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科学的管理法と労働組合-1910~1932年の史的分析-: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Author(s)

仲宗根, 栄一

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 11(1): 21-46

Issue Date

1971-12-20

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11037

(2)

- 1 9 1 0 - 1 9 3 2

年の史的分析ー

仲 宗 根 栄

目 次 序 … 一 … - … … … … ・ … … … .. ・.H ・..…・・・……・・・・ 22 I 対 立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー・・・ 24

1

.

東部鉄道運賃率事件 ・・・・ー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 29 2. 敵対関係の激化 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36 3. ウォータータウγ兵器賑事件 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40 4. 科学的管理法の普及と労働組合の反撃〈以上本号〉・・・・・・・・・・・・ 44

E

対立の緩和 1. 労使関係委員会の開設 2. バレンタイγの謀額 3. 融会における科学的管理法の禁止立法 4. 融会における「反ストップ.ウォツチ法

J

の成立 阻 協 調 と 恐 慌 1. 大戦中の科学的管理法と労働組合

2

.

従業員代表制度と労働組合 3.人間的要素の重要視 4. 科学的管理論者と組合指導者の融合 5. 組合勢力の退潮と労使協調政策 ーバルチモア.オハイオ計画を中心に-6. グPーンとタックの労使協調論

-21

(3)

7. 恐慌と労使協調政策の変容

今日、経営管理論を問題にする場合に、何よりもまずはじめに考慮されなくては ならないのは、科学的管理法 (Scientific Management ) という問題であろう。 それは、アメリカにおける経常音理論が科学的管理法によってはじめて、体系化さ れたという理由だけによるものではない。 科学的管理法の成立とその発展の過程において顕在化した諸問題はよりもなおさず 近代的経営管理論の諸課題そのものと考えられるからである。 ここで、われわれが取り上げようとする科学的管理法と労働組合のリアクシヨンの過 程で表面化した諸問題もまさにその一つにほかならない。 すなわち、経営側にとって、組合の自発的な協力を獲得し、生産能率の向上をは かることは、経営と組合が成立した当初から今日に至るまで、その基本的な課題の 一つであることには、いささかも変わりはない。 従って、はじめて近代的な経営管理技術としての体系を整えた科学的管理法を、南 北戦争 (theCivil War

1861-65) を契機に飛躍的な発展を遂げつつあった アメリカの企業が、どのように受けとめ、そして科学的管理法の推進者達が、 u、か に労働組合に対処してきたのかを跡づける試みは、今日における労使関係の方向と 在り万を探るさいにも、あながち無駄で ここでで、、時代背景としての19 1 0年秋の東部鉄道運賃率事件 (the E asten RaHroad Rate C邸 e)にはじまり、 19 3 2年に頂点に達したバニツクに至る 期間のアメリカ資本主義は、着実な発展、大戦、リセッシヨン、未曾有の繁栄、そ してパニックといったように、まさに幾多の変遷を体験した。このため、科学的管 理法と労働組合のリアクシヨンの姿態も、こうした情況によって、大きく影響を受

(4)

けざるをえなかったことはいうまでもない。 そこで、こうした情況との関連を見失わないために、必要なかぎり、アメリカ経済 史や労働運動の動向等についても言及することにしよう。 こうした問題意識と分析視角に基づきながら、 19 1 0年秋の東部鉄道運賃率事 件にはじまり、 19 1 4年4月のミルウォーキーでのウィスコンシγ州労働総同盟 大会におけるテーラ-(Fredrick W. Taylo

と組合代表者の対立に至るまでを 科学的管理法と労働組合の敵対関係の時期と函し、両者の織烈極まる抗争がいかに 展開されたかを追求するのが、第1章である。 ここで、は、主として二つの問題に焦点を定める。その一つは、労働者の手中にある 熟練を管理側に移転しようと試みた科学的管理法と労働者の熟練の独占、作業管理 上の自治権の保持等、伝統的なグラフト.ユニオニズムの立場を強調する熟練労働 者の組合、アメリカ労働総同盟 (A田 ric組 Federation of Labor) との対抗関 係に関する問題である。 そして次に、科学的管理法の個別的労使関係を基底とする団体交渉否定ないし組合 無用の論理と労働者の集団的結束に基づく協約的.集団的労使関係を提唱する労働 組合運動の潮流との相克が中心的な問題となる。 第2章においては、 19 1 4年の合衆国労使関係委員会 (theUni ted S tates C oomissiou of lndustial Relatioll )における科学的管理法に関する公聴会か ら、 191 6年の議会における科学的管理法禁止立法の成立に至る期聞を、敵対関 係の緩和の時期とし、次の二点に着目したい。まず第ーに、この公聴会を契機とし て、労働組合の科学的管理法に対する態度が、科学的管理法なるものは、団体交渉 の力によって改革され得るものであるという方向に変わってきたことであり、科学 的管理法側からも、組合を科学的管理法の手続き過程の中に参画させるべきである という見解をもつようになった人々が登場してきたことである。 そして第二に、アメりカの第一次大戦への参戦を目前に、政府が国民的合意を獲得 するべく、労使の対立の重大な原因をなす科学的管理法の政府部門における実施を 厳しく禁止したことである。

-23

(5)

そLて、第 3章においては、大戦という非常事態を背景に、国家政策を優指させ るべく、科学的管理法と労働組合の対立は、休戦状態に入り、両者は一致.協力し て政府の戦時政策に協力した。しかも、政府の戦時政策に対する労働者の全面的な 協力を得るべく、ウィルソγ大統領によって戦時産業における団体交渉の承認が勧 告されたために、両者は団体安渉制度の下において、働くようになっていた。この ように、両者にとって、協働という、はじめての体験を通じて、相互の理解を深め 科学的管理法と労働組合は、急速に接近するようになり、やがて、以前には予想も つかなかった両者の協調の時代が到来する。そLて、こうした協調の基調は、 19 3 2年に頂点に達したバユツタによって破棄されるまで続くことになったのである。 こうした科学的管理法と労働組合のりアタシヨYの展開過程を、歴史的な分析を試 みることによョて解明しようとしたものが本稿である。

