機械仕掛けのリヴァイアサン : ハーマン・メルヴ
ィル「鐘塔」における共和主義と絶対権力の様相
著者
新関 芳生
雑誌名
人文論究
巻
69
号
3/4
ページ
75-97
発行年
2020-02-20
URL
http://hdl.handle.net/10236/00028808
機械仕掛けのリヴァイアサン
──ハーマン・メルヴィル「鐘塔」における
共和主義と絶対権力の様相──
新 関 芳 生
は じ め に
ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)の短編小説「鐘塔」(“The Bell -Tower”)の批評史をたどるならば,現在に至るまでの大半の先行研究におい て指摘されるのは,この短編の寓話性である。機械士バンナドンナ(Banna-donna)が作る奴隷としての自動人形がイタリアの「共和国」において引き起 こす異常な殺人を,同じく「共和国」であるアメリカにおける黒人奴隷の反乱 の寓話として解釈するものだ。あるいはテクノロジーに関して技術者が抱く驕 慢とその崩壊の物語と読むものである。1980 年代以降の研究では,この寓話 性をさらに作者メルヴィルと同時代の歴史的な文脈の中で拡張的に解釈する方 向性が主流である。 一方,バンナドンナを死に追いやる不気味な自動人形ハマン(Haman)に, 黒人奴隷表象以外の解釈を見いだす先行研究は多いとは言えない(1)。自動人 形そのものに関する解釈が少ない最大の理由は,この鐘撞きのオートマトンが 一見雑多な要素の寄せ集めで,何らかのモチーフへの収斂を拒むからであり, 原型的,神話的イメージや古典作品に現れる種々のモチーフを読み込んで合理 的な解釈を生み出すには,あまりにまとまりを欠くものだからである。翻って 考えるならば,ハマンの表象性を黒人奴隷に限定することは,この自動人形を 構成している過剰とも言うべき要素が作り出す曖昧さを,寓意的な解釈へと単 75
純化していることになる。本論では,自動人形ハマンを構成している多様で収 斂を拒む,拡散的なモチーフやイメージの衝突自体を解釈の手がかりとし,そ こから仮説的にこの自動人形がもつある種の政治哲学的な意味の重層性を明ら かにすることで,メルヴィルの政治姿勢の一端を明らかにしたい。これによ り,従来まで主流であった黒人奴隷をめぐる寓意的解釈を超えた新たな読みの 可能性を提示する。
I
バンナドンナの構想の出発点にあった,機械仕掛けの人形が鐘を叩いて時を 知らせるという考えの起源は,1300 年代頃からヨーロッパ各地の大聖堂に設 置された,通称「ジャックマール」(jacquemart),英語では“Jack of the Clock”と呼ばれる自動人形にある。これは,台座に固定,もしくは時計を動 かすメカニズムと連動している可動式のプラットフォームに乗せられている自 動人形であった(「鐘塔」では後者の機構が採られている)。ジャックマールは しばしば兵士に擬せられる。たとえば 1480 年ごろにイギリスのサフォーク州 にある Southwald Church に設置された,“Jack the Smiter”と呼ばれてい る自動人形の服装は,薔薇戦争の頃に着用された鎧とよく似ており,右手に鐘 を打つ斧,左手には剣を持っている。(図 1)これは町の防衛のために物見や ぐらや監視塔から見張りをしていた,実際の兵士にちなんだものと言われてい る(Nocks 27)。一方「鐘塔」の自動人形ハマンは(2),“It had limbs, and seemed clad in a
scaly mail, lustrous as a dragon-beetle’s”(828)であり,さらに“In fig-ure, the creature for the belfry should not be likened after the human pat-tern, nor any animal one, nor after the ideals, however wild, of ancient fa-ble”(831)と描写される。空想上のものも含めて,この世のどのような生き 物にもたとえられないその姿は,読者の想像そのものを拒む“an original production”(831)である。四肢をもち,鐘を叩くための棍棒を持った腕を
振り上げている形態“its clubbed arms were uplifted”(828)は,ジャック マールとの共通点をもっているが,外面的な特徴に関しては,黒くて光沢があ る鱗のような鎖帷子をまとっていること以外はきわめて曖昧である。ハマンが 持つ「棍棒」“mace”(829)は,公職にある者が職権の象徴として 用 い る 「職杖」の意味の他に,“the Mace”の形で,イギリスの下院議長が持つ王権 の象徴としての杖の意味をもつ。上述の自動人形のイメージの流動性にこの “mace”が帯びる暴力/権力の二重性を重ねるならば,鱗状の鎖帷子を身にま とっているハマンは,生殺与奪の象徴ともなる棍棒を持ち,特定のイメージへ の収斂を拒むような恐怖を醸し出す怪物的な自動人形ということになる。 分類や視覚化,あるいは言語化さえも拒むことがテクストによって語られな がらも,ハマンの造型のソース探しはこれまでも数多く行われ,それらをふま えた解釈が試みられてきたのだが,これらのモチーフは互いに矛盾し,合理的 な解釈を容易には許さないものである。たとえば,この“iron slave”(830) が野望通りに完成した暁にバンナドンナによって付けられる名前であったとさ れる“Talus/ Talos”は,メルヴィルが主として参照したと思われる 3 種類の テクストである,ギリシャ神話,Edmund Spenser の The Faerie Queene, そ し て Nathaniel Hawthorne の Tanglewood Tales に 収 録 さ れ て い る “Minotaur”のそれぞれにおいて,異なるイメージと役割を与えられてい る(3)。このオートマトンの描写に用いられる比喩のレベルにおいても,読者 を混乱させるような,不可解な混合性が顕著である。バンナドンナが自動人形 を呼ぶ際に戯れに用いる呼称ハマンは,エステル書に登場する,ユダヤ人皆殺 しの画策の露見によって絞首刑になる人物の名前である。その一方でテクスト は,バンナドンナを士師記のシセラに,また,このオートマトンをシセラを撲 殺する女性ヤエルにたとえている。これらの聖書のエピソードにより,このテ クストにおけるハマンは殺す側であると同時に殺される側にもなりうるのであ る。バンナドンナによって「彼」と呼ばれているこの自動人形が,女性である ヤエルにもたとえられることは,ジェンダー上の混乱をも生じさせるだろう。 このような矛盾や拡散的なイメージに,これまで解釈者たちは困惑させられて 77 機械仕掛けのリヴァイアサン
きたのである。
