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智山學報 第12・13 028干潟 竜祥「梵漢雑俎(那須博士古稀記念論文集)」

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全文

(1)

梵漢雑 俎 (干 潟)

  潟

  祥

 

 

  き

 

素仏

典を

ん で い る間に梵 語 (パ ー

め て 漢 訳

音 写

訳を

め て )されて い る もの の中, ど う も腑に お ちない もの が

る。 そ れ らを

と か 解 決 して た い と思 自分 なが らの メ モ て い る。 そ の メ モ の うち諸賢の 御批 判を請い たい の 二三 を こ こ に

め て み た。 こ の 中に は既 に 他 の 機 会にそ の 一

もの もあるが, しか し 目的が ちが っ てい た り, 或は補 正を要 す るも の もあるの で, 更め てそ れ らをもこ こ に

め た。

 

略 号

Amg

 

Ardham

gadhi

Bsk .   :Bnddhist −Sanskrit

C

P

. D 、ACritical  

Pali

 

Dictionary

 

begun

 

by

 V . Trenkner

,  revised , continued ,  and edlted  

by

 

D

. Andersen  and  H . 

Smith

Geiger :Pali, Literatur und  

Sprache

 von  

W

. Geiger, 1916.

M

N

 

Maljhima

・nikaya

Pischel

Grammatik

 

der

 

Prakritsprachen

 von  

R

. 

Pische1

1900

. PrkPTSS .

Sk

S

N

正 :Prakrit

:pali 

Text

 Society

Samyutta

Sanskrit

Samyutta

−nikaya

:大正修大蔵 経

(2)

 

1

P

li

anamtagga の

解 説

 

‘ anamatagga ’ な る語は

S

N

 

H

. 

p

178

193

S

. xv . 

Anamatagga

皿.

p

149

S

.xxll .

99

るの が

ろ う。 しか しそこ らで も既に 文 句は

を な し てい る。

ち “

AnamataggayarP

 

bhikkhave

  samsaro  

pubbakoti

na 

pafifiayati

(avijjanivara ana sattana

taphasamyojananalp

 sandhavata

sa叩saratam .

無明

われ

渇愛

せ られて

流転

廻す る

衆生

“ こ の

廻は, 比丘

よ, anamatagga で

っ て, その 前

られ ない ” 。〕こ れ らよ り

れて の 用 例か と思われ るもの に,

Theri

gatha

, verse  

495

PTS

p

,、

17

の もの がある, 即 ち,

Digho

 

balanarP

 samsaro  

punapPunarp

 ca  rodatarp  ana −

matagge  

pitu

 marape  

bhatu

 vadhe  attano  ca vadhe ” 〔く り え し く りか え

泣 き

つ つ

人 共の

廻は 長い の で

る。 父 の死, 兄

殺害

, 又

自身

の 殺

が anamatagga で あるの で 。〕

 

さて こ の anamatgga な る語の意 味につ い て古 来の

を見るに , 凡そ次の 三 通 り ほ どある。   漢 訳雑 阿含 秦 代 失 訳と伝え られ るもの で は “ 生 死長 遠無

,無

有能

根 源 者” 。 とあっ て, こ の ‘ 生 死 長 遠無 有辺

原文は 恐 らく ‘ anamataggayam sarpsaro ’ に近い もの であ っ たの であ ろ う (語の 分

説 明は後に 述べ る)。

 

然 るに そ れ と

れての と思わ れ る宋

跋陀

羅の で は “

生 無始 生 死 長夜

転, 不知 苦 之 本際 ” 。 とあ り, こ こ で は ‘ 無 始’ と訳 されて い の は ‘ a− namatagga ’ に近い 語で あっ た の で あろ う。

 

結果

に お い て ほ ぼ

解釈

を し てい る の はや は りほぼ 同じ頃と思 わ れ る ところの

Pali

釈 家

Buddhaghosa

る。 即ち , 上掲

S

N

p

178

註 釈

Sarattha

Pakasini

PTS

p

156

で, “ anamataggo  

ti

 anu amataggo , vassa

satam  vassasahassarP  

fiarPena

 anugantva  

pi

 amataggo  avi

ditaggo

, nassa  sakka  

ito

 va etto va  aggam  

janitu

anamatagga は,

agga

追想

さ れ ない こ とで, 百

も千

も知に よっ て追 求 して もその

め は

想定

せ られ ない

amata

, そ の

めは 知られ ない , そ こか らとか こ こか ら とか

(3)

       梵 漢 雑 俎 (干潟)

う初めは の で る。〕

 

こ の  解 釈は言語 学上か ら も意

の上 か ら も随 分無理 があっ て 小 生 共 の首

し得ない もの で ある。 第

anamatagga anamata 十 agga

そ の anamata を

Buddhaghosa

は anu +amata と

た が, これは

対不可

だ とは 云 え ない まで , 随 分 無理 な分 解だ と思う。 そ こ で又 同じこ こ の註 釈 中に

ある avidita の意 味に 合せ しめ る た め に, ana a an と等 negative  

prefix

る)+mata 〜/man )+ agga と し て

‘ 初めが思量せ られ ない ’ と見 る説 もあ る (

PTS

書 P

31

。 

Prk

、 で は ana ・

Amg

 aoa) を a− , an ・ 同様

negative  

prefix

い る こ とは しば しばある(例, anabhava , anahetu , arPahiaa , etc ・

。 し か し形 の 上で は

見 ana ・の 如 く見え るもの で も実は an ・ とるべ

場合が

Leumann

 

Etymologisches

 

WUrterbuch

 

I

1

. n.

