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1870-80年代のイタリア実証主義とその周辺のスピノザ

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1870-80年代のイタリア実証主義とその周辺のスピ

ノザ

著者

近藤 和敬

雑誌名

鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集

86

ページ

49-56

発行年

2019-03-13

別言語のタイトル

Le positivisme italienne vers les annees

1870-80 et le spinozisme dans ce domaine

(2)

四九

一八七〇︲八〇年代のイタリア実証主義と

その周辺のスピノザ

  

  

  

  

  本稿では、イタリア実証主義およびその周辺の関連思想におけるスピ ノザの︿遍在﹀について、概略を描く。その目的は以下である。 1. こ れ ま で の 拙 論︵ F.W orms の ス ピ ノ ザ 論 お よ び V.Delbos の ス ピ ノザ論いずれも本号所収︶で問題になったフランス実証主義社 会学のグループ内でのスピノザのプレゼンスを理解する手段とし て、 相 互 に 影 響 が あ っ た と み ら れ る イ タ リ ア 実 証 主 義 の 側 か ら、 しかもそれよりも一〇年から二〇年ほど前の時代に戻ってより理 解を深めること。 2.実証主義とスピノザの関係について、その一般的特徴とその震 源について推測すること。 3.フランスに限定されないより広い範囲での思想の力線を明らか にすることで、スピノザが互いに異なる文脈のなかで分散しつつ も遍在することの理由を推測すること。   本 稿 で 実 際 に や る こ と は、 主 に﹃ 一 九 世 紀 の ス ピ ノ ザ ﹄ に 所 収 さ れ て い る イ タ リ ア に お け る ス ピ ノ ザ の な か の 三 つ 論 文︵ Savorelli2007, Bordoli2007, Braustein2007 ︶ に 基 づ い て、 そ の 全 体 を 並 べ な お し つ つ、 そ れ ら の 論 文 で は 注 で 触 れ ら れ て い る だ け の い く つ か の 情 報 ︵ Fouillé e1890, Espinas1880 ︶を加えて、整理することである。   本 稿 で は 主 に 一 九 世 紀 後 半 の イ タ リ ア 哲 学 の 状 況 を 扱 う が、 Eugenio Garin, History of Italian Philosophy , Brill Rodopi, 2007 によれば、少なくと も こ こ で 言 及 す る も の な か で 最 も 古 い ス パ ヴ ェ ン タ Spaventa の 言 及 よ り も、 ずっと以前に Paolo Mattia Doria, 1667-1746 によって、 デカルトからの、 少なくともラディカルなデカルトからの必然的な発展としてのスピノザ というものが論じられている︵ Garin2007: 657 ︶。   またイタリア哲学史においてスピノザがある意味で重要な人物として 取 り 上 げ ら れ る 理 由 の 一 つ は︵ あ と で ス パ ヴ ェ ン タ の と こ ろ で 若 干 触 れ る が ︶、 イ タ リ ア 哲 学 の 一 つ の 重 要 な 起 源 に ジ ョ ル ダ ー ノ・ ブ ル ー ノ 1548-1600 が 置 か れ る こ と が お お く、 そ し て ブ ル ー ノ の 哲 学 と ス ピ ノ ザ の哲学が重ねて論じられる︵この図式はヘーゲルの﹃哲学史﹄に由来す ることが指摘されている 1 ︶こ と が 多 い こ と に よ る 。 も う 一 つ の 理 由 は 、 イタリア統一運動 ︵あるいはむしろ独立戦争︶ とライシテとの関係から、 合理主義が強く求められる背景があったということである。ただこの背 景自体は、実際のところ、フランスの第三共和政期のものと類似すると ころがあり、 どちらが先なのか、 ということについては明瞭ではない︵歴 史的な時間的にはイタリアが先にみえるが、言及関係を見るとフランス が先にみえる︶ 。むしろどちらが先ではなく、 イギリスの実証主義 ︵ミル、 1 ヘ ー ゲ ル︵ 長 谷 川 宏 訳﹃ 哲 学 史 講 義 ﹄︵ 下 巻 ︶﹁ B、 哲 学 独 自 の こ こ ろ み   三、 ブ ル ー ノ ﹂、 一 二 五 頁。 ﹁ だ か ら、 か れ︵ ブ ル ー ノ ︶ の 哲 学 は、 一 般 的 にいって、スピノザ主義ないし汎神論です。 ﹂

