近代憲法における「普遍法則」の実証法的意義
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(2) . 第9巻 第1号. 北海道学芸大学紀要(第一部). 昭和33年6月. 近代憲法における 「普遍法則」 の実証法的意義 坂. 高. 之. 直. 北海道学芸大学旭川分校法律学政治学教室 ‐ I N1eaning・of”UniversaI Principles” 6sAKA: The Lega Naoyuki K S I i i i b d i t tut l o ern Cons prescr e n Mod. 次. 目. n 近代憲法に規定せられた典 型的な 「普通法則」 の体様 皿 普遍性を誇る「基本的人権」 の実証法的可能性 l v r国民主権主義」 の普遍性. に関する実証法的意義 V 近代憲法における 「恒久的 平和主義」 の実証法的価値 r 「普遍法則」 の理論的根拠 W 語 W 結. 1 序. 言. およそ近代憲法にあっては, 前文のなかに, そのよって立つ根本原 理ないし基本理念を明文化 し, いずれも本文各条項解釈の普遍的基準を示しながら, その客観的にして先天的な文化価値をうた っているのが普通である。 それは, いわば憲法の最高法規性たる性質上, まことに自然であるとい われてきた。 憲法は自らが設定した立法機関の制定するあらゆる法に優越し, これを拘束するわけ であるから, これらすべての法の規矩準則ないしは指導 理念として, 自然法的な普遍的色彩を帯び. る の は, む し ろ あ た り ま え の こ と で あ る と い う。 こ う い っ た こ と が, 憲 法 の 国 際 法 化と い う 方 向 に,. 極めて徐々ではあるが, 大きく回転してゆく ・動機になっている。 たしかに各国に共通す る憲法上の 政治理念や, 政策の借用を軽蔑する国は, それらを卑屈な態度 で採用する国が制度上の消 化不良に. 1 悩 ま さ れ が ち で あ る の と 同 様 に, 制 度 上 の 機 能衰 弱 と い う 危 険 に 直面 して い る と い わね ば な ら ぬ ) 。. ・いきおい普遍化されて憲法の指導 理念とならざるをえない 1850 年 このような政治理念や政策はノ , 。 l l i am 共和党における奴隷制排撃の先鋒であった Wi. Henrysewa 1801~1875 )が, 合 衆 国 上 院 に rd(. 2 ) と いし・ そ i i t tut ) on The sa hi r ei おいて 「憲法よりも高次の法がある」 ( gherlaw thanthe Cons . , のとき以来, 人口に胸荻 した言葉となったのも, 憲法をして, 確乎不動のものとなしうる道徳 上の. 根拠の重視, すなわち憲法に対する自然法の優位を強調 し, これにマッ チさせることによって, そ ●ているらしい当時 の恒久不変性を打ち出したいという, おそらく john Locke の影響を多分に 受け の社会的欲求から出たものではなかっただろうか。 このような普遍規定の大部分は,歴史の明らかに示すごとく,うち続いた戦禍や暴政への反省と 将来の理想に対する強烈な祈求とが, 血の代償をもってかち得た実証的イデアであって, それが文. 字通り の恒久性をもっているか否かは別として, 少なくとも, それは概念的にのみ把握されたもの ではなかった筈. である。 したがって, このような高価な犠牲を払わずして得られた基本的原則 なる ものは, それがいかに永劫性を意味する美辞麗句を用いて憲法の巻頭を飾ろうとも, それは単なる ) 民衆の実際生活から遊離し 概念的題目として終始する危険性を蔵しているといわねばならない3 。 た, いわば儀礼的に抽象化された法に堕するおそれは, かかる織烈な欲求が中 途半端に終り, 封建 - 63 -.
(3) . 高 坂 直 ,之. 制の残津が拭いきれずに 資本主義が形成された国々の多かれ少なかれ経験したところである いう 。 までもなく近代憲法の一般的傾向として, 民主主義的理想主義をもって貫かれたものでなければ , 普遍的法則としての存在価値を容認しないというのが, われわれの常識でもあるから 1889年のわ , が国憲法のように, その第 73 条によるも改革不可能と解 した政治の基本体制に関するオーソドッ. クスの理論は, 当時においていかにその普遍性を強調したとしても, それはもはや現今の諸憲法に おける自由主義的潮流とは全く相容れないことに属する。 わが現行憲法も, 前文の第一段に おいて国民主権主義の政治理念を標梯して, これを人類普遍. lpr inc ip の原 理( l univer sa i eof mank )とし, 同じく第三段には政治道徳の法則 は普遍的( nd l awsof i l i l morality are un iver t l ca ) と して 恒 久 的 平 和 主 義 に 拠 っ た ほ か, 第 11 条 97 条 な ど に 規 定 po sa ,. された基本 的人権尊重主義を加えて, これを恒久的三大基本原則と称 していることは周知の通りで ある。 このような思想は, 17 ,8世紀の自然法思想によ って強く影響されたという通念をけっして 否定するものではない。 しかしなが ら, 普遍法則なるも のを単に理念として 論理的先験的な抽象 , 名辞としてのみ受け取り, 具体的のものを摂容し止揚することによって得られる真の経験的法則を , 実証法規という形において把握しようとはしなかった限りにおいて, あるいはその法則の微温的な 適用に不満を覚え, あるいはその行きすぎに慨歎するこ との多いのは また止むをえない仕儀とい , わねばならない。 われわれの先達によって普遍性 を詞歌された筈の実証規定が 少なくとも その , , 具体的適用において納得できないものを多く見せている最近の社会現象のまえに われわれは普遍 , 法規そのものの意義 について, 矛盾と焦燥を感じないわけにはいかない 結局 憲法におけるこ れ , 。 らの規定に, 時空的不変の効果を期待できるものであるかどうか, このばあ いの 「普遍性」 をいか に取り扱うべきか, また 「法則」 の内容に関する認識のいかんなどは, 近代憲法の解釈上かなり疑 問の余地がある, しかもゆるがせにできない問題 であろう 。 ‘Modern C n t 1 } John A, Hawgood: ‘ i tut ince 1787” o si l lan,pp onss ,1939 .8 , Macmi . ” ’ ’ 2 l inton Whe ) Kenneth c d M C i i ttutons,1951 are: o ern ons i ty Library,pp , Home Univers .74 、 ,90 ,95 )J 3 ank博士は, 普遍の法の目的は単なる抽 象に終るべきものでなく,rあくまで具体性に徹したものでな け れ .Fr ば な らぬと強調してい る。 [ ’ ’ 1949 stevens & Sonsl Jerome Frank:● ”Law and the Modern Mind td , , . , i i ] PP .×vi. 1 1 近代憲法に規定せ られた典型 的な 「普遍法則」 の体様 「普遍法則」 といって も,その表現形式,たとえば「普遍」 , 「永久」 などという字 句によってそ れと推測できるものと, その実質的内容および定立者 の意図から推して 普遍性を標梯した法則で , あると断定 せざるをえないよ うな二つのばあいがある そのいずれにしろ まず近代における普遍 , 。 法則の核心を なす 「自由権」 確立の萌芽をなしたものとして 忘れることのできない「自由大憲章」 ,. (Magna Car Li ber ta・ t atum,1215 ) ま で遡 る の が 常 識 で あ ろ, う。 そ の 第 1 条 に お い て, イ ン グラ ン ド. 教会の自由は 「永久」 に保障されることを確認し 終末の第63条においては これまで規定せる , , 一 切の自由, 権利および認許を 「永久」 に保有すべきことを明示している 。 元来, 自由権は他の基本的人権と同じく, イ ギリスにおいて最初に発達 したものであることは . いう, ま でもないが, 当時, 絶対権と呼 ばれていた生命, 自由 財産の各権利 のうち 自由権は人身の , , , 自由のみを意味 し, 今日のいわゆる civi ) ともあ れ これ が i ll ber ty でな か っ た こ と は 確 か で あ る; 。 ,. 1628 年 の 「権 利 請 願」(Pet i i t onofRight ) に 与 え た 大 き な 功 績 は, い ま さ らい う ま で も な い と く s 。. に学者がベルギー憲法第 7条と比較対照している第39 条の自由尊重2 )が , 近代憲法における 普遍 的基本原則定立に及ぼした影 響は, ゆるがせにできないものがある 。 - 64 -.
