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銀行経営のコーポレー ト・ガバナンス 史的考察

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(1)

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンス 史的考察 (Ⅰ)

長 島 常 光

は じめに

銀行経営の コーポ レー ト ・ガバナ ンスの史的考察Iでは,明治時代 におけ る銀行経営のガバナ ンスが歴史的発展途上で どの ような役割 ・動 きを演 じた かについて,各種の計数 を利用 してその意義 を探 った。その結論 として,明 治期の銀行経営 には現在の コーポ レー ト ・ガバナ ンス (企業統治)が所有 と 経営の分離 に基づ くコーポ レー ト ・ガバナ ンスの一般原則 としている株主の 利益極大化や取締役 ・社員 ならびに顧客 ・政府 な どの利害関係重視 に資す る 枠組み ・考 え方 とは

,

「所有 と経営の分離」 の部分 を除 き,か な り類似す る 形で存在 していたことが究明で きた。 また明治初期,わが国は先進欧米資本 主義諸国の外圧か ら早急 に国力増進,国内の文明開化 ,いわゆる富国強兵, 殖産興業の国策推進 に最 も緊急かつ必要不可欠 なる財政 ・金融の近代化 を計

った。そのために, まず銀行条例 を策定 して喫緊 に西洋式 の銀行設立 を企 図 した。つ ま り銀行の概念 ・知識か ら資金の調達 ・運用方法 まで を西洋か ら輸 入 し,速やかに一般国民への 「銀行」 とい う概念の普及 と金融の疎通 に傾注 した。す なわち,貨幣制度 な らびに信用制度の確立 を諮 ったのである。 この 段階では銀行経営の コーポ レー ト ・ガバナ ンスは,政府 ・官の主導お よび強 147

(2)

力な保護・奨励に基づくものであったといえる。

政府の紙幣・免換紙幣政策や銀本位制から金本位制への転換などの諸貨幣 制度の変更に伴い,銀行の組織形態も当初の為替会社から国立銀行,銀行類 似会社,私立銀行と次々に多様化し,近代化路線を導入しつつ,

I

銀行」は 盛衰・転換を遂げながら発展してきた過程が認められた。「この時期は政府 の財政金融政策と銀行経営のコーポレート・ガパナンスが協力しながら,

「金融システム j は政府から銀行へそして銀行から企業‑一般社会へと相互 に依存 ・利用・補完の関係のもとで進捗してきたものと認められたj。

ここでは,引き続き大正初期から昭和恐慌前に至るまでの銀行経営のガパ ナンスには,どの様な変化があったのか,当時の主要な日本金融史に依拠 しながら主題に沿って考察する。まず 本論文の構成は次の2つの歴史的枠 組みをもって取り組んでいくこととする。

I 銀行の飛躍的発展期(第一次大戦の戦中戦後) E 銀行の危機(大正の恐慌と関東大震災)

I 銀行の飛躍的発展期 第 l章 銀 行 の 環 境 変 化

第 l節 銀 行 界 の 変 化 第2節 金融の繁忙と大反動 第

3

節 金融恐慌と銀行合併 第2章 銀 行 の 発 展

第l節 金 融 市 場 の 変 遷

2

節 銀行の整理合同と資力の充実 第3節 第一次大戦後の銀行業態の変化 第

3

1 9 2 0  

(大正

9

)年の大恐慌と銀行

第 l節 銀 行 業 態 の 悪 化 第2節 銀 行 法 の 改 廃 ・ 創 設 148  国際経営論 集 No.24  2

(3)

4

1 9 2 3

(大正

1 2 )

年の関東大震災 と銀行界 第 1節 震災 と金融の救済策

2

節 震災時の財閥銀行の状況 第

5

章 銀行 の整備改善 と金融政策

1

節 銀行の整備改善 第

2

節 金融政策の強化 第

3

節 金融法規の根本的改正

第1章 銀行の環境変化

問題の所在

1. 日本金融史か ら主要点 を見 ると,わが国の銀行制度 は明治の時代 を通 し て,特 にその後半期 に,普通銀行,特殊銀行 ・貯蓄銀行 ともに一応の機構 を 整備 し,形式的体制 も整理 された

。1 8 9 7

(明治

3 0 )

年 に, 日清戦争の戦勝国 としての賠償金 を発券準備 として,懸案の金本位制の実現 を図 り,その後, 日露戦争 にも大勝 し,戦後の 日本経済はさらに発展 を遂げた。銀行界 も資本 力 を増強 し,銀行業務の拡充 も順調 に進展 した。

しか し,この 「日露大戦の背景は,戟費調達 としての外債

1 0

億円余 をあて にしての散財であ り,経済内容 は空疎貧弱な状況,特 に政府 ・日銀の各保有 に係 る正貨は日露戦争直後 に合わせて

4

7 9 0 0

万円であった ものが,第一次

3) 大戟前

( 1 9 1 3

年)には

3

7 6 0 0

万円に減少するとい う心細 さであった」。 こ の ような状況下, ようや く経済 も緊縮の様相 を示 し,この正貨補充問題 は, 党換準備の枯渇 をともなう金本位制維持の困難 を恐れて,大問題化 して きた。

この頃はわが国の命運はいかにとの暗い気持 ちと不安が社会 を支配 していた ともいえる。

しか し,図 らず も

1 9 1 4

年のボスニアでのオース トリアの皇太子狙撃事件が あ り,それが引 き金 とな り第一次大戦へ とい う大事変勃発 の契機 となった。

銀行経営の コーポ レー ト ・ガバ ナ ンス史的考察 (Ⅱ) 149

(4)

「こうして,大事件の経済的影響 によりわが国の経済界 は膨張発展 し,数年 来の正貨補充問題 も自然消滅 した。そればか りか,一躍 して,いわゆる成金 国になった。それはまた同時 にわが国経済界の盛衰が,外国貿易の振替 えに 4) ともなって緊密 に左右 されるという因果関係 を如実 に証明 したのであった」。

2.

前後

4

年余 の好景気 も,「大正デモクラシイの風潮 に乗 じて社会的には 労働争議が続出する傾向を示 し

,1 91 9

(大正

8)

1 2

月に労資協調会が設立 された。前後

4

か年余 にわたった第一次大戦が

1 91 8

(大正

7

)年

1

1月に終 り をつげて以来,翌々年の

1 9 2 0

(大正

9

)年

3

月,経済界全般 にわた り大反動 をきた し,ほ とんど未曾有の恐慌状態 に陥 り,それをそれを転機 として自ず か ら各方面 において整理 を続行す るようになった」。かかる折 りに,関東一 円にわたって空前の大震災が突発 した。 この大災厄 をさらに一転機 として局 面 は一層不 良化 し,経済界 の整理 は否応 もな く一段 と進捗 した。 しか し,

「財界の整理」 は難航 し,進捗せず に不安 と動揺の中で

,1 9 2 6

(大正

1 5)

1 2

月,大正天皇の大喪があ り,昭和年代 に入 り,混乱の うちに翌昭和

2

3

‑ 4月にわたって,わが国空前の金融大恐慌 を惹起 した。

3.

「この

1 91 2‑1 9 2 6

(大正元

〜1 5 )

年の間を概観す ると,前半は膨張発展 期,第一次大戟後のつかのまの繁栄

,1 9 2 0

(大正

9

)年

3

月の大反動 を転機

5

)

として,後半期 は反動整理期」 といえる。以上か らこの時代 の銀行経営 に関 係する特徴的な出来事 をあげれば①大戟の勃発,②大戦 を契機 にわが国経済 は膨張発展 し成金国 となった反面労働争議 などの社会問題が続出 したこと,

③終戦後,大反動が起 こ り恐慌状態に陥ったこと,④ その時期 に関東大震災 が突発 したこと,⑤銀行 も整理統合が進め られたこと,な どがあげ られる。

このような金融界 を取 り巻 く環境の変化が銀行経営 に係 るガバ ンスにどの よ うな影響 を与 えたのであろうか。 ここに焦点 をあてて考察 してい く。

第 1節 銀行界の変化

日本銀行金融年表 によると, 日本銀行 は主 に金融への警戒感か ら

1 91

1 (明 150 国際経営論集 No.24 2002

(5)

治44)年に公定歩合(この場合,商業手形割引歩合で日歩を指す)を 1銭

3

厘から1銭5厘に引上げ後,翌1912(大正元)年2月にl厘, 10月にl厘上

げl銭7厘と し,さらに翌日月にはl厘上げの1銭8厘,ついで1915(大正 3 )年7月にさらに2厘上げの2銭と連続的に利上げを続行した。その後,

第一次大戦の開戦直後の経済界は見通し困難な状況から 一般銀行は容易に は手を緩められない状勢が続いたが, 1914~ 15年頃から貿易 ・海運の状況が 好転し,19日年春頃から金融緩慢の兆しが確実化するまでに安定してきた。