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近    藤    和    敬 五〇 スペンサー︶との関係のなかで一体として動いていたとみるほうが現実 的かもしれない 2 。 2 本稿で登場する人物の背景について簡単に提示しておく。   ベルトランド ・ スパヴェンタ Bertrando Spaventa, 1817-1883 。 イタリアヘー ゲ ル 派。 ス ピ ノ ザ と ブ ル ー ノ の 関 係 に つ い て、 ヘ ー ゲ ル の 影 響 を 受 け て 研 究 を 始 め た が、 後 に ヘ ー ゲ ル の 影 響 を 乗 り 越 え て、 ブ ル ー ノ 以 上 に ス ピ ノ ザの自然主義的な傾向を評価した。弟子には、 親戚でもあるクローチェや、 ファシズムへと傾倒したジェンティーレらイタリアヘーゲル派がいる。   ロベルト ・ アルディーゴ Roberto Ardigo1828-1920 。イタリアにスペンサー と コ ン ト か ら 影 響 を 受 け た 実 証 主 義 哲 学 を 導 入 し た 第 一 人 者 で あ り な が ら も、 前 半 生 で は カ ト リ ッ ク の 司 祭 を 務 め、 神 学 を パ ド ヴ ァ 大 学 で 教 え た。 イ タ リ ア で 優 位 で あ っ た ド イ ツ 観 念 論 を 批 判 し、 感 覚 か ら 知 識 が 生 じ る と し た 感 覚 論 を 展 開 し た。 一 八 七 〇 年 代 か ら 1900 年 頃 ま で、 イ タ リ ア で 支 配 的 な 思 潮 を 形 成 し た。 著 作 は、 一 八 七 〇 年 に﹃ 実 証 科 学 と し て の 心 理 学 ﹄、 1879 年に﹃実証主義者の道徳﹄などがある。   チ ェ ー ザ ー レ・ ロ ン ブ ロ ー ゾ Cesare Lombroso, 1835-1909 。 犯 罪 学 あ る い は 犯 罪 人 類 学 の 創 始 者。 イ タ リ ア 犯 罪 社 会 学 派 を 形 成 し 犯 罪 の 遺 伝 要 因 説 を 展 開。 フ ラ ン ス の 環 境 派︵ タ ル ド な ど ︶ と 激 し く 対 立 し、 後 に 衰 退。 医 者 と し て 出 発 し つ つ も、 独 学 に 近 い 形 で 文 学、 社 会 学 を 学 び、 自 説 を﹃ 犯 罪人間﹄ ︵一八七六年︶で発表し、多くの影響を与えた。   エ ン リ コ・ フ ェ リ Enrico Ferri, 1856-1929 。 ボ ロ ー ニ ャ 大 学 刑 法 教 授、 Lombroso の 弟 子。 イ タ リ ア の 犯 罪 学 実 証 主 義 学 者 の 創 始 者 の 一 人。 犯 罪 人 類 学。 ア ル デ ィ ー ゴ と の 論 争 が 有 名 だ が、 初 期 に は ア ル デ ィ ー ゴ の 弟 子 で も あ っ た。 ア ル デ ィ ー ゴ の 下 を 離 れ た あ と ロ ン ブ ロ ー ゾ の 弟 子 と な っ た。 後にイタリア社会党の政治家。 ﹃犯罪社会学﹄ (1881) で著名。また第二イン ターの著名な理論家でもある。   ア ル フ レ ッ ド・ エ ス ピ ナ ス Alfred Espinas, 1844-1922 。﹃ 動 物 社 会 ﹄ ︵ 一 八 七 七 年 刊 ︶ お よ び﹃ 技 術 の 起 源 ﹄︵ 一 八 九 七 年 刊 ︶ で 著 名 な、 初 期 実

  

