東北大学埋蔵文化財調査年報19 第2分冊
著者
東北大学埋蔵文化財調査室
雑誌名
東北大学埋蔵文化財調査年報
巻
19
号
2
発行年
2009-03-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/45621
ISSN 134ユー6952
東北大学埋蔵文化財調査年報
19
第
2分
冊
仙台城跡二の丸北方武家屋致地区第
7地
点の調査
出土遺物
1(陶
磁器・土器・土製品・瓦〉
東北大学埋蔵文化財調査室
2□
□ 日
東北大学埋蔵文化財調査年報
19
第
2分
冊
仙 台城跡二の丸北方武家屋致地区第
7地
点の調査
出土遺物
1(陶
磁器・土器・土製品・瓦〉
東北大学埋蔵文化財調査室
2ロ
ロ日
∽ 機
●
麟鑑
1.14号
土坑 出土陶磁器ぬ軍
ね
懇
餞
畿
′奮 軋│
2.2号
遺構 出土磁器碗3.2号
遺構 出土磁器皿5.2号
遺構 出土 陶器 その他例
言
1.本
書 は、東北大学構 内において、東北大学埋蔵文化財調査研 究セ ンターが2001年 度 に行 った遺跡調査、 な ら びに研究成果 をまとめた調査年報19の、第2分
冊である。2.報
告書の紙幅の関係か ら、年報19は5分
冊 に分 けて刊行す る。本書 は、その第2分
冊である。本書 には、仙 台城跡二の九北方武家屋敷地区第7地点(BK7)の
出土遺物 の うち、磁器、陶器、土師質土器、瓦質土器、土 製品、瓦 を掲載 した。3.整
理作業お よび本書の編集は、阿子 島香 の指導の もとに、藤沢教・柴 田恵子・高木暢亮が担当 した。4.本
文 は、柴 田恵子が執筆 した。英文要 旨については、柴田恵子が作成 し、阿子 島香が校訂 した。 5。 実測図の作成 にあたっては、原図はすべて手描 きで作成 している。磁器、陶器、土製品は、デジタル トレー スで作成 した。土師質土器、瓦質土器、瓦 は手描 きの トレースによって作成 した。また、磁器 と陶器の文様 は、 国際文化財株式会社 に委託 し、オルソイメージャーを用いて作成 している。6.巻
頭 カラー図版、その他の写真図版は、有限会社仙台写真工房 に委託 した。7.整
理・報告書作成 にあたっては、以下の方々や関係機関か ら御指導 。御協力 を賜 った。 記 して感謝 申し上げる (敬称略)。 佐藤洋 (仙台市教育委員会)、 本田泰貴 (東北陶磁文化館) 仙台市教育委員会、東北大学大学院文学研究科考古学研究室8.出
土遺物・調査記録 は、東北大学埋蔵文化財調査室で保管・管理 している。凡
例
1.遺
物の実測図お よび写真の縮尺 は、それぞれに示 した。磁器、陶器、土師質土器、瓦質土器 は、縮尺3分
の 1で掲載 した。土製品は、縮尺3分
の2で
掲載 した。瓦 は、縮尺4分
の1で
掲載 した。実測図には、スケール を付 して縮尺 を示 している。2.実
測図中で使用 したスクリー ン トー ンは、以下の通 りである。青磁釉
II■
=│:
鉄釉
:睡
彗剰
炭イ
勁
:鰯
悦鰯
その他付着物
:躊翠導韓剰
3.引
用・参考文献は、巻末にまとめた。 また本文中で、『東北大学埋蔵文化財調査年報』を引用する場合 は、 年報1という形で略記 した。第
2分
冊
目 次
巻頭 カラー図版 例 言 凡例 目次 図 目次 表 目次 図版 目及 第 Ⅲ章 仙 台城跡二 の丸北方武家屋敷 地 区第7地
点(B K7)の
調 査5.出
土遺物1(陶
磁 器・土器・土製 品 。瓦)・ ―・1(1)陶磁器
………
l
②土器の出土状況
………
10①整理作業と資料化の方法
………
l
③近世以前の上器
………
11②陶磁器の出土傾向
………
l
④土師質土器
………
11③時期ごとの陶磁器の様相
………
2
⑤瓦質土器
………
15(2)土 器
………
lo (3)土
製品
………
17①整理作業と資料化の方法
………
lo (4)瓦
………
18引用 。参考文献
英文要旨
写真図版
第I章 2001年
度 (平成13年度)事
業の概要 第 Ⅱ章 富沢芦 ノロ遺跡第5次
調査(TM5)
第 Ⅲ章 仙台城跡二の九北方武家屋敷地区第7地
点(BK7)の
調査1.仙
台城跡二の九北方武家屋敷地区の立地 と歴史2.調
査経緯3.基
本層序 と時期 区分4.検
出遺構………以上第
1分
冊 5。出土遺物
1(陶
磁器 。上器・土製品 。瓦〉
………第 2分冊
6。出土遺物
2(木
簡・墨書ある木製品〉
………第 3分冊
7.出
土遺物
3(そ
の他の遺物
)
………第4分冊
8.分
析・考察
‥―………第5分冊
図
1
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(1) 図2
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(2) 図3
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(3) 図4
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(4) 図5
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(5) 図6
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(6) 図7
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(7) 図8
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(8) 図9
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(9) 図10
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(10) 図11
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(11) 図12
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(12) 図13
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(13) 図14
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(14) 図15
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(15) 図16
武家屋敦地区第7地
点出土磁器(16) 図17
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(17) 図18
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(18) 図19
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(19) 図20
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(20) 図21
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(21) 図22
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(22) 図23
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(23) 図24
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(1) 図25
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(2) 図26
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(3) 図27
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(4) 図28
