• 検索結果がありません。

第二次世界大戦後における日本学生陸上競技人口の推移について

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "第二次世界大戦後における日本学生陸上競技人口の推移について"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 第二次世界大戦後における日本学生陸上競技人口の推移について. Author(s). 押切, 由夫. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 9(1): 281-286. Issue Date. 1958-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3655. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第9巻. 節1号. 北海道学芸大学紀要(第一部). 昭和33年9月. 第二 次世界大戦後 にお ける 日 本 学生 陸上 競 技人口 の推移 につ いて 押. 切. 由. 夫. 北海道学芸大学旭川分校体育研究室. Yoshi o osHIGIRI: on the transition of populat ion o legiate fintercol tracl l く and 行e din JaPan, after Wor ld War 1 1 ,. 序 第二次世界大戦後に日本の学生陸上競技は, めざましい進 歩をしてきた 本論文は 戦後の日 。 , 本の大学における男 子の陸上競 技人口が, どのような曲折を経て きたかを調査したものである 即 。 ちこの競技人口の曲折には, 相応の理由があること 及び附随的には 競技人口に地域差があるこ , , とに着眼し, その状態や原因について考察したものである 。 稿を進めるにあ たり, 研究に示唆を与えられ, 且つ 終始御懇篤な指導を頂いた須見芳紀教授 , , 並びに校閲の労を取られた正井 滝士教授に対して衷心か ら謝意を表する 。 又, 本研究の資料収集にあたり, 便宜を与えて頂いた日本陸上競 技連盟の深川長郎 東京教育 , 大学体育学部学生の関岡康雄, 藤井英嘉 の三氏 並びに日本学生陸上競技連合役員各位に深く謝意 , を 表する。 1 . 全競技人口の推移 )(以後は単に前者を日 本学 現在, 大学生が日 本学生陸上競技連 合や各地区の学 生陸上競技連盟1 連, 後者を学連とする) が主催する 陸上競 技会に出場しようと する場合は 競 技者の大学の陸上競 , 技ク ラ ブ 毎 にま と め て 日 本 学 連 に 登 録 し て い る 。. こふで取上げる学生陸上競技人口とは, この登録 簿によって集計した数である。. J O O 叉. 戦後の日本学生陸上競 技人口は,昭和27年ま. 2 5 0 0. でかなり顕著な上昇・下降を示している が, 以後 比較 的安定して次第に上昇する 傾 向 が 見 ら れ る (第1 図) 。23 年までの急速な上昇は, 第二次世界大 戦中の反動であろう。 しかし, 戦後,23 年を除い て24 年までは, 関東学連以外に未登録校が多い。 又この他に資料の紛失もあると思われる。 一例を. △ 全党技人 ご. ・. \. 2 0 0 0. 井合併蚊 貴技人 □. ‘ 0 0 ◇. あげれば,北海道学芸大学旭川 分校の場合は,21・ 22年共この登録簿がないが実際は,21年に35 人 , 22 年に21人の競技者があったのである。 それ故 , 21・22年の全競技人口は, 第1図より相当数上廻 るも の と 考 え ら れ る。. 第1図によると全競 技人ロは,23年が最も多 -28 1-. 50 0. 口. ′. ′ 5 0 0. し一 △ 。 一 一 〆/. . △ ‘ ノ; ′ . . r. . 2 ′ 2 2 ?i 24 2 5 2 6 27 2 8 ?4 30 3′ 年 度(解牙 ) 口. 第1図 全競技人口及び合併・ ) 非合併校別競技人口2.

