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TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

2007年度 東北芸術工科大学美術館大学構想年報

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表紙写真+巻頭グラビア(撮影:イデアゾーン) 『舟越桂 −自分の顔に語る 他人の顔に聴く−』展より 表紙『ルディーの走る理由』(栃木県立美術館蔵) 1頁 『風をためて』(栃木県立美術館蔵) 2・3頁『耳を澄ますスフィンクス』 4頁 『森へ行く日』

TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

2007年度 東北芸術工科大学美術館大学構想年報 目次 舟越桂 特別講義

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すとき

美術館大学構想企画展 vo l.3   舟越桂 ̶ 自分 の 顔 に 語 る 他人 の 顔 に 聴 く ̶ 8 赤坂憲雄 × 秋元康 × 後藤繁雄 × 酒井忠康 × 宮島達男 ︵ 司会 ︶ パ ネ ル デ ィ ス カ ッ シ ョ ン

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二 〇〇 七年度 東北芸術工科大学 卒業 / 修了研究 ・ 制作展 ドキュメント 72 立花文穂 カラー 写真 + 活動報告

文字

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A R T IS T i n R E SI D E N C E P R O G R A M 2007 “ F um io T ac h ib an a ” 24 森繁哉 インタヴュー

さな

ながるた

大蔵村肘折温泉 ・ 開湯一二 〇〇 年︿ 灯籠 ﹀プロジェクト   ひじおりの 灯 53 宮本武典 展覧会 レポート

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東北芸術工科大学 卒業生支援事業   I ,m h er e. 2007 ̶ 根 の 街 へ ̶ 79 酒井忠康 / 山田修市

〇〇

七年度

美術館大学構想

6 赤坂憲雄 × 後藤繁雄 × 酒井忠康 × 宮島達男 公開 レ ヴ ュ ー

審査会

58 二 〇〇 七年度 東北芸術工科大学 卒業 / 修了研究 ・ 制作展 ドキュメント 5

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  東北芸術工科大学 の 美術館大学構想 に 関 わるように なって 三年 が 過 ぎました 。 委員長 として 私 がはじめに 設定 したこの 三年間 の 活動 の 下図 は ﹁ 環境 ﹂﹁ 神話 ﹂﹁ デ ザ イ ン ﹂﹁ 集 約 ﹂ と い う 四 つ の キ ー ワ ー ド を 、 年 次 ご とに 進 めていくというものでした 。 それぞれのテーマ に 基 づいて 、 大学内 に 留 まらず 、 山形県内 の 様々 な 地 域 を 舞台 に 、 この 数年間 で 実 に 質 の 高 い 展覧会 やシン ポジウムがいくつも 開催 されました 。 これまでに 、 宮 本隆司氏 や 西雅秋氏 、 舟越桂氏 といった 優 れたアーテ ィストや 、 藤森照信氏 や 吉増剛造氏 、 茂木健一郎氏 と いったアクチュアルな 学者 や 史家 や 詩人 たちが 、 ここ 山形 に 足跡 を 残 していきました 。 外 からの 刺激 という 視点 では 一定 のインパクトを 与 えることができ 、 教育 的 な 成果 もあったのではないかと 考 えています 。   し か し な が ら 、 今 や 大 学 や 美 術 館 を と り ま く 状 況 というのは 絶 えず 動 いています 。 一旦敷 いたレールで あっても 、 地域社会 や 大学 からのニーズに 応 えるかた ちで 、 修正 しながら 事業 に 取 り 組 んでいく 必要 があり ます 。   何年 か 経過 してからその 効果 が 現 れるという 気 の 長 い 啓蒙活動 だけではなくて 、 大学教育 や 地域振興 に 向 けた 即効薬 としての 芸術 やデザインの 企画 を 注入 して いかなけれ ば ならない 。 少子化 による 全入時代 の 到来 や 、 都市部 と 地方 との 圧倒的格差 の 前 に 、 漢方薬 だけ の 処方 ではやや 心 もとないということです 。   その 際 に 留意 することは 、 これまで 同様 、 山形 の 地 域性 を 重 んじる 姿勢 を 基盤 にすることです 。 その 上 で 、 今後 の 展開 として 私 がとりわけ 重視 したいのは 東北 の 風土 に 立脚 したデザインの 提案 です 。 つまり 、 世 の 中 に 役 に 立 つ 慈善的 な 造形 、 貢献性 と 包容性 があり 、 現 実 の 社会 に 力 を 生 み 出 すものづくりですね 。   東北芸術工科大学 は 開学以来 、 たくさんの 産学連携 プロジェクトに 取 り 組 み 、 地場産業 に 若々 しいアイデ アを 提供 していました 。 しかし 、 こうした 取 り 組 みは それぞれの 学科内 で 完結 しており 、 学内 の 連携 は 充分 ではないし 、 その 後 の 商品 の 売 れ 行 きなどに 関 する 追 跡調査 もされていない 。 デザイン 教育 における 産学連 携 のあり 方 について 体系的 に 整理 して 、 これまでに 蓄 積 されている 実例 やノウハウを 開示 するだけでも 、 私 はかなり 即効性 のあるアーカイブを 形成 し 得 ると 考 え ています 。 美術館大学構想 は 、 これまでどちらかとい え ば 純粋芸術 に 偏 った 事業 を 展開 してきましたが 、 今 後 はアート 、 デザインにこだわらず 、 教育成果 のマス プロ 化 を 促進 させるようなプロジェクトに 取 り 組 んで 、 大学 と 地域 の 双方 になるだけはやく 実益 を 生 む 仕組 み を 考 えていきたい 。   次 に 、 やはりここは 美術系 の 大学 ですから 、 実力 の ある 芸術家 やデザイナーを 育 てることに 全力 を 注 ぎた い 。 技術 については 教員 が 的確 に 指導 しているのです から 、 美術館大学構想 ではそこを 重複 する 必要 はなく て 、 卒業後 に 社会 で 逞 しく 生 きていく 力 の 元 になる 経 験 の 場 を 設定 したいと 考 えています 。   芸術系 の 大学 を 出 ているからといって 、 アーティス トやデザイナーとしての 将来像 だけを 描 いているので は 、 かえって 人生 の 可能性 の 幅 を 縮 めてしまう 。 基礎 を 習得 した 次 のステップとして 、 この 社会 でどう 生 き るかを 真剣 に 考 えてほしい 。 デザインもアートも 、 結 局 は ﹁ よりよく 生 きる ﹂ ための 創造行為 ですから 。   美術館大学構想 は 、 大学 を 地域社会 に 向 けて 開 いて いく 通路 であると 同時 に 、 大学内 で 学 んでいる 二 〇〇 〇 人 の 学生 が 芸術 やデザインに 限定 されないこの 世界 の 様々 な 事象 について 思考 する 機会 でもあります 。 今 後 も 彼 らに 将来 の 進路 に 関 する 喜 びの 発見 を 、 なるだ け 多様性 を 持 たせて 提案 していけるような 取 り 組 みを 提案 していきたいと 思 います 。︵ 談 ︶   美術館大学構想室 は 、 現代美術 の 企画展 やアーティ スト ・ イン ・ レジデンスなど 、 山形市 のキャンパスを 中心 に 展開 するいくつかのアートプログラムの 他 、 二 〇〇 六年度 からは 本学 の 卒業 / 修了研究 ・ 制作展 を 担 当 す る こ と に な り 、 学 生 組 織 ﹁ 卒 展 デ ィ レ ク タ ー ズ ﹂ を 編成 して 、 この 全学的 な 取 り 組 みを 卒展運営委員会 とともに 主導 している 。   これまでも 、 美術館大学構想 が 主催 するプロジェク トには 多 くの 学生 が 関 わり 、 参加 するアーティストや 学芸員 との 共同作業 を 通 して 、 展覧会 の 運営 に 関 する 様々 な 仕事 を 実践的 に 学 んできた 。   単位制 のカリキュラムではなくボランティア 活動 と して 継続 させてきたこうした 取 り 組 みが 、 昨年 、 今年 と 、 卒展 という 学生主体 の 展覧会 において 、 大 きく 開 花 したという 実感 をもっている 。 教員 の 支援 を 受 けな がら 、 学生 の 手 で 実現 してはじめて 、 成果 も 課題 もし っかり 根付 いてくる 。   二 〇〇 七年秋 の 企画展 には 、 世界的 な 彫刻家 であり 、 学生 からもたいへん 人気 の 高 い 舟越桂氏 の 展覧会 を 開 催 したが 、 ここでも 多 くの 学生 が 運営 スタッフとして 参加 し 、 作家 から 直接 に 学 び 、 作品 とじっくり 向 き 合 うという 得難 い 経験 をすることが 出来 た 。   舟越桂氏 が 学生 たちの 心 に 蒔 いた 種 は 、 一言 でいう と ﹁ 具象 ﹂ である 。 ギャラリーには 流行 にとらわれる ことなく 、 自分 の 心象 を 信 じて 彫 られ 続 けてきた 美 し い 人物像 が 年代順 に 並 んだ 。 舟越氏 の 一貫 して 変 わら ない 人間 の 実存 への 探求 と 、 芸術家 として 大成 した 今 日 も 、 なお 尽 きない 新 たな 彫刻 への 好奇心 が 、 まっす ぐ 学生 たちに 伝 わったようだ 。   また 、 アーティスト ・ イン ・ レジデンスに 招 いたア ートディレクターの 立花文穂氏 は 秋 から 冬 にかけて 山 形 の 中山間地域 に 滞在 し 、 制作 をおこなった 。 グラフ ィックデザインコースと 連携 して 開催 した 二回 の 講演 会 では 、 立花氏 が 独自 の 目線 で 捉 えた 東北 を 、 現地 で 撮影 した 写真 とともに 振 り 返 った 。 学生 にとっては 、 足 もとにある 東北地方 の 豊 かな 景観 や 伝承文化 に 改 め て 気付 き 、 見直 し 、 それぞれの 制作 に 取 り 込 むよいヒ ントになったようだ 。   美術館大学構想 の 成果 は 学生 の 成長 によって 計 るべ きで 、 だからこの 運動 は 、 学生 が 進 めていくものでも あると 私 は 考 えている 。 私 たちのプロジェクトは 、 こ の 大学 に 集 まって 来 た 若 い 人 たちに 、 芸術 の 喜 びや 楽 しさと 、 時代 を 見据 える 視線 を 教 え 、 社会 へと 出 てい ってからも 創造性豊 かに 生 きていけるように 多様 な 機 会 をつくっていくことだと 思 っている 。 酒井忠康 美術館大学構想委員長/世田谷美術館館長 ]

