梵漢雑 俎 (干 潟)
梵
漢
雑
俎
干
潟
竜
祥
はし
が
き
平
素仏
典を読
ん で い る間に梵 語 (パ ー リを含
め て )の 漢 訳(
音 写 ,意
訳を含
め て )されて い る もの の中, ど う も腑に お ちない もの が往
々あ
る。 そ れ らを何
と か 解 決 して 見た い と思い , 自分 なが らの メ モ を造 っ て い る。 そ の メ モ の うち諸賢の 御批 判を請い たい もの 二三 を こ こ に集
め て み た。 こ の 中に は既 に 他 の 機 会にそ の 一端
を述べ た もの もあるが, しか し 目的が ちが っ てい た り, 或は補 正を要 す るも の もあるの で, 更め てそ れ らをもこ こ に集
め た。略 号
表
Amg
. :Ardham
昌gadhiBsk . :Bnddhist −Sanskrit
C
.P
. D 、:ACriticalPali
Dictionary
,begun
by
V . Trenkner, revised , continued , and edlted
by
D
. Andersen and H .Smith
.Geiger :Pali, Literatur und
Sprache
vonW
. Geiger, 1916.M
・N
:Maljhima
・nikayaPischel
:Grammatik
der
Prakritsprachen
vonR
.Pische1
,
1900
. PrkPTSS .Sk
.S
−N
正 :Prakrit:pali
Text
Society:
Samyutta
:
Sanskrit
:
Samyutta
−nikaya:大正新修大蔵 経
1
(
P
互li
)
anamtagga の解 説
‘ anamatagga ’ な る語は
S
−N
H
.p
.178
〜193
(S
. xv .Anamatagga
), 皿.p
.149
(
S
.xxll .99
)等
に 出て来
るの が早
い方
で あろ う。 しか しそこ らで も既に 文 句は型
を な し てい る。即
ち “AnamataggayarP
bhikkhave
samsaropubbakoti
na
pafifiayati
”, (avijjanivara ロana 卑 sattana 珥taphasamyojananalp
sandhavata 甲sa叩saratam .
)
〔(
無明
に覆
われ渇愛
に縛
せ られて流転
し輪
廻す る衆生
の)
“ こ の輪
廻は, 比丘等
よ, anamatagga であ
っ て, その 前際
は知
られ ない ” 。〕こ れ らよ り少
し後
れて の 用 例か と思われ るもの に,Theri
・gatha
, verse495
(PTS
本p
,、17
)
の もの がある, 即 ち,
“
Digho
balanarP
samsaropunapPunarp
ca rodatarp , ana −matagge
pitu
marapebhatu
vadhe attano ca vadhe ”, 〔く りか え し く りか えし
泣 き
つ つあ
る愚
人 共の輪
廻は 長い もの であ
る。 父 の死, 兄弟
の殺害
, 又自身
の 殺害
が anamatagga で あるの で 。〕さて こ の anamatgga な る語の意 味につ い て古 来の
解
釈を見るに , 凡そ次の 三 通 り ほ どある。 漢 訳雑 阿含 秦 代 失 訳と伝え られ るもの で は “ 生 死長 遠無有
辺際
,無有能
知其
根 源 者” 。 とあっ て, こ の ‘ 生 死 長 遠無 有辺際
の 原文は 恐 らく ‘ anamataggayam sarpsaro ’ に近い もの であ っ たの であ ろ う (語の 分解
説 明は後に 述べ る)。然 るに そ れ と
僅
か後
れての 訳 と思わ れ る宋求
那跋陀
羅の 訳で は “衆
生 無始 生 死 長夜輪
転, 不知 苦 之 本際 ” 。 とあ り, こ こ で は ‘ 無 始’ と訳 されて い るの は ‘ a− namatagga ’ に近い 語で あっ た の で あろ う。これ と
結果
に お い て ほ ぼ同
じ解釈
を し てい る の はや は りほぼ 同じ頃と思 わ れ る ところのPali
の註
釈 家Buddhaghosa
で ある。 即ち , 上掲S
−N
.([p
.178
)
の 句の 註 釈をSarattha
−Pakasini
(PTS
本p
,156
) で, “ anamataggoti
, anu amataggo , vassa−satam vassa ・sahassarP
fiarPena
anugantvapi
amataggo avi ・ditaggo
, nassa sakkaito
va etto va aggamjanitu
叩”
.〔anamatagga とは,
初
め
(
agga)
が追想
さ れ ない こ とで, 百年
も千年
も知に よっ て追 求 して もその初
め は想定
せ られ ない(
amata)
, そ の初
めは 知られ ない , そ こか らとか こ こか ら とか梵 漢 雑 俎 (干潟)
い う初めは 知 りがたい もの で ある。〕
こ の の 解 釈は言語 学上か ら も意
味
の上 か ら も随 分無理 があっ て 小 生 共 の首肯
し得ない もの で ある。 第
一 こ の
解
釈で は anamatagga を anamata 十 agga とし,
そ の anamata を
Buddhaghosa
は anu +amata と見
た が, これは絶
対不可能
だ とは 云 え ない まで も, 随 分 無理 な分 解だ と思う。 そ こ で又 同じこ こ の註 釈 中に
ある avidita の意 味に 合せ しめ る た め に, ana (a, an と等 し く negative
prefix
と
見
る)+mata (〜/man )+ agga と し て‘ 初めが思量せ られ ない ’ と見 る説 もあ る (
PTS
の 辞書 P
.31
)。Prk
、 で は ana ・(Amg
. aoa −) を a− , an ・ と同様にnegative
prefix
に用い る こ とは しば しばある(例, anabhava , anahetu , arPahiaa , etc ・)。 し か し形 の 上で は
一
見 ana ・の 如 く見え るもの で も実は an ・ と見るべ き
場合が多い (
Leumann
,Etymologisches
WUrterbuch
I
.1
. n.1
, 例. apahi ロー
diya
= an ・ahipφika
, aparakkhiya = an −araksita , etc )。 そ れで い つ もか も ana
一と
片づ け る わ けに はい かない 。
C
.P
,D
.P
.2
, a9
に も anafifiata, anapPameyya(?
