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授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題 : 研究ノート(1) : 知のコミュニケーションという観点から

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(1)Title. 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題 : 研究ノー ト(1) : 知のコミュニケーションという観点から. Author(s). 佐藤, 公治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 38(2): 71-85. Issue Date. 1988-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5070. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめ ぐる諸問題:研究ノー ト ( 1 ) -- 知のコミ ュ ニケーショ ンという観点 から --. 佐. は. 藤. 公. じ. め. 治. に. この研究ノートは, 授業場面の中で児童・生徒が教材の内容をどのように理解し, 知識を成立さ せていくのかその過程を探り, 最終的には理解過程のモデルを提出することを目指した一連の研究 の中の一 つの作業として位置づけられるもの である, 筆者ら ( 1 987 ) は先に, 小学校高学年の文学教材と説明文教材を用いた国語科のそれぞれ1 0数時 間にわたる授業の中 での児童の読解過程を問題したことがある, また, このような試みとは別に現 場の教師と共同研究体制を作りながら, 国語科の授業を中心にして児童の読解過程, 指導論上の諸 問題, 授業のフィ ー ドバックとしての評価方法の問題等について実証的データの収集・分析を行い ながら検討を進めてきている, これらの試みを通して痛感された ことは教育心理学が教育実践の学 としての機能を果たし得ていないことであり, 生態学的な妥当性 を欠いたままの研究であっ たこと である. 国語の授業を例に考えてみると, 児童・生徒の文章理解の過程と意味内容の表象のモデル 化の手段として, これまでの文章理解に関する膨大な研究 がありながらこれらの成果を使えないの が実状である. その原因は一つには文章理解の研究がよりマイ クロなレベ ルの知識表現とそのため の分析という方向に指向を強めていくため に, 授業で使われている教材のような比較的長文で複雑 な内容の文章の読解を表現しようとするとあまりにも詳細かつ膨大な内容をモデルの中に込めなけ ればならなくなっ てしまう. その意味では現実の授業の実践とも整合性を持ちうるよう な意味表象 のモデルを作ることが求められているといえる, もう一つ我々 が不問にしてきた問題に授業という場面では理解の活動を常に対人的あるいは社会 的なコミュ ニケーショ ンの中で捉えなければならないということがある, これまでの膨大な文章理 解に関する実験的研究 では「一人の人間の閉 じられた理解の系」 (あるいはそれらの寄せ集めによる 平均データ) の中だけでしか問題にされてこなかった, しかし, 授業という場面を考えた時には個 人の理解というものも他人の意見をお互いに参考にしながら進められていくという相互影響過程の 中でみていかなければならないのである, 特に, 我が国の学校教育の場面ではこの集団による学習 活動を効果的に用いていることが特徴の一つである, もちろん, この相互影響過程はきわめて複雑 なものと言わなければならない, 以上のことを別の言い方 で表現するならば, 国語の授業場面における児章・生徒の文章の読解過 程を多少とも教育実践の問題とからめて考 えていくためには少なく ・とも知識の成立に果たす二つの コミュ ニケーショ ン (あるいは対話) の過程を射程の中におさめておかなければならないというこ とである, 第一のコミュ ニケーショ ンの過程はテクストと読者 (=学習者) との対話であり, それ. 71.

(3) . 佐 藤 公 治. に続く読者の内部で生じている知識相互間の対話である. 特に, この第一のコミュ ニケーショ ンの 過程ではテクス トとの対話を通しながら意味の世界を創造していくという他の教科の学習場面と比 べ てもより一層の主体的な活動が展開されることになる. であるからこそ 「知の成立」 という純粋 に認知心理学的な観点からみても重要な問題が埋蔵されているのである, 第二の過程は読者間, つ まり学習者間 (及 び学習者と教師の間) の対話である, このように理解を知のコミュニケーショ ン という観点で捉えていこうとする試みは最終的には人間 の認識の活動を文脈に満ちた社会的な関係 の中で展開されているきわめて動的な活動であるという枠組みで見直すことに他ならない, 本研究ノートでは, このような問題意識の基に, 国語の授業場面を中心として児童・生徒の読解 と意味表象の形成の過程を明らかにしていく ための理論的, 方法論的な諸問題を整理し, 検討して いくことが目的である. 具体的には, 以下の諸問題を順次取り上げていく予定 である, ( 1 ) 児童が文章を読み進めていく中で, 意味内容を把握し, 表象していく一連の読解過程をどう 表現すべきか, あるいは, ( 2 ) 文章理解の研究としてだけ でなく, 現実の授業の実践とも整合性をもつような意味表象のモ デルをどう作っ ていくか, といっ た一連の意味表象のモデル化に関する問題. ここでは, 文章, 特 に物語の理解は基本的には次のようなもの であると考える. ①物語の意味の理解は登場人物ないし は人格化された事物の因果関係やさらにはその行動の動機の背後になっている ゴー ルとプランを推 論していく過程である, ②読者=学習者に求められている作業は物語の中 に含まれているこれらの 諸命題間の因果のネ ッ トワークを探っ ていき, そこに安定した結束性( )を発見していく coher ence こ と で あ る, こ の 様 な 前 提 に 立 っ て Graesser らの意味表象モデルを中心に いくつかの読解モデル , を検討する, さ らに, 筆者らが現在進めている文学教材の授業を例にして, 授業場面の中での児童 の読解と意味表象の過程を表現していく際のいくつかの方法論的問題 について論じることにする.. ( 3 ) 授業という複数の人間が存在している場面の中で人は他人の影響を相互に受け合いながら ど のように知識を獲得していくかという社会的相互交渉としての理解過程の側面について明らかにす 1 る, ここでは, まず,Mehan ( 97 9 ) l l 1 9 81 ) に始まる教室場面における社会的相 t( een& Wa a , Gr 互作用に関する民族誌的分析 ( hnograph i l i t ) や教授活動の社会的文脈の問題について取 e cana s ys り 上 げ る (Di 982年第5巻では教室における社会的相互作用とコミュニケーシ scouse Pr s oce s e s ,1. ョ ンの問題を特集している) , ついで, 個人の読解の活動は授業の中で展開されている話合いの影響 を どのように受けながら進められているのかという, いわば理解にはたす対人的相互作用の役割に. ついて実証的デ 夕を用いながら検討する,. ( 4 ) 児童の 「読み」 の能力としては何が学習の中で獲得されていかなければならないのか, その. 評価をどう行うか, あるいは, 読みの教授として求められることは何か, といった教授目標と評価 システムの問題. 既に述べた様に, ここでは 「読む」 という活動は単にテクストに書かれた内容の 引き写しではなく (そもそも, 人間の認識には外界からの単なる引き写し=反映によって成立する ) ようなものは何一つと してないということであり, 「見る」という活動もその例外ではない1 ) , テク ス ト との 対 話 を 通 して 読 み 手 の中に独自の意味の世界を構築していくこと であると考える. そこ で読み手に求められることはテクストの中の意味内容を再構成してみたり,省略されている部分(空 所) を文脈に基づいて埋めたり, 時には 一つの視点でもっ て読み進めていくといっ たいわば, 一 貫 性のある意味のネ ッ トワークを構成できる力ということになるであろう, この 点は 「読者論」 の立 場から国語教育を論じている人達が強調していることでもある,. 72.