特にこの時期の金融界の様相について,く表1 > を考察すると,①1913~

1914年は入超であったが この頃より一転して外資資本輸出国へと変化して いる,②第一次大戦中の空前絶後の好景気はこの大出超が基礎となっている こと, ③わが国の銀行及び金融市場が一朝にして大飛躍を遂げ,内外に積極 的な進展を見せたのもこの大出超への金融活動が中心となっていたことがわ かる。第一次大戦勃発以後のわが貿易上及び貿易外収支勘定は次のとおりで ある。

表1 商品貿易および貿易外収支勘定 (単位:百万円)

年次 商 口口 貿 易 外

(大正) 輸 出 輸 入 出超

( x

入超) 収 入 支 出 入 超

( x

出超) 1913 (2)  632.5  729.4 

96.9  148.7  159.2 

10.5  1914 (3)  591.1  595.7 

4.6  146.5  150.3 

3.8  1915  (4)  708.3  532.4  175.9  226.0  154.1  71.9  1916 (5)  1,127.5  756.4  371.1  460.0  174.9  285.1  1617 (6)  1,603.0  1,035.8  567.2  675.0  219.0  455.9  1918 (7)  1,962.1 1,668.1 294.0  894.6  319.0  575.6  1919 (8)  2,098.9  2,173.5 

74.6  915.0  410.6  504.4  1920  (9)  1,948.4  2,336.2 

387.8  761.1  443.7  317.4  (資料出所)鵜野久吾 日本金融発達史上巌松堂書庖,19254 292

以上の局面緩和を受けて,

I

東京をはじめ6大都市の組合銀行は流動性預 金や定期預金の金利を引き下げるなど金利は軟化傾向となった。銀行でも,

銀行経営のコーポレート ・ガパナンス史的考察 (II) 151 

(6)

貸出金利 を引 き下げるものが続出 し,時々競争傾向に走 る状勢 も見 えたので, 大阪側の提議 により,東西一流銀行 による貸出利率 に関す る名 目的な協定が 締結 された。戦争景気の上昇か ら金融 はようや く繁忙 にな り,金利 も高騰傾 向をたどって きた事情か ら, 自ずか ら貸出利率協定 は無意味化 して,東西協

9) 議の上,これを撤廃 して しまった」。

第2節 金融の繁忙 と大反動

1

金融の繁忙

その後,景気が上昇 して産業界の資金需要は旺盛 とな り,預貸金利の上昇 傾 向 も著 しくなった<表2参照>。銀行界 も自ず と資金の拡充の必要性か ら 預金金利引上げを行 うなど預金獲得競争が激 しくなった。米国は

,1 9 1 7

9

7

日に,金本位制 を停止,同

1 0

日か ら実施すると発表 した。 これ より

1

日 前の同年 (大正6年) 9月 6日に, 日本政府は銀貨幣 または銀地金の輸出禁 止 を決定 し,同12日には金貨幣 または金地金の輸 出禁止 を決定 したことは,

この時期の重要な問題点である。特 に金輸出禁止は後年わが国経済界の盛衰 にきわめて重大な影響 を及ぼ した もので,実に国家的大問題であったにもか かわ らず,当時は比較的に軽々 しく実施 されたようで,社会 も余 り問題視 し ていなかった。なぜ な らば,それぞれに相当の理 由があったか らといえる。

まず 「①銀輸出禁止 は世界的な銀相場の暴騰 に伴 う,地金の市価がわが国補 助貨の鋳潰点 を上回る状勢 になったため,鋳潰輸出を防止するために,これ を禁止 したのであった。(参わが国の銀輸出禁止令の大蔵省令の施行 された丁 度その翌 日の7日米国は,金本位制 を停止,同10日か ら実施すると発表 した。

これを受け止めて,わが国の通貨制度の安定 を期す ことと,通貨政策の重要 10) 性か ら,またわが国の正貨問題の沿革か ら見てやむをえなかったといえる」。

2 大反動‑ 投機思惑 と戟後恐慌の始 ま り‑

1 9 1 8

(大正

7)

1

1月に連合国 と ドイツの休戦協定が成立 し, ここに第1 152 国際経営論集 No.24 2002

(7)

2 東京の銀行預貸金金利推移

貸付金 (日歩)銭 当座預金 (日歩)銭 定期預金 (年利)分 年 次 最高 最低 平均 最高 最低 平均 1年 6カ月3カ月 1917(大正6) 3.29 0.90 2.02 1.50 0.30 0.56 4.66 4.45 4.24 1918(大正 7) 3.30 1.10 2.04 1.65 0.40 0.69 5.31 5.12 4.96 1919(大正8) 3.50 1.10 2.21 2.10 0.50 0.86 5.85 5.59 5.45 1920(大正9) 3.60 1.50 2.77 2.40 0.50 1.02 6.68 6.47 6.26 1921(大正10) 3.61 0.44 2.70 2.40 0.40 0.79 6.07 5.99 5.89 1922(大正11) 4.30 0.27 2.67 2.40 0.40 0.69 6.21 6.16 6.13 1923(大正12) 3.56 1.30 2.66 1.30 0.40 0.69 6.40 6.37 6.36 1924(大正13) 3.33 1.63 2.67 1.30 0.60 0.69 6.41 6.37 6.30 1925(大正14) 3.40 1.50 2.62 1.30 0.60 0.69 6.40 6.37 6.34 1926(昭和 1) 3.60 1.37 2.59 1.40 0.60 0.68 6.41 6.37 6.35 1927(昭和2) 3.40 1.20 2.55 1.40 0.30 0.57 5.92 5.89 6.01 1928(昭和3) 3.30 1.60 2.41 1.20 0.30 0.48 5.57 5.57 ‑ 1929(昭和4) 3.00 1.30 2.29 0.60 0.20 0.38 4.94 4.94 ‑ 1930(昭和5) 3.30 1.30 2.29 0.50 0.20 0.36 4.84 4.84 ‑ (出所)後藤新‑ r日本の金融統計j(金融経済研修所叢書別冊)1970年7月,273頁O

次世界大戦が終 わった。その後,大戦終結 によ り株式 ・綿糸相場 に暴落が現 れ,翌19年3月頃 まで銅 ・鉄 ・染料 ・用船料 な どの暴落が続 いた。1919年5 月,大戟後のパ リ講和 会議 において赤道以北の旧 ドイツ領諸 島 を 日本 の委任 統治 とす ることが決定 された。同年6月米 国は,対 ロシアを除 く金輸 出解禁

を発表 (

6

月10日実施 ,金本位制復帰) した。

この頃,わが国では生糸 ・綿糸 ・株式相場が高騰 し, これ に伴 い繭 を生産 1い す る農村地区の土地暴騰 も加 わ り熱狂 的な好景気 の様相 を示 しは じめた。好 況 はその後 も持続,財界 の投機思惑熟 を煽 り,物価 は異常 に暴騰 していった。

この時期 (1919年8‑10月)の銀行界 に対 し,大蔵省 は地方長官 に対 して, 投機 に関係す る銀行貸 出 を取 り締 まる よう要請 している。 これ を受 けて同年 10月 日本銀行 は,取引銀行 の営業ぶ りに注意す る よう営業局 ・支店 に内達 し てい る。これ以後 の 日銀 は金融界 に対 して投機抑制 を何度 もお こなってい る。

銀行経営 の コーポ レー ト ・ガバ ナ ンス史的考察 (Ⅱ) 153

(8)

日本金融年表による日銀の投機抑制への金融界への協力要請を時系列にみる と,次のとおりである。昭和末期の土地・株への投機熱とこの時代の様相が かなり類似しているのに驚かされる。

1 9 1 9  

(大正

8)

1 1

2 2

:日銀総裁,日銀本庖に東京側シンジケート銀 行

1 2

行を招集して投機抑制懇談会を開催

( 2 5

日,大阪支庖で大阪側も 開催)

1 9 1 9  

(大正

8)

