学 位 論 文
武道 にお ける礼 の概 念 と体育授 業へ の展 開
兵 庫 教 育 大 学 大 学 院学校 教 育研 究科
教 育 内容 ・ 方 法 開発 専攻
行 動 開発 系教 育 コー ス
学籍番 号
M1521lC
氏名
竹 内
友季子
目
次
I
序 章 目次 ペ ー ジ 1 3 5 7 81
研 究 の 背 景2
武 道 の礼 法 に関す る先 行研 究・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ 0・ ・ 0。 ・ 03
課 題 の所 在 ・ 。・ 0。 。000。
・・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・4
研 究 の 目的・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・・ 。・5
本 論 文 の構 成・ ・ ・ ・ ・000。
・ 。・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0。 ・・ ・ ・・ 「ネL」 ,「 礼 法 」 の歴 史 的発 展 と本 来 的 意 味 古 代 中国 にお け る 「礼 」 の概 念 。・ ・ ・・ 。・ 。00。
・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ 91.1
祭 祀 と して の 「礼 」 の誕 生 ・・ ・ ・ ・・ ・ 。・ 0。 ・ ・ ・ ・ ・・ ・ 0。 91.2
国家 統 治 と して の 「礼 」・ 。・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・・ ・ 。・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ 101.3
中国 にお け る古 代 武 術 へ の 「礼 」 の反 映・ ・ ・ ・・ ・ ・・ 0。 ・ ・ ・ 。12 「礼 」 の 日本伝 来・ ・ ・・・ ・・ ・・ ・・・ ・ 。・ ・・ ・ ・ 0。 ・ ・ ・ ・014
武 家 礼 法 の確 立・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ ・ 。・ 。・ ・ ・ 0・ ・ ・153.1
武 家 礼 法 の誕 生 と歴 史 的発 展・ ・・ ・ ・ ・ 。・ ・ 0。 ・・ ・ 。・ 0。 ・153.2
小 笠 原 流 とは 0。 ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・・ ・ 。・ 0。 ・ ・ ・・ ・ ・ ・・ ・・163.3
学校 教 育 へ の武 家 礼 法 の導 入 ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・・ ・ 。18 「ネL」,「 礼 法 」 の ま とめ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ 0。 ・ ・ ・ ・ ・ 。 。・ 20 Ⅲ 「ネL法」 の構 成 内 容 の 特 定 に 関 す る検 討1
予 備 調 査 の 実 施 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 。 。・ 。・00・
。・ ・ 232
仮 説 的 構 成 概 念 の 検 討 ・ ・ 0。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 253
質 問 紙 の 作 成 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ 26 2 3結 果 ・・ ・・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ 0・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ 33 6。
1
因子 構 造 の抽 出 と因子 の命 名 ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ 0。 ・ ・ ・ 。 。・033
6.2
内 的 一 貫性 の検 証・ 0・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・036
武 道 授 業 にお け る 「礼 」,「 ネL法」 の考 察・ ・ ・・ ・ ・ ・・・ ・ ・ ・ 0。 ・ ・ 37 Ⅳ 「ネLには じま り礼 にお わ る」 の解釈1
「柔の理」 とは・ 。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 。・2
「柔 の理」 と 「礼法」の相 関関係 。・・・・・・・・・・・ 。・・・ ・・・3
武道 の動 き と 「礼法」 の関連・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・ ま とめ・00。
・・ ・・ ・ ・ ・・・ ・ ・・ ・・ ・ ・ ・ ・・ 。・ ・ ・ ・ ・・ 。 46 注 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0。 ・00・
引 用 。参 考 文 献 ・ ・ ・ 。・ 。・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・ 付 録 ・ 0。 。・・00。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ 。・ 。・ ・ ・ 。・ 。・ ・ ・ ・ 9 1 3 3 4 4 0 1 3 5 5 5I
序 章序 章
1
研 究 の背 景
術 か ら道 へ と姿 を変 え,現
代 にお い て もなお,武
道 は 日本 の伝 統 文 化 を学 ぶ 教材 で あ る と され て い る。伝 統 文化 を学 ぶ 教 材 と して用 い られ て い る武 道 につ い て,武
道 憲 章 前 文 (注1)で
は ,「 武 道 は,
日本 古 来 の 尚武 の精 神 に 由来 し,長
い歴 史 と社 会 の変 遷 を経 て,術
か ら道 に発 展 した伝 統 文 化 で あ る。 か つ て武 道 は,心
技 一 如 の教 えに則 り,礼
を修 め,技
を磨 き,心
胆 を錬 る修 業道・鍛 錬 法 と して洗 練 され発 展 して きた 。こ の よ うな武 道 の 特性 は今 日に継 承 され,旺
盛 な活 力 と清 新 な気 風 の源 泉 と して 日本 人 の人 格 形 成 に少 なか らぎる役 割 を果 た して い る。」 とい う説 明 が あ る通 り,精
神 の鍛錬 を主 とす る武 道 の修 養 主 義 を以 て そ の存 在 意 義 を主 張 し,武
道 を行 うこ とが 日本 人 の 教 育 そ の もの で あ る と捉 え られ て い る。 それ 同時 に,修
養 主 義 こそ が武 道 の伝 統 文 化 で あ る と され てお り,修
養 主 義 的 な伝 統 文化 は「ネLに は じま り礼 にお わ る」とい う言葉 に特 徴 づ け られ る よ うに,「 ネL法」 に象 徴 され て い る。 湯 浅(2011)は
,「実 践 」と して の武術 は,そ
こか ら抽 出 され た「わ ざ」と して の「芸」 の修 得0洗
練,そ
れ 自体 に価 値 を見 出す よ うにな り,武
術 の 「武 芸 化 」 とい う文化 的価 値 を創 造 し,「武 道 」 が 「わ ざ」や 「芸 」 とい う文 化 的価 値 の追 求 を通 して 自己の心 身 の あ り方 を求 め る とい う 「自己修 養 」 とい う教 育 システ ム を も包 含 す る ものへ と変 質 した と述 べ て い る。 また,田
中 ら(2005)も
武 道 の修 養 につ い て,「我 々 が い ま,受
け継 ご うと して い る の は,江
戸 中期 以 降 の平 和 に な つた社 会 にお いて求 め られ る,『人 間教 育 の道 』 と して の 内容 を整 えて きた『 武 道』で あ る。そ こで 目指す べ き もの は,決
して『 相 手 を倒 す 術 』 で は な く,『術 を手段 に,相
手 と共 に成 長 して い く道 と して の武 道 』で あ る。」と述 べ て保 健 体 育科 で は
,武
道 領 域 が そ の役割 を引 き受 け,そ
