浦西和彦教授参考文献目録
雑誌名 國文學
巻 96
ページ 57‑78
発行年 2012‑03‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/9183
浦西和彦教授参考文献目録
十二日夕刊︑中部本社版︶二面
久保田正文﹁同人雑誌採点東・北﹂︵﹁毎日新聞﹂十二月五日夕
刊︶三面
ママ
清水信﹁中部の文芸l小説・評論l﹂︵﹁朝日新聞﹂十二月六日
夕刊︑名古屋本社版︶四面
一九六七年︵昭和四十二年︶
佐木隆三﹁同人雑誌評l草野球の可能性﹂︵﹁新日本文学﹂二月
一日︑第二十二巻二号︶一三九頁
佐藤勝﹁︹批評と紹介︺年譜・参考文献・関連資料について﹂
︵﹁東京女子大学論集﹂三月一日︑第十七巻第二号︶八八頁
祖父江昭二﹁書評﹁プロレタリア文学研究﹂﹂︵﹁文学﹂三月十
日︑第三十五巻三号︶一○六頁
清水信﹁同人誌﹂︵﹁図書新聞﹂三月二十五日︑第九○二号︶七
面
ノf I≦
一九六四年︵昭和三十九年︶
︹無署名︺﹁編集後記﹂︵﹁友樹﹂十月︹日付無し︺︑第三十四号︶
六六頁 一九六五年︵昭和四十年︶
H﹁︹学生雑誌︺友樹弘号﹂︵﹁毎日新聞﹂二月二十日夕刊︑中部
本社版︶四面
一九六六年︵昭和四十一年︶
伊藤広子﹁井伏鱒二と葉山嘉樹﹂︵﹁友樹﹂十月十八日︑第三十
八号︶二一頁
︹無署名︺﹁かつてのプロレタリア作家葉山嘉樹を研究︑発刊﹂
︵﹁朝日新聞﹂十一月十日︑名古屋本社版の岐阜版︶一六面
ママ
︹無署名︺﹁葉山嘉樹特集号を出すl坂下女子高文芸部l﹂︵﹁毎
日新聞﹂十一月十日︑中部本社版の東濃版︶一六面
︹無署名︺﹁高校生lマンガなどは読まぬ﹂︵﹁毎日新聞﹂十一月
一九六九年︵昭和四十四年︶
手塚英孝﹁全集に未収録の文章﹂︵﹁赤旗﹂二月十九日︑第六六
二四号︶八面
山崎一穎﹁近代文学界の動向︵一九六八年後期こ︵﹁日本近代文
学﹂五月二十日︑第十集︶一八三頁*﹁葉山粥樹年諮︵未定稿︶
四﹂を評して︑︿従来の年諦を正していて︑丁寧な仕耶であh注目したい﹀・
久保田正文﹁同人雑誌評・詩人たちの佳作﹂︵﹁文学界﹂六月一
日︑第二十三巻第六号︶二六四頁*蕊山粥樹年諦︵未定稿︶五﹂
を評して︑︿葉山年譜としては画期的なもので︑無邪完結を切望する︒﹀
松井恭平﹁葉山嘉樹に宛てた小林多喜二の手紙︵未発表︶﹂︵﹁岐
阜文学﹂六月十日︑第二十八集︶一七頁
平岡敏夫﹁肉体破砕のイメージ﹂︵﹁日本近代文学史研究﹂︹有繍
堂出版︑昭和四十四年六月三十日︺︶三五二頁←﹁昭和文学史
の残像I﹂︵有精堂出版︑一九九○年一月二十五日︶四一頁
︹無署名︺﹁編集後記﹂︵﹁友樹﹂九月︹日付無し︺︑第四十四号︶
七六頁
ママ
桂芳久﹁同人雑誌評l虚と実との皮膜の間﹂︵﹁文芸﹂十月一日︑
第八巻十号︶二六○二六一頁*﹁葉山嘉樹宛小林多喜二烏木健
作未発表書簡﹂を評して︑︿貴重な資料である﹀として︑手紙の一通を
転級紹介する︒
五八おおまきふじお﹁友樹﹂︵﹁岐阜文学﹂四月一日︑第二十六集︶
三二三三頁
ママ
消水信﹁中部の文芸l小説・評論l﹂︵﹁朝日新聞﹂四月四日夕
刊︑名古屋本社版︶三面
森本修﹁︹展望︺近代文学界の動向︵一九六六年後期︶﹂︵﹁日本
近代文学﹂五月一五日︑第六集︶一八七頁
ママ
小笠原克﹁商校文芸誌のこと︹朝の食卓︺﹂︵﹁北海道新聞﹂五
月︶
︹無署名︺﹁女子教育のあるべき姿を求めて﹂︵﹁岐阜県教育委員
会教育広報﹂五月二十日︑第一四五号︶七頁
久保田正文﹁同人雑誌採点束・北﹂︵﹁毎日新聞﹂五月三十日夕
刊︑二版︶三面
久保田正文﹁文学と高校生の創作活動﹂︵﹁高二時代﹂七月一日︑
第四巻四号︶二○二二○三頁
一九六八年︵昭和四十三年︶
ママ
︹無署名︺﹁はたちを迎える文芸部誌I岐阜県立坂下女子高をた
ずねてl﹂︵﹁朝日新聞﹂二月七日︑名古屋本社版︶九面
*記者は稲葉聡
︹無署名︺﹁小林多寛三一・島木健作未発表の手紙みつかる﹂︵﹁朝
日新聞﹂九月七日︑東濃版︶一四面
平岡敏夫﹁学界時評・近代﹂︵﹁国文学解釈と教材の研究﹂五月二
十日︑第十七巻第六号︶二○三頁*﹁﹁煤煙﹂論の前提﹂を評し
て︑︿綿密な本文検討から出発しつつ︑自己弁護の粉飾を衝き︑櫛想の屈
折を明らかにしている﹀︒←﹁明治文学史の周辺﹂︵有精堂︑昭和五十一
年十一月十日︶四八六頁
小島信夫﹁私の作家評伝Il草平・秋声・激石・鴎外・武郎・
藤村﹂︵新潮社︑八月二十五日︶三二頁←潮文庫版←﹁小島
信夫批評集成第3巻﹂︵水声社︑二○一一年三月一○日︶二九頁
一九七三年︵昭和四十八年︶
東郷克美﹁近代︵昭和︶﹂︵﹁文学・語学﹂五月五日︑第六十七
号︶九二頁*﹁犀に生くる人々﹂の改題・改稿・発表経過聯につい
て﹂を評して︑︿清水諸文への詳細な批判を含んでいる﹀︒
小田切秀雄﹁︹帯文︺﹂︵浦西和彦﹁葉山嘉樹﹂桜楓社︑六月十五
日︶*︵遅れていた葉山研究を︑一挙に︑大はばに前進させた画期的な
箸である︒﹀
稲垣達郎﹁︹帯文︺﹂︵前記﹁葉山嘉樹﹂︶*︿閲歴の調在考証に︑注
目すべき成果を挙げている︒その集中的表現である︒葉山嘉樹を考える
ための︑絶対に欠かせぬ媒介になるだろう︒﹀
︹無署名︺﹁葉山嘉樹の年譜︹文化往来︺﹂︵﹁日本経済新聞﹂八月
八日︶二四面*︿本当の年譜とはこのように読める年譜なのである︒﹀
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″○J夕
一九七○年︵昭和四十五年︶
銀﹁紙つぶて.若い芽の成長に期待﹂︵﹁読売新聞﹂四月十日夕刊︑
大阪版︶七面*︵銀﹀は谷沢永一・←﹁署名のある紙つぶて﹂︵浪速
密林︑昭和四十九年十一月三日︶八五頁←﹁完本紙つぶて﹂︵文蕊春秋︑
一九七八年八月三十日︶四八頁←︹文春文服版︺﹁紙つぶて﹂︵文鱗春
秋︑一九八六年三月二十五日︶八五頁←﹁紙つぶて﹂︵PHP研究所︑
一九九九年三月十五日︶八八頁←﹃紙つぶて自作自注最終版﹂︵文蕊春
秋︑二○○五年十二月五日︶一二八頁
一九七一年︵昭和四十六年︶
飛鳥井雅道﹁プロレタリア文学連動の時期区分︵中︶﹂︵﹁文学﹂
三月十日︑第三十九巻三号︶七六頁←﹁日本プロレタリア文学史
論﹂︵八木轡店︑昭和五十七年十一月二十日︶五三頁
︹無署名︺﹁越中谷利一著作集来月下旬に発刊﹂︵﹁岐阜日日新聞﹂