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(5) 図29
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(6) 図30
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(7) 図31
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(8) 図32
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(9) 図33
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(10) 図34
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(11) 図35
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(12) 図36
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(13) 図37
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(14)次
図38
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(15)。 ………58 図39
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(16)・ ………59 図40
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(17)・………60 図41
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(18)。 ………61 図42
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(19)・ ………62 図43
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(20)・………63 図44
武家屋敷地区第7地
点出土土器(1)。 ………・64 図45
武家屋敷地区第7地
点出土土器(2)。 ………・65 図46
武家屋敷地区第7地
点出土土器(3)・ ………・66 図47
武家屋敷地区第7地
点出土土器(4)・ ………・67 図48
武家屋敷地区第7地
点出土土器(5)・ ………・68 図49
武家屋敷地区第7地
点出土土器(6)。 ………・69 図50
武家屋敷地区第7地
点出土土器(7)。………・70 図51
武家屋敷地区第7地
点出土土器(8)・ ………・71 図52
武家屋敷地区第7地
点出土土器(9)・ ………・72 図53
武家屋敷地区第7地
点出土土器(10)・………73 図54
武家屋敷地区第7地
点出土土器(11)。 ………74 図55
武家屋敷地区第7地
点出土土器(12)・ ………75 図56
武家屋敷地区第7地
点出土土器(13)・ ………76 図57
武家屋敷地区第7地
点出土土器(14)・………77 図58
武家屋敷地区第7地
点出土土器(15)・………78 図59
武家屋敷地区第7地
点出土土器(16)。 ………79 図60
武家屋敷地区第7地
点出土土器(17)。 ………80 図61
武家屋敷地区第7地
点出土土製品(1)・ …―・81 図62
武家屋敷地区第7地
点出土土製品(2)・ ……・82 図63
武家屋敷地区第7地
点出土土製品(3)。 ……・83 図64
武家屋敷地区第7地
点出土土製品(4)・……・84 図65
武家屋敷地区第7地
点出土 古代瓦・軒丸瓦 ・………85 図66
武家屋敷地区第7地
点出土 軒平瓦・軒桟瓦・丸瓦類 。………86 図67
武家屋敷地区第7地
点出土 丸瓦・板塀 瓦・板状瓦・面戸瓦 ・………87 図68
武家屋敷地区第7地
点出土 輪違い 。英半瓦 。その他の瓦 ・………88 図69
武家屋敷地区第7地
点出土鬼瓦・不明瓦 ・…89 図70
武家屋敷地区第7地
点出土刻印瓦 ・…………90図
・・・・・・・・21 ・・・・・・・・22 ・・・・・・・・23 ・・・・・・・・24 ・・・・・・・・25 ・・・・・・・・26 ・・・・・・・。27 ・・・・・・・・28 ・・・・・・・・29 ・・・・・・・30 ・・・・・・・31 ・・・・・・。32 ・・・・・・・33 ・・・・・・・34 ・・・・・・・35 ・・・・・・・36 ・・・・・・・37 ・・・・・・・38 ・・・・・・・39 ・・・・・・・40 ・・・・・・・41 ・・・・・・・42 ・・・・・・・43 ・・・・・・・・44 ・・・・・・・・45 ・・・・・・・・46 ・・・・・・・・47 ・・・・・・・・48 ・・・・・・・・49 ・・・・・・・・50 ・・・・・・・・51 ・・・・・・・・52 ・・・・・・:53 ・・・・・・・54 ・・・・・・・55 ・・・・・・・56 ・・・・・・・57表
目 次
表1
武家屋敷地区第7地
点出土表
21
武家屋敷地区第7地
点出土 磁器集計表(1)・ 中―●91
磁器観察表(6)・ ……111 表2
武家屋敷地区第7地
点出土表
22
武家屋敷地区第7地
点出土 磁器集計表(2)。 ……。92
磁器観察表(7)。 ……112 表3
武家屋敷地区第7地
点出土表
23
武家屋敷地区第7地
点出土 磁器集計表(3)・ ……・93
陶器観察表(1)。 ……113 表4
武家屋敷地区第7地
点出土表
24
武家屋敷地区第7地
点出土 磁器集計表(4)・ ……・94
陶器観察表(2)。 一…114 表5
武家屋敷地区第7地
点出土表
25
武家屋敷地区第7地
点出土 陶器集計表(1)。 ……,95
陶器観察表(3)・ ……115 表6
武家屋敷地区第7地
点出土表
26
武家屋敷地区第7地
点出土 陶器集計表(2)・ ……'96
陶器観察表(4)・ ……116 表7
武家屋敷地区第7地
点出土表
27
武家屋敷地区第7地
点出土 陶器集計表(3)・……。97
陶器観察表(5)・ ……117 表8
武家屋敷地区第7地
点出土表
28
武家屋敷地区第7地
点出土 陶器集計表(4)。 ――・98
陶器観察表(6)。 一…118 表9
武家屋敷地区第7地
点出土表
29
武家屋敷地区第7地
点出土 土師質土器・瓦質土器集計表(1)・ ……・99
陶器観察表(7)・ ……119 表10
武家屋敷地区第7地
点出土表
30
武家屋敷地区第7地
点出土 土師質土器・瓦質土器集計表(2)・ ……100
土師質土器 (皿)観
察表(1)。 ……120 表11
武家屋敷地区第7地
点出土表
31
武家屋敷地区第7地
点出土 軟質施釉土器 。土製品集計表(1)・ ……101
土師質土器 (皿)観
察表(2)・ ……121 表12
武家屋敷地区第7地
点出土表
32
武家屋敷地区第7地
点出土 軟質施釉土器・土製品集計表(2)。 中…102
土師質土器 (皿)観
察表(3)。 ……122 表13
武家屋敷地区第7地
点出土瓦集計表(1)・ …103
表33
武家屋敷地区第7地
点出土 表14
武家屋敷地区第7地
点出土瓦集計表(2)・ …104
土師質土器 (焼塩重)観
察表 ・……。123 表15
武家屋敷地区第7地
点出土瓦集計表(3)・ …105
表34
武家屋敷地区第7地
点出土 表16
武家屋敷地区第7地
点出土その他の上師質土器観察表 ・――・123 磁器観察表(1)。 中…
106
表35
武家屋敷地区第7地
点出土 表17
武家屋敷地区第7地
点出土瓦質土器観察表 ・……。124 磁器観察表(2)・ ……
107
表36
武家屋敷地区第7地
点出土 表18
武家屋敷地区第7地
点出土土製品観察表 ・……。125 磁器観察表(3)・ ……
108
表37
武家屋敷地区第7地
点出土 表19
武家屋敷地区第7地
点出土古代瓦観察表 ・……・126 磁器観察表(4)・ ……
109
表38
武家屋敷地区第7地
点出土 表20
武家屋敷地区第7地