(4) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート ( 1 ). 1. 読解の過程をどう捉えるか:その基本的枠組. 1, 実践的知識としての教育心理学とその課題 ( 1 ) 教育心理学では授業を どのように研究してきたか 筆者は以前に, 日本教育心理学会創設から今日まで,授業に関してどの様な研究が行われてきたか ) そこでは研究上の大き を 「児童心理学の進歩」 と 「教育心理学年報」 を用いて調べたことがある2 , な変遷によ っ ていくつかの時期的区分 が可能 である. 第1期は1 958年の第1回教育心理学会から 1 965年頃までの, 良くも悪くも 「泥臭い」 教育現場の問題を取り込んだ研究が多く見られる時期 で ある, 例えば, 年報が最初に発刊され資料として残されている第3回大会の内容を見てみると宿題 報告として発表されている 「教育における指導者の行動パターン」 や教科の好悪の問題, 学習成績 の良い者と悪い者との学習行動の比較を行っ た学習場面の分析等がみられる. また, 教科の心理に 関しては, 国語科の教材の読み の難しさの要因分析, 分数の認識過程, 道徳授業の授業分析といっ たことが行われている. またこの頃, 重松鷹泰の RR 方式による思考体制の研究や, 直接, 教育心 理学の研究ではないが砂沢喜代次らの教授-学習過程の構造分析に関する研究が行われている, お 5年頃までは教授-学習, 教科学習, 学習興味の研究が実験室的な弁別移行・対連合等の よそ, 1 96 学習心理学の研究とともに学習研究の主要な課題 であっ たといえよう, あるいは思考の領域でも幾 何や減算の問題解決や力のモーメント概念 の理解過程といっ た具体的な教科に関連した思考研究 (いわゆる 「教育における思考研究」 ) が行われているのが特徴である, 第2期 (およそ1966年から1 973年頃) になるとこれまで学習・思考の領域 で行われてきた教科学 習の研究が急速に少なく なり, 代わっ てピアジェ 理論に関わる保存則 の形成実験 (いわゆる 「新ピ アジェ 派の訓練研究」 )や媒介過程説に代表される一連の実験児童心理学の研究が増加してくること になる, この間の変化が何によるのかは学会の情勢を直接経験すること がなかっ た筆者としてはあ くまでも資料から推測するだけであるが, 「児童心理学の進歩」の各研究領域で書かれている評論の 内容からすると1 965年頃までの研究は教育心理学の学としての萌芽期で授業や教育現場における問 題に多少なりとも貢献しうるという使 命といっ たものが感じられる. しかし, それらの研究の多く は現象記述的・拡散的でしばしば条件分析的な研究や課題意識を明確化することの必要性が指摘さ れていたのでもある. 結局, 授業のような変数が錯綜して いるものに対して切り込んでいくための 分析枠や理論を持つことができない場合にどのような結果になる かということの歴史的証明という ことになろうか, あるいは次にみる城戸幡太郎の考えのように教育心理学の学としての性格そのも ののありかたが根本から歪んでいたことに原因は求められるべきなのか, ともかく日本 の教育現場の問題を積極的に取り込もうとしていたのがいわばあいまいさに対する 人間の回避傾向からかより課題の明確 な実験室的な研究 (別な見方からすると日本の教育問題とは 何の関わりもない保存の訓練実験の可能性や媒介理論 が輸入され興味が大きく移っ ていっ たという こと) に傾斜していっ たということであろう, 第3期 ( 1 97 5年前後から現在まで) では訓練実験のような短期間の発達変化を問題にするのでは なく, より長期にわたる環境変数との交絡のなかで発達をみようとする動きや生態学的接近の必要 性が主張されだす, また, 特定の スキルや知識の習得の問題に代わっ て学習の方略や学習 への 動機 づけが問題 にされだす, 1 970年台では依然として教科学習に関する研究は陰をひそめたままである が, 80年台になると, 認知心理学の研究の隆盛の影響をうけて理解や知識獲得の具体的な場面とし 73.

(5) . 佐 藤 公 治. て授業や教科学習の問題が再 び取り上げられ始めている. 授業の問題が再 び研究課題になり得たの は理解や知識を直接問題にすることを可能にした認知心理学ないしは認知科学の研究の進展に依っ 0年台の教科学習の研究とはその理論, 方法論の洗練さにおいて大きく異なっ ているのであり, 196 ているといえる. この間の事情については佐藤 ( 1 986 ) で若干触れられている. ( ) 城戸幡太郎の 「心理学と教育」 2 以上, きわめて簡単ではあるがわが国の教育心理学では授業をどのように研究してきたかその経 緯をみてきた, そこにはやはり学としての教育心理学の持つ性格, つまり 「応用の学」 としてとら えたことからくる問題が現れているといわなければならない, 教育心理学は心理学の成果を教育の 現象に適用する応用の学であるとしばしばいわれてきた, 教育現場との交流もないまま進められた 実験室的研究をそのまま現場に適用する愚も犯してきたであろう. あるいは, 教育の現実の問題を 教育心理学の課題としてもっ たり, 教育心理学の独自の方法論を探求していくという意識も持ち得 なかっ たといわ ざるをえない. 従っ て, 教育心理学の不毛性の克服のためには教育心理学の学としての性格を改めて考えてみる ことが必要なように思われるのである. この問題を考えていくときに一つの指針を与えてくれるの が故・城戸幡太郎の考えである. G1 1 ) が教育現場の問題そのものを学の課題や分析の対 982 s e r( a 象として位置づけていくようなものと して教授心理学が成立されるべき であると論じているが, ほ 3 }において展開されているのである 958年の 「心理学と教育」 ぼ類似のことをすでに1 . この 「心理学と教育」 では教育と心理学の思想史的系譜から始まり, 教育についての学際的, 総 合的研究とも言うべき教育科学とそこにおける心理学研究の役割といっ たことについて広いパー ス ペ クティ ブから論 じている, ここ では, 本論との関わりを持つ第2章 「心理学と教育の研究法」 の 中で論 じられている, 教育の実践的研究に果たすべき心理学の役割といっ た問題を中心にみていく ことにする. 第2章の冒頭では北大教育学部の創設の際にあえて教育心理学の講座を設けなかったいきさつを 述べながら, 教育心理学を一般心理学で得られたものの応用の学ととらえる考えを批判 している, 「そもそも学問を理論と応用の二つの領域に分けることが問題である 教育心理学は一般心理学で , 研究された結果を教育に応用 して研究する学問 であると考えるのは間違っ ていると思う, 教育の研 究は教育問題を解決するための研究であっ て, その方法は単なる意識や行動の問題を解決するため の研究とは違っ た 操作を工夫しなければならないのである. それで教育心理学の研究は心理学的研 究の方法だけを心得ていてもできないのであっ て, 解決を必要とする教育の問題をはっ きりと意識 していなければならないのである. 教育心理学にとっては心理学的研究法によって解決することが できると考えられる教育の問題を設定することが先決問題である. これがはっ きりしていないと, どんなに厳密な心理学的研究法を用いてみても, それは教育心理学としてはピントはずれの研究に なっ てしまう,」 ( 3 8ページ) と述べている. 科学の基礎と応用の問題については別のところでも 「一般 に応用科学は技術として科学と区別さ れる」 ( 44ペー ジ) ことがある が, 「それは 「科学を具体的な事実から帰納された経験の一般化, ま たは抽象化によ って得られた経験の 一般 的法則についての知識と考えるからで」 (同上) , 実際には 科学も技術もいずれもが抽象的知識のみを問題にしているの ではなく, 具体的・特殊的な存在の構 造を問題にしているのである. そして,「科学がたんなる抽象性や一般化 では なく, 特殊な存在の構 造を解明する方法として認められるようになれば, 科学と技術は区別 できなく なり, 技術は科学の 74.

