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「だれの子どもも、ころさせない」、世界をつくる
西郷さいごう
南海子み な こ [email protected]
(安保関連法案に反対するママの会発起人、
三児のママ、京都大学教育学研究科博士課程一年)
ひとりの言葉が、次の誰かの言葉を呼び起こす
七月四日、子どもたちが昼寝をしている間に、フェイスブックで「安保関連法案に反対するママの会」
を立ち上げました。8月17日までに、寄せられた賛同署名は19489件を超え、「だれの子どもも、ころ させない」を合言葉に30もの都道府県で「ママの会」が立ち上がっています。国会審議を前に、何かせ ずにはいられなくなったママたちが、爆発的な勢いで結びつき始めています。今回はこの紙面をお借り して、「ママの会」の活動が何をつかみつつあるのかを、わたし自身の観点からお伝えしたいと思います。
わたしがこの会を作るきっかけとなったのは、国会前抗議行動での、ある学生のスピーチでした。「自 分で思考するということは自分にしかできない。自分の言葉は自分にしか語れない。だから僕は僕であ り、君は君であり、〔…〕自分を自分たらしめているのは、思考という自分の言葉そのものなのです。だ からこそ、国に語らせるのではなく、わたしたちが自分の言葉で語りましょう」(二○一五年六月二十六 日、国際基督教大学四年・小林叶さん)
傘と傘が重なり合う雨の中、わたしはこのスピーチをすぐ後ろで聞いていました。そして、「わたしも やりたい!」という気持ちが湧き上がってました。これ以上、安倍首相たちにわたしたちの未来を勝手 に語らせるわけにはいかない。そう思いました。
安倍首相は、言葉から言葉の生命力を削ぐという点で長けています。白を黒と言ってのけ、黒を白と 言ってのける。こうしたパフォーマンスが日々繰り返されるうちに、わたしたちの感覚は麻痺させられ ていきます。このことが、自分でもほんとうに恐ろしいのです。新聞を見ても「あ、またか」「こっちが 何言ってもムダ」としか思わなくなっていきます。これが、多くの戦争経験者が警鐘を鳴らす「戦前の 空気」なのでしょう。この流れから、なんとしてでも自分を引きはがしたい。それを可能にするのは、
わたしたち一人ひとりが放つ言葉のリアリティなのだと思うようになりました。このことをありありと 示してくれたのが、国会前での学生たちのスピーチでした。
自分にとって、何がリアルな言葉なのか。自分にはいろいろな属性があるけれども、その中のどれが よりリアルなものなのか。考える中で行き当たったのが、子どもたちの存在でした。ママにとって、子 どもとは、よくもわるくも自分から切り離すことのできない存在です。子を持つということの重み。そ のとらえ方はもちろん人それぞれですが、それでもやはり、自分から抜きとることのできない重みかと 思います。この感覚をひとつの核として、戦争を止めるための言葉を語っていきたい。「積極的平和主義」
なるものに絡めとられていかない、自分が自分でありつづけるための言葉を生み出したい。そう考えま した。
そこで、あえて「ママの会」という名称を選びました。ママであるということをひとつの切り口とし て、この安保関連法案に反対し、それと同時にわたしたちがどういう社会に生きていきたいのかを語り 合いたかったのです。「ママの会」の署名の力点は、署名の総数よりも、一人ひとりからの「メッセージ」
にあります。なぜこの法案に反対するのかということを、誰でもないその人の言葉で語ることが、次の
2015年8月26日 ミニ講義 配布資料
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誰かの表現を呼び起こすと思ったからです。会のシンボルはガーベラですが、その花言葉は「希望・常 に前進」です。
SNS×「リアル草の根」
フェイスブックページへの「いいね!」やオンライン署名の数は、あっという間に伸びていきました。
子育てに追われるママたちでも、赤ちゃんを抱っこしながらでも、片手でスマホからこの法案に反対す ることができる。その手ごたえを感じました。
我が家の四歳の娘は、布団に入って電気を消すときになると、「きょうのよるはせんそうにならない?」
と聞いてきます。最初にそう尋ねられたのは、安保法制の審議が本格化した五月頃だったでしょうか。
