佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 背 景 ( 雲 井 ) 九 八
佛
教
興
起
時
代
の
社
會
的
背
景
雲
井
昭
善
こ の 問 題 を 取 上 げ よ う と す る 揚 合、 凡 そ 二 つ の 方 法 が 用 意 さ れ る と 思 ふ。 一 つ は、 佛 教 が イ ン ド に 興 起 し た こ と の 直 接 原 因 を 何 鹿 に 求 め る か、 と い つ た 意 味 で、 そ の 時 代 の 社 會 的 背 景 を 考 察 す る 方 法。 今 一 つ は、 初 期 佛 教 時 代 の 社 會 事 情 を 直 接 の 研 究 封 象 と す る 方 法。 大 腱 こ の 二 つ に 要 約 さ れ る。 勿 論、 嚴 密 な 意 味 で は、 爾 者 は 別 個 に 扱 は れ な い 性 暫 の も の で あ ら う。 た だ、 問 題 の 焦 黙 を、 の 佛 教 興 起 と い ふ 現 象 自 膿 に 置 く か、 又 は 臼 佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 基 盤 を 解 明 す る こ と に 重 黙 を 置 く か、 に よ つ て、 そ の 観 黙 も 多 少 異 な つ て く る で あ ら う。 今 は、 さ う し た 爾 面 を 考 慮 し な が ら、 佛 教 興 起 時 代 の 社 會 事 情 の 中 で 特 に 注 意 さ れ る 二 三 の 黙 を 取 上 げ て み た い。 先 づ ふ 佛 殺 興 起 時 代 ( 前 五 ・ 六 世 紀 ) の 特 色 と し て 都 市 國 家 (1) の 形 成 と い ふ 現 象 が 考 へ ら れ る。 こ の 都 市 國 家 の 成 立 が、 佛 教 興 起 と い ふ 現 象 の 社 會 的 背 景 を 形 成 す る 基 礎 と な つ て ゐ た。 換 言 す れ ば、 所 謂 當 時 の 自 由 思 想 家 群 は へ さ う し た 都 市 國 家 の 成 立 と 歩 調 を 合 せ て 自 然 と 特 定 の 地 域 に 集 合 し、 從 來 の バ ラ モ ン 中 心 文 化 と は 全 く 野 瞭 的 な 思 想 を 生 ん だ 黙 で あ ガ ン ガ ー る。 と こ ろ で、 當 時 の 都 市 國 家 は、 概 ね 恒 河 に 沼 つ て そ の 擾 大 獲 展 と 勢 力 塘 張 を 圖 り、 武 力 闘 雪 に よ つ て 大 都 市 の 建 設 を 目 的 と し て ゐ た。 そ の た め に ﹁ 堅 固 な 城 壁 と 堅 固 な 塁 ﹂ (D.N. Vol. II. p. 83) を 緯 ら し、 且 つ 闘 箏 が 激 化 す れ ば す る 程 築 城 に 逼 ら れ た (id. p. 87) と い ふ。 又、 マ ガ グ 國 の 大 臣 が、 蹟 祇 人 V aggi の 侵 入 を 防 ぐ た め パ ー タ リ 村 に 城 塞 を 築 い た と あ る の も、 そ の 一 例 と 言 へ よ う。 こ の や う な 當 時 の 都 市 は、 商 工 業 の 獲 達 に 伴 u つ て、 概 ね 物 資 の 集 散 地 と し て 段 賑 を 極 め て ゐ た や う で、 都 市 國 家 群 の 中 で も 代 表 的 な マ ガ グ の パ ー タ リ プ ト ラ は、 物 資 の 集 散 地 と し て 特 に 有 名 で あ つ た (D. N. Vol. II. pp. 87-88) と言 は れ る。 從 つ て、 手 工 業 者 や 商 人 が 堅 倒 的 に 多 か つ た こ と が、 傳 へ ら (2) れ て ゐ る わ け で あ る。 か う し た 社 會 歌 勢 の 中 で、 當 時 の 一 般 知 識 入 及 び 自 由 思 想 家 が ﹁ 何 を 求 め て ゐ た か ﹂ と い ふ 黙 に つ い て は、 數 少 い 原 始 経 典 資 料 か ら も 或 る 程 度 推 察 で き る。