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鎌倉時代に於ける起請文の成立とその特質

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

鎌倉時代に於ける起請文の成立とその特質

宮下, 勝次

https://doi.org/10.15017/2340924

出版情報:史淵. 23, pp.73-101, 1940-04-15. Faculty of Law and Letters of the Kyushu Imperial University

バージョン:

権利関係:

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0

超附文さは如何なるものであるか︒抑この交替の性格が︑宗教的又法的識側面哲もって躍純でない上に︑平安初期

にその發生をみ︑灘倉時代に成立するに至る迄︑長き歴史的鍵遜を經てゐる丈に︑其の意義の諭定は容易ではない︒

鎌倉時代に於ける.起描丈の成立とその特硬七三

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鎌倉時代に於ける起請文の成立とその特質

錐二章鎌倉峠代に於ける起誌丈の特画

錐一節寺院に於ける發展

擁二節武士杜倉に於ける發展

錐三節祁文の意義と北野麥惟起描の成立

結語

緒言

隼一軍共の發逹の概糎

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宮下勝次

8

(3)

0鄙

鎌倉昨代に於ける起術丈の成立とその僻斑七四

古來の諸説に微するも和桝紛糾を示してゐるのである.共等の主なるものについて一瞥するに

﹁H本紀に奔約をウヶヒさ談めり起諭の字この訓に依りうけを立つざいふにや﹂︵野槌︶

又﹁起請なる謡は上古宇氣比の字銃ご關係あるものど老へられる﹂︵杣木血一郎氏叫史雄凹號一九瓦︶

右二説の如きは語何れも塁約﹂の意に解してゐるが︑式目抄に

﹁起諦さは起ししやうする︒こ誠む天川七代地川五代を越し諸ずるや﹂

又一・おこし行ふなり何れにても願を起して祁糊在乞ふなり﹂愛撫随飛︶

等は﹁請願の鰯に紳佛を勧誘する﹂意に解して居る︒其他の諾読をも綜合するに︑大綴右の如き二つの見解に要約せ

られるのである︒大言海が︑︵一︶菜を發起して上に諸ひ願ふ事︑︵二︶祁佛に秤を立てk此琴に背かば糊を菱らんご諦

奉る郡︑︑ここ様い見解を立て典ゐ参○いぢ︑か1る古来の論に依擴せるものであらう︒

備之等諸説は︑何れを是ざし何れを非︑とする郡は川來ない︒何ごなれば弔或時代に部してみたる起請文い一側面槻

ざするなら︑何れも正柑な僻稗ざせなければならぬから.次章﹁發逹の概槻﹂に明なる如く︑こい名を以て呼ばれた

妓初のものは︑変に天平感喪元年燗五月﹁聖武天塁施入勅願文﹂象川寺丈きがあり︑平安時代に入り寺院に多く行

はれ︑鎌倉時代武家砒衡に於て成立をみる迄︑長さに派り︑その形式内容の上に發逹鍵遥があったいであるから︑単

に一時代のものを以て︑全時代いものに江り包括的に説明し︑共意義を定める事は諺この文書の性磁上不可能に脇す

る︒故にその肥しき意義の把握は︑確蛮な史料を可及的に旗く蒐め︑之を一定い瓶別の標準い下に分叛したる上︑共

︲︑

等各諏類のものにつき︑夫糞に間有な特質の閖明に俟つく誉であらう︒從而此が派しき研究方法も亦︑碓な具髄的史

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(4)

料の問より徐に結論を師納すべき歴史的認識の方法でなければならない︒古來の諸家が起請なる字義の訓話註樺に立

脚し︑.時に史的汚証を加ふる場合があつても︑主こして︑今北脚物語宇治拾遺等の説話文學の類より取材するは︑賑

しき研究態度書こはいへない︒蓋し彼等の兄解が狭きに失するに非れば皮朴的であり︑︑祁互に錯雑を示してゐる所以で

あらう︒本術はか上る見地よりして諺一應︑時代を起韮叩丈が完成を遂げにごみるべき鎌倉時代に限定し︑同時代に於

るその孵礎を考察する蕊︑こしに︒然し︑︑時代をかく限定するさしても︑鎌倉のものも平安時代のものを母胎として成

立してゐるのである・から︑先っ雨粁の栩關關係を慨概して本論に入り度いご恩ふ.〃

起講文を時代的に概概すれば︑既に早く天平勝喪年柵の﹁平円寺文北凹﹂︵前出︶の中に︑その名稲をみる︒次で︑天

○O○○平勝喪七︑七︑九貞狸父棒式﹁流幽朝集使起諭六條一大同四︑九諺廿七太政官符﹁令裁観察便起請事﹂︵知衆三代桁︶

三代蛮鋒貞観十二︑二︑廿三の條︑Ⅱ本後紀承和九︑八︑の條下等に︑起補い文字が散兇するけれ北︿︑何れも﹁所柵

杵迩の起諦丈﹂Eは︑形式︑内容に於て全く懸離れ仁ものであるから︑之等は諭外に世苔︑平安時代を通じて筆蒋い︐

0梅索し符にる史料を先づ時代順に列梁せぱ︑

一︑延喜七︑二︑士一︑醍醐寺東南院院主房聖戎起術厩幽一壷院丈沓

二︑延害十三年︑柴山寺抑鏡起諦文︵菜山寺文神︶

三︑弘仁九︑川︑廿一︑披瀝起訴兄院佛閲抄︶・

錐介時代に於ける起術丈の成立とその僻硬七五

第一章其の發逮︑の概観

1

1

1

4

(5)

茜︑.大治年冊︑筑前安樂寺天川起請屍︑斐鑑丈流二︑六︑十五の條︶

玉︑永府元︑十︑什︑築山寺攝憲起請塁山寺丈番︶

実︑唯和二︑凹諺十川︑東大寺祭文灸大寺丈蚤画ノ五○︶

毛︑保延三︑四︑三諺石清水捻校光清起請急流水丈番︶〆︲之等各個については︑考察す・べき多くの問題を有するのであるが︑共の詳論は本稿所論の對象ではないから他日を

期するさして︑之等を後綾の鎌倉時代のもいに比較するに︑共等を通じその形式内容の上に︑明な時代的共通性を指 歩一︑一﹄十二︑十三︑

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錐介畔代に於ける起諸丈の成立とその幹磁

天録元訟七雲.十六︑慈悪大師十簡條起請︵九院佛開抄︶

天鋒三︑八︑艮源廿六簡條起講︵服山寺文奮

寛和二︑九︑一五︑樅川竹勝厳院什五三味起諦晃日本佛数余番七○世

永延二︑六︑一五︑源信什五味起講︵大日本伽教条椎節七○冊︶

水鮓二︑二︑十Ⅲ︑慈忍和尚御起術帳︵山門唯令記︶

寛弘川年仰悪心術都起請︵来迎寺丈沓

天喜Ⅲ謡六︑什九︑満水台明寺起諭︵陸藩稚記︶

天害川や六︑讃岐善通寺起耐︵神迦寺文需︶

承徳元︑二︑十三︑延暦寺八ケ條起請︵朝野群載︶

承徳二︑榮山寺氏長巻起請︵柴山寺丈番︶

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︵二︶此等山制作薪が妓澄竜察海︑良源蝶開山教覗ご仰がる其商价︑乃至氏長斬︑大樋越なる郡︒︵三︶此等の茎言内容は︑山内秩序の維持︑一川价侶の柿任次節や戒律關係の事坂多曹事︒等が桁捕し得られる︒次に形式上の共通性であるが︑この読明に先立ちこ上で起請文の形式一般に燗れておく事を使在さする︒一般的にいばれる杵迦の起諦丈は︑その形式の鮎では既に整つにものに脇するもので︑共丈艘の鱗造からi愛二︲つり祁庁に分けられる︒前部を﹁前非回﹂后部を﹁川文﹂ざも﹁糊文﹂↑こもいった︒例へばや起諦文の範例さし前後二つの部分に分けられる.前部を﹁前 11IJI

