1.はじめに
江戸時代「元禄」期1),城下町近郊の農村集落において成立した『会津農書』
は,東北内陸(多雪寒冷地)に適合する農業技術体系が記載された貴重な文献 である.現代的視点から注目すべき点は自然資源の循環型利用,長期安定的 土地利用体系および地力再生産技術などによる持続可能な農業生産システム2)
(家族労働主体の有畜複合経営)である.現代とは全く異質な農本主義的価値 観の下で成立しえた当該システムから「価値観」を除去した場合に観察され るのは太陽エネルギーで循環する物質の流れであろう.社会と密接不可分の 関係にある価値観を分析対象とする社会科学ではありえない方法かもしれな いが,物質循環(自然の経済)の問題(環境問題など)の原因が現代的価値観に あるとすれば,ひとまず価値観を捨象して物資循環を観察し,その観察結果
* 東北文化学園大学総合政策学部教授
1) 『会津農書』の成立時期は「元禄」への改号直前の貞享元年(1684年)である.
2) 当該農法は著者が肝煎を務めた幕ま く う ち内で確立した.幕内は中世武士団後裔の高持百姓の集落であ り,城下町近郊に位置し,砂質土主体で畑作に適性があり,「定期市」に出荷する菜さ園え ん場ばであった.
さらに,その時期は近世的「小農」の自立過程に重なる.「持続可能性」は,それらの地域的・歴史 的特性を抜きには説明しえないと考えられる.
『会津農書』成立の背景を物語る史料
―『会津歌農書』と『会津農書附録』 ―
秡川信弘*
Historical Data Explaining the Background about “Aizu-Nousho”
(The Farming Literature in Aizu District):
“Aizu-Uta-Nousho” (the Poetry Farming Literature in Aizu District) and
“Aizu-Nousho-Furoku” (Appendix of the Farming Literature in Aizu District)
HARAIKAWA Nobuhiro
から価値観を照射する3)という迂回的な方法が妥当性を持ちうると考える.
本稿ではその予備的作業として,物質循環活用型営農体系(farming system)
の基盤としての農的文化(agri-culture)に関する史料『会津歌農書』及び『会 津農書附録』における該当箇所を抽出し,持続可能な農業生産システムを開 発する基礎的素材を提供する.
2.『会津歌農書』(抜粋)
長谷川他[1982]による農山漁村文化協会版の『会津歌農書』には豊富な脚 注が付されているものの,逐次的な現代語訳は記載されていない.本稿の底 本とした同書の校注と執筆を担当された長谷川吉次氏は著者佐瀬与次右衛門 が暮らした「幕内」集落において農業を営む傍ら『会津農書』の解読や研究に 従事し,「幻の書として謎に包まれたままになっていた」(長谷川他[1982],
p.357)『会津歌農書』を1966年(昭和41年)に発掘した方であり,その意味す る所は自明であると考えた4)がゆえの省略であったと想像される.
しかし,同書出版から36年余りの歳月を経た今日,その多くの人々にとっ てその文意を自明とするには,同書の校注・執筆当時(1960 ~ ’70年代)の状 況と現在の私たち5)の状況とは余りにも遠く隔たっているように思われる6). このため,著者が『会津農書』と『会津歌農書』に記載しているように7),農業 知識の未熟な「麁ろく耕こうの輩」(筆者自身を含む通常の都市居住者)に対して農業 技術だけではなく,農的文化(agri-culture)の総体に関する平易な理解を促
3) 「天の道を用い,地の利に因りて,人の事を尽くす」(庄司他[1982],pp.359-362)
4) 『会津歌農書』の発見当時,既に長谷川氏は20有余年にわたって『会津農書』に関する研究と,そ れを指針とした農業実践を重ねていた.長谷川氏にとって,『会津農書』を農民向けに説く『会津 歌農書』の真意は文字通り,「手に取るようにわかる」ことであったに違いない(長谷川[1968],
pp.5-36, pp.405-410).
5) ここでの「私たち」とは,筆者のごとく現代日本の都市で安穏と暮らし,「直耕」から乖離した快 適・便利な生活を貪る人間と考えていただきたい.
6) 少なくとも,筆者にとって基本的な価値観の違いや用語法などを含め,そこに込められた文意 を正確に理解することはかなり難しいことであるように思われた.
7) ①『会津農書』では,「職分の勤つとめを励は たし,居村麁ろ く耕こ うの輩に教おしえしめん」(庄司他[1982],p.6),②『会 津歌農書』では,「大和歌につゝりなハ,見る人覚へやすく,或ハ感発これありてをのつから是を 習ひ」(長谷川他[1982],p.9)とされている.
すとともに,その理解に基づく持続的農業・農村の協働・共創関係の構築が 進展することを願い,底本に基づいて『会津歌農書』を抜粋し,拙訳とともに 提示したい.
2-1.『会津歌農書』 上之末
当時の農業の主要部門である稲作における施肥や水管理,さらに「田冬水」
という新田の熟田化促進技術などについて,以下の「歌」が詠まれている.
