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大学で学ぶことの意味を考える

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Academic year: 2021

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はじめに

 2001 年度から「立教科目」の1つと して始まった「大学とミッション」を 担当することになり、当初私の頭に浮 かんだことは、一時話題になった立花 隆氏の「知的亡国論」などに提起され ていた問題だった。つまりそれは、日 本の高等教育のシステムが崩壊現象を 起こしており、単に「学力低下」とい うだけの問題ではなく、現代における 知性のあり方が根本的に問われている、

という指摘である。確かに現今の大学 教育において、ますます切実に求めら れていることは、学生が「学び方」を 学ぶという課題である。立教大学がま さに「全カリ」として新しい教養教育(リ ベラル・アーツ)に挑戦しようとする 意図も、おそらくその辺りにあるので はないかと私なりに推測した。しかし 仮にこのような問題意識を共有できた としても、果たしてそれをどこまで具 体化できるのか、私には至難の業のよ うに思われた。

 ただ私の念頭には、幾つか受講生に 期待するところもあった。それは、(1)

学生に一定の知識を提供することをこ えて、何らかの形で「学ぶ」ことの動 機づけに関わるような点に可能な限り 触れてみたい。(2)大学の成立や変遷 をキリスト教との関わりから考えるこ とによって、その結節点を通して改め て「学ぶこと」の意味を自覚的に捉え 直して欲しいこと。(3)立教大学とい う場で「学んでいる」ことの意味を、

在学中に改めて考えてもらう。これら

のことが、受講する学生に対する私の 密かな願いというべきものであった。

授業の概要

 授業の基本的なテーマの流れは以下 のとおりである。

1. 学ぶことについて:知ることと考 えることの意味

2. 経験と学び:知覚の転換を中心に 3. 西欧社会における教育の源流につ

いて:キリスト教との関わりにお いて

4. 大 学 成 立 以 前 の 教 育: 古 典 ギ リ シャ・ラテン的教育の意味とその 継承

5. 西欧における大学の出現:その成 立の背景

6. 大学の展開:その内容と特質 7. 大学の変質:国家と教育とのかか

わり

8. 大学と近代世界:近代科学の影響 と「世俗化」をめぐって

9. 大学の新たな局面:専門化時代の 到来

10. 近代日本と大学:立教大学の歴史 的背景

11. 課題としての大学教育:求められ ている知性とは何か

 

 導入部では、主として<学ぶとは何 か>をめぐって、学びの技法や知るこ とと考えることの意味を様々な側面か ら考えた。それは、学習者の段階から 学問をする主体となることへの導入教

大学で学ぶことの意味を考える

~大学とキリスト教との関わりをたずねて~

中村 邦介 授業探訪 立教科目 「大学とミッション」(大学)

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育である。

  前 半 部 で は 、 西 欧 社 会 に おける 教 育( 文化 ) の 源 流として、特 に大きく 二つ の 流 れ ~ ギリシャ・ラ テン 的 な 教 育とヘブライ・キリスト教 の 伝 統と を 対 比し な がら、 そ れ らが人 文 教 育

(Humanistic-Technical Education)」と

「導入教育(Inducting Education)、あ るいは学知(Scientia)と英知(Sapientia)

として追求されてきたことを探 求した。

キリスト教と教育とのかかわりについて 言えば、ローマ帝国のコンスタンティ ヌス大帝によるキリスト教の公認以降、

社会的にキリスト教が教育に深く関与 することになり、ギリシャ・ラテン的 な文化の継承者としての役割を担った 事情を辿った。その結果、キリスト教 は「伝統(歴史)「文化(現在的経験)

「個人」「共同体(社会)」の四つの視座 の中で、人間形成のための座標軸の構 築に向かうことになる。  

  次 は、 大 学 の 成 立 以 前 を ふ り か え り、古典ギリシャ・ラテン的な教養(リ ベラルアーツ)の継承者として、三学

(Trivium) 四 科(Quadrivium) の 自 由 七科の伝統が修道院や大聖堂付属教育 機関を通して教えられ、広く西欧中世 の世界に伝えられ保持された歴史を学 んだ。自由学芸七科の目的は、理解(発 見)・解釈・表現を土台として、どのよ うな問題についても、問題を見たて筋 道を明らかにして判断し、発信できる 点にあったことに注目した。更に「大 学」の歴史をテーマにして、大学の成 立の背景、特に革新時代と言われる 12 世紀の時代背景の中から、自由な自発 的な結社としての大学の誕生が起こっ たことを探求した。大学の成立につい て、 キ リ ス ト 教 に よ る 影 響 を 考 え れ ば、大学の専門科目としての神学・法 学・医学を中心にして、たとえば個人 の心理(意向や動機)への関心やイス ラム文化の西欧世界への導來という新

たな知的な状況にも及んでいる。ここ から西欧社会に出現した大学の内容や 特質を扱い、その誕生は「建築物」と してではなく、何よりも「都市」に集 まった外来者による自由な自発的結社

