詠歌一体成立考
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(2) 詠. 歌. 一. 体. 成. 立. 考. 95. 即ち,久曾紳氏によれば,詠歌一体の成立年次杜弘長の頃であD,作者昧薦家であつ. て,その形態昧甲本の如きものであったが,乙本市本姓逐次抄出して成ったものであろ ラ,と云うことになる。. 之L'/ブ詠歌一体の成立についての問題を略々網羅していると思われるが,筆者の考え得 ・たところをこの項目に照応させて摘抄てみると,次の如くであるo. (1)甲本は名家作と牲思われず,篤家の子慶融法眼の作で昧あるまいか,と階測さ れる。. (2)乙本姓単なる甲本の抄出本で紘なくて,甲本から抄出した部分と之に増補した 部分とから成っており,云わば改訂本と呼ばるべきものであるo改訂者昧断じられない. が,二条家の末流の人の手に成ったものと思われる。 (3)丙本姓未見なので何とも云えないが,書陵部戒「詠歌制の詞」及び「制詞」が それに当るとすれば,乙本の一部要所のみを抄出したとされる久曾紳氏の御詮に賛成 である。. (4)甲本の成立年代をその奥書によって決することは危険である. 放て,本稿で述べようとすることほ,概ねこの推論並に臆喜郎に到る過程なので象るが,. 論述の都合上,攻のような噸序で述べてみたい。 1.甲本と乙本との関係 2.甲本旺慶融作かとの陪詮 (1)二条冷泉両家の甲本に対する態度. (2)甲本の作者についての吟味 1.甲奉と乙奉との関係 乙本について,歌書綜莞で杜「前書(筆者云,甲本に当るもの)の抜書か若しくぼ歯 嘗の粉本れ. その一に出ざるべし」と記されているが,その粉本と記されているのは或. 昧筆者の改訂本と呼んで考えているのと同じようなお考A.であるのかも知れない.次に 佐h木信綱博士の日本歌学史で拭「不完の書」とされてお少,日本文学大藩典で拭「類 従本妊善本で昧ないo」とされていて,いづれも余bに簡潔過ぎて実際どのように考え られているのかが不明である.そして,久曾紳氏の御改札既に紹介したように甲本か ら抄出したので娃あるまいかと云われているのである. 筆者の考えているの昧改訂本詮なのであるが,次にそれに就いて述べるo (1)甲本について. 甲本にも本文並に喫書に差異があるので,仮に之を分類してみると3種になるようで あるが,管見に入った数本をその分類に従って鴇抄ると次の如くである.. 二条家系溌本・・--書陵部戒「詠歌一体」日本歌学大系所収本(竹柏園蔵本) 冷泉家系統本・・・-・書陵部蔵「和歌詠粂h」,静嘉堂戒「詠歌一体初学抄」,岩波文庫所 収本(竹相国蔵本) 名家奥書本---薯陵部戒「八雲口伝」,古語探秘抄所収本. (イ)二条家系競本と呼掃うとするもの昧,薦氏の奥書のあるもので,それ昧久曾紳.
(3) 96. 八. 島. 長. 寿. 氏も既に紹介されているが,三爽のようである. 「本云如此不審海臨共産出来,随息出迫可注付,是不可有他見,家中僻案所存也,志同 者可随之欺 連泊二年十一月十-. 囚代撰者前東相判. El. 和歌の浦のなみのたよりのもしほ葺かきをく跡を哀ともみよ」. 書陵部蔵本妊この奥書の後に安政3年の奥書があるが,格別注意すべき事もないo 伺,上の奥書昧甲本の作者としての烏氏のものと見てよいであろうo (ロ)冷泉家系統本と呼ばるべきもの昧,名家 自筆衷を以て薦秀の書写したものとい うのが源流となっているようで,書陵部蔵「和歌詠条々」の奥書をその例にとれば次の 如くである。. 「此秘抄以組父入活大納言自筆本令書写校合畢,尤可名証本夷 右さ丘中将薦秀」 静嘉堂蔵「詠歌一体初学抄」杖「冷泉黄門為秀卿自筆本」というのを基としているo 因みに,この系統本陣篤表白筆本が組本になっているわけであるが,次に掲抄る名家 奥書本と拭本文の葺があってそれと区別する必要があるので,ここに独立させておいた のである。. (ハ)名家奥書本と云おうとするの昧,三大のような奥書をもっているからであるが, 久曾紳氏姓之に基いて成立年代の弘長年間詮を出していられるのであち. 「弘長之比,任先人之庭訓篤後学之遺鏡,不願老眼之不堪,雨中記鳶,当家之外而他 家努々可秘之. 融覚判」. (書陵部戒「八雲口伝」). ・以上3種の甲本について,その本文の異同を見ると,その最も著しい相違点昧,ぬし 小さな出入少昧省略し特に注目すべき点を拳抄れげ,次のよう. ある詞の語義であるo である。. (イ)二条家系統本にあって冷泉家系統本にないもの 雪のした水,基さへかけて,みだれてなびく,月にうつらふ,月のかつらに,こがら し():)帆. (I,)冷泉家系統本にあって二条家系疏本にないもの 轟邑えまになびく,あやめぞかばる,雨の夕ぐれ,月やおじまの,雪の夕ぐれ. (}.)薦家奥書本 前の(ィ). (T))の諸句の殆ど全部をもち,僅かに「絶えまになびく」だけを欠いて. いる。. このような相違妊,夫h何等かの事情の下に改訂されたものと見得るのであって,鳥 豪奥書本など昧他の2系統本を集成する立叡こあったかと推測されるのである.文例え ば,二条家系統本について考えると,. 「月のかつらに」. 「こがらしの風」の両旬など抹,. 冷泉家で秀歌集と見ており二条家で意歌集と見撤している「雨中吟」ーの作品中にその用 例があるのであって,冷泉豪が甲本からそれを削ったのであるか二条家がそれを増補し.
