112 日本看護倫理学会誌 VOL.7 NO.1 2015
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日本看護倫理学会第7回年次大会 教育講演
2看護倫理を実践の中で みる "
“Look”: nursing ethics reflected in nursing practice
勝原裕美子
◉聖隷浜松病院
私たちは、こうあるべきだろう、こうすることが正 しいだろうと思う生き方をしたいと思っている。しか し、そのあるべき姿や、正しいとされることは実に多 様だ。私たちは、そんな多様な価値観を持つ人たちと 共に社会に生き、共に仕事をしている。
その時々で、自分の考えの狭さに気づかされたり、
自分とは異なる価値観を受け入れたりすることにつら い思いをすることもある。自分の中の様々な価値観同 士が相容れなかったり、自分の価値観と他者の価値観 とが音を立てるかのようにぶつかったりすることもあ る。そんなとき、最善の選択は何だろうと惑う。「看 護師」として、また「人」として目の前の落ち着かな い課題に対して、どのように決めたり行動したりすれ ばよいのかと考えるのである。
これは、ある意味当然のことである。たとえ親兄弟 であっても同じ価値観を持っているとは限らない。ま してや、一人一人異なる人生を歩んでいる患者とその 家族の生死や生活に触れる看護の仕事は、常に多様な 価値観にさらされているからだ。
私たちは、人の生まれること、死ぬこと、生きるこ と、生活することにたずさわるので、他者の人生を通 して自分の人生を考えざるをえない。だから、現場 で、人として守り行うべき道だとされる 倫理 に基 づいた思考をしようとするとき、「私」の中の職業人 として感じる責任は重たい。決めかねることがあるの は当然だと思う。それでも私たちは、価値観の違いに 対処しながら生きている。そうやって、自分の価値観 が刺激され、自分の枠を崩したり組み立てたりする日 常を送っているのだ。
大事なことは、その決めかねている状況を明らかに する努力ではないだろうか。なぜなら、倫理的な問題 の中には、気づかぬふりをしたり、見たり聞いたりし なかったことにすることでやり過ごせるものがある。
また、誰かに意思決定を委ねたり、遠巻きに見ておい たりすることに留められるものもある。しかし、そう
いう生き方や仕事の仕方を続けていくと、その対処方 法が当たり前になり、 倫理 的ではなくなってしま う。だから、目の前の人や現象に対して、自分という 道具を使ってどのようにアプローチするのが最善なの か、そのことを考え続けなければならない。
そのときに鍵となるのは、看護倫理を みる とい う視点だと思う。そのことを三つの観点から思考して みたい。
まず、「受動と能動」から考えてみよう。倫理問題 には、見ようとしなくても見えてしまうもの(受動)
と、見ようとしなければ見えないもの(能動)がある。
それらの分け方には、おそらく個人差があり、状況も 左右するであろう。たとえば、同じ現象を見ていて も、倫理的なひっかかりを覚える人と、何にも感じな い人がいる。また、嫌だと思っている人がとった行動 は非倫理的だと感じるのに、好感を抱いている人が同 じ行動をとったときには、さほど気にならないか気に しないようにするかもしれない。見ようとしなければ 見えないものにどれだけ気づけるかは、倫理的感受性 の閾値によるところが大きい。
二つ目は、「主体と客体」である。倫理問題が見え ている自分がいたときに、まさにその場で問題に向き 合っている自分(主体)と、その自分を見ているもう 一人の自分(客体)がいるというイメージだ。相手と の共感性を重んじる看護の仕事の性質上、看護師たち は、良いも悪いも相手と共有する時間や空間の中で心 情的に巻き込まれることがある。むしろ、そのような 瞬間がまったくない関係性は想定しづらい。しかし、
多様な価値観が渦巻く中で、そこに巻き込まれすぎる と出口を見失う。だからといって、冷めた目で客観的 に見るだけでは、それぞれの価値観に対する肌感覚が 不足し物事の本質は見えない。だから、巻き込まれる 自分と、巻き込まれている自分を見ている自分のバラ ンスが必要だ。そのためには、倫理原則や倫理綱領な どのよって立つものや、四分割法や倫理的意思決定な
日本看護倫理学会誌 VOL.7 NO.1 2015 113 どの枠組み、あるいは、倫理問題を客観的にとらえる
ための良質な問に向き合うなどして、道徳的な推論を するトレーニングを繰り返し行う必要がある。
最後は、「 みる 枠組みを支える風土」である。 み る 枠組みとは、先の二つのこと、すなわち倫理的感 受性を育て、道徳推論能力を高める教育をいう。ただ し、非常に整備された倫理教育プログラムがありさえ すればよいというのではなく、何かおかしいなと思っ たらすぐに声に出すことや、誰かと語り合えることが 当たり前に行われる風土を作ることである。なぜな ら、倫理問題は一人一人の価値観が異なっている限り
なくなることはないし、毎日生じているからだ。
倫理問題に向き合うということは、人として何を大 切に生きているのかという「私」のありようが問われ ることであり、何を大切に仕事をしているのかという
「看護師としての私」の居方が問われることでもある。
人の痛みや苦しみに関わり、添う中で、看護師は人間 のやわらかいけれどもたくましい力を引き出してい く。それは、その根底に倫理観があるからに他ならな い。その内在化された倫理観を見るという努力を通し て、私が形作られ、看護師としての芯が磨かれていく のだと思う。