摘し得られるのである︒かLろ平帝

らめる上に必要であるから︑次に華

先づ︑内容上の共通性ざしては︑ かLろ平安

て髄に引川される群普麺從雑筆要唯斯赦の

敬白起術文頭

水﹄Ⅶ趣粉於二某身一彼事全以不二過犯一兼令二脆誕一新Ⅱ本大雛嶮熊野椛呪金峰Ⅷ幽鎭守口前剛懸王城鋲守禰大明祁六十

餘州大小祁等之祁罰北︿身毛穴蒙新也仙起講丈如レ件年號川n

に於て﹁敬白起訴文事以下不二過犯一﹂迄が前笹であり︑﹁Ⅱ本大雛嶮以下仙起浦丈如シ件﹂迄が祁文である︒前瞥には︑

該起術を立つろに至つに目的那域が立言せられ︑川交には︑柑事新信仰山對象拒る諦祁謝佛が梁げられ︑前蒋にて立

言し仁亦填が服憾であったか又之を履打しなかつ泥場合︑共等祁佛の宛︿罰を家るべさ郡が記戦せら肌る︒研而︑平安

鎌介昨代に於ける起術丈の成立とその特礎七七

︵一︶此等が總て寺院に存したる頭. 時代起請が特有する時代的共通性は︑

ら︑次に略述する事さしやう︒

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本諭丈老察の對象にる鎌倉時代の特性を明

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らぅ︒即ち︑先つ形式上平安時代いものは川文なき起術文に脇するもいであり︑次に内容に於て鎌倉時代いもの︒と比

較した時︑乢述の如く平安時代の共通性は︑起術の成立した領域E立一両事攻︑この二鮴で︑特に顯著な鍵髄を遂げてゐ

る邪が認められる︒即ち︑平安畔代の起訴が寺院牡称に行はれ︑從而共の効力の及ぶ事項も寺院關係に止まつにいに

反し︑鎌倉峠代には勿論寺院にも行はれたけれ共︑一方折柄榛頭し來つに新興勢力たる武士壯命邸にも盛行をする覗き

なって太に發逹し︑その立一汽事攻も平安時代に比して︑頗る複雑多様なさのごなった︒本論に於ては︑雨時代の間に

みられる此の礎慨の顯著なるものを︑形式的には祁文︑内容的には起請の行はれたる鎮域の二問題を取上げ︑後粁を

錐介昨代に於ける旭描丈の成立とその特庇七八

時代いもいば︑是の如夏削神紳交なる慨裁笹怖ふるものは稀であり︑大部分はその後部に於て単に﹁旭講如レ件﹂﹁望

請﹂等ご孔川するに止り︑迩術起術文にみる如き整った祁文は未だみられないのを形式上山共通性ごする︒却説一般的

には︑祁文ある起請文を以て所綱起術文︑笹代表させるもいさみるべきであるからゞ平安時代の共等はこの意味で未だ

完成せられない原形的存在ごいはれねばならない︒少く共︑平安中期迄は然りで今のったざいへやう︒然し乍ら平安末

期天蒋川年山悲辿寺起請には

若冊レ盆之司粁住持之三蜜大師聖雛謹法天等垂二維明一敢不二逹失一故起訴ス﹂衆寺夏異番ウ汁一之冊凹

及び︑天承元年二〃十三Ⅱの延雁寺起耐には︑

豊型ハ簡條錐二共﹄u趣一仰噸常住三蜜誰世祇天伏講︑吉山王火台祗師各垂し驍殊加一炳戒一価起請如レ件

等さ既に祁丈こしての形態笹略里整へたるものも存するが︑前述雑筆要集に禍ぐる如き典型的なる祁文は?源平末鎌

倉初期に入り初めてみられるのであり︑從而.いは回本格的起請は︲厳密にいへぱ鎌倉時代に成立し・たさいへるであ

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史に寺院及び武家の各斌禽に分けつ如上三鮎を鎌倉時代起請文の特啄こうし本論考察の對象琶倣し婿

此虚で豫め明にしておくべき事は︑吟脚時代の起請が︑朝廷及び殿上人を中心させる﹁所祁叩公家﹂に於ては行はれて

ゐなかつに事である・・この事唾については︑︑玉葉文流三年五川十叫日の條に

天王寺宮僧旺迭レ使云天王寺衆徒猫對到押聞穿唯剛方共可しぎ迩術︸也祗可し被し仰二此旨一砒若批川村以之可レ爲二勝

ごあり︑天王寺と侭吉祗の雫訟に際し︑天王寺衆徒は公家の法廷で閲汪訊問を受くる事を断ん・ぜず︑剛方に起請文を

肱川かしめられん事を乞うだのに對し︑岡枇同H十六日の條に

○○○○○○○○○○

帆經來巾云天王寺巾︼Ⅲ奏し院之腱仰蓉祭丈起市公家雄二不し被し川事一此條雌葡之沙汰也以二此旨一可﹄仰二住吉杜︸云盈

Pこの後白河法呈の御一言葉に微して︑︾公家の裁判に起術を川ゐなかつ仁事が明であり︑叉徒然墓一○六段には﹁起請文

ごいふ率法曹にはその沙汰なし古の聖代すべて超講交につきて竹はるL政はなきを近代此覗流布し仁るな︑り﹂ご咽一言

してゐる︒それに︑起斫の現存史料中公家關係のものk絶えて兄糊らない泰も︑以上の見解を裂沓してゐるさ恩ふ︒

從而平安時代の寺院に肝胎し︑この勝代に入っては寺院並に武士Ⅲにも行はる凶に至つ↑卜が︑公家献命叩には先・つ行は

れなかつにさみる事が出来やう︒本章節一節ざして︑先づ寺院起術から此の時代に於ける腱州を辿る郡︑こしやぅ︒ 手一可レ見二共失一云凌

第一節寺院に諺ける發展

錐介昨代に於ける起術丈の成立とその塒髄

第二章鎌倉時代に諺ける起請文の特質

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等術職補任次節戒律に開する諾事項は︑平安時代の起請﹃こ規産一にしてゐるが