山田修市 美術館大学構想室長/芸術学部長 ]

TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

はじめに 6

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舟越桂『水に映る月蝕』/2003年 ● オープニング 対談 ﹃ 自分 の 顔 に 語 る 他人 の 顔 に 聴 く ﹄ 対談 = 舟越桂 [ 彫刻家 ] × 酒井忠康 [ 美術評論家 / 世田谷美術館長 / 大学院教授 ] 日時 = 一 〇 月一二日 ︵ 金 ︶ 一八時 ∼ 二 〇 時 会場 = 二 〇 一講義室 ● 同時開催 T O C H IG I P R E F E C T U R A L M U SE U M O F F IN E A R T S: S cu lp tu re c oll ec tio n ﹃ 栃木県立美術館所蔵彫刻 コレクション 展 ﹄ 会期 = 一 〇 月一二日 ︵ 金 ︶∼ 一一月九日 ︵ 金 ︶ 会場 = 図書館二階 スタジオ 144 企画 = 文化財保存修復研究 センター / 美術館大学構想室 協力 = 栃木県立美術館 出品作家 = アンディー ・ ゴールズワージー / デイヴィッド ・ ナッシュ / ポール ・ ニアグ / 戸谷成雄 / 深井隆

舟越桂

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自分の顔に語る

他人の顔に聴く

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美術館大学構想室企画展

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会期 = 二 〇〇 七年一 〇 月一二日 ︵ 金 ︶∼ 一一月九日 ︵ 金 ︶ 会場 = 七階 ギャラリー   主催 = 東北芸術工科大学 企画 = 美術館大学構想室 協力 = 栃木県立美術館 / 田宮印刷株式会社 / 西村画廊 / 赤々舎 /

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舟越桂 −自分の顔に語る 他人の顔に聴く− TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

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  東北芸術工科大学 ギャラリーで 開催 さ れ た ﹃ 舟 越 桂 ̶ 自 分 の 顔 に 語 る 他 人 の 顔 に 聴 く ̶ ﹄ 展 は 、 静謐 な 眼差 しを 持 つ 木彫 の 人体像 で 世界的 に 知 られる 舟越桂 氏 の 作品 を 、 七 〇 年代 に 制作 された 半身 像 ﹃ ルディーの 走 る 理由 ﹄ から 、 最新作 ﹃ 雪 に 触 れ る 、 角 は も た ず 。﹄ ま で の 一 二点 に 、 そのイメージの 源泉 となったド ローイングやデッサンを 交 えて 展示 し 、 山形 ではじめて 本格的 に 紹介 する 機会 と なった 。   また 一九八八年 のヴェニス ・ ビエンナ ーレ 以降 、 舟越作品 との 良 き 対話者 であ り 続 けてきた 美術館大学構想委員長 ・ 酒 井忠康氏 の 提案 により 、 本展 は ﹃ 美術館 大学 ﹄ のコンセプトにのっとった ﹃ 彫刻 との 対話 ﹄ をテーマとする 鑑賞教育 とし ても 設定 された 。   展覧会 の 運営 には 、 様々 な 学科 コース から 六 〇 名 の 学生 ボランティアが 集 めら れた 。 彼 らは 会場 の 受付 や 監視 、 コンデ ィションチェックなどの 会場管理 に 携 わ るだけでなく 、 学芸員 のサポートを 受 け ながら 展覧会 の 公式 なガイドスタッフと して 、 一般 の 来場者 や 地域 の 子 どもたち への 作品解説 にあたった 。   敬愛 する 舟越作品 の 魅力 を 、 鑑賞者 に 丁寧 に 語 りかけていく 経験 を 通 して 、 学 生 たちはそれぞれに 展示 されている 彫刻 から 学 び 、 作品 の 魅力 を 再発見 して 自身 の 制作 や 研究 の 糧 にしていった 。   本稿 は 、 学生 ボランティアを 対象 に 、 展覧会 のオープン 前夜 に 開催 された 舟越 氏 による 特別講義 の 記録 である 。 学生 た ちとの 二時間 にわたる 質疑応答 の 過程 で 、 舟越氏 は 一 つひとつの 彫刻 の 前 に 立 ち 、 それぞれの 制作 のプロセスを 詳細 に 語 り ながら 、 大学院生 の 時 に 制作 した ﹃ 妻 の 肖像 ﹄ から 、 最新作 ﹃ 耳 を 澄 ますスフィ ンクス ﹄ に 至 る 作品 の 変遷 を 、 展示 され ている 彫刻 に 自 ら 導 かれるようにして 辿 っていく 。 舟越    二 〇〇 三年 に 東京都現代美術館 で 回顧展 を 開催 した 時 、 最新作 は 次 のス テップにつながる 新 しい 試 みをしたくて 二 〇 年 ぶりに 裸 の 女性像 をつくりました 。 それがこの ﹃ 水 に 映 る 月蝕 ﹄ です 。   僕 はいつも 作品 と 同 じ 大 きさのデッサ ンを 描 きあげてから 木彫 をスタートさせ ま す 。﹃ 水 に 映 る 月 蝕 ﹄ の 時 は 、 ま ず 顔 を 描 いて 、 長 い 首 、 肩 、 胸 の 膨 らみと 線 を 下 げていって 、 いつものように 肋骨 の 端 につなげようと 思 ったのですが 、 なぜ か 普通 の 胴体 のラインではなくてひろが ってしまう 。 描 きながら 変 だなぁと 思 っ たけれど 、 何 かが 出 てきそうな 予感 があ って 、 その 見 えないアウトラインを 探 し て 線 を 重 ねていったら 、 最後 にはこんな 丸 みのある 姿 になりました 。   どうしてこんなデッサンがでてきたの か 、 一年 くらいはっきりしませんでした 。 あまりないことなのですが 、 不思議 な 形 を 見 つけたときには 、 そこにどんな 意味 があるのか 、 僕 の 中 のどういう 心 の 動 き を 表 しているのか 、 そしてそれを 実際 に 彫刻 にするべきなのかを 考 えるのですが 、 このデッサンに 関 しては 意味合 いがはっ きりしないまま 木彫 に 移 していきました 。   彫 りあげてみると 、 よく 訊 かれるよう な 妊婦 のイメージは 僕 には 全 くなくて 、 むしろお 腹 の 丸 みが 空中 に 浮 きあがるよ うな 印象 を 受 けました 。 後 に ﹁ 浮 く ﹂ と いうことは 、 祈 りのイメージにつながっ てくるように 思 いました 。 祈 りには 、 こ の 地上 から 人 が 少 しでも 解 き 放 たれよう とする 意味 があるような 気 がして 。 学生    作品 は 何 で 彩色 しているのです か ? 舟越    肌 の 部分 はアクリル 絵具 の 下地 材 です 。 ジェッソの 白 に ほんの 少 し 焦茶 色 を 混 ぜたもので 地塗 りを 施 し 、 その 上 から 油絵具 で 肌 を 彩色 していきます 。 目 玉 は 大理石 です 。 半球 の 塊 を 二 つつくっ て 瞳 を 描 き 、 表面 が 光 るように 樹脂 でコ ーティングしてから 、 内側 からはめ 込 ん であります 。 学 生   等 身 大 の デ ッ サ ン を し て か ら 制 作 す る と お っ し ゃ っ て い た の で す が 、 立 体 な の で 正 面 か ら の デ ッ サ ン の 他 に 背 面 や 側 面 を 描 い た も の も あ る の で し ょ う か ? 