中村治兵衛著『中国漁業史の研究』
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(2) その考察事項は、①捕魚を生業とする漁民の存在、②漁場の分布と立地条件ならびに漁村 の成立、③養魚仕事、④画布・魚卵の成立と漁商の存在、⑤魚類の流通範囲、⑥副食物と しての魚類および魚価、等々の多岐にわたっている。. 以上のような唐朝の漁業政策が実施された背景には、当時、民間における漁業の社会的 分業化、すなわち農漁の分離の傾向がうかがわれる。さらにこれは漁場となる水域の所有 ・占有、すなわち漁業権の問題が予想される。この点については、次の宋代漁業の章で検 討されている。. 第二章は、漁法と漁具の面から唐代の漁業を考察している。そして先に漁獲の方法(漁 法〉、次に使用する道具(漁具)の順に述べている。その内容は、まず①掻掘り、②突漁、 ③鋲漁、④毒流し、⑤獺による心血、⑥釣漁、⑦網漁、等である。とくに垂心については、. 釣竿・釣糸・釣針等をはじめとする関係用具一式、網漁については、投網・小網・大網・ 謡曲・四手網等の各種の魚網類、等々に関する記事が列挙されている。次に、特種な漁獲 施設として、梁(やな)・茎(うけ)・箪(ふせこ)・灘(えり)・櫻(ふしづけ)・根 (ふないた)等を挙げている。その外、良心・第管・種魚・夜間漁業・共同漁携、等につ いても言及されている。そして、漁法については『太平広記』、漁具については陸続蒙・. 皮日休r漁具詩序』を夫々基礎史料として考証している。ともあれ本章は、第一章とあわ せて唐代漁業史ひいては中国漁業史研究の序説である。つまり直心の漁業史の研究に当っ て、見落としてはならない検討事項を網羅している。 第三・四章は、宋代の漁業に関するもので、考察事項は、前章の回歴の場合と同様に、. 漁業に関する一般的規定と禁令、漁法と漁具、等である。しかし唐代には見られなかった 宋代独自の漁業に対する王朝の政策として、まず面面に五代の時の魚税、その他の雑税を すべて廃止した。つまり唐代の「山川藪沢の利は公私これを共にする」の原則を復活した。 しかし北脳弓・南西期には各地の破湖に魚利銭といった漁業税が徴収されるようになった。 しかし一口に魚利銭といっても、その内容と名称は地:域ごとに異なり、各地域における漁. 業の発達状況に郎出して立案、措置されたと考えられる。こうした二代の魚利銭は、元代 の魚田・河泊課といった税目となり、さらに明代へと継承されていった。以上のような宋 朝の漁業に対する課税政策から見ても、山嶺は唐代に較べて漁業が発達し、またそこには 夫々の地域の特殊性が反映しているといえよう。こうした宋代における漁業の発達状況に ついては、かって拙著において論及した(・)。要約しておくと、(1)後世の主要な漁法と漁. 具はほぼ宋代に出そろい、(2)専業漁民の聚幽する漁村が江南の沿湖・面面・沿海の諸地域. に広範に形成された。また江南の諸地域では漁業生産の集中・分業化が促進された。その 結果、(3)内陸部での淡水養魚業、(4)沿海地域での沿岸漁業、等の地域ごとの各種漁業の 発達、ひいては(5)漁獲物の商品流通の拡大、等について考察した。以上の拙著の考察は、 中村氏の研究から学び、それをいくらかでも補訂拡充し得たら幸=甚である。. 一方、中村氏が第三章で指摘、論述された重要事項は、破湖の封占と湖主の発生つまり 漁場権の成立である。これは三代における漁業をめぐる社会関係の変革を物語っている。 すなわち黄幹の文集一『勉斎先生黄文粛公文集』巻29、「与語調論放魚虚誕」によれば、. 一76一.