だが,この 1 つのモチーフに同時に存しえない雑多な要素が作り出す,撞 着と拡散の様相それ自体を解釈の手がかりだと考えるならば,作者の他のテク ストに類似するモチーフを見出すことが可能である。実在する鐘撞き自動人形 には見られないが,ハマンの外見において最も顕著な特徴となっている鎖帷子 の鱗に注目してみたい。『白鯨』(Moby-Dick ; or, the Whale)の 55 章「怪異 なるクジラの絵について」(“Of the Monstrous Pictures of Whales”)におい て語り手イシュメイル(Ishmael)は,古代からルネサンス期に至るまでの人 びとが想像力にまかせて描いた,monster 的なクジラの絵について語ってい る。“the dolphin was drawn in scales of chain-armor like Saladin’s” (1073)というように,サラディン王がまとうような鎖帷子の鱗をつけて描か
れているイルカの絵について述べ,イルカがクジラの一種であると考えられて いたという説を紹介する。“in those days[i.e. in the Revival of Learn-ing],and even down to a comparatively late period, dolphins were popu-larly supposed to be a species of the Leviathan”(1074)このような分類学 上の誤謬への言及と,82 章で語られる竜とクジラの交換可能性“in many old chronicles whales and dragons are strangely jumbled together, and often stand for each other”(1181)は,メルヴィルのテクストにおける,鎖帷子 の鱗,イルカ,クジラ,竜の連想的関連性を示す。加えてイシュメイルは,ク ジラを絵画として描くことは不可能であり,正確に視覚化することはできない と結論づけている。“the great Leviathan is that one creature in the world which must remain unpainted to the last”(1077)
こうした連想と視覚的描写が不可能であることを語る際に,イシュメイルが 繰り返しこの多様な描かれ方をする怪物的な生き物を“Leviathan”「リヴァ イアサン」と呼んでいることは注目に値する。『白鯨』の至るところで彼は 「リヴァイアサン」という語を用いているが,55 章ほどこの呼称を反復してい る箇所は他にはない。『白鯨』においては,鎖帷子状の鱗をもち,クジラにも イルカにも竜にもたとえうる,正確な視覚化が困難な怪異なるものが「リヴァ 78 機械仕掛けのリヴァイアサン
イアサン」となるのである。『白鯨』における「リヴァイアサン」のこのよう なとらえどころのない不気味さと,鱗状の鎖帷子をまとうハマンが帯びている 不気味な矛盾と拡散の性質との共通点から導き出されるのは,自動人形ハマン が「機械化されたリヴァイアサン」ではないかという仮説である。すなわち, ハマンのモデルはトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)の『リヴァイアサン』 (Leviathan)の扉絵に描かれる怪物の巨人,リヴァイアサンではないだろう か?(図 2)政治哲学史上最も有名な図像だとされる『リヴァイアサン』の扉 絵の上半分の中央に屹立するこの巨人は,右手に世俗の権力の象徴である剣 を,左手には宗教的な権力の象徴である笏杖(crosier)を持つ王冠を戴いた 人物として描かれており,図 1 のジャックマールと,この巨人のシルエット との類似性を見て取るのは難しくはないことに加え,巨人が持つ杖も斧や棍棒 の形状と酷似している。Johan Tralau によると,この重厚長大で複雑な政治 哲学書『リヴァイアサン』においてホッブズは,書名であるにもかかわらず, 図 1 図 2 79 機械仕掛けのリヴァイアサン
“Leviathan”という名詞をわずか 3 度しか用いていないのだが,その 3 か所 はそれぞれ,リヴァイアサンを曖昧で漠然とした,互いに矛盾するものとして 提示しており,拡散的なイメージを与えているとしている。(Springborg 61) 本来リヴァイアサンはヨブ記に現れる海の怪物レヴィアタンなのだが,ホッブ ズの『リヴァイアサン』の序文においては,リヴァイアサンは,この聖書の怪 物であるだけでなく,人間であり,人工人間“Artificiall Man”(Hobbes 16) であり,神であり,全体としての国家(コモンウェルス)であり,絶対権力を 行使する国家の機能,すなわち君主でもあるとされる。(Springborg 62)こ の怪物は,概念的にひとつのイメージや機能に収斂することはない。姿そのも のは王冠を戴いた王に見えるのだが,図像学的な視点とテクストとの相互作用 により,リヴァイアサンはきわめて曖昧でかつ意味の重層性と不確定性をもつ モチーフとなっており,異なる意味の位相を同時に表すよう意図されているの である。さらに Magnus Kristiansson は,Tralau との共著論文の中で,こ の『リヴァイアサン』の扉絵の巨人が着用しているもの,すなわちボディ・ポ リティックを構成する多数の臣民たちの集合体,が,以前から鱗や鎧として連 想されてきた歴史があることを示し,16 世紀と 17 世紀においては,このよう な鱗のような鎧や鎖帷子を王などの権力者が着用している肖像画が,特に奇を てらった珍しいものではなかったことを指摘している。(Kristiansson and Tralau 303)(4) Tralauは,扉絵に描かれている巨人リヴァイアサンが,共存することが不 可能である互いに矛盾しあう性質をもつことによって,恐怖と他者性を生み出 していることを指摘する。この恐怖は,メドゥーサやディオニソスといった神 話的怪物が帯びている恐怖に通底するものであり,その目的は,コモンウェル スを構成する臣民たちに死への恐怖を喚起し,彼らが契約によって形成する, 自らを防衛してくれる強大な共通権力へ服従することを求めるものである(5)。 同時に存在することが不可能な,多様な要素からなるハマンが,ドミノ仮装衣 に隠されているうちは“all sorts of vague apprehensions”(823)を,そし て,その姿があらわになった際は“horrified alarm”(828)を醸し出し,見
れば見るほど恐怖感を感じさせるもの“the more terrible to behold, the bet-ter”(831)であることは,リヴァイアサンを構成する多様な要素が臣民たち に喚起する恐怖と共通する。また,リヴァイアサンが行使する絶対権力は,臣 民たちによる契約によって構成されながらも,彼らに属するものではなく,絶 対的他者として機能している(6)。人間の想像を超える“unknown monster” (829)であるハマンも,やはり他者性を帯び て い る こ と は 言 う ま で も な い(7)。このように『リヴァイアサン』の扉絵,特に絶対権力として屹立する 人工人間であるリヴァイアサンと「鐘塔」の自動人形ハマンとは,図像学的か つ意味論的な視点からの分析によって,看過できない共通性を浮かび上がらせ るのである。
II