点出土軒丸瓦観察表 ・……Ⅲ126 磁器観察表(5)。 ……110
表
39
武家屋敷地区第7地
点出土 軒平瓦観察表 表40
武家屋敷地区第7地
点出土 軒桟瓦観察表 表41
武家屋敷地区第7地
点出土 丸瓦観察表 表42
武家屋敷地区第7地
点出土 丸瓦類観察表 表43
武家屋敷地区第7地
点出土 面戸瓦観察表 図版1
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(1) 図版2
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(2) 図版3
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(3) 図版4
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(4) 図版5
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(5) 図版6
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(6) 図版7
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(7) 図版8
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(8) 図版9
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(9) 図版10
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(10) 図版11
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(11) 図版12
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(12) 図版13
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(13) 図版14
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(14) 図版15
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(15) 図版16
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(16) 図版17
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(17) 図版18
武家屋敷地区第7地
点出土磁器(18) 図版19
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(1) 図版20
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(2) 図版21
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(3) 図版22
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(4) 表44
武家屋敷地区第7地
点出土 輪違い観察表 表45
武家屋敷地区第7地
点出土 その他の瓦観察表 表46
武家屋敷地区第7地
点出土 平瓦1類
観察表 表47
武家屋敷地区第7地
点出土 桟 瓦観 察表図
版
目 次
・・・・・135 。・・・・136 ・・・・・137 ・・・・・138 ・・・・・139 ・・・・・140 。・・・。141 ・・・・。142 ・・・・・143 ・・・・144 ・・・・145 ・・・・146 ・・・・147 ・・・・148 ・・・・149 ・・・・150 ・・・・151 ・・・・152 ・・・・・153 ・・・・・154 ・・・・・155 ・・・・・156 図版23
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(5) 図版24
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(6) 図版25
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(7) 図版26
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(8) 図版27
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(9) 図版28
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(10) 図版29
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(11) 図版30
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(12) 図版31
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(13) 図版32
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(14) 図版33
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(15) 図版34
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(16) 図版35
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(17) 図版36
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(18) 図版37
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(19) 図版38
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(20) 図版39
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(21) 図版40
武家屋敷地区第7地
点出土陶器(22) 図版41
武家屋敷地区第7地
点出土土器(1) 図版42
武家屋敷地区第7地
点出土土器(2) 図版43
武家屋敷地区第7地
点出土土器(3) 図版44
武家屋敷地区第7地
点出土土器(4) ・・・・・157 ・・・・・158 ・・・・・159 ・・・・・160 ・・・・。161 ・・・・162 ・・・・163 ・・・・164 ・・・・165 ・・・・166 ・・・・167 ・す。・168 ・・・・169 ・・・・170 ・・・・171 ・・・・172 ・・・・173 ・・・・174 ・・・・・175 。・・・・176 ・・・・・177 ・・・・・178図版
45
武家屋敷地区第7地
点出土土器(5) 図版46
武家屋敷地区第7地
点出土土器(6) 図版47
武家屋敷地区第7地
点出土土器(7) 図版48
武家屋敷地区第7地
点出土土器(8) 図版49
武家屋敷地区第7地
点出土土器(9) 図版50
武家屋敷地区第7地
点出土土器(10) 図版51
武家屋敷地区第7地
点出土土器(11) 図版52
武家屋敷地区第7地
点出土 土器(12)。 上製品(1)・ …186 図版53
武家屋敷地区第7地
点出土土製品(2)。 …187 図版54
武家屋敷地区第7地
点出土土製品(3)。 …188 図版55
武家屋敷地区第7地
点出土瓦(1)・ ………189 図版56
武家屋敷地区第7地
点出土瓦(2)。 ………190 図版57
武家屋敷地区第7地
点出土瓦(3)・ ………191 … …・18ユ第 Ⅲ章
仙 台城跡二の丸北方武家屋敷地 区第
7地
点
(BK7)の
調査
5.出
土遺物
1(陶
磁器・土器・土製品 。瓦〉
