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Vol.27 , No.2(1979)091呉 光〓「修禅社成立の背景について」

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Academic year: 2021

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(1)

修 禅 社 成 立 の 背 景 に つ い て ( 呉) 三 〇 八

修 禅 社 は 普 照 知 訥 ( = 五 八-一 二 一 〇) に よ つ て 結 社 さ れ た 定 慧 社 が 熈 宗 元 年 ( 一 二 〇 五) 勅 に よ つ て 改 め ら れ た 名 称 で ( 1) あ つ て、 今 の 松 広 寺 に あ つ た の で あ る。 知 訥 の 定 慧 結 社 は 当 時 と し て は 新 仏 教 運 動 で あ る と も 言 え る で あ ろ う。 結 社 の 時 期 に つ い て ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ に 歳 在 壬 寅 正 月 赴 二 上 都 普 済 寺 談 禅 法 会 一 日 与 二 同 学 十 余 人 一 約 日 罷 レ 会 後 当 捨 二名 利 哨 隠 遁 二 山 林 結 為 二 同 社 常 以 二 習 定 均 慧 一為 レ(2) 務 と 記 る さ れ て い る の を 見 る と、 壬 寅 年 ( 一 一 八 二) 正 月 に は す で に 習 定 均 慧 を 務 と な す 社 を 結 ぶ こ と を 約 し た こ と に な る し、 こ れ が 彼 自 身 の 著 し た も の で あ る か ら、 結 社 の 成 立 時 期 を 壬 寅 年 ( 一 一 八 二) と 見 る こ と も 可 能 で は あ る が、 ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ が 知 訥 の 三 三 歳 の 時 に 著 さ れ た こ と と、 内 容 の 性 格 か ら し て 時 間 的 記 述 は 主 観 的 に な つ て い る こ と に 注 意 し な け れ ば な ら な い。 (3) 知 訥 が 寂 し た 翌 年 ( 一 二 一 一) 金 君 鞍 に よ つ て 書 れ た ﹁ 昇 平 府 曹 渓 山 松 広 寺 仏 日 普 照 国 師 碑 銘 ﹂ ( 以 下 碑 銘 と す) に は 以 二大 定 二 十 二 年 壬 寅 一挙 二僧 選 中 マ 之 未 幾 南 遊、 抵 二昌 平 清 源 寺 一 住 錫 焉、 偶 一 日 於 二学 寮 一 開 二 六 祖 壇 経 一 至 二 真 如 自 性 念 起 一 ⋮⋮頗 而 思 レ 之、 意 自 得 也。 自 レ 是 心 厭 二 名 利 画 毎 欲 二 棲 遁 林 整 一 ⋮⋮越 二 大 定 二 十 五 年 乙 已 遊 二 下 桐 山 普 門(4) 寺 殉 と 記 し て い る。 金 君 鞍 は 当 代 を 代 表 す る 識 者 で あ り、 ﹁ 碑 銘 ﹂ は 知 訥 の 弟 子 慧 謳 ( 一 一 七 八 -一 二 一二 四) 等 の 持 つ て い る 資 料 に 基 づ い て 書 い て い る の で、 昌 平 清 源 寺 に て 大 定 二 五 年 ( 一 一 八 五) ま で 居 た こ と は 信 じ て 差 支 え な か ろ う。 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ つ て 知 訥 の 足 跡 を 見 る な ら ば、 昌 平 清 源 寺 の ( 5) 後 に 下 何 山 普 門 寺 を 経 て、 八 公 山 居(6) 祖 寺 に 住 錫 し、 智 異 山 上 無 住 庵 に 隠 居 し、 承 安 五 年 ( 一 二 〇 〇) 松 広 山 吉 祥 寺 に 移 り、 煕 宗 元 年 ( 一 二 〇 五) に 曹 渓 山 修 禅 社 と の 勅 額 を 賜 わ れ て い る。 大 定 二 十 五 年 ( 一 一 八 五) を 越 ぎ 下 何 山 普 門 寺 に 行 つ て い る が、 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ る と、 (7) 師 嘗 言 予 自 普 門 己 来 十 余 年