(4) 歌. 詠. 体. 一. 成. 立. 考. 9ア. たのであ之か紘不明であるけれど,雨中吟をめぐる問題の一面を示すものであろうと息. われる。 (2)乙本について. 「ぬしある詞」を含む例歌を中心とする部.. 周知のように,この乙本(類従本)昧①. 分, ◎制詞の新一先達加難詞に準ずべきもの8句と党蓮加難詞95旬,. ◎ 27粂から成. る歌論の部分,以上の3群から成っているわ抄であるが,このうち甲本に全然見られ㊥のうちの14粂とであるム ない部分娃,上の㊥の全部と 全体として諸本の.闇に大きな異同妊なく,唯尭茎の奥書を有たないもの(調査6本, のうち3本然り)のあることと,. ①の.「ぬしある詞」に関して多少の出入のあること. 位で,それとても甲本に見られたような系統を分つという程のもので杜ない.但,. ・先に. も述べた「詠歌制の詞」のみ払他車に較べて4首だけ例歌が多いので,その点からも区二 別をつけて丙本と呼んでもよいかも知れな中、.. 以下,各辞についての吟味を述べたいo (イ). 「ぬしある詞」を含む例歌を中心とする部分. この例歌の後に記された次の文に昧注意すべきこlとがあると思うo 「古歌なりとも人ひとり詠しいたしてわか物ともちたるを紘とらすと申めりo ●. ■. ■. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 榛ちる.. ■. 木のした風ほのはのとあかしの浦なと様なる事昧,むかしの歌なれ昧とてとる事ひか ことなるへしとい蓋しめたれ妊」云h. (菩薩部戒「詠歌一体」). この女性甲本も大体昧同じであるが.上の傍点の部分即ち「ほのぼのとあかしの浦J というrJ'Jが甲本に妊所見がないo るところであ歩,. そして「橡ちる木のした風」紘近代秀歌の戒めてい 「僚ちる木のした風」 「ほのほのとあかしの浦」を共に戒めているの昧. 詠歌大概である。 然らば,甲本姓言亙代秀歌に依拠し,乙本昧詠歌大概に拠っていると見るべきである か。若し乙本が詠歌大概に拠っているのであれば,その詠歌大概で昧「近代之入所詠弘 之心詞雄一旬謹可除菓之」とあるのであるから,もう少し文章にエ夫を凝らして「心. 嗣」とあるその「心」のことに触れたに違いない。それをせずに詞の問題だけを述べ ているのであるから詠歌七概に拠っているので抹あるまい.、この部分,前後の文を比校 吟味した結果甲本姓確かに近代秀歌に拠っていると思われるのであって,乙本のこの部. 分も近代秀歌叉昧甲本に拠っておE). ,更に詠歌大概を参照して増補したと見られるので. ある。. (ロ)制詞の頻 ㊥の制詞類の群について見ると,加姓詞(以下,先達加難詞q)略称とする)に準す. るもの8旬のうち3旬妊加難詞と重複しており,中幡詞95旬のうち①の「ぬしある 詞」と重複するもの4旬叉杜5旬ある。従って,この◎の制詞の類自体も緊密に構成 されていると紘云い難く,. ㊨ 「ぬしある詞」. ㊨. 「潮詞の額」の2群相互の関係も決して. 緊密で往ない. つまb,. 「ぬしある詞」の1群が皇づ形成され,それに追記したものが加難詞に準サ.
(5) 98. 八. 島. 長. 寿. る8旬のようであ抄,加難詞95旬紘別個に形成されて来たので妊ある患いか.そして, 或る時期にその双方が組合せられたものであろうと思われ,このような重複が生じたの 壮①. ◎の両群が夫々固定化されて来ていたので,そのいづれにも筆を加え得なかつ. ・た篤で昧あるまいか.. この加難詞について昧,今日の如き形に形成される迄に暴投階かの成長過程が推測さ れるのであって,その過程に於て杜屡hその出典についての調査研究がなされたものの ようで,井蛙抄で昧20旬,近来風体抄で昧54旬について出典を確かめている.それら. ・のうち.現存乙本の制詞の類と一致するもの井蛙抄で紘11旬,近来風体抄では25旬に 止まるのであるo従って,当時の加難詞牲,今日の95句のそれと昧違っていたものの ようで,少くとも井蛙抄で妊9旬,近来風体抄で拭29旬迄も,今日の乙本に見られない ものを制詞として出典研究をしているのである.東野州聞書によると,頓阿拭この朔 の詞を蒐集していたらしく,今日の如き95句に固定したの昧,皇づ頓阿よりも後のこ とと見るべきであろう。. 戸田茂陸も梨本集に於て,専ら之等の制の詞の不当を鳴らし数々の反証を挙抄ている が, 「惣じて此読べからずという詞昧大方玉葉風雅両集におほくある詞也.」として二条. 一家の後代の人々0)仕業であろうと難じているが,その限りに於て略々妥当な見解であろ うと思う。加難詞の典拠として杜,為豪の三富首和歌判,或杜八雲御抄その他各種の歌 合判詞類が指摘し得るが,その詞をもつ勅撰集の歌昧玉葉集風雅菓に多いのであって, 二晩存95旬のうち,少くとも20旬近く昧両集の中にそれと指摘し得るのである。 (-). 27粂から成る歌論の部分. ㊥の27粂の歌論のうち甲本と重複しているもの13粂,甲本以外の典拠を見出し得 1たものは次の通りである.. 和歌初学抄--1ケ粂(第24粂) 近代秀歌-・-・-・2ケ粂(第15,. 16粂). 八雲御抄・---6ケ粂(第9,. 10, ll,. 三宮首和歌-・・・3ケ粂(第1,. 2,. 12, 13, 14の各条). 7の各条). この部分の吟味娃,特に甲本との関係が密接なので,項を改めて述べる. (3)甲本と乙本との比較 甲乙南本の比較旺既に乙本の吟味の中でも多少触れたのであるが,ぬしある詞の群に 於て杜「ほのぼのとあかしの浦」の旬があることによって,. _,i,くとも,乙本姓甲本a)抄. 出と昧云えない。多分甲本に落して増袖の関係にあるのだと考える.制詞の類につい て妊,甲本から杜抄出のしよう■も凱、のであって,この部分昧甲本と杜別個に形成さ. れたものと見られ,結果的に妊之も甲本に対する増補の開係にあると云えよう. 次に,乙本27粂の歌論杜そのうち13粂が甲本に一致するのであるが,この一致する 一部分について云えば,乙本姓甲本の抄出だと見られると思う.この関係を証明すると思. われる2例だけを挙抄てみるが,他の粂J4・tこついても乙本姓甲本の文を要約Lていると 見倣して支障がない。.
(6) 歌. 詠 ●. (イ). 体. 一. ●. ●. ●. ●. 成 ●. ●. ●. 99,. 考. 立 ●. ●. ●. ●. ●. ■. 「文句のすゑ斯か練らぬ懸の歌を春秋の歌にと少なしてめづらしくよみたるく. るしからぬ也」. (乙本,第26条). 之杜本歌取りの方法を論じて,本歌の旬を利閉した場合旬の位置まで本歌の生まであ′ るならば,古歌が樺の歌であるの凌新歌では春叉抜放の歌に改めて心の珍しさを求め各 べきだと云っているのである。 同じ場合に,甲本で昧懸の歌を春の歌に詠み改めた例を三つまで掲抄た後に「此歌の ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 旬のすゑところのか捻らぬ妊樺の歌を春の歌にとbなしてめつらしきゆへくるしから. す」としているのである。. 若し乙本が資料で甲本がそれに増補したのだと想定すれば,乙本に「春秋の歌にとわ' なして」とあったのに対して,甲本で杜春の歌に改めた3例を増■補し,且つそれに適う・. ようにr一審の歌にとbなして」と文を改めたことになるoすると,之紘樺歌を秋歌にと 少なした例が槍補出来なかったので本文の方を改めたという妙なことになって来るの である。. 之杜想定が遵になるべきで,や捻り甲本が資料で乙本がそれから抄出したと見るのが. 自然であろうo即ち,乙本が歌列などなるべく拳抄ないようにして個条書きにしてい るその乙本会体の調子にも合せ,叉甲本が「春の歌にとりなして」として歌例に即した. 文章であるのを,その歌例を省きやや一般化して「春秋の歌」と改めたと見るのであ る。. (T,) 「題を上の句によみつくしたる杜わろし.たた一旬に読たるもわろけれと,堀河 院百首題に紘一字つつにてあれ昧,さやうならん題の歌かすもおぼくよまむに,昧しめ の五字に言充たらんもくるしからす」. (甲本). 「題を上旬につくしたる杜わろし.但題の歌かすおぼくよ恵んに,はしめの五字にを きたらんはあなかちくるしからす。」. (乙本,第20条). この二つの文を比較してみると,甲本に旺すつきりしたものが感じられ,乙本姓それ を極めて拙劣に抄出している`のだと見られる.即ち,乙本に於ては,題中心を上旬に詠 じて了うの昧不可い,然し多数の歌題について詠む場合に紘上の句どころか第1旬に詠 んで了っても仕方がない,と云っているのであって,論に飛躍があると思われる。甲本. のようであるならば,堀河院題百首のように1字の題(実際に昧2字の題も混じている が)を多数詠む場合昧第1旬に題の心を詠み込んで了っても仕方がないと云っている. のであって,これならば実際的であり諭旨がよ、く通じるわ伊であろうo 斯くて,乙本の歌論の部分猿甲本の一部を抄出していると見られるのであるが,その 他に,和歌初学抄・近代秀歌・八雲御抄・三宮首和歌糾等からも抄出していることは, 既に指摘した通りである.. 俺,ここまで述べて来たのであるから,朝って,蒐に乙本のぬしある詞の例歌の後の 文中に「ほのぼのとあかしの浦」の旬のある部分について「乙本のこの部分も近代秀 歌叉娃甲本に拠っており」と記しておいたところ昧,単に「甲本に拠っており」として. 近代秀歌を省いてよいと考える。.