(二七)田こ や し腴 養やしなひ行(pp.79-80) (土づくりと施肥)
あまたある腴の性の田の土に あふときかぬをためしやしなへ
(さまざまな肥料の性質がどの田に合うかを試し,適切な施肥に努めなさい)
田の土の性をよくわけこえハ先 過不足もなく中にやしなへ
(田の土の特質をよく弁わきまえ,各々の土に合う肥料を適量施しなさい)
(三七)田水(p.85) (田の水管理)
ひでり年 水をたゝえずかけ流せ あまりあつきハ稲にさハれり
(旱魃年には稲の高温障害を防ぐために灌漑水を懸け流しなさい)
雨年ハ絶ずかくるな田の水を 折ふしほして日当るがよし
(雨年は水を田に溜め置き,晴れた日には干して土に日光をあてなさい)
(八五)田冬水 附春水(p.109) (冬期湛水田)
あら田にも冬水かけよ土はやく くさり本田の性と成へき
(新田にも冬水をかけなさい 熟田の性質と同じになるはずである)
2-2.『会津歌農書』中之本
以下の「歌」は,畑作物の播種,耕起および作付体系などの栽培方法に関し て詠まれたものである.
(一三)新畑 発おこす行 附作(p.121) (開墾畑の利用)
あら畑をおこしはじめに先さゝけ 作れハみのり能とこそいへ
(開墾畑の初年次に まずササゲを作れば実りが良いという)
(二三)川押畑作(p.124) (河川敷の畑作)
川をしにごみの留たまれバ其跡の 作り常より出来ま増すも有
(川が氾濫して流出物が溜まった跡地の作柄は平年より良くなる場合もある)
(二七)畠中なか切きり8) 附行(p.126) (畑の中耕除草)
あらふせと種子物おろす其あ間ひに 剖うなふを畠の中切といふ
(荒起こしと播種の間に耕すことを畑の中耕除草という)
(四九)畑作種子打うちこミ込蒔9) 附郷談(p.140) (畑作の平畝播種)
日照年打込にまけ蕎麦のたね 底のしめりを受て生るそ
(日照年は畝を立てずに蕎麦を播き,土中水分を利用する)
中切らずふせたる畑へ種子をろす 打込まきと是をいふ也
(畝を立てずに播種することを打ち込み播きという)
(五三)耰土厚薄(pp.143-144) (被覆土を厚くする)
雨年ハ種子おほひするその土を うすらかにせよ疾はへぬへき
(雨年には被覆土を薄くしなさい 発芽障害を防ぐべきであるから)
耰たねおほ
ふ土を厚めに何作も ひ日て照りのとしはかけてよきなり
(日照年にはどの作物も被覆土を厚くした方が良い)
湿のある畑の作りはたねおほひ 土のうすきを好むもの也
(湿地畑は播種時の被覆土を薄めにするのが好ましい)
(五五)諸菜植うえ す まき す時蒔時(pp.148-153) (野菜の播種・定植適期)
夕顔や二月ひかんのうち植よ 雪あるならば消て後にも
(夕顔は2月彼岸の間に播種しなさい 残雪があれば消えた後に)
夕顔のたねこそ水につけ置て 植うえれハ早く生え出るなり
(夕顔の種を水に漬けておき その後に播けば早く芽が出る)
冬瓜こそ遅く実のなる作なれハ 夕顔よりも後うへてよし
(冬瓜は実る時期が遅いので,夕顔の後に播種した方が良い)
夏大根春のひかんの終りてハ 勝手次第に蒔たるかよし
(春の彼岸が過ぎたら,夏大根はいつ播いても良い)
(五八)諸菜取時(p.157) (野菜の収穫時期)
冬になり神なし月の初より かもふり10)取て用ひこそすれ
(冬瓜は神無月の初め頃から収穫して食べることができる)
8) 「中切」は中耕除草.
9) 「打込蒔」は中切せず,種子を播くこと.
2-3.会津歌農書 中之末
以下の「歌」は大豆やササゲなどの豆類の播種期,種子の重量,土づくりお よび獣害などについて詠まれたものである.
