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効率性のパラドックスと現代公共政策の意義

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(1)

効率性 のパ ラ ドックス と現代公共政策の意義

藤 田 安 一* 1ま じ め に

I

効率性のパ ラ ドックス Ⅱ 効率性 と公共性の二元論 を超えて Ⅲ 現代公共政策の意義 とその担い手 Ⅳ 地方 自治体 と公共政策

V

現代 日本 における公共政策の特徴 と問題点 Ⅵ 収益至上主義的経済活動の帰結 お わ り に は じ め に かつて

,経

済学者 ・笠 信太郎は,日 本および日本人について,つぎのような興味深い指摘 を した ことがある。 「 日本では『言葉』がで き上がると,それで安心 もし

,事

は大体説明 された と思い込 んで しまう 傾向があるらしい。中―便利な言葉 を発見 し,それを憤用 し出す と

,そ

れ以上の原因や理 由 を探求 しようとは考 えないで,それだけで考えがス トップして しまう。そういうクセがある。 ……言葉が, それか ら先へ進むべ き議論の一切 を吸収 して しまう。そ して,ひとは

,安

心するか,長嘆するか

,そ

れだけである。」(1) 確かに

,外

国人 と比較 して日本人は,笠の言 うように

,言

葉 をうのみに して しまって疑 うことが少 ないか もしれない。例 えば,男女が結婚 しようとする時,男性は女性 に,こ うプロポーズす る。「私 は,あ なたをきっと幸せにする。だから結婚 しよう。」返 よく,こ のプロポーズが功 を奏 して女性が 承諾すると

,今

度は女性の両親に会 って

,次

のように言 うだろう。「私は,き っ と娘 さんを幸せ に し ます。 どうか結婚 させて ください。」 こうした言葉のや りとりに

,何

ら疑間を感 じない。普通の 日本人は,そ うであろう。 しか し,よ く 考えてみると不思議なことだ。「 きっと幸せに します」 などと言えるはずがない。これか らの世の中, 長い2人の人生 に何が起 こるかわか らないか らだ。そこで,も し男性が,「幸せにで きるか どうか わ か りませんが・…・」 などと言お うものなら,「なんと頼 りない」 と思われて

,女

性か らはプロポーズ を拒否 され

,相

手の両親か らは嫌われるのがおちである。そのため

,つ

い便利 な言葉 を使 つて安心

(2)

22

藤田安一 :効 率性のパラ ドックスと現代公共政策の意義 させることになる。 この種の便利で安心する言葉に

,現

在,流行っている「効率性」がある。行政の効率性,財政の効 率性

,金

融の効率性

,教

育の効率性 ……。見渡せば

,何

にで も効率性 という言葉がついている。耳 ざ わ りが良 く

,便

利で人を安心 させるのに,こ の上ない言葉であ り

,一

見 して文句が言えないかのよう である。 しか し,こ こに落 とし穴がある。問題なのは,こ の効率性 とい う言葉 を使 って,あ らゆる分 野にわた り,しか も過度に効率性が追求される結果

,現

実にどの ような事態 を社会 に引 き起 こ して いるかを,正確 に見ておかなければならないということである。 本稿では,こ れを効率性のパ ラ ドックス (逆説

)と

いう言葉で とらえて,こ のパ ラ ドックス を克 服するための公共政策の意義 を明 らかにすることを課題 とする。 まず

,現

在の経済分野 を中心に

,効

率性のパ ラ ドックス とい う現象が顕著 にみ られる事例 を考察 することか ら始め よう。

I

効率性 のパ ラ ドックス 「民間金融機関による自由な効率性の追求こそが

,資

金の適正な社会 的配分 をもた らす」―― こ の考えが

,実

はフイクションにす ぎなかったということを示す決定的な出来事 こそ,1980年代後半 か ら90年代初めに発生 したバブル経済にほかならなかった。そこでは

,金

融 自由化 によつて金融機 関の自主性が一層拡大する状況の下で,も っぱら効率性 を追求する民 間金融機 関の激 しい競争 の結 果,国民経済 を収拾のつかない混乱へ と導いていったのである。 そのため

,バ

ブル経済の崩壊 を契機 として,いっせいに金融機 関 による偽造預金証書の発行 やそ れを担保 とする不正融資などの金融不祥事が

,次

々と明るみに出た。外見 的には

,厳

格 で規律性 に 富み

,精

密機械のように誤 りを知 らないと思われていた銀行。常 に口を開けば

,公

共性の必要性 を 訴え続けてきた銀行。そのベールがはがれ,ついに内幕が国民の前 に露呈 された感がある。「銀行が 聖域か らひきず り出された」のである。バブル経済期の銀行行動ほ ど

,銀

行 の外見 と内実

,言

葉 と 実態 とのズ レを鮮明に映 し出す ものはない。 こうしたバブル経済期の銀行行動が如実に示 したように

,資

金の配分 を銀行 の効率性 にのみゆだ ねることは

,収

益性の多寡を基準にした銀行にとっての効率性 にほかな らず

,社

会 的には資金 の道 正配分を攪乱する要因になった。 しか も,こ のような行為が

,し

いては銀行 自身に も負 の遺産 と し て重 くの しかか り

,現

在に至っても,ま だ巨額な不良債権の未消却問題 として資金の適正 な社会 的 配分を妨げ

,社

会全体の金融 システムの不効率 をもた らしているのである。 また

,現

在の経済不況のなかで

,企

業の収益 を上げるために最近 とみ に経営 の効率性が強調 され ている。そ して

,効

率的な経営 をめざし,各企業は先 を競 って リス トラを実行 している。その結果, 失業者は増大 しつづけ,わが国が失業統計をとって以来

,最

悪の失業状況であ り

,完

全失業率

54%,

365万人にものぼる失業者が発生 している。 この完全失業者 というのは

,規

定によると,当該月の最後の

1週

間に労働す る時間は

1時

間未満 で

,か

つ常に求職活動 をしている者 をさす。 したがつて

,1時

間以上労働 した人や,い くら探 して も 仕事がな く,求職活動 を途中であきらめて しまった人は,こ の失業者には入 らない。そのために

,実

際には失業者であって も失業者 とみなされない人がた くさんいる。その数は

,完

全失業者365万人の 2倍以上 になると言 われている。これだけ膨大な数の人々が失業状態にあるとい う事実が

,現

在 の国 民生活の不安定化 を象徴 している。

(3)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第 5巻 第 2号

(2004) 23

わが国の経済不況は,ま す ます深刻 さの度合いを深め,いつ までた って も回復 の きざ しが見 えて こないのは,こ の国民生活の不安定化 と大いに関係す る。 リス トラによる失業者 の増大 の外 に

,健

康保険料や年金保険料の引 き上げ

,医

療費の自己負担の増大

,年

金給付額 の減少 と年金支給年齢 の 引 き上げj消費税の税率大幅アップを予定する増税など,国民生活 を直撃す る不安材料 に事欠かな い。そのため,国民は「生活防衛」のため日々の家計支出を抑えようとす る。結果 として