(7) 〕OO. 八. 島. 長. 憲. `次に・甲本と乙本との性格の差について見れば,その最も著しい点軌甲本が題詠論. 風体論などを本格的に展開しているのに落して,乙本は全体の構成の緊密さを欠いてい て環末な問題の寄せ集めに1Eまるという点である.矧こ,甲本の風体論の如き払平淡 一葉論として極めて重成されている部分なのであるが,乙本に昧その部分が牧め-られてい. ないのである。地歌・晴れ歌の定義なども問題のあるところであるが,乙本に捻その部 分もない。. 之等の点から考えて,乙本の作者ht,甲本の所論に賛成出来ないところがあE),されば と云って大所高所からそれを論難する程の力をもたなかったのであろう。従って,甲本 の所論中不賛成の部分昧之を獣殺し抄出しないと云う滑極的な方法を執ったので象ろ うと思われるo僅かに「本訟ある歌」についてだけ冷泉流の考えに対立した主張をして. いるのであるが.その事について昧後に述べる. 何,乙本は二条家の末流の人の手に成ったと思われるのであるが,そう考える理由の 一つは後世の二条豪歌学のテキストとして乙本が剛、られていたらしいこと,もう一つ. は二条・冷泉両家の歌学思想の梓達点のうち二条豪流の考えがこの乙本に見られること である。. 帯1の点について云えば,乙本が古今伝授の内容の一部を担当するテキストとして後 世二条豪の保守主義者達に利用されたらしく,次のような例がある。. 「詠歌一体昧中院大納言名家卿作云々,六部抄の中八雲口伝号詠歌一一体同名異物なb. (中略)加難詞. ・(中略)加難詞'il至芸珂此詞におゐて杜宗魯親王三百首之中の詞多し. 巳下は師伝なくて昧解しかたし(下略)」 (書陵部戒「詠歌一休」) 之杜日野賓枝の安永6年12月の奥書のあるもので,乙本加難詞のn典研究を主とす るものである.資枝杜古今伝授者の1人であり,又当時の伝授内容に「詠歌別の詞口伝」 (態1)ところで資枝の前引の ・r*歌一体事」などのあったこと娃既に指摘されている. 書によれば,甲本(「六部抄の申八雲口伝」云々とあるのがそれ)拭同名異物として即 けられておb・加難詞などは「師伝なくて杜僻しかたし」とされて,古今伝授者の1人. である鳥丸光栄の訓えを詳細に記録t,てい.るのであるo 以て・乙本が古今伝授の内容の一部分を担当するテキストとして尊重されていた趣 が想見され,従ってこの乙本こそ二条家の保守的な人々を支配し拘束したものであつ たことが考えら、れるわけである。. 第2の二条豪流の歌学思想が乙本に見られると云う点であるが,その一例として, r詩のこころこのみ詠むべからず」 (乙本・歌論の第4粂)があるoこの粂B,乙本が何 に依拠しているのであるか筆者に杜未検出のものであるが,漢詩に発想の契機を求.め た歌即ち本詮ある歌を避けようとする態度柱間じ乙本の第9粂にもあって(註2)乙本. 1r) 「古今伝授田革史論」 2). (横井金男氏著)参照. 「本認なとある事,こ.lころふかきやうなれともこのみ詠-からす」. の部分は頼経本のみ「本歌」とあp,諸本に徒つ七「本臥を採る.. (乙本・欝9条)の「本乱.
(8) 詠. 歌. 体. 一. 成. 立. 考. 101. として往この考え方を強く主張しているように見えるのであるo そして,その点にこそ二条家歌学の'-つの特徴があったらしいのであり.之に対して. 冷泉家で旺,例えば了俊所要抄に「詩なとをも其詩の心詞をも取,心にも乗てよむに や」などあるように本詮ある歌を寧ろ奨激している0)である.この考え昧冷泉家の手に なったと思われる偽書類愚秘抄・三五記・愚見抄などにも共通に見られるものである. 乙本披この点で強く対立の春慶を示しているのであるから,ここに二条豪歌学の特.:#の ・一つを見出すことが出来ると思うのである。. 2.甲本は慶融法混作かとの腰詮 詠歌一体の作者を烏家とする時の詠歌一体は普通甲本について云っているわけであ a,乙本の作者唐特に問題とされたの杜久曾紳氏だけかと思われる。その久曾紳氏しの. 御詮で昧乙本の奥書の署名者である尭茎を以て作者に擬していられるが,その当否昧 俄かに紘決し難い。. ここに杜甲本の作者についての吟味を述べたいのであるが,その吟味の必要を感ずる 理由壮,甲本の伝来に関することである。即ち和歌史の実際について見ると普通に考. えられているように娃詠歌一捧が尊重されていないこと,特に定家を尊重し新古今への 復帰を唱えた冷泉家流で詠歌一体を卿けていないで,却って名家の風に従ったと見られ る頓阿など二条家の人々がそれを批評的に見ており,後世に至るとその二条家で杜乙本 が重税されているらしいこと,などからである。従って,甲本に述べられたような車淡 美が歌壇を支配したと杜云A.ないので昧あるまいか.そして之は成立の間顧特に作者 について疑問があったからで杖あるまいか.. そのような意味で甲本作者の問題を採わ上梓たのであるが,結論として紘薦蒙の子慶 商虫法限の偽作なので昧あるまいかという陪詮に到達したのであるo 仇て,以下,まづ甲本の伝来に関連して二条豪・冷泉家の甲本に対する態度について. 述べ,次に作者に国してそれを慶融であろうかとする隠詮を述べてみたい。 (1)二条豪・冷泉家の甲本に落する態度 甲本の存在を明かにしているの拭,管見の及ぶところで妊,慶融凍眼抄がをの最初の. もののようであるo之に次いで昧近来風体抄であるが,それ妊甲本のうち冷泉家系硫 本に拠って引用されていると思う.その良基の甲本に対する態度昧,愚問賢註で頓阿に 質問した頃に杜多少の疑念を抱いていたようであるが,近来風体抄の頃に到ると概ね それを信頼しているようである.之に反して,頓阿の方柱愚問賢証で答えている時に昧 耽判的な態度であり,井蛙抄に到ると甲本に昧全然触れていない. 之に対して,冷泉豪流で杜,今川了俊が新妻抄に於て名家作としての詠歌一体に言及 しており,師詮自見集に於て昧甲本q)一部を引用して然もそれを「定家卿の物抄」と 呼んでいるので,了俊の甲本に対する認識に昧或る混乱が感じられる.更に,所要抄で 「ぬし参る詞」に対するかなり自由な取扱い方 紘,薦秀の詮の記録に当る部分の中で, をしている.正徹も,徹書記物語に於てや昧b. 「ぬしある詞」の∵部を引用しているの. であるが,その態度昧†応素直で然し叉かなり自由な取扱い方である。. ,.