(一)雑ざうこくまき穀蒔時す 附古歌(p.163-167) (雑穀の播種時期)
さゝけ種子四月半にかけてまけ 霜よけすれバ其前もよし
(ササゲは4月中旬に播種しなさい 霜除けをすればその前でもよい)
早ま大 豆めの蒔すハ四月中の前 余りはやきも霜ぞいぶせし
(早生大豆は4月中旬より前に播けるが,早すぎれば霜害が懸念される)
いにしへの大豆蒔すや五月中 今ハいそぎて四月半に
(昔は大豆の播種は5月とされていたが,今は早期化して4月になった)
五月来て半夏のい入らバ大ま め豆をまく いそぐ諸も ろ て手の小苗やめても
(5月半夏生になったら大豆を播きなさい 田植え作業を延期してでも)
年毎や大豆まき鳥11)ハやさしくも 蒔すを人に来てお教しへける
(毎年,郭公が里に下りてきて親切にも 大豆の播種期を教えてくれる)
かきさゝげ12)四月の節の始より 中のあいだにたねまくがよし
(蔓性のササゲは4月の初旬から中旬の間に播種するのが良い)
あつき湯をかけてさゝげの種子まけバ ありくゐ付かで能と称へり
(熱い湯をかけてササゲの種を播けばアブラムシがつかないという)
(二)准二草木花一雑穀蒔時(p.168) (草木の変化で雑穀の播種期を知る)
さゝげ種子蒔すハ一重山ぶきの 花の開る比ぞとをしれ
(ササゲの播種期は一重のヤマブキが開花する頃と覚えておきなさい)
かきつばた花のひらかバま大 豆めをまく 時節来ると心得よかし
(カキツバタが開花したら大豆を播く時期が来たと心得なさい)
早大豆の種子のまきすハ庭に咲 ぼたんの花ぞし導るべなりける
(早生大豆の播種期は庭のボタンの開花が指標となる)
(三)青引大豆13)蒔時(p.169) (青引大豆の播種期)
青引のまめハ百五の霜14)明の 五日も前にまくが能なり
10) 「かもふり」は冬瓜の別名.
11) この鳥は郭公のこと.
12) 垣ささげは蔓性のささげ.
(青引大豆は百五の霜があける5日前が播種適期である)
(一三)穀物軽重計(pp.175-177) (穀物の重量)
平米をためしてミれば壱升の 重さ三百八十めあり
(玄米を量ってみたら一升(約1,800cc)で380匁(約1,900g)であった)
壱升の籾のをもさをいかほどゝ とへば三百二十めといふ
(籾米の重量は1升で320匁(約1,600g)であった)
壱升のまめのをもさを尋れバ 三百九じう五匁といふ
(1升の大豆の重量は395匁(約1,975)g であった)
壱升のさゝげの重さいかほどゝ ためしてみれば四ひやく五匁
(1升のササゲの重量は405匁(2,025g)であった)
(二一)畠莠くさ取 附行(pp.181-182) (畑の除草)
ひでりにハ朝ゆふ払へ畑の草 日のなか取な作りいたむぞ
(旱魃時には朝夕に畑の除草をしなさい 日中に除草をすれば作物が傷む)
氷雨や日でり成とも畑の草 取す時にならバ油断ばしすな
(氷雨や旱魃の年でも畑の草には 除草の時期になったら油断するな)
(二二)畑作腴こへやしなふ養 行てだて 附郷談(pp.182-185) (畑作の土づくりと施肥)
さと郷の土のしまれる畑けにハ 藁ハラ腴かけよ頓やがてやワらぐ
(土が固く締まった里畑には 藁堆肥をかければ次第に柔軟になる)
焼酎の粕をこまかにもミくだき 畑の腴こやしに能ぞ養へ
(焼酎の粕を細かく揉み砕き 畑の肥料にすれば良い土づくりになる)
其腴を養ひぬれバ耕作へ うるほひて世の助けとぞなる
(土づくりのための堆肥投入は 豊作を導いて社会に貢献することになる)
(二三)腴取始末(p.185) (糞尿厩肥の取り扱い)
始末する腴に手足け汚がすとも 心やいかにきよくもてかし
(糞尿や厩肥の処理で手足は汚れても,心は清らかなままである)
手やあしも洗ひて糞は落ぬれど すゝぐにならぬけがれ心ぞ
(手足の糞尿は洗えば落ちるが 濯いでも落とせないのが心の汚れなのだ)
(四四)不限畑作15)(p.210) (多品目栽培の勧め)
13) 青刈り大豆.茎葉を飼料などに用いる.
14) 立春から百五日目(グレゴリオ暦5/20頃)には降霜が稀になる(百五の別れ霜).
宜しとてそれをかぎるな畑作り 何のあたるも年によりけり
(畑作は一つの作物に拘泥するな どの作物が良いかは年によって異なる)
火串16) (獣害防止の灯火を吊す支柱)
山畑へほ火く串したてをけよ夜なごとに 作りをあらす鹿猪の用心 (山畑には毎夜,火串を立てて猪の害に用心しなさい)
日くれてハ火な縄ハやか籠こを竿にさげ 畑へたてをくほくしとハいふ (日暮れに火縄や火籠を吊して畑に立てる竿を火串という)
遠山の畑のかこひに鹿猪垣を 結ユひ廻しをけふせぐ為なり
(奥山の畑には,猪を防ぐための垣根を廻らせておきなさい)
日暮なバか空らづ筒ゝはなせ鉄砲の 音におそれて鹿のよらぬぞ
(日が暮れたら鉄砲の空砲を放ちなさい 音を恐れて猪が近付かないように)
2-4.『会津歌農書』下之本
以下の「歌」は不順な天候への備えや人知を越えた天地自然への崇敬など,
農業全般に対する心構えを説くために詠まれたものであると考えられる.