)
, anamatagga etc.は 別に 解 釈さるべ きだ として 居 り, こ の anamata99a の項
に お い て も種々 異 説を挙 げて い る。 我 々 もこ の 場 合別に 考えて 見る必 要があろ う。
又,
( も同 じだ が
)
で は最後
の 一 ’gga
を agga (Sk
, agra)
と見,‘ 初め ’ の 意 味 とするが, これ もそ う きめ こむ わ け に はい く まい 。 何と な れ ば , 上記の如 く きま り文 句とし て は い つ で もこ の
後
に ‘pubbakoti
napafifiayati
’(前
際は知 られ ず )が続
くの である。 もし 一’gga
を agga (Sk
, agra , 初め) と見るな らば, 二 度
(
初めが わ か らぬ とい う)
同 じこ とを
云い , しか も輪
廻 の終
り無
きこ と,後際窮
ま りな きこ と を1
回 も云っ て居ない 。 輪廻 の 苦はそ れ を未 来 無 窮に くりかえ さ な け れ ばな ら ない とい う点が最
も怖るべ きこ となの だ が, に も係わ らずそ れにIX
1
回 も触
れず
に ,前際 (
初
め)
の知
られ ない こ との み2
回 も くりかえす とは,輪
廻 の 怖 るべ きを説 く句と し て は誠に 片手 落ちで , 不 合理で ある。 こ れ は anamatagga を 或はの よ うに読 解 するか らであろ う。
なお,
Pischel
(§251
, note1
)等は anamata を a−
Vnam
か ら来
た もの と見 るが, こ れ も語 形の 上か ら も意味
の 上か らも随分無
理 がある と思
う。 そこ で又この 語を異っ た方 向か ら解 釈 し よ うとする
者
がある。 即 ちSaddaniti
(transcrpt
by
H
.Smith
)396
, note10
で は, amata は amuto の 転 と見
る。而
して意味
は“ an ・amuto ’
gga
” (何処か らもそ の 初め は無い )とする。 これは その限
りで は許
容 し得る も, 上述の如 く初め の ない こ との みを 云 っ て 終 りの無
い こ と を 云 わ ない こ とに なるか ら全体の意
味の 上で は不 合理に なる。仏
教徒
の中
に は, し か し, か か る無
理 な且 つ 不合
理 な解釈
をの み して い た わけ で は ない こ とは,上掲
のの訳に よっ て みて も明か で
あ
ろ う。又年代
的に もそれよ り古
い と思わ れ る とこ ろのDivyavadana
等
に お い て は, anamatagga 或は それ に似
た語
の梵語化
か ら来
た と思わ れ る ところ の ‘anavaragra ’ なる語 を用い ている。 即 ち
Div
.(Cow
. ed ,P
.197
,Vaid
・ed ・P
.122
)で は“
anavaragra ,
bhikk
−have
, sarpsaro,
vidyanivararPan 互rP sattvanam
t
τspasatpyojananamt
;§ndrgalaba
−ddhanarp
dirgham
adhvana 卑 sarpdhavatarp samsaratam .” とあっ て, こ こ で は明か に
Pali
のS
−N
等
の もの と 同 じ文
句の中
か らた だ ‘pubbakoti
napafifiaya
・ti
’ を除 き ‘tr
$nargalab
°,dirgham
… ’(
渇 愛
の紐 帯
に よっ て縛
せ られ, 長い 間 )を加
え たに 過ぎ
ない 。 而 し て anamatagga を anavaragra , 即 ち an ・avara (bottom
, end )・agra (top
,beginning
)と見て sarpsara の異称
の如
くに,‘
無終無始
’ の 意 味に して い る。 爾来輪
廻に関
し て述
べ る場 合 ,Pali
或はPrk
.を梵
語 化 し た場 合に は常に こ の anavaragra を用い て る。 (例.