メルヴィルがホッブズを直接引用した唯一の例は,『白鯨』の「文献抄」 (“Extracts”)における“by Art is created that great LEVIATHAN called aCOMMON-WEALTH, or STATE(in Latin CIVITAS),which is but an Artificial Man”(785 ; Hobbes 16)である。この引用が「文献抄」における クジラや鯨学に全く関係がない唯一の例である,という Robert T. Tally Jr. の指摘は興味深い。(1)クジラとの直接の関連性がないにもかかわらず,メ ルヴィルは題名の『リヴァイアサン』に惹かれて「あえて」引用したと思われ るのだが,この引用部分には,海の怪物リヴァイアサンを国家コモンウェルス と同列に位置づけ,さらに「人工人間」“an Artificiall Man”でもあるとする 『リヴァイアサン』の中核をなす最も重要な思想が凝縮されており,扉絵の複 雑な意味作用を支えている基本概念となっている。この部分を引用している 『白鯨』には,鎖帷子,イルカ,リヴァイアサン,竜という意味的な関連性に 加え,絶対権力,コモンウェルス,自動人形らが作り出す連想関係の網の目が あると言ってよいだろう。 このような連想関係からの類似性のみならず,メルヴィルの伝記的事実から 81 機械仕掛けのリヴァイアサン
も,ハマンが機械仕掛けのリヴァイアサンであるという仮説を裏付けてみたい のだが,Julien Markels, George Shulman, Paul Downes, Maurice S. Lee, あるいは Peter Szendy といった,メルヴィルへのトマス・ホッブズの影響関 係を論じる主要な先行研究のいずれにおいても,メルヴィルの伝記的な事実に おけるホッブズの関連性について言及されてはいない。メルヴィルがホッブズ を読んでいたのは,『白鯨』に『リヴァイアサン』からの引用があることから も推察されるのだが,彼がホッブズを読んだという確実な証拠,そしてどの程 度までこの政治哲学書を読み込んでいたのかを推測するための根拠は,実際の ところ絶望的なまでに少ないのである(8)。それにもかかわらず,Downes が 「メルヴィルとホッブズの哲学的な関係性に関するどのような考察も,この 2 人の間のある種の文体上の類似性から始めるべきである」(319)と述べつつ 指摘しているように,両者の間の文体上の明示的な共通点は,少なくともシェ イクスピア(William Shakespeare)やミルトン(John Milton),あるいは トマス・ブラウン(Sir Thomas Browne)といった,メルヴィルの文体,思 想,キャラクター造型に影響を与えた文学者たちと同程度まで彼がホッブズを 読み込んでいたことを間接的に証明する根拠となる。
メルヴィルの伝記的な記録に現れる,ホッブズに関して現在判明しているほ ぼ唯一の事実は,Jay Leyda の The Melville Log に記録されている。これに よると,1850 年 1 月 1 日にメルヴィルは,前年のイギリス旅行の際に古本屋 で 10 シリングで入手した 17 世紀のイギリス詩人ウィリアム・ダヴェナント (William Davenant)──シェイクスピアが名付け親とも,あるいは,シェイ クスピア自身の落とし胤だという伝説もある(グリーンブラット 468-69)ア メリカはもとよりイギリス本国でも 19 世紀にはほぼ忘れ去られていた王党派 の桂冠詩人──の代表作である『ゴンディバート』(Gondibert)の序文を読 み始めている。(359-60)メルヴィルはダヴェナントの「序文」(“Preface”) の 2 か所にアンダーラインを引いており,おそらく,当時取り掛かっていた 長編小説──後の『白鯨』──が念頭にあったのか,そのどちらにも“whale” という単語が含まれている(9)。この『ゴンディバート』という詩集は,ダヴ 82 機械仕掛けのリヴァイアサン
ェナントが“much Honour’d FRIEND”であるトマス・ホッブズに捧げたも のであり,しかも,ダヴェナントの序文へのホッブズ自身の「返答」“An-swer”もここに収録されていることには注目すべきであろう。メルヴィルは ホッブズのこの「返答」にも目を通しており,やはりアンダーラインを引いて いるのだ。Noel Malcolm によれば,この「序文」と「返答」が書かれた時期 に,執筆の最終段階にあった『リヴァイアサン』の原稿の一部をダヴェナント が読んでいた可能性があり,この両者のやり取りの背景には,おそらく,当時 ほぼ完成稿となっていた『リヴァイアサン』があったのだと推測されている。 (6-7)このことは,序文の中でダヴェナントが使う“whale”という語が, “Empire”や“Statesmen”といった政治的なイメージとの比較として用いら れていることからも推測されることである。 伝記的な事実として確認できるメルヴィルとホッブズのつながりは,今のと ころはダヴェナントと関連するこの 1 点のみである。しかしダヴェナントと ホッブズの人間的にも思想的にも強い結びつきは,Malcolm が指摘するよう に,ダヴェナントの「序文」に『リヴァイアサン』の思想が満ちていることを 裏付けるものである。これはメルヴィルが,ダヴェナントが介在した形であっ た可能性があるにせよ,ホッブズに私淑し,その政治哲学に影響を受けていた ことを示す根拠となる。『白鯨』以外のメルヴィルのテクストには,3 か所の ホッブズへの言及が見られる。『オムー』(Omoo)では,ロング・ゴースト (Long Ghost)が Virgil の詩を引用したり,“Hobbes of Malmsbury”につい て語り,船での長旅の無聊を慰めている。(336)『ピエール』(Pierre ; or, the
Ambiguities)では,若者たちが,貧乏であるがゆえに,ホッブズの“coarse materialism”を拒絶することが語られる。(311)「鐘塔」と同じく 1855 年 に出版された『イズラエル・ポッター』(Israel Potter)では,ベンジャミ ン・フランクリン(Benjamin Franklin),ホッブズ,聖書のヤコブ(Jacob) の 3 人が賞賛され,特にフランクリンとホッブズの文体の明晰さを褒め,両 者の“mental habit”が融合する瞬間があると語られる。(477)(10)ホッブズ を語るロング・ゴーストの姿は,若き日のメルヴィルその人なのかもしれない 83 機械仕掛けのリヴァイアサン
し,また『ピエール』と『イズラエル・ポッター』でのホッブズへの言及は, 後述するようにメルヴィルの政治的な姿勢をうかがう際に,非常に重要な示唆 を与えてくれるものである。図像学,メルヴィルのテクストにおける連想の網 の目,そして彼の伝記的事実は,ハマンが小型化されたリヴァイアサンとして 「鐘塔」に現れていると読むことを可能にする。となると,イタリアのとある 「共和国」に現れるハマン=リヴァイアサンは,共和主義の中に,これとは相 反する強大な絶対権力が,たとえ一瞬にせよ姿を現したことを示唆することに なろう。このような政治的な緊張を,なぜメルヴィルは「鐘塔」に描かなけれ ばならなかったのだろうか?
