ウィリス博士縁りの地を訪ねて : William Willis に関する記録補遺

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(1)ウィリス博士縁りの地を訪ねて : William Willis に関する記録補遺 著者 雑誌名 巻 号 ページ 別言語のタイトル. URL. 松下 敏夫 鹿児島大学医学雑誌=Medical journal of Kagoshima University 47 Suppl. 1 105‑108 A Report on Visiting to the Connected Places with Dr. William Willis : Some Addenda of Records for William Willis http://hdl.handle.net/10232/18300.

(2) 鹿 児 島大 学 医学 雑 誌 Med J Kagoshima. 第47巻 補 冊1105〜108頁 Univ, Vol.47, Supplement. 平 成7年8月 1. 105 — 108, August,. 1995. ウ ィ リ ス 博 士 縁 りの 地 を 訪 ね て 一William Willisに 関 す る 記 録 補 遺 一 松. 下. 敏. 夫. 鹿児島大学医学部衛生学講座教授. A Report. on Visiting to the Connected with Dr. William Willis Addenda of Records for William. — Some. Toshio. MATSUSHITA,. Places Willis. —. M. D.. Professor of Environmental Medicine, Faculty of Medicine, Kagoshima University, Kagoshima ウ ィ リ ア ム ・ウ ィ リ ス(William し,そ. れ ら の 中 に は,記. る 機 会 を 得 た の で,こ. Willis:1837‑1894)に. 関 して は,こ. 載 内 容 に 多 少 食 い 違 う 点 も見 受 け ら れ る.後 の 旅 の 概 況 と,そ. れ ま で 多 くの 優 れ た 記 録 や 資 料 が あ る.し. 述 の ご と く,こ. か. の 度 ウ ィ リス博 士 縁 りの 地 を 訪 れ. こ で 得 られ た ウ ィ リ ス に 関 す る 情 報 を 若 干 紹 介 し て み た い. 墓 前 祭 と資 料 収 集 の旅 の 経 緯. 医 学 部 教 授 会 の 決 定 に よ る 「英 医 ウ ィ リ ア ム ・ウ ィ リス 没 後100年 記 念 顕 彰 事 業 」 の 企 画 の 一 環 と し て,予 出 来 れ ば 有 志 に よ る 墓 前 祭 を 行 お う と い う 話 が 持 ち 上 が っ て い た.こ に し た 関 係 者 の 尽 力 に よ っ て,鹿 交 流 の 旅 」 と し て 実 現 し た.こ. 討 専 門 委 員 会 委 員 長)及 日程 は,5日 か ら,バ. 「エ ジ ン バ ラ 大 学 と 英 日 協 会 と の 文 化. の 主 旨 に 賛 同 して 参 加 した 一 行 は15名 で あ っ た が,当. ,1994年9月4日(日)成. 初 参 加 を予 定 して い た ウ ィ リス の. 康 上 の 理 由 で 急 き ょ取 り止 め に な っ て し ま っ た の は,い. 田 を 出 発 し,ウ. 佐 藤 榮 一 医 学 部 長 を 始 め,福. 児 島 日英 協 会 の松 山博 明 事 務 局 長 を 中心. 児 島 日英 協 会 と鹿 児 島 大 学 医 学 部 の企 画 に よる. お 孫 さ ん に 当 た る 河 内 ま り代 さ ん が,健 一行は. れ は,鹿. 田 健 夫 教 授(鹿. ィ リ ス 縁 りの 地 を 訪 ね,併. 児 島 日 英 協 会 副 会 長),宮. て よ り,. さ さ か 残 念 で あ っ た.. せ て 墓 前 祭 を 実 施 し た.医. 田 晃 一 郎 教 授(エ. 学 部 か ら は,. ジ ンバ ラ大 学 と の 学 術 交 流 検. び 筆 者 が 参 加 した.. に は 英 日協 会 と の 文 化 交 流 を 行 い,7日. は エ ジ ン バ ラ 大 学 を 訪 問,9日. ス で 北 ア イ ル ラ ン ドの フ ァ ー マ ー ナ 州(Fermanagh)へ. 