まず、本稿の理解を助けるために、科学的管理法の生成と発展を、主として、労 働問題との関連で概観し、テーラーの労働組合ないし労使関係観を明らかにしてお こう。 いささか教科書的で、しかも長きに失する感は免れないが、あえて概説することに したい。 周知の通り、 18世紀中業のイギ Pスに端を発した産業革命は、その後次第に欧 米諸国に波及し、 19世紀の後半には、これらの国々においてもほぼ終息をみた。 こうした産業革命の進展は、生産過程の観械化を基礎とする機械制工業の確立を促 し、生産力の飛躍的な発展をもたらした。しかしながら、アメlIiJにおいては、そ の当時、なおその基礎が形成されつつにあったにとどまり、根本的には、まだ食業 国であったといえる。 アメ Hカにおいて、機械的生産方法を基底とする工場制工業が急速に普及し、麓異

(6)

的な生産力の発展をもたらしたのは、南北戦争以後のことである。

このように、生産過程の機械化によって、生産力の飛躍的な発展をみたが、それ と同時に、当時きわめて非能率な状態に放置されていた工場労働者の作業条件の合 理化が焦眉の課題として提示された。そして、こうした要請に応えんとして登場し たものこそが、まさに、 19世紀未葉から、 20世紀初頭にかけて、アメリカにお いて展開された、いわゆる「能率増進運動

J

(the Efficiency Movement ) に ほかならない。この「能率増進運動

J

は、機械的生産方法の普及の過程で、社会的 重要性を相対的に高めつつあった機械技師連の団体であるアメりカ機械技師協会 (AIrerican Society of Mechanical Engineers) によって担われることになっ た。しかしながら、労働能率の増進の方法を、もつばら、賃金支払制度の改善に求 めようとする「能率増進運動」によっては、当時のアメリカの企業全体に蔓延しつ つあった経営者の賃率切下げ (r.ate-cutting) と、これに対抗する手段としてと られた労働者の組織的怠業 (systematic soldiering) を根本的に解決すること (1) はできなかった。

タウγ(Henl'YR. Town)の分益制 (GainSharing System) や ハ ル シ ー (F .A.Halsey) の割培制( P rE!Ili um P 1 an )等は、その代表的なものである。 そこで、テーラーは、こうした臨路を改善し、労働者の作業能率の向上をはかる・ ために、 「能率増進運動」とは異な9た賃金支払制度の合理化の問題と取り組んだ。 この成果を集約したものが、 1895年、デトロイトにおけるアメリカ機械技師協 会の大会において発表された「一つの出来高給制度

J

(A P iece Rate System) であるo彼は、この論文において、従来の賃金支払制度の改命的な欠陥は、賃率設 定の非科学的な方法にあることを指摘するとともに、次のことを提唱した。すなわ ち、第ーに、要素別賃率設定部(elerr則 的 位y rate -fixing department) を創 設し、賃率を時聞に従って、科学的に決定すること、さらに、第こには、 「差別的 出来高給制度(differenti al rate system of P iece work )を係用して、一労 働者の個人的向上心を鼓舞しなければならないということであった。 さらに、テーラーは、自己の管理理論を発展させるべく、 1903年には、画期

(7)

的な論文を発表した。いわゆる、

f

工場管理論

J

(Shop Mon申 ment) こそが まさに、それにほかならない。これをもって、彼は、自己の名を歴史上不朽のもの にすることになったのである。 ところで、 「一つの出来高給術度」においては、労働者の作業管理の問題を、もつ ばら、賃金支払制度の問題として取り扱っていたのであるが、 「工場管理論」にお おいては、労働者の作業能率の向上は、単なる賃金支払制度の合理化のみによって 改善され得るものではなく、工場全般の作業管理制度を合理化し、改善しなければ ならないと認識された。 この論文において展開された特徴的なものは、 「一つの出来高給制度」における 要素別賃率設定部が、 「企画部

J

(Planning deper加ent) として発展したこと である。

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企画部」は、課業設定と課業管理の二つの任務を遂行する科学的管理法 の根幹として位置づけられた。 この場合、課業の設定は、ストップ.ウォツチを駆使した作業時間研究に基づかな ければならず、しかも、それは、一流の労働者 (firt clas8 men ) によって遂行 (2) され得るものでなければならないとされた。 そして、こうした設定された課業の達成に成功したものには、高い賃金 (high Pa.Y for 8UCCeS8) を支給し、失敗したものには、損失 (1088 in ca蹄 of (3) failre) あるいは罰金 (punisJunent) を課す仕組みになっていた。

従って、労働者が、それは、労働者の過労をまねくものであり、ストップ.ウオッ チによって労働者の作業時聞を測定する如きは、労働者を機械視し、侮辱するもは なはだしい、と反対したことは、容易に推測され得ることである。 このように、労働者の作業時聞は、労働組合の交渉によってではなく、専門の時 間研究技術者によってのみ科学的に決定されるべきものであるとされ、しかも、こ の時間研究技術者によって決定された時間以内に、操業を達成したものには、高い 賃金を与え、失敗したものには、罰金を課すというテーラーの課業概念は、個別的 労使関係を前提としたものと考えることができる。 このことは、彼が19 09年に発表した「科学的管理の諸原理

J

(The Pr inciple8

(8)

of Scientific lVIan唱e臨 nt ) の中において、 「管理者と労働者の閣の緊密 かっ親密な個人的協調」、 「この緊密かっ親密な労使聞の個人的協調こそが近世科 (4) 学的管理あるいは課業管理の本質である

J

と述べていることからも明白である(傍 点筆者〉。従9て、それは、労働組合という団体の形態をとり、少なくとも、作業 時聞や賃金といった基本的な労働条件の決定については、経営者との団体交渉を求 め、それが決裂した場合には、争議権に訴えることを基調とする労働組合運動の理 論とは本質的に相容れないものといえる。換言すれば、テーラーの構想は、まさに 団体交渉否定ないし反組合主義 (anti - unionism) であり、協約的、集団的 労使関係を提唱する労働組合運動の潮流とは、相対立せざるをえない本費を内包す るものである。 ここで、留意しなければならないことは、こうしたテーラーの労働組合観は彼の 偶然の思いつきではなく、彼の提示する管理の科学に服することを、労使双方に要 求する彼の科学的管理法のメカニズムの論理的帰結にほかならないということであ る。 そこで、こうしたテーラーの組合無視の論理に対し、労働組合側が強く反発する ようになったことは、容易に予測され得ることである。 ところで、一方、労働組合運動の歩みはどうであフたろうか。ーベっしておこう。 前述したように、南北戦争を契機に、アメリカの生産力は、飛躍的な発展を見たが (5) 同時に、それは、賃金労働者の数を急激に増大させる要因ともなったロ そして、戦争による物価勝貴は、こうした労働者階級の生活を極度に脅かすように なっていた。こうした情況を背景に、戦争後半においては、強大な全国組合がいく つか結成されるに至った。 1863年に、デトロイトにおいて組織された機関手組 合 (Brotherhood of Locomotive Enginees )は、その先駆的なものであるが そのほかにも、煉瓦職工、鉄工、煙草職工等の労働組合が組織された。さらに、 1 8 66年には、全国労働組合 (National LめorI Union) が結成され、 187