III
リヴァイアサンは,ハマンの姿を借りて,読者と国民の視界からほぼ遮られ る形で小型化されて密やかにテクストに現れていると同時に,実は,まさに 「巨人」として「共和国」に屹立してもいるのである。鋳造後の冷却を経て鋳 型が取り外される際に,“disinter”(821)が,また塔から落下後に土から掘 り起こす際には“disinterment”(833)という語が鐘に関して用いられてい ることは,鐘が,埋葬された遺体という身体のイメージをもつことを示してお り,この鐘が“some old Theban king”(821)であることから,これは王の 身体である。ハマンと鐘を納める鐘塔の頂部が「最頂部・頭部・王冠」を意味 する“crown”(819)とされていること,さらに塔そのものを形容する語が “Titanic”(820)であることは,鐘塔が巨人の王としての換喩的な身体性をもっていることを含意する(11)。このようにリヴァイアサンであるハマン,鐘,
鐘塔のそれぞれは,王とその身体性を比喩的に示しているのである。バンナド ンナは“a partial type of an ulterior creature”(830)であるハマンを, “proceeding from comparatively pigmy aims to Titanic ones”(829)という
ように,将来的には「巨人」的な目的へと変貌させる雛形だと考えており,自 動人形が鐘塔と連続性をなすことは,当初から彼の構想の中に存在していたの
だ。鐘塔を構成する 3 つの要素を王の身体として同一視しうる可能性をさら に裏付けるのは,“the cloaked object”(822)であるハマンを覆う“cloak” である。“cloak”は,乗馬者や旅行者が着るケープを意味する中世ラテン語の “clocca”を語源としてもち,鐘との形状の類似性から“bell”の意味をもつ “cloke”や“cloche”と同じ語だとされる。また“clock”は同語源の“cloak” とは二重語となるため,“cloak”,“bell”,“clock”は語源的に強い連想関係を もっている。300 フィートの「巨人」である鐘塔は,比喩的にはハマンとして 読み替えられ,鐘が最初の刻を告げるのを聞くために塔の下に集まる共和国の 国民たちは,王に擬せられる絶対権力をもつこの巨人を仰ぎ見ている構図とな るのだ。ここに『リヴァイアサン』の扉絵との類似性を見て取るのは容易であ る。 だがこのオートマトンは,鐘を撞くためのただ一度の稼働で偶然バンナドン ナを殺した後に,“the sudden snapping of a main-spring”(828)と,火縄 銃でおそらくはその発条部分を撃たれて機能を停止させられ,その夜のうちに 秘密裏に運び出されて海に沈められる。“Artificiall Man”の発条“Spring” は“Heart”であり,こ れ は こ の 人 工 人 間 に“life and motion”を 与 え る “Artificiall Soul ”すなわち,“Sovereignty”(16)であるというホッブズの 定義にしたがうならば,ハマン=リヴァイアサンは,その人工的な魂であるゼ ンマイ,すなわち統治権力を破壊された上で海に葬り去られるのである。比喩 的にハマンや王の身体との読み替えが可能である鐘も,バンナドンナの葬儀の 際に“belfry”から落下 し,比 喩 的 な「遺 体」と し て 掘 り 起 こ さ れ た 後 は “belfry-bough-work of sculptured blinds and traceries”(833)として再鋳 造され,鐘塔の頂上部にはめ込まれる。ハマンが運び去られ,鐘の形を留めな くなった金属がはめ込まれた「上部構造」“superstructure”(833)は『リヴ ァイアサン』の思想的な意味での上部構造でもあるという二重の意味を失い, 鐘塔が巨人リヴァイアサンの換喩ではなくなったことを暗示する。そして鐘塔 が完成してちょうど 1 年後に,この絶対権力の残滓は地震によって倒壊する のである。このように「鐘塔」に現れるリヴァイアサンは,少なくとも共和国 85 機械仕掛けのリヴァイアサン
民の目にはあくまでもそれとは気付かないメタフォリカルな形で姿を現してい るに過ぎず,天才的な機械工であるバンナドンナの死と,しばしば彼のプライ ドの象徴と解釈される塔の倒壊を除けば,この共和国はさしたる深刻な危機を 目にしたわけではないと言えよう。 こうした分析から,メルヴィルは共和主義に対抗するホッブズ的な絶対権力 を否定している,あるいは,たとえ共和国に専制的な権力が生まれてもそれは 自滅すると考えている,という解釈を導き出すことが可能かもしれない。だ が,このテクストに奴隷を擁する共和国アメリカの矛盾の寓話を読み解くとい う,これまで主流となってきた解釈をふまえると,メルヴィルがリパブリカニ ズムを礼賛し,その思想的堅牢ぶりを強く確信していると読むことにも躊躇せ ざるをえない。「鐘塔」において,一見するとほんの一瞬だけきわめて曖昧な 形で提示される,共和主義と絶対権力との間の緊張は,本論の出発点の疑問で もある,ハマンに充溢する過剰で不気味な意味付けから考えると,決してささ やかでもなければ,テクストへの解釈の無理強いによって引き出されるもので もなく,強い存在感を示していると考えるべきであろう。メルヴィルにおける リパブリカニズムと絶対権力の関係性をより明確にすべく,ここで「乙女たち の 地 獄」(“The Tartarus of Maids”)と「鐘 塔」と を 並 列 さ せ て み た い。 Carolyn Karcherは,「ベニート・セレーノ」(“Benito Cereno”)と「鐘塔」 の 2 つのテクストが二枚折絵“diptych”であっ た 可 能 性 を 示 唆 し て い る (157)が,テクノロジーとイデオロギーの視点から見るならば,むしろ「鐘 塔」は「乙女たちの地獄」との二枚折絵を構成することにはならないだろう か?(12)種子を入れる封筒用の紙を買い付けに,真冬に製紙工場を訪れる語り 手が人間(女性)の腹腔内を思わせる工場内で目撃するのは,製紙の工程が, 人間の受胎から出産までのメタフォリカルなプロセスとなっている光景であ る。語り手に工場を案内するキューピッド(Cupid)の説明と小説のタイトル にも現れているように,この工場に勤めている女工たちはすべて「乙女」 “maids”であり,“mere cogs to the wheels”(1277)となって,人間の生殖