五月二十四日︶四面
一九七二年︵昭和四十七年︶
森山重雄﹁葉山嘉樹論﹂︵﹁人間復興﹂四月︑第一号︶←﹁序説転
換期の文学﹂︵三一香房︑一九七四年一月三十一日︶二四六頁
銀﹁紙つぶて・フェアプレー﹂︵﹁読売新聞﹂五月十八日夕刊︑大
阪版︶五面*越中谷利一﹁断ち切れぬ縄﹂の真の発見者が浦西であ
ることを報じる︒
で描いた内容をいつのまにか事実だと錯覚していたと指摘している︒さ
らに︑﹁東京日日新聞﹂や﹁国民新聞﹂の記事をとりあげ︑争議における
態度に言及し︑絶版については︑妻子を飢えさせないためという橋本英
吉の意見に賛成しつつも︑すぐれた短篇絹作家としての﹁内的動因﹂も
考慮すべきであろうと述べている︒再評価へのてがかりとなる研究であ
る﹀︒
︹無署名︺﹁葉山嘉樹︵プロレタリア作家︶の祖父の墓﹂︵﹁秋田
魁新報﹂八月四日︶一四面
谷沢永一﹁文献目録編纂覚書﹂︵﹁日本古書通信﹂十月十五日︑
三百六十六号︶一二頁←﹁笹誌学的思考﹂︵和泉番院︑一九九六年
一月十五日︶*﹁魚住折蔵年譜﹂等を評して︑︿浦西は一切の省略なき完
全な日付によって記録する原則を樹立した︒﹀
︹無署名︺﹁すぐ−る岐阜︿高校﹀わが校の歩み/坂下女子﹂︵﹁毎
日新聞﹂十一月三十日︑中部本社版の岐阜版︶一三面
浅田隆﹁﹁海に生くる人々﹂試論﹂︵﹁奈良大学紀要﹂十二月二十
一日︑第三号︶一三︑十一頁←﹁葉山嘉樹護﹂︵桜楓社︑昭和
五十三年六月十日︶一一一六︑二三二︑一一三五︑一一一二六頁
一九七五年︵昭和五十年︶
小田切秀雄﹁現代文学の最初の代表的な作家︑はじめての全貌
を現わす﹂︵﹁葉山嘉樹全集︹内容見本︺﹂筑摩書房︑三月︶
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s
記者は吉田無生︒
︹無署名︺三葉山嘉樹﹂をまとめた浦西和彦さんl昭和文学の原
点をさぐるl﹂︵﹁朝日新聞﹂八月二十日︶一三面*︿浦西和
彦さんは三十一歳︑まだ少年の面影が残る青年研究者であった︒︹略︺プ
ロレタリア文学は︑思いがけない理解者に恵まれたというべきだろう︒﹀
小田切秀雄﹁印象に残った本l上半期の収穫からl﹂︵﹁週刊読
書人﹂八月二十日︑第九百九十一号︶六面
森山重雄﹁浦西和彦著﹁葉山嘉樹﹂﹂︵﹁文学﹂十二月十日︑第四
十一第十二号︶一一○二六頁←﹁葉山嘉樹﹁誰が殺したか
事実と虚栂の間﹂﹂︵土佐出版社︑一九八八年八月二十八日︶一一一二頁
一三三頁 一九七四年︵昭和四十九年︶
神谷忠孝﹁近代散文︵昭和︶﹂︵﹁文学・語学﹂四月十日︑第七十
一号︶七九八○頁*屑永直﹁太陽のない街﹂発表年月・共同印
刷争議・設定年月・絶版について﹂を評して︑︿事実を明確にするという
基礎的な作業であるが︑迫力のある論考である︒まず︑発表年月が解説
や辞典で昭和四年六月から十一月までとなっているのはまちがいで︑﹁戦
旗﹂掲載完結以前に︑未掲載の部分と附記を加えて昭和四年十二月︑戦
旗社から刊行されたことを明らかにしている︒共同印刷争議については︑
神田文人の﹁共同印刷争議﹂︹略︺を参照し︑徳永直が﹁太陽のない街﹂
とつひとつ示される︒文職派の典型的な作家としての岩藤を発掘した貴
重な研究成果である﹀・
小田切秀雄﹁現代文学においての﹁文戦派﹂の意義﹂︵﹁月刊社
会党﹂七月︶←﹁社会文学・社会主義文学研究﹂︵勤草番房︑一九九
○年一月一一○日︶三二二︑三三○頁
一九七七年︵昭和五十二年︶
中野重治﹁緊急順不同T上争実しらべの必要のことl﹂︵﹁新日本
文学﹂六月一日︑第三十二巻第六号︶七八七九頁*﹁宮本
百合子全集逸文について﹂を評して︑︿地味な上にも地味なもの︑それも︑
関西大学国文学会というところの﹁国文学﹂というのに載ったのだから︑
世間があれこれと言わぬらしいのに無理はない︒しかしそこでの捕西の
邪実しらべは︑綱災者︑研究者の基本態度に関していた︒この避本態度
の問題を︑そのものとして︑理屈として︑もっぱらその面で浦西が響い
ているのではない.浦西自身の︑あくまで而倒な︑正確を期して自分の
時間と足とでした事実調査の結果を具体的にきし出すことで彼はそれを
していた︒これからあとに出る宮本百合子の新しい全集︑新しい選巣︑ま
たその綱者などは︑またこの作家の研究者たちは︑今日からあと︑何か
の立場で浦西と対立する場合でも︑浦西の調査︑提供したこのものを十
二分に利用することができる︒事実しらべというのはこうもありたい︒そ
う私は思うが︑これを私は︑浦西提供のものをわが目で再検討した上で
●︑●やグー
小田切秀雄﹁解説﹂︵﹁葉山嘉樹全集第一巻﹄筑摩書房︑四月二
十五日︶四六一四六二頁←﹁昭和の作家たちI﹂︵第三文明社︑
一九七九年一月十六日︶一三三一三五頁←﹁小田切秀雄全災第旧巻﹂
︵勉誠出版︑二○○○年十一月二十日︶二○三頁
瀬沼茂樹弓葉山嘉樹全集﹄全6巻の刊行によせて﹂︵﹁週刊読書
人﹂七月二十八日︑第一○九○号︶四面
祖父江昭二﹁解説﹂︵葉山嘉樹著﹃海に生くる人々﹂新日本出版
社︑八月十五日︶二六八︑二七○頁
浅田隆﹁葉山嘉樹論の前提﹂︵﹁奈良大学紀要﹂十二月二十二日︑
第四号︶一九︑二四︑三五頁←前記﹁葉山嘉樹論﹂二二頁
一九七六年︵昭和五十一年︶
黒田征﹁近代︵昭和・散文︶﹂︵﹁文学・語学﹂一月二十日︑第七
十五号︶五九六○頁*﹁岩膿雪夫の﹁鉄﹂と﹁批銀奴隷宣言﹂を
評して︑︿実証的な調在を踏まえ︑研究はかくあるべしということを考え
させる一つの模範的な誇文である︒アナキストからマルキストに転じた
岩藤の思想上の歩みと︑不完全な虚櫛に止まった創作上の方法について︑
時代を背慨に堅実に識じている︒﹁枇金奴隷宣喬﹂についての平林たい子
評︑および蔵原惟人評に対する訂正を要求しつつ︑この作が︑私小説的
な記録風の沓き方をした虚構であると結論するに至るまでの考究︑ある
いは生年月日についての考究には︑根気よく捜し歩いた資料の裏付がひ
一日︑第一五一号︶二面*﹁解題︵﹁葉山嘉樹全集第一巻﹂ごを評
して︑︿初出にはじまって全集に収録されるまでの過程が完全に把握出来
るこの解題は︑解題だけにとどまらず楽しく読ましてくれる﹀︒←﹁総
てが蒐瞥に始まる﹂︵青英舎︑一九八五年一一月一六日︶三二八頁