(3) 湖北蒔直の湖池では、民有・官有の別があり、さらに官有の湖池では、①民戸が長年請卜 するもの、②富民が領主となって占有するもの、③一定の年限の問、湖面を賃借りして、. 湖主となるもの、等の別が見られた。そして毎年、冬の採魚期になると、他郷の漁民が湖 主と漁獲物を折半する契約で漁些した。こうした山塞の民有、官有池の島島・占有・賃借 り等といった慣行は、湖北における漁場権の成立を物語っている。こうした湖面の所有・. 占有・賃借り、換言すれば、そこでの漁業権の所有者は誰であるのか、また個人持か、共 同持かといった問題が提起されてくる。この問題に関連する記事として、『夷練縞癸渥巻 8、麗池魚箔に記す如く、江東:の饒露語陽県下の麗池村は翻心一族が無慮する漁村である. が、秋冬の梁漁を行うに当って、同族内の代表者が集団漁携を指揮している。これは良法 が同族の共同持であったことを物語っている。この点を追記、確認しておく。. 第五章は、明初における魚課=漁業税およびその徴収機関である河泊所の官制について 考察している。まずはじめに、明初の魚課の由来を明らかにするために、元代の河泊所の 存在および謙虚所が魚課あるいは輪止課といった漁業税を漁民から徴収していたこと等を 挙げている。次いで洪武15年の河曲所官制の公布以前の明初の魚課の徴収状況を、洪武5 ・9・10年の当該史料から、その徴収地域と内訳(米・銭・水産物・紗)を挙げている。 一方、官制公布の南武15年以後においては、魚課はおおむね銭紗で徴収された。一部例外 的に水産加工物の魚油・魚膠が徴牧される地域もあった。こうした魚課の内訳については、. 洪武24年の諸地方(8府2州)の事例を挙げて詳述し、さらに折納(他物に振替え)、帯 弁(追加徴収)等のあったことを指摘している。おわりに官制上、従九品に入らない立入 流の河止所官にも、官制公布後は廻畑鼠が実施されたことが論証されている。ともあれ本 章は、北京遷都後の永楽年間以前を対象とし、主として魚課を問題にした研究である。し かし本章では魚鳥の問題をいわば全国的・包括的に取扱ったが故に、夫々の地域の特殊性 との関連が明らかでない。こうした反省に立って、福建地方を特定して、魚課徴収の問題 ひいては明朝の漁民・漁業支配の問題が最近検討されている鋤。その結果、福建の魚紋は 明代中期(弘治7年〉に完全に銀納化されたこと、また漁課研の編集と沿海地帯における 襖甲制の実施が指摘されている。さらには内陸地域における里甲制による魚課の徴収にも 言及されている。. 最後の第六章は、まず明代における河西所設置の経過、その分布と推移を明代地方志を 主要資料として論述している。しかし本章の特記事項として、血塗所の漁民に対する管理 の仕方が注目される。それは漁民管理の組織と方法の両面から、彼ら漁民の存在形態ひい ては漁場制度についての解明の手がかりが得られるからである。よって次に、河泊所によ る漁民管理について、本章の記述を要約しておこう。. まず河心所は、漁業者の漁戸を個別調査し、漁業税の額を定め、漁戸朋籍に登録記載し た。そして漁業者の多い場合は、総立・網甲・魚甲等に編成し、そのなかから催首・網首 ・津々等といった代表を選んで、甲内の漁戸の管理と漁業税の完納を計った。また福建の 沿海地では、前述のように襖甲制による組織がみられた。なお単に漁戸の管理といっても、. 漁戸の登録に当って、使用する漁具や用いる漁船といった漁携手段によって漁戸を区別し. 一77一.
(4) た地域もあった。さらに重要なことは、個々の漁戸の戸数によるのではなく、漁場をふく む水域別に区画して管理した地域があった。またその水域を湖・蕩・港別に挙げ、そこの 業主(所有者)が確認されている。この明代の業主は、宋代の湖主につながる。そして明 代の万暦年間には、これら竜池を所有ないし占有(使用収益)する業主は、魚課の納付と 引替えに、そこにおける漁業権が官道によって保証された。その結果、民間の業主が所有 ないし占有するものを民謡・民港といって、官有の官湖・官港と対比された。また両者に 対する漁業税もその名称(浅水課と官話課〉と内容は異なり、、複雑になった。さらにこ れら漁業税の徴収状況から見て、漁場がひどく細分化されている。そして細分化された漁 場のうち有利なものは、富豪の業主によって独占された。従って一般漁民は、本来の漁税 を河泊所に納めるほか、名門上その漁場の所有主になっている業主(一名、課戸)に埠銀 (船着場銭)を仲間と一緒に納付させられた。要するに、明代の漁民は、河泊所という特. 別の官庁によって、漁場とともに管理され、漁業税が徴収された。また漁業税の徴収過程 を通して、漁場の細分化、漁場のある論敵の所有・占有つまり漁場権の確立、湖池の所有 ・占有者と一般漁民との収奪関係の成立、等の事実を明らかにされた。結局のところ、唐 代から北歴代に見られた「山川藪沢の利は公私これを共にする」原則は、明代には名実と もに崩れ去ったというわけである。. 以上が本書の勲章別の概要である。一方、中国漁業史関係の研究論文は、本書で引用、 参照されたものを含めて、最近までに10余り発表されている。. さて、素材氏の研究内容は、ほとんど内水薗漁業に関するもので、海面漁業についての 専論は皆無である。一方、中国においては海面漁業に関する概説書は出されているが、概 して清代以前の叙述は簡略な説明に終っている(3}。こうした海面漁業についての研究を補 うものとして、宋元代と心魂における漸江の沿岸漁業ないし沖合漁業に関する研究がある。 まず宋元代については、拙論簡において、次の四点を検証した。すなわち、(1>砂州昌国 県の浅海水域では、冬季に定置網漁業が行われ、定置網の敷設者間に沿岸水域の区画分割、 占有の慣行が見られた。次いで、〈2)漁場占有者(砂主)は、霜露銭なる漁業税を志州の州 庁に支払うことによって、その占有権が公認された。(3)いわゆる砂主の実体は、その土地. の豪強の家であり、ともすれば漁民(心密〉に対する収奪を強行した。その奴奪の方法の 一つに、漁船銭・採貝銭ないし現物などの徴収があった。また砂土は漁民から漁獲物を独 占的に買上げ、一手に販売した。つまり砂主は海産物商としての役割を担っていた。さら に重要なことは、(4)漁場占有権は、一種の物権として、名義の変更、つまり売買・質入れ. の対象物権にもなったことである。その結果、漁場の占有者は、名義上の者と、その配下 にあって漁場で実際の管理・運営にあたる老とに分化していた。さらに、以上のような宋 元代の漸東海域の沿海漁業の生産構造すなわち生産と流通の関係をより詳細に検証したも のに、臨急の寧波府郵県における漁民闘争の研究がある㈲。それによれば、盆点における 漁業の生産構造は、次のような重層的な機構の下に組立てられている。. 漁彩(一般漁民)一漁東(漁船責任者)一鮮客(仲買人)一画行(魚問屋)一銭荘 (両替商). 一78一.