1

, 例. apahi ロ

diya

= an ・ahipφ

ika

, aparakkhiya = an −araksita , etc )。 そ れで い つ もか も ana

片づ け る わ けに はい かない 。

C

. 

P

, 

D

. 

P

2

, a 

9

に も anafifiata, anapPameyya

(?

, anamatagga  etc.は 別に 解 釈さるべ きだ として 居 り, こ の anamata99a の

に お い て も種異 説を挙 げて い る。 我 々 もこ の 場 合別に 考えて 見る必 要があろ う。

又,

 

(  も同 じだ が

で は最

の 一 ’

gga

を agga

Sk

, agra

‘ 初め ’ の 意 味 とするが, これ もそ う きめ こむ わ け に はい く まい 。 何と な れ ば , 上記の如 く きま り文 句とし て は い つ こ の

に ‘

pubbakoti

 na  

pafifiayati

られ ず )が

くの である。 もし 一’

gga

を agga

Sk

, agra な ら

, 二 度

初めが わ か らぬ とい う

同 じこ と

云い , しか も

廻 の

きこ と,

後際窮

ま りな きこ と を

1

回 も云っ て居ない 。 輪廻 の 苦はそ れ を未 来 無 窮に くりかえ さ な け れ ばな ら ない とい う点が

も怖るべ こ となの だ が, に も係わ らずそ れに

IX

 

1

回 も

に ,

前際 (

られ ない こ との み

2

回 も くりかえす とは,

廻 の 怖 るべ 説 く句と し て は片手 落ちで , 不 合理で ある。 こ れ は anamatagga を  或は

 

の よ うに読 解 するか らであろ う。

 

なお,

Pischel

(§

251

, note  

1

)等は anamata を a

Vnam

た も るが, こ れ も語 形の 上か ら も

意味

の 上か らも随

分無

理 がある と

う。 そこ で又こ

(4)

の 語を異っ た方 向か ら解 釈 し よ うとする

がある。 即 ち

Saddaniti

transcrpt

 

by

H

Smith

396

, note  

10

で は,  amata は amuto の 転 と

る。

して

意味

“ an ・amuto ’

gga

” (何処か らもそ の め は無い とする。 これは その

りで は

容 し得る も, 上述の如 く初め の ない こ との みを 云 っ て 終 りの

い こ と を 云 わ ない こ か ら全体の

で は不 合理に る。

  仏

に は, し か し, か か る

理 な且 つ 不

理 な

解釈

をの み して い た わけ で は ない こ とは,上

 

の訳に よっ て みて も明か で

ろ う。又

年代

的に もそれよ り

い と思わ れ る とこ ろの

Divyavadana

に お い て は, anamatagga 或は それ に

梵語化

か ら

た と思わ れ る ところ の ‘anavaragra ’ なる語 を用い てい

る。 即 ち

Div

.(

Cow

. ed , 

P

197

, 

Vaid

・ed ・

P

122

)で は

anavaragra , 

bhikk

have

, sarpsaro

vidyanivararPan 互rP sattvanam  

t

τspasatpyojananam  

t

;§

ndrgalaba

ddhanarp

 

dirgham

 adhvana sarpdhavatarp  samsaratam .” とあっ て, こ こ で は

明か に

Pali

S

N

の もの と 同 じ

句の

か らた だ ‘

pubbakoti

 na  

pafifiaya

ti

’ を除 き ‘

tr

nargalab

°, 

dirgham

… ’

渇 愛

紐 帯

に よっ て

せ られ, 長い 間 )を

え たに

ない 。 而 し て anamatagga を anavaragra , 即 ち an ・avara

bottom

, end ・agra (

top

, 

beginning

)と見て sarpsara の異

くに,

無終無始

’ の 味に して い る。 爾

来輪

廻に

し て

場 合

Pali

或は

Prk

.を

語 化 し た場 合

に は常に こ の anavaragra を用い て る。 (例. 

Mahavastu

 

I

p

. 

34

, anavaragra

jatijaramarapa

sarpsarakantara

1

p

282

, 

H

pp

94

188

237

, 皿.

p

26

, etc . anavaragrasmim  sarpsare … 。 而 して そ れは

無終無始

廻 を意

し て い る。

 

anavaragra な る語はそ れ 自体と して は 上の よ うに 無 終 無始 と見る こ とは不都 合で はない 。 しか しこれが

Pali

の anamatagga

は これに

語 化 し た もの である限 り

 (

か ら して

実際

そ うで るが

, こ の

が誤っ て い

な け れ ば なる まい 。 しか しそ れは

最初梵語化

する と

に, anamatagga 又は これに類

した

Prk

・の

意味

を よ

な か っ たの に

づ くの で

ろ う。 そ れは こ の

Pali

の anamatagga なる語は , 故

E

. 

Leumann

教 授の 指示

通 り (

1928

年夏学 期

Freibur9

直接

された の だ が, 

C

. 

P

. 

D

. 

p

(5)

                                    梵 漢 雑 爼 (干 潟 )

156

に よれ ば

恰 も

5

C

P

. 