1 2

3

日:日銀総裁,銀行業者大会で演説し投機抑制 に関し協力を要請

1 9 2 0  

(大正

9

)年

1

2 7

日:日銀総裁,東京交換所で演説し,経済の前 途に警告を発するとともに 金融界に対し投機抑制へいっそうの協 力を要請

しかし,この異常なバブル景気も遂に反動がきた。

1 9 2 0

(大正

9

)年

3

1 5

日,まず株式市場から株価暴落が始まり,翌日日から

2

日間立会を停止し た。同 4月には商品市場に大暴落が起こり,これを契機として,戦後はじめ

表3 全国普通銀行収支勘定(単位:百万円)および配当率

年次(大正) 収入 支出 差益 対株主勘定利益年率 配当金 配 当 年 率 %

1 9 1 4   ( 3 )

上期

9 8   7 8   2 0   7 6 . 0 %   1 4   7 0 . 0  

下期

1 0 1   8 1   2 0   7 5 . 0   1 5   7 5 . 0   1 9 1 6   ( 5 )

上期

9 4   7 5   1 9   7 7 . 0   1 3   6 8

.4  下期

1 1 1   8 6   2 5   9 8 . 0   1 4   5 6 . 0   1 9 1 8  

(7)上期

1 7 6   1 4 0   3 6   1 1 6 . 0   1 8   5 0 . 0  

下期

2 1 7   1 7 7   4 0   1 2 0 . 0   2 0   5 0 . 0   1 9 1 9   ( 8 )

上期

2 5 8   2 1 0   4 8   1 3 4 . 0   3 3   6 8 . 4  

下期

3 5 2   2 7 3   7 9   1 7 7 . 0   2 8   3 5

.4 

1 9 2 0   ( 9 )

上期

4 7 5   3 6 5   1 1 0   1 9

1.

0  3 9   3 5 . 5  

下期

4 6 7   3 7 5   9 2   1 4 9 . 0   4 3   4 6 . 7   1 9 2 1  

(1

0 )

上期

4 3 1   3 5 2   7 9   1 2 2 . 0   4 4   5 5 . 7  

下期

4 5 0   3 6 1   8 9   1 2 9 . 0   4 8   5 3 . 9  

(資料出所)鵜野久吾『日本金融発達史上巌松堂書庖.

1 9 2 5

4

月.324~

5

頁。

1 5 4  

国際経営論集

N O . 2 4   2 ∞ 2 

(9)

ての本格的恐慌が始 まった といえる。同

4

7

日に増 田ビルブローカー銀行 が破綻 し,株価 は再び暴落 (東西市場は

4

7‑1 2

日間立会休止) した

。 4

1 4

日,株式市場 は相場一段 と険悪化, またも立会 を停止 (

5

9

日まで仝

12) 国株式取引所休会) した。

3

節 金融恐慌 と銀行合併

一方,銀行界で も株価暴落 ・立会休止 などの影響 を受けて,同

4

1 2

日川 崎銀行王子支店 に小取付 けが発生 (この後

6

月までに栃木 ・徳島 ・広島 ・神 奈川など各地で休業 ・取付 け銀行が続出) し,全国手形交換所連合会は, こ の取付 け防止策 として

,

「銀行の合併」 を促進す るため銀行条例 を改正す る

13)

よう大蔵大臣に建議することを決定 した。三井銀行

8 0

年史 によると 「政府 と 日本銀行当局は,積極的な救済策 にの り出 し,取付 けによる破 たん銀行 に対 して,特別融資措置 による救済 を行 う一方,金づ ま りの一因 となっていた為 替銀行 (特 に台湾 ・朝鮮両銀行)のコール吸収 を停止 させ,これに代 る資金 を供給 し,主要産業 と株式市場 に対 しては,取引銀行の融資団を通 じて救済 資金 を放出 した。 こうして

,1 9 2 0

(大正

9)

年上期の後半は,救済融資 に明 け暮れたが, この恐慌 も政府 ・日本銀行 ・市 中銀行 の積極的援助 によって,

14) 同年下期 には鎮静 し,その後景気 は低迷 を続けた」 とある。

また

,

「わが国で,銀行の増資 ・合併が進展 し始めたのは

,1 91 7

(大正

6)

年ごろか らであった。戦後か ら

1 9 2 0

(大正

9

)年 ごろまでは,産業規模 の拡 大 を反映する銀行増資が多 く行われ,戟後反動恐慌 を境 として

1 9 2 0

年以降は

1

5)

合併が大半 を占めた 0

1 9 2 0

年以降の銀行の整理合併 については第

5

章第

3

節で詳 しく考察する。

上記大反動の数字的な説明 としては,表

1

で明 らかな通 り

,1 91 9

(大正

8)

年下期の資金需要に伴 う金融逼迫 と,貿易上の入超 による資金の海外流失で 貿易外の受取勘定は

1 9 20

(大正

9

)年 に

,31 7

百万円の入超 (受取超)を残 し てはいるが,同年の貿易入超額

3 87

百万円を差引 くと

,7 0

百万円の支払超過

銀行経営の コーポ レー ト ・ガバ ナ ンス史的考察 (Ⅱ) 155

(10)

4

大反動時の正貨現在高 (単位 :百万円)

午(大正)月末 所 有 別 所 在 別 合 計 政 府 日本銀行 内 地 海 外

1914 (3) 3 74 289 128 235 363 1919 (8) 6 955 731 443 1,243 1,686 同 12 1,051 1,006 702 1,355 2,057 1920 (9) 1 1,027 987 694 1,320 2,014 同 2 951 972 617 1,306 1,923 同 3 915 956 684 1,187 1,871 同 4 910 950 680 1,180 1,860

(資料 出所)鵜野久吾 r日本金融発達史

]

(巌松堂書店,1925年), 344頁。後藤新一 r日本の金融統計 (金融経済研究所叢書 別冊)

j

(19707月),24頁。

とな り,上記表 4の とお り政府 ・日銀の正貨保有額は漸次減少 していった。

以下は,銀行の コーポ レー ト・ガバ ンスの観点か ら見て特筆すべ き財閥大 手銀行の増資 (自己資本充実)について触れてお きたい。当時の三井銀行 は, 株式の一部 を公開するとい う従来外部か らの資本参加 を認めずにきた方針 を 画期的に改革 しようとしていた。すなわち 「銀行 とい うものが単なる三井家 の所有物 になって居 るのがいかん,又三井家が銀行 を所有 し,全責任 をもつ ことが,三井家の利益で もない」 とい う池田成彬常務の意見が出て,社長お よび三井合名首脳部の同意 によって実現 をみたのであった。 この時,池田常 務 は,増資理由の 1つ として 「従来三井銀行 は三井‑家並 に其縁故者の株式 会社 な りLが,社会の進運 に伴 ひ且つ欧州先進国の銀行組織変遷の例 に倣い, 今 回其株式の一部 を公募 し,以て社会公衆 と提携協力 し,事業 を堅実 に し,

16) 其基礎 を堅固に し,益 々斯業の発達 を期せんとするに在 り」 としている。 こ の株式公開によって,三井銀行 は 「従来は株式会社 と称す と錐 も尚個人会社 の範噂 を脱す るに至 らざ りLが,今や株式会社の本質たる公衆会社の体様

156 国際経営論集 No.24 2002

(11)

17) へ一歩進め

,

「当行業務発展上 に‑新紀元 を画するに至 った」 としている。

<本章のコメン ト>

1 本稿 のテーマである 「銀行経営の コーポ レー ト・ガバ ンスの史的考察

の観点か らみて,上述の三井銀行の資本金増資 に当た り,一部 とはいえ公募 形式 を採用 したことはわが国銀行業 にとって初の西欧流の株式会社,すなわ ち透明性 のある開かれた経営 を目指 し, また不完全 なが らも 「所有 と経営

の分離 を目指す画期的なものであった といえる。拙稿の史的考察 Ⅰの 1本章 のコメン トにおいて,明治のころは,会社の経営者 ・株主お よび銀行 を律す る枠組み も未発達の状況 にあったこと。 またこの時代 の 「銀行の企業統治

には,所有 と経営の一致がみ られる。 したがって,経営者 ・株主間の利害衝 突は生 じえず,株主重視 ‑経営重視 ‑企業重視の企業統治が行われていた も の と述べ た。それは現代 の企業統治の主要概念である 「株主価値の極大化

を最重視する考 え方 に相通ずる。 この点に企業統治の原点 を見出だせ る。旨 のコメン トをしたが,この時代では 「企業統治の概念」はさらに一歩進 んで, 個人会社か ら正 しく株主主権の在する本来の株式会社 を指向する時期 にきて いたといえる。

