時 代 の ビル マ人 仏 教 徒 の 功 徳
大 野 徹 *
Dedicationsofthe Buddhist Burman during Pagan
,
Pinya and Ava Periodsby
ToruOHNO
BurmesechroniclesglVeupan information thatthe religion of Burma has beenTheravadaBuddhism sinceKingAnawrahtaconqueredThaton,capitalofthe MomKingdom,in1057. Thisinformationdoesnot,however,Coincidewith any description oftheBurmeseinscriptionswritten inPagan,PinyaandAvaperiods.
Accordingtotheseinscriptions,thereligion ofBurmainthosedayswas,no doubt,TheravadaBuddhism descendedfrom Ceylon. TheBurmanasthebuddhist in thosedaysmanufacturedBuddha's images with gold and silver,copied the P51iCanon,Tibitaka,builtPagodasandmonasteries,andofferedvariousdedi ca-tionssuchasagrlCulturallandsandhumanbeingsasthePagodaslaves.
In makingsuchareligiousofferingstoThree Gems,the Lord Buddha,the
Law and the Monk,donors expected to liberate from the fear of rebirth in
Sadisara,toattain OmniscienceandtorealizeNirvana. Theyprayednotonlyfor
themselvesbutalsoforothers. Thisattitudeofdonorscanbecalled Mahayanistic intheory. Aninscriptionwrittenin1278A.D.(pl.no.289oftheZnsc7・iptionsof Burma compiled by U PeMaungTin and G.H.Luce)revealstheexistenceof theSanskritVydkaranaaswellasthe PaliCanon. Lokanatha (Avalokite昌vara),
one of the MahえyanaBodhisallva,wasalsoworshippedbytheBurman inthose days.Itis,tllerefore,evidentthatMahayanasectof Buddhism had once been fairlypowerfulinBurma.
Ⅰ ビルマ語碑文の構成
ビル マ語 の碑文 は, かつ て述 べ た1)よ うに,原則 と して統 一 した形 式 をそ なえ てお り,一 般 に次 の よ うな順 序 に配 列 され てい る。 (1) パ ー リ語 の三帰依文 または総 礼文 *大 阪外 国語大学 ビル マ語学科 1)大 野 1965,pp.110-114. 19東南 アジア研究 9巻1号 (2) ビル マ暦 または仏暦 に よる碑 文 の作成年 月 日 (3) 功徳 の施主 の名称 (4) 功徳 の対 象 (一般 に仏法僧 の三宝) (5) 功徳 の内容 (奴隷,土地等 の奉納) (6) 輪廻 の苦 しみか らの解放,解 脱,入浸輿 へ の祈願 (7) 功徳 の破壊者,掠奪者へ の呪誼. ただ し碑文 に よっては, これ らの要素 の内いず れかを欠 く場 合が あ る。 パ ー リ語 の総 礼文 または三帰依文 は碑文 の冒頭 に掲 げ られ てい るのが普通 で,仏 陀に対 す る 帰敬 と三宝 に対 す る帰敬 の二種 に大別 され る。 前 者は さらに, (1)釈迦牟尼仏 のみに対 す る帰 敬, (2) 悟 れ るもの全 てに対 す る帰敬 , (3)観世音菩薩に対 す る帰敬 の三種 に細別 され る。 ビ ル マ文字 に よって書 き表 わ された これ らパー リ語 の帰依文 を, ローマ字 に転写 して示 す と次 の よ うに な る。 (右側 のア ラビア数字 は,PeMaungTin and G.H.Luce:
I
ns
c
r
i
pt
i
o
n
so
f
Bur
m
a.PortfolioⅠ∼V 1933-1956の PlateNumberを示 す)(1) Namotassabhagawatoarahatosamm豆sambuddhassa(ti).p
l
.nos.123,143a. b,147a.b,224,271,283,398,428,443.(2) Namobuddh豆ya.p
l
.nos.4,63a,69,85,102,162,185,216,416a,485a,491,520a,525b,591a.
(3) Namosabbabuddh豆narh.p
l
.nos.153a.b,232,234,247,249,254b,268,272,274.
(4) Namosabbabuddh豆ya.p
l
.no.503. (5) NamoLokan豆th豆ya.pl
.nos.192,269.(6) NamoBuddh豆yaDhamm豆yaSa血gh 豆ya (ti).p
l
.mos.15,123,144. (7) NamoBuddh豆NamoDhamm豆NamoSa血gh 豆.pl
.no.193.(8) NamoBuddhassaNamoDhammassaNamoSa血khassa.p
l
.no.255. (9) NamoRatanattayaya.pl
.mos.138,187,462a.(1) は 『世尊 ,応供,正遍知 に帰命 す』 とい う意味 の, いわゆ る総 礼文 で,今 日で も書籍 の 巻 首に しば しば用い られ てい る
。(
2
)(
3
)(
4
)
は 『仏陀 に帰命 す』 とい う仏陀へ の帰敬 を表わ す文 で あ るが, (3) と (4) は 『(悟 れ るもの) すべ て』 へ の帰依 を意味 してい る。 (5) の Lo-kan豆thaは,Avalokite毒varaす なわ ち "観世音菩薩" の別 称 で あ る。 もっ ともLokan豆thaには "世尊" す なわ ち 仏 陀 の別称 とい う意 味 もあ る2)か ら, Lokan云・thaとい う言葉 が常 に
``観世音菩薩''である とは限 らないけれ ども, アべ -ヤ ダナ-窟院 (パ ガン) か らは壁 画 や素
2)陳 1962,p.418. 20
大野 :パ ガ ン, ピンJr, イソ ワ時 代の ビル7人仏 教徒 の功 徳 焼 きの観世音 菩 薩像 が発 見 され てい る3)以上 ,帰敬 文 の Lokan豆thaを "観世音 菩薩" と解釈 す る ことは別 に誤 りとは思 えない。 パ ガ ンにおけ る観音 信仰 の存在 は, かつ て この地 に大 乗 系 の仏教 が栄 えてい た ことを物 語 る。(6)(7) (8) は 『仏 陀 に帰 依す,法 に帰 依 す, 僧伽 に帰 依 すELとい う三宝 に対 す る帰敬 文 で, (9)の 『三宝 に帰 依 す』 とい う形 に ま とめ られ る。 碑 文の作成年 月 日は次 の よ うな形 を とる。 (1) Sakarac(ビル マ暦紀 元) に よ る年 数
(2)
イ ン ド暦年 名の表示 (3) ビル マ暦 に よる月名 (4) 日 (5) 曜 日 (6) 時刻 ビル マ暦紀 元 は西暦638年 を もってその元年 とす る紀元 で4㌧ 碑 文 には Sakaracとい う形 で 現 われ る。 タイの小暦 (cG!asakkar豆j) と同 じであ るっ
5
)
この ビル マ暦 紀 元 と共 に仏暦紀元 (AnnoBuddhae)が併記 され てい る こともあ る。 仏 暦紀元 は S豆san豆 とい う言葉 で表 わ され , 釈 尊 の入滅 を もって基 準 とす る。 その具体 例 を示 せば次 の とお りで あ る。(1) 導 き仏 陀 の教 え (S豆san云)去 りて1750年 sakarac568年 (p
l
.no.28b) (2) 仏陀 の入 滅後 (S豆san云)1837年 た ちた る時 sakarac654年 (pl.no.283) (3) 仏 陀 の教 え (S豆san云)1843年 た ちた る時 sakarac661年 (pl.no.293)(4) sakarac661年 マ ー カ年 , (緬暦)11月票分 3日 6niy,四阿僧 砥 劫 の間十万 の世 界 で 波 羅 蜜 を実践 し, 自ら生 まれ た その 日に生 え し菩提 椿樹 の下 ,黄 金 の玉座 の上 に て愚痴 ,怒情 , 欲情 を棄 て四聖 諦 を悟 りし仏 陀 が,焚 天 をは じめ救 うべ き諸 々の人 間,諸 天 を救 い て洋梨 に去
り1843年 た ちた る時 (p
l
.no.390)(5) sakarac672年 プッサ年 , (緬 暦) 4月 自分12日 5niy,四阿僧 砥 劫 の問十 万 の世 界 で 波 羅 蜜 を実践 し, 自ら生 まれ たその 日に生 え し菩提 椿樹 の下 ,黄 金の玉 垂 の上 に て愚痴 ,怒情 , 欲情 を棄 て四聖 謡 を悟 りし仏 陀が,先 天 をは じめ救 お るべ き諸 々の人 間,諸 天 を放 い て漫架 に 去 り1854年 た ちた る時 (p
l
.no.413)(6) 仏 陀 の教 え (S云san豆)1874年 た ちL sakarac692年 (p
l
.no.524a)(7) 導 き仏 陀 の入滅後 (S豆san豆)1895年 た ちた る時 sakarac713年 (p
l
.no.546)以上 の例 か ら仏 暦紀元元年 を算 出 してみ ると,(2)を除 い ていずれ も西 暦紀元前 544年 とな
3)U Mya 1968,p.41,61.
4)PeMaungTin1960a,footnotep.424.ビルマ暦紀元については,R.L Soni1955に詳しい.
5)Harvey 1925,p.16.
東南 アジア研究 9巻 1号 る。 一 般 に 南 方 上 座 部 (Therav豆da)仏 教 では仏 陀 の入 滅 を BC 544年 とす る6)が , そ れ は ビル マ では す で に
1
3
世 紀 初 頭 か ら人 々の問 に知 られ てい た 。 イ ン ド暦 年 名 は, 星 座 に 因 ん で 名付 け られ た もの で,12年 を1周 期 とす る。7) ビル マ語 碑 文 では 次 の よ うな形 で現 わ れ る。 第 1年 Cay,Jay. 第 2年 Pisyak,Bisyak.第
3
年 Cissa,Cisa,Citssa,Citsa,Jissa.第4年 Asat,Asit,Asut.
第5年 Sarawan,S豆rawan,Srawan,Srw豆n. 第
6
年 Phassa,Passa,Bhat,Bhat.第 7年 Asin,Asi血.
第8年 Kratuik,Kr豆tuik.
第 9年 Mruikkasuir,Mruikkasuiw,Mruikasuih,Mrikkasor.
第
1
0
年 Pussa,Phussa,PlltSa.第11年 M豆kha
,
M豆kh豆,
M豆gha.第12年 Phlakuin,Phalakuin,Bhalakuin,Phlaguin.
ビル マ暦 年 が khuで現 わ され るの に対 し, イ ン ド暦 年 は hnac(往 々に して sa血wacc hu-ir)で現 わ され てい る。 今 日では, この両 形 が 合 体 して khu-hnacと して 用 い られ るの が普
通 だ が , 年 数 (何 年 ) を khu,年 齢 (何 才 ) を hnacで表 わ す ことも あ る。
ビル マ暦 の 月 名 は, 碑 文 では次 の よ うな 形 で現 わ れ る。 1月 Tan-khu8
)
,Tan-khti9).2月 Ku-chunlO),K正-chdnll),Ka-chun12),Khu-chun131.
