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漢文教育における「訓読」と「音読」

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Academic year: 2021

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    はじめに 本 稿 は、 大 学 生 そ れ も 教 職 課 程 を 履 修 す る 学 生 に 対 し て、 漢 文 を 教 授 す る 際 に 筆 者 が 試 み て い る 方 法 を 述 べ る も の で あ る。 こ の 方 法 は、 中 国 学 研 究 者 な ら ば 恐 ら く 誰 で も 行 っ て い る こ と で あ り、 特 段 目 新 し い も の で は な い。 た だ本稿では、 「訓読」か「音読」かの問題を中心にして、教学の面から述べていきたい。 筆 者 は、 奉 職 す る 福 岡 女 学 院 大 学 に お い て、 高 等 学 校 国 語 科 教 員 免 許 を 取 得 す る 教 職 課 程 の「 漢 文 学 」 を 担 当 し て い る。 そ の 目 標 は、 学 生 に 原 文( 白 文 ) の 読 解 力 を つ け て も ら う こ と で あ る。 福 岡 県 の 教 員 採 用 試 験( 以 下「 教 採 試 験 」 と 略 称 す る 。) の 漢 文 で は 、 問 題 文 と し て 原 文 が 毎 年 課 さ れ て お り 、 こ れ を 受 け る 学 生 に は 原 文 の 読 解 力 が 求 め ら れ るからである。 し か し、 高 校 で 漢 文 を 習 わ な か っ た 学 生 や、 入 試 科 目 と し て 漢 文 を 勉 強 し て こ な か っ た 学 生 に 対 す る 時、 ど う し て も 困 難 を 感 じ ざ る を 得 な い。 も ち ろ ん そ れ は、 現 在 の 高 校 で の カ リ キ ュ ラ ム や 本 学 の 受 験 形 態 の 然 ら し む る 所 で あり、当該の学生たちに責はない。

漢文教育における「訓読」と「音読」

 

   

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ま た、 大 学 に お い て 現 代 中 国 語 を 履 修 し た こ と の あ る 学 生 も、 ほ と ん ど い な い た め、 現 代 中 国 語 を 補 助 的 に 援 用 することもできない。 上 述 の 事 情 か ら、 大 学 に お け る 漢 文 教 育 で、 基 礎 か ら 原 文 を 読 解 で き る ま で 学 生 に 理 解 さ せ る 方 法 と し て、 か つ て行われた「訓読」か「音読」かの問題を参考としつつ、一試案を述べていくこととする。       「訓読」か「音読」か 本章では、 いわゆる「訓読」か「音読」かの問題について、 まずは概観したい。何となれば、 それによって、 「訓 読 」 の 持 つ 意 義 を 改 め て 確 認 し、 「 高 等 学 校 学 習 指 導 要 領 」( 以 下「 指 導 要 領 」 と 略 称 す る。 ) と の 整 合 性 を 押 さ え ておきたいと考えるからである。 日 本 に お い て 中 国 古 典 を 読 む 際、 日 本 語 の 古 語 へ 直 訳 す る「 訓 読 」 と、 現 代 中 国 語 に よ る 発 音 で 読 ん だ う え で 現 代 日 本 語 に 翻 訳 す る 「 音 読 」 と の 、 二 種 類 の 読 解 方 法 が 行 わ れ て い る 。( 前 者 を 「 訓 読 」、 後 者 を 「 音 読 」 と 表 記 する。 )かつて、中国古典を読む際に、 「訓読」によるべきか「音読」によるべきかの論争が存在した。 門 脇 廣 文 氏 は、 二 〇 〇 五 年 の『 日 本 中 國 学 會 報 』 第 五 十 七 集 の「 學 界 展 望( 文 學 )」 に お い て、 そ の 経 緯 を 以 下 のようにまとめている。 一 九 九 七 年 に 松 浦 友 久 氏 は 「「 訓 読 古 典 学 」 と 「 音 読 古 典 学 」 ― そ の 意 義 と 相 補 性 に つ い て ― 」( 『 新 し い 漢 文 教 育 』 第 二 十 五 号 、全 国 漢 文 教 育 学 会 ) と い う 文 章 を 書 い た 。 青 木 正 児 が 「 漢 文 直 読 の 勧 め 」( 引 用 者 付 : 「 直 読 」 は「 音 読 」 を 指 す。 ) を 書 い て、 明 治 以 降、 最 初 に「 訓 読 」 に 反 対 し た の が 一 九 二 一 年 で あ り、 松 浦 氏 の 提 案 は そ れ か ら 七 十 六 年 も 経 っ て い る。 さ ら に、 青 木 正 児 の あ と 倉 石 武 四 郎 が「 漢 文 訓 読 塩 鮭 論 」 を 展 開 *2 * 1