(6) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート ( 1 ). 応用ではなく, 科学の実践性が技術となるのであり, 理論と実践とは科学的方法として統一される のである,」 ( 48ページ) という, あるいは心理学においては 「教育心理学が実験的方法によって研 究されるとしても, 単に精神活動の 一般法則や特殊な類型を発見するのが目的でなく 一 定の立場 , から設定された教育の問題を解決する方法として計画された実験である したがってそれに利用 さ , れる実験条件は一定の教育的計画によ っ て装備されたものでなければならないの である この点で , 教育心理学的実験は, 一般心理 学的実験と性格を異にするのであっ て これは単に一般心理 学の教 , 育的応用だとはいえないのである, 一般に教育心理学は応用心理学の一つであると考えられている ようであるが, このような考え方から教育心理学 が教育の実践にとってあまり役に立たなく なるの 42~43ページ) と述べている, あるいは別の教育の科学的研究 教育科学を論じたとこ である,」 ( , ろでは次のよう な記述がある,「人間教育の心理学的基礎としては 教育の理念 として考えられる文 , 化形象の体系を学習条件として, それを生徒の主観的精神に再構成する方法を研究すること で 刺 , 激と反応という方式によってあらわすと, 教科とか教材とかが文化形象としての刺激あるいはむし i ろ作用( t )であって, それが生徒の意識や行動 に再構成されて表現される のが反応あるいは反 ac on i 作用( t )である. そしてその関係が成立する場 が歴史的, 社会的現実性としての教育であっ r eac on て,この教育的現実性を問題として社会の発達 を人間に集約して考えるのが教育科学の課題であり , ……, 一般 に科学の方法は具体的事実から帰納された一般的 法則を発見しようとする理論的知識の 体系であるが, これに対して技術は特殊な存在の構造を解明し それに基づいて新しい存在を創造 , する実践的知識 である, 教育科学としての教育心理学は, このような意味で 科学であると同時に , 技術であっ て, それによ って人間教育における合法則性と合目的性とを発見することができるので ある.」( 34~35ページ) , ここに教育心理学独自の課題が生ま れるのであり, またそのための方法が 求められるのである,「心理学実験における刺激と反応の関係は, 心理学者の実験的操作をもふくめ て考えるばあいには むしろ作用 ( i )と反作用( i t t )の関係として理解すべき であろう, ac on r eac on , とくに教育は生徒と教師との人間関係 を基礎として計画される目的活動であり 教育を研究するの , が教師であるばあいは, 教育的実験は教育的実践にほかならないのであるから 教育の心理学的研 , 究法としては研究者としての教師の立場や態度を抽象して考えることはできない そしてその研究 , 法は一定の研究計画を実行するために教師 がその計面に応じてたえず生徒に働きかけ ること であ り, 方法はいわゆる働きかけの研究(ac i t on research) で な け れ ば な ら な い,一 (50~51ペ ー ジ) こ ,. こには教育心理学は実践的知識 でなければならず, したがっ て一定の目標実現のための合目的な知 識でなければならないという立場が貫か れている . そして,「解決を要求する問題を投げかけている教育 の事実は複雑なもの であり」( 3 8ページ) ,問 題解決に必要なあらゆる学問の研究法をイ ンテ グレートした教育科学として教育は研究されなけれ ばならないと考えるのである. 教育史学, 教育計画, 教育課程, 教育方法 教育施設 教育衛生 , , , 特殊教育, 社会教育, 経済教育, 教育行政の1 0講座からスタートした北大教育学部はいわ ばこの「教 育科学」 の 一つの実践的試みであっ たといえよう この試みが成功 であっ たかどうかそれを判断す . る能力は筆者にはないが, 「教育科学」研究がいかに難しいかも またその歴史的経過 が示している , ところ でもある,. 筆者にとっては 「教育科学」 のような遠大な構想の基に研究をしていくこと はとても想像 しよう. としてもできる類のもの ではないが, これまでみてきたように教育心理学が教育の実践の学となる ためには当面, 次のような研究 がまず必要であると考える つまり 教室の中 での教授冊学習活動 , , をできうるかぎり生の状態でとらえるいわば, 生態学的アプローチをとり その中から教授,学習 , 活動にとって何が有意な変数であるか そのための分析枠の同定も含めて決定していくことである . 75.

(7) . 佐 藤. 公 治. 次にこのようなアプローチをとっ ていくうえで一 つの 参考になると考える Mehanの構成的民族 誌 iveethnography) に つ い て み て い く こ と に す る. (cons truct. 2 . 生態学的アプローチと理論・分析枠の明確化の作業 ( 1 ) Mehanの構成的民族誌ア プローチ Mehan ( 1 979 ) は小学校の教室の中で展開されている相 互作用の社会的構成化の過程を一年間に わたっ てビデオ, オーディ オ機器, さらには通常の観察-コー ドシステムを用いて詳細な観察を行 っ ている, ここでの基本的な研究の目的は学校の中でどのようなことが展開されているかを注意深 く観察・記述することから社会に果たす学校教育の経験の役割の問題に解答 を与えることにある, 具体的には社会的に構造化された事象である教室学習の構造と教師-子ども間 (あるいは子ども相 互間) の相互交渉の活動が記述-分析されている (具体的な内容については次号以下の社会的相 互 「 交渉を論 じた際に触 れる予 定である) con , ここ で用 いて い るの が Mehan が 構成 的民族 誌」 ( ive e thnography) と 呼 ん で い る ア プ ロ ー チ で あ る, struct. 彼は, これまで教室場面で使われてきたいくつかの 観察-コーディ ング方法は対人的相互作用の 過程を分析していく上では欠点を持っ ていることを指摘する, 1つは Mehan が 「教室の相互作用についての数量的図式」 と呼称しているコーディ ン グ・システ l ムで,Ba e sの小集団の行動分析に始まり,フランダースの相互作用分析法がその代表的なものであ る. このフラン ダースの方法では次のような諸点が明確にならないという欠点がある, ①教師の発 言に関するカテ ゴリーが中心になっ ており, 教室行動を構成しているもう一方の子どもの側 が最低 限しかおさえられていない, ②特に子どもの側の行動は現実には教師の働きかけに対する反応, 子 ども同士の反応も含めてきわめて複雑である, ③教師と子どもの行動が独立にコー ドされるため教 室行動の時系列的な流れがおさえられない, このことは, 相互作用の随伴的関係が明らかにされな いことも意味する. つまり, 教室の中でどのような背景から行動 (発言) が生 じ, 結果としてどの ような行動を次にもたらしたかという, いわば行動についての文脈情報が得られない. ④教室の行 動は各時間あるいは 一日のルーチンやスケジュ ールによ って 規定されるものであり, 各場面におけ る規範的ルールに基づいて行われる. このような大きな単位の文脈の なかで行動を記述していくこ とができない, ⑤言語, 非-言語的行動の相互関係 が明らかにならない. 第2は伝統的なフィ ール ド・スタディ で, 教室の状況をよりトータルに, より広い文脈の中で捉 える上では有効なものである, しかし, フィ ールドレポートには行動についての過度の予見性と一 般化がしばしばつきまとっている, また, 視聴覚機器を用いたデータ収集が行われないため収集さ れたデータは観察者の読み取りによる解釈の汚染を受けてしまい, 別の解釈を立てることができ な いという制約を持つ, このような研究法上の制約を克服するために, Mehan は 「構成的民族誌」 の i ) 方 法 を 用 い て い る. こ れ と 類 似 の も の は McDermot tに よ る 文 脈 分 析 (context analys s. や. Er i croethnography) が あ る が, Mehan の ア プ ロ ー チ は 次 の よ う な も の ckson の 微 視 的 民 族 誌 (mi l i i tyofda ): 一次データの収集に視聴覚機器を用い で あ る. ① デ ー タ の 保 存・再 現 化 (Ret t r evabi a. ることでロー・データをできるだけ生の形で再現できるようになる. このことによ って同じ行動を i t 別の観点で解釈し直すことも可能になる, ②多様な観点からのデータ処理 (Comp a r ehens ve da ):始めに持 っ た仮説を支持する証拠のみに固執しないで可能な仮説について検討する t tmen t r ea ion) と 呼 ば れて い る も の と lyt i こ と, こ の 方 法 は ズ ナ ニ エ ッ キ ー に よ っ て 分 析 的 帰 納 (ana cinduct 76.