3月 Na血-yun14),Naゐ-myun15),Nan-yun16).
) ) ) ) ) ) ) 6 7 8 9 0 1 2 1 1 1 中村 1970,pp.34-35;岩本 1971,pp.34-35.
Daw ThanSwe.PaganKhitEweMiMya.Myawaddy
Inscripti:onsofBurma,pl.nos.31,240,274,381,402a,493C,517a. r: r: p p p lα Td Tα .Z .つ■ .7-乃 乃 乃 S0 n 149,198,252.
mos.24,41,58,84,85,115,128,129,136,140a,174,190a,210a,232,249,289,379.
0
n 113.
Ibid.,pl.nos.122a,127a,156,177a,202,228b,394,403a,412a,439a,440a,446C,447,464a, 467C,537a,
13)Zbid.,pl.mos.207,267,287b.
14)Ibid.,pl.nos.39,75b,180,185,191b,192,193,194,203,208,217,219a,241,264,269,290b, 295,376,399a,456a,460b,481a,490a,51la.b,530.
15)Zbid.,pl.no.450a. 16)Iaid.,pl.no.91,
大野 :パ カ、ソ, 〔ンヤ, イソ ワ時代 の ビルマ人仏教徒 の功徳
4月 M Iway-t豆17),Nway-ta18),W えーchuiw19). 5月 Narh-k豆20)
,
Wえーkho血21)
,
6月 Taw-sa-1ah22),Taw-sla血23),T豆wISlaが 4),Taw-ssa-lan25). 7月 San-td26),San-tu27)
,
Wえーklwat28).8月 Tan-cho血-hmun29),Tan-choh-mun301,Ta-cho血Ihmun31). 9月 Nat-taw32),Nat-t云W33).
10月 Pla-chuiw34),P15-chuiw35).
11月 Ta-puiw-thway36),Ta-puiw'-thway37
)
,Ta-puiw-tway38). 12月 Ta-po血39).この 内,緬 暦4月 を表 わ す M Iway-taお よ び Nway-t5, 5月 を表 わ す Narh-k5, 7月 を 表 わ す San-td な どは いず れ も古 語 で今 日では全 く使 用 され てい ないが,残 りは それ ぞ れ特定 の形 に統 一 され て使 わ れ てい る。
ビル マ暦 の月 は太 陽暦 (Solar Calendar)では な く太 陰 暦 (Lunar Calendar)なの で, 日数 の表 示 も 『自分』 (La-chan40),Lchan41))と 『黒 分』 (La-chut42),Lchut43)) とに分 け ら 17)Zbid.,pl.mos.44a,63a,68,75,a,121a,150,236b,239,242,251,254a,272,377b,408,i13,121
a,428,439b,448a,457a,459a. 18)Ibid.,pl.mos.388a,438a,445a. 19)Zbi'd.,pl.mos.36,393,421a.
20)Ibid.,pl.mos.32,70,100b,130,181,215b,216,245b,280a,282,297,298a,367a,419a,122a. 2D Zbid.,pl.mos.36,392,393.
22)Ibid.,pl.nos.37,132b,19la,197,211,248,286a,489,586a,59la. 23)Zbid.,pl.mos.69,90.
24)Ibid.,pl.no.16lb. 25)Ibid.,pl.no.182b.
26)Zbid" pl.mos.47,100a,120a,182a,233,243,250,368b,369a,407b,451. 27)Zbid.,pl.nos.19b,34,79b,101,131a,293,422C,491.
28)Zbid.,pl.mos.36,393.
29)Zbid‥ pl.nos.10,62,99,123,148,187,204a,235,254b,268,272,274,283,365a,378a,382,
395,396a,436a,446a,461b,462a,480a,500,501,515b,582b. 30)Ibid.,pl.no.585a.
3D Zbid.,pl.no.455b.
32)Ibid.,pl.nos.55a,102,147a,153b,160b,162,186,224,227,285,377a,378b,513,540a. 33)Ibid.,pl.mos.13,73,143a.b,144,145,146,153a,247.
34)Ibid.,pl.mos.4,15,51,56a.b,83,103,110,131b,148,195a,210b,234,249,286,372C,386,
420a,422C,486b,511C,521,253a. 35)Ibid.,pl.mos.228a,253b. TL ID . p l 叶 4 Tは .TS .描 .IS ね ル ル ル ル 4 ヽノ ヽノ ヽノ ) 6 7 8 9 3 3 3 3
mos.54,98,152,195b,229,373a,383a,390,478. mos.98,132a,196.
0
n 415.
mos.14 6 2 2,17,65b,78,95a,111,141b,176b,183a,184,205,214b,226,290a,365b
,
116a,a
470a,476,488b,499b,505a,516,523b,527a,532,538a,539a,540b. 40)Ibid.,pl.mos.7,10a,13,15,17,37,44a,47,54,58,62,63a,68,70,76.
4D Ibid.,pl.mos.12,24,31,69,84. (次 ペ ージ- つづ く) 23
東 南 ア ジ ア研 究 9巻 1号
れ , それ ぞ れ 1日か ら14日まで の 日が現 わ れ る。換 言 す る と ビル マ語 の碑 文 に は15日以上 の 日 が 現 わ れ る こ とは ない。 自分 の15日は 『満 月』(La-plaa44)),黒 分 の15日は 『小 月』(La-siy45))
で表 わ され るの が 原 則 だ が , 稀 に 『自分 15満 月』 (Lchan 15 La-pla五46)) とか, 『満 月15日』 (La-pla負 15ryak47)) とい う形 が 使 わ れ て い る こと も あ る。 日数 は常 に ryak を伴 う。ryak
は …一 昼 夜 " を示 す 言 葉 で, 昼 間 の み を示 す niy とは 区別 され る。 曜 日は ,碑 文 形 では次 の よ うに現 わ れ る。
日曜 Tan-hna血-ka-nuy48), Ta-hna血-ka-nuy49), Tan-hnaかku-nuy50), Ta- hnaかku-nuy51).
月曜 Tan-hna血-1豆52),Ta-hnaか 1553),Tarh-hnaか 1554),Ta-h昨 h-1555). 火曜 A血k豆56
)
,A血g豆57).水曜 Putta-hti58),Butta-hd59
)
,Buddha-ho60㌧木 曜 Kra-sa-pa-tiy61),Kr豆ISa-Pa-tiy62),Kra-ssa-pa-tiy63',Kr豆ISSa-pa-tiy64). 金 曜 Su-kr豆65),Sukkr豆66),So-kr567),Sokkra68).
土 曜 Ca-niy69
)
,Cえーni70)
,Cane71).、α . α Iα ./ ./ -/ ル ル 〃 ヽJ . .-一 ヽJ . 2 3 4 4 4 4 4 4 .4 4 4 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 6 6 6 6 6 6 6 6 ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) ) 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 .α Tα 'α .α 'α .α d Iα d I α Tα 'α .〟 J3 .ー ■/. .I` .′ .∼ ./ .-′ .I■ ・ー ./ '′ .′ .∼ ・I一 l ・丸い ・か ・か 25 乃 乃 乃 :S 33" rTは . T は .Tは .招d 甜 :招 .TS二 は TS .TS TS .材 軸 紘 rt3∼ :C3∼ .誠 は .描 乃 ル ル 乃 乃 〃 ル ル 乃 乃 ル ル 乃 乃 39 ル ル 乃 乃 乃 乃 .α.tl 〟 打 切 8 6 24 . 6 . p l が p -. 紬 p -. p 1 p l p l p l pl p l が が p l p 1 p 1 p l が p l が -Fh 45 が が p l が p 1 p 1 p , I I 2 I I I . . I I _ . I , I . _ I . ー mos.4,32,34,51,56a,55a,73,75a. no.19b.
mos.99,100a,124,128,13la,141a,190a,19la,228a,229,234,235,239,243,249, 274,365,382,395,412a,42la. mos.100b,145,146. . s s . , s s . 。 S . S S S S S S S 0 0 0 o 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ∩ n n n n n n n n n n n n n n n h n n n 439a. 439b. 83,227.368,369a,377b,378a. 153a,408,440a,459a,523a,530. 32.
229.
47,51,105a,119a,120a,157,187,192,207,239,243,254a,264,377a,422C. 176b,182b,210b,228b,233,287b,291,388a,401,444b,457a,46lb.
17. 439a.
70,195a,226,42la,422a. 254b.
ll,37,75a.b,110,127a,132a,132a,174,185,191b,210a,234,249,268,290a. 65b,85,101,102,190a,383a.
241,440b.
25,41,63a,76,90,127b,186,19la,204a,215b,216,232,237,245b,250,373a, 103,143a,144,152,177a,184,198,381,382,451,46la,48la,483a,484a. 15,34,54,88,98,100b,130,131b,149,182a,247.
100a,181.
mos.21,29,39,56b,69,79b,91,148,156,195b,196,217,248,267,288,367a. mos.38b,73,122a,153b,180,208,219a.
0
n 205.
大野 :パガン,ビンヤ,インr昔['(のご′L-、-/、仏,-JJii徒の功徳
曜 日は す べ て niyを伴 うが , この曜 日 (niy)と 日 (ryak)との 間 に は , 1か ら6ま で の 数 字 で表 わ され る別 の niyが 姿 を現 わ す こ と も 少 な くない 。 例 え ば ,
5ryak 1niy (pl.no.293). 7ryak 2niy (pl.no.183a). 5ryak 3niy (pl.no.193). 12ryak 4niy (pl.no.126b).
lryak 5niy (pl.no.203). 4ryak 6niy (pl.no.432b).
この niyは ,"24時 間 1日" の ryak(一 昼 夜 ) に対 し, "12時 間 1日" す なわ ち =昼 間 '' の み の 時 刻 を示 す 言 葉 で あ っ た と思 わ れ る。 しか も1か ら6まで の 数 字 の どれ か を 伴 っ て い る
こ とか ら考 え て,lniyは 2時 間 で あっ た と解 釈 され る。 (lniy- 日曜 日,2niy-月 曜 日とい うよ うに,niyを 曜 日 と解 釈 す る こ と もで き る「)Niyとい う言 葉 が ``昼 間 " の み を示 す もの で あ っ た こ とは , "夜 " (flan)とい う言 葉 と対 照 的 に使 用 され て い る こ とに よっ て 明 らか で あ る。 す な わ ち, 次 の よ うに ,niyが 現 わ れ るべ き位 置 に しば しば 五anが 座 を 占 め て い る。
6ryak 5五an sam-koh lway (pl.no.283) Tan-hnaか15 品an (pl.no.422C)
SanttiLaplafi品an san-ko血 ma-rok-mi(pl.no.422C)
な お , こ う した昼 と夜 の 区 別 の ほ か に , 午 前 と午 後 とが 識 別 され て い た こ と も, 次 の 例 に よ っ て確 認 され る。 また , "日の 出" も Niy-thw.akで表 わ され て い る。(pl.no.428)
La-chan 13ry豆k Buddha-hoNan-nak niy (pl.no.241). Ka-cbun La-pla五niy lway (pl.no.412a).
