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研究ノート アダム・スミスの正義論と社会的富裕 ――価格論を中心として――

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研究ノート アダム・スミスの正義論と社会的富裕

――価格論を中心として――

著者 舛谷 謙二

雑誌名 経済研究年誌

号 7

ページ 126‑142

発行年 1983‑11‑21

URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024496/

(2)

研究ノート

アダ゙ム・ス ミ スの

正義論と社会的富裕

−価格論を中心として−

舛 谷 謙

一亘

I. はじめIこ n. スミスの正義論

1. 同感の原理と一般原則 2. 「正義の徳」と「正義の法」

Ⅱ1. スミスの価格識と社会的富裕 l. 自然価格と市場価格

2. 社会的窩裕と自然的自由の体系 1V. むすび

I. はじめに

アダム・スミス (AdamSmith, 1723‑90)は『道徳情操論』において,

「われわれが人間社会をある種の抽象的な, 哲学的観点から考察する場合 には, それはあたかも規則正しい, 調和のとれた運動が無数の快い結果

(agreeableeffects)を産み出すところの一種の広大無辺の機械のように見え

るものである')」と述べ,人間社会についての自らの観点を示唆している。

われわれは, この引用からスミスの思想について以下の2点を指摘しう るように思われる。第1に, スミスは人間社会醤機械との類比において捉

1) D.D.Raphael&A.L Macfie(eds.),'TheTheoryofMoralSentiments' Oxford, 1976,p.316.米林富男訳「道徳情操論」,未来社, 1969年, 662ペー ジ。本稿では以下,TMS, p.316.邦訳662ページのように略記する。

−126−

(3)

アダム・スミスの正装諭と社会的富裕 2

えていること,第2に,人間社会の運動が「快い結果」筵生ずるものとさ れていることである。

第1の点について言えば, ピッターマン (H.J. Bittermann)の指摘す るように2), それはスミスの方法カヨニュートン (SirlsacNewton, 1643‑

1727)の影響下にあって, 自然科学における方法の道徳哲学(mralphilo‑

sophy)への適用であったとする視点から説明されうるように思われる。

すなわちスミスは, 「先づ初め{こ, 第一義的な原理, あるいは立証された 原理をいくつか定め, そこからそれぞれの現象を説明して, それらの現象 巻すべての同一の鎖で結びつける」 「ニュートン的方法」 (Newtonian method)は, 「疑いもなく,最も哲学的な方法であって,道徳あるいは自 然科学等々のあらゆる学問に用いても」, それが「創意に富」んでいるが ゆえに「より魅力がある」と述べ3), ニュートンにより示唆された方法を 重視する立場から社会の結合原理および社会富裕化の原理を究明しようと 努めたのであって4), その場合, スミスにあって社会現象は,経験と観察 によって認識されるべき対象であったように思われる。

スミスが人間社会を機械との類比で捉えたことは前述のとおりである が,機械はその目的老達成するための各部分から構成されていることから すれば, このことは人間社会に即して言えば,個々の動機に基づく諸個人

2) H、J.Bittcrmann, :。AdamSmith'sEmpiricismandtheLawofNature'', ThEJ"ffzizJqfPp"""JE"fzD"zy'Vol. 48,No. 4,P. 506.な端, ピッ

ターマソの論点の検討については, 拙稿「アダム・スミスの経験主装と自然法

‑H.J. ピッターマソの所鋭を中心として−」, 「経済研究年誌」第6号, 1982 年を参照されたい。

3) J.C.Bryce(ed.),'LecturesonRhetoriCandBenesLettres',Oxford 1983, Pp. 14$146.宇山亮訳「アダム・スミス惨辞学・文学講義」,未来社, 1972 年, 286ページ。

4) 自然哲学と道徳哲学の方法的関連についてのスミスの見解が如何なるものであ ったかについて,相異なる解釈が併存しているように思われる。キャンペルは,

スミスが「自然科学と社会科学の間に論理的二分法(10gicaldichotomy)が存 在すると考えたた如何なる証拠もない」 として方法論の共通性に注目するのに 対して, リソドグレソは, スミスが「自然哲学と道徳哲学の研究方法の間に根 本的な区別を股けていた」 と見る。T.D.Campbell, @AdamSmith'sScience ofMorals',GeorgeAllen&Unwin,1971,p、63.J.Lindgren」 ,TheSoCial PhilDsDphyofAdamSmith',NijhDff, 1973, p. 3.