(一)農業油断(p.221) (農家の油断)
むく鳥の餌にする為か大根の 実りし種子をとらぬ油断は
(椋鳥の餌にでもするつもりか 実った大根の採種をしない油断とは)
(三)危あやうき農のう務む(p.223) (危なっかしい農作業)
よもや早百五の霜はふるまじと 天をはかるは危ぞかし
(もう遅霜は降らないだろうと 多寡を括るのは危険である)
(四)愚農夫(p.223) (愚かな農夫)
天をいのり地福の神にちかひても をろかの人の作ハミ実のらじ
(天に祈り地の福の神に誓ったとしても 愚かな人に豊作は訪れない)
(二三)農人同志(p.233) (農人同志)
耕たがやせ
や世の営ミも農人ハ 上ミ見ぬがよし己が同志のミ
(世の中も耕しなさい農民は 上を見ず自分の同志だけを見た方が良い)
15) 多種類の作物を推奨.
16) 獣害防除のために灯火を掲げておく支柱のこと.
(二九)天道17) (天の道)
四つのとき18)気候時令19)のさだまりて 万物化すハ天の道なり
(四季折々の気象変化を定め 万物を育てることが天の道である)
(三〇)地利(p.250) (地の利)
水タ ナ ツ モ ノ田種子は陸たつものまでかたよらず 養育するハ地の利ならずや田 種 子
(田畑の分け隔てなく 育てることが地の利ではないだろうか)
(三一)人事(p.250) (人の事)
燥サウシツ
湿の土ド ギ宜をわきまえ天あめつち地の 化クハイク育20)助クは人の事なり
(土の乾湿をわきまえて天地の 化育を助けることが人事である)
(三五)四月之中霜(p.252) (4月中旬の霜)
居いでいら
平へ四月の中にを降りる霜 夏の百五と是を謂ふ也
(会津盆地に4月中旬に降る霜 それを夏の百五の霜という)
(四三)農事圃業三数(p.255) (農業の基本となる三つの数)
天地の三つの其数かたどれバ 農事圃業にもるゝことなし
(天地の3つの数を象かたどれば 農業に不足はなくなる)
(四八)象しょう耕 附鳥耘(p.260) (獣耕 鳥耘)
もろもろの鳥舞さがり夏の田に 繁る莠ハクサを耘くさぎりぞする
(さまざまな鳥が夏の田に群がり 繁茂した田の草を耘っている)
耕耘を鳥やけものゝ助るハ まことに天の恵ミなるらん
(鳥や獣が耕耘を助けるとは まさしく天の恵みではないか)
(七一)霪ながあめ(p.269) (秋の長雨)
取りわけて陰気のつよき山郷や 氷雨なれバ不作増なり
(とりわけ日が陰りがちな山里は 氷雨でより一層の不作となる)
(七二)霪霽ハレ祈(p.270) (秋の長雨が晴れることを祈る)
氷雨の晴を祈るハもとよりも 止雨の祭りの例にまかすれ
(氷雨が止むのを祈るのは当然だが 止雨の祭りに任せなさい)
17) 自然の摂理.天体の運行.天,地,人で宇宙の万物をあらわし,天が作物を生み,地がこれを養 い(地利),人がこれを助ける(人事).
18) 春夏秋冬の四つの季節.
19) 時節,年中の行事.
20) 天地,自然が万物を生み育てること.
鎮守21)へ行道 (村の鎮守への道)
其邑むらの鎮守に祈れ雨はれを 何国もおなじ止雨の祭りハ
(村の鎮守に晴天を祈りなさい どこの地方でも止雨の祭りは同じである)
(七六)雨請 附古歌(p.272) (雨乞い)
旱魃の日数積りて土かハき 作にさハらバ雨請をせよ
(旱魃が続いて土が乾き 収穫に影響する場合は雨乞いをしなさい)
旱魃に雨請するハ古への 祈雨の祭り22)の例しならずや
(旱魃に雨乞いをするのは昔の 雨乞いの祭りを継承するものである)
(八八)雪積冬(p.278) (冬の降雪)
冬に雪の深くつもれバ翌年の 土湿ひて作りよろしき
(冬に積雪量が多ければ翌年の 土が湿って作物の栽培には良い)
(八九)雪不レ降冬(p.278) (冬の小雪)
冬に雪のふらぬを嫌ふ地作りハ よく年畑の虫多きとて
(冬に雪が降らない土づくりは良くない 翌年は畑の害虫が多いという)
元よりも冬雪ふらぬよく年の 諸作の出来ハ中といひけり
(冬に雪が降らなかった翌年の 作物の作柄は中程度だという)
2-5.『会津歌農書』下之末
天地自然を活用し,人事を尽くすために求められる生き方が精神的風土ま たは「農的文化」として総括され,農家の仕事や生活に関する注意を喚起しな がら,農民として常日頃心がけるべき留意点や倫理観が詠み説かれている.