(9) 102. 八. 島. 長. 竃. 以上のように・南北朝時代かほ町初期へか抄てQ)両家の_甲本に対する態度を見る と・概ね冷淡な態度を執っていると云わざるを得ないのである。概観すればそうであ るとして,次に二・三の点につき補改したい。 ①環世の和歌秘伝抄他事同好会本による)にB,甲本の風体論と非常に掛、こと を述べてあるが,然も甲本と昧無関係のようで,その事杜次のような例からも云えると 思う。. 「「題をよく心得よと申事 清輔朝臣並に入道中納言同心也o仮令山霞河月かやうの題にて山霞をたしかに上 下の句にわかちよむ-し」云々. 之R・清輔の和歌初学抄の記すところ(散1)や蓮性陳状などに見られる定家の詞 (証2)などを指しているのであろうが・同じ項目(甲本でQ3:r一題を能h心得へき事」). で甲本は詳細を極めて述べているのに,そ由事に妊全然触れもせず,文鳥家の名さえも 掲抄ていないのである.. 次に・風体論として紘甲本の云うところと非常に近いものがあって,次の例でそれを 伺うことが出来る。. 「歌のおもてに紘さしたる曲節も見えす,なかめ出せは凄もふかくさひしさもまさる 歌とも也oかからねともよき歌はよみ出したる心か頓て身にしみて,捌こもと覚ゆるも. ありo貫之かいもかりゆけ昧冬のよのとよめる歌払きけ杜淋しくもさむくも覚ゆる 也。」. (和歌秘伝抄「余情事」). 「す-て少さひしきやうなるかおもしろくてよき歌ときこゆる也。詞すくなくいひた. れと・心のふかけれ紘おほくの事ともみなそのうちにきこえて,なかめたるもよき也.J (甲本「歌のすがたの事」) .. 之等妊共に余情を重んじ余情の特性を淋しいものとして捉えている点で共通してい ると思われるのであるが,和歌秘伝抄の方昧その余情ある秀歌の例を3首巻ゆていて, そのうち2首まで杜近代秀歌流布本から探っているようであるoそしてその1首昧次 のものであって,. 鶴なくまのの入江の浜風に尾花波よる秋の夕くれ これ娃近代秀歌に妊「幽玄におもかゅかすかにさびしきやうなり」と証されているも のである.盛らば,薦世の風体論昧,無論庭訓に基いているであろうし叉特に近代秀歌 によっても支えられつつ,然も甲本と昧無関係に述べられていると見てよいであろう.. ◎頓阿の甲本に対する態度妊批軸勺であると述べたが,それ妊かなb重要な問題に 関してである。即ち愚問賢註(日本歌学大系本による)で,地歌と晴れ歌とに関して次 のように述べている。. 「凡,歌の地と文と極めてさだめがたく侍る事なり。常の人紘一かどある歌をば文と 心え,さしてめにたつところもなくやすらかなるをば地歌と心得て侍る欺。すなほにう、 (和歌初学歩め冒頭0日本歌学大系本) 1) 「歌をよまむにはまづ題をよく思ひとき心うべし. 2)十定家痢殊更わきま-申事にて候き.天象地儀のたぐひをば題にあらはL,国字め題をばこ ころをめぐらして可詠など末座までにも申をしふる事」云々(毒性陳状・類従本).
(10) 詠. 歌. 一. 体. 成. 立. 103. 考. る紘しくあきらかなるをよき歌と申せば,これこそやがて丈とも申され,一かど-ふし. あらむを地歌と申さるペきにや.むかし昧百首などには地歌をまじ-セよむ事と申し て侍るなり,今の代にはそれまでのさたなし.案じととのへたる昧文となり,.とりおち たるは地歌と申すペくや。」 之昧頓阿の答えの部分に当るもので,地歌に関する詮明を主としている占まづ通説を 遊べ,. 「さしてめにたつところもなくやすらかな」:、っ生り趣向や技巧も凝らさない率直. な表現の歌の意味に解されているとし,′次に自詮を示し,地歌旺そう云うものでなく て「一かど-ふしあらむ」. 「とりおちたる」つまb趣向・技巧の面白さ娃あるが心のよ. く表現されていない央敗の作なのだと云っているのだと思う. 之に対して,. 「文の歌」転蛸Tlのところで「時の歌」と呼んでいるのであるが,之も通. 詮では「-かどある歌」何か面白い趣向を凝らしてある歌とされているとし,頓阿の自 詮として杖や練り通説とは違って,. 「す恵ほにうる拝しくあきらかなる」「案しととのへ. たる」歌で心情が率直明快に優美な詞で表現されていて破綻のないものが「文の歌」即 ち晴れ歌なのだと云っているのであろう。. ところで,愚問賢註の他の部分から推して良基も頓阿も甲本を見ていると思われ.前 掲の頓阿の答えも,甲本の次の部分を心においてなされていると思われるo 「百首をよ恵んに牲,地歌とてところところに托さるていなるもののいひしりたるさ まなるをよみて,その中に秀逸いてきぬ-からむ題をよくよく案すへしoさのみ心をく. たく事も其詮あるへからす.よき歌のいてくることも自然の事なれ旺,百官なとにかす かすに沈思する事昧せぬなり。」. この文中の「さるていなるもののいひしbたるさ皇なる」地歌なろもの批点間賢註 で埠歌についての通詮と軍れているもの,即ち「さしてめにたつところもなくやすらか なる」に相当するものと思われる。姦悪らば,頓阿昧その通詮を香定することによって,. 甲本の述べている地歌の定義を否定していることになるわけである.特に,愚問賢註で 「むかしは百官なとに昧地歌をまし-てよむ事と申して侍るなり,今の代に時それまで q)さたなしo」と述べているあたり,甲本考どの云って七R'るところ昧今は通用しないの だと断じているように思われるのである。 このような重要な問題について,甲本の所詮を否定している以上,頓阿昧甲本に対し. て異質のものを感じており亜腔拍勺だったのだと見ざるを得削、のであるo 然し,頓阿の読札単に昔と今という時代の移堆に伴う変化だけでなく,叉彼の独. 断的な主張でもなく,ニ条家としての定詮にな歩つつあったもの主恩われるのであるo 即ち,源泉の和歌口伝に杜地歌も羊ついて,叉名港の和歌秘伝抄に昧晴れ歌について・. 夫々頓阿の主張と相等しいものが既にあったように思われる・o源泉の和歌口伝(日本 歌学大系本による)に妊,地歌に関連して次のように記されているo. r近比嘉等の姿(筆者云,手本となるべきような秀歌の意)-'にか捻りて,或古歌の上 壷下にちかへて心株か杜らす,威昧保延よりこのかた元久の比ほひのさきにたひたひ朝. 哉にももれてさしおける地歌ともの耳にたつを本としてこのみよむ入あ歩。訓艶にそ.