清水信﹁同人誌評﹂︵﹁図書新聞﹂六月二日︑第一五七号︶四面
*︿浦西和彦の﹁文学新聞﹂についてのエッセイもしっかりしたものであ
る︒﹀
印花﹁﹁ブックエンド通信﹂の意義︹紙てつぽう︺﹂︵﹁週刊読書
人﹂六月十一日︑第一二八五号︶五面*︿おそらく﹁文学新聞﹂
を論じた簸初の鎗考ではないだろうか︒﹀
︹無署名︺︒露伴全集附録﹂購読者に無料で︹トピックス︺﹂︵﹁サ
ンデー毎日﹂七月二十九日︶一二○頁
梅田晶志郎﹁同人雑誌評・魂の高貴さを欲する﹂︵﹁文蕊﹂八月
一日︑第十八巻第七号︶三二二頁*﹁文学新聞について﹂に言及︒
草津信男﹁徳永直﹂﹁太陽のない街﹂ノート㈲﹂︵﹁政治と文学﹂
九月十日︑創刊号︶二四頁
吉田永広﹁徳永直﹁八年制﹂私註﹂︵前記﹁政治と文学﹂︶三○
三一頁←前記﹁日本近代文学と思想性﹂二一一○頁
しまね・きよし﹁戦前社会主義運動資料館型﹂︵﹁図書新聞﹂九
月十五日︑第一七一号︶七面*﹁文学新聞について﹂を評して︑
︽︿一一密くのではない︒ただ︑彼のしらべたほかの人の仕事llそれを私の知
っているlに比べて読んで轡くまでである︒﹀←﹃緊急順不同﹄︵三一
好房︑一九七七年五月三十一日︶←﹁中野璽治全染第二十四巻﹂︵筑摩
密房︑一九七七年九月三十日︶
浅田隆﹁葉山嘉樹自我形成過程﹂︵﹁国語国文﹂六月二十五日︑
第四六巻第六号︶四四︑五三頁←前記﹁葉山嘉樹論﹄九八頁
栗栖真人﹁近代︵昭和・散文︶﹂︵﹁文学・語学﹂十月一日︑第七
十九号︶九○頁*﹁宮本百合子全集逸文について﹂を評して︿百合
子研究の基礎たる閲歴の調査考証が未だに不十分な点を指摘し︑百合子
の出生地や父母︑また入党の時期等についても言及しているが︑氏の指
摘する全集以後の瀦本の﹁解題﹂の杜撰さには︑全く一職させられた﹀︒
一九七八年︵昭和五十三年︶
松井恭平﹁葉山嘉樹の晩年﹂︵﹁友樹﹂三月一日︑第五十四号︶
七九頁
吉田永宏﹁開高健﹁渚から来るもの﹂とその改作﹁輝ける闇﹂
との比較検討﹂︵﹁面白半分﹂十一月二日︑第九十四号︶←
﹁日本近代文学と思想性﹂︵関西大学出版部︑平成一九年三月三一日︶四
四三頁 一九七九年︵昭和五十四年︶
青山毅﹁プロレタリア文学の個人全集﹂︵﹁図書新聞﹂四月二十
谷漂永一﹁署名のある紙喋.新しい工夫を積み重ねてこその書誌
学﹂︵﹁銀花﹂六月三十日︑四十二号︶一八四頁*﹁幸田露伴著
作年表﹂を評して︑︿初出誌紙掲戦ページ数を記録して内容愛の推定に備
えた﹀・
異端者﹁︿編﹀の見どころ︹変化球︺﹂︵﹁毎日新聞﹂十二月十三
日夕刊︶四面*︿棚西和彦の蕊山嘉運などは繕の内実を備えるこ
とで︑箸といってよいものであった︒﹀
一九八二年︵昭和五十七年︶
ミレー﹁暫︹落穂拾い︺﹂︵﹁図書新聞﹂三月六日︑第二九三号︶
七面*︿何事も復刻に際しては︑欠号について浦西に相談すること︒肝
要である︒﹀
︹無署名︺﹁コントロールタワー﹂︵﹁文学界﹂七月一日︑第三十
六巻第七号︶一○三頁*﹁徳永直﹂を評して︑︿作品目録や参考文
献目録を見ると︑雑誌など初出の巻号はもちろん︑所赦のページ数まで
番きこんであるという綿密ぶり︒現物を渉猟し確認したことを明確に証
拠だて︑文献学の厳格主義を徹底させています︒浦西氏の名は知る人ぞ
知る︑かの谷沢永一氏を師とし︑いずれはこの恩師の跡目を継ぐとウワ
サされるほどの人物︒これまでにも﹁葉山撫樹﹂︵桜楓社︶︑﹁露伴全集﹂
︵岩波普店︶の﹁拾遺上・下﹂及び﹁附録﹂などで周到にして綴密なる文
献蒐集の実力を見せています︒﹀
■︑ざ■
︿浦西の論文は︑実物にあたったうえでの綿密な実証的な論文であり︑﹁文
ママ
学新聞﹂についてのこれまでの記録にさいして︑きまざまな亜要な訂正
をくわえている﹀︒
八橋一郎﹁同人雑誌評﹂︵﹁印冊の本﹂十月一日︑第二巻第八号︶
八○頁
吉田永宏﹁露伴全集附録︹新刊紹介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂十月二
十四日︑九五号︶八面
谷沢永一﹁学界寸評︵兜︶﹂︵﹁国文学解釈と鑑賞﹂十一月一日︑
第四十四巻第十二号︶一九三頁*﹁文学新聞細目﹂を評して︑︿最
も基礎的な瞥誌学の本道を行く労作﹀︒
一九八○年︵昭和五十五年︶
谷沢永一﹁︹アンケート︺一九七九年の成果﹂︵﹁文蕊﹂一月一
日︑第十九巻第一号︶三七一頁
泥眼﹁大発見︹大波小波︺﹂︵﹁東京新聞﹂三月十七日夕刊︶三面
森川彰﹁︹新刊紹介︺﹁露伴全集﹂︵別巻︶﹂︵﹁関西大学通信﹂四
月八日︑第百号︶八面
紅野敏郎﹁日本現代文学全集百十巻の完結﹂︵﹁毎日新聞﹂五月
十九日︶九面*︿河西和彦﹀と誤植
広野八郎﹁葉山嘉樹・私史﹂︵たいまつ社︑六月十日︶二四︑五
二︑七六︑一八四︑二九一︑三○三頁
九日︑三版︶九面
一九八四年︵昭和五十九年︶
山下武弓茶話﹂の面白さ﹂︵﹁週刊文春﹂一月十九日︶一四四頁
倉本四郎︒もしも文学などしなかったらどんなに立派な人だっ
たろうに﹂﹂︵﹁週刊ポスト﹂一月二十日︶九三九五頁
向井敏﹁書斎のハンターlコラム史上の金字塔・薄田泣重著﹁完
本茶話﹂﹂︵﹁週刊読売﹂三月十八日︑第四十三巻第十二号︶一
○八一○九頁
曽根元吉﹁構成の緊密な短文の宇宙l谷沢永一・浦西和彦編
完本茶話﹂︵﹁週刊読書人﹂五月十四日︶六面
北野栄三﹁五十余年を経て新鮮さ保つ﹁完本茶話﹂﹂︵﹁サンデー
毎日﹂五月二十七日︶一四五一四六頁
︹無署名︺﹁見直される象徴派詩人薄田泣茎﹂︵﹁神戸新聞﹂五月
二十九日夕刊︶三面
丸谷才一・木村尚三郎・山崎正和﹁︹鼎談書評︺英国で﹁資本
論﹂が書かれたわけ﹂︵﹁文蕊春秋﹂九月一日︑第六十二巻十
号︶二七○二七四頁
木村一信﹁倦夜の読書記﹂︵武蔵野書房︑十二月二十四日︶一五
一頁
● − 〆 、
IFnJ
︹無署名︺﹁﹁人物書誌大系1徳永直﹂を刊行︹出版レーダー︺﹂
︵﹁赤旗﹂七月十九日︶九面
森塚利徳﹁浦西和彦編﹁徳永直匡︵﹁方位﹂十一月一日︑第五
号︶三一頁
谷沢永一コ九八三年読書アンケート﹂︵﹁関西大学通信﹂十一
月二十九日︑第百二十三号︶七面
山野博史﹁文学部教授浦西和彦編﹁人物書誌大系1・徳永直﹂
︹新刊紹介︺﹂︵前記﹁関西大学通信﹂第百二十三号︶八面
一九八三年︵昭和五十八年︶
谷沢永一﹁瞥鬼の散歩古書業界に活気よみがえる兆し﹂︵﹁読
