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[19世紀フランス小説における女性とセクシュアリティと子供像 第1部 子供たちの肖像・母親たちの肖像]

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Title

[19世紀フランス小説における女性とセクシュアリティと子供像 

第1部 子供たちの肖像・母親たちの肖像]

Author(s)

高岡, 尚子

Citation

19世紀フランス小説における女性とセクシュアリティと子供像,

pp.1-16

Issue Date

2009-03

Description

URL

http://hdl.handle.net/10935/1077

Textversion

publisher

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第1部

子供たちの肖像・母親たちの肖像

第1章

「子供たち」の側から

一19世紀フランス小説に描かれた子供像一

1.子供たちは小説に描かれたのか? 「19世紀フランス小説に描かれた子供像」を検討するにはまず、作品中から「子供たち」を抽出 せねばならないわけだが、そのためにはさらに予備段階として、当時の社会における子供の扱いが どのようなものであったかを確認する必要があるだろう。この点については、フィリップ・アリエ スPhilippeAriさsのし’Enfant et la Vie familia!e sous 1’4ncien Ragimeが大変参考になる。アリエ

スによれば、古い伝統的な社会における子供の存在感は以下のようなものであった。 この社会は子供をきちんと思い描いてはいないし、思春期に関しては、なおさらそうだと、私 は論じた。子供期は、最も弱い状況の時、つまりは「小さな大人」が自分で自分のことができ ない期間に限られていた。だから子供は身体的に独り立ちできるやいなや、できる限り早い時 期から大人たちと一緒にされ、仕事や遊びを共にしたのである1。 つまり、子供期は独立した一時期を形成していたわけではないことになり、ごく単純に言ってしま えば、「赤ん坊」はいたとしても、「子供」は存在しなかったということになる。それであれば、文 学作品において子供が問題になることはほとんどなかったと言ってよいだろう。では、この状況が 変化するのはいつのことか。アリエスは続ける。 その時から家庭は子供を中心に組織されるようになり、かつての社会で置かれていた匿名の状 態から抜け出させるほどの重要性を、子供たちに与え始めた。[_]その結果起こったことは、 [_]19世紀の社会生活における、家庭のめぐるものと職業のめぐるものへの両極化であり、古

i Philippe Aribs, L’Enfant et la Vie fami7iale sous 1’Ancien Re”gime, Editions du Seuil, Collection Points, 1973,

pp.5−6.以下、フランス語のテクストからの引用は拙訳によるが、翻訳にあたっては、邦訳『「子供」の誕生:ア ンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(杉山光信・杉山恵美子訳,みすず書房,1980年)を参照した。

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い人間関係の消滅であった2。 ここに述べられた「その時」とは17世紀末のことであり、その後、18世紀と世紀末から19世紀 初頭にかけての大動乱期(政治的・経済的・社会的)を経過して、結果的として新しいタイプの家 庭像が誕生したということになる。子供たちは「匿名状態」<<anonymat>》から抜け出し、その時点 において一個の存在として認められたばかりではなく、「かなめ」として家族の中に君臨するに至る のである。 しかし、事は一気に起こったわけではなく、文学表象として、子供が単独の地位を占めるように なるのは、もっと後のことである。Philippe HamonとAlexandrine Viboudが編纂;した『フランス

風俗小説(1814−19 14)テーマ辞典』Dietiollnairθth eima tiq ue du roman de mαeurs en Franeθ

1814−1914の「子供」<<Enfant>>の項目には、その事情がこのように述べられる。 子供の登場人物は哲学的・教育的な物語やエッセイ(ルソーの『エミール』など)や、あらゆ る自伝的作品の最初の数ページに仕方なく描かれるものとして現われた。1840年代には「生理 学もの」が、子供に関心を持ち始めている。子供の登場人物は、1850年までの文学においては 比較的まれであり、描かれたとしても副次的で取るに足らないものとして扱われていた。そこ で子供はしばしば、浮気をした母親や妻を捨てた父親の、単なる後悔の材料という役割を担わ されており、当初その存在は、悲劇的な役割や語り上のサスペンス効果(捨て子、「認知で終わ る結末」<<croix de la mさre>>、不義の子、孤児など)を利用する新聞小説に限られていた3。 「生理学もの」<<physiologie>>とは、19世紀半ばに流行した「一定の社会階層・環境の生態描写を 目的とする書物」であるため、社会構成員としての子供に興味を示すのはうなずけるところである。 しかし、文学作品においては、1850年代に入るまで、子供が単体として関心を引くような描かれ方 はしなかったのである4。それ以前の子供像について、ここでは「新聞小説」くくroman feuilleton>> に限られていたとあるが、そうでなかったとしても、子供は常に「母親」や「父親」との関係性に おいて描かれることが一般的だったと言えるだろう。 しかし、この事実は本研究課題「19世紀フランス小説における女性とセクシュアリティと子供像」 を推し進めるにあたり、障害となるわけではない。むしろ、本研究が着目するのは子供を造形する 必要に迫られる事情であり、それによって明らかになる「女性とセクシュアリティ」の問題だから である。子供への無関心が取り立てて不自然なことではなかったこの時代にあって、ことさら子供 を登場させなければならない理由は何であったのか、その理由を特に、子供たちの産みの親である 「母・女」の観点から整理すればどのような構図が浮かび上がってくるのか、それが、本課題にお いて明らかにしょうとする問題点なのである。 2 lbid., p,8・

3 Philippe Hamon et Alexandrine Viboud, Dictionnaire theimatique du ron2an de mceurs en France 1814−1914, Presses Sorbonne nouvelle, 2008 ; << Enfant >>, p.328.

4Claudie BernardはPenser 7a fami71e a u XIXe sie”ele(1 789−1870?において、同様の指摘をしている。(Claudie

Bernard, Penser !a fami71e a u XJXe siecle (1 789e1870?, Publications de 1’Universit6 de Saint−Etienne, Saint’Etienne, 2007, pp.178’180.) ’

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Il.「子供像」の類型

上記のような問題意識に基づき、本稿では19世紀フランス小説に描かれる「子供像」を大きく ふたつに分類する。ひとつは、周辺の人物、特に母親とのかかわりで登場することになる、いわば

「副次的」存在とされる子供たちである。ふたつ目は、Philippe HamonとAlexandrine Viboud によれば1850年以降になって登場し始める、個人として名を持ち、活躍する子供たちである。 「名もなき」子供たち すでに指摘したとおり、19世紀フランスの小説作品において、子供たちが独自の個性を持たされ、 その生き方そのものに関心が集まるような描かれ方をするのは極めてまれなことであった。しかし そのことは、登場人物としての子供が皆無であったことを意味するわけではない。では、どのよう