舟越    背面 や 側面 の 造形 は 頭 の 中 でだ いたい 把握 できるから 、 あまり 入念 なデ ッサンはしません 。 ときどき 迷 うと 小 さ いメモ 程度 のドローイングはしますが 。 僕 は 子供 のときから 粘土 で 顔 でも 何 でも わりと 上手 につくれました 。 例 え ば 、 自 分 に 向 けられた 指先 を 真正面 から 平面 で 捉 えようとするとものすごく 難 しいです よね 。 でも 三次元 で 把握 することは 比較 的 に 簡単 にできたんです 。   だから 等身大 のデッサンでは 、 とにか く 正面 から 気 に 入 る 姿 が 紙 の 上 に 表 われ るまで 描 きます 。 何度 も 消 したり 描 いた りを 繰 り 返 しながら 、 一枚 のデッサンに かなり 食 い 下 がります 。 枚数 をもっと 描 いた 方 がいいと 、 本当 は 思 っているので すが 、 僕 は 紙 の 上 でしつこくイメージを 修正 しないと 気 がすまないところがあっ て 。   デッサンに 使 っているのは 写真 スタジ オで 背景 に 使 う 紙 です 。 あれは 消 しゴム で 表面 を 擦 っても 毛羽立 たないからすご くいいのです 。 幅 が 三 メートル 、 長 さ 一 一 メートルのロール 状 で 売 られているか ら 、 それを 一 メートルずつノコギリでカ ットする 。 それをデッサン 室 の 壁際 にぶ ら 下 げておいて 、 描 く 分 だけ 引 き 下 ろし て 使 っています 。 学生    ずっと 楠 を 彫刻 の 素材 にされて いますが 、 そのこと 自体 に 何 か 意味 があ るのですか ? 舟越    楠 は 自分 が 扱 いやすいから 使 っ ています 。 この 木 は 固 すぎず 柔 らかすぎ ず 、 木目 にも 味 わいがある 。 僕 と 同 じ 名 前 の 桂 の 木 は 、 あまりに 素直 すぎて 単調 でつまらない 。 大学院二年 のときに 、 函 館 のトラピスト 修道院 から 木彫 のマリア 様 の 制作 を 頼 まれて 、 その 時 はじめて 素 材 として 使 ったのが 楠 との 出会 いですね 。 学生    肩 から 突 き 出 た 二本 の 手 は 、 こ の 女性 のものですか ? 舟越    この 女性 の 手 だと 思 っています 。 この 後 で 紹介 するいくつかの 作品 でも 肩 から 手 が 出 ているものがあります 。 彫刻 になっている 人物 を 支 えるような 、 その 人 を 守 るような 形 で 肩 から 手 が 伸 びてき て い る も の も あ り ま す が 、﹃ 水 に 映 る 月 蝕 ﹄ に 関 してはこの 人 の 手 だと 僕 は 思 っ ています 。 学生    この 女性像 には 特定 のモデルさ んはいらっし ゃ るのでしょうか ? 舟 越   モ デ ル は い ま せ ん 。﹃ 水 に 映 る 月蝕 ﹄ を 制作 するまで 、 僕 はあまり 女性 像 はつくらなかった 。 つくる 時 は 必 ずモ ﹃舟越展スタッフブログ﹄より抜粋 展覧会期間中 にウェブ 上 で 開設 ・ 公開 してい たスタッフノート 。 ボランティアとして 会場 管理 を 任 された 学生 たちが 舟越作品 に 関 する 互 いの 解釈 ・ 視点 を 共有 するために 立 ち 上 げ た 。 午 後 三 時 。 ス タ ッ フ と し て の 初 仕 事 。﹃ 耳 を 澄 ま す ス フ ィ ン ク ス ﹄ と 、﹃ 月 蝕 の 森 で ﹄ の 傍 にいながら 、 そこから 三時間 。 ― この 三時 間 の 緊張感 !︵ これほど 責任 と 緊張 を 持 った 仕事 は 二 〇 数年 で 初 めてで 、 けれども 不思議 な 事 に 、 私 は そ の 緊 張 感 の 中 に 幸 せ を 感 じ る 。︶ 難 しいと 思 った 事 は 、観客 と 作品 の 距離 。 柵 も 無 く 、 クリアケースで 守 られてもいない 、 無防備 な 舟越 さんの 作品 に 対 して 、 鑑賞者 は どこまで 近 づく 事 を 許 されるのだろう 。 監視 中 、﹃ 耳 を 澄 ますスフィンクス ﹄ と 、﹃ 月蝕 の 森 で ﹄ は 、 確 かに 動 いた 。 ごくりと 、 咽喉 が 動 い た 。 瞬 き も し た か も し れ な い 。〝 こ れ は 物 じ ゃ ない ⋮ 生 き 物 だ 〟 ちらっと 横目 で 彼 ら を 見 つつ 、 そう 思 い 続 けた 一八 〇 分 だった 。 ︵ 佐々木綾子 ︶ 最近 めっきり 冷 え 込 んできて 、 空調設備 のた め 暖房 を 押 さえ 気味 にしているのでギャラリ ーはますます 寒 いのです 。 ですが 、 その 寒 さ さえも 舟越 さんの 作品 の 静謐 さを 際立 たせて いるように 思 います 。 今日気 がついたことは 、 作品 と 真正面 から 見 つめ 合 っていると 、 彫刻 がどんどん 人間 のように 見 えてきたこと 。 ど ちらがほんとの 人間 かわからなくなる 。 沈黙 の 存在感 。 横 から 見 ているお 客 さんにそっぽ を 向 いているようにも 見 えた 。︵ 羽賀文佳 ︶ よくよく 考 えてみると 、 これだけ 長 い 時間 を 他人 の 作品 と 過 ごすのは 初 めての 経験 だ 。 美 術館 などでも 、 ほとんどが 一期一会 の 関係 に なってしまう 。 時間 を 費 やすだけ 様々 な 表情 が 見 えてきて 、 非常 に 贅沢 な 時間 を 過 ごさせ てもらっていると 思 う 。 作家 の 仕事 にみんな 興 味 が あ る の か 、﹁ ニ ア イ コ ー ル ﹂ に 見 入 る 人 が 多 いのが 印象的 だった 。︵ 森田龍磨 ︶ ある 作品 を 目 の 前 にすると 、 不思議 な 感覚 に 襲 われる 事 がある 。 一 つ 一 つの 作品 には 、 作 品 から 発 せられる ﹁ 何 か ﹂ があって 、その ﹁ 何 か ﹂ をキャッチするアンテナを 持 った 人 が 、 あの ﹁ 不思議 な 感覚 ﹂ に 包 まれるのだと 思 う 。 その ﹁ 何 か ﹂ は 、 メディアを 通 しては 正確 に 伝 わらない 。 図版 などで 見 た 作品 と 印象 が 違 うし 、 テレビの 映像 も 到底及 ば ない 。 小 さい 頃 、 美術 の 教科書 で ダ リの 絵 に 感動 した 。 大 きくなって 、 意気揚々 と ダ リの 展覧会 に 行 っ たのはいいものの 、 本物 を 目 にした 途端 、 絵 の 凄 みにはいってしまい 体調 を 崩 した 事 があ る 。 作品 が 持 つ 力 はすごい 。 それは 、 実際目 の 前 にした 時 に 初 めてわかる 。 舟越先生 の 作 品 も 同 じで 、 一 つ 一 つが 強 い ﹁ 何 か ﹂ を 発 し ていて 、 それは 実物 を 目 の 前 にしなき ゃ 絶対 にキャッチすることができない 。 できるなら ば ずっと 、 その ﹁ 何 か ﹂ を 人間 に 発 し 続 けて いて 欲 しいし 、 多 くの 人 に 展覧会 に 来 てもら って 、それをキャッチし 続 けて 欲 しい 。︵ 佐々 木綾子 ︶ 彫刻 の 影 に 私 の 影 が 重 なる 。 影 だけを 見 れ ば 何 の 変 わりもなく 同 じように 存在 しているよ うに 思 ってしまいます 。 この 彫刻 たちは 存在 する 生 き 物 。 形 、 重量 、 質感 、 行動 、 時間 、 そして 言葉 さえももっています 。 私 たちと 同 じ よ う に 、 こ れ ま で も こ れ か ら も 何 万 も の 人々 と 出会 っていくのでしょう 。 まさに ﹁ 他

