三井 8 0 年史に依ると, r 三井銀行の被害としては,本庖・横浜支店が類焼 したため,震災直後の 3 日から 1 0 日までの 8 日間休業し,災害を免れた日本
1 この時代に発生した関東大震災は未曾有の大被害を出したが,速やかに 支払猶予令などもでて,政‑官・業の三者が震災復興に総力をあげ努力した
結果,金融面ではたいした混乱もなくごく短期間に復興をなし遂げたといえ る 。 このことは大震災を契機に,政‑官・業の上から下までが,金融システ ムという社会的役割に対する危機感とその重要性に深い認識と理解を持って いたから即対応し得たのではないかということを指摘したい 。
銀行経営 のコー ポ レート・ガパ ナンス史的考 察 ( l l ) 177
2
銀行経営の コーポ レー ト・ガバナ ンスの観点か ら大手銀行の経営方針振 りを当時の三井銀行か ら考察すると,同行 は大震災 により本店 と横浜支店 を 失 ったが,直接の被害は意外 に軽微で,預金は被災 にもかかわらず,一時激 増 をした とある。貸出 も被災 1か月には,同期 中の最高 を記録 している。 こ の事実は,同行が震災直後 より復興融資 に積極的に動いた という証 しである (本章第2
節参照)。 また,この震災時における同行融資面 に認め られた特徴 の 1つは,すでに 「産業の電動化」の完成 したこの時期 に,電柱 などの被害 の多かった5
大電力会社 (東京電燈 ・東邦電力 ・日本電力 ・大同電力 ・宇治 川電気)への貸出激増であった。その後,これ ら電力の資金調達等 に外債発 行 を推進 したの もこの三井銀行であったことか ら,銀行 自身並 びに株主の利 益 ・発展 ・繁栄のための銀行経営 には, まず社会 ・取引先 ・経営環境 ・金融 システムの安定的かつ健全 な発達が優先 されるべ きであるという考 え方が当 時の財閥大手銀行三井銀行の貸出方針か ら窺 えるのである。第
5
章 銀行の整備改善 と金融政策第
1
節 銀行の整備改善 1 不良銀行の整理この
1 5
年間 とい う短い大正( 1 91 2‑1 9 2 6
年)時代 は金融界 にとって3
つの 重大 な出来事があった。それはまず (1) 1 91 4
(大正3
)年の第一次大戦の 開戟,1 91 8
(大正7
)年の同大戟終結であ り,(2
)1 91 5
(大正4
)年のバブ ル的好景気 と1 9 2 0
(大正9)
年の反動 による大恐慌,(3
)1 9 2 3
(大正1 2)
午 の関東大震災等々短い期間に三つの重大出来事 に遭遇 した。そうした禍根 は 実業界のみならず銀行界で も一長一短に解消 されるはず もな く,これ らが不 健全性 を露呈 した。「特 に二流以下の不健全 な銀行 にあっては,休業 ・閉店 を余儀 な くされた先 も多かった。 またそのような問題 を内蔵 していたのは東 西の大銀行 にもあった。ただ し,大銀行では預金の取付 にあった り,または178 国際経営論集 No.24 2002
休業 した ものはなかったが,かな りの欠損 を内包 していた ものは普通銀行ば か りでな く,特殊銀行の中に,む しろ一層 はなはだ しく, このため‑大整理
48) を避けられな くなった もの少な くなかった」。
当時, この関東大震災後 における財界の動揺が平静 を取 り戻 して以来,引 き続 き銀行界が不安の うちに推移 し,特 に上述の不健全 な二流以下の銀行 に 取付 け騒 ぎや休業がでたことか ら,放漫な経営ぶ りの主因については,次の とお りいわれている
。「 (
1)不動産抵当の貸金が多かったこと (2)関東大震 災後,震災地 においては,その抵当不動産の焼失が多かったことと, またそ の不動産価格が下落 したこと, (3)二,三流以下の銀行では資力不相応の大 口貸出をあえてする傾向があったこと, (4)地方銀行の うちで,都会銀行の 仲間には入ろうとし,東西両大都市 に支店 を設置 した ものが少 な くなかった こと, (5)特殊銀行の金利が高 く,その影響で他の諸銀行の金利 も緩 まず, 二流以下の銀行 などは,それに引 きず られて貸出を引 き締めなかった もの多 かったこと。当時の政府は, これ らの不堅実銀行の整理合同を しなければ来49) るべ き金解禁の‑大障害になると言明 していたほ どであった」0