(四)農人 諺ことハざ(p.302) (農家のことわざ)
諺の豊凶こゝろミ留をくは 後の為なり記つ試 続ゝけよ
(故事を試して記録しておくのは 将来のためになるので続けなさい)
ことわざの年の豊凶ハさ定だかなし 事実時変の有に付てハ
(諺の豊凶は確定したことではない 実際に気候変動があるのだから)
よきを用ひあしきハ捨て諺の あらゆるほ程とや書記せかし
21) その土地,地域の守護神.
22) 雨乞い.日照りが続く時に降雨を神仏に祈ること.
(諺の良い点を受け入れ悪い点は捨て すべての事実を記録しなさい)
(五)農人覚かく悟ご(pp.302-304) (農民の覚悟)
くるしミも実りし時ハわするへし 只おこたるな農のはたらき
(収穫の時には苦しみも忘れるべき ただ農務を怠るべきではない)
乏とも
しくて過こした夏なつをおもひ出し みのれる秋に心ゆるすな
(飢えて過ごした夏を思い出し 収穫の秋に心を許してはならない)
農業のならぬといふもふ不かくごよ 勤て見るに叶ハぬハなし覚 悟
(農業のならぬは覚悟の欠如である 努力して叶わぬことはない)
ゆるかせニ心ナ持ソ農タカヤシの わざニハ時セツノあルコトソカシ
(農の心を平静に維持しなさい 技術には適時・適切が求められる)
農の道しらずハ人に聞かよし かしこきふりは見るもはづかし
(農の道を知らなければ他人に尋ねなさい 賢いふりは見苦しい)
(六)田で ん か家 慎つゝしみ 附ユ ウ ワ夕和利リ23)(pp.304-305) (農家の慎み 夜なべ仕事)
当秋の出来のよきとて来作ハ しれじ無む ゑ き益の費ついえつゝしめ
(今年が豊作でも翌年は予測できない 無駄な出費は慎みなさい)
慎よ小う唄たさ三ミせん楽好ミ 夜る長はなしことにばくゑき味 線
(慎みなさい小唄や三味線を好み 夜の長話しや博打は殊に)
つゝしめよ酒屋ば這いりに酔ほれて 家業わするゝ己かこゝろを入
(慎みなさい飲み屋で酔い痴れて 家業を忘れる心が起きないように)
つゝしめよをのか務つとめの耕しの 道より外のあたしこゝろ24)を
(慎みなさい自らの務めの耕しの 道を外れた徒あたし心を)
慎て夕和利かくな農家にて 世ヨの営イトナミのたすけとそなる
(慎んで夜なべ仕事に励む農家として 世の中の営みの支援となる)
(八)糧かて菜な 附郷談(p.306) (緊急時の保存食)
何よりも益あるかでぞつねにたゝ 蕪菜をひ糧 控かへ作れ大根
(何よりも役に立つ常備食なのだから カブを控え大根を作りなさい)
大根は粮かてに用る益よりも いつ作りても違ハぬかよし
(大根は非常食用として役立つだけでなく 常時作れるという利点がある)
23) 夕割.夜なべ仕事.「よわり」ともいう.
24) 徒し心.他に移る心.自分の仕事に励まない気持.
さゑん粮なすび夕顔さゝけの葉 此三品をハ常にもちゆれ
(非常食としてナス,夕顔,ササゲの葉 その三品を常備しなさい)
(九)馬うまかひ飼草くさ(pp.307-308) (馬の飼料)
取わけてふ不作の年は飼草に はやく気を付始し末まつ肝かんよう要
(不作年には飼料の確保に気を付けることが大切である)
(一〇)馬好かうやう養 附行(p.308) (馬を良く養う)
冬の内馬をよく飼へ取わけて 春耕しの為なるぞかし
(特に冬の間は馬の健康に注意して飼いなさい 春の耕起のためである)
もとよりも弱よハきをしらず殊こと更さらに やつれし馬に重おも荷につけるな
(弱っていることを知らず殊更に やつれた馬に重荷をつけてはいけない)
(一一)薪たきゞとる採時節(p.309) (薪を取る季節)
里郷の薪はつねに夏よりも 秋中かけて取置がよし
(里の薪は夏よりも 秋の間に取った方が良い)
夏秋に取をくれなば冬の内 薪ともしくくるしかるべし
(夏秋の間に薪を取っておかないと冬の間 薪の不足に苦しむことになる)
山郷の薪取こそ冬よりも 春堅かた雪ゆきをかけて能なり
(山里の薪は冬よりも 春の堅雪の時に取るのが良い)
(一二)農ノ ウ カ ゴ リ ン
家五倫25)子シ孝カウ26)(pp.309-311) (農家が守る五つの道 親孝行)
いやしきと誰がいふとも農業ハ 庶しょじん人の尽す孝の本なり
(いやしいと誰が云おうとも農業は 庶民が尽くす孝行の正道である)
いとたゝにあゆミ叶ハぬ親の身の 不作と聞かば猶な嘆けくべき
(ただでさえ歩くことも叶わぬ親が 不作と聞いたらなお嘆くだろう)
(一五)主シウシュツ恤(p.313) (主は憐れむ)
主人めき高ぶりなせそ農人ハ 時の貧ひん福頓やかてかハれば
(偉そうに威張るべきではない農民は 時代とともに貧富は変わる)
(二一)稲いないつミ泉種た ね子遣やる二村そん友ゆう一(p.318-320)
稲泉四五畝作りし其年は 元禄五年申の夏なり
(稲泉を4,5a 栽培した年は 元禄5年(1692年)申年の夏だった)
25) 人として遵守すべき五道.君臣の義,父子の親,夫婦の別,長幼の序,朋友の信.