の機 能 は,武
道 の 特性 と して修 養 主義 的 な価 値 に託 され て い る。そ して,学
習 指 導 要領 にお い て は,「ネLに 始 ま り礼 に終 わ る な どの伝 統 的 な行 動 の仕 方 を 自 らの意 志 で大切 に しよ うとす る こ と (文部 科 学省,2008)」 と示 され て い る よ うに
,態
度 の 内容 と して,武
道 と同様 に,修
養 主 義 的 な伝 統 文化 を学 習 す る教材 と して ,「 ネL法 」 が取 り扱 われ てい る.I
序章2
武 道授 業 と礼 法 に関す る先 行研 究
武 道 授 業 に 関す る先 行 研 究 は,指
導 法 に 関す る もの と武 道 の 文 化 的側 面 に関す る も の の2つ
に大 き く分 類 で き る.指
導 法 に 関す る研 究 と して は,い
わ ゆ る,
どの よ うに 攻 防 を展 開 して,勝
敗 ま で進 め るか とい う内容 の もので あ る。一 方,武
道 の 特性 に関す る研 究 と して は,礼
や 礼 法 に含 まれ て い る と捉 え られ が ちな,武
道 が もつ 修 養 主義 的 特性 につ い て の 内容 の もの で あ る。本 稿 で は,本
研 究 と関 わ りの あ る後 者 につ い て述 べ る こ ととす る。 武 道 の修 養 主義 的 特性 は,日
本 武 道 協 議 会(2008)が
,武
道 の理 念 を 「武 道 は,武
士 道 の伝 統 に 由来 す る我 が 国 で体 系化 され た武 技 の修 錬 に よ る心 技 一 如 の運 動 文 化 で, 柔 道,剣
道,弓
道,相
撲,空
手 道,合
気 道,少
林 寺拳 法,な
ぎな た,銃
剣 道 を修 錬 して 心技 体 を一 体 と して鍛 え,人
格 を磨 き,道
徳 心 を高 め,礼
節 を尊 重 す る態 度 を養 う,国
家,社
会 の平 和 と繁 栄 に寄 与す る人 間形 成 の道 で あ る。」 と示 した こ とで,武
道 が 「人 間形 成 の た め の武 道 」 と認 識 され る よ うに な った と言 つて も過 言 で は な い だ ろ う。 武 道 の修 養 主義 的 特性 と「伝 統 的 な行 動 の仕 方や 考 え方 」とは,結
び つ け て考 え られ て い る こ とが 多 く,田
中 ら(2005,p227-228,254)は
,武
道 を 「人 間形 成 の道 」で あ る と考 え る立場 を と り,武
道 の具 体 的 な指 導 と して ,「 伝 統 的 な行 動 の仕 方 を重 視 す る」 「礼儀 作法 を尊重す る」とい う方 向性 に沿 つて,武
道 は 「敵=相
手 」の 存 在 を前 提 に し て術 理 が体 系化 され て い る こ とを示 した上 で,①
相 手 と正 しく正 対 す る こ と,②
相 手 の 目を凝 視 す る こ と,③
相 手 と心 を込 めて 礼 をす る こ と,④
腹 の底 か ら大 きな掛 け声 を 出す こ とが必 要 で あ る と して い る。 また,そ
の指 導 が で き るた め に は武 道 教 師 の確 か な力 量 と校 内 にお け る信 頼,評
価 が 不 可欠 で あ り、 そ の全 身 全 霊 を込 め た徹 底 指 導 の 中か ら生徒 た ちは 自ず と「伝 統 的 な行 動 の仕 方 」や 「ネL儀作 法 」を学 び 取 つて い くの だ と述 べ て い る。 これ に関連 して,武
道 等推 進 事 業 (ス ポー ツ庁 政 策課 学校 体 育 室,2016)が ,伝
統 文に
,武
道 必修 化 か ら5年
が経 と うと して い る現 在 にお い て も,武
道 授 業 で取 り扱 う徳 育 と して の 礼 法 指 導 へ の 関 心 は依 然 と して 高 く,そ
れ に 関す る研 究 が 要 求 され て い る ので あ る。 ま た,菅
野(2011)は
,教
育 カ ウンセ ラー とい う立場 か ら,子
どもた ち の稽 古 場 面 の 見学 や 武 道 経 験 者 の 学 生 の イ ン タ ビューや,武
道 指 導者 か らの 聞 き取 りを行 つ て い る。 そ の 中で菅 野(2011)は
,武
道 こそ が現 代 の学校 教 育や 家 庭 教 育 で は果 たせ な い もの を 子 ど もの心 身 に与 え るの で は な い か と捉 え,武
道 を通 じて① 健 全 な 自己イ メー ジの基 にな る基礎 体 力,②
人 間 関係 の基本 とな る,礼
儀,気
配 り,仲
間へ の い た わ りな どの社 会 的 行 動,③
困難 に立 ち 向か い,克
服 して い く態 度,④
自分 と出合 わせ,自
己成 長 を遂 げ る態 度,以
上 の4点
を育 成 で き る と述 べ て い る。 上 記 に示 した知 見 は,い
ず れ も武 道 は人 間形 成 を 目的 と し,武
道 をす る こ とに よ る 「修 養 」 を もつてそ の 目的 を達成 す る と し,そ
れ が伝 統 文化 で あ る と主 張 す る もの で あ る。 こ こまで,武
道 の修 養 主義 的 特性 と武 道 授 業 にお け る礼 法 指 導 につ い て述 べ て きた。 しか し,そ
れ に対 して,次
の よ うな指 摘 もみ られ る. 有 山(2012)は
,教
科 体 育 と して扱 う武 道 に関 して,「 自国 の 文化 を学 ぶ とい う掛 け 声 の も と,運
動 に は直接 関係 の ない道 徳 的規 範 や 礼 法 の 習得 に体 育 教材 と して の価 値 や 意 味 を安 易 に求 め る陰 で,『柔 道 で何 を身 に付 け させ るの か』 とい う体 育 の学 習 内容 を問 う基 本 的 な論議 は置 き去 りに され た ま まで あ る」 と し,こ
れ ま で無 自覚 で あ った 競 技 と教 科 体 育 の 立場 を 区別 した上 で,運
動 の文 化 的価 値 とい う側 面 か ら柔 道 の知 識 や 技 術 等 に関す る学 習 内容 を特 定す る と ともに,そ
の学 習構 造 の再 構 築 に 向 け た検 討 を行 つて い る. また,中
村(2007)も
武 道 の修 養 論 を学校 体 育 に も反 映 させ て い る こ とに疑 間 を抱 く 立場 を と り,「『 相 手 を尊 重す るな ど礼 儀 作 法 を重視 す る とともに,勝
敗 に対 して は公 正 な態 度 で練 習 や試 合 が で き る こ とな どが求 め られ る』 と しか説 明 され てお らず,具
体 的 な 「行 動 の仕 方 」 との結 び つ きは何 も示 され て い な い 。」 と指 摘 して い る。 この よ うに,武
道 にお け る修 養 主義 が強調 され る中,そ
れ に疑 間 を抱 き,本
来,武
道 が持 ち合 わせ る特性 や,武
道 と伝 統 とのつ な が りを明 らか に しよ うとす る研 究 が み ら れ,本
研 究へ の 示唆 を与 えた もの の,武
道 と礼 法や 伝 統 との結 び つ き を示 す 具 体 的 内 容 は未 だ 明 らか に され て い な い 。I
序章3
課 題 の所 在
前 章 で 示 した先 行 研 究 か ら,武
道 は修 養 主 義 を強調 した 人 間形 成 を行 うた め の もの で あ る と捉 え られ,徳
育 と して指 導 され て い る こ とが現 状 で あ る こ とが わ か る。 そ し て,徳
育 と して 人 間形 成 を行 う上 で,と
りわ け 「礼 」 をす る こ と,「 ネL儀 作 法 」 を守 る こ と とが結 び つ け られ,そ
れ らが重視 され て い る。 しか し,強
調 され て い る修 養 主義 的 な価 値 の歴 史 は,お
よそ100年
とい うもの で, 決 して深 い とは い え な い 。承 知 の通 り,「 武 道 」 は 「武 術 」 か ら変 化 した もの で あ る。 明治15(1882)年
に嘉 納 治 五郎 が 柔術 を柔道 に変 えた の が発 端 で あ り,他
の武 術 もそ れ に 習 い,術
を道 に変 えて い つた.そ
して,柔
道,剣
道,弓
道 の総 合 名 称 と して の 「武 道 」 が 定 着 した の は,大
正 初期 な の で あ る (田 中 ら,2000,p15).