Ta-po血 Lchan 5ryak niy lway (pl.no.527a).
時 刻の表 示 法 に は,pa-hu ir72)また は pa-hui'73-, お よび na-di74),phlw575)の3種 類 が
あ る。pa-huir(も し くは pa-hui')は , 昼 間4, 夜 間4の計 8 pa-huirに分 け る もの で 6),
華 夷 訳 語 栢
唇I館 雑 字 の 巴 里 本 お よび 東 洋 文 嘩本 に は 『八 後 』, 大 英 博 物 館 本 に は 『把 後el, ケ ン ブ 1)ッ ジ大 学 蔵 本 に は 『卜後』とい う形 で そ れ ぞ れ 現 わ れ る77)単 語 で あ る。 ビル マ . [/ p l が Ia -p -p -a -a . 9︻HH ;. .,: 」 ∵ ・・' 7 : 紘 ? I. . . 町 ル ル ル ル ル ル 乃 大 \t一ノ \ーノ ) ヽ.ノ ヽ-ノ ) ) ) 9 0 「1 2 3 4 一.hJ 6 6 ︻- L- ︻-︻/ ︻/ ︻/ ︻-/ S 。 ● S S S 0 0 0 0 0 0 0 ∩ ∩ ∩ n n n n 44a,55a,58,123,194,197,235,242,297,395. 372d. 285.lo乱.ba-huir(pl.no.101),pa-huil(pl.no.162)とい う形 もある。 36,368b,369a.
10a,527a.
105a,412a,235,241.533.
p・141;U HtoonMyint1968,Palz'thetWawhaJ.aAbhidan,Rangoon,p.164. 77)Ibid.,p.141.
東南 アジア研究 9巻 1号
では コンパ ウソ時代 まで現われ てい た ことが, 『ア ラウソ大 法王戟記』78)に よって確認 され る。 Na-diは na-di3patな どとい う形 で使 われ てお り,24分1周 の時間 を示 す。79)Phlwa は故 ウ一 ・バ シ ソに よっ て pha-wa:の古形 だ と述 べ られ てい るが, pha-wa:それ 自体 がい か な る時 問的単位 で あ るの か 明示 され てい ない。pa-huir,na-di,phlw豆 3形 とも,碑 文 におけ る 使 用 は あ ま り目立 た ない。 この ことは,前 述 した二 時 間単位 の "niy日 が頻 繁 に使 われ てい る
ことときわ めて対 照的 であ る。当 時 の ビル マ人 に とってほ,pa-huir も na-diも phlw豆 も, niy は どな じみ の深 い単位 では なか ったの では ない か と推 測 され る。 仏教 は,釈 尊 の入 滅後, マ ウ リヤ王朝 の アショ カ王 の援助 保 護 を受 け てか ら全 イ ン ドに普 及 す る。 そ して仏教 の興隆 とともに, 仏 陀 あ るい は仏弟 子等 の遺 骨遺 品に対 す る崇 拝 が 出現 す る。 それ らが埋 葬 され て あ る箇所 には壮大 な仏 塔 が建立 され, その周 囲には見事 な彫 刻 の門や 欄楯 ,石柱 な どが,比 丘,比 丘尼 ,在 家信 者等 に よっ て寄 進 され た。80'彼 らは,寄 進 す る こと に よって父母親族 あ るいは師匠 の冥 福 を祈 り, また 自らの功徳 を積 も うと し, あ るい は また一 切衆 生 に功徳 をお よばそ うと したの であ る。 この当時 の在 家寄 進 者 には王族,武士 ,農 民 はほ とん ど見当 た らず, 職業 的 には商 工業 者 お よび農 村 の資産 家 が圧倒 的 に多 かった。81'女性 の寄 進 者 も男性 に匹敵 す るは ど多 か った。 こ うした傾 向は, マ ウ リヤ王 朝崩壊 後 も続 く。 仏 塔だ け で な く僧院 (伽藍 ) も建造 され ,種 々な ものが僧 団 に寄進 され るよ うに なった。82)僧 伽 へ の信 徒 達 の寄進行 為 は, クシャナ王 朝 時代 に な るといっそ う盛 んに なった。寺 院 ,窟 院,仏 塔,仏 舎利 堂 ,講 堂, 食堂 ,仏 菩薩 像 ,貯 水鞄,井戸 ,石柱,欄楯 等 の建造建 立 が行 なわれ ,建造 さ れ た寺 院 には広大 な土地 や莫大 な金銭が寄進 され た。83)イ ン ドに おけ る仏教 徒達 の こ うした行 為 は, その後, ドゥバ ー ラバ テ ィーのモ ソ人84)や パ ガン, ピンヤ, イ ソ ワの ビル マ人 に引 き継 がれ た。 と ころが,伽藍 の建造 にせ よ仏 像 の鋳 造 にせ よ, あ るい は また僧伽 へ の奴隷 や土地 の寄進 に せ よ, 莫大 な出費 を必要 とす る。 参 考 までに い くつか の例 を挙 げ ると次 の よ うに な る。 (1) 仏 像 の鋳造
蓑 金 30klyap,銀 50klyap (p
l
.no.73). 黄 金 100klyap,銀 300klyap (pl
.no.194).黄 金 2,773klyap (仏像 , 僧院,窟 院 の総 額) (p
l
.no.40).78)TwinthindaikwunMah豆sithu.AldungmintayagyiAyedawbon,Rangoon.
79)PeMaungTinandL.H.Luce.Inscriptionsof Burma.portfolio1.BBHCvol.1,no.ii,1960, p.245. 80)干潟 1961,pp.ll-12;中村 1958,p.73. 81) 中村元 1958,p.73. 82)Zbid.,p.89. 83)Zbid.,p.110. 84)大野 1969,p.211.
大野 :パガン,ピンヤ,インソ時代のビルマ人仏教徒の功徳 (2) 窟 院 ,僧院 の建造
銀 1,747klyap, 黄 金23klyap, 水 銀92klyap (p
l
.no.164). 銀2,760klyap (僧院建造) (pl
.no.503).銀64,000klyap (窟 院建造) (p
l
.no.459a). (3) 奴 隷 の寄 進 男女計 100人 (pl
.no.10a.b). ク 計 178人 (pl
.no.138). ク 計 181人 (pl
.no.144). ク 計 195人 (pl
.no.164). イ ン ド人 , ビル マ人 計 1,000人 (pl
.no.196).(4)
土 地 の奉 納水 田 100pay (p
l
.no.63a). 水 田 260pay (pl
.no.138). 水 田 510pay (pl
.no.34). 水 田 3,598pay (pl
.no.234).当 時 の黄 金 と銀 との交 換 比 率 は1対10の割 合85)で あ り, 奴 隷 の値 段 は 1人 あ た り銀 14kl y-ap86)か ら 30klyap87), 土 地 の 価格 は lpay あた り金 1klyap88)か ら 12.5klyap89), 銀 lklyap90)か ら 20klyap91)で あっ た 。 こ う した支 出に耐 え得 る能 力 は一 般 庶 民 に は もち ろ ん な い。 功 徳 の施 主 (寄 進 者 ) の範 囲 も, 当 然 限定 され て くる。 だ か ら ビル マに お け る最 大 の施
主 は, 言 うまで もな く国王92)で あっ た。 国王 は,Ma血93),M a且-kri94),M a允-R云Z豆95)な どと
よばれ, その行為 にはすべ て尊敬 を示 す補 助動 詞
t
aw-
m
G を付 け て他 の者 と区 別 され てい る。 国王 に 次 ぐ施 主 は,Pay一mya-kri96),M aかmaya97),M af1-miyma98',M i-phu-ra99',Ami-85)Inscriptionsof Burma,pl.no.143a. 86)Zbid 87)Ibl'd 88)Ibid 89)Ibid 90)Ibl'd 91)Zbid 92)Ibtd. 446a ) ) ) ) ) ) ) 3 一4 LD 6 7 8 9 9 9 9 9 9 9 9 pl.no.78b. pl.mos.75a,392. pl.no.84. pl.no.145. pl.mos.162,268. pl,no.145.
pl.mos.24,31,34,41,63a,64,90,91,148a.b,203,233,282,285,365a,368b,369a, 453a,455a.b,459a,470a,471,476,486a,491,493C,501,513,525b,530,533.
Zbid" pl.mos.428,523a. Zbid" pl.nos.98,182a,228b,268,539a. Zbid.,pl.no.376. Ibid" pl.nos.138,164. '∼ '∼ '∼ 乃 乃 乃 d" pl.mos.34,215b,216,229,232,395,483b. d.,pl.mos.63a,152. id.,pl.nos.293,476,488b. 27
東 南 ア ジ ア研 究 9巻 1号
phu-r5100)な どとよばれ る王 妃 , 王 子 (Ma且-sa)101), 王 女 (Maムーsami)102), 王孫 (Ma血
-mliy)103),皇太后 (Mad-phw豆104),Phw豆Ira血105)),国王 の兄弟106), お じ107), おば108)等 の王 族 で あった。 この点, イ ン ドの場 合 とは か な り異 な る。 王族 に次 ぐ施主 の筆頭 には宰 相 お よび
その家族 が くる。 宰 相 は Amatyえーkri109),MaかAmatyallO),Amat-kri111),Mail-matl12),
Mad-mat-kri113)な どと称 され, 王族 を嫁 に迎 え る114)な どして王家 と強 く結 びつい てい た。 そ の下 に来 るのが 官延 の高級 役人 (Sad-pya血)115)で あ る。Sari1-Pya血以外 に,Kalanl16)と よば れ る役人 階 層 もいたが, Kalanは証人 と して しば しば功徳 の現場 に立会 っ てはい るもの の, 施主 として名 を現 わ す ことは ない。 この ことか ら考 え る と, Kalan達 は Sa血-pya血は
ど経 済的 に豊 か では なかった。 す なわ ち高級役人 の Sarh-pya血に対 し, Kalanは "下級 役 人 " で あった と解 釈 され る。 Sa血-pya血が "高級 役人" で あった ことは, そ の中 か ら しば し
ば Amat(宰 相) を 出 してい る117)ことに よっ て も明 らか であ る。 施主 には, 役人 以外 に,翠
人 (Cac-sd-kri118),Mahえーsen豆patil19)),村 長 (Rw豆-sti-kri)120㌧ 各種 組 織 の長 (Sti-kri)121)
な どがいた。 一方 , こ うした政 治権 力 を もつ階 層 とは別 に,財 力に物 を言 わ せ る人達 もい た。
彼 らは …富豪 "(su-krway,または su-krway-ma)122)と称 され,一般 庶 民 とは別 の 層を形 成 してい た と考 え られ る。功徳 の族主 には,在 家信 者 だ け では な く比 丘,比 丘 尼 で もな り得 た。 彼 らには, safL123),sa血Ikri124),saかlya血125)な どの称 号 が付 け られ在 家信 者 と区別 され る。
) \-ノ \-ノ ) ヽノ ) ) \-ノ ) ) ヽ、ノ ヽtノ ヽノ ) ) ) ) ) ) ヽ.ノ ヽ-ノ ) 0 1 ユ 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 .4 5 6 7 8 9 0 「⊥ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 「⊥ l 「⊥ l 1 1 1 1 l 1 2 2 1 「⊥ 「⊥ l 「⊥ l 1 1 l 「⊥ l 「⊥ l l 「⊥ l 「⊥ 1⊥ l 1 1 1 p l が p l p l か p 1 p l p l p l p l p l d p l か p l p l が p l が p l d p I I 一 I I ' 一 I I I I -' I -I ) ク l ' 9 ' ♂ . α ♂ . α丁 α .α d ♂ ♂ .α J α Jα d . α Jα Jα d . α .α 一α ♂ . α ♂ J α d J3 ●2 -●∼ .7r I〃l 乃 乃 乃 乃 ♂ .α d 〟 ♂ .α J α Jα d . α Jα Jα d .α .α 一 d ♂ .α .∫, .・1 .・-.・1 .・1 .,I .11 .・∼ '・1 .・` .,・∼ '・` .・一 ・.い ・・い ・・ト ・・ト ・lい 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 乃 mos.390,413,483b. mos.129,540a. mos.15,200,254b,291,365b. mos.83,272,274. mos.126,234,235,451. mos.129,540a. no.398. no.186. mos.181,249. no.10a. mos.134a,247. mos.283,289,379,403a,478,486b,523b,527a,59la. mos.105a.186,286,386,399b,401,408. mos.453a,467C,517. mos.15,200. mos.24,132a,140a,187,243.248,282,288. mos.379.503. mos.273,274,277,290b,396a;大野 1971. mos.489,517b. mos.73,80,382. no.436a. mos.153a,444b,447,462a.