(刊)陶
磁器 ①整理作業 と資料化の方法 陶磁器は、洗浄、注記 をした後、陶器 と磁器 に分類 した。その後、可能な限 り接合作業 を行い、同一個体の認 定を行 った上で、集計 を行 っている。 しか し、同一個体の識別が困難な小破片や、破片にな りやすい大型品や薄 手の資料 については、実際の個体数 よりも多 く集計 されている可能性がある。土瓶や種類不明の資料などで点数 が多 くなっているのは、 この要因 も含 まれている。 資料化 にあたっては、出土点数が多いため、器形や文様がわかる もの を中心に、選択的に行っている。全体の 器形がわか らない破片であって も、特徴的な器形や文様の場合 は可能 な限 り図示 した。 また、後に述べるⅣ期の 遺構、2層
か ら出土 した明治期の資料 については、 これまで報告 している資料 と基本的様相は変わらないことか ら、割愛 した もの もある。 陶磁器の資料化 にあたっては、従来はすべて手描 きで実測図を作成 していた。 しか し、実測する陶磁器が併せ て500点以上 と非常 に多 い ことか ら、すべ てを手作業で行 うことが時間的に不可能であった。そのため、外形や 断面図などの下書 き図面 は手描 きで行い、トレースはAdobe 11lustratorを用いて行 っている。陶磁器の文様部分 については、国際文化財株式会社 に委託 し、同社のオルソイメージャーを用いて陶磁器 を撮影 し、それを画像処 理 して、図化 している。 また、遺物写真の撮影 については、有限会社仙台写真工房に委託 し、すべての撮影 を行っている。 ②陶磁器の出土傾向 陶磁器 は、基本層では、2層
が最 も多 く、3a層、2層
下部が これに次 ぐ。4層か らの出土 は、 ごくわずかであ る。2層は主 に19世紀代の もの、2層
下部 は主に18世紀か ら19世紀前葉の ものが中心である。3a層か らは、 よ り 下層 にある2号
遺構 に近い18世紀前葉の陶磁器が出土 しているが、2号
遺構 よりはやや新 しい様相の ものが含 ま れている。 遺構では、 Ⅱ期の2号
遺構 か ら最 も多 くの陶磁器が出土 している。2号
遺構 は18世紀前葉の大規模 な廃棄土坑 で、陶磁器のほか、土師質土器、瓦質土器、瓦、木製品、木簡、動物遺存体、植物遺存体 など、様々な遺物が大 量 に出土 している。2号
遺構 の陶磁器では、類似 した器形、釉調、文様 であ りなが ら、文様の配置や底部の位置 か ら考 えて、明 らかに接合 しない破片がみ られた。そのことか ら、同 じ手の別個体 も含 まれているのであろうと 考 えられる。 また、2号
遺構 の陶磁器では、上層の2層、2層
下部、1層
・攪乱か ら出土 した破片 と接合す るも の も少 な くはなかった。後世の土地利用 によって、大規模な廃棄土坑の陶磁器が、調査区全体に分散 した もの と 考 え られる。 他の遺構では、同 じくΠ期の1号
遺構、24号土坑、28号土坑、27号 溝か ら、2号
遺構 とほぼ同 じ時期の様オロを 示す陶磁器が、やや まとまって出土 している。4号
土坑、15号土坑、18号土坑、1号
井戸か らは、2号
遺構 よ り もやや新 しい様相の陶磁器が比較的多 く出土 している。I期では、14号土坑か ら、点数はあま り多 くない ものの、 17世紀代の陶磁器が一括 して出土 している。 Ⅲ期では、2号
土坑 と池状遺構新段 階で、陶磁器の出土が多い。 Ⅳ 期では、1号
土坑でやや多い程度で、全体的に陶磁器の出土はあま り多 くはない。③時期 ごとの陶磁器の様相 【I期の遺構 出土の陶磁器】(図 1。 24、 図版1・ 19、 表1∼ 8、 16∼29) この時期の陶磁器 は、
I期
に属する12号溝、9号
土坑、13号土坑、14号土坑、25号溝か ら出土 している。 まと まって出土す るのは、14号土坑か らのみである。 14号土坑では、中国産磁器 と瀬戸・美濃産の陶器が まとまって出土 している (図1-3∼
7、 図24-8∼
11)。 磁器では、肥前産 は含 まれず、中国の青花皿 (図1-4∼
6)、 津 州窯系の大皿 (図1-3)、
安南 (ベトナム) 磁器 と考え られる重 (図1-7)と
いった輸入磁器で占め られている。図1-5。
6は、平縁 で段 を有す る器形 をし、見込みに唐人山水文が描かれた、類似 した構成になるもの とみ られる。中国磁器はいずれ も明末清初の年 代 に相当す るものである。図1-7は
、ベ トナム磁器の安南染付 ではないか と考 えられる。胎土 は淡い黄 白色で、 底部以外 は白化粧 をした上で、染付、施釉がなされている。 日頸部の器形 は、ベ トナム磁器の特徴 と非常 に類似 している (矢部1978)。 文様では、肩部に唐草文、体部 には崩れた蓮弁文が描かれている。 ロクロ成形で、体部 内面 には、上半 と下半 を繋 ぎ合 わせた調整痕が観察 される。陶器 は、瀬戸・美濃の製品に限 られている。図 24-8は瀬戸・美濃の括鉢である。長石釉丸皿は2点
出土 している (図24-9・
10)。 図24-9は
口縁部 に炭化物が 付着 してお り、灯 明皿 として使われた可能性が考え られる。図24-11は
、下部にも鉄釉 が施 された天 目碗 である。 他の陶磁器 よ りもやや古 く16世紀前葉か ら中葉の年代が推測 され、伝世品 とみ られる。 12号溝 (図1-8、
図24-1∼ 5)で
は、陶器で肥前産の呉器手碗 (図24-1)、 美濃の変形皿 (図24-4)な
どが出土 してお り、17世紀代 の様相がみ られる。一方で、18世紀代 にみ られる大堀相馬の中型 (図24-2・
3) などが含 まれている。H-12区では12号溝の埋土 を掘 り込んで、18世紀代 の遺構が存在 していた可能性がある。そ うであるな らば、18世紀代の遺物が含 まれているのはH‐12区だけであるため、18世紀代の陶磁器 は、12号溝 には 伴わない可能性が考 えられる。9号
土坑か らは、肥前磁器の皿 (図1-1)が
出土 してお り、釉調 な どか ら17世紀中葉 の年代が考 え られる。 13号土坑 (図1-2、
図24-6・
7)か
らは、丹波の橋鉢 (図24-7)が
出土 している。下相野窯址 の編年 (大 平茂・松本睦1992)と 比較す ると、体部内面の悟 目が7条
の櫛描 きである点、日縁端部 を外方 にナデ、内面 に鈍 い稜 をもたせ る点、指押 さえ痕が観察 され、その痕は体部外面の比較的下半にみ られる点などか ら、Ⅳ期D類
に 相当 し、17世紀後葉の年代が考 え られる。9号
土坑 と13号土坑 は、攪乱 によって分断されているが、一連の遺構 の可能性が考 え られ (年報19第1分
冊)、 いずれの土坑か らも17世紀代の陶磁器が確認 されている。 【Ⅱ期の遺構 出土の陶磁器】(図1∼20。 25∼41、 図版1∼16・ 20∼38、 表1∼ 8、 16∼29) Ⅱ期の遺構 か らは、主 に18世紀か ら19世紀初頭 ごろの陶磁器が出土 している。今 回の調査地点では、 この時期 に属す る陶磁器の出土量が最 も多い。 中で も、二の九か ら排 出されたゴ ミを捨てた と考 えられる大規模 な廃棄土坑である2号
遺構か らは、18世紀前 葉 を中心 とした多数の陶磁器が まとまって出土 している。 また、1号
遺構、24号土坑 は、2号
遺構 に隣接す る同 様の廃棄土坑であ り、2号
遺構 よりやや規模 は小 さい ものの、同 じ時期の陶磁器が比較的多 く出土 している。28 号土坑、27号 溝 な どか らも、2号遺構 とほぼ同 じ時期の陶磁器が出土 している。他の Ⅱ期 に属す る遺構 では、4 号土坑、15号土坑、18号土坑、20号 土坑、1号
井戸 と3a層な どか ら比較的多 くの陶磁器が出土 している。 これ ら の陶磁器 には、2号
遺構 よりも新 しい18世紀中葉か ら19世紀初頭の様相の ものが含 まれている。2号
遺構 出土の陶磁器では、 さまざまな器種が出土 している。 これ らの器種では、残存率のよい ものが多 く、 図化で きるもの も多かった。年代 では、大皿や大鉢 などの一部に、伝世品とみ られる17世紀の初頭や中葉、後葉 の製品がい くつか含 まれている ものの、中心 となる年代 は17世紀末か ら18世紀前半の ものである。供伴 して出土 した木簡 に、年号が記載 されているものが多数確認 されてお り (年報19第3分