Mahavastu
I
.p
.34
, anavaragra−
jatijaramarapa
−sarpsarakantara ;1
.p
.282
,H
.pp
.94
,188
,237
, 皿.p
.26
, etc . anavaragrasmim sarpsare …) 。 而 して そ れは無終無始
の輪
廻 を意味
し て い る。anavaragra な る語はそ れ 自体と して は 上の よ うに 無 終 無始 と見る こ とは不都 合で はない 。 しか しこれが
Pali
の anamatagga或
は これに似
た語
を梵
語 化 し た もの である限 り(
上掲
の 例か ら して実際
そ うで あるが)
, こ の梵
語化
が誤っ て い ると見
な け れ ば なる まい 。 しか しそ れは最初梵語化
する とき
に, anamatagga 又は これに類似
したPrk
・の語
の意味
を よく
理解
し得
な か っ たの に基
づ くの であ
ろ う。 そ れは こ の
Pali
の anamatagga なる語は , 故E
.Leumann
教 授の 指示の 通 り (
小
生は1928
年夏学 期
Freibur9
で直接
口授
された の だ が,C
.P
.D
.p
.梵 漢 雑 爼 (干 潟 )
156
に よれ ば恰 も
その年
5
月にC
.P
.D
.編者
の 処へ の手紙
に よっ て知
らさ れ たもの),
Amg
・apavadagga 又は arPavayagga (Bhagavati
I
.§18
で は apav −adagga , そ の 註で は arPavayagga ,
Agamodayasamiti
pub1
.Bombay
,1918
〜21
,.PP
・34
,35
)
の 転で , これ はSk
. ‘ an −apavarga ’ のPrk
.形
で, ‘ an ・apavarga ’ は endless で ‘無終’ の 意で ある。 前 掲長 遠無 有辺 際は適 訳で あろ う。 而 し て そ れ だか らこそ , そ れ に つ づ く ‘
pubbakoti
napafifiayati
’(
前
際は 知られ ない ) な る句の存
在意義
もあるの であ
る。さて
然
らば anapavarga が ど うし て anamatagga になる か 。 apa −→ ava −(cf.Pische1
§199
)
, varga →yagga
(cf.Pische1
§254
), か くしてAmg
. apavayaggaが出来た,
・
yagga
→ ragga (cf.Pischel
§255
)
, そ こ で anavaragga が出来
たであろ うが, これ は
Bsk
.の anavaragra (無 糸冬始 )ともな っ たが, 又一ragga は
本来
・dagga
が ・ragga となっ た もの (cf.Pischel
§245
) と見て , そ こ で本. へ 還 し た
積
りでAmg
. arPavadagga も出来て い た と思 わ れる 。 次い で, va → ma (cLPische1
§261
),da
→ta
(cf.Pische1
§190
) , そ こ でAmg
. aηavadagga →(
Pali
)
anamatagga 。 か く して 本来Sk
, で云 え ぽ anapavarga (end ・less
, 無 終 〉で
あ
るの がAmg
.で anavadagga と云 っ て い て , そ れがPali
に 転じて ana ・matagga と なっ た もの で ,
意 味
は ‘ 無終’ と見るべ きで ある 。か くし て
無 終
の意 味
な る anamatagga なる語
がPali
で は伝 え られて い た の だ が, そ の 意味
がわか らな くな つ たの で, 後に の よ うな 無理 な不合理 な解 釈をす るに 至 っ た の であろ う。そ れ が誤 りである こ とは上述の 通 り で ある。Bsk
の an −・avaragra も恐 ら く
Amg
.の anavayagga が anavaragga とな り, そ れ を an −avaragra (an −avara −agra )と見た もの で あろ う。 こ の
梵
語化 は形 の 上で は誤 り とは云 え ない 。 又 こ の語
を独立 に ,即 ち ‘pubbakoti
napafifiayati
’ な る句を附 け ない で用い る時 はそ れで よい の で あ る。 ち なみ にC
,P
.D
.p
.142
anamatagga の項で は 古 来か ら近 代に至 る ま での 諸 学 者の 説を忠 実に列 挙 し てい るが, こ の 辞書
の編者 自身
の決定的
な意見
は特
に述
べ てない 。5
一1
盂
蘭
盆
の原
語
は ullumpana(
救 済
)
であ
っ て , ullambana(
← o 一 ユambana ← avalambana倒懸 )
で は ない こ と 。こ の こ とに つ い て は既に 雑 誌 “在家仏 教” 第
64
号 (昭 和34
年7
月 発 行 )に 簡 単 に 触れて お い たが, そ れは , しか し, 小 生の 在 家仏 教 会に お ける講 演の中
の もの で , 従 っ て その 講 演の 性質
上学 術 的 な論議
は で きなか っ たの で, こ こ に詳述
す る こ とに し た 。盂蘭盆
を倒懸
の意
とす
るこ とは玄応音
義 (C
.A
.D
.627
〜649
)
以来の こ とであ
る が, しか もその 原語に 遡るに 当っ て, これはPrk
. ullambana の 音 写では あるが, そ の ullambana は
Sk
. ullambana (ud −>lamb
, 懸垂 の 意)で はな くてSk
. avalambana (ava −Vlamb
, 倒懸の 意, avalambana → olambana → ullambana ) で あるとは故荻 原 先生 の 説かれ た とこ ろで ある (