会 な ど縁 り の 地 を 訪 ね,翌10日. の 午 後 に ダ ブ リ ン を 出 発,ロ. 行 き,ウ. に ア イ ル ラ ン ドの 首 都 ダ ブ リ ン. ィ リス が 晩 年 住 ん で い た 家 や 墓 地 の あ る教. ン ド ン経 由 で11日(日)に. 成 田 ・羽 田 を経 て 帰 鹿 す る と い っ. た 可 な り の ハ ー ド ・ス ケ ジ ュ ー ル で あ っ た. まず,英. 日協 会 と の 交 流 会 は,5日. の 夕 方,ロ. ン ド ン の オ リ エ ン タ ル ・ク ラ ブ で 開 催 さ れ た.英. の 元 駐 日英 国 大 使 ・ヒ ュ ー ・コ ー タ ッ ツ イ卿(Sir 大 使 館 の 沼 田 貞 昭 公 使 な ど が 出 席 し て,和. Hugh. Cortazzi)を. 始 め 多 数 の 参 加 者 が あ り,ま. 気 あ い あ い の う ち に 予 定 の2時. 日協 会 か ら は,会. 長. た現 地 の 日本 人 も. 間 は あ っ と い う 問 に 過 ぎ て し ま っ た.. 関 係 資 料 の 収 集 先 ウ ィ リ ス に 関 す る 資 料 の 収 集 に つ い て は,ま 鹿 児 島 大 学 医 学 部 を 訪 れ,同 バ ロ ン博 士(Dr. ま た,ウ. Tom. 年,1993年10月26日. に. 大 学 と鹿 児 島 大 学 との 学術 交流 に つ い て種 々意 見 交 換 を行 った こ との あ る 国 際 交 流 部 長 の. Barron)か. ら,ウ. ィ リ ス 関 係 の 資 料 等 に つ い て 種 々 の 情 報 を提 供 して も ら っ た.. ィ リ ス が 永 遠 の 眠 り に つ い て い る 墓 地 が あ る 北 ア イ ル ラ ン ド ・フ ァ ー マ ー ナ 州 ・エ ニ ス キ レ ン ・フ ロ ー レ ン. ス コ ー トに あ る キ レ シ ャ ー 教 会(Parish Fermanagh)に. ず ウ ィ リ ス の 母 校 の エ ジ ンバ ラ 大 学 に お い て,昨. 住 む サ イ ズ 牧 師(Rev.. of J.R.. Killesher)の Sides)か. ら,大. 司 祭 館(The. Rectory,. Florencecourt,. Enniskillen,. Co.. FBA)を. 表敬. 変 有 益 な 情 報 を 得 る こ と が 出 来 た.. エ ジ ン バ ラ 大 学 に 保 存 され て い る ウ ィ リ ス に 関 す る 資 料 エ ジ ンバ ラ 大 学 で は,バ. ロ ン博 士 の 案 内 で,ま. ず サ ザ ー ラ ン ド学 長(Prof. . Stewart. R.. Sutherland,.

(3) 〔106〕. 鹿. 訪 問 し た.同. 学 長 は,9月. 児. 島. 大. 学. 医. 学. 雑. 誌. に 学 長 に 就 任 し た ば か り と の こ と で あ っ た.つ. 学 間 の 学 術 交 流 に つ い て 種 々 意 見 交 換 を 行 う つ も りで あ っ た が,生 S.M.. Mackayが. 第47巻. 我 々 に 応 対 して くれ た.そ. し て,こ. 憎,医. い 将 来 の 学 術 交 流 協 定 締 結 を 目指 す こ と で 合 意 し た.. と こ ろ で,エ. ジ ン バ ラ 大 学 に 残 さ れ て い る ウ ィ リス に 関 す る 資 料 は,主. の)の2種. 類 で,図. 書 館 に 特 別 展 示 さ れ て い る(こ. い で,同. 成7年8月. 大 学 の 医 学 部 長 と会 っ て今 後 の 両 大. 学 部 長 は 所 要 の た め 不 在 で,OfficerのMs.. れ ら の 会 見 を 通 じ て,両. 績 を 積 み 重 ね,近. 補 冊1平. 大 学 の 学 術 交 流 に つ い て は,今. 後 そ の実. と し て 履 修 関 係 の も の と 卒 業 論 文(学. の 詳 細 に つ い て は,本. 部の も. 誌 に掲 載 の 尾 辻 省 悟 名 誉 教 授 の論 文 を参照 さ. れ た い). 履 修 資 料 の 関 係 で は,ま Willis),年. ず,学i籍. 齢(22才),出. 簿,科. 生 地(Lenenty. 