(3) . 押 切. 由 夫. い。 しかし実際は,日本学連が活動し初めた21年よりも22 年が多く, 他方24年は教育制度改革に よって競技人口が減少したと考えられるから, 結局, 戦後に実際の競技人口 が最高に達した年は, 22年か 23 年であろう。 関東学連はこのような 曲線を示している (第2図) 。 23 年には, 鉄道教習所・通信教習所.水 産講習所等が登録している。 このことは, 日本学連が るもの である。 したがって 大学や旧制高等 学校等によって構 .成されていたとrいう ・常識を覆えしてい 23年までにいかに急 、激な普及をしたか が想像されるであろう。 3 年から25 年への最も著 しい下降の原因は, 最高競技人口に達した反動, 又は自然のとうた 2 とも考えられる が,24年に実施された教育制度改革によって多くの大学では, 数校を合併したとい ) が必ずこの改革以後に著しい競技 う事実を無視すること は出来ない。 その理由は, 合併した各校3 人□の減少を 示すからである。 一方, この影響をあまり受けなかったと 考えられる非合併核には, 合併校のような著しい減少が見られない, 合併校の競技人ロは, 25年から27 年の間に相当の回復 ・て も 23 年 に 及 ば ず, そ れ 以 後 の 伸 長 を も 示 さ な い と い う こ と は, 現 在 尚, を み て い る が, そ れ に し. 教育制度改革の影響を完全に脱却していない為と考えられよう。 教育制度改革は, このように日本 学生陸上競技人口に重大な影響を与えたと思われるから, このことについては第 2章において更に 詳 細 に 述 べ る こ と に す る。 26.27 年 は 比 較 的 急 速 な 上 昇 を し て い る が,. i s o o . ま合併枝の, る こも 鯛 教育制度改革の影響からの回復 7 年には, 非合併校が上昇した為 で あ り, 加 え て 2 で あ る。 こ の こ と を 地 域 的 に 考 え る と, 合 併 校 が. ,. 27 年 に は 非 合 併 校 の 多 い 都 市 の 学 連(関 東 ・ 関 西) が よ り 順 調 な 伸 長 を 示 し た と 云 え る (第 2 図) 。. △ 〆△/ △ 〆 。 。 ′ . × 此オ. x′r ー →. , ”. 上昇した26 年は, 合併校の多い 地方学逆(関東・ 関西以外の学運) が比較的急速な上昇を, 反対に. o 山ぬ. . ′、 、 , 、 ′ 、 / ・ 、 、. 0 \ 。--。 〆 。 〆 。 ℃--。〆. L . , - ( 8 8 4 ヰ度 1 0 関東.関西.地方学達別競技人口. . 第2図. . . 28 年以後はそれ以前に比べ, 漸進的にではある が上昇の傾向が見られる。 第2回に示すように これを関東・関西・ 地方の3 地域に分けてみると, 関東のみが上昇を 示し, 他の学連は殆んど増加 していないことが判る。 したがって, 28年以後, 全競技人口を増加させた学連は関東学連である。 関東学連は, 他の学逆に比 べ, 競技人口が多いこと, 教育制度改革の影響を脱却していると思われ ること, 及び28 年以後において, 他の学連が停滞しているに もかかわらず, むしろ 順調な伸長を示 すこと等の相違があ る。 これらは, 関東 学逆に多くの優秀な競技者 が集まっていることによる顕著 な, 且つ, 当然の特殊 性であると考えられよう。 2 . 教育制度改革の影響 教育制度改革は, 非合併校に全く関係がなかったのではない であろうが, 合併校により強い影 響を与えたということはいなめない事実 である。 数校を合併して一校にまとめたこの改革は, それ まで各枝が互に保持していた競争意識と集団意識とを崩壊し, 競 技人口を著 しく減少させたと 考え られる。 即ち, 競技者自身の今ま で属していたクラブが解消されると共に, 従来の集団も変革され, 一方競 争する対 象をも失った。 北海道学芸大学は, 制度上, 道内師範学校の合併した大学であるが, 各師範学校が大学の分校として, 現在でも単独で学遂に登録し競技に参加している。 云い換えれば, 3 年には北海道 陸上競技の 組織においては合併していない。 この学校と東北大学とを比較すると,2 1 5 5 年には 人であるのに対し, 東北大学では, 学芸大学の前身である四 師範学校の総計は 61人,2 1 9 2 5 人 と 3 9 8 は 2 年 に 人が 年の総数 その前身 である五校の , は な は だ し く 減 少 し て い る。 東 , 2- -28.