荻
原雲
来 文 集pp
,919
〜920
, 池 田澄 達 氏宛書翰
)。 而 して これ を故 池田氏は宗教研究新
皿 .1
“ 盂蘭盆
経に つ い て ” に おい て紹 介 して い る。 盂蘭盆
を倒懸
と見る限 り故荻
原 先生の 説は正 しい の で の ある。 然 し盂 蘭 盆を倒 懸 と見る こ とその こ とが, その 拠っ て来
た る盂 蘭 盆 経の 文 面か ら見る限 り誤 りと しなけれ ば なるまい 。 盂蘭盆 経に 拠る限 りこ れは倒 懸で は な くて, む し ろ救 済 (動 詞 ullumpati , ud ・〜/1up
)の意で あ り , 従 っ て その 名詞 とし て は ullumpana でな くて は な らない と思 う。
盂 蘭 盆経は現 在
2
訳 あ り, 一 は (正.No
.685
)盂 蘭盆 経 , 西 晋竺法護
訳 と伝 え られ るもの (正, xvl .P
.779
), 他は (正 .No
.686
)
報 恩奉
盆 経, 失訳 (正 . xvl .p
.780
)
で ある。先
, 法護
訳 と伝え られるもの は誤 伝に 相違
ない 。 出三蔵記
集の 法護
訳 の 条に は こ の もの 無く, し か もその新
集続
失訳雑
経録 中
に は あるもの で , 恐 らく歴 代三宝 記 以来
こ の 失訳の もの を法護 訳中
に加え た もの で あろ う。 現 存 の もの を見る に , 故池田澄達
氏の 言 (前 掲 論 文)
の如
く, 中国に お い て後
人が添
加 し た と思わ れ る部 分が少 な くない 。 現 失 訳の もの (No
.686
)
と比較すれば, な お そ の感
を 深 くす る。 失 訳の方が む しろ翻 訳の ま まの如 く, そ し て本 来 こ の も の の みで あっ て, しか も訳者不 明で あ っ たの で , 出 三蔵 記集
で は続 失訳 雑 経 中に 挙 げた の で あろ う。こ の 失 訳の もの に 後 人が 中 国的に 加筆
した の が 出来
て, そ こ で 一 6 一梵 漢 雑 俎 (干 潟 )
現在
の 如 く2
本と な り , 一方
を法 護 訳 と し て他 方 を失
訳 附東
晋 録 とし た もの であ ろ う。 し か も名 も 一方は本の ま ま とし他 方は報 恩奉 盆 経 な ど と した の で あろ う。 奉 盆な どと はい か に も梵語
に う とい後
人の 附 加 らしい 。 そ の割註
の “亦
云報像
功 徳 経” と は い かな る意 味か小生 に はわか らない 。 訳 語は失
訳 の もの を 本来
の もの に 近い と見る限 り(経 題 名を 別 と して )竺 法護の 訳 語に も近い が, 恐ら く法護
以後
西晋 時 代の もの で あろ う。兎
も角現存
法護
訳と称
せ られる もの (No
.685
)
が 中 国 で は早 く
か ら重
ん ぜられた の であろ う。 こ の 経の 現存
最 古の註 釈た る慧 浄 (578
−645
)の 賛 述で も , 後の宗 密 (780
〜841
)の 疏で も , 皆 こ の本に依
っ てい る。 し か しそ れは 中 国人に 向 くよ うに加筆
されて い たか らで もあろ うか。さて
No
・686
に し て もNo
.685
に し て も , そ の 経文の 中に “ 倒懸” とい う語 は全 然 出て来ない 。 経の 趣 旨は “ 目連が神通 力に よっ てそ の亡 母 を見るに , 亡 母 は餓 鬼 中に生 じて飲食で きず, 痩せ 衷えてい た 。食物
を与
えて も口 に入れ る前
に そ れは 火に なっ て し ま う。 目連
これ を悲
し み , 何と か し て救 済の 法はない か と師 な る釈 尊に 問 う。 釈尊
は 目連に そ の 救 済の法を教える。 そ の救済
の 法とは , 七月 十五 日自恣 (
Pavarapa
)の 日に ,衆
僧に 供養
する こ とだ と説かれ た。 目連その 教の 通 りに し た 。 亡母は即日餓 鬼の 苦を脱
し た ” とい うの である。 文 中 一 回 も倒 懸 とい う語は出て 来ない 。 救 済即 ち ullumpana が仏の こ こ で 説く法 と して 出て 来 る。 よ っ て盂蘭盆
は ullumpana (救 済 )の 音 写に 相違なかろ う と思 う。餓鬼
道 に 堕 ちて 飲 食 得られず 苦 し ん で い る 亡者をi
鼈
す る法が 即 ち 盂蘭
盆 (ullumpana ) 供 養 法で あ り, そ れ を説い たの がこ の 盂蘭盆経
であ
ろ う。か く云 えば とて盂 蘭 盆を倒
懸
だ と した 理 由はわか ら ない わけで は ない 。 中 国で 盂蘭盆経
に 関連
して 倒懸
の語
を用い た初め は恐 ら く唐
の慧浄
(前出)の 盂蘭 盆経賛
述 (正,IXXXV
, 所集)
で あろ う。 そ こ で は盂蘭盆
を “ 成(
盛 )食 之 器” と して 居 り, “ 倒懸
” と は し てい ない 。 た だ その 後で “纔 連皮 骨, 命似 倒懸 … …在 盆 内奉 仏施 僧, 以 救倒 懸 之 苦 故日盆 也 ” , とある。 盂蘭
盆はあ
く まで食
器 と見て い る。 そ の誤 りな るは云 うまで もない が, しか しそ れは 彼の 使っ た経そ の もの に既 に, 小 生の見
るところ で は,中国
人の加筆
のあ
る もの(
即ち現在
の 竺 法護
訳 と称 一7
一せ られ るもの )で
あ
っ た の で あ り, そ こ に は “著
盆 中” とか , “ 以百味飲食安
孟蘭 盆
中” な どの 句があっ た の で , か く誤ら さ れた もの で あろ う。 而し て亡 母の 餓鬼道
にあ
る苦
を慧浄
は註解
して “命似
倒懸
” とか “救
倒懸