D

編者

へ の手

に よ

らさ れ た

もの

Amg

・apavadagga arPavayagga

Bhagavati

 

I

§

18

で は apav −

adagga , そ の 註で は arPavayagga , 

Agamodayasamiti

 

pub1

. 

Bombay

1918

21

,.

PP

34

35

の 転で , これ は

Sk

. ‘ an −apavarga ’ の

Prk

で, ‘ an ・apavarga ’ は endless で ‘無終’ の る。 前 掲

 

長 遠無 有辺 際は適 訳で あろ う。 而 し て そ れ だか らこそ , そ れ に つ づ

pubbakoti

 na 

pafifiayati

られ な な る句の

意義

もあるの で

る。

 

さて

らば anapavarga が ど うし て anamatagga る か 。 apa −→ ava −(cf.

Pische1

§

199

, varga →

yagga

(cf. 

Pische1

§

254

), か くして

Amg

. apavayagga

が出来た,

yagga

ragga cf 

Pischel

§

255

, そ こ で anavaragga が出

たで

あろ うが, これ は

Bsk

.の anavaragra (無 糸冬始 )ともな っ たが, 又

ragga

本来

dagga

が ・ragga とな cf. 

Pischel

§

245

て , そ こ で本

. へ 還 し た

Amg

 arPavadagga も出来て い た と思 わ れ 。 次い で, va → ma (cL 

Pische1

§

261

), 

da

ta

cf 

Pische1

§

190

, そ こ で

Amg

. aηavadagga →

Pali

anamatagga く して 本来

Sk

, で云 え ぽ anapavarga (end ・

less

, 無 終 〉

るの が

Amg

.で anavadagga と云 っ て い て , そ れが

Pali

に 転じて ana ・

matagga と なっ た もの で ,

意 味

は ‘ 無終’ と見るべ

 

か くし て

無 終

意 味

な る anamatagga

Pali

で は伝 え られて い が, そ の 意

がわか らな くな つ たの で, 後に  の よ うな 無理 な不合理 な解 釈をす るに 至 っ た の であろ う。そ れ が誤 りである こ とは上述の 通 り で ある。

Bsk

の an −・

avaragra も恐 ら く

Amg

の anavayagga が anavaragga とな り, そ れ を an −

avaragra an −avara −agra と見た もの で あろ う。 こ の

語化 は形 の 上で は誤 り とは云 え ない 。 又 こ の

を独立 に ,即 ち ‘

pubbakoti

 na  

pafifiayati

附 け ない で用い る時 はそ れで よい の で あ る ち なみ に

C

P

. 

D

. 

p

142

 anamatagga の項で は 古 来か ら近 代に至 る ま での 諸 学 者を忠 実に列 挙 し てい るが, こ の 辞

編者 自身

決定的

意見

い 。

5

 一

(6)

  1  

は ullumpana

救 済

っ て ,  ullambana

← o 一 ユambana ← avalambana

倒懸 )

で は ない こ と 。

 

こ の こ とに つ い て は既に 雑 誌家仏 教” 第

64

号 (昭 和

34

7

月 発 行 )に 簡 単れて お い たが, そ れは , しか し, 小 生の 在 家仏 教 会に お ける講 演の

の もの で , 従 っ て その 講 演の 性

上学 術 的 な

論議

は で きなか っ たの で, こ こ に

詳述

す る こ とに し た 。

  盂蘭盆

倒懸

るこ とは

玄応音

義 (

C

A

. 

D

627

649

以来の こ とで

る が, しか もその 原語に 遡るに 当っ て, これは

Prk

. ullambana の 音 写では あ

るが, そ の ullambana は

Sk

. ullambana (ud −>

lamb

, 懸垂 の 意)で はな くて

Sk

. avalambana ava −

Vlamb

, 倒懸の 意, avalambana → olambana → ullambana ) で あるとは故荻 原 先生 の 説かれ た とこ ろで る (

来 文 集

pp

919

920

, 池 田澄 達 氏宛

書翰

)。 而 して これ を故 池田氏は

宗教研究新

皿 .

1

“ 盂

蘭盆

経に つ い て ” に おい て紹 介 して い る。 盂

蘭盆

を倒

と見る限 り故

原 先生の 説は正 しい の で の ある。 然 し盂 蘭 盆を倒 懸 と見る こ とその こ とが, その 拠っ て

た る盂 蘭 盆 経の 文 面か ら見る限 り誤 りと しなけれ ば なるまい 。 盂蘭盆 経に 拠る限 りこ れは倒 懸で は な くて, む し ろ救 済 (動 詞 ullumpati , ud ・

1up

 

, 従 っ て その 名詞 とし て は ullumpana でな くて は な らない と思 う。

 

盂 蘭 盆経は現 在

2

訳 あ り, 一 (正

No

685

)盂 蘭盆 経 , 西 晋竺法

訳 と伝 え られ るもの (正, xvl . 

P

779

), 他は (正 . 

No

686

報 恩

盆 経, 失訳 (正 . xvl . 

p

. 