十八や不し可レ致二噛嘩詳論一事

錐介昨代に於ける起術丈の成立とその特画八○

源平時代より鎌倉時代にかけて︑寺院起術の史料は机柑盤宙である︒今その主なるものにつき︑

的に考察し︑その發展の様祁を明にしてみたいp

︵一例︶元雁二年正Ⅱ祁護寺文斑四五條起誌﹁定世Ⅲ五ヶ條起誌文事﹂の中

一︑寺僻等一味同心那

五諺住价等不し可レ輕引僻寺務執行人一郡

七︑撰割定器並一令レ補到任三細供州一事

九︑不し可し同型蛯月二王法一之韮上事

十二奇恒例佛事等事

十Wへ僻徒不し可し常︒住聚落一事

十五︑可二勤レ誉修一レ學事

三十︑不し可二飲酒一事

川五︑不し可レ著二美服一事 川六︑於二寺内一不し可し令し夜到宿女人一事

川・一︑任二商謀一不し可二談經一事

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右行法粁職大之朏川浦淨之腫肺也仙以一抑仙術後函太川庄↓殊所レ令二寄附一也五術起請雌二一事一無一失朧一興任二大師之

照鯉↓顯誰淑応之感勲一耳価起諦如レ件森岬岬劫榧狼皿所收︶

之は︑後白河法皇が糊時代の飢離末法を晩かせ給ひ︷佛法による王法の興隆を望まれ︑尚野山根本大塔に叩界而川十

川口い仙价を総め︑一斐夜十二n術を交代に﹁縦雌二刹那一識二無共隙一﹂︑ご命じ給ひ︑その維持我尋として術前太川庄を

寄せられ︑以上五簡條に派り組織︑行法︑維独支辨方法等を悦定︑起荊を以て其効力雪ど確保せられにもいである︒

︵三例︶丈永八︑六︑十七︑祁野腫幽猿川三ヶ庄述将起講定世條糞事︵商野山文番四四七號︶

一︑守誰所使入二寺領一燕・

武家恢猫以有二禁制一矧於二祁徒背領之境一哉

以前條為山上御許定之旨如レ此誰未来除雌二一事一不し可二進失一若令シ述剖失此行︾象卜梵天帝尺四天王制本剛叩大小洲

一一

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辿二維人一輩之事

一︑押到入上座都維那寺主一井大夫袖任之事

一︑庄官以下韮無職之事 一︑弧窃二盗井放火郡一︑寺術放免井所從事 一︑︑殺生四一年事

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雄介岬代に於ける起耐文の成立とその塒孜

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一︑山術吋術之門弟丼所從竿犯科川來之昨以二厳砿起請文一可し被し巾し之也・

一誹藩普事向後一向可二停止一燕

一︑於二寺中一殺人放火添犯媒悪行川來時粁藩共慨不二撚顯一者一山寺附老若令二含合一企二肺参於蜜前一定二Ⅱ限一弾二

厳砿起請文一可二呪咀一し之

第三例にみる﹁武家猫有二禁制一矧於二祁徒篠恢之境域一哉﹂に於て︑既にこの起請の目的精川が一.寺院内部の自治的

法規﹂を制定せんさしたるにある蕊が窺れるが︑その内零も亦︑寺域寺恢内の庄務執行︑刑事訴訟手続等の法制的諸

飛頚笹含み︑叉川例にありてもM様寺院内の犯罪勃發に際し︑犯人捜在︑共犯認定︑或は裁判手練等ど定めたるもの

であり︑何れも著しく法的性格を川へ來れる鮎に注潅せられる︒又

︵五例︶談沽却川地新立放券文事︵金剛寺丈番五九秘川至︵略︶

右件川地元薪禅尼殿下宛二千︲巾愈唯川途一所し被二寄進一佛恢也而今寺价随分雌し誰二微力一途蟹之事依二犬迭憐一共功難レ

経娃以爲二一寺衆徒沙汰一宛二世米雌州一限二永代一寅渡二千印脚一晩畢若於二此川地一致し妨之韮蒋大Ⅱ如来之敵也定被し

加二十大金剛天等治荊一群雌価新立二券丈皇之欣如レ件

鎌倉昨代に於ける起描丈の成立とその特硬八三

︵佃例︶元享川︑十︑廿川︑金剛寺條H起誘︵金剛寺文祥一二毛定澄金剛寺條麦事

一︑犯科人出來之時有二淡收物一群随二画数三分之一︾爲二寺門興隆可し被二寄附一也

職天野川所部類谷脇太師金剛天等祁罰冥詩於各〃蕊身上八闘川千毛孔上今生受二白癩頭痛︸未来鮠二無Ⅲ地獄|可彦無二出

期一依如レ件

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(13)

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節五例は﹁土地爽券﹂に︑第六例は一.淡状﹂に起請の形式が按川せられたのであるが︑俄時の爽券や談狄は︑か上

る形式を採らすに作成せられるのが耕迩であつに琶思はれるが︑之等文書が共に證携書叛である所から︑該丈番に権

威こより大なる拘束力を附與せんが爲諺かく起請の形式が利用せられたのであらう︒三︑凹例が共に︑庄園刑法︑

裁判無き所訓公法的色彩を帯びて居るのに對し︑.五︑六例が︑財燕讓渡︑家将相練等いはご私法的色彩のものである

事が注目される︒

︵七例︶元弘元︑十二︑廿三ゞ無動寺喪減起請切王院丈琶

蒋川與一郡香立庄一祁諭山堺事元雁中以二和與儀一被し定二方堂︾之上修理米御寄附之後数簡年之間無二相逹一之虚金輪院

所務之時彼修理米依レ無一沙汰一被二定−澄一之方堂等令二錨飢一畢就し之常住交交等所し巾非レ無一其訓一之Ⅷ鰯し難し宥二被

等一式果之外垂瀝果御寄附之冊篤川常住人葬承諾仕候之上新自今以後凧守二一兀應治定之方堂一不し可一逮輩候將叉山堺

方堂云修理新米寄二事於左右不し可二逹失慨怠仕一候此等條産若逹犯候者山王七祇瀧山一重殊仁波常庄鋲守八所大明 ︵六例︶正應叫︑十︑十五︑岡元定韮起請尋川野山丈将二9−蕊︶洲野尻州御庄名川畠定蓮之分着子息之信寂二談し之畢而彼名川之誰丈等蒋循寂干二質物一征忍房之許入世候尚御不審有し之粁誰忍房御葬候荷不レ可レ有二其陰︸候又於二恒包一蒋自レ本不孝之Ⅲ段歩之川畠不二讓渡一候若此事虚言巾候者可レ蒙下殊天叫川所犬明川部獅祥蹄惣H本圃中大小祁祗川制冥罰於沙蠅定韮之身上八閥四千毛孔上若也価起諸之狄如件沙彌定韮 安貞二年十二川十五Ⅱ 錐介昨代に於ける起術丈の成立とその僻硬

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(14)