を支配する製紙機械に仕えている。H. Bruce Franklin が指摘するように,彼
女たち自身が自動人形と化しており(67),専制君主「スルタン」の奴隷にな っている。“as the slave serves the Sultan”(1277)語り手はさらにこの ハーレムの 王 で あ る 製 紙 機 械 を,“inflexible iron animal”と,さ ら に は “strange dread”を感じさせる“living, panting Behemoth”(1277)と呼び
表すのである。旧約聖書ヨブ記に登場する陸の怪物ビヒモスと(13),それと対 で描かれる海のリヴァイアサンが,「乙女たちの地獄」と「鐘塔」が二枚折絵 であるとみなすことを裏付ける,図像学的なコンヴェンションを提供するのは 言うまでもない。2 つの短編には,どちらも機械仕掛けのリヴァイアサンとビ ヒモスがそれぞれ姿を現しており,両者共に恐怖を喚起する専制君主のイメー ジが付与されているのである。 「乙女たちの地獄」で描写される製紙工場のモデルとなったのは,Boston Manufacturing Companyによってマサチューセッツ州ローウェルのメリマッ ク川に沿って建設された紡績工場である。John F. Kasson が詳述しているよ うに,ローウェルの設立者たちの念頭にあったのは,自らの工場を,産業革命 期のイギリスにおけるような過酷で劣悪な労働環境にする轍を踏まないという ことであり,こうした意識を支えた経営理念の根本にあった思想こそがリパブ リカニズムであった。(55-105)その恵まれた労働環境ゆえにこの工場は,当 時ここで働く女工たちに“Lowell is the garden of Eden”とまで言われたの である。(Rogin 205)しかし,当初こそ共和主義の理念に基づく先駆的な工 場経営の成功例として喧伝されたものの,1840 年代に入るまでには,次第に 父権的なリパブリカニズムのイデオロギーに反抗する女工たちによる,激しい 労働運動の場として知られるようになる。『イズラエル・ポッター』の“Low-ell girls the rows of looms in a cotton factory”(569)という記述から,同 じ東海岸に住んでいたメルヴィルが,共和主義的理念で経営されるこの紡績工 場のことを知っていたのは明らかである。また語り手は,製紙工場への途上で の荒涼とした冬の光景を目にしながらも,「乙女たちの地獄」と本来の二枚折 絵をなす「独身男たちの天国」(“The Paradise of Bachelors”)においてロン ドンのテンプル法学院を訪ねた時のことを思い出し,“Though the two
ob-87 機械仕掛けのリヴァイアサン
jects did by no means completely correspond, yet this partial inadequacy but served to tinge the similitude not less with the vividness than the dis-order of a dream”(1269)というように,イギリスとアメリカの“the in-verted similitude”(1269)を見出している。こうした語り手の認識の視点 は,「乙女たちの地獄」における専制権力と明示されないリパブリカニズムと が,対立しながらも互いの類似点を強調する,表裏一体の関係として提示され ていることを示している。かつてはそこで働く女工たちに「楽園=エデン」と まで言われた共和主義の理想的な具現化であるローウェルは,メルヴィルのテ クストにおいては,機械仕掛けのビヒモスが女工たちを奴隷として支配する 「地獄」“Tartarus”として描写されている。リパブリカニズムが暗転すると, “autocrat cunning”(1277)をもつ機械仕掛けの専制君主ビヒモスが姿を現 すのだ。
IV
「鐘塔」では,「乙女たちの地獄」におけるような,暗転した共和主義の地獄 絵図は展開してはおらず,むしろ相反する 2 つの政治力学は,ハマンの腕に はめられている手枷“manacles”によって「棍棒/職杖」“mace”が象徴的 に表す力が制限されていることからもわかるように,当初から相互に抑制し合 っているようである。このことは,「新しい奴隷」“new serf”であり,“iron slave to Bannadonna, and, through him, to man”(830)として構想されて いたはずのハマンが,繰り返し“domino”すなわち,Franklin が指摘してい るように,その語源に“lord”や“master”の意味の“dominus”をもつ語 によって換喩的に呼ばれており,奴隷でありながら主人でもあるというよう な,権力に関する相反する力学が働いていることにも現れている。このように リパブリカニズムとホッブズ的な絶対権力とが抑止し合う様相を,「鐘塔」に おける最も根本的な二項対立である Nature と Art の相互関連から解釈して みたい。 88 機械仕掛けのリヴァイアサンIIで指摘したように,メルヴィルは『イズラエル・ポッター』で,ホッブ ズとフランクリンの文体の明晰さと,両者の“mental habit”の融合につい て語り,“labyrinth-minded[. . .]at once politicians and philosophers” (477)という評価を与えている。さらにフランクリンを“a tanned
Machi-avelli in tents”(477)と,ニッコロ・マキャベッリ(Niccolo MachiMachi-avelli) にもたとえるという連想を持ち出している。アメリカ建国の二大事業である独 立宣言の起草と合衆国憲法制定の双方にかかわったフランクリンを,この小説 では,ホッブズとマキャベッリの 2 人の専制権力の擁護者と併置し,彼らと の共通点をそこに見ているのである。Founding Fathers の一人であるフラン クリンに,アメリカ政治思想史の伝統においては相反するイデオロギーの提唱 者だとされるこの 2 人と共通の性質を見いだすことは,それぞれが代表する イデオロギーである共和主義と絶対権力との間に,「乙女たちの地獄」の語り 手と同様に“the inverted similitude”をメルヴィルが読み取っており,表裏 一体の性質を看破していたことを暗示している。独立宣言の冒頭で言及される “Nature”(“the laws of nature and of nature’s God”)は,“the separate and equal station”を与えるものであり,独立宣言の主調であるイギリス王 政への決別の根幹をなす不可侵の権利である。一方,ホッブズはまさにこの自 然の状態こそが,有名な“a war as is of every man against every man”「万