売新聞﹂一月十三日夕刊︑大阪版︶三面←﹁話すことあり間く
ことあり﹂︵潮出版社︑一九八五年十月五日︶一九八頁
国岡彬一﹁プロレタリア文学﹂︵大久保典夫・高橋春雄編﹁現代
文学研究事典﹂東京堂出版︑七月二十五日︺二七五頁
佐野真﹁人物書誌﹂︵﹁書誌年鑑翌日外アソシエーッ︑九月二
十日︶二頁
首藤基澄﹁浦西和彦編﹁徳永直︿人物書誌大系I﹀﹂︹紹介︺﹂
︵﹁日本近代文学﹂十月五日︑第三十号︶二一○二一一頁
ふ﹁デスクです﹂︵﹁毎日新聞﹂十二月十日︑十四版︶二三面
藤沢恒夫﹁人生座説茄︶明治の詩人﹂︵﹁読売新聞﹂十二月十
究﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂九月二十七日︑第百四十
八号︶八面
前田角蔵﹁浦西和彦著﹁日本プロレタリア文学の研究﹂︹書評・
展望︺﹂︵﹁日本文学﹂十月十日︑第三十四巻第十号︶七二頁
布野栄一﹁浦西和彦著﹁日本プロレタリア文学の研究上︵﹁社会
文学通信﹂十月二十日︑第二号︶五六頁
一九八六年︵昭和六十一年︶
牛﹁関係図書の全容わかるl日本プロレタリア文学書目l﹂︵﹁赤
旗﹂三月三日︶一一面
︹無署名︺﹁日本プロレタリア文学書目︹NEWSニュースにゅ
−す︺﹂︵﹁河北新報﹂三月三日︶一五面
磯貝勝太郎﹁︹帯文︺﹂今日本プロレタリア文学書目﹂日外アソ
シエーッ︑三月十日︶
Z﹁プロレタリア文学運動の総決算l作家らの著書目録刊行l
︹あくせす︺﹂︵﹁毎日新聞﹂四月十日夕刊︶五面
*︿浦西の手法は︑文献の内容や形や成り立ちを細大漏らさず番きとり︑
書誌瞥目そのものに語らせている点で︑単純な書誌家の手法と異なる︒﹀
︹無署名︺﹁日本プロレタリア文学書目︹受贈書目︺﹂︵﹁日本古書
通信﹂四月十五日︑第五十一巻第四号︶四○頁
山野博史﹁浦西和彦編﹁日本プロレタリア文学書目﹂︹新刊紹
一宮L心ダゾ
一九八五年︵昭和六十年︶
寺田透﹁︹帯文︺﹂︵﹁日本プロレタリア文学の研究﹂桜楓社︑五
月十五日︶*︵浦西和彦氏の調査はあきれる程入念︑かつ独特である︒
小説の素材だった事件を古い新聞によって克明に追求するが︑それが作
品や作家の告発のためではなく︑それらの特質や美点の顕彰︑あるいは
むしろ解放としてはたらく︒﹀
国岡彬一﹁プロレタリア文学の研究に高い価値﹂︵﹁赤旗﹂七月
十五日︑第一二五二五号︶九面
︹無署名︺﹁日本プロレタリア文学の研究︹受贈書目︺﹂︵﹁日本古
書通信﹂七月十五日︑第五十巻第七号︶三五頁
青山毅﹁可能な限りの資料による実証﹂︵﹁週刊読書人﹂八月五
日︑第一五九四号︶四面←前記﹃総てが蒐番に始まる﹂三七一
三七二頁
小田切秀雄﹁印象に残った本﹂︵﹁週刊読書人﹂八月十二日︶六
面*浦西は︿質実無比な研究者だが︑批評家の見識をもあわせそなえ
ているのに驚くことがある︒﹀
栗坪良樹﹁︹書評︺浦西和彦著﹁日本プロレタリア文学の研究﹂﹂
︵﹁国文学解釈と教材の研究﹂八月二十日︑第三十巻第九号︶一
四一頁
山野博史﹁文学部教授浦西和彦著﹁日本プロレタリア文学の研
一九八七年︵昭和六十二年︶
山野博史﹁浦西和彦編﹁人物書誌大系略・葉山嘉樹﹂︹新刊紹
介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂三月二十日︑第一六二号︶八面
谷沢永一﹁新・学問のすすめ﹂︵﹁Voice﹂四月一日︑第一
一二号︶二○一一一二○四頁*﹁葉山嘉樹﹂・﹃徳永直﹂を高評した
のち︑総評として︑︿浦西和彦は︑学生時代に私の講義を聴いて︑書誌学
の分野に足を踏み入れ︑今では私の同僚であるゆえ身近によく知ってい
るのだが︑長年にわたり実によく全国の図普館を歩いている︒私が何か
の資料を探す必要が生じたとき︑自分で探さなくても︑浦西和彦に冠話
すると︑その雑誌なら前半の何年分は神戸の大倉山の図啓館にあって︑そ
の続きは豊橋の図替館にあるとか︑そういう返事がすぐ返ってくる︒浦
西和彦が登場してきてくれたおかげで︑このごろは私もすっかり堕落し
て︑怠け者になってしまったことを告白しておかなければならない︒︹改
行︺ここでもう一つ加えておくならば︑戦前︑戦中を通じて︑公共図排
館はプロレタリア文学に関する文献をほとんど購入していないので︑そ
れは公共図瞥館に依存することはできない︒したがって︑例えば新劇俳
優の松本克平のように︑個人で熱心に集められて︑秘蔵されている方に
見せてもらわない限り︑この仕事はできない︒ところが浦西和彦の場合
は︑この人が頼みにいくと︑普通の人には絶対に見せてくれないむずか
しい方の書庫の扉が︑どういうわけかギーッと開くのである︒どうも浦
, 。 凸
/ 、
● = 〆 、
介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂五月十六日︑第百五十五号︶一二頁
王凌﹁心有霊犀一点通l評葉山嘉樹小林多喜二的信l﹂︵迂宇大
学﹁日本研究﹂六月二十日︑二期︶六六七○頁
蕊人摘﹁︿日本無産階級文学研究﹀日本l浦西和彦著桜楓社一九
八五年五月﹂︵前記迂宇大学﹁日本研究﹂︶八六頁
︹無署名︺﹁日本プロレタリア文学書目︹受贈書目︺﹂︵﹁日本古書
通信﹂七月十五日︑第五十一巻第四号︶四○頁
︹無署名︺﹁谷沢永一の書誌学集成﹂︵﹁朝日新聞﹂七月二十八日︶
一三面
︹無署名︺﹁谷沢永一書誌学研描︹受贈普目﹂﹂︵﹁日本古書通信﹂
八月十五日︑第五十一巻八号︶三八頁
青山毅﹁谷沢永一番誌学研披l書誌学アンソロジーl︹わが著
書を語る︺﹂︵﹁教育新聞﹂九月十五日︑第一○二二号︶四面
←﹁古替妨偲﹂︵五月群房︑一九八九年三月一一十七日︶一一八六頁
田中準造﹁富士正晴言瀞録天下泰平︹妬︺﹂︵﹁大阪新聞﹂十一月
八日︶九面
高橋新太郎﹁文献探索入門私記﹂︵﹁国文学解釈と鑑賞別冊現代
文学研究﹂十一月二十日︶七四︑七七頁
青山毅﹁谷沢永一の本︹書物あれこれ︺﹂︵﹁月刊福井﹂十二月三
十日︑第三十九巻第一号︶二二頁←前記﹁古替衝僅﹂一七三頁
一九八九年︵平成元年︶
︹無署名︺﹁浦西和彦・浅田隆・太田登編奈良近代文学事典﹂
︵﹁図書新聞﹂四月一日︑第六三五号︶二而
︹無署名︺﹁﹁柿くへぱ⁝⁝﹄からSFまでlゆかりの作品網羅・