(2)

-810-と 記 し て い る。 承 安 二 年 ( 一 一 九 七) 智 異 山 上 無 住 庵 で 言 た も の と 見 ら れ る が、 大 定 二 十 五 年 か ら 承 安 二 年 ま で は 一 二 年 に な る の で 下 何 山 普 門 寺 に は 二 年 以 上 住 錫 し、 居 祖 寺 に は 十 年 間 住 錫 し た こ と に な る の で あ る。 李 滉 ( 一 五 〇 一-一 五 七 〇) の 文 集 に 収 録 さ れ て い る ﹁ 遊 小 白 山 録 ﹂ に 見 る と、 ⋮⋮其 東 偏 有 二 東 伽 随 宗 粋 云、 希 喜 長 老 初 住 レ 此、 後 普 照 国 師 於 レ 此 坐 禅 修 道、 九 年 不 出、 自 号 二 牧 牛 子 一 有 二 詩 集 一粋 会 得 レ之、 為 二 ( 8) 人 借 去 喝 諦 二 数 句 一皆 警 策、 令 レ 人 有 二 五 穀 不 熟 之 歎 一也。 と 記 さ れ て い る が、 牧 牛 子 と は 知 訥 の 号 で あ つ て、 こ れ に よ る と 知 訥 が 東 伽 陥 で 九 年 を 過 し た こ と に な る が、 宗 粋 が 何 に よ つ て い る の か 詳 ら か で な い。 李 滉 の 年 譜 に よ る と 長 く 豊 基 に 泊 つ た の が 四 五 歳 の 時 で あ る の で、 こ の 時 の 作 と 思 わ れ る が、 知 訥 が 寂 し て か ら 三 百 年 も 後 の こ と で あ つ て、 信 じ 難 い 説 で あ る。 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ る と 億 宝 山 之 白 雲 精 舎、 積 翠 庵、 瑞 石 山 之 圭 峯 蘭 若 祖 月 庵、 皆 師 之 ( 9) 所 レ 作、 而 往 来 修 禅 者 也、 と 記 る さ れ て い る。 松 広 寺 に 移 つ て か ら の こ と と 思 わ れ る が、 こ れ に よ る と 知 訥 は 必 ず し も 一 個 所 に 止 ま つ て い た の で は な か つ た よ う で あ る。 小 白 山 は 下 何 山 よ り 近 い 所 で あ る の で 東 伽 随 に 行 き 九 旬 安 居 で も し た の が、 後 に 九 年 と 託 伝 さ れ た の で は な か ろ う か。 ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ は 知 訥 の 三 三 歳 の 時 に 著 さ れ た の で あ る が、 二 十 五 歳 の 僧 選 の 時 か ら 八 年 目 に 当 る が、 文 章 の 中 に は 八 年 間 に つ い て の 記 録 は 見 当 ら な い。 僧 選 の 時、 教 団 の 将 来 に つ い て 彼 な り の 考 え も あ つ た の で あ ろ う し、 意 欲 も あ つ た に し て も、 ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ は 知 訥 の 三 三 歳 の 時 点 て の 知 識 ま た は 思 想 の 表 現 と 見 る の が 妥 当 で あ ろ う。 僧 選 に 挙 げ ら れ る こ と は 出 世 の 道 で も あ る が、 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ る と 僧 選 に 挙 げ ら れ て、 昌 平 清 源 寺 に 至 り、 そ こ で ﹃ 六 祖 壇 経 ﹄ を 閲 覧 し、 心 に 会 得 す る も の が あ り、 そ れ か ら 名 利 を 厭 う よ う に な つ た と い う こ と は 前 に 引 用 し た 通 り で あ る が、 こ の 記 事 は ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ で 言 う 僧 選 が 終 つ た 時 点 で 名 利 を 捨 て た と い う の と は 異 つ た 意 味 を 持 つ て い る の で あ る。 こ の 文 章 に よ る な ら ば、 知 訥 が 昌 平 清 源 寺 で 会 得 す る ま で は 名 利 を 捨 で て い な い と 見 て い る よ う で あ る。 す な わ ち 出 世 の 道 の 延 長 線 上 に 南 遊 し 昌 平 清 源 寺 へ の 住 錫 で あ つ た と 見 て い る の が 金 君 鞍 の 見 解 の よ う で あ る。 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ る と 知 訥 に と つ て 昌 平 清 源 寺 で の ﹃ 六 祖 壇 経 ﹄ 閲 覧 に よ る 会 得 は、 下 何 山 普 門 寺 で の 李 通 玄 長 者 の ﹃ 華 厳 論 ﹄ に よ る 開 眼 ・ 居 祖 寺 で の ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ 著 述、 上 無 住 庵 で の ﹃ 大 慧 普 覚 禅 師 語 録 ﹄ に よ る 契 会 と の 一 連 の 関 連 性 を 持 つ て い る の で あ り、 清 源 寺 住 錫 は 知 訥 の 行 状 を 書 く 上 に 欠 せ ら れ な い 重 要 な 意 味 持 つ て い る の で あ ろ う と 考 え ら れ る。 修 禅 社 成 立 の 背 景 に つ い て ( 呉) 三 〇 九