(8) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート ( 1 ). 類似したものであるが, はじめに小量の資料 ( l lbatchofda t ) を分析して仮説的な分析の枠 sma a 組をつくり, 他 のデータにもこの枠組を適用してみる. この作業を通して枠組みを修正 していく , ’ ③研究者と参加者相互の視点の収れん化 (Conve i r ci s gence between researcher’s and part pant i ):研究者の観点と参加者=教室の構成員の観点とを一致させていく. つまり, 研究者 t s r spec ve pe が分析の対象にした現象は, 同時に参加者自身 にも同じように捉えられているも のといういわば lr l i t ogi ca ea psychol y がなければならないということである. このことをたしかめるには研究者の. 解釈の線 (行動の意味をどうとらえるか) にそって実際の参加者の行動が展開 されているかどうか を調べる, ④相互作用の水準 による分析 ( i ): 教 室 の 中 で 生 起 して い i llevelofanalys l t t s rac n e ona ることは社会的に構造化されているものであり, 相互作用の観点でこれらの構造を捉える 相互作 . 用を参加者がどのような意図や心的状態 で行っ たかにつ いて の確たる根拠がないのに, それを心的 傾向や抽象的な社会学的な概念で説明することは避ける (相互作用の言葉で説明していく) , ( ) 国語の読解場面における相互交渉過程:分析の基本枠 2 1 ) 授業というコ ンテクストを保持しておくこと 以上, Mehan の構成的民族誌のアプローチを中心にみてきたが, これらの考え方は授業場面 特 , に国語の授業における読解過程の分析のための基本的な枠組を確定していく際に参考となるもので ある, 例えば, データの再現化や分析的帰納のアプローチは授業場面における対人的相互交渉過程 の分析にあた っ ては用いなければならない基本的な作業である, あるいはこれらのア プローチの背後にある文脈の中 で行動をとらえ, 文脈的情報が保持された生 のデータを分析対象としていく考えはここ での読解場面における相互交渉分析の基本枠と しても設 定しなければならないものである. 最近の流行の言語行為 ( ) 論の研究でいわ れている t speech ac 通り, ある発話行為がどうして発生し, その発話内容がどう理解されるかはそこにおける文脈に依 るのである, その意味ではイ ンターラクショ ンという対話を通して学習者相互が理解の内容にどう 影響を与え合うかというインターラクショ ンの内容に関わる分析は常にそのイ ンターラクショ ンが } どの様な文脈で展開されているかという中で行われなければならないのである4 , この問題はここでの論議の枠をはるかに越えて, 人間の知, さらには広く心は社会的存在である とか, 世界との絶え ざる関わりのなかでしか存在しえないという主張に行き着くことでもある こ . の問題は特に, 最近では人工知能との関連で論じられており, 人間の活動は状況から切り離して考 えることができないという人工知能との決定的差異をもつものとして認めなければならないという 5 主張である (人工知能が社会を持ち得れば話は別だが) , この種の詳しい議論は他書 に ゆずるとし てそもそも心は ヴィ トゲンシュ タイ ンが述べるような 「 じ ・的世界のある状態は, この同 じ状態が別 ′ 「 の形態で帰属 していたかもしれない他者が存在 しているときにのみ, 実在的であり」 , 世界内存在」 であるばかりでなく, コミュ ニケーショ ンにおいても複数の者の間 で知識が共有化されていること が保証されるのは自己の心的世界において他者が持っ ているであろう心的世界と 同化できるという )ことは述べておかなければならない 人間の知的営み それ自体を考えたときに 体験に負っている6 , も, 社会的関係の中でみていくことは知の本質を見誤らないためにも, 基本的な枠組みといえよう .. 77.

(9) . 佐 藤 公 治. 2 ) 読解過程の構成要素 しかし, 上でみてきた Mehan の研究はあくまでも教室におけるルーテイ ン, 毎日の出来事の社会 的構造化の記述をねらいとしており(その意味での「構成的民族誌・) , 具体的な研究内容ではここで問 題としている文章の読解の授業の中 で展開される理解の相互交渉の影響過程にあてはまりにくいの である. 国語の授業における読解過程において展開される理解の相互交渉のモデル化とそのための 方法論の確定が求められているのであり, この研究ノー トの大きな目的の一つになっている. これ らの理解過程の総合的モデルは次号以下 において取り扱うこととし, 以下, 教室における読解過程 として分析対象とすべきその構成要素についてみていくことにする. 1と Speake 図 1 は Ruddel 19 85 ) による読解過程の鳥轍図的モデルである. 彼らは図にあるよ r(. うに4つの読解過程の構成要素と, これら4つの要素間で発生する5つの相互作用の過程をあげて i いる. 読者環境(Reade )としては読者がテキストから意味を構成していく上 で用い t rEnv ronmen られる3種類の情報媒体を上げており, さらにここには家庭の (読書に対する) 雰囲気などの他の i l i 環境要因も含まれる (これについては図にはない) ‐ edgeUt . 知識の利用とコントロール (Knowl ion and Con l ) はテクストの処理と情報・手続きの活性化の水準に影響を与えるもので, 読 t zat ro. 者の感情, 認知, メタ認知の状態の3つが含まれる. これらは, 具体的には, 読者が持つ ゴールと 期待, 行動の プラン, モニターと評価の能力ということを指している, この構成要素にはテクスト i l の表象も含まれる. 宣言的・手続き的知識 (Dec t ra veandProceduraIKnowledge) は 符 号 化, a 言語, 世界につ いて読者が持っ ている知識と, これらの知識の利用の仕方に関する知識から成っ て い る, 所 産 (ReaderPr ) にはこれらの構成要素間のイ ンターラクショ ンで得られる8つのも t oduc. のが上げられている. DECLARATIVE AND PROC屋DURAL KNOWLEDGE d I 1 o c o. ” l d o ト L u o o o n f l g. ′ LEDGE UTILIZATION KNO豊 AND CONTROL f f i 豊 t t t e c Y a es e : ld i i t o a r c o g n : t t&t i解 C o n e n l t t e x e c a p o n s t t C i t i : v es a e o n g l fa i t a no c o n p i眠 o v e rt l l t M t a o n e c g x e l t s t t o r :鋪n a e l de t v u a e a n a. ‐E i l n v o t i r n m c t n n c m c ー o ( } n ^ ‐K l ー i d n α w t e n e l a c l o ( ) g n B F Mu ‐P i r tC c dE o竜 t d i uo l i ー na u l n v t i a a o n t n c r a c ( ) o n c -A舵c i / i i C t ′ t M o y c n v c t i i t lt c a c o t g n v cC i o n r o 【 t n c 1 a c g o n ( D ) ‐N l d e wK n o w l c c t n l c r a c t g ( ) o n E. 圏I. T g態 i t t R o n a : r e 8 e n e p l噂& o c e s s r p f l咽o 鴎a n tt o at e x e n agh. 封 2 d綻C l i t o r o o g n n . o 3 lo t t a u u r p . W i t t o 4 t r t n up u , e 5 ^ f f l t t t e c v es a eq l a n e g , 6 ) i i t t t h 袖g a eq g n v es e ,秋 7 i i t t t a c o a g n v es e ,檎t READER PRODUCT. Ruddel lらの相互作用的読解過程モデル. (Rudde l l & Speaker ,1985 より) 78.