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し た の が 一 九 四 一 年 で、 そ れ か ら で も す で に 五 十 六 年 の 年 月 が 流 れ て い る。 に も か か わ ら ず、 一 九 九 七 年 の 時 点 で な お も「 漢 文 訓 読 法 」 か、 「 中 国 語 直 読 法 」 か と い う こ と を 問 題 に し な け れ ば な ら な か っ た の で あ る。 現 在 か ら 十 年 も 前 の こ と で は な い。 い か に、 こ の 問 題 が 根 の 深 い も の で あ っ た か を 物 語 っ て い る。 さ す が に、 現 在 に お い て は、 「 漢 文 訓 読 法 」 で な け れ ば、 日 本 人 だ け で は な く、 中 国 人 も 中 国 の 古 典 は 理 解 で き な い、 な ど という倒錯した主張をなす者はいなくなった。 門 脇 氏 に よ れ ば、 「 訓 読 」 か「 音 読 」 か の「 問 題 」 は 根 深 い も の で あ っ た が、 現 在 で は 沈 静 化 し て い る、 と さ れ る。   続けて氏は、 「問題」の幕引きとなった松浦氏の論考を、以下のように評している。   松浦氏は、 「漢文訓読法」 派と 「中国語直読法」 派との論争に対して一種の現実的な折衷案を提案した。 それは、 学部の段階では「漢文訓読」を中心にして、 「中国語音読」を補助的に用い、 大学院においてはその逆にする、 と い う も の で あ る。 そ の 主 張 は そ の 当 時 に お い て は 基 本 的 に 正 し か っ た と 思 う。 「 漢 文 」 が ま だ 中 学・ 高 校 で 教 え ら れ て い た か ら で あ る。 し か し、 現 在 で は 大 学 で の「 漢 文 」 の 学 習 は、 中 国 語 の 学 習 と 同 様、 一 か ら 始 め なければならない。状況はすでに変わってしまっている。   氏 は、 「 そ の 主 張 は そ の 当 時 に お い て は 基 本 的 に 正 し か っ た 」 と し な が ら も、 「 現 在 で は 大 学 で の「 漢 文 」 の 学 習 は 、 中 国 語 の 学 習 と 同 様 、 一 か ら 始 め な け れ ば な ら な い 。 状 況 は す で に 変 わ っ て し ま っ て い る 」 と も 指 摘 す る 。「 は じ め に 」 で 述 べ た よ う に、 筆 者 も、 門 脇 氏 の こ の 指 摘 に 賛 同 し、 大 学 に お い て、 漢 文 教 育 を 一 か ら 始 め な け れ ば な らいという問題を感じている。 た だ、 大 学 に お け る 漢 文 教 育 に 移 る 前 に、 「 訓 読 」 か「 音 読 」 か の 問 題 に「 折 衷 案 を 提 案 し た 」 松 浦 友 久 氏 の 議 論を瞥見し、 「訓読」の持つ意義について再確認しておきたい。 *3

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松 浦 氏 は 、 ま ず 「 訓 読 」 派 と し て 宇 野 精 一 氏 「 日 本 の 古 典 か シ ナ の 古 典 か 」 を 、「 音 読 」 派 と し て 倉 石 武 四 郎 氏『 支 那 語 教 育 の 理 論 と 実 際 』 を、 そ れ ぞ れ 紹 介 す る。 そ の う え で 氏 は、 そ の 長 所 短 所 を 指 摘 し、 最 終 的 に「 「 訓 読 」「 音 読 」 の 長 所・ 短 所・ 存 在 理 由 等 を 正 確 に 把 握 し つ つ、 両 者 を 二 つ の 重 要 な「 古 典 学 」 の あ り か た と し て、 相補的に位置づけることであろう」とし、 「両者の意義を相補的に」述べる。 そ れ で は、 松 浦 氏 の い う 両 者 の 意 義 と は、 ど の よ う な も の な の だ ろ う か。 以 下 に、 「 訓 読 」 と「 音 読 」 そ れ ぞ れ について引用しよう。 まず、 「訓読」の意義について。 第一に「訓読古典学」は、 「日本における古典学の重要分野として、不可欠な存在理由を持つ。 ① 日 本 に お け る 三 種 の 古 典 学( 引 用 者 付: 漢 文 系 古 典 学・ 和 文 系 古 典 学・ 欧 米 系 古 典 学 ) の う ち、 「 漢 文 系 古 典 学 」 が 最 も 早 期 か ら の 最 も 基 礎 的 な 存 在 で あ る こ と 、 お よ び 、 ② そ の 大 部 分 が 「 訓 読 古 典 学 」 と し て 形 成 さ れ た こ と ― ― が 、 明 確 な 事 実 で あ る 以 上 、 日 本 に お け る 人 文 科 学 系 の 学 問 や 文 化 は 、「 訓 読 」 に よ っ て こ そ 正 確な研究・復元が可能である。…… 第 二 に 、「 訓 読 古 典 学 」 は 、 中 国 語 ( 古 語 ・ 現 代 語 を 含 む ) の 語 学 的 学 習 の 過 程 を 省 い た ま ま 、 日 本 人 が 「 漢 文 」( 中 国 語 文 語 文 ) を 一 種 の 日 本 語 文 語 文 と し て 理 解 す る こ と を 可 能 に す る。 こ の 場 合、 …… 外 国 語 学 習 の 厖 大 な 時 間 や エ ネ ル ギ ー の 負 担 な し に 外 国 の 古 典 作 品 の 大 要 が 理 解 で き る と い う こ と は、 比 較 文 化 史 的 に き わ めて有利な方法であると評価できよう。 第 三 に、 「 訓 読 古 典 学 」 は、 原 文 に 即 し て の 直 訳 方 式 で あ る か ら、 原 文 の 構 造 が 理 解 さ れ や す く、 た ん な る 翻訳を読んでいるという疎外感がない。…… 第 四 に 、「 訓 読 古 典 学 」 は 、「 日 本 語 文 語 文 」 の 骨 格 に よ っ て 「 中 国 語 文 語 文 」 を 分 析 ・ 再 構 築 す る 作 業 で * 5 * 6 * 4