(4)

アダム・スミスの正装輪と社会的富裕

3

の活動が自らは意図せざる「快い」結果達産み出すことを意味する。 スミ スは目的因(fnalcause) と作用因(emcientcause) との明別の必要性を 強調した上で,社会の目的に対する手段の正確な調整を認識したのであっ て5), このスミスの思想は「見えざる手」 (invisiblehand)の論理として現 われている。

スミスによれば,道徳哲学は日常生活における経験と観察とから把握さ

れるものである6)。 このことは, 「同感」 (sympathy)概念を提示した彼の

道徳論においてのみ葱らず,欲得ずくの交換の世界として把握される利己 心の作用する経済社会においても同一であるように思われる。

以上のような意味から,本稿は同感理論によって基礎づけられる正蕊の 概念と, その基盤の上に成立する社会的富裕とを価格論の観点からスミス に即して考察する。

その順序として, 1Iでは, 社会の結合原理としての同感理論によって 基礎づけられるスミスの正義論を検討し, 次いで111では,社会的富裕の 条件を自然価格と市場価格の関連において考察する。

5) この点に関して, スミスは次のように述べている。 「宇宙のあらゆる方面におい て,われわれば手段が, その手段によって産み、出そうと目輪まれている目的に ぴったり合致するようにきわめて箭巧に仕組まれていることに気づいている。

. ・ ・・しかしながら,…・われわれはなおそれらの対象物のそれぞれの運動や組 繊における作用原因と目的原因とを区別している」 (TMS, p.87.邦駅205ペー ジ)。

6) スミスは次のようIこ述べている。 「日常の生活の格率は, もろもろの自然現銀を 配列したり繋ぎ合わせたりしようと企てたのと同じやり方で, ある方法的な順 序に従って配列され,わずかな数の共通原理によって結び合わされたのである。

このような結合原理蓮探究し説明しようとする学問が, まさに道徳哲学と称さ れるにふさわしいものなのである」。R.H, Campbel]」A、S・ Skimler&W B・

Todd (eds.), 'AnlnquhyintOtheNatureandCauSeS of theWealth ofNations',Oxford, 1976, p, 766.大河内一男監訳「国富鵠」,中央公識社,

1976年,第Ⅲ巻, 126ページ。本稿では以下,WN, p.766.邦訳Ⅱ, 126ペー ジのように略配する。

‑128‑

(5)

アダム・スミスの正義論と社会的窩裕 4

I1. スミスの正装論

1. 同盛の原理と一般原則

スミスにおける道徳論の出発点は,人間が他者の幸・不幸あるいは歓 喜・悲哀に直面する場合の「同感」であった。すなわち, 「想像のはたら

きによって, われわれは自分自身巻他人の立場に置き換え, . ・ ・ ・その人間 の感じた感覚と全く異っているとも思えないある種の感覚をすら感ずる7)」

ように働く, 「同感」という想像上の立場の転換に基づく本源的情操が出 発点をなしている。 この意味において, 同感は人間本性にとって共通の原 理をなすものと言いうる。

上述のような同感の概念は, 個別的感情老もつ当事者に対して特定の利 害関心をもたない, いわゆる「公平な観察者」 (impartialspectator)の概 念と結合することによって, その主観的性格を脱却して客観的性格をもつ に至る。す鞍わらスミスは,個々の具体的感情が公平な観察者によって同 感されることにおいて,社会的fこ是認しうる客観的な道徳法則を導出しよ

うとするのである8)。

このようにスミスは行為の判断基準として公平な観察者による判断鞍導 入するのであるが,人間がその強力な利己心のゆえに公平な判断を下しえ 趣い「自己欺嚥」 (self‑deceit)に陥る場合を考慮して, 行為の現実的蕊準 として「一般原則」 (generalrules)を提示する。スミスは次のように述べ

ている。

自然はわれわれを見捨てて完全に利己心の欺賎の虜とはしておか唾か つた。われわれは絶えず他人老観察しているうちに, われわれはいか なることがこれをなすのに妥当であり,道徳的に適正であるか, . . , .

TMS, p.9.邦択42ページ。

この点に関して, スミスは次のように述べる。 「ある噸柄の主たる当事者の瞭本 的憎感が見物人(spectator)の同情的渭緒(sympatheticemotion) と完全に一 致する場合, それらの原本的構感はこの見物人にとって必然的に正当であり,

適正であり,それらの慨感の起った動機に適合しているものと考えられる」

(TMS, p.16.邦訳57ページ)。

7)

8)

(6)

アダム・スミスの正装輪と社会的富裕

5

知らず知らずのうちに自らある種の一般原則淫作り上げるように葱る ものである9)。

このように一般原則は,絶えず他人を観察することによって経験的に個人 の内面に形成されるものと見慰されているのである。

ところで, スミスは, 同感によって基礎づけられる一般原則の中での亜 要な徳性として,慎慮(prudence),仁恵(benefcience)ならびに正蕊

(justice)を挙げている10)。

これらの徳性のうち慎慮は, 「個人の健康・財産・身分ないし名声に対 する配慮, すなわち現世におけるその人の安楽と幸福と醤主として規定す る諸事実に対する配慮'')」 という,極めて現実的葱徳性である'2)。一方,