(10) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート { 1 ). そして, これらの間 で生じるイ ンターラクショ ンとして, A:(読者)環境とのイ ンターラク ショ ン,B:知識のイ ンターラクショ ン,C:知識の構成とその評価とのイ ンターラクショ ン D:感情, , 認知・メ タ 認 知 的 コ ン トロ ー ル 間 の イ ン タ ー ラ ク シ ョ ン E: 新 し い 知 識 の イ ン タ ー ラ ク シ ョ ン の , , 5 つ が あ る,. A の読書環境と直接イ ンターラクトしているのは知識の利用・コントロールの構成部分 である , テクストを読み進めながら, 読者は読みの ゴール, 期待を設定していく (感情の状態) し 具体的 , な読みの行為 の プラン, ストラテジーを作っていく(認知の状態) あるいは設定した ゴー ルと比べ , て実際に作り上げたテクストの表象はどう であったかというモニターと評価 (メタ認知 の状態) も 当然行われる,これらはいずれもテクストとのイ ンターラクショ ンの過程で生じているものである . その他, 環境と宣言的・手続き的知識との間でもインターラクショ ンはみられる つまり テクス , , トに含まれているタイ トル, サブタイ トルの情報は読み の成立のために有効 であることを知識とし て持っている場合に はこれらのテクスト中の構造はテク ストの表象の形成に生かされ ることにな る, これらのことは文章理解の心理学でしばしば指摘されてきたおなじみの話 でもある , 知識の利用・コントロールの部分と直接イ ンターラクトするもう一 つの部分は宣言的・手続き 的 知識との間の知識のイ ンターラクショ ン (B) であり, これら宣言・手続きの知識は表象を形成して いく 際 に コ ン ト ロ ー ル ・ シ ス テ ム が用 いる も の で あ る さ ら に 知 識 の 利 用 ・ コ ン ト ロ ー ル の 中 の , ,. テクスト表象の部分は読みの所産とインターラクトするし (C) , 感情・認知・メタ認知の状態はた えず読みの所産を基にしながら修正され(D)ていくという形でイ ンターラクトしている もちろん , , これらのフィ ー ドバッ ク情報はさらにテクスト表象のあり方にも修正を求 めてくる . E の新しい知識のイ ンターラクショ ンは所産と宣言・手続きの知識との間のことで 読みの所産と , して得られた新しい知 識は読者の符号化・言語・世界の中に保持, 統合されていくー , 以上, 見てきたように Rudde l lらの相互作用的読解過程のモデルはきわめて包括的・網羅的で , 読解過程としてどの部分をおさえておくべきかという点や構成要素相互間の関係を考えていく上 で は参考になるものである, しかし, 特に, インターラクショ ンの部分 に関しては必ずしも それら , のインターラクショ ンの具体的な内容は明確 に示されているもの ではない その意味 では あくま , , でも概要あるいは鳥轍図的な読解のイ ンターラクショ ンを描いたにすぎないものでもある これら , のインターラクショ ンの過程が読みの成立にどのように機能している のかその影響過程をより具体 的に明らかにしていく作業がまず必要 である, 本研究ノートでは, 基本的 にはテクスト, 読者とその知識構造, 教室における対話空間の3つの 構成要素と, それらの間のイ ンターラクショ ンの過程を分析の単位としたい テクストと対話空間 , との間には直接 のイ ンターラクショ ンはないので, 構成要素間のインター ラクショ ンは2つである が, 当然のことながら, 読者のテクスト表象の形成過程では知識構造間のインターラクショ ンが発 生 し て い る の で こ れ を 含 め て 3 つ のイ ン タ ー ラ ク シ ョ ン の 過 程 と いう こ と に な る Ruddell ら の モ ,. デルでは教室における対話は扱われていないが, すでに これまでのところで述べてきたように授業 場面における読解過程を問題 にする場合には対話=対人的相互交渉過程が必須の分析対象となっ て lらのモデルでは読者の読解過程を構成している要素とその間のイ ンターラクシ く る, ま た,Ruddel. ョ ンをこまかくおさえているが, ここでは宣言的・手続き的知 識は直接は扱わない, また, 所産と テクスト表象も明確には区別しないで一つのものとして扱うことにする 一連のモニター メタ認 , , 知も読解の活動にとっ て重要な役割を果しているが, ここではあくま でも具体的なテクストの読解 過程の中で関連させることができるものについてその機能的な役割から捉えていくことにする テ . クストと読者との間のイ ンターラクショ ンはこれがなければ何も 始まらないという意味では第一優 79.