(11) 1 ()4. 八. 島. 長. 蓄. むける姿也o」. ここに杜地歌を拙劣な歌とする考えが既に見られるのであって, む」. rとわおちたる」歌が地歌であるとする頓阿の主張払. 「-かど-ふしあら. この和歌口伝あたりから流. れて来ているのだと、思われる。 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 薦世の和歌秘伝抄に乱発にも引用したように「歌の面に杜さしたる曲節も見えす,. ●. ●. ●. なかめ出せは裳もふかくさひしさもょさる歌とも也」と,よき歌を規定している.之昧 ●. ●. ●. ●. 叉・頓阿が「すなほにうる妊しくあきらかなるJと,よい歌(晴れ歌)を規定していると ころに通ずるものがあると思われるのである。. 然し良基払この時の頓阿の答弁を更に要約して近来風体抄に掲抄ているが,そ甲後. ゐ所に次のように記していて・甲本の所詮を信頓しているものであることを示している。 「たけたかく病なくかか少よきを時の歌と杜嘩】すべしo」 ㊥冷泉豪流で杜了俊が鳥家作としての詠歌一体に言及していること,了俊の甲本に野 する認識に杜混乱があること・烏秀紘かな・り自由な態度で甲本を取扱っていること,正 轍は素直に然し自由さを以て扱っていることな指摘しておいたのであるが,夫等の点 について簡単に述べてみたい。 了俊の排要抄(日本歌学大系本による)に次のような記述がある。 「和歌の抄物の尊家hに様々有.皆或は詞等の事を注たる也詠歌のすがた心仕等こ まかに教られたる事払只俊成卿・定家卿・烏麦卿ばかり也.是を朝夕心を静て可披見 仏和歌秘々・詠歌の一体,愚見抄,詠歌大がい,古来風てい,毎月抄等也。」 この女中の和歌秘々の意味するところが何であるか筆者に紘不明であるが,名家と 「詠歌の一休」と紘結びつけて考えられているかと思う。然もその詠歌一体払「詠歌の. すがた心仕等こまかに教られたる事は」と詮かれていることによって,乙本ではなく甲 本であると考えられるのである。. ところが,同じ了俊の師詮自見集(統類従本)に次のような文があって,それによる と・彼昧甲本を定家作と見ていたようにも思われその認識に混乱が感じられるo. 「定家卿の抄物に云,歌読の号のあらん人の一首にても此輿の事仕ぬれば,宜き歌な とをのつから仕出たれとも,誰にあつらへけるそ杯と云はるるは無念の卓也と苦れた E)o」. これは,甲本の胃頭にある次の文から来ていると思われる.. 「おのづから秀逸をよみ出したれども,後に此輿のことなどしつれば,さきの高名ゃ けがれて,いかなる人にあつらへたゎけるやらむと誹藷せらる.さやうになりねれば, 物うくて歌をすつる事もあ歩.」 従って,. Jq_じ甲本について,排要抄で昧薦家作,師詮自見集で昧定家作と見ているわ けであ9,ここに混乱を感じるのであるoそして,三五記にこの甲本の大部分が補入さ れるようになった盗偉に臥この師詮自見集に見られるような甲本定家件詮が介入して いるのであろうかと臆測亨れるが,.その辺の吟味昧まだ遼抄ていないので,今昧不審な ことだt指摘するに止めたいo.
(12) 歌. 詠. 体. 一. 成. 立. 考. 105;. 次に,為秀がかなE)自由な態度で甲本を取扱っていたと見るの拝,餅要抄の衆a)文 からである。 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 「制の言とて,嵐ぞかすむ・月にあ皇ぎる・露ゎ底恵る,いしいしと云言の外にも好 ●. ●. ●. ●. ●. ●. よむべき言としてしるされたるに露も皇だひぬなどいふ言を面白と杜申された1L.ば,如. 此のめづらしき言も,今我詠所の歌にひしと可相叶韓可用也。」 之妊了俊の師為秀の詮を,. 「師詮」と断って記録しているものの一部分であって,蘇. 歌一体から引用しているかどうか杜不咽であるが,傍点の旬昧全部ぬしある詞の中に見 られるものばかりである.之等の旬について「好よむペき冨とてしるされたる」とあ. るの旺何に拠っているのか分らないけれど,ぬしある詞の性格の一面を語っている言 葉には違いない。 然し・之等の旬が我が歌に白熱こ詠み込まれる限臥印けるペきでないと云ってシ、るの, R・甲本で「か様の詞拭ぬしある事なればよむべから骨」としている精神′とは背馳する ものであろう。. 正厳に到ると・その徹書記物語(El本歌学大系本による)で衆q)ように述べている。 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 「制の言葉といひて・うつるもくもる・我のみしわてなどといひ出したる,一句名言%・ 我ものがほにかくしてぬすむもむかしよりいょしめ侍るなり.きぬをぬすみて′ト袖に. してきたるやうの事とて,かくしてとるを小ましめたるなE).」 此の傍点の句もぬしある詞の中にあるものであるが,明らさまにとる分に昧支障な_ いと考えているところに冷泉流の自由主義的な態度が現われていると児われる.然し, 「いましめ侍るなb」「いましめたるなり」という表現をしているところに,素直な受入. れをしようとする態度も観取されると思う。. 斯くて,冷泉豪涜で払甲本の云うところに拘束されていないばか少でなく,随分一 自由な態度で之を取扱っていると云えるであろう。. (2)甲本の作者についての吟味 前述の如く,甲本が二条冷泉両家から冷淡に扱われたと云5ことは,甲本の果した鮭・ 史的役割が意外に小さいことを示すわけであるが,その理由昧甲本の成立とその内容と に信槙し難いものがあったからで杜ある患いか.だからこそ,二条家涜で妊その流の要 求する朗に従って後世乙本を成立せしめることにもなったのであろうと思うのである。 ここで・甲本の成立に飼し,. ⑳甲本を薦家の作と見て昧不審な息 ㊤甲本の内容に 名家の歌論と妊信じられない点のあること,最後に㊥甲本娃慶融の作であろうとの陪 艶,の3項について述べることに致したい。 ①甲本を名家の作と見て昧不審な点 第1に,由阿の詞林釆菓抄(第9)の記事であるが,紫苑にらいて,それを思草・お. にのしこ草・志草などとする3詮を記し.その最後を次のように結んでいるのであるo 「 同紫苑と被伸上者不可有盛挙也イ. 中段東相の「鬼o)しこ草妊紫苑なわと被藷たる上妊無臭論者也」」 (国文証課金書所収本).