すなわち,銀行の本店数の減少 と支店数の増加 ‑支店制度の発達, 自己資 本増強‑ 1行当た りの平均資本金の増加 ‑大銀行への資本の集中と二流以下 の放漫経営 ・脆弱化 ・不健全化の増加 などで,それ らは銀行間の経営格差の 拡大 をもた らしたが, これはこの時期 の銀行経営 の特徴 で もあった といえ
る。
2
不健全銀行の取締強化策当時の政府 としては,数多 くの不健全銀行が欠陥を暴露 し, または暴露寸 前の状態の ものが,特 に二流以下の銀行 を中心 に相当数残存 したため, この まま放置すると社会不安 を惹起すること必定 として,「1924(大正13)年 に, 全国の銀行 に対 して業務改善の諭達 を発 し,かつ銀行の検査 を励行する代わ
りに,正当な銀行の営業 にわざわいするところが少な くない銀行類似営業者
銀行経営 の コーポ レー ト ・ガバナ ンス史的考察 (Ⅱ) 179
またはいわゆる不正金融業者 を,厳重 に取締 まるべ き旨を声明 した」のであ 50)
った。一方,銀行側 は業務拡張 ・預金吸収のため支店増設 をするものが続出 し,そのために営業が ます ます放漫傾向 となったため,大蔵省 はさらに取締 方針の徹底 を期すため,銀行営業上の取締 を強化するとともに,銀行検査 を 励行の うえ,整理 を要する先 に対 しては明白にこれを督促 し, また営業内容
に関 して不良 ・不正の点 を発見 した先 に対 しては,営業の一部 もしくは全部 の停止 または営業認可の取消 などを決定 した。「それ らの行政処分 に付 され た銀行 は1924(大正13)年 中に通算15行 とな り, ようや く当時の最不 良銀行
5
1)の整理だけは一段落 した」 。1922(大正11)年以前の銀行の合併 ・整理状況 は第2章第2節 を参照。
第
2
節 金融政策の強化 1 預金利子協定の厳守1924(大正13)年12月政府 は銀行の整理促進 を した他 ,銀行 に対 して,
「信託会社の金銭信託引受期 間が 1年以上 となっていたために,銀行 の定期 預金がその方 に移動する傾向があったので,金銭信託引受期 間を2年以上 と することに改正 し,その代 わ り銀行 としては預金利子協定 を厳守すべ Lとい
52)
う趣 旨」 により,預金利子協定 を励行 させるため通牒 を発 した。
この背景 には銀行預金対金銭信託の競合 とい う金融政策上の一大問題が未 解決のまま流れて きたとい う問題点 を指摘で きる。
2 銀行等の減配勧奨
次 に政府の銀行監督の手はさらに利益金処分の上 に及び,配当についての 干渉が試み られることになった。すなわち,「1924(大正13)年12月大蔵省 は前述の預金利子協定厳守の通牒 と前後 して,全国地方長官宛てに銀行の減 配 を勧奨する旨の通牒 を発 した。 この背景 には 「(
1
)多数の銀行の中には資 産中に欠損 を包蔵 しなが ら,なお配当を続行するものがあること, (2)例 え180 国際経営論集 No.24 2002
現実 に利益 を挙 げているもの といえども,銀行その ものの公共性 に鑑み, ま す ます基礎 を強固にすべ きこと, (3)そのために配当 を低減 して,剰余利益
を留保」すべ きこと, (4)ただ し減配の ような処置 は一,二の ものが単独 で 実行すると,往 々世 間の誤解 を招 くため,なるべ くは府県,那,市 な どの同 一地域内に存在す る ものが相互 に協調 し,一団 となって実行す るようにとい
5
3)う
」
趣 旨があったのである。 しか し,「東西両都市 の堅実 な一流銀行 は通牒 の趣 旨に関す る限 り特 にその必要性 もな く,結局1 9 2 4
(大正1 3 )
年下期 に, 全 国 を通 じて減配 を実行 した銀行 は,普通 ・貯蓄銀行 を合 わせ合計2 2 0