此起諭丈公文粁無動寺喪職被納畢蔦川裏述進二起請文︸同被し紬し之

求丈将に表れた鴇川は︑現在の滋批縣滋批郡葛川村で琵琶湖畔比良山准に愉る︒平安中期無動寺祁唯和尚は此地を開

墾︑明王院を創立し靖以后脈悶化し︑同寺が山間の末寺にりし開係からその上に本家ざして脊蓮院Ⅶ跡を戴いて居

に︒詳細は牧野佑之助若而惟庇刷と庄民﹂に識る︶伊香立庄は葛川ご隣接し・共に領家さしては無勤寺を︑本所ざして

は背韮院を仰いでゐ泥に不拘︑境界に開して鞭ふ事多年遂に本所青韮院の.裁判を求め迄いに對し︲本所は右山如き内

容山裁決を下・しに︒こ上に伊芥立側では︑住人一同毒こ一分下司︑惣退捕使︑公文等の庄官さが︑連榴の起請を書き領

家無動寺変磁に納め︑雨村は右判決を岡く守る郡を霧ひ永年の紛癖も経結したのであっ化︒之は︑起術文が判決に利

川せられにいであって︑かい﹁⑦︒#の切口制蔚筐所捌﹁紳奔裁判﹂の一例ざなし得やう︒以上掲げにるもの上外︑中世

を迦じてこの極寺院起請の取材には稗しまないのであるが︑何れにしても︑時代の下降につれて形式が盤ひ内容は複

雑多様化し・同時に漸次﹁法的性格一を濃くして来るのが認められるのである.か比る過程は︑武士祗獅に於ては更

に顯特なるものがみられるのであるが︑其老察は次節に談る事︑こする︒

.鎌倉昨代に於ける起術文の成立とその孵質八五

祁等乃御糊於沙汰人百姓等身可レ蒙候価起講之状如レ件

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丈追分香 捕下立

能時能云 便司隆

包代則等

(15)

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に︑其の称したる役割に於ては︑より亜要枇を帯び現存史料い数も亦遥に多数に上るのであって︑武士いⅢには如何

に流行したかを窺はしむるに充分である︒蓋し起諦文は︑鎌倉時代に入り武家耽禽に成立産みに︑從而そゞい塒磁も亦

武家起誘い夫によって︑蚊も適切に明らめ得る︑こいっても過言でないご老へられるものがある︒然る所以称間明する

事が本節の︑的であるが︑この事は武家が︑地理的︑政淌的將又文化的に︑鮒に公家琶對遮的にみられる立場から賊

る興味ある問題ごなってくる︒兎も角武士が新興勢力で.あ2L︑特殊仇生派稚式をもち塒殊の生活感惰をもつ者であ

︒■

つた以上︑彼等い間に行はれた起諦が特殊の色彩を雑ぴてゐにいは柑然の率であった︒次E源平遮興期より鎌倉時

代にかけて︑武家壮禽に於ける展附を辿る事にょ.って︑武家起浦を特徴づくる惟侭を明にするであらう︒云剛記﹂久1

.安二年九川二十七日の條によれば︑帆長が稠山参詣︵い途中︑謎術の公春なる随身が酔狂したので︑粟川︑逢から作を

つけて引取らせ婿後日公存は身の醜態を恥ぢ︑節酒を奪って叡山に参儲﹁御供日︿一盃不然日︿五盃藩過し之煮毎毛

穴可レ奈二中堂糊こざ起請文を認めて根木中堂で誠上げ頼長に献じにので覇︑性來酒姉ひであった彼も快く其の非行を

許してゐる︒この公春が武士であった事は﹁憩答抄﹂家成中納言追補之條に﹁無一肩悪左府の愛しける随身公春云

ノターごあるによって明である︒父﹁憩管抄巻四一には八保元元年七月鳥羽院崩御後大飢漸く萠さんEする怖勢を述べ 本章冒弧に於ては︑この時代の起諦女が公家肺称に行はれなかった事を明にし︑前節にては︑愉畔代い寺院超請い↑

燕展を眺めたのであったが︑然らば︑新に搾弧し来れる武家祗命に於てはごうであったか︒之を寺院超諦芭比較する 鎌倉時代に於ける起術丈の成立とその雑質

第二節武士祗會に払ける發展

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八六

(16)

0

﹁扱北伽には武士義刺︑清盛等十人ごかやに垂迩︵一木祭文︶を書かせて芙州門院に参らせける﹂ごあり︒又﹁百錬

抄﹂森永二年七月八日の條には

分円平氏公郷十人鋪翻麩祁以一一墾粋趣一碑葬送二叡山一准二藤氏興祁寺一以二延暦支爲二平氏氏寺一云糞

ざあり︑又﹁玉葉壽永三年正月九日の條には

義仲與二平氏一和平事己一定此事自二去年秋此連凌綱歌有二様糞異論一念以一定了去年川辿之比義仲一尺之鏡面ヲ鋳テ瓢

ゞ奉二八幡嘩蠅御箙躰一裏鋳付二起講丈罪鏥塾一之利凱云凌

以上の諦例は源平時代に脇し共他源平礎棄記には︑商倉天皇直情礎どの川又帆朝さ義仲どの間にも︑起諦の交された

託が戦せられゐる.何れも︑武士が﹁拝約﹂の意味を総めて起請を立て仁蛎を物語る黙に一致してゐる.かく武士い

洲に術はれに起雨が︑主ざして﹁奪約﹂︾い日的で排かれに事変は︑鎌倉時代を通じて一没してゐるやうである.今︑

そい例流を﹁森妻鑑﹂所城のもの中より恭干を引川せば︑

一例や元雁二年五川二十川肌の條に︑兄帆朝に送りし義經の押欣ありその巾に

○00脚し弦以二流抑謝肺牛王喪印之災一不し挿二野心一胃奉レ諭驚二Ⅱ本州中火小紳祇其逝一雌三抑進二敷迦起術文二猫以雌二御府

︑苑一我剛川幽也祁不し可し東二非継一云糞

二例︑建仁三年十H十凡nの條に

進燗軍︵庇朝︶御代始也京樂

三例︑延暦三年五川二日の條

錐介時代に於ける起術丈の成立とその狩賛

1

○○○御代始也京縦御家人無殊挿二.忠戊一不し可レ存二式心一祁副燗之一月可召し進二起術文当之趣云盈

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八七

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(17)

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ろ性礎を具へた武家起請の特徴を雌もよく瓢し︑彼等が起請した場合の心境を好く猫けるものさして︑否妻鑑交流三

