プロスポーツクラブ運営
グローバル化と
プロスポーツクラブ運営
社会学部
学籍番号
867256
涌田龍治
はじめに
1999 年1月1日、解散の決定した横浜フリューゲルスというJ リーグクラブチームが 天皇杯で優勝を飾った。優勝までのぼりつめたスポーツクラブがなぜ解散したのだろう か。そういった疑問から、1999年度四年早川武彦ゼミナールでは様々な議論を重ねた。 ゼミでの議論を生かすため、卒業論文のテーマを共通に『プロスポーツクラブ運営』と決 め、そのテーマについて研究した。こうして立ち上がった、共同プロジェジェクトはさら に研究を突き詰めるために、プロスポーツクラブ運営を事業の観点から把握することに決 めた。運営の主要事業と思われた、チケット販売の事業、放映権販売の事業、グッズ販売 の事業、これら三つの事業にゼミ生6人が役割分担して詳細な研究を行なった。私に与え られた役割は、チケット販売の事業であった。したがって、本論文では第2章においてチ ケット販売事業の分析について述べている。 さて、本論文では、プロスポーツクラブ運営を、グローバル化という現象の中のそれと して論じている。したがって、サブテーマは「プロスポーツクラブ運営とグローバル化」 である。 本論文では、経済のグローバル化の進展からネットワーク同士の対立を類推し、グロー バル規模のネットワークとローカル規模のネットワークとの対立の調整をいかに解決す るのかをスポーツクラブ運営を通じて検討する。特にネットワーク同士の対立が鮮明なプ ロスポーツクラブ(プロフェッショナル選手を抱えるスポーツクラブ)の運営を取り上げ る。 第1章では、グローバル化とネットワークの関係について言及しそれがスポーツクラブ とどのように関わっているのか検討する。 第2章では、プロスポーツクラブの事例としてJリーグクラブチームを取り上げる。プ ロスポーツクラブ運営者が現在あるいは今後どのような経営戦略をとり得るのかについ て検討する。ここでは、特にチケット販売事業について検討する。 第3章では、プロスポーツクラブ運営の直面する問題がグローバルとローカルのいずれ のネットワークに属するものも同じとし、スポーツボランティアを提示する。そして運営 モデル作成のための概念図を提示する。 なお、『プロスポーツクラブ運営』の共同プロジェクトの役割分担については以下の通 りである。 <共同プロジェクト役割分担> 1. チケット販売の事業:浦野亮一、涌田龍治 2. 放映権の販売の事業:井上良平、西林宏之 3. グッズ販売の事業 :丸山雅史、棟安俊文謝辞
このような論文が様々な人のおかげで出来上がることを、生涯で初めての論文作成の段 階で気づかされたことは、私にとっては貴重な経験であったと思う。この論文の作成に協 力してくださった様々な人に感謝している。 とりわけ、ゼミ生全員で行なったアンケート調査に協力してくださった株式会社東京ド ームの中本夏樹氏と安田知生氏、私の拙いインタビュー技術でも寛大にお答えくださった FC 東京の村林裕氏、リコーエレメックス株式会社の宇佐見徹志氏、寺澤克俊氏、そして、 何度も適切なアドバイスを下さった早川先生、岡本先生、大学院の松下さん、その他全て の方々に非常に感謝していることを、この場を借りてお伝え致したいと思う。 最後になるが、共同プロジェクトを1999年度四年ゼミに提案したとき以来、時に厳 しく時にやさしく私を叱咤激励してくれた四年ゼミ生、井上君、浦野君、西林君、丸山君、 棟安君にありがとうと伝えたい。いや、彼らは思い出に浸るよりも明日へ向かう勇気ある ライバルなので、むしろ“よろしく”と伝えたほうがいいだろう。また、こんな私に協力 してくれた三年ゼミの皆には来年度の卒業論文が本稿以上になるように期待している。き っと彼らはやってくれるであろう…プロスポーツクラブ運営
グローバル化とプロスポーツクラブ運営
<目次>
はじめに……… 1
謝辞……… 2
第1章 グローバル化………6
第1節 グローバル化とネットワーク………6
第1項 グローバル化とは………6 第2項 ネットワーク………8第2節 スポーツクラブ運営………11
第1項スポーツクラブとは………11 第2項プロ選手を抱えるスポーツクラブとは…………13 第3項スポーツクラブがプロ選手を抱える根拠………16第3節 グローバル化の中でのプロスポーツク
ラブ運営………19
第2章 プロスポーツクラブ運営………21
∼チケット販売から見るプロスポーツクラブ運営∼第1節 プロスポーツクラブ運営とは………21
第1項プロスポーツ………21 第2項アマチュアリズムとプロ化………23 第3項クラブ………24第2節 運営費用………25
第3節 収入とチケット販売事業………27
第1項運営環境の整理………27 第2項商品∼販売するもの………28 第3項収入と販売事業………32 第4項チケット販売事業………44第4節 チケット販売事業の問題点…………63
第3章 運営モデル作成への課題………64
第1節 問題点の整理………64
第2節 スポーツボランティア………65
第1項スポーツボランティア………65 第2項参加と潜在ニーズ………67 第3項普及とインターフェース………69第3節 運営モデル………70
おわりに………73
主要参考文献………74
第
1章 グローバル化
第
1節 グローバル化とネットワーク
第
1項 グローバル化とは
今日、グローバル化が急速に進展している。本論文で述べる“グローバル化”とは、「経 済、文化など人間生活のあらゆる面での世界の一体化。1」と定義する。 一般に、文化論者は、このようなグローバル化の進展を、世界を均質化し、固有な価値 観や生活様式を持ったコミュニティを解体する、その現象と捉えている。また、一方では コミュニティに固有な価値観や生活様式は、コミュニティ同士では異なったものであり、 それゆえ、コミュニティごとに多様な価値基準があり、多様な価値基準それぞれが公正な のである、と文化論者は一般に考えているようだ。 先日の『読売新聞』の「21世紀への対話」の記事中2で、山崎正和とジュゼッペ・シノ ーポリ氏は、 均質化進む世界 シノーポリ 今日、グローバリズムが台頭し、人々の文化の記憶を破壊しつ つあります。世界の均質化が進む中で、人々は孤立し、心理的な鬱状態に陥 っているように思われます。こんな状況は歴史上これまでなかったことでし ょう。 1 『読売新聞』2000 年 1 月 10 日付 2 山崎正和/ジュゼッペ・シノーポリ「21 世紀への対話④」『読売新聞』 2000 年 1 月 6 日付山崎 それはつまり、二十世紀に大衆社会が完成されたということです。生 活様式が均質化し、人々は古い共同体を失い、孤立化している。そこから極 端に感情的結合を求めるファナティシズム(狂信主義)を生じる恐れもあり ます。しかしだからこそ、そこに今日の芸術が果たす一つの役割があると思 いますシノーポリさんの演奏会の聴衆は、家に帰ればばらばらの寂しい群衆 ですが、演奏に耳を傾けている間、非常に緩やかな連帯を感じているはずで す。皆が一斉に感動し、自然に拍手がわく。昔の村や教会のような固定的な 集団ではないにせよ、それは一つの救いになるはずです。 