冊)、 明確 に判読で きるものが享保二年 (1717年
)か
ら享保十八年 (1733年)の
享保年間の ものに限 られていた。そのため、出土 した陶磁器 も18 世紀前葉の時期 の一括資料 と考 え られる。観察表 には、陶磁器か ら推測 される年代幅 を示 しているが、2号 遺構 の陶磁器 は、その中で も18世紀前葉 を中心 とした年代が推測 されるものである。 磁器 (図2-18∼
図13-139)で
は、中型丸碗、猪 日、大皿、小 中皿 などの点数が多い。ほ とん どが肥前 産で あるが、大皿 と小型端反碗、鉢 な どに中国の製品がご くわずかに含 まれている。丸碗では、波佐見産の陶胎染付 (図2-18・
20)や
、 いわゆる「 くらわんか手」の比較的厚手 の碗 もい くつか確認 された (図2-18∼
25、 図 3-29)。 また、京焼の影響 を受けた と考 えられる器高が浅 く、高台が小振 りの碗 (図4-45∼ 50)が
出土 して いる。生産地編年では、1710年ごろにはみ られるようにな り、18世紀前半に流行す るものである (九州近世陶磁 学会2000)。 器厚が比較的薄手の種類 の碗 もみ られる (図3-26・
27・ 32∼36)。 図3-40は
、外面青磁釉 の碗 で ある。 白磁 (図4-51∼
53)、 色絵 (図4-46・ 54)も
み られる。文様では、蔦文・松文・菊花文・丸文 な どに、 こんにゃく判 を用いた ものがみ とめ られる (図3-28・
29。 31)。 図3-37の
七宝繋 ぎ文は、七宝4個
が1単位 と なった こんにゃ く判が用い られている。図3-34・
35、 図4-48・
49のように、器厚が薄手の製品の中には、細 かな文様が丁寧 に描かれた もの もみ られる。碗の見込みに、手描 きの五弁花文がみ られるものもある (図3-35)
が、多 くはない。高台内には、二重方形枠 に渦「福」銘 (図3-27・
35。39)が
付 くものがみ られ る。図3-35'39の
渦「福」銘 は、「福」の「田」の字の渦が3重であ り、おお よそ18世紀前葉頃に多い銘 と考 えられる (鈴 田由紀夫1995)。 他 に、高台内に、「大明年製」銘 (図2-24・
25、 図3-26・
28。 38・ 40)、「大明成化年製」銘 (図4-50)が
付 くものがい くつかあるが、いずれ もかな り崩れた ものである。図 4-491よ 、「冨貴長春」銘 を2 行 に表 した ものである。 図 4-55、 57・ 58などは中型 。小型の端反碗 としたが、猪 口や小型の鉢などの可能性 も含 まれている。図 4-57・ 58は、桃・蝶・草花文 と口縁 内四方欅文 といった同 じ文様が描かれた揃いの製品である。染付の文様以外 に、 外面青磁釉 (図4-55)、 色絵 (図4-59'60)、
外面鉄釉 (図5-64)な
どの製品がみ られる。図5-66は
、内 面に型打で陽刻文がある自磁小型端反碗である。非常 に薄手の作 りのため、中国産の可能性が考えられる。 中型 の猪 口では、体部下半 に段 を有す る腰折形の器形の もの (図5-77・ 79)と
、段 を持たない桶形 の もの (図5-72∼
76・80)が
み られる。 また、図 5-72、 75。 80のように体部 にややふ くらみをもつ もの、図5-73
のように小型の もの、図5-74・
77のように体部がやや細身の ものな ど、器形の細部では違いがみ られる。小型 の猪 口 (図5-62∼
65)は
、腰張型で端反の器形 を呈す る。文様では、 こんにゃ く判 を用いたもの (図5-63∼
65、 75。76)の
ほか、型紙摺 りの もの (図5-80)が
み られる。 また、図4-56と
図 5,741よ 、欠損部位がある ものの、同様の文様が描かれている もの と推測 される。銘では、「大明年製」(図5-75。
80)、 「□□□化年製」 (図5-74)な
どがある。図5-801よ、「大明年製」銘 も型紙摺 りによって描かれているように観察 されるが、明 確ではない。図5-75は
、図化 しなかった破片資料の中に、同様 の文様の ものがあ り、同一個体 とな らない部位 であったため、同 じ手の別個体が存在するものと考えられる。 また、数は少 ないが、小型の丸碗 (図5-67∼ 69)や
、 白磁型打の小杯 (図5-70)も
出土 している。図 5-70は、芙蓉手風 の陽刻文がみ とめ られる。図5-71は
、碗 の高台付近の破片である。上部は、意図的に、 この よ うな状態 に打 ち欠かれた もの と考え られるが、用途は不明である。 皿 は、大皿、小 中皿、極小皿、変形皿な どが出土 している。大多数が肥前産であるが、中国産磁器 もわずかに 含 まれている (図8-85、 図H-103)。 大皿が比較的多 く出土 していることが特徴である。染付以外では、青磁 の大皿 (図7-83)が
み られる。図8-85は
、中国淳 州窯系呉州赤絵 の大皿で、「EF判手」 と呼ばれるものであ る。接合で きなかった同一個体 に、「EF判」部分の破片が含 まれている。図11-103は
、景徳鎮民窯系 の「祥瑞」 手の皿である。日紅、紫みのある鮮やかな呉須、小 さな黒い粒子の混 じる素地や、区画に七宝文や紗綾形文 とい った文様 (西田宏子・ 出川哲1997)な
どの「祥瑞」手の特徴がみ られる。 また、高台内には、飛び飽風の削 りの痕跡が観察 される。肥前産では、大皿 を中心 に、緻密な文様が描かれた上手の皿がみ られる (図
6-81・
82、 図 7-84、 図 8-87、 図9-88。
89∼91)。 図7-84は
牡丹唐草文 によって、図9-88は
葡萄蔓草 と鹿文 によって、 皿全面 を文様で埋 め尽 くす構成で、中で も図9-88は
、非常 に細かな線 によって鹿、蔓草、葉の葉脈 な どが表現 されている。小 中皿の中にも、図10-93、 96のように緻密 な唐草文が描かれるものがみ られる。一方で、見込み 蛇 ノロ釉剥 ぎをした量産品の皿 (図11-lo6、 図12-108∼ 110)や
、 こんにゃ く判 を用いた もの (図10-94、 図11-105)な
ども含 まれている。図10-94は
、見込みの五弁花文だけでな く、唐草文 もこんにゃ く判 によって表 現 されている。器形では、輪花皿 (図6-82、 図 7-84、 図8-86)や
、高台が高い器形 (図8-87、 図9-89)
な どがみ られ る。高台内は、「大明年製」銘 (図8-86、 図10-92・ 97、 図11-lo4)、 「大明成化年製」銘 (図 10-96、 図11-lo2・103)な
どが確認 される。図10-93の
渦「福」銘 は、18世紀前半代 に多い銘 とみ られる (鈴 田1995)。 極小皿では、 こんにゃ く判 による桜花文 (図12-111)や
、型紙摺 りによる菊花文 (図12-■
2)な
ど がみ られた。図12-1131よ 、小破片であるが、細かな線 による緻密な文様が描かれた皿である。皿の年代は、18 世紀前葉の ものが中心であるが、中国産 には明末清初期の ものがみ られ、肥前産の大皿にも17世紀中葉や後葉の もの とみ られる伝世品がい くつか含 まれている。 その他 の器種 は、 まとまった出土 を示す ものはない。図12-116の
鉢 は、17世紀代の もの と考 え られる。 どの ように使用 された ものかはわか らないが、内外面に細かな擦痕が観察 される。染付以外では、青磁製品の鉢 (図12-260)・
灰吹 (図12-115)・
壺 (図13-129)、 白磁 の鉢 (図12-117)、 自磁型打の合子 (図12-119)、 色絵 製品の鉢 (図12-118)・
瓶類 (図13-133)・
水滴 (図13-135)な
どがみ られる。 白磁 の鉢 (図12-117)イよ、 中国の もの とみ られる。水滴 (図13-135)は
、色絵型押成形で、赤絵町遺跡か ら類似 した文様が描かれた水滴 が出土 している (尾崎葉子他1990)。 図12-117の鉢 は、欠損部分が大 きいが、白磁の角切鉢 となるもの と考 え ら れる。図12-118は