(4) . 第二次世界大戦後における日本学生陸上競技人口の推移について. 与る。 このように, 僅か 2年間に著しく競技人ロが減少 北大学のような好例は他にも数多く見 出し? ・意織の喪失が主な原因で しているという事実は, おそらく教育制度改革による集団の崩壊と, 競争 あり, 教育制度改革が, 非合併校より合併校に強く働いた理由もこのようなところにあるものと思 わ れ る。. 5 年の競 第3 図から判るように, 各地区の学連の合併核は, 総て教育制度改革の影響を うけ,2 技人□ が著しく減少している。 しかし, 関東学運の合併校は, 其の後徐々に, 更に28 年以後は急速 な 上昇を示し, この影響から年々脱却しつつあるのに対し, 地方学連は28年以後全く停 滞し, 其の 後の伸長がない。 したがって, この改革は24年に限られた ÷ 時的影響に止まらず, 特に地方学連は 現 在 に お い て も 尚, そ の 影 響 を 受 け て い る こ と が 判 る。. --- - 荻南学部 ーーー 他の尊部. 〆r、に- - ′. . T. 胸西. 南西 . ・ 、.”柚--・ -…・”---・“・.--一二--”補-- 年 度(購 わ}. 第3図. . . . 第4図 地方・関西学連の ) 学部別競技人口5. ) 学連別合併校競技人口4. これら地方大学の競技者の中, どのような競技者がより強く打撃を 被って陸上競技を断念した かの一端をうかがう為に, これらの競技者の所属している学部を調査した。 スポーツと最も 深い関 係を持っている学部は, 体育科を含む教育学部や学芸学部である。 したがって, 陸上競技人口は, これら教育学部に多い。 しかし, 教育学部の競技者が教育制度改革の影響を強く受けたのではなく, かえって他の学部の競 技者が大きな影響をうけて競技することを断念したのである (第 4図) 。 した 6 ) この制度改革は 地方学連の陸上競技を教育学部に範囲を縮少させる結果となった がって, , 。 更に 陸上競技を専攻科目の 一端として学ぶ必要のない教育学部以外の競 技者が, 著しく減少したという ことは, 陸上競技を一般的教養として行う競技者が少なくなったということであろう。 3 ,. 関. 東. 学. 連. 第 5 図によって知り得るように, どの地域であっても, 日本学連や地区学 車で優秀な成績を納 めている第 1 グル←プは, 教育制度の影響を除いては, 競技人口が著しく減少するようなことはな い。 関西の第1 グループ以外は, 総て順調な伸長を示している。. 関東学連の中 で, 最も記録的に弱い第3 グル←プに属する学校は35校, 第2グループは18校 1 校にしかすぎない。 関東学連で男子が入学出来る大学の総数 であるのに対し, 第1 グルー プは1 8 ) 08校 にも達するのであるから, 関東の第1 グルー プは如何に小数精鋭主 は, 短期大学を含め約 1 義的傾向を持っているかが判るであろう。 これに比べ, 第3 グループを含めた多くの大学が陸上競 - 283 -.

