大般若会についての一考察
小 峰 彌 彦 はじめに
現在日本で行われている大般若会すなわち大般若経転読会は、玄奘が漢訳した『大般若経』六百巻を、多くの僧とともに経典名などを略読翻典する儀式である。この大般若会は、『法華経』を選び取った日蓮宗や浄土経典を選択した浄土宗や浄土真宗にとっては、枠外の存在でありあえて読誦する必要がないので行われていない。しかし真言宗はもとより奈良の東大寺・興福寺・薬師寺をはじめ、天台宗・禅宗などの諸宗では今でも重要な儀礼としている。いわば宗派を超えて修されている法会であり、日本仏教の重要な伝統儀礼である。
儀礼法会は説法による教化ではないが、宗派にとっての最も大事な信仰の具現化であり、教化実践の具体ということができる。つまり法要儀礼は仏教教理の具現化であるならば、教理が異なる宗派が同じ大般若会を行うのは何かしらの理由があるはずである。たとえば大般若経は大乗経典であり、密教経典ではないのになぜ真言宗で行うのか。また華厳宗は華厳経の教えが基本であり、法相宗は唯識思想を根幹としており、禅宗は禅の修行を中心としているのである。このように宗旨を異にしている宗団が挙って大般若経転読会を行っているのである。このことはそれほど問題にすべきことではないかも知れないが、日本の仏教の特徴を探る上で何らかの意味があるのではないかと思い、今回このようなテーマを挙げたのである。
最初に断っておくが、この小論は信仰を含む儀礼に視点をあてたものであるが、未だ十分な資料検討にはいたっていないので、今後さらなる考究が必要である。それ故、今は問題点の指摘に止め、単に私の思いを認めたものである。具
体的に取り上げたのは大般若経転読会であり、この法会をいくつかの視点から検討することで、日本仏教展開の一側面を探り見ることとなり、そのなかでわずかな問題提起ができればということである。
『大般若経』の組織について
大般若経転読会について述べる前に、『大般若経』とは如何なる経典であるかの基本を把握しておくことが欠かせない。多少煩雑になるが大般若会の問題に入る前に、この先決事項を示しておきたい。いうまでもなく『大般若経』は玄奘三蔵が漢訳したもので、全体で六百巻という大部な経典で構成されている。なぜかここに『般若心経』は入っていないが、般若経と称されるほとんどが六百巻に収められており、『大般若経』を検討することは般若経経典群の全体像を見ることということができる。そこで極めて基本的なことであるが、はじめに『大般若経』の組織の概略を示すならば、次の図表のように四処十六会で整理することができる。四処とは般若経が説法された具体的な場所であり、十六会とは複数の経典群のことでありいわば集会した回数のことである。
十六会 巻数 説処①大般若波羅蜜多経 初会 四百巻 霊鷲山(玄奘訳初出)②大般若波羅蜜多経 二会 七八巻 霊鷲山③大般若波羅蜜多経 三会 五九巻 霊鷲山④大般若波羅蜜多経 四会 十八巻 霊鷲山⑤大般若波羅蜜多経 五会 十巻 霊鷲山⑥大般若波羅蜜多経 六会 八巻 霊鷲山⑦大般若波羅蜜多経 七会曼殊室利分 二巻 給孤独園⑧大般若波羅蜜多経 八会那伽室利分 一巻 給孤独園
⑨大般若波羅蜜多経 九会能断金剛分 一巻 給孤独園⑩大般若波羅蜜多経 十会般若波羅蜜多理趣分 一巻 他化自在天⑪大般若波羅蜜多経十一会布施般若波羅蜜多分 五巻 給孤独園(玄奘初出)⑫大般若波羅蜜多経十二会浄戒般若波羅蜜多分 五巻 給孤独園 仝⑬大般若波羅蜜多経十三会安忍般若波羅蜜多分 一巻 給孤独園 仝⑭大般若波羅蜜多経十四会精進般若波羅蜜多分 一巻 給孤独園 仝⑮大般若波羅蜜多経十五会静慮般若波羅蜜多分 二巻 霊鷲山 仝⑯大般若波羅蜜多経十六会般若般若波羅蜜多分 八巻 竹林精舎 仝 大般若転読の法会は、基本的にはこれら十六会を読むことである。