122)Ibid.,pl.nos.127b,128,141b,157,161b,177a,190b,213a,217,237,267,295,383a,402a,448a, 463.
123)Ibid.,pl.nos.28a,19lb. 28
大野 :パガン,ピンヤ,イソワ時代のビルて人仏教徒の功徳
在 家信 者 の施 主 に は, 男 性 (名前 の前 に ha-が 付 く)126)以外 に女 性 (名前 の前 に ui-,ui'
-uih-,uin-uim一等 が 付 く)127'も相 当 い た 。 また, 単 独 で は な く夫 婦 (laかmiy5,1af1-my瓦,
lab-maya,あ るい は mo由一hnarh な どと よば れ る)128'で施 主 に な る例 も少 な くなか っ た 。
以上 , ビル マ語 碑 文 の構成要素 7項 目の 内, は じめ の3項 目に つ い て そ の特 徴 を 明 らかに し た 。残 り4項 目に つ い て 引続 き記 述 し よ うと しない の は,実 は そ の4項 目 こそ が 本稿 の主要 な 考 察 内容 だ か らで, それ らは いず れ も本論 に お い て取 り扱 わ れ る。 パ ガ ン時 代 以降 の ビル マの仏 教 は, ア ノー ヤ ター王 (碑 文 に現 わ れ る名称 は Aniruddha. 文 献 上 で は Anawrahta と書 かれ る ことが 多 い が , 実 際 は =ァ ナ ウ ラタ" で は な く "ア ノー ヤ タノ 'と発 音 す る) の タ トン征 服 後 パ ガ ンに もた ら され た南 方 上 座部 (Therav豆da)仏 教 で あ り, そ れ 以前 に この他 に栄 え て い た の は 『ア リー』 と よば れ る大 乗 系 (密 教 系, タ ン トラ系 等 の説 もあ る) の仏 教 で あ る と従 来 言 わ れ て きた。 そ の 出典 は A.Phayreや G.E.Harvey
等 の "ビル マ史 H で あ り, そ の根 底 に は Hmannan M ah豆yazawindawgyiや , Ukala の M ah豆yazawindwgyi等 の ビル マ語 の年 代 記 が あ る。 一 方 また, 大 更 (Mah豆 Varhsa),良
史 (DipaVa血sa) とい っ た蔵 外 文 献 に よ る考 察 も行 なわ れ て きた。従 っ て, これ らを頼 りと す る限 り, (1) ア リー は邪 教 で あ る。 (2)ア ノー ヤ ター王 は,堕 落 腐敗 した パ ガ ンの宗 教改 革 を行 な うた め ,i- リ語 一 切 経 を タ トンに求 め たが, 拒 絶 され た た め 出兵 した。(3)タ トンの モ ソ族 の地 に栄 え てい た仏教 は 南方 上 座 部 系 の仏教 で あ る。(4)ア リ-達 は ア ノ- ヤ クー王 に よ っ て弾 圧 され 消 滅 した,云 々 とい っ た趣 旨の文 が飽 き もせ ず に く り返 し, く り返 し書 かれ て き た 。 こ うした論 考 に対 して ,ア リ- は邪教 徒 で は な か っ た し,ア ノーヤ ク-王 に よっ て弾圧 され た こ ともない 。 7 ノー ヤ ク -王 の タ トン攻 略 は宗 教 上 の純 粋 な動 機 に基 づ くもの で は な く, 敬 土 獲 得 の た めの侵 略 戟 争 で あっ た 。 タ トンの モ ソ族 の問 で信 奉 され てい た の ほ上 客部 仏 教 とい うよ りも ピッ ュ ヌ信 仰 で あっ た とい うよ うな, い わ ば従 来 の通 説 を根 底 か ら くつ か えす よ うな 説 が何 人 か の歴 史学 者129)に よっ て 出 され てい る。 こ うした新 説 の主 張 者 達 に共通 す る特 徴 は, い ず れ も年 代 記 な どを中 心 と した従 来 の文 献 学 的 な研 究 に飽 き足 らず , もっ ぱ ら ビル マ各 地 に 散 在 してい る碑 文 を基 に, 実 証 的 な研 究 を行 な っ てい る こ とで あ る。 パ ガ ン時 代 以降 の ビル マ の宗 教 問題 に つ い て も, す で に こう した 碑 文 を基 に分 析 考 察 され た きわ め て 説 得 力 の強 い論 124)Ibid.,pl.mos.22,37,123,557a.
125)Zbid.,pl.mos.39,197. Ijン トゥンは,saaIkriを seniormonks,sa血-1yah を juniormonks と 規定している。 ThanTun ``ReligioninBurma,A.D.1000-1300,''p.60・ また, saかkriを出
家,在家にかかわらず集団の長であるとす る人 もい る。 PeMaungTin1960b,p.415;PeMaung Tin1960a,p.433. \J ヽ一 \一 \lノ 6 ︻/ 8 9 2 2 2 (ソ ︼ 1 1 1 1 . α Tα ●サム ●一︼一 ル ル pl.no.10a:大野 1971. pl.mos.47,51,70,83. Zbl'd" pl.mos.73,101,129,152,197,200,240,376,416b,528,536. 例えば,マンダレ-文理科大学のタン トゥン博士など。 その著者論文については, 大野
徹
「批評 と 紹介 ・タン トウン著古代 ビルマ史」『東洋学報』52巻3号,pp.114-125参,照 。 29東南 アジア研究 9巻1号 文130)がい く篤 も発表 され てい る。 従 っ て これか らの ビル マ史研究 には, こうした成果 を基礎 に踏 まえ る必要 が ある ことは言 うまで もない。 本稿 の 目的は,現存す る ビル マ語諸碑文 を基 にパ ガン, ピソヤ, イ ン ワ各時代 を通 じてみ ら れ る ビル マ人 の信仰意識 を探 るとともに,当時 の宗教 がいかな るもので あったかを明 らかにす る ことに ある。 とは言 って も,当時 の ビル マ人仏教徒 の信仰意識 をその心理面 に まで立 ち入 っ て分析 す る ことは,い くら碑文 を活 用 した と ころで限 られ た資料 のわ く内では と うてい不可能 で あ るo そ こで本稿 では,表面 に現われた具体的 な事象 を手 がか りに次 の三 つの点 について考 察 してみ る。 (1) 功徳 の内容 (2) 功徳 の動 機 あるいは 目的 (3) 功徳 の回向 (祈願対象)
用 いた資料 は,PeMaungTin andG.
H.
Luce:I
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pt
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ma.
PortfolioI
-Ⅴ.Rangoon 1933-1956の中に収録 され てい る ビル マ語碑文 の写真版約600枚 で ある。 も っ とも,摩滅 の度合 が甚 だ し くて判読不能 あ るいは著 し く判読 困難 な ものは対 象 か ら取 り除 い てあ る。 出所 を明 らかにす るため,必要項 目ごとにア ラ ビア数字 でPlateNumberを示 した。 行数 は,煩雑 なのでその表示 を省略す る。 Ⅱ 功 徳 の 内 容 パ ガン, ピンヤ, イソ ワ各時代 の ビル マ人仏教 徒 の功徳 を内容別 に分類 してみ ると次 の よ う に な る。 もっ とも この分額 は,施主 に よって積 まれ た功徳 の種額 を示 すだけ の もので あって, 施主 の行為 がその内のいずれか ひ とつに限定 され てい るとい うことでは ない。 (1) 仏像製作 (pl
.mos.17,18,21,23,31,37,40,83,84,88,138,164,191a,194,195a,208,232,234,247,249,386,388a,400a,403a,525b).
仏像 の素材 には,一般 に金 (p
l
.mos.40,73,80,195a,249,400a),級 (pl
.nos.73,80,194,207,249)が使われ てい るが,大理石 (p
l
.no.73)や鼓璃 (pl
.no.80),象牙(p
l
.no.80),菩提樹 の枝 (pl
.no.80)等 が使われ た こともある。 仏像 に 『黄金 の溶 液 を塗 る』(pl
.mos.6,73)とい う表現 も しば しば見 出 され るが, これ は何 かの素材 に塗 金した もの と思われ る。 製作 され る仏像 は原則 として釈迦牟尼仏 で あるが,時 には釈尊 を含
む五仏 (p
l
.no.461b)で ある こともある。五仏 とは,拘楼孫仏 (KokkusanBhuhra131),Kak-kusan Puhra132)),拘 郡含仏 (Gon豆guim)132),迦 葉仏 (Kassapa)132),釈迦牟尼 仏
130)ThanTun``ReligioninBurma,A.D.1000-1300,";Thanでun"ReligiousBuildingsofBurma,
A.D.1000-1300,"ThanTun"Mah豆KassapaandhisTradition,";PeMaungTin1960a.
131)InscriptionsofBurma,pl.no.31.