0年には、全国に約 40組を教える全国的な労働組合が存在するまでに至。た白そ の他、各種験業の労働者をもって組織する全国的な労働組合とLては、労働騎士団

(9)

σCnights of Labor)があり、そして、後年、アメりカにおける最も代表的な 労働組合運動の組織として知られるようになったアメリカ労働総同盟 (American Federation of Labor ,以下これを A , F . Lとよぶこととする)が結成された のは、 1 8 86年に属する。特に、 A . F . Lは、ストライキやボイコツトを主要 な闘争手段として用いていた。こうしたストライキがアメりカの産業界において一 般化してきたのは、 18 7 0年代に入ってからのことである。その後、労働争議は、 遂次増加の一途をたどり、 188 6年に至つては、最高潮に達したといわれている。 これらの争議の主たる目的は、一般に、賃金の引き上げと労働時聞の短縮にあった 特に 10時間労働制の要求、ならびに、それに続く 8時間労働制の実現を目指す労 働組合の攻勢には、極めて顕著なものがあったように思われる。この結果、著しい 発展を遂げつつあったアメリカの製造工業は、今や、こうした労働争議のために、 (6) 極度に脅かされるようになっていた。 このことが、前述の能率増進運動と、それに続く科学的管理運動の発展の重要な契 機の一つをなしていたことはいうまでもない。 〔住〕 1 ) テーラーは、労働者の怠業ICは、自然的怠業 (natural soldiering) と組織的怠業( sysもematic soldiering) の二種類がある乙とを指摘 した。そして、後者乙そが当時の非能率の巌も重大な原因をなすものと 考えた。

F. W. T aylor, S hop MaAagemEP七, 1911.PP.30-32. 2) lbid.. P.25

Taylor もestilllOnY Before T

a

S戸cial H ouse C omni抗ee 1912.

in :F.W. Taylor

S cienもificManagemen七. 1947. PP. 168一 180

3) F. W. Taylor. Shop M岨agem却も j P. 75

4) F. W. Taylor. The Pinci叫esof S cientific Ma国e眼 目 .1919 P. 26

(10)

5) 1859年から 189h年に至る 40日間1(、アメリカでは、純悦 の数は三倍、労働者の数は4倍、工業製品の価額は7倍、そして投下 資本の額は9倍11:激憎したといわれている。

L. Huberman: we

The People

1 9 4 7

P

4 9 . 6 ) 労働運動史の概要は、主として、次による。

Henry Pell:ing

Ameri口 組 Labor. 1962

1

1 東 部 鉄 道 運 賃 率 事 件

パーソ γ(H.S .Person) によれば、 「科学的管理法に関する労働組合と使用 者との抗争は、 19 1 1年までは起っていない。それは、テーラーが30年間、諸 種の工場で‘科学的管理法を発展させている問、組合が、それに対して一向注意を払 わなかったからである」。といわれる。それに、テーラーも、 「科学的管理法の下 2) では、ストライキは、一度も起ったためしがなb、」としばしば述べているo事実、 顕著な組織的なストライキは起っていない。 しかしながら、 19 1 1年までには、テーラー.システム (Taylor System)に 対し固有の名称が付与されていなかったために、科学的管理法に対する当時の組合 の態度を跡づけることは困難である。しかし、いずれにせよ、 191 1年に至るま では、科学的管理法を実施している会社においては、比較的ストライキはなく、科 学的管理法は、その推進者連の努力によって、遂次普及.拡大されるようになり、 着実な発展をみたものといえる。しかし、こうした静寂は、東部鉄道運賃率事件に よって、はかなくも破られた。 191 0年の春、アメリカのポトマック川とオハイオ川の北部、それにミシシツ ピー

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の東部において、事業を営む各鉄道会社は、従業員の賃金の引き上げを認め ることになったが、これに対応して、同年の初夏には、州際商業委員会 (The 3) J nterstate

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mission) に運賃率の値上げを申請した。

(11)

商業委員会の承認を得なくてはならないからである。運賃率の値上げの理由は、賃 金の引上げが定期的に認めなければならないものである以上、こうした賃金の上昇 が企業財政を圧迫するということにあったo そこで、委員会は、こうした値上げの申請を審査するために、 19 1 0年 8月から 1 2月にかけて、公聴会を聞くことにした。 これに対して、荷主側は、値上げ反対のための弁護団を結成し、その指導者には、 著名なる「人民の弁護土

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、プラYダイス

(L.D.

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)を迎え、公聴会を舞台に、鉄道会社側と対決することになった。 これが有名な、いわゆる、 [東部鉄道運賃率事件

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である。 プラYダイスは、最初、鉄道会社が能率的に運営されているものと考えていた。 ところが、鉄道会社側の証人達の証言が進むにつれて、会社の経営に極めて無駄が 多いことが明らかになってきた。そこで、彼は、会社の非能率な管理を理由に、会 社側を攻撃することができると考えた。そLて、そのための武器として、科学的管 理法を用いることを決意した。 ところが、テーラーによ9て体系化された近代的管理方式には、この時まだ、統 一的名称は付与されていなかった。 テーラー自身は、むしろ、タスタ.マネジメシト (T飽k M岨 暗 唱ment) と呼ん 4) だ方が適当であると考えていた。 しかし、実際には、 「テーラー.システム

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や 「エマーソン.システム

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、それに「ガYト.システム

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といったような個人的名称が与えられていたに過ぎなかった。 このため、プランダイスは、 19 1 0年 10月に、ガシト

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の ユユーヨータのアパートにおいて、攻撃プラシを作成するとともに、使用すべき名 称を協議するために、ガ':1'1-..ギルプレス

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およびヶγト 5)

(R .K. Kent)

と討鎮の機会をもった。 この時、科学的管理法 (Sci岨tific M岨 郁I

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という名称治E、 最 も 適 切 かっ人々の耳目をひくものとして提案された。

(12)

もともと、 「科学的管理法

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という用語そのものは、ここではじめて使われたもの ではない。すでに、テーラーが、その著書、 「工場管理論