,個

人消 費は低迷 し経済の回復は遅れるということになる。少 し説明 しよう。 一国の経済活動の規模 を表す代表的な指標に

GDP(国

内総生産

)が

ある。 この

GDPに

支 出偵I で見合 うのが

GDE(国

内総支出

)で

,GDEは

個人消費,住宅投資

,設

備投資

,在

庫投資

,公

的最 終消費支出 (政府支出),公的固定資本形成 (公共投資),財貨 ・サー ビスの輸 出 と輸入 に分類 され る。なかで も

j設

備投資は全体の15∼

20%を

占め,その比重は大 きい。 しか し,それ以上に個人消費 は60%と圧倒的に大 きな比重 を占めている。この事実は,景気 を回復 す る上 において

,個

人消費 を 高めることが決定的に重要であることを意味 している。 それにもかかわらず

,現

在政府がすすめている「構造改革」は,こ の個 人消費 を弱 めてい る。 な ぜか? 政府の「構造改革」は,わが国の経済構造が現在

,3つ

の過剰 をかか えているために病気 に陥つ ているという認識か ら出発 している。その3つの過剰 とは

,債

務過剰,雇用過剰

,設

備過剰である。 そこで,日 本経済を再生するには,こ の 3つ の過剰 を取 り除 くことが必要 となる。 そのための主 な 政策 として,不良債権の最終処理策の強力な推進であ り,雇用流動化 の促進 とい う名で企業が リス トラしやすい環境 を整備することである。 この結果,中小零細企業が相ついで倒産

,大

企業の大規模なリス トラと合わせて

,先

にのべたよう に

,現

在365万人にもおよぶ完全失業者が大量に発生 している。失業者の大量発生 は

,失

業者個人の 消費を低迷 させるだけでな く

,現

在働いている労働者の所得を引 き下 げる力 とな り

,社

会保 障制度 の悪化 と結びついて,国民の購買力 を弱め

,一

層個人消費を低下させる。個人消費の低下は

,企

業の 作った商品やサービスの売上げを落 とし

,企

業の収益 を減少 させる。 そのため

,企

業 は人件費 を削 るために再度のリス トラを行 なう。それが,ま た個人消費 を低下 させ る。 まさに悪循環 を引 き起 こ し

,不

況の長期化 と深刻化 を招いている。3つの過剰 を解消すれば

,経

済 は再生 す る とい う政府 の シナリオは

,事

実によって完全 に裏切 られたのである。 みるように,個々の企業が経営の効率性 を高めるためにリス トラを行 なえば行 な うほ ど

,社

会全 体の経済は不効率 とな り経済不況 をますます深刻化 させ る。そ して何 よ りも

,働

く意欲 と能力 を も ちなが ら,リ ス トラによつてそれを生かすことがで きないで大量 の失業者 を出 している社会 は

,不

効率な社会そのものであろう。ここに,効率性のパ ラ ドックスが典型的に現われている。

E

効 率性 と公共性 の二元 論 を超 えて 以上,効率性 を追求すればするほど,その反対物である不効率 に帰着す る とい うパ ラ ドックス に ついて述べた。 しか し,効率性だけが,こ のパ ラ ドックスのワナに陥っているわけではない。 思い出 してほしい。ついこの間まで

,今

後の 日本の社会 を特徴づけるキーワー ドとして,国際化, 高齢化

,情

報化が言われていた。 しか し

,今

では,それに代わつて効率,競争j自己責任の 3つ のキー ワー ドで語 られる。 この

3者

は,つぎのように関連 している。現在政府は

,社

会の「効率」性を高めるため,規制緩和・

(4)

24

藤 田安一 :効 率性のパ ラ ドックス と現代公共政策の意義 自由化政策 によつて「競争」 を促進 させ,その結果 の責任が「 自己責任 」 となれ ば

,企

業 や 人 々 は 必死で市場競争 を展開す るので

,経

済が活性化す るはず だ と思い込 んでいる。 しか し

,現

実 には

,経

済 的効率性 の追求 は

,前

述 した ように

,経

済不 況 を深刻 にす る こ とに よつて 経済 の不効率 を高めるだけではな く,リ ス トラによる大量失業者 を発 生 させ

,働

く能 力 と意 欲 を も つ人 を排除 した まま活用 しない とい う最悪 の社会 的「不効率」 を生み出す。ル ールな き過度 な競争 は「 闘争」へ と転化す る。責任 を負 うべ き者が責任 を免れ

,被

害 にあ った者 が 責任 を と らされ る 自 己責任 の押 しつけは,「無責任」社会 をつ くり出す。 この ように,効率

,競

,自

己責 任 の そ れぞ れ が こ とご と く,その反対物 に転化 してい くのである。 どん なに便利 で響 きの よい言葉であって も,また,それ ゆえ に過度 に多様 化 され る危 険性 が あ る だけに

,言

葉 を無批判 に受 け入 れて慣用 してい く愚 は避 けたい ものである。 ともあれ

,以

上 の事例 は

,効

率性 と公共性 との対立 した現実 を浮 き彫 りに してい る。で は

,ど

うす れば効率性 と公共性 の二元論 を超 えて,この両者 を統一す ることがで きるの で あ ろ うか。 前 述 した 金融機 関のあ り方 を例 に とる と,つ ぎの ように述べ ることがで きよう。 バ ブル経済が私 たちに教 えた ことは

,一

国の金融 システムは

,金

融 機 関 の効 率 性 よ りも国民生 活 の公共性 を,まず最優 先 に考 えて運用 され なければな らず,そう して初 めて

,金

融機 関 自身の効率性 も発揮 で きる とい うことである。公共性が保 障 されて初 めて効率′性が発 揮 で きるの で あ って

,そ

の 逆 で はない ことに注意 しなければな らないの。 しか し

,今

後,民間金融機 関は

,金

融 自由化 の本格化 に伴 う金融機 関の競争の激化 によって,ます ます公共性 を発揮す る基盤 を弱 めるであろ う。それ を放置 して民 間金融機 関の 自主性 に まかせ てお けば

,バ

ブル経済期の ように,リ ス クは大 きいが収益性 も高い分 野へ の貸 し出 しを積 極 化 させ る危 険性 をは らんでいる。 この危険性 を回避 しようと,リ ス クを国民 に転嫁すれば