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あ る か ら 、 原 文 に 潜 在 し て い る 構 文 上 の 曖 昧 さ ― ― 特 に 、 修 飾 ・ 被 修 飾 の 範 囲 ― ― が 顕 在 化 さ れ 、「 音 読 」 だ け で は 見 逃 さ れ や す い 問 題 点 の 検 討 を 可 能 に す る 。 上 記 四 点 の う ち 、 第 一 と 第 二 の 点 は 、 中 国 学 を 専 門 と し な い 学 生 に と っ て 、「 訓 読 」( あ る い は 漢 文 ) の 持 つ 意 義 を、 わ か り や す く 理 解 さ せ る の に 極 め て 効 果 的 な 言 説 で あ ろ う。 第 三 の 点 に つ い て は、 次 章 で 触 れ る。 第 四 の 点 に つ い て は、 中 国 学 を 専 門 に 学 ぶ 学 生 に と っ て は 実 感 を と も な っ て 理 解 で き る で あ ろ う が、 そ れ 以 外 の 学 生 に と っ てはピンとこないものと思われる。 次に、 「音読」の意義について。 第 一 に、 「 音 読 古 典 学 」 は、 「 世 界 に お け る 古 典 学 の 一 環 と し て の〝 中 国 古 典 学 〟」 と し て、 不 可 欠 の 存 在 理 由 を も つ 。 … … 厖 大 な 文 献 の 実 作 と 読 解 は 、 ― ― 日 本 に お け る 訓 読 や 、 朝 鮮 等 に お け る 訓 読 的 技 法 の 系 譜 を 除 き ― ― す べ て 「 音 読 」 に よ っ て 構 築 さ れ て き た 。 従 っ て 、 そ の 正 確 な 再 構 成 に 「 音 読 」 が 不 可 欠 で あ る こ と は 、 そ れ自体、自明の理であると言ってよい。 第 二 に、 「 音 読 古 典 学 」 は、 「 中 国 文 を 読 む た め の 三 つ の ポ イ ン ト 」( 引 用 者 付: 対 句 的( 対 偶 的 ) な 構 造・ 発 想、 虚 字 の 用 法、 リ ズ ム の 断 続 ) の う ち、 「 虚 字 用 法 」 の 識 別 と、 「( 統 辞 機 能 を 分 担 す る も の と し て の ) リ ズム構造」の感得とに効果的であり、従って、原文のより正確な把握に有用である。…… 第 三 に、 「 音 読 古 典 学 」 の 方 法 は、 「 音 注・ 意 義 」 や、 「( 和 訓 な ら ぬ ) 漢 訓 」 の 重 視 に よ っ て、 「 中 国 古 典 学 的な認識方法」を、より正確に再構成(追体験)するのに優利である。…… 第 四 に、 「 音 読 古 典 学 」 の 方 法 は、 原 文 の 解 釈 に 当 た っ て、 有 り う べ き「 誤 差 」 を 修 正 し や す い。 …… い っ た ん 定 め た 訓 読 文 は、 日 本 語( 訓 み 手 の 母 語 ) と し て 強 い 規 制 力 を も つ た め、 よ ほ ど 大 き な 矛 盾 が 無 い 限 り、 そ の 誤 差 に 気 づ き に く い 。 … … 「 音 読 」 の 場 合 は 、 難 読 部 分 は 難 読 の ま ま 、 強 い て 文 意 を 定 め ず に 読 み 進 む こ * 7

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と が で き る 。 … … い ち ど の 音 読 に よ っ て 文 意 を 定 め た 文 章 に つ い て も 、 そ の 文 意 は 、 訓 読 さ れ た 場 合 ほ ど 明 確 に 「 一 字 = 一 訓 」 の 形 で 読 み 手 を 規 制 す る の で は な い た め 、 再 読 ・ 三 読 の 機 会 に そ の 誤 差 に 気 づ い て 修 正 を 加 えるということが、構造的に容易である。 い ず れ の 指 摘 も、 首 肯 す べ き も の で あ る。 一 方 で、 「 は じ め に 」 で 述 べ た よ う に、 そ も そ も 現 代 中 国 語 を 履 修 し た こ と の な い 学 生 に と っ て、 松 浦 氏 の 指 摘 は 理 解 し 難 い だ ろ う。 た だ、 第 四 の 点 に つ い て は、 「 ま と め 」 で 言 及 す るため注意しておきたい。 最後に、松浦氏は以下のようにまとめる。 今 後、 古 典 の 教 育・ 研 究 の 方 法 と し て 採 る べ き 方 向 性 は、 両 者 の 相 互 不 可 欠 性 と 長 処 短 処 を 的 確 に 認 識 し つ つ、 両 者 を 相 補 的 に 活 用 す る、 と い う こ と に 尽 き る で あ ろ う。 す な わ ち、 み ず か ら の 教 育・ 研 究 の 立 場 や 目 的 が「 日 本 に お け る 古 典 学 」 を 主 と す る も の で あ る か、 「 中 国 古 典 学 」 自 体 を 主 と す る も の で あ る か を 正 確 に 把 握 し 、 前 者 で あ れ ば 「 訓 読 」 を 中 心 と し て 「 音 読 」 を 補 助 的 に 援 用 し 、 後 者 で あ れ ば 「 音 読 」 を 中 心 と し て 「 訓 読 」 を 補 助 的 に 活 用 す る 、 … … 「 日 本 に お け る 古 典 学 」 の 重 要 部 分 で あ る か ら こ そ 、 中 学 ・ 高 校 の 国 語 科 の 「 古 典 」 の 一 環 と し て「 訓 読 漢 文 」 は 不 可 欠 で あ り、 大 学 で も、 日 本 の 知 識 人 に と っ て 不 可 欠 な 古 典 教 育 の 一 環 と して、 「訓読漢文」が重視されるわけである。 先 に 引 用 し た 門 脇 氏 は、 こ こ で 述 べ ら れ て い る「 「 日 本 に お け る 古 典 学 」 を 主 と す る 」 を 学 部 の 段 階、 「「 中 国 古 典 学 」 自 体 を 主 と す る も の 」 を 大 学 院 の 段 階 と 捉 え 、「 学 部 の 段 階 で は 「 漢 文 訓 読 」 を 中 心 に し て 、「 中 国 語 音 読 」 を 補 助 的 に 用 い、 大 学 院 に お い て は そ の 逆 に す る、 と い う も の で あ る。 」 と、 松 浦 氏 の 議 論 を ま と め て い た。 筆者も、松浦氏の議論及び門脇氏のまとめに賛同する。 た だ、 大 学 で 一 か ら 始 め る 漢 文 教 育 に お い て、 現 代 中 国 語 を 履 修 し た こ と の な い 学 生 に 対 し て「 「 音 読 」 を 補 助 * 9 * 8