2

当時の

5

大銀行 と全国普通銀行の株主 に対す る配当年率 は現在の銀行 と 比較すると,当時は現在の約数倍の配当率の実績であったことが判 る。 これ は一体何 を意味するのだろうか。それは,①株主の投資 に対す る妥当な報酬 と考 えるべ きなのか。(∋一般株主は多数いて も,経営‑の発言権 はない。 し か し,個別大株主は経営 を手中に握 っている,果た して誰が配当への発言権 を強 く握 っていたのか。③一般株主 も含めて株主の総意 として配当をかな り 高 くとい う主張が強かった。のいずれかであるが,次表か ら推察で きること は,

5

大銀行 よりも規模の小 さい普通銀行の方が一部の特殊 な時期 を除 くと

1 9 1 4‑1 9 2 5

年の

1 2

年間において,

5

大銀行のそれよ りもかな りの高配当を実 施 していたことがわかる。 この時期の問題点 として指摘で きるのは,当時の

銀行経営の コーポ レー ト・ガバナ ンス史的考察 (Ⅱ) 157

(12)

一般株主の風潮 として

,

「(∋目先的な自己的立場か らの高配当の要求,②株 主範囲の大衆化 に したがって, 目先の株価値上 り益 を目的 とする株式投機家 的株主の数が多 くなったこと,(参かかる太 く短 く主義の株主の要求 に,重役 は同調す る外 な し,1930年 (昭和前半)頃までにおいては,大株主その もの

1 8

) が,一般株主 よ りも, さらに始末の悪い,配当偏重主義の ものが多かった

の考 え方が平然 と唱えられていたことである。 ここで銀行経営のガバナ ンス の立場か らみると,上記 1の明治時代の株主のコメン トか らかな り違 って き た点が よくわかる。すなわち,この大正か ら昭和前半の配当を通 して,言い うることは

,

「相場師的一般株主の横行が,会社 の実力以上の高配当 を要求 する風潮の結果,会社の健全 な発達 を阻害する弊の多いことは,すでに, 日

1

9)

露戦後 に置いて識者の問題 になっていた」。 とい う指摘 によれば,普通銀行 において もその ような高配当要求が強かったのではないだろうか。そ して銀 行経営のガバナ ンスか らの観点では,(∋大銀行の株主は長期性の投資家,か つ②安定 した優良な大株主であ り,③重役の地位 は強固で,大銀行 は健全 な

表5 5大銀行と全国普通銀行の年間配当率比較 (単位 :%)

年次 (大正) 三 井

菱 安 田 住 友 第 一 普通銀行 1914 (3) 38.8 10.5 31.1 33.9 59.5 70.0 1915 (4) 47.1 13.6 30.7 48.9 82.1 75.0 1916 (5) 28.4 9.8 25.0 32.9 54.3 68.4 1917 (6) 22.8 8.3 17.2 28.7 47.6 56.0 1918(7) 208.4 4.9 52.1 40.9 43.6 50.0 1919 (8) 37.8 ‑ 49.4 30.0 36.2 50.0 1920 (9) 39.0 27.0 35.7 23.1 23.7 68.8 1921(10) 54.7 35.8 42.4 46.4 46.1 35.4 1922 (ll) 48.8 36.3 40.5 69.0 48.8 35.5 1923 (12) 44.2 37.9 ‑ 455.8 67.3 46.7 1924 (13) 43.1 43.8 45.8 61.0 62.6 55.7 1925 (14) 64.3 52.8 54.7 69.9 62.6 53.9 (出所)後藤新一 r日本 の金融統計

l

(金融経済研 究所叢書別冊),1970,102‑117

お よび本稿表3か ら筆者が ま とめ作成 した もの。

158 国際経営論集 No,24 2002

(13)

発展 を遂げて きたことがわかる。 ここでは徐 々に 「所有 と経営の分離」が起 こ りつつある状況に至 った といえる。

2

章 銀行の発展

1

節 金融市場の変遷 1 資金需要の激増傾向

1 91 4

(大正

3

)年 に発生 した第一次世界大戦以後のわが国金融市場の大勢 は, 日本金融史に依 れば二つの著 しい傾 向 を示 している。すなわち (

1

)餐 金需要の激増 にともなう金融の大繁忙, (2)銀行の合併,増資等 による資力

20) の充実であ り,一般的には前者が後者の一因をな した といわれている。 こう

した傾向は財界の急激 な発展 にともなう当然の現象であった。 また金融の繁 忙状況 については

,

「資金需要は,為替 または事業 に関す る特殊銀行側 にお いて最 も著 しく,そのために,た とえば正金銀行 は普通銀行か ら定期預金 を 受入れようとした り,台湾銀行 は

1 91 6

(大正

5

)年

1

1月か ら,興業銀行 は翌

1 91 7

(大正

6)

7

月か ら,それぞれにいわゆる信託預金の受入 を開始 した ほか,同行 は

1 91 8

(大正

7)

3

月か ら,その信託預金の利上げを実施 した

21)

など,特別の手段 に訴 え資金の吸収 を計 った」 としている。 この景気上昇 期 に該当す る

1 91 6

(大正

5)〜1 91 8

(大正

7)

年頃には,その前後 を通 じて金 融は一気 に繁忙 に向かい,金利 は全般的に上昇傾向をた どった。特 に特殊銀 行が信託預金の受入 を開始 し,その利上げを試みた りしたことは,普通銀行 の預金増勢 に少なか らず影響 を与 えた。 このため大蔵省 は金融界の安定保持 のために, これ らの特殊銀行 に対 し,新規の信託預金受入 を禁止 した。「普 通銀行間にもようや く信託預金のみならず信託業務 も営みたい とする希望が 高 ま りをみせたのは,「信託」 なる名称 の もとに不正金融業 を営 もうとする もの も続出するような傾向にあったので,政府 はこれが適法かつ正当な発達 を助成するため,信託法お よび信託業法 を制定する動 きがでて,外国の実情

銀行経営のコーポ レー ト・ガバナ ンス史的考察 (Ⅱ) 159

(14)

2 2

) に照 らしてこれが調査 に着手 し

,1 9 2 3

(大正

1 2 )

年か らその実現 をみた」。

2

新預金利子協定 と金融市場の発達

特殊銀行の信託預金問題 は落着 したが,一般の資金需要は依然 として根強 く,これが対応 として,東西有力銀行の支店増設の傾向は支店網計画へ とな っていった。大事業家や大資本家は自家経営の事業 に要する資金 を自給する 目的を兼ねて各 自に銀行 を新設するものが続出 し,預金吸収は次第に競争的 になった。 したがって 「預金利子 も高騰 し,法外 な高率 (年8分5厘) を付 した。担保付預金 (銀行が 自行の所有 または引受株券その他の有価証券 を担 保 とし,支払保証の趣 旨をもって,預金者 に交付 し,預金 を受入れる もの)

とい う新手の吸収策 もでた りして,預金獲得競争は激 しくなった。上記一般 社会の資金需要 と銀行界の激 しい預金獲得競争 に鑑み,時の高橋是清大蔵大 臣は,東京 ・大阪 ・名古屋の各銀行団に対 して,新規の預金利子協定の締結

2

3)

を勧奨 した」。そ して,規約はほほ,全国的に完全 な実現 をみた。 これが金 融界 を刷新する上で一大礎石 となったことは, 日本金融史によればわが銀行 史上の特筆 とされている。 このほかに当時の金融界 における重要な新傾向 と

して特筆すべ きは

,

「ビル (手形)・ブローカーの発達 と起債市場」の発達が ある。 これ ら二市場の発達の背景 と主因は,すでに述べたように,(∋大戦前 後の強力な一般資金需要 と,② それを支 える銀行の貸出増加 にともなう激 し い預金獲得競争があったことである。その当然の結果 としての金融市場の発 逮 (表6)にともなう現象であった といえる。特 に,明記すべ きは,第一次 大戟翌年の

1 9 1 4

(大正

4

)年 に起債 申込第一号

( 5 0

百万円)の旧ロシア帝国 によるわが国初の外 国債 の起債であった。「この旧ロシア帝国大蔵省証券発 行引受に参加 した銀行 は,東西各

7

行のほかに特殊銀行

4

行の計

1 8

行であっ た。それは単 に 「組合銀行」の名称 を使用 していたが,実体はいわゆるシン

24)

ジケ‑ ト

( Sy ndi c a t e )

銀行 団であった」。元来, このシンジケー ト銀行団 が成立 したのは

,1 9 1 0

(明治

4 3 )

2

月であった。その後 このシンジケー ト

160 国際経営論集 No.24 2002

(15)

表6 金融市場発達の概観 (単位 :百万円)