(13) ユ06. 八. 長. 島. 寿. ここに申院亜相とあるの抹,詞林釆菓抄の用例が原則としてそうであるようにL,為氏 を指していると思われる.そして,由阿牲諸詮を検討Jし最後の断を下すのに薦氏の詮. -を以てし「鷹異論者也」/叉披「不可有余着地」とまで記しているのである.由阿紘ど ちらかと云えば冷泉豪に味方する立場を執っている(証1)のであるから,若し同じ考. えが窟家のものとして存したならば,烏氏の詮として引月]することなく,より権威ある 名家のものとして引用した筈だと思われる. 放て,甲本で題詠のことを述べたところに次のような記述があるo. 「牡丹で富み紫苑誓?L冒し蘭宝妄はかやうの声のよみ物昧異名なくて披 からす」. 之で見ると,甲本昧確かにおにのしこ草を紫苑の異名としているのである。この記辛 -をもつ甲本が当時烏家のものとして信ぜられていたのであったら,仮に薦氏の詮を名家 が採用して甲本に前記のように書いたのであったにしても,由阿紘窺家の詮としてか叉 ・昧甲本の詮として引用したであろうと思う.. 詞林采菓抄紘貞治5年に良基に示されているようであるが,その3年前の貞治2年に 成ったと見られている愚問賢註で妊良基杜既に甲本に基いて質問しているようである. 従って,若し良基がその甲本を名家の作と信じていたのであれば,由阿との問に,この 紫苑・おにのt.,こ草詮について意見の交換がなされたであろう.従って由阿拭詞林朱 菓抄の記事に何等かの加筆をしたであろうと思われるのであるが,実際昧そのような形 跡がないのである。. 斯くて,良基拭甲本を名家作と見ていないようであり,由阿娃何に基いて書いていろ ・のか不明であるけれど,甲本に記されているのと同じ詮を烏氏のものとして引用してい るのであるo. 従って,当時甲本昧名家のものと昧見られていなかったのであろうと思. ラ.ニれは甲本を名家作と考えようとする場合不審に思われる点の一つであるo 第2に,甲本日体の中に見出される不審であるが,まづ問題の部分を掲仇次にそれ ・についての考えを述べたい。 (イ)ぬしある詞のうち二条家系統本特有のものの一つに「重さへかけて」とい■ぅ. Lのがあるが,それを勅撰集に求めると≒欠の例歌に拠っているようである. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 初潮女のみねの理の杖なかつら重さへかけて匂ふ春かせ. (ロ)甲本の題詠論の申に次のような例歌が引かれている。 みか月の昧れてあひみし面影の有明まてに成にけるかな. この「みか月」の歌は新撰和歌六帖の中の名家の作であb,後に玉葉集にも収めら れているものである。. 放て, J(イ)の例についてであるが,元来ぬし爵る詞の大部分昧新古今集歌に基いて. いるのであって,それ以前のものも以後のものも歩いのであるが,新古今以後の勅撰歌 1). (詞林来賓抄 「嘉屡三年故森谷黄門以釈阿自筆之古来風体備後醍醐院叡覚,準被止彼邪論」 第10)彼邪論とは馬食の所論を指していて,由阿の立場を示しているのがその一例o.
(14) 詠. 歌・†. 体. 立. 成. 考. lo†. を典拠とするもの昧5句あるoその5旬昧,激動撰築から2旬,. lWu後撰集から1旬,疏 石今集から2旬という内訳であるカ丁ら,統古今からの2旬が最も新しい勅撰集から抽か れているものと云うことになるo. その2旬のうち1旬娃定義の作であって,他の1旬がL. (4)に掲抄た名家の作に基く「重さへかけて」である. 「弘長之比」この甲本が成ってい、. 最も新しい勅撰集,それも名家奥書本にある如く,. たのであったならば,その鏡石今集娃まだ草稿本の段階にあったに違いなく,そのよう な資料の中から自作を抽出して,独創的な名句として「ぬしある詞」の中に掲抄たこ とになるので叡るoそのような強引なことをやbそうな名家と昧,筆者に娃考えられ ないのである。. 但,冷泉家系統本について云えばこの旬をもたないのであるから,この点の不審はな いわけである。 次に(T2)の「みか月」の歌の例についても同様であるが,それ娃「詞字の題を昧心 をめくらしてよむへしと申めり,懸の題なと放さ皇さ主に停めわ」とt,,て4首叉昧5首. 掲伊てあるうちの1首である.玉葉集に到るまで勅撰集に探らわることのなかったよ うな自歌を題詠歌の見本として掲抄ていることも不審であるし,年別こ懸歌題詠の手本と して掲ゆているわけである。俊成の「息ひきやしぢの昧しがきかきつめてももょもお なじまろねせんと昧」という当時の名歌の後に,然も樺歌の名手定家の歌を差し措いて 自作を掲繰るということも,如何にも常識に外れたことであり,特に薦蒙らしくない所 業だと云わざるを得ないのである。. ◎甲本の内容に薦家の歌論と信じられない点のあ畠こと 甲本の所論の全体について昧,むしろかなりな程度に名家の考えを伝えていると思う、. のであるが,風体論に関する部分,特に平淡美を説いている部分が名家のものと思われ ないのである。. 鳥家の歌論を見る上で確実に信じ得るもの昧その判詞顛だと思うが,河合敢歌合・院 御歌合(日本文学大尉典にいう後嵯峨院歌合昧実披この院御歌合-と同じもの). ・三宮首. 和歌の他に,衆議判で娃あるが彼の意見も見られ叉同笥代の他の歌人の考えも伺えるの で参考になるのhi,影供歌合・十五夜歌合・亀山殿五首御歌合の3嘩である。 之等の判詞顛を通じて観察される重なる点紘, 想の新鮮味,. (3)優艶などの伝統的な乗,. どを夫々に重んじること,. (1)明確さ強さをもった歌,. 't2)普. (4) 「心ふかく」などの伝統的な表現態度な. (5)理想の風体としては幽玄・妖艶を求めていること,. (6). 題の心の表現に鰐して敏感であることなどであって,之等昧名家の意見でもあり,同時 に当代の共通な傾向であったことが観取されるのである。. ・扱て,甲本に於て平淡美論の中棲をなすもの娃次の部分であろうo. 「すべてすこしさびしきやうなるがお、もしろくてよき歌ときこゆるなり.詞少くいひ. たれど心の深ければ多くq)事どもそのうちにきこえて,ながめたるもよき也」 即ち,表現昧飾歩もなく簡素であり乍ら余情旺豊かに湛えら-れてお一歩,その余情紘淋.