奈良近代文学事典を刊行l﹂︵﹁奈良新聞﹂六月十五日︶一六
面
︹無署名︺﹁奈良舞台に創作の大家⁝⁝出身の新進作家l剛人︑
︑編を網らl﹂︵﹁産経新聞﹂六月十七日夕刊︶一○而
︹無署名︺﹁地方文壇にスポット﹂︵﹁毎日新聞﹂六月二十日︑奈
良版︶二○面
︹無署名︺﹁﹁奈良近代文学事典﹂﹂︵﹁毎日新聞﹂六月二十二日夕
刊︑大阪版︶九面
︹無署名︺﹁奈良の描写何でも来い﹂︵﹁読売新聞﹂六月二十七日︑
第2奈良版︶二四面
︹無署名︺﹁文化状況の案内書に﹂︵﹁朝日新聞﹂七月八日︑第2
奈良版︶二四而
︹無署名︺﹁最近の出版から﹂︵﹁朝日新聞﹂八月十二日夕刊︑文
化欄︶一一而
一九九○年︵平成二年︶
伊沢元美﹁︹紹介︺浦西和彦・浅田隆・太田登編﹁奈良近代文学
〆0ざ
‑1≦
西和彦の場合は︑先天的に先薙の年長者に気に入られる雰囲気を備えて
いるようである︒これは︑番誌学者にとってやはり必要な条件かもしれ
ない︒だからこそ︑浦西和彦は一つの文学巡勤が生んだ併物の総決算と
もいうべき︑わが国では未曾有の仕瓢ができたのである︒﹀と総評する︒
また︿これは︑プロレタリア作家である葉山嘉樹の全著作や葉山につい
て普かれた批評を採録するだけでなく︑自分がこれは値打ちのある批評
だと思うものは全部原文どおりに引用してあるし︑また葉山が自分自身
のことを自伝的に僻いてあるところは︑全部その年代に合わせて級せて
いる︒ただ︑それを事実であると潔定しているのではない︒必ず考証と
吟味を重ねる操作によって︑葉山溺樹の伝記が一冊の普誌によっておの
ずからわかるように工夫してある︒そういう個人普目の新しいスタイル
を浦西和彦は独力でつくり上げたのである︒﹀と賛晩する︒
国岡彬一﹁︹書評︺浦西和彦著﹁日本プロレタリア文学の研究﹂﹂
︵﹁日本近代文学﹂五月十日︑第三十六集︶一四三一四六頁
一九八八年︵昭和六十三年︶
小田切秀雄﹁歴史の中のなつかしい人たち﹂︵﹁毎日新聞﹂四月
十九日夕刊︶五面
越前谷宏﹁海に生くる人々﹂︵有精堂編集部編﹁近代小説研究必
携21卒論・レポートを書くためにI坐有精堂︑六月十日︶
一六三︑一六五一六六︑一六八頁
十五号︶八面*︿浦西書誌学は︑たぐいまれな根気のよさを基礎とし
ているが︑この篤学者の明朗で開放的な仕事ぶりには定評があって︑こ
のたびの記念碑的労作においても︑たのしく軽やかにいつくしむように
して︑大部な笹誌づくりに励んだはずで︑そのけれん味のない風梢がす
がすがしい︒敏活な探索能力を存分に生かして︑おのれの替誌に新風を
吹きこみながらも︑後進への期待と配慮にあふれていて︑いさぎよいの
である︒﹀
栗坪良樹﹁瞥誌作製という無償行為︹文学瞥見︺﹂︵﹁海燕﹂十二
月一日︑第九巻十二号︶二二四二二五頁
井尻千男﹁開高健賞創設の周辺﹂︵﹁日本経済新聞﹂十二月十六
日︶二三面
佐野真﹁人物書誌﹂︵﹁書誌年鑑﹂日外アソシエーッ︑十二月二
十日︶一一一二頁
青山毅﹁浦西和彦編﹁開高健書誌﹂をみて︹随時随感⑮︺﹂︵﹁月
刊福井﹂十二月三十日︑第四十三巻六号︶七四七五頁
一九九一年︵平成三年︶
崎﹁地味だがスリルもl﹁書誌学﹂の面白さ語る3氏﹂︵﹁読売
新聞﹂一月七日夕刊︑大阪版︶九面
武藤康史﹁書誌の記載の要不要l浦西和彦編﹃開高健書誌こ
︵﹁新潮﹂二月一日︑第八十八巻二号︶二○八二一一頁
篭L︾グノ事典﹂﹂︵﹁日本近代文学﹂五月十五日︑第四十二集︶二一五
二一六頁
︹無署名︺﹁開高健の全容を収録︹しおり︺﹂︵﹁朝日新聞﹂十月七
日︶一三面
谷沢永一﹁︹帯文︺﹂︵浦西和彦編﹃開高健書誌﹂和泉書院︑十月
十日︶*︿どのように手筈を尽くしたら︑これほど詳細網羅精確明瞭な
香誌記戦が徹底できるのかと︑常に驚嘆させるのが︑浦西和彦の綴密で
開拓的な仕事である︒﹀
︹無署名︺﹁開高健の全貌を収録した書誌︹情報︺﹂︵﹁毎日新聞﹂
十月十五日︑第三八七二○号︶一一面
︹無署名︺﹁開高健書誌︹受贈書目︺﹂︵﹁日本古書通信﹂十一月十
五日︑第五十五巻第十一号︶三五頁
菊田均﹁小説から逃げ回っていた作家﹂︵﹁週刊読書人﹂十一月
十九日︑第一八五九号︶九面
花開く闇﹁活字の周辺﹂︵﹁週刊朝日﹂十一月二十三日︑第九十
五巻五十号︶一四○頁*爾高健瞥誌﹂を評して︑︿やがて笹かれ
るであろう本格的な開高健論のための礎石ともいうべき本︹略︺現代作
家の香誌として︑これ以上は望みがたい︑おそるべき労作である︒﹀
山野博史﹁文学部教授浦西和彦編﹁近代文学書誌大系I開高健
書誌﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂十一月三十日︑第百九
*︿そのデータの綴密さには舌を巻く﹀︒
︹無署名︺﹁︹ほん︺﹁織田作之助文蕊事典亡︵﹁毎日新聞﹂八月二
十七日︶二○面
武藤康史﹁近代文学︑新機軸の書誌学﹂︵﹁東京新聞﹂十月二日
夕刊︶四面*﹁中日新聞﹂は十月四日に掲載︒
藤井収︒織田作之助文蕊事典﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁関大﹂十月十五
日︑第四二四号︶四面
新︒織田作之助文蕊事典﹂の浦西和彦さん﹂︵﹁赤旗﹂十一月九
日︑第一五一四一号︶九面*記者は新船海三郎︒
︹無署名︺﹁監視より抵抗少ない﹂︵﹁朝日新聞﹂十一月二十八日
夕刊︶二面
吉田永宏﹁文学部教授浦西和彦編﹁織田作之助文蕊事典﹂︹新刊
紹介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂十一月三十日︑第二百十三号︶八面
一九九三年︵平成五年︶
︹無署名︺︒本庄睦男全集﹂﹂︵﹁新文化﹂四月十五日︶
︹無署名︺﹁世相を映す﹁古本屋日記﹂﹂︵﹁読売新聞﹂六月二十二
日夕刊︑大阪本社版︶七面
小笠原克﹁〃人間的な闘い診の結実﹂︵﹁北海道新聞﹂七月二十三
日夕刊︶一三面
︹無署名︺﹁精確な仕事ぶりで高い評価︹新役職者紹介︺﹂︵﹁関西
■ ・ 〆 、
ノ【一
︹無署名︺﹁︹いまこの人︺﹁開高健書誌﹂を出した浦西和彦さん﹂
︵﹁朝日新聞﹂一一月二十三日夕刊︶一三面*︿初版八百部が売り
切れ︑版元の和泉瞥院はこのほど第二刷四百部を出した︒書誌の世界で
は異例の反騨とか︒﹀
山内祥史﹁︹紹介︺浦西和彦編﹁近代文学書誌大系l開高健書