、「虫 くい」 と呼ばれる釉 の剥げ落ちが日縁の角部分にみ られる。同一個体 に、接合できなか った底部破片があ り、見込みには、区画に亀 甲文や幾何学的文、花文が配される。中国景徳鎮民窯系の「古染付」 手の可能性が考 えられる。図13-136∼1381ま、磁器の碗 や皿 を意図的に打 ち欠いて、円盤状 に加工 したものであ る。今 回の調査では、同様の ものが、2号
遺構か ら18点、3a層か ら2点
、2層
か ら2点
、2層
下部か ら1点、1
層 。攪乱か ら8点
が確認 された。武家屋敷地区第4地点の調査 において も、磁器製 。陶器製の ものが少数出上 し ている (年報13)。 用途は不明である。2号
遺構 の陶器 (図25-25∼
図35-129)で
は、中型丸碗 、小 中皿、悟鉢、奏などの出土点数が多い。中型丸 碗 では、大堀相馬、小野相馬、瀬戸・美濃、肥前、京・信楽などの製品が確認される。中で も、小野相馬 と考え られる碗 が比較的多 く出土 してお り、大堀相馬 も存在するものの、小野相馬 より多 くはないことが注 目される。 大堀相馬 とした もの、小野相馬 とした ものの両者 に、いずれ とも判断で きず、その中間的な特徴 を示す もの もみ られた。 また、瀬戸・美濃や肥前の製品も比較的多 く出上 している① 小野相馬 とした九碗 (図25-26∼
30、 図26-31∼
40、 46。47))の
特徴 は、胎土 に小野相馬独特 の黒色粒子や 白色の砂粒 を含み、断面の胎上の色調 は、部位 によって灰色、灰褐色、にぶい橙色などになる。露胎 した高台部 分の色調 は、大堀相馬では灰 白色や淡黄色 など白っぽい ものが多いのに対 して、これ らの小野相馬 とした碗では、 褐色系統の色調 を示 している。釉調は、淡青灰色 ない し淡青灰 白色で半失透釉か ら失透釉の灰釉であるが、部分 や個体 によって、釉の透明度や色調には変位がみ られる。高台付近の釉切処理では、高台脇 まで釉が垂れるもの (図26-27・32)も
み られるが、ほ とん どは高台賜 まで垂 れるものはない。見込みには目跡がみ られるものが多 いが、 目跡がない もの もわずかに存在する。高台の作 りも個体 による違いが大 きいが、大堀相馬に比べて高台の 作 りにシャープさがない ものが多い。高台の内側 を斜めに削って作 られるものがい くつかみ られる。灰釉碗のほ か、鉄釉流 し掛 け (図26-36、 38∼40)や
、鉄絵 (図26-37)の
製品 もみ られる。 しか し、小野相馬の特徴 を持 ちなが ら、他 と比べ ると、釉調 に透明度がある もの (図26-46)や
、釉調や器形、高台付近の釉処理の仕方が異なるもの (図
26-47)も
み られ、これ らは小野相馬 ?と している。小碗 (図28-73)は
1点のみの出土であるが、 小野相馬の もの とみ られる。 大堀相馬 とした丸碗 (図26-41∼
45)で
は、胎土が灰 白色や淡黄色の比較的緻密 な胎土であ り、高台の角が よ りはっきり作 られている。釉切の処理では、高台脇 まで釉が垂れる大堀相馬の特徴がみ られる。灰釉碗 (図 26-43∼45)と
鉄釉流 し掛 けの碗 (図26-41・42)と
がみ られる。 しか し、18世紀中葉以降に多 くみ られる大堀相馬 の灰T14丸碗 とは異 なる特色 もみ られる。釉調では、透明度がある淡緑灰 白色の ものは図26-42の
みで、他 は淡青 灰 白色で半失透釉 の小野相馬 に近い釉である。図26-431よ 、口縁部付近 に丸みがあ り腰高で、高台が小 さめの器 形 をしてお り、図26-45で
は高台が薄手の作 りであるな ど、個 々の器形の違い もみ られる。 京・信楽の色絵九碗 (図26-48∼ 50)で
は、いずれ も色絵 は青・緑 によって描かれた ものである。瀬戸 ・美濃 では、尾 呂茶碗 (図27-51)、 御室茶碗 (図27-52∼
54)、 腰錆碗 (図27-55・56)な
どのほか、茶器 とみ られる 図28-71の
ような碗 もみ られる。肥前では、白泥刷毛 目文の碗 (図27-57∼
59)、 呉器手碗 (図27-60∼
62)、 京 焼写 しの碗 (図27-63・ 64)、 灰釉碗 (図27-65)、 白化粧 に鉄絵の碗 (図27-66)な
どがみ られる。京焼写 しの 碗 では、高台内に「清水」、「中村金」 ?の ような刻印が確認 される。図28-72は
、器形・文様 などは京 。信楽の 碗 にみ られるが、胎土が暗灰色で全体的に灰色 を呈 してお り、京・信楽の胎土 と異なるため、産地 は不明である。 また、図27-67∼
701ま、いずれ も茶器 と考 えられる。図27-681ま 、天 日碗 で、釉 は油滴状の光沢がみ られる。産 地 は中国の もの と考 えられる。図27-69・ 70は、高台内側 を九 く削 る作 りが類似す るが、胎土・釉調 は異 なる。 図27-70は
、高台脇 に沈線状の削 りがみ られ、釉 には肌色の斑点がみ られる。産地は不明である。 皿では、肥前、瀬戸・美濃、小野相馬、京・信楽 な どがみ られ、肥前がやや多い。肥前の皿は、見込み蛇ノロ 釉剥 ぎの もの (図28-74∼ 76)と
、そ うでない もの (図28-77)が
ある。九皿の他 に、段 を有す る器形 (図28-76)も
み られる。瀬戸・美濃の皿 (図28-79)で
は、見込みに招絵がみ られる。図28-78は
、胎土・釉調か ら小 野相馬産 と考 えられる。図版24-80は
、京・信楽産 とみ られるが、外面に色絵があ り、内面 に漆が塗 られている。 鉢の出土点数 はあま り多 くはない。三島手 (図29-85)、 印花文 (図29-86)な
ど、唐津 の ものが い くつかみ られる。図29-871ま 見込みに胎土 目積みの痕跡が観察 されることか ら、唐津で も17世紀初頭の古手の ものが含 ま れている。図28-81は
、瀬戸・美濃の緑釉流 しの大鉢 で、 これ も遺構の年代 よ りも古い17世紀初頭か ら前葉の年 代が考 えられる。他 に、図28-84は
大堀相馬の鉢、図29-881ま 小野相馬の片口鉢が出上 している。 播鉢 は、やや多 く出土 してお り、堺 (図29-89、 図30-90'91、 図31-93)、 唐津 (図30-92)、 丹波 (図 33-105)、 瀬戸・美濃 (図28-83)、 小野相馬?(図
33-102)、 岸?(図
33-101)、 東北産?(図
31-94、 図32-95
∼97、 図33-98、 100)、 産地不明 (図33-99、 103・104)な
ど、産地 もい くつかがみ られる。堺 とした ものは、 特徴が よ く似 た明石産や大阪産の可能性 も含 まれている。無釉焼締めで、底部が残存 しているものでは、底部に 焼台で重ね積み した痕跡が確認 される。唐津産では、内外面 に鉄釉が施釉 され、上端 には「 ×」状 の悟 り目が施 されている。見込みには焼台の痕跡がみ られ、外面の体部下半 には繊維状 の ものが混 ざった「籾団子」痕が確認 される。丹波産 は、緒 り目が8条
の櫛描 きで、日縁端部 を外方 にナデ、内面 に鈍い稜がみ られ、口縁外面の凹凸 が 目立つな どの特徴がみ られる。下相野窯址 の編年 (大平茂 。松本睦1992)の
、Ⅳ期D類
もしくはV ttE類 に相 当す るのではないか と考 え られ、17世紀後葉か ら18世紀前葉の年代 とみ られる。図33-1021よ 、胎土 と口縁外面 に突帯が1条巡る器形か ら、小野相馬の悟鉢C類 (関根達人1998)の
可能性が考 えられる。 東北産?と した橋鉢 は、砂粒が混 ざる粗 い胎土で、 日縁外面 に突帯が1条
巡 り、突帯の直上がナデ によって凹 む形態 をした ものである。内外面 には鉄釉が施釉 されている。胎土や釉調か ら東北の窯で生産 された ものであろ うと考 え られ る。図32-97だ