この組織図をみれば一目瞭然であるが、十六会に区分された般若経典群の大半は初会から五会までの全五六五巻で占められている。五会までが正統な般若経であり、六会から十会までが別系統の般若経であり、十一会から十六までは六波羅蜜の説示である。今日の般若経研究によれば、正統な般若経の成立順は十六会の順番通りではない。たとえば初会から五会までは「初会」「二会と三会」「四会と五会」となっているが、これを成立順から見れば、「二会と三会」が一番古く、小品系般若経(八千頌般若経)と称されるところである。そして「四会と五会」は大品系般若経(二万五千頌般若経)であり、最後の成立が「初会」(十万頌般若経)である。このように般若経が小品系般若経から増広発展をしてきたことを考えれば、小品系般若経が大乗としての般若経の基本的な提示を見ることができる。
般若経は読誦経典
玄奘三蔵は六六三年十月にこの『大般若経』を訳し終え、すぐさま経典読誦のための齋を行った。(『大慈恩寺三蔵法師伝』)また渡辺章悟氏は『大般若と理趣分のすべて』において、このあたりを詳しく述べている。要略すれば『大般若経』
が日本に伝えられ、実際に読誦されたのは玄奘が入滅してからおよそ四〇年の後であり、年号でいえば七〇三年になされている。そして七〇八年には大般若会として恒例化し、その大般若会は七三〇年に大安寺ではじめられたことを次の資料をあげて述べている。
神亀二年(七二五)閏正月十七日、僧六百人を宮中に請じて、大般若経を読誦せしむ。災異を除かんがためなり。天平七年(七三五)五月二十四日、宮中及び大安・薬師・元興・興福の四寺において大般若経を転読せしむ。災害を消除し国家を安穏せんがためなり。
このほか「僧六百人」「僧百五十人」「僧六十人」など、多くの僧侶を請来させた記録が残っている。この法要がしばしば行われるようになると、法会の内容も「僧六十人・三日間」という形式が多くなったようである。なぜこのように多くの僧が必要かと言えば、現在のような転読ではなく大般若経を真読するからである。
以上のことを踏まえて改めて大般若経六百巻を見ることとしたい。一般には般若経は「空を説く経典」のイメージで捉えられているが、もちろん空思想は基本としていてもそのことだけに拘泥してはならない。なぜなら般若経は大乗仏教の提示する思想教理が豊富に説示されているとともに、衆生化他のための菩薩の実践道が示されているのである。最初期の般若経は空の理念を強調することよりも、「経典の受持・読誦」の功徳の意義を説き、般若波羅蜜の経巻を唱える経巻信仰を強く勧めているのである。経巻信仰の重視は般若経の原初である小品系般若経の最初に提示されているものである。
般若経が菩薩道として経巻信仰を重視していることは、『小品般若経』の「善男子善女人品」といわれる部分の構成を見れば明らかである。すなわち善男子善女人品は初品第一・帝釈天品第二・塔品第三・明呪品第四・舎利品第五・佐助品第六という順で展開されているが、そこに般若経の経巻信仰を衆生化他の実践道とする基本姿勢が示されている。まず初品では般若波羅蜜の教説が示され、続く帝釈天品以下では菩薩が善男子善女人に対する衆生利他の活動が示されている。言い換えれば善男子善女人品では、何をして大乗菩薩の利他行としたのか、般若経が興起展開するときに何が
問題であり、それがどのように説示されたか、などが見て取ることのできる最も重要なチャプターなのである。そして第三塔品・第四明呪品・第五舎利品・第六佐助品において、経巻の受持読誦する重要性を巡っての教説を展開するのである。
般若経が最初に提示したことは、「仏塔信仰と経巻信仰」の違いである。仏舎利を安置した仏塔は、人々の礼拝の対象として多くの信仰を集めていた。般若経の経説によれば、舎利を礼拝するのはそれが仏舎利であるからである。なぜなら仏舎利は釈尊が得た一切智が薫習しているのであるからとし、仏塔を拝することはすでに入滅した釈尊を礼拝するのと同じであるとした。当時の人々にとって仏塔は釈尊そのものであった。