ギ ャ ラ リ ートーク採録 作 品 解 説 = 舟 越 桂

K at su ra F un ak os h i 美術館大学構想室企画展

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3

  舟越桂

̶ 自分 の 顔 に 語 る 他人 の 顔 に 聴 く ̶

水に映る月蝕

二 〇〇 三年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 作家蔵

TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

舟越桂 −自分の顔に語る 他人の顔に聴く− 10

(8)

デルを 決 めて 、 アトリエに 来 てもらって 、 写真 を 撮影 してから 彫 りはじめるように していました 。   男性 はモデルなしでもたくさんつくっ てきたのですが 、 女性像 の 場合 は 、 モデ ルなしで 彫 ると 僕 の 気 に 入 っている 顔 が 勝手 にできあがってしまいそうで 抵抗感 があったのです 。 二 〇 年 ぶりに 裸婦 に 取 り 組 んだ ﹃ 水 に 映 る 月蝕 ﹄ でも 、 モデル なしで 甘 さが 出 るかも 知 れないと 思 った からこそ 、 さっき 言 ったようにデッサン の 段階 から 新 しい 冒険 をしようと 意識 し ていました 。 舟越    この 作品 は 、 大学院 をでて 結婚 をした 頃 に 妻 にモデルになってもらって 彫 りました 。 トラピスト 修道院 の 聖母子 像 ではじめて 楠 を 使 ってからだいたい 二 年後 ですね 。 木彫 をもっと 試 したいとい う 気持 ちがありました 。   妻 に 上半身 だけ 服 を 脱 いで 椅子 に 座 っ てもらって 、 最初 は 粘土 で 塑像 をつくり 、 それを 型取 りして 石膏 に 移 して 習作 とし ました 。 あとはその 石膏像 もあまり 見 な いまま 彫 り 上 げました 。 腰 の 部分 までの 半身像 はこれが 第一号 ですね 。 ごく 薄 く ではありますが 、 油絵具 で 彩色 もしてい ます 。 大理石 の 眼球 はまだ 入 っていませ ん 。   眼球 に 関 してはこの 時期 から 意識 しは じめました 。 眼球 は 光 って 濡 れていて 、 人間 の 表面 を 覆 う 他 の 皮膚 とは 根本的 に 違 うと 思 ったのです 。 それから 、 瞳孔 の 黒 は 眼球 の 表面 にあるのではなくて 、 瞳 の 中 の 暗 さが 見 えているということをど こかで 聞 いて 、 強 く 印象 に 残 ったのです 。 ﹃ 妻 の 肖 像 ﹄ を 制 作 し て い た 時 は 、 そ ん なことを 意識 しながら 、 瞳 の 部分 を 平坦 にして 、 逆 に 周囲 の 白目 の 部分 を 彫 り 込 んでいます 。 舟越    はじめて 大理石 の 眼球 をはめ 込 んだのがこの 作品 です 。 鎌倉時代 の 仏像 の 目玉 には 水晶 が 入 っているのですが 、 当時 、 その 図解 とか 写真 を 手 に 入 れて 、 参考 にしました 。 この 作品 にもモデルは いません 。 普通 の 日本人 の 顔 を 彫 ってみ たかったので 。 舟越    これは 制作 に 取 りかかる 前 から はっきりとしたイメージがあった 作品 で す 。 人間 の 姿 を 、 彫刻 としてある 程度 リ アルに 再現 したいのだけれど 、 そこにち ょっとした 違和感 を 挿入 させてみたかっ た 。 顔 のほりが 深 くて 、 あまり 日本人 ら しくなくて 。 それから 頭部 の 上半分 を 切 り 取 ってみました 。 当時 の 僕 はかなりジ ョギングをしていたから 、 こういうラン ニングみたいな 衣装 になったのかな 。   ﹃ ル デ ィ ー の 走 る 理 由 ﹄ と い う タ イ ト ルは 、 あれこれ 考 えているうちに 自然 に 浮 かんできました 。   この 前 に 制作 した ﹃ 妻 の 肖像 ﹄ や ﹃ 背 人 の 顔 に 聴 く ﹂ です 。 今日 は ﹃ ルディーの 走 る 理由 ﹂ について 男性 のお 客 さんに 質問 をい た だ き ま し た 。﹁ 走 っ て い る 感 じ が し な い の だ け れ ど 、 な ぜ こ う い う タ イ ト ル な ん で す か ?﹂ 観 る 人 によって 感 じ 方 はもちろん 違 い ますから 答 えはありません 。 半身像 なので 足 はありませんがランニングシャツを 着 ていま す 。 私 の 妄想時間 が 始 まりました 。 ずっと 走 り 続 けていたのだけど 、 急 に 止 まってこれか らを 考 えている 。 走 るというのは 物理的 なこ とではなくて 彼 の 人生 そのものを 語 っている 。 森林 の 中 をランニングしていて 荒 く 乱 れた 呼 吸 をしている 。 ルディーの 過去 は 誰 にも 暴 け ない 。︵ 長澤明子 ︶ 舟越先生 の 作品 は 、 学校 の 教科書 や 最寄 りの 美術館 での 常設展 などを 通 じて 、 以前 からと ても 興味 を 持 っていました 。 そのドラマチッ ク な 造 形 と ほ の か に 着 色 さ れ た 木 肌 は 、﹁ 芸 術 ﹂ をよく 理解 していなかった 私 を 常 にドキ ドキさせる 存在 でした 。 今回 のガイドスタッ フでは 、 そんな 気持 ちをこれから 観 る 方 に 少 しでも 気持 ちよく 感 じてもらい 、 作品 との 繋 がりを 微力 ながらお 手伝 いしたいと 思 い 参加 しました 。 そんな 中 で 私 をハッとさせること がありました 。 それは 質問 を 受 け 終 わり 所定 の 位置 についた 時 、 それまで 曇 っていた 空 か ら 一 瞬 太 陽 が 顔 を の ぞ か せ ﹃ 言 葉 を つ か む 手 ﹄ にひかりが 降 り 注 ぎました 。 今 までそっ とたたずんでいた 作品 の 内面 が 空間 に 溶 け 出 し 、 辺 りを 包 み 込 みました 。 これはほんの 一 瞬 の 出来事 でしたが 、 大 きな 驚 きであり 喜 び でした 。 そしてこんな 一瞬 をこの 期間中 に 一 人 でも 多 くの 方 に 感 じてもらいたいと 思 いま す 。︵ 足立裕三子 ︶ 時間帯 によって 会場 の 暗 さも 変 わっていきま す 。 暗 くなってくると 、 作品 だけがぼぅっと 立 っているように 見 えてドキッとすることが あります 。 明 るい 時 と 比 べると 、 作品 と 自分 との 距離 が 近 くなっているような 気 がしてな んだか 、 自分 は 不思議 な 間 にいるような 気分 になりました 。︵ 伊地知美里 ︶ 私 がスタッフに 志望 した 理由 は 、 舟越 さんの 作品 を 思 う 存分 に 鑑賞 するためでしたが 、 仕 事中 に 来場 した 方々 も 興味深 かったのでじっ

背広の男

一九八二年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 作家蔵

ルディーの走る理由

一九八二年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 栃木県立美術館蔵

妻の肖像

一九七九年 ∼ 八 〇 年 / 楠 に 彩色 / 作家蔵 [ 写 真 13頁 ]

TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

舟越桂 −自分の顔に語る 他人の顔に聴く− 12

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広 の 男 ﹄ のような 、 見 えていることをわ ざわざもう 一度 タイトルに 使 いたくなく て 、﹃ ル デ ィ ー の 走 る 理 由 ﹄ 以 降 は 、 見 えていないことを 意識的 にタイトルに 選 ぶというか 言葉 を 探 すようになりました 。 舟越    この 彫刻 のモデルは 妻 の 弟 です 。 本当 にこういう 風貌 をしているのですよ 。 鼻 が 高 くて 太 く ⋮ まるでインディオみた いな 顔 。   当時 の 彼 は 大学四年生 くらいだったか な 、 ヨガに 興味 を 持 ったり 、 本好 きで 哲 学書 を 読 みあさったりする 青年 だった 。 雰囲気 がとても 不思議 な 人 。 周 りにある 様々 なものから 懸命 に 学 び 吸収 している 時期 に 見 えたので 、 言葉 を 探 したら ﹃ 風 をためて ﹄ というタイトルが 浮 かびまし た 。 舟越    これは 三 〇 年 ぐらい 前 に 参加 し ていた 新具象彫刻展 が 、 毎年 の 会期 と 別 に 秋季展 をやることが 突然決 まって 、 急 いでつくった 作品 ですね 。   胴体 は 珍 しく 小 さい 木 をくっつけて 寄 木 ︵ よせぎ ︶ にしています 。 顔 はその 前 に 一度失敗 していた 頭部 を 手直 ししたも の 。 その 時 は ﹁ 勢 いだけで 彫 っていった らどうなるのだろう ﹂ と 思 って 、 あまり 目鼻 の 位置関係 や 全体 の 比率 を 意識 しな いでバッと 彫 っていったら 、 気 がついた ら 額 の 狭 い 、 アナコン ダ のように 脳 がほ とんどない 頭 になってしまった 。 鼻 も 長 すぎるしね 。 だから 途中 でやめていたの に 、 〆 切 が 迫 ってきて 、 仕方 がないから 少 し 丁寧 に 彫 り 直 して 仕上 げたのです 。   ところが 実際 にグループ 展 に 出展 して 一週間 くらい 見続 けているうちに 好 きな 作品 に 変 わってしまいました 。 あまり 先 まで 予測 を 立 てずに 彫 っていってたから 、 完成 までの 図 ⋮ 記録 、 地図 みたいなもの が 思 い 返 せない 、 探 せない 不思議 な 感 じ で 、 僕 にとって 大切 な 作品 になりました 。 舟越    一九八八年 のヴェニス ・ ビエン ナーレに 出品 した 作品 です 。 これはち ゃ んとモデルがいて 、よく ﹁ 少年 ですか ?﹂ と 訊 かれるけど 女性像 です 。 スッキリと した 印象 の 女性 で 、 写真 を 撮 らせてもら って 食事 をごちそうして 。 その 時 、 隣 に 座 っていたら 振 り 向 くように 顔 を 向 けて 話 を 聞 いていたので 、 僕 が ﹁ 反対側 に 行 き ま し ょ う か ?﹂ と 言 っ た ら 、﹁ お 願 い します ﹂ と ⋮﹁ もうお 気 づきだと 思 うの ですが 、 こちらは 見 えません 、 眼 の 病気 で ﹂ とおっし ゃ った 。   そういう 事情 があって 、 その 女性 は 少 し 目 が 斜視 だったのですが 、 それがかえ って 遠 くを 眺 めているような 、 どこを 見 ているのかと 、 こちら 側 の 想像力 をかき 立 てるような 、 すごく 美 しい 表情 に 見 え ました 。 ですからこの 作品 もそのように 斜視気味 につくったのですが 、 それ 以降 も 焦点 がはっきりしない 視線 を 意識 して 設定 するようになります 。 人々 が 遠 くを ぼんやり 眺 めているのは 、 実 は 自分 の 中 を 覗 いているのではないかと 思 って 。 舟越    僕 は 理論的 に 考 えて 答 えを 見 つ けていくことがすごく 苦手 なのですが 、 その 代 わりに 、 その 時 ははっきり 分 らな かった 大切 なことが 、 何年 か 経 ってから フッと 理解 できることが 度々 あるのです 。 それは 言葉 に 姿 を 変 えて 突然 やってくる 。 それを 逃 さずにキャッチするための 意識 のアンテナだけはいつも 張 っているよう にしていますね 。   この 作品 は 唐突 にやってくる 大切 な 言 葉 を 捕 まえる 手 、 というイメージです 。 ですから 、 この 手 は 八 〇 パーセントこの 女性 のものですが 、 やってきた 言葉 との つながりを 示 すものとして 、 その 主体 は はっきりしていません 。 左手 が 四角 いま まなのはそのせいです 。   首 から 上 はモデルがいます 。 勝手 な 想 像 で 裸 婦 に し た か っ た の で 、﹁ す い ま せ んが 裸 の 女性像 にしますよ ﹂ と 事前 に 断 って 彫 らせてもらいました 。 学生    首 が 極端 に 長 くなっているのは どうしてですか ? 舟越    この 作品 は 二 〇〇 四年 の 制作 で すが 、 首 はその 前 から 徐々 に 長 くなって きていました 。 山 のようなフォルムの 胴 体部分 をつくっていた 時期 に 、 頭部 とデ フォルメした 胴体 が 上手 くつながらなく なってしまって 、 つなぎとしてソフトク リームのようなねじれ 模様 の 襟巻 きを 置 いてみたり 、 ブリキを 巻 いたりしている うちに 、 首 が 伸 びていきました 。 僕 の 中 ではだんだん 伸 びていったから 違和感 は ないのですが 、 はじめてこの ﹃ 言葉 をつ かむ 手 ﹄ を 観 た 人 は 、 たいてい 首 が 長 す ぎると 感 じるようですね 。   ズングリと 下 がってしまうよりは 、 ス ッと 伸 びていきたいのです 。 バレリーナ に 喩 えると 分 り 易 いのですが 、 首 を 長 く 美 しく 見 せるには 逆 に 肩 をすごく 下 にさ げるでしょう 。 この 後 、 首 はもっと 長 く なっていきます 。 これには 草食動物 のイ メージが 反映 されているのですが 、 詳 し くはあとでお 話 しします 。 学 生   ﹃ 水 に 映 る 月 蝕 ﹄ と ﹃ 言 葉 を つ か む 手 ﹄、 二 つ の 彫 刻 に お け る 手 の 相 違 性 についてもう 少 し 詳 しくお 話 していた だけませんか 。 舟越    はじめにお 話 ししたように 、﹃ 水 に 映 る 月蝕 ﹄ はデッサンしているうちに 胴体 が 自然 と 不思議 な 形 になっていった 。 手 は そ の 過 程 で 紙 の 余 白 部 分 に 本 当 に ﹁ 見 え た ﹂ と 感 じ た の で 、 特 に 意 味 付 け も な い ま ま 描 い た の で す 。﹃ 言 葉 を つ か む 手 ﹄ の 手 は 、 その 経験 が 前提 としてあ ったから 出 てきたと 思 います 。 こちらへ やってきたイメージを 捉 える 、 捕 まえる 手 ということで 。   僕 は 、﹃ 水 に 映 る 月 蝕 ﹄ で 、 身 体 の プ ロポーションが 必 ずしも 解剖学的 につな がっていなくてもいいと 確信 したのです 。 おかしなところに 手 がついても 、 そのこ とで 予期 せぬ 意味 やイメージが 生 まれて きても 、 それはそれで 魅力的 な 彫刻 にな ると 。   ﹃ 妻 の 肖 像 ﹄ や ﹃ 冬 の 本 ﹄ を つ く っ て くり 見 ていました 。 作品 の 鑑賞 の 仕方 は 人 そ れぞれですが 、 多 く 見 られるタイプがありま した 。 以下 、 私 が 勝手 に 名付 けたタイプです 。 ① 接 近 ぐ る ぐ る 見 回 し タ イ プ 。 上 半 身 を グ ネッと 曲 げたり 、 作品 の 後 ろに 回 り 込 んで 細 部 をまじまじ 見 つめます 。 作品 をどう 観 れ ば い い の か 、 模 索 し て い る よ う で す 。 ② 指 差 し 線引 きタイプ 。 デッサンする 感 じで 、 指 、 手持 ちの 資料 などで 作品 に 線 を 引 くように 離 れてなぞります 。 彫刻 をどのようにつくった の か を 知 り た い み た い で す 。﹁ も の ﹂ と し て 作品 を 見 ていますね 。 ご 自分 でも 制作 されて い る 方 々 か も し れ ま せ ん 。 ③ お 友 達 タ イ プ 。 親 し い 人 と 同 時 に 作 品 を 鑑 賞 し 、﹁ こ れ は 何 だろう ?﹂ とお 話 ししながら 作品 を 鑑賞 しま す 。 楽 し そ う で す 。 ④ ツ カ ツ カ 高 速 タ イ プ 。 あまり 立 ち 止 まらずに 、 五分 も 経 たずに 会場 を 観終 えて 行 ってしまいます 。 忙 しそうです 。 ⑤ じ ー っ と 見 つ め る ト リ ッ プ タ イ プ 。 何 分 も 作品 をじーっと 観続 けます 。 きっとその 人 にとっての 舟越 ワールドが 広 がっているので しょう 。 他 にもいろいろな 方々 がいました 。 ﹁ 自 分 の 顔 に 語 る 、 他 人 の 顔 に 聴 く ﹂ 作 品 た ちは 自分 を 映 す 鏡 です 。 どう 鑑賞 しているか によって 、 普段 その 人 がしている 自分 への 探 索 や 、 どのくらい 自分自身 を 見 つめてきたの か ? と い う こ と が 浮 き 彫 り に な り ま す 。 舟 越 さんの 彫刻 は 、 とてもとても 純度 の 高 い 鏡 です 。 作品 への 解釈 はそのまま 自分 に 返 って きますね 。︵ 入間田渚 ︶ ガイドをしていると 、 おのずと 何時間 も 作品 を 見 つめることになり 、 目 も 慣 れてきて 最初 の 感動 を 忘 れてしまうのではないかと 思 って いたのですが 、 実際 が 最初 の 感動 とはまった く 別 の 感動 を 感 じていることに 驚 いています 。 私 は 観 たと 思 い 込 んでいるだけかもしれませ ん 。 そんな 気持 ちをもったのは ﹃ 月蝕 の 森 で ﹄ がきっかけでした 。 夕方 の 雨 の 日 、 今 まで 何 回 も 観 ていたはずの 顔 なのに 、 別 の 印象 を 受 けました 。 顔 がハッとするほど 白 く 、 凛 とし てみえて 、 その 周 りを 回 ってみると 微 かに 木 の 香 りがしました 。 またある 時 は 、 よく 晴 れ た 朝 の 時間 。 窓 の 微 かな 隙間 から 自然光 がは いって 、﹃ 月蝕 の 森 で ﹄はとても 優 しい 表情 で 、 木 でできたとは 思 えないほど 柔 らかくみえま した 。 みえていたようでみえていなかった 部 分 がいっぱいあって 、 毎回違 った 顔 をみせて くれます 。︵ 佐々木綾子 ︶ 私 が 舟越桂 さんの 彫刻 と 初 めて 対面 したのは 高校生 の 時 、 北海道 にある 札幌芸術 の 森美術 館 です 。 もう 展覧会 の 名前 は 忘 れてしまいま したが 、 ものすごく 感動 したことは 覚 えてい ます 。 その 時感 じたのが 、 とても 静謐 な 空気 感 。 当時 は 絵画 にば かり 興味 のあった 私 は 、 作品 の 周 りを 取 り 囲 むオーラのようなものに 驚 きを 覚 えました 。 もうこれは 、 彫刻 ではな く 、 生命 が 宿 っていると 感 じました 。 今回 の 展覧会 でも 強 く 感 じました 。 ずっと 作品 を 観 ていると 、 それぞれの 彫刻 がなんらかの 記憶 をもった 存在 ⋮ それぞれの 過去 をもって 、 そ こにたたずんでいるような 気 がしました 。 作 家 というのは 、 もしかしたら 神 の 領域 にまで 踏 み 込 める 存在 なのかなと 物思 いにふける 私 です 。 今回 スタッフとして 作品 の 展示 を 手伝 い 、 舟越先生 ご 本人 にもお 会 いすることがで きて 、 本当 に 一生 ものの 思 い 出 になりました 。 ︵ 山本萌美 ︶ 今日 は 午前一 〇 時 からこども 芸大 の 園児 が 来 場 しました 。 私 たちガイドスタッフは 学芸員 のサポートを 受 けながら 解説 にあたりました 。 私 は 子供 と 接 する 機会 が 日頃少 なく 、 苦手意 識 があるため 、 ただでさえうまくできない 解