(3)

-811-修 禅 社 成 立 の 背 景 に つ い で ( 呉) 三 一 〇 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ る 限 り、 僧 選 と い う 出 世 へ の 道 と 南 遊 と は 繋 が り が あ る よ う に は 見 ら れ る が、 清 源 寺 が 現 存 し な い の で 如 何 に 繋 る の か 詳 ら か で な い。 果 し て 南 遊 の 目 的 地 が 昌 平 で あ り、 ま た 清 源 寺 で あ つ た の か と い う こ と も 詳 ら か で な い。 ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ に は 山 林 に 隠 遁 し た い と は 言 つ て い る が、 何 所 の 山 で あ る か は 明 か に し て い な い。 こ こ で い う 山 林 と は 広 い 意 味 の 山 林 で あ ろ う。 ﹁ 碑 銘 ﹂ に は 心 に 名 利 を 厭 う よ う に な り、 そ れ か ら 林 整 に 隠 遁 し よ う と し た と 記 し、 そ の 後 の 行 く 先 が 下 何 山 で あ つ た の で あ る。 下 何 山 は 誰 し も が 認 め る 深 山 で あ る。 こ の 文 章 か ら は 金 君 鞍 は 昌 平 を 山 林 と 見 て い な い よ う で あ る。 清 源 寺 に つ い て の 記 録 は 見 当 ら な い。 あ る い は 世 に 知 ら れ て い な い 小 さ い 町 の 寺 で あ つ た の か も 知 ら な い。 や は り 南 遊 の 目 的 地 と し て の 比 重 は 昌 平 に あ つ た の で は な か ろ う か。 昌 平 に つ い て は ﹃ 高 麗 史 ﹄ に よ る と 羅 計 牧 の 属 県 と し、 一 云 鳴 平 本 百 済 屈 支 県、 新 羅 景 徳 王 改 レ 名 祈 陽、 為 二 武 光 領 県 (11) 高 麗 更 二 今 名 州 来 属、 と 記 る さ れ て い る。 ﹃ 新 増 東 国 与 地 勝 覧 ﹄ 巻 三 九、 昌 平 条 に も 県 の 沿 革 に つ い て は ﹃ 高 麗 史 ﹄ の 記 録 と 同 じ て あ り、 位 置 に つ い て、 東 至 玉 果 県 界 二 五 里、 至 潭 陽 府 界 十 一 里、 北 至 同 府 界 十 一 里、 南 (12) 至 同 福 県 界 三 十 四 里、 西 至 光 山 県 界 十 一 里、 と 記 る さ れ て い る。 す な わ ち 玉 果 の 西、 潭 陽 の 西 南、 同 福 の 北、 光 山 の 東 に 位 置 し、 羅 卦 の 中 心 地 と は 光 山 県 を 間 に し て い る。 羅 計 ま で の 距 離 は 羅 晋 か ら 光 山 ま で が 六 十 七 里、 光 山 か ら 昌 平 ま で が 二 十 九 里 で あ る か ら、 合 す と 九 十 六 里 で あ り、 十 里 を 約 四 キ ロ メ ー ト ル と 見 れ ば 半 日 で 羅 卦 ま で 至 れ る 距 離 で あ る。 僧 選 の 延 長 線 上 に 南 遊 が あ り、 南 遊 の 帰 着 地 が 昌 平 で あ つ て、 昌 平 は 山 林 地 で は な か つ た と い う 図 式 か ら 見 る 場 合、 昌 平 は 当 然 羅 卦 ま で 広 め て 考 え な け れ ば な ら な い の で は な か ろ う か。 当 時 の 羅 光 は 湖 南 に お け る 政 治、 経 済、 文 化 の 中 心 地 (13) で あ り、 な お 南 宋 と の 交 通 の 要 衝 地 で あ つ た か ら で あ る。 ﹃ 高 麗 図 経 ﹄ に よ る と 南 宋 の 明 計 か ら 羅 計 の 西 海 岸 に 至 る 航 (14) 路 を 記 し て い る し、 ﹃ 海 東 繹 史 ﹄ に よ る と 西 海 岸 の 多 く の 島 お に 迎 送 館 が あ つ た こ と を 記 し て い る。 知 訥 が 僧 選 に 挙 げ ら れ る 大 定 二 十 五 年 の 三 月 全 計 で 旗 頭、 む 竹 同 等 の 反 乱 が 起 つ て い る が、 僧 選 は 正 月 に あ つ た し、 す く 南 遊 し た な ら ば 三 月 以 前 に 全 晋 は 通 り 過 ぎ た は ず で あ る が、 ﹁ 碑 銘 ﹂ の 著 者 は 南 遊 の 目 的 が 強 く 認 想 さ れ た の で は な か ろ う か、 だ か ら 昌 平 を 発 つ こ と と 名 利 を 捨 て た こ と を 結 び つ け て 記 し た の で は な か ろ う か。 ﹃ 定 慧 結 社 文 ﹄ の 名 利 を 捨 る と い う こ と を 道 を 求 め る と い う 主 観 的 表 現 と 見、 他 者 が 見 た 南 遊 の 目 的 を 客 観 的 表 現 と 見 て、 公 約 数 を 出 だ す な ら ば 当 時 と