780

で ある。

, 法

訳 と伝え られるもの は誤 伝に 相

ない 。 出三

蔵記

集の

訳 の に は こ の く, し か もその

失訳

録 中

に は あるもの で , 恐 らく歴 代三宝 記 以

こ の 失訳の もの を法護 訳

に加え た もの で あろ う。 現 存 の もの を見る に , 故池田澄

氏の 言 (前 掲 論 文

く, 中国に お い て

人が

加 し た と思わ れ る部 分が少 な くない 現 失 訳の もの (

No

686

と比較すれば, な お そ の

を 深 くす る。 失 訳の方が む しろ翻 訳の ま まの如 く, そ し て本 来 こ の も の の みで っ て, しか も訳者不 明で あ っ たの で , 出 三蔵 記

で は続 失訳 雑 経 中に 挙 げた の で ろ う。こ の 失 訳の もの に 後 人が 中 国的に 加

した の が 出

て, そ こ で       一 6 一

(7)

      梵 漢 雑 俎 (干 潟 )

現在

如 く

2

と な り , 一

法 護 訳 と し て他 方

訳 附

晋 録 とし た もの であ ろ う。 し か も名 も 一 ま ま と他 方報 恩奉 盆 経 な ど と した の で ろ う。 奉 盆な どと はい か に も

梵語

に う とい

附 加 らい 。 そ の

割註

の “

報像

功 徳 経” と は い かな る意 味か小生 に はわか らない 。 訳 語は

訳 の もの を 本

の もの に 近い と見る限 り(経 題 名を 別 と して )竺 法護の 訳 語に も近い が, 恐ら く

法護

西晋 時 代の もの で あろ う。

角現存

訳と

せ られる もの (

No

685

が 中 国 で は

早 く

か ら

ん ぜられた の であろ う。 こ の 経の 現

最 古の註 釈た る慧 浄 (

578

645

賛 述 , 後の宗 密 (

780

841

, 皆 こ の本に

っ てい る。 し か しそ れは 中 国人に 向 くよ うに

加筆

されて い たか らで もあろ うか。

 

さて

No

686

に し て も

No

. 

685

に し て , そ の 経文の 中に “ 倒懸” とい う語 は全 然 出て来ない 。 経の 趣 旨は “ 目連が神通 力に よっ てそ の亡 母 を見るに 亡 母 は餓 鬼 中に生 じて飲食で きず, 痩せ 衷えてい た 。

食物

えて も口 に入れ る

に そ れは っ て し ま う。 目

これ を

し み , 何と か し て救 済の 法はない か と師 な る釈 尊に 問 う。 釈

は 目連に そ の 救 済の法を教える。 そ の

救済

の 法とは , 七月 十五 日

自恣 (

Pavarapa

)の 日に ,

僧に 供

する こ とだ と説かれ た。 目連その 教の 通 りに し た 。 亡母は即日餓 鬼の 苦を

し た ” とい うの である。 文 中 一 回 も倒 懸 とい う語は出て 来ない 。 救 済即 ち ullumpana が仏の こ こ で 説く法 と して 出て 来 る。 よ っ て盂

蘭盆

は ullumpana (救 済 )の 音 写に 相違なかろ う と思 う。

餓鬼

道 に 堕 ちて 飲 食 得られず 苦 し ん で い る 亡者を

i

す る法が 即 ち 盂

盆 (ullumpana 供 養 法で あ り, そ れ を説い たの がこ の 盂

蘭盆経

ろ う。

 

か く云 えば とて盂 蘭 盆を倒

だ と した 理 由はわか ら ない わけで は ない 。 中 国で 盂

蘭盆経

して

を用い た初め は恐 ら く

慧浄

(前出)の 盂蘭 盆経

述 (正,

IXXXV

, 所集

で あろ う。 そ こ で は盂

蘭盆

を “ 成

盛 )食 之 器” と して 居 り, “ 倒

” と は し てい ない た だ その 後で “纔 連皮 骨, 命似 倒懸 … …在 盆 内奉 仏施 僧, 以 救倒 懸 之 苦 故日盆 也 ” , とある。 盂

盆は

く まで

器 と見て い る。 そ の誤 りな るは云 うまで もない が, しか しそ れは 彼の 使っ た経そ の もの に既 に, 小 生の

るところ で は,

中国

人の

加筆

る もの

即ち

現在

の 竺 法

訳 と称       一 

7

 一

(8)

せ られ るもの

っ た の で あ り, そ こ に は “

盆 中” とか , “ 以百

味飲食安

蘭 盆

中” な どの があっ た の で , か く誤ら さ れた もの で あろ う。 而し て亡 母の 餓

鬼道

慧浄

註解

して “

命似

” とか “

之苦” など とし て い る。 彼れ が餓 鬼 道に在る者の を倒 懸の 苦 など と叙 し た の は , 恐ら く当時 迄に イ ソ ド か ら

え られて い た

, 例 えばマ ハ ーパ ー ラ タ

Mbh

.)

1

13

14

45

48

等に ある次の よ うな

っ て い たか らで

ろ う 即 ち

  独身苦 行者

Jaratkaru

の父祖 達なる餓鬼 (preta ) 達が 穴の 中に viraロa 草の根に結び

  つ け られて足 を上に頭 を下 に ぶ ら さが っ て い る (avalambante ),し か も その草 の根は大

 

きな鼠に よっ て噛み切 ら れつ つ ある そ れは

Jaratkaru

が 独身苦行 者で 即ち無妻 帯者   で , 従っ て 父 祖 を 祭るべ き子孫を持た ない か らで ある。 そこ で こ の 父 祖 達の 倒懸の 苦 を   救 うに は速か に妻帯し て父祖を祭る子 を もうけるべ だ とい うの で ,彼はその よ うに し   た , と。 即 ち