行 に 過 ぎず,翌年大蔵省 はまた,減配勧奨の通牒 を発 した結果,1 9 2 5
年上期 には, 新 たに減配 した銀行9 0 3
行,2
期通合計1 , 1 2 3
行 に達 し,普通 ・貯蓄銀行全体54)
の
6 6%
,休業中の銀行 を除 くと7 0%
になった」。 ここで問題点 として指摘 さ れるのは,特殊銀行 に対 しては例外扱いが許 されていたことで, この時点で「政府方針 の不徹底」が認め られるのである。
第
3
節 金融法規の根本的改正1
金融制度調査会発足政府 は金融制度全般 にわたる根本 的改善 を指 向 し, このため調査立案 の
「金融制度調査会官制 を公布」 し,同時 に声明書 を発 して特殊銀行 ,普遺銀 行,信託会社,庶民金融機関な どに関 し改善 を要す る と認め られる諸事項 を
55)
表示 した。 この中で貯蓄銀行 については,貯蓄銀行法規が
1 9 2 2
(大正1 1 )
午 に根本的な改正が施行 されていたか らである。特 に緊急 に改善 を要す るのは 普通銀行制度であった。 このため,政府 はかねて関東大震災前か ら実行 して きた銀行検査 の結果 に基づ き,銀行経営 ・業務上の失 当 もしくは違法 に属 し または改善 を要す ると認め られる諸点 をまとめて,当業者 に対 して,その要 綱 を指示 し, まず 自発 的 な改善 を促 し,その後大蔵省 は当業者側 に対 して「銀行業務改善 に関する諭達」 を発 したのである。「この銀行業務改善 に関す る指示事項 は
1
0数項 にわた り,なかで も比較的主要な点 は 「銀行 の重役,特銀行経営の コーポ レー ト ガバナ ンス史的考察 (Ⅱ) 181
に取締役の責務不履行 ない し背任行為」業務上では 「利息 を元金に繰入 るる 旨を以て複利 を付す」 ること
,「1
口1
0円未満の預金 を受入れること」, また 貸出に関 しては「同一人に対する貸出限度 に関 し適当なる考慮 を怠ること等, 当時における銀行経営 または業務の内容 に関 し,不純 または失当なものが少56)
な くなかったこと」 が よ くわかる。前述 に関 して 「大蔵省当局が全 国的に 実地検査 を遂行 した結果は,多数銀行の内情が予想外 に不良であったのには,
5
7)当局側 として もむ しろ驚いた とい うことであった
」
とい う感想 を述べてい るが, どこか2 0 02
年現在の金融界の状況 に酷似 していると思われる。2
金融政策の方向性<表
1 4>
で明 らかなとお り,わが国にはもともと小資力の銀行が多数散在 していた。 この ような多数の中小銀行が過去経済界の発展 に寄与 したことは 否定 し得ない事実である。 しか し,逆 にそのためかえって金融界の安定 を妨 げ,経済界の発展 を阻害 したこともまた事実であろう。 したが って,「 1 91 2
(大正元)年 に入 って以来,銀行 の整備改善 は国策的 な懸案 となっていた。その一般的な対策の一つ として始終,持続 された政策が合同の促進 もしくは
58)
助成 という」 対策であった。
すなわち,政府の金融制度全般の政策の中心 にあるものは
,
「普通銀行の 整理合同」であ り, また銀行 自体 として も必然的に集中傾向をたどらざるを 得 ない大勢 にあったことは否めない。因みに,<表1 3>
か ら1 9 2 3‑1 9 26
(大 正)期の 4年間の普通 ・貯蓄銀行 を通 じての銀行の合併状況 を考察す ると, この4
年間に銀行数 は403
行減少 している。計数か ら合併以外 の理由による 廃業 ・解散 なども相当数あったことが窺 える。その結果,「 1 9 26
(大正末 ‑ 昭和元)年末 における仝銀行数は,普通銀行1 420
行,貯蓄銀行1 2 4
行,特殊6
行,農工27
行で合計1 5 7
7行 となった。これは1 91 2
年 (明治45
年末 ‑大正元) 末の普通銀行1 621
行,貯蓄銀行47 9
行,特殊6
行,農工46
行合計2, 1 5 2
行 と比5
9)較す ると,実 に