に描かれる可能性があったのか、ということになるが、それに関するPhilippe且amonと

Alexandrine Viboudの指摘は大変興味深いものである。 Philippe HamonとAlexandrine Viboud は新聞小説に子供が登場する理由として、「浮気をした母親や妻を捨てた父親の、単なる後悔の材料 という役割」が、大衆受けするメロドラマやサスペンスを掻き立てる効果を持っていたことを指摘 し、さらに、具体的な子供のあり方の例として、「捨て子、認知で終わる結末《croix de la mさre>>、 不義の子、孤児」を挙げているからである。本稿の主題である「女性とセクシュアリティ」の観点 から言えば、「浮気をした母親」にとっての子供は、まさに彼女のセクシュアリティのあり方を問う 存在となるだろう。しかし、その子供が「捨て子」であったとしても、「認知で終わる結末1を迎え るとしても、「不義の子」あるいは「孤児」であったとしても、いずれにせよ、子供たちの存在感が 副次的なものであることは変わらない。子供たちの多くは名前すら与えられず、たとえ名前はあっ たとしても、重要人物を語るにあたり、必要と思われる時のみ登場を許されることが一般的である ため、一貫した人物像を持たされるケースはほとんどないのである。 こうしたケースに属する子供たちの例は、本稿の第2部全体を使って母親の立場から詳細に検討 していくため、ここでは簡単に類型だけを挙げておきたい。ひとつ目は、「産まれない子供たち」で ある。産まれていない状態を「子供」と捉えるのには異論もあるかもしれないが、妊娠した時点に おいてすでに、母体にとっては子供を胎内に抱えているのであり、それが「産まれない」(つまり「流 産」か「死産」)となれば、産もうとしてかなわない、あるいは産むことを拒否する女性の状況が想 定されるのである。ここに見出される葛藤や苦悩は、セクシュアリティの観点から一考に価するだ ろう。ふたつ目は「未婚の母の子」および「二二の子」である。この子供たちに共通するのは、母 親が婚姻の内部で産んだ子ではないという点である。19世紀を通じて、ブルジョワ的倫理観は強化 され、その根本をなす婚姻と家庭内部の構造には詳細な制約が織り込まれていく。特に、女性に与 えられた「娘(処女)→結婚→母」という道筋には、それぞれの段階において多くのことが規範と して要求されているため、婚姻の外部にある子供は彼女たちにとって、重大なファクターであると 考えられる。三つ目は、それ以外の、母親の人物造形に必要とみなされたために登場する、「名もな き」子供たちである。 活躍する子供たち

Philippe HamonとAlexandrine Viboudは、副次的ではなく、その個人にきちんとした人物造形 が施された子供たちが登場したことについて、自然主義小説が、子供たちの持つ環境、特に学校生

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活や日常の遊び、両親との心理的葛藤などに関心を持ち始めたことを指摘し、そのような作品の代 表としてエクト・一・一一ル・マロHector Malotの『家なき子』Sans Fami11θ(1878)やジュール・ルナー

ルJules Renardの『にんじん』Poil dθOarottθ(1984)などを挙げている5。 Claudie Bernardもま た、子供への関心の高まりの証左として文学作品への登場を指摘し、19世紀の半ばには、子供向け の新聞や書籍が多く発行されるようになったと述べている。それに並行するように、子供向けでは なく「子供時代」を描く作品も多く現われ、その中での子供たちは、大人にとっては失われた良き 時代と同義であり、ノスタルジーの対象であったとされる6。このような、ある種の理想としての子 供像の描き手として、Claudie Bernardはジョルジュ・サンドGeorge Sandやマロ、ヴィクトル・ ユゴーVictor Hugoなどを挙げている。また、「1850年頃になると、社会の殉教者としての子供た ちが登場する」とも指摘し、その例としてチャールズ・ディケンスCharles Dickensのオリヴァー・ ツイストOliver Twist(『オリヴァー・ツイスト』)(1838)やユゴーのコゼットCosette(『レ・ミゼ ラブル』Les Mise’rables)(1862)を挙げている7。 こうした子供たちの活躍は、児童文学の誕生と発展をもたらし、現代にまで至るのであるが、本 稿では、子供を単体としてではなく、「女性とセクシュアリティ」との関わりから考察するため、こ うした人物たちそのものの造形方法や変遷などを関心の対象とはしない。従って、「活躍する子供た ち」の中でも特に母親と社会との関わりから興味深いと思われるふたつのカテゴリに絞って検討を 進めたい。ひとつは、「拾われた子供たち」である。これは、Philippe H:amonとAlexandrine Viboud が挙げる例の中から「捨て子」と「孤児」を特権的に抽出することでもあるのだが、ここで注目す るのは、主に「拾う母」の問題である。次のカテゴリに分類するのは、「次代の子供たち」である。 ここでは、次の時代を担うべく、自立した生き方を与えられた子供たちに言及することになるだろ う。ユゴーの『レ・ミゼラブル』に登場する子供たちは、コゼットをはじめ、一面では「社会の殉 教者」ではあるが、同時に、次の世代、つまりより好ましい思想の体現者としての側面も委ねられ ている。過去と現在を未来へつなぐ存在として子供たちには、時代の思想が要請する意図が込めら れていると思われるのである。 ふたつのカテゴリには、多くの子供たちを振り分けることが可能であろうが、本稿では特に、ジ ョルジュ・サンドの作品群に注目したい。サンドの作品には、単体として充分に機能を果たす子供 像が、当時としては例外的と言ってよいほど多く描かれていることも重要であるし、同時に、「拾う 母」を始めとする「母親機能」との関連を濃厚に反映しているためである。また、他の作家が描き 得なかった「田園の子」(「都市の子」ではなく)という要素を指摘することも可能である。19世紀 半ば、猛スピードで進む都市化と産業化の中で、子供たちが何を託されたのか。本稿第3部は、こ の問題の検証にあてられることになるだろう。