人の万人に対する闘争状態」を生み出すものだとし(14),この状態の前提にあ
る「自然法」“the Law of Nature”を放棄して,社会契約による共通権力, すなわち“greater stature and strength than the Naturall”である“Artifi-ciall Man”(16)を形成すべきだとする。この人工人間=コモンウェルスの形 成の原点にあるのは,まさに「自然」の統制なのである。共和国の理念とホッ ブズ的なコモンウェルスとは,「自然」に関して本来は完全に対立するイデオ ロギーであるはずなのだが,メルヴィルが,上述のように両者の相違ゆえの共 通点を強く意識しているのは明らかである。 「自然」の扱いに関しては,『ピエール』においてその“coarse material-ism”が批判されているホッブズ(15)と一致している,“a practical
material-89 機械仕掛けのリヴァイアサン
ist”であるバンナドンナが,ハマンの製作を通して究極の目標としたのは, “to rival[Nature],outstrip her, and rule her”(831)である。彼は,ホッ
ブズと同様に,Art によって Nature を支配しようと企んでいたのだ。自動人 形ハマンは自然を凌駕し支配する目標を達成するために,“plain vice-bench and hammer”(831)によってきわめて唯物的な哲学に基づいて作られた Art の究極の具現化のはずであった。しかしこの自動人形は,見る者に“the sus-picion that it was but a living man”(822)という疑いを抱かせるものであ り,ハマンを覆うドミノ仮装衣の下には生物ともゼンマイ仕掛けともつかない かすかな動き“a slight sort of fitful, spring-like motion”(822)が認められ る。ハマンを見る者が感じる恐怖の根源には,フロイトが E・イェンチュを 引用して述べている「生きていない事物がもしかして生命を吹きこまれている のではないかと疑われる」(フロイト 16)「不気味なもの」が存在している。 ハマンは,Art を究極まで推し進めるための自動人形であるにもかかわらず, そこには常に Nature の混入がかすかに感じられ,それがこのオートマトンが 帯びる恐怖の源泉となっているのである。前述のように,そもそもバンナドン ナ自身が,この鐘撞き機械を「彼」“him”(822)と呼び人間扱いしているの だ。鋳造の過程でバンナドンナによって殺された職工の身体の一部が融解した 鐘にも,Art への Nature の混入が認められる。“a splinter[of the smitten part]was dashed into the seething mass, and at once was melted in” (821)結果的にはこの溶け込んだ人体が原因の構造的な欠陥ゆえに,鐘は鐘
塔から落下してしまうのだが,バンナドンナはこの Nature の痕跡であり構造 的欠陥部分でもある“one strange spot”を“some preparations which none knew better to devise”(821)によって塗りつぶしてしまっている。Art を 追求する過程での Nature の混入は,他ならぬバンナドンナ自身が“he al-lowed fancy some little play”(831)という形で許され,隠蔽されていたこ とだったのだ。彼は自身に課した目的を自ら損なっていたのである。
このように,Nature-Art という「鐘塔」の意味作用を司る根源的な二項対 立はきわめて不安定なものになっており,その結果,この対立に依拠するはず
のイデオロギー的対立も揺らぐことになるのである。こうしたテクストのイデ オロギー的姿勢の曖昧さは,バンナドンナに対して作中で 3 度用いられるこ とで前景化される語である“founder”(820, 822, 825)の意味のゆらぎに顕 著に現れている。彼が鋳造する鐘は“the great state-bell that the founder lavished his more daring skill”(820)であり,Karcher が指摘している (156-57)この鐘の“Liberty Bell”との連想は,鐘の「鋳造者」と共和国の “founder”「創立者」の二重の意味をバンナドンナに読み込むことを可能にす るだろう。ハマンが王にたとえられる鐘の鋳造者バンナドンナを死に追いやっ たということは,同時に共和国の「創立者」を抹殺したことも含意するのであ る。この解釈は,鐘塔に迷いこみ,ハマンとそれに殺されたバンナドンナの姿 を見た際に“gone mad by fear”(828)となったスパニエル犬によっても補 強される。ホッブズは『リヴァイアサン』の 29 章において,コモンウェルス を弱体化させる要因のひとつに,古代ギリシャ人やローマ人の政治や歴史の本 を読むこと“the Reading of the books of Policy, and Histories of the an-tient Greeks, and Romans”を挙げ,こうした思想は“killing of a Tyrant is lawull”とみなす“the biting of a mad Dogge”,すなわち“Hydrophobia” だとしている。(507-508)共和主義を賛美する政治思想は,コモンウェルス の身体を弱体化させる「狂犬病」なのである。このスパニエルの狂犬が“it shared the burial now to be related of the domino”(828)というように, リヴァイアサンであるハマンと共に海に沈められることは,リパブリカニズム と絶対権力の双方を死に至らしめていることになるのだ。鐘に彫られた少女ウ ナ(“Una”)とデュア(“Dua”)の堅く結ばれた手はバンナドンナがその野望 の生涯を賭けたものであり“one clasp, by which Bannadonna clung to his ambitious life”,この握手を断ち切る“sever”(832)ことができたならば, ハマンは,ゴルディアスの結び目を一刀両断で断ち切ったアレクサンダー大王 のごとく,強大な権力者となりえたはずだった。しかしハマンが実際に叩いた のは,「介在/邪魔」する“founder”バンナドンナの頭である。“smote the intervening brain of Bannadonna”(832)この結果「創立者」“founder”で