所(セ. ン ト ・パ トリ ッ ク17番 地:17. 名,履. 修 学 校 名 が 記 載 さ れ て お り,解. 試 験 の 成 績 に つ い て は,最. 目 別 の 履 修 年(出 Fermanagh)(下. St Patrick. Square),履. に 口 頭 試 問 を 実 施 し,解. さ れ,最. 後 に 「第1次. に 口 頭 試 問 が 実 施 さ れ,そ. た 履 修 課 程 表 に は,氏. 修 年(科. 分County?),エ. 目 ご と に1855‑59年. 名(William ジ ンバ ラで の住. ま で),履. 修 科 目,担. 試 験 の 成 績 に 関 す る 記 録 と し て,1859年4月25,27日. 当教 師. に 筆 記 試 験,. 剖 学 ・化 学 ・植 物 学 ・博 物 学 な ど の 試 験 科 目 と そ の 口 頭 試 問 の 内 容,評. 試 験 パ ス 」 と記 載 さ れ て い る.ま. 次 試 験 パ ス,£20.16支. が あ り,ま. 剖 学 や 博 物 学 な ど は グ ラ ス ゴ ー 大 学 で 履 修 し て い る.. 終 試 験 に 当 た る 第1次. 5月2日. 席)表. 線 部 分 は ス ペ ル 不 明,多. の 成 績(法. た,第2次. 試 験 は,1859年7月14,15日. 医 学 ・産 科 学 ・外 科 な ど の 試 験 科 目,口. 払 い,7月22日. 」 と記 入 さ れ て お り,支. 価 な どが 記 入. に 筆 記 試 験,7月22日. 頭 試 問 の 内 容,評. 払 わ れ た 金 の 一 部 は,TAXの. 価)と. 併 せ て,「. 第2. 支払 いであ るとの説 明で. あ っ た. 次 に,現. 存 す る ウ ィ リ ス の 「卒 業 論 文 」(1859年)の"Theory. の で あ る(バ. ロ ン 博 士 の 話 で は,当. か も 知 れ な い と の こ と で あ る).な い る.こ で,我. の 論 文 の 現 物 は,破. 時,筆. of Ulceration"(潰. 記 者 が し ば し ば 雇 用 さ れ て い た の で,筆. お,こ. の 論 文 に は,"sensible. essay,. very. 瘍 形 成 論)は,36頁. 跡 はあ る い は他 の 人 の 手 に よ る もの. fair"と. い う 評 価 者 の コ メ ン トが つ い て. 損 し や す く,損 傷 し て し ま う こ と を 考 え て 写 真 に 撮 り,タ. 々 が 訪 問 し た 折 り に は,残. 念 な が ら 見 る こ と が で き な か っ た(無. 論,エ. の手 書 きの も. イ プ す る こ と に して い る と の 話. ジ ン バ ラ 大 学 の 図 書 館 を 訪 れ れ ば,閲. 覧. は 可 能 と の こ と で あ る). 我 々 は,大. 学 の 近 く に あ る ウ ィ リ ス が 学 生 時 代 に 住 ん で い た と 思 わ れ る セ ン ト ・バ ト リ ッ ク 街17番 地 の 建 物 も見 た が,. 6階 建 て の 建 物 の 何 処 に 住 ん で い た か は 不 明 と の こ と で あ っ た. 古 都 に た た ず む エ ジ ン バ ラ大 学 ス コ ッ トラ ン ドの 首 都 エ ジ ン バ ラ は,現. 在 約50万 の 人 々 が 住 み,歴. 建 築 の 歴 史 的 な 居 城 エ ジ ン バ ラ 城 を 中 心 に して,16世. 史 の 重 み を 感 じ さ せ る 美 し い 古 都 で あ る.11世. 紀 の 町 並 み が 残 る 旧 市 街 と,18世. 紀. 紀 以 降 の 建 築 が 整 然 と並 ぶ 新 市. 街 と か ら な る. エ ジ ン バ ラ 大 学 は,1583年 哲 学 者 のDavid Balfour. Hume,進. Stevenson,シ. Young. 麻 酔 を 導 入,産 Lister. of. Robert. Syme(1799‑1870)は,臨. Darwin,詩 Arther. Walter. Doyleな. ど,多. Scott,宝. Robertsonを. 始 め,. 島 の 著 者Robert. Louis. く の 逸 材 を 輩 出 し て い る.. 除 手 術 方 面 で 外 科 学 に 大 き く貢 献 し,. 