アルディーゴの実証主義とスピノザ

  ロベルド・アルディーゴは、イタリアにおいて実証主義を根付かせた 功績をもつが、その最初の実証主義の著作は、一八七〇年の﹃実証科学 と し て の 心 理 学 ﹄ で あ る。 初 期 に お い て は と く に ジ ョ ン = ス チ ュ ア ー ト・ミルおよびハーバード・スペンサーから影響を受けている︵むしろ コントやテーヌの影響、あるいはむしろ言及は少ない︶ 。エスピナスは、 そ の 著 書﹃ イ タ リ ア の 実 験 哲 学 起 源 と 現 在 ﹄︵ 一 八 八 〇 年 刊 ︶ の な か で 3 、 ア ル デ ィ ー ゴ の 実 証 主 義 に つ い て 論 じ る 中 で 、 彼 の ス ピ ノ ザ と 証主義社会学の一人。ウォルムスともデュルケーム、T ・ リボー、P ・ ジャ ネらとも良好な関係をもっていた。   ア ル フ レ ッ ド・ フ ー イ エ Alfred Fouillée, 1838-1912 。 一 八 七 二 ︲ 七 五 年 高 等 師 範 学 校 の 助 教 授 と し て 講 義︵ 中 江 兆 民 が 受 講 し て い る ︶。 そ の 後 健 康 上 の 理 由 に よ り 退 職。 実 証 主 義 と 観 念 論 を 調 停 す る 思 弁 的 折 衷 主 義 を 唱 え た。 ま た﹃ 義 務 も 制 裁 も な い 道 徳 ﹄ で 知 ら れ る ギ ュ イ ヨ ー の 義 理 の 父 に あ たる。 ﹁フォルス ・ イデー﹂の哲学を構築したことで著名。 ﹃自由と決定論﹄ ︵ 初 版 は 博 士 副 論 文 と し て 一 八 七 二 年 に、 第 二 版 が 一 八 八 四 年 に 出 版 さ れ る。 以 下 で 参 照 す る の は 第 二 版 の 一 八 九 〇 年 版 ︶ で ス ピ ノ ザ に つ い て 論 じ て い る。 こ の 著 書 か ら フ ェ リ が ス ピ ノ ザ に つ い て 多 大 な イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン を 得 て い る。 中 江 兆 民 が 彼 の﹁ 哲 学 史 ﹂︵ 邦 題 理 学 沿 革 史 ︶︵ 一 八 七 五 年刊︶を翻訳︵一八八六年︶したことでも知られる。 3 こ の 著 作 に お い て は こ の 時 期 の イ タ リ ア 実 験 哲 学 を け ん 引 す る 人 物 と し て、 ア ル デ ィ ー ゴ と と も に フ ェ リ と ロ ン ブ ロ ー ゾ の 名 を 挙 げ て い る︵ も う 一 人、 Herzen の 名 が 挙 げ ら れ て い る が 未 詳 ︶。 フ ェ リ に つ い て の 言 及 も 少