(5) . 押 切. 由 夫. ) 又 日本の大学陸上競技界で最も優秀な関東・関西学連の第1 グル【 技界から除外されている9 , 。 o ) 大学の陸上競技が全く大都 ブが, 東京都・大阪・京都府・神戸市等の学校であるということはl , 市む こ限 ら れ て い る と い う 現 状 を 如 実 に 示 し て い る。 地方学連第1グルー プは,昭和3 2年の各地区の大学選手権 大会で, リレーを除き, 第1位を3種目以上獲得した11校であ る。 ただし, 東北学連は資料がなかった為, 第5図から省いて. ”o 人r ▼. . 関西学連の第1グループは, 27年から 32 年 ま で の 日 本 学. 生陸上競技対校選手権大 凱 4年以上得点した4校である。. 第2 グルー プは,28年の関西学生陸上競技対校選手機大会の第. こ入らない学 1部に所属する学校でありながら, 第1グループむ 3校である。 第3 グル ー プ 校, 及び第2部校の大会で得点した1 其の他の2 0校である は, 。 この中には,現学校名 が不明の1校, 教 習 所 1 校 を 含 む。. 一 , . 、. 2 0 ◇. あ る。. 糊,. 、. 2 ー ”. 人 『. 捌. -- ′′ 』,--- ′ -〆 ぽ′′. “ 2 4 2s “ 27 28 2 q 3o 3′. 臥、 豊 さ. . . “ = 鯵 為に=; 箸3,ルーァ. ‘ - :=: き- ‘ ‘ - 、 ・ 、 ′ 、\ ′^ \ . ・. ′ ′. 2! 2 2 2 3 2 4 25 26 2? 28 2 4 30 3-. 関東学連の第1グルー プは, 関西の第1グループと同条件 d o o 人 で選出した11校である。 第2 グル ー プは, 30 年 の 関 東 学 生 陸 ′ --.〆 / ・ 、〆 ÷.一 上競 技対校 選手権大会の第2部校の大会で得 点した18校であ ′ / 6 0 0 ′ る。 群馬大学は, 第1.第2 グル ー プ双 方 の条 件 に あ て は ま る ′〆 \ ノ - ので, 双方のグルー プに入れてある。 第3グルー プは, 他の大 ノ 粛 索 = 粥 跳ニ≧ ----弟3クルー ァ. 学35校である。 この中には, 教習所等が3校, 現学校名が不 4o o 明の2校が含まれている。 27 年度高等学校陸上競技5傑表の中, 百米・走中 2” ′タム\ ^ f/ / 、1. 磯・砲丸投をも げられている 20人の 高校生 進学状 況を調べると, 関東学連の第 1 グル←プに 13人, 関西 学速の第 1 グル ー プに3 人, 関西学達の第2 グル ー プ. ;. 〈. ノ. ” 22 れ 24 ぞS ぞ6 27 ′8 2q Jo 3ー 年 度(膿和). ) 第5図 強弱にょる グルー プ別競技人口7. の 近 畿 大 学 に 1 人, 28・29・30 年 の 登 録 薄 及 び, 同 じく. 日本学生陸上競技対校選手権大会のプログラムに見出されなかった者が3 人である。 これによって, 関東・関西の第1 グループの競技者は, 高等学校で既に相当の良い成績を残した競技者が多いこと 第1表. 北海道. 東 北. 各 関 東京都. 学連別競技人口と出身地 (昭和30年度). 連 学 東 其の他 北. 蓑 陸. 関 西. 東. 海 中・四国 九 州. 北. 海 道. 102. I. 32. 4. I. 東. 北. I. 161. 80. 19. 0. 2. 関 /東京都 束 ー其の他. I. 0. 190. 16. 0. 0. I. 3. 207. 111. l. 3. 0. 北. 陸. 2. 2. 44. 7. 76. 4. 2. 関. 西. 2. 0. 48. 5. 0. 340. 3. 東. 2. I. 143. 0. 0. 0. 0. 0. 263. 0. I. 0. 208. 0. 0. 326. 0. 0. 137. 8. 0. 406. 海. 0. 3. 114. 14. 2. 8. 217. I. 0. 359. 中・四 国. 2. 3. 97. lo. 0. 49. 7. 141. 4. 313. 九. 州. 0. 3. 1lo. 9. 0. 29. I. 6. 101. 259. 沖. 縄. 0. 0. 2. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 2. 不. 明. 0. 0. 19. 7. 0. 4. 0. 0. 0. 30. 111. 176. 943. 202. 80. 441. 231. 157. 105. 2 446 ,. ‐ 計. -28 4-.