之苦” など とし て い る。 彼れ が餓 鬼 道に在る者の 苦を倒 懸の 苦 など と叙 し た の は , 恐ら く当時 迄に イ ソ ド か ら伝
え られて い た譚
, 例 えばマ ハ ーパ ー ラ タ(
Mbh
.)1
,13
,14
及
び45
〜48
等に ある次の よ うな譚
を知
っ て い たか らであ
ろ う, 即 ち独身苦 行者
Jaratkaru
の父祖 達なる餓鬼 (preta ) 達が 穴の 中に viraロa 草の根に結びつ け られて足 を上に頭 を下 に ぶ ら さが っ て い る (avalambante ),し か も その草 の根は大
きな鼠に よっ て噛み切 ら れつ つ ある。 そ れは
Jaratkaru
が 独身苦行 者で 即ち無妻 帯者 で , 従っ て 父 祖 を 祭るべ き子孫を持た ない か らで ある。 そこ で こ の 父 祖 達の 倒懸の 苦 を 救 うに は速か に妻帯し て父祖を祭る子 を もうけるべ きだ とい うの で ,彼はその よ うに し た , と。 即 ち餓 鬼
が倒 懸の 苦に陥っ て い る とい う話を伝え聞い てい た の で思い つ い たの で あろ う。 然し慧浄
はこ れ を盂蘭
盆な る語の意味
とは して い なか っ たの で ある。 然 るに 玄 応がその 一切 経音義
の こ の項
を書
く時に は恐ら くは慧浄
の賛
述を知っ て い たか (ほぼ年 代は同時
代で ある か ら)
, 或は慧浄
の そ れ を知らな く と もか か る譚
その もの は これ を知 っ てい た の で あろ う。 し か も玄 応は梵
語に 通じ て い た 学者で ある か ら倒懸
は盂蘭
盆正 しくは烏
藍婆拏
(ullambana ) だ とし て次の よ うに解
説 し た もの である (玄応音義 麗 本巻13
, 縮冊 蔵 ,為六 ,宋 ・元 ・明本 巻14
,縮冊 蔵 為七) 盂蘭盆, 此言訛也, 正 言烏 藍婆 拏 ,此 訳 云 倒 懸, 案 西 国 法,至 於衆 僧 自恣 之 日, 盛設 供具 奉施仏僧以救先亡倒 懸之 苦, 以彼 外書云先亡有罪, 家復 絶嗣, 無 人祭神 請救, 則 於鬼処 受倒 懸之苦,仏雖 順 俗 亦 設祭儀乃 教 於三宝 田 中深起 功 徳,旧云 盂蘭盆 是貯食 之 器,此 言 誤 也。さきの マ ハ ーパ ー ラ タに ある
譚
等を知 っ てい た もの と し て は か くの 如 き解
説を なすの も もっ と もで あ る。 而 して 盂蘭盆を食器 とす るの を誤 り と し てい るの も当時迄
の俗
説に対
した もの で あろ う。 こ の 玄 応 音義
は後
の 慧琳 音 義 (c.A
.D
.783
〜807
)
に その ま ま(
多少文
句に変 動はあるが)
受 けつ がれてい るが(
正 .LIV
.P
.535
,b
)
, しか し宗密 (
A
.D
.780
〜841
) の疏
に は玄応
等音
義 家の説
と慧浄
等 の俗 説 との混 合の如 き解 をな し, 孟 蘭は西域の 語で倒懸の 意,盆は中国の 音で救 一8
一梵 漢 雑 俎 (干潟 )
器で
あ
り,従
っ て全体
は救倒懸 盆
の意
だ と し て い る。 しか しこれは妥協
以外
の 何物で もない 。 要 す るに
中
国で は, 少 く も玄応以来
, 盂 蘭盆は倒 懸 の 意 で あ る とす る説が行 わ れ , 我が国に お い て も従 来そ の説が
踏襲
されて ぎた。 そ し て 故荻
原 先生に よっ て こ れは ullambana ← 01ambana ← avalambana と確 定 されたの で
ある。 し か し小 生が盂 蘭 盆 経 その もの を (現 在
2
本 あるの を検 討 しつ つ )読 んだ とこ ろ か らは, 少 くも その 文 面 か らは, 倒 懸 (Sk
. avalambana ) とす る こ とは で きない , む し ろ救
済の 意なる ullumpana (ud −Vlup
)
を以てその 原 語とす べ き だ との 結論に 達 した。附 記 :本稿 を 送 っ た後に宗教研究第
178
号に於て岡部和雄 氏の 「孟蘭盆経 類の訳経 史的 考 察 」な る,訳 経 史の上 で 頗る有 益 な 論 文 を 拝 見 し た。 しか し孟 蘭 盆 の原 語に関 す る限 り拙稿を変える要は なか ろ うと思 うので こ の文 はその ま まに し た。皿
本
無
は tathat5 の訳
であ
る こ と,並
び に こ の訳 語
の出来
た背
景
と理 由
’支婁
迦讖
訳道 行 般 若経, 支 謙 訳大 明度 経, 及び摩訶般 若鈔経 (これ は 現在 伝で は曇
摩 婢 共竺仏 念 訳 となっ て い るが, そは誤 りで, 恐 ら く笠 法 護 訳か ) 等に あ る ‘‘ 本 無” (竺 法 護 訳 光讃 般 若経では “無 本”) は 梵 語のtathata
訳である こ とは, これに 相 当す る箇
処の無
叉羅
訳(
A
.D
.291
)放 光 般若経
や羅 什 訳 (5ct
.始 ) 小 品 ・大品で “如” とあり, 元魏
菩提 流支 (6ct
・始)以後は “ 真 如” と し, 現 存 梵 文で はtathata
とある に よ っ て明か で あろ う。 こ の こ と につ い て は既に拙 著梵 文善勇
猛 般 若 経 (Suvikrantavikramipariprcch
琶一Praj
fifiparamita
一 sutra, edt, with an
Introductory
Essay
by
R
.Hikata
,Fukuoka
,1958
)P
.XXXXI
. n ,14
に述べて お い た。 ち なみ に劉 宋 求 那 跋 陀羅 訳雑 阿 含巻
21
(正 ・No
,99
の563
)に “ 真 如” とい う字
が あるが, そこ のPali
の 相 当 経な るA
−N
, 皿,74
に は その 処に こ れ に 当る語がない か ら, こ こ の “真如
” は原語
が何
であ
っ たか定
めがたい 。 同巻
12
(正 .