けは、突帯の形状が他 と異 なるが、胎土や釉調か ら東北産 に含めている。胎土 は、 焼成時の火 まわ りの良 し悪 しによって、一個体 中で も灰色 を呈する部分や茶褐色 を呈する部分があるなど、一様 ではない。内外面 に鉄釉が施釉 されているが、暗赤褐色の もの もあれば、茶褐色のもの もあ り、同 じ鉄釉で も釉調 にも微妙 な違いがみ られる。胎土の砂粒 の含有度合や、突帯の形状 な ども、それぞれ特徴 は微妙に異なること か ら、東北産の指鉢 といって も、い くつかの異 なる窯が存在する可能性が考えられる。 その他の器種 では、瓶類 (図34-106・ 107)、 重 (図34-108。 109)、 奏 (図34-110。 111)、 蓋 (図
34-114∼
116)、 灰吹 (図34-117∼119)、 火入 (図34-120∼
122)、 香炉 (図35-123)、 焙烙 (図35-124)、 豆甕 (図 35-125)、 器台 (図35-126)、 人形 (図35-127)な
どがみ られる。瓶では、備前のへそ徳利や瀬戸 ・美濃の鉄釉製 品がみ られる。図34-109の
壼 は、産地示明であるが、器形か ら「内海茶入」の可能性が考 え られる。図34-111
は、砂粒 の多 い胎土で、上半が ないため確実ではないが、信楽の「腰 白茶壼」の可能性が考 え られる。蓋 (図 34-114。 116)、 灰吹 (図34-119)、 壷・奏不明 (図34-112)は
、瀬戸 ・美濃産 とみ られる。灰吹 (図34-H8)
や火入 (図34-121)は
、釉や胎土か ら小野相馬 と考 え られるものがある。同 じく胎土や釉調か ら東北産 と考え られるものが含 まれる。東北産の中には、岸窯系統 と考 え られる香炉 (図35-123)や
、19世紀以降の堤焼 に通 じる と推測 される胎土・釉調の灰吹 (図34-117)な
ど、括鉢 と同様 に、い くつかの窯の製品がある もの と考え られる。図35-1241よ 、器形か ら焙烙 としたが、底部全体 にも鉄釉が施釉 され、火 を用いた痕跡がみ られないこ とか ら、焙烙状の形態 をした他 の用途の可能性 も考 えられる。図35-125。 126は、いずれ も緑褐色の釉が施釉 さ れている。同様の釉 は、1号
遺構 出上の ミニチュア皿 (図25-20)に
もみ られる。 これ らは、土師質土器や軟質 施釉土器の玩具 に類似 した形の ものがみ られることか ら、玩具類 と同様の産地の可能性が考えられる。 上述の2号
遺構の陶磁器 と同 じ時期の遺構 としては、1号
遺構、24号 土坑がある。1号
遺構 の磁器 (図1-9∼
17)は
、いずれ も肥前産である。波佐見産の陶胎染付 (図1-13)や
、器高が浅 く、高台が小振 りの碗 (図1-9)、 白磁碗 (図1-12)な
どがある。図1-11は
高台内に渦 「福」銘がみ られる が、「福」の字 はかな り崩れた もので、2重
の方形区画 も省略 されている。図1-10は
「大明嘉靖年製」銘 とみ られる。17世紀末か ら18世紀前葉 にみ られる銘 (鈴田1995)で
、「太明」でな く、明確 に「大明」 と書かれ、書 体 はしっか りした ものである。見込みには手描 き五弁花文が、外面 には薄 ダミを用いた緻密 な線の唐草文が描か れている。図 2-14、 17は、同様の文様が描かれてお り、釉調 。胎土 な ども似ていることか ら、組 となる蓋 と蓋 付 き鉢 の可能性が考 え られる。その他、人角形の猪 口 (図2-15)、 青磁皿 (図2-16)な
どがみ られる。青磁 皿 は、波佐見の17世紀 中葉頃の足付 きの皿 と考 えられる。 陶器 (図25-14∼
24)で
は、瀬戸・美濃の灰釉碗 (図25-14)、 瓶類 (図25-22・ 23)、 甕 (図25-24)な
どが み られる。肥前では、 白泥刷毛 目文の碗 (図25-15。 16)、 鉢 (図25-21)、 蛇 ノ ロ釉剥 ぎの皿 (図25-18・ 19) がみ られる。他 に、小野相馬?の灰釉碗 (図25-17)が
み られる。 24号土坑の磁器 (図16-172∼
176、 図17-177∼ 181)は
、いずれ も肥前産である。碗 では染付色絵 の製品 (図16-172)が
み られ、見込み にも色絵文様が展 開す る。高台内には2行
に書かれた「冨貴長春」銘がみ られ る。 図16-1731よ比較的丁寧 な文様が描かれた染付碗である。皿では、肥前の蛇 ノロ釉剥 ぎの皿 (図17-179)が
み ら れるほか、大皿 (図17-177・178)や
小 中皿 (図16-176、 図17-180。181)で
は丁寧 な文様が描かれた上手の ものがみ られる。高台内には「大明成化年製」銘 (図16-176、 図17-177)、 渦「福」銘 (図17-180)な
どがみ られる。大半が18世紀前葉の ものであるが、図17-178、 181の皿 については、それぞれ17世紀後葉、17世紀前葉 か ら中葉の時期であ り、2号
遺構 と同様 に、皿 などの一部に伝世品が含 まれている。 陶器 (図37-158・ 159、 図38-160∼ 171)で
は、大堀相馬、小野相馬、瀬戸・美濃、肥前、京・信楽などの製 品がみ られる。瀬戸・美濃製品が比較的含 まれてお り、大堀相馬があま り多 くはないという様相 は、2号
遺構 と 同様であろうと考 え られる。碗 では、瀬戸・美濃 (図37-158、 図38-164)、 肥前 (図38-165)、 大堀相馬 (図 38-160・ 161)、 小野相馬 (図38-162)の
灰釉碗 のほか、京・信楽では錆絵呉須絵 の碗 (図38-163)が
み られ る。大堀相馬の灰釉碗 は、胎土や高台の作 り方か らは大堀相馬 と判断されるが、釉薬は小野相馬に近い淡青灰 白 色 を呈する ものであ り、2号遺構 と同 じ特徴がみ られる。図38-1601よ 、大堀相馬の碗 であるが、日縁部付近 に丸みがある腰高で、高台が小 さめの器形 をした ものである。小野相馬の碗 は、釉・胎土など
2号
遺構 で出土 した も の と同 じ特徴の もので、見込みには日跡がみ られる。皿 (図38-166・167)は
、いずれ も瀬戸・美濃で、図 38-166は 17世紀前半の古手の ものである。大鉢 (図38-168)は
、唐津の白泥刷毛 目文の ものである。図38-170は
胎土・釉調か ら東北産の可能性が考えられる。 28号土坑 (図18-182∼
186、 図38-172∼
174)、 27号溝 (図18-192∼195、 図39-181∼187、 図40-188∼
190) か らも、1号
遺構、2号
遺構、24号土坑 と様相の同 じ陶磁器が出土 している。特 に陶器は、28号土坑で尾 呂茶碗 (図38-172)・
壺 (図38-173)、 受水入 (図38-174)な
ど、瀬戸・美濃製品が各種み られる点 な ど、類似 して いる。27号溝では、京・信楽の色絵碗 (図39-181)、 肥前 の京焼写 しの碗 (図39-183。 185)、 瀬戸・美濃 の腰 錆碗 (図39-184)が
み られるな ど、同様の構成がみ られる。1号
遺構、2号
遺構、24号 土坑 にみ られなかった もの としては、28号 土坑では瀬戸・美濃の摺絵髪水入 (図38-174)、 27号溝では瀬戸・美濃の尾 呂徳利 (図 39-187)、 瀬戸・美濃?の尿瓶 (図40-190)な
どが加 わる。京・信楽の色絵碗 (図39-181)は
、色絵 に青・緑 ・金 が使 われた ものである。2号
遺構 よりも新 しい様相 を示す陶磁器 としては、4号
土坑、15号土坑、18号土坑、20号土坑、1号
井戸、3a 層が挙げ られる。 20号 土坑 については、人為 的な遺構 ではな く、2号
遺構、1号
遺構、24号 土坑が3b層によって整地 された後、 自然 に形成 された窪みであろうと考 えている (年報19第3分
冊)。 この20号 土坑 に堆積 した埋土が3a層 である。 遺物 は20号 土坑 として取 り上 げた もの (図16-168∼
170、 図37-156)と
、3a層として取 り上げた もの (図 19-203∼209、 図20-210∼
217、 図40-195∼
203、 図41-204∼ 217)が
あるが、一連の ものである。出土陶磁器 には、2号
遺構 よ りも若千新 しい様相が うかが える。磁器 では、碗 (図19-203∼