(6) . 第ニ次世界大戦後における日本学生陸上競技人口の推移について. を知ることが出来る。 第 1表によって, 東京都の大学競技者は, 都出身者より他の府県の出身者が多いことが判る。 又, 関東学蓮第 1 グルー プの競技者の出身地を調査すると, 同様に全国から競技者を集める傾向が 強い。 これは, 東京都に大学が多いことにもよるであろうが, 関東学連の競技人口は, 第1 グルー プに属する東京都の大学に多く, これらの大学がi 日本全国から優秀な高等学校の競技者を集める ためである。 又, 関西学連にもこれと同様の傾向がある。 これに比べ, 地方学連は殆ん ど地元出身 者 に よ っ て 占め ら れ て い るID 。 し た がっ て, 関 東 ・ 関 西 学 連 の 第 1 グ ル ← プ が 質 的 に優 れ て お り, 特に東京都が質的に も優 れ, 量 的 に も 多 く を 占 め て い る と い う こ と に な る。 こ の よ う に し て, 東 京. 都は最近数年間, 全競 技人口を漸進的に上昇させて来た。 他方, 優秀な競技者を吸収されてしまっ た地方学運は, 大都市の犠牲となり非常に沈滞している。 論. 結. 3年で頂点に達し,31 年に至っても 戦後における日本の男子の学生陸上競技人口は,昭和22・2 2 4 いまだにこの年に及ばない。 これは, 年に実施された新教育制度の影響であると考えられる。 こ の点で新教育制度は, 陸上競技人口の増加に良い影響を与えなかった。 特に, 関東学連以外の比較 的低調な地域に大きな影響を及ぼしたことは, 地方学連の陸上競技を一層低調なものとし, 自己の 専攻する科目以外に陸上競技を行う者を減少させ, 日本の学生陸上競技人口を教育学部に縮小した。 こうした状勢にあって, 関東学連, 特に東京都が順調な伸長を示している。 しかし, この学連は地 方の優秀競技者を吸収して出来た集合体であり, この点では関西学連もほ ぼ同様である。 それ故, 競技人口は都市と地方との差が大きく開いている。 そして, 日本陸上競技界の記録的最頂点を築い ていると云われる都 市の大学陸上競技は, 限られた数校によって保たれているのが現状である。 資 . 1 )教育年鑑 2 ) スポーツ年鑑. 時事通信社 北海道新聞社. 料. 195 5 1 949. 1 95 0 文教協会 3 ) 全国学校総鑑 1 949 日本地方行政研究会 4 ) 全国市町村便機 旺 女 社 1954 5 ) 全国大学大観 ・ 1 946~1 95 6 6 ) 日本学生陸上競技連合登録簿 7 2・1953 1954・1956 ) 日本学生陸上競技対校選手権大会成績(深川氏提供) 195 955 95 3~1 8 ) 日本学生陸上競技対校選手権大会プログラム 1 9 1 94 9 日本陸上競技連盟 ) 陸上競技年鑑 10 ) 陸上 競 技 マ ガ ジ ン. ベ ー ス ボー ル マ ガ ジ ン社. 1953・7月 号. 1955・7月 号. 1955・8月 号. 1957・7月 号. 1957・8月 号. 1957・9月 号. 〔注〕 1 ) 日本学連は次の9地区の学運に分かれている。 北海道・東北・関東・北陸・東海・関西・中国・四国・九州の 各学連である。 2 ) 関東学連以外は,21年から24年までの資料が,23年を除いて不確実であるから点線で表わした。 以下, 第2・ 第3・第5図共同様である。 3 ) 合併した学校には, 複雑な仕方をしたものがあるので下記の条件を定め, これを非合併校とし, この条件にあ てはまらないもの, 及び全く異つた数校の合. 併は合併とした。 併。 口, 女子学校と男子学校との合併。 イ. 旧制度の大学の予科・専門部・専門学校等の, 同一学校内の合, ハ. 23年以前の合併。 ニ. 学部新設。 ホ. 専門学校で, 現学校名, 合併の有無が不明の数校 (競技人口も極め て少ない) 。 へ, 種々の教習所・講習所。 ト. 新潟大学と北海道学芸大学は共に合併校である。 しかし, 前者は 数年間分校毎に登録していたが, 現在まとめて登録しているので合併校の中に, 後者は, 現在でも分校毎に登 -285-.