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一八七〇‐八〇年代のイタリア実証主義とその周辺のスピノザ 五一 の関係について以下のように論じている。 ﹁ 肝 心 な の は、 も っ ぱ ら 帰 納 法 に よ っ て、 こ れ ら 二 つ の カ テ ゴ リ ー ︹ 物 的 な も の と 心 的 な も の ︺ の あ い だ の 新 し い 類 似 を 説 明 す る も の として、ある上位のカテゴリーを構想することであって、このカテ ゴリーは、これら二つの種類の現象が経験にたいして自らを示す限 りにおいて、それらの共通の特性以外のなにも含むことはないだろ う。かくして人間は、二つの異なる実体ではなく、二重の側面をも つ 現 象 を 集 め た も の 唯 一 の も の か ら 形 成 さ れ る も の と し て 現 れ る。 この構想はスピノザのそれであるのだが、アルディーゴ氏によると スピノザのそれと大きくことなるところは、スピノザの実体が、学 知 の 出 発 点 と し て ア プ リ オ リ な も の と 考 え ら れ て い る の に 対 し て、 前者のものは単に、物質と精神を統合する寄せ集めを含意するのみ で あ り、 そ の 進 展 と と も に 修 正 さ れ る べ く 常 に 準 備 さ れ て い る。 ﹂ ︵ Espinas1880: 109. ︶ ﹁ 感 覚 sensation は、 あ ら ゆ る 心 的 現 象 の 一 般 名 称 で あ っ て、 そ れ 自 身で刺激である。したがって、思惟の法則とそれとの関係において 行為の法則を規定する仕事は、観察にのみ属することになる。すな わち、 存在するもの 0 0 0 0 0 0 が含むのはただ存在 すべき 0 0 0 ものの秘密のみであ る。 な く な い が、 と く に ロ ン ブ ロ ー ゾ に つ い て は、 ア メ リ カ へ の 影 響 な ど も 含 め て 後 半 で 多 く 議 論 し て い る。 た だ し ス ピ ノ ザ に つ い て 論 じ て い る と こ ろ はすべてアルディーゴについての記述の部分のみである。   この方法によって、アルディーゴ氏は、ストア派の学説とスピノ ザの学説と呼ばれる学説に導かれる。存在は、常に、その実在条件 によって不可欠なものにとどまる傾向性をもつ。動物、すなわち運 動能力をもつ存在は、諸対象を区別し、快と不快を感じとるのでな ければならない。動物はそれぞれの機能が与えられている。どの動 物系統においても、欲求 besoins との、また環境の要請との相関関係 にある。 ﹂︵ Espinas1880 : 150-151. ︶ ﹁ ア ル デ ィ ー ゴ 氏 は、 実 際、 ス ト ア 派 お よ び ス ピ ノ ザ が 認 め て い た 意味で自由を認めている。すなわち自由とは、生理的衝動 implusion に た い す る 観 念 の 統 治 règne で あ る。 あ ら ゆ る 動 物 学 的 な 系 統 に お いて、意志の自律は増大しつつあり、人間に近づくにつれ、動物は ますます表象にしたがって自ら決定し、表象はますます包摂的にな るという意味においてそうなのである。 ﹂︵ Espinas1880 : 153 ︶   以上からわかるように、アルディーゴの実証主義哲学にとって、問題 なのは、現在でいうところの心身問題であり、二元論を排して、一元論 ︵これが何の一元論なのかという問題こそが問われなければならないが、 アルディーゴのそれは非常に単純な、 いわば感覚一元論のように見える︶ を構想するところにスピノザを要請し、同時に、自由を観念論的な精神 性に根拠を求めるのではなく、二重の側面をもつ現象︵心的現象として の側面と物的現象としての側面をもつひとつの現象︶のその側面が、特 殊な仕方で一致するあり方︵生理的衝動にたいする観念の統治︶として 理解する際に、 スピノザを要請していることがわかる。ここに﹁観念力﹂

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近    藤    和    敬 五二 をひとつの思惟の衝動とみるフーイエとの関係を見出しうるが、彼への 直接の言及はアルディーゴのなかにはない。  

  

ロンブローゾのスピノザ

  ロンブローゾの中心となる著作は、一八七六年刊の﹃犯罪人間﹄であ り、ここからロンブローゾの実証主義としての犯罪学を立ち上げた。ま た一八八八年刊の﹃天才論﹄において、様々な人種の天才の事例を研究 し、天才とてんかんの関係を示そうとしている。   ロンブローゾは、 ﹁自由の幻想を批判するためにスピノザを利用する﹂ ︵ Braunstein2007 : 346 ︶。 し か し ロ ン ブ ロ ー ゾ の ス ピ ノ ザ 理 解 は、 直 接 の 読書によるというよりもむしろ媒介的なものであって、その多くをイポ リット ・ テーヌに負っているとされる。 ﹁テーヌこそがわが師であった。 ﹂ ︵ « Enquête sur l Œuvre de Taine » ; Brunstein2007 : 346 ︶   実 際 に ロ ン ブ ロ ー ゾ の ス ピ ノ ザ の 言 及 は、 主 に、 ユ ダ ヤ 人 が 生 ん だ 天才としてのスピノザという人物像に向けられている。 ﹃白人と有色人﹄ のなかでロンブローゾはスピノザを﹁白人﹂で自由思想の英雄の一人に 数えている。 ﹁ わ た し た ち だ け が、 ル タ ー と ガ リ レ オ と と も に、 エ ピ ク ロ ス と ス ピノザとともに、ルクレティウスとヴォルテールとともに、思想の 自 由 を 発 明 し た の で あ る ﹂︵ L’uomo bianco e l’uomo di color e, 2 e ed., 1892, p. 222 ; Braunstein2007 : 348-9 ︶。     この人物の並びからみるに、経験論、唯物論の側から思想の自由が由 来しているという思想史の解釈が前提されていることを見て取ることが できる。ここにもテーヌの影響を見ることができるかもしれない。  