仁恵域「神にあってはおそらく唯一の行動原理であるかもしれ葱い。 . , . , しかしながら・ ・ ・ ・人間のよう唾いかにも不完全な被造物は, 多くの他の動 機にもとづいて行動しなければならぬ場合が非常に多い'3)」のであって,

それが欠如しているとしても社会の解体醤招くことはないときれる。他 方,正義についてスミスは, 「社会は正義の法則が辛抱強く守られなけれ ば存立するわけにはゆかない'4)」として,社会存立の基礎と見なしている。

前述のように, スミスにあって「正義の徳」は同感によって基礎づけら れるものであった。すなわち,観察者は想像上の立場の転換を図ることに

TMS, p.159.邦訳344ページ。

TMSp.262.邦訳551ページ。

TMS> p、213.邦駅454ページ。

大河内一男氏は, 「スミスに於いては利己的本能に基づくく慎璽の徳>が股も根 源的なものであって,….<正義の徳>は, このく慎砿の徳>詮裏付ける消樋 的な条件であ」ると述べておられる。大河内一男「スミスとリスト」,大河内一 男著作集第3巻,青林謡院新社, 1969年, 86ページ。これに対し田中正司氏は,

「スミスが侠慮の癖こついて本格的に正面から蓋及したのは, 「国富識」の出版 より十数年後に改訂・増補された〔「道徳情操鵠」〕6版の第6部第1網において であ」 ることから, 「慎慮の問題が初版の中心主題をなすものではなく」, その 中心主題は「正装の感情論的基礎付けにあった」 とする見解を提示しておられ る。田中正司「アダム・スミスの正装強」, 「横浜市立大学強躍」第26巻,社会 科学系列,第1.2合併号, 1974年, 4ページ, 11ページ。

TMS, p.305.邦訳636ページ。

TMS, p、87.邦訳206ページ。

9)

10) 11) 12)

13)

14)

−130−

(7)

アダム・スミスの正義誌と社会的富裕 6

よって当事者の感情に移入しようと努め, また当事者も観察者がついてゆ ける程度まで自らの情念老抑制することによって, 両者の感摺の一致老も たらす努力がなされることを基礎とするものといえる。正義という徳に則 して言えば, それは,権利を侵害された被害者の憤慨(resentment)を出 発点とし, それによって生ずる被害者の復鯉の感情が観察者によって是認

されることのうちに成立するのである'5)。

このようにして成立する「正義の徳」の内容について, スミスはどのよ うに述べているのであろうか。 これに関してスミスは必ずしも明確な規定 老与えてはいないが, 『道徳情操論』に見い出されるのは, フェア.プレー (fairplay)ということである。すなわちフェア.プレーとは,競争におい て誰か軽押しのけるか投げ倒したりしないことであり'6),同時に, 「隣人 に対し何らかの積極的な危害老加えるとと藩慎み, あるいはその隣人の身 体に関して, あるいはその財産に関して, あるいはその名声に関して,直 接かれに侵害老加え葱い'7)」ことなのである。スミスによれば, このよう なフェア・プレーを内容とする「正義の徳」が遵守される限りにおいて,

個人は「富,名誉ならびに高い地位軽目指して行なわれる競争において,

かれは自分のすべての競争相手軽追い抜くために出来るだけ一生懸命に走 り, あらゆる神経, あらゆる筋肉漣緊張させる'8)」ことが可能と鞍ろので ある。

2. 「正義の徳」と「正蕊の法」

D・ スチュワーIによれば, ズミスは道徳哲学第3部において, 同第2 部で展開した「倫理学のうちでも,正義に関係する, そして厳密で正確葱

15) キャソペルは, 被害者の憤慨とそれに対する公平な観察者の是認との関係のう ちにスミスの正義論の意譲を認めて,次のように述べている。 「スミス正装蹄の 統一主題は,全ての法を社会における憤慨の種々の原因まで還元し,公平な観 察者Iこよって感得せられる修正された形態に請けるこの憤慨との関連によって,

これらの法を説明する賦魏である」Campbell, 。p.cit., p.191.