No
.99
の296
)で はPali
S
−N
.XIL
20
のtathatA
, avitathata に 当る語を “ 如”, “ 不 異 如” と訳 し, 同人 訳 相 続 解脱経で も, 菩 提 流支訳 の 深密解 脱経で (正
XVI
.pp
。683
,685
)“七種真如
” とある を “七種 如” と訳 し て い る か ら, 求 那跋 陀 羅は やは りtathata
を “如
” と訳 した と見る方が よ か ろ うと思 う。 そ れでtathata
−9
一を
後
漢代か ら西晋始頃
ま で は “本無
”(
光讃
で は無本)
と訳
した こ とは論
を要
し ない であ
ろ う。 し か し何 故にtathata
(そ の通 りで あるこ と,thusness
,実際
, 事実
そ の ま ま,真実
その ま ま な どの 意 )を “ 本 無” と訳し た の か , どうし て か か る 字を用い た の か, こ の 点に つ い て は前 掲拙 著で も論述
の至 らぬ とこ ろが あっ た の で , その 補 正旁
々 こ こ に最近考案
し た と こ ろ を述べ て御 批 判を請 う次第である。 (なお 拙 著 前掲の 処で , これ ら 訳 本で “ 本一 ” 又 は “本” とある は 原語 “− ta” を 訳する ときの常例 だと 云 つ た が, その後仔 細に点検 し た所, これは小 生の誤 りで あっ て, ただ tathata の時の み “ 本無”又は “無本” となっ てい る の み で ある のを 知 っ た か らここ に訂 正 してお く。)
前掲 拙 著で は
tathata
を “ 本無” と し “無” の 字を 以て tatha を表わ し たの は, “tatha
” は英 語でい えばthus
で それ はthat
で は ない 。 それで “tathata
”は即ち存 在 性で はな い , an −astita, 英 語の anti ・
beingness
である, 即ち “ 有 性 で はない ”, だ か ら “ 無 性” で あり, “ 無 性” を “ 本 無” 又は “ 無 本” と訳 し た の で あろ う, とし た 。 即ち “有
” 性で はない の だか らそ の反 対の “無” 性 を持 っ て 来た の だ と した。 然 しそ れで解
釈 と して充
分で あろ うか。9unyata
とい う語な ら ば空 と訳
し ても
よい が(
古訳で は空 と訳して い る)
しか し “無
” と訳 して もよい であろ うが,何故
に “実
際” “真実 その ま ま” とい うよ うな意 味のtathata
を “本 無” な ど “ 無” の字
を用い て 訳した の か, 何 故に こ の “ 無” とい う字にその よう な重要
な意味
を持た し得た か , こ の点
に つ い て更
に 深 く考
える必要
があ
ろ う, と て こ こ に 再考す るに至 っ た。 そし て それに は第 一に 当 時の 中 国人の 思想 背 景を考 えて見る必 要が ある。 (これに は近 頃研究室の戸 田正宏君 (九大 修士) の援助 を も得, 湯 用形著 漢 魏 両 晋 南北朝仏教史 (北京 中華書局 出 版1955
初版,1963
第2
版) 等に も負 う所 少な くない 。)諸 橋 氏漢 和大辞典 等に よ る も, 無は字 もと无に作 り, “
无
は元に 通ず
” な ど と あっ て, 無は无
で 元に通
じるの で , 老 荘 家の 好ん で 用い た字
の如
く, 老子第
一章
に “無名天 地 之始” とあ り, その第四十 章に は “ 天 下 万 物生 於有
,有
生於
無 ” .な どとい う。 荘 子に もそ の庚桑
楚第
二 十三に , “ 万物 出乎 無有
” とか , “ 以無有為
首” な どの 句があり, 全 編を通 じて無字
を重ん じて い る。 か くの 如 く老 荘 家は 一10
一梵 漢 雑 俎 (干 潟) “
無
” を本
元と し て これ を尊
重 し て居 り, 従 っ て その後
の 道 家に こ の 気風が伝わ っ て来て い た こ と は否めない 。漢代に おい て も “ 無” を重 んず る傾 向
は続
い てい た であろ う。 そこへ 仏 教 経 典特に は般若
経類の 入 る に及 ん で , その 思想傾
向が頗
る 道 家に近
い もの が あっ た とこ ろか ら, 梵典を訳する に 当っ て , 普通の 漢語で は表
わ し に くい 語 があっ た 時, 道 家流の 用 語を借 り る こ とが少
な くなか っ た の で あろ う。 即ちtathata
は “ 実 際” で あり “ 真 実その ま ま” で あ り, “ 事実その ま ま” で あるの で , 道 家の “ 元” に も近 く, そ こ で元 と同意で道 家の好