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的 に 援 用 」 す る こ と は 不 可 能 で あ ろ う。 先 に 挙 げ た 門 脇 氏 の 言 葉 を 再 び 借 り る な ら ば、 「 状 況 は す で に 変 わ っ て し まっている」のである。 そ れ は そ う と し て 、 松 浦 氏 の い う 「 訓 読 」 の 意 義 の 第 一 「「 訓 読 古 典 学 」 は 、「 日 本 に お け る 古 典 学 の 重 要 分 野 と し て、 不 可 欠 な 存 在 理 由 を 持 つ 」、 及 び「 「 日 本 に お け る 古 典 学 」 の 重 要 部 分 で あ る か ら こ そ、 中 学・ 高 校 の 国 語 科 の「 古 典 」 の 一 環 と し て「 訓 読 漢 文 」 は 不 可 欠 で あ り、 大 学 で も、 日 本 の 知 識 人 に と っ て 不 可 欠 な 古 典 教 育 の 一 環 と し て 、「 訓 読 漢 文 」 が 重 視 さ れ る わ け で あ る 」 と い う 指 摘 は 、「 訓 読 」 の 持 つ 意 義 と 、 漢 文 が 国 語 科 の 一 翼 を 担っている理由を端的に言い表していると思われる。 そこで次章では、まず「指導要領」における漢文の位置づけを確認しよう。       高等学校における漢文教育 本 章 で は、 前 章 で 確 認 し た 漢 文 訓 読 の 意 義 と、 「 指 導 要 領 」 に お け る 漢 文 の 位 置 づ け と の 整 合 性 を 確 認 す る。 さ らに、高等学校における漢文教育の問題点を、先行研究から読み取ることとする。 まず鎌田正氏は、松浦氏所説の「日本における古典学」と同様の趣旨のことを、つとに指摘している。 漢 籍 古 典 は わ が 国 の 古 典 の 古 典 と も い う べ き も の で あ っ て、 こ れ を わ が 国 の 古 典 と 見 な す こ と は 理 の 当 然 と い わ な け れ ば な ら な い。 し か も、 そ の 伝 来 以 後、 わ が 先 人 の 発 明 に よ る 訓 読 に よ っ て 広 く か つ 長 い 間 読 み 続 け ら れ、 わ が 民 族 の 精 神 生 活 か ら 切 り 離 す こ と の で き な い 存 在 に な っ て い た と い う こ と は、 漢 籍 古 典 が わ が 国 の 古 典 た る こ と を 実 証 す る 歴 史 的 事 実 で も あ る。 さ れ ば こ そ 文 部 省 は、 昭 和 十 八 年 三 月 訓 令 の 中 学 校 規 定 に お い て、 国 民 科 国 語 の 中 で 履 修 す る 漢 文 は、 「 わ が 国 の 古 典 と し て の 漢 文 」 と 規 定 し、 現 行 お よ び 改 訂 の 古 典 科 目 * 10 * 11

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においても、同様に「わが国の古典としての漢文」という立場を明示しているのである。 鎌 田 氏 は、 漢 文 が 日 本 人 の 精 神 生 活 か ら 切 り 離 す こ と が で き な い も の で あ る の で、 文 部 省 訓 令 に よ っ て「 わ が 国 の古典としての漢文」として規定された、と述べる。 そ れ で は 、 現 行 の 「 指 導 要 領 」 で は 、 漢 文 を ど の よ う に 規 定 し て い る の だ ろ う か 。「 指 導 要 領 」 の 「 国 語 総 合 」 で は 、〔 伝 統 的 な 言 語 文 化 と 国 語 の 特 質 に 関 す る 事 項 〕 に お い て 、 以下のように規定している。 ( 1 )「A 話すこと・聞くこと」 、「B 書くこと」及び「C 読むこと」の指導を通して、次の事項について指導 する。 ア   伝統的な言語文化に関する事項 ( ア )  言 語 文 化 の 特 質 や 我 が 国 の 文 化 と 外 国 の 文 化 と の 関 係 に つ い て 気 付 き、 伝 統 的 な 言 語 文 化 へ の 興 味・関心を広げること。 (イ)   文語のきまり、訓読のきまりなどを理解すること。 イ   言葉の特徴やきまりに関する事項 (ア)   国語における言葉の成り立ち、表現の特色及び言語の役割などを理解すること。 (イ)   文や文章の組立て、語句の意味、用法及び表記の仕方などを理解し、語彙を豊かにすること。 ウ   漢字に関する事項 (ア)   常用漢字の読みに慣れ、主な常用漢字が書けるようになること。 右 記「 指 導 要 領 」 の「 ア   伝 統 的 な 言 語 文 化 に 関 す る 事 項 」 に 含 ま れ る( ア ) と( イ ) の 項 目 が、 漢 文 に 関 す る 学習目標である。 「 高 等 学 校 学 習 指 導 要 領 解 説   国 語 編 」( 以 下 「 要 領 解 説 」 と 略 称 す る 。) で は 、 ア の ( ア ) の 事 項 に つ い て 、 * 12

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次のような解説を加えている。 「 我 が 国 の 文 化 と 外 国 の 文 化 と の 関 係 」 を 取 り 上 げ て い る の は、 我 が 国 の 文 化 を 理 解 す る に 当 た っ て、 中 国 な ど 外 国 の 文 化 と の 関 係 が 重 要 と な る か ら で あ る。 我 が 国 は 中 国 の 文 化 の 受 容 と そ の 変 容 と を 繰 り 返 し つ つ 独 自 の 文 化 を 築 き 上 げ て き た。 そ の 経 緯 を 踏 ま え、 古 文 と 漢 文 の 両 方 を 学 ぶ こ と を 通 し て、 両 文 化 の 関 係 に 気 付 く こ と が 大 切 で あ る。 古 来、 我 が 国 は、 文 字、 書 物 を 媒 介 に し て、 多 く の も の を 中 国 か ら 学 ん だ。 そ の 結 果、 漢 語 や 漢 文 訓 読 の 文 体 が、 現 代 に お い て も 国 語 に よ る 文 章 表 現 の 骨 格 の 一 つ と な っ て い る。 漢 文 を 古 典 と し て 学ぶことの理由はこの点にもある。 「 指 導 要 領 」 及 び 「 要 領 解 説 」 の 内 容 を ま と め る と 、 お お む ね 以 下 の よ う に な る だ ろ う 。 す な わ ち 、「 漢 語 や 漢 文 訓 読 の 文 体 が、 現 代 に お い て も 国 語 に よ る 文 章 表 現 の 骨 格 の 一 つ と な っ て い る 」 の で、 こ の よ う な「 我 が 国 の 文 化 と 外 国 の 文 化 と の 関 係 」 に 気 付 く た め、 漢 文 を わ が 国 の 古 典 と し て 学 ぶ 必 要 が あ る。 こ れ は、 鎌 田 氏 や 松 浦 氏 の 見 解 と 軌 を 一 に す る も の で あ り、 現 行 の「 指 導 要 領 」 に お い て も 漢 文 を 学 ぶ 意 義 は 堅 持 さ れ て い る と 言 う こ と が で きよう。 と こ ろ で、 前 掲 の「 指 導 要 領 」「 ア   伝 統 的 な 言 語 文 化 に 関 す る 事 項 」 の「 ( イ )  文 語 の き ま り、 訓 読 の き ま り などを理解すること」について、 「要領解説」は以下のように説明している。 「 訓 読 」 と は 、 元 来 中 国 の 文 語 文 で あ る 漢 文 を 、 国 語 の 文 章 と し て 読 む こ と で あ る 。「 訓 読 の き ま り 」 と は 、 訓 読 に 必 要 な 返 り 点、 送 り 仮 名、 句 読 点 な ど に 関 す る き ま り を い う。 こ れ ら の き ま り に つ い て の 指 導 は、 教 材 の 訓 読 に 必 要 な 範 囲 内 で 適 切 に 行 う 必 要 が あ る。 な お、 訓 読 は、 お お む ね 文 語 文 法 に 沿 っ た 読 み 方 を す る が、 普通の文語文法では扱われない訓読特有の伝統的な読み方もあることに注意する必要がある。 な お 、 内 容 の 取 扱 い の ( 5 ) の イ に 示 し て い る よ う に 、 文 語 の き ま り 、 訓 読 の き ま り に つ い て は 、 詳 細 な こ と