16) TMSp.83.邦訳199ページ。

17) TMS, p.269.邦訳568ページ。

18) TMS, p.83.邦訳199ページ。

(8)

アダム・スミスの正装鏡と社会的富裕

7

諸規則としうるという理由から,十分で詳細な説明詮可能にする部門j老 取り扱っている'9)。す葱わち,前節に述べたように, スミスは『道徳情操 論』の基本概念である同感から導出される一般原則の主要な徳目として慎 噸,仁恵及び正義を論じたが,道徳哲学第3部では特に正義を取り出し,そ れ避「鑑密で正確な諸規則」 (precbeandaccuraterules)として論じている のである。このように,道徳哲学第2部と第3部は,それぞれ,正義の「徳」

と正義の「法」が対象となっているのである。 もしそうだとすれば,正義 に関する「徳」と「法」は, スミスにおいてどのような関係にあるのであ ろうか。

「正義の徳」と「正義の法」の関係については従来さまざま葱議論がな されてきたが, その一例は次のようなものである。すなわち, 「正義の法」

は「正義の徳がその主観的性格を脱却して自己を普遍妥当の形式に客観化 したもの20)」であり, また, それは「道徳の一般規律の一種21)」であり,

同時に, その内容は, 「スミスが『講義』に於て …明示したもの22)」と する見方である。換言すれば, 同感の原理から導出される「正義の徳」

は,各個人による相対的なものであるがゆえに, それが各個人に内面化さ れた一般原則によって客観化されて,初めて「正義の法」となり, 『グラ スゴウ講義』はその「正穀の法」の内容を明示しているとする見方であ る。 この見方からすれば, 「正装の法」は「正義の徳」の前提となってい る同感から直接的に導出されうる。

以上のような見方とは異なり, 「正義の法」そのものは同感概念から直 接には導出しえないとする解釈が田中正司氏によって葱されている23)。わ れわれは, このような田中氏の論点を見てゆこうと思う。

DugaldStewart, ''AccountoftheLifeandWritingsofAdamSmith, L.L.D. '",mW.P.D・Wightman,J.C.Bryce&I.S.Rcss(edS.1,'ESsays onPhilosophicalSubjects',Oxford,1980,pp.27475.

白杉庄一郎「アダム・スミスに於ける正義の観念」, 「騒済麓躍」第51巻第5号,

1940年, 221ページ。

大道安次郎「スミス経済学の系辮」,実業之日本社, 1947年, 117ページ。

大道,前掲密, 117ページ。

本節の記述については, 田中氏の煎掲鵠文腱多くを負うている。

19)

20)

21)

22)

23)

−132−

(9)

アダム・スミスの正蕊論と社会的富裕 8

田中氏によれば, 「正義の法そのもの老同感概念から導ぴこうとするこ の考え方は,原理的に難点老もつ24)」のである。例えば,楠利の侵害が不 正義と見なされる場合, | 権利の侵害が不正義として観察者の非難の対象 となるのは, それらの権利が何らかの権源に基くく権利>としてあらかじ め認められているからであり, 観察者の同感=是認がそれらの椎利として の成立の条件を葱すものではない25)」のである。以上の田中氏の論旨は,

①正義と同感は同時に存在する,②正義の内容は同感に基づか葱い, とい うことである。すなわち, 「正義の法」は「正義の徳」から直接には導出 されえ葱いのである。それでは, との両者はどのように関係づけられるの であろうか。

田中氏によれば, 『道徳情操論』と『グラスゴウ講義』は問題意識にお いて連続性筵もつが, その主題ぞ異にしている26)。すなわち, スミスが

『道徳情操論』で述べようとした主題は「正義その他の基礎となる感情の 探求を通して,正義老感情論的に基礎付ける点27)」にあり,一方, 『グラ スゴウ講義』の主題は, 『道徳情操論』が「前提していた正謡の法そのも ののそれ自体としての考察28)」であったのである。

スミスにおいて「正義の徳」は,前節で述べたように, フェア・プレー の原則達遵守する態度であった。 「正義の法」はこのフェア・プレーの個 別的内容ないし実体葱いし規範と考えれば, 「正義の法」と「正義の徳」

は, それぞれ, 「遵守されるべき内容, 実体ないし規範」と, それを「遵 守する態度jと見なされうる。 フェア・プレーを遵守する態度である「正 義の徳」が社会秩序密維持する土台あるいは大黒柱であることは前述のと おりであるが,遵守されるべき内容,実体ないし規範としての「正義の 法」は, どのように考えればよいのであろうか。

前掲輪文, 38ページ。

前掲輪文, 38ページ。

前掲論文, 40ページ。

前掲論文, 38ページ。

前掲鵠文j 40ページ。

24) 田中,

25) 田中,

26) 田中 27) 田中,

28) 田中,

−133−

(10)

アダム・スミスの正装輪と社会的富裕

9

スミスが『道徳情操論』第6版序文で, 「法律ならびに統治の一般原理 に関する説明を与えるばかりでぱく, それらの原理が社会におけるそれぞ れの時代ならびに時期において蒙ったそれぞれの変革に対しても説明老払 う努力」が『国富論』において部分的に達成されたものと認めている事実 からすれば29), スミスにあって「正義の法」は各時代によって異なる内容 をもつと考えられているのであって, それは道徳論とは別個に展開される べき性質のものと見なされていたのである )。