年末(大正)日銀党換券発行高正貨在高 各年中平均額 預 金 貸 出全国銀行勘定 全国手形交換高 貯金高郵便 商手割引歩剖銭)日銀金利 1913(2) 376 335 2,229 2,748 10,401 196 1.80 1919(8) 2,045 979 9,917 9,952 77,109 698 2.20 1920(9) 2,178 1,192 9,869 9,825 74,068 847 2.20

(資料出所)明石照男 ・鈴木憲久 F日本金融史第2巻 (大正編)

A

(東洋経済新報社 , 19582月),293‑312頁。

銀行団組織 は参加銀行21行へ と増加 し,国債の引受や地方債 ・社債 の引受 に もあたって,起債市場の発達 に貢献 を して きた。

2

節 銀行の整理合同 と資力の充実 1 銀行の整理合 同

問題 の所在

第1節で考察 したように,大戦前後の景気上昇 とともに金融市場が著 しく 発達 して きた結果 として,(∋銀行の資金取引が漸次大 口化 し,比較的大資力 の銀行が増資 しやす くなった,(参道 に比較的小資力の銀行 は営業難 に陥いる ような傾 向 となった,(∋そのため,おのずか ら銀行の合 同が しきりに行 われ るようになった。す なわち要約すれば 「銀行合 同の傾 向は,大戦開始前後の 経済的難局 に処 して,預金の取付 や休業騒 ぎが続出 した当時か ら継続 して き た全 国的な現象であって,初めの間は不 良銀行 の 「身の振 り方」 を付 けるた

25)

めに行 われた合併が多か った」 とされている。それが, 「1917(大正6)午 下期以来,景気好転期 に入 り,資力 関係 または金融系統上の大勢 に別 して, 積極的に合 同を敢行す る ものが続出 して きた。 この ような銀行 の合 同につい

ては,一面 において歴代 の政府当局者が,なるべ くこれ を促進す る方針 を踏 襲 したほかに,1918(大正7)年9月に成立 した原内閣な どは,銀行合 同の

銀行経営のコーポ レー ト・ガバナ ンス史的考察 (Ⅱ) 161

(16)

26) 奨励 を一つの政策 (次の

2

つ)として標模 し,まず手続上の改正 に着手 した」

とある。 この時代 の政府の動 き方 ・考 え方 に対 しては

,

「銀行 の合併 ・整理 促進 という方針 と目的」 に手段 こそ違 うものの

,2 0 0 2

7

月現在の政府の考 え方,すなわち

,

「表7にて明 らかなとお り,政策 として銀行の合併 を促進 させて弱小銀行の救済 を図る点」 において類似 していると思われる。

<1 9 1 8

年政府の銀行合同奨励策の主要事項 >

(1)会社 は合併 の決議 をな した ときは商法の規定 によって,知れている債 権者 には各個 にこれを通告 しなければならないのを,銀行の預金者 に対 して

はこれを要 しない とい う除外例 を認めた。

(2

)合併 に対す る異議 申立て有効期 間

2

か月を,銀行 に関 しては

1

か月で 足 ることに改めた。

<2 0 0 2

年現在政府の金融安定化方針 >

2 0 0 2

7

2 1

日付 け日本経済新聞朝刊 は,その第‑面で銀行合併促進へ新 資金枠 と大 きく報 じている。その概要は次の とお りである。

(1)金融庁 は合併 した金融機関への資本注入 を目的に新 たな公的資金枠 を 設ける方針だ。金融危機 を前提 とした現在の枠組みでは,合併 とい う個別の 戦略 を支援する資本注入は難 しい と判断,再編 を促す仕組み を預金保険機構 の新勘定 としてつ くる。地域金融機関だけでな く,大手銀行 も使 えるように する。2003年度予算案で実現するよう財務省 と調整する」 として,銀行合併 促進へ新資金枠 を示 した。

(2)現在政府が資本注入 に使 える公的資金枠 は預金保険の中の 「危機対応 勘定」の

1 5

兆円がある。一層の合併促進 を望む金融庁 は もっと弾力的に運用 で きる資金枠 を

1 5

兆円 とは別 に用意すべ きだ と判断 した。新公的資金枠 は, 数兆円の規模 を想定。

(3

)考 え方 として

,

「過去の注入時に義務付 けた経営健全化計画などは求め ない」。すなわち

,

「合併 とい う前向 きな戦略 を後押 しする」狙いか ら,資本 注入への経営責任の追及など厳 しい条件 を課 さない方向。合併 に伴 って自己

162 国際経営論集 No.24 2002

(17)

資本比率が下がるのを食い止めた り, さらに資本の厚み を増す効果 を見込ん でいる。 また,金融担当相 は今回の資本注入 を 「個別の経営計画」 を側面支 援する手段 と位置付 けている。

(4)対象か ら大手行 も排除 しないのは,(∋地域金融機関の再編の受 け皿 と なる可能性 を 認めているため,(参理論的に大手銀行同士の合併 も活用で き ること。などが考 えられる。

7

銀行合併促進の実績数 (単位 :行)

年次 (大正)合併による解散 .廃業 (普通銀行+貯蓄銀行)合併により新設 .存続

1920(9) 52 38

1921(10) 71 57

1922(ll) 62 55

(資料出所)明石照男 ・鈴木憲久 r日本金融史 2巻 (大正編)」 (東洋経済新報社 , 1958年2月),125頁。

<銀行整理合同の類似性 >

1920年代の銀行合同を掲題表7でみると,多 くは当時の財界反動後,直接 間接 にその影響 をこうむって,その多 くが,①整理の必要上整理合同を余儀 な くされた もの,(参大蔵省当局側の合同促進策 によって,一層助長 されたか の感があった。以下の1920年代大蔵省の言動の説明には正 しく2002年7月現 在の政策が酷似 している もの と指摘で きる。「元来,大蔵省 としては,一つ の伝統的政策 として銀行の合同を促進 して きたが,財界反動以来,各銀行の 不始末が続出 して きたのに鑑み,銀行 に対する検査その他,取締 を厳重 にす るとか, さらに銀行法規 に関する根本的改正の計画案 も出て きた。いずれ も 早急に間に合 うことでないので,当面の対策 としては,主 として地方の弱体 銀行 に対 し,大蔵省当局者が直接 に, または各地方長官 を通 じて合併 を促進

27) し,それぞれに整理 をつけさせ るようにつ とめた とい うわけである」。上記 金融史の引用は当時の状況 をよく写 し出 している。次の とお りペイオフ全面

銀行経営のコーポ レー ト・ガバナ ンス史的考察 (II) 163

(18)

解禁 を来年 に控 えた現在

( 2 00 2

7

21

日)の金融庁の方針案が余 りにも類 似 していることに対 して,改めて 「歴史は繰 り返す」の言葉 に驚かされるの である。

<背景 >

(

∋1 9 2 0

(大正

9

)年の銀行合 同整理の必要性 の背景‑‑取付 ・金融恐慌 ・不 動産貸付の固定化問題 ・財界の反動

(

参2 0 02

(平成

1 4)

年の銀行合併促進の必要性の背景‑・・・不 良債権問題 ・貸 し 渋 り ・ペ イオフ解禁問題 ・自己資本減少問題

( BI S

規制)・会計 グロ ーバル化問題

<(∋と(参の共通点 >

(1)いずれの場合 も不動産貸金の膨張 ・不良化 に伴 う貸出金固定化の問題 があること。

( 2

)政府の諸法規制 を替 えてまで も銀行の整理合併 を促進 させ,弱小銀行 の救済 を実施 し,金融の安定化 を諮 る目的があったこと。

2

銀行資力の充実一増資の流行

銀行の整理合同が促進 されて くると,当然 なが ら全体 としての銀行数は減 少する。有力 な銀行の資力は増資 とあいまってようや く充実 されて きた。す なわち

,「 1 91 8

(大正

7)

年の上半期か ら

1 9 20

(大正

9

)年春の財界反動前 後 の ころにわたって,特殊銀行以外,興業銀行 は

1 91 7

(大正

6

)年

8

月に

1 , 7 5 0

万円か ら

3, 00 0

万円に, また普通銀行 にあっては,東西の一流銀行,例 えば東京では,第一 ・十五 ・第百 ・三井 ・三菱 ・安 田など,大阪では,三十 四 ・山口 ・住友,その他諸銀行が,

1

回または

2

回以上 にわたって数割ない し数倍の増資 を実行 した結果,全体 としての銀行の資本金は銀行数の減少 と

2

8)