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あるバンナドンナは死に,絶対権力の化身ハマンは海に沈められ,「鋳造者」 “founder”の鐘は再鋳造されて原型を留めなくなり,換喩的「巨人」の王で ある鐘塔は“founder”「倒壊する」のである。元来この鐘塔は,共和国の威 信を示すものであったのだから,その倒壊は,絶対権力のみならず共和国の崩 壊も暗示するものとなろう。「鐘塔」においては,2 つの対立する政治力学が 示されながらも,結果的にそのどちらも選択されず,それどころか双方とも遺 棄されるのである。「乙女たちの地獄」においてこれらの対立するイデオロ ギーは,対立を示しつつ類似を強調するという表裏一体のものとして提示され ていたが,「鐘塔」においては,この二項対立に対するペシミズムがこのよう に一層深化しているのを見てとることができる。 「ベニート・セレーノ」においてメルヴィルは,Founding Fathers のアメ リカ建国のプロジェクトに共和主義ではない部分が根底に含まれていることを 指摘している,という Maurice S. Lee の主張は,そのまま「鐘塔」にも当て は ま る。(150)メ ル ヴ ィ ル は,す で に『ホ ワ イ ト・ジ ャ ケ ッ ト』(White-Jacket)において,アメリカの共和主義の中に,異物のようにイギリスの専 制政治の種が紛れ込んでいることを看破している。この小説では,71 章にお いて,アメリカの軍法会議法(The Articles of War)について,“They can-not be the indigenous growth of those political institutions, which are based upon that arch-democrat Thomas Jefferson’s Declaration of Inde-pendence?”と述べ,この法律を“an importation from abroad, even from Britain, whose laws we Americans hurled off as tyrannical, and yet re-tained the most tyrannical of all”(662)だとしている。独立宣言とは相容 れないはずのこの法律が,イギリスから輸入され,共和主義のアメリカに入り 込み“the most tyrannical”である性質を保持したままでいると言うのだ。 イギリスの王政と決別すべく構築されたアメリカの共和制という物語には,当 初からこのように対立するはずの“tyrannical”な要素が混入していたのであ る。これは「鐘塔」における Nature-Art の図式と重なり合うものだ。
「鐘塔」の 1 年前の 1854 年に発表された「エンカンタダス」(“The
tadas”)の第 7 スケッチ「チャールズ島とドッグ・キング」(“Charles’s Is-land and the Dog-King”)では,チャールズ島に建国した小さな王国の創設 者でもある王が追放された後に,古代ギリシャ風でも,古代ローマ風でも,あ るいはアメリカ風でもない「共和国」が樹立されるエピソードが語られる。だ が,この共和国を支える「デモクラシー」は,実のところ民主主義などではな く,無法状態以外の法をもたない“Riotocracy”(Piazza Tales 791)である。 専制君主を排除した後の共和制が,たとえその統治イデオロギーとして過去に 存在しなかった新たなデモクラシーを標榜したとしても,結果的には一種のア ナキズムと暴力主義に陥る可能性がここでは指摘されているのである。メルヴ ィルの作品を,リベラリズムやリパブリカニズムの言説のパラダイムの中に置 くことは容易ではない,とする Jason Frank の指摘は,正鵠を射たものであ ろう。(1)メルヴィルのテクストは,リパブリカニズムと絶対権力との間で ゆれ動きながらも,どちらも選択しない,あるいはできない,深い懐疑に陥っ ているのである。
Downesが指摘しているように,Founding Fathers たちが,リパブリカニ ズム擁護のために,ジョン・ロック(John Locke)の名を呪文のように用い てホッブズを「悪魔払い」“exorcise”していたということは,彼らが強大な 絶対権力の化身である人工人間の亡霊とそれへの魅了を,容易には振り払えな かったことを逆説的に示唆している。メルヴィルも彼らと同じように,共和国 にありながら,その慢性病への処方箋としてのホッブズ的な共通権力の構築を 望む 藤があったと,「鐘塔」から読み解くことはできないだろうか? この
テクストを締めくくるセンテンスである“pride went before the fall”(823) という人生であったバンナドンナの前に,“a king over all the children of pride”(Job 41 : 34)としてリヴァイアサンは確かに現前している。しかし, Leeの 言 葉 を 借 り る な ら ば“indeterminate politics of deconstruction” (136)の状態にあった作者は,バンナドンナを殺し,リヴァイアサンを海に
帰してしまう。物語の冒頭で読者に示される,“stone pine”であるかつての 鐘塔が,“one steadfast spear of lichened ruin”(819)となって地衣類に覆