26) 子が親に孝をつくすこと.
其秋は大霜ふりてことごとく 稲泉かれて実みのらず
(その年の秋は大霜が降りすべての 稲泉が枯れて実らなかった)
(四五)村吏勤農27)(pp.330-331) (村役人の農の務め)
耕しのうときやからにをしふるハ 村の司28)の勤なりけり
(農業に疎い若者たちに知識や経験を教えるのは 村役人の勤めである)
秋の田のみのらぬ年に奢おごるもの かたくふせけよ吏の勤には
(冷害年に贅沢する者を厳しく防ぎなさい 役人の職務として)
みのるとて費ついえいとハぬ族やからをぞ をさふるこそは吏の勤なれ
(収穫期に無駄遣いをする者たちを 教え諭すことこそ役人の務めである)
たミ草に秋取収おさめゆるむなと 教るこそは吏のつとめなれ
(人々に収穫時に仕事に励むよう 指導するのが役人の務めである)
(四六)地ちりきかるゝ力枯 死ノ字歟(pp.331-332) (地力の枯渇)
早苗連づら29)こみて植るな近けれバ 地つちの力ちからをからしこそすれ
(稲の苗を密植してはいけない 田の地力が枯渇してしまう)
なげやりに水見て夏の田をほせバ 地力のかるゝもとゝしるへし
(よく考えずに夏の田を干せば,地力が枯渇すると知るべきである)
畠の毛30)を間引とらずに厚たては 地の力をからしこそすれ
(畑作物を間引きせず,密植状態にすれば地力が枯渇してしまう)
みにそめぬあらし作りの田や畑の 地の力ハかれはてにけり
(田畑の性質を考えずに無理な栽培をすれば地力が枯渇してしまう)
(四七)作さくはまハり場廻(p.332) (圃場の見回り)
をこたらず作りの場にハを見て廻れ 先だつ事わざを励はげむ為也
(怠ることなく田畑を見回りなさい 将来役立つ技術を磨くために)
園その
作り品多ければ取りわきて 心をくハり見廻るがよし
(栽培する作物が多ければより一層 心配りをして見回った方がよい)
(五〇)田家遊日(pp.333-334) (稲作農家の遊日)
をのが田を植て究し明る日に 遊ぶは小さなぶり31)といふ也
27) 村役人.肝煎,組頭,百姓代の村方三役.
28) 肝煎,村む ら お さ長.
29) 早苗面.苗と苗の株間,条間.
30) 作毛.作物.
(田植えが終わった翌日に遊ぶことを小さなぶりという)
一村の大さなぶりの祝ひこそ 田子のたのしむ遊日の元
(村を挙げて祝う大さなぶりは 稲作農家が楽しむ遊日の元である)
(五二)耕作祭(p.335) (農業祭)
まづ神へ早わ せ稲の穂がけを供ずるハ 作る実るの秋祭なり
(まず神に早稲の穂を掛けて供えるのが 秋の収穫感謝祭である)
刈あけの餅を備へて田の神を 祭るハ稲の祝成なりけり
(収穫した新米で搗いた餅を供えて田の神を 祀るのが稲の祝いである)
(五三)祈農(p.335) (農の祈願)
神垣かきに心のしめをかけてこの 祈りは作り実る為なり
(神棚に心の注連縄を掛けて 祈るのは翌年の豊作祈願のためである)
3.『会津農書附録』の旧・新暦照合および補註について
江戸時代における「天明の飢饉」など,東北各地に藩政の逼迫をもたらす程 の飢饉の原因となった冷害は周知の歴史的事実である.しかし,江戸時代に,
「気候変動枠組条約」や「京都議定書」および「パリ協定」などの国際対応を喫 緊の課題として迫る近年の「気候変動」に匹敵するような異常気象が起きて いたことは,従来,あまり注目されることがなかったのではないだろうか.
経済成長の成果として「豊かな」時代を謳歌したとされる元禄時代,雪国会 津で冬期間の積雪が記録されなかった年や厳寒期に気温が零度以下にならず 木々や作物が冬季に狂い咲きしたなど注目すべき事象が『会津農書附録』に 記載されている32).