シノーポリ グローバル化が、かつてあった「小さな村」を壊してしまった。 「小さな村」は境界に仕切られてはいたが、内部には自由があったのです。 と述べている。彼らは2 人とも、グローバル化による世界の均質化と同時に、古い共同 体、コミュニティの解体とそれに伴う人々の孤立化を指摘している。 本論文では、上の対談の中でも特に山崎正和氏の言及した「演奏会の聴衆」の生む「非 常に緩やかな連帯」に注目する。なぜならば、グローバル化によって生じるコミュニティ の解体や人々の孤立化が、芸術の一つの役割によって、「非常に緩やかな連帯」という変化 を見せるとするならば、サブカルチャーと称されるスポーツ1にとって、それは重要な変化 と考えられ、スポーツ産業論にとっても、スポーツの果たすべき役割に注目することは重 要と考えられるからである。 また一方において、経済論者は一般に、グローバル化の進展を先ほどの「経済、文化な ど人間生活のあらゆる面での世界の一体化。」に加えて、「自由市場のもと、民営化、規制 緩和を推進する2」ものと捉える。グローバル化は、世界の一体化であり、それは、レッセ フェール(自由放任主義)をますます志向するようになる、という捉え方である。 世界が限りなく一体化し均質化すれば、民主主義による多数決では、現代の国家レベル のそれよりもより普遍的なものとなる。したがって、国家政府レベルにおける規制は、よ り普遍的なグローバルレベルにおける規制にとって替わられ、それは、レッセフェールの 方向に向かうと考えるのである。たとえば、地球上に国家が四つ存在するとすると、国家 レベルの規制は国家の数だけ(四つ)あるが、グローバル化の進展により、グローバルレ ベルの規制だけ(一つ)でよいことになる。このような規制の緩和は、個人の持つ自由を より大きなものとし、それはレッセフェールの方向に向かうのである。 以上のような捉え方は、本論文にとって重要である。なぜならば、グローバル化の進展 が自由市場の拡大を意味することとなり、それは各産業の入り込む余地を広げることにな るからである。それは、スポーツ産業論にとっても同様に重要であることになるからであ る。 1 一般に“芸術”と“スポーツ”は、<アート>と<サブカルチャー>と区別して分けられている。これ は、経済的な意味において「巨大な市場を形成し、大部分はサービス業として採算性を備えている」(池 上淳・植木浩・福原義春〔編〕『文化経済学』有斐閣1998 p.15)からであるが、この場合、山崎氏 は芸術を文化と同義として捉えているのではないかと考え、スポーツにとっても芸術にとっても、「非 常に緩やかな連帯」は重要であると考えた。 2 『読売新聞』 2000 年 1 月 10 日付
本論文では、スポーツ産業論にとって重要な現象と思われるグローバル化をこうした 人々の孤立化とレッセフェール志向の二つの観点から捉えることを前提とする。この前提 を踏まえた上で、グローバル化にさらに注目しよう。
第
2項 ネットワーク
グローバル化を注視すると、その進展を支えている背景の一つは、情報ネットワーク形 成である。情報ネットワークが形成されたおかげで、グローバル化が進んだと考えられる。 例えばインターネットは、パソコンの普及やコンピューター言語の統一といったインフラ の整備があって初めてそのネットワークの形成を可能にし、ネットワークの形成によって グローバル化はますます加速して行くのである。 グローバル化の背景の一つが情報ネットワークであることの根拠について述べるため に、ネットワークについて触れておこう。 そもそもネットワークの概念とは、林敏彦氏によると、「任意加入によって構成員が決 まり、加入者が相互に影響を及ぼし合うグループ1」である。本論文では、ネットワークの 概念においてこの定義に沿うこととする。 また、ネットワークには主に二つの性質があると考えられる。 一点目は、ネットワークを構成するには、構成員を結び付ける緩やかながらも前提とな る標準的技術が必要である。この標準的技術を取得するのか否かが、ネットワークに加入 するか否かの一つの分岐点になると思われる。 二点目は、ネットワークの利用価値は、自分以外の加入者が誰であるかに依存している。 情報交換したい人間のいないネットワークに価値はない。情報交換したい人間がいるネッ トワークは非常に価値があることになる。一度自分がネットワークに加入すると、自分と 情報交換したい人間がねずみ算式に加入する可能性がある。 このようなネットワークの性質は二つの構図を生む。一つは、(ネットワーク加入者)対 (ネットワーク非加入者)であり、もう一つは、(ネットワーク加入者)対(ネットワーク 加入者)である。 (ネットワーク加入者)対(ネットワーク非加入者)の構図は、以下のような現象とし て収束して行くだろう。 (ネットワーク加入者)は標準的技術を取得しグローバル化を推進して行くだろうが、 取り残された(ネットワーク非加入者)は、(ネットワーク加入者)に次々と飲みこまれて 行くように見えるだろう。なぜならば、(ネットワーク非加入者)は、仙人のように孤立す るしか術がないからである。彼らは情報交換を可能にする標準的技術が取得できないから である。したがって、(ネットワーク加入者)対(ネットワーク非加入者)の構図は、(ネ ットワーク加入者)の一人勝ちとなると考えられるだろう。例えばインターネットのよう な情報ネットワークは、インターネットに加入していない人々をますます孤立化させ、そ 1 林敏彦・大村英明編著『文明としてのネットワーク』NTT 出版 1994の孤立に耐え切れず加入すると、ますます拡大することとなる。この様に情報ネットワー クは拡大し、グローバル化は進展する。 山崎氏やシノーポリ氏が指摘した「コミュニティの解体」や人々の「孤立化」はこうし たネットワークの性質によって生じたとも考えられる。 しかしネットワークの性質を考えると、(ネットワーク加入者)対(ネットワーク非加入 者)の対立は、(ネットワーク加入者)の一人勝ちと考えられるが、人々の中には、「標準 的技術」を「標準」と考えず、自ら「標準的技術」を考える人々がいるだろうと予想でき る。これは、ネットワークの性質の二番目を考えれば良い。ネットワークの利用価値は、 “自分以外の加入者が誰であるかに依存している1”という性質である。 今ここにAという人物がいるとする。AはBとコミュニケーションを図りたい。その状 況で選択肢は二つある。一つは、Bの加入しているネットワークの標準的技術を取得し、 加入する事である。もう一つは、Bと共に新しい標準的技術を作りだし、取得する事であ る。 これは、ネットワークにA、Bが加入するのか否かという状況でも分かる。 「ネットワークに加入する事によって利用者が受けるメリットは、そのネ ットワークに彼や彼女が通信したいと思う相手が加入しているかどうかで 異なる。そして、実は他の加入者も同じことを思っている。A君は、Bさん がネットワークに加入しているならば自分も加入するメリットがあると考 え、Bさんは、A君が加入しているならば自分も加入したいと思う。 このような状況では、一般に2つの状況が生まれる可能性がある。