,今

日の ような社会 的金融危機 を招 き

,国

民経済 を弱めて しまう。国民経済の弱 ま りは

,金

融機 関 自身の効率性 を も低 下 させ る。 ま さに悪循 環 であ る。 この悪循環 を断ち切 る道は

,第

1に

,国

民生活 を守 り福祉 を増 進す るため の資 金 配分 の適正 化 こ そが

,金

融機 関の効率性 よ りも,よ り上位 の公共性 を体現 した理念 と して社 会 的 に認 知 され る こ と である。 そ して,この基準 に基づいて

,第

2に

,現

代 の金融 システムのなかで

,緩

和 した方が よい規 制 とそ うでない規制 とを峻別 し,関係業界 の利害調整 とい う観点か らで は な く

,国

民 が 金 融 機 関 に求 めて い る ものは何 か,あるいは

,金

融機 関が国民経済の安定的発展のため に

,ど

の ような公共 的役割 を果 たすべ きか とい う観点か ら

,社

会 的 に必要 とされ る規制 を行 うことである。 第3に

,民

間金融機 関の もう一方の極 にある公 的金融機 関 を敵視 す るので は な く

,金

融 シス テ ム 安定化 のための重要 なファクター として活用す ることである。 以上 の諸点 を無視 して

,民

営化 や金融 自由化 とい う名の もとで,これ まで公 共性 を保 障 して きた 金融 システム を廃止 した り

,規

制 を一律 に緩和 した りすれば

,金

融機 関 の内外 で そ の歯 止 め を失 っ て

,バ

ブル経済の再現 とな りかねない。民営化や金融 自由化 の よる競 争原理 の導 入 は

,金

融 機 関 に 対 して利益 の追求 を認めて も

,決

して

,社

会 に不利益 を もた らす 自由 は認 め て い ない こ とを忘 れ て はな らない。 ところで

,社

会 的にはこ う した金融 問題 に関す る領域 だけでな く,社会福祉

,教

,政

,文

化 な ど,さ まざまな分野がそれぞれに多様 な 目的 を・もって存在 している。 それ に もかか わ らず

,現

在 の

(5)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第 5巻 第 2号

(2004) 25

日本では

,経

済的に効率性が高いことが,あま りにも無条件 に良いこととされJこ の効率性が

,社

会 のすみずみにまで強引に入 りこもうとしている。教育や社会保障

,文

化 な どの本来入 ることを許 さ れないような分野にまで

,効

率性が土足で入って くるとい う実態がある。 別に私は

,効

率性全般 を否定するつ もりはない。経済的効率性 も

,必

要な場合がある。 しか し

,そ

の効率性が,あまりにも肥大化 して

,教

育の分野であるとか

,社

会保障・社会福社の分野であるとか, 政治

,文

化や人の心の問題 にまで も

,影

響力 を発揮 しす ぎているのではないか。 物事には程度 というものがある。薬で も

,適

度であれば病 を治す こ とがで きるけれ ども

,そ

の薬 を一度にた くさん飲めば

,か

えって病気 になって しまう。場合 によれば

,死

ぬか もしれ ない。 これ と同 じで

,経

済的効率性は,ある分野においては必要であるけれ ども

,そ

れをいろいろな分野 に, し か も程度 を大 きくして適用するとすれば,それは明 らかに

,社

会 に とって不幸 な結果 を もた らす 。 私は,こ の点にこそ

,現

在 日本社会の病理の原因があると考えている。 ゆ き過 ぎた経済的効率性 の 追求は

,徐

々に人間および人間社会 を崩壊 させてい くにちがいない0。 それを避けようとすれば,それぞれの 目的に応 じた公共政策によって,目 先の収益性 を追求 しが ちな経済的効率性 を排除 しなければならない。そ して効率性 を

,収

益性 をあげるための もので はな く,それぞれの政策 目的を達成するための有効な手段 という意味にとらえなおす必要があろう。 皿 現 代 公共政 策 の意義 とその担 い手 では次に,こ うした意義 をもって行なわれる公共政策について,その概念 を整理 しなが ら

,公

共政 策の担い手に関する議論へ とすす もう。 さて,こ こで言 う公共政策 とは何か。いま仮 に

,公

共政策を「公共 的利益 のために行 われ る政策 決定である」 と定義すると,たちまち,こ の公共的利益の意味を聞わなければならな くなる。 政治学 においては,こ の公共的利益の概念ほど曖味であ り定義の困難 な ものはない と言 われてい る。たとえば

,政

治学者 ダウンズ

(Anthony Downs)は

次のように述べる。 「公共的利益 という言葉は

,政

治家,ロ ビイス ト

,政

治学者および投票者によって絶 えず用い られ ているが,その正確 な意味を詳 しく問い詰めると

,決

まり文旬や

,一

般論や哲学的理論に必ず巻 き込 まれて しまう。そ してす ぐに,その言葉 にはた してどんな意味があるのか

,あ

るいは意味があ る と すれば,それはどんな意味か,そのような行為が公共的利益 にかなってお り,ま たどのような行為 が それにかなっていないのか,そ してそれをどのように して識別で きるか,と い うことについて一般 的な合意は全 くないとい うことが明 らかになる。」“) しか し,困難であるとはいって も

,現

代的公共性の内容 を明 らかにする前 に,まず公共性や公共 的 利益に関 して

,重

要なポイン トを指摘 しておかなければならない。そのポイン トは,第 1に ,こ れ ま で,わが国において公共性 に関する議論が未発達であった理由についてであ り

,第

2に,しか し未発 達であるとは言 え

,従

来わが国において公共性 に関するどのような議論が行 なわれて きたか につ い てである。 まず,日 本 において,こ れまで公共性に関する議論が未発達である理由は

,戦

前の「滅私奉公」ヘ のアレルギーが

,未

だに払拭 しきれない歴史的事情に関係 している。明治以降の近代 国家へ の急速 な経済発展 と強力な軍事化の推進は,わが国を強力な中央集権国家 として造 り上げた。 そのため に, 民主主義は未発展であ り個人の基本的人権 は抑圧 され

,国

家が公共性 を独 占 し個人 に優先す る国家 体制を造 り上げていった。その結果,国民は言論や表現の自由を奪われ

,あ

げ くの果ては「公」 の

(6)

26

藤田安一 :効率性のパ ラ ドックスと現代公共政策の意義 名 の もとに戦争 の犠牲 になった。 こ う した苦 い体験 か ら

,戦

後 の 日本 国民 は

,公

共 を基 本 的 人権 と 結 びつ ける どころか

,人

権 を抑圧 す る隠れ衰 と して公共 を認識す る ようにな った。そ して,「戦 後 の 日本人 は,この過去 の人権破壊 の根源 としての『公』か ら離脱 し,『私』 を確 立す る こ とを も とめ た のである。」

0

この ような歴史的事情が

,公

共性 に関す る議論 の発展 を妨 げて きた。 しか し

,戦

後 わが 国 が 戦 前 の反省 の上 に立 って憲法で保 障 された基本的人権 を擁護 し発展 させ よう とす れ ば

,軍

事 基 地 や 大 規 模 な公共事業

,公

害 や原子力発電 な どをめ ぐって,国家が示 す 公 共 性 と国民 が 要 求 す る公 共 性 とが 深刻 に対立す る局面が生 まれて くる。そのため,わが 国 において も戦 後

,公

共 性 に関 して以下 の よ うな枠組みで論 じられて きた(ω 。 現代 日本 国憲法 は,その前文 において,「そ もそ も国政 は,国民 の厳粛 な信 託 に よる もの であ つて その権威 は国民 に由来 し,その権力 は国民の代表者 が これ を行使 し

,そ

の福 利 は国民 が これ を享 受 す る。 これは人類普遍の原理であ り,この憲法 は

,か

か る原理 に もとづ くものである。われわれは, これに反す る一切 の憲法

,法

令及 び詔勅 を排 除す る。」 とうた ってい る。 これは

,国

民 の「福利」 す なわ ち国民 の権利 ・利益 の実現 に奉仕す る こ とに 国政 の存 在 理 由

=公

共性 が あるこ とを示 している。 この ような原則 を前提 と して

,何

よ りも

,公

共性 の実 質的意義 は

,市

民 の生存権 を保 障す ることにある と考 えられる。 ところが

,資

本 主義 国家 にお ける現代行政 の実態 は

,市

民 の利益 で は な く国家 の利益 (国 益

)を

担 うもの と して現 われ る。そ こで は

,形

式 的 に「 公共」 とい う衣 を ま とい なが ら

,実

質 的 内容 は大 企業の担い手やそれ と結 びついた特権 的階層 な ど一部の人たちを守 る もの とな って い る。 現在

,日

本 の政治で最 も間われてい る政 ・官 ・財 の癒着 といわれ る もの は

,官

が政 と財 との橋 渡 しを し,「公 共」 の名 において,一部 の私 的利益 の追求 を助 け るメカニズ ムで ある。 この よ うな公 共 性 自体 が歪 曲 されてい る現実 の行政 は,「国家 的・特権 的公共性」 と呼 ばれる。 こ う して現 実 には,「市 民 的 ・ 生存権 的公共性」 と「 国家 的 ・特権 的公共性」 とい う2つの公共性が封立 してせめ ざあっている。 以上 の ように

,ひ

とまず公共性 の本来的意義 と

,現

実 的場 面 にお い て対 抗 関係 にあ る公 共 性 の 意 味 につ いて把握 してお こう。それでは次 に,これ まで公共政策が どの よ うな意 味で用 い られて きた か を考察 しよう。 従来,「公共政策」 とい う概念 は,およそ次の ような意味で用 い られて きたこ とがわか る。代 表 的 な定義 を紹介す る と, 「公共政策 とは,市場 の機 能不全 をめ ぐる諸 問題 に対 して,国家権力 を背景 に