  

フェリのスピノザ

  フェリは若干二二歳の時に書き、同じ一八七八年に出版した博士論文 ﹃ 帰 責 の 理 論 と 自 由 意 志 の 否 定 ﹄ の な か で 何 度 か ス ピ ノ ザ に 言 及 し て い る。 この著作について、 師のロンブローゾは ﹁イタリアの科学にとって ﹃真 の 事 件 ﹄ で あ り、 自 由 意 志 が 実 在 し な い こ と を 証 明 し、 そ の う え そ の 非 実 在 こ そ が 刑 法 の 基 礎 で あ る こ と を も 証 明 し た ﹂︵ Ar chivio giuridico, XXI, 1878 ; Braunstein2007 : 350 ︶と評している。   しかし、このスピノザの言及は、実のところロンブローゾよりも前の 師であったアルディーゴによるスピノザの言及︵初期の著作で複数回ス ピノザに実際言及している︶と、アルフレッド・フーイエの﹃自由と決 定論﹄の初版からとられたものである。 ﹁ 自 由 意 志 へ の 信 念 が 私 た ち の 意 志 の 結 果 の 認 識 と 意 志 を 支 配 し て い る 法 則 の 無 知 と に 依 存 し て い る こ と に 注 意 し た こ と に 関 し て ス ピ ノ ザ は ま っ た く 正 し い。 ﹂︵ La teorica dell’imputabilità , 1878, 40 ; Braustein 2007 : 351 ︶   フ ェ リ は ま た 自 身 の 立 場 と し て 称 す る﹁ 科 学 的 運 命 論 ﹂ を ル タ ー に 代表される﹁宗教的運命論﹂から区別し、 ﹁人間の行為の自然的決定論﹂

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一八七〇‐八〇年代のイタリア実証主義とその周辺のスピノザ 五三 は﹁ ︵宗教的︶運命論﹂から区別されると述べている。 ﹁ 自 由 意 志 の 否 定 が 人 間 を 盲 目 な 運 命 に 従 属 す る 自 動 機 械 に し て し ま う と い う の は 単 な る 幻 想 で あ る。 ﹂︵ La sociologie criminelle , 341 ; Braustein2007 : 352 ︶ ﹁ 私 の ア イ デ ア を 正 確 に す る た め に は、 人 間 は 機 械 で あ る の だ が、 機械からできているわけではないと述べることになるだろう。 ﹂︵ La sociologie criminelle , 334-335 ; Braustein2007 : 352 ︶     また自由意志の否定が即座に善悪の否定にもつながらないことをスピ ノザに言及しつつ、論じてもいる。   ﹁ も し あ る 事 物、 あ る 行 為 が 人 間 に と っ て 有 用 で あ る な ら ば、 私 た ちはそれを良いと名付ける。それが害をなすなら、それを悪いと名 付ける。 ﹂

  

ここまでのまとめ

  アルディーゴ、ロンブローゾ、フェリらはすべて一八七〇︲八〇年代 の当時の実証主義と近い関係にあり、その意味で文脈を共有していたと 言 え る が、 そ の 界 隈 に お い て 自 由 意 志 を 否 定 す る こ と こ そ が、 真 の 意 味での自由思想を可能にするのだという信念が共有されていたことがわ かる。そしてその意味での自由思想家の英雄としてスピノザの名が挙げ られている。これは必ずしもイタリアにおいてのみ見られることではな い。エスピナスの友人でもあったテオドール ・ リボーヒルッグの著書 ﹃意 志の病﹄ ︵一八八三年刊︶においても、 ﹁スピノザ曰く、私たちの自由意 志という幻想は、私たちを行為せしめている動機に対する無知でしかな い﹂ ︵ T. Ribot,