以上われわれは, スミスの正議論の内容を概観してきた。彼の思想の基 本的特徴として次の点は重要であるように思われる。

①スミスにおいて社会の結合原理とされる同感の原理は, その理論的 出発点として個人のもつ個別的感情の観察から導出されており, との 意味において, 同感によって基礎づけられる「正義の徳」はそれ自体 当為性巻もつものではないこと。

②「正義の法jの内容は各社会,各時代によって異なるものであって,

その部分的叙述の存在が『国富論』に相当するときれていること。

このよう葱スミスの道徳論についての基本的特徴をふまえて, 次章で は, 『国宮論』に示されている社会富裕化の原理について,価格論考取り 上げてスミスに則して検肘すること醤試みる。

TMS, p.3.邦訳37‑38ページ。

スミスが死の直前まで,法と統治の理論の完成を期していた事実は, 「道穏情操 論」第6版(1790)序文及びロシュフーコー (R"hefoumuld)侯爵への宙簡 (1785年11月1日付)から明らかである。 スミスは,当時彼がとりかかってい た2つの著作について, ロシュフーコーへ次のように密き送っている。 「一方 ば,文学・哲学・詩・雄弁などさまざまな分野すべての哲学的歴史であり,他 方は,法満よび統治の, 一種の理輪と歴史であり主す。 .…両者とも費料ば大 部分収集ず融でありますし, 両者とも部分的にば,かなりな程度に整理力:つい ております」。E.C.Mossner&I.S・Ross (eds.), .TheCorrespondenceof AdamSmith',Oxford,pp@ 286‑87.

29)

30)

−134−

(11)

アダム・スミスの正装強と社会的宙裕 10

111. スミスの価格論と社会的富裕

1. 自然価格と市場価格

スミスは『国語論』第1篇第7章冒頭において自然価格(naturalprice)

を次のように定義している。

およそ一つの社会,一つの地域には,労働と資本の異なる用途ごと に,賃金ならびに利潤についての通常率または平均率(ordmaryor averagerate) というものがある。 . ・ ・ ・との率は,一つにはその社会の 一般的事情によって, すなわちその貧富によって, その進歩,停滞ま たは衰退の状態によって, また一つには労働と資本の各用途の特定の 性質によって, おのずと規制されているのである。 . .ある商品の価 格が, それを産出し調整し市場に運ぶのに用いられた土地の地代,労 働の賃銀, 資本の利潤漣, それらの自然率にしたがって支払うのにち ょうど過不足のない場合には, その商品は, 自然価格ともいうべき価 格で売られているのである31)。

また,同章において次のように述べている。

自然価格というのは, いわば中心価格(centralprice)であって, そ こに向けてすべての商品の価格がたえずひきつけられるもの葱のであ る82)。

以上のようなスミスの叙述から, われわれは自然価格の特徴老次のように 指摘しうる。

c c

第1に, 自然価格は各社会状態に応じて成立する賃金,利潤及び地代の 平均率によって算定される生産費として見なしうることである。スミスは 社会状態を進歩,停滞及び衰退しつつある各地域を取り上げて,各生産要 素に対する平均報酬率を検肘している )。この恵味からわれわれは,前述

31) 32)

33)

WN, p.72.邦訳1, 94ページ。

WN, p.75.邦訳L99ページ。

例えば,賃金率について,北アメリカ, シナ及び束インドの例を引いて,社会 状態に応じてその平均率が異なることを示している。WN, pp.86‑91.邦訳L

118‑124ページ。

(12)

アダム・スミスの正義識と社会的富裕 11

のようなスミスの道徳論における方法, すなわち個別的事例から出発し経 験に基づいて理論化をおこなう方法が,価格論においても採用されている

ものと言いうる。

第2に, 自然価格は,需要・供給の原理によって決定される現実の短期 的市場価格が究極的に収敏すべき中心価格ときれる点である。いわば 自 然価格は市場価格を引きつける重心と見なされるのであって, シュンペー ター(J.A・ Schumpeten1883‑1950)が指摘するように84),均衡理論の端 緒老示唆するものであったように思われる。スミスにあって,均衡理論的 市場認識は,市場毎機械の類比として捉えることの帰結であったように思

われる35)。

それではスミスは, この自然価格の上下醤変動する市場価格(market price)について, どのよう葱説明を与えているのであろうか。

市場価格とは, スミスによれば,現実に市場において成立する価格のこ とであって,市場に供給される商品数量と, その商品の自然価格を支払う 意思のある人びとの需要,すなわち「有効需要36)j (eHectualdemand)に よって決定されるものである87)。

34) シュンペーターは次のように述べている。 「アダム・スミスが作りだした経済理 論のなかの全く股上の部分たる第7章の断片的な均衡理論は, 事実, セー(J.