(4) . 近代憲法における 「普通法則」 の実証法的意義. l lofRi 9 「権利章典」 @i t ) の第1条には 「聖職上院議員・上院議員および下院議員 は, s gh ,168 全人民の名に おいて (王または女王に対し) 謹んで忠誠に服従し, その相続人および子孫も永久に 服従 す る … …」 と あ り, ま た 「ロ ー マ 教 を 信 仰 しよ う と し, あ る い は ロ ー マ 教 徒 と 婚 姻 しよ う と す. る人々は, ……いかなる王威あるいは裁判権もこれを所有し, 行使することは全く許されず, 永久 にその資格がない」 とあるほか, 「両陸下が満足されたものは, すべてこの現議会の権限によ って. 宜言され……永久に存続し, この領域の法律とならねばならぬ」 と明示しているが, 同趣旨の規定 . l 01年の 「王位継承法」(Ac t tofSet ement ) 第1 を17 ,2 条 に も 見 る こ と が で き る。 ま た 「永 久」 を 意味する字句は用いてないが, かつて得た自由権回復への熱望は同条の各所に見られ, あたかも普 遍的欲求であるかの ごとく行間に迫るものがある。. これらイ ギリス憲法の中核をなす古典法は, バロソ達が王の抑圧を排 して領民の支配を徹底し. ようとする, いわば封建制度温存の文書であり, また名誉革命後の法的効果をねらったトーリー党 による保守的なものではあったが, 近代の人権理論や憲法における他の 「普遍法則」 の定立に多大. ) の 示 唆 を 与 え た 事 実 は, こ れ を 覆 う べ く も な い3 。 一 方, 「メ ー フ ラ ワ ー 協 定」 (MarF1 owerPact ) は, 憲 法 と して 考 え ら れ た も の で は な く, ,1620. カルヴィ ン主義に基づく教会 的協約を, 市民の団体生活へ応用拡大することにあったとよくいわれ. ているが, しかしそれは, アメリカ憲法の精神的母体として大きな役割を果 したばかりでなく, ア メリカの土地において発生した民主的傾向を醸成し, 後年の人権思想に発展させたことは, その例 証 を,ヴァ ー ジニ ア 議 会 の 成 立 に 見 る ま で も な い こ と で あ る。 41 名 の ピ ル グリ ム ・ ファ ← ザ ー ズ が,. この土地に恒久的自由と権利の場を見出さんとした廠烈な気組みを, ‐この協定か らはっきり感得で ) き る4 。. 1776 年 の 「独 立 宣 言」(Dec l i flndependence arat ) に は, 天 賦 不 可 譲 の 権 利 と して 生 命, 自 ono d i l i fe l i b h fh iness t 由 およ び 幸 福 の 追 及( t )を と く に 強 調 して い る が, こ の 普 遍 , ery an t e pursu o app. 的権利の中心をなすものは自由権であることに疑いはない。 このことは, 合衆国憲法の前文に 「わ れ ら と わ れ らの 子 孫 の た め に, 自 由 の 恵 沢 を 確 保 す る 目 的 を も っ て」 と ,あ る こ と に よ り, い っ そ う. ) 1945 年のヴェ トナム共和国独立宣言は この言葉をそのまま冒頭に飾って新共和 明らかである5 , 。. i i l fConfederat 国 誕 生の 餓 と して い る。 ま た 1 年 後 の 「ア メ リ カ 連 邦 同盟 規 約」(Art c eso on) に は,. 3条にいたっては, 数カ所にわたって連 その前文において 「永遠の連邦」 なる表現を2ヵ所, 第 1. 邦の 「永久」 に存続・連合することを強調している。 1781 年メ リ ー ラ ン ド州 が 最 後 の 批 准 を して, ) 「国民となった日」 を- u l .んだのも, 連邦国家の恒久性を確信すればこそであろう6 。 「独立宣言」 に続く世界最初の成文憲法たるアメリカ合衆国憲法( 17 87 )は, いうまでもなく歴. lns fGovernment 史 上 に お い て も, ま た 1653 年 の 「政 体 法」( t rumento )お よ び 1787 年 の フ ラ ン ク ) その な フ ル ト 憲 法 と並 ん で, 註 釈 書 と い う 立 場 か ら し て も 重 要 な 地 位 を 占 め て き た も の であ る が7 ,. かに, 立法部における単なる議決だけでは, どうにもならない基本的原則がかなりあることは, 各. ) とく に そ の 前 文 に 「わ 州 の 憲 法 に お け る ば あ い と 同 じく, 衆 人 の 一 致 して 認 め る と こ ろ で あ る8 。 l ingsofl i Securetheb bertytoour lves れ わ れの 子 孫 に 自 由 の 恩 恵 を 確 保 す る 目 的 を も っ て」 ( ess se. i ter ty ) な る 句 を 掲 げ て い る が, こ れ も, も ち ろ ん恒 久 的 自 由 の 享 楽 を念 願 し て い る こ andourpos と は疑 い な い。 こ れ が 凝 っ て は 1941 年 の F, Roosevelt の 有 名 な 「四 つ の 自 由」 の 演 説 と な り,1944. 年の 「経済的人権宣言」(年頭教書) にまで発展, ついに世界人権宣言の蘭が現われる動機とまでな っ た こ と は 人 の 知 る と こ ろ で あ る。 ini l lofRight こ れ よ り や や 早 く,「ヴァ ー ジニァ 権 利 章 典」(Vi rg a Bi s ) に は そ の 冒 頭 に「す ,1776. べての人は, 生来ひとしく自由かつ独立してをり, 一定 の生来の権利を有する。 これらの権利は… - 65 -. . ● ′ 、 ・ . ・ r ● . ● . ● 」 . ・ ● . ● . ・.