かかる異常気象の記録を含む『会津農書附録』は,1691年(元禄四年)から 1709年(宝永六年)までの19年間の気象データを記帳した日誌を整理して一 冊にまとめ上げた貴重かつ稀少な歴史的資料であると考えられる.また,そ のような気象の年次変動を知ることにより,予測不能な気象条件下の収量向 上だけではなく,不確実な気象変動に対応するために多様な立地条件や土壌 条件を組合せて活用しながら収量の安定化を図っていくことを重視する『会
31) 「さなぶり」は田植え終了後の祝い.「小さなぶり」は各家ごとの祝い.
津農書』に記載された基本的な農的文化(agri-culture)のイメージが,より一 層具体的に理解できるものと考えられる.
それは「天地自然」の観察に基づく農業技術論の領域を超えて「人事」(農 務・教育等)に応用されることで「共生」理念を構成し33),「身体をもつこと で空間4 4的存在である」(桑子[2013],p.93)私たちが同時に時間と共に自らの 身体を変化させて死に至る時空間4 4 4的存在であり,そのような存在として,大 気,生物,天体等の時間的変化である気象,生態系,天文等にかかわっている ことを再認識させてくれる.すなわち,不断に変化しつづける有限な時空間 を生きる存在(生命体)としてのヒト(Homosapiens)と他の生物種との間に 本質的な差異は認め難いものの,身体の一部(とりわけ大脳新皮質)を利用し て外部器官(道具)を進化させるという特殊な能力とともに,自らが創造した 外部器官に依存することによって生活様式を変化させる能力を高めつつある 人類は,その代償として自然環境(の変化)に対応する生物学的能力を低下せ ざるをえない.しかし,まさしく当該能力の劣化過程こそが,自然環境や生 態系の破壊と人為的改変に寄与してきた農業を,新たな文明への移行期にお いて人間の諸能力を維持・向上させる産業(または文化装置)として再浮上さ せることになると考えられる.
32) ①元禄四年(1691年)「寒中雨六度降,鈍寒にて水桶に冰こおり不は ら ず張(中略)冰十二月の内ハ雨五度降」
(庄司他[1982],p.295)【拙訳】「寒中(グレゴリオ暦の1月中旬)に雪ではなく雨4が6回も降った.
季節は一年中で最も寒い時期(寒)であったにもかかわらず暖かい日が続いた(鈍寒)ために,水を 汲み置きしておく桶にさえ氷が張らない程であった.(中略)12月(グレゴリオ暦の12/20 ~ 1/17)に雨は5回降った」.②元禄六年(1693年)「寒中雨,但年中六度,次正月に成て六度,都あわせて十 二度降り,鈍寒にて水桶に冰こおり不は ら ず張.」(庄司他[1982],p.300)【拙訳】「寒中(グレゴリオ暦の1月中旬)
に雨4が降った.但し,1693年12月中(グレゴリオ暦の1/15-1/24)に6回,1694年1月(グレゴリオ 暦の1/25-2/3)になってから6回であった.暖かい日が続き(鈍寒),2年前と同様,水桶に氷が張 らなかった.」,③元禄十五年(1702年)「冬気候不正.十月節に成て若竹の子生ル.十一月諸品の 花咲く.りんこ,栗等なる.十二月の中に至いたりて菜子の花さく,梅の花ひらく」(庄司他[1982],p.300)
【拙訳】「1702年の冬は異常気象であった.10月節(グレゴリオ暦の10/21-10/30)には筍が生え,
11月(グレゴリオ暦の11/19-12/16)にはさまざまな作物の花が咲いた.さらに,12月中(グレゴリ オ暦の12/29-1/9)には菜種の花が咲き,梅が開花した」.
33) 「奴僕を使ふにも耕たがやしに得たる人有,耘くさぎるに得たる人あり,かれに長せるあり,これに短なるあり,
其そ の ひ と人につきて其そ の よ う用を知て子弟を教ることく,寒暖,飢飽を量はかりて其四し躰て いを使ふことならしめハ,令
せすして其事成就すへし」(庄司[1982],pp.360-361)
3-1 元禄四~五年(1691-’92年)
元禄四年は田畑とも下作(低温・旱害).5月低温,6/3 ~ 28低温多雨.
6/29 ~ 8/17旱魃.麦・大豆(四度蒔)・蕎麦は下作.元禄五年の里田は不作,
山郷の田畑は大不作.3/27 ~ 5/3晴天,田植時に水不足.5月は低温多雨,
6/1 ~ 15晴天.秋は多雨,「稲泉」晩霜害.野鼠が大量発生し「鼠送り」.麦 上作,大豆・蕎麦中作.