年十月十五Ⅱの催に︑豫而謀叛の企ありどの噂に激怒した畠山承忠が︑景時を介して帆朝が執成を依戦しに時景時が

○○○﹁無毒共企一粁可レ進二起請文二芭云つにのに答へて﹁束忠自し本心典し言不レ可レ異之Ⅲ難し進二起請一疑レ河川二超講文↓給

之條粁對二好粁一時之儀也於二唖忠一不し存し偲之事新右大將業所二知食一也可レ披鰐二此旨一粁﹂ご述べて居るのは︑よく其

川の淌恩を物誘ってゐる︒上述によりて武士の州には︑起講を主さして拝約の意を寓して書く精祁が一没して流れて

ゐるのがみられる︒この意味で締言に川した野槌や柚木氏の﹁秤約説﹂は︑確に起請文の一面を捉へて居るものさい

はねばならぬ・起術をしかく﹁押約﹂零﹄みる人糞は︑総起請文の源流を上代罪存したる︷・宇氣比一の中に求めん壷とす

るに至った︒即ち野槌は﹁上古の宇氣比の宇氣に關係あり起請ざは立二字氣一也﹂寺﹂いひ︑枕木氏は︑閏史學凹號所載

﹁臓群さ起請﹂の中で︑主さして起術なる字義よりして起請文の起原を﹁宇氣比﹂の中に求められてゐる.之等の諦

鎌倉昨代に於ける起講丈の成立とその特磁八八

○○○

三浦義村岡弟胤義等始粁與二義朧一成二一識一可し枠二間北門一之由乍レ替二同心起諏文一後對令二改愛一云糞

川例︑貞永元年七川十Ⅱの條

○○○・鰯下表二政迩一無上し私被レ召二評定衆一連l将二起請文一共衆矯二十人一相州武川満二理非決断職一猫令レ加二滞判於此起諦一給

一 蓉 堂

p之等鎌な武士の起術が︑何れも﹁奔約﹂の意味を総めて群かれた郡は明白である︒然も︑愉時の武士が起訴丈をば

○O﹁奔文﹂さも孵して居龍事はゞ前川蝋靜抄中に︑叉吾妻鑑寛元四年正月二十五日の催に﹁志村寂困進二秤丈一云糞﹂壱

○Oあり今又唯長元年潤六川付の﹁松崎天祁縁起奥響﹂に﹁価奔文如レ件﹂ざあり︑此等の諸例に徴して明である︒か上

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1

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(18)

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識は何れも諺起請ざ宇氣比雨着の史的關聯を老誰的に明にしてゐないから︑か比る見解に合理的必然性を許し得るや

否やは断一両川來ないけれ共︑次に引く諸例は︑上代の精祁的賞在さ塁約﹂の意味どもつ起請文這い冊に︑何らかの

示唆を肌へるものでなからうか︑示唆を典へるものでなからう

一例調敏逹紀十年存二月の條一例調敏逹紀十年赤二月の條

天皇皇肌母奪皇太子於一大槻樹之下一召蝶群臣盟焉告二天祁地祗自天覆地城帝蓮唯一而末代澆韮古臓失し序皇天仮一○○○○○○○○○○○○○00○

手於我︸誰I珍暴逆一へ主へ瀝二心血︸而自今以後君無一二政一臣無一二朝一若或庇盟天爽地妖鬼詠人伐皎如二日月一也

右記那は︑直に起請の起厚笹立識するものでないにしても︑後祉起請の中に表れに﹁諏約﹂の総帥ざの間に︑︑思想的

にみて︑何等かの聯關を認めなければならないのではなからうか︒借武家起請の中に流れ・てゐにか上る緒川は︑鎌

倉幕府によりかの武家法制の椛與にる御成敗式日の制定に際して北︿立法緒川巳なり︵前出吾斐鑑貞永元七︑この條参照︶

更に式Ⅱ追加に於て﹁裁判手練﹂に取入れられて二つの方向をごつに︒一は式目追加凹九條に於て﹁証人典証文一共

以不二分明﹈粁可レ及一迩浦女.一蹴流交顯然之時符不レ可レ及一迩術交一﹂ざ︑紙人祇擴北凧類共に明でない時︑起講丈を以て

北へ罪に代り得るもの︽己定めに︒他は︑次例の示す如く︑証人が公判廷に於て憾縦せざる︺いい︒Ⅱ拝﹂ざして川ゐられ

に︒例へぱ︑吾妻鑑承久二不六川十上Ⅱの條に︑承久の飢後の術功行武に際し︑佐迂木偏綱ご芝川雅龍母﹂の州に宇淌

鎌倉昨代に於ける起描丈の成立とその特磁八九

二例︑孝徳天皇紀川年六月乙卯の條

於是綾納等椛然恐僻乃下二泊瀬中流一面巨諸岳漱水而︑筒臣等蝦夷自しへ以後子子孫係川二清明心車︐奉二天開一臣等

○○○○○○○○○○○○○○○○

若述レ肌新天地識祁及天皇雛絶l滅二臣種一美

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(19)

此等の外多数い蛮例に微してゞ起請が裁判の冑奔に川ゐられ走事は明かである︒かくの如く起請文を亜脱した幕府常

局は︑次の如く明文へ下丈︶を以て﹁起諦失﹂なるもの〃定め︑起請文に於ける法的効力の有無を成文化した︒

嘉祓元年間六月二十八n今H被し定二起諦失之篇Ⅱ

一︑鼻血出事一︑蚕迩韮剛文一後病索和繩一︑鴎烏焚懸覗一︑鰯し鼠被L食二衣服一事

一︑自二身中一令二下血一事撚暁羅鍾嬢坤一︑埴幌事一︑父予罪科川來覗一︑飲食時咽溌鰯

一︑乘用馬姥事以上九ヶ條也是於二政迩一以燕私|鯛し先而諭事称し疑決一是非↓無し端故仰祁道之璽庶一可し被し糺二

鎌倉昨代に於ける起耐文の成立とその特孜九○

川の先陣Tひが起り︑遂に泰時の煎削で對決ごなり華北蒔誰人に立った春Ⅱ血幸は﹁以迩諦一逃索山一云一北︿欣一﹂琶

宜拝して鰯したる流言に推さ︑儒細の勝訴に肺した︒又同排克一沁川年限川二十五Ⅱの條に

松汕執行源授彼レ荷i篭一北身一中略授非擴之餘以し馴令レ悪1口一間注奉打人丘へ肱助政宗一之曲榊中二仙焚一之州被し夢一

○○○○○︑誰人一之虚太川太郎兵術尉康宗進二秤女一不し令﹄悪in二政宗一之山也云麦

尚︑同押喪流元年十一川十一nの條に

右書二起請文一之川七ヶ日之中無一並へ失一蒋猶七ヶ︑可三参鑓祇頭一浩二七ケ︑猫雌し失蒜就二惣道理一可レ有二御成敗一之

状依レ仰所レ定如レ件.