-405-先 づ、 都 市 國 家 群 の 競 孚 と い ふ 最 中 に あ つ て は、 一 般 人 の 凡 ん ど が、 精 騨 的 な 永 遠 の 卒 和 郷 を 求 め る こ と も 至 難 の 駄 蓼 に あ つ た。 從 つ て、 一 般 大 衆 は、 自 然 と 自 己 中 心 的 な 塵 世 術 に よ つ て、 當 面 の 混 臨 期 に 樹 慮 せ ざ る を 得 な い 歌 態 に 置 か れ て ゐ た。 そ の 黙、 生 活 と 思 想 に 安 佳 で き な い 國 家 に お い て は、 (3) 人 心 の 動 揺 を 來 し た こ と も 亦 自 然 の こ と で あ る。 と こ ろ で、 當 時 の 大 衆 層 が 如 何 や う な 生 活 を し て ゐ た か と い ふ 黙 に つ い て、 一 二 の 資 料 か ら 窺 つ て み よ う。 一 般 に 物 資 の 豊 か な 大 都 市 で は、 住 民 が 遊 惰 に 流 れ た こ と も 自 然 の 道 理 で あ る。 し か も、 こ の 傾 向 は、 社 會 の 上 層 階 級 に 特 に 著 し く 見 ら れ る 現 象 の 一 つ で あ つ た。 さ う し た こ と が、 原 始 経 典 に お い て ﹁ 演 劇 ・ 歌 謡 ・ 舞 樂 等 の 娯 樂 物 を 遠 去 け よ ﹂ と か ﹁ 華 髭 香 料 等 で 身 髄 を 装 つ た り 金 銀 を 蓄 へ て は な ら な い ﹂ と い ふ 如 き 佛 陀 の 教 訓 (4) と な つ て ゐ る わ け で あ る。 他 方 又、 社 會 歌 勢 が 遊 惰 を 求 め が ち に な る と、 大 衆 の 生 活 も 自 つ か ら 刹 那 的 な 快 美 を 欲 求 す る タ コ ラ の が 常 で ﹁ 陶 醇 に 耽 つ て ゐ る 無 頼 の 徒 輩 が 微 風 に 揺 れ る 多 羅 の 並 樹 に 合 せ て 踊 り 狂 つ た ﹂ ( U. N. Vol.II. p. 172) こ と が 屡 皇 傳 へ ら れ て ゐ る。 そ れ と 同 時 に、 ﹁ 賄 賂 を 使 つ た り 邪 し ま な 行 爲 を な し ﹂ た り ﹁ 傷 害 ・ 殺 數 ・ 張 ・奪 ﹂ 等 が、 日 常 の 出 來 事 と し て 行 は れ て ゐ た や う で あ る。 そ の こ と は、 比 丘 達 に 野 す る 佛 陀 教 訓 の 多 く が 世 相 の 混 臨 と 堕 落 に 樹 す る も の で あ つ た 黙 か ら も、 當 時 の 社 會 事 情 の 一 端 を 暗 示 し て ゐ る。 佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 背 景 ( 雲 井 ) こ の や う な 混 迷 期 の 中 か ら 六 師 外 道 の 如 き 思 想 が 現 は れ た の で あ る が、 そ れ ら は、 何 れ も 過 去 の 既 成 宗 教 に 封 す る 反 動 で あ つ た こ と は 勿 論、 又、 當 時 の 世 相 を 十 分 に 裏 書 き し て ゐ る。 但、 當 時 の 大 衆 層 が、 こ れ ら の 薪 し い 思 想 を 探 揮 す る か 否 か に つ い て は、 蓋 し 議 論 百 出 の 歌 態 に あ つ た。 (D.N.13 纏 参 照 ) こ れ を 逆 の 立 場 か ら 言 へ ば、 當 時 は、 な ほ 醤 勢 力 を 凌 駕 す る に 足 る 絶 封 の 思 想 家 が な か つ た と い ふ こ と に な る。 こ の 現 象 は、 佛 教 興 起 の 時 代 に お い て す ら 見 受 け ら れ る の で あ り、 ﹁ 比 丘 達 が 自 己 の 圭 張 を 通 さ う と し て 互 ひ に 異 論 を 唱 へ (5) て 鋭 く 樹 立 し た ﹂ 揚 面 も 見 ら れ た の で あ る。 