日本企業のM&Aと株主価値
著者 浅田 克己
URL http://hdl.handle.net/10236/00029868
論 文 内 容 の 要 旨
1.本論文のテーマと問題意識
本論文「日本企業の M&A と株主価値」は、近年の日本における企業の合併・買収(以下「M&A」)を 分析対象とし、株主価値創造の有無とその源泉について探求している。
M&A は、買手企業にとって経営戦略上重要な投資であり、企業価値の向上を通じ株主価値を創造するも のでなければならない。本論文では、M&A が株主価値を創造したか否かを計測するためのデータとして、
主に株価を用いて分析を行っている。株価は、企業のファンダメンタルズを反映する情報であるだけでなく、
イベントスタディなどによって M&A のような固有情報を市場共通の情報から分離させて計測・分析でき る情報と位置づけられる。多くの先行研究においても、M&A の経済効果は、伝統的に買手企業とターゲッ ト企業の株主価値への影響、すなわち株価効果に基づいて分析されている。
ところで、日本で M&A が活発になったといえるのは1990年代後半からである。そのため、日本におけ る実証研究の蓄積は米国等と比べて不十分なものとなっている。また、近年の M&A によって創造された 価値を測定すると、トータルとして株主に利益をもたらしたケースはそれほど多くない。従って、株主価値 を創造していない M&A が一定程度存在することは、M&A の株主価値の源泉を探究する動機を与えるもの といえる。
本論文では、上記の問題意識の下で、主に日本の2008年から2016年までの上場企業同士の M&A データ に基づいて発表前後の短期株価効果を計測し、株主価値創造の有無とその源泉を探究することを試みている。
なお、主要な分析内容は、M&A の取引形態の違いがもたらす株価効果の検証、効率的経営の買手企業によ る非効率的経営のターゲット企業買収を通じた経営改善効果仮説の検証、M&A の動機と株主価値創造効果 の関係性を通じたシナジー効果とエージェンシー・コストの検証、である。
2.本論文の構成と内容
本論文は、以下の通り終章を含め全7章で構成されている。
第1章 先行研究 第2章 分析の枠組み 第3章 取引形態別分析
第4章 株式公開買付(TOB)の株価効果分析
氏 名
学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目
論 文 審 査 委 員 (主査)
(副査)
浅 田 克 己
日本企業のM&Aと株主価値 博 士(商学)
甲商第34号(文部科学省への報告番号甲第738号)
学位規則第4条第1項該当 2021年2月9日
岡 村 秀 夫 寺 地 孝 之
教 授 教 授
地 道 正 行
教 授
第5章 経営改善の株価効果 第6章 M&A の動機と株価効果 終章 結びと今後の課題
第1章「先行研究」では、先行研究のサーベイをふまえた分析・検討を行っている。具体的には、米国 における M&A に関する既存の実証研究の結果を整理すると共に、戦後日本の M&A の発展経路を概観し、
日本における実証分析の結果を整理・検討している。次に、先行研究、特に井上・加藤[2006]を参考にし て、株価効果に影響を及ぼす主な要因を整理・検討し、株価効果の計測および統計的検定の方法を述べ、イ ベントウィンドウ直前における両者の時価総額での加重平均 CAR(累積超過収益率)を推計する方法を整理・
検討している。その上で、北越製紙と紀州製紙の M&A 事例を用いた CAR の計測を試みている。
第2章「分析の枠組み」では、変数等を定義した上で、実証分析を行う上でのデータの説明、ならびにサ ンプルの特徴を整理している。なお、M&A データの収集は、レコフデータ社の M&A 専門誌『MARR (マー ル)』から行っている。サンプル総数は214件である。イベントウィンドウについては、M&A 発表日前後の 3取引日に設定し、個別取引ごとに CAR を計測している。なお、サンプル全体の CAR の集計結果は、平 均値で見ると、買手企業0.22パーセント、ターゲット企業16.50パーセント、両者加重平均1.22パーセントで あり、いずれも統計的に有意である。買収プレミアムについては、先行研究で一般的な当事者企業の発表前 25日平均株価を用いて計測したところ、サンプルの平均値は25.70パーセントとなった。なお、買収プレミ アムを計測できた本論文の分析上コアとなるサンプル数は177件である。その上で、買収プレミアムの大きさ、