(4)

-812-し て は 先 進 国 で あ る 南 宋 へ の 留 学 に 帰 着 す る の で あ る。 知 訥 は 無 師 僧 で あ る と 記 さ れ て い る。 ﹁ 碑 銘 ﹂ に よ れ ば (17) 学 無 二 常 師 一 唯 道 之 従、 志 操 超 魑、 軒 々 如 也。 と あ る。 す な わ ち 既 成 教 団 の と の 系 統 に も 属 し な か つ た と い う こ と で あ る。 知 訥 は 曹 渓 雲 孫 で あ る 宗 暉 禅 師 の 基 に 出 家 し (13) て い る が、 曹 渓 雲 孫 が 誰 を 指 す の か 明 か で な い。 金 暎 遂 氏 以 後 の 諸 学 者 は 宗 暉 は 梵 日 ( 八 一 〇-八 八 九) の 闇 屈 山 系 で あ る (19) と 述 べ て お ら れ る が、 宗 暉 の 伝 は 未 詳 で あ る と 言 い な が ら 闇 屈 山 系 で あ る と 言 う の は 納 得 の 行 か な い 説 で あ る。 む し ろ ﹁ 碑 銘 ﹂ で い う 無 常 師 の 説 に 随 う べ き で あ ろ う と 思 わ れ る の で あ る。 知 訥 に は 引 き 立 て て 下 れ る 門 閥 が 無 が つ た が、 た め に よ り 自 由 に 考 え る こ と が 出 来 た の で は な か ろ う か。 か か る 自 由 な 考 え 方 は 修 禅 社 と い う 新 仏 教 運 動 に 繋 が る の で は な か つ た の か。 知 訥 が 昌 平 に 三 年 近 く 住 錫 し た 後、 下 何 山 に 入 つ た の は 南 宋 に 行 か ず と も 新 知 識 を 得 ら れ た の で は な か ろ う か。 当 時 の 南 宋 に は 念 仏 結 社 が 非 常 に 盛 ん で あ つ た し、 商 業 結 社 も 盛 な 時 期 で あ つ た が、 後 の 修 禅 社 の 構 成 に こ れ ら の 結 社 の 性 格 に 似 つ て い る 面 が 非 常 に 多 い の で あ る。 直 接 的 関 連 は な き に し て も、 そ の 影 響 を 全 く 受 け な か つ た と も 言 い 難 い の で は な か ろ う か。 