次 に、 佛 教 以 前 の 宗 教 家 を 代 表 す る バ ラ モ ン に つ い て、 そ の 社 會 的 地 位 の 變 動 を 佛 教 聖 典 の 中 か ら 窺 つ て み よ う。 佛 教 聖 典 に 言 は れ て ゐ る バ ラ モ ン の 呼 稻 に つ い て は、 周 知 の 如 く、 の 所 謂 四 姓 の 一 階 級 と し て の 職 業 的 呼 稻 と、 臼 ﹁ 沙 門 ・ バ ラ モ ン ﹂ と か ﹁ 沙 門 ・ バ ラ モ ン の 中 に お い て ﹂ と い ふ 如 き、 経 典 の 慣 用 語 と し て 用 ひ ら れ る 二 つ の 揚 合 が あ る。 例 へ ば の ス ッ タ ニ パ ー タ ( sn. 464.) や ダ ム マ パ グ (Dhp. 423) の 中 で ﹁ 寂 静 の 牟 尼 ﹂ 或 ひ は ﹁ 諸 欲 を 漸 じ た 人 ﹂ を 眞 の バ ラ モ ン と 解 し た の や、 サ ガ ー タ バ ッ ガ (S.N. Vol. p. 47) で ア ル ハ ッ ト と 同 義 に 解 し た 一 面 と、 臼 職 業 的 な 社 會 的 地 位 に あ る バ ラ モ ン と い ふ 一 面 と で あ る。 そ の 中 で、 嘗 て ブ ラ ー フ マ ナ 時 代 に 樹 立 し た バ ラ モ ン の 社 會 的 地 位 が、 佛 教 興 起 時 代 に 急 速 に 九 九
-406-佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 背 景 ( 雲 井 ) 没 落 を 來 し た こ と が 傳 へ ら れ て ゐ る。 そ の よ き 例 は、 ス ッ タ ニ パ ー タ ( Sn. 284-315) の 中 で 古 へ の バ ラ モ ン と 今 の バ ラ モ ン を 封 照 的 に 把 へ て、 ﹁古 へ の バ ラ モ ン は 家 畜 や 黄 金 を 蓄 へ ず、 ヴ ェ ー グ の 聖 典 を 諦 し ﹂ ( 二 八 五 ) ﹁自 己 の 行 ひ を 正 し く 保 つ た ﹂ ( 二 九 八 ) が、 ﹁今 の バ ラ モ ン は 財 寳 に 執 著 し ﹂ ( 三 〇 〇。 三 〇 一 三 〇 六 ) ﹁ ヴ ェ ー ダ の 眞 言 を 無 覗 し ﹂ ( 三 〇 二 ) て ﹁ 行 儀 が 慶 れ た ﹂ ( 三 一 四 ) と い ふ 個 所 で あ る。 勿 論、 こ れ に は 佛 教 資 料 と い ふ 一 鷹 の 限 定 も ﹂考 慮 さ れ る が、 當 時 の バ ラ モ ン の 社 會 的 地 位 を 語 る に 十 分 で あ ら う。 こ の や う に、 バ ラ モ ン が 頽 慶 の 道 を 辿 つ た こ と に つ い て は、 中 部 経 典 ( M. N. 27. 112) の 中 に も 多 く 見 受 け ら れ る。 當 時、 バ ラ モ ン の 中 に は、 往 圭 に し て 互 萬 の 富 を 蓄 へ 歌 舞 ・ 演 劇 等 の 娯 樂 に 耽 溺 し、 或 ひ は 供 犠 ・ 占 衛 ・ 妖 術 等 に よ つ て 生 活 の 手 段 を 求 め た 者 も あ つ た。 か う し た バ ラ モ ン の 堕 落 頽 慶 と は 反 樹 に、 嘗 て バ ラ モ ン が 專 横 を 極 め た そ れ に も 等 し い 社 會 的 地 位 を 得 た の が 王 Rajan 族 で あ る。 ﹁ 國 王 が 人 聞 の 最 上 者 ﹂ ( Sn. 568) で あ る と い ふ こ の 時 代 の 表 現 は、 ブ ラ ー フ マ ナ に お い て バ ラ モ ン 階 級 に 與 へ ら れ た ( S a ta. III. 9.1.14) 呼 構 と パ ラ レ ル す る も の で あ ら う。 こ の 關 係 か ら、 國 王 ・ 大 臣 ・ 刹 帝 利 ・ バ ラ モ ン ・ 居 士 と い ふ や う な 社 會 制 度 の 一 端 が、 原 始 聖 典 の 中 に 傳 へ ら れ、 從 つ て、 國 王 が 主 権 と い ふ 地 位 に 醇 ひ し れ ﹁愛 欲 を 貧 つ た ﹂ (S. Z. Vol. I. p. 100; A.N. Vo l. 