1つは 2人ともネットワークに加入する状況で、もう1つは2人とも加入しないと いう状況である。どちらの場合も、A、Bそれぞれに理由のある選択である。 前者は、相手が加入しているから自分も加入するメリットがあると思い合っ ている状態、後者は、相手が加入していないから自分は加入するメリットが ないと思い合っている状態である。」2 このように考えると、次に浮かんでくる構図は、(ネットワーク加入者)対(ネットワー ク加入者)となるだろう。この構図は以下の現象のように収束すると考えられる。 それは、一方のネットワークが、深い情報交換を得たい欲求から狭い範囲であるが専門 的な情報交換を行なえるネットワークとなることである。このようなネットワークは一方 において、拡大した(あるいは拡大する)ネットワークと重なりながら、閉鎖的なネット ワークを作り、小規模ながらも乱立して行くと考えられる。なぜならば、閉鎖的なネット ワークは任意加入が困難であるからである。そこで交換される情報は前後の文脈を読み取 る必要があるほどに高度化している可能性が高い。あるいは、加入するための参入障壁と でも呼べる加入障壁が高い場合が多いからである。例えば、電子メールによるメーリング 1 本論文 p.8 2 池上淳、植木浩、福原義春 編著 『文化経済学』 有斐閣 1998 p.34
リストや郵便貯金のオンライン網が挙げられるだろう。山崎氏が先に述べた「演奏会の聴 衆」の生む「非常に緩やかな連帯」もこのネットワークに分類されると考えられる。 したがって、(ネットワーク加入者)対(ネットワーク加入者)の構図は横並びの対峙関 係にあるのではなく、縦に重なった重層的な関係であると考えられる。 ところが、このような重層関係ですら、しばしば、閉鎖的なネットワークと拡大するネ ットワークとの間に軋轢を生む。それは、閉鎖的なネットワークで醸成された情報を何ら かの理由により、グローバルに発達した拡大する情報ネットワークに提供しなければなら ない場合である。情報は前後の文脈がなく読み取ろうとすると、しばしば誤解を生じやす い。高度に専門化した情報は、特に誤解を生じやすい。 これが、グローバル化の中に潜む一つの問題と考える。規模の面から、一方の(ネット ワーク加入者)はグローバルな規模のネットワークに所属しているとし、他方の(ネット ワーク加入者)をローカルな規模のネットワークに所属していると考えるとその構図は鮮 明になるだろう。 上の構図の中で、両者が対立した場合、その調整は非常に困難である。なぜならば、そ の調整の是非は私達が民主主義的と信じてきた多数決の原理では測ることができないから である。逆に言えば、ネットワークの重要性がコミュニケーションをとりたいか否かとい う指標で測られているからである。 グローバル化が進展するといわれる今日、インターネットを見れば分かるように、ある いはもっと広義にネットワークの概念を考えて、ビジネスツールとして英語が日本におい て重要といわれる状況を見れば分かるように、「長いものに巻かれる」的な発想が標準化し ている。だが、それで問題は単純に解決しない。文化的な価値観を標準的技術とするネッ トワーク(例えば日本語体系)は、いかにグローバルなネットワーク(日本語体系に対し て英語体系)と調整を図るのかが今日直面している大きな課題の一つではないかと考えて いる。 そして、この困難な状況を組織内部にあらかじめ抱えているのがプロフェッショナル選 手(以下、プロ選手)を抱えるスポーツクラブ(以下、プロスポーツクラブ)である。そ の根拠については次節で述べる。 ネットワーク同士の対立をいかに調整していくのか。そのような観点からプロスポーツ クラブを考え、その適切な運営方法について考えたい。
第
2節 スポーツクラブ運営
第
1項 スポーツクラブとは
まず、「スポーツクラブ」とはいったい何なのか。一般に「スポーツクラブ」というと、 フィットネスクラブを想像する人もいるし、読売ジャイアンツや鹿島アントラーズのよう なプロ選手を抱えるチームを想像する人もいるし、○○(ママさん)バレーボールクラブ といった地域名を冠としたチームを想像する人もいるだろう。『スポーツ白書∼2001 年のスポーツ・フォア・オールに向けて∼』の中で、文部省は、 スポーツクラブを 「スポーツ愛好家の自発的、自主的な結合に基づいて継続的にスポーツ活動 を行い、健康の増進と相互の強調・親睦を図るもの」1 としている。 また、西田泰介氏は、スポーツクラブの条件として以下の五点を挙げている。 1) あるスポーツを楽しむために同じ関心を持った人々の自発的な集まり であること。 2) スポーツを通じて仲間との交友を広め、またそのような機会を大切にす る集まりであること。 3) その集まりの運営は、自分たちで処理してゆく能力と用意がある自主性 に富んだ集まりであること。 4) その集まりの運営のために民主的な手続を経た規約を持ち、それをみん なが忠実に守る覚悟があること。 5) よいプログラムが立てられ、絶えず活動が続けられ、仲間が十分満足す るような配慮がいき届いていること。2 本論文では、文部省の定義と西田氏の五つの条件を両方とも抱えているものをスポーツ クラブと呼ぶことにしたい。 そうすると、スポーツクラブはネットワークを形成するファクターを有していると考え られるだろう。なぜならば、スポーツクラブは、例えば規約を守る(あるいは、少なくと も理解する)というような標準的技術を取得する必要があるし、加入者(条件では、「仲間」 と表現されている)の交友を広める為、加入者相互のコミュニケーションを必要とする、 からである。 また、このようなスポーツクラブから形成されるネットワークは、非常にローカルなも のである。なぜなら、スポーツクラブの条件1)を見れば分かるだろう。スポーツクラブ に加入する人は、数あるスポーツの内のある一つのスポーツに関心を寄せた人である。ま た、インターネットのような情報ネットワークと異なり、スポーツクラブは基本的に身体 同士でコミュニケーションをとる。それは、運動をするかしないかではなく、顔を合わせ るか合わせないかの話である。 ここにきて、誤解を避ける為に若干の補足をさせていただく。先に、スポーツクラブは ネットワークを形成するファクターを有すると考えられると述べた。その根拠は、標準的 技術の取得必要性とコミュニケーションの必要性であった。これは、スポーツクラブへの 1 文部省 1976『スポーツ白書∼2001 年のスポーツ・フォア・オールに向けて∼』SSF 笹川スポーツ財団 1996 p.48 2 西田泰介 『指導者のためのスポーツクラブ』 プレス・ギムナスチカ 1979