,政

府一 国のみ な ら ず地方公共 団体 を含 めて一 が積極 的 に解決 を図 ってい こ うとす る政策 の総称 である。」(p この定義 は

,市

場 の機 能が不 完全 であ るため に生 じた問題 に対 応 す る政 策 が

,公

共 政 策 で あ る と す る立場 にた つてい る。 しか し,この定義 は誤 つている。 なぜ な ら

,市

場 の機 能 が 十全 で あ れ ば あ るほ ど

,環

境 や福祉 な ど社会 的 に必要であ るに もかかわ らず,こ れ らの分 野 に資源 が適切 に配分 さ れ ない とい う状況が起 きる,この「市場の失敗」 を是正す るのが公共 政策 で あ る とい え るか らで あ る。 さらに問題 なのは,その次の文 にある。果 た して引用文 にある よ うに

,公

共 政策 の主体 を国家 権 力 を背景 と した国 ・地方政府 とだけ定義す るこ とは正 しいであ ろ うか。結 論 を先 ど りす る と,も は や現代 の公共政策 を論 じるためには,この ような定義では,はなはだ不十分 であると言 えよう。 まず第11こ

,公

共政策 の伝統 的 な権力規定で は,国家 の安全 を保 障す る政 策 や

,現

j批

判 の対 象 となってい る公共事業 な どを

,無

条件 に公共政策 と呼ぶ こ とは妥 当で はない。 なぜ な ら,「 国家 の安

(7)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第 5巻 第 2号

(2004) 27

全 を守る」ための戦争が

,実

は軍人や政治家

,財

界 などの利益 を もっぱ ら擁護す るために行 われた ものであるという歴史的事実に注 目する必要がある。また

,戦

後 日本 における公共政策 の中心的存 在であ りつづけた公共事業の推進が

,社

会的に必要な生産基盤お よび生活基盤整備 を超 えて

,政

・ 官・財癒着の政治経済的基盤 となっていた事実 を見のが してはならないであろう。 同時に,現在わが国における膨大な国家財政の赤字の主な原因が

,こ

の公共事業 に関係 した財政 支出にあつたことは明 らかである。 さらに

,今

日の地方財政危機の根本的原因も

,バ

ブル崩壊以降, 国が景気対策のための大規模公共事業 に自治体財政 を動員 して きたことにある。 国の補助金支 出を 削減 しなが ら,しか も政府の経済対策に地方 自治体 を動員 してい く手段 と して

,地

方単独事業 の拡 大→そのための地方債の大量発行→地方債の元利償還 と一般財源補填のための地方交付税 の利用, という巧妙な手法が とられた。 つまり,補助金のつかない地方の単独事業について も起債 をみ とめ

,そ

の元利償還金 が一部 を地 方交付税 に算入で きる。事実上の「地方債の補助金化」 と「地方交付税の補助金化」 とい う事態が 押 し進め られたのである。政府 による,こ の地方債許可 と地方交付税措置 とをセ ッ トに した地方単 独事業拡大に,地方 自治体の多 くが相乗 りし

,結

局,地方財政の借入金 を急増 させる結果になったの であるlaJ。 国家が行 うか らと言つて,ま た公共事業であるか らと言つて

,公

共性 を有 しているわけではな く, 時に社会全体 に対 して著 しい不利益 をもた らす場合 もあるという典型的な事例一一 それが公共事業 であった。このことは

,公

共性 を無視 したモラルなき事業活動が

,単

に民 間企業 に限 られ るわけで はな く,国家や地方 自治体 などの政府機関によって も

,容

易 に引 き起 こされ る ものであ る とい うこ とを証明 している0。 さらに第2に

,公

共政策の伝統的な権力規定の問題点は,その中央集権的なや り方にあ る。従来わ が国の国家権力 を背景に した中央集権的な政治・行政システムは

,福

祉 や環境

,文

化 や教育 な ど社 会全般にわたつて

,深

刻な構造的ゆがみをもたらして きた。それが現在,「中央集権制の制度疲労」 として,広 く社会的に認知 されるようになって きている。これに代わる新 たな社会 システム として, 地方分権化が提起 され

,現

在,中央集権か ら地方分権へ とシステム転換が求 め られている。 もとも と地方 自治体は

,住

民にとつて身近な行政主体 として,住民の生活状況が理解 しやす く

,住

民のニー ズをつかみやすい。まさに

,基

礎的 自治体である。 したがつて

,住

民のニーズに応 える政策の計画 か ら実行に至るまで,中央政府 よりもむ しろ地方 自治体 こそが

,そ

の担い手 と して適格 であ る とい える。ここに

,今

後の公共政策の主終 として地方 自治体が重視 される理由がある°ω。 さらに,国や地方 自治体のみが公共政策の主体であるとは限 らない。住 民 のエーズ を適格 に把握 しその実現に向けて計画・活動するという意味での住民組織

,NGO・

NPOや

ボラ ンテ イアな ど の組織 も公共政策の主体 として位置づけることは十分可能である。それ どころか

,今

後 の公共政策 のあ り方 を展望する場合,こ れ らの住民組織が公共政策の主体 となって回や地方 自治体が その活動 をサポー トするとい う関係 さえも多 く見 られることであろう。 ともあれ

,今

,地

方 自治体がこれまで以上に公共政策の重要 な担い手 になってい くこ とは間違 いない。そこで次に

,地

方 自治体が どのような観点か ら公共政策 を担 って行 つた らよいのか につい て検討 しておこう。

(8)

28

藤 田安一 :効 率性のパ ラ ドックス と現代公共政策の意義 Ⅳ 地方 自治体 と公共政 策 今後,地方 自治然は,「市場の失敗」 を克服するとともに「政府の失敗」 をも修正す るため

,実

質 的に住民の参加 を促進 し

,住

民の自主的な活動諸団体 と協力することに よって

,住

民 のニーズ に依 拠 した地方 自治体 を創 ることが求め られている。 最近

,特

に高齢者介護や地域福祉

,地

域医療

,健

康スポーツ

,生

涯教育

,文

化活動 な ど住民 の行政 需要の多様化や,廃棄物

,ゴ

ミ処理 に関わるリサイクル問題などの分野において

,公

共サービスが地 域住民の参加や協力な しには行われに くい領域が広がって きている。そ う した状況 を反映 して

,住

民の自主的な組織 としての

NPOを

は じめ とするボランティア活動や協同組合活動 などの広が りがみ られる。 したがって

,地

方 自治体 はこうした諸団体 とパー トナーシップをむす びなが ら

,そ

れ らを ネッ トワーク化 し,多様な住民ニーズの実現 をめざすための社会 システムづ くりとい う

,新

たな公 共政策の地平 に向かって積極的に取 り組んでい くことが必要である。 しか し

,現

在の自治体 には

,上

記の課題 を避けて,ただちに経済的効率性 にもとづ く規制緩和 ・民 営化 によって公的サービスの守備範囲を見直 し

,市

場原理にゆだねた競争的地方 自治 を実現 しよう とする動 きがある。だが,こ の傾向によって過度な経済的効率性 を追求することになれば

,な

るほ ど

,地

方財政の赤字は減るにちがいないが,それでは,切実に福祉 を必要 としなが らも福祉サービス ヘの対価 を支払えない人達を生活不安にお としいれ

,結

果 として社会 の不安定化 を一層増大 させ る ことになって しまう。こうした地方 自治体の公共政策では

,今

後の高齢化社会 を支 え られないこ と は明 らかであろう。 私たちは短絡的に

,財

政赤字がな くなれば財政危機 も克服 されると考 えてはな らない。必要 な財 政支出を削減 したために

,国

民生活が極めて不安定にな り社会の不安定化 を一層高 め る。一一 この ようになれば,一体なんのための財政なのか

,根

本的に問われることになるであ ろ う。財政 は手段 であつて,それ自体が 目的ではない,と いうことを忘れてはなるまい。 今後,地方 自治体が公共政策において果たす役割の重要性について考 える際,2000年10月に起こっ た′鳥取西部地震における鳥取県の対応 に注 目せ ざるをえない。 鳥取県は,震災で被害にあった住宅 を再建するため