相反的に累増の傾 向をた どった」。次の表

8

でその事実は明 らかである。

すなわち

,1 91 3

年 (大正

2

)年当時の

1

行あた り資本金平均額は

41

万円で あったが

1 91 9

(大正

8

)年では,銀行数 は

1 0 4

行 も減少 しているにもかかわ

164 匡I際経営論集 No.24 2(氾2

(19)

らず資本金額 は

2

倍強 となってい る。これは銀行 の 1件 当た りの取引が巨額, かつ取引件数 も増加 した ことを物語 ってい る もの といえる。

表8 戦前 ・戦後の全国各種銀行数 ・資金総計比較

年末(大正) 銀行数 資本金 (払込み) 1行あた り平均額 純益金

1913(2) 2,173行 90,(62,600700)万円 41(万円29) 120百万円

1919(8) 2,069 180,(12806,05万円00) 87(万円61) 316百万円

較 ‑104 90,(623,00万円800) 46(万円32) 196百万円

(出所)明石照男 ・鈴木憲久 F日本金融 史第2巻 (大正編)j (東洋経済新報社,1958年), 81頁。

3

節 第一次大戦後 の銀行業態の変化 1 銀行預貸金の伸展

わが国の金融市場 の発達が大戦前後で比較す る と全 国各種銀行総計 で預金 4.5倍 ・貸金3.6倍 と伸 びてい るこ とが わか る<表9参照 >。 さ らに同表 で明 らか な とお り,東京 ・大阪の二大都市 の銀行 に集 中 してい るこ とが わか る。

それは隔地 間の諸取引が増加す るの に伴 い,地方 の余剰資金が二大都市 に集 中 し, また大都市 での資金 も増進 した ことを示 している。 この増加 の実体 も 統計上 では,東西の12大銀行 を除 く二流以下の銀行 または特殊銀行 はかな り の無理 を して預金 を4倍 ・貸 出

3

倍 と著 しく伸展 させ た。特 に貸 出は常 に預 金 を大幅 にオーバ ー している とい う激 しい貸 出に注力 してい ることを読み取

29)

ることがで きる。 これに反 して,東京組合銀行 ・大 阪組合銀行並 びに東西12 大銀行 の各貸 出は預金 の範囲内に収 まっている とい う貸 出へ の消極性 あるい は慎重性が窺 える。

銀行経営のコーポレー ト・ガバナンス史的考察 (Ⅱ) 165

(20)

表9 第一次大戦後の銀行の預金貸出比較 (単位 :百万円) 年末 (大正) 1913 (2) 1919 (8) 比 較

預金高 貸出高 預金高 貸出高 預金高 (伸び率) 貸出高 (伸び率) 全国各種銀行統計2,2292,748 9,9179,952 7,688 (445%) 7,204 (362%) 内東京組合銀行 387 399 1,9401,801 1,553 (501%) 1,402 (451%) 大 阪 組 合 銀 行 229 286 1,4491,367 1,220 (633%) 1,081 (478%) 小 計 616 685 3,3893,169 2,773 (614%) 2,484 (463%) 二 流 以 下 銀 行1,6132,063 6,5286,783 4,915 (404%) 4,720 (329%)

(出所)明石照男 ・鈴木憲久 柑 本金融史第2巻 (大正編)J(東洋経済新報社,1958年) ,90頁。

2 特殊銀行 とビル (bill)・ブローカーや コール取引の発達

なぜ二流銀行や特殊銀行 は預金 ・貸 出においてあえて無理 をしたのだろう か。それは 「不相応 の貸 出 を拡大」 したため,す なわち

,

「特殊銀行 の普通 銀行業務への侵入」 と同時 にまたその特殊銀行 とビル ・ブローカー との関係 である。特 に問題 となったのは台湾 ・朝鮮 の両銀行である。台湾銀行が大事 業家 または大商人,例 えば鈴木商店 などに対 して,思い切 った巨額の貸出 を 行い,後者がいわゆる商事会社,特 に普通銀行が取引 を応諾 しない ような比 較的信用 のおけない顧客 として大 口の融資 を続行 したことは

,

「① 自ずか ら 金融市場 における資金需要 を増大 して,金利 を不当に高騰 させた一因 となっ たこと,(∋各特殊銀行 固有の業務 とはなん らの交渉 もない内地の一般事業資 金 に,大 口の放資 を続行 した。の二点が挙 げ られる。ここで指摘で きるのは, 特殊銀行 と親密 な関係 にあるビル ・ブローカー との関係 であろう。特殊銀行 の営業 を著 しく増長 させたのが, ビル ・ブローカーでその ビル ・ブローカー が台湾,朝鮮 の両特殊銀行 を最 も大切 な顧客 としたことは,やがて,わが国

30)

の金融界 を不純 ならしめる‑動機 となった」 とされている。

この頃は財界一般 を通 じ資金需要が著 しく増大 した。「コールで泳 ぐ」 な る言葉 もこの頃の新 聞に使 われ, コール取引が非常 な繁忙 を見せたの もこの

166 国際経営論集 No.24 2(氾2

(21)

時期 といえる。例 えば

,

「コールの取手 は二流以下の銀行やブローカーでは な く, この台湾 ・朝鮮の両特殊銀行が常習的かつ最大の コールの取手であっ たことは,金融界の変態 を助長 した一大原 因であった と言 わざるを得 ない。

大正年間でコール取引が最大 になったのは

,1 9 2 0

(大正

9

)年のことであっ 31)

た」。

<本章のコメン ト>

1 本章のまとめ として,指摘 してお きたいのはまず銀行の整理合同に係 る 政府の関わ りである。銀行の整理合同は,明治以来の歴代政府の促進方針の 一つであったことで,それが

2 0 0 2

7

月 (平成)の今 日で も政策の類似 した 考 え方 として,残存 していると思われることである。本文の第

2

1

で述べ たように,現政府は 「金融の安定化策」 としての選択肢の一つ として,銀行 合併促進への新資金枠 を創設 しようとしているのである。 この枠 は地域金融 機関のみならず大銀行 にも使 えるようにと,銀行合併促進への新資金枠の創 設案 を示 した ものであった。対象か ら大手行 を排除 しないのは,地域金融機 関の受け皿 となる可能性 と大手銀行同士の合併 にも活用で きるようにとの思 惑はあ きらかである。ここでは,現象面の類似性 ばか りでな く 「金融 (銀行) の安定化」 を指向 した 「銀行合併の促進」 とい うことをその切 り札 にすると い う施策面での類似性 を指摘 したい。方法論 に相違性があって も,本来的な 銀行の整理合併 にはなんら違いはないのである。今 またペイオフ全面解禁に 対する不安感か ら,またまたペイオフ全面解禁は先送 りにな りそ うな気配が ある。問題 を先 に送 らない施策 をとるべ き時期 にきていると指摘 したい。

2

第一次大戦前 と後の時期 を銀行経営の一般的な観点か らみると,大戦前 後の強力 な一般資金需要か らの銀行預貸金の獲得競争があ り,信託預金の受 入,起債や ビル ・ブローカーの急激 な発達 とともに,結果 として金融市場の 発達が見 られた。すなわち,銀行の預金貸金の数字 は全国ベースで もほぼ 4 倍 に伸展 したことと,東西の二大都市 に集中 したこと,それに二流以下の銀 銀行経営の コーポ レー ト・ガバナ ンス史的考察 (Ⅱ) 167

(22)

行や特殊銀行 は,かな りの無理 をして預金貸金 を伸 ば したい う変化 を考察で きた。 この背景 には,高利 を付 して預金の争奪 を行い安全 な大銀行 に預金す る地方銀行 も多 くあった といわれている。 この頃,金融市場の顕著 な発達 と 銀行の預金貸金残高の激増の最中にあった大手銀行は, 自己資本 を充実する ことにも傾注 し,拡大 した営業規模 にふ さわ しいバ ランスある資本総額維持 に努めていたといえる。すなわち,銀行の運用 に見合 った調達 ・資本力の健 全化 ・安定化 に注力 したといえよう。

3

1920

(大正

9

)年の大恐慌 と銀行

問題の所在

1 9 2 0

(大正

9

)年

3

1 5

日,株式市場は突然の暴落に見舞われ,東西の株 式市場は立会停止 し,

2

日間の臨時休業 を経て再開された。 これがその後の 大恐慌の発端 とな り,経済界 は大反動 を来 し未曾有の恐慌状態 となったこと については,すでに第 1章第