その仏塔信仰に対し、般若経は経巻信仰のほうが遙かに功徳があると主張したのである。それについては『小品般若経』塔品第三に次のように説示されている。
仏、憍尸迦に告ぐ。若し復人有りて般若波羅蜜を恭敬・尊重・讃歎するに、花・香乃至幢幡をして供養す。その福甚だ多し。憍尸迦よ、是れを置き三千大千世界に七寶塔で満たし、仮に三千大千世界のあらゆる衆生に、一時に人身を得さしむ。是の一々の人が七寶塔を起こして、その形寿を尽くすまで一切の好華・幢幡・伎楽・歌舞を以て是の塔を供養す。憍尸迦よ、意において云何、是の人は是の因縁を以ての故に福を得ること多きや。甚だ多し、世尊よ。
仏は憍尸迦に告ぐ。若し善男子善女人が般若波羅蜜の経巻を恭敬・尊重・讃歎し、花・香乃至幢幡を供養せば、その福甚だ多し。釋提桓因言わく。是の如し是の如し、世尊よ。若し人般若波羅蜜を供養せば、即ち是れ過去・未来・現在の諸仏の薩婆若を供養恭敬するなり。世尊よ、是れを置きて三千大千世界の一々の衆生が起こすところの七寶塔を、若し一劫において若しくは一劫を減じ、好華香乃至伎楽を以て是の塔を供養す。若しくは人有りて般若波羅蜜の経巻を恭敬・尊重・讃歎し、花・香乃至伎楽を供養せば、その福甚だ多し。仏いわく、是の如し是の如し憍尸迦よ。是の善男子善女人は、是の般若波羅蜜の経巻を供養する因縁を以ての故に、その福甚だ多し。無量無辺
不可得数にして不可思議なり。何を以ての故に。憍尸迦よ、一切諸仏の薩婆若智は、皆般若波羅蜜より生ずるなり。憍尸迦よ、是の因縁を以ての故に、若し善男子善女人が般若波羅蜜の経巻を恭敬・尊重・讃歎し、華香乃至伎楽の供養を供養せば、前の功徳(七寶塔の建立)は百分の一分にも及ばず・千分万分百千万億分の一にも及ばざず乃至算数譬喩するに及ばざるところなり。(大正八・五四三・上中)
この記述によれば仏塔は一切智を獲得した釈尊そのものであるが、般若波羅蜜はその釈尊をも生み出した存在とする。すなわち「一切諸仏の薩婆若智は、皆般若波羅蜜より生ずる」とするのである。この段階ではまだ法身という言葉は用いられていないが、般若波羅蜜は法を身体とする存在と考えられ、仏・菩薩はすべてここから生み出されたものと説くのである。そのことは般若経に、般若波羅蜜は大海であり、釈尊はこの大海のなかから生み出された大宝、と位置ずけていることからも明白である。般若経はこの法身たる般若波羅蜜の教えを文字化したものであるから、この経文を読誦することはまさに法身と同体化することである。まさに般若経典を読誦する者は、その功徳で大いなる現世利益が得られると説くのである。
すなわち般若経は空の教義を基本に据えた上で、経の読誦の真義を説くものである。そしてこの経の読誦こそが人々の心を安寧に導き様々な現世利益をもたらすのであり、そのことが救いを求める人々の心に訴え受け入れられていたのである。従って『大般若経』は、空の理念というより鎮護国家・聖朝安穏・除災招福・五穀豊穣・無病息災などといった現世利益をもたらす経典であった。
大般若経の経典制作
極めて厖大な『大般若経』を読誦するためには、前述の如く百人・百五十人あるいは六百人と記されているように、多くの僧を擁しなくてはならない。当然のことであるが、大般若経の読誦法要をなすのは簡単ではないことは明らかである。それをあえて行うのは般若経が現世利益を与えてくれるという人々の強い信仰があるからである。