参加形態がスポーツを「する」という参加形態の場合、理解しやすい。例えば、フィット ネスクラブや学校の部活動のようなクラブは、加入者は実際に身体を動かし、いわゆるス ポーツを「する」人達、すなわち、フィットネスクラブ会員や部活の選手(生徒、学生) であると想像がつく。しかしスポーツクラブによって形成されるネットワークの構成員は スポーツを「する」人達だけではないと考える。スポーツを「する」人だけではなく、ス ポーツを「みる」人、あるいは「支える」人なども含まれると考える。フィットネスクラ ブで言えば、その運営者は必ずしもスポーツをしているわけではない。しかし、フィット ネスクラブを運営する為には、フィットネスクラブ会員のニーズ(要望)を知る必要があ り、会員とのコミュニケーション無しでは成り立たない。仮に会員とのコミュニケーショ ンをはからないフィットネスクラブならば、スポーツクラブの5つの条件から外れる事に なるので本論文では扱わない。学校部活動のスポーツクラブ(運動部)で言えば、その顧 問あるいは監督は、必ずしもスポーツクラブ(運動部)でスポーツをする人ではない。し かし、スポーツをする選手を育てて行くには選手とコミュニケーションを図らなければな らないだろう。それゆえ、スポーツクラブによって形成されるネットワークの構成員はス ポーツを「する」人達だけではなく、スポーツを「みる」人、「支える」人も含まれると考 えている。 スポーツクラブによって生じるこのようなローカルネットワークが、より大きな規模の ネットワークと対立することもありうると考えられるだろう。例えば、スポーツクラブの 条件「5)よいプログラムが立てられ、絶えず活動が続けられ、仲間が十分満足するよう な配慮がいき届いていること。1」の「よいプログラム」の判断はネットワーク同士の解釈 によるものなので対立を生む可能性がある。日本の学校部活動の「しごき(過剰練習)」な どはそのいい例である。 しかし、グローバル規模のネットワークとローカル規模のネットワークが対立する可 能性が高いのは、スポーツクラブの中でも、プロ選手を抱えるスポーツクラブであろう。 プロ選手を抱えるスポーツクラブとは、本論文で呼ぶところの、すなわち上記の定義両方 を満たすスポーツクラブであり、なおかつプロ選手をその構成員とするものである。次に プロ選手を抱えるスポーツクラブ(以下、プロスポーツクラブ)に注目して話をすすめよ う。
第
2項 プロ選手を抱えるスポーツクラブとは
プロ選手というと、一般に、プロ野球選手やプロサッカー選手、プロテニス選手などを 思い浮かべるだろう。プロフェッショナルに対峙される言葉はアマチュアであるが、両者 ともその定義は曖昧である。端的に例を示せば、日本のラグビー選手を考えればよい。彼 らは、プロフェッショナルではないとされている。しかし、所属しているチームから相当 なる給料を得ている。彼らは、所属しているチームが企業であるがゆえに、チームから支 払われる報酬は給料であると考えている。それが、企業から与えられた仕事に対する正当 なる報酬かどうかは解釈が食い違うであろう。仮に所属チームが全日本選手権などで高度 なパフォーマンスを見せたなら、それは、企業にとっては直接的な仕事ではないにせよ、 1 本論文 p.11企業イメージ向上の為の有効なプロモーションと考えるかもしれない。今シーズンの第3 6回全国大学ラグビーフットボール選手権大会で準優勝に輝いた関東学院大学の主将、渕 上選手はラグビー界からの期待にもかかわらず、大学卒業後ラグビーを辞める決意をした。 彼の真意はともかくとして、ラグビー界からのショックの声は大きかった。このことが、 すぐさまプロ選手としての契約が必要か否かの議論になるとは思えないが、私と同世代の 彼が、プロフェッショナル契約なのかアマチュア契約なのかよく分からない曖昧な評価基 準の世界に拒絶反応を示したのはなんとなく頷けなくもない。 ともかく、プロフェッショナル契約とは、選手のプレイのパフォーマンスに対し正当な 報酬を与える事のできる契約であると考えられる。ただし、日本のプロ野球選手の契約は その点が非常に曖昧であるようだ。樋口美雄氏1によるとプロ野球選手の契約は、請負説、 雇用契約説、委任契約説、特殊な無名契約説など諸説が成立するらしい。しかし本論文で は、プロ選手を労働者と捉える事にしたい。 プロ選手を抱えるスポーツクラブは、プロ選手を抱えないスポーツクラブと何が違うの であろうか。何よりも、プロ選手のプレーのパフォーマンスに対して観戦者がその対価と して入場料を支払う事、が異なるといえるだろう。この場合、観戦者は購買者(顧客)で ある。 スポーツクラブの運営側からするならば、それは、運営費用に選手の給料が含まれる点 である。普通、プロ選手を抱えないスポーツクラブの運営費用は、次の費用が必要と大鋸 順氏は指摘している。 「具体的には、練習のためのスポーツ施設の使用料、競技会に出場するため の参加費、競技団体に加入するための加盟金などである。そして、これらの 経費は、一般に会費として会員から集められる。」2 プロ選手を抱えるスポーツクラブは、選手の給料がさらに加算される事になる。そして 現在、この給料を支払う為にスポーツクラブ運営者は、スポンサーシップの権利売買や放 映権売買を仕掛けた、といえるだろう。 さて、このスポーツクラブから形成されるネットワークの構成員は、どうなるだろうか。 私の考えでは、その構成員は、選手、監督、Management(運営者)、スポンサー、そし て観戦者となる。選手、監督、運営者は、前項の説明を根拠にできるだろう。見ている人 もネットワーク構成員ならば、スポンサー、観戦者についての根拠も分かるだろう。 ネットワークはそもそも、「任意加入によって構成員が決まり、加入者が相互に影響を 及ぼし合うグループ3」であった。ネットワークは、標準的技術の取得と情報交換を取りた い相手がいるか否かによって、成立するか否かが決定するわけであるが、その結びつきの 強度(強いか弱いか)は、標準的技術の取得の困難さの程度と情報交換したい強さの程度 によると考えられるだろう。ネットワークに加入しようとする人は、標準的技術を困難で も取得するならば、それは情報交換したい希望が強く、そのネットワークの結びつきは強 度なものとなる。プロスポーツクラブは、一般にスポーツがサブカルチャーといわれるよ 1 樋口美雄[編著]『プロ野球の経済学』 日本評論社 1997 p.21 2 大鋸順『スポーツの文化経済学』 芙蓉書房出版 1999 p.69 3 林敏彦・大村英明編著『文明としてのネットワーク』NTT 出版 1994