(Universitus、Collegium)であったこ とを学んだ。さらにその特質は、ボロー ニャやパリ大学に見られるように極め て全ヨーロッパ的な大学として、今日 的な表現で言えばラテン語を公用語と したグローバルな性格を有していたこ とを追認した。またそのようなことを 可能にした当時の普遍的な権威として ローマ教皇の存在を捉える。

 後半部では、ルネサンスとリフォメー ション(宗教改革)という全ヨーロッ パに波及する革新的運動に触れながら、

やがて人間の自律的な文化を基盤にし た近代の大学が形成されていくこと、

また国家的な原理が大学に大きな力を 及ぼすことになる事態を考えた。また 17 世紀の近代科学の誕生は科学への強 い関心を引き起こし、学術協会という 大学の外からの知的協働体が大学に影 響を与えていくという興味深い経緯を 辿った。やがてそこから西欧社会が直 面する「世俗化」という大きな歴史的 現象は大学に如何なる影響を及ぼした のか、またそれは人間の認知構造にど のような変化をもたらしたのかを検討 した。続く 18 世紀の近代産業革命は人々 のライフ・スタイルを激変させ、そし て社会は建築士、会計士、技術者など の新しい職種(専門家)を必要とする ようになった。それゆえこのような専 門化時代の到来によって大学は、新た な専門家を要請すべく新しい大学の創 設に向かった。とくに英国の大学の例 を取り上げて、新制大学の新しい局面 を学びつつ、このような専門化を支え、

補完していく教育システムについて考 えた。

 最後は、近代日本の大学の誕生を振

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り返り、立教大学について日本の大学 教育の目指したものとの関連において、

その成立の背景や教育の特質を考察し た。また「大学とミッション」という テーマに立ち戻り、特にミッションの 意味を考え、大学で学ぶことの意味は 課題の中で学ぶことであり、それは絶 えず自己相対化に根ざしながら普遍的 な真理を追究することであることを確 認する。そして人間中心主義の認知構 造を脱却するような、いわば「逆遠近 法(Outside-in)」が、様々な分野で新 たな知性として求められていることを 学んだ。

授業の実際

 「大学とミッション」は、タイトルか ら明らかなように建学の精神や理念に 基づく大学教育をテーマにしているが、

予想以上に漠然として焦点が絞りにく い科目であった。実際に授業を担当し てみると、担当者も受講者の側もそれ ぞれこの科目に対する様々なイメージ があって、それらがときに認知的不協 和音を起こしやすく、そのために度々 軌道修正を行いながら授業を続けざる を得なかった。特に受講生の多くはキ リスト教について一定の知識をすでに 得ている人々ではないので、できるだ けキリスト教についての前理解なしに も分かるような授業の展開に配慮した。

そのためかキリスト教そのものに強い 関心を持って受講してきた学生にはも の足りなさを残したかもしれない。ま た非常に大きなテーマを毎回のように 掲げて提示したために、果たして学生 はそれらを理解できたのか、また内容 的に首尾一貫して授業が展開できたの かについては、大いに悩んできた(今 もそうである)

 ただ毎回授業の最後に受講生から 「 リ アクション・ペーパー 」 を提出してもら

い、それに基づいて講義を展開できた ことは幸いであった。学生がどこで大 きな誤解をしているかは勿論のこと、

学生の疑問点や見解について非常に明 確に知ることができた。当初受講生と 直接対話しながら授業行おうとしたが、

現状ではやはりそのようなやり方に彼 らは不慣れなためにうまくいかなかっ た。しかし 「 リアクション・ペーパー 」 の方法は、大勢の人の前で発言すると いう心理的な負担が軽減されるのか、

受講生は非常に熱心に応答してくれた。

少なくとも授業の始め 15 分~ 30 分位 は、これらの受講生の疑問点や意見を 紹介しながら、それらに対する私のコ メントを述べた。これらの作業は、授 業の付け足しなどではなく、授業の内 容を一層膨らませて深化させ、時には 修正させるものである事を毎回痛感さ せられた。

全カリについて

 私の見当違いであればお許し頂きた い事であるが、現在の体制において学 生は自分の関心に基づいて全カリの授 業を選択しているとすれば、そこから 更に履修上踏み込んだガイドラインを 設ける必要はないだろうか。要するに、

全カリのカリキュラム全体を立教大学 が構想するリベラル・アーツの目的に 即して編成し、受講生にある程度定め られたカリキュラムに基づいて学んで いけるような体制を設定することであ る。たとえば最近の 「 生物学 」 などに 見られるような科学的見識に接するこ とは、現代を生きるすべての知性にとっ て基本的なものとなるだろう。特に原 理的な思考を鍛えていく教養的思考を 習得しておくことが重要である。その ためにも全カリは、現代の教養教育と は何かを先取して、カリキュラム上の 工夫を積極的に構築して頂きたいと期

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待している。

なかむら くにすけ

(本学兼任講師)

参照

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