(11) . 佐 藤 公 治. 先順位の地位にあるもの で, いわば作者と読者のコミュ ニケーショ ンである. しかし, このコミュ ニケーショ ンは作者は直接, 読者からのフィ ー ドバックを受けながらメッセージを作り, 送ること はできない, 一方向的な情報の流れの中で展開されているものである. 作者は自分の作品を読者が 985) がいう とこ ろ の 「命 どう解釈するかは不明なままの状 態に お か れてお り, い わ ば柄 谷 (1 がけの飛躍」を強いられている. この点が対人的コミュ ニケーショ ンの場面と異なるところである. この研究ノートでははじめにこの問題をテクスト言語学の研究からみていくことにする. 知識構造間のイ ンターラクショ ンはいわば, 読者内世界でのコミュ ニケーショ ンであり, 教室に おける対話は読者間のコミュニケーショ ンである,. 1 1. テ ク ス トと 読 者 と の イ ンタ ー ラ ク シ・ヨ ン. 1 . テクスト言語学の研究から この研究ノートでは, 文の読解過程, なかでも授業場面における それはいくつかの異なっ た側面 のコミュ ニケーショ ンの過程を通してテクストの意味表象を形成していく活動であると捉えるが, こ こ では テ ク ス ト と 読 者 と の 間 で 発 生 し て い る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン = イ ン タ ー ラ ク シ ョ ン か ら 検 討. を始めよう, まずテクスト言語学の研究を取り上げ, ついで, 受容論・読者論的アプローチについ てみていくことにする, テクスト言語学では 「テクスト」 と読者とのコミュ ニケーショ ンを直接, 問題にする. つまり, 池上 ( 1 984 ) が指摘するように, 「読み」 は与えられた言語表現としての狭義の 「テクスト」 に, 言 「 「 語的な 「コー ド」 , それに読者の 知識体系」 が絡み合わ , 言語使用の場としての コンテクスト」 されて成立する創造的な過程と捉えることができる. テクストの意味はそのテクストの客観的な言 語表現, つまり紙の 上に印刷された文の単なる引き写しで成立するものではないし, また読み手が テクス トから離れて勝手な解釈や読み取りをすることも許されないのであり, 常に両者のコミュニ ケーショ ンの過程の中で 「読み」 は成立しているといわなければならない. 「テクスト」 は記号から 成るまとまりのあるものと読み手の主体との関わりの結果として生み出されるものであり, そのた めに時としては作者の意図どうりに読まれなかっ たり, 読者どう しの読み取りの バリエーショ ンが でてくるのである. ここに開かれた系としての面白さ, 学問的関心の広がりがあるといえよう, これらの議論はもっ と広い文脈のなかで位置付るならば, 記号論で問題にしていることにつなが ることになる, 記号論は,「言語的なものも非言語的なものも含めて, コミュ ニケーショ ンの体系に 「 つ いての科学的な研究を一括して行う学問分野」 であり」 , *発信者によるコー ドに基づくメ ッセ ージの作成, *経路を通してのこれらのメ ッセージの伝達, *受信者によるこれらのメ ッセージの } 従って ここ 985 ) に関わるものだからである7 解釈, ならびにその*意味作用」 (シービオク, 1 , , でも必要に応じて記号論についても触れることがあるだろ・ う. ( 1 ) テクスト性:テクストでありうるために必要な基準 l ) は テ ク ス ト と は, コ ミ ュ ニ ケ ー シ ボ ウ グ ラ ン ドと ドレ ス ラ ÷ (Beaugrande & Dress er , 1981. ョ ンのための出来事であり, 以下のようなテクスト性の基準を満たさなければコミュニケーショ ン としての機能は果たされないという, つまり, テクストの方の要因である結束構造, 結束性と, 送 80.

(12) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート ( 1 ). り手の側の要因である意図性, 主として受け手の側に関係する容認性, 情報性, 場面性, テクスト 間相互関連性の7つである (もちろん, テクスト, 送り手, 受け手の要因は相互に関連しており, どの基準がどちらの要因のものであるかは一応の区別にすぎない) , 結束構造, 結束性はそれぞれテ クストの文法的なルール, 意味内容の統一性・一貫性が正しく用意されたものであるかどうかとい う観点からみたものである, 意図性は伝えたい側 の者が意図を持ち, しかも必要な手段(結束構造, 結束性) を正しく使っ てメ ッセージを伝えようとしているかどうかを問題 にしたものである, テク ストの 生産者が意図性をもたないとコミュ ニケーショ ンは完全に挫折する, 容認性は読み手がテク ストには結束構造・結束性・意図性があるだろうと 期待して受け止めようとする基本的態度のこと で, これがある ,から不完全な文章もなんとかして送り手の意図 していることを見つけ出そうとする 読みの行動が発生してくるのである, 情報性は既有の知識にはないあたらしい情報か否かの内容に 関わるもので, 読み手には新しい情報といえ ども既有知識を使って了解可能なものとして統合して いく作業が課せられている.場面性は背景情報やコンテクストから意味を推論していくものであり, テクスト間相互関連性はテクスト間の意味の連鎖の形成とそれによる意味の全体構造の把握の作業 ということである. いずれも, これらのことを可能にできるものがテクストには備わっ ていなけれ ばならないのである. ここからもわかるようにボウグラン ドらはテクストとその理解は一種 のサイ バネティッ ク・システムとしてとらえなければならないと主張する テクストそのものに仮に不備 , があっ たとしても読み手はコンテ クスト情報や自己の既有知識を用いて, 足りない部分を推論し, 補完していくという調整的統合が絶えず行われているのである. 問題は 「静的なテクスト」 ではな く読者の読みの活動の中で再び動きだした 「動的なテクスト」 にあるのであり, 読者の中にテクス トがいかにして創られていくかその創造の過程なのである. このセクショ ンではとりあえず, テク ストに直接かかわる結束構造, 結束性について触れ, 他の基準については読み手の意味表象形成に 働く背景情報としてのコンテクストの中でまとめてみていくことにする,. ( 2 ) 結束構造と結束性 結束構造は主としてテクストの表層における構成要素間の結合の仕方がどう であるかという観点 からテクストをみたものである. つまり, 文の文法的構造が正しくなければもはや正しい意味を伝 える役をはたせないということ である, この結束構造は, 文法的依存関係 (テクストを構成する文 はそれぞれ文法的な形態や慣習に従い, 依存し合っ ている) に基づいて成立することになる, テク ストの理解を考えたときにはこの表層の問題よりはるかに重要になるのが次の結束性である, つまり我々は結束構造が必ずしも完全ではない文章や会話 であってもそこから送り手が何を伝え ようとしているかを推論していくことは可能であり, また現にそうしている, また何を伝えたいの かが暖昧であっ たり, 一見矛盾 したような内容のものであっ ても, そこから一定の意味関係を抽出 しようとする, これらの読み手の活動はテクストが持っているに違いないと期待すると ころの結束 性に依拠してなされているものなのである, 結束性とはテク ストで表現されていることから活性化 される知識としての意味の連続性のことであり, 諸概念と諸関係から構成されているものの間を相 互にアクセ スすることが可能で, 意味的に関連性を持っ ているもののことである, 一定 の意味関係 を抽出することができなかっ たときには我々はこれをテクストとはいわない, この結束性がもう 一つ重要な意味をもってくるのは, 読み手がテクストの世界をどう構成してい くかという, 意味表象の形成の部分である. つまり, 意味の世界を構築していくということは各概 念間の意味関連性, 意味のネ ッ トワークをさぐっていき, 最終的には全体として統一性のある安定 81.