そ して,修
養 す るに あた つて重視 され て い る礼 法 に 関 して は,「ネL<お
辞 儀>を
す る とい う動 作 のみ が重 視 され,そ
の形 式 的 な部 分 に こだ わ る こ とに教 育 的価 値 が あ る と 捉 え られ て い る (末次 ,2009)」 。これ に関 して,有
山・山下(2012)が
指 摘 す る よ うに, 「柔道 の礼 法 が我 が 国 固有 の 文化 を象 徴 す る もの な らば,礼
とい う行 為 に,相
手 へ の 尊 重 や 敬 意 な ど とい う万 国共 通 の価 値 観 以外 に,日
本 人 独 特 の気 風(ethOs)や
社 会 的 態 度 が反 映 され て い る こ とが示 され ね ば な ら」ず,現
状 の ま まで は,「ネL」 に,ど
の よ うな 日本 の独 自性 や 伝 統 が存 在 す るの か が不 明 で あ る。 また,学
習 指 導 要領 解 説 にお い て も,態
度 の 内容 の解 説 で,「『 相 手 を尊 重 し,伝
統 的 な行 動 の仕 方 を大切 に しよ うとす る』 とは,伝
統 的 な行 動 の仕 方 を所 作 と して 単 に守 るだ けで は な く,礼
に始 ま り礼 に終 わ るな どの伝 統 的 な行 動 の仕 方 を 自 らの意 志 で 大 切 に しよ うとす る こ とを示 して い る。そ のた め,相
手 を尊 重 し,勝
敗 にか か わ らず 対 戦 相 手 に敬 意 を払 う,自 分 で 自分 を律 す る克 己の心 を理解 し,取
り組 め る よ うにす る (文 部 科 学省,2008,pl14).」
と示 され て い る。 しか し,そ
の学 習 内容 は不 明確 で あ り,教
科 体 育 の武 道授 業 にお い て も,運
動 文 化 と関係 の な い修 養 主 義 と結 び つ けた礼 法 指 導①武道における 「礼法」 と自国の伝統文化 とのつなが りが不明瞭であること
②武道における 「礼法」の意味内容に独 自性がみ られないこと
I
序章4
研 究 の 目 的 前 述 して きた こ とか ら,武
道 にお いて「礼」とい う概 念 が,重
視 され てい るに もかか わ らず,そ
の詳細 は非 常 に曖味であることがわか る。したがつて,現
在,曖
味 なままで ある 「礼」を明 らかに し,武
道 の伝統 文化 と して伝 えるべ き「礼 法」を示す こ とが本研 究の意義 で あ る。 そ して,そ
れ を解 明 しない限 り,「体育」と して「ネL法」を学習す る価値 が あるのか, ある とす るな らば,何
を学ぶ のか とい う問いが生 まれ る。教科体育 の学習 と して,武
道 授 業 を通 じて 「礼」 の何 を教 えるのか を考 える こ とが極 めて重要 なので あ る。 したが つて,前
章 の課 題 を受 け,以
下に示す①,②
,③
の3点
を明 らか にす るこ と を通 して,教
科 体育 の武 道授 業 にお い て学ぶ,伝
統 文化 と結 びつ い た 日本 固有 の 「礼 法」 の捉 え方 を明示す る こ とを本研 究 の 目的 とす る。 ① 武道 の 「礼法」 が確 立 した歴 史的経緯 ② 日本独 自の考 え方 が含 まれ る武道 固有 の 「礼法」 の本 来的意 味 ③ 伝統 的 な行動 の仕 方 と しての 「礼 法」 を構成す る内容 の特 定5
本 論 文 の構 成
本 論 文 は, I序
章,Ⅱ
「礼 」,「ネL法」の歴 史 的発 展 と本 来 的意 味,Ⅲ
武 道 授 業 にお け る 「礼 法 」 の評 価 尺度 の作 成,Ⅳ
結 果 と考察,Vま
とめ,か
らな る。Iで
は,現
在 の武 道 授 業 にお け る礼 法指 導 に 関す る先 行 研 究 の検 討 及 び 課 題 の所 在 を明 らか に した うえで,本
研 究 の 目的 を示 した. Ⅱで は,「ネL」,「ネL法」の歴 史 的発 展 と本 来 的意 味 を 明 らか にす るた め,中
国 にお け る 「礼 」の起 源 や 変遷 を示 した (第1節
)。 次 に,「ネL法」の歴 史 的発 展 と 日本 オ リジナ ル の 「礼 」,「ネL法」の本 来 的意 味 を明 らか にす るた め,日
本 に伝 来 した 「礼 」が,日
本 で どの よ うな役 割 を果 た して きた の か を示 し (第2節
),「 ネL」 の概 念 を生 か して確 立 され た 「武 家 礼 法 」 の歴 史 的発 展 と,武
家 礼 法 の代 表 格 で あ る小 笠 原 流 につ い て示 し た 。 また,武
家 礼 法 の学校 教 育 へ の導 入 につ い て も示 した (第3節
)。 最 後 に,第
1節
か ら第3節
ま で の総 括 と して ,「 ネL」,「 ネL法」 を整 理 した (第4節
). 「礼 法」が,武
道 の伝 統 文化 で あ る こ とが 明 らか に な つた こ とか ら,武
道 授 業 にお い て「礼 法 」が学 習 可能 な教材 とな り得 る こ とを検 証 す る必 要 が あ るた め,伝
統 的 な行動 の仕 方 と して の 「礼 法 」 の構 成 内容 を把握 す る こ と と した 。 よっ て,Ⅲ
で は ,「 ネL法 」 の構 成 内容 の 特 定 に 関す る検 討 につ い て示 した 。 Ⅲ の第1節
か ら第4節
は,「ネL法」 の仮 説 的構 成概 念 を設 定す るた め に,武
家 の礼 法 を確 立 した小 笠 原 流 礼 法 に着 目 して行 つた予備 調 査,そ
れ を も とに した仮 説 的構 成 概 念 の検 討,質
問紙 の 作 成,客
観 性 の高 い質 問紙 を完 成 させ るた め の トライ ア ン ギ ュ レ ー シ ョンの実施 につ い て示 した 。第5節
で は,調
査 対 象 者 や 調 査 方 法,調
査 内容,統
計 処 理 な どの,調
査 の手続 き を示 した.そ
して,「ネL法」の構 成 内容 の分析 結 果 と して, 「礼 法」を構 成す る因子 の抽 出 と因子 の命 名,内
的 一 貫性 (第6節
)に
つ い て示 し,そ
れ らを通 して武 道 授 業 にお け る 「礼 」,「 ネL法」 につ い て 考 察 した (第7節
). Ⅳ で は,「ネL法」は,武
道 の動 きや 技 に も生 か され て い る と考 え られ る こ とか ら,「ネL 法 」は武 道 全 般 に か か わ る もの で あ る と考 え,武
道 の動 き に 関 して示 した,柔
道 の技 の 原 理 を証 明 した 「柔 の理 」 と 「礼 法 」 の 関連 を検 証 す る こ とと した (第1節
)。 「柔 の 理 」 と 「礼 法 」相 関 関係 を検 証 し (第2節
),相
関 関係 の検 証 か ら,武
道 の動 き と 「礼 法 」 の 関連 を検討 し,「 ネLに は じま り礼 にお わ る」 の意 味 を再検 討 した (第3節
).Vで
は,本
研 究 の総 括 と して,I∼
Ⅳ まで の ま とめ を示 した.以
上 が,本
研 究 の構 成 で あ る。「ネL」,「礼法」 の歴 史的発展 と本 来的意味
Ⅱ
「ネ
L」,「
礼法」の歴史的発展 と本来的意味
1
古代 中国 にお ける礼 の概念
1。1
祭祀 としての 「礼」の誕生
本節 では,古
代 中国において発生 した礼の起源 について述べ る。 礼 とい う字は,旧
字体で 「趙」 と書かれ,神
を表す 「示」 と祭器 を表す 「豊」が合 わ さつてい る (下見,1973).神
に仕 え,神
を祭 ることを意味 していた ことか ら,礼
は,本
来は神や先祖 を祭 る,祭
祀にまつわるものであるとい える。 では,な
ぜネLが祭祀 にまつわ る と言 えるのか とい うと,そ
れ は,礼
が,天
か ら授 か つた とされ る陰陽五行説 に由来す るか らであ る。陰陽五行説 とは,万
物 の化成 は相反 す る性質 をもつ陰・ 陽2種
の気の消長 によるもの とす る陰陽説 と,万
物 は天地 の間に 循環流行 して停息 しない木・火・ 土 。金・水の五つの元気 に よつて組成 され る とす る 五行説 を組み合 わせ た ものであ り (岩波書店,1998),2200∼
2300年
前 に揚F街 (す う えん,注
2)に
よつて唱 え られた とされてい る (馬場,2008).