(5) . 高 坂. 直 之. … い か な る 契 約 に よ っ て も, 人 民 の 子 孫 か ら こ れ を 奪 う こ と が で き な い」 と して, そ の 権 利 を 私 有. 財産権と, 幸福, 安寧を追求獲得する手段を伴う生命, 自由の享有権としている。 フランスの 「人 i t r c Henry の強い信 権宣言」 に先んじて発表きれたこの恒久的人権 思想は, 「自由か, 死か」 の Pa 9 ) 念が穆み出てをり , その各条項が日本国憲法のなかに再現されている影響力は, これをゆるがせに できない。 この章典と並んで, 建国初期における州憲法の双壁とうたわれたマサチ ュセッ ツ憲法の. i f f l tab er son の 公 立 教 会 制 度( es shed 第 1 条 も, ほ と ん どこ れ と 変 ら な い 行 文 を も つ。 ま た 起 草 者 Je. ・ ァジ ) そのものの解体と, 国家と教会との完全霜難に対する念願を痛く感知させられる 「ヴ chur ch igious L i ia Statueof Rel berty ) も, そ の 第 一 部 に お い て, 人 心 の 自 由 ニ ァ 信 教 自 由 法(Vi rgin ,1786. を天賦のものとしてうたい, 第三部においては, この法律に対する将来の制限ないし廃止を 「自然 権」 の 侵 害 で あ る と 記 して い る。. 元来, アメリカ各州の憲法のなかには,かなり共通した箇所が多く,そのほとんどが苦心して取 177 7 得した自由権への感謝と, その永遠性とを書き記している。 たとえば「ニ ューヨーク州憲法」( ) 第1条第3節は, 信仰の表明と礼拝の自由を永久に許容し (The free exercise and enjoyment of. igiousp fes i l lowed… …) lforeverbea l 1879 rel ro rship s onand wo ) ,… …sha ,「カ リ フォ ル ニ ア 州 憲 法」(. 第1 条第4節その他多数の州憲法にも, ほとんど同文の規定をおいている。 また「ミズーリ州憲法」 194 5 ( ) 第1条第2 節は, 生命, 自由, 幸福追求および勤労により得たものの享受に対する 「自然権」 ighttol i i fe f happiness and the enjoyment of the gains of their lr ber to ty (Natura ,thepursui ,l t ownindus ry;) を 認 め て い る が, こ の 「独 立 宣 言」 か ら の 再 録 は, 他 の 数 州 の 憲 法 に お い て も 見 ら れ る と こ ろ で あ る。. i そ の ほ か「永 遠 性」 を う た っ た 特 殊 の も の と し て は,陪 審 裁 判 の 永 久 不 可 侵(Tr l albyjuryinal l ber ininvi lat classes… …shal ema eforever;) を 述 べ た 前 記 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 憲 法 第 1 条 第 2 節 や, o l lbeforever keptas wi ldfores 法 定 き れ て い る 森 林 狩 猟 地 の 永 久 保 持 (… …sha tl ands ) を規定 し . 1776 た 同 じく 第 14 条 第 1 節, そ の ほ か ヴァ ジ ニ ァ ( 1776 ) ) .6 .12 ,9 ,28 , ペ ン シ ル ヴェ ニ ァ ( ,メリ 1 1 1 7 1776 1 1 7 6 1 2 8 7 1 1 7 7 7 ( 8 北 ナ ) カ ラ ヴ モ ランド( ) ロ ト サ チ ー ) マ ン ( セッ ツ ィ ァ ュ . . , , . , . . ,. 1783 1780 ) )な ど の 憲 法 は, い ず れ も 不 可 譲 の 「自 然 権」 を, 社 会 ( .10 .3 .2 .31 , ニ ュ ー・ハ ン プ シァ (. 0 ) 契約理論のもと, 現実の政治的な権利に代位せしめ, これを法制化することに成功している1 。. お も う に, ア メ リ カ 建 国 の 初 期 に お い て は,ア ソ グ リ カ ソの 圧 迫 に よ っ て,か え っ て 昂 揚 さ れ た. 清教徒精神のたくま しい勤労と禁慾自制の徳が, 辺境精神と相まってあらゆる障害を克服したばか. りでなく, 民族の額廃を防ぎ, 健全なる幸福への人生哲学を教えるに至ったということには異論が ない。 しかも従来, ピュ リタンの短所とも見るべき偏狭性, 固匝性は,.この広大な自然力によって 是正されたものとなった。 この清教精神は, 18 世紀の天賦人権思想と協働 して, 一つの自然 法思想 を醸成し, これが個人利益を高調するのあまり, 組織された社会統制に, できるうるかぎりの 抑制 1 ) この を お い た か ら, 行 政 上 は も ち ろ ん, 司 法 上 に お い て も 自 由 裁 量 は ほ と ん ど 許 さ れ な か っ た1 。. ことが各州憲法を して, 異状なまでに長文たらしめた原因であろうと思われるが, ともかく, かれ らの自然法思想は, 当時のフランスにおける純粋の理性主義的なそれとは色 彩を異にし, あくまで も プ ロ テ ス タ ン ティ ズ ム に 基調 を お く も の で あ っ て, こ れ が ア メ リ カ 諸 州 の 憲 法 に 深く 根 を 下 して. い る こ と は, も は や 疑 い を い れ る 余 地 が な い。 自 由 権, こ と に 信 仰 の 自 由 に 対 して, ほ と ん ど例 外. なきまでに 「永久」 あるいは 「自然権」 なる文字を附し, そのほかこれに類する字句の頻出するこ とは, 這般の事情を明瞭に物語るものである。 しかるに17世紀末から18世紀にかけて, 低調であった知的水準もようやく上昇線をたどるよ. うになるや, ピューリタニ ズムの神政思想に対する反感が次第に高まり, 自由主義的イギリス思想が - 66 -.
(6) . 近代憲法における 「普遍法則」 の実証法的意義 Hume や Mi l l の経験論を仲介として移入され , これと近代科学思想の影響の下にプラグマティ ズ. ムとなって, 中産階級の商入, 貿易業者のあいだに広まり, 一方, 人道主義フランス思想が, 都市 2 ) にもかかわらず 各州の憲法は 旧態依然 労働者, ことに農民や西部辺境の住民に共鳴を与えた1 , ,. 9世紀に入って真の 宗教的寛容が, 人種的寛容などと共 たる思想内容をもち続けていたところに, 1 に割り切れない問題として残されるに至った原 因がある。 おそらく現在, これら憲法の示す「永久」 , 「自然権」 を実証的に額面どおり受け取るものはあるまい。 R.Pound が 「アメリカ民主主義の特 f i i 徴 は, 辺 境 社会 ( ront ersoc ety ) を 理 解 しな け れ ば 説 明 で き な い。 し か し ア メ リ カ 政 治 の 最 大 弊. 害のあるものは, かつて未開墾地方の町村において便宜, 無害であった道徳と慣習とを現代の広 大 かつ籾密な都会に移すことからきている」 とし, さらに 「アメリカ法の科学的発達は, 辺境にいま 1 3 ) とい われる真 意 もま たそ こに あるの な お 残 っ て い る辺 境 精 神 に よ っ て 阻 ま れ, 歪 め ら れて き た」. であって, これを解 して, 各州憲法に表われた自然法的 「普遍」 を意味する字句の非実証性を暗示 して い る と い っ て も, 決 し て こ じ つ け で は な い。 1789 ひ る が え っ て フ ラ ン ス 「人 権 宣 言」( ) を 見 る に, そ の 前文 お よ び 第 1 条, 第 2 条 に よ っ て 天賦不可譲の普遍的人権を宣言し 第 4条で 「自由」 の定義を示している こ れ は ”Du Contrat. ,. 。. i Soc I 工 に あ る 法 の な か に 見 え て い る 文 章 『ダ ル ジャ ソ ソ ソ候 は い う 「共 和 国 ar, Li vre4 ,Chap.VI に お い て は, 各 人 は 他 人 を 害 しな いこと に つ い て は 完 全 に 自 由 で あ る」と』(Danslarepub i l i t que ,d. le marqui ibre en ce qu tementl ine・ s 寸Argenson, chacun est parfai t pas aux aut lui ) からき re .. て いる こ と 明 ら か で あ る。 こ の 第 4 条 は 国 家 を 超 越 し た 自 然 権 と して の 自 由, い わ ゆ る 天 賦 の 自 由 4 ) ま た そ の第 17 条 に 「所 有 権」 の 神 聖 不 可 侵 を う た っ て い る の も 見 逃 さ れ な を 表 明 して い る1 い。 。 こ こ での 「所 有 権」 は, も ち ろ ん 「財 産 権」 を 指 して い る わ け で あ る が, 神 聖 と い う か ら に は 天 ,. 賦の権利, いわば自然権をいうものであって, 実質的には第2条と重複している感を免かれない 。 したがって, 第17条の重点はむしろ後半にあり, 前半で受ける強い刺激ほ どには原則的な規定で l i は な い よ う で あ る。 元 来, こ の 権 利 の 「宣 言」(Dec arat on) と い う 語 は, 恒 久 的 に 存 在 す る も の に. ついての厳粛な確認を意味 し, 決して新しい権利の創設を指称するのではない。 さればこそ, この rEt 確認の厳粛性を至高の存在 ( ) の 庇 護 に か か ら しめ て い る。 r esupreme それより4年後, すなわち共和国第2 年2 月 15 日, 16 日, 国民協約に提出された憲 法案, い わゆる 「ジロソド憲法」 のなかの 「人々の市民的および政治的自然権の宣言の草案」 (Projet de Dec l i i l i l l i iquesdeshommes t t arat on desdro snatnre s ) 第 1 条 に は「自 由」 vi esetpo ,c ,「安 , 「平 等」. 全」 , 「所有権」 , 「社会保障」 および 「圧制への抵抗」 をもって市民的, 政治的自然権と認めている。. こ の 一 連 の 傾 向 は, さ ら に デ モク ラ ティ ッ ク な 色 彩 を お び た 「山 岳 党 憲 法」( 1793 ) に, ま た か な り 保守的なにおいのする 「共和暦第3 年12月 5 日 フ ラ ン ス 共 和国 憲 法」(1795) の な か に も, はっ き 5 ) り と 示 さ れ て い る1 。 わ が 明 治 憲 法 の 第 1 条, 第 3 条 に お け る, か つ て の 「普 遍 原 則」 に 対 応 す る も の と して,r 「ス. 1 809 ウェ ーデン王国憲法」( ) 第1条, 第3 条の国王 「永久」 世襲制があげられる。 これが施行後の ifaineant 国 王 は, も は や 1772~1809 年 の 独裁 者 で も な け れ ば, 1719~1772 年 の 無 能 な 王 ( ro )で. もありえなくなったことは事実である。 ともあれわが旧憲法が, 世界最古の成文憲法の一つである 6 ) ま た国 王 の 地位に関 こ の 憲 法 か ら, 間 接 に 影 響 を 受 け て い る こ と は 間 違 い な い と こ ろ で あ ろ う1 。 し, 特 異 な 規 定 を も っ て い る こ と で 有 名 な 「ベ ル ギ ー 王 国 憲 法」 も, そ の 第 60 条 に お い て, 女 子 お. 3条には, 国王不可侵ならびに無 よびその子孫は 「永久」 に王位継承の権利を有しないとし, 第 6 答責の原則をあげて, かれらの普遍的意志を表明している。 わが明治13 年の元老院憲法および明 治憲法も, この影響を受けていることは疑いない。 近代政治および行政科学の発達に大きく貢献し - 67 -.