(13) . 佐 藤 公 治. した意味の結束性を読み手の世界にも作り上げていくこと であるという前提が導き出されてくるか らである, ここから意味表象のネ ッ トワーク・モデルがでてくることになる (次号以下 で触れる) , この結束性の発見に大きな役割を果しているもう一 つの 重要な概念がコンテクストである. テクス トが持つコンテクストの規定性は意味 の結合の可能性の爆発的増加をおさえてくれるからである, コンテクス トはしばしば会話の理解の問題としても取り上げられるものであるし, その発話の解釈 にとっ て, ときには発話外の情報, 発話者をとりまく状況や発話者の表情, 発話のトーンといった 文脈情報が決定的な意味をもつことがあることはよく知られたことでもある, ただテクストの 理解 の場合には送り手 (作者) から出されるこの種の非言語的情報はないし, 状況の共有性もない, そ ういう意味 では送り手-受け手 (読者) の間のリアル・タイ ムな情報のフィ ー ドバッ クがない世界 でのコミュ ニケーショ ンである, 読者は作者から出さ れた情報をタイム・ラ グのある状況下で, 作 者が書いた内容の前後関係からコンテクストを設定し, 当該の文の意味を決定していくという作業 をしなければならないのである, (以 下, 次 号). 〈註〉 1 ) 知覚の成立のためにはア・プリオリな構成の働きを前提とするというカント流の実在論のテーゼからわれわれ はもう一つ別のいわゆるクーン・ハンソンの 「パラダイム相対文義一 (クーンのパラダイム論とハンソンの観測の理論 負荷性,)の考えを容易に連想させもする, 特に心理学や認知科学では知識の相対性あるいは文脈依存性という形でほ ぼ類似の相対主義がとられたりもするが, 注意しなければならないのはこのことが論理実証主義を土台とする 「旧科 「 学哲学一 対クーン・ファイヤアーベントの 「新科学哲学」 (あるいは 「批判的合理主義」 対 「パラダイム論」 , 実在論」 ) の対立図式の一方に位置していることを即座に意味するものではないということである, もちろん, 対 「反実在論」 当然のことながら真理 (;科学) の相対性さらには知のアナーキズムを信奉する心理学者もいるだろうが, 筆者は必 ずしも科学の相対主義の立場に立ったものではない. もう一つ注意しておかなければならないことは, ハンソンの観 測の理論負荷性の影響からか, 理論負荷性や文脈依存性が過度に強調される点である, たしかに一つの現象あるいは 行動にたいしてわれわれがどう解釈するか (例えば, 同じ分裂病的行為を精神分裂病の徴候の意味にとらえるか凝依 現象と読むか) はたしかに文化的な文脈に規定されている部分があることは否定できない, われわれはまた先天盲者 が開眼手術の後, はじめて体験する視覚の世界はわれわれ晴眼者がアプリオリに知覚が成立するかのように信じこん でいる者の想像を越えるものであり, 安定した視覚の成立が可能になるためには視覚経験とそのデータの蓄積が不可 欠であることも知っている, しかし, ハンソンが理論負荷性の論拠とした材料は加藤 ( 19 85 ) が指摘するところによ ると反転図形のような両議性を持った図形や知覚の恒常性, サピータ・ウオーフの言語相対仮説といった知覚内容に 直接的な所与ではないような要素が先行し内在しているものであり, 加藤はこの内在性-負荷性が成り立つ限られた 領域のことを科学の全体に単調平板に拡張していると批判する, そして, またわれわれが体験する視覚の世界も錯覚 や図地反転といった理論負荷性が求められる暖昧な世界ばかりではないということである, 心理学の用語で言えばス キーマやトップーダウン処理の方向がとかく強調されることがあるが, 正しくはトップーダウン, ボトムーアップ両 方向の処理が等しく責任を有しているということである, また, パラダイムの概念を日常の生活世界の中で働く 一定 の概念枠のようなものにまで拡張することはミスリーディ ングであるという論議も忘れてはならない, 以上の論述に あたっては現代思想・特集= 「パラダイム論以後」 ( 13巻8号) の講論が参考になった, これは余談ではあるが心理学 の研究の歴史についてもパラダイム間の共約不可能性というよりもむしろ異なるパラダイム同士の相互交渉があるこ と を Gho l 1 98 5 ) は指摘し, パラダイム論を批判している (この論文は佐伯, 19 son & Ba 85の紹介によるが, r( rke 氏も認知科学も俗流クーン主義をふりかざして 「行動主義を否定し, それに代わる新しいパラダイムを提供する」 と 叫ぶことを厳につつしむべきであると述べている) .. 2 86年北海道大学教育学部発達心理学研究室大学院ゼミナールにおける報告資料として作成された ) この資料は19 82.

(14) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート ( 1 ) ものである, ) この著書に触れる直接のきっかけになったのは私の恩師である北海道大学教育学部教授三宅和夫先生の論文 3 「発達研究に関するノート-城戸先生との出会いとかかわらせて-」 によっている 今や入手の困難な 「心理学と教 , 育」を心よくお貸しいただいた三宅先生に 感謝申 しあ げます(この本には三宅先生が重要と思われる所を幾個所にも わたってラインを引かれ, 熟読された跡が残されているのが印象的であった) , 正直な話, これまで城戸先生について は 「教育科学」 という言葉をお題目のように結び付ける程度で, 先生の心理学と教育についての考えを顧みることも してこなかった. 考えてみると, 私が北海道教育大学の学生だった頃, 城戸先生は北海道教育大学の学長をすでに辞 められていたが, 時々, 先生は特別講義という形で私達, 心理学研究室の学生に講義をされていた, また, 私が大学 を卒業した後も, 先生は高齢にもかかわらず熱のこもった講義を何回かしていただき, 聞く機会があったことを記憶 している, 随分後になってからうかがったことであるが, 城戸先生は御自分の高齢を考えて是非この機会に話しをし ておきたいという熱意から講義を持ってくれたのだという, 城戸先生の講義内容はその当時の私には到底了解不可能 なもので, ただヘルバルト, 表象力学といった言葉が判 じ物のように聞こえてくるだけであった (今, その講義を聞 いたとしても同じ結果になっただろうが) ,多少なりとも城戸先生の主張されていることがいかに重要かということに 気付くようになるのに1 5年以上もかかっているのである, ) 相互作用分析もここで問題にしているようなコミュニケーションの内容分析に関わる場合にはその内容をその 4 まま取り込んでいく, つまり, 授業であれば教室の中での文脈をそのまま壊さないで研究の対象にしていかなければ ならない. その意味では必然的に生態学的アプローチをとらざるを得ないし, そうでなければ教室における授業の研 究は生態学的妥当性を欠いたものになるといわなければならない. ここで今, 問題としている教室場面におけるイン ターラクションとは異なるが, 三宅 ( 1 98 6 ) が母子相互作用の研究においてもコンテクストを離れての行動の分析は 適当ではなく, まず十分な生態観察が実験室実験の前には必要であると述べ, 生態学的アプローチの重要性に常に強 調している. ただ, ここでこのような主張の背景には最終的には実験室実験によって検証されるべきで, 生態観察は そのための有意な変数の確定化のためにあるように位置づけられているのではないだろうか, どのような研究を遂行 するか, その内容にもよるがここで問題にしているようなコミュニケーションの内容分析にかかわるような相互作用 研究ではむしろ生態の中でコンテクストを含めた場面が分析の最少単位であって, これ以上抽象化して実験室的実験 をすることは生態学的妥当性を欠いたものになる, 同様のことは乳幼児の対人的 (あるいは対物的) コミュニケーシ ョンにおいてもいえるのであり, メッセージとして何を伝え合っているのか, それを通してどのような対人的, 対環 境についての関係性のルールを獲得していくかという問題設定をしたときには家庭の日常のコンテクストの中での行 動が最少分析単位にならざるを得ない, ) 土屋 ( 5 1 9 86 ) の 「心の科学は可能か」 における 「 じ 1 9 8 6 ) の 「認知科学の方 ・的概念の文脈依存的性質」 ′ , 佐伯 ( 「 法」 における 人間の状況性」 i i t nograd & F1ores:Understanding ComputersandCogn on中の第8章を訳出 , Wi した 「コンピュータと知能」 (平賀・訳) をはじめとする現代思想1 5巻5号 ( 19 87年4月号 特集=機械じかけの心) 1 1 9 87 987 ) (いずれも現代思想) の論文, などがある, の諸論文, 鹿松渉 ( ) , 黒崎政男 ( 6 ) 一つの具体的な例としては, 唐松渉氏がしばしば好んで用いる久保田正人氏の観察がある.「おそくとも6か月 児は, 人が物を食べる行為を見てそれを食べる行為として感じている, 6か月3週のg男に半割りのレモンをなめさ せたら大変すっ ぱそうな顔をした, その後3分くらいして, 1メートル半くらい前にいる人 (母親ではなくその日相 手になってくれていた人) が何気なくそのレモンをなめようと口にあてると, 乳児はそれをはらはらした様子で見て いたが, やがて自分もいかにもすっぱそうに顔をしかめ口をすぼめた, その場で2回確かめてみたが, そのたびにす っぱそうな顔をした,」ここでは, g男の前にいる他者は, 単なる一対象ではなく, それ自身心的な世界を帰属させう る(すっぱさを感じる)異なる「主体」 として現れ, g男は, まさに他者のいるあの場所においてすっ ぱさを感じ, 他 者へと同化してしまっているという. この種の論議に関しては, 大揮真辛 ( 1 9 87 ) の論文, 唐松渉の 「役割理論の再 「思想」 連載中) が参考になった 庚松の関係主義的存在観と共同主観性に関してはここで詳しく評 構築のために」 ( , 論しうるだけのものをいまだ持ち合わせていないし, この研究ノートの主題とも離れるのでこれ以上は触れないでお く, ただし, 関係論的把握の是非を含めてこれらについての論議は, 筆者は現在長男 G の日常生活におけるコミュニ ケーションと関係性ルールの把握についての生態学的観察を基礎にした検討を始めているところであり, 後日を期し 83.

