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〈特集 行く・読む〉音楽の危険とその魅力

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Academic year: 2021

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(1)

〈特集 行く・読む〉音楽の危険とその魅力

著者

吹上 裕樹

雑誌名

KG社会学批評 : KG Sociological Review

2

ページ

59-60

発行年

2013-03-25

URL

http://hdl.handle.net/10236/11903

(2)

59 KG 社会学批評 第2号[March 2013] 〈2.特集 行く・読む〉

音楽の危険とその魅力

徐京植

『私の西洋音楽巡礼』

(みすず書房、2012)

吹上 裕樹

 「音楽は危険だ」。これは、エピローグとプロローグを含め33篇のエッセイからなる本書を通底する 主題である。どう危険なのか?本書の記述をたどっていくと、「危険」は、私的・個人的なものにかか わる次元と社会的・政治的なものにかかわる次元という、およそ二つの軸から語られているとみるこ とができる。後者の代表としては、本書においても取り上げられるナチスによる音楽の「利用」があ るだろう。大戦中、アウシュヴィッツの強制収容所には、囚人たちによるオーケストラが設置されて いた。そこでは次々と送られてくる囚人たちを歓迎するため、あるいは強制労働に駆り出される囚人 たちを送り出すために、音楽が演奏された。ふだん、私たちの気分を落ち着かせ、ときには言葉にで きないほどの精神的な高揚をもたらしてくれる音楽が、大量殺戮を効率的に進める役割を担ったので ある。ただし、それは本来肯定的機能をもつものであるはずの音楽が、悪の意図をもった者たちに利 用されたというだけですむ話ではない。音楽は言葉を媒介とせず、身体に直接に働きかける。著者は、 パスカル・キニャールをひきながら、そうした音楽の本来的な暴力性に注意をむける(本書:206-12)。  一方で、私的・個人的な場面での危険も、この音楽の無慈悲なまでの即物性と無縁ではない。たと えば、著者がマーラーの音楽をめぐって、著者の同伴者(パートナー)であるFと言い争ってしまう 場面である。マーラーの分裂的で一貫したメッセージの見えない音楽がよく理解できないという著者 に対して、Fは、バラバラの各部分をつなぐ「ジョイント」がその音楽のよさだという。Fのマーラー 観がなかなか理解できない著者は、コンサート後に彼女とケンカのようになってしまう(本書:184-5)。同じ音楽が、聴く者によって異なった経験として現れるのである。著者がいうように、一般に音 楽の趣味(好き嫌い)は個々人の個性と強く結びついている。そのため音楽の嗜好をおおっぴらに表 明することは、避けられる傾向にある。自分の好みを表明するだけならよいが、一歩間違えて相手の 好みを否定してしまうと、相手の人格そのものへの批判として受け取られかねないからだ。人と人を 結びつけ、連帯を可能にするとみなされる音楽が、ときに自己と他者とのあいだに横たわる深い溝を 露出させてしまうのである(あるいは、音楽とはそもそも、こうした自他のあいだの距離を覆い隠す 役割を与えられてきたといえるかもしれない)。  思うに、音楽にかかわるということは、つねにこの種の危険(と表裏をなす魅力)と触れ合うこと を意味するのではないだろうか。言語のように、一定の共有された意味を確定しえない音楽は、それ ゆえにかえって過剰な意味を背負わされたり、逆に無媒介的な身体的コミュニケーションに利用され

(3)

吹上:音楽の危険とその魅力 60 たりする。本書が成功していると考えられる点は、こうした音楽のアンビバレントな性質について、 著者がきわめて自覚的であることによっている。またそれは、本書が著者の個人的な経験をもとにし た自伝的エッセイの体裁をとっていることによって可能になっていると考えられる。  本書で取り上げられる話題は様々である。幼いころの著者と音楽との出会い、両親の死、旅先での 人々との出会いと別れ、尊敬する作曲家・尹伊桑について…。些細な出来事も含め、音楽をめぐる数々 の体験をふり返ることを通じて、著者の音楽に対する姿勢や考えが明らかになってくる。なかでも、 上述のFとの対話が、著者の音楽経験にとって重要な役割を果たしているようにみえる。  Fと著者との音楽に対する姿勢は対照的だ。歌手でもある F は、音楽に対する好みがはっきりして おり、自らの感性に忠実に率直な意見をいう。一方の著者は、音楽や演奏の良し悪しに対する自分の 感覚に自信がもてず、演奏終了後に F に「どうやった」と尋ねられても、はっきり答えられずに口ご もってしまう。この音楽に対する著者の微妙な距離感は、著者自身の来歴と無関係ではない。いわゆ るクラシック音楽に親しむようになるためには、経済的にも、また文化的にもある程度の資本の蓄積 が必要となる。そのような条件は、在日朝鮮人二世として戦後の日本に生まれた著者にとって、望む べくもないことだった。幼い頃の著者にとって、クラシック音楽に親しむ人々は「中産階級」あるい は「教養ある家庭のしるし」だっただけでなく、それは「『日本人』のしるし」でもあったのであり、 在日朝鮮人である著者には「手にすることのできない贅沢な玩具のようなものであった」(本書:27)。 だが本書では、音楽を自分のものとして感じることのできる F と、つねに距離を感じつつそれに魅惑 されている著者とによるズレを含んだ対話が、音楽という対象の複雑な魅力を浮き彫りにさせている。 さらにそれは、本書の読み物としての魅力を確かなものにしてもいる。  若き日の著者が、はじめて行ったヨーロッパでの鮮烈な音楽経験の後で、「ここは私の世界ではな い。この世界に足を踏み入れてはいけないのだ」と自戒するくだりがある(本書:59)。当時、両親を 亡くし、政治囚として故国の獄中にいる兄二人をもっていた著者にとって、今見てきたばかりの世界 の余りの艶やかさは、孤独な自分の境遇に照らして、まさに異世界であった。音楽に張り付けられた お定まりの価値にコミットし、それをなぞるような言葉で語るかぎり、こうしたアンビバレンスは見 えてこない。

参照

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