(5) 次に、上記の四者闘に見られた経済的ならびに相互閥の関係を見ておこう。まず漁船の 乗組員内部に、漁彩と漁東の階層分化が見られたが、漁東は別名「長元」「樺船」といわ れているように、個々の漁船の操業責任者であった。従って建白は、一隻の漁船に必要な 一般漁民である漁彩を召集し、また彼らに賃金を支払っていた点からして、漁場の現場で 漁携生産を行う漁船の経営者であった。しかし漁東の多くは、溺に船・網などの生産用具 と漁;移の賃金の提供者(船主)が存在し、彼らと漁獲高を一定の比率(船主85%、漁東15. %)で分配する契約で出漁し操業した。従って漁東は船主に契約料(船租〉を支払う漁船 の請負い業者であった。一方、漁携用具・賃金を漁東に提供する船主、つまり漁携生産に おける出資者の実体は、心行・魚桟といわれた魚問屋である。この魚問屋は上記の鉛租を 漁東から得た外、鮮客と呼称された魚行の代理人ないし仲買人を通して、操業中の漁船か ら現場で漁獲物を買い取った。その際、鮮客は漁東に買い付けた漁獲物の数量・価格を書 き記るした証明書(売鮮摺)を交付した。次いで漁東は、帰港後、船主兼魚問屋の淫行か ら上記の証明書によって代金を受取るわけである。ところが留女は、血行から手数料をさ っ引かれるばかりか、現金支払いではなく、魚行の信用手形である行票で振り出された。. 一方、問屋筋の血行が振り出した信用手形の行票は、銭荘なる両替商の所に持参して、現 金に免換される経済的な仕組みになっていた。しかし、藩主率(銭貼)は、銭荘の一方的 な決定によるものとして、漁民側喜ま常に不利な立場にあった。現に漁民闘争が勃発した威. 豊8年当時、行票の現金喪心率は額面の約50%減であった。ここに、漁民闘争が魚問屋の 魚行に直接敵対せずに、両替商の銭荘を当面の主要な敵とした理由がある。要するに、清 末の威豊年問の寧波府における沖合漁業の経営には、魚問屋による高利前貸し欄、問屋を 通して金融支配を行う両替商の漁民搾取、等の傾向が顕在化した。換言すれば、清末の漸 江の沖合漁業は、商品生産の性格を強め、その結果、漁携生産に直接係わる漁民は問屋・ 金融資本の両方から収奪された。. ともあれ、中村氏の『申国漁業史の研究』は、唐遷代の漁法・漁具、宋・明朝の魚利銭 ・魚課の徴収、等を主軸にして、虚血における漁業の発達状況を明らかにされた。またそ の発達の過程を物語る事象として、破湖を莇有・占有する出代の湖主、明代の業主などの 出現を指摘された。こうした中村氏の中国漁業史の研究内容を補足する意味合から、宋代 の漸東沿岸漁業と清末の浪江沸合漁業の実態を概観した。そして漁業における生産と流通 の分離、とくに清末における問屋・金融資本による漁業支配、等の事象によって、申国漁 業の発達の実相を読み取ろうとしたわけである。今後、申村氏の漁業史研究に触発され、 抽斗以前の漁業経済構造の解明がより一層進展することを期待したい。 註 (1) ガ塗師産業経済史研究』(国書刊行会、1987年)第三編 宋朝の漁業。. 〈2)三木聰ギ明代の福建における魚課について」(江山根幸夫教授退官記念明代史論叢』 (上)、汲古書院、1990年)。 (3>張直島:・揚金森『中国海洋漁業幽玄画(北京・海洋出版社、1983年〉。. 一79一.
(6) (4> 「宋元代漸東の沿岸漁業」(ぎ史学研究ヨ172号、1986年、前掲r宋代産業経済史 研究3所収)。. (5)姫田光義「中国近代漁業史の一駒一威豊八年三県の漁民闘争をめぐって一」(r近 代中国農村社会史研究遍汲古書院、1967年)。. 〔刀水書房・1995年4月刊・A5判・183頁〕. 一80一.
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