(7) . 坂 直 之. 高. iPirenne たこの憲法の忠実な礼讃者である Henr. lence desl i ber は, こ れ を “lacharte par exCel t e. moderneず と し て, わ れ わ れ が期 待 しう る 現 代 民 主 主 義 憲 法 の な か で, も っ と も ティ ピカ ル な も 7 1 た だ し habeascorpus の流れをくむといわれるこの憲法も 個人の自由および権 の と 見 て い る1. , 利の保障についての法哲学的信 条の告白は見られない。 一方また1849 年の「ドイ ツ帝国憲法」いわゆるフランクフル ト憲法は, 国民主権主義的な立場 から, 詳細な 基本的人権を網羅した ドイ ツ最初の憲法として, プロイセン憲法をはじめ, 近代ドイ ツ 諸 憲 法 に か な り の影 響 を 与 え て い る が, とく に こ の 憲 法 の 完 成 か ら丁 度 70 年 後, ワイ マ ー ル 共. こことは有名である。 こうして今世 和国がこれを 最大限度に利用して, かれらの憲法の祖父と称えず 紀の初めに, その本質的価値がとくに明示されたことは, この憲法が短命な意味より以上のものを. 8 ) そ の 第 166 条 に は 地 主 と 雇 傭 者 と の 臣 従 関 係お よ び 隷 民 も っ て い た こ と を 示 す も の で あ ろ う1 , 。 i i d i i b d 「永 久」 に 消 滅 す る と して, そ の 普 遍 性 U h k H k ) a t 6 t t t は n r n d r e s u r e s v e a ng J g 関係( r ne ee を う ち 出 して い る。. 874 1 ) には. 恒久性を表現する具体的な文字を発見しえない。 し ところが 「スイス連邦憲法」(. lvin によ っ て 行 わ れ た こ と の あ る 新 教 国 と して, ア メ リ カ 合 か し, か つ て ジ ュ ネ ー ヴ の 政 治 が Ca. 衆国より, いっそう拳固な 自主独立の州をもっているかれらの基本法のうちに, 国民の統 一, 勢力 ならびに名誉を維 持増進するための民主的独立の保持と, 基本的人権確立のための変わることのな 9 ) ことにその第25 条の2ほど, 人権思想の根本理念である平和と博 愛の精神 い志向を 看取する1 。 0 ) を 如 実 に 表 わ して い る 規 定 を 知 ら な い2 。 さ て スイ ス 憲 法 と 関 連 を も つ 近 代 の 名 憲 法 と して 「ワ イ マ ー ル 憲 法」 を 忘 れ る わ け に は い か な. いであろう。 ことにその第20条に「子を教育して, 肉体的, 精神的および社会的に有能にすること」 9 は, 両親の最高の義務であるとともに,「自然の権利」であると規 定している。 不成功に終った184 年のフランクフル ト憲法の示唆を多分に 受けているこの憲法は, 内閣組織をイ ギリスから, 強力な. 大統領制をアメリ力から, 直接立法制度をスイスからそれぞれ借 用して最初の共和制に対する決意 2 1 ) それだけにまた 子女の教育の民 主的繁栄に及ぼす影響について, かれらが示し を示している。 , た絶対的確信もうなずかれるところである。 実際には14年間の命脈しか保ちえなかったけれ ども, とくにドイ ツ人民の 基本的権利義務に関する第2篇は, 現行諸憲法における 「普遍」 的人権規定の 典則たる地位を占めているといって も過言ではない。. 23の両条に規定する 1936 ) においても, その第122 「ソヴェ ト社会主義共和国同盟憲法」 ( ,1 全領域にわたっ 文化的および社会的 政治的生活の 『 「権利の平等」 については, 経済的, 国家的, , て 「不 変」 の 準 則 で あ る』 と して, そ の 普 遍 性 を う た っ て い る。 ま た 第 133 条 に よ れ ば, 祖 国 の 防. 衛をもって, すべてのソ同盟市民の 「神聖な」 責務であるとしている。 神聖なる字義は, 結局, 天 賦永久不可侵の意に通ずるものというべく, 国防の義務こそ, 永劫に続く国民の負担であるという 946 L ) ( 意味に解 して差しつかえあるまい。 その同 じ傾向はゞ「ユー ゴス ラヴィ ア連邦人民共和国憲法」 9 7 8条 1 5 2 8 2 ( 4 5 ) 第 1 9 「 ポ 民共和国憲法 」 条, ーランド人 第34 条, 「イタリア共和国 憲法」( ) 第 , 9 54 L ) 第103条など 1 952 ) 第92条および 「中華人民共和国憲法」 ( 「ルーマニァ 人民共和国 憲法」 ( 31条にも用い, 公共的, 社会主 にも見られる。 ソ同盟憲法には, このほか 「神聖」 なる字句を第 1 義的財産をもって, ソヴェ ト連邦の神聖かつ不可 侵な基礎としているが, この条項は, 中共 憲法第. 101 条 に お い て, そ の まま 受 け 継 が れ・ て い る。. このいわゆるスターリン憲法は, 制定されてより現在 まで, 加盟共和国, 行政区劃, 中央, 地. 方 制 度 お よ び そ の 権 限, 名 称 な ど に つ い て, しば し ば修 正 を 見 て き た。 し か し 1924 年 の 憲 法 と, 2 ) ・し 1936 年 の そ れ と の 違 い は, 12 年 間 の 著 しい 政 治 的 変 化 か ら 見 れ ば, そ れ ほ ど甚 だ しく は な い2 。 - 68 -.