5 Philippe Hamon et Alexandrine Viboud, Op.eit., p.328. 6 Claudie Bernard, Op. cit. p.179.

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第2章1

「母親たち」の側から

一19世紀フランス小説に描かれた母と女のセクシュアリティー

「母」は性別としては「女」なのであろうが、f母として生きる」のと「女として生きる」という のが、同じことを言い表しているようには感じられないのはなぜなのか。「女」でなければ「母」に はなれないが、「母」になれば「女」でなくなることもあるのか。エリアシェフEliacheffとエニッ クHeinichは『だから母と娘はむずかしい』Mgres−Fi71θs : Ulle Rela tion A∼troisにおいて母のあり 方を「女よりも母」と「母よりも女」と分類するが2、このようにしてみると、「母」と「女」は同 じジェンダーカテゴリに配されながらも、合一した形での存在が許されないかのようである。こう した現象のきっかけになっているのは、「母」において脱色されるべく要請される「女」というもの があり、その「女」とは女性のセクシュアリティに他ならないということなのであろう。 では、女性のセクシュアリティとはなにか。さらに言えば、母としての女性におけるセクシュア リティとはなにか。本章が目的とするのは、それに対する明確な回答を与えることではなく、一連 の生殖行為によってのみ母となる女性にあって、性にまつわることの禁止がどれほど強い負荷とし て与えられるか、あるいはそのことによって女性が性的な存在としての自己を疎外されるとすれば どういう形を示すのかを、19世紀フランスの小説作品の中から類型として抽出することである。 それに際してまず、19世紀フランスの小説作品において類型的に提示される女性表象について検 討する。その過程において、「母」の描き方にどのような特殊性があるかが明らかになるだろう。次 に、そうしてカテゴリ化されることになった女性存在が、母親として描かれるとき、具体的にどの ような形をとりえたのかを整理し、後の分析の基礎としたい。 1本章は、奈良女子大学文学部『研究教育年報』第5号(2008年)に掲載した論考「ジョルジュ・サンドの作品世界 にみる母と女のセクシュアリティ」をもとに、大幅な改変を加えたものである。

2Caroline Eliacheff et Nathalie Heinich, Merθs・i7Ti11θs : Ulle Rθ!a tion A trois, Albin Miche1,2002.邦訳『だから

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1.他者としての固定化と女性表象のカテゴリ化

母としての女性におけるセクシュアリティの問題を語るためにはまず、この時代、「女」がどのよ うに観察され、理解され、想像されていたかということを明らかにしておかねばならないだろう。 そのために、19世紀フランスにおける、「男から女へ」という一方的かっ非対称的な視線の特徴と して、他者性の固定化と女性表象のカテゴリ化という問題を提起しておきたい。 「女」という他者 19世紀は事物の形状の特定や分類といった博物学的知に対し、深い関心を示していた。それはま た、人間の身体や機能、働き、心の動きなどにも向けられ、結果として医学や生理学、後には精神 分析学といった学問が著しい発展を見る。中でも注目したいのは、男性が対象として取り扱う身体 =女体への興味がどのような性質を帯びていたかということだが、小倉孝誠はその点についてこの ような見解を提示する。 男にとって女の身体は(そして女にとって男の身体は)、けっして追体験できない絶対的な他者 にほかならない。したがって、男が女の身体をめぐって紡ぎだす表象には、さまざまな幻想や 神話が織り込まれているだろう。しかしそのような幻想や神話も現実を構成する要素であり、 単なる誤謬や偏見としてかたづけることはできない。女性たちのほうは、男性たちがっくりあ げた幻想や神話を〈自然〉なものとして受け入れるよう、〈社会〉とく文化〉によって長いあ いだ慣らされてきたのである3。 ここに述べられているのは、わからないものとして現前する女性の身体を絵画や文学に描こうとす るとき、わからないからこそ組み込まれる「幻想や神話」があり、それこそが男性視線が生み出し たものだということであろう。その実態とは、男性側で作られる欲望や精神性、憧憬あるいは恐怖 などの心象であるのだろうが、いずれにしても、それが生身の女性身体や生活、感情を描いている かどうかは判然としない。むしろ、絶対に追体験できないというハンディが前提とされているなら ば、現実を写し取っているはずがないと考える方が妥当だろう。さらに、この指摘の中で最も注目 すべきは、男性にとって女性の身体が「絶対的な他者」であるのと同様に、女性にとってもまた男 性の身体は「絶対的な他者」であるとしながら、女性を主体とする方向をわざわざ()に入れる ことにより、一見「対称的」と解釈されうる他者性の相互連関を打ち砕いている点であろう。男女 という二分法の性のあり方が、同等の位置付けをされているとするなら、なにも()に入れる必 要はないのであるが、このように処理することにより、思考の主である男性が他者としての女性を 見たり、書いたり、考えたりする対象にしょうとする運動があるのみで、基本的には女性が男性を 「まなざし」、書き、考えることはなかったという「非対称性」がさらに強調されるのである。 では、そもそも「他者」とはどのような存在なのか。r絶対的な他者」を作り出すメカニズムとし て、「追体験できないこと」がここではあげられているが、「自己と他者」という問題はもちろん、 それほど単純なことではない。したがってここでは、母一女のセクシュアリティに関わる「自己」 と「他者」(あるいは「主体sujet」と「客体objet」)についての考察の下敷きとして、ボL一一…ヴォ ワールSimone de Beauvoirが提示した「他者」にふれておきたい。 3小倉孝誠『〈女らしさ〉はどう作られたのか』,法蔵館,1999年,p.11.

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主体が自己確立をしょうとするとき、その主体を限定しそれを否定する「他者」がさつそく必 要になってくる。つまり、自己以外のこの実在をとおしてしか主体は自己に達することができ ないからである。[_]男は真向に「自然」というものがあってそれにぶつかる。彼は自然をと らえ、それをわがものにしようとするが、自然は彼を満足させてくれない。自然はまったく抽 象的な対立物としてあらわれ、障害物として外部にとどまるか、あるいは、ただ受身に彼の欲 望に盲従し彼に同化されてしまうか、である。[_】男のこの夢想の化身したもの、それはまさ しく女なのである。女は、男とは異なった自分ではない自然と、彼にあまりにも似すぎている 同類と、この二つのもののあいだの理想的な中間物なのだ4。 ここには、「女」が男にとって必要不可欠な「他者」として現れるメカニズムが示されている。人間 が人間として主体を確認するためには、同じような存在を必要とするのだが、相手が全くの同類、 同等であるならば対立は避けがたい。この避けがたい対立や摩擦を減滅するには、同じような意識 の持ち主でありながら、思考によって対立してくるのではなく、受け入れるべく訓練された相手を 求めればよいわけで、ボーヴォワールいわく、それが、男性にとっての女性だということになる。 このような、自然と同類の中問にある女性、という捉え方の中には、女性が危険や恐怖の的である と同時に、憧れや欲望の対象ともなるという両義性も見え隠れするだろう。 女性表象のカテゴリ化 「絶対的な他者」としての女性が男性によってどのように観察され、描かれたか。再び小倉によ れば、以下のような「両義性」が強調されることになる。 19世紀の男たちにとって、みずからの身体はほとんど自明の現実のようだが、それに反して、 科学的な知識の乏しさもあって、女の身体は謎にみちたものであり、神秘的な対象であった。 女のからだは、欲望の対象であると同時に恐れの対象であり、魅力あるものであると同時に危 険なものであった。そのような謎と神秘性に魅せられ、両義性にとまどいながら、医者や生理 学者は女の身体を調査し、画家は女の姿態と衣裳を描き、作家は女の肉体とその情動を語って 倦むことがなかった5。 このように、男性によって認識される女性の姿は少なくとも両義的、つまり、憧れの極致か危険を はらむ恐怖の対象かに分類されることになる。ここではまず、両極に向かって放散する女性表象を、 次の3つのカテゴリに分類しておきたい6。 ① 「霊感の源」(「ミューズMuse」)としての女性 ② 「処女としての娘」から「家庭の中の天使」へ ③「踏み外した女」・「悪女」(あるいは「ファム・ファタルFemme fatale」) 4ボーヴォワール『第二の性』第五巻「文学に現れた女一女の神話」,生島遼一訳,pp.7−11. 5小倉,『〈女らしさ〉はどう作られたのか』,p.g.