古代 中国人は,こ
の陰陽五行説 に従 い,生
活や農耕 にお ける決 ま りを定め,複
雑 な 宇宙 自然の内容や動 きを形式的に分類 し,人
間の生活 リズムを形成 しよ うとし,
自然 の動 き と人間の営み を調和 させ ていたのである (末次,2009,p.307).神
や天 に対 し て,人
々は謙虚 であ り,崇
敬の態度 を保 ち,身
を清 め,神
や天の よ うな超越的存在 に 対す る作用行為が礼 なのである. つ ま り,人
間 を超 えた天命的な もの と関わ ることに礼の含意がある と捉 え られ る (末次・猪越,2013)こ
の時点において,礼
は,人
間が 「天 の法則 に従 うための概 念」である と解釈で きる。1。
2
国家統治 としての 「礼」
しか し,そ
の後,人
間社会が発展す るにつれて民族がで き,多
数の民族 が集結 した 国は乱れがちになつていつた。なぜ な ら,民
族 ごとに考 え方や行動 が異な り,そ
れぞ れ が思 うよ うなふ るまいを していたか らである。 したがつて,そ
の乱れ を解消す るた めに,国
としてのま とま りが必要 となつた。そ こで,万
人が納得す る,理
にかなつた 全 国的な共通認識 としての規則や規律 を定めるにあたつて,陰
陽五行が利用 され た. 陰陽五行 は,「
占い」 「暦法」 「天文学」 をは じめ とし,「
道徳」 「法律」 「医学」 「農事」まで,社
会生活の全般 にわた つていた。人間関係 において,人
々が守 るべ き 一定のルールであつた 「礼」 も,陰
陽五行 を生か してできた もののひ とつである (馬 場号, 2008, pp.14-16) . では,「
礼」 と人 間社会が関わ り始 めた頃であると言われ ている,『
孔子』,『
荀 子』,『
礼記』 にお ける 「礼」の考察 (末次・猪越,2013,pp.667-672)を
参考に, 国家統治の役割 を果 た していた 「礼」 について述べ る。まず,『
孔子』 にお ける 「礼」に関 して,「
礼」の思想 は,乱
世 と呼ばれた春秋時代末期 (約2500年
前)を
生 きた孔子 によつて説 かれた。下剋上的 な社会では,暴
力による権力の奪い合いが生 じ,孔
子は,そ
れが世の乱れ の原因であると考 えた。そ こで,「
礼」 による新 しい道 徳 と政治を提唱 し,秩
序ある社会の建設 を試みた。孔子 は 「礼」 を,道
徳心 と備 え, そ こか ら行動の意味 を理解 し,納
得 して 自ら従 う,人
間が とるべ き行動のきま りと考 え (狩野,2015),個
々の人間が,天
下国家 とどの よ うに向 き合 うべ きか と論 じた。 また,孔
子は,仁
をまごころであると考 え,仁
が 「礼」の中心にある と説 き,仁
をも つて 「礼」 を行 うこ とが重要であると説 いた。 次 に,『
荀子』 における 「礼」の思想 に関 して,荀
子は,領
域国家 が形成 され た春 秋戦国時代 (前4世
紀末)に
生まれた とされている.荀
子は,人
間は生 まれ なが らに して悪であるとい う 「性悪説」の立場 を とり,人
間は悪 であるため,秩
序 を 自ら実現 できない。 よつて,秩
序は人為的に実現すべ きだ と主張 し,「
礼」 は人間の欲求 を軽 減す る欲望制御 の方法である と説いた。 最後 に,『
礼記』 における 「礼」の思想 に関 してだが,『
礼記』 とは,周
末か ら 秦・漢時代の儒者 の古礼に関す る説 を集 めた書であ り,荀
子以前の 「礼」の思想 を編 集 し,構
成 した ものである.『
礼記』 において 「礼」は,敬
を持 つて接す ること, 言葉 を慎む ことが,人
と接す る際の心構 えであ り,何
事 も 「礼」で調整・調和す るこ 10「ネL」,「礼法」 の歴 史的発展 と本 来的意味 とが重要である と説 いた. これ らの ことか ら
,人
間同士の関わ りにおける 「礼」 は,あ
らゆる場面において調 和状態 を保 つために,ま
ごころを持 つて 「礼」 を行 うことや欲求 を制御す ること,ま
た心構 えな ど,他
者 と関わ る上で,人
々が持つべ き共通認識や守 るべ き行動 の基準で あ る と解釈 できる。 ここまでの中国にお ける 「礼」の概念 をま とめる.ま
ず,古
代 中国にお ける 「礼」 は,陰
陽五行説 に則 つた祭祀にまつわ る 「天の法則 に従 うための概念」である と考 え られ る.そ
の後,人
類の進化 とともに,国
家統治が必要 とな り,「
礼」の対象が天で あつた ものが,人
間同士 となつた。そ して,「
礼」は,ま
ごころを持つ ことや欲求の 制御,対
人時の心構 えな どの人間関係 にお ける共通認識や行動 の基準 として,「
国家 秩序 を維持す るために人々が守 る概念 」であると解釈 できる。前者 の 「天の法則 に従 うための概念」 は,天
と人の関係 を,後
者 の 「国家秩序 を維持す るために人々が守 る 概念」 は,人
と人の関係 を取 り持つ ものであ り,い
ずれ にせ よ,調
和 を 目指 した もの であった。 この中国にお ける調和について,
リチャー ド(2004)は
,「
中国人の社会生活 は他 者 との協調 を重ん じ,自
由ではな く『 調和』 (道教 においては人間 と自然の調和,儒
教 においては人間 と他の人間 との調和)を
モ ッ トー としていた」 と指摘 している。中 国では,調
和 をつ くることを重視 していたのだが,そ
のつ く り方 に 「正反対であ りな が ら相互 に浸透 しあ うことに よつてお互いをつ くりあげ,お
互いの理解 を可能 とし, 一方が他方へ と転化す るための条件 をつ く り出す (リ チ ャー ド,2004,p.27)」
とい うよ うな,先
に述べた陰陽の考 え方が生きているのである.1.3
中国にお ける古代武術へ の 「礼」の反 映
これ は,
日常生活 の調和 に とどま らず,古
代武術 において も陰陽の考 え方が生 きて い る とされてお り,竹
田ら(2002)は
,中
国における古代武術 の成 立に関す る研 究 を 主題 とす る報告 において,中
国文化の伝統の中で培 われ た二つの基本観念が,武
術 の 発展 に大 きな影響 を及 ぼ した と言及 している。その二つの基本観念 を,伝
統的な道徳 観,天
人観,陰
陽観 としてい る。 伝統的な道徳観 とは,道
徳 と武力 とが合一 した武術 の価値観 の規範,「
武徳」であ る。武徳 は,練
武,用
武 の際に、守 られ るべ き道徳規範である。 天人観 とは,「
天人 を合 し,内
外 を一にす る」 ことで,天
。地 。人間は相互に関連 し合 い,相
互 に影響 し合 う観念 である。 これが,武
術意識 に も浸透 し,調
和 と闘争の 合一意識 を形成 した。つま り,闘
争の基礎 には調和があ り,人
と闘争す る前 には,自
分 自身 を調和 させ る必要があるとい うことである。 陰陽観 については,本
章の序盤 でふれたが,中
国では,陰
陽を万物 の基礎 とし,宇
宙万物 を陰陽二類 に大別 し,陰
陽が相互依存,相
互制約,相
互転化す るとい う考 え方 としてお り,武
術 において も虚 と実,速
と遅,動
と静 な ど,相
手 を制す る法を説 くも のであ り,対
人攻防理論の形成 に影響 を与 えた。動静,開
合,剛
柔,虚
実,進
退,伸
縮,攻
防な ど相互 に対応す る現象 を陰陽に分類 し,さ
らに陰陽の変化規律 によ り,こ
れ らが規範化 され ることによつて,陰
陽の変化規則 による実践指導が形成 された。 また竹 田 ら(2002)は
,武
術構造 における表層,深
層,中
層 の分析 によつて,武
術 の要素 と文化の要素が二つ とも存在 してお り,文
武融合,統
合一体化 して武術体系を 形成 してい ると明 らかに してい る。そ して,整
合現象は,武
術 の伝統 は,完
成す ると 不変 とい うものではな く,絶 えず文化的要素 を吸収 し,発
展 してい くこと,武
術 の本質 は,相
手 を打 ち負かす能力 の向上であ ること,武
術 の哲学の思考や判断に基づいて, 自らの武術実践 をお こな うわけであ り,武
術哲学が武術発展 の鍵 となることを指摘 し ている。 竹 田ら(2002)の
報告か ら,中
国の文化の形成は陰陽を もとに した調和づ くりであ り,武
術 の技法理論 の形成 も同様であ ることがわか る。したがつて,「
礼」 は,人
間関 係や武術の技法理論 において,調
和 を とるための共通認識や行動基準である と考 え ら れ,陰
陽 とい う対立 した要素の融合 に よる 「陰陽で調和 をつ くる概念」であ り, 「礼」は中国独 自の ものだ と言 えるであろ う。Ⅱ 「ネL」,「礼法」 の歴 史的発展 と本 来的意味
次節 で は
,以
上 の よ うに成 立・ 変化 した 「礼」 を受 けた,
日本 の 「礼法」 につ い て 述 べ て い きた い。2
「礼 」 の 日本 伝 来 中国で発祥 した「礼」が 日本に伝来 したのは,『日本書紀』や『 古事記』によれば,応
神天皇の御代に,
朝鮮半島か ら渡米 して来た王仁によつて『 論語』 と『 千字文』や も ろもろの典籍が伝 えられた と見え (狩野,2015,p4),「
ネL」 は『論語』 とともに入つて きた とされている。日本に入つてきた 「礼」は,も
ちろん中国の思想や制度を取 り入れ ているが,敬
神,崇
祖,尊
王の心をもつ,皇
室祭祀か ら始めるとい う,
日本独 自の発展 をみせている。独 自の発展をみせた「ネL」 が政治の中心に置かれたことは,以 下に示す,604年
に発布 された聖徳太子の 「十七条の憲法」第一条,第
四条に記 されていることか らわかる (小笠原,2010).