J

において用いているし、 6 ) また友人への手紙の中でも使用している。 そして、結果的には、この提案が採用されることになり、ここにはじめて、 「科学 的管理法」という総括的.一般的名称の確立をみるに至ったのである。 その後、プランダイスは、 「科学的管理法」の有する積極的な面を主張し続け、 1 9 1 0年1 1月には、遂に、衝撃的な「一日百万ドル節約Jの実現可能性を発表 した。 この「百万ドル節約」の証言には、 1904年から、 7年にかけて、サンタ.フェ (Santa. Fe) 鉄道会社において、実際に、科学的管理法を適用してきたエマ ーソン (Harington Emerson>"が立った。この他、科学的管理法側の証言者とし ては、タウン (H.L. Town) 、キ.ルプレス、ガント、ケント、ハザウェイ (H.K • Hatha鴨 川 等 が い た 。 こうしたエマーソンによる驚異的な証言を、プランダイスが発表したことによって テーラーの科学的管理法の名称は、この事件の経過に深い感心を払っていたマス・ コミを通じて、一躍、アメリカ全土の中に広がっていった。

これに対して、バルチモア.オハイオ鉄道 (theB altimore& Ohio Rai lroad ) 会社の社長、ワイラード

(D

阻ielWillard) は、ニューヨーク.タイムス紙上に おいて、一日百万ドル節約は、 50万人の労働者を解雇するヵ、もしくは、賃金を 徹底的に引き下げる手段に訴えるのであれば、実現可能であると述べた。 こうしたウィラードの発言は、ある意味においては、プラ γダγスがあばこうと した条件、すなわち、解雇や賃金カットによってのみ、はじめて、費用は、節減さ れ得るものであるという論理に対して、ウィラードが執着していることを示すもの であったといえる。 それに、イりノイ.セントラル (theIllinouis Central) 鉄道会社の副社長、 パーク (W. R • Park) は、

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プランダンスという男は、おどけた奴で、道化師 7) であり、すでに失敗を立証された出来高給制度の昔話をむしかえすものである。

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-31

(13)

とプランダイスを非難した。 一方、鉄道労働組合は、会社側と協力してプランダイス.エマーソン.テーゼに 強力に反対し続けた。それというのも、もし委員会が運賃率の値上げの申請を否決 した場合には、自較的に、会社側によって組合の賃金の引き上げも無効にされるこ とを恐れたからにほかならない。これこそが、鉄道労働組合をして科学的管理法に 反対せしめた直接の理由であった。 この公聴会における組合代表者の科学的管理法に対する反対の趣旨としては、科学 的管理法が反組合と労働のスピード.アップを:意図するものであるという点にあっ

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こo しかし、委員会は、こうした鉄道会社と組合側の怒力にもかかわらず、 19 1 1 年2月には、運賃率の値上げの申請を否決するに至った。その理由は、主として、 「過去における諸鉄道会社の純利益は、きわめて大きく、その従業員にもっと高い 8) 賃金を払っても、なおかつ適当な配当金を支払うことができる。

J

ということにあ った。しかしながら、 「科学的管理法は、どこでも実験段階にあり、従って、この 9) 時期に、鉄道会社に対して、どれだけの価値を有するものであるか疑問である。」 と結んだD これに対して、プランダイスや科学的管理法の推進者連は、委員会がこのように 科学的管理法の意義を明確に承認しなかったことに対しては、若干、失望を禁じえ なかったが、しかし、いずれにせよ、科学的管理法の一般的な目的を承認したこと については、一応、満足 Lていた。 しかし、彼等にとって、最も重要なことは、この公聴会を通じて、 「科学的管理法

J

という適当な名称を獲得したことであれかっ、この事件を契機として、テーラー の科学的管理法の名称を一般社会にも広く普及せしめることができたことであった。 テーラーも、こうした発展を喜んだものの一人にほかならなし、。 この意味において、東部鉄道運賃率事件の果した役割は大きかったo こうした情況を反映して、 19 1 1年には、ガント、エマーソン、ギルプレスお よびテーラーがそれぞれ重要な著作を発表した。

(14)

特に、これらの中でも、テーラーの「科学的管理の諸原理

J

(The Principles of Scientific Managemenりは、最も重要かつ有名であ9た。

これは、彼の他の著作に比較して、多分に自叙伝的内容をもっていて、一般大衆向 けに書かれたものであった。

このほか、テーラーの著作の影にかくれて、さほど目立たない存在にあったが、ガ ントの「作業、賃金および利益

J

(Wok

Wages 血d Profit).エマーツンの「十

二の能率原理

J

(T鴨 lve Principles of Efficiency)、それに、ギルプレイ スの「動作研究

J

(Motion Study )も看過し得ないものであった。 一方、労働組合は、東部鉄道運賃率事件をきっかけに、科学的管理法に対して重 大な関心を払うようになった。そして、まもなく科学的管理法の問題は、労働組合 と科学的管理法の指導者達によって、タヲプや公開討論会の場で、論議されるよう になった。

1 9 1 1年 3月には、ニューヨータ経済タラプ (NewYork Economic C lub) において、タワン、プランダイス、ギルプレス、エマーソγ、および

A.F.L

の 副会長、ダγヵン (J翻 es Dancan)が論議を交した。その席上において、ダンカ ンは、科学的管理法なるものは、労働者の社会経済的利益を擁護する組合との団体 交渉を拒否することによって、労働者を奴隷の如〈酷使しようとたくらんだ「産業 奴隷制度

J

(industrial slavery syste m)への一つのステップであると攻撃す るとともに、さらに、それを団体交渉を拒否することによって、組合の存立の基盤 をつき崩そうとしたものであると、ヲーラーに非難を浴びせた。これに対して、プ ランダイスは、同一工場内において、科学的管理法と団体交渉が存立し得ない理由 1 0) はどこにも見当らないと主張した。 そして、その後も、閉じような議論がダートマス大学 (Dartmouth C olle酔〉や アメりカ経済学会(おnericanEeonomic Association )等においても行なわれた が、両者の溝は、拡大することはあっても、続少することはなかった。 このように、組合の反対に遭遇したにもかかわらず、 19 1 0年以降の科学的管 理法は、一躍名戸を護得し、しかも常に、討論の中心的な議題にすえられるように

(15)

なった。

そのことは、アメリカ機械技師協会にとって、十分満足のいくものであった。そし て、その後直ちに、アメリカ機械技師協会は、 「産業管理技術の現状

J

(the Present S tate of the Art of industrial Management) についての報告 を行なうために、 「管理に関する小委員会