Les maladies de la volonté,

1883, p. 146 ; Braustein2007 : 354 ︶ と述べられていることからも、フランスにおいても共有されていた文脈 のように思われる。歴史的にみて重要だと思われるのは、これらの議論 の多くが一八七〇年代から一八八〇年代に集中しているという事実であ る。ウォルムス、デルボス、ブランシュヴィックらの議論は、これらが 背景的な力場を形成しているとみることで理解することができるように 思われる。

  

フーイエの『自由と決定論』

  ただこのようなスピノザ読解が、かなり安直化・教条化されたスピノ ザ像だということは否定でいない。アルディーゴを除けば、哲学的にテ キストを読むというよりも、自分の議論の行きがかり上、スピノザに言 及することが一種の流行のようになっているからそうしている、という ところもあるだろう。実際、フェリによるフーイエに対する言及は、不 正確というわけではないが、 フーイエ自身の文脈とはずれてもいる。 フー イエ自身は、自らの立場を決定論と自由の折衷の立場に見出しているの であり、自由意志を否定したとされるスピノザの立場に己を同一化して い る わ け で は な い。 た だ、 ス ピ ノ ザ の 議 論 が 誤 解 さ れ た ま ま 理 解 さ れ、 批判されていることを正し、それによって自由と決定論とのあいだに新

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近    藤    和    敬 五四 たな調停の可能性を確立することが目的であった。以下では、フーイエ のスピノザの議論のうち、行為の原因についての無知が必ずしも自由の 観念を生み出すわけではない、 ということを述べている箇所を引用する。 ﹁以上の考察は、わたしたちをスピノザの問題の前へと連れていく。 す な わ ち、 私 た ち の 自 由 の 観 念 を わ た し た ち に 与 え る の は、 行 為 の 原 因 の 無 知 に あ る の か、 と い う 問 題 で あ る。 こ の よ う な 一 般 的 か つ 曖 昧 な 形 式 の も と で は、 ス ピ ノ ザ の 命 題 を 維 持 で き な い こ と は明白である。自らのインスピレーションの原因について無知であ る 詩 人 は、 そ れ を 神 に 帰 す る の で あ っ て、 己 の 自 由 に 帰 す る こ と はないとか、精神、照明、熱狂といったものは、己自身よりも優越 的である力能によって増大するだとか、しまいには随意の自由の感 情は、わたしたちの行為の動機そのものの認識とともに増大するの だというようにそれに対して応えられてきた。しかし、これらの一 般的な回答は、スピノザの命題ほど十分に証明されておらず、むし ろその結論に基づいているのだ。第一に、任意の行為を生み出す原 因 に つ い て の 無 知 と い っ た も の が、 自 由 の 観 念 を 産 出 す る こ と が できるのではない。意志的で志向的な決定 détermination volontaire et intentionnelle の 原 因 に つ い て の 無 知 が そ う す る の で あ る。 理 由 を し ら ず に 嘯 い て い る と き に も、 ま た 理 由 を 知 ら ず に 目 を し ば た い て いるときにも、理由も知らずに韻を踏んでいるときにも、理由を知 らずにあるヴィジョンや照明を得るときにも、わたしは自由を信じ る こ と は な い。 し か し、 こ の い ず れ の 場 合 に も、 た と え ば 投 票 す る か、 投 票 す る こ と を 差 し 控 え る か と い っ た よ う な い く つ か の も の の あ い だ の 志 向 的 な 決 定 と い っ た も の が 問 題 な の で は な い の だ。 ︹ ⋮︺ 私 の 決 意 の 意 識 的 な 動 機 に つ い て の 無 知 が、 予 測 を 逃 れ る 随 意の自由の観念を私に与えることができるのではない。それができ るのは、複数の意識された動機のあいだで、私にしかじかの決定さ れた決意をさせる原因についての無知なのである。ところで、この 原 因 は 必 ず し も そ れ 自 体 が 意 識 化 さ れ た 動 機 で あ る わ け で は な い。 それは私の性格や固有の性質、私の無意識の習性や明かされない傾 向性といったものかもしれない。それのことをヴントは個人的因子 facteur personnel と呼んだのだが、つまりは私の心理学的かつ生理学 的 な 成 り 立 ち で あ っ て、 私 の 個 人 的 な 反 応 の 在 り 方 な の で あ る。 ﹂ (Fouillé e1890 : 8-9 ︶ 4 4 こ の 著 書︵ 一 八 七 二 年 が 初 版 ︶ で は﹁ 無 意 識 ﹂ と い う 語 が 頻 出 し、 そ れ が 人 間 の 複 雑 で 意 志 的 な 行 動 の 真 の 原 因 と な っ て る。 そ し て そ の 無 意 識 は、 ﹁ 心 理 的 化 学 ﹂ と で も い う べ き 複 雑 な 法 則 に し た が っ て お り、 そ れ が 私 た ち に 知 ら れ て い な い 原 因 で あ る。 つ ま り、 そ れ こ そ が 随 意 の 自 由 の 観 念 を 生 じ さ せ る も の で あ り、 こ こ に お い て 決 定 論 と 自 由 が 両 立 す る と い う 構 造 に な っ て い る よ う に 読 め る。 つ ま り 意 識 化 さ れ た も の と し て の 自 由、 無 意 識における決定論という構図だ。 気になるのは、 これがT ・ リボーやP ・ ジャ ネを介した、 あるいはシャルコー自身を介したフロイトへの影響であるが、 この辺りは不明。 5 この著書の構想がどこから来ているのか、 定かではないが、 Taine の﹃知性﹄ ︵ 1870 年 ︶ は 相 対 的 に 好 意 的 に 参 照 さ れ て い る 一 方 で、 Cousin お よ び ク ー ザ ン 学 派 は 否 定 的 に 議 論 さ れ て い る。 ま た ス パ ヴ ェ ン タ の よ う な イ タ リ ア の 議 論 や ク ー ノ・ フ ィ ッ シ ャ ー の よ う な ド イ ツ 哲 学 史 家 の 議 論 も 出 て い な い。おそらくテーヌからの流れというのがありうるラインだと思われる。 6 こ こ で は 扱 わ な い が、 フ ー イ エ の 義 理 の 息 子 で あ る ギ ュ イ ヨ ー の ほ う が む