婦 人 科 学 教 授 と して エ ー テ ル 麻 酔 を 分 娩 に 応 用,つ. ン プ ソ ン 鉗 子 な ど)を. Regis(1827‑1912)は,外. 人 のSir Conan. 名 な 歴 史 家 のWilliam. 床 外 科 教 授 と して 切 断,切. Simpson(1811‑70)は,産. 婦 人 科 用 器 具(シ. Lyme. に 応 用 し,有. 化 論 のCharles. ャ ー ロ ッ ク ・ホ ー ム ズ のSir. 医 学 関 係 で も,James Sir James. に 創 立 さ れ た400年 以 上 の 歴 史 を 持 つ 大 学 で,著. 発 明 し た こ と な ど で 著 名 で あ り,Joseph. 科 学 教 授 と し て パ ス ツ ー ル の 業 績 を 応 用 し,ク. いで クロ ロホル ム Lister,. 1st. Baron. レ オ ソ ー トを 複 雑 骨 折 手 術. 効 主 成 分 と し て の 石 炭 酸 を 使 用 した 消 毒 法 の 開 拓 者 と して よ く知 ら れ て い る.. こ の 大 学 は,医. 学,法. 学,社. 世 界 に 開 か れ た 大 学 と し て,EC諸 と の 関 係 で は,藤. 会 科 学 な ど8つ. の 学 部 を持 ち,約16,600名. 国 を 始 め 海 外100力. 古 都 に 実 に よ く調 和 し た こ の 大 学 の 訪 問 で は,我 問 し た 一 行 は,一. の 大 学 院 学 生 を 擁 し,. 国 か ら2,500名 の 留 学 生 が 学 ん で い る(日. 沢 薬 品 か ら の 寄 付 で 創 ら れ た 薬 理 学 研 究 所 が あ り,他. 見 る こ とが で き た.訪. の 学 部 学 生 と3,500名. に 日 本 語 科(Center. 々 の ご く 限 ら れ た 訪 問 時 間 内 で も,こ. 様 に 「こ ん な 雰 囲 気 の 大 学 な ら,誰. 本 か ら は60名).日. for Japanese)が. 本. あ る.. れ ら先 人 の 熱 い 息 吹 き を 垣 間. で も勉 強 し た く な る だ ろ う 」 とい う感 想 を. 漏 ら し て い た. 墓 前 祭 と教 会 に お け る 資 料 ウ ィ リ ス の 墓 地 は,エ. ニ ス キ レ ン の 司 祭 館 の 構 内 に あ る.我. 々 一 行 は,墓. 碑 に 生 花 を 供 え,遠. 路 は る ば る鹿 児 島 か ら.

(4) ウ ィ リス博 士 縁 りの 地 を訪 ね て. 持 参 し た 薩 摩 の 焼 酎 を か け て 霊 を 弔 う と 共 に,故. 〔107〕. 人 の 時 代 に 想 い を馳 せ,偉. 大 な 功 績 に 感 謝 し,そ の 遺 志 を 継 い で 医 学 ・. 医 療 を 一 層 発 展 させ る こ と を 誓 っ た 次 第 で あ る. と こ ろ で,こ. の 教 会 に は,結. 婚,洗. 礼,死. 亡 な ど の 記 録 が 残 さ れ て い る.し. か し,同. 牧 師 か ら 頂 い た 資 料 に は,ウ. ィ. リ ア ム ・ウ ィ リ ス に 関 す る 結 婚 ・洗 礼 の 記 録 は 見 い だ せ な か っ た. 村 田 長 芳 教 授 か ら良 く調 べ て く る よ う に 申 し付 け ら れ た ウ ィ リ ス の 死 亡 の 日付 に 関 し て は,Lancet(507:Feb. 1894)の. 記 載 で は,"We. Fermanagh, て,医. on. regret. Wednesday,. announce. Feb.. 14th."と. that. Dr.. W.. な っ て お り,ウ. Willis,. died. at. ィ リ ス の 命 日 は,従. his. home,. しか し,教. 会 に あ る 死 亡 記 録 の 日付,及 Who. died. 15th. August. died. 22nd. December. 1878. aged. died. 15th. Feby. aged. 57. お,教. 1894. 会 の 記 録 で は,ウ. 67. びWillis一 1874. aged. years]に. years]と. 族 の 墓 碑 に は,[SACRED 75 years]か. 次 い で,[Also. 