一 〇 〇 III. p. 365 etc.) こ と も 見 え る わ け で あ る。 蓋 し、 カ あ る 者 が 社 會 を 制 す る と い ふ 現 象 が、 社 會 の 上 暦 部 に お い て 行 は れ て ゐ た こ と は 事 實 で あ る。 と こ ろ で、 當 面 の バ ラ モ ン が 佛 教 に 樹 し て 如 何 様 な 態 度 を 示 し た か、 と い ふ 黙 に つ い て 關 読 し よ う。 こ の こ と は、 佛 陀 が、 當 時 の 風 潮 の 中 で そ の 弟 子 達 に 何 を 要 望 し た か、 と い ふ こ と と 相 互 的 な 關 係 を 竜 つ て く る。 そ れ は、 特 に、 バ ラ モ ン 思 想 と 封 照 的 に 佛 教 の 立 場 を 宣 揚 し よ う と し た 経 典 の 中 に、 多 く 見 受 け ら れ る も の で あ る。 先 づ、 バ ラ モ ン が 佛 教 の 立 場 を 非 難 す る 場 合 に、 経 典 形 式 に は 必 ず 凶 つ の 順 序 次 第 が 見 受 け ら れ る。 し か も、 そ の 非 難 の 鋒 先 が、 必 ず し も 佛 教 の 教 義 内 ト容 に は 鰯 れ な い で ﹁ 刹 帝 利 族 出 身 の 沙 門 ゴ ー タ マ の 教 へ ﹂ と い ふ 輩 純 な 動 機 に 向 け ら れ て ゐ た 黙 が 注 意 さ れ る。 そ こ に、 四 姓 を め ぐ る 葛 藤 が 意 外 に 強 か つ た こ と の 一 理 由 も 潜 在 す る と 思 は れ る。 例 へ ば、 ゴ ー タ マ 佛 陀 を 禿 頭 の 沙 門 mun-d a k a samana と 呼 び、 ﹁ 繹 迦 族 を 卑 し い 種 族 ﹂ と 見 て ゴ ー タ (6) マ こ そ わ れ わ れ に 教 へ を 乞 ふ べ き で あ る、 と 主 張 す る の が そ れ で あ る。 さ う し た 揚 合 に、 経 典 の 構 成 ・ 形 式 は、 最 初 ゴ ー タ マ を 畿 つ た バ ラ モ ン や、 又 ゴ ー タ マ に 近 づ か う と し た 同 門 の バ ラ モ ン を 誹 諺 し た バ ラ モ ン ま で も が、 最 後 に ゴ ー タ マ 佛 陀 に 露 依 し た と 結 ぶ の が 常 套 形 式 で あ る。 そ し て、 そ の 際 経 典 の 重 要 な 筋 書 き と し て ﹁ 四 姓 一 味 ﹂ と い ふ 佛 陀 の 立 揚 が 織
-407-り 込 ま れ て ゐ た。 と こ ろ で、 鼓 で 注 意 さ れ る 黙 は、 原 始 聖 典 に 見 受 け ら れ る 四 姓 の 配 列 順 序 で あ る。 今、 直 前 に 鯛 れ た や う な、 バ ラ モ ン が 繹 迦 族 を 卑 し い 種 族 で あ る と 輕 蔑 し て ゐ る 経 典 (D. N. 3) の 中 で、 ﹁ゴ ー タ マ よ、 刹 帝 利 ・ バ ラ モ ン ・ 吠 舎 ・ 首 陀 羅 と い ふ 四 姓 が あ る ﹂ と い ふ 如 く に、 刹 帝 利 と バ ラ モ ン の 順 位 が 轉 倒 し て ゐ る。 こ れ は、 漢 繹 ( 大 正 ・ 一 ・ 八 二 ・ 下 ) パ ー リ 共 通 で あ つ て、 原 始 佛 教 聖 典 の 随 所 に 見 受 け ら れ る も の で あ る。 若 み し、 バ ラ モ ン が、 自 つ か ら バ ラ モ ン 至 上 を 唱 へ て 刹 帝 利 出 身 の ゴ ー タ マ を 輕 蔑 す る と い ふ の で あ れ ば、 當 然、 從 前 通 り の 慣 例 に 蓮 つ て バ ラ モ ン ・ 刹 帝 利 と す べ き で あ ら う。 そ こ に、 経 典 が、 佛 教 資 料 で あ る と い ふ 一 面 の 限 定 を 許 し な が ら も、 バ ラ モ ン に 代 つ て、 刹 帝 利 族 の 社 會 的 地 位 の 向 上 を 裏 書 き し て ゐ る と 考 へ う る 理 由 が あ る。 