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に ま で 及 ぶ こ と な く、 読 む こ と の 指 導 に 即 し て 扱 う と す る 考 え 方 は 従 前 と 同 様 で あ る。 し た が っ て、 文 語 の き ま り な ど を 指 導 す る た め に、 例 え ば、 文 語 文 法 の み の 学 習 の 時 間 を 長 期 に わ た っ て 設 け る よ う な こ と は 望 ま し くない。漢文の訓読のきまりの指導の場合も同様である。 要 す る に「 訓 読 の き ま り 」 は、 「 教 材 の 訓 読 に 必 要 な 範 囲 内 」 で「 詳 細 な こ と に ま で 及 ぶ こ と な く、 読 む こ と の 指 導 に 即 し て 扱 う 」 の で あ っ て、 「 文 法 の み の 学 習 の 時 間 を 長 期 に わ た っ て 設 け る よ う な こ と は 望 ま し く な い 」 と い う こ と で あ る。 こ の よ う な「 要 領 解 説 」 の 趣 旨 に つ い て、 加 藤 美 紀 氏 は、 「 こ れ ら を 見 る 限 り、 「 訓 読 の き ま り 」 に対する消極的ともいえる態度が窺える」という。 一方で「指導要領」は、 「 3   内容の取扱い」 ( 6 )のイの項目で、次のように規定する。 イ   古 典 の 教 材 に つ い て は、 表 記 を 工 夫 し、 注 釈、 傍 注、 解 説、 現 代 語 訳 な ど を 適 切 に 用 い、 特 に 漢 文 に つ い て は 訓 点 を 付 け、 必 要 に 応 じ て 書 き 下 し 文 を 用 い る な ど 理 解 し や す い よ う に す る こ と。 ま た、 古 典 に 関 連 す る近代以降の文章を含めること。 こ こ で は、 書 き 下 し 文 は「 必 要 に 応 じ て 」 用 い る も の で、 教 材 と し て は 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 主 と し て 用 い る、 とされているのである。 つ ま り「 指 導 要 領 」 は、 「 訓 読 の き ま り 」 に「 学 習 の 時 間 を 長 期 に わ た っ て 設 け る よ う な こ と は 望 ま し く な い 」 と い う 一 方 で、 あ く ま で 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 用 い る、 と 規 定 し て い る の で あ る。 加 藤 氏 は、 そ の 矛 盾 を 以 下 の よ うに指摘する。 学 習 指 導 要 領 は 学 習 の ね ら い と し て、 日 本 に お け る 漢 文 受 容 の 歴 史 を 踏 ま え、 「 漢 語 や 漢 文 訓 読 の 文 体 が、 現 代 に お い て も 国 語 に よ る 文 章 表 現 の 骨 格 の 一 つ と な っ て い る 」 こ と を 国 語 科 で 漢 文 を 扱 う 理 由 と し て あ げ な が ら、 実 際 に は、 白 文( 引 用 者 付: 原 文 ) に 訓 点 を 施 し た も の を テ キ ス ト と し て 扱 い、 結 局「 訓 読 の き ま り 」 * 13

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が 中 心 と な る よ う な 授 業 を お こ な う こ と を 現 場 に 指 導 し て い る。 以 上 か ら、 学 習 指 導 要 領 お よ び 解 説 が、 漢 文 学習のあり方について一貫した理論をもっているようにはみえない。 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 教 科 書 と し て 使 用 す る と な る と、 ど う し て も 再 読 文 字 や 返 り 点 の 説 明 か ら 始 め な け れ ば な らず、 「訓読のきまり」にある程度の時間が必要となることは自明であろう。 さ ら に 加 藤 氏 は、 訓 点 が 施 さ れ た 原 文 を 用 い る こ と の 問 題 と し て、 「 訓 読 と い う 翻 訳 法 が 今 日 で は 機 能 不 全 を お こ し て い る こ と。 」 を 指 摘 す る。 加 藤 氏 の 論 旨 を ま と め る と、 訓 読 は 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 書 き 下 し 文 に し 現 代 日 本 語 に す る、 し か し、 今 日 で は 書 き 下 し 文 自 体 が 古 語 と な っ て お り、 そ れ を さ ら に 現 代 日 本 語 に 翻 訳 す る と い う、 二 重 の 翻 訳 が 必 要 と な る、 と い う も の で あ る。 氏 は 続 け て、 「 内 容 に 辿 り つ く ま で に 二 度 に わ た る 翻 訳 と い う 煩 雑 な 手 続 き を 要 す る こ と は、 読 書 と い う 一 般 的 な 行 為 と し て 考 え て も 辟 易 さ せ ら れ る が、 学 習 に お い て は 尚 更 で あ る。これでは多くの生徒が内容理解の前に挫折するのも仕方がないのではないか」という。 加 藤 氏 の 指 摘 は 高 校 に お け る 漢 文 教 育 に つ い て で あ る が 、 事 情 は 大 学 に お け る 漢 文 教 育 に つ い て も 変 わ り は な い 、 と 筆 者 は 考 え る。 前 章 で 確 認 し た、 松 浦 氏 の 提 示 す る「 訓 読 」 の 意 義 の 第 三 は、 「「 訓 読 古 典 学 」 は、 原 文 に 即 し て の 直 訳 方 式 で あ る か ら、 原 文 の 構 造 が 理 解 さ れ や す く、 た ん な る 翻 訳 を 読 ん で い る と い う 疎 外 感 が な い。 」 と い う も の で あ っ た。 こ の 意 義 自 体 は 正 し い も の と 考 え る が 、 現 在 の 大 学 に お け る 漢 文 教 育 の 状 況 を 踏 ま え る と 、 学 生 に と っ て 、「 訓 読 」 が 原 文 の 構 造 を 理 解 し や す く 翻 訳 を 読 む 疎 外 感 が な い も の、 と は 言 え な い の で は な い だ ろ う か。 やはり、状況はすでに変わってしまっているのである。 そ れ で は、 大 学 に お け る 漢 文 教 育 の 場 で、 ど の よ う に す れ ば、 学 生 に「 訓 読 」 の 意 義 を 理 解 さ せ つ つ 原 文 の 読 解 能力を身につけさせることができるのだろうか。次章では、この問題について、筆者の一試案を示したい。 * 14 * 15