132)Ibid.,pl.no.249.Gotamaの名は,pl.nos.506,589,591bにも現われる。
大野 :パガ-/,ビンヤ,イソT/時代つごルて人仏教徒Jj功徳
(Gotama puhr豆)132),弥勤 (Mittry豆132),Mittary豆puhra133),Mitry豆134),Mittaa135),
Ariyamettafipuhr豆 136)) で あ るC この五 仏 に対 す る信 仰 以 外 に,釈 尊 の十 大 弟子 の一人
で あっ た舎利 弗 (pl.mos.6,296,520a)や 目健連 (p
l
.mos.6,520a)等 も崇拝 され ていた。(2) 三蔵 製 作 (p
l
.mos.31,105a,164,200,205,248,249,386,390).三 蔵 は経 蔵 ,律 蔵 ,論 蔵 の ことで,碑 文 では Ti-pitaka (p
l
.no.274)とか,Pitakat su血 pu血 (pl
.mos.205,234,248,249,289)とか書 かれ てい る。 南方上 盤部 系 の三蔵す なわ ちパ ー リ語 一 切経 は,一 般 に次 の よ うに137)分 類 され る.
i) 律 蔵 (VinayaPitaka)
経 分 別 (SuttaVibhanga P豆tim okk
h
a
)(
究 蕗 部 (Khandhaka)・壬.
比丘戎
本(
p
a
r
a
j
i
k
豆
)
比丘尼戎
本(
p
豆
c
i
t
t
i
y
a
)
大 晶 (MahえVagga) 小晶 (CullaVagga) 附 録 部 (Pariv豆ra)19章 か ら成 るii) 経 蔵 (SuttaPitaka)
長 部 (Digha Nik豆ya)
・∴ 中 部 (MajjhimaNik云ya)
相 応 部 (SarhyuttaNikaya)
増 支 部 (A血guttara Nik豆ya)
小 郡 (KhuddakaNik豆ya)
iii)
論蔵
(Abhidhamma Pitaka)法 異 論 (DhammaSaflgapi) 分 別 論 (Vibha血ga)
界 論 (Kath豆Vatthu)
人施 設論 (PuggalaPafifiatti) 双 論 (Dh豆tu Vibhahga) 〟 T 〃 p Q T α H H .→ト `∼ ●∼ ●■・l 、 1 J-ル ル 乃 乃 赤 ヽ1ノ ) ヽ一ノ ヽ一ノ ) 3 4 5 6 ︻ノ 3 3 3 3 3 「⊥ 「⊥ 「⊥ 「⊥ 「l 1 11 1 p p p mos.202,206,216,275. no.283. no.293. (SilakhandaVagga) (Mah豆Vagga) (P豆tika Vagga) (SagえthaVagga) (Nid豆naVagga) (KhandaVagga) (Salayatana Vagga) (Mah豆Vagga) 法 句 (Dhamma pada) 経 集 (Sutta nip云ta) 本生 (J豆taka) 等15種 を 含 む pl.no.249. 1921,pp.457-458;龍 山 1942,pp.67-73;宇 井 1965b,pp.118-130;宇 井 1965a,pp.118 119;中村 1958,pp.51-52;渡辺 1936,pp.100-104. 31
東南 アジア研究 9巻1号
発 趣 論 (Yamaka) 論 事 論 (Pattana)
ビル マでは ,経 蔵 の中部 (KhuddakaNik豆ya)に,上述 の15種 以外 に さらに ミリンダ 閉経 (MilindaPa五h豆), 経 摂 (Sutta Sarhgaha), 簡 蔵論 (PetakoPadesa), 導引 (Netti) 等 が加 わ る。138)三 蔵 につ い て碑 文 に は Ti-pitaka,あ るいはPitakatsu血-pu允
と記 され てい るだ け で詳 しい説 明は ないが ,経 蔵 の五 部 (PaacaNik豆ya)は8万 4千 の 経 (nik豆y血豆IP豆hyat-so血 liy-tho血 try豆pitakatsurh-pu血) で構 成 され て お り (p
l
.
nos.234,247),最 も よ く使 用 され た のは長 都 第一 乗 の SilakhandaV豆si,論 蔵 のAbhi -dhamma Sa血gini, 中部 の本生 言等 (Tassa J豆taka), 同 じ く中部 の法 句経 (Dhamma Pada)そ れ に律 蔵 (Vine五)な ど (pl
.no.372)で あっ た。 また九分教 の一 つ で あ る 『授記 』 (Vy豆karana)も, メ - 1)語 で は な く焚 語 (Sa血sakruitByakaruip) の形 で知 ら れ て い た (p
l
.no.289)。 巴利語 経 典 と並 ん で死 語 経 典 が パ ガ ンに存在 してい た ことは, この他 に大 乗 系 の仏教 が あった ことを物語 っ てい る。 しか しパ ガ ンの仏教 の主 流 は , や はりセ イ ロンの 流 れ を くむ 南 方上 座 部 の 系統 で あった 。緬 暦627年 (西暦1265年 ) の碑 文
(p
l
.no.250)に は,次 の よ うに記 され て い る。 『釈尊 ,入滅前 に帝釈 天 を呼 び て, セ イ ロン島に て シ ュ リ ・ダル マ ・ソー カ大 王 の子 息 マ ヒソ ダ僧正 ,教 えを確 立 せ む。汝 ,応 援 すべ Lとて附 記 され Lが故 に』 (puhr豆 skha血 niyraban mamGmisakr豆ma血 kui khaw ruy sinkhuiw klwan hnuik siridhammasuk ma血kris豆mahindathera s豆san豆ta五 racari1na血 co血makhya血 racma血 huhna血 kharak豆)o パ ガ ンのビル マ人 は,13世 紀 の中頃 , す でに阿育 王 の諸 方 関数 と大 長 老 摩晴 陀 の セ イ ロン島派 遣139) とを知 っ て い た の で あ る。 な お,三 蔵 を "製 作 " す る とは , "写 経 ''を意 味 した もの と考 え られ る。 (3) 仏 塔 の建 立 (p
l
.mos.69,80,272,274,283,400a,455b,513) この場 合 の "仏 塔" とは 『チ ェテ ィヤ』 の ことで, 碑 文 では cetiとい う言 葉 で表 わ さ れ てい る。 一 般 に支提 (チ ェテ ィヤ) とい えば ,舎利 を納 めず に単 に記 念 の た めに造 営 し 1 た ものを指 す140)が , パ ガ ン時 代 の ビル マ の cetiに は,次 の窟 院 同様 , そ の 内部 に仏像 ,舎 利 ,三 蔵 等 が胎 蔵 (th豆pan豆)され てい る (p
l
.nos.10a,17,73,80,105a,194,200,241,249,390)。建 立 され る仏 塔 は,cetiだ けで は なか った。 窟 院 (kd)や浮 図 (puthu -iw),経 庫 (pitakatth豆r豆tuik) な ども建造 され てい る。 窟 院 (kd)建造 p
l
.nos.17,18,21,23,40,68,69,73,83,84,102,127a,138,152, 138)宇井 1965b,p.130;論蔵は当時17巻知られていた (pl.no.242)。 139)赤沼 1921,p.493;林 ・平松共訳 1932,pp.134,143-4,151;南伝大蔵経 第60巻. 140)林 ・平松共訳 1962,p.36. 32大野 :パガン,t=Iン十,インワ時代のビル-リ、仏教徒の功徳
164,181,194,200,205,232,234,247,248,249,282,283,386,393,451.
浮 図 (puthuiw)建 立 p
l
.mos.23,368,369,373b.経庫 (tuik)建造 p
l
.no.164. 尖塔 (prasat)建 造 pl
.mos.283,288,428,504. (4) 僧院 (Klo血)建 設 (pl
.nos.12,17,18,24,31,37,64,69,73,84,88,102,127a, 153a,165a,177a,185,192,194,200,205,215b,216,224,234,235,240,243,244, 247,249,254b,265,277,285,289,290,303,386,388a,390,392,395,396a,398, 399b,400a,428,452b,458,464b,474,504,523,530,532) (3) の仏 塔建 立 は 『三宝 』 の 内の "仏 " と "演" とに対 す る功徳 で あ るが,(
4
)
の僧院 (伽藍) 建造 は "僧" す なわ ち比丘 または僧伽 に対 す る功徳 で あ る。緬暦593年 (1231AD) の碑文 (pl
.no.69) には次 の よ うに記 され てい る。 『仏 陀 の弟子達 を住 まわせ るべ く心 地 良 き伽藍 を も建造 せ り』 (phur豆 skhah tape'S豆 skha血 my豆tuiw enecim soh血豆 S豆y豆cw衰soklo血 1eplu e)また, 緬紀 622年 (1262AD)の碑文 (p
l
.no.194)には, 『師,阿闇梨 に, 暑 さ寒 さ疲 れ を癒 して も ら うた め (中略), 長 老 と共 に阿閥梨 に 起居 して も ら うた め, 僧院 を も建造 せ り』 (skhafLAry豆 pu-sokhyari1-SOpa血pan-So flrim cim-so-h血豆,skha血 thera hna血akwa-soAryえーtuiw nlyCirh-so-hfl豆 kloh le
plu e')。 耐久 性 を もたせ るた め,僧院 は しば しば煉瓦 で造 られ た。 煉瓦造 りの僧院 は,
Kula Kloh (p
l
.mos.234,277,283,288,382,402,428,494,504,528)とよばれ る〔141)煉瓦造 りで あ るた め,それ は場 合 に よっては経庫 (pl.no.234)や寺 小足 (pl.no.382)
な どに も使 われ た。 僧院 以外 の建造 物 と してほ,説 法堂 (dhammas豆),戒壇 (sim),守
小屋 (C豆sa血 klo血),在 家信 者 の休憩所 (jarap), 仏塔 や伽藍 の周 囲 の玉垣 (tan-tui血) な どが盛 んに建造 され た。
説法堂 (dhammas云) p
l
.nos.73,105a,152,185,234,416b.戒 壇 (sin) pl.mos.205,390,416b.
寺小屋 (C豆sa血 klo血) p
l
.nos.152,390.休憩所 (jarap) pl.mos.73,372;(tan cho血)pl.no.73.
玉 垣 (tan-tui血) pl.nos.12,17,18,37,69,73,127a,164,194,232,234,247,
277,283,390.
回 廊 (ca血 kra血) p
l
.mos.73,80,152.こ うした建造 物 のほかに,施 主達 は,焚 鐘 (kho血lo血)を鋳造 した り,井戸 (riytwa血)
141)ThanTun``ReligiousBui■ウ ldingsofBurma,"p.73; PeMaungTin.``Buddhism inthelns -criptionsofPagan, p.428.
東南 アジア研究 9巻1号
や池 (kan,また は k豆.n)を掘 った り,菩提 樹 (五o血 pa血)や砂糖 郁 子 の樹 (thanpa血), マ ン ゴ-の樹 (siryakpa血) な どを植 えた り,本生 雷 (jえー)を措 い た りした0 本 生欝 の
数 は通 常 "550…と言 われ てい るが ,碑 文 に現 わ れ る数 に は "500…(p
l
.mos.73,194)と"550"(p
l
.no.105a)の二 通 りが あ る。 焚 鐘 (kho血 lo血)鋳 造 pl
.mos.105a,153a.井 戸 ,池 の掘 さ く p
l
.mos.40,73,153a,213a,249,303,372,381.