餓 鬼

が倒 懸の に陥っ て い る とい う話を伝え聞い てい た の で思い つ い たの で あろ う。 然し

慧浄

はこ れ を盂

盆な る語の

意味

とは して い なか っ たの で ある。 然 るに 玄 応がその 一切 経

音義

の こ の

く時に は恐ら くは

慧浄

を知っ て い たか (ほぼ年 代は同

代で る か ら

, 或は

慧浄

の そ れ を知らな く と もか か る

その もの は これ を知 っ てい た の で あろ う。 し か も玄 応は

語に 通じ て い た 学者で ある か ら倒

正 しくは

婆拏

ullambana だ とし て次の よ うに

し た もの である 玄応音義 麗 本巻

13

, 縮冊 蔵 ,為六 ,宋 ・元 ・明本 巻

14

,縮冊 蔵 為七) 盂蘭盆, 此言訛也, 正 言烏 藍婆 拏 ,此 訳 云 倒 懸, 案 西 国 法,至 於衆 僧 自恣 之 日, 盛設 供具   奉施仏僧以救先亡倒 懸之 苦, 以彼 外書云先亡有罪, 家復 絶嗣, 無 人祭神 請救, 則 於鬼処   受倒 懸之苦,仏雖 順 俗 亦 設祭儀乃 教 於三宝 田 中深起 功 徳,旧云  盂蘭盆 是貯食 之 器,此   言 誤 也。

 

さきの マ ハ ーパ ー ラ タに ある

等を知 っ てい た もの と し て は か くの 如 き

説を なすの も もっ と もで あ る 而 して 盂蘭盆を食器 とす るの を誤 り と し てい るの も当

時迄

した もの で あろ う。 こ の 玄 応 音

の 慧琳 音 義 (c.

A

. 

D

783

807

ま ま

多少文

変 動

受 けつ がれい るが

正 .

LIV

P

. 

535

b

, しか し

宗密 (

A

. 

D

780

841

に は玄

義 家

慧浄

等 の俗 説 との混 合の如 き解 をな し, 孟 蘭は西域の 語で倒懸の 意,盆は中国の 音で救       一 

8

 一

(9)

                                          梵 漢 雑 俎 干潟 )

器で

り,

っ て

全体

救倒懸 盆

だ と し て い る。 しか しこれは妥

の 何

物で もない 。 要 す るに

国で は, 少 く も玄応以

, 盂 蘭盆は倒 懸 の 意 で あ る と

す る説が行 わ れ , 我がに お い て も従 来そ の説が

踏襲

されて ぎた。 そ し て 故

原 先生に よっ て こ れは ullambana ← 01ambana ← avalambana と確 定 されたの で

ある。 し か し小 生が盂 蘭 盆 経 その もの を (現 在

2

本 あるの を検 討 しつ つ )読 んだ とこ ろ か らは, 少 くも その 文 面 か らは, 倒 懸 (

Sk

. avalambana ) とす る こ とは で きない , む し ろ

済の 意なる ullumpana (ud −

Vlup

を以てその 原 語とす べ だ との 論に した。

 

附 記 :本稿 を 送 っ た後に宗教研究第

178

号に於て岡部和雄 氏の 「孟蘭盆経 類の訳経 史的   考 察 」な る,訳 経 史の上 で る有 益 な 論 文 を 拝 見 し た。 しか し孟 蘭 盆 の原 語に関 す る限   り拙稿を変える要は なか ろ うと思 うので こ の文 はその ま まに し た。

 

 

は tathat5 の

る こ と,

び に こ の

訳 語

出来

    景

理 由         

  支婁

訳道 行 般 若経, 支 謙 訳大 明度 経, 及び摩訶般 若鈔経 (これ は 現在 伝で は

摩 婢 共竺仏 念 訳 となっ て い るが, そは誤 りで, 恐 ら く笠 法 護 訳か ) 等に あ る ‘‘ 本 無” (竺 法 護 訳 光讃 般 若経では “無 本梵 語

tathata

である こ とは, これに 相 当す

処の

A

D

291

)放 光 般

若経

羅 什 訳 (

5ct

始 ) 品 ・大品で “如” とあり, 元

菩提 流支 (

6ct

・始)以後は “ 真 如” と し, 現 存 梵 文で は

tathata

とある に よ っ て明か で あろ う。 こ の こ と につ い て は既に拙 著梵 文

善勇

猛 般 若 経 (

Suvikrantavikramipariprcch

琶一

Praj

 

fifiparamita

 一 sutra 

, edt, with an  

Introductory

 

Essay

 

by

 

R

. 

Hikata

 

Fukuoka

1958

P

. 

XXXXI

 n

14

て お い た。 ち なみ に劉 宋 求 那 跋 陀羅 訳雑 阿 含巻

21

(正 ・

No

99

563

)に “ 真 如” とい う

が あるが, そこ の

Pali

の 相 当 経な る

A

N

, 皿,

74

に は その 処に こ れ に 当る語がない か ら, こ こ の “

真如

” は

原語

っ たか

めがたい 。 同

12

(正 .

No

. 