(8) . 近代憲法における 「普遍法則」 の実証法的意義. かも一貫した基本原則は, 微動だもせずに持続されている。 「永劫」 をうたい 「普遍」 を記すこと , も, つまりは社会主義社会の建設がひとまず完成し, 今なお続けられている共産主義社会への漸進. 的 移 動 に 照 応 す る も の と して, あ る い は 自 然 の ほ と ば し り で あ る か も 知 れ な い さ らに 目 を 転 じて 。 ,. 第一次世界大戦の敗北とともに, サルタン政府が 急激に衰微するまで, 約10世紀にわたる帝政の 924年に発布きれた現行 「トルコ共 和国憲法」( 圧迫に対し, その反動として1 1 94 5 年改正) を眺め るならば, 自由主義的原理もさることながら, 著しく民主主義的原理が色濃く打ち出されているの. に気がつく。 その第68 条に, 個人の自由権を自然権とうたっているほかには, 「普遍」 を表わす文 字を見ないが, 総体的に共和政治を今後永久に失うまいとする織烈な 熱意を, おそらく誰でもその 3 ) なかに感得さえ る こ と で あ ろ う2 。. 同 様 の こ と は, 「ス ペ イ ン国 民 の 憲 章」( 1945 ) の 第 1 条, 第 3 条 に よ っ て 近 代 的 自 由 主 義, 平. 等主義を永久に失うまいとする決意にもうかがわれる。 これは19 31 年の第二次共和国が制定した 4 ) 18 12 年以来, 第6回目) が, 大いに影響していることはいうまでもない2 最初の民主主義憲法 ( 。 1946 ま た 「ブ ラ ジル 連 邦 憲 法」( ) に お い て は, 明 ら か に 信 教 の 自 由 を 表 示 して い る 第 141 条 第. 7 ,8項があるから, 直接, 宗教上の要請からとはいわれないが, おそらく基轡旧教の隠然たる勢力 か ら で も あ ろ う か, そ の 第 163 条 で は 「婚 姻 の解 消」 を は っ き り 否 認 して い る 。 こ れ は 1822 年 の. 独立当時ポルトガルの法律をそのまま踏襲していた時代から, 1824年の 「ブラジル帝国憲法」 野 , d i i i 党 か ら 「仮 装 的 ファ シ ズ ム」( sgu sedfasc sm)と 称 さ れ た 1934 年 の 新 憲 法, Vargas 大 統 領 に よ. i i i ine ll る汎アメリカ憲法圏(Pan‐Amer t tut cancons ) か ら 脱 した 1937 年 の 新 憲 法, お よ び 1946 ona 年の現行ブラジル連邦憲法に至る一貫 した線であって, おそらく永久不変を標梼したものであろう. ことは想像に難くない。 また第176条には, 「恒久」 的国家制度として, 大統領の最高権力の下に 整備された軍隊組織をあげている。 これもかつて一植民地と して受けたひどい圧制と, その後うち 続 い た ク ー デ タ ー, そ の 他 の 内 乱 に よ る 苦 しい 経 験 が 然 か ら しめ た も の で あ ろ う 。. この現行憲法と同年の制定にかかり, しかも従来の多くの憲法と異なり, 権利宣言の規定をも たない 「フラ ンス第 4 次共和国憲法」 は, 前文の初めに当って, 1789年の 「権利宣言」 が認めた基 本的原則を神聖な権利として, その 「普遍性」 を再確認しているし, それから2 年後に定立せられ た 「イタリア共和国憲法」 の第2条にも, 個人として, また人格発揚の場としての諸社会 的結合体 944年に行われた厳正な しフェ において, 人権の不可侵的 「不変性」 を認めているが, 敗戦直後 1. レンダムの結果, 大多数によって決定せられた共和制への熱意が, 行文のうちに感ぜられる。 また 1 948 人類憲法の前文といわれる 「世界人権宣言」( ) 第1条においても, 人間生来の自由と尊厳・権 利 に つ い て の 平 等 を う た い, 1776 年 の 宣言 を 再 確 認 して い る。 18 ヵ 月 の 超 ス ピ ー ドを も っ て 完 成. した本宣言は, 二つの世界の政治的対立を調和しなければならないものだけに, その第1条は, と くに意義深いものがある。 な お, も っ と も 新 しい 憲 法 の 一 つ で あ る 「ドイ ツ 連 邦 共 和 国 基 本 法」( 1949 ) , い わ ゆ る 「ボ ン. 憲法」 の第1条および第2条には, 人間の尊厳を強調し, それゆえに基本的人権をば, 世界におけ る あ らゆ る 共 同 社会, な ら び に 平 和 と 正 義 の 基 礎 と して, そ の 「普 遍 性」 を 認 め て い る ・と こ ろ が 。. 最近は, 徴兵制度を中心とする小範囲の改正が検討されていると聞く。 本法は最初から, 暫定 的基 本法として出発している のであるから, 国家内外の情勢による改正は当然であろう。 しかし 「普遍 性」 をうたう基本原則にまで, それが及ぼすとは考えられないことである 一方, 「ドイ ツ民主共. 9 194 和 国憲法」( 20 ) , いわゆる 「東ドイツ憲法」 では, その第31条において 「ワイマール憲法」 第1 条を そのまま再録し, 子供の教育をもって両親の 「自然権」 なることを強調している。 またこのほ か国民の基本権について, ワイマール憲法の規定をほとんど無修正のまま受け継いだのも少なくな - 69 -.
(9) . 高 坂 直 之 い が, 総 体 的 に は, も ち ろ ん ソ 連 型 と い う べく, し た が っ て ワイ マ ー ル 憲 法 の 性 格 と は, か な り の. 隔たりがあるわけで, 前記第31条においても, 西欧の自由民主主義諸国とは, 異なった適用を予 想しなければならぬ。. 以上は, ただ近世の主要な憲法について, その 「普遍法則」 と推測さえ る も の, あ る い は 「永 遠」 を意味する字句の挿入によって, 明らかにそれと断定しうるもの の, 単なる年代順の羅列的紹 介にすぎないが, かかる法則といわれるものは, それぞれの国民性により, また歴史的伝統や慣習 に よ り, あ る い は 当 時 の 政 治 的 事 情 に よ り, か な り の ヴァ ラ エ ティ が あ る こ と を, 認 め な い わけ に. はいかない。 しかし, これらを通観するならば, まず圧倒的に多い 「基本的人権」 ことに自由権に 関するもの, つし ・で 「国民主権主義」 その他, 伝統的政治機構に関する もの, および 「平和主義」 に 関 す る も の な ど の 三 項 目 に, 大 体, 修 約 で き る の で は な か ろ う か。 も し そ う で あ る な ら ば, わ が 国 の 現 行 憲 法 な ど は, 正 しく こ の標 準 を ゆ く も の と い う べ き で あ る。. -- 目玉. .. ′. 7 95 1 ) 河原唆一郎; 「言論及び出版の自由」1 , 有斐閣,1~2頁‐ ” thlntro . 2 ) A.V. Dicey: ”lntroduction to the StudyoftheLaw oftheConstitution ,9thed, 、 wi ,1952 l l by 団,C.S an .206~207 . VVade . , Macmi ,PP. 929 3 ) 竹内 雄: 「英国憲法史概論」1 , 文精社,124~126頁,. J Hawgood 教 授 は, ァ メ リ カ 憲 法 が, とく にイ ギリ ス 憲 法か らの 影 響 甚 大 で あ る こ と を 強 調 して い る。 [ . A. i 1 8 ] Hawgood: op . . .ct , , pp. 94 7 . 4 ) 美濃部達吉: 「米国憲法概論」1 , 有斐閣,80~81頁.. 5 ) 同上,3頁. 5頁. 大野盛直: 「アメリカ憲法原理の展開」1956 , 有斐間,34~3. i t 6 )J . .c . .14 . A, Hawgood: op ,pp “ itut i ican Const onaI Law” Bernard Schwartz: Amer , 1955 , , with a foreword by A. L. Goodh・rt 6 U i i P 3 h idge Cambr . . , pp ,att e n versty ress. i tり pp 13 7 )J ・ ,c , A, Hawgood: op ’ 5thed 1955 LongmansGreen & Co itut i l l ips: “Const i & G G d W r d C onaILaw’ 8 . )団 . , , . o frey Ph , , , ,S. a e. pp . ,22 ’ ’ 1930 Harvard Univers ‘The Rev i ty Pres ivalof NaturaILaw Concept s ines: . s les Grove Ha C h 9 ) ar , , , pp . ,54. 10 ) 大野盛直: 前出,46頁.. 藤 井 新 一 : 「米 国 憲 法 論」 1926 , ミ ス マ ル 社,144~231 頁. ’ ’ 1957 Ya .The Deve i iver I Gu・rant ty i ion・ lopmentof Const tut s eesof Liberty 11 ) Roscoe Pound: ‘ , , le Un 0~9 1 H 9 Press N v e n w a e p . . , p ,. R. パウンド(山口喬蔵訳): r英米法の精神」1925 , 巌松堂,127頁.. .166~167 頁. ) 松 田義 実: 「アメ リ カ 思 想 史」 1944 12 . 理 想 社,. 26頁. 20頁,1 13 ) R, パウンド(山口訳): 前出,1 it 14 )J .36 . .c . ,pp . A. Hawgood: op 8 わfd 3 6~3 15 )乞 p p . ・ , , ) 伝鱗α 16 ・98 . ・ ,pp. 17 ) 乞わTα,PP .140 .. 18 ) ザ鋭α ‘ . .211~212 ,PP. d, pp i 19 ) ぜb ・ .180 et seq. 20 ) 一方, かれらのもつ著しい現実性は, いたずらに高い理想を追うことのない実質的な規定となって憲法を特徴 づ け て い る。 た と え ば 清 凍 飲 料 の こ と で あ る と か, 山 林 に お け る 野獣 の 保 護 で あ る と か, こ の 憲 法ほ ど実 際 的. な規定に富むものを他に見ない。 しかしこれらは直ちに清列な原則規定によって結束されている。 つま りスイ. l l( ): s T. ShotWe ed ス の 自 然 が, スイ ス 連 邦 憲法 の な か に 美 事 に 結 晶 した も の と い え る で あろ う。 [Jame . ’ ’ rev ed 1952 Macmi ‘ ‘Governments of Cont l l 6 t ] inent1 団urope 3 3 s e n e a , PP q. , . . , , ,. - 70 -.