誌﹂﹂︵﹁日本近代文学﹂五月十五日︑第四十四集︶二○二二
○四頁
中尾務﹁︹新刊紹介︺浦西和彦綿﹁近代文学書誌大系l開高健番
誌﹂﹂︵﹁昭和文学研究﹂七月二十五日︑第二十三集︶一○九頁
︹無署名︺﹁書誌学者として特筆の業績︹新役職者紹介︺﹂︵﹁関西
大学通信﹂十月九日︑第二○三号︶二面
一九九二年︵平成四年︶
小﹁ユニーク雑誌﹁大阪パック﹂﹂︵﹁読売新聞﹂七月十五日夕
刊︑三版︶一一面*記者は小畠逸介︒
青山光二﹁︹帯文︺﹂︵浦西和彦﹃織田作之助文蕊事典﹂和泉香
院︑七月二十日︶
藤本義一﹁︹帯文︺﹂︵前記﹁織田作之助文蕊事典﹂︶
ママ
崎﹁﹁織田作之助文芸事典﹂の編者浦西和彦さん﹂︵﹁読売新聞﹂
八月十七日夕刊︶七面
彩﹁すごい﹁織田作事典﹂﹂︵﹁産経新聞﹂八月十八日夕刊︶四面
しか載せず︑﹁その人﹂は落している︒もちろん﹁芝居は見るものだ﹂は
ない︒六月の新聞で採録の対象としているのは﹁読売﹂﹁都﹂﹁国民﹂の
三紙だけ︒それすら浦西年表の何分の一かの記事しか拾っていない︒こ
ちらはほかに﹁東京日日新聞﹂﹁早稲Ⅲ大学新聞﹂﹁文芸時報﹂﹁東京朝日
新聞﹂﹁帝国大学新聞﹂﹁三田新聞﹂そして﹁九州日報﹂からも採録して
いて段違い︒雑誌や書籍は言うも更なり︒ただし﹁大年表﹂にあって浦
西年表にない事項もわずかに存する︒意義を考丑しての取捨選択がおこ
なわれたのであろう︹略︺﹀︒←﹁文学鶴亀﹂︵国智刊行会︑二○○八年
二月二十五日︶一三三一三六頁
坂敏弘﹁参考文献目録の評価について﹂︵﹁解釈﹂七月一日︑第
四十一巻第七号︶六頁←﹁日本近代文学の宙誌研究﹂︵武蔵野識院︑
一九九八年九月三十日︶六○頁
︹無署名︺﹁書籍に対する強い愛着︹新役職者紹介︺﹂︵﹁関西大学
通信﹂十月六日︑第二三九号︶二面
浅田隆﹁葉山嘉樹11文学的抵抗の軌跡﹂︵翰林書房︑十月十日︶
五四五六︑二四︑一四九︑一五八︑一七一一七二︑一
九二︑一九七︑二○○二○一︑一一○八二一○︑二一二︑
一一一五二一六︑二七三頁
紅野敏郎﹁︹帯文︺﹂︵浦西和彦﹁田辺聖子書誌﹂和泉書院︑十一
月三十日︶*︿浦西氏の﹁瞥誌﹂作製には︑その対象とする作家に応
七○大学通信﹂十月七日︑第二二一号︶二面
︹無署名︺﹁平成・西鶴ぱなし羽﹂︵﹁読売新聞﹂十一月六日夕刊︶
六面 一九九四年︵平成六年︶
山野博史﹁﹁開高健全集全躯巻﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂
一月十一一日︑第二二三号︶七面
関屋俊彦﹁﹁葉山嘉樹l考証と資料l﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁関西大学
通信﹂五月十四日︑第二二七号︶一○面
一九九五年︵平成七年︶
︹無署名︺﹁新刊EXPRESS﹂︵﹁読売新聞﹂一月九日︑読書
欄︶八面 ︹無署名︺﹁昭和の文学作品網羅﹂︵﹁日本経済新聞﹂三月五日︑
読書欄︶一七面
︹無署名︺弓昭和文学年表﹂全九巻が刊行開始﹂︵﹁朝日新聞﹂四
月九日︶九面
武藤康史﹁文学年表のミクロ的探検︿掌駄天漫筆新連載第一回﹀
浦西年表をめくってみると﹂︵﹁文学界﹂六月一日︑第四十九
巻六号︶一一三四二一一一五頁*︿同じく明治書院から出ていた﹁現
代日本文学大年表昭和篇I﹂︵昭和始年︶とこの浦西年表︵と呼びたい︶
を比べると︑﹁大年表﹂は﹁中央公論﹂大正十五年一月号の小説から七篇
久保田伸子﹁演劇書案内﹂︵﹁演劇界﹂六月一日︑第五十六巻第
七号︶一六五頁
︹無署名︺﹁北像秀司著文学部教授浦西和彦編﹁信濃の一茶・火
の女﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁関西大学通信﹂六月十二日︑第二六四
号︶七面 一九九九年︵平成十一年︶
高島俊男﹁お言葉ですが⁝⁝茶話のはなし﹂︵﹁週刊文春﹂五月
二十七日︶*←﹁お言葉ですが⁝⁝④﹂︵文蕊春秋︑一一○○○年三月
一日︶一九九頁←文春文庫﹁広辞苑の神話﹂︵文蕊春秋︑二○○三年五
月十日︶二二五頁
堀部功夫﹁︹書評︺浦西和彦解題﹁葦分船﹂﹂︵関西大学﹁国文
学﹂九月二十日︑第七十九号︶七八八一頁
黒古一夫﹁﹁書誌﹂作成と図書館﹂︵遠藤卓郎・黒古一夫編﹁図
書館を使う﹂勉誠出版︑十月十日︶一九二頁*︵近代文学件研
究における﹁聾誌﹂学者としては︑﹁東の青山散︑西の棚西和彦﹂とだれ
もが認める﹁番誌の鬼﹂もいて︑例えば浦西和彦などは﹁浦西の歩いた
後にはペンペン草も生えていない﹂と言われる程に徹底して調べ上げて
﹁瞥誌﹂を作成する︒﹀として︑くもうこれに付け加えることはほとんどゼ
ロに近いのではないか︑と言われるようなものになっている︒その意味
では︑浦西和彦の作成する﹁審誌﹂は完壁に近い︑と言えるかもしれな
L旨
じての斬新な方法がつねに編み出されている︒全体を眺め︑細事に拘泥
しつづけ︑執勧な持久力の持主︑それが浦西氏である︒﹀
山崎整﹁﹁田辺聖子書誌﹂を出版﹂︵﹁神戸新聞﹂十二月二十四
日︶一四面*︿これまでほとんど純文学に限られた書誌学の対象を︑
多くの読者の支持を受け︑多彩な分野に活躍している現代作家にまで広
げ︑﹁読める替誌﹂という新しい杵誌の在り方を切り開いたものとして注
目される︒﹀
九九六年︵平成八年︶
︹無署名︺﹁﹁パニック﹂原稿見つかる﹂︵﹁読売新聞﹂二月二十一
日︶一○面
山野博史﹁﹁田辺聖子瞥誌︹新刊紹介︺上︵﹁関西大学通信﹂六月
十七日︑第二四六号︶八面
一九九七年︵平成九年︶
田辺聖子﹁私の履歴書﹂︵﹁日本経済新聞﹂五月二十二日︶四○
面真田辺聖子瞥誌﹂はく物啓きとして身にあまる栄えで︑これは正
直︑うれしい︒私の数少い自慢の一つだ﹀︒
|九九八年︵平成十年︶
松津信祐﹁﹁太陽のない街﹂とプロレタリア文学﹂︵﹁民主文学﹂
三月一日︑第三八九号︶九四九五頁←﹁小林多喜一一の文学﹂
︵光陽出版社︑二○○三年一一月三○日︶七六七九頁
意外にわからない﹀と不満を記す︒﹁最初の記憶﹂を︿浦西さんは︑のち
﹁幼い記憶﹂と改題︑と注記しているが︑これは誤記か﹀との指摘もある︒
大屋幸世﹁蒐瞥日誌二﹂︵賠星社︑六月二十日︶六︑一七︑五二
頁*初出未見︒﹁徳永直﹂に発行所の住所記赦を求め︑箪版記載が不十