,全

国では じめて「住宅復興補 助制度」 を打 ち出 した。これまでは,「私有財産である住宅には補助金は出さない」 というのが国の考えであった。 そのため

,阪

神 ・淡路大震災の時にも

,住

民の要求があったにもかかわらず

,国

は住宅復興のため に 補助金 を出す ことを拒否 しつづけてきた。 しか し

,鳥

取県では,マグニチュー ド

73,中

心地では震 度6強という大規模地震が起 こ り

,死

者 さえ出なかった ものの,負傷者182名

,住

宅全壊433棟

,半

壊 3,084棟にもおよぶ被害が発生 したい'。 一一 この状況下で

,機

敏に片山善博′鳥取県知事 の決断によっ て,「住宅の再建 な くして地域の復興 はない

Jと

い う考 えの もとに「住宅復興補助侑U度」が創 設 され た。 この制度は,地震で被害 を受けた個人住宅の建て替 えや補修助成に姑 して県が補助す る制度であ る。建て替 えの場合は300万円を限度 に県が

3分

の 2を 補助 し

,補

4分の場合 は150万円 を限度 に50万 円以下は

2分

の1を,50万円を超 える額については

3分

の 1を 補助することとした。 この制度によっ て

,被

害にあった住民か ら「先行 きに対する不安や恐怖心力漸日らいだ」「補助金があることで心が落 ち着いた」(りという声が聞かれたように

,精

神的な支えになっただけではない。被害地域か らの人 口 流出が くい止め られ

,地

域社会の崩壊 に至 らなかった。その効果の大 きさは高 く評価 されてお り, この制度の画期的意義 を認めることがで きる。

(9)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研 究 第 5巻 第 2号

(2004) 29

さらに,こ の制度の斬新 さは制度の理念 にある。すなわち,これ まで住宅 は個人の私有財産 とみ なされ,いかなる場合 においても,それに公的資金 を投入する必要 はない と考 え られて きた。 しか し,人々が住 む住宅こそが地域社会を支 えるものであると考えれば

,そ

の住宅 は極 めて高 い公共性 を有することとなる。まして,その住宅が個人の力 を超 えた自然災害 に さらされて倒壊 した もので あれば,その再現は自己責任 によるのではな く

,公

的責任 による公共政策の対象 となるのは当然 の ことと言わなければならないであろう。これまで「私的」であるとみなされてきたことが「公 的」 なもの とみなされた瞬間である。新たな公共性の誕生であった。 生活の社会化の進展 にともなって,こ れまで私的な事柄である とされていた ものが

,公

的な支援 で遂行 されるようになっている。保育や介護などがその典型的なものであ り

,保

育所 の設立や介護 制度の もつ社会的意義について

,今

さら論 じる必要はなかろう。 もともと私 的な もの と公 的 な もの とを明確 に分かつ確固たる基準があるわけではない。公共政策の対象 となる公共性 をどの ように と らえるかによって変化するものだか らである。現在では

,規

制緩和 ・民営化政策 によつて

,こ

の公 共性 を狭 くとらえ

,公

共政策の機能が弱め られる傾向にある。 しか し

,高

齢化や財政危機の急伸 に加 えて

,市

場原理主義に もとづ く競争 と経済的効率性 を強調 するわが国の社会では,個々人の生活はまずます不安定化 し,そ こか ら生ず る諸問題 を個人の「 自 己責任」で処理で きず

,社

会的な対応が求め られる分野が増大することになろう。そ うす る と

,こ

れまでは私的な事柄 も新たな公共性 をもった もの として公共政策の対象 に入れざるをえない。 それ は主に住民の身近なことであるがゆえに

,地

方 自治体が対応するのが適切 となる。「公」か ら「民」 へ とは逆に,「民」か ら「公」へのベク トルに封応する地方 自治体の公共政策が

,今

後 ます ます重要 となって くるであろう。

V

現 代 日本 にお ける公 共政 策 の特徴 と問題 点 以上で,「公共性」および「公共政策」の概念,ならびに公共政策の担い手や地方 自治体 と公共 政 策 との関連などについての検討 を終え

,次

に現代わが国における公共政策 の特徴 とその問題点 の考 察に移ろう。 現代 日本の公共政策の特徴 は,有事法制・自衛隊のイラク派遣

,通

信傍受 (盗聴

)法

,国旗 。国歌 (日の九・君が代

)法

,住

民基本台帳ネッ トワークに見 られるように

,国

防や外交

,公

安 な ど従来 の 国家権力 を背景 とした公共政策が格段 に強化 されつつある反面

j先

に検討 した公共性 の本来的意義 である国民の生存権 を保障する「市民的・生存権的公共性」 を担 う公共政策が著 しく後退 している ことにある。この点を

,現

在政府が推進 している規制緩和政策 との関連で述べておこう。 政治的には,1980年 代初頭か らイギリスのサ ッチャー政権チアメリカの レーガン政権,日 本の中曽 根政権 に代表 される権力 をバ ックに

,他

,経

済学的には,ケインズ主義的福祉国家 を批判す る新古 典派経済学,マネタリズムや合理的期待形成学派などのサプライサ イ ド経済学 を理論 的基礎 に

,資

源の効率的配分 を

,市

場における自由競争の もとで実現 しようとする考 え方が急速に台頭 して きた。 それを新 自由主義 と呼び,A・ ギャンブルは新 自由主義の特徴 を,「自由経済の伝統的 自由主義擁護 と国家権威の伝統的擁護の結合である」(り と述べている。 経済的効率性 を高めるために

,規

制を敵視 し市場 メカニズムの働 きを過度 に評価す る

,こ

の新 自 由主義の原理にもとづいて,わが国の政府は社会のあ らゆる分野にわたって強力 に規制緩和 。自由 化政策を推 し進めていった。

(10)

30

藤田安一 :効 率性のパ ラ ドックス と現代公共政策の意義 もっ とも

,規

制緩和 政策 をい ち早 く強力 に推進 したの は,アメ リカ とイギ リスで あ つた。 両 国 は 1970∼80年代 に 自国企業 の多国籍化 に対応 して

,大

企業 の内外 におけ る 自由 な活動 を保証 す る 目的 で始めたのであ る。 アメ リカでは,1978年の航空産業 の規制緩和 を皮切 りに,80年代 には電信 電話 や金融分野 な ど

,つ

ぎつ ぎに規制緩和 が進 め られてい った。一方 イギ リスでは

,公

企業の民 営化 や金 融分 野 にお け るい わゆる ビッグバ ンがその典型であった。 わが国では,1979年に経済協力 開発機構

(OECD)が

日本政府 に対 して規 制緩和 の推 進 を勧 告 したのが発端 となって,アメ リカか らの市場 開放 の要求の圧力 は強 まった。 国 内的 には赤 字財 政 の 解消 と行政 の効率化 を 目的 と して,1981年に第