森へ行く日

一 九 八 四 年 / 楠 に 彩 色 、 大 理 石 、 ゴ ム チ ュ ー ブ / 作家蔵  

冬の本

一九八八年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 作家蔵

言葉をつかむ手

二 〇〇 四年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 作家蔵

風をためて

一九八三年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 栃木県立美術館蔵

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舟越桂 −自分の顔に語る 他人の顔に聴く− 14

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いた 頃 は 、 まさか 自分 がこういう 自由 な 彫刻 が 作 れるようになれるとは 想像 して いなかった 。 全 く 今 まで 思 いつかなかっ たものがパッと 見 えてきてスケッチに 残 して 、 それを 具体的 に 彫刻 にしていくと きの 過程 はワクワクしますね 。 まだ 誰 も 見 たことないもの 、 他 の 誰 も 試 みていな い 彫刻 を 自分 はつくっているのだという 喜 びがあります 。 舟越    これも ﹃ 水 に 映 る 月蝕 ﹄ とほぼ 同 じ 形態 ですね 。 月蝕 シリーズはこの 作 品 を 含 めて 三体 つくりました 。   ﹁ 月 蝕 ﹂ と い う 言 葉 に は 、 見 え そ う な のに 見 えない 、 あるいは 見 えていたもの が 見 えなくなる ⋮ 作者 である 僕自身 にと ってもこの 彫刻 は 無意識 の 世界 から 出 て き た 。﹁ 月 蝕 ﹂ に は 、 こ う し た 不 思 議 な イメージとの 出会 いのプロセスを 象徴的 に 表 す 言葉 として 使 いはじめたのです 。 とりわけその 最初 の 作品 になった ﹃ 水 に 映 る 月 蝕 ﹄ で は 、 見 え な い 月 蝕 が 揺 れ る 水 面 に 映 る こ と に よ っ て 、 さ ら に 不 確 か な 像 に な る と い う 意 味 が 込 め ら れ て い ま す 。   この ﹃ 月蝕 の 森 で ﹄ の 一 つ 前 に 、 同 じ ように 自然木 の 枝 で 浮 かせる 作品 をつく りました 。 昨年 、 西村画廊 で 久 しぶりの 個展 を 開催 したのですが 、 新作 のイメー ジがなかなか 出 てこなくて 苦労 していま した 。 あれこれ 考 えながらスケッチの 断 片 を 頭 の 中 でつなぎあわせているうちに 、 ﹃ 水 に 映 る 月 蝕 ﹄ の 祈 り と 浮 遊 の イ メ ー ジから 、突然 ﹁ 彫刻 を 木 の 枝 で 浮 かせる ﹂ というアイデアが 出 てきました 。 それを すぐ 近 くにあった 紙片 に 描 き 留 めて 、﹃ 森 に 浮 くスフィンクス ﹄ という 作品 をつく ったのです 。   自然木 で 浮 かせるというイメージが 出 てきてすぐに 、 山 で 手頃 な 枝 を 伐 りまし た 。 そして 細 い 枝 からどんどん 枝打 ちを していったら 、 曲 がっていた 枝 が 徐々 に 起 き 上 が っ て き た の で す ︵ 笑 ︶。 枝 は 実 際 には 葉 やその 他 の 枝々 の 重量 でしなっ ているだけで 、 それ 自体 が 大 きく 曲 がっ ているわけではないことが 分 った 。 しか し 真 っすぐな 枝 のままでは 彫刻 を 浮 かせ る 造作 にならないので 、 助手 と 一緒 にい ろいろと 研究 し 、 最後 は 曲木椅子 をつく るトーネット 法 という 蒸気熱 を 使 った 技 法 で 曲 げることにしました 。 学生    月蝕 シリーズ 以外 の 作品 は 、 た とえ 半身 だけの 姿 でも 、 上半身 と 見 えな い 下半身 にはつながりあるように 感 じま す 。 この 枝 は 見 えない 下半身 とどのよう に 連結 してくるのでしょうか ? 舟越    すごくいい 質問 ですね 。 僕 もこ の 枝 が 見 えない 下半身 として 成立 するだ ろうかとずいぶん 悩 みました 。 小 さな 紙 にたくさんスケッチもしましたが 、 この ように 丸 くなるとどうしても 下半身 とは つながらないのです 。 結局 、 お 腹 の 丸 い シリーズでは 、 腰 から 下 に 関 しては 考 え ないことにしました 。 人間 について 考 え る 時 に 、 なにもつま 先 まで 意識 して 哲学 する 必要 はないわけですからね 。   以前 、僕 の 作品 を 観 てくれた 人 が 、﹁ 人 と 対面 する 時 に 意識 する 範囲 は 、 舟越 さ んの 彫刻 のように 、 だいたい 顔 から 腰 ぐ らいまでですよね ﹂ と 言 った 。 僕 は 腰 ま でしか 必要 ないという 無意識 の 判断 でつ くってきたのですが 、 それを 聞 いて ﹁ な るほどな ﹂ と 腑 に 落 ちたことがあります 。 またそれとはまったく 逆 の 話 で 、 ある 評 論 家 に 、﹁ 舟 越 さ ん が 手 を つ く ら な い コ ンセプトはなんですか ?﹂ と 訊 かれたこ と も あ っ た ︵ 笑 ︶。 僕 は 手 や 足 を つ く り た く な い の で は な く て 、 今 、 目 の 前 に 見 え て い る 部 分 だ け に つ い て 語 り た い の で す 。 学生    私 にも 四本 の 棒 が 足 に 見 えたの ですけれど 、 そういった 意識 はなかった のですね 。 舟越    そうです 。 足 だとか 、 あるいは 内臓 が 噴出 しているように 見 えると 言 っ た 人 もいたけれど ︵ 笑 ︶、 ﹁ ただ 浮 いてい る ﹂ と 見 てくれれ ば それが 一番 です 。 枝 説 を 四歳児相手 にどうやったらいいのか 全然 わかりませんでした 。 どんな 言葉 を 使 え ば い いのか 、 四歳児 は 言葉 をどこまで 知 っている のだろうと 思 うと 、 自分 が 普段当 たり 前 に 使 っている 言葉 が 通 じているのかさえ 、 不安 に なってしまいました 。 私 の 解説 は 園児 たちに とって 、 難 しくてつまらないものになってし まったのかもしれません 。 学芸員 の 宮本 さん を 見 ていて 、 理解 してもらおうとか 正 しい 知 識 を 知 ってもらおうとか 、 考 える 必要 はない のかもしれないと 感 じました 。 園児 たちの 自 由 な 発想 と 発言 は 本当 に 楽 しく 新鮮 で 、 とて もいい 刺激 になりました 。 自分 が 四歳 だった 頃 は 、 何 を 考 えていたかなぁと 思 うと 、 覚 え ているようで 全然 わからなくなっていました 。 ちょっと 淋 しいような 気 もします 。 今回 のこ とは 自分 を 見 つめ 直 す 機会 にもなったと 思 い 、 大変 でしたがこの 場 に 居合 わせることができ て 本当 に 良 かったです 。︵ 堀口愛緑 ︶ 必然 と 展示会場 の 作品 たちは 見慣 れてくるの ですが 、 見慣 れれ ば 見慣 れるほど 、 ここが 芸 工大 の 七階展示室 だということを 忘 れてしま います 。 観 れ ば 観 るほどにその 作品 の 内面 が 感 じ ら れ る 気 が す る の で す 。﹁ 真 実 ﹂ は 表 面 の 形 ではなく 、 その 中 のもっと 深 いところに 宿 っているといいますが 、 舟越 さんはそれを 見 つかるまで 探 す 、 そこに 限 りなく 近 づける 、 その 努力 を 惜 しまない 強 い 方 だな 、 と 改 めて 思 いました 。︵ 久保木桂子 ︶ 団体様 がお 見 えになるとハラハラして 血圧 が 上 がる 今日 この 頃 です 。 来場 して 下 さったご 夫婦 の 方 が ﹁ 本当 に 素晴 らしい 、 本当 に 来 れ て 良 かったわ !﹂ と 仰 っているのを 聞 いて 、 今回 の 展覧会 に 裏方 として 参加 できたこと 、 そのお 言葉 を 直接聞 けたことに 心 から 嬉 しく 思 います 。 この 一生一度 の 出会 いに 乾杯 。 ガ イドとして 監視 している 最中 、 ご 婦人 の 方々 に 声 をかけられました 。 何 を 聞 かれるのか 、 と 内心 ドキドキしつつ 構 えているその 時 でし た 。﹁ あ な た が こ の 作 品 に つ い て 良 い と 思 っ てることを 聞 きたいわ ﹂ と 。⋮ 不意打 ちでし た 。 私自身 の 感想 を 聞 かれるとは 思 ってもい ませんでした 。 フリーズしました 。 それから は 脳内 をフル 活動 させてみるものの 、 作品 に 対 しての 言葉 がまるで 見当 たらず 、 何 をどう

月蝕の森で

二 〇〇 七年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 作家蔵 [ 写 真 17頁 ]