(第一条) 一に曰く,和
を以 もつて貴 しとな し,t14う こと無 きを宗 とせ よ。人みな党あ り,ま
た達れ るもの少 な し。ここをもつて,あ
るいは君父 に順 わず,ま
た隣里 に違 う。 しかれ ども,上
和 ぎ下睦て,事
を論 うに諧 うときは,す
なわち事理お のずか ら通ず 。何事か成 らざ らん。 (第四条) 四に曰く,群
,印百寮,礼
を以て本 と為せ よ.其
れ民 を治む るの本 は,要
ず礼 に在 り.上
礼 あ らざれ ば,下
斉わず,下
礼 なけれ ば,必
ず罪 あ り.是
を以て、 群 臣礼 ある ときは位次乱れず,百
姓礼 あれ ば,国
家 自か ら治 まる. (17条の憲法) 第一条では,和
を大切 に し,上
の者 も下の者 も協調 。親睦の気持 ちを持 つて講義す るな ら,お
のずか ら物事の道理 にかない,ど
の よ うな ことも成就す るとい う要 旨で,第
四条 は,高
官や官吏たちは,礼
の精神 を根本 に持 ち,群
臣たちに礼法が保 たれ ている時は社 会 の秩序 も乱れず,庶民た ちに礼があれ ば国全体 として 自然 にお さまるものであるとい う要 旨である。 第一条の「和 をもつて貴 しとなす」は,そ
の起源 は『 論語』の中の有若 (ゆ うじゃ く, 注3)の
言葉であ り,「和」は,『論語』にお ける考 え方で,「自分 を捨てず に他者 と協力 して新 しい ものを生み出す こと」を意味す る (狩野,2015,p.24卜
249)。 この時代 にお いては,前
項で述べた よ うに,「ネL」 の,欲
求の制御や人間関係 にお ける共通認識 を持 つて行動す ることで,「 和」 とバ ランスを とりなが ら,国
家秩序 を保 ち,政
治 を進 めて いったのである。 14「ネL」,「礼法」の歴 史的発展 と本来的意味
3
武 家礼 法 の確 立
3。1
武 家礼 法 の誕 生 と歴 史的発展
まず
,
日本における礼法観は
,中
国の三礼書である『礼記』
『儀礼』
『周礼』に倣つた
ものであり
,特
に『礼記』の影響が大きかつたとされている
.『ネ
L記』では
,
日常の礼
儀作法にもふれており
,日本の礼法確立に大きな影響を与えた
(小笠原
,1991).『ネ
L記』
の影響 を受 けた礼法観 は,ま
ず,朝
廷 の有職故実に反映 され たであろ うと考 え られてい る。そ して,日
本での礼法の広が りの端緒 は,武
家礼法 にあ る と神崎(2016)は
指摘す る. 武 士 とい う新興勢力が安定 した ところで,そ の特権意識 を誇示すべ く新 たな礼法がつ くられた とみ られ,有
職故実 とは別系統の故実家 。礼法家が重ん じられ ることに もなつ た.そ
れ はすでに定説化 され てお り,武
道礼法は,約
200年
前,室
町時代の足利将軍の もとで始 まったのである。そ こで,後
の江戸期 まで通 じる武家故実家,あ
るいは武家礼 法家 として,伊
勢家 。小笠原家な どが登場す る。 小笠原家 は,主
に弓馬術な どに関係 しての屋外礼法であ り,伊
勢流は,主
に殿 中作法 な どに関係 しての屋 内礼法である。武家故実 と言われ る時代 であつたが,小 笠原家では, 「宮 中の儀式 として,故
実によ り厳格 に行 われていた もので したが,武
家の儀式 として は省略できるものは省略 し,新たな時代考証の下に武家 による武家の儀式 として定め ら れ たのです (小笠原,2010,p.36)」 とあるよ うに,そ
れ までの有職故実や大名礼法か ら少 し離れ て,一
般武家やその子女 を も対象 とした諸礼法を説 き,日
々の 「しつ け」と しての礼法 を樹 立 していった。 一般的 に,小
笠原流が江戸期 にお ける唯一の礼法 とみ られがちだが,伊
勢流 も広 く伝 わつていた。 しか し,伊
勢流 は旧守的であ り,時
代 の変化 に対応 しに くかつたため,小
笠原流が今 日に至 るまで,広
く支持 されてい るのである (神崎,2016,pp.107-122).