ではなく印刷された経、すなわち摺経が求められるのは必然である。 は複数の大般若経がなくてはならないが、手書きではそれは不可能といってよい。これを可能にするためには、手書き 求める人々の要求に応えるためには、日本各地で幅広く読誦する必要がある。日本の多くの人々の要請に応えるために 子に仕立てるもの)、七一八人の校生(文字の校正者)など六千人に及ぶ動員をしている」、と述べている。経の利益を に行われた大般若経写経のために、三千七六人の経師(写経生)、一二人の題師(経題を書くもの)、四三二人の装こう(巻 ばかりの時間と費用が必要となる。橋口侯之介(『書物の歴史』)では「『正倉院文書』によれば、天平六年(七六二) 間が必要である。たとえば『大般若経』の書写には一三七〇〇枚もの料紙が必要であり、それを実行するためには驚く 字余の『般若心経』を写経するだけでも一~二時間かかることからすると、六百巻もの書写は想像をはるかに超える時 誦するだけでも多数の僧と時間とが必要であるが、これを書写するのはさらに大きな労力がなくてはならない。二六〇 『大般若経』は仏教経典のなかで最も厖大であり、文字数にすれば四八〇万字を超える分量となる。それ故、経を読 日本における摺経の歴史は奈良時代に称徳天皇の命でなされた『百万塔陀羅尼経』に納められた陀羅尼が世界で最も古いとされている。この百万塔の小塔のなかに『無垢浄光大陀羅尼経』に説かれる根本陀羅尼・相輪陀羅尼・修造仏陀羅尼・自心印陀羅尼・六度陀羅尼が納められているのだが、これが日本で最古の摺経とされている。納められている紙の大きさは、縦五㎝、横一五~五〇㎝と報告されている。伝承によればこの小塔は百万塔造られ、大安寺・東大寺などの十大寺に十万塔ずつ分置されたという。但し、この摺経が木版刷りであるか銅板刷りなのかは、現在も明確に判断されてはいない。摺経は興福寺の春日版が有名であるが、最初期に摺られたものは法相教学を学ぶために欠かせない『成唯識論述記』十巻などであり、これは一〇八八年に摺られたといわれている。
しかし『大般若経』の版木をいざ制作するとなると、資金はもとより厖大な人手と時間が必要となることは必然である。その『大般若経』の摺経制作にについて、稲城信子氏(鎌倉期における経典印刷と流布)は「嘉禄版といわれる大般若経は、貞応元年(一二二二)~嘉禄三年(一二二七)に開版されている」と述べ、鎌倉時代初期になされていると
報告している。そしてあわせて六〇〇巻もの大般若経を摺写するには約八、四〇〇面の版木が必要であり、これがわずか六年でできたとは思えないとしている。いずれにせよ大般若経の印刷は鎌倉時代以降の展開と考えられる。
現在流布している大般若経の版木は鉄眼版である。鉄眼(一六三〇~一六八二年)は黄檗宗の隠元の弟子で一切経の摺経を目標に掲げ、木版造りのため浄財を募り日本全国を行脚し、およそ十六年の歳月を費やし完成を見たのである。そしてその努力の結果、延宝六年(一六八一)についに大願成就を見たのである。この鉄眼版の版木は桜材で縦一六㎝、横八二㎝、厚さ一.九㎝の大きさである。一つの版木に彫られた文字数は、現在の四百字詰原稿用紙と同じで、一行が二十字、行数は二十行である。ちなみに春日版の『大般若経』の版本は、一行十七字となっている。また有名な高麗大蔵経は、一〇四六年に初彫されたと伝えられている。
経典の体裁は、巻子本・冊子本・折本がある。最初期は巻子本仕立てであったが、これは巻物であるから末尾の記述を見るためには全部開かなくてはならない。巻物であることは置き場所はとらないが、折本のように途中から読むことはできないのでかなり不便である。そこではじめは巻子本の軸をはずし、これを畳んで折本とした。しかし紙も薄いことから、現在の大般若会のようにパラパラと翻転することは難しい。現在のように厚い表紙をつけた装丁の折本は、現在行われている大般若会翻転には欠かせないが、これがいつ頃から造られるようになったかは明確ではない。現在伝えられている折本の起源は、中国の北宋で、十一世紀(一〇八〇年)のころと言われている。日本では鎌倉時代後期から室町時代といわれている。そして日本で折本が造られた起因は、大般若経の転読の法会のためとされている。