(15) ユo島. 八. 島. 長. 蓄. rしさを括ったものであるのがよい歌だと云う趣旨だと思われる。 (証2) ところで判詞顛を観察帰納した6ケ粂程の要点の中にもこの余情を重んじる態度と. いうの披見られるのであわ・それは(4)の伝溌的な表現態度に当るo然しその余情の 蒋性として,甲本で娃「淋しさ」を捉えているのであるが刊詞顛からは優艶などの伝 統的な実泊勺特質が抽き出されるのであって,理想の風体払幽玄であり妖艶なのであつ. て平淡莞と呼ばるペきものではないのである。 例えば次の場合など払伝統的な表現態度や方法で幽玄の風体を詠い得たことを賞揚 ・しているわけであろう。. 「あかしかねまたるる物と威にけりさしもいとひし鳥の八声を さしもいとひし鳥の入声またるる物となれる心,きく所多く侍る。ふかくおもひ入ら れて・便乗のすがた幽玄の心殊によろしくこそ侍れ。」. (院御歌合・92番・左・女房). この左歌は後嵯峨院の御歌であるから,判詞紘儀礼的で賞揚し過ぎている点昧認める にしても・名家の歌評の立場は崩されていないと思う.そして,はかなく杜絶えて了つ ているが故に回想されてくる懸の情感のかなしさを湛えたその御歌の心を「幽玄」と して捉えているのであろうと考える.このような情感が艶叉杜優に連るものであった こと妊次の例なぞからも云丸るようである.. 待ちわたるたえ問帥と姦きUt'みし蛸の夢の浮机(悪貨票闇覧) この歌についての左方展観の記録は「夢のうき杜し,ことに優なりと沙汰侍りLに」. とあり・右方轡覚(為家)の記録紘「左歌ことに心詞幽玄に聞え侍少しかども(中略) みし杜昔の夢の橋,今見紛ふるにも室削ニニそ侍けれ」とある。即ち,同じ作品について 倭と云い幽玄と云い或は艶とも許しているのである.特に鵠家の場合R,歌合の席での ・印象を「幽玄に聞え」と云い,之を後に記録する際に「今見紛ふるにも艶ここそ」と, 改めて鑑賞してみても央張bと云って「艶」と断じているのであって,幽玄の情感が党 をその特性としているのだと云えるかと思う。 又・同じことがこういう点からも云えるであろうo即ち幽玄と妖幾と紘甚だ相掛, ものとLて意識されていたのであって,幽玄枚数や妖艶と殆ど同質のものでさえあった 上云うこと,その例として次のような場合が指摘される。. 人を猶えやはうらみむ徹そめし心にまさるつらさ細れ拭(莞砦. 前例と同じ歌合であるが,左方の記鍬こは「右方歌人昧左歌を妖鞄なりと申」とあ. b,右方薦豪の記鍬こほ「これも左昧幽玄ことによろしきよし,右方よ歩も申侍し」と あるoこれ杜右方からの発言であるから,・名家の記録の通り幽玄と許したのに違いない. が,それを左方で披妖艶と許されたと記録しているのである.そのような錯覚を起さ せる程に相近いものであったと思われる。. 以上述べ来ったように,判詞類から見ると名家は艶叉娃妖艶な余情ある歌を同時代の 2)引用の甲本本文の「おもしるくてよき歌jの部B・, ここで揺他本虹従って考えた:o. 「とをしるL,よき歌.とある諸本あ甘o.
(16) 詠. 歌. 一. 休. 成. 息. 考. 109. 人と一緒によしとしていたのであって,畔しさを湛えた余情即ち平淡な兼を重んじてい サニとむよ思われないのである.. ㊥甲本姓慶融の作であぁうとの陪詮 以上に述べて来たように甲本が為家作と断じ難いとすれば,それでは甲本の作者昧, 薦氏か阿仏尼か或昧文鳥博篤秀などのうちの誰かであるれ色h調べたゎ考えたゎして. も見たのであるが,二条家及び冷泉豪の甲本に琴する冷淡な態慶その他を考え合せる と,いづれも首肯されないのである。. 然るに,慶融法眼抄について検討した結果,慶融の立場特に源承との関係,甲本の所 詮と阿仏尼の夜の鶴との類似と相蓬,慶融漁眼抄の形式と内容との関係,以上の3点か ら,或は慶融が名家に仮托して甲本を作ったのではあるまいかとの臆詮をもつようにな ったので,以下この3点について申述べてみたい。 息づ第1に,慶融の立場特をこ瀕承との関係についてであるが,慶融の立場が薦氏とも. 阿仏尼ともいづれも患くなかった点が注意されるo烏氏姓統拾遺集に慶融の歌を3首 茂人しているが,これ娃源泉も同数であって薦氏からは漁承と同じように・:過されてい たと見られる。叉,源泉の和歌口伝の記事によって,慶融が阿仏尼と親しくしていたこ とが知られ,同割こ彼が名家の歌語を聞く機会が多かったらしい消息も知られるのであ る。. 従って.慶融が私かに名家に供托した書を作った場合,二条豪冷泉家のいづれにも利 用され得る立場にあったと考えられる.然し,後にも触れるように二条豪の鳥氏に非常 に接近していたらしい源承とはよくなかつた慶融のことであるから・その作った書物 昧実際には冷泉家の方へ伝えちれて行ったのであろう.だが,冷泉家流で紘その事情を 承知していたからでもあろうか甲本に対する態度昧冷淡だったと思われるo 内容から考えれば,名家の歌語を聞いていた慶融ならば,当然聞き書き的な実質をも ったものを書き得た筈である.従って,甲本の所詮に昧烏豪の考えと見てよいものが轟 いと予想されるのである.但,判詞類で云っているところと矛盾する所のある部分につ いては慎重を期さなければならないし,をの意味で甲本の平淡美諭紘筆者に紘蔑豪のも のと信じ難く思われるのであるo. この点について払慶融と源承との問に歌風並びに和歌観の相違があって対立してい たらしい事情を参考すべきだと思う.即も勅撰集所牧の慶融の作品拭凡て平明な亜つ た歌であり,甲本で云っている「さる体なるもののいひしりたるさ主なる」地歌に当る. もののように思われるのである。この作風かちすれば彼の私撰した「残集」なるもの の風休も略h想見せられるのであって,争陳な歌・地歌の類であったに相違ないo さればこそ,源承柱その和歌口伝(日本歌学大系本による)に於て・次のような慶融. 攻撃をしているわけなあであろうo (イ). 「其後,現菓・残集の両集きこえき。いづれも数をさきとして,.古歌主ある歌. みだれたるにやo」. (.)). 「今昧譜代をたのみて家風をわすれ,櫨威にほこむて庭訓をゆるtこし・寂蓮地.
(17) 110. 島. 八. 長. 署. 歌にもおよばず,虞観ただ詞にもおとれる款を秀逸と息へる,偏執のいたゎ慣韓のはな 紘だしきなり。」. ぬしある詞を乱用する歌壇の趨勢に対する源承の不満はかな歩強かったらしいので あるが・. (イ)によれば慶融撰の「換集」にもその傾向があったと見えるら従って,壁. 融がこのような攻撃に対抗し自己の立場を擁護するT=めに,薦家制定の:. 「ぬしある詞」. なるものを持出してその埴威の蔭に陰れるということもありそうなことである.その 上に・慶融法眼抄の如きもので,為家の遺命によりそのぬしある詞への補遺を書いたも のであると披露したのであったろうが,これも人物によって紘ありそうなことであるo. (T')は既にも述べたような二条豪の考えを基礎づけたもので,地歌と杜趣向昧ある が失敗の作品で拙劣なものだという考えで云っているのである。寂蓮の歌がそれだと しており然もそれにも及ばないし,文展観のiF慎な歌にも劣る,そのような作品を秀逸 と思い誤って残集などを編集したの杜,慶融の偏執僑捜の至りなのだと攻撃している わけであろう。 このようなヲ巨難に対して.慶融杜,地歌について「さる二体なるもののいひしりたるJ (甲本)と云って,それが一応心と詞との調和した歌なのだとして自己の立場を守り,. 吏にその平明中浜な自己の作風を権威づける矧こ,烏家の所詮を装うてjF淡乗論を持ち 出したかも知れないのである。. 第2に,甲本の所詮と阿仏尼の夜の鶴との類似と相違という点である。 この両者の関係は甚だ密接だと杜云えないのであるが,共通するところ紘あって,. 2,. 3例示すればこ大のようである。 (イ). 「題のもじを上旬にみなよみ娃てて,下の旬にはいひ事のなきに,すずろなる. 事どもをつづけたるいとみぐるしとて候き」 「題を上の句によみつくしたる扱わろし」 (.)). (芸笠屋宝辞) (甲本). 「さながら叉本歌のことば旬のおきどころもたかはねど,あらぬ事にひきなし. てわざとよくきこゆるも候ぞかし」. (阿仏口伝,同前). 「此歌の句のすえどころか捻らぬは,樽の歌を春の歌にとE)なして,めづらしきゆへ くるしからず」(甲本) (刀). 「近き比までちかき作者どもの歌の名句どもを,さながらめをあ昧せてう畔ひ. とりてよむ事,いとみぐるし.よみ出たる人のためも高名もあらず。よくよく此ことを. つつしむべしと候」 (阿仏尼口伝,同前) 「此比の人のよみいだしたらむ詞さらにさらによむべからず」. (甲本). このような類1yt昧,慶融も阿仏尼と共に名家の歌話を聞いてI、たらしいので当然o) ことであろうと思う。但,歌の風体論のことに関して昧,両者の問に相違があるよう である。 ●. ●. ●. ●. ●. ●. 「むかし今此代々わ集どもの作者も.世にきこゑ,歌のすがたもたげ高くやさしから ●. むをしだいに御めをとどめて,ことのついでに題の心をもごらんじわきて,かしこきを みて昧ひとしからんと御心をかけ俵べし」. (阿仏口伝,同前). ●. ●. ●.