B.Say)ならびに彼の著作を通じてワルラスヘの方向を指している」。J、A,

Schumpeter, :HistcryofEconomicAnalysis',Oxford,1954,pl89. 畑精一訳「経済分析の躍史」1,岩波害店, 1955年, 394ページ。

35) この点に関して,辻村江太郎氏は次のように指摘しておられる。 「スミスのく競 争市場>は私的利益追求のエネルギーを公的福祉に役立たせる自動変換装瞳で あるという意味で, 同時期に所も同じグラスゴー大学で発明された, ジェーム ス・ワットのスチーム・エンジンに酷似している」。辻村江太郎「スミスのく能 勘的自由放任の主張>から学ぶもの」, 「東洋経済」 (「国富論』200年特集)所 収, 1976年2月13日号,東洋経済新報社, 7ページ。

36) この用法はジニームズ・スチュアート (J.Steuart, 1712‑80)における用法とは 異なるものである。小林昇氏ば, スチュアートが「等価物→貨幣をともなう需 要」として用いた概念をスミスが「商品の自然価格を支払おうと欲する人々の 需要」という意味に使用したことの帰結について,次のように指摘しておられ る。 「スミスが有効需要ということばを用いるぱあい, スチュアートがこのこと ばの創出によって示そうとした論点はすでに失われている。いな, むしろ隠蔽 されているといってよい」。小林昇「増補国富誌体系の成立」,未来社, 1977 年, 142‑45ページ。

37)WN, p,73.邦訳L96ページ。

−136−

(13)

アダム・スミスの正装強と社会的富裕 12

このように,市場価格が商品の市場への供給段と有効需要によって決定 されるものとすれば,市場に供給される商品数盤が有効需要趾老下回る場 合には,商品の買手側に競争が発生して,市場価格は自然価格達上回るこ とになり, 逆の場合には,商品の売手側に競争が発生して,市場価格は自 然価格ぞ下回ることになるのである38)。 このことから, 自然価格と市場価 格が一致するのは,市場に供給される商品数盈と有効需要瞳とが一致する 場合のみである。 自然価格は商品供給者にとって商品生産費を使う最低価 格であり,一方,商品需要者にとって享受しうる最低価格であるという意 味において, 自然価格と市場価格の一致は,有効需要鐙に等しい商品数愚 が市場に永競的にもたらされる条件老なすものであった。それでは, この

2つの価格の乖離経もたらすものは何であろうか。

2. 社会的富裕と自然的自由の体系

スミスによれば, 「財貨を永久に自然価格以上に引きあげておくものは,

すべて一国民の富裕諺減ずる39)」とされる。それは, なぜ通ら,市場価格 が自然価格を恒常的に上回る場合には, その商品巻購買しうるのは少数者 に限られ,社会の最下層にまでその種の商品が行きわたることを妨げるか らである。 もしそうだとすれば,如何なる要因によって, その乖離はもた らされるのであろうか。

スミスは,市場価格諺自然価格以上に常に引き上げておく要因として,

課税,独占及び同業組合の排他的特権を挙げている40)。例えば,独占の存 在は,商品の売手側に競争巻発生させないことから4'), 自由競争において

38)

39)

WN, pp.73=4,邦訳1, 96‑97ページ。

R.L.Meek,D.DRaphael &P.G・ Stein (edS.), 、LecturesDn Juris‑

prudence',Oxford,1978,p、 497. 高島警哉.水田洋訳「グラスゴウ大学講 装」, 日本評證社, 1947年, 347ページ。本稿では以下, LJ, p.497.邦訳347 ページのように略記する。

LJ, pp.497‑98.邦訳347ページ。

シロスーヲピーニによれば,新古典派の競争の本質的性格は「個々の生産者が 市場の条件を変更しえ雄いこと」であるのに対し, 「スミスにとって,競争は自

由参入によって性格づけられており,逆に, 独占は参入への障害を意味してい る」。P・ Sylcs‑Labini, 4,Competition: TheProductMarkets'',inT、

Wilson&A、S. Skinner (eds.), 'TheMarket andtlleState',Oxford, 1976,p. 200.