これら経典の装丁も日本文化に影響を与えたが、さらに見逃せないことは大般若経の印刷である。前述したように厖大な大般若経の写経による製作は、手間暇がかかり、これを一般普及させるためには時間と労力がかかりすぎる。人々の大般若経読誦を願う気持ちに応えるには、大量生産ができる木版刷りが急務であった。
大般若会について
大般若経転読会は、前述したように、一宗のみではなく多数の宗派が行っている伝統法要であるが、法会の内容についてはそれぞれに特徴がある。現在行われている大般若経転読の法要は、たとえば真言宗の場合『大般若法則』を教則にして行われている。この法則によれば、まず玄奘訳『大般若経』六百巻・四処十六会の内容を紹介し、大般若経の経題などの最初の部分を僧侶が大般若経の最初の部分を声高に転読するものである。そして参列する人々に、広く現世の利益を施す法儀である。もちろん大般若経転読会の方式は、前述のように宗派がそれぞれの法則を用い行っている。
一例をあげれば、智山派における大般若会は導師が説草と称して、表白・神分・勧請・釈経といった順で、一定の節を用い『大般若経』の全体像を導師が一人で朗々と昌誦する。それが終了するときに、参列の僧がそろって大般若経の最初の部分を転読するのである。しかし天台宗や禅宗では真言宗のような説草ではなく、導師はひたすら大般若経第十会である『般若理趣分』を読誦するのである。この『般若理趣分』は、第十会に配されているが大般若経の中では最も般若経らしからぬ経典である。なぜなら『般若理趣分』は真言宗の読誦経典である『般若理趣経』の異訳とみなされているように、大乗経典としては極めて異質であり密教的な般若経だからである。たとえば『大般若経』は霊鷲山・給孤独園・竹林精舎・他化自在天の四処で説かれている。般若経の説処は基本的にはいづれも釈尊が法を説いたゆかりの地、すなわち鷲霊山をはじめとする歴史上存在する場である。しかしながら『般若理趣分』のみは説処が「他化自在天」という架空の場所となっている。これはたとえば『大日経』の説処が「金剛法界宮」となっているのと同様に、歴史上存在した場所ではなく禅定体験の場であり、すなわち三昧上の場なのである。これは他の密教経典の形式と同じである。加えて、安流・霊雲寺の法則には「金剛頂伽経第六会と同聴異聞なり」と記されているように、日本では『般若理趣分』は密教経典としての理解がなされていると見ることができる。問題は大般若経は大乗経典であり、大般若経転読の法会なのになぜ『般若理趣分』がとりわけ重視されるのであろうか。
それについては般若経守護十六善神とも関係すると考えられる。すなわち大般若転読の法会を修するとき、本尊として般若経守護十六善神図が祀られる。十六善神とは四天王と十二神将であり、かなり古くから彼らは般若経を守護する神々とされている。この十六善神の尊名に関しては、『陀羅尼集経』や金剛智訳『般若守護十六善神王形體』に示されている。『陀羅尼集経』の成立は七世紀前半頃とされているが、玄奘は十六善神の存在に何らの言及もしてはいない。般若経と十六善神の関連は玄奘ではなく、『陀羅尼集経』と思われる。このあたりから般若経と密教が何らかの関係性をもったと考えられる。だがこの時点では明確ではなく、たとえば十六善神の尊名や尊格の異同もあり決定的なものではない。たとえば四天王に関しても、『陀羅尼集経』では持国天と多聞天の二尊のみが記され、増長天と広目天の名はない。