J

(Sub-Comr凶ttee :Jll Adrnini stration)を開催することを任命された。 こうして、科学的管理法の隆盛の下においては、労働組合は、もちろんのこと、経 営者、一般大衆、ならびに連邦政府までもが科学的管理法の動向に注目するように なった。 そこで、科学的管理法の推進者達は、管理問題について自由に討論し合b、、発表 することのできる何らかの公式の永続的な組織を設立しようと考えた。 19 1 1年 創設された「管理科学促進協会

J

(the S oc iety of the P rormtion of the Science Managament)がそれで、説。 こうした科学的管理法の発展の過程において、その推進者連は、労働組合との激 しい対立に遭遇することになったのであるが、彼等の組合に対する態度には、一つ の根強い反目があったことは否定できない事実である。 例えば、そのーっとして、テーラーは、科学的管理法の下においては、作業時間や 賃金が組合との交渉によってではなく、専門の時間研究技術者によって科学的に決 定されるべきものであるとされ、しかも、科学的管理法は労働者の利益をも考慮に 入れているから、労働組合というものは、早晩、その必要性を失うだろう、という 組合無用論ないし団体交渉否定論を展開してきたということは、前述の通りである。 さらに、その他の科学的管理法の推進者連も、組合の指導者を、全く誤った指導者 であると確信していた。そして、その中においても、最も犯罪的な指導者は、いう までもなく、ゴンパース (Samuel Gon可pers)であるとされ、しかも、彼は、最 12) も騒々しい大衆扇動家であると熔印が押されていた。こうした彼等の組合不信の最 も根本的な理由は、組合や団体交渉が、事実と法則に基づく科学的管理法に対する 13) 力による干渉を意味するということにあった。

(16)

ー-~"'-伺故なら、科学的管理法のー下においては、課業達成に必要な作業時間やその報酬と しての賃金は、組合との交渉によってではなく、専門の時間研究技術者によっての 14) み決定されるべきものとみなされていたからである@ このことからも理解できるように、彼等の団体交渉否定ないし反組合主義の思想、は 本質的には、こうした彼等の科学的管理法のメカエズムによって基礎づけられてい たものと考えなければならないであろう。

<注>

1) Mil七onJ.Nadw

y

Scientific Manage回 目 and 油.e Uniorui

1955.P.23.

2) Freduck W. Taylor,Shop Mangem包も, PP. 68-69. 3) M, J, Nadwony, op.cit., PP. 34-37.

Fran瓦 B. Copley, Fredick W, Taylor, Faもherof S CiE却もific ManagE誼l)n七, 1923,Vol.I.PP. 6-8.

4 ) Hugh G. T. Aitken

Tayloism

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.

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.

ertown A rsenal Scientific Manage留者1も in Ac七ion

1 9 0 8 - 1 9 1 5 •

1960

PP. 14-15

5) F. B, Copley , op. ci七;VoLH, P. 372

ナドワーニーは、乙の他IZ:、乙の会議の参加者にプリトン工場(拍B

Brighもon Mills )のシール(Henr,y V. Sheel )をあげている。

M. J. Nad明 rff

op. ciも ; P. 35

6) F. W. T aylo

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S hop Monage田 凶 , P. 61. 65.68

F. B.

pley

op..cit ; Vol.,H PP. 371-372 7) M. T. Na蜘ony

op. cit; PP.37-38.

8) F. B. C opley

op. ciも ;Vol. H

P. 373. 9) M. J. Nadwony

o,p cit.

P.38

10) Ibld., P.43.

11 ) それは、テーラーの死後、 19 1 5牢に、彼の功績と名替をたたえ て、テーラー協会と改称された。

(17)

F. B. Copley. op. ci七..V 01.

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.

P. 3 8 3 • 12) M. J. N組 問ny. op. C1し .P. 48.

13 ) ζのととは、テーラーが、 1 9 1 2年 1月2 5日から、 3 1日にかけ て、 「テーラー.システムとその他の工場管理制度を調査するための下 院 特 別 委 員 会J(もheS pecial COIIJD封 切eofも国 Houseof Represen

もaもives七o Inves七iga'七eもheT aylor and 0七her S ys七emof Shop Mむ:tage曲 目 )1とおいて、議長の質問K答えて、次のように発言してい ることからもいえる乙とである。 〔議長〕企業内1<::一人の経営者が在在し、いかなる労働者の団体もその 経営者の指令や政策に対して干渉する乙とは許されないというのが科学 的管理の本質ではないのか。 〔テーラー〕可能なかぎりの万法をつくして労働者の協力を得ることが 必要である。しかし、干渉は決して許きれない。

'1'aylo 1'- Testl且onyBefore The S戸cial House C om由討もee1912. in . F. W. Taylor. Scien七ific M anagemenも.1947.PP. 147ー

1 4 8

14) F. W. Taylor , Shop Mana伊 田 叫 .PP.186-187.

1

.

2 敵 対 関 係 の 激 化

A . F • lの執行部は、東部鉄道運賃率事件を契機として発展しつつあった科学 的管理法に対して報復するべく、 191 1年の早々には、まず「割場制もしくは賞 与制度

J

(the Premiumor Bonus System)を批判する決議案を採択した。

この決議案の内容によれば、これらの制度は、労働者の作業上の安全にとって、必 要な限度を越えて、労働者を酷使するために、事故を増大させ、労働者の健康をそ こねるというものであった。

つづいて二月には、ゴン,くースが、動作研究とその試みは、労働者を機械視するも のであると非難を加えた。特に、ゴンパースにおいては、テーラー.システムは、

(18)

職能別組合 (caftUuion) の験能 (craft) の独占性を破壊するために形成され 1 ) た一つの武器であると考えられていた。 ここに、我々は、熟練労働者の組織であるA.F.Lと産業革命以降急速な発展 を遂げつつあった近代的な産業管理技術としての科学的管理法との措坑関係を詳明 に続み取ることができる。 すなわち、 A.F.Lの創立の基盤となった熟練は、本来、熟練の秘密の力に依存 するものであって、その熟練は、制限された少数の徒弟に排他的に伝達されるべき 性質のものであった。そこで、こうして獲得された熟練は、労働者にとって、いは ば、一つの財重であるとみなされ、従って、労働者の作業管理上の権限と主体性は 熟練労働者が独占的に保持すべきものであると考えられていた。 このように、労働力の供給を制限し、作業管理上の主体性と権限を独占することに よってはじめて、熟練労働者の熟練は、高い銭的報酬と強力な交渉上の地位を獲得 することができた。そこで、科学的管理法はA.F.Lにとって、こうした労働者 の手中にある熟練を管理側に移転することによって、熱諒労働者の未熟練化を図ろ うとしたものであるとみなされたわけである。事実、科学的管理法は、こうした熟 練の移転 (tr阻 sferenceof ski 11 )を企図したものであったことは周知の通りで あるo さらに、 19 1 1年4月の A.F.Lの棋関紙、