3.2
小笠原流 とは
ここか らは,前
項で登場 した小笠原流 を紹介 しなが ら,武
家の礼法について検討 した い. 小笠原流礼法は,第
五十六代清和天皇 (850∼881)を
始祖 とす る清和源氏である.現
在 は,小
笠原清忠先生が弓馬術礼法小笠原教場,二
十一世小笠原流御宗家である。 小笠原流 は,礼
法,弓
術,弓
馬術 の伝統 をすべて意味す るもの (小笠原,2015)で
, 小笠原流礼法は,鎌
倉時代か ら江戸時代 に至 る武士の礼法であ り,弓
術や馬術 と結びつ いた もの (小笠原,2015,p。10)で
ある。小笠原流は,は
るか遠 い昔,武
士が身 に付 け るべ き公式の行動規範 であ り,小
笠原家は,将
軍家の礼法指南 を務 めていた。それ は, 江戸時代のみな らず,源
頼朝以来の ことで,鎌
倉幕府 が誕生 してか ら室町時代 を経て幕 末 に至 るまで,小 笠原流は一貫 して武家社会 における公式礼法であつた(ノlヽ笠原,2015, pp.2-3). 武家政治に移 つてか らは,大
江広元,三
善康信,小
笠原家の初代である小笠原長清 ら が,宮
中の しきた りや神社仏 閣の規範,民
間伝承,外
来の文化 な どを一般化 した武家の 礼式 を編纂 した。これ は,神
を敬 い,主
人を尊ぶ ことを中心 に,服
制や儀礼,日
常の諸 手続 きにわたるものであ る。そ して,こ
れ らを武家の法典 とした。室町時代 になる と, 後醍醐天皇に仕 えて昔か らの和漢の記録 を調べ,武
家 の定まった方式 として,起
居動静 の式 をは じめ とす る言語令 な どを64巻
にま とめ,『修身論』を天皇 に献上 した。この時 代 に武家 の礼法 は整備 され確 立 された と言 えるだろ う。江戸時代 になる と,17代
小笠 原経直は慶長9(1604)年
,徳
川家康 に招かれ,徳
川秀忠の糾 師範 となる と同時に,諸
大名や旗本諸士を指導す ることになつた。以後,封
建制度の確 立によ り礼法 もさらに整 備 され,封
建制度維持 のために厳格 で複雑 な ものになる。この時代の礼法は,指
導者階 級 である上級武士のための もの として編成 され,主
に法典 を意味 していた。江戸時代 ま での 「礼」は,社
会規範 としての 「礼儀お よび法規」 を意味 してい る。 では,武
士の嗜み と しての 「礼法」は,ど
の よ うな ものであったのか.武
家社会では 武術 を「常」の修行 の糧 として,実
社会 の生活 の中に活かす ことを主題 として考 えてお り,武
術 は,天
の道,人
の道 とい う大 きな 自然の決 ま りごとの中で こそ修行 が行 われ, 一貫 して 「礼」 によ り守 られ てきた ものである.孔
子の 「勇 に して礼 な くば即 ち乱す」 の教 えを,
日本人は戦いの場 において も守 つて実行 したのである.孔
子が説 いたのは, 「礼」 とい う,ひ
とつの考 え方である。「ネL」,「礼法」 の歴 史的発展 と本 来的意味 そ こで
,武
家礼法 とい うと,小
笠原流礼法だ と言われ るが,そ
の理 由は,こ
れ までに 述べて きた小笠原流の歴史的発展の経緯か ら,日 本 において小笠原流が どの よ うに位置 づ け られて きたか とい うことか ら理解 できるだろ う。 小笠原流では,礼
法 または,そ
れ と類似 した語 で よく使 われ る作法 とは,「 違和感 な く社会生活が円滑 に行 われ るための大切 な 自然の営みの一つ」である と考 え られている。 また,礼
法 とは一個人の考 えではな く,ま
た一個人が作 つた もので もな く,人
間の身体 の機能 と,物
の機能が理解 され た時に,そ
れが 「仕草」 として現れ るものである とされ てい る。 そ して,小
笠原流では,『修身論』 と『 体用論』 に,礼
法 に関す る重要事項がま とめ られ てい る。『 修身論』 では,礼
にお ける行動の教養のあ り方 について説 いてお り,そ
の基本 はあ くまで 自然であ り,日
常生活の中に本 当の 自然 を,知
識 の教養,行
動 の教養 として習得 してい くことに眼 目がおかれている。一方,『 体用論』 には,体
をいかに扱 うべ きかについて記 され てい る。「′い」 と 「体」が一体 となつた時に,初
めて小笠原流 の真髄が発揮 され るのだ (小笠原,2015). また,古
来,日
本人の考 え方は,形
や心に対 して美 しさを求 める と同時に,実
用的な 面 も求 め,さ
らに も う一つ,省
略 とい う考 え方 も求め られた。つま り,無
駄 を省 くこと である。無駄 がない とい うことは,そ
のまま実用 につなが り,こ
の実用 に美 しさを求 め ているのである。この 「実用・省略・美」に関連性 を持 たせ てい るのが,
日本 の武道の 基本的な考 え方である とされてい る。「実用・省略・美」 を実現す るために,小
笠原流 礼法では,「正 しい姿勢の 自覚」,「筋肉の働 きに反 しない」,「 物 の機能 を大切 にす る」, 「環境や相手に対す る自分の位置 (間柄や 間)を
常に考 える」の4つ
の教 えがあげ られ てい る (小笠原,2015,pp.55-60)。 この4つ
の教 えに基づ き,「実用・省略・美」が実 現 した動 きが,礼 法に則 つた武士の動 き,あ るいは 日本 らしい動 き と言 えるのであろ う。3.3
学校教育への武家礼法の導入
明治維新か らは,四
民平等の社会 にな り,武
家 のよ うに厳 しく しつ け られた子 どもば か りではな くなつたため,学 校教育に躾 の分野までが委ね られ るよ うになつた。そ して, 明治5年
,近
代学校制度発足の年 か ら,小
学校の修身科 の中に修身 口授 (行儀 の諭 し) が示 され,修 身教育 の一貫 として,家庭 で行 うべ き躾 を学校 が代行す ることになつた(小 笠原,2010,pp.38)。 また,明
治44年
に文部省が師範学校や 中学校,小
学校 に作法教 授 の要綱 を出 し,大
正2年
には小学校 に作法教授資料が頒布 され,昭
和12年
に作法教 授要 日,昭
和16年
には新礼法要綱 を作成 し,作
法の徹底 を行 つた。礼法要綱の趣 旨は, 「本要綱は礼法の基本 を授 けん とす るがために,自 ら形 についての記述が多 くなつてい るが,も
とよ り礼法は,心
と形 と相侯 (あいま)っ
て全 きものであるか ら,教
授 に際 し ては,形
の指導 のみに偏せず,そ
の精神 が体得せ しめることを旨とし,日
常不断に実践 せ しむべ き」としてい ることか ら,こ
れ をもつて,国
民一般 の礼法の基準が定め られた (小笠原,2010,pp.42-43).
この よ うな経緯 によつて,武
道の礼法は確 立 された。「ネL法 」の役割 は,朝
廷礼式か ら武家社会 に変化 し,さ
らに武家社会 の消滅 によつて,国
民の教育 となったのである。 では,な
ぜ,礼
法 を国民教育 として姿を変 えてまで残す必要があつたのだろ うか。結 論か ら言 うと,「ネL法 」 を,
日本 のアイデ ンテ ィテ ィとして位置づ けたか つたか らであ る。 明治維新後は,文
明開化 の影響や廃刀令等 によ り,武
芸・武術 は衰退 した。 しか し, 明治10年
代 になる と,警察や 中学校 において,武術 が教育の有効な手段 として復活 し, 明治後期か ら昭和戦前にかけて,ナ シ ョナ リズムの高揚 と「国民精神 。武道精神 の涵養」 の名 目をもとに,武
道 は,学
校体育 において大 きな位置 を占めるよ うになつた。 戦後は,連
合 国軍総司令部(GHQ)の
影響で,学
校武道 は一時的に禁止 され た。その よ うな中,何
とか学校教育 にお ける武道の復活 を 目指 して,各
武道 を民主的スポーツ と し,そ
の中で最 も早 く学校教育への復活 を果 た したのが柔道 であった。そ して,徳
育重 視の伝統 を受 け継 ぐ教材,「格技」として体育の一領域 として位置づ け られた。その後, 平成元年 の学習指導要領 の改訂 において,「 格技」か ら 「武道」 に名称が変更 され,我
が国固有の伝統文化 を学ぶ教科 となつたのである (入江 ら,2003). 武± 0武術 の衰退か ら,学
校体育にお ける「武道」としての復活 まで,簡
単に示 した. 本来であれ ば,武