(10) . 近代憲法における 「普遍法則」 の実証法的意義 i 21 )J t . A, Hawgood: op .c .352 . . , pp 22 ) め餌, .400 . ,PP 23 ) め司り pp .348~349 . 24 ) 壱鱗 pp . .431. 以上のほか, 随時参照したものとして:- 大石義雄編: 「世界各国の憲法」1 95 2 , 三和書房. ′大石義雄編: 「世界各国の憲法典JI 9 6 5 , 有信堂. 人権思想研究会編: 「世界各国人権宣言の研究」 第1巻(英米の部)1 950 951 , 第2巻(フランス・スイスの部)1 , 厳松堂. 高木八尺, 末延三次, 宮沢俊義編: 「人権宣言集」1 95 7 , 岩波女庫. 衆議院法制局, 参議院法制局, 国立国会図書館調査立法考査局編: 「アメリカ州憲法集」 第1集~第4集.. 1 1 1 普遍性を誇る 「基本的人権」 の実証法的可能性 Dugui t は 法におけるイエラルシーの存在を肯定し ,. , その頂点に位する最高の法と して 「基本. ) (硬 性) を して, そ の 下 位 に あ ら し め て い る1 的 人 権」 を 位 置 づ け, 憲 法. 。. こ れ は い う ま で も な く,. あらゆる実定法に優先する人権を認め, とれを天賦のものと信 慰して, むしろ自然法に基づく絶 対 権 と す る 近 代 の 傾 向 を 示 す も の に ほ か な ら な い。 元 来, 天 賦 人 権 と い え ば, JrJ seau の影響 ,Rous. を 受 け た 1789 年 の 「フ ラ ンス 人 権宣 言」 を も っ て 創 始 と す る と い う 常 識 が, GeorgJe l l inek の名 著とうたわれた 「人と市民の権利の宣言」(Die Erklarung der Menschen und Burgerrechte, 1895,. 4 Au日. 1927一一 邦 訳) に よ っ て, そ の誤 り な る こ と が遺 憾 な く 指 摘 さ れ た こ と は 周 知 の と お り で , ,. ある。 「人権宣言」 も, 実はアメリカ諸州の権利章典に拠った痕跡が明瞭であって, Rous s eau の学 説のみが人権の法的形成における主たる根拠ではなく, 歴史的に見るならば, それはむしろスイス ・に ま で遡 る 必 要 が あ る こ と は も は や 明 ら か で あ る つ ま り 基 を 源 流 と す る カ ル ヴィ ニ ズ ム の 要 請 , 。. 本的人権の 「普遍性」 は, 実に]7世紀におけるプロテスタンティ ズムに基づく, 自然法理論によ ’ る 醸 成 で あ る と い う こ と に ほ か な ら な い。 当 時, い わ ゆ る 人 間 機 械 ( 1 homme machi ) 説をとな ne. え, 宗教を否定し, 伝統と理性との背反を強調 して, すべてを物質の運 動に帰せんとした百 科全書 l i tes ) が, い か に 革 命 前 の 思 想 を 支 配 して い た と し て も, 少 なく と も, そ の 合 理 主 派 (Encyc s opきd. l i 義が, 普遍的人権の源泉でなかったことだけは, 確かであるといえよう。 しかし Jel nek の よ う に, Rousseau の 「一般意志」( e e e l l t R を 直接 に 意 ) 人 民 志 の意 に 解 して, ousseau は基本的 voon g n rae 人 権 よ り も, 一 般 意 志 の 最高 な るこ と を 信 じて い た と す る こ と は, い さ さ か 酷 に す ぎる よ う で あ る 。 ”Li i l 1 a in (主 vre工 それは, いわば ”Du ContratSoc .工V- -Desbornesdu pouvoirsouvera ,Chap. 権の制限) を曲解した結果と しか受け取れない。 「フランス人権宣言」 のなかにうたわれている基 本的人権は, アメリカ権利章典の字句を参照したものにせよ, その精神的な示唆を ”Du Contrat. i Soc ar に求 め た, 天 才 的 な フラ ンス 人 独 自 の 個 性 味 豊 か な 作 出 で あ る と 見 たし ・ 。 もっ と も, そ の. l i 第 4条に規定する 「自由」 の定義について Jel nek は, 前 記著 書 (必須りS ) の な か で, 「む だ な, .29. 意味のはつ、 きりしない定義」 だと誹諾している。 その定義が, 科学的正鵠を得たものでないという l l inek を ま つ ま で も な く, 現 今 の 学 者 の ひ と しく 認 め ると こ ろ で あ る が こ と は, je , されば と い っ. て, そ れ が 「む だ」 で あ ると い い す て る こ と も 当 ら な い と 思 う。 透 徹 した 理 論 的 完 壁 さ に お い て 欠 ‘Du ContratSo i け た と こ ろ が あ っ た‘ c ar も, その行文にあふれる情熱が, 国民を完全にゆり動か. し た こ と よ り して, 革 命 直後 の 人 心 収涜 期 に お い て は, Rousseau のパシヨネな理論を採り入れる ) こ と に 「人 権 宣 言」 第 6 条 の 冒 頭 の が, む し ろ 自 然 で あ っ た こ と は 想 像 に 難 く な い か ら で あ る2 。 l e generale の表 現 で あ る」 と あ る の は 明 らか に ”Du ContratSoc に 「法 律 は, vo i ont ar に出た ,. ものであり, また続いて, 直接民主制の原則を も併せて採り入れているのを見ても, その熱心な堤 - 71 -.