(15) . 佐 藤 公 治 た い,. 7 ) 川本茂雄 ( 19 83 ) は個人的な解釈とことわりながらさまざまな学問領域の中に記号論的アプローチが浸透し得 ることを以下のような例で述べている,「…建築学者には, 建築物をどのような構造にすれば地震に最も強い力をもっ て対抗することができるかとか, どのような素材を用いれば, 成形が容易だが脆いとか, 素材や構造などといういろ いろな問題がある. それに対してたとえば高層建築を建てる, ガラスがたくさん使われているとか, あるいは塔がぎ ざぎざと建っているとかによってわれわれに対していろいろな精神的な影響を及ぼすことができるので, そういうこ とを考えると, ある種の建築様式というのは, われわれに対して意味をもっていると言える, .建築学の立場から言え ば, そういうものは建築学のほんの一部だろうと思うので, これは建築学のうちの記号論であると考えたい,」. 引 Beaugrande R de , .. 用. 文. 献. & Dresler . Longman, (池 上 他 訳 , W, 1981 助 かり御 中 鯛 わ 云錆ZZ粥gz鷹Zたs. テクスト言語学入門. 紀伊国屋書店). Gho. i。nsin the hi i son story of cat ,P. 1985 Kuhn ,B, ’ & Barker , Lakatos ,and Laudan: Appl i h l h A た Z f 4 0 化 F 7 5 5 7 6 9 d s c sa n s c o o 錫 伽 ″ αれ 卸c oog py gy Py , , ‐ , G1aser ionaI Psychology: Past, present and future, A削げたα t ruct 7 2 P卸cぬoわ習癖も ,R, 1982 1ns 37 305 ‐ . ,292 GreenJ, & Wal )1981 互助 棚g加め毎 鰯ぱ 超7 lat ed 2gz僻卵 鯛 8吻 餌”励α′ 解 放“gs n . ,(Advancesi ,C,( , di 15 A b l P b l i h i scourse p rocesses ex u s ng . ,vo ). 慶松渉・増山鼻緒子 1 986 共同主観性の現象学. 世界書院 986一 役割理論の再構築のために. 思想 (岩波書店) 唐松渉 1 , 連載 中 贋松渉 1987 AI問題に言寄せて. 現代思想, 1 5-7 ( 1 987年6月号) 池上嘉彦 1984 記号論への招待. 岩波書店 柄谷行人 19 85一探求. 群像, 連載中 85 「パラ ダイ ム相対主義」 批判. 現代思想, 1 加藤尚武 19 1 3-8 ( 985年7月号) 83 記号論の可能性 (座談会) 川本茂雄 19 理想 8 1 9 3 年1月号 , . 城戸幡太郎 1 958 心理学と教育, 国土社 黒崎政男 19 87 知能を論じる二つのレベル. 現代思想, 1 5-8 ( 1 987年7月号) M[ehan i ivers 2 es so7 s′ soじ幻′○〆 ty ssroの間, Ha zのi o 7 2 粥 豹g cあと rvard Un 耳α”Z ,日. 1979 乙eαγれ勿g ‘ Press ・. 三宅和夫 19 86 発達研究に関するノート-城戸先生との出会いとかかわらせて-, 北海道大学教 育学部紀要, 第48号, 1-1 6 , 大津真幸 19 87 心の社会性-機械の心・人間の心-, 現代思想, 1 5-5 ( 1 987年4月号) Rudde l l l Jr ng process: A mode nger . , ln Si , ,R. 1985 The interactive readi ,R, & Speaker , H. l l R & R d 7 T 跨 l d d h d な ば i d d i i 湯迄〆 霞 t t ) ( ( ) グ e e の〆 伽o 7 2 かo e s u r ” n α c g s s g s メ 2 e o . nter α g , . ,. IReadi iona nat ng association.. 佐伯畔 1 985 プロロー グ. 佐伯 (編) 理解とは何か (認知科学選書4) . 東大出版会. 986 認知科学の方法 (認知科学選書1 佐伯群 1 0 ) , 東大出版会. 佐藤公治 1 986 教科学習における児童の知識獲得過程の把握の試み. 北海道教育大学紀要 (第一 部 C) 5 , 第37巻2号, 101-11 . 84.

(16) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート ( 1 ). 佐藤公治・星野明実・竹本美保 1 9 87 授業場面における児童の理解過程:1-理解過程の二つの インターラクショ ンについて-, 年報いわみ ざわ (北海道教育大学岩見沢分校)第8号, 1-1 2 , Sebeok,A. 1985 Sを”s 初 ”の”だ α 7 2α c ”#“焔.(池上編訳. 自然と文化の記号論, 勤草書房) 土屋俊 1986 心の科学は可能か (認知科学選書7) 東大出版会 . . Wi ionandi l l igence( 8 nograd ) ores nte nograd & F1ores ch , , ln Wi ,T,& F1 ,F, 1986 Computat ひれdBね加7 f”g co粥め郷e l i i 2d 7 s α7 2α cog獲 物”. Abl ex Pub sh ng (平賀譲・訳. コンピュ ータと知. 能, 現代思想, 1 5-5, 1 987年4月号) . (本 学助 教授 ・ 岩 見 沢分 校). 85.

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参照

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