誌 さ れ て お り,サ. To. ら 始 ま っ て,[Also their. son. Florence. 来,2月14日. 学 部 の頌 徳 碑 前 で 行 わ れ た 同 博 士 の 没 後100年 記 念 顕 彰 事 業 の 献 花 ・追 悼 式 も,こ. of MONEEN. る.な. to. William. Willis. たが っ. に 実 施 さ れ た.. memory. his wife. イ ズ 牧 師 の 意 見 で も,「2月15日. ィ リ ス の 埋 葬 日 は,1894年2月17日. County. と さ れ て き た.し. の2月14日. the. 24,. Court,. of. George. Hannah. M.D.. Willis. Willis. Edin.. Who. F.R.C.S.E.. の 方 が 正 しい 」 よ うで あ. と 記 載 さ れ て い る.. ウ ィ リ ス が 住 ん だ 家 と親 族 ウ ィ リ ス が 晩 年 住 ん で い た 家 は,そ 経 て 現 存 して い る.北 Enniskillen,. Co.. が 住 ん で い る.建. の 頃 に は さ ぞ 荒 涼 と し て い た で あ ろ う と 思 わ れ る 農 村 地 帯 に,100年. ア イ ル ラ ン ド の エ ニ ス キ レ ン ・フ ロ ー レ ン ス コ ー ト ・モ ニ イ ー ン(Moneen,. Fermanagh,. N.. 物 は も ち ろ ん,間. Ireland)に. あ る こ の 家 に は,現. 在,ギ. フ ォ ー ド(Mr.&Mrs.. 取 り や 室 内 の ベ ッ ドな どの 調 度 品 も,当. の歳 月 を. Florencecourt, Gifford)さ. ん一家. 時 の もの が ほ と ん ど そ の ま ま残 され て い る. と い う 話 で あ っ た. な お,同 Elizabeth. じア イ ル ラ ン ドの フ ロ ー レ ン ス コ ー ト(Drumsillagh Rooney)さ. ん が 住 ん で お り,ウ. House,. Florencecourt)に. ィ リ ス が 晩 年 住 ん で い た 家 で,我. は,親. 族 の ル ー ニ ー(Ms.. 々 一 行 の 訪 問 を ギ フ ォ ー ドさ ん 一 家 と共.

(5) 〔108〕. 鹿. 児. 島 大. 学. 医. 学. 雑. 誌. 第47巻. 補冊1平. 成7年8月. に歓 迎 して くれ た. と ころ で,従 来,ア 旅 行 を通 じて,ウ. イ ル ラ ン ドとい う国 や,北 ア イ ル ラ ン ド問 題 につ い て の 認 識 が 極 め て薄 か っ た 筆 者 は,こ の度 の. ィ リ ス の こ との み な らず,こ の 国 の カ ソ リッ ク と プ ロテ ス タ ン トの 歴 史的 な抗 争 を 始 め,多. を学 ぶ こ とが で き た.折. し も,我 々 が北 ア イ ル ラ ン ドを訪 問 した9月 上 旬 は,丁 度,北. 従 来 武 力 闘 争 を行 って きたIRA(ア. イ ル ラ ン ド共 和 国軍)が 停 戦 を表 明 し,話. ア イ ル ラ ン ドの 帰 属 に関 して,. し合 い に よ る紛 争 解 決 の 機 運 が 見 ら れ. る よ う に な っ た時 期 で あ っ た.宗 教 が 絡 ん だ この 国 の 問題 は,む ろん 簡単 には 解 決 し得 ない で あ ろ うが,ウ まれ,喜 怒 哀 楽 を共 に した こ の美 しい 国 が,一. くの こ と. ィ リス が 生. 日 も早 く平 和 を取 り戻 す よ う に念 じて や ま な い. 謝. 辞. この 度 の ウ ィ リス縁 りの 地 の 訪 問 に 当 た っ て は,こ の企 画 に尽 力 され た 鹿 児 島 日英 協 会 の松 山博 明 事 務 局 長 や 旅 行 に 参 加 さ れ た諸 先 生 方 を始 め,エ ジ ンバ ラ大 学 の バ ロ ン博 士,サ. イ ズ牧 師,そ の 他 大 勢 の 方 々 に大 変 お 世 話 に な っ た.ま. た,田 中信 行 教 授 の ご尽 力 で,国 際 交 流 基 金 か ら もご援 助 を頂 い た.こ こ に誌 して,深. く感 謝 申 し上 げ た い..

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