術 をそのままアイデ ンテ ィテ ィとして継承 し,国
際社会 に対応 してい「ネL」,「礼法」の歴史的発展 と本来的意味 きたか ったのだろ うが
,武
士が消滅 して しま うと,武
術 を残す理 由が無 くなつて しまっ た.そ
こで,嘉
納治五郎の柔道 を,永
木 (2008)が 「柔術 とい う日本文化を延命 させ る ために,そ
れ を消滅 させ よ うとす る外圧 (欧化主義等)に
抵抗 し,さ
らにはその よ うな 潮流 を乗 り越 えよ うとして 「理論武装」あるいは戦略的な 「適応」を図 つた ものであっ た」 と指摘 してい るよ うに,人
殺 しの術ではな く,教
育 として学校 に登用擦 ることで, 「日本文化 としての価値」づけ (永木,2008,pp.135)を
したのである. そ して,特 に戦後 においては,身体鍛錬 としての教育は不要かつ不可能 となったため, それ を強調せず,「 修養」,「修行」 とい うキャ ッチ コピー を武器 に,道
徳的側面 を押 し 出 し,武
道の特性 として教育に入れ込み,そ
れ を 日本 の独 自性 としていつたのである。 しか し,国
際化が進むにつれ,勝
利至上主義 を重視す る武道 のスポー ツ化が顕著 にな って きたため,そ
こで,か
つて 日本 のアイデ ンテ ィテ ィとして採用 され た 「武道」を取 り上げ,今
一度,武
道 に 日本再形成 を託 し,そ
の象徴 となつているのが 「礼法」なので ある。4
「ネ
L」,「
礼法」のまとめ
前章 までで示 して きた ことか ら,「ネL」 ,「ネL法 」 について整理す る. まず ,「 ネL」 は,中
国において,陰
陽五行か ら生まれた,生
活 リズムや農耕生産 の気 息 な ど,自
然 と人間 とを調和 させ るための 「天の法則 に従 うための概念」であつた。そ れ は,人
間社会の発展 に よ り,異
なる民族 が一つの国に共存す るための,「国家秩序 を 維持す るために人 々が守 る概念」 となつた。 そ して,「
礼」の概念 は,天
や人間を対象 とす るものに とどま らず,中
国の古代武 術 に も反映 されていつた。古代武術 では,伝
統的な道徳観,天
人観,陰
陽観 の3つ
の 基本観念が,武
術 の発展 に大 きな影響 を及 ぼ した とされている.し
たがつて,文
化形 成や武術 の技術理論 な ど,全
ての関係 において陰陽による 「調和づ く り」 を 目指 して いたため,中
国にお ける 「礼」 は,「
陰陽で調和 をつ くるための概念」であると考 え られ る。 中国を起源 とす る 「礼」の概念 は,日
本 にそのまま伝 わ ると,ま
ず,皇
室祭祀 に用い られ,次
いで,貴
族 の教養 としての有職故実 とされ るとともに,朝
廷礼式に用 い られた とされ ている。その後,武
家 中心の社会 とな り,そ
の特権意識 を主張す るために,今
か らさかのぼること約200年
前,武
家礼法が確 立 された。 その時代は,武
家故実 と言われ る時代であつたが,一
般武家や その子女を も対象 とし た,日 々の「しつけ」としての礼法を樹立 していった礼法の代表格が,小笠原流である。 小笠原流礼法は,弓
術や馬術 と結びついた,鎌
倉時代か ら江戸時代 までの武家社会の公 式礼法であつた。小笠原流礼法では,礼 にお ける行動 の教養 のあ り方 を説 いた『 修身論』 と,体
をいかに使 うべ きかを説 いた『 体用論』 に礼法の重要事項が ま とめ られ ている。 そ して,小
笠原流礼法は,「実用・省略・美」を重視 してい る。「実用・省略・美」 と い う,無
理・無駄 のない実用的な動 き方や身体の使 い方 を示す もの こそが武家礼法であ り,そ
れ は武士 としての嗜みであると考 え られ てい る.武
士 に とつて,い
つ,ど
こで, どの よ うな事態が起 こつて も,い
つ戦闘が始 まって も,そ
れ には臨機応 変な対応 が必要 であつた。強靭 な身体や戦闘技術 ,何事 に も動 じず屈 しない精神 をつ くりあげるために, 武 士は,「ネL法 」の稽 古に力 を注いだのである。 この よ うに,中
国においては,あ
くまで も「概念」 として捉 え られ ていたが,小
笠原 流礼法御宗家が,「『 人間の行為 の全体にわたつて,正
しく礼 とい うものによ らな くては な らない。あ らゆる物事の正 しい とい うことが礼である』 と孔子 は教 えてい るが,日
本 20「ネL」,「礼法」の歴史的発展 と本来的意味 人 は これ を実践的 に受 け止 め
,理
論 として よ りも,行
動 として発展 させ ていつた (小笠 原,2015,p.62)」 と記 してい るよ うに,概
念 を行動化 した。 このよ うに,「 ネL」 の概念が 日本 に入 つて来てか ら,
日本では 「礼」 の概念 を生か し た行動 として実践 してきた。日本 では,外
来の優れた ものを 日本 の伝統 とい えるよ うに 変容 (中村 ら,1998)さ
せ,
日本 は 「礼」の概念 を受 け入れ,自
国で よ り実用的なもの となるよ うにア レンジ し,様
々な行動 を定めるもととしたので ある。その行動 は,武
士 のふ るまいに特徴づ け られ るよ うに,「動 き方」,「使 い方」 とい う,「ネL法 」に則 つた も のであつた。「ネL法」 は,言
うまで もな く,「 ネL」 の概念 をもとに してお り,「動 き とい う調和 をつ くるための行動 の仕方」つま り,「調和の『 つ くり方』」である と考 え られ る. したがって,「 ネL」 の概念 は,中
国独 自の ものであ り,
日本 では,そ
れ を もとに行動 の仕方 として 「礼法」に発展 させ た と考 え られ,「礼法」が,日本独 自の伝統文化である と考 えられ る。(図 1).図
1
「ネ
L」,「ネ
L法」
武 士の行動 の仕方 を示 した ものが武家礼法であつたが,武
士の消滅 とともに,武
術の 存在意義がな くなつた ことか ら,武
術 は,国
のために尽 くす 国民を育て る国民教育 とし・ 陰陽で調和をつくる
「考え方」
・ 調和 の「つくり方」
心身 が強化 され るのは
,鍛
錬 による 「効果」ではないだろ うか。つ ま り,「 ′いは後か ら ついて くる」 とい うことである。 しか し,武
術 が武道 に変化 してか ら,「 ′いを強 くす る ために技 を鍛錬す る」 よ うになつて しまってい る。 したがつて,心
のあ り方 は,「 ネL」 や 「ネL法 」にみ られ る伝統的 な考 え方や行動 の仕方 を理解 し,行
動 として繰 り返す こと によつて,「効果」 として現れ ることを再認識す る必要があるのではないか と考 える。 そ して,武
士のみな らず庶 民 にも通用す る汎用的な もの となった 「礼法」は,人
間関係 の調和,社
会の調和,国
の調和 を保つための決ま りを示 してい る。あ らゆる場面 におい て活躍す る「ネL法 」が保持す る実用性 を,改 めて見直す必要があるのではないだろ うか。 本章 において,「 ネL」 は中国独 自の陰陽で調和 をつ くる概念 であ り,
日本独 自の武道 の伝統文化が調和のつ くり方 を意味す る「ネL法 」であること,修
養 主義 は伝統文化では ない こ とが明 らかになつた。よつて,次
章では,伝
統文化 としての 「礼法」の構成 内容 を検証 したい。 9 9「礼法」の構成内容の特定に関す る検討
Ⅲ
「礼法」の構成 内容 の特定 に関す る検討
Ⅱの第4節
で ま とめた よ うに,「ネL」 は,中国独 自の「陰 陽で調 和 をつ くる『 考 え方』」, 「礼法」は,「ネL」 の概 念 を生か した 日本独 自の「調 和 の『 つ くり方』」とした。「ネL法」 が,武
道 の伝 統 文化 で あ る こ とが 明 らかにな つた こ とか ら,武
道授 業 で指 導す べ き態 度 の 内容 と しての 「礼 法」 の構成 内容 を特 定 した。 そ こで,Ⅲ
では,「ネL法 」の内容 を明 らかにす るた めに,
日本独 自の 「礼法」 の因子 構 造 を科学 的・ 客観 的 に検討 した こ とを述べ る。1
予備 調 査 の実施
「礼 法」 の 内容 を特 定す るた め に,本
研 究 で は,武
家 礼 法 を確 立 し,「 ネL法」 の代表 格 で あ る小 笠原 流 礼 法 に着 目 した 。 「礼法 」 の仮説 的構 成概念 を検討 す るた めに,6月