99

296

で は

Pali

 

S

N

 

XIL

 

20

tathatA

, avitathata に 当る語を “ 如”, “ 不 異 如” と訳 し, 同人 訳 相 続 解脱経で も, 菩 提 流支訳 の 深密解 脱経で (正

XVI

. 

pp

683

685

真如

る を種 如” し て い る か ら, 求 那跋 陀 羅は やは り

tathata

を “

” と訳 した と見る方が よ か ろ うと思 う。 そ れで

tathata

      −  

9

 一

(10)

漢代か ら西

晋始頃

ま で は “

本無

光讃

で は

無本)

した こ とは

し ない で

ろ う。 し か し何 故に

tathata

(そ の通 りで あるこ と, 

thusness

実際

, 事

そ の ま ま,

真実

その ま ま な どの 意 )を “ 本 無” と訳し た の か , どうし て か か る 字を用い た の か, こ の 点に つ い て は前 掲拙 著で も論

の至 らぬ とこ ろが あっ た の で , その 補 正

々 こ こ に

最近考案

し た と こ ろ を述べ て御 批 判を請 う次第である (なお 拙 著 前掲の で , これ ら 訳 本で “ 本一 ” 又 は “

 

本” とある は 原語 “− ta” を 訳する と例 だと 云 つ た が の後仔 細に点検 し た所, これは小 生の誤 りで あっ て, ただ tathata の時の み “ 本無”又は “無本” となっ てい る の み で ある のを 知 っ た か らここ に訂 正 してお

 

前掲 拙 著で は

tathata

を “ 本無” と し “無” の を 以て tatha を表わ し たの は, “

tatha

” は英 語でい えば

thus

れ は

that

で は ない 。 それで “

tathata

は即ち存 在 性で はな い an −astita 英 語の anti ・

beingness

である, 即ち “ 有 性 で はない ”, だ か ら “ 無 性” で あり, “ 無 性” を “ 本 無” 又は “ 無 本” と訳 し た の で あろ う, とし た 。 即ち “

” 性で はない の だか らそ の反 対の “” 性 を持 っ て 来た の だ と した。 然 しそ れで

釈 と して

分で あろ うか。

9unyata

とい う語な ら ば空 と

し て

よい が

古訳で は空 と訳して い る

しか し “

” と訳 して もよい であろ うが,

何故

に “

際” “真実 その ま ま” とい よ うな意 味の

tathata

を “本 無” な ど “ 無” の

を用い て した の か, 何 故に こ の “ 無” とい う字にその よう な重

意味

を持た し得た か , こ の

に つ い て

に 深 く

える必

ろ う, と て こ こ に 再考す るに至 っ た。 そし て それに は第 一 当 時 中 国人 思想 背 景 えて見る必 要が ある。 (これに は近 頃研究室の戸 田正宏君 (九大 修士) の援助 を も得, 湯 用形著 漢 魏 両 晋 南北朝仏教史 (北京 中華書局 出 版

1955

初版,

1963

2

版) 等に も負 う所 少な くない

 

諸 橋 氏漢 和大辞典 等に よ る も, 無は字 もと无に作 り, “

に 通

” な ど と あっ て, 無は

で 元に

じるの で , 老 荘 家の 好ん で 用い た

く, 老子

に “無名天 地 之始” とあ り, その第四十 章に は “ 天 下 万 物生 於

無 ” .な どとい 。 荘 子に もそ の

庚桑

二 十三に , “ 万物 出乎 無

” とか , “ 以

無有為

首” な どの があり, 全 編を通 じて

無字

を重ん じて い る か くの 如 く老 荘 家は       一

10

(11)

      梵 漢 雑 俎 (干 潟) “

” を

元と し て これ を

重 し て居 り, 従 っ て その

の 道 家に こ の 気風が伝わ っ て来て い た こ と は否めない 。漢代に おい て も “ 無” を重 んず る

傾 向

い てい た であろ う。 そこへ 仏 教 経 典特に は

般若

経類の 入 る に及 ん で , その 思想

向が

る 道 家に

の が あっ た とこ ろか ら, 梵典を訳する に 当っ て , 普通の 漢語で は

わ し に くい 語 があっ た 時, 道 家流の 用 語を借 り る こ とが

な くなか っ た の で あろ う。 即ち

tathata

は “ 実 際” で あり “ 真 実その ま ま” で あ り, “ 事実その ま ま” で あるの で , 道 家の “ 元” に も近 く, そ こ で元 と同意で道 家の

んで い る“

” 字を用い て, 且つ そ れ が “ 本 来そ の ま ま” で る とい う

意味

を も表わ す た め に “ 本” の

を加え, こ こ に

tathata

の 訳

に “ 本

” (又 は “無 本” ) とい う語を

え 出し た の で ろ う。

 

支讖が初め て こ の 訳語を使っ て か ら

法 護 などこれ を踏

し た の で る が,

支讖

の道 行般 若訳 場に 居た

国人は その 後 記 (出 三蔵 記

巻下所 載 )に よ る に, 河南

陽孟 元 士, 南

張 少安, 南 海 子碧 等で

るが, これ ら

国人の思想 系

等に つ い て

を知る こ はで きない に し て も, 此 頃の これ ら

陽以南の 好 学の ± とし て , 道家 の 学に も親 し み を持っ て 居 た こ とは想像に か た くない (前 掲 湯用 形 氏の書 P・ 

69

参照 ,但 し湯 氏般舟 経 記 子碧の 名ある如 く記する も, 現 存同経 記 (出三蔵記集 巻 7 所 収)士 と張少 安の名は 見 え るが 子 碧の名は見 え ない 湯 氏の錯誤か , 大正蔵 経 の誤 脱か不 明)。 恐 らくこれら中 国人の 助 言が