刹 帝 利 の 進 出 は、 既 に 古 ウ パ ニ シ ャ ッ ド に お い て も 把 へ ら れ る と こ ろ で は あ る が、 佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 地 位 に つ い て 一 瞥 し よ う。 そ こ (S. N. Vol. I. p. 6) で は、 ﹁ 二 足 ( 人 間 ) の 中 で 刹 帝 利 が 勝 れ て ゐ る ﹂ と か、 ﹁ 氏 を 奪 ぶ 人 釜 の 中 で 刹 帝 利 が 最 勝 で あ る ﹂(id. p. 153) 等 の 資 料 か ら 窺 ひ う る で あ ら う。 し か も 過 去 に 誇 い て、 家 系 を 奪 ぶ こ と を 唯 一 至 上 の 建 前 と し た バ ラ モ ン と 同 様 に、 ﹁ 刹 帝 利 は 家 系 を 奪 ぶ ﹂ ( S. N. Vol. II. p. 284) と さ へ 傳 へ て ゐ る。 か う し た 原 始 聖 典 に 見 ら れ る 諸 資 料 は、 當 然、 そ こ に 資 料 佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 背 景 ( 雲 井 ) 論 的 な 意 味 と、 加 へ て 佛 教 側 に お い て も の さ れ た と い ふ 一 つ の 枠 を 設 定 せ ざ る を 得 な い。 け れ ど も、 佛 教 興 起 時 代 の 社 會 的 背 景 を 探 る 手 懸 り. が、 今 の 場 合、 佛 教 側 の 資 料 に 限 定 さ れ て ゐ る こ と も 考 慮 さ れ ね ば な ら な い。 が し か し、 原 始 佛 教 聖 典 は、 過 去 の 思 想 の 遺 産 を も 或 る 程 度 受 け つ い で ゐ た こ と は 否 め な い 事 實 で あ る。 梵 天 の 口 よ り 生 れ、 梵 天 の 相 績 者 で あ る と 自 負 し た 嘗 て の バ ラ モ ン の 慣 習 用 語 例 が、 ﹁ 世 奪 の 口 よ り 生 れ て 法 の 後 縫 者 で あ る ﹂ と 沙 門 を し て 語 ら し め て ゐ る
(D.N. Vol. III. p.84; Itv. pp. 101-2; M.N. Vol. I. p. 12; id.
Vol. II. p. 29) の も、 そ の 一 例 で あ る。 こ の 意 味 か ら し て も、 原 始 経 典 は、 バ ラ モ ン の 諸 思 想 と 樹 照 さ れ ね ば な ら な い 理 由 を 内 含 し て ゐ る と 言 つ て よ か ら う。 1 こ の 黙 に 關 し て は、 中 村 元 博 士 ﹁ イ ン ド の 古 代 社 會 ﹂ 参 照、 本 稿 も、 博 士 の 示 教 に 負 ふ 所 が 多 い。 中 野 義 照 博 士 ﹁ 古 佛 教 に 於 け る 國 家 観 ﹂ ( 大 谷 學 ・報 三 四 ・ 二 ) 2 中 村 元 博 士 ﹁ 佛 教 興 起 の 社 會 的 基 盤 ﹂ ( 心 ・ 八 ・ 一 一 ) 3 D. N. V o l. I. p p. 5-6, 64-6 5; cf. M. N. V o l. I. p. 180. 4 D. N. Vol. p. 135. 5 M. N. V o l. I. p p. 321-2; Vo l. III. pp. 1 52-3. 6 D. N. V o l. I, p p. 90-92.
(附記) この問題に關してはR. Fick, The Sociak Organizatoon
in North-East India in Budaha's Time. Eng.
t r. Cal u t ta 1920; T. W. R h y
s Davids, Buddhist India.
1903.
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