取引形態(TOB、合併など)、資本関係(非グループ・グループ内など)、救済型・非救済型という分類で サンプルを整理している。
第3章以降では、第1章、第2章をふまえ、実証分析を行っている。
第3章「取引形態別分析」では、買収対価の支払い方法の違いが株価効果に及ぼす影響を明らかにするた めに、買収の対価が現金(現金対価)の場合と、自社株式(株式対価)の場合に分け、CAR を計測している。
なお、現金対価が株式公開買付(TOB)、株式対価が合併と株式交換である。主な分析結果は次の通りであ る。(ⅰ)買手企業の CAR は、現金対価買収の場合の方が、株式対価買収の場合より大きくなる。この結 果は、米国の先行研究と整合的となっている。(ⅱ)TOB 取引のプレミアム価格グループ(プレミアム5% 超)
および市場価格グル―プ(プレミアム-5% から + 5%)では、シナジー効果が発生している。(ⅲ)TOB 取引のプレミアム価格グループでは、買収プレミアムを介して買手企業からターゲット企業株主への富の移 転が見られる。
第4章「株式公開買付(TOB)の株価効果分析」では、第3章で明らかになった TOB の買収プレミアム が高い場合に CAR が大きくなるという結果をふまえ、TOB 取引に焦点を当て、その原因を分析している。
主な分析結果は次の通りである。(ⅰ)持株比率の増加分は、非グループ階層(持株比率15% 未満)がグルー プ内階層(持株比率15% 以上)より大きい。この違いから、非グループ階層は、ターゲット企業の完全子 会社化を視野に迅速に業界再編成を進める傾向にあることが示唆される。他方、グループ内階層は、子会社 の独立性を維持しながら、グループ組織再編成を徐々に進める傾向があると考えられる。(ⅱ)両者加重平 均 CAR を被説明変数とした回帰分析の結果から、非グループ階層では、持株比率の増加分および買収プレ ミアムが有意にプラスの影響を持つことが明らかになった。非グループ階層とグループ内階層に共通するプ ラスの株価効果要因は、ターゲット企業に対する買手企業の相対的規模であった。また、ターゲット企業の
規模が大きいほどシナジー効果にプラスの影響を及ぼすことが示された。
第5章「経営改善の株価効果」では、経営状態の良い買手企業が、経営状態の悪いターゲット企業を買収 するとき、株価効果が高くなるという経営改善効果を検証している。
主な分析結果は次の通りである。(ⅰ)買い手・売り手それぞれについて高効率・低効率に分類した4通り の組み合わせについて CAR を集計した結果、CAR の平均値については、高効率買手企業と低効率ターゲッ ト企業の組み合わせが最も高く、高効率買手企業と高効率ターゲット企業の組み合わせが最も低いことが明 らかになった。なお、2つのサブ・サンプル間の CAR 平均値の差の検定結果は統計的に有意である。この CAR の集計結果から、買手企業が高効率企業である場合に限り、経営改善効果仮説が支持される。これらは、
先行研究の結果とも整合的である。(ⅱ)高効率買手企業に関して、高効率ターゲット企業、低効率ターゲッ ト企業、高効率・低効率ターゲット企業一括という3つのサブ・サンプルを用いた回帰分析の結果、いずれ のサブ・サンプルにも共通して、買手企業と比較したターゲット企業の相対的規模が大きいほど株価効果に 有意にプラスの影響を及ぼすことが示された。また、異業種間の M&A が株価効果を高めることも明らか になった。なお、高効率買手企業と高効率ターゲット企業の組み合わせにおいて、M&A 前の買手企業の売 上高成長率が高い場合、シナジー効果の実現が容易ではないことも示された。
第6章「M&A の動機と株価効果」では、日本の上場企業同士の M&A が、シナジー創出型かエージェン シー・コスト発生型かを検証し、さらに M&A の付加価値の源泉を明らかにすることを試みている。主な分 析結果は次の通りである。(ⅰ)総利益(株式時価総額で計測した両社株主の冨の変化分)が正のサンプルは、