うに大衆の理解が得やすいことを利用しながら、スポンサーや観戦者といった人々もネッ トワークに加入することが容易であると考えているように見える。しかしそれは逆に、プ ロスポーツクラブのネットワークは幾分結びつきの弱いものであると指摘できるだろう。 以上の指摘があるにも拘らず、プロスポーツクラブは、スポーツクラブと同様に、ネット ワークを構成するための諸条件を持っているといえそうである。 ところで、このようなネットワークは、先に述べた、グローバル規模のネットワークと の対立が最も顕著に表れる一つである。それは二つの理由による。一つは労働市場(ここ ではプロ選手市場)のグローバル化であり、もう一つはコンテンツ市場のグローバル化で ある。 労働市場のグローバル化は、現象としては、プロ野球選手の野茂秀雄投手のアメリカメ ジャーリーグ入りであり、プロサッカー選手の中田英寿選手のイタリアセリエA入りであ る。彼らが、日本のプロ選手のマーケットからアメリカやヨーロッパの選手のマーケット へ移っていったことは、日本人がスポーツでも活躍できる、という解釈ばかりでなく、日 本人選手もグローバルなプロ選手のマーケットの中にあると解釈できるだろう。高度なプ レーパフォーマンスを行なえる選手はグローバルなマーケットの中でそれ相応に評価され 得る。そのような可能性を彼らが切り開いたといっても過言ではないかもしれない。 しかし、それは逆に、日本人のプロ選手が必ずしも日本のスポーツクラブとプロフェッ ショナルの契約を結ぶ必要が無いことを示し、彼らが、自分たち自身に支払われる給料は 正当ではないと判断した場合、日本のプロスポーツ界からの退出もありうることを示して いる。その場合、問題となるのは、先に述べた、(ネットワーク加入者)対(ネットワーク 加入者)の構図が大きく崩れる可能性がある、という事である。それはネットワークの二 番目の性質、 「ネットワークの利用価値は、自分以外の加入者が誰であるかに依存している。情報交換 したい人間のいないネットワークに価値はない。情報交換したい人間がいるネットワーク は非常に価値があることになる。」1 という性質が、ある選手とコミュニケーションをとりたくてそのネットワークに入った 人にとって、その選手のいないネットワークには何の価値も無くなってしまう可能性を含 んでいるからである。特にプロ選手を抱えるスポーツクラブは、観戦者がネットワークの 構成員となっているのでその可能性はプロ選手を抱えないスポーツクラブのそれよりも高 いと考えられる。したがって、ここでのネットワーク同士の対立は、ネットワークに残さ れた人々の、さらにローカル規模になったネットワークと大きく膨らんだグローバル規模 のネットワークの対立と考えなければならないだろう。 では、もう一つの理由である、コンテンツ市場のグローバル化とは何か。そもそもコン テンツとはテレビ放送が進展した事によって生まれた言葉である。テレビ放送会社にとっ てコンテンツとは、番組の事を指す。スポーツ中継、特にゲームの中継はテレビ放送会社 にとって、有力な、すなわち視聴率の取れる番組である。 1 本論文 p.8
スポーツ中継は、その放映権を手に入れる事によって、初めてテレビ放送会社は放送で きる。その放映権に関するマーケットがグローバル化しているというのが、コンテンツ市 場のグローバル化の指す意味である。ルパード・マードック氏率いるザ・ニューズ・コー ポレーションの戦略に現れている1。 さて、このようなコンテンツ市場のグローバル化は、スポーツクラブから形成されるネ ットワークへの参入に障壁を作ってしまう可能性がある。それは、ネットワークの一番目 の性質、 「ネットワークを構成するには、構成員を結び付ける緩やかながらも前提となる標準的技 術が必要である。」2 という性質があるためである。すなわち、そのスポーツクラブから形成されるネットワ ークに加入するためには、放送会社に対して加入料を支払わなければならない、という参 入障壁のために、標準的技術の取得(この場合、加入料の支払い)が困難になる可能性が ある。その場合、従来からのネットワーク加入者と新規ネットワーク加入者の対立があり 得るだろう。現に先ほど挙げたルパード・マードック氏は、こうした問題に関してイギリ スで独占禁止法をめぐって訴えられている。 労働市場のグローバル化や、コンテンツ市場のグローバル化そのものについては、様々 な動きがあり、本論文ですべてを扱う事はできない。しかし、これらがプロスポーツクラ ブ運営にとって、プロスポーツクラブから形成されるネットワークを絶えず脅かす、すな わち縮小させる可能性を持つ構造になっている事は分かるであろう。元来スポーツクラブ は、前項でも述べたとおり、非常にローカルで閉鎖的なネットワークを形成するだけであ った。勿論このようなネットワークもグローバル規模のネットワークと対立する事はある。 しかし、プロスポーツクラブにとってより厄介な点は、プロ選手にとっての労働市場やプ ロスポーツクラブ運営者にとってのコンテンツ市場などグローバル化の進展の著しいマー ケットに直面している点である。くしくも、グローバリゼーションという言葉が、ビジネ ス界に端を発して出現したように、文化産業としてのプロスポーツクラブ運営ビジネスは、 その内部に、ローカルなネットワークを形成する元来からの資質と、グローバル規模のネ ットワークと直面せざるを得ないビジネスとしての本質とを含んだ内部矛盾の塊とでも言 えるだろう。だからこそ、注目すべき事例であり、グローバル化の進む現在、直面してい る様々な問題を映し出すのではないかと考えるのである。 1早川武彦 「国際メディア戦略としてのスポーツビジネス:メディア・スポーツ」p.29『研究年報 スポ ーツとグローバリゼーションⅡ 1998』一橋大学スポーツ科学研究室 1998 2 本論文 p.8
第
3項 スポーツクラブがプロ選手を抱える根拠
∼J リーグの解釈から∼
=リーグとクラブ=
本論文で、プロスポーツクラブ運営に注目した理由は、プロスポーツクラブ運営が、そ のクラブが織り成すネットワークとグローバルに織り成されたネットワークとを鮮明に描 き出せるという、いわば、現象面の把握の容易さであった。しかしここでは、現象を把握 するための前提について敢えて一歩踏みこんで考える事にする。それは、プロスポーツク ラブ運営の特殊性をさらに鮮明にするためである。 Jリーグクラブチームのようなスポーツクラブがプロ選手を抱える根拠について、ここ では、Jリーグがいかなる意図を持ってプロサッカーリーグを設立したのかその意図を確 認して、考えてみたい。 1993 年に設立されたJリーグは、別紙資料Ⅱにあるように、その設立に明確な趣旨を持 って生まれている。Jリーグの設立趣旨は以下の4 点である。 1 設立趣旨 1.「スポーツ文化」としてのサッカーの振興 日本サッカーをより広く愛されるスポーツとして普及させることにより、 国民の心身の健全な発展を図るとともに、豊かなスポーツ文化を醸成。我が 国の国際社会における交流・親善に寄与する。 2.日本サッカーの強化と発展 日本のサッカーを活性化し、オリンピック、ワールドカップに常時出場で きるレベルにまで実力を高め、日本におけるサッカーのステイタスを向上さ せる。 3.選手・指導者の地位の向上 トップレベルの選手・指導者に対し、やり甲斐のある場を提供し、その社 会的地位を高めて行く。 4.競技場をはじめとするホームタウン環境の整備 地元に深く根ざすホームタウン制を基本とし、各地域において地元住民が 心ゆくまでトップレベルのサッカーとふれ合えるよう、スタジアム施設をは じめチーム周辺を整備する。 1 別紙資料Ⅱより抜粋これらの設立趣旨をさらに理念化したものが別紙資料Ⅱにあるような「Jリーグ理念」 と呼ばれる三点の理念である。理念については以下にある。 1 「Jリーグ理念」 一. 日本サッカーの水準の向上及びサッカーの普及促進 一. 豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与 一. 国際社会における交流及び親善への貢献 したがって、この理念を具現化する装置としてJリーグを設立したと考えてよいだろう。 