40)

41)

−137−

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アダム・スミスの正義誼と社会的富裕 13

機能する価格の下向作用は見られず,市場価格は自然価格老超えた点に固 定化されるのである。また,輸入における独占も, それが存在しない場合 よりも輸入数量が減少することになり,何れの場合も,社会的富裕密減少 させることになるのである。

このようにスミスは, 「ある種の職業における競争巻制限して, そうで なければこれらの職業に就きたがる人毎の数を制限すること」, 「他の職業 での競争を, そうでなければ自然に行われる以上に増大させること」及び

「職業から職業へ,地方から地方への,労働と資本の自由な流通を妨げる こと」醤主内容とするヨーロッパ諸国の政策の結果として,重要葱不均等 (mequalitiesofmuchgreaterimportance)が引きおとされていると述べ ている42)。例えば, スミスは労働の自由な移動諺禁止する定住法(thelaw ofsettlement)につり、て次のように述べて, その不自然性を指摘している のである。

非行を犯したこともない人間を, その人が居住したいと思う教区から 立ち退かせるというのは, 自然的自由(namralliberty) と正義に対す る明らかな侵害である )。

スミスは独占についても,賃金契約における職人間の団結が処罰の対象と なるのに反して, 親方間の団結は黙認されていることに関して吹のように 述べ,鋭く批判する。

法律は職人たちを非常にきびしく罰するであろう。 もし法律が事態鞍 公平に処理するのである鞍ら,親方たちも同樺にきびしく罰せられる べきである44)。

このように,独占その他の要因によって市場価格が自然価格以上に恒常的 に固定される場合には社会に不均等を引きおこし,社会的富裕の実現を阻 害するのである。 もしそうだとすれば, その逆の場合はどうであろうか。

邦訳L 198ページ。

邦訳L 235ページ・

邦訳1, 238ページ。

111總蝿 400

7 8 3 5 5 1 1 1

曲■甲p p p

畑祁恥

−138−

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アダム・スミスの正装論と社会的富裕 14

スミスによれば, 自然価格以下に市場価格巻恒常的に低下させておくこ とも社会の富を減少させる45)。例えば, ある商品の生産に対して政府の奨 励金が与えられる場合には, 市場価格は自然価格以下になり, その商品の 生産は減少し, 「産業の自然的均衡」 (naturalbalancecf industry)が破壊 されて, その結果は社会の富を減少させることに葱ろのである。 もしそう だとすれば, 前述のような商品の永続的供給を可能にする自然価格と市場 価格の一致塗もたらすために,政府は如何なる政策をとることが必要とさ れるのであろうか。それは, スミスによれば, 「全体としては,事物をそ の自然的運行にまかせて,商品に奨励金というもの老許さ )」ないことな のである。

このようにスミスは,①自然価格と市場価格の乖離は人為的な政策の結 果であり,②それらが乖離すると 「産業の自然的均衡」が破壊されて,社 会の富裕が阻害されることから,③人為的な政策漣排除して,経済活動を 市場の自律的機能に委ねることの必要性を説いているのである。

ところで, スミスが『国富論』第4篇において,盟商主義(commercial syStem)の政策について批判を加えた後, 「特恵あるいは制限密行なういっ さいの体系」 (allsystemseitherofpreferenceorofrestraint)の撤廃によ ってもたらされる「自然的自由の体系」 (systemofnatural liberty)の性 質漣明らかにしていることは周知のところである。われわれは,前章で述 べた正義論との関連において, 「自然的自由の体系」の特徴を検討しよう

と思う。

スミスはこの「体系」において, 「各人は正義の法を侵さないがぎりは,

完全に自由に自分がやりたいようにして自分の利益を追求し, 自分の勤労 と資本逢もって, 他のだれとでも,他のどの階級とでも,競争することが できる47)」と述べ, 「正競の法」の遵守という制限下において利己心の発

45) LJ, p,498.邦駅349‑52ページ。

46) LJ, p.499.邦訳352ページ。

47)WN, p.687.邦訳IL 511ページ。

(16)

了〆ム・スミスの正凝議と社会的富裕

15

動たる利益追求鞍目指す競争巻認めるのである。 この意味において,正装 は,個人間の競争における制約条件患なすものと言いうる。

われわれは先に, 同感の原理によって基礎づけられる 「正装の徳」が社 会存立の土台患なし,かつ,正義の欠如が社会を破壊に導くとされていた 点巻見たが, このことは社会的富裕実現の過程に関して如何なる関係老も つのであろうか。スミスによれば, 「人びとが自己のもつすべてのものを いつ強奪されるかも知れ葱い危険老感じているときには,彼は勤勉になる べき動機をもたない48)」ことから,社会に正義が欠如している場合には,

個人の慎慮に基づく経済的動機自体が機能しなくなるものと考えられるの である。ゆえに, 正義の存在こそが, 「すべての人がたえず自分の暮しを よくしようとする自然の努力」を機能させて,結果的には社会の富裕老も たらす要因となっているように思われる。 もしそうだとすれば,正蕊は,

諸個人間の競争lこおける制約条件であると同時に,競争動機それ自体巻発 生させる要因となっているように思われる。

IV. むすび

本稿の志したところは, スミスの道徳哲学体系における方法が経験主装 に立脚するものであるとする観点から, 彼の正装論及び経済論について若 干の検討鞍加えることであった。