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は 黒子 のような 存在 ですから 。 でも 、 空 中 になんの 支 えもなく 、 磁気 かなにかで 実際 に 浮 いていられる 彫刻 が 出来 たら 面 白 いでしょうね 。 舟越    これは 今回 の 展覧会 のポスター になった 作品 です 。 スフィンクスのシリ ー ズ は も う 何 体 も 発 表 し て い ま す 。﹃ 戦 争 を 見 るスフィンクス ﹄ という 作品 もあ って 、 最近 のイラク 情勢 とかパレスチナ とイスラエルの 問題 とか 、 すごく 見苦 し い 人間 の 争 いを 、 ただ 黙 って 悲観的 に 見 続 ける 存在 として 制作 しています 。   それから 、 ずいぶん 前 に 読 んだ 本 の 中 に 、 小 さな 女 の 子 がスフィンクスに 出会 って 、 謎 をかけられるという 場面 があっ た 。﹁ こ の 世 界 を 知 る と は 何 ぞ や ?﹂ と 問 いかけられたその 不思議 な 少女 は 、 即 座 に ﹁ 己 、 自分自身 を 知 ること ﹂ と 答 え た 。 その 場面 が 鮮烈 に 頭 に 残 っていたこ ともあり 、 三年前 からスフィンクスをつ くりはじめたのです 。   エジプトのギーザにあるスフィンクス だと 、 上半身 が 人間 で 下半身 がライオン ですが 、 ちょっと 調 べてみると 、 別 の 文 化圏 の 神話 では 違 うタイプも 出 ていた 。 じ ゃ あ 自分 も 好 き 勝手 につくってもよか ろうと 、 男 と 女 が 混 ざっていたり 、 身体 のパーツを 動物 のものと 取 り 替 えてみた りして 、 自由 に 彫刻 しています 。 舟越    このデッサンは 北海道 の 中山峠 写真 の 森美術館 から 依頼 されて 制作 した もので 、 既 に 彫刻 は 完成 して 収蔵 されて います 。 胴体部分 は 現地 の 山 の 写真 をも とに 、 尾根 の 輪郭 をトレースしてフォル ム を 決 め ま し た 。﹁ 山 ﹂ は こ の 作 品 に 限 らず 、 僕 の 彫刻 にとって 重要 なモチーフ です 。   僕 が 最初 に ﹁ 山 のような 人物 ﹂ という イメージを 持 ったのは 、 大学三年 ぐらい の 時 のことです 。 当時通 っていた 東京造 形大学 のキャンパスまでは 、 最寄 りの 駅 からバスで 通学 していました 。 でも 本数 が 少 ないから 、 乗 り 遅 れたらタクシーに 乗 らなき ゃ ならない 。 だいたい 五人 くら い 集 まるのを 駅 で 待 ってからタクシーに 乗 りこむのですが 、 あれは 冬 だったかな 、 あの 時 、 僕 は 助手席 に 座 っていて 、 車 が 大学 に 近 づいて 校舎 の 背後 にある 山 がぐ んぐん 迫 ってくるのを 眺 めていた 。 する と 突 然 、﹁ あ の 山 は 、 あ の ま ま の 大 き さ で 俺 の 中 に 入 る ﹂ という 実感 が 胸 の 中 に 入 ってきたのです 。 人間 の 存在 は 、 一人 の 体 はこれくらいだけれど 、 山 が 入 るく らい 大 きいのだという 気 がしたのです 。   何千 メートルという 巨大 な 山 を 、 とて も 明快 にイメージできるということは 、 この 頭 の 中 にエベレストの 大 きさが 入 っ ていると 考 えられる 。 それはイメージの 中 だけのことだと 言 われれ ば 、 確 かにそ うかもしれないけれども 、 人間 の 一人 ひ とりのかけがえのなさを 、 なんとか 形 に したいと 思 って 悩 んでいた 時 に 、 二 〇 年 以上 も 昔 の 感覚 がふっと 甦 ってきたので す 。   ﹁ 人 間 は 山 の よ う に 大 き い ﹂ あ る い は 、 ﹁ あ の 山 が 入 る く ら い 人 間 は 大 き い ﹂ と いうイメージは 、 僕 の 彫刻 にとってとて も 大事 なのです 。 舟越    この 作品 には 動物 のイメージが 投影 されています 。 首 が 馬 のように 長 く て 、 肌 の 色 もカラフルです 。 特 に 青 は 、 人間 はもちろん 限 られた 動物 の 皮膚 にし かないのです 。 四本足 だとマンドリルと いう 猿 の 一種 ですね 。   草食動物 のイメージについては 、 さっ き ﹃ 言葉 をつかむ 手 ﹄ のところでも 少 し お 話 し し ま し た が 、﹁ 他 者 を 傷 つ け な い 存在 ﹂ として 象徴的 に 使 っています 。 動 物的 なイメージを 持 つ 半身像 の 中 では 、 これは 彫 り 上 げた ば かりの 新作 です 。 学生    舟越 さんの 作品 は 、 山 にしても ス フ ィ ン ク ス に し て も 動 物 に し て も ﹁ 人 ﹂ で す よ ね 。 な ぜ 舟 越 さ ん は 人 を つ くり 続 けるのですか ? 舟越    まず 僕 が 学生時代 を 過 した 東京 造形大学 の 彫刻科 は 、 四年間 を 通 して 、 裸婦 を 粘土 でつくらせる 授業 に 力 を 入 れ ていた 。 彫刻 を 学 んだ 環境 がそうだった ね 。 それから 僕自身 も 、 もともと 人間 の 形 にすごく 興味 があった 。   昔 からすごく 惹 かれている 絵画 や 彫刻 は 、 ただスッと 立 っているような 人物像 が 多 く て 。 で も ま あ 、 自 分 で も ﹁ こ れ ﹂ という 明確 な 答 えを 出 したくない 気持 ち もありますね 。 簡単 に 言 ってしまえ ば 、 僕 には 人間 しか 、 つくる 対象 としての 興 味 がなかったのですね 。   ただ 、 僕 の 作品 を 観 てくれた 人 が 、 人 間 の 存在 を 肯定 するような 印象 を 持 って くれれ ば 嬉 しいですね 。 人間 なんて 馬鹿 な 存 在 だ と も 思 う け れ ど も 、﹁ そ れ で も この 世界 に 居 ていいでしょ ?﹂ と 思 いた い 。 僕 は 動物 のイメージも 組 み 込 むけれ ど 、 だからといってただ 動物 たちだけが 幸 せな 世界 を 創 っていくだけで 、 地上 は 人間 が 居 たときよりも ⋮ 平和 ではあるか もしれないけれど 、 果 たして 豊 かだろう かと 思 うのです 。   こういう 考 え 方 は 、 父 である 舟越保武 の 影 響 も 大 き い と 思 い ま す 。﹁ 人 間 の 存 在 を 肯定 する 彫刻 ﹂ と 言 い 方 を 、 確 かど こかで 父 もしていた 。 同 じ 言葉 しか 言 え ない 自分 が 寂 しくもあるけれど 、 僕 は 彫 刻家 として 、 どこかで 父 と 共通 した 人間 像 を 探 していると 感 じることがあります ね 。 学生    舟越先生 は 自分 の 作品 を 抱 きし めたことはありますか ? 舟 越   あ り ま す よ 。 特 権 で す か ら ︵ 笑 ︶。 上手 く 制作 が 進 んだ 作品 が 、 いよいよ 完 成 が 近 くなった 時 は 、 自分 でもドキドキ して 、 アトリエから 自宅 に 帰 る 間際 に 、 一番気 に 入 っているライト ⋮ 例 え ば 蠟燭 の 灯 りで 彫刻 を 照 らして 眺 めたりして 、 し ば らく 言葉 を 失 って 見入 ってしまうこ とがあります 。   日々 つくってく 生活 の 中 で 、 自分 が 想 像 したものより 作品 がちょっと 良 くなっ たり 、 今 まで 想像 できないようなイメー ジが 出 てきたりする 。 多分 それが 、 作者 が 彫刻 から 得 る 大切 なもの 、 芸術 から 与 えられるいち ば んの 喜 びではないかと 思 います 。 作品 がいくらで 売 れるとか 、 あ るいは 有名 になるとか 、 美術 の 友達 がい っぱいできるとか 、 そんなことよりも 、 自分 で 今 まで 見 たことがないって 言 える ものが 、 今 、 目 の 前 で 自分 の 手 によって 生 み 出 されている 幸 いは 、 他 の 何 にも 替 え 難 いですね 。 彫刻家 になって 良 かった と 思 える 瞬間 です 。 言 え ば いいのやら 必死 です 。 何 とかその 場 を 凌 いだものの 、 後 に 一人 になって 考 えてみま した 。 そこにふと ﹁⋮ このヒトは 誰 だ ?﹂ と 、 疑問 が 過 ぎりました 。 ヒトを 作 ると 言 うこと はモデルさんが 居 る 事 もありますし 、 想像 だ けで 作 る 事 もあります 。 しかし 例 えモデルさ んを 作 ったとしてもその 作品 はモデルさん 自 体 に は 決 し て 成 り 得 な い 訳 で 、 想 像 で 作 っ たとしてもそれは 現実 に 存在 するヒトでは 無 い 訳 で ⋮ と 、 す る と こ れ は 一 体 誰 な の か ? 一 体 誰 と 向 き 合 っ て い る の か ? じ っ と 見 つ める 事数分 、 ふと 思 い 起 こす 。 舟越 さんが 眼 について 仰 っていたことです 。 遠 くを 見 つめ る 視線 で 、 その 先 には 自分 を 見 つめることに 繋 がると 。 なら ば ﹁ 誰 か ﹂ とは 自分 に 対 する 問 いかけなのかもしれない 。 誰 かであって 誰 でも 無 い 存在 が 存在 していて 自分 が 存在 して いる 。 これは 舟越 さんの 作品 だからこそ 思 え たことだと 思 います 。 言葉 があってこそこう 言 うことが 言 えるのだと 思 いますが ⋮ 結局 は 言葉 で 言 い 表 せないモノだと 思 います ︵ 私 の 語学力 が 無 い 所為 でもありますけど ︶ それが 美 術 な ん だ と 思 い ま す 。﹁ 美 し い ﹂ も の な ん です 、 はい 。︵ 関口恵美 ︶ 今日 は 午前中 にスタッフとし 七階会場 ですご していました 。 この 場所 に 来 るといつも 透明 でおおらかな 空気 を 感 じます 。 視覚的 には 舟 越 さんの 作品 を 見 ているはずなのに 実 は 作品 たちが 作 りだす 空間 のなかに 私 が 包 まれてい て 、 逆 に 見 られているのかな 、 などと 想像 を 膨 ら ま せ な が ら 会 場 を 見 回 っ て い ま し た 。 ちょうどこの 時間 に 子供芸大 のお 母 さんたち が 作品鑑賞 にいらっし ゃ いました 。 宮本学芸 員 が ひ と つ ひ と つ 解 説 を し て い て 私 も つ い 耳 をそ ば だてて 聞 いていました 。 すると 私 も お 母 さんたちの 前 で 作品解説 をすることにな り ま し た ス タ ッ フ と し て の 仕 事 だ と は わ か っ て は い た の で す が ち ゃ ん と 作 品 に つ い て の 舟越 さんの 思 いを 人 に 伝 えられるか 不安 に なりすごく 緊張 しました 。 私 が 解説 する 作品 は ﹃ 月蝕 の 森 で ﹄ でした 。 レクチャーの 時 に 作品 について 話 をしていた 舟越 さんを 思 いだ しながらし ゃ べっていたら 、 つい 自分 の 感想 まで 話 してしまいました 。 それはスタッフと してよかったのかと 思 い 少 し 反省 しています 。 お 母 さ ん た ち も 頷 き な が ら 聞 い て く だ さ り そのあとに 少 しだけ 作品 について 感 じたこと を 話 すことができました 。 緊張 した 人 に 話 を するなら 、 もっと 作品 について 知 っておかな けれ ば ならないと 思 いました 。 貴重 な 体験 を させていただきました 。︵ 石沢恵理 ︶ この 展覧会 も 後半 に 差 し 掛 かりました 。 遠方 からいらっし ゃ る 方 もたくさんいて 、 それだ け 舟越 さんの 作品 が 多 くの 人 の 心 をつかんで いるのだなあ 、 と 感 じています 。 受付 にいる と 、 左手 に ﹃ 雪 に 触 れる 、 角 はもたず ﹄ とい う 作品 の 、 横向 き 姿 が 目 に 入 ってきます 。 受 付 にいて 、 この 作品 と 来場者 の 方 が 向 き 合 っ ている 様子 を 見 るのが 私 の 密 かな 楽 しみにな っているのです 。 若 い 女性 、 年配 の 男性 、 こ ども 芸大 の 子供 たち 。 いろいろな 人 が 作品 と 向 き 合 っている 姿 を 目 にしてきました 。 しか し 、その 様子 は 、﹁ 向 き 合 う ﹂ というより ﹁ 見 つめ 合 う ﹂ といった 感 じで 、 まるで 出会 いの 場面 に 遭遇 してしまったような 、 ハッとする 緊張感 と 、 深 い 感動 があるのです 。 今 、 あの 人 の 中 に 何 かしらの 感情 が 生 まれているであ ろうことを 想像 すると 、 この 展覧会会場 が 、 より 一層特別 な 空間 に 感 じられます 。 もちろ ん 、 この 作品 だけでなく 、 他 にも 何点 もの 作 品 があり 、 その 数 だけ 、 人 と 作品 の 対峙 が 存 在 します 。 吸 い 込 まれそうな 瞳 を 持 った 静謐 な 顔 の 数 々 。 そ れ ら と 対 峙 し 、 語 り 、 聴 く ことができるこの 展覧会 も 、 あと 二週間弱 。