またこの般若経守護十六善神図を見ると十六善神だけではなく、彼らが守護すべき本尊と関係する尊格が描かれている。たとえば本尊の脇士をはじめ法涌菩薩と常啼菩薩、さらには玄奘三蔵と深沙大王などが描かれている。またこの般若経守護十六善神図も一種類ではなく、三種の図が日本に残されている。一つは本尊を薬師如来とするもので脇士に日光菩薩・月光菩薩を置くもの。二つ目は釈迦如来を本尊とし、脇士に普賢菩薩と文殊菩薩を置くもの。三種類目は般若菩薩を本尊とし、法涌(法上)菩薩と常啼菩薩を脇士とするものである。このほか阿難尊者や加葉尊者が描かれる図もあるように、十六善神図は様々な形態をとっている。これら三種の般若経守護十六善神のうち、制作数が最も多いのが釈如来を本尊とするものでありこれが主流となっている。
このように様々な形態があっても、これら般若経守護十六善神が般若経と結びついた時点で、すでに密教と関連しているのである。このことは大師様式といわれる十六善神図が、金剛智訳『般若守護十六善神形體』を基本にしていることからもそれは理解できる。
般若経の読誦転読は、基本的には密教ではなく大乗仏教の法会と見るのが自然である。しかし『陀羅尼集経』に見られるように般若経の守護者として十六善神が加わった時点で、密教の影響があったと見ることは否定できない。また般
若経自体にも、金剛手が守護者として不退転菩薩につき従っている記述があるので、般若経が密教と繋がる要因があったと見ることもできるのである。特にこの転読法会に密教の影響が強く見られるのは、般若菩薩を本尊とした十六善神図の存在が関係する。特に般若菩薩を本尊とする十六善神図は、般若経と密教の関係が深くなっていたからと考えられる。この般若菩薩は『陀羅尼集経』にも登場するが、胎蔵曼荼羅持明院の中央に坐す尊格である。持明院での般若菩薩は、真言行者の理想を示したものであり、まさに密教を代表する菩薩の一人なのである。空海著『般若心経秘鍵』における般若菩薩の存在は、まさに般若経と密教とを結びつける重要な役割を与えられた尊格なのである。
この般若経が密教と深く関連する要因は、前述の如く般若経の経巻信仰にある。つまり人々に般若波羅蜜の経巻の読誦を強く勧め、その行為が現世利益を生むとする社会への働きかけにある。密教が行う大般若会も人々に現世利益を与えることを主眼としている。密教における大般若経転読会の目的は、智山の法則によれば「所願成就」のためとあり、また天台宗でも「この法会は信徒の現世の願いを成就するため」、すなわち「善願成就」「転禍為福」「厄難消除」という現世利益を与えるために六百巻の般若経を転読するという。さらに続けて、法則には「(過を転じ福となす)の基は、般若の威力に越えたるは無く、厄難消除のはかりごとは皆空の妙用に過ぎたるはなし」とある如くである。実際に大般若経転読会と護摩供法要を同時に行う寺があるのは、より優れた現世利益が欲しいという人々の気持ちに応えるためである。
大般若経の転読法会はまさに般若経と密教の共通した衆生化他の実践なのである。たとえば曹洞宗の導師がこの法会で『般若理趣分』を読むのは、密教の力をも加えることで威力が増し、人々の現世利益の願いにより強く応えるためである。極めて密教的な内容を持つ『般若理趣分』が、大般若経転読会を修する代表経典に選ばれたのは、般若経と密教経典を関係ずけることにあったと考えられる。
おわりに
以上のように大般若経転読会の研究はまだ手をつけたばかりであり、それ故今回の小論はほんのわずかな問題の指摘に止まるものである。今後さらなる検討を進めることで、日本の精神文化につなげられたらと思っている。日本仏教の伝統的法儀は、日本人独自の姿を見ることができる重要な題材である。また直接的な仏教研究ではないが、先に少し触れた紙の制作そして経典の印刷や折本などの製本技術という分野も、仏教との関連から進歩したものである。これも今後の研究の課題とし、幅広く進めたいと思っている。
〈キーワード〉現世利益・経巻信仰