犯否一云全 進二起請文一云盈 筑後次郎却定浴恩深|去六川五Ⅲ鋤功批也処依し玄疑諾一獅被レ閣之唯獅愁巾之川被し究二其沙汰一而武膝皿罪邨鰯諦人一

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(20)

之は幕府が貞永元年七用諦御成敗式側制定に先立ちも評定衆速将の起講今ぜ立て1政道の公平を期したのであったが︑ ノ

共を受けて再び起請文によって幕政の指導原理たる公平の精剛笹弧調しにもいである︒次いで仁論元十一凡十六岡更

に﹁謝欣祁人井祁官竿令レ評二起諦文一時於二他緬祗一不し可レ稗川蕊右於二京都一新不し雄二白肺他就一於二北野祇一可し被し番也﹂

の如き下丈を發してゐる︒こは俄時起請が濫作されんざする佃向を防ぐ爲︑公認のもの牟特に︒﹁北野塞徳起請﹂に限

定し辛卜のであらう︒この幕府制定にか出る﹁起請失﹂及び﹁北畷塞怖起請﹂なる規定は︑共後も永く迩奉せられたら

しい︒共等が蛮地に邇朋された例ざしては︑・脊妻鍛寛元二年七川二十Ⅱの條に

○○○今︑落合職人泰宗井市河女子藤原等︵兄西燕妻︶上簡n審範沸柄肺壊一画一評進起請文一三曲猛剰棚前司等奉行一被し

仰二付之一是市河掃門亮高光法師展名兄凹訴司巾藤原氏去密二通泰宗一之山女諭巾之川及二此俵一云堂

八川一﹄一日の條市河女子藤原氏蕊於二権柄肺一不陛密二迩泰宗一之山神二起請文一令一一毒瀧一之Ⅷ以一御使寂阿西佛一被し加二

総見一之虚七円お夜雌二其失一之山各巾レ之価兇西所二訴申一之伊勢剛光吉潴川粁可令二氏女領掌一し之今日被し定し之氏女

粁兇西之齊妻也令二相嫁一之始將離別群可レ知二行件所一之旨成二契約一之Ⅷ任一契壯一可二充賜﹈之趣有二氏女訴訟一之時令レ

サシ才カレ密二通泰宗一之仔見西巾レ之依レ雌し被し燗し之及二起請毒能等沙汰一云舞

この例に於ては︑自の主張を通ざん崎に稚柄天祁肺に毒掩起講し︑契約内容たる離幡後の所領知行の履行を辿2L氏

女なる蒋妻に對し︑夫児両ば彼女の密通を蝿川ざして右契約の伽劾狩主張しにげれ共︑﹁超諦失﹂發生せざりし飛変

に韮誉や遂に︑氏女の超耐ば狸効力拳や認められ︑彼女の勝訴に肺し↑Lのである︒此亦件は﹁超講失の端︑﹂を定めに

薪祓元年を下ろ事十五年︑掘元二年七川の肌來調ざなってゐろ︒繩介幕府によって︑かくの如く起講文は︑法さして

鎌倉時代に於ける起術丈の成立とその雑庇九一準 11

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(21)

起請文を不可侵ならしめ謡共に法的規範性を附與せしむるのであり︑起請が夜券や讓欣に結合せられ︑或は祁裁さし

て取入れられにるに至る契機ざもなって一?Cものである︒此意味で︑起請文をして其たらしめる本磁的甥素牲︑この

祁罰戒告に外ならず︑之を外にしては起請の存在理由はあり得ない芭老へられる.然らば.か奥る亜要性をもつに所

の;﹁抑紺﹂の機能を如何に理解すべきか︒此問に答へんが筋には︑起請文をもつてゐ仁耕時の人糞がや抱いてゐに川ノ

及び祁山作用の概念が明にせられねばならない︒加藤玄押氏は︑﹁祁道の宗教史的研究﹂︵一三八頁︶の中で︑上代人

に信じられた抑い作別をぱ﹁簸感﹂或は﹁感應﹂なる言葉を以て表され︑その發動に二つの仕方があったさされる︒

その一は︑肯定的側面で人川に對し﹁天祓祁助﹂︑己なって示現せられ︑他は︑否定的側面で﹁崇り.一さなって働きか/

けるざ述べて居るれる︒この﹁巣り﹂を信じ︑篤に洲を恐怖した概念は︑次例にみる如く︑早く古代のいはぜ前宗教 前掲起請文の代表的なる形式さして引川せる雑筆要喋の祁文﹁芳令レ巾二虚言︸蒋円本大嬢聡熊野椛現金峰剛幽銀宇日前剛懸王城銀宇諦大明祁六十齢州大小祁之御荊蒙二身上毛穴毎一群也価起請如レ件﹂に表れたる﹁祁罰の戒告こそ︑

・錐介昨代に於ける起術丈の成立とその特孜九二

成文化せられ︑其制度も鑿へられて行つにのであるが品1︶︑特に注意せらるべきは︑起訴が裁判制度の上で埴要な

役荊を荷推してゐに事である︒

○○O誰仙太平記大略宵熊野落那の條に﹁熊野三山別常定迦降人に出たらん誰には三万批共日の中に必ず沙汰し典くしと定め奥に起諦文○○○○○○○○○

の河を城て雌辮の法をぞ出しける﹂とあり︑既に起術文をぱ﹁法﹂と肌喬してゐる︒

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第三節紳文の意義と北野参篭起請の成立

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(22)

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的な祇御に表れて居る︒

一例︑允恭天皇紀十四賑︲秋九川天皇嬢一干淡路烏一時梁鹿猿猫莫を紛糞盈二干山谷一然経日以不レ獲二一献一於然蝿止以更

二例.練Ⅱ本紀光仕天皇蜜遡一不叫月震西大寺西塔一トレ之採一近江岡滋批郡小野紅木一構レ塔爲レ巣充I鴬那戸二烟去

更に平安時代に入りては

三例.Ⅱ木後紀桓武天皇大同一兀︑三︑十六是日日光無し赤大井比叡小野栗栖野等山共焼煙次Ⅲ邇承中斐昏平城以レ儘一

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所定山陵地一近一蜜茂訓疑是祁肺殴二次火手一即決一卜筆果布一共塞云糞

川例︑類聚閏史天辰肛年Ⅶ月q佃訂に○O天皇沼胃止稻荷破肌爾巾給剛止巾碓頃Ⅲ御総不レ愈大坐画依氏占求冊爾稲荷祁祉之梱伐愁舟罪出術出大判止巾須云変兆

五例︑い︑本紀略延長元年二月保明親王蕊去

②扶桑略記天暦九︑三℃冊天瀧天川託宜

⑧︑本紀略延長八︑六︑什六清凉殴落満

右仙②③何れも天祁ざなれる智公の巣りに川・つきせり︒北︿他.今非剛物語和・全下っては平家物語等に散兇する所を通じ

て平安時代に入︑りては北︿迷慌的風潮に乘じて︑一冊こうしに概念笹深めて行つに事が窺れる︒之等多くの關係史料 獅聚閏史天長四年正胤の條詔日

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を直槻する事に依って︑﹁祁の祭り﹂は祁意に戻りにる所に際し︑死︑落小岬︑

錐介昨代に於ける起耐丈の成立とその特疵 ︑0○○O

卜英応祁崇レ之日云凌

〃P公

不猟竿稚凌祁褥の形で示顯せら

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(23)

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能野行幸一七川参施し給ふ︒長秋記︶又久安六年五月柧長は︑兄忠直の女を排して己が女多子を入内せしめんざし