んで 用い る“无
” 字を用い て, 且つ そ れ が “ 本 来そ の ま ま” で ある とい う意味
を も表わ す た め に “ 本” の字
を加え, こ こ にtathata
の 訳語
に “ 本無
” (又 は “無 本” ) とい う語を考
え 出し た の で あろ う。支讖が初め て こ の 訳語を使っ て か ら, 支
謙
, 法 護 などこれ を踏襲
し た の で ある が,支讖
の道 行般 若訳 場に 居た中
国人は, その 後 記 (出 三蔵 記集
巻下所 載 )に よ る に, 河南洛
陽孟 元 士, 南陽
張 少安, 南 海 子碧 等であ
るが, これ ら中
国人の思想 系統
等に つ い て多
くを知る こ とはで きない に し て も, 此 頃の これ ら洛
陽以南の 好 学の ± とし て , 道家 の 学に も親 し み を持っ て 居 た こ とは想像に か た くない (前 掲 湯用 形 氏の書 P・69
参照 ,但 し湯 氏はそこで般舟三 昧経 記に も南海 子碧の 名ある如 く記する も, 現 存同経 記 (出三蔵記集 巻 7 所 収) に 孟元士 と張少 安の名は 見 え るが 子 碧の名は見 え ない , 湯 氏の錯誤か , 大正蔵 経 の誤 脱か不 明)。 恐 らくこれら中 国人の 助 言が支讖
の訳 語に大 きく影 響 し てい るの で あろ う。,
さて
仏典
の方で “本 無 ” な どい う道 家の好
み そ うな語
が 出来
, 又その空 思想
の 如 き頗 る道 家に受
け容れ易い 思想が 入 っ て来
た とこ ろ で,魏
晋以後老 荘 学 の 発達 を促が し,爾来道仏
相互 影 響が大 きくなるの で あるが, 湯用形
氏の報ず
る所に従 えば, 老 荘学系
の 晋の裴 顧の崇有
論 に始 め て “ 本無” とい う名辞を用い てい る と い うこ とで ある。 か く見来れ ば,tathata
の 訳 語 として の “ 本無” な る語が出来 た の は,道家
の 方で “ 無” を尊 重 して い た の に よ るの で ある が , その “ 本無” な る仏教の語
が道家
の方
で重用せ られ るこ と となっ た こ とが知 られ, 道 仏思想 交渉
史 上興 昧津
々 た るもの がある。 −11
一なお, 放 光若 若以
後 tathata
を “如
” と訳するが, こ れは漢字
と し て は随
分大胆
な用
例で あろ う。 か か る 訳語は中 国 人の みで は恐 ら くは出来
なか っ た の で は なか ろ うか。 “如
” は動
詞に 用い る外は , 上 に つ けて例えぽ “如
是 ” , “ 如幻”, 或 は “如今” の 如 く, 又 一 下に つ けて “突如
” , “晏
如” な どの 如 く用い るが, “如
”1
字を 以て名 詞に 使 うこ と は あ りそうに ない 。 恐 らくyatha
…tatha
… のtatha
を 表 わ すに “如” の字
を用い るところか ら 思い つ い た もの で あろ うが,tathata
な る名
詞を表
わすに “ 如”1
字 を 以てする とは思
い きっ た 用 法である。 これは漢字
に な じん で い る中 国 人に は で きそ うにない こ とで , 放光
般 若を訳 し た 無叉羅がKhotan
人であ り小
品等
を訳
した羅什
は亀
竝 人で あっ た か ら (即ち何 れ も外
国 人)
, か か る思い きっ た訳 語を作 り得
た の であ
ろ う。 而 し て こ の “如
”1
字を以 てtathata
を表わ す慣 用が 長 く伝 え られて い た か ら, そ こで元 魏 菩提 流 支以後は その 上に真
な る字
を加えて “真
な る如
” の意 味で “ 真如” な る訳語を用い る に至 っ たの であ
ろ う。 “ 如” とい う名詞が出来
て い なか っ た ら “真如
” な る名詞 も出 来 なか っ たであろ う。 か くし て 出来た “ 真 如” な る名 詞は全 く仏 教 独特
の 術語
であ
るが, 又, “ 如” 或は “真 如” な る独特
の語
が出 来た とこ ろ か ら中 国仏 教の教理構
成や名 辞解
釈に も一段の進 展 を 見た こ とも否
め ない であ
ろ う。tathata
の中
国訳 語の 成立史は仏 教の 中 国へ の受 容の 歴史を物 語る一 つ の 資 料 ともなる で あ ろ う 。】
V
〔魔
〕 波 旬
の旬
は面
の誤
写
に よ る か〔
Mara
〕・papimant
(N
.− man ) 又は 一papiyas
(N
.−yan
)を 〔魔
〕一波
旬 と表
わ し て あるの は現存
西晋代