2次

臨時行 政調査 会 が つ くられ

,中

曽根 内 閣 に よ つ て国鉄,電電

,専

売 の

3公

社 の民営化が進め られたのが規制緩和政策の始 ま りといえる。 しか し

,規

制緩和 が本格 化 す るの はバ ブ ル経 済 崩 壊 後 の 1990年 代 不 況 に突 入 して か らで あ る。 1993年 に細川 内閣の「緊急経済対策」の柱 として規制緩和 が打 ち出 され た。 す なわ ち,1993年

,細

川首相 の私的諮 問機 関 として設 け られた経済改革研 究会 か ら,いわゆる「平 岩 リポー ト」 が発 表 さ れた。そ こで は

,公

的規制 を「 経 済 的規 制

Jと

「 社 会 的規 制

Jと

に分 け

,経

済 的規 制 に関 して は 「原則 自由・例外規制」,社会 的規 制 について も「 必要最小 限 に縮小」 す る とい う考 えが打 ち出 され た。 その後,1994年の「行政大綱

Jの

決定,「行革委員会」の設置 な ど規制緩和 の動 きは本格 化 して い く。そ して,1995年 4月 か らの「規制緩和推進計画」 は,当初 の5年間か ら3年間に前倒 しされ1998 年 3月 に期 限 を迎 えた。1998年4月には,さ らに2000年 度 までの3年間 を対 象 とす る新 た な 「規 制 緩和推進計画」が決定 され推進 されて きたのである。 しか も注 目すべ きは,この経済的効率性が経済分野 だけの指導 理念 とな った だけで はな く

,そ

の 他 の分野の改革 に も広 く

,か

つ強力 に適応 されていった ことであ る。 そ の象徴 的 な出来事 が

,1996

年11月に打 ち出 された橋本首相 による5大改革の提唱であった。 そ こでは

,現

在 の高度情報化 や急速 な少子高齢化 に従 来 の社会 シス テ ムが 適 応 で きな くな った と い う認識 の もと

,効

率性 を高 め るため に

,経

済構 造改 革

,金

融 システム改革

,財

政構造改革

,行

政改 革

,社

会保 障構 造改革 を実施 す るこ とが述べ られ,さ らに

,翌

年1月には教 育改 革 を追加 して

,計

6 つの分野での改革 を一体的に実施す ることが宣言 された。 したが って

,以

上 の6大改革 を提 唱 した橋 本首相 の所信 表 明演説 (1996年11月 29日

)や

施 政 方針 演説 (1997年 1月20日

)の

中に

,効

率性 ない し効率 的 とい う言葉 が

,い

か に多 く散 りばめ られ て い るか

,読

んだ もの を驚嘆 させ る。 まさに,効率性 の オ ンパ レー ドであ る。

2,3紹

介 しよう。 まず

,経

済構 造改革 を提 唱す るに際 して,つぎの よ うに述べ ている。 「景気 の回復 に万全 を期す ることは当然であ りますが

,富

を拡大す る経済力

,技

術 力が なければ, 豊か な国民生活 は もちろん

,健

全 な財政や質の高い福祉 は実現で きませ ん。 国境 を越 え る企 業 活動 が飛躍的に増大 し,国の システム 自体が産業の国際競争力 を左右 す る時代 にお いて

,経

済 全 体 の効 率性 と柔軟性 を高め る ことは,国家 的課題であ ります。産業 の空洞化 や 本 格 的 な高齢 社 会 の到 来へ の姑応が手遅れ にな らない よう

,経

済構 造改革 のための総合 的 な対 策 を早 急 に講 じな けれ ば な りま せ ん。」

(0(傍

点 は引用者) また

,行

政改革の提唱では,つぎの ように述べ られてい る。 「 わが国の行政 システムは

,戦

,貧

困や社 会 の不平等 を解消 しなが ら

,効

率 的 に経済 を発展 させ る とい う明確 な政策 目標 の下では有効 に機能 して まい りま したが

,近

,複

雑 多 岐 にわた る行 政課

(11)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第 5巻 第 2号

(2004) 31

題に直面 し,その限界 を露呈 してお ります。時代の変化 に的確 に対応で き

,国

民 のユーズに合 つた サービスを効率的に提供で きる行政に生 まれ変わ らせるために

,行

政サ ー ビスの内容 と提供 の しか たを抜本的に見直 さなければな りません。・ °」 (傍点は引用者) さらに,社会保障構造改革で も,つ ぎのように効率性が強調 されている。 「急速な少子高齢化が進展する中で

,給

付 と負担の均衡が とれた社会保障 をいかに実現す るかは, 国民の公的負担水準 とかかわる重大問題であ りますが,社会保障の費用 は

,本

人の負担 か事業者 の 負担か

,税

金を使 った国や地方の負担かにかかわ らず,だれかが魚担 しなければならない ものです。 個人の尊厳 と自立,自助努力 を縦軸 として確立 した上で

,社

会の連帯 の精神 を横 軸 に据 え

,民

間の 参入 を促 しなが ら,利用者の選択 に応 じ

,質

の高いサ●ビスを効率的に提供 で きる社会保障制度 を 整備 してまい ります。」

(n(傍

点は引用者) 「大幅な赤字体質 となっている医療保険制度をこのまま放置することは許 され ませ ん。 国民皆保 険の仕組みを維持 しなが ら

,適

切かつ効率的な医療サービスを安心 して受 け られ るよう

,今

国会 に 提出する法条を出発点 として

,医

療の提供体制 と保 険制度全般 にわたる総合 的な改革 を行 い ます。 」°(傍点は引用者) もう,こ の辺でいいであろう。こうした執拗なまでの経済的効率性 の強調 が

,上

記 の橋本首相 に よる演説の特徴であった と言つてよい。ここでは

,社

会構造全般にわたる改革 の指導理念 が経済的 効率性であ り,こ の理念が社会発展の価値基準 と認識 されている姿が

,こ

の演説 の中に浮 き彫 りに なっているということを確認すれば十分であろう。 こうした効率性の追求が

,前

述 したように効率性のパラ ドックスに陥 り

,社

会 的不効率 を生み出 す。一一 このことを再度認識 しておこう。そ うであれば

,経

済的効率性至上 主義 的な政策 に歯止 め をかけなければならないにもかかわらず

,逆

に一層の規制緩和 ・民営化 を促進 し効率性の追求となっ ている。このために,「民間企業か ら学ぶ」 をスローガンに

,民

間企業の経済活動 を模 範 として

,そ

れを公共部門に導入するや り方は,ト ヨタ方式 を真似て効率性 を追求す る 日本郵政公社 や 自治体マ ネージメント

,独

立行政法人,PFIな ど花盛 りである。これほどまでに

,民

間企業の経営や経済活動 は信頼 に値するものなのであろうか。 最後に,こ の点を検討 し

,現

代わが国における公共政策の必要性 について確認 しておこう。 Ⅵ 収益 至 上主義 的経 済活 動 の帰 結 「倫理なき経済活動の暴走」一一 この表現ほど

,現

代の 日本社会 を象徴 してい る言葉 はない。 そ う思えるほど

,現

,企

業が引 き起 こす経済的事件は多発 し

,か

つ深刻 な影響 を社会に与 えている。 まず最近,国民の 目をひいたのは,なんと言つて も,わが国がバブルの悪夢か ら覚めたとたんに発 覚 した金融不祥事の数々であつた。銀行や証券会社 など金融機関が引 き起 こ した この種 の事件 は, 単に1990年代か ら現在 まで続いている深刻な不況のスター トであっただけではな く,「倫理 な き経済 活動の暴走」を,いやが うえにも国民に印象づけることとなった。 つづいて,三菱 自工の リコール隠 しが発覚 し