支讖

の訳 語に大 きく影 響 し てい るの で ろ う。

      

 

さて

仏典

で “本 無 ” な どい う道 家

み そ うな

が 出

, 又その空 思

の 如 き頗 る道 家に

け容れ易い 思想が 入

た とこ ろ で,

晋以後老 荘 学 の 発達 を促が し,爾

来道仏

相互 影 響が大 きくなるの で あるが, 湯用

氏の報

る所に従 えば, 老 荘

学系

の 晋の裴 顧の崇

論 に始 め て “ 本無” とい う名辞を用い てい る と い うこ とで る。 か く見来れ ば,

tathata

の 訳 語 として の “ 本無” な る語が出来 た の は,

道家

の 方で “ 無” を尊 重 して い た の に よ るの で ある が , その “ 本無” な る仏教の

道家

で重用せ られ るこ と となっ た こ とが知 られ, 道 仏思想 交

史 上興 昧

の がある。       −

11

(12)

 

なお, 放 光若 若以

後 tathata

を “

” と訳するが, こ れは

漢字

と し て は

大胆

例で あろ う。 か か る 訳語は中 国 人の みで は恐 ら くは出

なか っ た の で は なか ろ うか。 “

” は

詞に 用い る外は 上 に つ 例えぽ “

是 ” , “ 如幻”, 或 は “今” の 如 く, 又 一 下に つ て “突

” , “

如” な どの 如 く用い るが, “

1

字を 以て名 詞に 使 うこ と は あ りそうに ない 。 恐 らく

yatha

tatha

tatha

表 わ すに “如” の

を用い るところか ら 思い つ い た もの で あろ うが,

tathata

な る

詞を

わすに “ 如”

1

字 を 以てする とは

っ た 用 法である。 これは漢

に な じん で い る中 国 人に は で きそ うにない こ とで , 放

般 若を訳 し た 無叉羅が

Khotan

人であ り

した羅

竝 人で あっ た か ら (即ち何 れ も

国 人

, か か る思い きっ た訳 語を作 り

た の で

ろ う。 而 し て こ の “

1

字を以 て

tathata

を表わ す慣 用が 長 く伝 え られて い た か ら, そ こで元 魏 菩提 流 支以後は その

な る

を加えて “

な る

” の意 味で “ 真如” な る訳語を用い る に至 っ たの で

ろ う。 “ 如” とい う名詞が出

て い なか っ た ら “

真如

” な る名詞 も出 来 なか っ たであろ う。 か くし て 出来た “ 真 如” な る名 詞は全 く仏 教 独

るが, 又, “ 如” 或は “真 如” な る独

が出 来た とこ ろ か ら中 国仏 教の

成や名 辞

釈に も一段の進 展 を 見た こ とも

め ない で

ろ う。

tathata

国訳 語の 立史は仏 教の 中 国受 容 歴史を物 語る一 つ の 資 料 ともなる で あ ろ う 。

 

V

 

〔魔

〕 波 旬

に よ る か

 

Mara

〕・

papimant

N

.− man ) 又は 一

papiyas

N

.−

yan

)を 〔

〕一

旬 と

わ し て あるの は現

西晋

の 無叉羅 訳 (

A

D

291

放 光 般若 経 巻

10

正 .皿

P

74

) 及び笠

法護

A

. 

D

308

曜 経 巻

16

(正

IrP

516

う。 伝 支謙 訳の菩 薩本縁経 (正 .

IH

. 

P

. 

61

) に も魔 波 旬とあるも, これ は訳

の 上 か らは

支謙

訳 とは認め られ ない , 両 晋 以後の訳であろ うか ら問 題に な し得ない 。 (さぎに拙著 本生経 類の 思想史的研究 P.106 に おい て は支謙訳 とい の を否定すべ き材 料が ない か ら伝の ま まに し てお くと し たが,再検討の結果支謙訳 とは 認め られない の で こ こ に 訂正する。)大 方 便 仏 報 恩

経巻

5

正 .皿.

P

153

に も天 魔 波 旬とあるが, これ も 現

在伝

で は

後漢代失訳

るが

訳語

か ら

て その 伝は首

ない か らこ こ に は       一

12

(13)

                                          梵 漢 雑 爼 (干 潟) 除 く。 支讖 訳 (

A

D

179

) 道行般 若

5

(正 .岡. 

P

448

)では 弊

とあ り,

謙 訳 (

A

D

223

253

)大 明度 経巻

3

正 .忸 . 

P

491

で は

邪 とあ る。 羅 什訳

 

A

D

408

) 小 品般 若 巻

5

正 .岡. 

P

556

の こ こ に 相 当する箇 処に お い て は

とある。 こ の

弊魔

弊邪

悪魔

は恐 ら く

Mara

papiman

paPiyan

語であろ う。 従 っ て これ ら (羅 什は 別 として )

訳者は “ 波 旬” とい う

使

っ てい ない 。 羅 什は他の 場 合に は , 時に

波 旬とす るこ ともあるが, 小 品般

で は

悪魔

とする。 玄 弉 も大 般

第四

第五 会で は羅 什の訳 例に 従っ て

悪魔

とし て い る。 然し晋以後一般に は魔 波 旬が通倒の よ うで ある。

 

然る に元 魏 菩 提流 支 訳 (

A

D

508

535

仏 語 経 (正 . xvll . 