われわれはまずIIにおいて, スミスの正義論の概要を述べた。 そこに

C

おいては, 「正義の徳」が諸個人の個別的感情から出発する同感の原理に よって基礎づけられるものであって, それが遵守すべき実体としての「正 義の法」が『国富論』において見い出されるべきものときれていた点が指 摘された。

それに続く 111の内容は, 『国富論』に表われた価格論との関係における

「正義の法」の検討であった。価格論に則して言えば, スミスは自然価格 の分析を具体的かつ歴史的な観点から分析し, 自然価格と市場価格の一致

48) LJ, p.522,邦訳410ページ。

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アダム・スミスの正錠諭と社会的富裕 16

が社会的富裕をもたらすものとし, 両価格の乖離をもたらす軍商主誰的政 策の批判のうちに, 「正義の法」の内容をネガティヴに投影していたよう

に思われる。

われわれは, スミスと 「最後の重商主義者49)」ジェームズ・スチュアー ト (J. Steuart, 1712‑80)の思想を若干比較することによって,本稿のむ すびとしようと思う。

スミスの『国富論』は, 同時代人であるスチュアートの『経済学原理』

(AnlnquirymtothePrinciplesofPolitlcalEco,lomy, 1767年)に対す

る批判の書として執筆されたことは明らかである。 スミスはプルトニー (W. Pulteney)に次のように書き送っている。

スチュアートの書物の名は一度も挙げていませんが, その畜物の誤っ た原理はすべて,私の書物(『国富論』−引用者)の中で明白かつ適 確に反駁されるものと,私は自負しています50)。

小林昇氏は『経済学原理』について,次のように述べておられる。すなわ ち, 「スチュアートにあっては, 為政家(statesman)は各種の経済過程の あらゆる部分において,経済活動の根源的・盲目的エネルギーたる利己心 の調整者として慎重に, しかし積極的にこれに介入・干渉jするという意 味において, 「自由放任という政策論の基調に対抗する統制の意義の容認,

為政家の積極的役割の強調と結合」しているのである5')。

われわれが先に見たように, スミスにおいて, 「自然的自由の体系」を 招来するための最大の障害は重商主義政策による「特恵あるいは制限」で あった。すなわち,政策に対するスミスの基本的認識は,農村の産業と都 市の産業を特別に奨励したスミス以前の経済政策への不信から発生した,

「あらゆる種類の産業を平等に, そして公平に取扱52)」 うことであった。

49) 和田重司『アダム・スミスの政治経済学」, ミネルヴァ播房, 1978年, 57ペー ジ。

50) 'TheCDrrespcndanceofAdamSmitll', pp、 163‑64.

51) 小林昇「ジェイムズ,スチュアートの経済学説」, 「小林昇経済学史著作集」1V, 未来社, 1977年, 263ページ。

52)WN, p,11.邦訳1, 4ページ。

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アダム・スミスの正装篭と社会的富裕 17

この意味からすれば, スミスとスチュアートの間には大きな隔たりが存在 しているのである。 スチュアートが, 「いわゆるく近代社会>における社 会的分業すなわち商品生産の,特質と構造と発展形態のしかた」鞍『経済 学原理』の対象とした限りにおいて, 「『原理』と『国富論』とはまったく 別の世界に属するものであるとはいえない )」にもかかわらず,両者の間 に存在する政策的差異は何に依存するのであろうか。

この点に関しては内田装彦氏が指摘しておられるところによれば, 「国 家によって強制されるべき法の範囲憩不当に拡充し」た重商主義的政策体 系の基礎づけとなっていたのは, ヒューム(D.Hume, 1711‑76)の「<全 体に対する効用が正義の根拠〉とする考え」であった )。藤川吉美氏によ れば, ヒュームにおいては公共的効益(publicutility)の視点から葱され る「<社会的利益〉の分配, 権利の賦与, 種埼の契約,裁判,教育,等埼 が, まさにく正義的> (juSt)なのであ」 り, 「したがって,不平等な利益 の分配,一部の者への特楢賦与 ・ ・契約の不公正・ ・ ・ ・さえも, それが公共 的利益に適っていて,かつ, 〈共感の原理> (prmcipleofsympathy)老満 足するものである限り,正義的なものと葱らざるをえない」のである 〉。

もしそうだとすれば, スミスとスチュアートの政策老決定的に相違させた ものは,他ならぬこの正装論であったのであって, スミスが重商主義鞍批 判するために正義論にまで湖らねぱなら葱かつた必然性もここに存してい

ると思われるのである。

53) 小林昇「J.スチュアート研究」, 「小林昇経済学史著作集」V,未来社, 1977年,

33ページ。

54) 内田義彦「増補経済学の生挺」,未来社, 1962年, 114ページ。

55) 藤川吉美「正義輪入門」,輪創社, 1979年, 123ページ。

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