菩 提 樹 の植樹 p
l
.mos.17,40,105a,213a,232,377b.砂 糖郁 子 の植樹 p
l
.mos.73,195a,207,377a.b,380,388a,390,393,412b,532.マ ン ゴーの植樹 p
l
.no.254a. 本 生 誇 (j豆t550)描 写 pl
.nos.73,105a,194,248. 仏 塔伽藍 の建 造 は盛 んで あっ たが ,一 旦 破 損 崩壊 した仏 塔 の修理 に は あ ま り熱 心 では な か っ た よ うで あ る。 そ の た め施 主達 は, 自分 の建 立 した仏 塔 伽 藍 が破 損 しない よ う, そ の 維 持 に は特 に 細心 の注意 を払 っ た。次 の奴 隷献 上 に も,仏 塔 の維 持 修復 とい う施 主 の願 い が込 め られ てい る。 しか し,崩 壊 した仏 塔 も放 置 され てい たわ け では な く,修復 され た こ とは い くつ か の例 (pl
.nos.36,138,164,224,393)に よっ て確 か め られ る。 (5) 奴 隷142)の奉納 奴 隷 や土地 ,家畜 ,家 具 ,財 宝 等 の寄 進 は,波 羅 蜜 の 『布 施』 (d豆nap豆ramit豆)の顕 現 で あ り,仏 塔伽 藍 の建 立 とは趣 を異 にす るが ,功 徳 を積 む とい う点 では変 わ りは な い。 献 上 され た奴 隷 の数 は,数 人 (pl
.mos.6,8a.b,22,27,34,36,47,54,56b,70) か ら 数十 人 (pl
.mos.5,7,12,13,25,32,37,44a,63a,156),場 合 に よっ ては数 盲 人 (pl
.
nos.10a.b,34,65a,73,78a,94a,138,144,164), 極端 な場 合 に は千 人 を越 え る (p
l
.
nos.19b,164)ことす らあった。 奉納 の対 象 は ,仏 陀 (仏像 の場 合 を含 む),法 (経輿 の場 合 を含 む),僧伽 , 以上
3
種 を包 括 した三宝 ,仏 塔 (窟 院 を含 む),僧 院 ,比 丘 な どさま ざ まで あ る。 そ の具 体 例 は次 の とお り。仏 陀 (仏像 ) に。 p
l
.mos.6,15,17,21,27,28a.b,29,32,37,39,47,56a.b,62,70,85,88,99,100b,101,110,119a,12lb,126,129,130,13lb,134,138,150,160b,
182a,184,191a,193,198,204a,206,211,217,219a,226,238,241,255,259,265,
286,291,372d,373b,378a,388a.
仏 法 (経典 ) に。 p
l
.nos.39,122a,182b,190a,194,248,291,365a.僧伽 (sa血kh5.,safLgh豆)に。 p
l
.nos.94b,181,216,291.
142)仏教奴隷の起源や奴隷社会の構成については,大野 徹 「碑文からみた12-14世紀中部 ビルマの奴隷社 会
」
『第21回 日本人類学会 日本民族学会連合大会一般講演抄録』pp.23-24.大野 :パガン,ピソヤ,インワ時代のビル7人仏教徒の功徳
三宝 (ratan豆 surhp豆)に。 p
l
.nos.13.83,94,102,144,148a.b,152,156,164,165a,180,185,208,214b,232,233,234,235,243,250,254a.b,272,291,400a.
仏 塔 (ceti)に。 p
l
.mos.12,28a.b,501,浮 図 (puthuiw)に。 p
l
.mos.8b,22,54,101,127b,164.窟 院 (kG)に。 p
l
.nos.54,56a,157,190a,194,451,501.戒壇 (sin)に。 p
l
.mos.190b,265.僧 院 (klofL)に。 p
l
.nos.36,138,160b,164,190a,194,195b,203,212,214b,216,378b,396b,412b,419a,501.
比丘 (skha血,thera,mather)に。 p
l
.mos.6,7,30a,34,40,237,249.奴隷 の寄進 とは逆 に,後世 に な ると奴隷 の解放 (頗身) が行 なわれ る ように なった (p
l
.
nos.20la,217,219a), Uccan豆の王女 で あ り宰 相 jayyasaddhiyの妻 で もあ る Aca-wlat(pl
.no.200)は,次 の よ うに誓 ってい る。 『以上 の奴隷 は仏法 僧 に も寄進 すべ か らず。子孫 に も与 えず 。 (中略) わ た し亡 き後は草 青 く水 清 き処 へ行 か しめ よ。 (中略) このわ た しが解 放 せ し奴 隷達 には土地一 千 を与 う』 (6) 土地 の寄 進 仏 塔伽藍 の建 立 , 奴隷 の奉 納 と並 んで多 い施主 の功徳 の一 つが, この土地 の寄進 で あ る。 この三 つ の功徳 行為 は相互 に関連性 を もっ てお り,一般 的 には まず仏 塔伽藍 が建 立 さ れ , それ に対 して奴隷 お よび土地 が寄進 され るとい う形 態 を とる。 献 上 され る土地 は大部分 が水 田 (lay,lay)だ が,畑 (ry豆),庭 園 または果樹 園 (uyan,uy豆n,uyyan,uya
五)
で あ る場 合 もあ る。 寄 進 され る土地 の面 積 は, 少 ない時 で数 pay (p
l
.mos.5,6,54,399b,416a)か ら数十 pay (p
l
.mos.7,24,27,28a,29,34,41,44a,51,62,64,396b,400a,428), 多 い時 には数 百 pay (p
l
.mos.10a,12,39,63a,138), 時 に は数千 pay (pl
.mos.65a,68,69,164,234,390,393)にのぼ る こともあ る。 極 端 な例 として十 万payの土地 が寄進 され た例 (p
l
.no.31)す らあ る。土地 の寄 進対象 も, 奴 隷 の場 合 同様 さまざ まで あ るが ,たい てい の場 合重 複 してお り,個別 的 に切 り離 せ ないのが普通 で あ る。 仏 陀 (puhr豆)に。 pl
.nos.6,10a,15,21,27,28d,29,39,41,47,63a,64,65a,80,99,126,134,138,183a,184,197,205,217,219a,224,238,248,265,284,285,
381,396a,416a,429,447,448b,449.
仏 法 (経典 pitakat)に。 p
l
.mos.39,80,145,162,205,265,291,396a.僧伽 (sa血gh豆)に。 p
l
.nos.7,10a,162,183a,216,265,291.三宝 (ratan豆suri1p豆)に。 p
l
.mos.68,69,83,84,90,94,103,132a,140a,143a,148b,152,164,165a,186,190a,192,200,229,232,233,234,235,239,243,245b,
東南 アジア研究 9巻1号
250,254b,272,291,365a,396a,399a,400a,490b.
仏 塔 (ceti,puthuiw,kti,sim)に。 pl.nos.12,54,126,164,241,265,282,291, 377a,380,413,415,416b,455a,501,513.
僧 院 (kloh)に。 pl.nos.18,24,164,177a,185,195b,203,215b,226,228a,229,
240,241,242,244,252,272,274,282,285,290a,293,379,380,388a,395,396b,
398,399b,413,416a,464b,491,493C,523a.
比丘 (sikha血,skha血,ary豆)に。 pl.nos.6,80,98,162,163,192,217,224,240,
293,296,396a.b,428,476.
(7) そ の他 の布 施
奴隷 ,土地 の寄 進 以外 の布施 に は,(イ) 財宝 , (ロ) 家畜, (-)什器等 の寄 進 が あ る。
財宝 の種類 には金 (hruy,hr正y,rhuy,hrue,hruey), 鍾 (buy,Åue,血uey,血wey), 銅 (kriy-ni,kriy-phld), 真珠 (pu-lay), 珊瑚 (san-t豆)等 が あ り,未 加工 の まま, あ
るいは何 らかの形 に加工 され た上寄 進 され てい る (pl.mos.37,40,73,94b,145,194,
249,504)。 家畜 は水 田 とともに奉納 され る ことが多 く, 三宝 に寄 進 され た農 地 が現 実 に 耕 作 され た ことを示 してい る。 寄 進 され た家畜 には牛 (nwah,nu豆), 水牛 (klway),局
(mra血), 山羊 (chit),負 (cha血)な どが あ り (pl.nos.19b,20a,28a.b,32,34,40,
41,65a,68,82,83,85,96,104,134,138,139,145,147a,152,182b,212,217,219a,
235,236b,274,283,295,368,373b,386,396b,408,412b,415), 寄 進 され た頭数 も牛
14頭 (pl.no.34), 35頭 (pl.no.28a.b),100頭(pl.no.85),200頭 (pl.no・68),
500頭 (pl.no.19)と, か な りの数 にの ぼ る。 寄 進 され た家畜 としては牛 が一番 多 く,
次 いで水牛。 馬 や山羊,象等 の寄 進 が少 ないの は, これ ら家畜 の絶 対数 が牛 や水牛 ほ ど多
くなかったか らで もあろ うが, 同時 に この当時 の ビル マの産 業形態 が牧畜 業 よ りほ農 業 , それ も畑作 よ りは水 田耕 作 に重 点が おかれ ていた ことを推 測 せ しめ る。 寄進 され た什 器 と
しては,燭 台,盆 ,鍋 ,秤 ,水差 し, ひ しゃ く,椀 な どが あ る (pl.mos.37,38b,39,65,
70,73,80,88,95a,138,182a)。 また, 塩 (pl.no.164),唐 子 (pl.no.164),栄 ,胡 麻 , 池 , 布 (pl.no.393)な どが寄進 され た こ ともあ る。 以上 は三宝 - の寄 進 だ が,比
丘 あ るいは僧伽 へ の喜捨 として食事 が提供 され た り (pl.mos.6,17,36,393),托 鉢 用 の 鉢 (pl.mos.40,65a)や袈 裟 (pl.mos.6,10a,17,19b,21,40,368b,393,504)が献 上 され た こともあった。 これ ら寄 進行為 の中 では, (1) 仏像製 作, (2)窟 院,僧 院 の建造, (3)仏 陀,三宝 , 僧 院 へ の奴隷献上, (4)仏 陀,三宝 ,僧院 へ の土地寄 進 な どが特 に 目立 ってい る。 上述 の よ うな功徳 を積 む た めの具体的 な寄 進 行為 が行 なわれ る場 合,施 主 は僧 侶達 に捷 災 の 呪文 を念詞 して も らった り,擢 水供 養 した り,証 人 を立 てた りしてい る。 これ らは寄 進行為 の 36
大野 :パ カン, ピン:/, イ ン リ時 代 の と、′して人仏 教徒 の功 徳
付 随行 事 で あ るが,特 に証 人 を立 ち会 わ せ る ことは重要 視 され ていた。
接 災 の呪文 は, 碑文 で は paruitと書 かれ てい るが, おそ ら くparittaか ら来 源 した もの と思わ れ る。parittaは,小郡 (KhuddakaNik豆ya)中 の小話 (KhuddakaP豆da) その他 の経典 か ら抽 出 して ま とめ られ た28経 の集録 で あ るっ143)呪文 は, 複数 の比丘 , 阿閏梨 に よっ て念諦 (paruitrwate') され た (pL nos.10a,200)。
濯 水 供養 (riyca血 taw khlae'.riycalltaw swane')は寄 進物 に水 を注 ぐ (pl.nos. 15,16,24,31,98,99,139,143a.b,145,147b,152,190b,192,210a,215,219b,244,272,
273,274,284,286,290b,291,297,365a,368b,369a,371a,428)儀 式 で あ るが, 時には 『太鼓 を打 ち鳴 らし,刺爪 を吹奏 して』 (pl.no.