2

節および第

3

節で もふれた。本章では大恐慌 後の銀行業態が どのような変化 をたどり悪化 していったのか,それが銀行経 営 にどのような影響 を与 えたのか,また銀行救済のために銀行法規制 をどの

ように改廃 し,創設 したのかについて考察 してい く。

第1節 銀行業態の悪化

1 貸出の固定化一 不動産バブルの増長 ‑

1 9 2 2

(大正11)年 に政府の緊縮予算案が採 られ社会の不安 はます ます深刻 化 して,同年11月以降

,

「ふたたび銀行界 に取付が起 こ り,同年末 までに全 国的に

2 9

行の休業銀行 を出 し,取付のあった ものは数十行の多 きに至 った」

3

2 )

とある。

ここでその原因について考察すると,銀行貸出の多 くの部分が固定化 して いたことである。「当時の大蔵省調査 によれば

,1 9 21

(大正

1 0)

年末現在 に

168 国際経営論集 No.24 2002

(23)

おける全国銀行の不動産貸付高は,特殊銀行6億8千2百余万円,普通銀行

7

2

7

百余万円,貯蓄銀行

3

5

4

百余万円,合計

1 7

6

3

百余万 円に上 り,この うちの普通銀行だけについて,その貸出総額 に対す る割合 を 見 ると 1割 1分強を占めるという,いわゆる不動産は主に土地お よび建物で あ り,大部分 は地方銀行の関係であった。資金固定化の傾向は不動産貸付以 外で も,東西の大銀行 中,ことに特殊銀行 などは相当におびただ しい ものが

33)

あった」。そのために,地方銀行の資金はいっそ う固定化 され,その悪い史 的事実 として

,1 9 2 2

(大正

1 1 )

年秋の京都地方の 日本商工銀行 ・日本積善銀 行の休業 を端緒 として,銀行界 に動揺が発生 した。そこで,大蔵省 は同年末 近 くに日本興業 ・日本勧業両行 を して普通銀行の不動産担保付貸出の肩代 わ りを行わせ ることとした。その後,銀行動揺 は京阪神地方か ら九州 ・中国 ・ 北陸 ・東京地方 に波及 し,多数の銀行が休業 に入った。同時 に政府 は,台湾 銀行の不動産貸付の一部 を日本勧業銀行 と東洋拓殖会社 に肩代 わ りをさせ, これにより台湾銀行 に交付 された勧業債券

2 0 0 0

万円 と東洋拓殖債券

1 0 0 0

万円

341)

を預金部 (現在の郵貯)が買入れた 。因みに,普通銀行の担保別貸付金 を, 反動前の

1 91 9

(大正

8)

年末 と反動後の

1 9 21

(大正

1 0)

年末 とを比較 してみ ると,次の とお りである。 (出所 :後藤新一 『日本 の金融統計 (金融経済研 究所別冊)』金融経済研究所

,1 9 7 0

,1 2 6‑1 2 7

頁)0

不動産担保付(構成比率) 保証 ・信用付(構成比率)

1 91 9

(大正

8)

年末

3. 9 3

億円

( 1 0. 0%) 1 2 . 5 8

億円

( 31 . 0%) 1 9 21

(大正

1 0)

年末

7. 6 2

( 1 5 . 6%) 1 6. 41 ク ( 3 3. 7%)

この数字か ら,長期の不動産貸付 はその貸金 に占める比率 ともども全国の 普通銀行では依然 として増加 していることがわかる。前述の とお り

,1 9 22

(大正

1 1 )

年秋頃には,地方銀行の取付 けや休業が続出 し,銀行界一般の不 安 を濃 くした。「局面打 開のため政府 は,同年末近 くに,必要 に応 じて救済 策 をとる旨発表 した。その後,政府 ・日銀は 「此の際 に限 り時局緩和の為特 に必要 と認むる場合 に於ては臨機の処置 として両行 (勧業お よび興業)営業

銀行経営 の コ‑ポ レー ト ・ガバ ナ ンス史的考察 (Ⅱ) 169

(24)

の許す範囲に於て出来得る限り之が肩代りに付便宜を図る」旨の声明書を発 し,わずかに当面の策をなして越年した J 。いずれせよ反動後の普通銀行 の不動産貸付やその他焦付きがちの融資(不良化貸金)によって資金が固定 化したことは,その後の金融界の回復の障害となったばか りでなく,関東大

震災後の不動産貸付の増加とあいまって,やがて 1 9 2 7 (昭和 2 )年の金融恐

慌への引き金となったことは見逃せない重大事といえる。

2  銀行の救済策

この項については,第 2 章でも述べたところであるが,反動後における金 融界は,動揺が一段落し, 1 9 2 1   (大正 1 0 ) 年以降は,小康状態を保っていた が , r 金融界全般を通じての実勢は,むしろ,ますます悪化傾向にあった 。 特に普通銀行中の二流以下ないし地方の弱体銀行は,一層の営業難に陥って

いた。そこで,政府の銀行合同促進策が強調されてきたj こともすでに述 べた。その後,銀行の整理合同が進捗すると対抗上の増資計画の再燃など資 力充実のため,預金獲得やその方策としての支庖増設の活発化が行われた。

第 2 節 銀 行 法 の 改 廃 ・ 創 設

前節で述べた恐慌後の経過は,銀行ないし金融一般に密接に関係する諸制 度・規制について数多くの重要な改正‑新設が実施された。銀行の経営・運 営に直接・間接的に影響を与えるそれらについて,以下概観を考察してみた

)0

l  各種銀行法の改正

(1 )各種特殊銀行法の改正

特殊銀行に関しては 勧業銀行に対して 同行の不動産を抵当とする定期 償還貸付額の限度が, r 年賦償還貸付金総額の 1 0 分の l に相当する金額」に

限られていたのを, r 払込資本金及積立金総額の 1 0 分の 1 J にまで改め, r

170  国際経営論集 No.24  2 ∞

(25)

工銀行の存在せざる府県に於て 1 0 人以上の農業者,工業者又は漁業者申合せ 連帯責任を以て借用を申出でたるときは J ,無担保で短期の貸付をなすこと

をうるという新規定を追加したほか 勧業債券の発行限度が払込資本金額の 1 0 倍限 り となっていたのを 1 5 倍限りまで拡張し,かっこれを割引の方法によ

って発行することをうるなどの改正が行われた 。 その他,農工銀行法・興業 銀行法の改正も行われた J 他には勧農合併の道を聞いた 。 それは消極的に地 方の不良農工銀行を整理するためであり,積極的には不動産貸付金利の低下

を促す目的で, 1 9 2 1   ( 大正 1 0 ) 年 4 月から施工された」 。

(  2  ) 貯蓄銀行法規の根本的改正

従前の貯蓄銀行条例は廃止され,新しく貯蓄銀行法が制定された 。 この法 律は零細な貯金を安全に保管運用する趣旨のもとに 1 9 2 2 ( 大正 1 1 ) 年 1 月に 施行された 。 新法の内容は省略するが,その狙いは ① 貯蓄銀行に対する諸規 制を厳重ならしめること, ② 整理合同を促進する方針,すなわち貯蓄銀行同 志または普通銀行への合併によって 貯蓄銀行の数を続々と減少させること

にあ った。 その結果,施行直前の 1 9 2 1 ( 大正 1 0 ) 年末には全国で 636 行を数 えた貯蓄銀行も関東震災直前の 1 9 2 3 ( 大正 1 2 ) 年 8 月末には 1 4 5 行に減った 。

(  3  ) 信託法および信託業法の制定

この法律は歴代の政府が調査立案を進めてきたものであるが,ょうやく 1 9 2 3   ( 大正 1 2 ) 年に施行された 。 これにより「信託」という 全 く新しい概念

による新種の金融機関の出現が実現したのであ った 。

(  4  )産業 組合中央金庫

もう一つの重要な新設金融機関は「産業組合中央金庫 j である 。 その設立 趣旨は「農村ないし一般庶民の金融を円滑ならしめるという主意に基づくも

のであ った。 「すなわち,第一次大 戦中の好景気時代に際し,産業組合が資 金難のために十分の活動をなし得なか ったのは ひっきょう適当な資金供給 の源泉を有しなかったためであり,しかも勧業銀行および各府県農工銀行は 将来にお いても,なお,それぞれに本来の金融業務につとめる意外には,と

銀行経営の コー ポ レート ガパナンス 史的 考 察 ( I I ) 1 7 1  

(26)

うてい多くの融通余力を期待されないような状態にあるので,産業組合のた めに独立の中央機関を設立する必要がある J という理由によるものであっ た 。

以上は,金融機関に関する法規もしくは制度の改正または新機関の創始に ついての概観であったが,その他にも金融上もしくは金融関係制度について 改善または創始された重要なものがあった 。