か ら10月 にか けて,弓
馬 術 礼法 小 笠 原 教 場 三 十 一 世 小 笠 原 流 宗 家,小
笠原 清 忠先 生 ご指 導 の も と,小
笠 原 流 礼 法 門人 の方 々が稽 古 され て い る教 場 にて,予
備 調 査 と して参 与観 察 を行 つた 。教 場 は,全
国各 地 に広 が っ てお り,今
回 は,そ
の ひ とつ で あ る京 都 梨 の木 神 社 に て行 われ て い る稽 古 に伺 つた 。 稽 古 日時 は,毎
月 第4土
曜 の13時
か ら16時
で あ る。 稽 古 内容 は,ま
ず,礼
法 の基 本 的 な6つ
の動 きで あ る 「立 つ,座
る,歩
く,お
辞 儀 を す る,物
を持 つ,回
る」 を30分
∼1時
間程 度 行 つた後,お
焼香 の仕 方や 着 物 の着 脱 の 仕 方 と畳 み 方,奥
斗 や 水 引 の作 り方 な ど,
日常 生 活 と結 びつ きの あ る動 作 や 物 の作 り 方・扱 い方 を稽 古 す る とい うもの で あ った 。後者 の稽 古 内容 は,月 ご とに異 な る もの で あ つ た.季
節 の行 事 等 が あ る場 合 は,そ
れ に合 わせ た稽 古 内容 で,時
と場 に応 じて稽 古婉 曲的 な聞 き方 を避 け
,① ,②
の よ うな質 問項 目を設 定 した 。なお,「ネL法」 の構 成 内 容 の 特 定 に 関す る調 査 ・ 分析 等 につ い て は,尺
度 開発 を専 門 とす る大 学 教 員 の指 導 を も とに行 つ た 。 参 与観 察 を行 つた稽 古 日時・ 稽 古 内容 は表1に
,記
述 式 質 問紙 調 査 の協 力 者 等 は 表2に
示 す 通 りで あ る。 また,使
用 した記 述 式 質 問紙 は 資 料1(54頁 )に
示 す 通 りで あ る。 表1
参 与観 察 実施 の詳 細 期 日 時 間 場 所 稽 古 内 容 平 成 28年6月 25日 (土) 13時 ∼ 16時 梨 の木神 社 ①礼法 の基本 的な動 き ②お焼香 の仕 方他 ※御宗家 よ り礼法 につ いて教 わ る 平 成 28年7月 23日 (土) 13時 ∼ 17時 梨 の木神 社 ①礼法の基本的な動 き ②着物 の着脱の仕方,畳
紙の扱 い方他 ※門人に聞き取 り調査 。記述式質問紙 調 杏 を 行 う 平成 28年8月 27日 (土) 13時 ∼ 18時 梨 の木神 社 ①礼法の基本的な動 き ②奥斗の折 り方,水
引の作 り方他 ※門人に聞き取 り調査 。記述式質問紙 調 杏 を 行 う 平成 28年9月 19日 (月 ) 9日寺∼12日寺 梨 の木神 社 ①礼法の基本的な動き ②午後の萩まつ りの段取 り,稽
古 平成 28年10月 29日 (土) 13日寺∼20日寺 梨 の木神 社 ①礼法の基本的な動 き ②翌 日の七五三の段取 り、稽古 表2
記 述 式 質 問紙調 査 の協 力 者 期 日 日 時 場 所 協 力 者 平 成28年7月 23日 (十) !3時-16時 梨 の 木 神 社 小 等 原 流 礼 法 門 人 の20∼ 60代男 女 平 成28年8月 27日 (土) 13時∼ 16時 梨 の 木 神 社 小 笠 原 流 礼 法 門 人 の30∼60代男 女 24「礼法」の構成内容の特定に関す る検討
2
仮 説 的構 成概 念 の検 討
聞 き取 り調 査 及 び 記 述 式 質 問紙 調 査 を参 考 に し,著
者 が礼 法 を構 成 す る概 念 を検 討 した 。教 科 体 育 の態 度 の 内容 と して指 導 す るな ら,と い う視 点 で,門
人 の 回答 の共 通性 に着 目 しな が ら検 討 を行 つた結 果,1つ
目は,「時・場 所 に あ わせ た相 手 を敬 う心 」,「 自 分 の 立場 を意 識 す る」 な どの 回答 か ら,い
つ で も誰 に対 して も同 じ行 動 を とるの で は な く,時
や 相 手,場
所 に応 じた行 動 を重 視 して い る と考 え,「 臨機 応 変性 」 と した 。2つ
目は,「 気 を ゆ るめ ない こ と、通 常 の 呼 吸 を くず さな い こ と」,「 自 らを戒 め る こ と」,「人 が 見 て い な くて も、気 を抜 か ず 、正 しい動 作 を心 が け る」な どの 回答 か ら,常
に 自分 の身 心 と向 き合 い,身
心 の調 整 を図 る こ とを重視 して い る と考 え,「セ ル フ コン トロー ル 」 と した 。3つ
日は,「 息 合 い に従 つた動 き」,「 自分 の身 体 を 自然 に使 う」,「 正 しい 姿勢 が 出来 て い るか」 な どの 回 答 か ら,常
に身 体 の機 能 や 身 体 の動 か し方 に よ る無 駄 の な さな ど を意 識 す る こ とを重 視 して い る と考 え,「 実用性 ・ 機 能性 」 と した 。4つ
目は,「 自然 (回 り)と
一体 に な る」,「 全 体 の調 和 、試 合 の結 果 か らみ る とライ バ ル 関係 です が、そ の結 果 を導 い て くれ る仲 間 と考 えて い ます 」な どの回答 か ら,自 己 中心 的 に な らず,周
囲 へ の影 響 を意 識 す る こ と,周
囲へ 合 わせ る こ とを意 識 す る こ と を重 視 して い る と考 え,「 同調 の意識 」 と した 。 した が つて,仮
説 的構 成 概 念 は,「 臨機 応 変性 」,「 セ ル フ コン トロール 」,「 実用 性 0 機 能 性 」,「 同調 の意 識 」 の4つ
とな つ た.3
質 問紙 の作成
本 研 究 にお い て作 成 す る尺 度 は,学
校 体 育授 業 レベ ル で使 用 す る こ とか ら,検
討 し た仮 説 的構 成概 念 に基 づ き,高
橋(2003)の
「授 業場 面 の観 察 カテ ゴ リー 」を用 いた。 高橋(2003)は
,体
育授 業 の 中で は さま ざま な場 面 が生 じ,と
くに意 味 の あ る場 面 を あ らか じめ決 定 して お き,そ
れ らが 時 系列 で どの よ うに 出現 した か を観 察 ・ 記 録 す る 方 法 を 「授 業場 面 の期 間記 録 法 」 と呼 び,授
業場 面 を 「マ ネ ジ メ ン ト」,「 学 習 指 導 」, 「認 知 学習 」,「 運動 学 習 」 の4つ
の場 面 に 区分 して記 録 す る方 法 を紹 介 して い る。 ま た,高
橋(2003)は
,授
業 全 体 の 印 象 を評 価 す るの で は あ ま りに も雑 把 に な るた め,授
業 を 区分 す る意 義 が あ る と述 べ て い る. そ こで ,「 ネL法」 にお い て も,よ
り明確 な評 価 を行 うた め に,高
橋(2003)の
「授 業 場 面 の観 察 カテ ゴ リー 」 を用 い る こ と と した 。 学 習 場 面 を 「マ ネ ジ メ ン ト」,「学 習 指 導 」,「認 知 学 習 」,「運 動 学 習 」の4つ
の場 面 に 区分 し,区
分 した各 学 習 場 面 と仮 説 的構 成 概 念 を照 ら し合 わせ な が ら尺 度 項 目を作 成 し,著
者 が質 問紙 の原 案 を考 案 した 。各学 習場 面 の 内容 は,以
下 の表3に
示 した 。 表3
学 習場 面 の 内容 学 習 場 面 内 容 マネ ジメン トつ な が らな い 活 動 に 充 て られ て い る場 面ク ラ ス 全 体 が 移 動,待
機,班
分 け,用
具 の 準 備,休
憩,な
どの 学 習 成 果 に 直 接 . 学 習 指 導 教 師 が ク ラ ス 全 体 の 子 ど も に 対 して 説 明,演
示,指
示 を 与 え る場 面.子
ど も の 側 か らみ れ ば,先
生 の 話 を 聞 い た り,観
察 した りす る場 面.し
か し,教
師 の 率 間 に よ っ て 子 ど1、の 黒 考 活 動 が 中 心 に な る場 合 はAlに記 録 す る. 認 知 学 習 子 ど1、 が グル ー プ で話 し合 った り.学
習 カー ドに記 入 した りす る場 而. 運 動 学 習 子 ど 1)が 準 備 運 動,練
習,ゲ
ー ム をお こ な う場 面. 26「礼法」の構成内容の特定に関す る検討