そのときは、とても戸惑いました。そんなことあるわけがないと信じたい一方で、いつまでそう言って やれるのだろうかと。毎晩毎晩そう尋ねられるうちに、彼女の問いが、世界の戦闘地域の子どもたちの 声のように思えてきました。実際に、「きょうのよるはせんそうにならない?」と思いながら暮らしてい る子どもたちは、間違いなくいるのです。集団的自衛権の行使で、そういう子どもたちの上に爆弾を降 らせるようなことには、加担も、黙認もしたくない。娘の毎晩の問いに、どれだけの確信をもって「う ん、ならないよ」と言ってやれるのか。これが、わたしの毎日の過ごし方の指針となりました。
七月十三日には、フェイスブックでつながりあったママたちと、参議院会館で記者会見を開き、以下 のことを話しました。この会は、「だれの子どもも、ころさせない」のみを合言葉にする、誰でも名乗れ る会であること。主人公は、どこかの偉い人ではなくて、日々子どもと泣いたり笑ったりするママだと いうこと。子どもは、誰かに命令されて殺したり、殺されたりするために生まれてきたのではないとい うこと。誰かの利益のための道具としてのみ、人間が生きることを許されるような世の中は、もう終わ りにしたいということ。そして「だれの子どもも、ころさせない」という立場でなら、世界中の人々と 手を取り合えるだろうということ。
この記者会見の後、すぐに各地のママから会 を立ち上げたいという連絡が殺到しました。中 でも真っ先に連絡をくれたのは、福島と沖縄の ママでした。住民が幾重にも分断されて声を上 げることが難しい地域だからこそ、つながるき っかけを作りたいというその思いに、身の引き 締まる思いでした。現在、30もの都道府県とシ ンガポールで、フェイスブック版「ママの会」
が立ち上がっています。見ず知らずのママたち が、SNSで出会ったことで、「リアル草の根」
での活動を始めています。その柔軟なアイデア、緻密かつダイナミックな行動は、想像をはるかに超え るものでした。グッズから歌まで用意して、大通りをパレードした北海道のママ。地域の議員への手紙 を集めて事務所に渡しに行く、石川のママ。教科書採択の現場に駆けつけた東京のママ。自ら街頭宣伝 の許可を取りに行って人々に訴える、京都のママ。プラカードを車のガラスに貼り、駐車場でも安保の 立ち話をする大阪のママ。プラカード画像を小さなキーホルダーに加工して配る、福岡のママ。「清水の 舞台から飛び降りる気持ち」で、LINEからママ友に署名を呼びかけた、シンガポール在住のママ。それ
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ぞれが「これならできる」というやり方で行動を起こしていることが、SNSを通じて流れてきます。そ れらが、新鮮な驚きをともないながら、響き合っています。
「だれの子どもも、ころさせない」という、たったひとつの合言葉で、わたしたちは出会いました。
そして、いまだかつてないような、のびやかな活動を始めています。あるママが言いました。「“秘策”
はないからねぇ」と。そうなのです。秘策がないからこそ、わたしたちは手探りで、自分たちの声をか たちにしようとしているのです。重要なのは、これらの声が、国会の中にいる人たちに聞き取ってもら えるかというよりも、こうした「リアル草の根」での活動が、それぞれの生活空間を生まれ変わらせて いるということだと思います。「自分はこう思う」ということを、ごまかしたり心の中にしまっておくの ではなく、誰かの目に触れるかたちで示し、試しながら、練り上げていく。この協働作業こそが、デモ クラシーの語源である民衆(デモス)の力(クラティア)ではないでしょうか。
さらに言えば、わたしたちはこのような生活空間での子育てを、ほんとうの意味で「豊か」なものに したいです。誰かが抑圧されたり、殺されたりといったことの上で、自分の子どもを育てたくありませ ん。東京電力福島第一原発の事故は、わたしたちの生活がどういう仕組みの上に乗っかってきたのかを、
まざまざと見せつけました。戦争にしろ原発にしろ、同じことを繰り返すだけが人間のあり方ではない ということを、子どもと一緒に実践していきたいのです。あるママが、子どもと一緒にデモに出る理由 をこう書き記しています。「むずかしい、わからないからと言って、見て見ぬふりをする大人にはなって ほしくないのです」と。そういう思いをもつ二千人が集まったのが、七月二十六日の「戦争立法反対!