(7) . 押. 切. 由 夫. 録しているので非合併校の中に含めた。 4 ) 関東学連以外, 21・22年はグラフの錯綜を防 ぐため省略した。 5 ) 関西学連は, 単に参考としてあげた。 叉, 24年から27年までが書かれていない理由は, この期間の資料が不 完全でめった為である。 6 ) 教育学部で, 学科名を記載している学校の登録簿によれば, これらの学校の競技者は殆んど体育科の学生であ るから, 教育学部全体の競技者は, 殆んど体育科の学生であろう。 7 ) 地方・関西学連年の21・22年は, 注2 )の理由により省略した。 8 8校の都・県別学校数(男子が入学可能の学校)は下記の通りである。 ) 関東学連に所属する10 東京都・大学65校・短期大学16校。(以下順序同じ)神奈川県・6・1 。 栃木・1・0 。 。 茨城・1・1 。 千葉・3・4 1 群馬・1・3 2 埼玉・ 1 大学の短期大学部は独立校とは考えない ・ ・ 2 山梨・ 。 。 。 。 9 ) 関東学連の第3グルー プには, 十年間連続して登録している学校が僅か3校である。 他の学校は非連続であり, 一・ニ回の登録に終っている学校が半数以上にも達する。 この傾向は関西学連も同様である。 この事実から, 第3グルー プを陸上競技界から除外きれているものとした。 1 0 ) 関東・関西学連の第1グルー プの学校所在地は次の通りである。 11校) 関東学連第1グループ。( 東京都……中央・早稲田・日本・東京教育・慶応義塾・法政・明治・専修・日本体育・立教大学 -…群馬大学。 群馬県◆ ・ 関西学連第1グループ。(4校) 京都府……立命館・同志社大学。 大阪府……関西大学。 神戸市……関西学院大学。 例外として考えられる群馬大学は, 27年から32年まで六年間の日本学生陸上競技対校選手権大会で得た総計 6 5点である。 点が, 上記15校中最小の16点である。 神戸市の関西学院大学も少く1 . 1 1 ) 中央大学に競技者を送っている都道府県数は下の通りである。{昭和31年度による) 0人…10都道府県・(以下略)1人…11・2人…1 1・3人~5人…7・6人~1 5人…2・16人…1 0人…5・1 1人~1 他方, 北海道学芸大学は, 北海道出身者が53人, 茨城県出身者1人である。. -286-.

(8)

参照

関連したドキュメント

12 月 24 日に5年生に iPad を渡しました。1月には1年から 4年の子どもたちにも配付します。先に配っている iPad

 この地球上で最も速く走る人たちは、陸上競技の 100m の選手だと いっても間違いはないでしょう。その中でも、現在の世界記録である 9

 また,2012年には大学敷 地内 に,日本人学生と外国人留学生が ともに生活し,交流する学生留学 生宿舎「先 さき 魁

市場を拡大していくことを求めているはずであ るので、1だけではなく、2、3、4の戦略も

また,文献 [7] ではGDPの70%を占めるサービス業に おけるIT化を重点的に支援することについて提言して

⑥'⑦,⑩,⑪の測定方法は,出村らいや岡島

このように資本主義経済における競争の作用を二つに分けたうえで, 『資本

オープン後 1 年間で、世界 160 ヵ国以上から約 230 万人のお客様にお越しいただき、訪日外国人割合は約