当然のことながら、これらの理念に反するスポーツクラブチームは、仮にあるとすれば、 受け入れられない事になる。形として、Jリーグクラブチームは上記の理念を具現化する 努力を日々行なっているのである。 現実としては、Jリーグが行なっている中心的な業務は、プロサッカーの興行である。 そうすると、Jリーグの解釈は、プロサッカーのリーグを設立する事によって、Jリーグ の理念というものが実現できる、という事になるだろう。ここまでくると、当然その是非 は問われる事になるだろう。果たして、Jリーグの掲げる理念はプロサッカーを通じて実 現可能なのだろうか、といったように。そのような議論に入る前に、もう一つ確認すべき 事がある。それは、Jリーグの理念、あるいは解釈に賛同し、参加の意図があってもJリ ーグに加われないスポーツクラブがあるということである。Jリーグは次に挙げる五点を 参加の条件として提示している。さらにその条件の根拠については別紙資料Ⅱを参考にし ていただきたい。 2 Jリーグの参加条件 1. 参加クラブの法人化 2. ホームタウンの確保 3. 選手・指導者のライセンス 4. チームの保有 5. スタジアムの確保 Jリーグが自らのリーグに参加するためには、以上の五点の条件がクリアーされなけれ ばならない。その根拠については多様な解釈がありそうだが、ここでは、Jリーグが、そ の理念を実現するために、それゆえ、プロサッカーを通じて理念を実現する為にプロスポ ーツクラブの条件は以上五点であると考えている、と正面から解釈してみよう。 特にここで取り上げるべきは、参加条件の3 番目の事項である。参加条件の 3 番目は、 「選手・指導者のライセンス」とあるが、それを別紙資料Ⅱから抜粋すると、 3 1 別紙資料Ⅱより抜粋 2 別紙資料Ⅱより抜粋 3 別紙資料Ⅱより抜粋
3.選手・指導者のライセンス J1に所属するクラブは、(財)日本サッカー協会が定めた「プロA統一契 約書」を締結した選手を15名以上、J2の場合は5名以上の選手を保有す る事が義務づけられています。 また、指導者に対してもライセンスを所有することが義務づけられており、 トップチームの監督は、(財)日本サッカー協会が定めたS級コーチライセ ンス、サテライトチームはB級以上、2種(ユース)・3種(ジュニアユー ス)および4種(ジュニア)チームはC級以上のライセンスを保有しなけれ ばなりません。 と書かれている。Jリーグディビジョン1(通常、J1と呼ばれている)に所属するク ラブは、財団法人日本サッカー協会が定めた「プロA統一規約書」を締結した選手を 15 名以上保有しなければならない。ここに、Jリーグに参加するスポーツクラブが、プロ契 約を締結した選手を保有しなければならない義務が明記されている。 ここまできて、Jリーグに参加するスポーツクラブはプロ選手を抱えなければならない 義務を負わされている事が分かるであろう。言い換えれば、Jリーグは、自らの理念はプ ロスポーツクラブだけしか実現できないものである、と解釈しているとも考えられる。 では、なぜJリーグはプロスポーツクラブが、自らの「Jリーグ理念」を実現化可能で あると考えたのであろうか。再度、設立趣旨に戻って考えてみよう。 設立趣旨を逆に読めば、従来までの日本のサッカーとプロによってできあがる日本のサ ッカーの比較ができるだろう。つまり、設立趣旨に掲載されている文を否定すると、従来 の日本のサッカーであり、その問題解決策がプロサッカーの設立なのである。具体的に一 つ一つ検討してことにしよう。 まず、1つ目の設立趣旨は、「スポーツ文化」としてのサッカーが振興されていなかった のが従来であり、日本のサッカーは広く愛されてはこなかった。端的に言えば、サッカー の“普及”の問題である。プロサッカーの設立によって、サッカーに対する認知度が向上 し、広く普及して行くと推測できる。 2つ目は、従来の日本サッカーは競技力において劣っていた。これは、“競技力の向上” の問題である。プロサッカーの設立によって、選手のパフォーマンスに対する評価が下さ れる。その評価は選手に報酬という形でフィードバックされ、選手間のパフォーマンスに 対する競争意識が芽生える。これが競技力の向上につながると推測できる。 3つ目は、従来まではトップレベルの選手・指導者はやりがいのある場がなく社会的地 位も低かった。これは、“労働市場の創造”の問題である。プロサッカーの設立によって、 労働市場が創造される。トップレベルの選手・指導者はそこに至るまでに多大な先行投資 をしてきたと考えられる。幼い頃からの特殊な訓練にかかる費用は決して安くはないだろ う。前章で取り上げた関東学院大学ラグビー部の渕上選手のように、労働市場が開かれて いなければ、自らの時価を判断するにはあまりに不確実な情報しかないであろう。逆に労 働市場が開かれていれば、その不確実性に対するリスクは軽減されると考えてよいであろ う。そう考えると、トップレベルの選手・指導者は自らへの先行投資を回収できる条件が 揃うことになると推測できるだろう。
4つ目は、従来までは各地域においてトップレベルのサッカーとふれあう機会は少なく、 地域間格差があり、スタジアム設備は未整備だった。これは、“地域間格差”の問題である。 プロサッカーの設立によって、サッカーの認知度が高まり、サッカーが普及すると、プロ サッカーへのニーズは平準化される。これが地域間の格差を解消すると推測できる。しか しその根拠は残念ながら薄い。 設立趣旨それぞれについて考えられうる根拠のいくつかを推測してみた。Jリーグが上 のような根拠を持って設立されたのかどうかははっきりと分からないが、Jリーグの業務 内容が11項目にも及び、多様なプロサッカーに関する業務がなされる事を見てみると、 Jリーグ自体も自らの理念の実現にプロスポーツクラブがどのように関われるのか、未だ 暗中模索しているようである。 特に、設立趣旨の 4 つ目は、参加条件のホームタウンの確保からも見られるように、J リーグクラブチームがスポーツクラブとしてその性格を残しておきたかった、という意図 が感じられる。この根拠については第2章第3項クラブを参考にしていただきたい。仮に この考えが正しいとすれば、プロスポーツクラブながらローカル志向を残しておかなくて はスポーツクラブとして生き残れないから、というような根拠がありそうである。 ともかくも、Jリーグは従来のサッカー界全体で起きていた4つの問題に対して、その 解決策としてスポーツクラブがプロ選手を抱える事を義務付けたのである。
第
3節 グローバル化の中でのプロスポーツク
ラブ運営
第1節、第2節において、グローバル化がネットワーク同士の対立を生むのではないか と類推した。とくに、プロ選手を抱えるスポーツクラブ運営にとって、(グローバル規模の ネットワーク)対(ローカル規模のネットワーク)は、鮮明になるのではと考えた。第2 章からは、プロ選手を抱えるスポーツクラブの事例として、プロサッカーのJリーグを取 り上げたい。プロ選手を抱えるスポーツクラブは日本において多々あるが、特に資料の多 さや先行研究の多さからJリーグを事例として取り上げた。さらに共同プロジェクトでの 役割分担がチケット販売であったので、チケット販売の事業からプロスポーツクラブ運営 を見ていく。第