,組

織 ぐるみの「欠陥車 隠 し」事件 と して世 の批判 をあびた。さらに,雪印のず さんな衛生管理のために起 こった「雪印食中毒事件」

,同

じくその雪印 や 日本ハムが

,今

度は狂牛病に対応 して国が設けた制度を悪用 して引 き起 こ した 「牛 肉偽装事件」 など,国民のこれら企業の経済活動に姑する不信感 を一層高める事件 があいついだ。 しか も,これ らの事件が直接,国民の命 に関係するものだけに,国民生活に与 えた影響 は深刻 であつた。 ある意

(12)

32

藤 田安一 :効率性のパ ラ ドックス と現代公共政策の意義 味では

,政

治問題以上に

,現

在わが国の社会全答 を不安 に陥れ

,社

会への不信感 を強めている。 少 し詳 しく,こ うした最近の代表的な倫理なき経済活動によつて引 き起 こされた企業犯 罪 をみて おこう。 1990年代初頭

,バ

ブルの崩壊 を契機 として,いっせいに金融 ・証券不祥事 が明 るみ に出た。す な わち

,小

日投資家 を犠牲 に した大 口投資家への損失補填や

,暴

力 団 と癒着 した株 の仕手戦 での株価 のつ り上げとそのための融資

,都

市銀行 による架空預金証書の偽造 と

,そ

れ を もとに した不正融資 等

,数

々の金融・証券スキャンダルが同時多発的に起 こったのである。 まず

,証

券会社 による損失補填は,1988年 9月期か ら91年 3月 までの間に大企業 を中心 に廷べ787 件,2164億 円の巨額にのぼることが明 らかになった。さらに

,野

村證券 と日興證券が,広域暴力団で ある稲川会前会長に値上が り前の東急株 を信用取引で売 り,その後

,取

引決済 のための関連会社 で ある野村 ファイナンス と日興 クレジッ トか ら,同株券 を担保にそれぞれ数百億 円を融資 した事実が 明るみに出た。 一方

,銀

行では日本興業銀行が関連ノン・バ ンクなどとともに

,暴

力 団 とのつ なが りが指摘 され ていた料亭の女将に

,東

洋信金の架空預金証書 などを担保 に5000億円に ものぼ る資金融資 を行 って いた。また,富士銀行や東海銀行

,共

和埼玉銀行では

,架

空預金証書 を偽造 しノン・バ ンクか ら巨額 の資金がひき出され不正融資が行 われていた。さらに,住友銀行が社長以外多数の役員 を送 り込み, 巨額の融資 を行っていた中堅商社 イ トマ ンが

,ゴ

ルフ場や絵画取引 に2500億 円の資金 をつ ぎこみ, そのほとんどが間に消えた事件 など,およそ表面化 した事件だけで も

,金

融機 関の反社会 的 ・反公 共的行為の多様性 とその規模の大 きさに驚かされる。 このような倫理なき利益至上主義的な経営が引 き起 こした企業犯罪は

,つ

い に直接

,人

間の命 に かかわる食品業界 にまでおよぶことになった。その象徴的事件が,雪印や 日本ハ ムが起 こ した「食 肉偽装事件」である。 牛肉偽装事件は2001年

,BSE騒

動 によつて国産牛の安全神話が崩壊 した時点か ら始 まっている。 北海道で国内初の

BSE感

染牛が発見 されて大騒 ぎになったことを契機 に

,農

林水 産省 は2001年10月 末)「牛肉在庫緊急保管対策事業」,いわゆる「在庫牛肉買い取 り制度」 を開始する。これは,同 じ月 の18日か ら実施 された蓄牛全頭検査以前に出荷 された実検査の牛肉を国の補助金 で買 い上 げて冷凍 保存 (のちに全量焼却に方針転換

)す

るという制度だった。ここに目をつけたのが

,食

肉業界 であ る。食肉各社 は安価の輸入肉やクズ肉を国産上質肉と偽 って業界団体 を通 じて国 に買 い取 らせ

,そ

の差益 を得ていた。 雪印食品は10月 31日,関西 ミー トセンターのセ ンター長 ら7人で自社 の牛 肉保管先 である西宮冷 蔵 を訪れ

,保

管 してあったオース トラリア産牛肉124ト ンを国産牛肉用の段 ボール箱 に詰 め替 えた。 そ して

,加

工 日のラベルを全頭検査開始前の日付 に改 ざん したものに貼 り替 える とい う作業 を行 っ た。 本来買い上げの対象 となるはずのないオース トラリア産牛肉の卸売価格 は

,最

高で もキ ロ当た り 875円。これに対 し,「国産牛」 として業界団体が買い上げた価格 は一律1114円。雪E「食 品が得 た利 益は当初,関西 ミー トセ ンターだけで1460万円に上がった。偽装 は関西 だけで な く

,埼

玉県春 日部 市の関東 ミー トセンターや本社委託の都内倉庫で も行われていた。 明 らかにこの事件は,も っぱら自己の利益のみを考 え国の制度 を悪用 して利益 を得 ようとす る組 織 ぐるみの詐欺行為であった。雪印はこの食品部門以外 において も

,前

年 の2000年 には乳業部 門で 食中毒事件 を引 き起 こしていた。ず さんな衛生管理によつて起 こったこの事件 によつて

,す

で に雪

(13)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第 5巻 第 2号

(2004) 33

印は強い社会的批判 を受けていた矢先の出来事であつた。 2000年 6月末に発生 した雪印の食中毒事件は

,雪

印乳業 14Al大阪工場 で製造 された低脂肪乳等 に よって

,1万

4780名が食中毒 にかかるという

,近

年例 をみない大規模食 中毒事件 に発展 した。 中毒 を起 こした原因物質は

,黄

色ブ ドウ球菌の毒素であるエ ンテロ トキシ ンであること力

WJ明

したが, 問題は何故そうした毒素が乳製品に混入 していたのかである。そこには

,倫

理観 を欠いた驚 くべ き 雪印の衛生管理上の問題点があった。 その問題点 とは

,(1)逆

流防止弁 (バルブ

)の

洗浄不良

,(2)仮

設 ホースによる配管 の使用 と洗 浄不良

,(3)温

度管理が行われない屋外での調合作業

,(4)不

適切 な再生品の使用 な どであ った。 要するに,も ともと腐 りやすい乳製品の製造にもかかわ らず容器 を洗わずに使いっぱな しに した り, 湿度の高い屋外で混ぜ合わせた り,賞味期限が きれた ものを使用 していたというのである。 この ような常識では考えられないような事態が,わが国の金融業界か ら食品業界 に至 る まで

,な

ぜ起 こって しまったのか。その原因を

,公

共性 をないが しろに した経済的効率性至上主義的経営 の あ り方に求めることは容易であろう。この点の深刻 な反省がないままに

,民

間企業の経営方式 を公 共部門にまで拡大することは,効率性のパ ラ ドックスを一層深刻化す る危険性があるこ とを忘 れて はなるまい。 お わ り に デイズニーラン ドやディズニーシーの経営 を行なっていることで有名なオ リエ ンタル ラン ドの社 長に

,加

賀見俊夫氏がいる。加賀見氏は最近,『海 を超 える想像力』 という本 を出版 した。本書はデイ ズニーラン ド誕生の秘話など興味深い内容が書かれているが

,他

に も私 の興味 をひいたのは

,そ

の 経営方針である。氏は,それを4つの頭文字 を取 って

SCSEと

呼んで,つぎのように述べ てい る。 「4つの言葉の頭文字 を取 った ものだが

,順

番 にい くと『Safety:安全』『Courtesy:ネし儀正 しさ』

FShow:シ

ョー』『Efficiency:効 率ご となる。オペ レーシ ョンではなによりも安全が優先 され

,そ

のうえにキャス トの礼儀正 しさ

,ど

んなときで もシ ョーとして成 り立たな くてはな らない とい う徹 底 した品質の高 さ,そ して最後に効率 とくるわけである。この順番 を間違 って,まず効率が優 先 さ れるとした ら