耳を澄ますスフィンクス

二 〇〇 七年 / 楠 に 彩色 、 革 、 大理石 / 作家蔵

山を立てる

二 〇〇 一年 / 紙 に 鉛筆 / 作家蔵

雪に触れる、角はもたず。

二 〇〇 七年 / 楠 に 彩色 、 大理石 / 作家蔵

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舟越桂 −自分の顔に語る 他人の顔に聴く− 20

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学生    今回 、 このギャラリーに 展示 さ れた 、 様々 な 年代 の 作品 を 順番 に 鑑賞 す ると 、 ほとんどの 人 が 時代 が 進 むにつれ て 彫刻 のフォルムが 人間離 れしていく 印 象 を 受 けると 思 います 。 それでもやっぱ り 人 として 認識 できるのは 、 ボディーの 形 は 様々 あっても 、舟越 さん 独特 の ﹁ 顔 ﹂ があるからだと 思 うのですが ⋮。 今回 の 展 覧 会 の タ イ ト ル ﹃ 自 分 の 顔 に 語 る 他 人 の 顔 に 聴 く ﹄ で も 語 ら れ て い る ﹁ 顔 ﹂ は 、 舟越 さんにとってどういったものな のでしょうか ? 舟越    僕 は 四 、 五年前 に 、 安部公房 の ﹃ 他 人 の 顔 ﹄ の 主 人 公 と 同 じ よ う に 、 顔 中 に 火傷 を 負 った 男性 と 出会 ったことが あります 。 その 人 はイギリス 人 で 、 まぶ ただけがちょっと 焼 け 残 っていて 、 あと は 火傷 の 痕 に 顔 の 全面 が 覆 われていた 。 ある 時 、 僕 の 展覧会 に 来 てくれたのです 。   そ の 人 の 場 合 は 、﹁ 顔 が な い ﹂ と 言 っ てもいいぐらいだったけれど 、 二 つの 小 さな 眼 がなんとも 包容力 のある 、 暖 かい 大 きな 人格 を 表 していた 。 それだけ 顔 が 傷 ついていても 、 人間 の 内面 というか 、 彼 の 優 しさとか 大 きさのようなものが 伝 わってきました 。 ちょっと 不思議 な 体験 でしたね 。   顔 に 関 して 僕 は 、 常々 ﹁ 個人 の 存在証 明 ﹂ のようなものじ ゃ ないかと 思 ってい ます 。 人類 の 歴史 が 毛 むくじ ゃ らのクロ マニヨン 人 から 何万年 も 過 ぎていっても 、 その 中 に 、 二人 として 同 じ 人間 が 生 まれ たことはなかった 。   例 え ば 、 つい 二 〇 年 くらい 前 に 君 が 生 まれて 、 これから 六 〇 年 くらい 生 きて 亡 くなった 後 に 、 絶対 にもう 君 という 人 は 生 まれない 。 それを 愛 おしいと 言 え ば 、 君 は 嫌 が る か も し れ な い け れ ど ︵ 笑 ︶、 一人 ひとりの 人間 が 、 それぞれにたった 一 つの 大切 な 存在 ですよね 。 人間 の 顔 は そういうことを 意識 させてくれるパーツ だと 思 っています 。   たった 一 つで 、 今 までに 一度 もないも のは 、 言葉 を 替 えれ ば 新 しいとも 言 える と 思 うのです 。 だから 、 僕 の 作品 は 一見 して 古典的 な 彫刻 かも 知 れないけれども 、 木彫 で 、 人物 で 、 色 がついていて 、 目玉 が 入 っていて ⋮ そんなものは 何千年 も 前 のエジプト 時代 にはもう 存在 していた 。 それでも 、 僕 だけの 世界 、 僕 だけの 人間 像 をつくることができる 。 それは 新 しい アートになるはずだと 思 っています 。                                          その 間 にひとりでも 多 くの 人 が 舟越作品 と 幸 せな 出会 いを 果 たせることを 願 っています 。 ︵ 橋本優子 ︶ 週 に 一度 、 入 らせていただいてます 。 ふとか わいいお 姉 さん 達 が 作品 を 見 て ﹁ やっぱり 顔 が 似 て る よ ね 。﹂ あ 、 や っ ぱ り ? み な さ ん も 感 じてるんじ ゃ ないでしょうか 。 あの 舟越 さ んの 優 しい 表情 が 作品 から 見受 けられます 。 私 も 知 らないうちに 自分 に 似 ている 作品 とか 作 ってんのかな ? そんなことを 思 いながら 作 品 を 見 ていて 、 おもむろに 作品 と 目 を 合 わせ たくなりました 。 遠 くを 見 てると 言 われると 無理 なのは 分 かっていても 合 わせたくなって 。 作品 の 前 でうろうろしました 。 こっち 見 てみ てくんないかなーとかやってたら 自然 と 他 の 部分 も 気 になりだし 、 いつの 間 にか 作品 と 私 の 二人 の 世界 になっていました 。 スタッフの くせに 仕事放棄 です 。 ごめんなさい 。 でもこ の 空間 に 長 い 間 いるからこそ 作品 とち ゃ んと 話 ができたような 気 がします 。 何度見 ても 惚 れてしまいそうな 作品 を 今日 もにやにやと 満 喫 し な が ら お 仕 事 さ せ て い た だ き ま す 。︵ 高 橋明弓 ︶ 初 の 会場入 りよりかなり 間 が 空 いてしまいま した 。 本日 、 二回 の 会場 スタッフに 入 ってい ます 。 授業 に 課題 と 忙 しく 、 あまり 参加 でき ないのが 残念 です 。 前回会場 で 感 じたこと 。 舟越先生 の 作品 の 中 に 並 んでいると 、 不思議 な 親近感 がわき 、 初 めて 会 った 人 を 観察 する よ う に 、﹃ 何 を 考 え て い る の だ ろ う ﹄ と 思 い 見 ていました 。 結論 は ⋮ 何 かはいっています ⋮ あのお 腹 の 中 に 。 視覚的 な 魅力 だけでなく 、 さらに 感覚 まで 訴 えてくる ⋮ 人間見 ている 時 の 様 な 感覚 になってしまうほど 、 思考 や 、 裏 表 や 性格 をはらんだ 作品 だとあらためて 感 じ ました 。⋮ 今更 ですが 。 二日目 の 今日 はちら り と D VD を み て 、 彫 刻 を 作 る の は 力 も い る し 、 時間 もかかるし 大変 だな ⋮ と 思 ったので すが 、 実 は 私 も 作品 に 追 われている 最中 でし た 。 舟越先生 とは 比 べ 物 にもなりませんが 、 ﹁ つ く る ﹂ と 言 う 共 通 点 を つ け た 瞬 間 、 急 に 作品 があたたかく 身近 い 、 人 の 手 が 作 ったも のと 感 じられ 、 大事 に 見守 りながら 会場 の 警 備 を 続 けています 。︵ 森山育恵 ︶ 舟越桂 Katsura Funakoshi 1951年岩手県に生まれる。彫刻家。父は同じく 彫刻家の舟越保武。1977年に東京芸術大学院彫 刻科を修了。同年、函館トラピスト修道院のマリ ア像を、1979年に逗子カトリック教会のための 木彫の聖母子像を制作する。1982年に初めての 個展を開催して以降、一貫して楠を素材とし、大 理石の眼を嵌め込んだ木彫の半身像を制作・発表 し続けている。これまでヴェネツィア・ビエン ナーレ、サンパウロ・ビエンナーレ、ドクメンタ IX、シドニー・ビエンナーレなど海外の主要な国 際美術展に参加し、国内外で高い評価を得る日本 を代表する芸術家である。1995年には第26回 中原悌二郎賞優秀賞を、2003年には第33回中 原悌二郎賞を受賞。 写真提供:西村画廊

TUAD AS MUSEUM: Annual Report 2007

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● Pr og ra m 1 ﹃立花文穂の文字のはなし﹄ 日時=一 一月 二七日 ︵ 火 ︶一七時 三〇分∼ 一九時三〇分 会場=東北芸術工科大学こども芸術教育研究センターこども劇場 ● Pr og ra m 2 ﹃立花文穂の球体のはなし﹄ 日時=一 月 一六日 ︵ 水 ︶一七時 三〇分∼ 一九時三〇分 会場=東北芸術工科大学こども芸術教育研究センターこども劇場

立花文穂

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滞在期間=前期 二〇〇七年一一月二三日 ︵ 金 ︶∼二八日 ︵ 水 ︶       後期 二〇〇八年一月九日 ︵ 水 ︶∼一八日 ︵ 金 ︶ 主催=東北芸術工科大学 企画=美術館大学構想室 協力=情報デザイン学科グラフィックデザインコース/ 六耀社/肘折温泉地区/赤坂憲雄/森繁哉

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