3
1) 華 やかに挙 行 され る こともあった。証 人 (saksiy)は,施主 の功徳 を立証 す る人 で,通 常 複数 の人 が 立 ち会 う。 証 人 には, (1)
比 丘 , (2)賢者 (sukhamin),(3)国王,王子,皇太后 等 の王 族 , (4)宰 相,将 軍,(5)高 級, 下級 の役 人 (kalan,Sarhpyafl),(6)母 ,息子, 娘 ,姉 妹, 兄弟等 の家族, (7)在 家信
者等 が立
っ
てい る。 (1) 比 丘 (阿簡梨 を含 む) pl.mos.17,22,29,39,41,51,77,83,99,101.152,206, 214b,23lb,237,251,298a,381,516. (2) 王族 pl.mos.31,265,272,274,484a,494,495b,503. (3) 宰 相,将 軍 pl.mos.39,51. (4) 賢 者 pl.mos.22,30a,39,129,132. (5) 役人 pl.mos.24,29,123,272,274,282,298a,382,395,408,415,420a. (6) 家族 pl.mos.132a,161a,265,416a.(7) 在 家信 者 pl.mos.22,29,30a,41,62,70,122a,129,177a,195b,197,207,208,
210a,212,214b,236b,259,269,422a.
このほか, 証人 に は村長 (pl.no.123)や裁判 官 (pl.no.149)が立 つ こともあった。 ま た ,夫婦 が何組 か立 ち会 った ケース (pl.mos.284,295)もあ る。
証 人 の人数 は一定 してい ない。一 般 に十 人 以下 の場 合 (pl.nos.22,41,62,101,197,207,
231b,259,265,381,422a)が多 いが, 十 人 を越 え る場 合 (pl.mos.29,39,70,83,122a,
177a,208,210a)もあった。 また,50人 (pl.no.99)とい う多数 の証人が立 ち会 った ことも あ る。 『証人 に立つ』 ことは, (1)証 拠 とな る(saksiymti), (2)祝 福 す る(anumodan豆khaw), (3)見 る (mra血),(4)聞 く (kr豆),(5)知 る (si) な どとい った動 詞, あ るい はそれ ら二 つ または三つの組 合せに よっ て示 され てい る。 143〕龍 山 1942,p.73. 37
(1)
見 た(2)
聞 い た(3)
知 っ た(4)
聞 き 知 る(5)
知 り 聞 く(6)
見 知 る(7)
知 り 見 る(8)
見 聞 く(9)
知 り見開 く(
1
0
)
証 拠 とな る (ll) 祝 福 す る 東南 アジア研究 9巻 1号p
l
.mo
s
.1
5
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.no.1
2
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8.
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1
6.
Ⅲ 功 徳 の動 機 また は 目的 "功徳 の動 機" と "功徳 の 目的" とは同 じ事柄 の異 なった表 現 にはか な らないが,何 が故 に かか る功 徳 を積 む のか とい うことを前 もって施主 が 明 らかに した場 合が前 者 で あ り,施主 が審 んだ功徳 の結果 か くあれ か しと祈願 す る場 合が後 者 で あ る。文章構 成上 , この両 者が碑 文 の中 で別 々に扱 われ てい るた め,本稿 で も便宜上2部 に分 けて記述 す る。 1. 功徳 の動 機 い ろい ろな理 由が述 べ られ てい るけれ ども, それ らは, (1) 個人的理 由, (2)信徒 と しての 現 実 的理 由, (3)大乗 的発 想 の三 つに ま とめ られ る。 た い ていの場 合,理 由は一 つ では な くい くつ かの要素 が か らみ合 っ てい る。 (1) 個人的理 由
(i)
神 の国に去 りし夫 を偲 ぽ んが た め。p
l
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.1
4
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a,1
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a.
b.
(
i
i
)
『無常 』 の真理 を畏 怖 して。p
l
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a.
b.
(
i
i
i
)
生 れ変 わ った時飢餓 の苦 しみ を避 け るため。p
l
.no.1
0
a.
(
i
v)
輪廻(
Sa
f
L
S
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豆,Sa
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豆)
の苦 しみか ら逃 れ んが ため。p
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.
(V)
菩提(
s
ab
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五ut
a五豆n,s
a
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aupuhr
豆c
hu)
を得 んが ため。p
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.
(
vi
)
淫 楽(
Ni
r
aban,Ni
yr
aban,Ni
yr
apan
,Ni
f
i
r
apan,Ni
b
ban)
の幸 を望 むが故 にop
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2,1
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a,2
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.
(
vi
上
)
弥 勤仏 に値 偶 した きため。p
l
.no.2
9
3
.
天 野 :ノ、プ]ン, ピン十, イ ン ワ時 代の ビル マ 人仏 教徒 の功徳
以上 の 内, (iv) (Ⅴ) (vi)の三 つ は 同 じ事 柄 の異 な っ た表 現 に す ぎない。当 時 の ど ′レマ人 に とっ て "漫盤"とは , 『諸 々の苦 しみ (chaかray)が 尽 きる』 (pl.nos.69,234), あ る い は 『苦 しみ (chuiw-flray)の な い』 (pl.nos.73,194,216), 『あ らゆ る苦 しみ が 消滅 す る』 (p
l
.mos.247,390)処 で あ り, F輪 廻 の苦 しみが い っ さい消 滅 した』 (pl
.no.200), 『輪廻 の苦 しみ か ら解放 され た』 (pl.no.413)処 と して,理 解 され てい た。(2) 信 徒 と しての現 実 的理 由
(i) 比 丘 達 の四肢身 体 を洗 い清 め,掃 除 を させ るた め。 p
l
.no.186. (ii) 釈 尊 の教 えを永遠 に存続 せ しめ んが た め。 pl.mos.84,398. (iii) 三 宝 を豊 か な ら しめ るた め。 pl
.mos.190a,293,421a,428. (iv) 三 宝 を維 持 修理 す るた め。 pl.mos.69,164,234,235,393.(V) 三 宝 を5,000年 間存 続 せ しめん た め。 p
l
.nos.272,274,275,290b,380,393,400a,446a,453a,455a,458,470a,492C,494,513,516b,517a,523a,525b,530,532.
(vi) 功 徳 を5,000年 間持 続 ゼ しめ ん た め。 pl.mos.73,90,152,177b,228b,273.277, 401,474,478,486a,503. 仏 陀 の教 えを ,三宝 を , あ るいは功 徳 を永遠 に存 続 せ しめ たい と顕 う反面 ,"5,000年 間" 存 続 ゼ しめ る とい う表 現 も しば しば使わ れ てい る。 これ は ,仏 陀 の教 えが5,000年 しか続 か ない と当 時 の ビル マ人 が考 えてい た か ら144-に ほ か な らな い。 ビル マ人 の考 えに よれ ば , 釈 尊 は入滅前 その教 えが2,500年 続 くと したが , そ の教 えを さ らに2,500年 間 金剛 杵 で 守護 す るか ら と帝釈 天 に懇 願 され た た め, 結局5,000年 間 に な った のだ145)とい う。 いわ ゆ る "莱 法 思想 " とは違 うに して も,当 時 の ビル マ人 が 『仏教 は一定 期 間 しか持 続 しない』 とい う考 えを抱 い て い た ことは これ ら碑文 か ら して明 らか で あ る。 (3) 大 乗 的発 想 に よる もの こ こで い う "大 乗 的 "発想 とは ,施 主が 自分 自身 の解 脱 を願 うだ け で な く "衆 生 済 斐" の 祈願 を抱 い てい た ことを指 す。施 主 の "利 他''的 心理 に よる "回 向''精 神 を意 味 す る。
(i) 全 ての人 を輪 廻 の苦 しみ か ら救 うた め。 p
l
.mos.8a,73,194,235,249,275,283. (ii) 全 ての人 間 ,諸 々の天 を浬 繋 -運 びたい た め. pl.no.275.(iii) あ らゆ る生 き物 を淫梨 の国 へ至 ら しめ るため。 p
l
.mos.73,194.(iv) あ らゆ る生 き物 を解脱 させ るた め。 pl.no.164.
"あ らゆ る生 き物 " す なわ ち有 情 とは ,碑 文 では 『下 は阿鼻 地 獄 か ら上 は有頂 天 に至 る ま での宇 宙 にす む生 き物 ことご と く』(p
l
.nos.164,194)で あ り, 具 体的 に は 『あ らrゆ る人144)ThanTun‥ReligioninBurma,A.D.1000-1300,"p.50. 145)HtinÅung1962,p.33.
渠南 ア ジ ア研 究 9巻 1号 問,天』 (p
l
,no.275)か ら 『あ らゆ る餓鬼, 阿修羅 , 畜生』 (pl
.no.200)までを含む も ので ある。2.