ママの渋谷ジャック!」でした。
わたしたちは、絶えず、出発しつづける
「民主主義は終わってる、って言った人がいました。そ れに対して言えるのは、ひとつだけ。終ってるなら始める ぞ、ってことです!」(二〇一四年五月三日、明治学院大学 四年、奥田愛基さん)
誰もが都合よく用いる「民主主義」という言葉は、もは や手垢にまみれた代物のように思えます。わたし自身、多 数決を正当化するための用語としての「民主主義」にはう んざりしてきました。しかし今では、こう思います。もし 民主主義がありえるとすれば、それは、自分と人との結び つき、関わり合いの中にしか立ち現れてこないものなのだ と。この見方を示してくれた一人が、わたしが大学院で研 究しているアメリカの哲学者ジョン・デューイです。
デューイは、ナチスのポーランド侵攻の年に書いた論文
(Dewey, Creative Democracy―The Task Before Us, 1939)
で、民主主義を自分たちの生活とは別のところにあるメカ ニズムとしてとらえることの危険性を指摘しました。そし て、こう言いました。「民主主義とは、経験のプロセスは得 られたどのような特別な結果よりも重要であるという信念」
2015年8月26日 ミニ講義 配布資料
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であると。つまり、わたしたちが今の連続を生きているということには何ものにも代えがたい価値があ り、それは自分とは経験を異にする人々と関わり合う中でより豊かになるという信念こそが、民主主義 なのだということです。
この感覚は、子どもと日々生活するママにとっては、特にしっくりくるのではと思います。子どもが 今を生きているということには、無条件の価値があるように感じます。子どもが日々成長していくのは、
誰かの道具になるためではありません。ましてや、誰かに命じられて殺したり殺されたりするために、
生きているのではありません。そして、このように子どもたちが示してくれる、生きること自体のかけ がえのなさは、「だれの子ども=すべての人」に共通するものなのです。この思いが、「だれの子どもも、
ころさせない」という合言葉に込められています。
安保関連法案の廃案とその先に見えている、わたしたちが望む世界のあり方。わたしたちは、それを 自分たちの手で、今この瞬間、たぐりよせています。
★今後の活動★
8月27日(木)「ママの国会大作戦!」
主催:安保関連法案に反対するママの会 日時:15:00~16:30ごろ
場所:参議院議員会館 B104会議室 (2時半から通行証を配ります)
内容:ママの会の国会内集会 寄せられた約 2 万件のメッセージを各政党に届け、廃案を要請します。
集会終了後に国会議員要請をおこないます。
8月29日(土)「子どもをまもる学習会 憲法9条を学ぼう」
主催:安保関連法案に反対するママの会@京都 時間:10:30~12:00ごろ
場所:京都大学人文研・大会議室
内容:「学者の会」の山室信一先生をお招きして、憲法9条の思想的な成り立ちについてお話をうかがい ます。赤ちゃんが泣いたり、子どもがバタバタ走り回っても大歓迎です!
9月1日(火)「安保法制反対集会」
主催:安保関連法案に反対する京大有志の会 時間:18:00~
場所:西部講堂
内容:山室信一 (京大教授・法政思想連鎖史)、藤原辰史(京大准教授・農業史)、西郷南海子、SEALDs KANSAIが登壇します。
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… … … … 70 As an individual living in this age, and as a mother who raises children in this ag against the National Security Bills.