2  その他重要な金融関係制度の改善または創始

それらは項目のみ挙げればつぎのようなものであった 。本稿ではこれらの 内容は省略する 。①国債に関する制度の改革, ② 第二種所得税の改正,③米 穀証券の創始, ④ 会計法の改正⑤ 日本銀行の発券制度に関する改正などの重 要なものがあった 。

く本章のコメント>

l  当時の不動産貸付は主として地方銀行を主体に固定化されていた。その 結果として地方に銀行休業や取付けも発生し,金融界は不安を増してきた 。

したがって,政府は金融の救済策をとりあげる方針を発表するなどして,金 融の安定化を画策し,日本銀行をして,積極的な援助を行った 。 それは不動 産貸金の固定化の解消と金融界の順調な回復には余り効き目がなかった模様 であるが, 一応の鎮静をみた 。 このように大戦後の景気の一時的な上昇は投 機によるものであって,実体のないものであったことがわかる 。 その後の関 東大震災による復興のための不動産貸付の増加もあり,それが結果的には

1 9 2 7   ( 昭和 2 ) 年の昭和金融恐慌への契機になったものといえる 。

2  振り返れば,第一次大戦後の投機思惑の増長・資産バブル,その後の破 綻,大反動としての銀行休業・取付・倒産・整理合同という過程を通して,

銀行経営のガパンスを考察すると,大手銀行の多く,すなわち「所有と経営 のほぼ一致」をみている大手の銀行経営は比較的に手堅い運営をしていたと

172  国際経営論集 N o .  2 4   2 0 0 2  

(27)

いえる。例えば,三井銀行 8 0 年史によれば,当時の最大手財閥銀行の三井銀 行では, 1 6 行のシンジケートを組成して日銀借入金による東京株式市場救済 融資などを行うなど政府・日銀に協力して主要産業の救済融資に注力してい

ることからもわかるように,大手銀行は資産バブル的な思惑投機に乗せられ るような貸金の不良債権化は問題とはなっていなかったといえる。このこと は,大手銀行の大株主はまた最高経営者であるという事実と経営の全責任を 一身に負っていたために,堅実経営を まず第一にせざるを得ないと いう事 情・背景が窺えるのである。

第 4章 1923  (大正1 2 ) 年の関東大震災と銀行界

問題の所在

1 9 2 3   (大正 1 2 ) 年 9 月 1 日 関東地方は空前の大地震に襲われた。この震 災により東京市内の銀行庖舗の約 8 割が類焼(催災地銀行の建物什器の損失 約 2 千万円以上)し,横浜市内もほぼ全滅した 。このため全銀行が自然休業,

日本銀行以外で営業を継続したのは大信銀行 l行のみといわれている。「政 府は(第二次山本権兵衛内閣)直ちに非常徴発令・戒厳令適用を各公布施行 (戒厳令は 1 1 月 1 5 日解除 )するとともに,私法上の金銭債務の支払延期お よ

び手形等の権利保存行為の期間延長に関する件(いわゆる支払猶予令)・会 計規則その他収支に関する命令規定に対し特例を設ける件の 2 勅令を公布施 行した J その後,金融界が平静を取り戻すのには約 1か月を要した 。 この

震災により金融界は未曾有の被害を受けたが,金融政策の面からは結果的に,

かねて金融界の懸案でもあった銀行の整理合同の端緒となったことと,各種 の金融関係法規の根本的改正が提議・施行された重要な時期でもあった 。果 たしてこの震災は銀行経営にとって,どのような影響があって,それがどの

ような経緯を経て復興してい ったのかを考察して行くこととする。

銀行経営のコ ーポレ ート・ ガパナンス史的考察 ( n ) 1 7 3  

(28)

第 1 節 震 災 と 金 融 の 救 済 策

l  支払猶予令[モラトリアム ( M o r a t o r i u m ) ] 

震災のために多くの各種銀行が被害を蒙った。被害の銀行数はく表 10> の 示すとおり,東京市内だけでも当時, r 現存していた庖舗のうち,本庖 1 3 8 , 支庖 3 5 0 のうち,焼失または類焼したものは,日本銀行をはじめ本庖 1 2 1 ,支 庖 2 2 2 ,で災害を免れたものはわずかに本庖 1 7 行,支庖 8 8 行にすぎなかった 。

また,横浜市内における銀行の擢災状況は東京におけるよりも一層は激しく,

ほとんど全銀行の庖舗が壊滅した」 。 このため政府は緊急一大事として,ま ず「モラトリアムの施行」を急務と認め種々協議を重ねた結果,支払猶予令

その他,緊急を要する諸対策が直ちに採られた 。

このわが国初の支払猶予令は r 1 9 2 3 ( 大正 1 2 ) 年 9 月 1 日以前に発生し同 日より同年同月 3 0 日迄の聞に於て支払を為すべき私法上の金銭債務にして債 務者が東京府,神奈川県,静岡県,埼玉県,千葉県及震災の影響に依り経済 上の不安を生ずる虞ある勅令を以て指定する地区に住所又は営業所を有する 者に付ては 3 0 日間其の支払を延期す J るという主旨になっていた 。

ただし, r  (  )国,府県其の他の公共団体の債務の支払, (2 ) 給料及労銀 の支払, (3)給料及労銀の支払の為にする銀行預金の支払, (4)前号以外の 銀行預金の支払にして 1 日百円以下のものは右の規定を適用されないこと J

になっていた 。 このように支払を延期すると,それがため,一方には手形そ の他の商取引関係に於て債権の時効にかかるものもありうる 。 そのような債 権を保護するため同令中に権利保存に関する規定を設け, r 手形其の他之に

準ずべき有価証券に関し 1 9 2 3 ( 大正 1 2 ) 年 9 月 1 日より同年同月 3 0 日迄の聞 に J ,前掲の「地区に於て権利保全の為に為すべき行為は其の行為を為すべ

き時期より 3 0 日内に之をこれを為すに依りて其の効力を有す j ることになっ ていた 。

支払延期に関する対策は実施されたが,肝心の銀行が休業していたのでは いかんともしがたいから, r 右の延期令が施行された翌日から銀行の開業並

174  国際経営 論集 No.24  2 0 0 2  

(29)

びに開業後における商工業その他一般貸金の融通方針に関して政・官‑民協 の結果, ① 市内の一般銀行は,できるだけ早く営業を再開すること, ② 日 本銀行はできるかぎり一般行に対して援助を与えること」 というものであ

った 。 かくて,擢災地域内の諸府県における各銀行は翌 1 0 月初めには,数行 の小銀行を除くほか ほとんど全部営業を再開するにいたった 。

表 1 0 東京市内の震災による銀行の被害状況

震災前現存庖舗数 焼失または類焼 災害を免れた数

本店 1 3 8 行…… ー , 1 2 1 行 ( 8 7 . 7 % ) 1 7 行 支庖 3 5 0 行‑…・・ '222 行 ( 6 3 . 4 % ) 8 8 行

( 出所 ) 明石照男・鈴木憲久 『 日本金融史第 2巻 ( 大正編 ) ( 東洋経 済新報社, 1 9 5 8 年 ) J  ,  1 5 2 頁。

2  支払猶予令の撤廃

銀行の営業再開後においては,支払猶予令がすでに施行中であったうえに,

一般銀行に対する日本銀行の支援に関する方針も公表されていたことより,

多少心配された預金の取付もなく,世間一般の銀行に対する気持は予想外に 安定してきたようで,全般的に平穏状態であったといえる 。 く表 11> では,

震災後 1 ヶ月の日銀免換券発行高・貸出高は最多で 3 億円程度増加して,丁 度その分が全国銀行の預金増加に振り替わっている勘定となる 。 正しく復興 支援の資金といえる。その資金は漸次 市中銀行を経て一般の事業および生 業資金として貸出されたことが明らかである 。

このような金融界の小康状態を背景に, 1 日も早い支払猶予令の撤廃が望 まれていたが,日本金融史によると「結局は官民協議の結果,同令規定のと おり 9 月 30 日限りこれを廃止した 。 なお,権利保存行為に関する勅令は,交 通機関の未復旧,公証役場の復業遅延などのため当初の予定どおりにはゆか ない状態であったので,権利保存のための行為につき,さらに 30 日間これを

44 ) 

延期した」 とある 。

銀行経営のコーポレート・ガ パ ナンス史的考察 ( I I ) 1 7 5  

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