の 無叉羅 訳 (A
.D
.291
)の 放 光 般若 経 巻10
(
正 .皿P
.74
) 及び笠法護
訳(
A
.D
.308
)
の普
曜 経 巻16
(正・IrP
・516
)が始
め であ
ろ う。 伝 支謙 訳の菩 薩本縁経 (正 .IH
.P
.61
) に も魔 波 旬とあるも, これ は訳語
の 上 か らは支謙
訳 とは認め られ ない , 両 晋 以後の訳であろ うか ら問 題に な し得ない 。 (さぎに拙著 本生経 類の 思想史的研究 P.106 に おい て は支謙訳 とい うの を否定すべ き材 料が ない か ら伝の ま まに し てお くと し たが,再検討の結果支謙訳 とは 認め られない の で こ こ に 訂正する。)大 方 便 仏 報 恩経巻
5
(
正 .皿.P
.153
)
に も天 魔 波 旬とあるが, これ も 現在伝
で は後漢代失訳
とあ
るが訳語
か ら見
て その 伝は首肯
し得
ない か らこ こ に は 一12
一梵 漢 雑 爼 (干 潟) 除 く。 支讖 訳 (
A
.D
.179
) 道行般 若巻
5
(正 .岡.P
.448
)では 弊魔
とあ り,支
謙 訳 (A
.D
,223
〜253
)大 明度 経巻3
(正 .忸 .P
.491
)で は弊
邪 とあ る。 羅 什訳(
A
.D
.408
) 小 品般 若 巻5
(正 .岡.P
.556
)の こ こ に 相 当する箇 処に お い て は悪
魔
とある。 こ の弊魔
,弊邪
,悪魔
は恐 ら くMara
・papiman
又は ・paPiyan
の訳
語であろ う。 従 っ て これ ら (羅 什は 別 として )古
訳者は “ 波 旬” とい う字
を使
っ てい ない 。 羅 什は他の 場 合に は , 時に魔
波 旬とす るこ ともあるが, 小 品般若
で は悪魔
とする。 玄 弉 も大 般若
第四会
第五 会で は羅 什の訳 例に 従っ て悪魔
とし て い る。 然し晋以後一般に は魔 波 旬が通倒の よ うで ある。然る に元 魏 菩 提流 支 訳 (
A
.D
.508
〜535
) 仏 語 経 (正 . xvll .P
.878
) で は魔 “波卑掾
” , 同じ く仏陀
扇多訳(
A
.D
.539
) の 〔大宝 積 経巻28
〕 十 法経で は波 旬 と ともに “波卑 椽” (正 .M
.P
.157
)ともして い る。 こ の “波卑掾
” (又は掾 )は 明かにSk
.papiyan
の 音写で ある 。 先 きの 弊 魔はpapiman
又 はpapiyan
の何
れにあて て もよい わ け だ が, “ 波旬
” の 原 語は何であろ うか 。 波はpa
の 音 写で あ る が, 旬 (ジュ ン)で は 一piman
, −Piyan
の 何れに も当らない 。 そ こ で玄 応以来 音 義 家は梵語で は波俾 掾 (paPiyan
)で, “ 波 旬” は誤 りだ と して い る (慧 琳 音義
巻10
, 正,LIV
,P
.369
, 同巻12
, 同P
,379
)。 そし て “旬
は旬 (勹の 中に 目)の誤書
で,旬
は音懸 (
ケ ン )で, そして梵本
に は巡(
ジ ュ ン)
の 音は無い , 伝 誤已に久
し” と し て い る。波旬
は誤
りだ とい うこ とはわか るが, 波旬と した とこ ろで何等
解 決に は な らない ,papiman
に もpapiyan
に もその 中に ケ ン に相 当す る音
は な い か ら。 何れに し て も波 旬は何か の誤 りで あろ う。 然らぼ何の 誤 りか。 こ こに 注意
すべ きは吉 蔵(
549
〜623
)撰 勝鬘経
宝窟巻
中末
(正XXXVII
・P
・57
・C
・) に , “林
公云” と して “ 外 国 法仏 在 世及 滅 後, 共 魔 語, 皆 悉 咲之, 為 ‘ 波卑
面’ , 此云 悪 者且悪 物” 。 とあ る。 (こ こに林公と は恐 ら くは斉の 釈 智林 (408 〜487
)を指すか。 智 林は梁高 僧伝巻8
(正.L
. P.376
)に ,二 諦論 毘曇 蔵心 記, 註十二 門論 中 論 等 を著わ し た と あ るか ら, 吉蔵 よ り約 百三 四十 年前の 人で あ る が, し か し中論十二 門論等に註をし て い る人で あ れば吉蔵 が先 匠と し て敬 意を表 し て いた入であろ う。 唐 高僧伝巻 10に 智琳 (544
〜 613 )な るもの あ り , これは 東 域 伝 統 目録 巻下に 見 ゆる中観論疏五巻を著わ し た琳 法 師で あろ5
が, こ の人 を指 すと も思わ れ ない で もないが, しか しこれは林で は な く琳で ある か 一 13 一ら, 同じ中論学の先 匠で も吉蔵の 云 う林 公で は ない で あろ う。) こ の “