(18) 歌. 詠 ●. ●. ●. ●. ●. ●. ●. 一. 体. 成. 東. 111. 考. ●. 「すべてすこしさびしきやうなる昧面白くよき歌ときこゆる也。ことばすくなくいひ 光れど心ふかければおほくの事もみなそのうちにきこえて詠たるもよきな歩」. (甲本). 両支の傍点の参たりに注意してみると,やほり差異があるようであるo即ち,阿仏 口伝では緊張した姿と優美な心の調和したものを求めており,阿仏尼が自分の考えを述. べた形の史で紘あるが,判詞類から府柄した薦家の理想の風体にぴったり合致している のであって,ニれ郎可仏尼が共鳴し,こなしていた考えであったからこのような表現を したまでであろう。. 甲本の述べているところが,判詞類からの緒論と合致しないことは前項で既に述べた ●. ●. このよ. ところであり,叉前掲両文の比較からも両者のずれが感じられるわけであるo ●. ●. うなずれの生ずる契横について娃前条で触れた通ゎである. 最後に,第3の点,即ち慶融法眼抄の形式と内容との国係についてであるo 慶融法眼抄(日本歌学大系本による)紘,その胃頭に「遮加書之」とあり,奥書に r以党人遺命私書加之. 法眼慶融」とあって,名家の遺命によって書き加えたものとい. う形式になっているのであるが,その内容の一つ昧題詠に関するもの,他の一つ娃制詞 に関するものである。. 皇づ題詠に閲すゃもの娃明かに甲本に対する追加の体裁を整えているo即ち; 「地儀,河・海・山・野一関如此字を杜必歌に読みあら紘す-し(中略)花・郭公・ 月・雪等の題に紘必可詠層,関路よ歩も可詠之」 とあり,之昧甲本に「天象・地儀・植物・動物すべて其体あらむ物をばその名をよむペ. し」とあるのに対する補説の関係にあると見られる.然しこの法眼抄の支柱展観の薪 河上の記述に対抗して書かれているようであって}名家の立場を護ろうとする計らいが 感じられる-のである。. 即ち,薪河上(E(本歌学大系本による)で紘「題に必ずよむべき文字という昧,天 象・地儀・居所・植物・動物・焚物なtl'をば題のま急によむペきにやo国をよむに昧. 必ず其名をさしてよめとぞ発達vま申されし。」と記して,特に関について昧その名を明 かに詠むべきことを強調しているのである。この点昧甲本に披見られないのであるo. 迭限抄で昧,引用に紘省略したけれど俊威の関を詠み込まない例を掲抄て暗に薪河上 の強調しているところを抑えた上で,前引のように「閉路よbも可詠之」として,花や :郭公を持出しているのである. つ皇り,展観の強調している事柄よりも,もつと重要な点を名家昧見ているのだとい. う具合に叙述されていると思う。然し,このような後手に廻った自己弁護を,殊更に増 補本凌作らせて皇で籍家がやったろうと払ちよつと考え難いのである.これ披薦家の 遺命に依るのでなくて,慶融の計らいなので妊ある患いか. 次に,湖詞に関するものとして昧,港眼抄で「永不可詠詞」として「雨の夕くれ」以 下7旬,. 'その他を併せて計17旬の刺すべき詞を掲抄ているo甲本との比較で云えば,. r雨の夕くれ」の旬が二条家系統本に杜見られないものであるからそれへの追加として. 見れば形式上の矛盾娃なく,甲本への書き加えと見ることが出来るわけであるo.
(19) 112. 八. 長. 島. 壷. 但, 17旬のうち16旬患で杜新古今集叉紘それ以前の勅撰集に所見のあるものである が, 「谷こし」という旬だけ妊,風雅集以前の勅撰集に所見がないのであるo即ち. 碁三Lに草とる麿-にかけて行.ほおそきしばの下道(農笑悪書遠来 この歌践外に「谷こし」の旬をもつ作品旺垂勅撰集にないようであるが,然し,名家 がこの歌を頻拠としてこの旬を禁じたと妊考えられない。この名乗の作品の作られた 年代昧不明であるけれど,名家の捜した建清元年には名乗杜まだ22才の青年で,それ 迄に璃家に歌の指導を受けていたらしいのであるから,馬豪存生中の作品だとしたら遺 命を以て慶融などに増補させる迄もなく・自ら名乗の歌に批iEを加えたに違いない.荏 って,名乗の風雅集所載の前記の歌妊形を変えさせられているれ或昧伝存しなかつ たか,いづれかの蓮命を辿っていた筈なのである。 斯くて・. 「谷こし」の旬%-・'B[)Lたの妊薦豪で妊なくて,慶融の一存と見ざるを得加、o. このような簡潔少量な増補本に,今述べたような矛盾を含んでいると云うことになる と・この慶融法眼抄自体の信感性も甚だ乏しいと云わざるを得ない。つまり,名家の遺 命を受けて私かに追加したということ自体が信頼されない.その結果臥追加を受けた その元のものであるところの甲本に皇で疑惑の目が向けられて来るのである。その甲. 本も慶融が私かに作製したもので妊あるまいかという疑惑の目が向けられるのも己む を得ないことであろう。 以上で・甚だ不十分なカモら・最初に設定した問題の大略を述べたのであるが,甲本の. 成立年代について昧今のところ手耕Dが得られず腐承の和歌口伝に野抗する記述が甲 本にあると思われるので,仮に和歌口伝成立以後と階測するに止めたいのである。 (昭和27年9月未・稀) Research. for formation. of. E3.ka. itiai. Summary E2'ka.iiiai middle. hasanimportant This. age・. relation. of. the. Fujiwara. Tameie・. infer. the. that. has. gmups. But was. taking. it one. Ke3.yu,. has group. not. history. been. I. of. Tameie,. have. believed the. the. inthe. poetry. of. manuscripts・. of. Hitherto. two・. author. inthe. place two. investigated. that. two. as. son. of. Japanese. an. its. author. original. Tameie.. the was one,. I.
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