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一八七〇‐八〇年代のイタリア実証主義とその周辺のスピノザ 五五

  

スパヴェンタのスピノザ

  またイタリアにおいてもアルディーゴ以降の実証主義に典型的なスピ ノザの読み方とは異なるスピノザの読み方を、一八七〇年代よりも一〇 年ほどさかのぼって、ベルトランド・スパヴェンタがイタリアにおいて すでに展開していた。スパヴェンタは、ヘーゲルの影響を受けたイタリ ア観念論の重要な基礎を築いた人物であるが、以上の実証主義の議論の なかでは全くと言ってよいほど言及されていない。   Savorelli2007 に よ れ ば、 一 八 五 〇 年 代 の ス パ ヴ ェ ン タ の 著 作 で あ る ﹃ジョルダーノ・ブルーノの実践哲学原理﹄ ︵一八五一年︶において、ス パヴェンタは近代の萌芽としてのジョルダーノ・ブルーノをスピノザと 概念体系のレベルで一致していると解釈している。たとえば、ブルーノ の﹁ 熱 狂 ﹂ が ス ピ ノ ザ の﹁ 神 の 知 的 愛 ﹂ と 一 致 す る と か、 ブ ル ー ノ の 神とスピノザの実体が同じであるとか、ブルーノの質料と形相が、スピ ノ ザ の 延 長 属 性 と 思 惟 属 性 に 一 致 す る と か い っ た 具 合 で あ る。 し か し こ の よ う な 見 方 は、 一 八 五 四 年 刊 の ク ー ノ・ フ ィ ッ シ ャ ー の﹃ 哲 学 史