6Claudie BernardはPenser !a fam171e a u XIXe siδcle(1 789−1870♪において同様の分類を試み、「西洋における

女性性の基準型(les figures arch6types de la f6minit60ccidentale)」として、<<la皿aman>>(「ママ」)、<<la vierge》〉 (「処女」)、<<la putain》》(「売女」)、<<la Madone>〉(「マドンナ」)をあげている。フィアンセとしての<〈la vierge》〉

は後にく<la ma皿an>>となるのが理想であり、双方の対極ないしは敵対関係として《〈1a putain>>が設定される。

<<la Madone》》は「神の母」としてのあり方で、本稿の分類では①にあたると考えられる。(Claudie Bernard,0ρ. cit.,

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①の女性は主に精神性や魂が顕在化したものと認識されるために、男性による具体的な所有の対象 にはならず、超越した存在であることが多い。また、霊感の源であり詩情をかきたてるミューズと いう意味合いにおいては、芸術家にとっての理想のモデルとして、あるいはインスピレーションを 与えてくれる女性として描かれることもある。ただし、このように崇められる女性たちも、男性に よる自由勝手な妄想の結果であったり、一方的に作り上げられた虚構であったりという可能性もぬ ぐえないのだが、いずれにしてもこのタイプの女性はふれ難い他者性というものを体現していると 言えるだろう7。 ②にあてはまる女性たちは、「処女である娘」から「家庭における天使」(「理想的な母」)へ、と いうコースを歩むものであり、社会規範の見地からすれば理想的なモデルと考えられる。このカテ こゴリに属する女性たちは、憧れの対象であると同時に、実際にふれることができるかもしれないと いう可能性を与えることによって、性的ファンタスムの対象となりえる。本稿の目的である「女一 母」のセクシュアリティ分析は、このカテゴリに分類される、規範的でありながら逸脱のまなざし をも注がれる女性たちを主たる対象とするため、②カテゴリについてはさらに詳細な定義を付加し、 まなざしの対象としてではなく、性を生きる主体としての「女一振」の立ちあらわれ方をさらに検 討していく。 最後に③であるが、これは①に対峙するものであると同時に、「処女一母」系統にとっても対極の ものとして描かれる。ミューズでも処女でもなく、また母でもないとは、掟を破り、結婚しない状 況で男性と関係を持つような女性、あるいは母としての慈愛や妻としての貞淑をものともしない存 在をあげることができるだろう。言い換えれば、男性にとっては「処女一母」という理想の女性像 が一方にあり、それは彼らが一般的な家庭生活を送る際の伴侶である。対極に「踏み外した女」や 「悪女」(「ファム・ファタル」)が設定されるのだが、彼女たちは欲望やそれを果たす対象であり、 恐怖を感じる相手であり、克服すべき敵ともなるのである。しかしながら、②と③のカテゴリは対 立しているというより分割して考えられ、どちらも必要とされていたと工藤庸子は指摘する。 19世紀のフランスは、知的な男性エリートの世界観が、圧倒的優位を占める文化を形成してい たと思われるのだが、そのなかで女性賛美と女性蔑視、精神的な愛と肉体的な性が、対立する 潮流のように共存していたというのではない。そうではなく、まさにメリメの教訓にあるよう に、ひとりの男性が女性性を二つの局面に分割し、対象を指定してつかいわけることが推奨さ れていた8。 ここに指摘されている「二つの局面」は、上記分類による②と③に対応すると考えてよいだろう。 ③に属する女性たちの例としては、カルメンCarmen(1845)や『椿姫』La・Damθ a ux Cam61ias(1848) のマルグリット・ゴーチエMarguerite Gautierなどをあげることができるが、彼女たちはいずれ も男の強い欲望を受けとめ、利用することで生きるものと認定される。つまり、彼女たちは男性側 の強力なファンタスムがあってこそ存在できるのであり、その意味においては「主体sujet」には とうていなることができないのである。また一方で、彼女たちはもともと枠外へと疎外されて存在

7Michel Brixは、 Eros e t Litte’ra turθ一Le Diseo urs amoure ux en.Prancθ a u XIXe sigclθ一において「女性の

理想化」(id6alisation de la femme)を、男性が女性を「神の栄光の象徴的体現者」とみなすことと捉え、それゆ

え「女性の美は実際にはつつましく眺めることしかできないのであり、視線によってのみふれられるものである。

肉欲に負ける女性は従って地上に引き下ろされ、.理想像の立場を失うのである」と指摘する。(Michel Brix, Eros et

Litteha ture 一 Le Disco urs azn o ure ux en .177rallee a u XIXe siOc7e 一, E ditions Peeters, Leuven, 2001, pp.35−37.)