功徳 の 目的 (祈願 内容) 祈願 の内容 は変化 に富 んでい て,い くとお りもの表現形式 が見 られ る。 それ らを整理 してみ ると,(1) 現実 的,世俗的 な祈願 , (2)自利的 な もの, (3)利他的,大乗 的性格 を もつ もの, (4)輪廻思想 が 明確 な ものに大別 され る。 (1) 現実的,世俗的 な祈願 (i) 僧伽 の必要 をみたす ものたれ。 pl
.no.29. (ii) 人間世 界に あ りてほ栄光大 き く長寿 たれ。 pl
.mos.38a,144,146,186,224,239, 298a,403a. (iii) 無病 で長寿 たれ。 pl
.mos.82b,216,235,250,298a,401,421a. (iv) 豊 かで幸 たれ。 pl
.mos.416a,42la. (Ⅴ) 財多 く無病長寿 で容姿美 し く声柔 らかで全 ての人や神 に愛 され敬 われ るよ うに。 pl
.
nos.235,247. (vi) 浬架 を得 るまでの間不幸 な らざるべ し。 pl
.mos.130,235. (2) 自利的 な祈願 (i) 菩提 を得 たい。 pl
.mos.6,140b,216,235,247, 396b.(ii) 浬架に至 りたい。 p
l
.mos.90,130,132a,214b,296,416a,481a.(iii) 阿羅漢 にな りたい。 p
l
.mos.lob,23,235,249. (iv) わが望 み しものをみた させ よ。 pl
.mos.182a,421a. (Ⅴ) 望 み しものを得 るまでの問,みたすべ き波羅蜜 をみた したい。 pl
.no.273. (vi) 仏果 を得 たい。 pl
.mos.382,386,458. (vii) 仏乗 を得 るまでの間,三宝 を尊崇 したい。 pl
.no.382. (viii)求 め る恵 みが得 られ るまでの間 ,地獄 へ行 きた くない。 pl
.no.386. (i.x) 成仏す るまでの間,輪廻に おいて四悪趣 に行 きた くない。 pl
.no.396b. (Ⅹ) 貧 し くな く,地獄 へ行 かず ,人間 とな りては転輪聖王 の栄華 を享受 した し。pl
.no.197. (Ⅹi) 神 とな りては 帝釈 天 の 栄華 を 享受 した し。 この世 に あ りて 弥勤仏 とな りた し。 pl
.
no.197. (Ⅹii) 仏栗 を得 るまでの間,善 人,善神 とな るへ し。 pl
.mos.382,472. (3) 利他的,大乗的祈願 この祈願 には,施主 が積 んだ功徳 を他人 の成仏 のために回 し向け るとい う "普 回向"的意 識 が あ る。 40大野 :パガン,ピン十,インT7時代のビルマ人仏教徒の功徳
(i) 浬 磐 に至 る までの問 , 彼 らに も私 と同 じよ うに得 き しめ よ。 pl.nos.38a,41,68,
104,110,126,139,144,148,153a,160b,165a,177a,185,186,223b,224,229,232,
235,239,240,243,250,254b,269,282,283,289,291,379,382,383b,393,395,
396b,398,399b,400a,401,403a,412b,416b,420a,436a,438a,453a,48la,486b,
491,495b,520b.
(ii) (彼 らを して) 漫 架 の幸 を得 さ しめ よ。 pl.mos.6,82b,90,96,143a,186,229, 298a,380,412a,421a,472.
こ こで想定 され て い る =担 架 ''とは , FR熟 した聖 人達 が願 望 す る快 い状態 』 (pl.no. 69)で あ り,『苦 しみ の ない』(pl.mos.235,238,240,436a,458),『不 死 の 国』(pl.mos. 202,206)で あ る。 (iii) (彼 らを して) 息 災 た らしめ よ。 pl.no.5. (iv) (彼 らに) 求 め る ものを得 き しめ よ。 pl.mos.13,275,403a. (Ⅴ) (彼 らを して) 阿羅漢 に な らせ よ。 pl.no.149. (vi) (彼 らに) 仏果 , 梓 支 仏果 , 阿 羅漢 晃 を得 き しめ よ。 pl.mos.233,235,239,240, 247. (vii) 弥 勤仏 に救 われ よ。 pl.no.419a. (viii)水 ,空 の主 に値 偶 せ よ。 pl.no.202. (ix) (彼 らを して) 人 間 ,天 界 を支配 す る転 輪聖 王 に さえな らしめ よ。 pl.no.415. (Ⅹ) 地 獄 に堕 ちた者 も, この功 徳 に よっ て救われ るへ し。 pl.no.277. (Ⅹi) 私益 は測 り知 れず ,無 限 な りと仏 陀説 け り。 説 き し法 の如 く得 るべ し。pl.mos.428, 495b. (4) 輪廻 思想 が うかが え る祈願 (i) 人 間 とな りては善 人 となjt。 pl.no.291. (ii) 人 間 とな りては尊 き人 ,神 とな りては尊 き神 とな るへ し。 pl.no.69. (iii) 人 間 とな りては普 通 の 人 よ り尊 く, 神 とな りては 普 通 の神 よ り 尊 くな るぺ し。 pl. nos.187,206,235,247. (iv〕 人 間 に生 まれ変 わ らは あ らゆ る人 よ り導 き王 , 全 世 界 の帝王 , 富 豪 , 長 老 となれ。 pl.no.31. (Ⅴ) 人 間 とな りて も 神 とな りて も 畜 生 と な りて も, 貿 しか らず 不幸 た らざ るべ し。 pl. no.196. (vi) 人 の栄華 , 神 の栄華 , 浬 盤 の栄華 を甘受 した し。 pl.mos.64,69,144,146,185, 186,192,202,233,239,245b,401,412a,421a,481a,504.
(vii)人 間 とな りて も等 し く,神 とな りて も等 し く恩 恵 を受 け るべ し。 pl.no.380.
東 南アジア研究 9巻 1号 (viii)死 なば,朝夕礼拝 され る神 とな りた し。 p
l
.no.273. (ix) 神 とな りせば,菩薩 の在す兜率天に生 まれた し。 pl
.no.206. (Ⅹ) 六欲天 (natrw豆6p豆)にて受け るべ き葦栄を享受せ よ。 pl
.no.244. (Ⅹi) 六欲天の二十層で享受せ よ。 pl
.no.277. (Ⅹii)四天王天,柏利天,夜摩天,兜率天,化楽天 ,他化 自在天, これ ら天の寿命に応 じて 生 きるべ し。 pl
.no.69.Ⅰ
Ⅴ
祈願 され る対象 (功徳の回向) 祈願 され る対象 とい うのは,施主の積んだ功徳 が回 し向け られ る対象を指す。 ここでは,祈 願の 目的以上に "普 回向"的性格が明確に現われ て くる。施主達の こうした "利他"的 な願 い をもって直ちに,当時の ビルマの仏教 が大乗仏教 であった と断定 す ることはもちろんで きない が,大乗的意識が当時の ビルマ人仏教徒に あった ことは否定 で きない。 祈 願 され る対象の内,最 も多いのは施主 の積 んだ "功徳の尊崇老"である。 功徳の尊崇者で ある限 り,それは肉身であろ うと他人であろ うと, また出家であろ うと在 家信者であろ うと, 王族 であろ うとなかろ うと,一切 おか まいな しで ある。 だが, こうした "尊崇老"一般 と合わ せて,両親 ,妻子 といった特定 の対象に "回向''してい る場合が圧倒的に多い。 それ らを分け てみ ると次の ようになる。(i) 功徳の尊崇者 p
l
.mos.12,13,24,69,146,153a,223b,229,233,235,238,245b,250,265,269,275,283,291,298a,379,380,382,383b,393,395,396b,398,399b,
400a,401,403a,412b,416a.b,420a,42la,428,436a,438a,453a,472,486b,491,
495b,504. (ii) 功徳 の保護者 p
l
.mos.41,64,82b,239,240,250,289. (iii) 功徳 の祝福老 pl
.mos.265,295,365a. (iv) 三宝 の礼拝老 pl
.mos.143a,144∴ (Ⅴ) 肉 親 (家族) pl
.mos.5,6,23,68,84,110,184,187,197,235,248,275,408, 48la. 肉親 (または家族) とい う場合, そ こには子, 蘇,父,母, 祖父,祖母, 曾祖父,夫 , 妻,義父母,兄,弟,柿,妹,叔 (伯)父,叔 (伯)母,甥, 子孫 のい っさいを含む。 ま た,子孫 とい う場合には,通常七代 まで (pl
.mos.87,187,392)で ある。 (vi) 出家 pl
.mos.6,31,38a,87,126. 出家の場合は,比丘,僧正,阿閣梨,羅漢等の表現が使われ,僧伽 の構成員全員 とい う場 合 もある。 (vii)王族 pl
.mos.31,38a,69,73,184,216,235,244,247,248,249,393. 42大野 :-り{ン,ヒン:.-,†ンT7時代のビルてノ、仏教徒の功 徳 王 族 とい う場 合, 国王 ,王 妃 , 王子 ,王 女 ,王弟 ,王 妹等 が 含 まれ る。 国王 は 『現 国王』 (pl・nos・110,244),の み な らず , Fす で に この世 を去 っ た王』 (pl.no.393)辛
,
『未 来 に おい て現 われ る国王』(pl.nos.110,216,235,244,393)まで 含 まれ る。 国王 へ の "回 向" は きわ め て強 く,『主 君』 (pl.mos.68,90,243,254b,275)とい う言 葉 で もっ て,単 に "国王 " のみ な らず "国家安 泰 ''とい う含み を もたせ てい る場 合もあ る と解釈 され る。 (viii)宰 相 ,武 将 ,将 兵 ,高級 ・下 級 の役 人 ,女 官一 般 。 pl.mos.6,31,38a,69,73,216, 235,244,247,248,249,254b,393,403a.(
i
x)
有情 のす べ て。 これ に は, さ まざ まな言葉 が使 わ れ てい る。 例 えば , 他 人 (pl.no.5),貧 しき人 (pl.no・69),老 若 男女 こと ご と く (pl.mos.23,126),奴 隷 (pl.no.23) な ど。 一 般 に は , 汰
の よ うな表 現 が な され てい る。
(イ) 人 間 ,神 のすべ て。 pl.no.184.
(ロ) 閣浮堤 (jambudip klwan,jambuditklwan,jambudip豆klwan,cambutit)上 に あ るあ らゆ る生 き物 。 pl.no.236,244,247,491,506,526.
(-) 生 き と し生 け るものす べ て (sabbasattw豆khapsim)。pl.nos.96,110,214b,243,
289,393,400a,416b.
(ニ) 帝 釈 天 (sakr豆) を は じめ とす る天 (nat-my豆)のす べ て,下 界 の無 間地 獄 (awiciy)
をは じめ とす る地獄 界 の もの (bray-sti)すべ て。 pl.nos.68,382.
(ホ) 夜 魔 王 (yama mad)をは じめ とす る畜 生 (sattaw豆)のすべ て。 pl.nos.216,244.
(-) 帝 釈 天 ,焚 天 (brahm豆), 四王 天 (catu lokap豆は natmad)のすべ て, 閣魔 王 , 人 間 ,畜 生 のす べ て。 pl.mos.235,247,393,398,408,412b,438a. (I) 下 は無 間地獄 か ら上 は最 上 天 に至 る まで の宇 宙 にす む あ らゆ る生 き物 ,人 間 ,神 ,育 生 のす べ て。 pl.mos.6,38a,73,84,87,126,232,249,273,275,392,396b,403, 458,481a. (チ) 欲 界 (k豆mabh豆W),色 界 (rtipa bh豆W),無 色 界 (artipa bh豆W)にす む あ らゆ る 生 き物 。 pl.no.6, Ⅴ ま と め パ ガ ン, ピソヤ, イ ン ワ時代 の ビル マ語 碑 文 を判 読 す る ことに よっ て,当 時 の ビル マの宗 教 お よび ビル マ人 の宗教 意 識 を次 の よ うに ま とめ る ことが で き る。 (1) パ ガ ン, ピンヤ , イ ン ワ時 代 の ビル マの宗教 は , 基 本 的 に は セ イ ロンの流 れ を くむ "南方 上 座部 "仏教 で あった。 パ - リ語 一 切 経 (Tipitaka)が そ の 中心 経典 で あ る。 (2) 当 時 の ビル マ人仏教 徒 に は ``輪 廻 思想 " が 明確 に看 取 され る。 ビル マ人 に とっ て, 43