分と怨じる︒﹁町子﹂異装本の報告もある︒四四四五頁︒昭和三年六月
号﹁春秋﹂所載のアンヶートー婦選即時断行意見lを葉山嘉樹書誌に補
遺する︒
大屋幸世﹁蒐普日誌三﹂︵暗星社︑六月二十日︶一六三頁*初
出未見︒
谷沢永一﹁日本近代瞥誌学試論﹂︵﹃フイロロギァ渡部昇一先生
古稀記念論文集﹄大修館︑七月二十日︶八五頁←﹁本好き人
好き話好き﹂︵五月瞥房︑二○○五年三月十八日︶*個人耕誌の︵現在
のところ最も詳細な﹀ものとして︑﹁開高健香誌﹂と﹁田辺聖子番誌﹂と
を挙げる︒
二○○二年︵平成十四年︶
ママ
白﹁社会踏まえて作品評価/根気の職人芸・書誌学﹂︵﹁朝日新
聞﹂一月二十九日夕刊︶一一面
浜賀知彦﹁浦西和彦著﹁現代文学研究の枝折﹂﹂︵﹁︹日本民主主
義文学同盟︺東京南部ニュース﹂二月二十日︑第三九一号︶
四五頁
←ヒー →
い・﹀と評価する︒﹁人物番誌大系一徳永直﹂や﹁開高健瞥誌﹂を例示
する︒
生田誠﹁福田豊四郎と伊藤︑氷之介︹私点︺﹂︵﹁産経新聞﹂十一月
十一日夕刊︑大阪本社版︶五面
二○○○年︵平成十二年︶
浪﹁思想統制の実態明らかに﹂︵﹁読売新聞﹂五月九日夕刊︑三
版︶七面
北条常久﹁浦西和彦編﹁伊藤永之介選集﹂︹紹介︺﹂︵﹁日本近代
文学﹂五月十五日︑第六十二号︶二六七頁
白石明彦﹁戦時の言論統制今に伝える﹁報国会﹂の内部文普刊
行﹂︵﹁朝日新聞﹂五月三十一日︶二五面
白石明彦﹁知識人たちの﹁国家総動員﹂﹂︵﹁朝日新聞﹂六月九日
夕刊︶九面
増田周子﹁宇野浩二文学の書誌的研究﹂︵和泉書院︑六月二十
日︶二八二頁
二○○|年︵平成十三年︶
尾西康充﹁書評﹁講座プロレタリア文学﹂﹂︵﹁多喜二・百合子研
究会会報﹂四月二十五日︑第百九十二号︶七︲九頁
大屋幸世﹁蒐瞥日誌一﹂︵賠星社︑六月二十日︶八○︑一二二︑
一一八二︑三二一︑三二八頁*初出未見︒﹁徳永直﹂では︿初出が
二○○三年︵平成十五年︶
︹無署名︺﹁紀伊半島文学事典﹂︵﹁紀伊民報﹂一月十一日︶未見︒
恩田雅和﹁ブックエンド・今月の一冊﹂︵﹁わかやま新報﹂一月
十二日︶未見︒
︹無署名︺﹁紀伊半島文学事典︹受贈書目︺﹂︵﹁日本古書通信﹂三
月十五日︑第六十八巻第三号︶三六頁
大井浩一﹁織田作晩年の〃激情〃﹂︵﹁毎日新聞﹂三月二十八日夕
刊︶九面 ︹無署名︺﹁河野多恵子さんの軌跡網羅し﹁文蕊事典・書誌上
︵﹁毎日新聞﹂四月十五日夕刊︶五面
︹無署名︺﹁2作家の書誌刊行﹂︵﹁朝日新聞﹂四月二十七日︶一
一面
大井浩一﹁n年がかり︑剛ページの大著﹂︵﹁毎日新聞﹂五月二
日夕刊︶五面
玉村周﹁︹新刊紹介︺浦西和彦・半田美永編﹁紀伊半島近代文学
事典和歌山・三重﹂﹂︵﹁昭和文学研究﹂九月一日︑第四十七
集︶一二九一二九頁
大井浩一﹁応挙会場だより﹂︵﹁毎日新聞﹂十月二日夕刊︑一四
版︶二八面
江種満子﹁浦西和彦著﹁河野多恵子文蕊事典・書誌﹄︹紹介︺﹂
1‑3
谷沢永一﹁解題1世に盗作のタネは尽きまじ﹂︵竹内哲﹁﹁盗作
疑惑﹂の研究﹄PHP研究所︑四月三十日︶三○頁*︵番誌
学の世界では︑浦西和彦が先頭に立ち︑背山毅は早逝したが︑紅野敏郎︑
矢野貫一︑近江哲史︑辻泰平︑斎藤勝︑山野博史︑武藤康史︑村田好哉︑
畑田周子︑宮崎芳三らの黙々たる仕耶ぶりに思わず感動きせられる︒﹀
林淑美﹁浦西和彦著﹁現代文学研究の枝折﹂︹書評︺﹂︵﹁日本近
代文学﹂五月十五日︑第六十六号︶三○三三○六頁
影山恒男﹁浦西和彦著﹁現代文学研究の枝折﹂︹新刊紹介︺﹂︵﹁昭
和文学研究﹂九月一日︑第四十五号︶一五七頁
小嶋忠良・大崎敦子﹁関関同立学﹂︵新潮社︑九月二十五日︶八
六頁
谷沢永一﹁蒐書の執念﹂︵﹁本﹂十月一日︶一三一五頁←既
掲﹁本好き人好き話好き﹂*﹁日本プロレタリア文学書目﹂を評して︑
︿文学史の修正を導く結果になる﹀小牧近江﹁プロレタリア文学手引﹂と
いう本を︿始めて登録した﹀と︑意義付ける︒
三ツ村健吉﹁︹帯文︺﹂︵浦西和彦・半田美永編﹁紀伊半島近代文
学事典﹂和泉普院︑十二月二十日︶
立花秀治﹁︹帯文︺﹂︵前記﹁紀伊半島近代文学事典﹂︶
︹無署名︺﹁地元文学者の紹介﹂︵﹁紀州新聞﹂十二月二十九日︶
未見︒
文学解釈と教材の研究﹂十二月十日︑第四十八巻十四号︶一五
三頁 二○○五年︵平成十七年︶
小谷野敦﹁年譜の楽しみ︹上機嫌な私第六回︺﹂︵﹁文学界﹂六月
一日︑第五十九巻第六号︶三一四三一七頁*︿浦西和彦らが
次々と出している文学者香誌は︑大阪出身の文学者が中心で︑こういう
仕事はもっと評価され奨励されるべきだ︒﹀
重﹁大阪近代文学事典﹂︵﹁毎日新聞﹂六月五日︶一一面*︿読
んで楽しい地域限定の文学事典だ﹀・
大村治郎﹁大阪の文学見直しへ事典編集﹂︵﹁朝日新聞﹂七月十
四日夕刊︶九面
坪内祐三﹁まぼろしの大阪刃﹂︵﹁ぴあ︹関西版︺﹂七月十四日︑
第五七三号︶二五九頁←﹁大阪おもい﹂︵ぴあ︑二○○七年十月十
三日︶八三頁
坪内祐三﹁石丸悟平を知ってるかい﹂︵﹁ぴあ︹関西版︺﹂七月二
十八日︑第五七四号︶
︹無署名︺﹁大阪近代文学事典﹂︵﹁大阪日日新聞﹂八月十八日︶
九面
難波利三﹁︹帯文︺﹂︵浦西和彦﹁大阪近代文学作品事典﹂和泉書
院︑八月三十一日︶
上姻︵﹁日本近代文学﹂十月十五日︑第六十九集︶三一八頁
谷沢永一﹁日本近代書誌学細見﹂︵和泉書院︑十一月二十五日︶
五七六三頁*﹁日本プロレタリア文学書旦を評して︑︿博捜の極
みに達した調壷︹略︺昭和期に為されたあらゆる杏誌に︑冠絶する新機
軸の達成である︒事実︑この香が刊行されて二十年︑補充すべき新発見
の香物は皆無なのである︒﹀﹁プロレタリア文学年表﹂を評して︑︿全作品
の掲戦頁まで記載した詳細な決定版である︒﹀﹁河野多恵子文蕊事典番誌﹂
を評して︑︿文藻事典と呼ばれる﹀方式で︿これだけ綿密にあらゆる分野
の項目を拾い︑一冊の単行本として上梓されたのは今回が最初ではない
か︒﹀﹁葉山酪樹﹂を評して︑︿大学卒業後九年目の業績である︒一般に学
部を出て十年前後に︑一巻の香を為せば有望と言い償わす︒浦西の輔進
推して知るべしであろう︒﹀﹁開高健番誌﹂を評して︑︿五百三十頁の大冊
を一周忌に間に合わせた︒︹略︺出来るだけ細密に︑という方針が一貫し
ている﹀﹁佐藤春夫﹂を評して︑︿新たに読むを得た佐藤春夫の釈逼空論