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われ,Nature に包含された Art という形でおそらくは数百年間放置されてい る光景は,そのまま,メルヴィルの政治的な逡巡からの決定不能状態を投影す るイメージとなる。「鐘塔」は,奴隷制の寓話という従来の解釈を大きく超え, メルヴィルの生涯にわたる政治意識のゆらぎと懐疑の緊張を凝縮するテクスト なのである。 注 ⑴ たとえば H. Bruce Franklin はこの短編を,発展した形で人型の自動人形が登場 する英語で書かれた最初の作品だとし,後に SF の約束事にもなる,破壊者とし ての自動人形と正常な生殖から切り離された創造者という要素を含むものだと評 価している(145) ⑵ Despina Kakoudaki によれば,メルヴィルがハマンのモデルにしたのは,テク ストの中でも触れられているヴェニスのサンマルコ広場にある時計塔“Torre del Orologio”に備え付けられている,通称“the Moors”と呼ばれている自動人形 である。しかしメルヴィルが実際にイタリアに行ったのは「鐘塔」掲載の翌年の 1856年であるので,この短編で描写されるメカニズムは,旅行ガイドや旅行記 の記述に頼ったものだろうと Kakoudaki は推測している。(158, 237) ⑶ Talus/ Talos のソースについては,Sweeney に詳しい。
⑷ また,Kristiansson と Tralau は,扉絵の巨人の右腕の下に描かれている,これ までイトスギ(cypress)だとされてきた先が尖った謎めいた物体に対して,リ ヴァイアサンの体の一部であるという新たな解釈を与え,この巨人の隠れている 下半身部分が,Ambroise Pare などの図版に現れる,魚か竜のような怪物と共通 する形状であるというきわめて興味深い指摘をしている。このような怪異な性質 もハマンと共通するものであろう。 ⑸ 扉絵の人物の背後に砲撃を行う帆船が何隻か小さく描かれていることから,この 巨人は海からその上半身を現しており,「リヴァイアサン」という名称が喚起す る海との明白な親和性を示している。また巨人は,山の麓の部分に描かれている コミュニティ(国家)にとって敵対する存在であり,侵略しようとするこの巨人 を迎え撃つ国家は,海上のみならず陸からも砲撃を加えていることが,硝煙を上 げている大砲から読み取ることができる。このように巨人が国家に敵対する強大 な脅威として描かれていることは,臣民や読者に統治者への恐怖心を生じさせ, 法に従わせようとする疑似的なサブリミナル効果として作用している。(Kris-tiansson and Tralau 303-6)
⑹ Horst Bredekamp は,扉絵において,巨人を構築するひとりひとりの臣民たち の視線が巨人を見つめているにも関わらず,巨人は彼らに視線を注ぐことなくま 94 機械仕掛けのリヴァイアサン
っすぐに読者を見つめているという構図に,こうした他者性が表現されていると している。(Springborg 40) ⑺ M. Norton Wise は,19 世紀に制作された自動人形のほとんどが女性であり,女 性ではない場合は,特異な才能に恵まれた子供や黒人,曲芸師,奇術師,サルな どといった,不気味な,あるいは風変わりな生き物であったことを指摘してい る。19 世紀の自動人形はもともと他者性を帯びていたのである。(163) ⑻ Downes も指摘しているように,メルヴィルの読書体験や蔵書を網羅的に記録し
ている Merton Sealts の Melville’s Reading にもホッブズへの言及は一切ない。 (Melville’s Philosophies 332) ⑼ 実際このアンダーラインのうち 1 か所は,『白鯨』の「文献抄」に引用されてい る。(784) ⑽ 同じ第 8 章には,13 世紀イングランドの科学者,哲学者で宗教者であった Friar Bacon,すなわちロジャー・ベイコン(Roger Bacon)の名前が言及されている。 ベイコンの名前は,メルヴィルが「鐘塔」を書く際に影響を受けたと考えられ る,ホーソーンの「美の芸術家」(“The Artist of the Beautiful”)でも引用され ており,この中ではいわゆる“Brazen Head”,ベイコンが作ったという伝説が ある,言語を話し,未来の予言を行うことができる真鍮製の頭部への言及があ る。ベイコンに言及するメルヴィルの脳裏には,この元祖人工頭脳ともいうべき Brazen Headがあったことは想像に難くない。さらには『イズラエル・ポッ ター』の 19 章には,ポー(Edgar Alan Poe)がそのからくりを解き明かそう試 みるエッセイを執筆した,Kempelen の自動チェス差し人形の記述が出てきてい る。「鐘塔」と同じ時期のテクストに,ホッブズと,Brazen Head や Kempelen のチェス・プレイヤーといった自動人形との連想的な結びつきを確認することが できるだろう。 ⑾ Eric Slauter は,アメリカでは 18 世紀後半に,それまでの身体的なメタファが 用いられていた国家のイメージが,次第に建築にたとえられるようになったが, その際も柱などが phallic な含意をもつことがあり,完全にボディ・ポリティッ クのメタファが捨て去られていたわけではないという指摘をしている。これは, 塔を男根的イメージとして解釈する「鐘塔」の先行研究との関連できわめて興味 深い指摘である。(84-85) ⑿ Karcher も,「鐘塔」と「乙女たちの地獄」を“companion-piece”とし,両者の 間のモチーフや言語的な共通性について論じている。(126-27)また Michael Paul Roginは,「乙女たちの地獄」,「ベニート・セレーノ」,「鐘塔」が,動産奴 隷制を機械への奴隷状態へと結びつけるという共通点をもつことを指摘してい る。(207) ⒀ ホッブズは最晩年にまさにこの陸の怪物をタイトルとした『ビヒモス』(Behe-95 機械仕掛けのリヴァイアサン
moth)を執筆しているのだが(没後の 1681 年に正式出版),メルヴィルがこの イングランド内戦の考察の存在を知っていたかどうかについては,残念ながら現 時点では不明である。 ⒁ 実際にはこの語句は『リヴァイアサン』ではなく『市民論』(De Cive)に出てく るのだが,同じ趣旨をホッブズは『リヴァイアサン』でも繰り返し述べている。 ⒂ 『リヴァイアサン』出版当時のイギリスのみならず,それから 100 年以上が経過
したアメリカの Founding Fathers たちも,ホッブズの“materialism”を彼へ の批判の根拠としていたが,彼らがホッブズを嫌悪しつつ,実際にはその思想に 惹かれてもいたというアンビバレンスがあったのも事実である。(Downes 69-85)
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