主としてシナジー獲得を動機とするシナジー創出型 M&A である。なお、このタイプの M&A がサンプル 全体の54パーセントを占めている。(ⅱ)総利益が負のサンプルは、主としてエージェンシー・コスト発生 型 M&A であり、買手企業の株主価値を毀損するものとみなされる。(ⅲ)CAR を被説明変数とした回帰分 析の結果から、相対的規模が、買手企業 CAR と両者加重平均 CAR の両方に有意な影響を及ぼす要因であ ることが明らかになった。買手企業の規模を所与とすると、シナジー仮説型モデルでは、ターゲット企業の 規模が大きいことが価値の源泉であることが示された。エージェンシー仮説型モデルでは、ターゲット企業 の規模が小さいほど、買収コストの低下を通じ価値向上に寄与することが示唆された。(ⅳ)また、多くの 先行研究と異なり、異業種間 M&A がシナジー効果をもたらす可能性が示された。
終章では、本論文のテーマと問題意識の整理、各章の概要、残された課題が述べられている。
論 文 審 査 結 果 の 要 旨
1.本論文の意義・貢献及び残された課題
本論文はファイナンス論の分野において実証研究の蓄積が望まれている日本の M&A を取り上げている 点にまず大きな意義がある。M&A の発展経路は米国と日本で異なり、M&A に関する研究蓄積も米国にお いては豊富である。米国では、1960年代から会社支配権市場(Market for Corporate Control)と呼ばれる M&A 市場が形成され、複数の経営者チームが一つのターゲット企業の経営支配権の獲得をめぐって競合す る市場という性格を持っていた。しかし、戦後の日本では、企業の内部成長志向やメインバンクの存在など、
産業再編、組織再編の方法として M&A に代替するメカニズムが存在したため、1990年代末近くまで国内 企業間の M&A の発生は少なかった。近年、日本においても M&A が活発に行われるようになり、実証研 究を可能とするだけサンプルがようやく整いつつあるなか、本論文は先駆けの一つと位置づけられる実証研 究といえる。
第二の意義として、日本の M&A の株価効果の計測に留まらず、株主視点で創造された価値の大きさを 計測している点が挙げられる。その上で、株価効果をもたらす要因を探求していることは大きな貢献である と考えられる。十分な経済効果を生まない M&A も散見される中、現金対価と株式対価といった取引形態、
経営改善効果や経営効率改善の余地、ならびにシナジー発生型かエージェンシー・コスト発生型かという M&A の動機をふまえた類型別、といった様々な視点からの実証分析を行っている。それらの結果から、株 価効果の主な決定要因が、ターゲット企業と買手企業の相対的規模、買収プレミアムの大きさ、同業種間か 異業種間かといった事業関連性であることを明らかにしている。加えて、分析の枠組みを発展させ、M&A 以前の資本関係(ターゲット企業の持株比率)の違いや、ターゲット企業の経営状態の優劣も株価効果に影 響を及ぼし得るというエビデンスも示している。以上のような実証結果は、学術面の貢献にとどまらず、実 務面への示唆にも富むものである。
しかしながら、本論文においては、分析対象・目的の絞り込みやデータの追加的収集が必要と見受けられ る点もあった。例えば、第5章における業種コードによる事業関連性の判定については、最新の研究の一部 において慎重な見方が提示されていることに留意が望まれる。第6章では、シナジー仮説およびエージェン シー仮説を株主リターンの組み合わせから仮説を設定し、CAR を被説明変数とする回帰分析を行い、相対 的規模や事業関連性が CAR の決定要因であることを明らかにしている。これらの分析に加えて、規模の経 済性や事業関連性それ自体を被説明変数に用いた分析を行い、M&A 戦略上において選好・選択される理由 や動機を実証的に示すことも興味深いと考えられる。今後このような追加的な分析に必要なデータを開拓・
収集し独自のデータベースを構築することが望まれる。
2.審査委員会の結論
近年の日本における M&A を研究対象とし、株主価値創造の有無とその源泉について、取引形態の違い、
経営改善効果の程度、M&A の動機という視点から詳細な実証分析を通じて解明した本論文は、博士後期課 程における研究成果として十分な水準に達しており、今後の研究の発展が大いに期待されるものである。
審査委員会は、論文審査及び口頭試問の結果をふまえ、本論文は博士学位申請論文として高く評価できる ものであり、本論文提出者が博士(商学)の学位を受けるに値するものと判断する。