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するため、枠内にいる女性たちにとっても恐慌の対象となりうる。あるいは、恐慌の対象になるべ く構造化されていると言えるだろう。全体を統べる男性の価値観およびまなざしというものがあり、 その中に秩序立てられた女性存在が組み込まれ、その中にさらなる序列化がある。女性にとっても、 自己存在が確立されるためには「他者」が必要なのかもしれないが、この「他者」は統治者である 男性ではなく、自分たちの枠組みを犯す「他の女たち」なのである。このように③カテゴリに入る女 性たちは何重にも疎外されるように描かれ、結果、完全なるobjetとしての位置に固定されること が多い。そのことは、彼女らが性的ファンタスム・欲望の対象として描かれ、女性にとっても危険 視されておりながら、同時に「主体sujet」としての欲望やセクシュアリティ認識を発揮する可能 性が剥奪されていることを意味していると言えるだろう。 「聖母マリアの二面性」 上記の類型を再度、セクシュアリティの観点からまとめてみるとこのようになるだろうか。①に カテゴライズされる女性たちにおいて強調されるのはあくまでも「歯性」である。すなわち、男性 側から見る場合、彼女たちには元来セクシュアリティが貼り付けられていないのであり、女性側か らすればその種のものが剥奪ないしは無化されていると言えるだろう。一方で、③にカテゴライズ される女性たちは「魔性」あるいは「異端性」によって特徴付けられ、性欲や性的行為などをすべ て含んだ象徴的あり方としての「セクシュアリティ」そのものの体現者とみなされることが多い。 その意味からすれば①と③とは対極にあると考えられ、②はその間に広範囲にわたって分布するグ ラデv一・一一一ションのような存在と考えられるだろう。本稿では②に含まれる「母一女」をさらに細分化 して分類したいのだが、それに先立ってまず、このカテゴリの特性を明らかにしておきたい。 19世紀フランスにおいて「母」や「母性」がどのように対象化され、描写の対象となっていたか を考察したいのだが、それにあたり、「マリアの二面性」という切り口を提示したい。マリアとはも ちろん、聖母マリアのことであり、イエス・キリストの母親である。従ってここにはまず「母」の 属性がある。また、彼女が聖母と呼ばれるのはキリストに由来するのであって、この「聖」という 言葉は彼女の属性ではなく、キリストによって与えられたものと考えることができる。つまり、聖 母マリアは、神聖なる男性を産んだ女性ということになるのだろうが、このことによって、マリア はキリストの母であると同時に、彼に仕える女性ともなる。このように、息子に仕え、そのあり方 をいつくしむ姿は、19世紀フランス社会における「母一女」の理想像とも考えられる9。次に、マ リアのもうひとつの特徴として、「処女性」があげられる。しかし、現実には「処女であり母」が実 現されることはありえないため、それが理論上認められるためには、かなりの時間を費やした議論 と手段とが求められた。結果として導き出されるのが「処女受胎」という論法であるが、このこと はキリストの神聖を確保するために必要な手続きであったと考えることができるだろう10。 では、これが現実の女性に適応され、男が女をマリアにたとえるときの心理的メカニズムはどの ように考えることができるだろうか。実際の女性は「処女であり母」というマリアを生きることは できず、処女か母かどちらかでしかありえない。であるならば、「処女」と「母」の二面性をいった んは分断させたうえで共存させる他手段はない。その結果、結婚前の女性には徹底的に処女が求め 9Michel Brixが指摘するように、「神の母」であるマリアには「人間・男(1’homme)と神の仲介者」の役割も与 えられているため(0ρ.eit., p.37)、①にカテゴライズされる側面がないとは言えない。ただし、この地位が得られ るのは、先の引用にも示したとおり、非常に限られた条件下においてのみである。 10C£岡田温司『処女懐胎』,中公新書,2007年.シルヴィ・バルネイ『聖母マリア』,遠藤ゆかり訳,創元社, 2001年.竹下節子『聖母マリアー〈異端〉からく女王〉へ』,講談社選書メチエ,1998年.等を参照。

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られることになり、処女である、つまり、ふれられないことによるある種の「聖化」がはかられる のである。次いで、結婚後の女性には徹底的に「母」が求められる。直接的にはこのことが母性神 話につながっていくのだろうが、自らを犠牲にしてはばからず、一方的な慈愛と献身を与えるマリ アの一面がここに見られるのは確実であろう。こうなれば、女が社会的に許されたあり方は処女で あるか、母であるか、どちらかでしかありえないことになる。加えて、処女から非処女への移行が 男性によってなされることを考慮に入れれば、女性自身に自分の肉体(あるいは「セクシュアリテ ィ」)があるのかどうかと問いかけずにはいられない。また、女性の肉体が男性にとって常に欲望を 喚起する「他者」であり「客体objet」として立ち現れるのであれば、処女は処女であるからこそ 崇拝の対象になりえるが、同時にその処女を手に入れる夢想も持ちえることになる。同様に、母で あり誰かの妻である女性は、そのあり方が理想的な「家庭の中の天使」であれば崇拝の対象として あがめられるが、同時にその肉体を所有してみたいという性的ファンタスムをかき立てる可能性も あるだろう11。それゆえ、文学作品は、観念上のマリアと現実の「処女一母」が齪齪を起こした結 果の逸脱や危険を描くことを好むのだとも考えられる。具体的に例をあげれば、処女というあり方 に苦悩を見出す女性たちや、求められるあり方から逸脱していく女性たち。特に後者の女性には、 娼婦の役割が与えられることも多い。もう一方で、「家庭の中の天使」としての母に対して恋慕を抱 く若者の人妻との恋というモチーフや、愛人との問に子供をもうけた女性といった例をあげること もできる。

ll.小説作品に描かれる母親像の類型

ここまでは、主に19世紀フランスの男性作家が行った女性を他者化した後の、「女一母」のカテ ゴリ化について述べ、文学表象として現れる女性像がどのように類型化されるかを考察してきた。 ここからは、この時代の小説作品において、具体的に母親がどのように描かれえたかという点に考 察を移すが、その際、同時代の女性作家ジョルジュ・サンドの作品を、多く分析の対象として扱い たい。なぜなら、上に示した男性視点を内在化しながら、女性・作家サンドがどのような女性像を 示し得えたかを知ることで、広く流通していた「三一母」イメー・一一一ジが、どのように改変された/さ れなかったかが明らかになると考えるからである。以下、当時の小説に登場する女性人物を、「母・ 女・セクシュアリティ」の観点から分類することを試みる。 産まない妻・産めない妻 19世紀フランス社会にあって、女性がたどるべきとされていた模範的なコースは、処女から結婚 を経て貞淑な妻となり、出産を機に母へとステイタスを変え、最終的には貞節で慈愛あふれる「家 庭の中の天使」となるというものである。もちろん、それぞれの段階において問題が発生する可能 11このような母の二面性は、19世紀フランスに限って指摘されるものではない。竹村和子は「母一二」関係を分 析する際、このように指摘する。「『母』はある種の撞着語法である。というのも母は、男児には性器的な近親姦を 夢見させ、女児には魂の交流を約束する。父とは性的な愛の交換をおこない、子供とは非一性的な愛の交換をおこ なう。[_1母は、一方ではもっとも性器的な愛の交換を含意し(妊娠、出産によって)、他方では非一性器的なあ らゆる愛の可能性を象徴する(母というイデオロギーによって)。そして娘が体内化するのはまさにこのような『母』、 このような自己撞着である。」(竹村和子『愛について一アイデンティティと欲望の政治学』,岩波書店,2002年, p.175. )