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      大学における漢文教育の一試案 本 章 で は、 大 学 に お け る 漢 文 教 育 の 一 試 案 を 示 す が、 ま ず は 筆 者 が 漢 文 教 育 を 担 当 し て い る な か で 感 じ る 問 題 点 から述べていきたい。 「 は じ め に 」 で も 述 べ た が、 筆 者 が 担 当 し て い る「 漢 文 学 」 は、 高 校 の 国 語 科 教 員 を 目 指 す 学 生 が 履 修 す る、 教 職 課 程 の 科 目 の 一 つ で あ る。 こ の 授 業 を 受 講 す る 学 生 の 中 に は、 高 校 で 漢 文 を 習 わ な か っ た 学 生 や、 入 試 科 目 と し て漢文を勉強してこなかった学生が含まれている。 本 学 の 「 漢 文 学 」 は 、 Ⅰ ・ Ⅱ ・ Ⅲ に 分 け ら れ 、 基 本 的 に は 二 年 生 の 前 期 ・ 期 に 、 そ れ ぞ れ Ⅰ ・ を 履 修 し 、 一 年 間 か け て 漢 文 を 学 ぶ、 そ の 後、 三 年 生 の 後 期 に Ⅲ を 履 修 し、 「 教 採 試 験 」 の 過 去 問 題 に 取 り 組 み、 本 番 の 試 験 に 臨 む、 と い う 構 成 に な っ て い る。 ま た、 本 学 の 教 職 課 程 の 履 修 学 生 の 多 く が、 地 元 で あ る 福 岡 県 の「 教 採 試 験 」 を 受 け る。 そ の 福 岡 県 の「 教 採 試 験 」 の 漢 文 の 問 題 で は、 原 文 が 提 示 さ れ、 選 択 方 式 で 漢 字 の 読 み や 訓 読 ま た 内 容 読 解 が 問 わ れ る。 従 っ て、 「 教 採 試 験 」 の 過 去 問 題 に 取 り 組 む「 漢 文 学 Ⅲ 」 ま で に、 す な わ ち 二 年 生 の う ち の 一 年 間 で、漢文の基礎から原文の読解まで、ある程度できるようにしておく必要がある。 さ て、 右 記 授 業 の な か で 感 じ る 問 題 点 は、 前 章 で 引 用 し た 加 藤 氏 が 指 摘 す る よ う な、 「 訓 読 」 の 機 能 不 全 で あ る。 加 藤 氏 の 指 摘 で は、 高 校 生 た ち は、 古 語 で あ る 書 き 下 し 文 を 十 全 に 理 解 で き ず、 書 き 下 し 文 か ら さ ら に 現 代 日 本 語 に 翻 訳 す る 二 重 翻 訳 を し な け れ ば な ら な い、 こ の 二 重 翻 訳 の 手 間 が、 高 校 生 の 漢 文 へ の 興 味 関 心 を 削 い で い る、というものであった。 た だ、 「 訓 読 」 の 機 能 不 全 と い う 点 で は 同 じ で も、 教 職 課 程 の 学 生 を 対 象 に し て 原 文 の 読 解 力 ま で 身 に 付 け さ せ よ う と し た 場 合、 意 味 合 い が や や 異 な っ て く る。 「 訓 読 」 の き ま り を あ る 程 度 の 時 間 を か け て 指 導 す る と、 多 く の