1 金 君 緩 撰 ﹁ 曹 渓 山 修 禅 社 仏 日 普 照 国 師 碑 ﹂ ( 東 文 巽、 巻 一 一 七、 二 五 頁 ( 太 学 社 刊 本 巻 四、 二 七 四、 上)。 昌 2 李 能 和 ﹃ 朝 鮮 仏 教 通 史 ﹄ 巻 下、 三 四 三 頁。 3 高 麗 史、 巻 九 八、 列 伝 十 一 金 冨 戦 条。 4 東 文 選、 巻 一 一 七 ( 太 学 社 刊、 本 巻 四 二 七 三、 上)。 5 今 慶 尚 北 道 礼 泉 郡 普 門 面。 6 今 慶 尚 北 道 永 川 郡 青 通 面。 7 東 文 選 巻 一 一 七 ( 太 学 社 刊 本、 四、 二 七 三、 下)。 8 ﹃ 退 渓 集 ﹄ 巻 四 一、 雑 著。 9 東 文 選、 巻 一 一 七 ( 太 学 社 刊 本、 四、 二 七 四、 上)。 10 右 同、 ( 右 同、 二 七 三、 上、 下)。 11 高 麗 史、 巻 八 二、 地 理 志 三 六。 12 新 増 東 国 輿 地 勝 覧 巻 三 五、 全 罹 道 昌 平 県 条。 13 高 麗 史 巻 二、 世 家 二、 太 祖 条 に は 頸 萱 ( ?-九 三 六) が 罹 計 を 中 心 に 国 を 建 て、 呉 越 と 交 流 し て い た こ と が 記 る さ れ て い る。 ま た、 大 安 里、 徳 山 里、 新 村 里 の 古 責 群 は 日 本 人 の 墓 と 推 定 さ れ て い る。 14 徐 競 ﹃ 高 麗 図 経 ﹄ 巻 三 五、 海 道 二。 15 ﹃ 海 東 繹 史 ﹄ 巻 四 〇、 海 道 条。 16 高 麗 史、 巻 二 〇、 明 宗 一 二 年 条。 17 東 文 選、 巻 一 一 七 ( 太 学 社 刊 本、 四、 二 七 三 上)。 18 金 暎 遂 ﹁ 曹 渓 禅 宗 に 就 い て ﹂ ( 震 壇 学 報 第 九 号)。 19 江 田 俊 雄 ﹃ 朝 鮮 仏 教 史 の 研 究 ﹄ 二 二 八 頁。 李 鐘 益 ﹃ 高 麗 普 照 国 師 の 研 究 ﹄ 四 二 頁。 韓 基 斗 ﹁ 高 麗 仏 教 の 結 社 運 動 ﹂ ( 朴 吉 真 博 士 華 甲 記 念 ﹃ 韓 国 仏 教 思 想 史 ﹄ 五 六 〇 頁)。 修 禅 社 成 立 の 背 景 に つ い て ( 呉) 三 一 一

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