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性があり、全てが確実に果たされる保証はないが、この道筋に規範としての力が働いているのは確 かである。同時に、結婚は一組の男女間における固定的な性関係を条件として含みこんでいるため、 結婚と性行為は一対のものとなり、期待される結果としての妊娠と子供の誕生があると言えるだろ う。そして、この「処女→結婚→産む→母」という規範的モデルは、アンチテーゼとしての「処女 →結婚→産まない/産めない→×」存在を含みこみ、同時に疎外することになる。 この「処女→結婚→産まない/産めない→×」の系統に属する女性登場人物は、実際には稀なケ ースとは言えない。なぜなら、この道筋が規範として存在する以上、そこから逃れ出る、あるいは こぼれ落ちる存在は、文学にとっての格好のモチーフとなりえるからである。『人間喜劇』において、 社会に生きる人間の「タイプtype」を描きつくそうとしたバルザックの作品にもこうした女性が散 見されるが、その中でも「産みたいのに産めない」タイプに分類されるのが『二人の若妻の手記』 Meimoirθs de Deux。Jeunes Marie’est1842)の主人公のひとり、ルイーズLouiseだろう。この作品

は、「母より女」を優先し、恋愛を生き抜きたいと願い実現していると見えるルイーズが、望めど子 供を授からないというストーリーを持つ一方で、「女より母」を優先するルイーズの友人ルネRen6 が、恋愛には多くを望まないが理想的な「母・妻」を生きるという、もうひとつの筋を持っている。 ルイーズとルネは明らかに、規範に沿う・沿わない(沿えない)という両極を象徴的に体現してい ると言えるのだが、そこで問われている女性のセクシュアリティとはいかなるものかについては、 第2部第1章でさらに詳細に検討したい。 一方で、ジョルジュ・サンドの作品には、結婚しながら出産しない「産まない妻」が多く登場す る。その代表例が『アンディヤナ』indiana(1832)のアンディヤナ、『ヴァランティーヌ』 Valentinθ(1832)のヴァランティーヌであり、どちらもサンドの最初期作品に登場する女性主人公で ある。彼女たちは「産む」「産まない」以前の問題として、夫である人物との間に性関係もないので はないかと感じさせる記述が散見するのだが、ここでまず明らかになるのは、結婚というシステム に内在する「処女から母へ」という性的存在の移り変わりへの異議申し立て、あるいは抵抗の存在 である。彼女たちにとって、結婚によって課される性関係はほとんど「強姦vio1」に近いものであ り、自身の尊厳やアイデンティティは、固く身体を閉ざすことによってのみ確保されるとみなされ ている。この、結婚初夜の床がほとんど無理強いの末に遂げられるという問題は、女性が主体とし てセクシュアリティを引き受け、自らのものとして行使、感得しうるかどうかという問題と直結し ていると言えるだろう。そして、アンディヤナやヴァランティーヌがその行為を拒否するとき、法 によって定められた「客体objet」の位置を見ないようにと努め、忌避しようとしていると考えら れるのである。 バルザックの作品にも当然のごとく、「産まない妻」が描かれる。『ウジェニー・グランデ』E召86η∫θ Grande af 1834)の主人公ウジェニー一一Eug6nieは、初恋にして結婚を約束した従兄シャルルCharles の帰国を夢見ているが、ようやく戻った従兄は爵位を求めて大貴族の娘と婚約してしまう。結婚の 直前、金銭問題が理由で破談になりかけたシャルルを救うべく、莫大な資産を持つウジェニーは、 子供を持たないことを条件に別の男性と結婚する。ここには、サンド作品の女性主人公たちとはま た異なる問題(金銭と相続)が存在し、セクシュアリティのテーマと重なり合うため、さらに複雑 な様相が見受けられる。このテーマに関しては、第2部第2章で取り上げることにしたい。 未婚の母 「産まない妻・産めない妻」がいる一方で、妻になっていないのに子供を産む「未婚の母」も存

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在し、彼女たちはある意味で「産まない妻・産めない妻」の裏返しの状況として配置されていると も考えられる。例えば、上述したアンディヤナにとっては小間使いのヌンNounがその役割を与え られている。社交界の寵児であり’.後には女主人の愛を勝ち得る貴族男性レモンRaymonと関係を 持ったヌンは妊娠したことを相手に告げるが、男が彼女の希望をかなえてやることはない。絶望し たヌンは入水自殺を遂げ、彼女の子供もまた誕生前にその命を断たれてしまう。また、ヴァランテ ィーヌに対しては、彼女の異母姉ルイーズ:Louiseがいる。彼女はヴァランティーヌと同じく伯爵 の娘として育ったのだが、後妻(つまり、ヴァランティーヌの母)の愛人に誘惑され、子を産んだ 後に家を出されるのである。 この二例において、大きく異なっている点は、ヌンとルイーズの社会的立場であろう。ヌンがレ モンを逢瀬の場に引き寄せ、官能をかき立てる舞台装置を作り上げるシーンは、確かに彼女のセク シュアリティのありかを示しており、それを用いることが女性にとって何を意味するかを告げてい るように思われる。だが、それを発揮することは、彼女にとっては自己の中に厳然としてあるもの の正当なる発動であったとしても、相手の男にとっては尊重するべきものでも何でもなく、ただ「客 体objet」としてながめるか堪能するためのものでしかない。つまり、ヌンは小間使いであるとい う理由において、相手の男にとっては娼婦とほぼ同一の存在となってしまうのである。一方のルイ ーズは、伯爵家の娘という、完全なる箱入りの処女から理想的な妻・母ルートが求められる存在で あるといえる。このルートの第一歩であり、最も痛手の大きい逸脱をおこしたために、彼女はそれ 以降、流浪の生活を余儀なくされる。 私は恥を背負った人間として親の家から追放され、その烙印を引きずりながら、町から町へと 移る生活を強いられたのです。腕の中に、飢えで死にかけている子供を抱えつつ12。 彼女はヌンと異なり、娼婦と同一視はされないかもしれないが、「処女一母」の正規ルV一一一・一トをたどら なかったゆえに、社会から抹殺される運命を甘受せねばならないのである13。 上記二作品以外にも未婚の母は登場するが、その中には興味深い共通点を指摘することができる。 『アンドレ』.4刀ぬ6(1835)の女性主人公ジュヌヴィエーヴGeneviさveと『オラース』Horaeθ(1842) に登場する女性マルトMartheは、共に、作品タイトルとなっている男性の子供を未婚のうちに身 ごもるのだが、彼女たちにはまた、女工であるという共通点がある14。似通う点は相手にもあり、 アンドレは地方貴族の息子、オラースもまた地方のブルジョワの息子であって、どちらも女性たち とは社会的階層が異なっている。彼女たちは共にgrisette(女工)と呼ばれるのであるが、この grisetteと地方貴族あるいは地方ブルジョワの息子とのアヴァンチュールは、19世紀小説が好んで 描いたモチーフのひとつであり、その際にgrisetteが町の娼婦の予備軍、あるいはそれにほぼ近い 存在と認識されているケースが大変多い。こうした女性たちがgrisetteでいられるのは若い間のこ とであり、その後のことは問題にすらされない。男性にとって若くて陽気な女工たちは一時の遊び 相手であり、妻として迎える女性はまた別枠で存在する。となれば、彼女たちのセクシュアリティ は一時的な売り買いの対象のようなものでしかないということになる。

’2 George Sand, Va!entine, Editions G16nat, 1995, p.157.