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学 生 は 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 書 き 下 し 文 に す る こ と が で き る よ う に な る。 次 に、 書 き 下 し 文 自 体 が 古 語 で あ る た め 「 自 ら 作 っ た 書 き 下 し 文 の 意 味 が 分 か ら な い 」、 あ る い は「 な ぜ そ の よ う に 書 き 下 す の か 理 解 で き な い 」 と い う 疑 問 ・意見が学生の間から出てくる。 前 者 つ い て は、 「 訓 読 」 の 機 能 不 全 で あ る こ と、 加 藤 氏 の 指 摘 通 り で あ る。 し か し、 よ り 重 要 な の は 後 者 で あ る。なぜなら、後者の疑問は、より漢文の本質せまるものだからである。 前 者 の「 自 ら 作 っ た 書 き 下 し 文 の 意 味 が 分 か ら な い 」 と い う 意 見 に 対 し て は、 古 文 を 現 代 日 本 語 に 訳 す の と 同 様 の 説 明 を す る こ と に な る。 加 藤 氏 は、 こ の 二 重 翻 訳 こ そ が 生 徒 の 意 欲 を 削 ぐ こ と を 問 題 視 す る が、 大 学 で の 漢 文 教 育 の 場 合 な の で、 ひ と ま ず 措 く。 た だ、 古 文 の 説 明 に 多 く の 時 間 を 割 く の も、 あ く ま で 漢 文 の 授 業 で あ る こ と、 高 校と違い大学では古文と漢文の担当教員が別々であること等を踏まえると、適切ではないだろう。 一 方、 後 者 の「 な ぜ そ の よ う に 書 き 下 す の か 理 解 で き な い 」 と い う 疑 問 に 対 し て は、 原 文 の 構 造 を 説 明 す る こ と に な る。 こ れ は、 学 生 に 原 文 の 読 解 力 を つ け さ せ る 契 機 と な る も の で あ る。 な ぜ な ら、 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 見 て いるばかりでは、訓点の情報量が多すぎて、原文の構造にまで目が向かないからである。 そ こ で 筆 者 は、 学 生 が 訓 点 の 施 さ れ た 原 文 を 書 き 下 せ る よ う に な り、 学 生 た ち の 間 で 右 記 の よ う な 疑 問 や 意 見 が 出 始 め た 段 階 で、 い っ た ん 書 き 下 し 文 の 翻 訳 か ら 離 れ て、 原 文 の み を 提 示 し て 内 容 を 把 握 さ せ る 練 習 を 始 め る。 そ の際、①「訓読」しようとしない、②とにかく全体に目を通す、という二つの注意を学生に伝える。 以下、それぞれの注意点について、説明していく。 ま ず ① に つ い て、 学 生 は、 原 文 を「 訓 読 」 し 書 き 下 し 文 に し て か ら、 現 代 日 本 語 に 訳 さ な け れ ば な ら な い、 と 思 い 込 ん で い る 場 合 が あ る。 し か し、 原 文 の 意 味 が 分 か ら な け れ ば、 正 確 な「 訓 読 」 は で き な い。 ま た、 書 き 下 し 文 を 作 る 段 階 で、 古 文 の 知 識 や 思 考 が 必 要 と な る た め、 そ の た び に 原 文 読 解 の 腰 を 折 っ て し ま う。 そ れ ゆ え、 原 文 全

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体を把握した後で、内容に合うように書き下すよう指導している。 つまり、学生が必ず踏まなければならない手順として、 原文→訓読→現代日本語訳、と思い込んでいるものを、 原文→現代日本語訳→訓読、という手順に入れ替えるのである。 このようにすれば学生は、古語文法から解放され、とりあえずは原文の内容に注意を集中できる。 次 に ② に つ い て、 学 生 は、 難 読 箇 所 に ぶ つ か っ た 時、 そ こ で 考 え あ ぐ ね て し ま い 先 に 進 め な く な っ て し ま う 場 合 が あ る。 そ の よ う な 場 合 に 筆 者 は、 分 か ら な い 箇 所 を 無 視 し て 先 に 進 み、 ま ず 全 体 に 目 を 通 す よ う 促 す よ う に し て い る。 学 生 も 全 体 に 目 を 通 し た う え で、 改 め て 分 か ら な い 箇 所 を 考 え れ ば、 意 味 が 分 か る こ と も あ る で あ ろ う し、 分からなくともどの漢字が理解できていないのか自覚することができる。 な お ② の 注 意 を す る 際 、 筆 者 は 学 生 に 、「 基 本 的 に 主 語 ・ 詞 ・ 的 語 の 順 で す よ 、 実 詞 そ れ も 動 詞 ・ 詞 ・ 容 詞 あ と 否 定 詞 に 注 目 し 、 他 の 品 詞 と く に 虚 詞 は 無 視 し て も か ま い ま せ ん 」 と 言 う よ う に し て い る 。 も ち ろ ん 虚 詞 は 、 細 か い ニ ュ ア ン ス を 把 握 す る の に 重 要 で あ る。 現 代 日 本 語 に 訳 し た り 書 き 下 し 文 を 作 る 段 階 で は、 理 解 し て い な く て は な ら な い 。 た だ 、 ま ず は 大 雑 把 に 全 体 を 把 握 す る た め に は 、 よ り 重 要 性 の 高 い 、 動 詞 ・ 詞 ・ 容 詞 ・ 定 詞 に だ け 着 目 した方が効率的であろう。 ここまでの説明を踏まえて、実例を一つ挙げよう。   太宰嚭、譖子胥恥謀不用怨望。 (太宰嚭、子胥の謀の用ひられざるを恥ぢて怨望すと譖す。 )『十八史略』 周 知 の よ う に 、 中 国 語 は 主 語 ・ 詞 ・ 的 語 の 語 順 に な る た め 、 ま ず 主 語 と 動 詞 を 把 握 す る こ と が 重 要 に な る 。 そ れ ゆ え、 こ の 原 則 に 照 ら せ ば 主 語 と な る 名 詞 は「 太 宰 嚭 」、 動 詞 は「 譖 」 で あ る こ と が、 視 覚 的 に 把 握 で き る で あ ろ う 。「 太 宰 」 と は 何 か や 、「 嚭 」 は 何 と 読 む の か 、 あ る い は 「 譖 」 と は ど う い う 意 味 な の か 分 か ら な く と も 、 原 * 16