(11) . 高. 坂 直. 之. 唱 者 で あ っ た Rousseau の影響が濃厚 であることを認めねばならぬ。 もちろん, その法的技術の面 l lofRi )を 十 分 に 参 酌 し た で あ ろ う こ s rgini に お い て は, 「ヴァ ー ジ ニ ァ 権 利 宣 言」(Vi a Bi ght ,1776. と を 認 め る の に 各 な る も の で は な い。. およそ基本的人権の根幹をなすものは, 自由権でなければならぬ。 少なくとも近代憲法 組織は, 自由を強く信奉する人 々によって設立せられたことは事実である。 もちろん, 平等権, 生存権, 社 会 権 な ど を, な い が し ろ に す る わ け で は な い。 自 由 権 も, そ れ ら と 微 妙 に 結 合 す る こ と に よ っ て, 本 来 の 光 巴 を 放 つ よ う に な る の は い う ま で も な い が, そ れ ら は, 自 由 権 の 存 在 を 条 件 と して の み,. たがいに関連 づけられ, その重要性もいっそ う増すといわざるをえない。 全体主義, 専制君主主義 の下においても, 自由のない, 強制された平等, 生存がありうることを銘記すべきであろう。 自由権. 9 世紀の形而上学的法学のとる抽象的な個人主義に基づくものでもなけれ ば, なる概念は, 決して 1 唯物論者のいう, 近世における二つのブルジオ ア革命のもたらした, 不完全な民主国家によって制 in の い わ ゆ る 「全 一 的 ヒ ュ ー マ ニ ズ ム」(huma i ‐ ta 度 化 さ れ た も の で も な く, 階 級 を 超 越 し た, Mar. の当然の帰結である。 すなわち, 各人格の上に還流する共通善, 自由人をこの共 通善へと導く政治的権威, 共通善と政治的生活の内在的道義性, レクリカル的強制を伴なわない宗. n l smeintegra1. 教と市民社会との有機的結合, これらのうちに, 真の自由が見出され, それがまた, 友愛国家の建 ’ 設 を 志 向 す る こ と に な る わ け で あ る3 。. 今日われわれは, 自由なる概念を 「政治の道義的約束」 として受容することが できる。 政治に. i l es に よ っ て 力 説 き れ た も の で あ る が, こ の 碩 学 に し て も, 真 実 の t お け る 倫 理 的制 約 は, Ar ot e s. 政治形態が志向するという 「一般共通の利益」 を解明することは, 容易なことではなかった。 ロー マ 人 は, そ の 答 え を 自 然 の 法 則 の う ち に 求 め, 功 利 主 義 者 も, Rousseau も ま た, そ れ ぞ れ 一 つ の. 答えを用意し, 理性の時代にも, さらに一つの答えをもっていた。 だが, そのいずれも現代に十分 妥当するものとは, 遺憾ながらいいえないようである 「自由」 の中核ともいうべき 「共 通善」 の 「自由」 の意義は, 「個人がある程度 究明については, これを他に譲り, 少なくとも現今における・ の個人的選択を行い, 社会における安定した,,または改善された分け前を, ある程度の確実性をも 4 ) と い う ふ う に 解 して さ しつ か えな い の で は な っ て 期 待 す る 機 会 を も ち う る と こ ろ の 環 境 の 促 進」. ・うまでもない。 しかし物質的改善が伴 かろうか。 自由は物質的福祉が傾くときに 失われることはし なう伴なわないにせよ, 権力が抜層しているときは, 自由の本来の姿が消えてしまうことも, 西方 社会の史的教訓として明らかである。. こ の よ う に, 時 代 の 消 長 に よ っ て 自 由 な る 観 念 が 変 異 し, ま た こ れ に 制 限 を 加 え る こ と は 可 能. であっても, そもそも自由権の制限とい うこと, それ自体 が矛盾であるといわざるをえない。 ある 種の状態において 自由を制限することは, 全般的な結果として, できるだけ多くの自由をもたらす ) すなわち正しき自由権確立のためということにあるであろう。 「共通善」ない し「社会正義」 ため5 ,. に立脚すべき自由権を制限することは, それゆえ, ことさらに悪法を 招来せしめる矛盾を是認する. こ と に な る の で あ る。 わ が 憲 法 に お い て も, 近 代 憲 法 の 趨 勢 に そ う て, そ の 第 12 条, 第 13 条 と い う自由権制限に関する規定をもっている が 本来 自由権は最高裁判 所の判例 (昭和24 年5 月 18. , , 日大法廷判決刑事判例集, 3 巻,839頁) にあるごとく 「立法によっても妄りに制限きれない」 とい うよりは, むしろ 「法律によるも絶対制限することは許 されない。 制限しうるのは行為のみ」 とす る, わが国公法学者の多数説が正しい ど信ずる。 したがって, 自由権の範囲を逸脱する行為 はあっ て も, 自 由 権 の 濫 用 と い う こ と は あ り えな い こ と で あ る。. ともあれ, われわれが自由を求める心情は, 太古より一貫した普遍的感覚であろうけれ ども,. 自 由 権 と して 憲 法 の 上 に そ の 保 障 を 要請 す る 際 に は, Laski を ま つ ま で も な く, 実 証 に 基 づ く そ の - 72 -.
(12) . 近代憲法における 「普遍法則」 の実証法的意義. 「自由」の解釈が, 国民を異にし, あるいは同じ国民でも時期を異にするにしたがって, 甚だしく違 ) っ て く るこ と に 気 が つ く6 。. た と え ば, ペ ン シ ル ヴェ ニ ァ 州 立 学 校 の 通 学 生 は, す べ て ア メ リ カ 国. 旗掲揚式に参列を強制さ●れるという州教育委員会規則の違憲の疑いについて, 合衆国最高裁判所は,. 7 1940 年 に そ の裁 決 を 要 請 さ れ た こ と が あ る (Miner ) i l l I Districtv i i S t sv eSchoo s310 U. ) .Gob .586 。 宗教上の信念に反するという理由で, 国旗に対する敬礼を拒否した lehova甘s Wi tness に所属する. 数名の訴求に対して, 最高裁判所は, 唯一人の反対意見があったのみで, 当該規則の有効性を決定 的 の,も の と して い る。. 規 則 の 内 容 は,. アメ リ カ 社会 の 基礎 を 強 化せ んとす る ( t t os rengthenthe. foundat ionso fAmer i i cansoc ety ) に あ り,. い わ ば自 由 の 存 す る 基 礎 を 支 え る た め で, 自 由 の 侵 害 と は お よ そ 縁 遠 い も の で あ る と い う の が, そ の 理 由 と な っ て い る。 こ れ に 対 し て 唯 一 人 の 少 数 意 見. 者であった Stone 判事は, もちろん言論, 信教の自由を侵犯したものとして合衆国憲法修正第 1条 違反を主張し, これを附記しているが, 2 年後に起った類似の事件に 対して前回の多数意見者であ. った ac , oug as, Murphy の 三 判 事 が, 当 時 に お け る 自 分 達 は, 訳 ま っ て い た と 述 べ て い る。 l ika316 U.S Jonesv.ope ( ) しか も, そ れ か ら わ ず か 一 年 後 に は, 1940 年 に お け ,584atpp .623~4 . B1 k D. l. inia Board of Education v. Barnette 319 る 判決 が 多 数 意 見 に よ っ て 覆 えさ れ て い る。 (Wes t Vi rg. 8 )またアメリ カ合衆国国民の投票権は 人種 体色などによって制限を受けないと いう修 U.S ) .624 , , ftheland) と 呼 ば れ て い 正第15 条 は, お そ らく 1870 年 の 改 正 当 時, しば しば 「国 法」 ( thelaw o. る 「自由」 と 「正義」 という基本的な原理に一致するも のとして, その普遍性を信じ, あるいは少 なくともこれを織烈に念願 した結果の国会通過ではなかつたろうか。 しかし実際には, この権利が 効果的に行使されるよう確保することが, いかにむずかしいかということを, 過去九十年にわたる. 事蹟がはっきり答えてく れる。 アメリカのように, 憲法に対する尊敬の念が強く, 世論が明確で組 織化されている国でさえそうである。 ましてや行政府をことさらに尊敬畏附するのあまり, これが. 違憲問題の惹起に対しても, 世論を形成するだけの能力に欠けるところがあるような社会にあって は, いかに基本的人権の普遍性を憲法上うたっても, しょせん, それは言葉の「あや」に終る可能性 が強いといわねばならぬ。 