13ヌンやルイーズの存在に関しては、第2部第2章で詳述する。

14『アンドレ』と『オラース』に描かれる女工たちの生活とそのセクシュアリティについては、第2部第4章で詳 述する。

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男性の立場からすればその通りなのだが、ひるがえって女性の立場から見ればどうなのか。それ を描くにあたり、サンドはジュヌヴィエーヴやマルトを、一般的にgrisetteの定義とされているよ うな「若くて尻軽な女工」とすることを避け、何とかして自立の手段を求め、「主体sujet」として の自身を生きたいと願う女性として造形するのである。それでもなお、彼女たちは男性との関わり から身重になることで、はい上がろうとしては引きずり下ろされるような経験をせざるを得ない。 ジュヌヴィエーヴが最初にアンドレと性関係を持ったとき、彼女は病の床にあった。アンドレの欲 望を、半ば気を失ったような状態で受け入れたジュヌヴィエv一一一一・・ヴの翌朝の様子はこのように述べら れる。 ジュヌヴィエーヴは暗い表情で許したが、心は絶望に満ちていた。彼女は精神に対する官能の 勝利を思わせるようなことは何であれ、憎まずにいるにはあまりにも誇り高かったのである15。 彼女にとって、官能を解き放つこと、つまり自身のセクシュアリティを認識し、それと知って発動 することは精神の気高さや衿持を汚すことになる。あるいは、さらに言えば、そうしたものに拘泥 しないことによってのみ、女性単身労働者として生きる場が確保されるのであり、現実問題として 身ごもることになってしまえば、周囲からの信頼と生活の糧を失う定めなのである。 こうした状況にならないために女性に求められている態度が、男性といかに非対称的であるか。 これは、ヌンにしても同様のことが言えるし、ルイーズの場合には、確かに社会的身分は異なるが、 最終的におかれる立場はそう大きく変らない。その意味において、「未婚の母」たちは結婚前の娘た ちがおかれる性的な位置付けの不安定さと危険を表現すると同時に、客体とも主体ともつかぬ自身 の身体を客体へとずらされた結果、失敗のつけを深く背負う存在として描かれているのである。 「産まされる」妻と「奴隷のような」母 アンディヤナやヴァランティーヌのような「産まない妻」は夫との関係を避け、産まないことを 選択するが、一方で、自分が本当に愛する男性との性関係を持つこともできずに終わる。では、夫 との間に子供をもうけるように描かれる「二一母」には、どのような例があるだろうか。以下、二 項目にわたってこうした「妻一翼」たちを取り上げるが、いずれの場合にも、妻と夫の心身両面に おける十全たる合一の後に成立する理想的な親子関係モデル、を提示するにはいたらない。 「産まされる」妻と「奴隷のような」母は、一見、同じ項目への分類が奇異に感じられるかもし れないが、夫に完全に支配されているという点では同様であり、「産まされる」妻の待つ結末が「奴 隷のような」母であるケースが多い。前者の例に『ポーリーヌ』ぬ雌ηθ(1841)の女性主人公のひ とりポーリーヌがあげられるが、彼女を「産まされる」妻と分類した理由は作品において、次のよ うな表現が見出されるからである。 モンジュネーがポーリーヌを母にしたとき、この出来事は大変な騒ぎになり、彼はこれ見よが しにと彼女と結婚したのである16。 この一文を読めば、ポーリーヌは正確に言えば、身ごもった後に妻となったことになるが、彼女の i5 George Sand, Alldre’, Les Editions de 1’Aurore, Maylan, 1987, p.103.

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相手モンジュネ’一Montgenayにすれば、この行為は結婚というスキャンダルにさらに上塗りをする ためのものであって、織り込み済みなのである。ここだけを読めば、この人物たちの関係はいかな るものかといぶかってしまうのだが、モンジュネーとポーリーヌには共通の仮想敵がおり、その人 物をめぐっての行為と知れば納得がいくであろう。モンジュネーにとってはつれなくされた相手、 ポーリーヌにとっては自身の空っぽの人生を思い知らされる相手である、パリの大女二三ランス :Laurenceがその急なのだが、モンジュネーがポーリーヌに目をつけ、口説き、さらには肉体関係 を迫り、ロランスをえさに関係を承諾させ、彼女を「母にする」ことも、「母にした」後に結婚する というスキャンダルを平気で女に背負わせることも、全てがロランスに対する復讐なのである。ロ ランスはモンジュネーの意図を見抜き、幼なじみのポーリーヌを救おうとするが、彼女は彼女で恨 みがあるため、ロランスの助言を聞こうとはしない。そうして彼女はモンジュネーの復讐に使われ る「こま」となり、その中心にあるものが彼女の肉体なのである。当然ながら、彼らの関係は(正 確に言えばモンジュネーの復讐は)結婚という行為によって終わるため、ポーリーヌはその後、彼 に捨て置かれる運命にある。確かに、この結婚には、ロランスに対する彼女自身の復讐という一面 はあったかもしれないが、それにしては犠牲が大きすぎはしないか。口説かれ始めた時点から、彼 女の女性としてのあり方はモンジュネーの手中にあり、結婚という法的規範の内部に入ることによ って、さらにその束縛を強く受けることになったのである。 モンジュネーのような意図でないまでも、妻となる女性を完全に持ち物、あるいは手段としてし か見ないような男性登場人物は山のように数えられる。結婚後の生活を「奴隷のようだ」と捉える 妻は、アンディヤナをはじめ、枚挙にいとまがない。その中でも、母であると同時に夫の「奴隷」 のように描かれる女性の例として、『アントワーヌ氏の罪』Le Pe’ehe’ de MOIIsieur.Antoine(1847)

の男性主人公エミールEmileの母カルドネ夫人Madame Cardonnetをあげることができる。彼女 は夫を怒らせることを何よりも恐れ、とにかく機嫌を損ねぬようにとおどおどとした人生を送って いる。 ただ服従するという行為ほど、知性をかき消し、早々に破壊するものはない。カルドネ夫人は その典型であった。彼女の知性は隷属状態の中でどんどんとかき消されていったのだが、夫の ほうでは、それを自分の支配が厳しいせいだとは気づかず、心ひそかに彼女を軽蔑するように なっていた17。 両者の問に横たわる、コミュニケーションの断絶は根深い。夫は支配力をふるい、そのことによっ て、妻はその支配にどんどんと寄り添うようになる。それでなければ生きられないと、彼女は感じ ているのである。裕福な工場経営者カルドネは金銭についてはおう揚で、妻に対して出費を拒むわ けではない。しかし、その態度は「彼は妻が豪奢に着飾ることを要求しさえした。彼女はそんなこ と望んでもいなかったのに18」と説明されるように、何不自由ない生活さえも強いた結果というこ とになる。また、彼女が求められているのは、身につけたくもない服を着ることだけではない。夫 は妻に対し、自分以外の男性と口をきくことはおろか、目を留めることさえ許さない。そればかり か、自分以外の人間に対してわずかな関心をいだいても不快をあらわにし、自分の息子に対してで さえ例外ではないのである。このように、彼女はまずは知性(自ら考えること)を手始めに、他人 と交わること、何かに関心を示すことを禁じられ、その生活のすべてを夫のものとして投げ出すご i7 George Sand, Le Pe’ehe’ de MonsieurAn toine, Les Editions de 1’Aurore, Maylan, 1982, p.154.