P

878

で は魔 “

波卑掾

” , 同じ く仏

扇多訳

A

D

539

) の 〔大宝 積 経巻

28

〕 十 法経で は波 旬 と ともに “波卑 椽正 .

M

. 

P

. 

157

て い る。 こ の “

波卑掾

” (又は掾 )は 明かに

Sk

. 

papiyan

音写 。 先 きの 弊 魔は

papiman

又 は

papiyan

れにあて て もよい わ け だ が, “ 波

” の 原 語は何であろ うか 。 波は

pa

の 音 写で あ る が, 旬 (ジュ ン)で は 一

piman

, −

Piyan

の 何れに も当らない 。 そ こ で玄 応以来 音 義 家は梵語で は波俾 掾 (

paPiyan

)で, “ 波 旬” は誤 りだ と して い る (慧 琳 音

10

, 正,

LIV

, 

P

369

, 同巻

12

, 同

P

379

)。 そし て “

は旬 (勹の に 目)の

誤書

で,

は音

懸 (

ケ ン )で, そして

梵本

に は巡

ジ ュ ン

の 音は無い , 伝 誤已に

し” と し て い る。

波旬

りだ とい うこ とはわか るが, 波旬と した とこ ろで

何等

解 決に は な らない ,

papiman

に も

papiyan

に もその 中に ケ ン に相 当す る

は な い か ら。 何れに し て も波 旬は何か の誤 りで あろ う。 然らぼ何の 誤 りか。 こ こに 注

すべ 吉 蔵

549

623

)撰 勝

鬘経

窟巻

(正

XXXVII

P

・ 

57

C

・) に

公云” と して “ 外 国 法仏 在 世及 滅 後, 共 魔 語, 皆 悉 咲之, 為 ‘ 波

面’ , 此云 悪 者且悪 物” 。 とあ る。 (こ こに林公と は恐 ら くは斉の 釈 智林 (408 〜

487

)を指すか。 智 林は梁高 僧伝巻

8

(正.

L

. P.

376

に ,二 諦論  毘曇 蔵心 記, 註十二 門論 中 論 等 を著わ し た と あ るか ら, 吉蔵 よ り約 百三 四十 年前の 人で あ る が, し か し中論十二 門論等に註をし て い る人で あ れば吉蔵 が先 匠と し て敬 意を表 し て いた入であろ う。 唐 高僧伝巻 10に 智琳 (

544

〜 613 )な るも あ り , これは 東 域 伝 統 目録 巻下に 見 ゆる中観論疏五巻を著わ し た琳 法 師で あろ

5

が, こ の人 を指 すと も思わ れ ない で もないが, しか しこれは林で は な く琳で ある か 一 13 一

(14)

ら, 同じ中論学の先 匠で も吉蔵の 云 う林 公で は ない で あろ う。) こ の “

波卑

面” とい うの が

仏典 中るか小 生に は まだ探 し出せない が, し か し

papirnan

写とすれ ば極め て

切で り, し か も中 国に訳す る最初か ら

して “

面” と した こ とも

りそ うなこ る (か か る略し方は中 国 人の

ん でや る とこ ろ で るか ら)。 そ して そ の “ 面” が早 く

に (面の 行書か ら)誤 写されて “ 旬” と な っ たて い た もの で あろ う 但しその誤 写が い つ 頃か ら始まっ た か は全 く知 る由 もない 。 た だ

家 (

応, 慧 琳等 )が気 付い た時に は, 既に 久しき前か ら

誤伝

さ れて い た の だ とこ とが わか る の である。 か くの如 く “ 波

” は

papi

− man の

” が略さ れて “波 面” と な り, その “ 面” が誤 写さ れて “旬” とな り, か くて “ 波

” とな っ た もの であろ う 。

 

現 存聖 典か ら見るに,

pali

で は

どの

合 PaPimant

Sk

. 

N

.−man , 

Pali

N

・−ma

原語

し て い て, 

papiyas

Pali

 

papiyo

)の 形の

は, 

Mara

と共に

られる場 合は, ない とい っ て よい 。 然る に現存

Sk

.の 方は殆 ど

paPiyas

N

. ・

yan

訳された早 き

時代

の 仏

多 く

混合

Sk

.で , 従っ て

Prk

単 語 も

た で , 早 き

時代

の漢訳の

原典

で は

pa

pimant

形 も

使

われてい た で あろ う。 (上述の 如 く支讖, 支 謙, 羅什等のた だ弊魔 弊邪, 悪魔と し てい るのは どち らで あっ た か は不 明で ある 。)従っ てそ れ を音 写 する時, “

波卑

面” とす るこ とは極め て あ り

。 而し て 一 旦 訳語が

まれ ば その

は (た とい そ れ が 正訳で はない と知れて い て も)そ れ を踏

する も の で ある。 波 面が

旬と誤伝 された の も

時 頃か らか は わ か らない が,

波旬

とい の が伝 え られ れ ば, その

の人はそ れをその ま ま

襲 した もの で あろ う。 そ れで元

魏 菩

提 流 支が 正 訳 を な した

に もや は り一般に は波

とい うの が

け られた もの と思 わ れ る。 伝 統 とい うもの は

々 かか るこ とがある もの である。 (

1964

5

18

14

参照

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