2章 プロスポーツクラブ運営
∼チケット販売から見る
プロスポーツクラブ運営∼
第
1節 プロスポーツクラブ運営とは
第
1項 プロスポーツ
第1章では、「チケット販売事業から見るプロスポーツクラブ運営」について考える。プ ロスポーツクラブについての定義は、前章で確認したように、文部省によるスポーツクラ ブの定義+西田氏のスポーツクラブの条件の両方を満たすものであり、なおかつ、プロ選 手を抱えるスポーツクラブの事である。プロスポーツクラブは、前章でも指摘した通り、 組織内部に矛盾を抱えていると考えられる。一つは、スポーツクラブとしての性質である。 それは、数あるスポーツの中で一つのスポーツを楽しむ為同じ関心を持った人々が集まる、 という条件ゆえに、そこに形成されるネットワークは非常にローカルで小規模なものであ る、という点である。もう一つは、プロ選手を抱えていて、且つそのスポーツクラブを運 営して行かなくてはならないという制約上、プロ選手のグローバル化しつつある労働市場 に向き合い、また、プロスポーツクラブの行うゲームプログラム〔試合〕の放映権を売買 する為にこれもまたグローバル化しつつあるコンテンツ市場に向き合って行かなくてはな らない事である。このようなグローバル化しつつある市場に向き合う必要から、常にグロ ーバルなネットワークの脅威にさらされてしまうのである。 このような内部矛盾を抱えるプロスポーツクラブの運営とは一体いかなるものなのか。 スポーツクラブの条件の内、運営に関するものは次の2つである。n その集まりの運営は、自分たちで処理してゆく能力と用意がある自主性に富んだ集 まりであること。 n その集まりの運営のために民主的な手続を経た規約を持ち、それをみんなが忠実に 守る覚悟があること。1 この条件は、運営そのものについて語っていないが、これに反する運営を行なった組織 はスポーツクラブではない事になる。その意味で確認しておく必要があるだろう。スポー ツクラブはこの意味で、日本のプロ野球の『球団』とは区別されるべきである。『球団』は、 オーナー(所有者)がおり、集まりというよりもむしろ個人の所有物である性格というこ とである。 プロスポーツクラブの運営とは、これらの条件を満たしつつも、プロ選手に対して正当 な報酬を与える運営である。大鋸順氏はプロスポーツを次のように捉えている。 洗練された文化として高められたスポーツに触れたとき、私達は大きな感 動と感銘を受ける。そして、これらの感動や感銘は、人間としていきること の喜びや勇気を生み出してくれる。プロ・スポーツ(professional sport) は多くの人々にとっては、“見るスポーツ”である(1)。ここでは、単に高 いレベルの身体能力や技能をみるだけはでなく、多様な欲望を抑え、生活の すべてをスポーツに打ち込み、生理的な限界に挑戦する人間の姿をみるので あり、“人間をみる”のである。そして人間としての“生き方”や“あり方” に共感するのである。洗練されたスポーツは、人間の信頼性を回復し、可能 性を高めてくれるものであり、プロ・スポーツが多くのファンを引きつける のはこの部分である。 (1)プロ・スポーツの特徴は“観戦とその対価交換”のメカニズムで成り 立つものである。2 プロスポーツの特徴を、引用文の脚注の(1)にある様に、“観戦とその対価交換”の メカニズムで成り立つ、としているのは、プロスポーツが、プロ選手のプレーのパフォー マンスに対して観戦者が観戦料を支払う事によってはじめて成立するという考えであり、 頷けるだろう。 しかし、プロスポーツクラブ運営の概略を、グローバル化の中にあるそれとして描こう とするとき、プロスポーツが“観戦とその対価交換”メカニズムだけで片付けられては部 分的な把握しかできない。なぜならば、大鋸順氏の言うような“観戦とその対価交換”と いうメカニズムは、運営主体と観客という二つの主体でしか捉えておらず、グローバル化 1 本論文 p.11 2 大鋸順『スポーツの文化経済学』 芙蓉書房出版 1999 p.99
の中のプロスポーツクラブ運営には、運営主体の内部(選手や監督、運営者)、そして観客 やスポンサーといった外部をより詳細に見る必要があるからである。 プロ選手は自らのプレーのパフォーマンスに対し、金銭的な報酬を受け取る。ところで、 プロに対峙する言葉としてはアマチュアリズムがある。このアマチュアリズムに注目する ことでプロスポーツをさらに詳細に検討してみよう。
第
2項 アマチュアリズムとプロ化
アマチュアリズムの起源について、内海和雄氏は、 かつてパトロン(封建貴族)おかかえのスポーツが行なわれていた。その後 ブルジョアジーを中心とした賞金制スポーツが19 世紀中葉まで一般化した。 したがってその賞金を目当てとする労働者階級の参加とプロ化が進行した。 しかしそうしたプロに好成績を奪われた資本家階級は労働者階級をスポー ツから排除し、自らの階級にスポーツを独占したのである。1 とまとめ、こうした歴史的事実について妥当としている。 アマチュアリズムの名のもとによるスポーツの独占という観点からすれば、現在のスポ ーツ(近代スポーツ)が、統一組織やルールを形作ったのはアマチュアリズムによるとこ ろが大きかったと考えられる。そのアマチュアリズムに固執した資本家階級がプロフェッ ショナルを認めることは、イギリスでもフットボールは1885 年になってからというから 非常に遅い。高津勝氏は近代スポーツのプロ化について以下のように述べている。 「プロ化」とは、社会的分業にもとづく特定の職業領域の専門化と科学化、 固有の養成システムを含む職業的専門性の社会的自立化を意味する。スポー ツの場合、興行化・商業化と連動しながら競技力が向上し、プレーヤーが従 来の職業を継続し得なくなったとき、プロ化の傾向が顕在化した。2 また、近代スポーツのプロ化以降の動きについては、 プロフェッショナルが大衆的な支持を獲得し、競技力の発展を規定するよう になった時点で、新たな経営形態や労使関係、アマチュア資格の有無が問題 になるのである。3 と述べている。19 世紀後半のプロ化の動きには、すぐさまスポーツの大衆化は進まなか った。それは、アマチュアリズムのスポーツ独占に対する固執があったからである。しか 1 内海和雄 『スポーツの公共性と主体性』 不昧堂出版 1989 p.71 2 高津勝「スポーツ・商業主義・マスメディア」『スポーツは誰のために』第二部 第一章関春南・唐木 國彦〔編〕 p.71 3 同上書 p.71し、プロフェッショナルは、時期こそ遅れても、やがて大衆の支持を獲得して行く事にな る。それは、プロスポーツがテレビ放送によって中継される事により決定的なものになっ た。私は、プロフェッショナルが最終的には大衆によって支持されなければならなかった のではと考える。それは、先に大鋸順氏が述べたようにプロ選手が基本的には観客から観 戦料を自らの報酬として得るからだと考えている。さらに 20 世紀までには情報・通信技 術の発展により、大衆社会が完成されたと考えられよう。それはグローバル化の進んでい る今日も含めての事であり、プロ選手は自らの価値をプロ選手の労働市場の中で把握する 事ができているのである。 プロスポーツクラブの運営とは、まずこうしたグローバルなマーケット(この場合は、 プロ選手労働市場)に目を向けた運営が必要なのである。さもなければ、選手に対して適 切な報酬を支払う事ができないのである。