か か る 意 味 か ら い っ て, 憲 法 そ の も の を オ ー ソ ライ ズ し, ま た そ の 恒 久 性 を 希 う た め に, 全 智. 全能を称える句をとくに挿入することは避くべきであろう。 たしかに K,C.Wheare の い う と お り, 実証的には不変でありえないものに対して, 不動の権威という格印を, ただ感情的に押捺しようと ) す る 意 向 が う か が わ れ る 限 り に お い て, こ れ を 否定 す る に 客 で は な い9 。. しか しな が ら, ア イ ル ラ. ンド憲法の前文にある 「すべての権能の源をなし, われわれの窮極の目的として, 人および国家の. ini ly Tr l l the Mos t Ho tyfrom Whomi あ らゆ る 行 為 が, 共 に 則 る べ き 最 も 神 聖 な る 三位 一 体」( sa. i ty andto Whom asour五na lend l lactions both men and States mustbereferred) や, author , ,a. i ス イ ス 連 邦 憲 法 の 冒 頭 に あ る 「全 能 な る 神 の御 名 に お い て」 (Au Nom de Di eu Tout ‐Pu s ) sant , ま. lm たボン憲法の前文を飾っている 「神と人類との前にその責任を意識して」 (. Bewusstsein seiner. VerantwortungvorGot tundden Menschen )な どと い う 句 は, は た して Wheare の よ う に, 感 情 , 的 と の み い い き る こ と が で き る か どう か 疑 い な き を え な い。 わ れ わ れ は, む しろ ア メ リ カ の 独 立 宣. i l 言に見られる 「自然の神の法」( endowedbythe r awsofnatures God) ,「創 造 主 か ら 賦 与 さ れ た」(. Crea i l ianceonthepro ivine tor ) と か, 「神 の 摂 理 の 保 護 に 強 く 信 頼 し」 (wi tha6rm re t t ec onofd dence Provi ) な どと い う 字 句 が, い さ さ か も 激 情 的 な も の でな く, か え っ て, 将 来 の 国 家 発 展 に 対. する冷厳な決意, ないしは誓を表明したものであるのと同じように解 したい。 ことにアメリカ諸州 の憲法は, ほとんどその前文において, 自由の賜与に対する全能者への感謝を表明するか, または. 宇宙の至高の支配者に対する深 い尊敬の言葉を挿入していることに, 想いを致すべきである。 たと - 73 -.
(13) . 高 坂 直. 之. f l o A1mighty Godforourf h s reedom, で始 fN Y k え ば, We ,the Peopleoft e tate o ew or ,grate u t fthe ま る 「ニ ュ ー ヨ ー ク 州 憲 法」 そ の 他, ま た with profound reverenceforthe Supreme Rulero. た も の が 各州 憲 法 Uni verse , を 前文 に も つ 「ミ ズ ー リ 州 憲 法」 な ど と, お お む ね 同 文 に 近 い 句 を 掲 げ. の大部分を占めている。 これらは, いずれも初期の政治改革に示したカルヴィ ニストの羅固な決 意 を表明したもので 各 条 項 と 混 然 一 致 して 余 す と こ ろ が な い。 ま して 前 記 ア イ ル ラ ン ド憲 法 の 規 定. i lencycl rerum novarum, ) cals の な か に は, 若干の教皇回勅(papa , こ と に レ ー ル ム・ノ ヴ ァ ← ル ム(. imoanno )の も つ 経 済 的, あ る い は 社 会 1891 )や ク ァ ー ドラ ジェ シ ー モ・ア ン ノ ー( quadrages ,1931. 的教義の大部分が織りこまれているが, その内容の荘 重さのなかに, みじんも感情的な分子を発見 し え な い こ と を 知 る と き, い っ そ う そ の 感 を 深 く す る の で あ る。. . . ’ ’t1 ‘Trai ‘ . e i ion ionne l i i t tut i t const s t: ‘ t邑 de dro I Dugu 1 . ) Leo1 .641 ,Par ,1927 , pp , . ,3 edi i l lesens Ph 断 っ て い る と oso- R 2 J 本書の目的ではない ‐ 「 )J は 自由 なる語の哲学上の意味は u s s e a u 」 。[ .. o , , ’ ’ Livre l ChaP VI ‘Du Contrat Soc ‘ ’ I I i l ] i id i d t -- h t ぬ t n j a Z mo s 発 n e s s e u e . m o a c . u e u 勃 P , P q , . 3 ) ジャッ ク・マリタン(大塚市肋訳): 「人権と自然法」1948 , エンデル レ書店,50頁. ’ ‘Tes i i l i ica I Sc ts ion to Po l i ics” t s O崩せ c錫 l lett t ent tament of Po 4 s‘ ) qf ,in P , An Exhortat .John D. Mi Sc鷲児ce Q錫α死eγ Z影 Dec .1956 .. 7頁. 954 5 )R .パウンド(末延三次訳): 「法の任務」1 , 岩波書店.5 , ’ 1948 George AI ”Grammar of Po 1 td l i i i t .d J k L s en & Unwin 1 c 6 . ) Haro s 乳 : . .102 , pp , , . i tり pp 7 ) K・ C, W′heare: op ,c ,64~65 ・ , 8 ) 効詞り pp 6 6 , , 9 ) 1鱗α, pp.73 .. IV 「国民主権主義」 の普遍性に関する実証法的意義. 民主主義が, それ自体の本質において 「人類普遍の原 理」 であることは, 現行憲法の常識とし て疑うものはないが, これが実現さえ る具体的形式は, 時代の変遷, 民族の特殊性や消長にしたが って種々変貌したものとなって現われる。 すなわち民主主義をひとつの概念として帰納したり, 典 型的な民主国を画一的に挙 げることは容易であっても, これを実証的に眺めたばあい, 各国間に牢 固 と して 抜 く こ と の で き な い 径 庭 が 存 す る の を, 誰 も 否 定 す る も の は あ る ま い。 そ れ は い うま で も. なく, 人間の現実の 社会生活において, 民族の歴史的伝統なるものが, いかに強烈に作用している かを明瞭に物語るものである。 革新が単に合理的な動向を示しているだけ で, その歴史的な伝統に 対する 考慮がなんら払われていないばか りか, これを無惨 にも破壊してかえりみないようなことが も し あ る と す る な ら ば, か え っ て 反 撒 的 な 力 の誘 発 に よ っ て, 革 新そ の も の の 成 就 を 妨 げ る こ と は ) 必 至 で あ る1 。. 周知のごとく, 近世において民主主義的革 新の必然性をうたわれたフランス革命にあってすら, l eon 三世の凋 その後, 数度にわたる王政回復によって成果の順調な発展が阻害さ れている。 Napo 成立した国民議会では 普通選挙によって 落によって最後の君 主制が崩壊したときにも, , 民主的勢 . 力が意外に延びなかったとい う事実がある。 しかるにその後, 共和国としてフラ ンスが存立しえた のは, 王党のなかで, ブルボン王朝, ボナパルト家, オル レアン王家の, それぞれ復群擁立を画策 2 近代的民主主義 する三派が, たがいに牽制して譲歩しなかったことによるとさえいわれている) 。 自然法思想の母国であるフラ ンスにおいてす でにしかり。 ま してや天皇統治 二千年という永い伝統 の 下 に 育 ま れ て き た 日 本 に お い て は, 思い 半 ば に す ぎ る も の が あ る で あ ろ う。. およそ国民主権主義は, 人類の永い体験によって発展してきた合理的な, しかもきわめて弾力 性に富ん だ政治原理であることはいうまでもないが, これが経験の乏しい日本におい て繁栄するた - 74 -.
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