は絶品である︒﹀﹁田辺聖子書誌﹂を評して︑︿ここでの工夫は表記の二段
櫛えと商おうか︒﹀総評として︑浦西が香誌学者の︿見事に正面道路を真
直に進み︑一作ごとに新機軸を七変化の如く絹み出し︑瞥誌学が為し得
る工夫を重ね︑役に立つ便利な仕掛けを考え︑文学研究をより実りある
ものに仕立てている︒﹀七九頁﹁大屋幸世﹂項でも言及する︒
︹無署名︺﹁紹介浦西和彦著﹁河野多恵子文蕊事典・書誌﹂︵﹁国
四日︑第二十四巻二十六号︶二○四頁←前記﹁大阪おもい﹂一一
○一頁
中村稔﹁︹帯文︺﹂︵﹁四国近代文学事典﹂和泉普院︑十二月十五
日︶ 二○○七年︵平成十九年︶
︹無署名︺﹁﹁大阪近代文学作品事典﹂﹂︵﹁大阪春秋﹂一月一日︑
第三十四巻第四号︶一一六頁
︹無署名︺﹁四国ゆかりの文学者1400人﹂︵﹁四国新聞﹂一月
三日︶一一而
︹無署名︺﹁﹁四国近代文学事典上︵﹁産経新聞﹂一月十四日︶一
五面
︹無署名︺﹁四国の近代文学事典﹂︵﹁毎日新聞﹂一月二十一日︶
一○面
︹無署名︺﹁﹁四国近代文学事典﹂刊行﹂︵﹁徳島新聞﹂一月二十二
日︶一三面
︹無署名︺﹁文学で巡る四国お通路の旅﹂︵﹁ウイークリーえひめ﹂
二月一日︶未見︒
堀部功夫﹁高知ミステリー列伝﹂︵﹁高知新聞﹂二月五日︶一四
面
︹無署名︺﹁四国近代文学事典﹂︵﹁愛媛新聞﹂二月六日︶
竺庇
荒井真理亜﹁上司小剣文学研究﹂︵和泉普院︑十月二十五日︶二
七二頁
谷沢永一﹁紙つぶて自作自注最終版﹂︵文蕊春秋︑十二月五日︶
二四一︑二八五︑五四一︑七七五頁*上記のみが新稿︒
二○○六年︵平成十八年︶
有本忠治﹁直木賞東野圭吾さん﹂︵﹁毎日新聞﹂一月十八日︶二
七面
︹無署名︺﹁田辺聖子さん純文学の壁崩した先駆者﹂︵﹁朝日新聞﹂
七月二十九日︶四面
︹無署名︺﹁大阪を描いた文学の事典︹情報フォルダー︺﹂︵﹁朝日
新聞﹂十月八日︶一五面
︹無署名︺﹁大阪が舞台の文学紹介﹂︵﹁読売新聞﹂十月二十九日︑
大阪本社版︶二面
︹無署名︺﹁浦西和彦編﹁大阪近代文学作品事典上︵﹁産経新聞﹂
十一月五日︶二一面
︹無署名︺﹁大阪の文学作品事典︹情報区︺﹂︵﹁出版ニュース﹂十
一月十一日︶一二頁
有本忠浩︒夕刊新大阪﹂復刻版に﹂︵﹁毎日新聞﹂十一月二十四
日夕刊︶一○面
坪内祐三﹁まぼろしの大阪116﹂︵﹁ぴあ︹関西版︺﹂十二月十
書目︺﹂︵﹁日本古書通信﹂十一月十五日︑第七十三巻第十一
号︶四六頁
︹無署名︺﹁信州ゆかりプロレタリア作家の生涯﹁年譜葉山嘉
樹伝﹂を出版﹂︵﹁信濃毎日新聞﹂十一月二十一日︶一五面
紅野敏郎﹁浦西和彦著述と書誌・第三巻年譜葉山嘉樹伝﹂︵﹁週
刊読書人﹂十二月十二日︶五面
二○○九年︵平成二十一年︶
︹無署名︺﹁﹁浦西和彦著述と書誌・第三巻年譜葉山嘉樹伝﹂﹂
︵﹁国文学解釈と教材の研究﹂一月十日︑第五十四巻第一号︶八
七頁
岩測剛﹁徳永直﹂︵前記﹁国文学﹂︶一一三頁
︹無署名︺﹁書物の周囲﹂︵﹁日本古書通信﹂三月十五日︑第七十
四巻第三号︶四一頁
︹無署名︺﹁現代文学研究の基底︹受贈書目︺﹂︵﹁日本古書通信﹂
四月十五日︑第七十四巻第四号︶四四頁
結城秀雄編﹁正誤剛正﹁日本近代文学大事典・机上版﹂﹂︵中野
香店︑五月一日︶*九頁﹁安藤徳器﹂項︿〜昭和二八・一・一五﹀と
没年を追加︒主著を変更︒九七頁﹁徳永直﹂項︿﹁赤い恋以上﹂﹀を︿.赤
い恋﹂以上﹂﹀と訂正︒一一三頁︵昭三・一﹀を︿昭三・二﹀︑︵昭九・一﹀
を︵昭八・一一﹀︑︵更ルテルの悲み﹂﹀を︿﹃若きヱルテルの悲み﹂﹀と
‑ヒ
ー ー ■ → 〆 、
︹無署名︺﹁四国近代文学事典︹受贈図書︺﹂︵﹁日本古書通信﹂二
月十五日第七二巻第二号︶三九頁
吉田永宏﹁あとがき﹂︵前記﹁日本近代文学と思想性﹂︶六四二
六四三頁
友重幸四郎﹁﹁四国近代文学事典﹂︹紹介︺﹂︵﹁日本近代文学﹂十
一月十五日︑第七十七集︶三三六頁
︹無署名︺﹁別府はオダサクの第二のふるさと﹂︵﹁大分合同新聞﹂
十二月九日︶一九面
二○○八年︵平成二十年︶
︹無署名︺﹁織田作之助の未発表原稿﹂︵﹁読売新聞﹂二月七日︶
三一面
上遠野充・小此木律子﹁焼舌な年譜﹂︵開高健著・開高健﹁単行
本未収録作品集成﹂編集委員会編﹁一言半句の戦場﹂集英社︑
五月六日︺︶四六九︑四七五頁
谷沢永一﹁開高健の強運﹂︵前記﹁一言半句の戦場﹂︶五五六頁
待田晋成﹁肉体で言葉を研いだ人生﹂︵﹁読売新聞﹂六月七日夕
刊︶五面
斎藤環﹁文学の断層﹂︵朝日新聞出版︑七月三十日︶二三○二
三一頁*初出未見︒﹁関東大震災と文学﹂を引用︒
︹無署名︺﹁浦西和彦著述と書誌・第三巻年譜葉山嘉樹伝︹受贈
そして︑氏の啓誌にもとづく著述はそう簡単に塗り替えられるとは思え
ず︑氏の﹁著述と瞥誌﹂を基礎とした文学研究がこれからはじまってい
くだろうということも間違いがあるまい︒﹀
野崎六助﹁回顧畑私の3冊﹂︵﹁日本経済新聞﹂十二月二十七日︶
二○面*﹁浦西和彦著述と普誌第一一一巻﹂を評して︑︿プロレタリア文学
研究の基礎を地道に蓄積してきた著者の価値ある瞥誌学集大成︒﹀
二○一○年︵平成一一十一一年︶
秦重雄﹁浦西和彦著﹁著述と書誌﹂全四巻︹瞥評︺﹂︵﹁社会文
学﹂二月二十五日︑第三十一号︶一五三一五五頁*︵プロ
レタリア文学の研究は︑箸者によって初めて完全に︑﹁党派と運動の諭理﹂
から解放された︒﹁ナップ派﹂からも︑﹁文戟派﹂からも︑そして﹁﹁政治
と文学﹄破産派﹂からも自由になった︒真の意味での︑客観的で科学的
なプロレタリア文学研究がスタートしたのである︒︹略︺書誌を武器とし
た著者によって得られた研究成果は︑抑制的であり︑時には禁欲的です
らある︒それ故︑成果そのものは︑年月によって侵食されることがない︒
︹略︑第四巻では︺著者の序文・あとがきなどの一部を引用して︑著作の
意図が未読の者にも推測できるよう︑新工夫が成されている︒︹略︺今回︑
新たに立項された浅野晃の三一冊を見て評者は強い刺激を受けた︒この
増補版書目もすでに著者の手を雛れた共有財産なのだ︒恩恵を被るもの
は︑すべからく増補の追補を心懸けるべし︒︹略︺﹁浦西和彦著述と香
ヒヒ
訂正︒一二三頁﹁富士正晴﹂頂く桑原﹀を︿桑原︵竹之内︶﹀と害き加え る︒一三二頁﹁松下淳三﹂項︿連盟﹀を︿聯盟﹀と密き換える︒一三九
ママ