,デ

ィズニーのテーマパークではな くなるということである。」(181 しか し,こ うした加賀見氏のように効率性の危険性 を認識 している人は極 めて少 ないのが現 実 で あろう。む しろ最近では

,本

書で指摘 したように

,民

間企業は もちろんのこと公共機 関 にまで効率 性 を最優先 した経営方式が機械的に持 ち込 まれている。この結果,わが国の社会や国民生活が まず まず不安定になってい く。そのまま,こ のような事態が進んでいって も良いのだろ うか,と い うの が本稿 を執筆 した動機であった。 具体的に公共政策 との関わ りで言えば

,最

,国

防やタト交

,公

安 など従来の国家権力 を背景 とした 公共政策が格段 に強化 されつつある一方で,国民生活 に密着 した福祉 や環境

,教

育や文化 な どの諸 分野における公共政策が後退 し,代わつてこれらの分野は大幅に規制緩和 の対象 とな り

,自

由化 ・ 民営化 による市場原理の導入が進め られていることへの危機感であった。そのため本稿 で は

,公

共 性 をめ ぐる複雑 な時代状況 を整理 して

,市

民的公共性の豊かな発展 をめ ざす公共政策が危機 的状況 にある実態 と,それを克服 し期待 される公共政策のあるべ き姿 を明 らかにしたかつたのである。 いわば

,現

代公共政策の危機 と可能性 を論 じたかった。こうした問題意識 は

,現

在 のわが 国 にお いて徐 々に共有 されつつあると言つてよいであろう。その証拠に

,最

近特 に目立つのは,「公共」 や

(14)

34

藤田安一 :効率性のパラ ドックスと現代公共政策の意義 「公益」 とい うタイ トルがついた本が

,数

多 く出版 されてい る ことであ る。 例 えば,2000年以降の出版物 をみて も

,佐

々木毅 ・金泰 昌編 『公 共哲 学 」 全 10巻 (東 京 大 学 出版 会,2002年

)を

は じめに,山口 定,佐藤春吉 ・中島茂樹 ・小 関素 明編 『新 しい公 共性 』 (有 斐 閣, 2003年

)や

斎藤純一『公共性』(岩波書店,2000年 ),小松隆二『公益学のすすめ』(慶應義塾大学 出 版会,2000年 ),同 『公益の時代』(論創社,2002年

)な

どがあげられる。 さらに

,政

策科学 として公 共政策 と名のつ くものは

,河

宮信郎・青木秀和 『公共政策の倫理学』(丸善,2002年

)や

足 立幸男 ・ 森脇俊雅編 『公共政策学』(ミ ネルヴァ書房,2003年 ),佐々木信夫 F自治体の公共政策入 門』(ぎよ うせい,2000年

)な

どがあげられよう。その他,「公共」や「公益」が タイ トルにつ く論文 は膨大 な 数にのぼる。 また最近

,学

会 としては日本公共政策学会や 日本公益学会などが相ついで発足 した。 このような社会現象は

,現

在のわが国において「公共」 に対する危機感の現われである と同時 に, それ らへの期待感の表明で もある。 しか し,関心 を集めるわ りには,「公共」の意味す る内容が人 に よって違ってお り,ま た漠然 として不明確であった り,なぜ今,「公共」 なのか 一一 その政治経済 的背景 との関連が明 らかでなかった り,と 問題点が少な くない。 したが って本稿 では

,こ

の点 を整 理 し明確 に しなが ら

,公

共政策の現代的意義について論 じようとした ものである。 注 (1)笠 信太郎 『花見酒の経済』朝 日新聞社 ,1976年 ,54∼55ページ。 (2)こ の ような視点か ら,金融機関の効率性 と公共性 について論 じた もの として,以下の論文 を参考。 藤田安―「現代 における金融機関の公共性 と社会的責任 に関する一考察」『生活経済学研究』第12巻,1996 年12月。 藤田安―「現代金融機関における効率性 と公共性」『鳥取大学教育学部研究報告』(人文・社会科学

)第

46 巻 第2号,1995年12月。 藤 田安―「現代金融機関の社会的責任」『鳥取大学教育学部研究報告』(人文・社会科学)第47巻 第 1号, 1996年8月 。 藤田安―「現代金融 システム改革論序説J『鳥取大学教育学部研究報告』(人文 .社会科学

)第

49巻 第1 号 ,1998年 6月 。 藤 田安―「住友銀行 における収益性 と公共性」『′鳥取大学教育地域科学部紀要』(地域研 究

)第

1巻 第2 号,2000年 2月 。 (3)詳しくは,藤田安―「経済的効率性 を超 えて」(『鳥取大学教育地域科学部紀要』 第2巻 第 1号 ,2000年 7 月)を参照。

(4)AnthOny Downs,An Economic Theory of Democracy,Harper&Row,1957,ppl-2

(5)宮 本憲一編 『公共性の政治経済学』 自治体研究社 ,1989年

,5ペ

ージ。 (6)詳しくは,渡辺洋三・甲斐道太郎 ・広渡清吾・小森田秋夫編『 日本社会 と法』(岩波書店,1994年)を参 照 。 (7)小 島 昭『現代の公共政策』動車書房 ,1990年 ,239ペ ージ。 (8)こ の事情 を分析 したもの として,以 下の論文を参照。 藤田安―「公共事業の展開 と地方財政危機の進展J『都市問題』第92巻 第12号,2001年12月。 藤田安―「′鳥取県における財政危機の現状 と課題」『鳥取大学教育地域科学部紀要』(地域研 究

)第

3巻 第 1号 ,2001年 7月 。

(15)

鳥取大学教育地域科学部紀要 地域研究 第 5巻 第2号

(2004) 35

藤田安―「現代鳥取県における市町村財政の特徴 と課題」『鳥取大学教育地域科学部紀要』(地域研究

)第

3巻 第 2号 ,2002年 1月。 藤田安―「転換期 にある鳥取市財政の現状 と課題J『鳥取大学教育地域科学部紀要』(地域研 究

)第

3巻 第 2号 ,2002年 1月。 (9)こ の問題 を論 じた もの として,以 下の論文を参照。 藤田安―「公共政策 と地方 自治体」『鳥取大学教育地域科学部紀要』第 5巻 第 1号 ,2003年 5月。 藤田安―「公共政策の現代的意義J『鳥取大学教育地域科学部紀要』第5巻 第 1号 ,2003年 5月 。 (10)地 方 自治体 における公共政策の意義について論 じたものとして,以 下の論文を参照。 藤田安―「公共政策 と経済倫理」『鳥取大学教育地域科学部紀要』(地域研究

)第

4巻 第3号,2003年 3 月。 藤田安―「公共政策 と地方 自治体」『′鳥取大学教育地域科学部紀要』(地域研 究

)第

5巻 第 1号 ,2003年 5月。 (11)鳥 取県防災危機管理課『平成12年鳥取県西部地震の記録』2001年。 (12)『 日本海新聞』2001年4月 2日お よび同年10月 1日。 (13)A・ ギャンブル著,小笠原欣幸訳『自由経済 と強い国家Jみすず書房,1990年 ,49ペ ージ。 (14)『朝 日新聞』(夕刊)1996年11月 29日。 (15)同 上。 (16)『朝 日新聞』(夕刊)1997年 1月20日。 (17)同 上。 (18)加 賀見俊夫『海 を超 える想像力』講談社 ,2003年 ,65∼66ページ。 (2003年10月 27日受理)

(16)

参照

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