て︑北野肺に参総轄超えて久蒜二年十二川再び北野に参龍してゐる︒︵台記︶共同的は明かでないが云呵記﹂は

膝脈長粁不レ具二製肌舞人一密荏塞施し肺未し剛巽例一依レ恐証告一不し知.例有雌一不し間二吉凶︸所し参也

雨と記してゐる︒尚芯進一不三月什Ⅱ後白河法画韮布清水に十nⅧ参篭遊さる︒へ而錬抄︶交治一牢六月十一︑後向河法皇

は能降朝匝をして熊野本宮に塞一総せしめらる︒へ玉葉︶平家物語には︑嘉應二一年大細一両成親左大原にらん︑こして七夜

上焚茂肺に零龍い事を初め︑日吉牡っ和山寺参樋の記事散見せられ︑共他源平壁装記・古今著聞集︑沙石集︑東鑑等︑

鎌倉昨代に於ける起術文の成立とその特衝九州

れてゐるのをみる︒蝶一両せば︑人柵が祁意に戻る求によって犯せる罪に對して︑洲の科する反作用︵制裁︶である︒

罪に州脳する罰即ち聴罪である︒かくて祁文に稚套の﹁薪述二此﹄川一考家一大小川祇祁罰一云為﹂に表れたる極り文句で

ある所の﹁榊罰﹂は︑結刈共意義門容に於て﹁利口畑韮り﹂︲ご一致すろものこいはねばなら里祁助さいひ祁罰さいふ︑

北︿に川の啓がご寄跿を信じ︑祁威を畏敬し儒順する鮎に鍵りはない・共して榊の啓示笹得んが筋には﹁慌鯉﹂を介す ヨリマシ

サニハる郡を要し︑祁意を計るには﹁群祁考﹂を俟たればならぬさされた︒即ち︑上代泄禽に於ては︑之等の新を媒介ざす

る郡により祁人交通は可能なりご偏じられ仁のであった︒蒜郷必州蝿逵この祁人交迦に關聯して形成せる一つの時

代的概念として︑平安末期から鎌倉時代にかけて流行したる﹁琴総﹂なる所願的風習が存在した.この﹃琴綣﹂は︑〃

起請文ご結合して鎌倉時代い起諦文い一特蹴をなす﹁参詫起韮凹を招来する棚係より︑一應共發生過程が職ら伽なけ

伽ぱならぬ︒か上︐る斬願の仕方は何時噸に發し裾一か︒一一両傳記は︑村上天皇の御代悪心僧都の伊勢祁宮客総を伸へて

ゐるが︑平安末期には一般化し流行しつkあ2L事は次の溌例に微して明かである︒即ち︑長丞一革二川一Ⅱ鳥羽院

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(24)

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纐時代い︑記物語に多く語られゞ就中︑此時代に制作をみ極繪巻物︵例へば蕊皿山縁起︑北野天川維起等︶に多く描かれ α

たるを見るのは︑総巻物作蒋が一般に時代的風俗の描席に敏感であるさいはれる丈に︑塞瀧が柑時山吐命蝿的風習こい

はれ将る迄に並Ⅷ逓化せられてゐた事が推考せられる︒次に注意せらるべきは参徳の主↑卜ろ目的が何であつ仁かの問題

である︒この事に開しては︑﹁古今祁學類細秘岻︿参詣隣﹂は

古来より参総ごて夜牛祁前に宿世樋する事︾のり深史は祇祁唯ひ給ふ時厚り古今黄賎に絶えず口︿楢直して樋るを以て

露こ云ってゐる︒ゞ蛮例についてみるも︑前記帆長に或は成親に於る如く︑己れが政樅推得の筋か乃至官職競幽門魚か︑

他の祇例も亦多くは結励現世的幸祁の欲求に川で︐α﹂し↑卜意岡が窺はれるのである︒從而この﹁塞瀧﹂こそそうしに

素順逵成上妓も亦效な而願方法ご儒じられたらしい︑何れにしても︑祇紳の集合する時さ老へられに夜半紳前に龍る

調は︑川人交通の飛も好き機含で︑小く共人が榊に近く蚊も有效な手段︑こ老へられ↑Lからでなからぅか︒かくて参徳

が佛祁嬢駿の有雌を拭す蚊良の祇癖形式己せられ仁に依るのでなかったか︑此時代的儒仰の一風稗を形成したる参徳

は︑時怜も漸く共形を幣へ來つに起術父︽己結合し︑此虚に﹁琴龍起術﹂なる巴清文の一形式が生れ︑.漸次發逹して蠅

婿

に︒次に︑﹁毒施壱こ北野肺﹂・並に﹁北野塞能さ起請文一の結合關係い戒﹄皿過粍を辿ってみやう︒所で諺其等闘係成立

の前提條件雪こして︑平安時代に起脈し共して發展したる﹁天川偲仰﹂い經緯が願られなければならぬ︒醍柵天皇の御

字延蒋元年服川背原迩炭は太宰府に雌賊超えてⅢ三川二川悶変裡に容妃しに︒此背公左遥事件は先づ政敵時千・己の政

錐介昨代に於ける旭術丈の成立とその僻価九通

○○○○○○・○○○○○0.○○00○○︲O一旦祁佛の志を兇素願の至れろを嶮せん竜己也

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又扶桑略記天暦九︑三︑廿天瀧天刺の託宣に

我仮悲い身ァこ成たり共順惑い焔天に滿仁り諾の雷祁鬼は皆我從熱さ成て総て十醐五千ざ成りたり共故ば不信山者世

に多くなりたり此件類衆を所糞に避はして不信なる人を糯等に仰せ踏殺さしむ︒

叉松崎天祁総起第六巻詞諜に の祁即ち天祁なり︑こする信仰が特に弧く表はれてゐる︒例へぱ恩符抄巻三 よりて伽けられ↑L刺なるが故に︑あらぬ濡衣に悩む無墓の者を救ひ︑不蛮の徒には容赦なく祁罰を降す﹁鋤蕃懲悪﹂ 4こ刺の姿に化身したる﹁使途﹂︑こ解する概念が︑平安朝を迦じてみられるのである︒しかも︑此天川↑﹄るや冤罪に

︒○○○○O○○○○○○Oまじかく此大内の北の野に一夜に松生ひ川重し波らせ給ひて行幸なる祁己ならせ給ひて人の無黄を正きせおはしま

︐錐介時代に於ける浬耐丈の成立とその僻硬九六︑一

流的確執に發端せるもの︑己老へられる︒勿諭共他流称い亦怖も絡んでゐたらしいが︑兎も角祉評は政敵畔平の謹言迄

いう郡になってゐ↑卜︒﹁時平の識言上云ふ蛎は一定なり﹂︵恐杵抄︶﹁左祁慨りを含み様様謹笹設け奉りし事﹂そあさ

ましけれ﹂祁皇正統記︶等後仙史家の見解比糞然りである︒かく神公の左遜が時平の策動に依って生じたる菟罪であ

つだ己信じられ︑且一世の凝粗こ認はれた人であった丈に︑仙人は同情ざ愛僻雅ては公悩の諾感情を以て此泰件を眺

めた郡が推察せられる.かうしに狐の輿論︑こいつだものが背公に纒る諦凌の仲承を生み︑・水い時の経過印Ⅲに時⑳祁

柳智介概念ざも同化して︑其虎に祁の椎化令こする所訓﹁天祁信仰・一を匙り上げて打つ仁と港へられる︒然し︑かLる成

立過瀝は各人みる所に應じて如何様にも理解せられるであらうが︑兎も角彼を以て帥の樅化こし末世い不備を救濟せ

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(26)