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7

エデレーシヨユスト

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( Federationist )の主張において、ゴγパースは、テーラーの怠業非難に対抗し て、労働者を精力的に擁護した。す私わち、ゴYバースによれば、 「テーラーの方 法は、『新しい条件を装った昔の強制労働制、強圧的な監督制および苦汗制度』の 焼直し以外の何ものでもない」と彼独特の調子によって、テーラーを論難するとと もに、 「ミツドヴェール(Midvale)という『産業屠殺場』において、訓観された 2) もののみが、『非人間的な管理制度を作り出すことは、至極当然である。

J

と述べ た。 こうした組合のテーラー.システムに対する非難の観〈中で、 1911年 3月に は、ギルプ

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スが契約を受けて、科学的管理法の導入を進めていた品ユーヨータの

-37

(19)

ユニオン.ペーパー.バッタ会社 (The Uuion Paper & Bag Comp阻y)にお

いて、差別的出来高給、割増賃金制度等に反対してストライキが起った。このスト ライキは、一応、組合側の勝利に終ったが、しかし、反面、ストライキに対しては マス.コミの批判を受けたために、組合としては、不本意にも世論から孤立せざる を得なかった。しかしながら、これに屈服することなく、鋳物工組合(Molders Unions) と国際機械工組合(.l, ntenational Associationof Mechanists) は。 テーラー.システムに対して、敢然と戦いを挑んだ。 1 9 1 1年4月、 「国際鋳物工雑誌

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(the .I ntenational Molders J ournal ) の主筆、フレー(J hon P, F rey ) は、管理制度の欠陥は、すべて、労働条件の決 定過程に対する労働者の参画権を否定するところから生ずるものであり、団体交渉 の否認は、組合の事実上の否定を意味するものであると指摘した。 さらに、国際機械工組合も、直接、口頭で追撃を加えた。 すなわち、同じく 4月に、ロックアイルランド兵器廠 (Rock I sland Arsenal) の機械工達は、彼等の工場にテーラー.システムを適用しようとしている軍需品補 給部 (OrdnanceDepartment) の計画に抗議するために、ワシントンに委員を派 遣し、クロッツィアー (Crozier ,General Willi町)将軍と陸軍大臣のディキ ソン (F. D ickson )に対し、彼等の反対の意思を書状で明らかにしたのである。 それは、科学的管理法に対する組合の立場について述べた最初の委曲をつくした声 明書であった。しかも、それは、科学的管理法に対する当時の組合の意見を総括的 典型的に代表していた。その要旨を述べれば、次の通りである。 すなわち、 「機械工達は、急激な処置を具体化し、非民主的な原則を唱導するよう な制度を導入する必要を認めることはできない。特に、テーラー.システムは、労 働者の過労と奴隷化、熟練機械工の排除、最大の能率を達成できない労働者の放遂 によって惹起される恐るべき失業問題、労働条件の決定のさいの労働者の発言権の 否定、およびストップ.ワオッチという非人間的で不公正な用具の使用を内包して 3 ) いるa'

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ということであった。 これに対Lて、タロ yツィアー将軍は、その派遣委員連に対L、ロックアイラン

(20)

ド兵器廠に、テーラー.システムを導入しようとする計画を、そのような反対行動 があったからといって、変更するわけにはいかないと主張した。 しかし、実際には、テーラーーの科学的管理技術は、ロ yタアイルラγド兵器廠には 導入されず、主に、ウォータータウン(

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とフラYタフォード

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の両兵器廠に限定されることとなった。 しかし、このように、組合が勝利をおさめた例は、ごくまれであった。 国際機械工組合は、その後も、引き続き、 「公文書

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を組合員聞に回覧させ、最近のこうした科学的管理法の有する危険性に対し、警告 を発 Lた。その内容は、およそ次のように要約される。 すなわち、 「機械工は、最早、彼の熟練的判断を用いることを要求されないー何故 なら、企画部が十分な指図を与えるからである。 機械工の名誉は、最早、信頼されないー何故なら、ストップ.ワオッチが機械工の 仕事の時聞を決定するからである。 目的を達成するために、テーラー.システムに対する組織的な報復の可能性は、妨 4) げられる一何故なら、個人的な変渉のみが許されているにすぎないからである。」 というものであ9た。さらに、会長のオコンネル (J

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)も、科学 的管理法によって、熟練工が完全に排除されてしまうかもしれないと警鐘をならし、 「機械工は、こうしたシステムの必要性を、抵抗をも。て破壊することに成功する だろう。さもなければ、このシステムは、一般に随伴する低賃金、生活破壊的な重 労働、長時間労働およびその他の耐えがたい諸条件を押しつけて、我々の職業と組 5) 織の一掃にとりかかるだろう。」と科学的管理法に対する強固な反対の姿勢を明ら かにした。 この公文書は、 『公式回覧状ナγバー.ツー

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と称され、組合の科学的管理法との闘争に重要な役割を演じたが、同時に、それは、 テーラー.システムに対する熟練職人の恐怖心を暗に示すものでもあった。ここで こうした労働組合の科学的管理法に対する反対理由を要約してみると、およそ次の ようになるであろう。 -39

(21)

付、労働者の機械視、口、労働と搾取の強化、同熟練の破壊岡、労働条件の決定 過程における労働者の発言権の否認ないし団体交渉の否定 岡、課業の非達成者を 観賞することによる失業、以上五項目に大別できょう。

く注>

1 ) ホクシーは、科学的管理法が、熟練を基礎とする職能別組合K対し て、きわめて大きな脅威とf,tる乙とを認めている。

R. F. H oXie

Scienもific Managemen七 勾ld Labor

1966

PP.129-31 2) M. J. Na蜘ony, o,p ciし, P. 54 3) Ibid.

PP.55-56. 4) Ib1d., P. 56. 5 ) 1 b1d

.