207)、 猪 日 (図19-208・ 209、 図 20-210)、 小 中皿 (図16-168)、 重 (図16-169)、 瓶 (図16-170)、 極小皿 (図20-211)、 紅猪 日・紅皿 (図 20-212、 214∼217)な
どが出土 している。文様 にはこんにゃ く判 を用いた もの (図19-205・ 206、 208、 図20-215)が
み られ る。高台内の銘では、渦「福」(図19-204、 206)、「大明年製」(図20-210)の
ほか、「貴」(図19-203)が
み られる。渦「福」銘 は、2号
遺構の もの よ りもさらに崩れた ものであ り、18世紀中葉か ら後葉の 渦「福」銘 (鈴田1995)に
近い。図19-206では「福」の「田」部分の渦が四重 に巻かれている。 陶器の碗では、大堀相馬 と小野相馬が多 くな り、肥前産がわずかに含 まれる。2号
遺構では比較的多 く含 まれ ていた瀬戸・美濃の碗類 はほ とん ど含 まれず、腰錆碗 は破片が1点確認 されるのみである。2号
遺構 で は、小野 相馬の碗が大堀相馬 よ り多かったが、20号土坑 。3a層では、大堀相馬の製品が多 くなる。大堀相馬では、灰釉碗 (図37-156、 図40-196∼ 199)の
他、2号
遺構 にはなかった灰釉 と鉄釉の掛 け分け碗 (図40-200)が
み られる。 この掛 け分け碗 は、瀬戸・美濃 の腰錆碗写 しと考えられてお り (関根1998)、2号
遺構 においてい くつか出土 し ていた瀬戸・美濃の腰錆碗 は、20号土坑 。3a層か らは小破片が1点出土す るのみである。小碗では鉄釉流 し掛 け の碗がみ られる (図41-204。 205)。 この小碗 は、中碗 をやや小振 りに した ようなタイプで、大堀相馬で18世紀 末か ら19世紀初頭の資料 (年報18)で
み られる小碗 とは異 なるものである。大堀相馬の碗の釉調 は、透明度のあ る淡黄灰 白色や淡緑灰 白色の釉が主体で、2号遺構でみ られた小野相馬 に似 た釉 は図37-1561こ わずか にみ られる だけである。 皿では、肥前の見込み蛇 ノ ロ釉剥 ぎの皿 (図41-209∼
211)、 小野相馬の見込み蛇ノロ釉剥 ぎの皿 (図41-206)、 瀬戸・美濃の摺絵皿 (図41-207)が
み られる。瀬戸・美濃 の摺絵皿 は、2号
遺構や24号土坑で も出土 している が (図28-79、 図38-167)、 摺絵 はよ り細か く複雑 な文様 となっている。大堀相馬では、折縁輪花皿 (図41-208)と
丸皿 (図41-212)が
あ り、碗 とは異な り、丸皿では小野相馬の釉 に近い淡青灰 白色の半失透釉 が使 われ ている。折縁輪花皿は、淡青灰 白色の釉で も幾分透明度のある釉である。その他の陶器では、東北産 とみ られる 大鉢 (図41-213)、 界 の悟鉢 (図41-215)、 瀬戸・美濃の摺絵髪水入 (図41-217)。
甕 (図41-218)、 大堀相馬の鉢類 (図
41-214)な
どがみ られる。瀬戸・美濃の摺絵贅水入は28号 土坑か らも出上 しているが、28号土坑 の ものより文様が大降 りである。 18号土坑 (図15-161∼
165、 図36-146∼
152、 図37-153)。1号
井戸 (図18-196。 197、 図19-198、 図 40-191∼194)からは、18世紀代 を中心 とした陶磁器が出土 してお り、陶器では2号
遺構 よ り新 しい様相がみ られる。 18号土坑の大堀相馬の灰釉碗 (図36-146。 147)イま、2号
遺構 と異 な り、釉 に透明感がみ られるものである。 ま た、2号
遺構 にはみ られなかった、大堀相馬の腰折碗 (図36-148)が
み られる。1号
井戸 の陶器では、大堀相 馬の印花文のある掛 け分 け碗 (図40-191)、 印花文のある輪花皿 (図40-192)な
ど、 これまで18世紀 中乗か ら 後葉の時期の資料 に多 くみ られるものが出上 している。4号
土坑か らは、18世紀後半か ら19世紀代 に入 るとみ られる陶磁器が出土 している (図13-140∼147、 図 35-130。 131)。4号
土坑 は、北側 と西側 は調査 区外へ と伸 び、東側 と南側 も攪乱によって破壊 されているため、本 来の形状や大 きさは不明である (年報19第1分
冊)。 埋±5層以下では18世紀代 の陶磁器が出土 しているが、埋 ±1・ 2層か らは18世紀後半か ら19世紀代の もの (図13-142∼
144、 図35-131)も
含 まれてお り、埋土の上層 と下層では異なる遺構 の埋土であった可能性 も考えられる。 15号土抗では、磁器で17世紀後葉や18世紀前葉の ものが含 まれているが、中心 となるのは18世紀末か ら19世紀 前葉の時期である (図14-151∼
160、 図35-135∼
140、 図36-141∼
144)。 磁器では、碗 の見込みに松竹梅文が み られ (図14-151)、 18世紀後葉頃の見込み文様 と考え られる (鈴田1995)。 18世紀後半以降に多 くなる蛇 ノ ロ 凹型高台の皿 もみ られる (図14-158)。 古手の もの としては、図14-154・ 155の皿がみ られる。図14-1541よ 、 葉や花の構 き方が繊細で、つ けダ ミで濃淡が表 されている。図14-1551ま 、『柴田コレクションV」 (佐賀県立九 州陶磁文化館1997)に
類似 したモチーフの皿がい くつかみ られる。伝世品 として優品が含 まれるものと理解 され る。陶器では、掛 け分 け碗 (図35-135)、 鉄釉流 し掛 け碗 (図35-136)、 土鍋 (図36-142)、 瓶 (図36-144)
など、大堀相馬の様 々な製品がみ られる。図35-140は
、器種不 明 としたが、器形か ら線香立てなどの可能性が 推測 される。鉄釉流 し掛 け碗 (図35-136)で
は、灰釉が白濁 して糠 白釉 に近い発色 を している。18世紀末か ら 19世紀初頭の大堀相馬の製品には、 このような白濁 した灰釉が多 くなるのが特徴である。 また、鉄釉 の痰重が出 上 してお り (図36-143)、 釉や胎土か ら東北産であろうと考 えられる。 その他、 まとまった出土 はみ られない ものの、 この期の遺構 出土の陶磁器で、特筆すべ き資料について触れて い く。磁器では、中国の ものがい くつかみ られる。図14-1481ま 、淳 州窯系 とみ られる皿で、窓絵・青海波文 な どがみ られる。15号溝か らは、中国景徳鎮窯系 の皿が2点出土 している (図18-189。 190)。 いずれ も明末清初 の 17世紀前半頃の年代が想定 されるものである。肥前磁器の中にも、遺構 の年代 よりも古手の17世紀代の ものがい くつか含 まれている。19号土坑か らは、17世紀後葉か ら末葉 と考え られる大皿が出土 している (図15-166)。 19 号土坑か らの出土であるが、破片 は各地 に飛 び散 ったものが接合 している。22号土坑 (図16-171)、 17号溝 (図 18-191)、 ピッ ト5(図
19-200)に
も17世紀前葉か ら中葉、17世紀後葉の資料が含 まれている。陶器では、7号 土坑 に美濃の九皿がみ られる (図35-133)。 いずれ も遺構 は Ⅱ期の18世紀か ら19世紀初頭の年代が考え られるが、 陶磁器 には遺構の年代 よ りも古い ものが含 まれている。 一方、22号土坑 では陶器の鉢 (図37-157)も
出土 してお り、胎土や釉 か ら19世紀の堤焼であろうと考 え られ る。10号溝出上の植木鉢 も、胎土や釉調か ら19世紀代の堤焼の可能性が考 え られる (図39-179)。 【Ⅲ期の遺構出上の陶磁器】(図20・ 21、 41・ 42、 図版16・ 38・ 39、 表1∼
8、 16∼29) Ⅲ期の遺構では、2号
土坑 と池状遺構古段階で幾分出土量が多い。19世紀前葉頃が主体であるが、それ以前の 17世紀代、18世紀代の陶磁器 もわずかに含 まれている。 磁器は、肥前産が多いことに変わ りはないが、瀬戸産の磁器 も含まれるようになる。2号
土坑出土の碗では、端反碗 (図