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就中︑扶桑略記の託宣にみえる閑を背公の化身ざして其州筈を天祁山県り令迫みる迷信は︑︑餘程一般化してゐたものら

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︑R本紀略延長元︑二︑廿二の條下に﹁皇太子保明親王蕊年廿一天下庶人葵し不二悲泣一共盤如レ砺畢レ仙云背帥雌魂宿

念所爲也﹂

又同辨延長八︑六︑廿六の條に

午之刻俄而濡醗大嶋堕二清凉殿坤節一柱上一藤原朝臣清黄衣焼胸裂天亡又平朝原希世顔焼而臥美努忠包髪焼死亡

尚大鏡巻二昨平大臣の條に

内裏焼けて度変造らせ給ひしも側融院の御時なり匠共裏板をい︑こ美しく鉋かきて龍り出つL又のあしたに参りてみ

るに夜の中に城の仙めるなりけり其文字は﹁つくる共又もやけなん街原や棟の板間の合ばぬ限りは﹂Eこそありけ

れそれ此北野の表し給へる︒ここそは巾すめりしか

北野丈叢上巻所收の多くの縁起や説話文學等に於て︑右の如き清凉殿澗太新内裏柱上叶一文字の錨蝕み︑保明親王御

蕊去等乙︑街公死後に頻發したる天礎地異や人の死を︑天川の黙りに仮託して樅成し仁る一群の物語を僻へてゐる︒

天祁信仰は︑此の如く一般民衆の渇仰を得たのみならずゞ朝廷に於ても平安中期から御蹄依浮く唾打幸ありし事︑中

錐介時代に於ける起甜丈の成立とその雑賀九七

潴剛何の脈にか此祁を尊崇せざる誠家誰かこれを渇仰せざる︒概枇本地の利益は十一面の形を表はし和光刷座い結縁は大悲の客を起し給へり凡て詐億を憂ふる輩は立ち所に無蛮誰誠の宜益を蒙b官位を望む類は各掩一日九遥い柴運を開き云凌

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(27)

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(28)

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参寵して起請を苫いて失をまぼろ朧に淡もて香水い水を打こぼしてければ仰付けられにる人これこそ失よさ申しけ

雪こあり︑小犬進の場合は無賓の疑を晴さんざ︑起請まぜ認め参寵した例であるが︑か上る雰寛一い︑的で趨諦を杏く悩

稗は診妓初奉綣さは別個に行はれて居化ら1︺曹事は︑江淡抄に

源沈明作丈之時卿難事の題下に︑聖席西府祭丈︵又ハ無焚︶上し天覗聖府廿於二西府一塗恥蛮之拝丈於川一︵山稿可L尋︶

きめる事が注意せられる︒さ態達︑起請ご塞総は︑.共に祁意の示現を求めん長9る雨薪の内而的契機に雄さて︑必然

的に結合すべき關係に置かれてゐた︒然してその所厳が﹁参総起術﹂なるものであつに︒上述の如く塞徳が︑樅打さ

れつ上あった北野牡に於て︑天祁信仰に韮さ嘩冤の憲耐の下に起講が譜かれるやうになり︑此虎に﹁北野塞樋起請﹂

が成立をみる事さなったが命同祁祓への壯愈的渦仰が深まるに作ひ此起諦形式も發展して行ったご老へられる︒かく

て︑平安末期に初まったざ推考壱れる﹁北野参総起講﹂は︑鎌倉時代に入りては大いに發述杵及し︑起術ごいへ・ば参

龍︑参龍起請さいへぱ北野さいはれる迄になり︑遂にこの慨行に從って前述した様に仁塗九年土一川十六Ⅱの下交に

依り︑幕府當局のいはぱ﹁公定起諦﹂の形式させられるに韮つにご解し得られる︒御成敗式H諺僻にも﹁n本の起諏

鎌倉時代に於ける起描文の成立とその特碗九九.

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巾けるを聞き口惜しさ恩ひければ北野に参滝して此耽を・蝉ざ給へ鐸﹂新講して云凌

評フ拝交漸凌飛二上天一云盈 ろを云凌

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(29)

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鎌介昨代に於ける起諦文の成立とその特猛一○○

には天祁を入れ申さいはソラ起請也北︿肺を入れ奉れば枇難を受けざるもの也﹂癖垂赫罐蕊唖一︶ご云へるに徴しても︑

北野毒瀧起請の耐聖覗せられ仁粍も樅し測られる︒此虎で注意すべき郡は︑﹁参徳起請﹂なるものが決して北野耐特

有の存在にりしものでなかった事である︒前述せるが如く鎌倉幕府は︑参総起講を北野牡の夫に限定したが︑典は幕

府が自己の政策的見地からへ起諦丈が法制的意義をもち來る場合︑如何なる種獅の起請をも矢瞬に認むろ輔により生

ずる弊に錐み︑一雁北野参総起請のみ公共的効力鞍打する蕊ご定めて︑起講の濫造を制限したものどみるべく︑從而

参徳起請が北野牡以外にも存したる次の如き覗蛮は糟然である︒齊妻鑑寛喜二謡五諺六の條

武州未二退川給一去夜盗人窮殊被二驚恢一之故也於レ待二召集﹃自二去夜|塞待之誰被二糺断一共内悟勤一人美女一人行二疑殆

︲○○○○○○0○○○○○

分一価参︒瀧概岡八幡宮一可レ進二起諦文一之山被二仰合一云凌

又商野山文神五巻應永十五︑卯川︑什五の條艮

近木庄庄官の連署起請文は﹁参二総不動堂喪前一﹂して排かれ

叉東寺而令文将第三巻には︑應永や永亨年間に亙る参施起術の例多く存し︑共等の場合︑瀧寺の學侶不動堂前に参集

し二通の巌砿起請など書き︑一通を不動錐に納め他の一通を焼いて︑全學侶の而前で被疑若をして其次を溶かせる水

を呑ましめ︑七日中に失の有無を総見する事︑こ定められてゐに.又槻心寺に於ては誰曄堂賓前に参寵して起浦するを

常さした︒耐心寺文番︶かやうに巾締ある虚でば各自獅孵の傳統を持つてゐにのであるが︑︑とりわけ北野参総起請が

他虚っご異なる優越な地位を典へられ僻に祁聖帆廿↓られにのば︑刷祗が冤罪救濟の肺ざして一祉の傭・さ儒仰の對象︑とな

ってゐにごいう︑他にみる事の川来ない歴史的背最を荷ってゐに理曲に基ぐざ解せられる︒從而次に禍ぐo例にみる

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参照

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