P. 5 6 •

1

3

ウ ォ ー タ ー タ ウ ン 兵 器 廠 事 件 労働組合の科学的管理法に対する蛾烈極まる反対闘争があったにもかかわらず、 ウォータータウン兵器廠においては、依然として、科学的管理法の実施が継続され ていた。 しかし、クロッツイアー将軍は、同兵器量廠においても、労働者とのトラブルが起こ るのではないかと極めて憂慮を深くしていた。 そこで、こうしたクロy ツィアー将寧に対し、テーラーは、たとえ労働者が騒動を 起すようなことがあったとしても大事に至ることはないと確信をもって保証を与え た。このように、これまで、何ら騒ぎのなかったウォータータウン兵器廠において も、パース (C.Barth) の時間研究助手であるメリツタ (D• V .Merick) が 課業設定に役立てる情報を収集するために、鋳物工に時間研究を実施しようとした ことが導火線となって、遂に、 8月 24日には、 24名の鋳物工のストライキが勃 発した。 -40

(22)

鋳物工たちは、 「この方法〈時間研究・・・・・・注筆者〉広大体において、非アメ Pカ 1 ) 的であり、直ちに、停止されんことを要求する。」と指揮官の陸軍大臣、ウィーラ ー

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に陳情書を提出した。ところが、そ,の陳情書は、ウィーラ ーによってはからずも無視されたために、彼等は、別の陳情書を作成して、マサチ ユーセyツ州選出の上下両院の全議員にそれを送付し、その問題で彼等を援助する よう要請した。そこで、クロヅツイアー将軍は、このことが政治問題に発展するこ とを恐れて、 8月14日には、労働者が異識を唱えているテーラー.システムはー 2) 部といえども採用しないことを約束した。 こうして、短期間ではあったけれども、ウォータータウγ兵器廠における鋳物工 のストライキは、遂に、科学的管理法の問題を議会の舞台にまで持ち込むに至った。 ここで、議会は、 3人の議員で構成する「テーラー.システムとその他の工場管理 制度を調査するための下院特別委員会

J

の設置を任命した。それは、政府工場にお けるこれらの制度の労働者の健康と賃金支払いに及ぼす影響、その賃金と労務費の 関係に及ぼす最長響およびこの制度についての完全な理解のために必要な事実の調査 を目的とするものであ2た。 この委員会は、議会労働委員会議長のウイルソγ(H. Wilson) 、ニューヨー タのレタドフィールド (W• C •

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およびコネチカ州のテイルソン (T • Q • T ilson)下院議員によ9て構成され、, 1 9 1 1年から、 12年 2月12 日にかけて聞かれたDそして、との問、委員会は、ウォータウγ兵器量廠を訪問する 3) とともに、ボストン、ユユーヨークおよびワシント Yで公聴会を聞いた。 この公聴会には、陸軍兵器廠ならびに海軍工廠の労働者、管理技師、組合指噂者、 実業家、軍需品補給部や海軍の士官等が証言を行なった。 この証言において、鋳物工組合の会長、,オヲ P一

(I.R.OLeary)

は、質率設 定のさいの労働組合の地位について、簡潔に次のように述べた。

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出来高賃率の決 定にあたって、労働者が何ら発言権を有しないために、組合は、科学的管理法に反 4 ) 対するのである。

J

とされた。 さらに、未熟練工ないし半熟蹄工に熟練労働者の仕事を代行させようとする科学的 -41

(23)

管理の手法は、 A.F.L傘下の組合に対し、重大な禽威を与えるものであると強 調した。また、陸軍兵器廠ならびに海軍工廠の労働者ぽ、労働のスピード.アyプ に異議を唱えた。このように、労働者側の証芦の内容には、彼等の従来の主張とあ まり変わりはなかった。 これに対し、科学的管理法側の証言には、エマーソン、ガント、バース等が立っ たが、彼等は、 「彼等の万法は、決して『激しくたゆまず努力すること』を強調す るものではなく、「能率』をこそ強調するものであり.もしそこに困難があるとす れば、それは、労働者の側ではなく、使用者の仰にあるのであって、彼等の万法 fi 5 ) 生産において大きな節約を生み出してさた

J

と能率の向上に対する科学的管理法の 貢献を力説LたQ さらに、タウンやクロッツイアー将軍も、科学的管理法を擁護する証言を行なった。 しかし、こうした科学的管理法側の代表者逮の証言の中で、最も重要かっ抜群に 最長のものは、テーラーの証言であった。 彼の証言 fi、 19 1 2年 1月 2 5日からはじめられ、 31日まで涜けられた。 しかし、その内容は、彼の著書、 「工場管理論」と「科学的管理の諸原理

J

の中で 発表した意見の繰り返しにすぎなかった。 もちろん.ここ-(:,も彼は、組合の生産制限を非難するとともに、彼の方法は、労働 者に、さして大きな負担を謀することなしに、労使双方に共通の繁栄をもたらすも のであるとしづ労使共同繁栄論を強調したことは、いうまでもなし、。 さらに、 「科学的管理の諸原理」の中でも明らかにしたように、テーラ は、この 証言においても、彼の管理機構それ自体では、必ずしも良いとも悪旬、ともいえるも のではなく、その機構を利吊する労使双方の態度如何にかかっているという趣旨の 6) いわゆる「精神革命論

J

(mental revolution)を提唱した。) ここに至つては、テーラーは、全く、観念的な精神主義に陥入っているものと思 われるが、同時に、それは、彼の当初の期待とは逆に、労働組合の徹底的な抗戦に 遭遇した彼の苦悩を示すものでもあコたといえよう。 何故なら、彼は、彼の万法が労使双方の繁栄を保証するために、やがては労働組合

(24)

も進んで彼に協力するようになるであろうと確信していたからである。 ところが、現実は、彼の期待とは全く逆に進展していったために、彼は、なす術を 失ぃ、ただ単に、科学的管理法を用いるさいの労使双方の精神的な能度の変更を期 待するという受動的で

1

消極的な姿勢に変わってきたものと思われる。このように、 テーラーの組合と管理問題に対する姿勢と論理は、現実の労働組合の織烈な攻勢の 中にあって、以前に比べかなり抽象化され、後退するようになった。 1 9 1 2年3月9日、委員会の報告が行なわれた。委員会は、科学的管理法が工 具や部品を標準化し、作業を組織化するとともに、ルーチン化し、さらに切削機械 の正確なおくり (feeds) と速度を定めた点については、一応、功積を認めた。し かし、 「雇用者の単なる精神的な態度ということだけでは、労働者の物質的な福利 がたよる基礎と Lては、あまりにも可変的であり、実体のないものである」とテ ラーの精神革命論を批判するとともに、 「ストップ.ウオッチは、作業の出来高が 遂行される時間を測定することはできたとしても、作業が遂行されるべき時間まで 6 ) 決定することはできない

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とストップ.ウオッチの使用に疑義を唱えた (傍点筆 者)。しかしながら、委員会は、 「種々の政府工場のし、かなる工場管理制度の選択 も、大半は、行政自体の問題であって、委員会は、現在、この問題についての立法 7) 化を勧告することを時宜に則したものであるとも、便宜であるとも考えていない

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と結論づけた。こうした委員会の報告は、一面では、科学的管理法の功積を評価し ながらも、他面では、その内包する欠陥を暴露することとなったために、その推進 者逮にとって、全面的には、承服しがたいものであった。 一方、労働組合にとっても、その主強とはかけ離れていたために、満足し得ないも のであった。

<注>

1) Hugh G. J. Aitken, OP. ciし , P . 1 5 0 2) I bid .