1.29 2.1 2.5 2.10 ○ 2.15 2.17 2.20 2.25 2.26 2.27
1691 元禄4 1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
晴天 雪消
「居平の雪 2.28 3.1 ○ 3.10 3.15 3.20 ● 3.25 3.29
二月彼岸九日前 2 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 雪消
に消ル」(p.293) 3.30 3.31 4.1 4.5 4.10 4.15 ○ ○ 4.20 4.25 4.27
3 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 穀雨 降雪(穀雨+3)
4.28 4.30 5.1 5.5 5.10 5.15 5.20 5.25 5.27
4 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 4月の降雨は10度(10/30=33.3%)、雨量は少なく、田の土塊は乾き、水不足の所もあった。
5.28 5.30 6.1 6.5 6.10 6.15 6.20 6.25
5月は降水量が多く、 5 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 田植えは順調に進んだが、 5月の降雨は14度(14/29=48.3%)、用水が豊富であった。
例年より寒かった。 6.26 ○ 6.30 7.1 7.5 7.10 7.15 ○ 7.20 7.24
6月は雨の日が多く、 6 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
低温や日照不足のため、 6月3日~28日、22度の降雨(22/26=78.6%) 土用 → → 長雨 旱魃 →
作物の生育が悪かった。 7.25 7.30 8.1 ○ 8.10 ○ 8.15 8.20 8.23
6月末から気温上昇、 7 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
一転して旱魃になる。 7月は雷雨が9度 → 土用 降雨 6月29日~8月17日、旱魃が続く。
7月18日、所によっては 8.24 8.25 8.30 9.1 9.5 ○ 9.10 9.15 9.20 9.21
恵みの雨となる。 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 8月の降雨は5度(5/29=17.2%)、雷雨が2,3度。 ← 旱魃
9.22 9.25 9.30 10.1 10.5 10.10 10.15 10.20
閏 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 閏8月の降雨は16度(16/29=55.1%)
10.21 10.25 10.30 11.1 ○ ○ 11.5 11.10 ○ ● 11.15 11.19
9 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
9月の降雨は19度(19/30=63.3%) 立冬(立冬(10月節)? 雷鳴 初雪
11.20 ○ 11.25 11.30 12.1 12.5 12.10 12.15 ○ 12.19
10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
降雪 10月の降雨は13度(13/30=43.3%) 降雪
12.20 ○ 12.25 ○ 12.30 1.1 ○ 1.5 ● 1.15 1.17
11月に梅の花が咲く 11 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
寒中に降雨が6度 降雪 冬至 降雪 降雪 寒入 根雪(寒入+6)
水桶に氷が張らなかった 1.18 1.20 1.25 1.30 2.1 ○ 2.5 2.10 2.15 2.16
12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
暖冬だが例年よりも大雪 立春
2.17 2.20 ○ 2.25 2.28 2.29 3.1 ○ 3.5 3.10 3.15 3.16 3.17
1692 元禄5 1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
日食 降雨 晴 降雨 晴 1月の降雨は11度(36.7%)。
「居平の雪、 3.18 3.19 3.20 ● 3.25 3.30 4.1 4.5 4.10 4.15
二月彼岸入四日目 2 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
に消ル」(p.296) 雪消 雪消 2月は7度の降雨、雪もたびたび降る
4.16 4.20 ○ 4.25 4.30 5.1 5.5 5.10 ○ 5.15
「山畠に野鼠多く出て 3 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
作の実をくふ。」 雷鳴 3月の降雨は11度。 旱天 →
「又熊野干大分にあれて 5.16 5.20 5.25 5.30 6.1 6.5 ○ 6.10 6.14
作毛の実を食ふ也。」 4 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
「方々にて鼠おくりをする。」 3.27~5.3まで35日の旱天(35/37=94.6%)。田の土は乾いたが、用水不足で田植えができない所もあった。 芒種(5月節)
(p.297) 6.15 6.20 6.25 6.30 7.1 7.5 7.10 7.13
5 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
→ 旱天 5.4以降、5月中の降雨は18度(18/26=69.2%)。雨の日が多く、寒かった。
7.14 7.15 ○ 7.20 7.25 7.30 8.1 ○ 8.5 8.10 8.11
6 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
旱天 → 土用入(6/5~22) → 旱天 6.16から6日連続の雨天 土用 雷雨
8.12 8.15 8.20 8.25 8.30 9.1 9.5 9.10
7 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 7月の降雨は15度(15/30=50%)、平年に比べ低温。
9.11 9.15 9.20 9.25 9.30 10.1 10.5 10.9
8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 初霜 8月の降雨は11度(11/29=37.9%)、平年に比べ低温。
10.10 10.15 10.20 10.25 10.30 11.1 ○ ○ 11.5 11.7
9 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29
9月の降雨は9度(9/29=31.0%)、平年に比べ低温。 飯雪 大霜
11.8 11.10 11.15 ○ 11.20 ○ ○ ○ 11.30 12.1 ○ ○ ○ 12.7
10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 10月の降雨は10度(10/30=33.3%)、毎日寒く稲が干せない。 10月中小雪 白稲、稲泉に霜害。 初雪(飯雪+38)降雪 10月25,26日収穫あり根雪(飯豊+48)
12.8 12.10 12.15 ○ 12.25 12.30 1.1 1.5
11 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 冬至
1.6 1.10 1.15 1.20 1.25 1.30 2.1 2.4
12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
2.5 2.10 2.15 ○ 2.20 2.25 2.28 3.1 3.5 3.6