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とを求められる。カルドネにとって、彼女はほとんど装飾品に近い存在であり、自分の息子の母親 でさえないのである。 このような「妻・母」のあり方はもちろん稀なものでは全くなく、当時の夫婦間の権力関係から 推し量れば、むしろ多数派であったとも考えられる。第2部第1章に分析する、ルソーの『新エロ イーズ』Ju7ie ou la Nouvθ71θHeiloise(1761)に描かれるジュリーの母デタンジュ夫人Madame d’Etangeなどはその典型であるし、先に言及した『ウジェニー・グランデ』のウジェニーの母グラ ンデ夫人Madame Grandetもしかりである。彼女らは共に、娘の恋の場面で夫との板ばさみにな り、共にそれが原因で命を落とす。母をなくした後、ジュリーとウジェニーが行う決断は、方向も 意味合いも全く異なっていて興味深い。ジュリーの結婚とウジェニーの結婚には、母のあり方がど のように反映しているのか、後の章でさらに細かく検証したい。 婚外に子を持つ母・罪悪感の母 19世紀のフランス上流社会において、婚前の娘に非常に厳しい処女性が求められていたことはす でに述べたとおりである。ゆえに、『ヴァランティーヌ』の姉ルイーズのような娘は家名の恥として、 社会から抹殺されることになる。しかし一方で、結婚して妻となった女性が愛人を持つことは、暗 黙の了解事項として公認されるという事情があった。『人間喜劇』の世界が、上流夫人と若い愛人と のかけひきや彼女らをめぐるうわさや陰謀に満ちていることからも、そうした当時の状況をうかが い知ることができるだろう。では、ブルジョワ階級ではどうだったのか。徹底的に貴族を模倣した い一部の大ブルジョワは、彼らと価値観を共有していることを誇示していたかもしれないが、一般 に、ブルジョワ階級にとって最も重要なのは信用と家庭という規範であり、娘に関する処女性の確 保、妻に関する貞節の要請は、貴族階級に比べてさらに強かったと言える。ただ、そのいずれの階 級においても、最も許されがたいのは、妻たる女性が夫以外の男性の子を持つということであった。 愛人を持つことが黙認される場合ではあっても、決して妊娠してはいけない。これが夫による命令 であって、守られなかった場合には激しい叱責と過酷な罰を覚悟せねばならなかったのである。 婚外に子供を持つことになり、その後、かなり悲惨な生涯を送らねばならない例もまた、バルザ

ックが多く描くところである。『三十女』La f7Temme dθtrente ansi1834)はその典型例であり、夫 との問の子供をどうしても愛することができず、愛人との子供への母性愛に全てを注ぎ込む主人公 ジュリv一一Julieが、最後には最愛の娘に見捨てられる、という筋書きを持っている。

さらに、19世紀フランス文学において最も好まれた題材と言ってもよい、既婚夫人と青年の恋も、 この項目に分類することが可能であろう。スタンダールStendhalの『赤と黒』LθRougeθt 1θ Noii〈1830)、バルザックの『谷間の百合』Lθ Lys dalls la瞼」%θ(1836)、フロベールFlaubertの『感

情教育』L ’Eduea tion sen tim ell ta1θ(1869)はいずれも人妻と青年の恋を描いており、彼女らには例

外なく子供がいる。つまり、これらの作品は「恋する人妻」の物語であると同時に、「罪悪感を持つ 母」の物語だとも言えるのである。 では、ジョルジュ・サンドの作品に特徴的な傾向というのがあるだろうか。サンドの作品には、 結婚後、夫以外の男性との間に子供をもうける女性が多く描かれるのみならず、そこに「罪悪感」 を感じるとることはほとんどできない。初期作品の『ジャック』Ja eq ueSt 1834)におけるフェルナ ンド、『シモン』Simon(1836)の女性主人公フィアマFiammaの母、『アントワーヌ氏の罪』の女 性主人公ジルベルトGilberteの母などがその例である。彼女たちは、社会的ステイタスとしての妻 役割を完遂することを求められながら、一方でその掟を破り、自身の選んだ男性との関係を優先さ

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せるのである。 このように、あえて危険な橋をわたる彼女らのメンタリティと、それに伴って起こる事象には、 身体性やセクシュアリティの問題が深くかかわっていると思われるので、第2部第3章で詳細に分 析する。 戦いの果ての母・母としての母 ここまで分類してきた妻・母親像はいずれも、程度の差はあれ、「主体sujet」として生きること を疎外されている。だが、ジョルジュ・サンドが描いた母親の中には、そうした不幸から脱却する、 あるいはもともとそのようなものを与えられないケースも存在する。 このような一種安定した母親像のひとつの例は、結婚までに相手の男性と生き方をめぐっての 丁々発止のやりとりがあり、その幸福な結末として結婚・出産があるというもので、『モープラ』 Ma upra K1837)などがそれにあたる。『モープラ』の物語は、ある意味で女性主人公エドメEdm6e のセクシュアリティをめぐる、従兄ベルナールBernardとの戦いを主たるモチーフとしており、戦 いの終結としての結婚がある。したがって、二人の結婚は物語の最終部分に配置され、エドメが母 になったというのは事後報告にすぎない。同様のケースは、『ローラ』La ura, Voyage dans lθ Cristal《1865)のような後期の作品にも見出せる。 もうひとつの比較的葛藤の少ない母親像には、作品の中で母になるのではなく、すでに母として 存在し、母性の発揮がプラス方面に働くよう造形されているものがある。このケースは『シモン』 の主人公シモンSimonの母や『ジャンヌ』Jeanne(1844)におけるジャンヌJeanneの母、田園を舞 台として描かれた小説などに多くあらわれる。こうした女性たちから生まれ、自ら活躍する存在と して描かれる子供たちについては、第3部で詳細に検討することとしたい。

参照

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