.

P. 1 5 0 •

(25)

4) M. J. Nadwony

OP. cit.

PP. 60-61 5) Ibid.

P.61 6) 1 bid

.

P.6 4 7) F. B. C opl_ey

0 P. ci

.

Vol.n

p.349

1

.

4

科 学 的 管 理 法 の 普 及 と 労 働 組 合 の 反 撃 特別委員会の結論が出されてから、 19 1 4年に至る期聞は、科学的管理法と労 働組合との聞には、大した車

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磯もなく、その管理方式は、その推進者達の努力によ って多くの企業に導入されるようになった。

例えば、ガントは、ユニオン.タイプライタ一社 (theU lD.ion Typr i ter C oIIll僅IY)

とチエニー絹織物工場 (Cheny

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ilk Mills)、ハザウェイとタック(Mouris L.C ooke )は、プリマウス索条会社 (the P lymouth Cordage C omp岨y)、そ

して、バースは、主として、フランクリン自動車会社 (theFranklin Autormbile Comp阻y) を中心に活躍した。

さらに、金融機関までもが科学的管理法の導入を求めてきたために、ボストンのオ ールド.コロニー信託会社 (the Old C olony Trust C omp組y) においては

テーラーの指導のもとに、科学的管理法が導入されるようになった。 また、公共機関では、クックがフィラデルフィア市長の要請に基づいて、 19 1 1 年から、 1 9 1 5年の聞に、科学的管理法の適用によって

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1 3 0万 わ り の 市 の 1 ) 経費の節約に成功した。それ以外に、経営者達独自によっても、科学的管浬法の導 入が多く行なわれた。例えば、その中には、ヴィラード (Oswald

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Villard) やフヱイス (Richad A.Feiss) 等がいた。 なお、その他の重要な領域である政府施設の軍需品補給部、例えば、ウォーター タウン、ロック.アイランド (Rock 1 sland )、およびスプリングフィールド (S pringf ield )等においても、この期聞には、テーラーとバースが科学的管理法 の導入に成功した。

(26)

このように、 1911年から、 14年に至る期間においては、科学的管理法は、 民間企業のみならず、労働組合の反対にあって中止を余儀なくされていた政府施設 の工場内にも急速に普及するようになった。こうした科学的管理法の広範囲にわた る発展は、その推進者逮の経営コンサルタント業務の拡大に対する多大な熱意と経 営者達の生産能率向上への気運とが結唱したものといえよう。 約二年余り小康状態の続いた科学的管理法と労働組合の対立も、こうした科学的 管理法の急速な普及の過程で、再び表面化してきた。 19 1 4年4月、テーラーは、 労働組合の科学的管理法に対する認識を改めきせることを目的に、ミ/レウォーキー において聞かれたウィスコンシン州労働総同盟の大会 (meeting of the Wisconsin Federation of Labor)に出席して、講演を行なった。ここにおい て、テーラーは、新しい論理の展開を試みることはせず、労働組合が彼の提唱する システムに敵対すること自体損失を意味する。何故なら、彼のシステムは、労働者 の利益をも考慮に入れているからであると強調するにとどまった。 これに対して、組合代表者のアリファス (N.P.Alifas) は、テーラーの著書 「工場管理論」なるものは、テーラーが反組合主義者であることを実証する何もの でもなく、テーラーの時間研究による労働者の作業時間の測定の如きは、労働者の 2) 労働を強化するものであると反論した。労働組合にとってみれば、すでに、テー ラー.システムが組織労働者の正当な要求を満たすように考案されたものでないこ とは、あまりにも明白ではあったが、しかし、組合執行部は、この大会において、 科学的管理法を非難する決議文の採択を求めるようなことはしなかった。これは、 1 9 1 1年において、テーラーが非難された国際機械工組合の、かの有名な「公式 回覧状ナンバー.ツー

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当時の「行動か死か」の絶叫からみれば、隔世の感があっ た。 191 4年 3月 3日には、印刷工組合 (TypegraphicalUnion)の組合員であり、 その後、ニューヨーク州労働部 (New York S tate Department of Lalor) の雇用局長。he S uperintendent of the Bearau of Errplo戸lent)となっ

(27)

デル工場として有名なテーバー (Tabor) とリンクベルト (Link-Belt) 工場 を訪れ、科学的管理法と労働の問題に関Lて、テーラーと議識を交した。 この時、ポートナーは、テーラーに対し、テーラー.システムが、どれ程、人間的 要素を考慮しているかを問い質すすとともに、テーラー.システムの生産能率の向 上に対する貢献の有無ではなく、利益の公正な分配に対し、どれだけ寄与してきた かを証明するよう求めた。そしてまた、彼は、労働者が団体交渉以外に信頼し得る 機闘がないということを言明する一方、テーラーにおいて、労働組合が何故に不必 3) 要であるかを説明するよう迫った。 しかしながら、組合無用論は、すでに、テー ラーにおいては、当然のことであって、今さらという感をテーラーに抱かせたこと はいうまでもない。 その後、二ヶ月もまたず、二人は再会したが、対立は解消され得なかった。 テーラーは、こうした組合指導者達との論争において、本意としては、相互の理解 と反情の生まれることを期待していたものと思われるが、現実には、逆に、彼の反 組合意識を一層強める結果になったものと思われる。 それは、彼が「私が労働組合の指導者連と討論を交した時は、いつでも、彼等が科 4) 学的管理法について主張していることは、全く真実ではないj、 「労働組合は、現 5) 在においては、主として、闘争のために、不和のためにある」と、彼が過去におい て、主張していることからもいえることである。 〔注〕 1) F . B • C opley

op . c i t " Vol • n

PP • 395 -6 • 2) M.J .Nad

op. c i t

.

P. 7 0 . 3) Ibid.

PP. 71-73. 4) F.B.Copley

op.cit.

Vol.n

p.403. 5) 1 bid.. P. 407 .

参照

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