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文 の構造は見えてくるだろう。 言 い 換 え る な ら 、 主 語 と 動 詞 さ え 把 握 で き れ ば 、 そ の 後 ろ の 目 的 語 に 相 当 す る 部 分 が 長 く と も 混 乱 す る こ と は な い 。 目 的 語 に 相 当 す る 部 分 は 「 子 胥 恥 謀 不 用 怨 望 」 で 、 こ の 部 分 だ け で も 主 語 ・ 詞 ・ 的 語 を 備 え た 一 つ の 文 を 構 成 し て お り 複 雑 で あ る。 し か し 文 全 体 と し て 見 る と、 主 語「 太 宰 嚭 」 は、 目 的 語 に 相 当 す る 部 分「 子 胥 恥 謀 不 用 怨 望 」 を、 動 詞「 譖 」 し た、 と い う こ と は 読 み 取 れ る は ず で あ る。 あ と は、 「 子 胥 」( 伍 子 胥 ) が 人 名 な の で、 目 的 語 部 分 の 主 語 で あ る こ と に 気 付 き さ え す れ ば 、 改 め て 「 恥 謀 不 用 怨 望 」 の 部 分 を 動 詞 ・ 的 語 の 構 造 に 当 て は め て 、 先 と同様の手順を踏むだけである。 こ の よ う な 方 法 な ら ば、 学 生 が 辞 書 を 引 く 手 間 も 軽 減 さ れ る の で は な い だ ろ う か。 学 生 は、 分 か ら な い 文 に 出 会 っ た 場 合、 そ こ に 並 ん で い る 漢 字 を 片 端 か ら 漢 和 辞 書 で 調 べ 勝 ち で あ る。 し か し 引 用 文 中 で、 重 要 で あ り か つ 難 読 な 漢 字 は「 譖 」 だ け で あ る。 学 生 は、 「 譖 」 さ え 漢 和 辞 書 で 引 い て 意 味 を 把 握 す れ ば、 後 の 文 意 を 推 測 す る に 困 難 はないだろう。 同一の文に訓点を施してみると、以下の通りである。 太宰嚭、 譖 ス 下 胥 ノ 恥 ジ テ 二 ノ 不 ル ヲ 一レ 用 ヒラレ   怨 望 ス ト 上 一 見 し て 、 主 語 ・ 詞 ・ 的 語 の 構 造 が 分 か り 難 く な り 、 と り あ え ず 、 ど の よ う に 「 訓 読 」 す る か に 注 意 が 向 い て し まうのが、理解いただけると思う。

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    まとめ 本 稿 で 述 べ た 一 試 案 は、 最 終 的 に「 訓 読 」 し て 書 き 下 し 文 に す る と は 言 え、 「 音 読 」 の 方 法 を 援 用 し た も の で あ る 。 第 二 章 で 引 用 し た 松 浦 氏 「 音 読 」 の 意 義 の 第 四 は 、「 「 音 読 」 の 場 合 は 、 難 読 部 分 は 難 読 の ま ま 、 強 い て 文 意 を 定 め ず に 読 み 進 む こ と が で き る 」 で あ っ た。 難 読 箇 所 に ぶ つ か っ た 時、 「 と に か く 全 体 に 目 を 通 す 」 こ と は、 「 音 読」の方法をそのまま使っているだけである。違いとしては、現代中国語音で音読するか否かだけである。 ま た 改 め て 言 う ま で も な く、 こ の よ う な 方 法 は、 中 国 学 研 究 者 の み な ら ず、 外 国 語 を 読 む 際 に は 誰 し も が 行 っ て いるはずのことであろう。その意味では、 「訓読」よりは「音読」の方法に近いと言えよう。 さ ら に、 原 文 か ら 直 接 現 代 日 本 語 に し て、 そ の 後 で「 訓 読 」 す る の で は、 加 藤 氏 が 指 摘 し た「 二 重 翻 訳 」 の 手 間 が余計に際立って見えるという問題点もある。 そ れ ゆ え 本 稿 で は、 日 本 の 古 典 と し て の 漢 文「 訓 読 」 の 意 義 を 再 確 認 し、 「 指 導 要 領 」 と の 整 合 性 も 検 証 し た。 大 学 に お け る 漢 文 教 育 の 場 で は、 学 生 が「 訓 読 」 を 余 計 な 手 間 と 思 わ な い よ う に、 こ の 点 を 自 覚 的 に 説 明 す る こ と が不可欠である。 * 1   文部科学省「高等学校学習指導要領」平成二一年三月    ( http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/_ _icsFiles/afieldfile/2011/03/30/1304427_002.pdf )。

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* 2   門脇廣文「學界展望(文學) 」( 『日本中國学會報』第五七集、二〇〇五年)三三七頁。 * 3   松浦友久「 「訓読古典学」と「音読古典学」― その意義と相補性について ―」 (『松浦友久著作選Ⅰ 中国詩学の言語学 ― 対句・ 声調・教学』研文出版、二〇〇三年。初出は、 『新しい漢字漢文教育』第二五号、一九九七年) 。 * 4   宇野精一「日本の古典かシナの古典か」 (『月刊文法』明治書院、一九六九年一〇月号) 。 * 5   倉石武四郎『支那語教育の理論と実際』 (岩波書店、一九四一年) 。 * 6   松浦氏 注 3) 所掲書、三二三〜三三三頁。 * 7   松浦氏 注 3) 所掲書、三三三〜三三四頁。 * 8   松浦氏 注 3) 所掲書、三三四〜三三六頁。 * 9   松浦氏 注 3) 所掲書、三三七頁。 * 10   こ こ ま で の「 訓 読 」 か「 音 読 」 か に 関 す る 議 論 を ま と め た も の に、 平 井 徹「 大 学 漢 文 教 育 の 展 望 と 可 能 性 」( 『 新 し い 漢 字 漢 文 教 育』第四十九号、 二〇〇九年)がある。また、 戦後の漢文教育の変遷については、 石毛慎一『日本近代漢文教育の系譜』 (湘南社、 二〇〇九年)を参照。 * 11   鎌田正「古典としての漢文教育の意義」 (鎌田正編『漢文教育の理論と指導』一九七二年、大修館書店)三〜四頁。 * 12   文部科学省「高等学校学習指導要領解説国語編」平成二二年六月    ( http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/_ _icsFiles/afieldfile/2010/12/28/1282000_02.pdf ) * 13   加 藤 美 紀「 国 語 科 に お け る 漢 文 教 育 の あ り 方 に つ い て ― 文 字 教 育 と し て の 活 用 ― 」 (『 共 立 国 際 研 究 』 第 三 一 号、 二 〇 一 四 年 ) 一五一頁。 * 14   加藤氏 注 13) 所掲書、一五一頁。 * 15   加藤氏 注 13) 所掲書、一五四頁。 * 16   漢 文 の 授 業 に 実 詞 や 虚 詞 の 概 念 を 導 入 す る こ と に つ い て は、 拙 稿「 漢 文 教 育 に お け る 虚 詞 概 念 の 導 入 」( 『 福 岡 女 学 院 大 学 紀 要 人 文学部編』第二五号、二〇一五年) を参照。

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参照