Geschichte der neuern Philosophie

﹄を読むことで決定的に改められた。そ してその修正されたスピノザ理解は、一八六一︲六二年の講義において 示され、そこにおいてスピノザはブルーノに還元できるという従来の見 し ろ フ ー イ エ 以 上 に ス ピ ノ ザ に つ い て こ だ わ っ て い た と い う こ と が、 フ ー イ エ の 回 顧 に よ っ て 示 さ れ て い る。 と は い え、 ギ ュ イ ヨ ー の な か で 明 示 的 に ス ピ ノ ザ の 研 究 が あ る わ け で は な い。 こ れ に つ い て は A.Comte-Sponville,

“ Jean-Marie Guyau et Spinoza ” in

Spinoza au XIXe siècle

を参照。 方を否定した。むしろブルーノはいまだ﹁超自然的な神﹂の概念を残し ているのにたいして、スピノザの神即自然としての実体は、超自然的な 残滓をまったく残しておらず、そのかぎりで、スピノザの哲学は﹁新し い自然主義﹂であると評価している。そして、そのなかで、さらにヘー ゲルによる、スピノザの実体の主体化や、ヘーゲルによるスピノザの属 性 の 解 釈 を 批 判 し て い る。 ヘ ー ゲ ル の 言 う よ う に 実 体 は 不 動 の 同 一 性 ではなく、むしろ実体の本質的特徴は﹁動的特徴﹂にこそある。つまり は、 ﹁ プ ラ ト ン 的 イ デ ア の﹃ 純 粋 な 対 象 性 ﹄ と は 異 な る﹃ 活 動 性 = 能 動 性 activ ité ﹄ で あ る ﹂ と し て い る。 そ し て、 ﹁ 因 果 性 ﹂ こ そ が﹁ 実 体 の 本 来的な﹃概念﹄であり、もし実体が絶対的に不動であるならば、実体は も は や 自 己 原 因 で は な い だ ろ う ﹂︵ Savorelli2007 : 326 ︶ と し て い る。 そ し て、 こ の 批 判 は ヘ ー ゲ ル の 属 性 に も 向 け ら れ、 以 下 の よ う に Savorelli はまとめている。 ﹁属性は、実体の反省が把握したものとして考えらることはできず、 そ れ は 能 産 的 自 然、 所 産 的 自 然、 因 果 性 と し て の﹃ 実 体 そ れ 自 体 ﹄ である。属性がなければ、実体は﹃具体﹄ではないだろう。もし属 性が現実的に実体の本質を表現しないのであれば、実体はもはや自 然ではなく、 不動者である。実体それ自体を取り除くことなしには、 属性を捨象することはできない。かくしてヘーゲルの解釈とエルド マン Erdmann の解釈は退けられる。 ﹂︵ Savorelli2007 : 326 ︶     このようなスピノザ解釈は、一八九〇年代のデルボスの解釈を彷彿と させる。しかし実際にデルボスの﹃スピノザと道徳問題﹄においてはス

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近    藤    和    敬 五六 パ ヴ ェ ン タ の み な ら ず、 イ タ リ ア 哲 学 全 体 に た い し て 言 及 が な い の で、 おそらく独立した流れのなかで︵おそらくはヘーゲルおよびドイツ観念 論 の ス ピ ノ ザ 解 釈 に 対 す る 批 判 と い う と こ ろ か ら ︶、 偶 然 生 じ た 一 致 で あるだろう。ともあれ、このようなスパヴェンタの先進的ともいえるス ピノザ理解は、イタリア実証主義のなかではほとんど活かされることは なかったというのが事実のようである。

  

  いずれにせよ、以上で見たような一八七〇年代の実証主義の潮流にお いて、人間の自由と意志の関係、あるいはその背後にある無意識と病理 との関係において、その正確さの是非はおくにしても、スピノザの議論 に触れるというパターンが繰り返されていることを確認することができ た。   またスパヴェンタに見るように、そのようなスピノザ理解が一枚岩的 に存在したというよりも、やはり複層的な解釈コードが存在していたと みるべきであるだろう。そしてこの事態こそが、スピノザの︿遍在﹀を 条件づけているように思われる。 参照文献 Ardigo, Roberto 1882-1918, Oper e filosofiche di Roberto Ar digo, t.1-t.1 1.

Bordoli, Roberto 2007, « Notes sur le positivisme italien et Spinoza », in

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参照

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