第
3項 クラブ
ところが、そのようなグローバルなマーケット、さらにそこから生じるグローバル規模 のネットワークにばかり目が行くと、スポーツクラブとしての元来の性質が邪魔をし、極 端な場合には、スポーツクラブとしての成立が危ぶまれる可能性にさらされる。 スポーツクラブについて、レイモン・トマ氏は、次のように紹介している。 近代スポーツの基本的機関であるクラブは、集まっては自らの熱情を議論に ぶつけた紳士たちのグループに起源する。たとえば、スコットランドでは、 1735 年、エジンバラの名士達が集まって、「エディンバラ・バージス・ゴル フィング・ソサイエティ」(エジンバラ市民ゴルフ協会)が設立されている。 1 さらにクラブの特徴として こうしたことから明らかなように、当初のうち、クラブは家柄のよい者たち が集まる場であった。つまり、19 世紀初頭のそれは、まだ一部階級のための ものだったのだ。2 としている。スポーツクラブは、起源の段階から一部のものであり、ローカルな規模の ネットワークを志向していたようだ。つまり、この志向性が、プロの志向性とベクトルと して逆向きに働いてしまうと考えられよう。 以上のように、プロスポーツクラブ運営は、相矛盾する志向性を持ちながら、適切な方 法を模索する必要があると考えられる。 1レイモン・トマ(蔵持不三也〔訳〕)『スポーツの歴史』 白水社 1993 p.72 2同上書p.72では、単なるスポーツクラブとプロスポーツクラブとは具体的に何が異なるのであろう か。そこで、両者の相違を組織運営と財政的側面から検討してみたい。
第
2節 運営費用
実際に、一般の市民が運営するスポーツクラブの運営費用は、一体幾らで、どんな事に 費用がかかるのであろうか。これに関して、大鋸順氏は、次の三つを挙げている。1 ①「練習のためのスポーツ施設の使用料」 ②「競技会に出場するための参加費」 ③「競技団体に加入するための加盟金」 そして、彼は、東京都調布市のあるテニスクラブを挙げて、次のような収支内訳を示し ている。 【表1】【Aテニスクラブ収支(平成8 年度)】(単位:円)2 収入の部 支出の部 会費 175000 連盟加盟金 4000 その他 18356 コート借用料 81000 前年度繰越金 13552 ボール代 86400 合計 206908 大会参加費 20000 その他 3455 次年度繰越金 12053 合計 206908 このテニスクラブには会員が35 名いるとしている。会員数やクラブの規模によってそ の収支は異なるとしながらも、彼はおおよそ20 万円の運営費用が1クラブ当たりにはあ ると推定している。この推定を仮に正しいとすれば、プロスポーツクラブの運営費用は、 この支出にさらに選手の年俸が加わると考えられるだろう。4年生大学を卒業した新規採 用者の初任給は、おおよそひと月20 万円であるので、年間では、単純に考えても 240 万 円となり、これをプロ選手の最低限の給料とすると、20 万円の運営費用に対し約 12 倍も の費用が一人の選手を雇うだけでもかかってしまう事になる。 1大鋸順『スポーツの文化経済学』 芙蓉書房出版 1999 p.69 2 同上書 p.69 【表 28 A テニスクラブの収支】を著者自ら修正したものこのように考えると、選手とプロ契約を結び、雇用して行く事は、大変な運営費用がか かってしまう事となる。 では、実際にプロスポーツクラブの運営費用を見てみよう。別紙資料ⅠはJリーグクラ ブチームの経営状態の推移である。ここではその中から、いかなる支出があるのかを見て みよう。 運営費用(支出)であるが、Jリーグでは、クラブチーム(プロスポーツクラブ)の支 出として以下を挙げている。 (1) 人件費 :監督・コーチ・チームスタッフ・日本人選手・外国籍選手 (2) 移籍金償却費 (3) 試合運営直接費 :競技場使用料・入場販売・チーム移動費・広告宣伝費 警備運営委託費・JFA/Jリーグ納付金 (4) チーム運営費 :合宿費・グラウンド賃貸料・メンテナンス費など (5) 一般管理費 :社員給与・福利厚生費・事務所賃貸料・事務所諸経費など 1 さらにこれらの運営費用は、一体幾らくらいなのだろうか。 【表2】【J クラブ・営業費用内訳】(単位:百万円)2 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999(予算) 一般管理費 統計データなし 556 621 616 578 534 489 チーム運営費 統計データなし 830 522 380 350 316 287 試合運営直接費 統計データなし 686 708 541 435 436 373 チーム人件費 統計データなし 1581 1741 1754 1616 1478 1163 計 2699 3636 3731 3386 3098 2844 2398 クラブ数 10 12 14 16 17 18 16 この表から、前ページのAテニスクラブの収支内訳と比較すると何がわかるだろうか。 Jクラブの方が多大なお金を必要とするということは分かる。しかし、そのような指摘よ りも重要と考えられるのは、チームの人件費、すなわちプロ選手への給料(報酬)の全体 に占める割合は先ほど予測したよりもわずかである、ということである。1994 年から 1999 年までおおよそチーム人件費の合計費用に占める割合は、5 割程度、すなわち、チーム人 件費(プロ選手への給料)と同じ額の費用が普通の運営費用にかかっていることになって 1 別紙資料Ⅰより抜粋 2 別紙資料Ⅰより著者自ら修正したもの
いる。これはなぜなのか。テニスクラブの場合では、全体の費用の12+1=13 分の 12 が 選手の給料となってしまうと予測した。 この理由は多々あるだろうが、その内重要な一つは、プロ選手を抱える事の意味すると ころが、選手の給料以外に多くの費用がかかってしまうからである、ということである。 例えば、支出の一覧1にあるように、Aテニスクラブでは、運営費用のほとんどは、Jクラ ブでの試合運営直接費である。試合運営直接費には、競技場使用料や、JFA(日本サッ カー協会)/Jリーグへの納付金が含まれているからである。Jクラブには、そのほかに 運営の為の「一般管理費」や、選手育成(あるいは養成)の為の「チーム運営費」が費用 として加算されている。 さて、スポーツクラブがプロ選手を抱えるという事は、これほどの多大な費用がかかる ことは分かったと思う。ましてや、サッカーという競技は、選手が少なくとも 11 人必要 であり、彼らを養っていくためには個人競技のスポーツクラブよりもより多くのお金が必 要であると考えられるだろう。ここまで話がくると、“では、その多大な費用をどのように 回収するのか”に目が向くであろう。そこで、J リーグクラブチームの収入について検討 して行く。